全国に現存する12天守の一つで、国宝にも指定されている松江城。関ヶ原の戦いで功績を挙げて出雲国を治めた堀尾氏が慶長16年(1611)に完成させ、千鳥が羽を広げたような形の入母屋破風が東西南北の四方に乗っていることから別名「千鳥城」とも呼ばれています。
日本海、中海、宍道湖につながる水運の要所中の要所だった松江城は、船で堀を回るのがおすすめ。堀川遊覧船は全長3.7kmを50分かけて回ります。木を敷いて杭を打ち込んで石垣の沈み込みを防いでいる水堀の石垣や、江戸時代から残る松が沿道に並ぶ武家屋敷など、江戸時代にタイムスリップした気分を味わえます。北惣門橋など橋の下をくぐるとき、天井が下がる仕掛けも面白い! さらに、水上から眺める四季折々の松江城の美しさも必見です!
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復旧工事中だからこそ見られる・熊本城(熊本県熊本市)
築城名人として名高い加藤清正が築いた熊本城。2016年の熊本地震で石垣や建造物の一部が倒壊・破損したため、元の姿に戻すべく復旧工事を進行中。2021年3月に天守が復旧しましたが、お城全体の完全復旧は2037年までかかる見込みだそうです。復旧したての天守の瓦は漆喰でついているため白く、まさに清正が築いた当初の瓦と同じ色だそうです。
そんな復旧工事中の今しかないのが、工事用および観光用に作られた特別見学通路・空中回廊。全長350m・高さ6mの通路で、この通路からしか見られないものや角度がたくさんあります。
古い石垣に新しい石垣を付け足した「二様の石垣」は有名。武者返しの曲線もはっきり見て取れます。また、熊本城の鉄壁の守りを一望のもとに見て取れるのも、空中回廊ならでは。普通に歩いているだけでは石垣が高く迫り先が見通せませんが、空中回廊からは道が何度も折り曲げられている様子が一目瞭然です。
400年前からたたずむ宇土櫓も見逃せません。地震で壁がはげ落ちるなど大きな被害をうけましたが、これから時間をかけて修復していく予定だそうです。
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日本海を望む山城・村上城(新潟県村上市)
標高135mの臥牛山(がぎゅうさん)に築かれた城で、建造物こそ残っていませんが、竪堀・虎口・石垣などが良好に現存し、国史跡に指定されています。本丸跡から眺められる日本海はまさに絶景!
番組では、急こう配の斜面に造られた長大な竪堀のほか、敵の動きを堀と土の城壁でくいとめ登ってくるところを上から攻撃する様や、2段に積まれた高いところは8mもある石垣などを紹介し、堅固な守りのお城であったことを示しています。途中に作られた水たまりは、急斜面を登ってきた馬の体のほてりを冷ますためのもの。「当時の馬は現代のロープウェイ」とは春風亭昇太師匠の談です。
日本海と三面川を守りとして築かれた村上城は水運の拠点でもあり、川からとれる鮭を特産品として城下がとても潤ったそうです。
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本土より200年前に築かれていた石垣のお城!中城城(沖縄県中頭郡)
お城から絶景の海を眺めるなら、沖縄も外せません。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産に登録されている中城城は、東側に中城湾や太平洋、西側に宜野湾市や東シナ海、北側に勝連半島や読谷方面、南側に与那原や知念半島を見渡すことができる景勝地! 中城城からは本島のなんと2/3が見られるそうです。琉球石灰岩で積まれ、美しい曲線を織りなす城壁も必見です。
本土に石垣の城が出現する200年も前に築かれていた中城城。さらに2022年には14世紀の石垣が発掘されました。これだけ早く石垣のお城ができたのは、海外との交易の要であったからだと言われています。さまざまな物品とともに、最新の築城技術ももたらされ、それを土地に合うように工夫して取り入れていった結果が中城城だそうです。千田先生も「東アジアで最先端のお城」と称えます。
また、城内には祭祀の場である「御嶽(うたき)」があったり、夏至の日の光が城内に入るように計算されていたり、本土とは異なる視点のお城である点にも大きく注目したいですね。
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豊かな自然と絶景に癒やされる…でも天然の要害!芥川城(大阪府高槻市)
大阪府高槻市には、平城と山城の“2つの芥川城”があります。山城の芥川城は、芥川に囲まれた三好山の天然の要害を利用して築かれ、近畿一体を支配した「天下人」の三好長慶も城主を務めました。近年、主郭部周辺の木々が伐採されたことで眺望が広がり、高槻の市街地だけでなく大阪の中心部まで見渡せます。
天然の堀として芥川城を守る芥川は清流で、オオサンショウウオやホタルも見られます。恵まれた自然を生かし、狭い土の橋や、大きな岩を利用したトラップ、土塁の上からの伏兵による攻撃など、山城らしいしかけが施されていました。
山頂からは大阪平野を一望することができたので、京の都と西国を結ぶ大きな街道を見張るのに適していました。
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海からの敵に備えた驚異の防御!松前城(北海道松前郡)
江戸幕府が外国船に対する警備強化のため松前藩に築城を命じ、福山館を修築することで安政元年(1854)に完成した松前城。北海道唯一の日本式城郭であり、日本における最後期のお城でもあります。こうした築城の目的もあって、海側の防御に重きを置かれています。
多くの大砲を備えていた松前城ですが、石垣には大砲の砲撃を受けた跡があります。攻撃したのは外国船ではなく、土方歳三。戊辰戦争時、北面の山側は守りが薄いと見抜いた土方は、山側から攻め入って、鉄壁の守りを誇った松前城を落としました。
番組では、「時代的に不要であった天守を築いた理由は何か」という話で盛り上がりました。スタジオの意見は「造りたかったから」。シンプルにして真理かもしれません。
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豊臣秀吉の侵攻に備えた巨大な山城・八王子城(東京都八王子市)
戦国時代末期に北条氏照が築城し、関東屈指の山城として名高い八王子城。後北条氏の支城としては最大の規模を誇りましたが、豊臣秀吉の小田原征伐の一環で攻められ、わずか1日で落城しました。
番組では八王子城の巨大さを解説。これほど大きいお城を築けた理由として、千田先生は北条氏の「お城は武士だけではなく領民も守る」という考え方を紹介。このような考えで領政を行ったので、戦うときも領民みんなで戦うという風になったそうです。
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以上、7城から最強の城に選ばれたのは、「中城城」! 歴史や景観、城壁の美しさすべてをひっくるめて「最強」となりました。
第13弾の最強の城は「駿府城」!
2023年1月3日(水)に放送された第13弾のテーマは「徳川家康の城」。江戸幕府の権威を示す有名な城から、謎めいた穴場の城まで、NHK大河ドラマ『どうする家康』の主人公・徳川家康ゆかりの個性的な名城が紹介されました。
番組恒例、冒頭クイズ!「江戸城でお正月に食べられていた祝い膳は?」➡「うさぎのお吸い物」!
フォトスポットは白亜の櫓!名古屋城(愛知県名古屋市)
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、大坂の豊臣方への備えとして慶長15年(1610)から天下普請で築城した名古屋城。金鯱を頂く五重の層塔型天守、他の城郭だと天守に匹敵する巨大な隅櫓、障壁画や豪華な飾金具をしつらえた本丸御殿など、当時最新の築城技術が注ぎこまれました。まさに“近世城郭の到達点”で、豊臣方だけでなく外様大名へ睨みを利かせるには十分のスケールです。
番組では、天守に負けず劣らず素晴らしいフォトスポットとして、東西隅櫓、西南隅櫓、西北隅櫓の3つの櫓が紹介されました。漆喰で塗られた白亜の壁が美しく、破風や出窓などデザインが統一されていながら、形の異なる破風を重ねるなどの細かな違いがあるのもおしゃれどころ。
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将軍の居城は刻印パラダイス!江戸城(東京都千代田区)
室町時代後期の智将・太田道灌が築き、関東に拠点を移した徳川家康が居城とした江戸城。道灌による江戸城は小規模なものでしたが、征夷大将軍となった慶長8年(1603)から家康は天下普請による本格的な拡張・改修に着手。五重の層塔型天守がそびえて総構えは周囲約16kmにも及ぶ、徳川幕府の威厳を天下に示す一大城郭へと変容させたのです。
番組では、石垣の「刻印」に注目。天下普請で全国の大名が築城に関わった関係上、使う石に所有マークが必要になります。そのマークが「刻印」。最大規模を誇った江戸城、現代の街中に刻印が刻まれた石を見ることができます。石垣をこよなく愛するライターのいなもとかおりさんが、街中の刻印ポイントとして、日比谷公園・虎ノ門駅・清水門を紹介。
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駿河湾を一望する絶景は必見!久能山城(久能城)(静岡県静岡市)
久能山城(久能城)は古くは南北朝時代に起源を持ち、駿河国に侵攻した武田信玄が本格的な城郭を築きました。武田氏が滅亡した天正10年(1582)、駿河国一帯が徳川氏の領有するところとなり、久能山城も家康の支配下に。家康は久能山城が要害の堅城であることに着目し、近くにあった駿府城の本丸と位置付けていたと伝えられています。
現在は家康を祀る東照宮となっている久能山。遺言により、家康は亡くなった日の夜にはこの地に運ばれ、埋葬されました。番組では高低差110mの急こう配な石段を登りながら風景を堪能。一の門まで行くと、晴れれば伊豆半島までが見渡せる駿河湾の絶景が広がります。途中途中で平地(ひらち)があるのは、もとは山寺だったころの名残りだそう。
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巨岩の山に神秘の石垣!大給城(愛知県豊田市)
現在の愛知県豊田市松平町にある松平氏館跡、松平城跡、大給城、高月院の4カ所が「松平氏遺跡」として、平成12年(2000)に国の史跡に指定されました。大給松平氏の祖である松平乗元は、大給城(おぎゅうじょう)を拠点として領土を拡大していきます。松平宗家とはじめ対立していましたが、徳川家康と和睦した後は、有力武将として活躍したそうです。
番組では、あちこちにある大きな花崗岩を利用した防御性に着目。また、山城にとって死活問題になる水の確保の重要性を物語る水の手曲輪も紹介されました。ひときわ大きな岩は物見台として使われたと考えられ、家康の領地である三河を一望できます。
巨岩と石垣が点在する独特の雰囲気を持つ大給城に、スタジオでも「秘密基地のようなお城」とラブコールがかかりました。なぜ大給城に行ったのか聞かれたお城好き気象予報士の久保井朝美さんは、「そこに城があるから」と名言で応答。
天皇の住む京都御所の守護と将軍が上洛した際の宿泊所とするため、徳川家康が慶長8年(1603)に築城した二条城。3代将軍家光の時代に大規模な改修が行われ、壮麗な城に天皇を迎えることによって幕府の支配が安定したものであることを広く知らしめました。国宝の二の丸御殿など絢爛たる桃山文化の遺構が良好に残り、世界遺産にも指定されています。
番組では、「これまでの武将とは違う存在」という印象付けを狙った家康の仕掛けのポイントを紹介。なかでも広い道幅の堀川通りは、野蛮と思われている武将でもこんなすごいことができる!と嫁入り行列などのイベントを都の人々に見せつけるために、広く作ったそうです。