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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:柏原城 (2024/09/27 訪問)

赤目口駅から徒歩10分ちょっとで、決戦之地柏原城石碑前(34.593659、136.081296)に着き、その後、城址直線道路(34.593908、136.082509)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、永禄年間(1558年〜1570年)頃に滝野氏によって築かれたと云われています。
1581年(天正9年)織田信長の軍勢が伊賀に侵攻し第二次天正伊賀の乱が起こります。
この戦いで伊賀の土豪たちが最後の立て籠もったのが、滝野吉政の城であった柏原城でしたが降伏開城しました。

こじんまりとしていますが、高土塁や深い堀、堀切など見ごたえはあります。
土塁で囲まれた主郭を二重の空堀が巡らせています。虎口は南側にあり、虎口脇や土塁などには一部石積が見られます。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=名張城を目指す為、赤目口駅から電車で名張駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:鳥羽城(唐人門跡) (2024/09/27 訪問)

坂手村砲台(とまり湯付近)から徒歩7~8分で、唐人門跡(とうじんもん)(34.483888、136.843248)に着きました。

鳥羽城は、2020年3月6日に攻城しているので、今回は「唐人門跡」のみの見学になります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=柏原城を目指す為、鳥羽駅から電車で赤目口駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:坂手村砲台 (2024/09/27 訪問)

鳥羽駅を出てすぐの所のドルフィン公園入口(34.486845、136.844320)に着きました。

幕末の鳥羽藩は、日本への異国船来航が相次いだことを受け、藩主・稲垣長明の命で領内に多数の砲台を構築しました。
伊勢湾口・鳥羽港という要衝に位置した坂手島には、文久年間(1861年 - 1864年)に丸山崎と田ノ崎の2か所に砲台が建設されたそうです。
このうち島の北西端にある田ノ崎の砲台跡は「坂手村砲台跡」の名で1941年(昭和16年)10月21日に三重県指定史跡に指定されました。(丸山崎の方は海風で侵食されて崩壊したそうです。)
指定当時は岬の突出地を利用して周囲を掘り下げて築いた砲台跡の地形がはっきりと残っており、その後方には焔硝蔵(火薬庫)跡も確認できたようです。
戦後間もない頃にはまだ砲台跡が維持されていましたが、その後ホテルが建設されてその敷地の一部に取り込まれ、滅失したそうです。

先人の皆さんと同様に、島に渡らず、とまり湯付近から坂手島方面を見て攻城としました。
時間がありましたので、妻へ感謝を込めて、鳥羽一番街でお土産(鳥羽といえばのお土産です)を購入しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=鳥羽城(唐人門跡)へは、ここから徒歩で向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:田城城 (2024/09/27 訪問)

加茂駅から徒歩7~8分くらいで、九鬼岩倉神社前(34.447153、136.843725)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、田城左馬之助による築城とも、天文年間(1532年〜1555年)に九鬼泰隆(九鬼嘉隆の祖父)による築城とも云われています。
泰隆が死去したのち、北畠具教の援助を受けた豪族によって城は奪われましたが、伊勢に侵攻してきた織田信長の助けを得た九鬼嘉隆が奪還しています。
その後、九鬼氏の本拠地は鳥羽城に移ったため、田城城は廃城になりました。
現在城址には嘉隆によって暗殺された九鬼澄隆の怨霊を鎮めるため、嘉隆の子の守隆が建立した九鬼岩倉神社(九鬼惣領権現)が祀られています。

九鬼岩倉神社の参道入口前に、城跡標柱と説明板があります。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=坂手村砲台を目指す為、加茂駅から電車で鳥羽駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:斎宮城 (2024/09/27 訪問)

ホテルでの朝食前に斎宮城を攻城しました。
本日から3日間は9/25に購入した近鉄週末フリーパスを使用して交通費を節約します。
斎宮駅から徒歩5分くらいで、斎宮城標識前(34.536676、136.618607)に着きました。

詳細は不明のようです。1555年(弘治元年)に野呂三郎らが徳政を求めて城塞を築き斎宮城に籠りますが、北畠氏によって鎮圧されたそうです。

斎宮城は竹神社の辺りに築かれていたそうですが、遺構はありません。
神社の南側に標柱が設置されています。
斎宮駅の北側のこの場所(34.538840、136.615320)に「斎宮跡10分の1史跡全体模型」があります。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=田城城へ行く前に、一旦ホテルに戻り朝食を食べる為、電車で斎宮駅から松阪駅に向かいました。

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じゅんじん

19年ぶり (2024/04/20 訪問)

相変わらず天守に行けない

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じゅんじん

15年ぶり (2024/04/15 訪問)

桜が散り際でした

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じゅんじん

15年ぶり (2024/04/15 訪問)

山の木が無くなってる!崩れそう。

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じゅんじん

(2024/04/15 訪問)

城址碑があります。模擬天守も行きました。

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じゅんじん

はるまつり (2024/04/14 訪問)

イベント開催中でした。

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しんちゃん

寺前城ルート。 私の忍者道具。

昌官忠さんへ‥記憶をまさぐってみると、寺前城は池の北側のゲートの脇から入っていますね。少し行儀が悪いですが北側に橋があるようなので、そこからゲートの中に入ることもできそうです。推奨は村雨城からのルートのようですが、それだと藪を突っ切っていく必要があるかも。
この辺はよくヒルが出るので、二の足を踏む気持ちはわかります。
畑から直接取り付くのも有りですね。スマホに地形図を読めるアプリさえ入っていれば、いくらでも戦いようはあります。道が無い場合は自分で作っちゃえば良いですよ。
オマケで「私の忍者道具」を載っけさせていただきます。
①夜襲用のヘッドライト もっと明るいハンディタイプを追加する予定です。
②ゴム手袋 虎ロープ対策や、藪をかきわけるのに使います。
③クマスズ 熊の出そうな山城で使います。普段はテープで音を封印しています。
④サラテクト 虫よけ。甲賀でヒルにやられたので、ヒルにも効果のあるものをチョイスしています。
⑤テスター 電気柵対策。ふだんは持ち歩いていません。
他にも林道の木を切るための手ノコや水に溶けるティッシュも持参しています(万一のためです)
怪しいですね‥ これでバールとか入っていたら完全に「ルフィ一味」です。

私は二段程度の電気柵なら跨いで通ります。四段だとストックなどで開いてくぐります。たとえゴム手袋をしていても電線をつかむのはNGです。感電したとたんに体が硬直するので電線をにぎったまま手を離せなくなります。
もし、いっしょにいる誰かが感電したら、即座に蹴り飛ばしてください。引きはがそうとすると一緒に感電してしまうので。

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小城小次郎

ハイブリッドな城 (2024/02/20 訪問)

堀を埋めてまで居住空間を確保した「住む城」と、畝状竪堀と連続堀切でびっしり固められた「守る城」の両面を見られるハイブリッドな城だが畝状竪堀のあたりがちょっと荒れているので今一度光を当てたいところ。

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しんちゃん

畝状竪堀と人柱の伝説 (2024/10/20 訪問)

林道は南側より東側がお勧めです。5ナンバーであれば、それほど苦も無く来れますが、3ナンバーだと少し難儀するかもしれません。
なんにせよ山に入ってからのカーブの箇所は落石があるかもしれないので注意が必要です。
城址のすぐ近くにまで車で来れるので、すごく助かります。標高503m、比高200mを車で来れるのはスケジュール的にすごく助かります。
ふっふっふ 勝ったな‥ニヤリ(何にやねん)。
「東海鬼攻め」最終日、幸先が良いですな。
二日町城は東氏によって築かれ、東益之は次男・安東遠江守氏世にこの城を守らせたとされています。現地の案内板には人柱を建てたという伝説が書かれていますが、こんな畝状竪堀ばかりの城に人柱とな? 伝説にせよ、いささか文化的ではないのでは?

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しんちゃん

立入禁止なので「野口城」を身代わりに捧げます・・ (2024/10/14 訪問)

前日、帰雲城を見に行って、またはるばる戻ってきます。山道はしんどかったな‥それもまた旅。
翌朝やるき満々で向小島城に向かったら、完全に入れなくなっている。このやる気、どうしてくれる‥
①忠臣蔵(強引に押入る)
②あきらめて次に行く
③かわりの城を攻める

①はダメだな、犯罪になる。②でも良いが、あえてここは③で行こう! 実はすぐ近くに「野口城」という城があって、これなら向小島城にヒケを取らない。向小島城にいけなくて悔しい思いをされた方は、ぜひ野口城を!(増やすなって)
私の信頼する某サイトに従って南から攻めます。‥登城道が見当たらない‥結局96mを直登で登るのですが、なかなか急坂です。
じつは新しい登城道が北についていて、そこからなら楽に登城が出来るようです。野口城を訪問される方は是非、北側から攻めてください。
西の社のある郭が主郭とされていますが、東側の北と南に二郭か三角と見られる郭があり厳重に堀切と畝状の堀切で守られています。ある意味、一城三郭とも呼べる城になっています。
この城なら、向小島城に行けなかったフラストレーションを消滅させてくれますよ。

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しんちゃん

江馬氏下館を見る。 (2024/10/13 訪問)

城址北側の林道を進み空きスペースに駐車。比高を50mほど稼ぎます。そこからは観音山参道を通って城址を目指します。東から続いている林道を使えば、かなり近くまで寄せることが出来そうですが、以前グーグルマップのストリートビューで調べた時は「立入禁止」になっていたと思います。あと一時間程度かな、尾根沿いにじっくり歩いてきます。
しばらくするとお堂があり、これで半分くらい来たことになります。さらに進むと、舗装された林道と合流します。途中までこれといった城の遺構は無かったので、この林道が使えればかなり楽なのですが、とにかく登って行くと無線中継の施設らしいものがいくつかあり、それぞれが郭跡に建てられているようです。主郭北側にはそれほど面白味はないのですが、飛騨の街並みが良く見え、江馬氏下館が俯瞰できます。ズームで撮った写真を見ると庭園の庭石も写っているので、少しうれしくなりますね。
江馬氏下館の庭園からは観音山の傘松城が良く見えたとは思いますが、こちらからも良く見えるようです。

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朝田 辰兵衛

予想どおり… (2024/10/12 訪問)

予想どおり,豊島氏館から向かう途中,日が没しました。あっという間に真っ暗闇です。「つるべ落とし」とはよく言ったものだ…。
しかし,防犯上の目的と思われますが,街灯に照らされされておりました。間違っても「ライトアップ」とは言えないです…<笑>。
もうひとつ,予想どおり,終日開放。あえて夜を狙って訪れる人はいないと思いますが,時間の縛りはありません。

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しんちゃん

江馬氏の本城とされるだけあって、支城とは造りが違う。 (2024/10/13 訪問)

公式の飛騨山城ツアーも楽しそうですね。蒸し寿司もおいしそう。
高原諏訪城は江馬氏の主城と呼ばれています。標高622m、比高170mの山城ですが、車ですぐ近くまで行けます。山奥には違いないので熊を警戒しますが、飛騨は意外と熊が少ないです。クリがおいしい季節なので、クリの木がある場所は注意が要りますね。
この後、道の駅で「熊汁」をいただきましたが、すごくおいしかったです。私、熊肉気に入りました。もっと流通して値段が下がってくれたら、クマカツ定食とか食べたいです。いまは非常に高級な食材です。

城址に入ってすぐに、二重の堀切が有ります。主郭に向かうまでにいくつもの堀切や竪堀があるのですが、縄張り図に登城用のルートの記載が有ればもっとわかりやすいかもしれません。主郭の北西側から回り込んで、腰郭を経て主郭に到達します。この城は二回目なので、主郭周辺を散策して戻りましたが、また来てじっくり見たい城でありました。

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しんちゃん

森の熊さんの落し物。 (2024/10/13 訪問)

昌官忠さん、公共交通機関での「鬼攻め」お疲れ様です。そのパワーと情熱には頭が下がります。寺前城の疑問についてはどこかで、お答えしたいと思いますが、あまり期待はしないでください。私はけっこう搦手から攻めるのが好きなんですよ。
オカン(80手前)の体調が良くなってきたので、9月ごろから東海地方を「鬼攻め」してます。これが「しんちゃん流攻城術」です。基本攻めた城は必ず落とします。ペンペン草一本残す気は無いです。
こんなことを書くと零汰さんからツッコミが入りそうですが、最近音沙汰がないですね。元気にしてますかね~。
いんげん丸虫さんの山城ばっかりの投稿も好きだったりするんですが、しばらく見ませんね。
終了‥ じゃない石神城の投稿です。
石神集落の白山神社に車を停めさせていただき、ゲートを開けて入って行きます。攻め方としては、まず尾根に取りついて主郭を目指します。途中熊のフンが有りました。けっこうじろじろ見ます。山城を攻め入る以上、動物のフンや習性にたいしての知識を得ることは重要なんですよ。比較的新しいですが、周囲に水場や餌場は無いようなので、もう近くにはいないでしょう。通りすがりに落としていったのだと思います。すでに見慣れた感はありますが、岐阜県は意外と熊の痕跡が少なかったと思います。
山奥にいるか、人里に降りてくるかで二極化しているのでしょうか。飛騨・高山は案外 熊とうまくつきあっているような気がします。

主郭の手前には堀切が切られています。主郭を攻めた後、引き返すと、二の郭に向かう道が折り返しているので、今度は二の郭を目指します。登りきると鉄塔があり、その先に見える二つ目の鉄塔の有る場所が二郭です。



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トク

回想:石田三成(100点ありがとうございます)

100点ありがとうございます😊(嬉しいな~♬)

このクイズの後で、石田三成の人生が次から次と(写真①→⑩)また浮かんでしまいました。すいません、余計なつぶやきでお許しを・・

長浜城の天守から見た景色で、有名な豊臣秀吉ではなく、石田三成とその辞世の句を想像したのは、私だけでしょうか・・?🤔

(辞世の句)
  筑摩江や
  芦間に灯すかがり火と
  ともに消えゆく
  我が身なりけり

① 秀吉と三成出会いの地(大原観音寺)
② 三成生誕の地(石田町バス停)生家はこの奥
③ 秀吉に仕え頭角を現した地(大坂城)
④ 人生のターニングポイント(肥前名護屋城)
⑤ 三成の居城(佐和山城)
⑥ 三成の銅像(佐和山龍潭寺)
⑦ 関ケ原三成陣跡(笹尾山)
⑧ 関ケ原三成陣跡(笹尾山)
⑨ 三成処刑の地(京都六条河原)
⑩ 三成墓所(大徳寺三玄院)面会謝絶
 

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駿府城

駿府城跡本丸北面発掘調査が始まりました!

駿府城跡天守台の野外展示事業を進めるため、整備範囲内の未調査エリア(本丸北面周辺)の発掘調査を実施します。発掘調査期間は2024年10月1日から2024年12月下旬までを予定しています。発掘調査現場事務所前も作業範囲となりますのでご注意ください。


調査期間中は発掘作業の様子を見学することができます!この期間だけの特別な機会ですので、ぜひ駿府城跡天守台発掘調査現場へ訪れてみてください。
 発掘調査期間中、作業員や重機の出入り等で大変ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解ご協力をお願いいたします。

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