六段壁はこの城のシンボルのような存在で自分も昔から好きな遺構です。他にも魅力的な石垣の風景が多くあり、一部ですが追加で投稿しました。残念ながら雪で見にくくなっている所もあります。この日は晴れ間が見えていましたが、雲で太陽が隠れる時間帯もありそれなりに寒かったです。
この時期は登城者も少なく葉も落ちているので山城散策にはいい季節ですが、年によっては雪が降っていたりするので要注意です。3年前に1月に登城したときは雪が積もっていました。(投稿済み)
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2025/01/04 16:45
石垣散歩 (2025/01/04 訪問)
六段壁はこの城のシンボルのような存在で自分も昔から好きな遺構です。他にも魅力的な石垣の風景が多くあり、一部ですが追加で投稿しました。残念ながら雪で見にくくなっている所もあります。この日は晴れ間が見えていましたが、雲で太陽が隠れる時間帯もありそれなりに寒かったです。
この時期は登城者も少なく葉も落ちているので山城散策にはいい季節ですが、年によっては雪が降っていたりするので要注意です。3年前に1月に登城したときは雪が積もっていました。(投稿済み)
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2025/01/04 16:26
霧ヶ城伝説 (2025/01/04 訪問)
1年ぶりの登城です。少し雪化粧をしていました。文治元年(1185年)加藤景廉によって築城されましたが、現在見られる石垣造りの近世城郭は慶長6年(1601年)入部した松平家乗により整備されたものです。岩村城の特徴の一つに標高717mの山頂一帯に築かれた城にもかかわらず井戸が17ヶ所もあるということです。中でも昔から好きなのは八幡曲輪にある霧ヶ井です。城主専用の霊泉で、敵が攻めてきた際、城内秘蔵の大蛇の骨をこの井戸に投じると、たちまちにして雲霧が湧き出て城を覆い尽くし、城を守ったとされています。この話を最初に知ったのは初めて登城した中学生のときでした。いつの時代、そのときの城主は誰、と疑問に思い調べてみましたが、今のところ答えをみつけられません。詮索することが野暮な話かもしれません。
明知鉄道岩村駅より岩村城下を散策して登城しました。本丸まで行き二の丸、南曲輪などを散策しました。
「岐阜の山城ベスト50を歩く」(サンライズ出版)に「山上から周囲に伸びる尾根の各所には、戦国期の曲輪や堀切が遺存している。見学路が整備されていないのが難点であるが、こちらも一見の価値がある」の記載があります。行けるものなら行ってみたいですが、無理はしないのが現在の方針なので行きません(多分)。
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2024/10/19 21:39
2024/10/01 21:52
日本三大山城の1つ (2024/09/26 訪問)
城跡の近くに駐車場(無料)あり。
ただ、そこまでの山道は結構狭く少し気合いがいります。
駐車場から天守跡までは杖でゆっくりと10〜15分ぐらい。車椅子では登れません。
日本三大山城と言われているので覚悟していましたが、車で近くまで行けるのと天守跡までの山道もそこまで急な道ではないので、杖でゆっくり登れば大丈夫でした。
天守跡にもしっかり石垣が残っており、女城主の悲哀も想像させられました。
過去の城を見れるQRコードが随所にあり、楽しませてくれました。
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山城では日本で最も高い標高約717mの地に築かれ、高取城、備中松山城と並んで日本三大山城と呼ばれている。山頂・山腹に数多くの曲輪群が階段状に配され、山麓には居館群があった。本丸、二の丸、八幡曲輪、東曲輪がよく残り、本丸北東面に積み上げられた6段の石垣が壮観。
城地種類 | 梯郭式山城 |
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築城年代 | 承久3年(1221)以降 |
築城者 | 遠山景朝 |
主要城主 | 遠山氏、森氏、大給松平氏、丹羽氏 |
文化財史跡区分 | 県史跡(岩村城跡) |
近年の主な復元・整備 | 河尻秀隆、各務元正 |
天守の現況・形態 | なし |
主な関連施設 | 藩主邸、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、移築門 |
住所 | 岐阜県恵那市岩村町 |
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問い合わせ先 | 岩村振興事務所 |
問い合わせ先電話番号 | 0573-43-2111 |