車で攻城しました。車は、城址にもなっている有鹿神社の駐車場に停めさせていただき、周辺を徒歩で移動しました。住宅地の、真っ只中ですね。海老名氏記念碑は、集合住宅の傍らに、唐突にありました。攻城時間は30分でした。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2025/12/10 14:59
2025/12/10 07:07
三連休・山口県の攻城⑥ 山頂へ (2025/11/23 訪問)
林道はすぐに良くわからなくなってしまいました。斜面を直登していく感じになってしまいましたが、伐採されて白テープが巻かれた杉の木が並んでいたのでそれを目印に上に登っていくと段郭の下端にたどり着くことができました。ここからは頭が赤いペグやピンクテープなどがあって頂上まで安心して進めました。ダムから頂上までちょうど1時間の所要でした。前日の蓮華山城に比べれば、比高は半分にも満たないし、山中で迷うこともなかったので簡単に攻城できてしまったという感じです。山頂の表示に縄張図があり、畝状竪堀が描かれていましたので、探してみましたがよくわかりませんでした。山口駅から徒歩でのアプローチでしたので時間はたっぷりとかかりましたが、午後3時の献血予約には余裕で間に合いそうです。
+ 続きを読む
♥ いいね
3人が「いいね」しています。
2025/12/09 22:50
戦国島津はじまりの城・島津4兄弟誕生の城 (2025/10/29 訪問)
伊作城跡の亀丸城・本丸へ登城しました、西奥に石碑群が在り、中央に大きく亀丸城趾之碑、次に大きく日新公御誕生地碑(日新公は忠良公です)、小さく誕生石4個の基壇には日新公の孫である戦国島津4兄弟「義久、義弘、歳久、家久」、もう一つ誕生石4個の基壇には「善久公(忠良父)、忠良公、忠将(貴久弟)、尚久(貴久弟)」他に忠良御女子誕生石も有ります。
樹木が茂りうす暗い中に誕生石が置かれて居り400年を遡って戦国四兄弟、日新公に巡り合えそうな雰囲気でした。
西側に土塁、井戸跡、東に登り枡形虎口、広い曲輪です。
+ 続きを読む
♥ いいね
7人が「いいね」しています。
2025/12/09 22:21
2025/12/09 22:04
2025/12/09 22:00
群郭式の巨大城郭 (2025/10/29 訪問)
戦国島津四兄弟(義久・義弘・家久・歳久)誕生で有名な伊作城はシラス台地を堀切、空堀で独立郭を峻立させ各郭は城と呼んで連携防御されている、亀丸城は本丸、蔵之城、山之城、東ノ城、御仮屋城、西ノ城、花見城その他の郭が有り、駐車場に伊作城跡案内板に伊作城跡想像復元図に描かれている。
駐車場:伊作城跡専用駐車場、トイレ有
参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
先に訪ねた加世田城・別府城から北に直線距離で約12km程、国道270号線を北上し県道22号線(谷山伊作線)を東に進行して伊作城跡の大看板を中腹へ駐車場が完備してる。
全て郭を攻める事は叶いませんので、駐車場に近い、山之城、蔵之城、御仮屋城の登城口辺り、シラスの堀切、切岸、空堀、土塁を眺めて、シラスの切岸、空堀、堀切のスケールの大きささ、高さに驚愕堪能しました、素晴らしい城跡です。
亀丸城・本丸へは登城探訪しましたが亀丸城の投稿は別編で投稿させて頂きます。
+ 続きを読む
♥ いいね
7人が「いいね」しています。
2025/12/09 21:46
本丸石垣 (2025/11/15 訪問)
金山城は毎年オシロフェスのたびに行くことになると思います。もはやルーティンというやつですわ。大手枡形虎口と本丸枡形虎口は石造りで見ごたえが有ります。破城を受けたり、修復されたり時代によって形を変えていきますが、この先もできるだけ多く訪問したい。
しかし、あまり遠出が出来ない関係からか「いった」城が増えないな・・。とりあえず「めぐり」のリア攻めでも増やしていこうかな・・。
+ 続きを読む
♥ いいね
8人が「いいね」しています。
2025/12/09 19:25
2025/12/09 19:15
2025/12/09 19:09
2025/12/09 18:28
2025/12/09 13:55
高麗山城 神奈川県中郡大磯町 (2025/12/08 訪問)
色々なHPに伊勢宗瑞(北条早雲)が、扇ヶ谷上杉氏と対立した際に取り立てたとある。その前にも戦のたびに陣を敷いたとも載っている。陣をおくには格好の要害のようだ。
周辺は幾つものコースがあり、特に湘南平から高麗山はハイカーが多い。湘南平から浅間山を通り、八俵山に着く。以前はここにもお堂が建っていたらしい。すぐ東に大きな堀切があり、少し先にやや小振りな堀切が現れる。やや登って高麗山山頂に着く。城の主郭とあり以前はお堂が建ち、大堂(上宮)と今も名が付いている。主郭の西の土塁状の上が最高点になる。土塁に見えるのはお堂を建てる際に削平した残りとも言われる。東寄りの石段を下れば東天照(とうてんしょう)の分岐がある。位置的には主郭から北東に下り、登り返せば尾根をやや削平した二郭(?)に出る。明確ではないが東側に堀切と言われる場所がある。少し下に東天照の案内板があり、東の展望台の役目を果たしていた。鎌倉時代は白山社があったとも。先は急坂で下っている。
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2025/12/09 13:43
山下長者屋敷 神奈川県平塚市 (2025/12/08 訪問)
住吉要害とも呼ぶらしい。説明板によれば、人物は特定しない。東西110m・南北110mの単郭方形で、屋敷址と土塁・空堀を残している。多くの伝説の一つに、仇討ちの曾我兄弟の兄・十郎祐成を助けた虎御前は、この屋敷の生まれとある。
案内板の立つ土塁跡しか分からない。西に50mの道路脇に水路を伴った藪(竹)があり、諸先人さんによれば土塁跡と載る。北に50mに東光寺・八幡神社があり、東光寺横に虎女住庵の跡と石柱が建っている。説明板に蘇我兄弟亡き後、出家し尼となりこの地に閑居したと伝わる。曽我物語には高麗寺の奥に籠もると書かれており、この地も高麗寺山下となっている。物語で言う地はここではないかと推定される、と載る。
+ 続きを読む
♥ いいね
5人が「いいね」しています。
2025/12/09 13:32
駿府城跡天守台発掘調査現場最後の“休日公開”&限定ツアーを開催します!
駿府城跡天守台発掘調査現場では、野外展示施設の整備に伴い、令和7年9月末で土日祝の公開が終了し、12月26日(金)をもって平日の公開も完全終了します。そこで12月13日(土)に”最後の休日公開日”を特別に設けます。
今回、このラストチャンスに合わせて、限定ツアーも同時に開催します!普段耳にすることのできない、「発掘の裏側」や「最新の調査成果」を、現地で直接聞くことができます。
◆今回の限定ツアーの見どころ
※限定ツアーにご参加いただいた方のみでご覧いただけます。
・天正期の本丸石垣を新たに発見!
駿府城では天守台の調査以外で”初”となる歴史的発見です。
・慶長期本丸石垣の姿も明らかに!
徳川家康の居城・駿府城の新たな一面が見られる貴重なチャンスです。
◆開催日時: 12月13日(土)9:00~16:30(最終入場16:00)
限定ツアー(当日受付・無料)【先着順・各回20人/全8回/各回約30分】
10:00~/10:30~/11:00~/11:30~/14:00~/14:30~/15:00~/15:30~
※当日の状況により時間・回数が変更になる場合があります。
◆開催場所:駿府城公園(静岡市葵区駿府城公園1-1)駿府城跡天守台発掘調査現場
◆開催可否:少雨決行
※荒天等で中止の場合は12月12日(金)17時までに静岡市HPにてお知らせします。
◆対象者:どなたでも参加できます
◆料金:無料
◆申し込みの有無:不要 ※限定ツアーの参加者のみ、当日の受付が必要です。
現場説明会に参加される方は、当日、現場内の「発掘調査現場きゃっしる」前にて、各回1時間前から受付を行います。
これまでの調査成果が一気に見られる“特別な一日”。最後の休日公開となるこの日に、ぜひお越しください。
+ 続きを読む
♥ いいね
8人が「いいね」しています。
2025/12/09 06:51
駅近物件 (2025/11/25 訪問)
倉吉に所用があり、少し早めに着いたので足を伸ばしました。
山陰本線の八橋駅に車を置き、すぐ近くにある説明板のところから登っていきます。
すぐに2つの曲輪に到着、東側の郭には石垣も見えます。
2つの曲輪の間は高くなっていて神社が鎮座します。
櫓台でしょうか?
この北側が窪んでいて虎口だったとされます。
西側の曲輪には僅かに石積が残り、酒井片桐飛行殉難碑が立っています。
城は山陰本線の南側まで広がっていましたが鉄道により分断、南側には遺構は無さそうです。
ここで見学終了しましたがどうやら曲輪の北側にも石垣があるようです。
事前確認が漏れてました😅
【見どころ】
・(一部見てないが)石垣
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2025/12/09 06:49
三連休・山口県の攻城⑥ 山口駅から登城口まで (2025/11/23 訪問)
前日の蓮華山城でのダメージはありましたが、この日予定していた攻城をあきらめる気はさらさらありません。三連休の中日、献血の予約が取れるまでレンタカーの予約を入れずにいたら、徳山界隈のレンタカーはすべて満車となってしまいました。やむなく、JRで山口駅に向かいます。レンタカーが借りられなかった時点でこの日のターゲットは古城ヶ岳城のみに絞りました。県庁所在地の駅とは思えないほどさびれた山口駅のコインロッカーに荷物を預け、一の坂ダムを徒歩にて目指します。折角ですので、道すがら、洞春寺と瑠璃光寺には立ち寄っていきます。青空をバックにした国宝・五重塔は本当に絵になります。そして瑠璃光寺から40分ほどで一の坂ダムに到着。その先に進んだところにある登城口は、雑草が繁茂していて先に進んでいくことに不安を覚えます。
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2025/12/08 22:40
天守台と破城の痕跡 (2025/11/08 訪問)
天守台直下の伝本丸取付台は調査中で立ち入ることが出来ず、その先の遺構も確認することが出来ません。調査が進んで、早く安土城を自由に散策できるようになればと思います。荒々しい野面積みの石垣ですが当時の天下人に相応しい巨大な天守台です。
個人的には真に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉こそが最初の天下人と思っているのですが、日本の大半を支配下に治め天下統一に最も近かった織田信長も天下人と呼ばれているようです。三好長慶もそれ以前の天下人とされる場合もありますね。
天正13年(1585)に八幡山城が築かれ羽柴秀次が入城すると、安土城は廃城になり豊臣秀吉の命で石垣も崩されました。安土城は元々は観音寺城の支城が有った場所に築かれていて、戦略的にそれほど重要な位置に有るわけでもなく、天下人が秀吉に代替わりしたことを世に示す意味合いが大きかったようです。まさに破城もいろいろです。
家康ほどじゃないにしろ、秀吉も元主君の城に対して容赦無いですな。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
2025/12/08 22:04
本丸へ (2025/11/08 訪問)
織田信忠邸から本丸に続く石段をしばらく登って行き、伝・黒金門を越えて右折した先に伝・二ノ丸の石垣が見えてきます。
この二ノ丸跡が信長廟になっています。天守台の石垣の上は木々が鬱蒼と生え茂っていて、まるで密林の中の遺跡のようです。
う~ん、こんなんだったかな? 本丸周辺は立入出来る場所が限られていて三の丸や八角平方面には進むことが出来ません。天守台の上には登ることが出来ます。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
2025/12/08 21:48
湯浅党本拠の城 (2025/12/07 訪問)
普段は非公開の湯浅城が一般公開されたので訪問してきました。城内は藪や竹林が多くて視界や足場が悪いところも多くありましたが、逆に開発の手が入っていないだけに昔の姿がそのままに残っている感があります。特に主郭東下の土橋は、主郭から土橋を渡る敵をちょうど狙える位置にありました。曲輪の切岸も急な角度になっていて、下から攻めるのは難しそうです。今後とも手を入れない状態で保存されることを願います。令和8年2月28日と3月1日にも一般公開がある予定です。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
ページ1
✕
人が「いいね」しています。