御幸塚城/今江城を終えて北陸路7番目北東に約10km程の和田山城を初登城、古墳群の中、古墳を利用した素晴らしく技巧的な山城で久しぶり興奮探訪でした。
駐車場:能美ふるさとミュージアム南側駐車場利用。
参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
駐車場から東の丘陵が城域だと分かります、入口と史跡和田山・末寺山古墳群碑が立っています、車両禁止ポールが立っている、石畳の坂道を登って行くと忠魂碑のエリアへ、能美古墳群の解説板も有り近郊の古墳群を知らしめています、西の方向へは古墳群へ、山城は南方向へ指示板あり、城域入口に和田山城絵図掲示、和田山城解説板が有る。
解説板の直ぐ後ろが二の丸の櫓台で8号古墳、周り北から西に空堀、西の犬走を南へ土橋を東に渡って虎口1、二の丸内部は北方向へ櫓台に向かってスロープに成っている、虎口1の東側に虎口2、此処から東側中腹に腰曲輪群が南北に廻っている。
虎口1から虎口曲輪が南の本丸方向に伸びる、西側は同じく土塁が本丸まで繋がっている、本丸北の前は空堀、東に廻って本丸虎口より本丸に入る、本丸中心に櫓台が有りここも9号古墳で方墳です、本丸周囲は土塁が廻り、櫓台の南側には本丸を分ける仕切り土塁が有る、本丸西下には帯曲輪と横堀が南北に虎口1西下まで伸びている。
腰曲輪と帯曲輪へは踏査せず上から眺めただけです。
草もあまり伸びて居なく、樹木もあまり密集して居なく爽やかな5月の頃を林を散策してるような大変爽やかで楽しい時間でした、久しぶりに良い山城を探訪しました。
和田山城解説板によると、本城は室町中期に加賀一向一揆で活躍した、和田坊主が築城したと伝え、それが和田山の地名の起こりといわれる。現在の山城の形は、天下統一をめざす織田信長軍団の武将柴田勝家が1580(天正8)年、家臣の安井家清に守らせたころに出来上がったとみられる。和田山城は南加賀の重要な戦力拠点に位置し、一揆軍のたてこもる虚空蔵城や鳥越城攻撃の基地に使われたのであろう。(と記されています。)
この後には写真を多くとりましたので、本丸編、二の丸編、古墳編に分けて投稿させて頂きます。
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