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いにしへも 今も変はらぬ 世の中に こころの種を 残す言の葉 (2023/11/22 訪問)

2本目です。ぼちぼち投稿していきます。

別名の舞鶴(ぶかく)城が現在の地名の由来になったとか。
古今和歌集の伝承者 細川藤孝(幽斎)50余日の籠城の舞台となった丹後田辺城。
JR西舞鶴駅から徒歩約5分。現在、主郭部分は舞鶴公園として整備されています。
公園の西側に、城跡の入口と言わんばかりに櫓門が建っており、2階部分が資料館になっています。
櫓門を抜けて左側に見える二重櫓が彰古館で、この城の代表的景観です(私的に)。
現存する天守台の石垣は本丸の石垣よりも高さがないので、説明板を見るまで気づきませんでした。
発掘調査によれば、天守台の周囲には水堀が巡らされていたらしいのですが、その面影はあまり感じられません。

本投稿のタイトルにもなっている幽斎の歌は、彼が古今伝授を証明する書物に添えたものといわれていますが、とても気に入っています。
短歌って、聞きなじみのない難しい古語が平然と並んでいるのでどうしても距離を置いてしまうのですが、この歌は平易な言葉遣いゆえの妙な語呂のよさがあって、スッと耳に入ってきますね。

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しんちゃん

アノお城‥ (2024/07/16 訪問)

大きな声では言えませんが熱海城の投稿です。城じゃないぞって? はい城じゃないですね。正確には城郭風の鉄筋コンクリート製の建造物です。海抜100mの地点に築かれ、見晴らしは非常に良さそうですが(曇ってた)、ここに城郭があったという記録は見当たりません。
駐車場料金は500円、入場料は1200円と結構値が張りますが、親子連れなどでなかなか賑わっています。私はスルーしましたが、近くには熱海秘宝館もあります。刀剣や鎧の展示の他、城郭の絵や春画の展示が豊富です(写真OK)。地下一階には無料のゲームセンターがあって、ここで元を取ることが出来ます。時間の制約が無かったらあと三時間ぐらい居たかった‥。
熱海城はゴジラに完膚なきまでに破壊された数少ない「城」と名のつく建造物で、他には名古屋城や大阪城がブッ壊されています。ゴジラも案外わきまえていて、現存天守などは破壊してないんですね。松本城もキングギドラに表層を吹き飛ばされただけで済んでいます。別にエレベータのついてる鉄筋コンクリートだから破壊していいってわけじゃないんですけどね。

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カズサン

【近江 柏原御殿】滋賀県米原市 柏原御茶屋御殿 (2024/06/24 訪問)

 滋賀県に4ヶ所ある徳川将軍家御茶屋御殿の一つ柏原御殿を1泊2日滋賀県近江未踏の城探訪の最終に訪ね4ヶ所の御茶屋御殿跡探訪完了する事が出来ました。

 住所:滋賀県米原市柏原2137
 駐車場:柏原宿観光駐車場(米原市柏原831辺り)、余裕の駐車スペース、トイレ有。
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る

 当地は国道21号線から北に1本道に入った旧中山道柏原宿に当たる。
 観光駐車場から旧中山道に出ると、街並み家並みは往時の風情豊かに落ち着いている、道は融雪装置付きと砂利道風浸透性にある舗装路で街並みに合っている、伝統的建物群を観ながら約西に約350m程で柏原御茶屋御殿跡の小公園があります、石碑と解説板と樹木が植栽されて御茶屋跡を偲ばせている。
 更に西に約200m行くと柏原宿一里塚跡が在ります、黒塀、黒基調の建物が風情あり、郷宿、柏原銀行跡、柏原宿歴史資料館、旧造り酒屋などの建物で、江戸の町に紛れ込んだ様です。
 
 解説板によると
 江戸時代の初め、将軍上洛下向の際の宿泊・休息の目的で、街道の各所に設けられた館で、天正18年(1588年)徳川家康が上洛の際、当地の西村家で休息。以後、中山道通過の際の恒例となっていたが、通過が頻繫に成った為、元和9年(1623年)二代将軍秀忠が殿舎を新築。以後御殿番を置いて守備してきた。
 その後、徳川幕府の勢力増大につれて将軍上洛は減少、元禄2年(1689年)ついに当地御茶屋御殿は廃止された。
 

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ぴーかる

大草城 (2024/05/25 訪問)

【大草城】
<駐車場他>福厳寺駐車場に駐車し参詣してから徒歩で白山神社(大草城跡)に行きました。
<交通手段>車

<見所>土塁・曲輪
<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第3弾5城目。現地説明板によると大草城は文安年間(1444~1449年)に西尾式部道永によって築城されました。道永は三河西尾の出身といわれ、その後岩倉織田氏に仕えました。織田氏の家督争いから1548年頃この地を離れて廃城となったようです。西側の白山神社入口からすぐに竹林の曲輪跡がみられます。平山城というより丘城で南側に対してはやや比高があるが、残り3方は緩やかに高くなっています。最頂部の城跡碑・祠から東西に土塁が伸びています。南と西方向の竹林にひな壇状の曲輪が降りていっています。筍採取の為に土地整備されているかも分かりませんが、曲輪段がはっきりしています。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

登りは急! ゴム手袋を用意して行った方が良い (2024/02/11 訪問)

水茎岡山城は標高188mの岡山(大山)の頂部に築かれ尾根上に東西に遺構が残っています。南側にも遺構が有るようですが、状態が良くないので山頂の遺構を散策するのにとどめています。
北東に位置する水道施設に向かう急な階段を上っていくと途中から更に道が悪くなります。急な登り坂をトラロープを頼りに登って行くのでゴム手袋を用意しておかないと手のひらにダメージを受けてしまいます。城址は荒れ放題で正直、ここは城びとしか来てないんじゃないかと思います。上まで登りきって尾根上を西に移動して行くと、ほどなくして、かなり大きな堀切が見えてきます。その先にも曲輪があり南側には腰曲輪が配されています。さらにその先の堀切まで行き、この日は引き返しました。この周辺が主郭か二郭だと思います。
水茎岡山城は南北朝時代に佐々木氏によって築かれたとされ、永正5年(1508)室町幕府の11代将軍・足利義澄が六角氏被官の城主・九里信隆を頼って城に入った頃に本格的な築城が成されたとされています。また、当城で後の12代将軍・足利義晴が誕生したとされ、同年に足利義澄が帰洛を果たせぬまま、ここで亡くなったとされています。

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しんちゃん

アディオス八王子城。そして謎のオヤジ。 (2024/01/28 訪問)

八王子城投稿 5回目にしてようやく御主殿に到達です。普通最初に来るところですが、今回の訪問では山上の遺構を優先しました。いろいろありました、本丸行って、整備道通ったら西の曲輪いったり、謎のオヤジと遭遇したり‥。
ここ御主殿には「主殿」「会所」とされる大型の建物の礎石が検出され、主殿は北条氏照の居館跡であったとされています。他にも敷石通路や庭園跡の遺構が発掘されており、盛土を60cm施した後、忠実に再現がされています。ひとしきり訪問を終え、疲労感と満足感に浸ります。きっちり3時間半はかかりましたが、それだけの甲斐は有りました。帰り道にはさっきのオヤジがいなくなっています。ノルマを果たしたから帰ったのかな?
ひょっとしたら、この八王子城に住まう妖精だったのかもしれません。あなたも運が良ければ謎のオヤジに会えるかもしれませんよ。運がいいのか悪いのか知らんけど。

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todo94

クリークの城 (2024/07/13 訪問)

蒲池城からの転戦です。戒音寺辺りが城跡とのことで戒音寺周りにはクリークが巡っていました。近くの皿垣小学校は2024年度をもって閉校となるようです。

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シャンシャン

さんじゅーろー人形GET‼ (2024/07/13 訪問)

新発売となったさんじゅーろー人形をあしあと館でGET‼
本物との記念写真も撮影(^^♪
人出もそこまで多くなく、さんじゅーろーとたくさん触れ合うことができた。

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カズサン

金森御坊辺りが城跡 (2024/06/23 訪問)

 金ヶ森城は金森御坊辺りが旧跡のようで雨が降り止んだりの中、グーグルマップ片手に訪ねました。

 駐車場:特に無し、金森霊園と中央公園の間の幅広道に路駐(35°03'21"N 135°58'46"E h=100m)
 参考資料:城びと、グーグルマップに依る。

 グーグルマップに依ると金ヶ森城跡の史跡マークは、中央公園北東角と善立寺南、城びと金森御坊の三ヶ所記されて居り、路駐の金森霊園より北へ、中央公園北東角を訪ねるが何もなし、北進し水路か堀か?を渡り西に曲がり善立寺南を訪ねるが徳香流遠石碑が在るのみ、善立寺には蓮如上人像、蓮如上人旧跡石碑、金森道西坊碑が立っている、金森御坊は閉まって参拝見学出来ず、御坊の屋敷周囲をぐるーと廻る。金ヶ森城の遺構は良く分からず。皆さん投稿の「金森御坊と中世の歴史遺産」立看板は見てけられませんでした。

 守山地域は蓮如上人の足跡も有り浄土真宗のご門徒の篤い信仰の地で湖西の堅田ともども名をはせています、ネットの情報では寺内町のはしり、比叡山との合戦、一揆でも知られ、信長との戦いも有った様です、信長に仕えてた、金森長近が若き日に金森で過ごしたようです。
 

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しんちゃん

織田信長により築城(らしい) (2024/02/11 訪問)

多喜山城は比高120mほどの日向山の山頂に築かれています。東海道の南に位置し、元亀2年(1571)以降に栗太郡一帯を支配する目的で織田信長により築城されたとされています。主郭の周辺に郭が配されただけの小規模な城ですが、北側と西側に土塁が残っています。
虎口は南と東についており、北東には穴蔵と呼ばれる周囲を土塁で囲まれた小さな郭がありました。

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雑賀衆の城 (2024/07/18 訪問)

 雑賀衆の城でしたが、遺構はありません。標柱と説明板がありました。

和歌山市駅よりバスに乗り市民体育館前バス停下車。バス停から徒歩約5分で行くことができます。

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粉河寺 (2024/07/18 訪問)

 紀州で根来寺とともに大勢力であった粉河寺が防御強化のため1573年に築いた城と伝わっています。豊臣秀吉による紀州征伐の後、藤堂高虎が入城しました。高虎が宇和島に移封された後、廃城となっています。現在は秋葉公園として整備されています。曲輪の地形が何となくわかりますが、どこまでが当時の地形かはわかりません。石碑と石に彫られた説明板がありました。
 城址を下ると粉河寺に行くことができます。粉河寺の北東の矢倉山も要塞化されて堀切や土塁が残っているとの情報がありましたが、今回は行っていません。

 JR粉河駅より徒歩15分くらいで猿岡山城の登り口に行くことができます。
昼飯に「まる乕 本店」さんで天然鮎寿司をいただきました。

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ぴーかる

上末城 (2024/05/25 訪問)

【上末城】
<駐車場他>駐車場はなし。ファミリーマート小牧上末店に買い物して駐車しました。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第3弾4城目。現地説明板によると、上末城の築城は文明年間(1469~1487年)に落合勝正によって築かれました。子の安親は織田氏に仕えました。小牧長久手の合戦では池田恒興の三河中入り作戦の道案内をしたそうです。
 現地には竹藪の中に土塁が一部残されていて、国道155号線に向けて藪の中に城跡碑と説明板があります。西に面しては少し高台になっていて東に向かって緩やかに登っていっています。主郭跡と思われる陶昌院には行きませんでしたが、落合氏の墓碑があるようです。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

草津宿本陣 (2024/02/11 訪問)

滋賀県草津市にある国指定史跡・草津宿本陣は寛永12年(1635)に始まった参勤交代制度のために草津宿に設置された休憩施設です。現在残っている建物は弘化3年(1845)~文久3年(1863)ごろの旧状を良く残す遺構であるとされています。
現存する宿帳には浅野内匠頭、吉良上野介、シーボルト、皇女和宮や徳川慶喜らが宿泊した記載が残されています。全国でも珍しい、その姿を良く留めている本陣遺構です。

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しんちゃん

謎のオヤジ登場!御主殿への道 (2024/01/28 訪問)

八王子城の投稿の続きです。詰の城まで歩いてカロリーを消費したので、麓の城跡茶屋でいっぷくします。焼きおにぎりでエネルギーをチャージしたら、御主殿へ出発。そして大手門の付近で謎のオヤジと遭遇しました。なにか大手門の説明をしてくれています。
オヤジが持っていた謎のアイテムを広げています。どうやら大手門を再現しているようですが、いつの間にかオイラも手伝わされています。通行人がハレモノを見るような顔でエビのように、そそくさと通り過ぎていきます。う~ん、同類扱いされているな‥。かくして、大手門が再現されました。さすが八王子城、こんな不思議なオヤジが出没するとは、なかなかの強者の城ですぜ!

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トク

天守近くの斜面で土砂崩落の続報(2024.07.18)

先週の土砂崩落の件の続報が、本日のニュースにありましたので皆さんにもお伝えします。

今回崩落した場所は、昨年7月に亀裂が見つかり、松山市は文化庁に工事許可を申請していたが、許可まで1年かかり梅雨前に工事を始める事ができなかったとの事です。また文化庁からすれば、緊急の場合は相談してくれれば早く工事が始められるよう対応したと、両者の言い分が食い違っているようです。どっちにしても、ならこれって人災ですか? 結局3名の方は死亡が確認され、崖下は住める状態ではないので、住民の方は怒り以外にはないでしょう。

我々お城ファンからすれば、今でも地盤が弱い所なので、このまま放置していればさらに亀裂が大きくなり、現存天守そのものも崖下に崩落してしまうという、最悪のシナリオにだけはならぬよう、早く工事を開始してほしいものです。いま地震が起きたらなどと考えたらぞっとします。

松山城は現在も営業停止中で立ち入り禁止となっています。少なくとも営業再開までには1カ月以上はかかるとの発表がなされました。この夏に登城を予定されていた方は、計画を変更された方がよさそうです。

写真は本日のニュース映像からの抜粋です。
 

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赤い城

土塁上に神社 (2024/07/06 訪問)

香南市の野市町エリアにあります。
駐車場はありませんが土塁の前は少し広くなっているのでこちらを利用しました。
長宗我部氏家臣の香宗我部氏の城ですが土塁が一部残るのみです。
この土塁上には八幡神社が建ち、石碑も設置されています。

ここだけでは、と思い周辺を散策してみましたが住宅地と農耕地になっていて痕跡を見つけることはできませんでした。
生活道路がややクランクする部分が「堀跡かな?」とも思えるのですが定かではありません。

土佐は未訪の城が多いのでどんどん廻っていきたいですが西側が難関そうです。

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イオ

続・城下町めぐり (2024/05/25 訪問)

地元のとある集まりの食い倒れ旅で犬山城を訪れました。メインは城下町での食べ歩きではあるものの、まずは天守から。1月に登城した際には廻縁に前夜の雪が残っていて西辺には入れませんでしたが、この日は見事な晴天で、西辺からは木曽川と対岸の伊木山が綺麗に見渡せました。

せっかくなので犬山城下町周遊券を買って「城とまちミュージアム」「IMASEN 犬山からくりミュージアム」「どんでん館」にも。城とまちミュージアムの犬山城下町ジオラマは、前回に城下を歩き回っているだけにジオラマと現状を頭の中で照合しながら見ることができました。企画展「成瀬家に届いた武将の手紙」では、細川忠興、加藤嘉明、戸田氏鉄、土居利勝など錚々たる顔ぶれからの手紙が展示されていて、さすがに尾張藩の付家老ともなると城持大名にも劣らぬ格式と人脈を有していたことがよくわかります。また、どんでん館には犬山祭で曳かれる車山が、からくりミュージアムには車山に据えられたからくり人形などが展示されていて、いつか犬山祭にも来てみたいとの思いを強くしました。それぞれ何年か前にも訪れているんですが、程よく忘れていて改めて楽しませていただきました。

さて、前回見落としていた犬山城大手門説明板をチェックして、いよいよ城下町へ。城下町は多くの人で賑わっています。浴衣姿の一団はインバウンド客でしょうか。まず山田五平餅店の五平餅から食べ歩きを開始しましたが、5月ながら30度を超える暑さのため思ったほどに食が進みません(あったかい食べ物はあまり…)。自家製レモネードやかき氷で涼をとりながら、いくつか軽くつまんで、松栄本店でお城もなかを買って、1時間半ほどで城下町を後にしました。

年初に城初めとして訪れた際に「次の機会には食べ歩きしながらゆっくり城下町を楽しみたい」などと投稿しましたが、まさかこんなに早く実現することになろうとは。ただ、食べ歩きという点では、まだまだもっと食べたいと思っていた品はあるので、その辺はまたの機会に。
 

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石垣マニア絶賛の丹波の山城 (2023/11/23 訪問)

初投稿です。拙い文章になるかとは思いますが、読んでいただけますと幸いです。

記念すべき最初の投稿は、私の地元兵庫県丹波市から岩尾城跡になります。
小学4,5年生くらいの頃に父と2人で訪れて以来、約15年ぶり2回目の登城です。
当時と比べて山頂付近がきれいに整備されており、見映えがかなり良好な印象を受けました。
記憶が曖昧ゆえ、登り切ってまず最初に「こんなに石垣残ってたっけ?」と感じてしまいました。

井戸跡を通過して少し歩いたところで視線を上にやると、一気に石垣が見えてきます。
ここら辺りで、石垣マニアの血が騒ぎ始めます。
場内に残る石垣は、積石に加工を施さない野面積で築造技術としては最古のものであり、その未熟さがうかがえます。
当日は天気もすこぶる良く、絶景でした。

登城路は全部で3つあるらしいのですが、2つ確認済です。
山登りに慣れていない方、初登城の方は初級コースをおすすめします。
初級コースは和田小学校の裏手にあり、校内を通る必要があります。
そのため、登城前後に学校に一報を入れてくださいとのことです(休日・祝日はこの限りでない)。
もうひとつが上級コースです。
実は2回目の登城前日に挑戦したのですが、4分の3まで登ったところで断念しました。
道なき道を只管に進まないといけないので、特に帰路は戻れるか不安になりますし、往復で4kmほどあるそうです。

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todo94

クリークの城① (2024/07/13 訪問)

蒲池城から柳川をスルーして赴いたのが塩塚城。佐賀平野の城で数多くみられるクリークが、筑後の地であるこの城の付近にも巡っていました。

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