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朝田 辰兵衛

あさん,ありがとうございます~関東地方のリハビリ攻城スタート~ (2026/10/31 訪問)

あさん,ご祝辞ありがとうございます。
関東地方のリハビリ攻城は平場のみチョイスしました。しかし,連日いくつも散策していたらダメージが出ました…。

最初は,城山砦です。ここはキャリーバッグ持ちでは大変なので,ずっとチャンスをうかがってました。
往路は,西武新宿線の新狭山駅北口から,路線バス[新狭11-1]系統(かすみ野行き)に乗車。いるまがわ大橋下車【200円】。徒歩約10分で,北側登城口到着。パネルが落ちてうつぶせになっていたので,見えるようにしておきました。このルートだと,2郭の北西側にアクセスします。メインは東側登城口と思えたので,帰りはここから出ました。
見どころは空堀だと思います。主郭と3郭には何もないですが,2郭には城山稲荷が鎮座しています。
復路は,いるまがわ大橋バス停から,路線バス[狭山24]系統(狭山市駅西口行き)に乗車。終点まで【230円】。
金額に大差はないので,来たバスに乗ってしまうほうがタイパ稼げると思います。

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HKISD

東福寺城散策 (2026/11/01 訪問)

公園になっていて非常に歩きやすかった。
駐車場も20台くらい停めれるのでよかった。

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HKISD

知覧城散策 (2026/10/30 訪問)

小雨が降り続く中の散策でした。
下が泥が多いので滑るし汚れるしで大変でしたが晴れてたら絶対良いだろうと思いながら散策しました。

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にのまる

城外にて。

【写真①〜⑤】
県立考古博物館の常設展示に甲府城のコーナーがあり、発掘された花菱紋、三つ葉葵、金箔付きの瓦や鉛の鉄砲玉などが展示されていました。
考古博物館は市街地から離れているので行きやすくはないですが、丸山塚古墳、銚子塚古墳など大きな古墳や遺跡のある「甲斐風土記の丘 曽根丘陵公園」内にあり、古墳の上からの見晴らしもよくて気持ちのいいところでした。(🐻注意⚠️)


【写真⑥〜⑩】
華光院(けこういん)の毘沙門堂(太子堂)です。
柳沢吉里が大和郡山に転封の際に甲府城内から移築したと伝わる、甲府城に関係する唯一の現存建物だそうです。
甲府大空襲の被害を受けなかったのも遡れば約300年前のできごとゆえのこと。人智を超えたところに現在があるのだとしみじみ思いました。

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あ

ふるさと創生1億円 (2026/08/13 訪問)

 朝田辰兵衛さん、山梨県コンプリートをおめでとうございます。リハビリ攻城、ご無理なさらずに。
 チェブさん、城びとサイトと携帯電話の相性の問題、私もです。以前から反応が遅くなることがあったのですが、最近は、ちょくちょく固まってしまって、「このウエブページの表示中に問題が発生しました/再読み込み」となってなんとも進まないことが多発します。この投稿もPCからです。しんちゃんさんからの「いいね」があったとのお知らせ、うれしいですね。

 さて、東条城です。夏盛りですが、草刈りされ、よく整備されています。主郭は広いです。北側の尾根との間に県道が通って分断されていますが、かつては、北側の尾根も城域であったと。
城びと先人の投稿を辿ってみました。
1989年(H元年)のふるさと創生1億円を使って、大手門、物見台、柵、土塁などが整備されたのですね。作ったものは劣化していきます。
2019年2月登城のにのまるさん投稿とボンさん投稿で、物見台が立ち入り禁止になったことが報告されています。
2021年2月登城のキンヤさん投稿で、大手門、物見台が取り壊されるとアナウンスされて、大手門から本丸が立ち入り禁止になっていることが報告されています。
2021年10月登城のカズサンさん投稿で、まだ、取り壊されていないことがわかります。
2021年12月登城のカズサンさん投稿で、大手門、物見台が取り壊されて、柵のみが残っていることが報告されています。
しんちゃんさんは、2013年7月、2023年7月、2025年11月に登城されていて、2025年の投稿は私が投稿する前の東条城についての最新の登城&投稿でした。大手門、物見台は、シロアリにやられたのですね。

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橋吉

牧之原市史料館 (2026/11/03 訪問)

近世の相良城は、1767(明和4)年に田沼意次が築きました。
本丸跡には、牧之原市史料館が建てられています。
駐車場は広く困ることはないと思います。

入場券が御城印になっています。
史料館には田沼意次を中心に田沼家ゆかりの工芸品や古文書、歴史資料さらには大河ドラマ「べらぼう」で使われた衣装などが展示しています。
近年、評価が見直されてきている田沼意次ですが、地元での評判はたいそう高ったようです。

二の丸の遺構として、築城の際、仙台藩主・伊達重村が石垣用材を寄進してつくられたことからよばれている仙台河岸と
小学校の門となっている土塁、その上の松が残されています。

見学所要時間:1時間

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イオ

大徳寺(京都市北区紫野大徳寺町) (2026/05/23 訪問)

大徳寺は鎌倉後期創建の臨済宗大徳寺派の大本山で、応仁の乱で荒廃するも「一休さん」として知られる一休宗純が復興し(先日の歴史探偵でも取り上げられていました)、本能寺の変の後には羽柴秀吉が織田信長の葬儀を執り行い、菩提寺として塔頭・総見院を創建したことで、諸大名による塔頭の建立が相次ぎ隆盛を極めました。また、千利休や小堀遠州など茶の湯とも縁が深い寺院としても知られます。ニッポン城めぐりのエリア限定イベントがてら、昨春の金龍院趾の取りこぼし回収に訪れました。

三門(金毛閣)
鮮やかな朱塗りの巨大な山門(国重文)で、上層を完成させた千利休に報いるために上層に雪駄履きの利休の木像が安置されたことが秀吉の怒りを買い、利休切腹の一因となったとも云われます。通常非公開のため、勅使門の脇から覗くのみでした。

唐門
聚楽第からの移築とされますが、聚楽第東大手門前の村上頼勝屋敷の御成門の移築とも云われます(国宝)。通常非公開のため、せめて法堂の脇から覗こうとしましたが、工事中で全く見えませんでした。

金龍院趾
金龍院は金森長近が菩提寺として、また信長の追福のために創建した大徳寺の塔頭でしたが、明治の区画整理により龍源院に統合され、跡地にあたる紫野高校テニスコートの南東隅に金龍院趾の石碑が立てられています。昨春に龍源院を訪れた際の取りこぼしの回収に訪れました。

大光院
豊臣秀長の菩提を弔うため豊臣秀保が大和郡山城下に創建しましたが、秀保の早世により大和豊臣家が断絶すると、藤堂高虎により本山である大徳寺に塔頭として移されています。…といったようなことは一応知っていたはずが、大徳寺訪問時にはすっかり抜けてしまっていて、トクさんの【豊臣秀長をたどる旅】を拝見して見落としに気付きました。金龍紀行の取りこぼしを回収したと思ったら、今度は月影紀行で取りこぼしてしまうとは…何やってんだか。
 

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朝田 辰兵衛

ぴーかるさん,チェブさん,ありがとうございます…など。

ぴーかるさん,チェブさん,ご祝辞ありがとうございます。
しんちゃんさんのレスは,パッと見こちらにはついてない気配です。

先ほど,関東地方で,基本徒歩と公共交通機関でのリハビリ攻城から帰還しました。
新たに立入禁止となっている場所もあり,「立入禁止コレクション」も増えました。随時投稿したいと思います。
本日ラストの,ちーばくんの鼻先で,今度は腰を痛めたカンジです。あちこちかばいながら…だと,いずれどこかに出てしまうものですね…。無料デーということもあり大勢のお客さんが来てました。そんな中に,めがねケースから眼鏡を取り出した方が,「城びとのあの方のようだ…」と。実は,往路のバスも一緒でした。私は越後帰還を逆算して,その方より早く復路のバスに。
山の中では積極的に声をかけますが,平場では不審者に勘違いされるので声をかけておりません。しかし,人違いだったとしても,今回は声をかければ良かったかな…と,反省しきり。おひとり様で攻城されてました。スマホで撮影してたので違うかも…。

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チェブ

おめでとうございます、朝田 辰兵衛さん。

山梨県コンプリートおめでとうございます。
もう少し早めに、おめでとう投稿したかったのですが、城びとサイトと私の携帯の相性が悪くなってしまいました。
開いてスクロールすると固まり、お城を探すも広がりません。でもって3分位たつと動きます。
携帯ショップにて調べてもらっても携帯は異常なしでした。
*キャッシュ消去やアンインストール、バージョンアップもしてみました。
なので、皆さんの投稿はパソコンで楽しませていただきました。

こんな感じだったので少しの間、城びとをお休みしてます。
そうそう、9月位の投稿で、しんちゃんさんからいいねを頂きました。また、楽しい投稿、見たいですね。

また、復活したらお仲間に入れて下さい。
朝田 辰兵衛さん、流血(笑)に気をつけて足跡をたくさん残しておいてください。

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べっち

大溝陣屋跡 (2026/11/03 訪問)

大溝陣屋跡

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ぎりょう

相馬氏歴代の居城を訪ねて④ (2026/10/17 訪問)

 今回の旅4城目は相馬氏最後の居城中村城です。
 慶長十六年(1611)に相馬利胤はこの城を改修して小高城から移転し、以後明治4年(1871)の廃城ま260年間相馬氏の本拠地となりました。
 中世にはその後の本丸、西二の丸、東二の丸で構成された土の城でしたが、16世紀前、後半の整備・改修により、鉢巻き石垣や、南二の丸、三の丸、馬出しなどが構築されたようです。
 小高から中村への移転はやはり隣国伊達氏との緊張関係によるものなのでしょう。
 本丸は東西118m、南北112m、比高は10mと決して広くはありません。その南西角には天守があったようですが、寛文10年(1670)に落雷による火災によって焼失したようです。その後再建されることもなく、天守台や詳細な資料も残されていないため、その外観や構造はわかっていないようですが、現在の相馬神社社務所のあたりに建っていたと推測されているようです。同時代に建設された天守は松本城や松江城、弘前城の天守があります。南二の丸に立って、本丸を望み、黒漆喰の小ぶりな三層天守をイメージしてみました。

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ぎりょう

再訪したいと思います! (2026/11/01 訪問)

じいさん仲間の歴史ツアー、秋の陣は盛岡方面へ。
 途中でこれまで国道四号線で何度も通り過ぎながら訪問していなかった徳丹城跡に初めて立ち寄ることができました。
 数年前に興味をもった古代城柵・官衙跡巡りですが、「律令国家最後の城柵」として造営された徳丹城の成り立ちを知ると、古代城柵探訪のまとめにふさわしい遺跡と感じました。
ここより12km北にあった志波城が北上川の度重なる水害により移転を余儀なくされていたことと、それまでの征夷政策から融和政策へ国家政策の転換が徳丹城造営に繋がったなったようです。
 志波城は坂上田村麻呂によって延暦22年(803)に造営されました。徳丹城は弘仁3年(812)に征夷将軍文室綿麻呂により造営されますが、9世紀半ばにはその機能を終えたとのことです。
 今回の訪問で、徳丹城は城柵・官衙の完成形なのかと感じました。また、城地には「先行する官衙」や、旧北上川に向う運河の遺跡などもあり、大変興味深く感じました。
 城地跡西に矢巾町歴史民俗資料館があり、発掘調査結果や出土物などが展示されいます。開館直後の訪問でしたが女性職員さんからたくさんの資料をいただき、質問にも親切にお答えいただきました。盛岡市に向う途中で、短時間の訪問となってしまいましたのでぜひ再訪したいと思います。



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ぴーかる

朝田辰兵衛さん 山梨県コンプリートおめでとうございます

朝田辰兵衛さん 山梨県コンプリートおめでとうございます🎉
祝辞遅くなりましたm(_ _)mすみません。週末から城巡り旅でサイト全然見れてませんでした。

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2泊3日の福島県城巡りは2日目です♪ (2026/10/24 訪問)

私のライフワークとなった、月に一度の「名城を巡る旅」
2泊3日で訪れた福島県の城巡り2日目です。
この日は前日夜に新幹線で到着した娘と一緒に訪城しました♪
この日は会津地方のお城を巡りました。
郡山のホテルから朝イチで出発したのですが、車で1時間半と意外と遠かったなぁ~(´゚д゚`)
最初に訪れたのが「向羽黒山城」で、戦国時代に築かれた日本最大級の山城です。
国指定史跡で「続日本100名城」にも選定されています。
会津の名将・蘆名盛氏が一大軍事拠点として完成させたそうです。
東西、南北とも約1.5kmと圧倒的な規模で、山一つを丸ごと要塞化した日本でも屈指のスケールを誇ります。
葦名氏の後、伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝(直江兼続)らが使用、改修しました。
見どころは、巨大な空堀、土塁、つづら折りの山道、多数の虎口などで、とても良好な状態で保存されていました。
観音山、羽黒山、岩崎山と山3つを越えての道中なので、400m程の低い山ですが、歩くと4~5時間掛かると、麓にある「会津新鶴(本郷)インフォーメーションセンター」の女性スタッフが教えてくれました。
「狭いですが舗装道路が3つの山を縦貫しているので、車なら最後の山(岩崎山)から「うつろ坂」を下りて県道に出たら右折したら戻ってこられますよ。小さいですが駐車場も何カ所もあるので車を停めて周辺の見どころを見たら移動する感じで進めば効率が良いですよ」と親切丁寧に説明して下さいました(熊鈴も2人分貸してくれました)
インフォメーションセンターでは御城印が販売されていますので集めてる方は、ぜひお買い求め下さい。
また続100名城スタンプは、50m先の登城口付近にある「向日羽黒山城跡整備資料室(向羽黒ギャラリー)」前に設置されているので24時間(夜は熊が怖い!)押印可能です。

ここからは選んだ写真に沿って説明をさせていただきます。。
① 私の勝手なこだわりで、毎回1枚目は御城印の写真と決めています(見出しにもなるしね) 購入した場所は上記の「会津新鶴(本郷)インフォーメーションセンター」で御城印を2種類購入しました。左側が通常デザイン、右側が歴代城主の家紋があしらわれた特別版です。通常版の背景に大きく描かれているのは、築城城主である葦名氏の家紋「丸に三つ引両」で、「日本最大級 葦名氏の居城」「国指定史跡・続日本百名城」の文言が並んでいます。歴代城主家紋版は、向羽黒山城に関わった歴代の名だたる戦国大名たちの家紋が四隅に配置されています。左上は伊達政宗(竹に雀/仙台藩)、右上が蘆名盛氏(丸に三つ引両)、左下が上杉景勝(竹に雀/上杉笹)、右下が蒲生氏郷(対い舞鶴)が一枚で楽しめるのがいいですね。4つの家紋の内、3つが鳥が向かい合ったデザインになっているのが面白いですね(不思議)
② 毎回2枚目は「城を代表する景色」を選んでいます。今回は、山城らしさを感じさせる「二曲輪虎口」にしました。進路を折れ曲がらせる構造により攻めてきた敵の勢いを完全に止めます。また、通路の両側にある土塁は高い所では10メートルと見るものを圧倒させる高さです。さらに侵入して足止めされた敵に対し、左右・上方の土塁上から弓矢や鉄砲で一斉に狙い撃ちできる、なんとも恐ろしいキルゾーンになっていました(≧◇≦)
③ 本丸を守る「一曲輪虎口跡」で、城内で最も防御が厳重に固められた場所です。この先を上り詰めると一曲輪の頂上(本丸)へ到着します。ただし、この石段がとにかくメチャクチャしんどくて一段が30cm以上ある高さも形もバラバラの石段を100段以上は登りました。しかも、道は足場も悪くつづら折りに曲がりくねっていて、さすがの健脚親娘も登り切った時には太腿がパンパンになりました~ヾ(≧▽≦)ノ でも頂上から会津盆地を一望できる圧倒的なパノラマで広がる絶景が私達を癒してくれました。
④ ようやくたどり着いた山頂の「一曲輪(本丸)」で、標高409mの最高所に位置する、「本丸(主郭)」に当たる場所です。もう、達成感がハンパなくて思わず「ヤッタァ~!」って感じでした。 本丸自体の広さは意外とそうでもなく、先に訪れた「二の丸」の方が広かったですね。
⑤ それほど広くなかった「一曲輪(本丸)」ですが眼下に広がる会津盆地の広大な田園風景と連なった山々は大パノラマといった感じでした。二の丸からの眺めも美しかったですが、さらに高さと開放感が増して、まさに城主になったような気分が味わえました。
⑥ 「お茶屋場跡」から移動中に、この城には珍しい石垣を見つけたので車を停めて撮りました。戦国時代の山城の遺構を壊さないよう、当時の「曲輪」や「城道」「堀切」の地形をそのまま活用しているので、車道なのに歴史を感じる不思議な雰囲気の空間になっていました。
⑦ こちらが「二の曲輪(二の丸)」です。山頂の本丸に較べると、芝生も手入れが行き届き、広々としていてます。東屋(あずまや)や展望台が設置されています。
⑧ 「二の丸」の展望台から見渡した会津盆地と阿賀川の眺望です。奥に見える特徴的な三角形をした尖った山は、その美しい容姿から「会津富士」の別名で広く親しまれている名峰「磐梯山」です。磐梯山の麓(左方向)に「会津若松城」が見えると案内されていましたが確認できませんでした、残念… まあ、この後に向かうからいいかぁ(´_ゝ`)
⑨ 写真の深い溝は、敵の侵入を防ぐために造られた「空堀」の跡で、底部には当時の中世山城としては貴重な古い「石積み」の痕跡が残されている特徴的なスポットです。
⑩ 最後の写真は「うつろ坂」で山を下りてしばらく走ると見えた風景です。西側の田園地帯から撮った「向羽黒山城遠景」です。城は岩崎山(右)から羽黒山(左)へ連なっています。山頂に一曲輪、羽黒山へのびる尾根上に二曲輪、三曲輪が配置されています。なんともダイナミックな山城ですよね!

今まで、九戸城、浪岡城、脇本城、志苔館、勝山館、三春城と6カ所の山城を訪れましたが、私の中では今回の向羽黒山城が断トツで、何より山城らしさが一番感じられた城でした。
また、白鳳山公園の中に含まれるせいか、意外に道路が整備され案内標識も上手に配置され内容も詳細だったのに快適に興味深く楽しめました。
ただ、本丸に上る石段は健脚を自負する私達父娘ですら、めっちゃキツかったので(足場が悪いので下り石段もキツい!)体力‣脚力に自信のない方は自粛した方が良いかと。。。

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ぜんぜん

すばらしい石垣

りっぱな石垣の城でした。
駐車場あり。

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ぜんぜん

春日山城が。 (2026/09/26 訪問)

なんの変哲もない公園です。
車とめられないかな。

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ぜんぜん

戊辰戦争 (2026/08/27 訪問)

駐車場も、広くて良かったです。
正門工事中。

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ぜんぜん

すばらしい (2026/09/21 訪問)

土塁の凄さ感じました。
駐車場トイレもあり。

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dougen

2026.2.21登城 (2026/02/21 訪問)

圏央道木更津東ICと高滝湖PAの中間ぐらいの場所にある木更津市立少年自然の家キャンプ場が真里谷城址となります。
キャンプ場に通じる道は通行止めになっていましたが、徒歩で登城できるう回路が設置されており、
本来の登城道を歩くことができます。
城址はキャンプ場となっていますが、冬季は営業しておらず閑散としてゆっくりと散策できます。
主郭には城山神社があり、かなりの高さのある土塁があります。
またキャンプ場入口付近が二郭となりますが、見事な空堀や竪堀が確認できます。
かなりの山奥ですが、車であればきれいな舗装道路となっていますので、問題無く辿り着けます。
遺構は見応えがありますので、オススメの城址です。

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朝田 辰兵衛

ぷらっとかすかべ (2026/11/01 訪問)

今年の「東京文化財ウイーク」は私のハートに響かなかったので,なぜか春日部。観光案内所となっている「ぷらっとかすかべ」へ。クレヨンしんちゃんのスタンプラリーをやっていたのですが,スタンプのコンプリートで何も景品ナシ。スタンプラリーは参加しませんでした。足が疲れていたので。
この「ぷらっとかすかべ」で地元のおみやげ購入。撮影スポットには,サトーココノカドー。久しぶりでホッコリ。

ところで,城びとのしんちゃんさんは生きているのか…?
何か一報いただきたいものです。

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