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菅谷館跡という城跡が埼玉県比企郡…武蔵嵐山駅から徒歩で15分ほどの場所に存在します。そこはかつて…鎌倉時代に幕府の御家人の1人、畠山重忠の館があったとされてる場所🏠
城跡の三の郭…つまり入口側に埼玉県立嵐山史跡の博物館があります。今回はそこのお話。ここの入場料が大人100円
受付を済ます前に、菅谷館は続日本100名城に登録されており、お約束のスタンプが用意されていたので、真っ先にスタンプ帳に押しました✌️ それから受付で御城印の購入(詳細は後ほど)
展示室に入ると…まず(1枚目の)畠山重忠人形…。「鎌倉殿の13人」では中川大志というイケメン俳優が演じていたので、それと比べると…どうしてもおじさん感があります🧔♂️
展示室の規模は小さめでしたが、展示品はそこそこ揃っていました。重忠に関する展示が多めになっており、彼の怪力伝説(相撲をとった時に、強いと評判の力士の肩を砕いてしまった…一の谷で奇襲攻撃をおこなった際に、馬を担いで急な坂を降った)
秩父平氏の系譜を引くことから、最初は平家側として戦ったが程なく頼朝に降り、それからはずっと源氏側として従軍…一の谷…屋島…壇ノ浦の合戦で功績を上げた…と紹介(2枚目)
「鎌倉殿の13人」では義経が命じた「平家軍の漕ぎ手を射る作戦にて、最もそれをおこなっていたそう(史実通りかはさておき、本人は最初…「世間から(卑怯者として)笑い物になりましょう」と躊躇っていた😅
出口付近に重忠の墓と伝わる五輪塔(レプリカ)もありました(3枚目)…頼朝の死後、幕府内で北条氏によって有力御家人が次々と粛清される内ゲバがあり、畠山氏もその一環として…滅ぼされました
平賀朝雅(北条時政と奥方の牧の方が、三代将軍実朝を廃して将軍に据えようとしていた男)と重忠の息子重保の間で揉め事があり、それを朝雅への悪口=幕府への謀反の疑いと見做した時政と牧の方にハメられる形で、鎌倉ではまず重保が殺され、そして謀反人を討ち取るための準備がなされた
鎌倉で騒ぎが起きてる事を伝える書状が届き、嫌な予感は多かれ少なかれしたかもしれないけど(おそらく敵意はない事を示すために)少数の兵で鎌倉へ向かった重忠🧔♂️👨🦳👨🦱🐴
しかし二俣川(同じ神奈川県内なので鎌倉の近くと言えば近く)で北条義時率いる幕府の大軍が待ち受けており、重忠は菅谷館には戻らずに武士として潔く散る事を選ぶも…多勢に無勢で…奮戦しつつも最期は討ち取られてしまう💀
(参考Wikipedia)https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%95%A0%E5%B1%B1%E9%87%8D%E5%BF%A0%E3%81%AE%E4%B9%B1
展示を見終えてから少しだけ時間があったので…自分で御城印を作ってみる…というのをやってみる事にしました
まず文字が印刷されただけの紙を渡され、それに自分で北条氏の家紋などのスタンプを押して…それから日付を筆で書いて完成(4枚目)
実は御城印を1枚買う毎に、自分で作る用の紙を1枚もらっていたので、購入した御城印に合わせる形でスタンプを選んで押印…それから来場日の日付を筆書き(書道に精通してるわけじゃないから、字が少し崩れちゃった)🖌️
最後に紹介するのがこの施設で購入した御城印(5枚目)…4種類あり、そのうち3種類は地元の学生と共同で考案して作成したデザインと紹介されていました
一つ目はスタンダードタイプ(5枚目右)をまず選び、二つ目は菅谷館跡と書かれたものの中から…重忠像が載っているものが私に「これだ!」という印象を与えたので…それを選ぶことにしました
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