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べっち

萩城 (2026/03/21 訪問)

クラブツーリズムのツアーで行った

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べっち

岩国城 (2026/03/21 訪問)

クラブツーリズムのツアーで行った

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べっち

広島城 (2026/03/20 訪問)

クラブツーリズムのツアーで行った

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べっち

福山城 (2026/03/20 訪問)

クラブツーリズムのツアーで行った

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べっち

浜松城 (2026/04/05 訪問)

クラブツーリズムのツアーで行った

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べっち

岡崎城 (2026/04/05 訪問)

クラブツーリズムのツアーで行った

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べっち

名古屋城 (2026/04/05 訪問)

クラブツーリズムのツアーで行った

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べっち

小牧山城 (2026/04/04 訪問)

クラブツーリズムのツアーで行った

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べっち

犬山城 (2026/04/04 訪問)

クラブツーリズムのツアーで行った

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べっち

墨俣城 (2026/04/04 訪問)

クラブツーリズムのツアーで行った

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Toshi⭐︎

ブルーインパルス✈︎ (2026/04/11 訪問)

狙ってこの日に登城した訳ではないが、本当にラッキー。一昨日、昨日と悪天候だったけど、今日は最高の天気!

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イタさん

土塁の規模が大きい (2026/04/08 訪問)

佐野市のホームページの概略に、築城は平安時代末の治承2年(1178)足利俊綱とされ、源頼朝と志田義広が戦った志田義広の乱では志田方として、室町時代の古河公方と関東管領上杉氏が対立した享徳の乱では古河公方方として戦っている。
戦国時代の永禄2年(1559)に佐野氏の支配下になり、唐沢山城の支城として、足利長尾氏の備えを担うことになる。天正18年(1590)秀吉の北条氏攻めで、佐野天徳寺宝衍が、北条方から唐沢山城を奪還し、天正20年(1592)に隠居時に赤見城を隠居所している。慶長19年(1614)の佐野家改易とともに廃城となる。

主郭の南東隅に欠けた土塁を補うように保育園が建っている。当然園内は入れないが、東の標柱部から土塁に階段が設けられている。上がって端まで行けるが、下の主郭は一周フェンスが囲っているので当然入れない。北東の民家フェンス手前から西へ入れる。先に水堀が見え、二重(あるいは三重)の土塁の一部が残っている。二重目の外から土塁に上がれば、下で見えた堀が折れて南に延びている。土塁の西は堀跡の名残で水路が通っている。土塁から園の屋根がわずかに見え、内側土塁の高さが確認出来る。

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イタさん

佐野駅と直結した城山公園 (2026/04/08 訪問)

一帯は良く整備された城山公園になっている。案内板に慶長7年(1602)佐野信吉が佐野厄除大師を移転させ、築城・町割りをし、1607年に唐沢山城から移り、唐沢山城は廃城になる。1614年に改易となり廃城になる、などが記されている。連郭式で南から三の丸、二の丸、本丸、北出丸と繋がる。外堀はほぼ埋め立てられ一部に名残があると云う。

南の三の丸は遊具のある公園、駐車場で、南下に佐野駅があり、三の丸と連絡通路で結んでいる。東下駐車場から上がってくる道が二の丸との堀切であったろうか。一段高い二の丸に東には城山記念館が建つ。本丸間に堀切が残り、堀底に下りられる。本丸には東斜面の井戸跡の通路と思われる石畳と石垣が発掘されている。北の堀切の先が北出丸となり、堀幅は手前の方がやや広く深い。

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イタさん

石垣の多用が想像以上でした (2026/04/08 訪問)

案内に、天慶の乱を平定した藤原秀郷の築城で、子孫とされる佐野氏の代々の居城と伝わる。今の姿は16世紀中頃に整ったとある。

唐沢山神社参道入口では石垣造りの喰違虎口で、右手に天狗岩がそびえ、登れば西の山並みから南の三毳山辺りまで眺められる。先の堀に神橋が架かり神社に続く石段が始まる。脇に井戸(大炊の井)、左後ろには数段の曲輪が残る避来矢山(ひらいし)があり、武具土蔵があったと載る。右は西城と載る天徳丸がある。

石垣の残る坂を上れば、左に二の丸への道を分け社務所の建つ南城下に着く。本丸へは左に平場を2段上がれば、社殿の建つ本丸になる。東と北に石組みの土塁が見られる。西には本来の虎口なのか鏡石らしき大きな石、下に土塁が残る二の丸(武者詰)が見える。南に開いた虎口は石垣で固めている。虎口先は有名な高石垣が現れる。西には三の丸(帯曲輪とも)があり、更に西下に当初幅の広い横堀と思ったが、西端の土塁で堀状に見えたが帯曲輪とある。

神橋から北に回り込み、東の遺構に向かう。縄張図の長門丸と金の丸の堀切に着き、西(右)へ行けば本丸北の引局を通り二の丸に行く。金の丸には家屋が建つ、東側に土塁が残るが、杉曲輪は堀ではなく段差を利用。杉曲輪と北城間はよく残る堀切で区切られている。北城の北東下は二重の堀切と載っているが、両斜面に落ちる竪堀で判断可能な場所であった。駐車場から南の鏡岩に寄ってみた、木戸があったと載るが今は車道が通過する。上杉謙信が攻めた際、西日が反射して攻めるのが困難であったという物語から名付けられたと標識に書かれている。

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チェブ

花よりお金?『海と城の見える丘』の巻。 (2026/03/28 訪問)

桜の季節、小田原城周辺にはたくさんの笑顔が見られました。
そんな中、私は眉間にシワを寄せ、足元を凝視。

*本日も脱線注意報が出ておりますので、ご注意下さい。

「小田原城」の総構えが見られる『城山公園』に着陣。
小田原には何度も来たけど、総構えの遺構を見るのは初めてです。
駐車場はありました。公園の駐車場かは分かりません。城山陸上競技場で大会があり混雑していて、車が出た所に素早く駐車しました。お花見している方々もいて、いつもなら幾分駐車しやすいのかもしれません。
『海と城の見える丘』のプレートがあり、良い写真が写せるぞと張り切ると、奥に土塁を見つけ海と城は後回し。まずは北条魂の結晶を見に行きました。

土塁の上、豊臣軍を迎えるかの如く仁王立ち。
いつもの相方の『見ておいで』と、放牧宣言。
1人堀底へ滑らないように下ります。私の写真だと分からないと思いますが、深い堀で怖い印象です。
北条家も安泰だなと、錯覚しそうでした。
実際、そう思った先人たちは沢山いらっしゃる気がします。そのくらい堀は深く、土塁は高いのです。

散々、堀底を歩いて戻ると、相方が小さい声で『お金拾った。』と。
写真⑨、『寛永通宝』です。
もうこの『寛永通宝』が本物か偽物か調べ始め興奮気味。海と城の写真はすっかり忘れてしまいました。

レジャーシートを広げた家族連れやお花見しているカップル。遠くで陸上競技の歓声が聞こえる中、完全に頭の中は、あの寛永通宝、今の価値にしたらいくらになるんだろうーと、下品な事を考えてしまった「小田原城総構え」攻めでした。

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ぎりょう

国分氏の居城跡に初登城 (2026/04/11 訪問)

宮城県の桜も県南、県央は今週末までが見頃との地元紙記事を読み、久しぶりに中世山城跡に。この城は戦国期にこの地で活躍した国分氏の居城とされていますが初登城です。泉区の住宅街に囲まれた比高70mほどの独立丘陵の中央にに主曲輪、南東の尾根に二ノ曲輪、西側の尾根に小曲輪群を配す縄張です。曲輪は深い谷と切岸で守られており、土塁は見られません。主曲輪の南西側に外舛形の虎口跡とみられる場所があります。改変されているようですが、当時の面影を伝えてくれます。
城址は公園化されており、ちょうど桜の花が見頃とあって、お子さん連れのご家族やご年配のご夫婦などで混み合っていました。

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Toshi⭐︎

島原半島城巡り③島原城 (2026/04/10 訪問)

原城、日野江城と回ってたどり着いた島原城。それほど財政的に豊かと思えないこの土地で領民を働かせてこの規模の城を作ったら、一揆も起こるわと妙に納得。帰りに食べたご当地料理「六兵衛」は初めての体験でした。

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Toshi⭐︎

島原半島城巡り①原城跡 (2026/04/10 訪問)

大手口から入城しようと思ったが、道が見つからず断念。あいにくの天気でもあり、本丸だけの見学となった。城の見学の前に有馬キリシタン遺産記念館に立ち寄ると、予習も出来て良いと思う。

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Toshi⭐︎

島原半島城巡り②日野江城跡 (2025/04/10 訪問)

あいにくの天気と草がぼうぼうで足元が悪く、あまり探索できなかったが、石垣が結構残っており、整備されれば見所のある場所になりそう。

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ぴーかる

幸山城 (2026/01/31 訪問)

【幸山城】
<駐車場他>清音ふるさとふれあい広場 数十台分あり
<交通手段>車

<見所>堀切・巨石・眺望
<感想>現地説明板によると幸山城の築城は鎌倉期の後半頃に庄資房に築城されたといわれる。その後応永年間に細川氏の被官で吉備津神社の社務代である石川氏の居城となった。1575年に石川久武の時に毛利氏と松山城主の三村元親との合戦では義兄の三村元親の救援に向かうが利あらずして帰陣して自刃します。その後は毛利氏の領国支配となり廃城します。
 山頂の福山(福山城跡)の中腹に築かれた山城で上記駐車場からの登山道から登っていくと暫くして左手に石垣跡が現れます。また暫く登ると右手に竪堀跡が現れ、左手に石垣と曲輪跡があります。曲輪跡を奥へ進むと巨大な大堀切の上に出ます。主要部の下方部に当たる位置になるようで、堀切の先が袋小路になっています。ここに誘い込むゾーンになっていていい見応えです。登山等に戻り尾根上の堀切から左手に進むと巨石で塞がれた虎口、入ると東曲輪に着きます。主要部は大きく2局構造となっていて、主郭と東曲輪に分かれていて、間に広い堀切があります。主郭と東曲輪はほぼ同じ大きさで、東曲輪には櫓台のような土塁があります。主郭には巨石が多くあります。眺望が抜群でハイキングを楽しむ人達が多くいました。

<満足度>◆◆◇

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