天正18年(1590年)豊臣秀吉の関東平定のとき、忍城を水攻めにするため石田三成によって築かれた堤です。全長28キロメートルに及ぶ堤をわずか一週間で作り上げたと伝わります。ただこの水攻めは堤が決壊し、水攻めは失敗に終わります。
石田堤史跡公園付近を散策してきました。
JR北鴻巣駅より徒歩で30分くらい行くことができます。
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2026/09/05 22:28
2026/09/05 18:52
クイズの答え… (2026/05/04 訪問)
todo94さんがわからなかった場合,わかりそうなのはトクさんとにのまるさんぐらいしか思い浮かびません。トクさんの場合は地の利ということで。にのまるさんは鉄オタにプラスして,たしか長崎駅前の東横インに宿泊されていたという記憶があります。
トクさんからわかりそうな気配を感じたら振ろうかと思いましたが,「いいね」がなかったので即解答といたします。
答えは…JR長崎駅
です。
数年前に訪れた時は工事中で,「随分と離れた場所に造るんだな…」ぐらいしか考えていませんでした。
今年のGWで訪れたら「何,レール残置…?!」と驚きました。
今年,私よりちょっと先に長崎に来られていたtodo94さんは,伊万里ルートで平戸へ行き,的山大島に渡られたと記憶しております。
「もしかして長崎駅には行ってないかも…」
と思い,出題してみました。
新長崎駅の不便な点をひとつ…
「ポストが遠い」という点です。
旧長崎駅前の歩道橋ワキのポストまで,数100m歩かなければなりません。
観光案内所で確認しても,同様の回答です。
私は,琴尾山烽火台へ攻城時,長崎駅から本川内駅まで,JR長崎本線を利用しました。
路線バスで行ってたら気づかなかったと思います。
ということで,次はにのまるさん,お願いします。
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2026/09/05 15:22
24【秀吉の九州平定をたどる⑤】根白坂の戦い(豊臣秀長VS島津全軍) (2023/11/05 訪問)
根白坂は3年前に訪れました。最寄りのバス停は高城(木城温泉ゆらら)で、その時私は高城から根白坂まで往復5時間かけて歩いて行きました。根白坂は県道が走っているので車だと難なく行けますが、戦った諸将の気持ちを感じたいがために、高城から諸将がたどった道を歩いて行きました。でも後悔したので皆さんは車で行った方がいいと思います(笑)。実際に行ってみると、そこは坂というより標高200mくらいの急斜面の山(峠)で、歩くと思ったよりきつかったです。それだけでなく、ほとんどが私有地で入れず、柵や堀の跡などを探索したくても、できなかったなどの理由もあったので、今回再訪は断念して3年前の写真をまた使わせて頂く事にします(内容もダブリますが御容赦下さい😔)。
1587年、秀長10万の軍勢は東九州から豊後を通過し薩摩を目指して南下、日向へ入ります。そして山田有信1,300が籠城する「高城」を囲みました。そして島津軍は高城の山田有信を必ず助けに来るであろう、その時必ずここを通るであろう根白坂に、秀長は宮部継潤1万に砦を築かせます。ここで迎え撃つ後詰決戦を考えていたようです。
予想通り薩摩当主の島津義久は自ら出陣。弟の義弘・家久の精鋭3万5千を引き連れて、根白坂の南の山に陣を敷き、有信を助けるため秀長の軍勢と対峙しました(写真⑦)。高城川一帯(写真⑧⑨)は以前にも大友軍を破った地の利がある場所だったので、ここを選んだのかもしれません。
説明板によれば、継潤は地中に深さ1.8mも埋もれた高さ3.6m柵と、幅5.5m深さ3.6mの堀を何重にもめぐらし、島津軍と川を挟んで対峙したとあります(写真③)。どうやらこれを発案したのは、黒田官兵衛のようです。さすがは官兵衛! そしてこの策が勝敗を分ける事になりました。
島津義弘は地の利を生かし、継潤の砦に夜襲を仕掛けます。戸次川での仙石久秀の時と同じ、宮部継潤の砦など簡単に突破できるだろうと甘く考えていたようです。そして夜明けまでに高城まで進んで秀長の陣(松山)を襲い、敵が出てきたところで高城川まで引いて、両側から義久・家久、背後から山田有信の軍勢で囲むという得意の「釣り野伏せ」を仕掛ける作戦だったようです(写真⑧)。
鉄砲で撃ちかけ、その隙に夜陰にまぎれ柵にロープをかけ倒そうとします。しかし倒れません! それもそのはず、地中に深く埋もれているからです。今度は宮部軍が鉄砲を撃ちかけて反撃してきました。島津軍は多くの死傷者を出し空堀は死体で埋まります。しかし死を恐れぬ勇猛果敢な島津軍はひるみません。そのうち弾薬が尽きるであろうと、繰り返し執拗に柵を倒そうと次々に攻めてきます。しかし宮部軍の弾薬は豊富で撃ち続けてきます。深い柵と豊富な弾薬、これらは島津軍にとって想定外でした。空堀は死体の山となります。夜明けが近づき、ついにあと少しで突破できると義弘が思ったその時! 「危ない! 継潤を死なせてはならぬ~!」と、陣営の反対を押し切って出てきた藤堂高虎が加わり、再び膠着状態になります。そして夜が明け、さらに黒田官兵衛・戸川達安(宇喜多)・小早川隆景(毛利)の援軍も到着。重臣島津忠隣(歳久の養嗣子)が討死し、これは不利と見た総大将の島津義久は全軍に撤退を指示しました。
20日後、義久は剃髪して秀吉のいる川内の泰平寺に出向き降伏しました。そして秀吉は、宮部継潤を戦功の第一と賞賛したそうです。こうして九州平定が終わり、残るは小田原の北条のみとなります。
私は秀長の陣があった松山から根白坂を眺めてみました(写真⑨)。戦いが終わった秀長は、どんな思いで根白坂を眺めていたのでしょうか? 実は撤退した数日後、島津家を潰したくない義久は秀長に、自分の命と引き換えに島津家が生き残れるよう、秀吉との間を取り持ってほしいという密書を送ったそうです。秀長は薩摩・大隅の旧領のみ安堵で許す事を秀吉に提案しますが、逆鱗に触れたとか? しかし結局、先の朝鮮出兵まで見据えて考え直し、義久が出向く事で島津を許したそうです。
これで「やっと終わった~!」とほっとしたのもつかの間、この頃から秀長の体調に異変が起きるようになります。
大河ドラマ豊臣兄弟では、これらがどう描かれるのでしょうか? 今から楽しみです。次は、島津歳久による「秀吉暗殺未遂事件」を追いたいと思います。(虎居城)に続きます。
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2026/09/05 12:17
小学校の中に石碑と案内文 (2026/09/04 訪問)
板橋城址は東急東上線のときわ台から歩いて10分ほどの場所にある🚶♂️
上板橋小学校🏫校門を入ってすぐの場所に石碑と案内文がある…当時のものではないが…城の痕跡を示すものはそれくらい😅
その小学校の裏手に長命寺…そこも城に関係する施設だったと案内文に示されていた🏠境内にお墓があるだけの平均的なお寺だったが…参拝したからにはという事で100円を賽銭箱に入れてお詣り
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2026/09/05 11:53
気になる石碑。 (2026/08/10 訪問)
蛍池駅西口直結ビルの真裏に、見上げるほどに大きな〈麻田藩旧蹟〉の石碑がありました。
石碑自体は年代物のようですが台座やフェンス、説明板が新しかったので、以前はどうだったのかな?とみなさんのお写真を順に見ていくと……。
【石碑は公民館建て替えのために一旦撤去され、建物解体・整地後、現在の場所に戻された。その後しばらくは仮の台座だったが、最近になって以前と同じく自然石の台座(積み方は若干違う)が完成した。この時台座に敷かれた芝生は剥がされたが、読みにくくなっていた説明板は新しくなり、より詳細な絵図や移築建物を記した説明板も追加され、フェンスの囲いもできて、公民館新築工事が始まった。】
という流れが見えてきました。
2012年のじゅんじんさんの写真を見て、“この場所こそが麻田藩の中枢。ここに千五百坪の陣屋があった”ことを示し、公民館の入口のシンボルでもあったからこんなに大きな石碑なのかなと思いました。
毎日見ている地元の人でもないのに、全国各地からやってくる「石碑だけでも見たい城好き」さんたちの写真のリレーによって石碑の歴史がわかるだなんて、〈城びと投稿欄〉すごい!
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2026/09/05 08:03
クイズの答え
朝田辰兵衛さん、ご祝辞ありがとうございます。神奈川コンプはまだずっと先になりそうです。多分、東京より後になるかと。
クイズの方は、まったくわかりません。線路が埋め込まれたプロムナードの記憶は、横浜の汽車道と大分くらいしかありません。
不正解だと思いますが、回答は桜木町駅ということでお願いします。
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2026/09/04 18:00
todo94さん,『2,000城達成』おめでとうございます🎉
todo94さん,『2,000城達成』おめでとうございます🎉
しかも,神奈川県コンプリートも視野に入っていそうな雰囲気を感じます…。
この恐れ多き攻城数,「登城したお城しりとり」ではとてもお世話になりました。あらためて御礼申し上げますm(__)m
さて,『2,000城達成』おめでとうクイズを出題します。とある駅のプロムナードを撮影したものです。よく見ると,不要線路のレール残置で…。ズバリ,駅名をお答えください。今回のクイズは鉄分を多くしました…<笑>。
私のアトは,にのまるさん,大丈夫でしょうか…?
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2026/09/04 10:49
10/4(日)ガイドツアー&講演会開催!
飛騨の山城まるごと体感!ガイドツアー&講演会
10/4(日)飛騨の山城を丸ごと体感できる特別イベントが開催!
午前は山城ガイドと歩く古川城・小島城ツアーを開催!
山城を巡りながらその魅力や歴史を間近で感じられます。
午後からは、中井均氏による講演が行われます。
現地を歩き、専門家の話を聞くことで、飛騨の山城の奥深さと楽しさを一日で体感できる内容です。ぜひお越しください。
日時
2026年10月4日(日)
9:30~11:30 山城ガイドツアー(小島城ツアー・古川城ツアー)
13:00~15:00 講演会(中井均氏)
※いずれも参加無料、事前申込が必要です。
詳しくは、https://www.city.hida.gifu.jp/soshiki/15/75510.html をご覧ください。
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2026/09/04 06:58
いつでもウォーク:Pikmin Bloom Tour in 横須賀 参戦前日の攻城⑤ (2026/08/29 訪問)
六浦陣屋からの転戦です。金沢文庫駅から2km以上の道のりでしたが、徒歩にてアプローチしました。グーグルマップの青ヶ台貝塚のポイントも、城びとの青ヶ台城のポイントも住宅街の真っただ中です。先人の皆様方が足を伸ばされている阿王ヶ台公園、釜利谷赤坂公園にも行ってみました。遺構も説明板も城址碑もないトリプルゼロの城郭が私の2000城目の城びと登録城となりました。あまりにも悲しい2000城目でしたので、このあと、徒歩にて金沢文庫に向かうことにしました。金沢文庫に隣接する称名寺で青ヶ台城を築城したという鎌倉幕府15代執権・金沢貞顕の墓を拝むことができようとは、思ってもいませんでした。
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2026/09/03 17:55
23【秀吉の九州平定をたどる④】吉見岳城(秀吉:筑後肥前平定の場所) (2026/08/26 訪問)
今回は高良山神籠石が目的ではなく、その中腹にある吉見岳城を訪れました。吉見岳城はかつて1570年、大友宗麟が龍造寺を攻めた時にここに在陣し、大友によって現在のような縄張りが造られたとされています。そして秀吉が九州に上陸した翌月の1587年4月、秋月種実は益富城で秀吉軍に敗北し降伏します。その直前には、立花宗茂が岩屋城・宝満城をも奪還し筑前・筑後から島津忠長軍を一掃、秀吉はここ筑後高良山の中腹にある吉見岳城へ入り、肥前へ睨みをきかせました。
すると何と、秀吉10万の大軍を見て恐れをなした肥前の龍造寺家政(隆信の子)と家老の鍋島直茂は、吉見岳城を訪れ秀吉に戦わずして降伏し臣下に入ったそうです。これで秀吉は、肥前をも平定する事ができました。
高良大社への登山口石段の100m手前に吉見岳への登山道があります。御井町のバス停から整備された道の軽い登りを登る事40分、標高160mの吉見岳城に到着しました。
現在の主郭には琴平神社があり(写真①)、その周辺には空堀や切岸や竪堀など、大部分が人工的に造ったと思われる段々に削った跡が、とても多く残っていました(写真②③)。また三ノ曲輪(写真④)からは、西側には肥前(佐賀平野)(写真⑤)北東側には筑後(筑後平野)(写真⑥)、また北を見ると筑前の立花山や宝満山(写真⑦)までよく見えました。南を見上げると高良山(高良大社)がそびえています(写真⑧)。
秀吉もこの展望台の場所(写真⑨の場所)に座り、この景色を眺めたと伝わっています。順調にここまできた秀吉は、どんな思いでこの筑後平野や佐賀平野の景色を眺めていたのでしょうか? 大きな戦らしい戦もなく順調に来た半面、「秀長は大丈夫だろうか?」と、逆に弟の事の方が、心配になってきたのではないでしょうか?
帰りにバスから電車に乗り換える途中、西鉄久留米駅構内の店で、久留米ラーメンを食べて帰りました。さすが豚骨ラーメン発祥の地、これが久留米の味です😋(写真⑩)。
次は、九州最大の決戦(豊臣秀長VS島津全軍)「根白坂の戦い」に続きます。
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2026/09/03 14:47
どの角度から見ても映える海の城 (2026/08/17 訪問)
松浦史料博物館(展示が豪華で見応えあり。歴史好きは必見)や平戸オランダ商館、最教寺などを見学し、旗松亭(地物の料理が絶品)に宿泊した2日目、平戸城を訪れました。
宿からタクシーをお願いしたところ、城の北側から東側に回り(ここはもともと断崖で城の守りを担っていたそう)、亀岡神社まで連れて行ってくれました。
そこから徒歩で北虎口門と狸櫓に向かい、順路に従って本丸へと向かいました。
この狸櫓から本丸に向かう道中の石垣(進行方向左手)には石垣で狭間が作られています。
珍しい形状だと思いますが、見逃しがちなのでお忘れなく。
本丸は資料館となっていまして、最上階では、近くの櫓から写真を撮ってもらい、自分のスマホでダウンロードできるようなサービスが実施されています。
天守に自分が立っている姿を外から撮ってもらえますので、ぜひやってみてください。
その後、見奏櫓、懐柔櫓を見てから亀岡神社に戻り、二ノ丸大手門跡、一ノ大手門跡と通って帰路に着きました。
門跡はそれぞれ立派な石垣が残っていますので、そこまで回るのをおすすめします。
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2026/09/03 14:33
大ボリュームの松浦史料博物館 (2026/08/16 訪問)
かなり充実した展示を見ることができます。
メインは唐獅子の金屏風と、重要文化財に指定されている松浦鎮信が大友宗麟から拝領した鎧兜、それと同年代の鎧ですが、その他にも足利将軍から拝領した鎧や天皇家ゆかりの品など数多く見ることができます。
平戸を訪れた城好き、歴史好きは必見の内容と思います。
なお、受付で確認しましたところ、写真も撮って構わないそうでした。
また、周辺には平戸オランダ商館が復元されており、内部の展示も見ることができますが、共通券もありますのでそちらを利用するとお得です。
私は、旗松亭に宿泊したのですが、そちらで割引券をいただくことができましたので、更にお得に見学させてもらいました。
また、こちらの旗松亭は、料理もとても美味しかったです。
名物であるヒラメの刺身はもとより、タイの天ぷら(オランダ風?の味付きの衣だそうでそれが特に絶品)など、どれもとても美味しかったです。
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2026/09/03 10:05
2025.11.3登城 (2025/11/03 訪問)
JR柏駅の南にある増尾地区に増尾城址公園があります。
北側は公園として整備されており、増尾城址は、南側に整備されています。
北側にも空堀っぽい地形はありますが、縄張り図を見る限りでは違う様です。
史跡指定はされていませんが、土塁や空堀の遺構が良好に残っており、整備されていて安心して城址散策が楽しめる城址です。
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2026/09/03 08:10
男良台場・男良谷砲台(和歌山市深山) (2026/03/14 訪問)
男良台場(おとこらだいば・城びと未登録)は、外国船に備えて水野丹後守が紀州藩から築造・守備を命じられた台場で、海岸沿いに数門の大砲を備えていましたが、明治期に台場跡に男良谷砲台が築かれたため、遺構は消滅しています。
深山第一砲台跡への入口広場駐車場から深山第一砲台経由で男良台場へ(直行することもできます)。男良谷砲台が台場敷地、その内側の平地が陣屋敷地と考えられますが、遺構はもとより台場の存在を示すもの(石碑や説明板等)は何もありません。それでも台場跡から海岸に下りていくと目の前に友ヶ島、その奥に淡路島を望み、台場がこの地に築かれた理由は実感できました。
なお、男良谷砲台は明治期に築造された由良要塞を構成する砲台のひとつで、2つの砲座にカノン砲各2門(計4門)が設置されていました。草木に覆われてはいるものの、2つの砲座と2つの弾薬庫が現存し、海岸には水雷発射施設も見られます。また砲台内部の排水用と思われる小さなトンネルが砲台から海岸まで続いていました。
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2026/09/03 07:06
いつでもウォーク:Pikmin Bloom Tour in 横須賀 参戦前日の攻城④ (2026/08/29 訪問)
野庭関城からの転戦です。港南台駅まで歩いて新杉田駅までは京浜東北線、杉田駅から金沢八景駅までは京急を利用して徒歩にてアプローチしました。子孫が現在でもお住まいとのことですので、ばしばし写真撮影するわけにはいきません。早々に退散いたしました。
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2026/09/03 06:53
半年ぶりに (2026/08/02 訪問)
朝駆けで丸亀城を散歩しに行ってきました。
約半年ぶり、まずは石垣復旧工事の状況確認です。
見た目は前回とそう変わっていないような感じですが恐らく少しずつ着々と進んでいると思いたいです。
熊本城の石垣崩落の影響でさらに遅れるかもしれません😓
その後野面積みの石垣へ、ここから見上げると石垣の隅の部分が3段連なります。
搦手より登り本丸へ。
この日はあまり時間が無かったので眺望を少し楽しんで下山します。
帰りは京極坂、生駒坂、見返り坂と下り、内堀西側の土塁(地味😌)を確認して帰りました。
復旧工事の状況は不定期に確認してレポートしようと思います。
【見どころ】
・搦手側の石垣
・野面積みの石垣
・現存天守
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2026/09/03 00:26
8月の長野県厳選名城巡りメインディッシュはここ! (2026/08/22 訪問)
今月の名城巡りは長野県ですが、国宝も含め100名城は「続」も含めると、なんと7つもあって、とても一回では周り切れません。
ということで、今回は真田好きの娘と相談して思い入れの深い3城を巡ることになりました。
いつの日かもう一度、長野県を訪れて残りの4城(小諸城、高遠城、龍岡城、高島城)をコンプリートしようと思います。
さて長野県名城巡り2日目は、姫路城と並んで双璧とも言うべき国宝「松本城」を堪能するために早朝5時に起きて朝食後さっそく車で向かいました(約1時間)
前日にネットで調べたら、毎日、日没後にライトアップするという事を知り、絶対に見たいと思いました。
朝8:00過ぎに松本に着き、駐車場に入りました。
すぐ城内には入らず、堀の外周を3/4歩いて、太鼓門から二の丸に入り、黒門を抜けて(途中、管理事務所でスタンプ、売店で御城印と御城印帳を入手)本丸庭園(本丸御殿)をぐるりと見て周りました。
そして、いよいよ待ちに待った天守に入城(幸い待ち時間は僅か)
じっくりと城内展示の説明も読み、まるでハシゴのような61度の階段も物ともせず(スカート厳禁です)ジックリと時間を掛けて思う存分見学しました。
月見櫓から天守を後にして二の丸を進み、二の丸裏御門橋を渡り場外へ。
松本神社(無人で御城印はもらえず)に参拝し、同じく国宝「旧開智学校」を再訪しました(亡くなった母と娘と一緒に十数年前に訪れた思い出の場所)
その後、遅めの昼食を食べようと予定していたお蕎麦屋さんに行ったらなんと休業(ガッカリ) 仕方ないので再度、橋を渡り二の丸を通り太鼓橋から城外に出て少し歩いたところにあるお蕎麦屋(せっかくの信州ですから蕎麦屋しか探してません)を発見!
お土産屋さんの2階で見た目はイマイチだったので正直、あまり期待していなかったのですが、創業148年の老舗らしく、曇野産のそばを使った手打十割そば超美味しかったす。
下のお土産屋さんの女性もとてもフレンドリーで感じの良い女性だったので、財布の紐もついつい緩み、あれもこれもと買ってしまいました。
ちょうど私の使っている茶碗の縁が欠けていたので、大ぶりの茶碗を探していたら、イイ感じのを見つけました。
しかし、買おうとしたら2万5千円!
地元の工芸家の方の作品とのことで泣く泣く諦めました。
美味しいお蕎麦をお腹いっぱい食べたので心に余裕もでき、「ナワテ通り」に向かう途中にあった「四柱神社(よはしらじんじゃ)」に参拝しました。
ここは、なんでも願いが叶うパワースポットとして有名らしく、若いカップルや女性のグループでかなり混み合っていました。
嬉しいことにここでは御朱印を直書きしてくれるというので、伊勢神宮で娘とお揃いで入手した御朱印帳に直書きをお願いしました。
ほどなく番号を呼ばれて御朱印帳を手渡され、さっそく御朱印を見てニヤニヤ。
御城印はほとんどが書き置きなので、直書きしてもらうなんて特別感があって嬉しさもひとしおです。
ここの社務所は初穂料が払う側の「気持ち」ということで料金を言ってくれないので注意です。
予め調べたところ相場は500円とあったのですが、あいにく500円玉の持ち合わせがなくて(初穂料でお釣りをもらうのも何だかね)私は1,000円札を奉納しました(幸せも2倍訪れると信じて)
参拝では、「家族全員と愛鳥の健康」「いつまでも娘と仲良しでいられるように」「商売繁盛」「名城巡り(ライフワーク)を長く続けられますように(体力と経済的余裕)」をお願いしました(ちょっと欲張り過ぎかな?)
入る時は横(北参道)から入ったので出る時は大鳥居がある正面(西参道)から出ました。
出た所が「ナワテ通り」で雑貨店やカフェが並ぶオシャレな雰囲気の通りでした。規模は全然違いますが、伊勢神宮の「おかげ横丁」や原宿の「竹下通り」を思わせる賑わいと雰囲気で色々な店を見て歩くのが楽しいですね。
千歳橋を渡ると中町通ですが、こちらは、かつての問屋街の名残りがあって、なまこ壁が立ち並ぶ風情ある通りでした。
「蔵シック館」というなまこ壁のレトロなカフェでコーヒーを頂きました、私好みの深煎りでスッキリ&ピュアな味でとても美味しかったです。
店内も太い梁が縦横無尽に組まれていてタイムスリップしたような不思議な空間でした(庭も綺麗でリフレッシュできました)
ここで時計を見ると16:00、ライトアップは日没(この日は18:30)なので中途半端に時間があるので、車で30分ほどの「(重要文化財)馬場家住宅」に行くことにしました。
ここは武田信玄の家臣の馬場美濃守信春にゆかりのある豪農の家で、ちょっとナメてましたが、行ってみると想像を遥かに超える素晴らしさで見所満点でした。
寺院を思わせる豪壮な鯱を備えた瓦屋根をくぐると、そこは別世界。
驚くほど広い屋敷や蔵、庭園、果ては土塁まであると言う、ちょっとした城以上の造りでした(重要文化財指定に納得!)
チラ見する予定が1時間も見学してしまい、松本城に着いたのが18:00
日も暮れ切ってない感じでライトアップまでまだ30分。
時間潰しと休憩を兼ねて松本市立博物館内にあるカフェで寛いでました。
ロビーで演奏しているジャズの心地良い生演奏を聞きながらリラックス。
ライトアップも始まったみたいで博物館を出て城に向かうと外もイイ感じに暗くなってました。
(有料エリアは入れないので)二の丸太鼓門から入り堀沿いを埋橋に向かいながらライトアップされた超美しい松本城に感動して写真を撮りまくっちゃいました。
どの角度から見ても美しい松本城天守群に唖然として自然と歩みも早くなり、かれこれ1時間ほど歩き回り、撮りまくる私に娘も呆れていたのではないでしょうか?
駐車場から車で1時間ほど、20:50に上田のホテルに着きました(都合12時間以上楽しんでたんですね)
松本城の絶景を思い起こし、ワクワク感が溢れ出して、くだらない文章を長々と書いてしまい申し訳ありませんでした(すべて読んでくれた人はいないと思いますが)<(_ _)>
気を取り直して今回も写真に沿って説明をさせていただきます。
① 毎回1枚目は御城印と決めています。ただし今回の松本城訪問では4種類の御城印を入手いたしました。そのうちの1枚は多分、土産物屋のオリジナル版(しかも桜の季節の売れ残り?)と思われますが、あまりに美しく私のハートを捉えたので通常版3枚と合わせてご紹介させて下さい。まず左上は「石川家花押版」で松本城の建築者とされる石川数正の花押、その上に石川家の家紋である笹流肝が描かれます(¥600なぜかコレだけ高い) 右上は「小笠原家朱印版」で、第3代城主・小笠原秀正が使用した印(馬の蹄をかたどった枠内に「弌剣平天下(いっけんへいてんか)」と書かれている/¥300) 左下は「戸田家花押印版」で、第20代城主・戸田松平光行(みつゆき)の花押が下段、23代城主・戸田光則(みつひさ)の花押が上段に描かれています(¥300) ここまでが通常版として城内の売店で販売されています(バラで買うと\1,200ですが3枚セットだと\1,000とお得です) そして右下がどうしても皆さんに見てもらいたかった非正式版(たぶん)で蕎麦屋の下のお土産屋に売っていた御城印です。もちろん正式な御城印はマストですが、一期一会という感じで訪問時に縁あって出合える御城印も入手せずにはいられません。何よりも松本城天守がリアルに美しく描かれていて(右下隅に月見櫓がチラリと見えているのもgood)値段は忘れましたが、私、買わずにはいられませんでした! 中央に豪快な書体で書かれた松本城の文字、右上には国宝、左上に天守登閣日を大き過ぎずバランス良く配置しているセンスの良さに参りました。背景に桜の花びらが描かれているので、たふん桜の季節の売れ残りと思われますが、それを差し引いても見事な御城印だと思います。
② 松本城が一番映える定番アングルがコレですよね。皆さんもやはりこのアングルで撮っていらっしゃいました。そんな中、素人カメラマンの私が改めて投稿しても埋もれてしまうと思うので、閃いたのがライトアップされた松本城をアングルは変えずに撮った写真をアップロードしました(昼の写真よりは少ないんじゃないかな?)大天守はもちろん、小天守、辰巳付櫓、月見櫓とバッチリ写ってます。この角度から見る松本城は至福の美しさです。
③ 平成11年に再建された太鼓門の桝形です。桝形内から櫓門撮りました。桝形は櫓門と高麗門からなっています。
④ 巨大な堀に架かる埋橋越しにライトアップされた大天守と小天守を狙いました。埋橋もライトに照らされて鮮やかに輝く赤は出色の出来です(擬宝珠を構図入れたのは私なりの小技)
⑤ その埋橋を主役に撮った日中の写真があったので投稿画像に選びました。本当に幅広い内堀に架かる埋橋の美しさは見事ですね。右奥の石垣と大きな木も松本城の堀周りらしさを伝えますね。水面に写り込んでいる逆さ埋橋の赤と木々の緑が素晴らしいです(風が弱い日で良かった)
⑥ 本丸や二の丸へ入るための重要な門のひとつ「黒門」がライトアップされていたので少し斜めから撮りました。
⑦ 本丸側から見た天守群で、中央が大天守、右が乾小天守、左奥が辰巳付櫓、その前の赤い欄干がある建物が月見櫓です。本丸庭園の本丸御殿跡は縁取りされていて御殿の巨大さが実感されました。堀越しに撮った天守はもちろん素晴らしいですが、本丸御殿跡から見上げる天守も迫力があって新鮮じゃないですか?
⑧ 内堀越しに天守を南東側から撮りました。水面に写る「逆さ松本城」を撮りたくて堀の外から水面を広く入れた構図にしました。10枚以上同じアングルで撮りまくりましたが、この一枚が一番美しく写っていました。ライトアップのせいか水面の天守がいっそう鮮明に見えました。
⑨ 本丸庭園から鯱を撮りたかったので大天守上層部にのみスポットを当てて撮った一枚です。漆黒の漆で塗られた下見板と、上部に少しだけ見える白漆喰のバランスとコントラストが非常に素晴らしいです。寄った構図のためか迫力満点です(さすが天下の名城!) ていうか、上部だけを見ると熊本城区別がつかないほど似ていませんか?
⑩ 今回の投稿ではライトを浴びて浮き上がる夜の松本城と、自然光で見る松本城の美しさを 写真を交互に並べることによって両方の美しさを伝えたいと思いました。最後の10枚目はこの写真で終わりたいと思います。なんとか大天守と黒門櫓が美しくフレームに入らないものかと色々な場所を歩き回り、ようやく見つけたのがこの構図です。 歴代の城主(家)の行灯が幻想的な雰囲気を醸し出して私にとって忘れられない一枚となりました。今回のように昼と夜を見較べると、私たちがネットなどで目にする日の光の下の松本城は黒く重厚な印象を受けますが、逆に夜の松本城は白い漆喰の部分がライトに照らし出された松本城は、いつも見る硬派な感じと違い、華やかで煌(きら)びやかな印象を受けました。結論としては「松本城はいつでも、どこからでも常に美しいお城なんだなぁ」ということを再認識した一日でした。
今回、松本城を訪れたことで私が独自のルール・採点で決めている【城ポイント】の経験値が松本城で一気に上がり、今回から8級に昇格しました♪ヾ( ̄o ̄K勝手に認定するなよ。。。
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2026/09/02 13:13
定点観測 (2026/08/13 訪問)
本丸の背後(西側)は、かつては入り江に面した急斜面。今は、下は境川河川敷。本丸東側の二の丸と堀を隔てて三の丸がありますが、二の丸から坂を登って行く、あまりないパターン。郷土資料館のフェンス際に、三の丸の石碑があります。
城びと先人の投稿を追うと、比較的近場のじゅんじんさんが、2017/8, 2019/1, 2023/1, 2024/9, 2025/5と訪問されてます。二の丸にある亀城公園再整備事業の説明板(写真8)が写されています。2023/1では、色褪せて、また、ヒビが目立ちます。2024/9に新しくなってる!
更に、先人の投稿を追うと、2024/1のWestさん訪問と、2024/5のぴーかるさん訪問の間で、新しくなってました。おもしろ~。肝心の「隅櫓や石垣、城門他を復元計画」も諦めずに頑張って。
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2026/09/02 08:09
深山第一砲台(和歌山市深山) (2026/03/14 訪問)
深山第一砲台跡への入口広場駐車場(無料・10台ほど)から遊歩道を登ること約5分で深山第一砲台に到達。深山第一砲台は明治期に築造された由良要塞を構成する砲台のひとつで、3つの砲座に榴弾砲各2門(計6門)が設置されていました。砲座間はトンネルで結び、地下には弾薬庫が設けられています。壁面はレンガ造になっていて、砂岩とコンクリート造の加太地区の砲台よりも古い築造ながら、こちらのほうが遺跡っぽい雰囲気がありますね。榴弾砲である深山第一砲台も海側に高い土塁をめぐらせていますが、田倉崎砲台と異なり陸側にも高い土塁が遺っていました。階段で土塁を登って海側に出ると、展望台が芝生広場として整備されていて、紀淡海峡を一望することができました。
なお、近くの深山第二砲台は休暇村紀州加太となって砲座は全て失われましたが、敷地内に地下弾薬庫が一部遺っているようです。下調べ不足で見落としてしまったので、またの機会には行ってみたいと思います。
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2026/09/02 07:27
味わい深い。 (2026/08/10 訪問)
駅から住宅街を徒歩15分程度というので楽勝かと思いきや、ラストは平山城を実感する上り坂でした。
出迎えてくれたのは深い堀跡。
美しい日本庭園内は現代風にアレンジされているとは思いますが土塁、虎口、排水溝、礎石、枯山水が標柱付きでととのえられており、防御施設であると同時に文化水準の高い豪族の生活の場でもあったことがわかる復元でした。
模擬櫓(櫓風展望休憩舎)から見渡していると、現代まで存続していたらきっとこんな風になっていただろうなという気がしてきました。
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