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まるチョコ

かろうといわ (2021/04/18 訪問)

櫃岩の読み方、しびれました。木で良く見えませんが。その先の大手門から降りようとしたらゴルフ場との境界で戻るはめになった。ゴルフ場の協力で保護されてもいるので感謝ではある。

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朝田 辰兵衛

バーター攻城。 (2021/04/17 訪問)

JR羽前小松駅から東へ約5km。のっぺりと変化のない景色で,倍ぐらいの疲労感。ローソンが見えるとホッとすると思います。あえて来るまでもなかったのですが,チェブさん攻城時の不安を解決したいな…という思いもあり向かいました。
城域は畑と墓地に変わっていると思います。標柱もパネルもないので,下調べもないと不安だらけ間違いありません。南端の櫓台と思われる土塁に祠が祀られており,ここから周囲を見渡すことでとりあえず達成感というところでしょうか。
良く見ると,南北に延びる堀跡と土塁跡の延長線が畔道となって改変されてます。

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カズサン

伊賀未踏の城廻りⅡ 最大級の方形単郭城郭 (2021/04/11 訪問)

 伊賀の乱最後の籠城戦を戦った柏原城を終えて北東へ約9km程の所にある滝川氏城を目指す。
 情報とガイドは城郭放浪記さん余湖図コレクションさんGoogleMapに依る。

 駐車場:滝川氏城の北側土塁下(三重県名張市下小波田869)をGoogleMapで確認しナビにセット。
     北の帯曲輪の様に成って居り奥に遊戯設備あり手前に5、6台?は駐車可能、道が狭く入り込みに切り返し必要。

 概要:案内板がフェンス内側に架かってるこれ一枚だけ。主郭の内部はグラウンドに成ってる、約70m四方で日頃見慣れてる方形単郭城郭の4倍の広さ、国内最大級の広さ大きさでしょう!初の体験です。
 周囲は厚い高土塁と深い堀で囲ってる、南西角外に馬出的出丸が在る現在果樹園、外曲輪の東側と西側から主郭を囲ってる空堀と土塁を確認、重厚な造りで圧倒されます。

 歴史:天正9年(1581年)織田信長が伊賀に攻め入った「天正伊賀の乱」に総大将信雄の家臣滝川雄利が築いた城郭、県内最大で兵の駐屯地と考えられる。道を挟んだ南側には信雄の陣屋と言われる桜町中将館が在り、天正12年秀吉に追われるまで、南伊賀の支配の拠点と成りました。(案内板より抜粋)

 出丸西、東より南の桜町中将城への道を探したが民家庭、私有地の様でここに駐車して次の探訪はを試みたがNG、車で路駐探しに向かう。
 投稿写真の順番が投稿クリック時に前二枚が消え編集で後の二枚を追加、ちょっと投稿時の小さなトラブルが在ります。

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小城小次郎

ワンダーランドなだけではない (2021/01/26 訪問)

日本最小級の模擬天守や石垣撮影スポットのきめ細かな掲示など、知識がなくても普通に楽しめるワンダーランドだが、実は美濃守護土岐氏の拠点として、観音寺城や一乗谷城にも比肩すべきポテンシャルを持つ、すごいお城なのだ。

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yoshi

桜満開、小田原城 (2021/04/01 訪問)

ちょうど、桜が満開の時に訪れました。
石垣山城とともに訪れるのがおすすめです。

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yoshi

3度目の登城です。 (2021/04/01 訪問)

初めて登城したのが20年以上前で、その時は全然整備されていませんでした。
今は整備され、関東では珍しい石垣も見事です。
一番最初の画像は、本丸から見た小田原城です。秀吉もこうした光景をみていたのでしょうか。もっとも当時は天守は無かったでしょうが。

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ぴーかる

垂井城 (2021/04/10 訪問)

【垂井城】
<駐車場他>専精寺駐車場
<交通手段>青春18切符

<感想>日帰り18切符の攻城旅1城目。久方ぶりの18切符の旅です。今回は名古屋市緑区の大高城・鳴海城他多数砦の城びと城密集地域を中心に攻略するのと清州城が目的です。まずは途中下車して垂井城です。絶好の天気で城攻め日よりでした。
 垂井城は土岐氏の支流の支流長屋氏が推定室町時代に築城されたとされる。長屋氏が相羽城に居を移したあとは不明で1600年に平塚為広が1万2千石で入城するが関ヶ原で西軍討死したあとは廃城となったようです。
 城跡位置も定かでなく、専精寺境内が比定地とされています。専精寺駐車場のところに城跡碑・説明板があります。また隣に垂井の泉というのがあります。

<満足度>◆◇◇
<観光案内所>垂井駅のロータリーに竹中半兵衛銅像と観光案内所があります。関ヶ原の戦い・陣城に関する資料やグッズもあり充実しています。御城印販売しています。

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カズサン

伊賀未踏の城廻りⅠ 潅木伐採され空堀を確認 (2021/04/11 訪問)

 前日伊勢未踏の城廻り10城を終えて早朝名阪国道から伊賀の国入り、今回は織田信長対以伊賀土豪衆との伊賀の乱で舞台と成った丸山城探訪を以前から考えて居りましたがNHKBSプレミアムで英雄達の選択で伊賀の乱、城郭が取り上げられ柏原城を認識し丸山城と周辺の城合わせて7城を一挙に探訪巡りました。
 先ず情報とガイドは城郭放浪記さん古城盛衰記さんでカーナビの目的地、概要を押さえました。

 駐車場:柏原城近くの勝手神社(三重県名張市赤目町柏原464)の裏手に神社専用駐車場が在り利用10台位は可能か?
 案内:名阪国道、国道165号線、県道567号線経由ナビ目的地勝手神社裏へ、集落の道は狭い。
 
 城郭ルート:神社から要所要所に案内指示板が在り何となく山陰で城と分かります舗装道路から畦道に入ると眼前に案内板と杉林、水堀水路を渡り登城路に祠、マムシ注意の看板ドキッとしますが、所々マムシ注意の看板多し、マムシの出ない時期がお薦め、南西虎口、方形の本曲輪、内部は杉が切られ見通し好、周囲に土塁高し、北東側の土塁は櫓台か?幅広、裾に石垣が散見される、北東側土塁に登り、本曲輪と外の堀を覗く、北西隅に井戸がある。
 虎口から南西外の土塁と水堀?水溜まり?の確認、第一外周の堀も確認南西側、戻って虎口か北西の堀を外土塁を歩き一周する潅木が伐採され歩ける但し切株が鋭く登山靴安全靴お薦め、堀と本曲輪の高土塁も確認、北側、東側2条の土塁堀を確認、南西に進み先に見た水堀辺りから南西に3条の堀を確認、段々浅く成ってる。
 見応えは在りますが樹木、小竹藪で鬱蒼としてます、終わって登城前に散歩されてる老婦人に訪ね聞き及んだこの近く道路開発時に発見された墓石が柏原城水路前に在るのでそこも見学されるとと言われ、登城畦道一本南東に五輪の墓石、墓石が整然と並び祀られてる往時の物なのかは分からない、案内板も無し。

 歴史:天正9年(1581年)織田信長の第二次伊賀征伐織田軍3万数千人対伊賀土豪1600余人の伊賀征伐最後の戦い、最後までよく立て籠もり織田の大軍と奮戦した由緒ある城郭。(案内板、赤目まちづくり委員会の抜粋)
 ただ実感として柏原城に1600余人も入れるのだろうかと思ってしまいますが?

 伊勢から伊賀に入ると標高が高いのかまだ山桜、枝垂れ桜も見られ若葉が芽吹きだし萌黄色の美しさ天気も良く花や若葉が陽に輝き美しい伊賀の山野を五感で体験できました、良い時期の城廻りでした。

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コロスケコロコロ

岡崎城! (2021/03/29 訪問)

桜が見事で、天守閣と映えていて良かったです。

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昌官忠

都区内5城巡り③:練馬城 (2021/04/16 訪問)

都区内5城巡り3城目は練馬城です。
豊島園駅より徒歩2~3分位でどんぶり坂(伝練馬城堀遺構)付近(35.742306、139.646872)に着き、その後、豊島園跡(35.743154、139.647347)に向かいました。

築城年代は不明ですが、14世紀末頃に豊島氏が石神井城の支城として築いたものと考えられています。
また、この城にはかつて「矢野将監」という者がいて(時期不明)、「矢野屋敷」「矢野山城」とも呼ばれていたそうです。
そのほか、「海老名左近」という者がのちにこの地または北側の谷に居を構えた、との伝説も残されている。
なお、『豊島名字之書立』(『米良文書』年月日不詳)には豊島一族の者として「ねりまひやうこ(=練馬兵庫)」「ねりま弥次郎」の名が記されているが、この人物と練馬城との関係は詳らかではないようです。
2020年8月31日に閉園した遊園地「としまえん」は、当初遊具を備えた城址公園として開園されており、その名は豊島氏にちなんで付けられたものだそうです。

豊島氏は1476年(文明8年)に勃発した長尾景春の乱において、長尾景春に同調して山内・扇谷両上杉氏と戦います。
この乱において、両上杉方の江戸城と河越城の間に位置する練馬城は、近隣の豊島氏の城である石神井城とともに、両城の連絡を遮断する役割を果たしたようです。
翌文明9年(1477年)4月13日、扇谷上杉氏の家宰太田道灌は江戸城を出発し、練馬城に矢を撃ち込むとともに周辺に放火した。
これをみた練馬城主の豊島泰明は、石神井城にいる兄・泰経(ただし「泰経」「泰明」の名に関しては、当時の史料には「勘解由左衛門尉」「平右衛門尉」との官途名の記述しかなく、実際にそう呼ばれていたか否かは不明である)に連絡を取り全軍で出撃、道灌もこれを引き返してこれを迎え撃ったため、両者は江古田原で合戦となりました(江古田・沼袋原の戦い)。
戦いの結果、豊島方は泰明ほか数十名が討ち死にし、生き残った泰経と他の兵は石神井城へと敗走することになりました。
この戦いについては、「道灌があらかじめ江古田原付近に伏兵を潜ませた上で、少数で挑発行為を行い、豊島方を平場におびき出した」とする説が有力だそうです。
練馬城がその後どのようになったかは明らかとなっていないが、城主の討ち死にや、従兵の石神井城への敗走により無人となり、そのまま廃城に至ったものとも考えられています。
なお、以前は道灌が最初に攻めた城は「平塚城」とされていたが、現在は「練馬城」とするのが新たな通説となっているそうです。
発掘調査で地中に空堀跡が確認されていますが、地表には遺構は残っていないそうです。

どんぶり坂に何か遺構があるかなと期待して行きましたが、向山庭園以外、何もありません。
としまえんには閉園までに一度きたかったのですが、叶わずです。
攻城時間は10分くらいでした。

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🏯城好きのメガネ

「厩橋城」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★★★★☆
前橋城は、長野方業が築城したとされる。徳川家康の関東移封に伴い、譜代の家臣である平岩親吉が厩橋城に入る。関ヶ原の戦いの後、甲府藩に移された平岩親吉に代わり、酒井重忠が厩橋城に入り、大改修し、近世城郭へと変貌させ、3層3階の天守も造営された。酒井氏が転封になると、松平朝矩が入封する。戊辰戦争では新政府軍に忠誠を誓い、会津戦争に参戦した。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR前橋駅 徒歩 20分

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🏯城好きのメガネ

「石倉城」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
石倉城は、長尾憲景が築城したとされる。長尾憲景は、白井長尾氏・景誠が殺害されたため跡を継ぐ。1560年、長尾景虎(上杉謙信)が関東に侵攻した際に白井城で迎え、小田原攻めでは子の憲春を出陣させる。上杉氏の傘下に入り、後北条氏と戦う。上杉謙信の死後、武田氏が上野に侵攻すると一時的に傘下に入るが、武田氏の撤退に伴い、後北条氏に従う。1582年、織田家重臣・滝川一益が厩橋城に入ると、従属する。本能寺の変により滝川一益が厩橋城を離れると、後北条氏に従ったとされる。その後、廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR前橋駅 徒歩 30分

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🏯城好きのメガネ

「伊勢崎陣屋」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
伊勢崎陣屋は、稲垣長茂が立藩した。稲垣長茂は、徳川家譜代の家臣である牧野康成の与力として各地を転戦し、駿河・興国寺城、上野・大胡城などを守備した。徳川家康の関東移封後、1万石を加増され伊勢崎に陣屋を構えた。その後、譜代の酒井忠能が入封し、幕末まで続く。戊辰戦争では酒井忠強が新政府に忠誠を誓ったとされる。現在、移築陣屋門が同聚院に遺されている。

<アクセス>
JR伊勢崎駅 徒歩 10分

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昌官忠

都区内5城巡り②:石神井城 (2021/04/16 訪問)

都区内5城巡り2城目は石神井城です。
愛宕山砦より7~8分位で三宝寺入口(35.735330、139.597782)に着き、山門を確認した後、石神井氷川神社(35.736701、139.595903)➡城址碑/説明板付近(35.737341、139.596553)と巡りました。

築城時期は定かではないが、平安後期から鎌倉時代にかけて、武蔵南部に力を及ぼしていた豊嶋氏の関連城館であったようです。
1476年(文明8年)長尾景春が武蔵鉢形城で関東管領上杉氏に対して挙兵(長尾景春の乱)すると、それに呼応して豊嶋氏は1477年(文明9年)練馬城・石神井城などで挙兵、当時扇谷上杉氏の家宰として名を馳せていた太田道灌の居城・江戸城と扇谷上杉氏の居城・川越城を分断しました。
道灌は江戸城の守備を固めると4月13日、豊嶋泰明の平塚城を攻めます。
豊嶋泰経は石神井城・練馬城から援兵を出したが、翌14日、江古田原・沼袋原で太田軍と闘って泰明は戦死、豊島軍は大敗しました(江古田・沼袋合戦)。
泰経は石神井城に敗走し立て籠もるが、道灌の攻撃に泰経は4月18日、石神井城の破却を条件に和議交渉を行います。
しかし泰経は開城をせず、逆に石神井城の守りを固めようとしたため、4月28日、道灌の力攻めに遭い落城、泰経と残党は平塚城に敗走しました。
豊嶋氏の敗走後は廃城となりました。
現在、城址は石神井公園として整備されており、内郭の空堀と土塁がわずかに残っていますが、開放日以外は見学できません。。

空掘や土塁などは見ることができませんが、フェンスに囲まれた入口は確認しました。(石神井氷川神社から石神井公園に入る途中にあります)
三代徳川家光が狩をした時の休憩所とした三宝寺の山門は立派でした。
石神井氷川神社は豊嶋氏ゆかりの神社です。
攻城時間は25分くらいでした。

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すぎちやん

晴天なり (2021/04/18 訪問)

今日はいい天気でしたね。
レンタサイクルで港の駅という名の観光施設に足を運びました。
お城と同様にこちらも沢山の人出でしたが、どちらも感染対策を施した上での営業をしております。
お刺身食べ放題は是非一度ご堪能くだされ。

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小城小次郎

入念に整備して頂いたのだから (2021/01/25 訪問)

大河ドラマ「麒麟がくる」の明智城と明智庄は間違いなくこの城周辺の景観がモデルだろう。大河放映前に入念に整備され、精悍な明智光秀像も立てられている。いつかは晴れて多くの方に訪れて頂きたいと思う。

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カズサン

伊勢未踏の城廻りⅩ 日が沈み夕闇に登城 (2021/04/10 訪問)

 大河内城を終えて日も沈み前、明日の伊賀未踏城廻りも有り東に約14km程斎宮城を目指す。
 駐車場を斎宮のいつきのみや地域交流センターの駐車場とトイレを利用。
 しかし暗い夜道懐中電灯も何時も準備してるのですが今回忘れ車に城跡の在る竹神社をナビに合わせ走行、神社、鳥居辺りに路駐と試みたのですが道も狭く路駐も不可、神社沿いの県道428号線西に約200m程の所に地区の集会場が有り無断でしたが停めさせて頂いた。
 其処から竹神社へ、斎宮城跡の標柱を撮影、鳥居を入り竹神社参拝、暗くて良く分からない。
 お粗末な投稿、写真で申し訳ありません。
 昼間にゆっくりと斎宮跡、歴史広場、復元建物などと合わせて見学したいものです、伊勢神宮参りと合わせたいと思います。

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橋吉

多くの櫓が建っていた堅牢な城 (2021/03/26 訪問)

臼杵市観光交流プラザで、続日本100名城スタンプを押しました。

3月末でしたが、桜なら満開でした。
多くの城跡には桜の木が植えられています。
ですから、「満開の時期にきたらどんなに綺麗なんだろう」とよく思うことがありました。期せずして今回は満開に出くわし美しい光景を見ることができたのですが、たいへんな人出でもありました。
訪れたのは金曜日でしたが、翌日だったらどうなっていたのだろうかと人酔いしやすい私は思っちゃいました。
桜の季節も良し悪しです。

かなり多くの櫓が建っていた堅牢な城だったようです。

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火ノ島豊後守正宗

福江城 (2021/04/18 訪問)

続45城目。
長崎港からジェットフェリーに乗船して1時間程度で福江港に到着。
港から城跡までは徒歩で5分とかかりません。
ただ、スタンプのある庭園までは城壁をぐるっと回っていかなければ行けません。
だいたい10分程度で到着しました。
離島にあるということ以外で特に難易度は高くないでしょう。

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カズサン

伊勢未踏の城廻りⅨ 北畠氏の城郭夕刻で本丸まで (2021/04/10 訪問)

 夕刻木造城を終えて南へ約15km程、途中松坂城をかすめ松坂牛で有名な和田金前を通り国道166号線を走行し大河内城を目指す。
 駐車場は大河内市民センター駐車場を利用、国道166号線沿いに在り良く分かる砂利舗装で余裕の能力、大河内城の解説板在り。
 約5年前に霧山城北畠氏館庭園登城の前に国道166号線沿いの大河内城の存在を認識していましたが当日の目的地に入れて無く素通りしてしまいやっとの初登城。
 大河内市民センターで案内資料、御城印のセットをゲット、センターの通り横に登城ルート図あり、川を渡り西蓮寺前を通り案内板が有り搦手口より登城、搦手跡の石碑、登って丸石の石垣曲輪二の丸で忠魂碑が立ってる、鳥居を潜り馬場跡枝垂れ桜が名残の咲きごろ、西に本丸の城塁切岸が見える、裾に石垣の残りか散在する、本丸は神社が鎮座、結構広い、大きな大河内城址石碑、案内解説板も有る、一部ストロボ撮影する有様で西の丸以降はパスし下城する、坂内川の西丘陵を利用した大きな城郭です、夕刻で残念至極。

 歴史:応永22年(1415年)南朝の伊勢国司北畠満雅が築城し弟顕雅を入れ大河内氏と称する、時は移り永禄12年(1569年)信長の伊勢北畠氏攻略、信長軍包囲網5万と言われ、北畠軍8千北畠軍は50日余に及ぶ籠城戦に耐え、信長も長期化を恐れ次男信雄を養子に入れる事で和議を結ぶ、大河内城は開城し北畠具教は隠居、しかし天正4年(1576年)未瀬谷の地で具教は暗殺され北畠氏の歴史は閉じた。(大河内市民センターで頂いた資料より抜粋)

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