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WEST

本證寺探訪 (2025/04/19 訪問)

本證寺を訪問しました。三河一向一揆で有名なお寺で、国の史跡にも指定されています。
駐車場は境内にあり、大門を通って入ります。訪問日は平日のためか自動車は少なめでした。
本堂にてお参りをしてから寺内にある経蔵、鐘楼、鼓楼、裏門を巡りました。鼓楼は太鼓にて時を知らせる機能の他に物見櫓の機能を有しているそうで、まさにお城にある櫓そのものですね。
その後、裏門から出て、北側の現存する土塁と堀を見学しました。近年史跡として整備を進めているため、一部の木が伐採されており、その姿が良く分かりました。
最後に境内を出て、外堀の一部である場所まで足を運びました。
見どころ満載ですので徳川家康関連の史跡巡りにお勧めですよ。

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WEST

桜井城探訪 (2025/04/19 訪問)

安城市にある桜井城を訪問しました。この城は桜井松平家の居城となります。現在は城山公園として整備されており、公園入口に駐車場(3台程度駐車可)があります。
城内を散策してみましたが、城址碑のある土塁のようなところが遺構となるのでしょうか。
また、隣接して桜井松平家歴代の墓所があります。

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しんちゃん

可能性の獣 (2025/03/10 訪問)

今日は休日ですが「城攻め」はお休みです。珍しいですよね・・でもたまには休まないと倒れます。2024年にいっぱい未投稿の城を残しているのですが、ついつい最近訪問した城を投稿してしまいます。なんというか、申し訳ないとしか言えない。順番に投稿して行けばいいんだけど、テンションがあがらないんですよ。
百名城・高岡城の投稿です。個人的には地味な百名城だと思います。近年発掘調査などで株価馬鹿上がりの小牧山城のほうが百名城に相応しいのではないかと内心思っていたりします。そう思いながらも、高岡城に来るのは楽しみだったりする。以前にも来たけど久々に来ると、以前無かった感動を味わえるかもと、ちょっぴり期待。
入り口付近に大きな案内板があるのですが
「富山県内唯一の日本100名城」「城の魅力は天守だけじゃない!」「城郭考古学者も絶賛!」正規の案内板なのに、なんか痛い見出しがズラリ・・。ゴメン、俺が悪かった。高岡城はまさしく百名城に相応しい城です。県内唯一って微妙に不満そうな・・しょうがないじゃん、富山城あんななんだし(これもゴメン)。
車を小竹藪の駐車場に留め、小竹藪から朝陽橋を経て本丸へ。この本丸の堀は幅が広くて、なかなか壮観。本丸は広大な面積があり、広場と射水神社が隣接しています。本丸北側には天守跡と前田利長公の銅像が有ります。実に特徴的な兜ですが、真横から見ると少し変、一番良い角度が斜め前から見上げる感じで・・正面から見ると、そこには「可能性の獣」が!! それでも、それでも・・とつぶやきながら二の丸方面へ向かいます。写真を見ると、なんだかんだで楽しんでいたみたいです。

ん・・? 通った・・どうせなら「ひじかた」を通るようにして欲しいな。

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しんちゃん

富山城 (2025/03/10 訪問)

今週は城攻めはお休みの予定です。ニッポン城めぐりを始めてから、ひっきりなしに飛び回っていたので、たまには休まないとね。
タイヤも夏物に変更して、家の駐車場も直さないと・・。
富山城の写真がまだ残っていました。けっこう飽きっぽい性格で、凝るときには、けっこう凝るんだけど途中で飽きてくると放り出してしまうケースが多いです。典型的なO型なんだけど、プラモと城めぐりだけはダラダラと継続してますね。最近パソコンの調子が良くないので、一度掲載してから、内容を追加させていただきたいと思います。けっこう頻繁に落ちるんですよ(この数分後にネットの回線が切れる)。そろそろ次のやつを用意しないといけないな。
富山城はかつては三方に二重の水堀を配し、10万石の平城としては規模の大きい城であったようです。神通川が天然の堀として北と西を守り、東はいたち川、南は四ッ谷川が外郭を守っていました。城址公園は史実と異なる形で整備が行われ、縄張も一部変更がされ、かつては土塁で有った個所も石垣で復元されているようです。城好きとしては、かつての姿に近い富山城を楽しみたいという気持ちがありますが、これが現代の富山城だと受け入れるしかないですね。人は城に天守を求めるようで、模擬であれ天守があると人が寄ってきますね。なんだかんだいって、人はみなお城好きということでしょうか?

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赤い城

正法寺城 愛媛県四国中央市 (2025/04/20 訪問)

城びと未登録の山城です。
松尾城から国道を少し南下、林道への登り口にスペースがあるのでここに車を置きます。
この日4城目だったので体力も消耗、無理なら引き返そう、と心に決めて登りました。

少し登った時点で「無理かも」と思いつつなんとか足を進めていきます。
かなりの急勾配ですが林道が付いているのでなんとか登っていけました。
30分くらいでようやく案内板を発見🤩
ここから入ります。
すぐに堀切、さらに先にも深めの堀切があり、この堀切は竪堀となり登城路に向けて落ちています。

ここから堀切を直登し四郭へ、土塁が付いています。
4郭と3郭の間にも郭を隔てる堀切があり、端に土橋がかかります。
広い3郭には井戸もあったようです。
2郭は一段高く、その先が主郭です。
その背後は急な崖で守られていました。

脚力は限界を迎えていましたが登って良かった、と。
達成感に浸りながら下山。
先ほどの長い竪堀を降ります。
下部には畝状竪堀も施されていました。
未登録ですが見応え充分、機会があれば行って欲しい城でした。

【見どころ】
 ・堀切から落ちる長い竪堀と付属する畝状竪堀
 ・3郭と4郭の間の堀切と土橋

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Tokyobay

日本橋の表記ミステリーに感動 (2025/04/19 訪問)

日本全国の橋は、日本橋(橋の起点)方面が漢字表記、日本橋逆方面がひらがな表記となっている(とタモリかキンシオが言っていたような記憶がある)。じゃあ、日本橋はどうなっているのかと言うと、両サイドが漢字ひらがな両面表記という起点ならではの唯一の扱いになっていることに感動する。
ちなみに、「日本橋」の字を書いたのは徳川慶喜でかなり達筆。東京五輪の突貫工事で「日本橋には空がない」と批判されるが、2040年には地下化で空が誕生するようで、まだまだ変貌する江戸城下町を見届けたいと思った次第。

※ 日本橋は錦絵に多く描かれているので関心あれば国会図書館サイトで
 https://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/nihonbashi/

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小城小次郎

案内板が吉川愛に溢れている (2022/06/05 訪問)

駐車スペースも確保され楽々登城かと思いきや時期を間違えると草ぼうぼうの憂き目に遭う。鳥取で散った吉川経家を送り出した城だからか案内板からして吉川愛に溢れている。

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キンヤ

幻の帰雲城、遺跡登録された帰雲川原城 (2025/04/20 訪問)

寛正年間(1460〜1466年)に内ヶ嶋為氏が築城し、この地域を支配した内ヶ嶋氏の居城です。
内ヶ嶋氏領内の白川郷の周囲に6ヶ所の金山があり、4代氏理の時、天正13年(1585年) 7月に羽柴秀吉の命で金森長近による飛騨攻めで敗北しましたが、金を蓄えていたため秀吉は内ヶ嶋氏を許し領地の経営を認めたともされます。
その後、天正13年(1585年)11月29日に天正大地震が起き、帰雲山が崩壊し帰雲城とその城下集落が埋没し、内ヶ嶋氏は滅亡したと伝わります。
埋没前の帰雲城の位置は不明で幻の城と言われ、地震で城の崩壊と共に蓄えていた金も地中に埋まったとされる埋蔵金伝説があります。

地元で推測した場所に帰雲城趾の石碑、観音像などが建てられ、帰雲山が望め生々しい崩落した山肌が見え、歴史ロマンを感じます。

消えた戦国の城として帰雲城が、テレビ愛知で2019年、2021年、2022年の3回に渡り放送され、帰雲城の館があったと考えられる場所を3回発掘調査し、木片・馬の骨・金属片が発見されました。
石碑がある所から南南西側600m程離れた所に発掘調査された場所があり、立ち入りできませんが、そばの道から見ることができます。

その発掘調査場から北側へ400m程離れた所にある高台は、帰雲城の館とセットの山城とされ、見張りをする櫓があったと想定されてます。
番組の中で千田教授・中井教授が城跡と認めた山城として紹介され、2021年に「帰雲川原城跡」として遺跡登録されました。
東側に櫓台とされる高台があり、その西側に2条の堀切があり、1条目の堀切から北側に竪堀が続いてます。
この日、内ヶ嶋氏の本城である帰雲城以外で3ヶ所の支城と1ヶ所の砦を巡り、堀切はV字の薬研掘や深い空堀でしたが、ここは浅く幅がある堀切で少し違和感がありました。
街道を抑える高台の立地で見張り用の砦と思われ、最近登録された城跡を確認でき良かったです。

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しんちゃん

闘鶏神社 熊野水軍 (2025/03/30 訪問)

闘鶏神社は通称「権現さん」と呼ばれ、祭神には熊野三山の神も勧請されており、三山の代わりに詣でる別宮的な存在でもあります。境内には21代・熊野別当である湛増と武蔵坊弁慶の像があります。
湛増は18代別当・湛快の次子とされ、妻の母に当たる「たつたはらの女房」は源為義の娘とされています。伝承では、あの武蔵坊弁慶の父親ともされています。境内の石碑によると、一ノ谷の合戦が過ぎたころから熊野水軍の頭である湛増に対する引き合いが源平双方から強まり、義経の命を受けた弁慶の説得も有り、湛増は白い鶏七羽と赤い鶏七羽を戦わせ神意を確認します。
源氏に味方する決意を固めた湛増は総勢二千余人、二百余の舟に乗って壇ノ浦に出陣、源氏の勝利に大きく貢献したとのことです。
ちなみに赤白どちらの鶏が勝ったかですが、白は源氏のイメージカラーなので、ご想像の通りではないでしょうか。
境内には紀州徳川家に仕えた安藤直次公(藤巌公)を祭った藤巌神社と、弁慶社があります。また、西に少し行った先の扇ヶ浜の緑地には熊野水軍出陣の地碑があります。伝承が本当なら弁慶はMVP確定ですね。

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朝田 辰兵衛

夕食後の散歩で…🐾 (2025/04/19 訪問)

夕食後の散歩レベル。特別に緊張感もなく散策できると思います。細長い土塁上に参道が築かれています。

4/26~29の間,遠征に行ってきます。書き込みはお休みします。

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しんちゃん

小松原館 和歌山県御坊市湯川町 (2025/03/30 訪問)

小松原館は戦国時代、日高平野一帯を支配した国人領主・湯河氏の居館です。居城は亀山山頂に築かれた亀山城ですが、「山高くして寒気強ければ」との理由で、平時は麓の居館に住んでいたようです。戦国時代とはいえ、戦の無いときはやはり山上は不便ということでしょうか。湯川神社の境内が館跡で、堀の一部が残っています。
戦国時代と関係はありませんが、紀勢本線の北側に少し行った道の脇に、藤原不比等の養女となり42代文武天皇の后になった宮子姫(かみなが姫)の像があります。

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しんちゃん

新田館 国指定史跡新田荘遺跡 (2025/02/02 訪問)

案内板によると鎌倉時代の世良田は新田荘の経済的、文化的中心地であり新田宗家の館がこの総持寺の境内に築かれていたようです。往時は現在の数倍にあたる面積を有し、南と北に東西に走る濠の痕跡を有し、昭和の初期までは土塁の残存を見ることが出来たそうです。
元弘3年(1333)鎌倉幕府執権・北条高時が世良田の地に莫大な軍資金を課してきた際に、無法な譴責を加えたとして新田義貞は使者の一人を世良田の里に梟首しました。この時、義貞が発した「わが館の辺を、雑人の馬蹄にかけさせることこそ無念なれ」の言葉の内の「わが館」が、この新田館とされています。それだけで首切っちゃうんですかね・・物騒だな。

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飛騨市

4/26(土)~ 山城パネル展示開催!(道の駅アルプ飛騨古川内)

令和6年2月に国史跡に指定された姉小路氏城跡に関連し、飛騨古川の戦国武将と山城を紹介する展示パネルを、道の駅アルプ飛騨古川の情報コーナーに設置しました。

新たに金森氏の増島城や城下町の成り立ちを解説するパネルも加わり、飛騨の歴史をより深く知ることができます。
また、城郭イラストレーター・香川元太郎氏が描いたイラストや、遺作となった未完成のラフスケッチも展示しています。(ラフスケッチの展示は令和8年3月までです)

ぜひお立ち寄りいただき、戦国時代の飛騨に思いをはせてみてください!

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トク

【春の長崎天草を巡る⑦】有明フェリーと島原鉄道 (2025/03/30 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、ここから後半戦です。1日だけ所要で福岡へ戻り、ついでに福岡城さくらまつりを見学してきました。そして島原城を目指し、島原半島へ渡る旅からまた始めます。よろしくお願いします。

鹿児島本線で博多から長洲へ行き、長洲港から多比良港(たいら)行きの有明フェリーで有明海を横断して島原半島へ渡りました(写真①②)。デッキに出るとカモメの大群が近づいてきたので(写真③)、「♬かもめの水兵さん~♪」などとのんきに歌っていると、こんな至近距離まで近づいて来て、横目で私をじっと見ています(写真④)。隣にいた小さい子が、かっぱえびせんをポイと投げると、見事にナイスキャッチ!(なるほど~🤔)。

多比良港で下船し徒歩5分の所にある多比良駅から島原鉄道に乗りました。「駅」でなく「驛」の文字で、何かちょっとレトロな雰囲気です(写真⑤⑥)。 でもあれ? 切符の自販機がない? 窓口があったので窓口で切符を買うと何とビックリ! これまたレトロな切符を渡されました(写真⑦)。厚紙にハサミを入れるタイプです。50年以上も前のまだ切符の自販機というものが無い、あの国鉄と呼ばれた時代に見たような切符です。まるで昭和へタイムスリップしたような感覚になる驛でした。ちなみにワンマンで運賃箱もあるので、切符を買わなくても現金で乗れます(笑)。

ずいぶん古い明治大正時代の話ですが、この島原鉄道は明治の新橋-横浜間を走った日本最初の蒸気機関車が払い下げられたのを島鉄の創始者が買い取り、ここには邪馬台国があったと勝手に信じ込み、地元の人からは馬鹿にされながらも、蒸気機関車と雲仙と邪馬台国を島原へ呼ぶための観光の目玉にしようと、諫早から苦労して線路を敷き走らせたのが始まりだそうで、「幻の邪馬台国」という映画(竹中直人・吉永小百合さん主演)で、その様子が描かれていました。

島原駅で降り、次は徒歩10分の所にある(6城目)島原城に向かいます。
 

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シェル

③龍泰禅寺・与賀城跡編 ~佐賀城の御殿の一部を改築!?~ (2025/02/27 訪問)

 本丸等を見学し終え、佐賀城外郭の県庁側・西堀を渡った北西側を散策。ここは個人的に佐賀の穴場スポットだと思います。
 住宅地の入り組んだ道を進むと、龍泰禅寺があります。龍泰禅寺は、龍造寺隆信によって創建され、龍造寺氏、その末裔の村田氏の菩提寺です。元々は九州北部の伝統的勢力の少弐氏の居城の与賀城があった場所のようですが、残念ながら遺構は見つけられませんでした。
 歴史的にも凄いお寺ですが、龍泰禅寺の最大の見どころは、オリジナルの佐賀城本丸御殿の玄関を改築した本堂です。
 佐賀市のHPなどで確認したところ、本堂の入母屋造の大屋根と庫裏は明治に解体した佐賀城大書院の部材で作られているとのことです。
 実際に見学してみると本堂の大屋根は入母屋造りで、復元された本丸御殿玄関と確かに似ているように感じます。また本堂左手には、御殿の部材と考えられる華頭窓もあります。御殿のそばの塀の華頭窓のものでしょうか?
 部分的ではありますが、移築されたオリジナルの御殿と復元された御殿の二つを楽しめるお城なんて、全国的にかなり貴重だと思います。佐賀すごいです!!
 続きまして、龍泰禅寺から北上し、與賀神社へ。
与賀城の鬼門の位置にあり、少弐氏が鬼門の鎮守とした神社です。楼門は室町時代に少弐氏が建立したと伝えられており、佐賀県に残る最古の建築物だそうです。与賀エリアの歴史遺産の凄さに脱帽しました。
 佐賀城・そして与賀エリアを大満足したあとは、佐賀駅近くのドライブイン鳥(佐賀のご当地店)という鶏肉の焼肉屋さんで夕食をいただきました!!
 佐賀は佐賀牛のイメージが強いですが、鶏肉も有名みたいです。一番定食と蜂蜜黒酢カルピスを注文。特製のニンニク胡椒というたれが鶏肉と絶妙にマッチしていて最高でした!!
蜂蜜黒酢カルピスは、意外な組み合わせでしたが、酸味と甘さのバランスが良くて、とてもおいしかったです。
 ぜひ佐賀に行った際に寄ってみてください。

佐賀城の投稿、長々と失礼いたしました。
最後に龍泰禅寺の佐賀城の移築御殿で参考にした佐賀市のHPなどのURLです。ご参考になさってください。
 佐賀市ホームページ 平安山 龍泰禅寺 
https://www.city.saga.lg.jp/main/4768.html(2025年4月24日閲覧)
 佐賀市歴史探訪4 龍泰寺の建築部材
https://www.city.saga.lg.jp/site_files/file/usefiles/downloads/s26052_20101216041619.pdf(2025年4月24日閲覧)

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シェル

②本丸編 ~ひな祭りを堪能~ (2025/02/27 訪問)

 外郭を見学し、いよいよ佐賀城の本丸へ。
本丸の入口には、天守台、鯱の門と鍋島直正の銅像が立っています。また鯱の門前には、佐賀県を舞台にしたアニメ『ゾンビランドサガ』のコラボマンホールが設置されています。現存の鯱の門には、鏡柱に佐賀の乱の際の弾痕が残っていました。鯱の門をくぐり、本丸御殿へ。
 幕末期の本丸御殿が復元されていて、本丸御殿前には、野外に幕末のアームストロング砲や鉄製24ポンドカノン砲も展示されていました。
 本丸御殿の玄関を入り、左手の受付で100名城スタンプを押印。御城印も同じ受付で販売していたので、購入しました。本丸御殿では、幕末の佐賀藩を中心とした展示が行われています。訪問時は、トクさんがご紹介されていた江藤新平の特別展が開催されていました。また展示ブースでは、佐賀城本丸の模型や江戸時代の本丸御殿の礎石を見学できるブースもありました。
 外御書院は、佐賀城本丸ひなまつりの会場となっていて、家臣ではなく佐賀市内の小学生が作ったお雛様の作品が勢ぞろいしていて壮観でした。
 本丸に再移築された御座間の内部は、オリジナルの部材ということもあり、他の建物と様相が異なっています。鍋島直正さんとのフォトスポットもありました。
 龍泰禅寺・与賀城跡編へつづく…

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シェル

①外郭編 ~広大な水堀がお出まし~ (2025/02/27 訪問)

見どころが多すぎたので、三回に分けて投稿いたします。長文ですが、お付き合いいただきますと幸いです。
肥前鹿島から佐賀行のバスで移動し、約1時間。佐賀城の最寄りの県警本部前のバス停で下車し、散策開始。
バス停からまず外郭を散策。
外郭や本丸など周辺を含めて、見学には2時間ほどかかりました。

① 北御門跡
県警前・県庁前のバス停から水堀を渡りすぐ。佐賀城内に出入りする4つの門のうち、大手門にあたる門の跡です。藩主が参勤交代する際は、この門を利用していたようです。石碑と説明板が設置されていました。

② 北堀石垣護岸
北御門跡から佐賀県庁沿いに東に進み、本丸通りを渡った堀端にモニュメントと説明板があります。堀端の護岸整備のために築かれた石垣のようです。天然記念物の大楠の移植の際に復元が行われたようです。北堀に架かる くすの栄橋 の歩道上から布積みの石垣を見学できます。

③ 南堀・西の丸隅櫓跡
北堀から本丸通り一気に南下し、本丸跡に行くのを一旦抑えて、南堀側へ移動。南堀も堀幅の広さに圧倒されます。南堀を渡り切り、右手に堀端を進むと、歩道沿いに南堀の南岸の石垣が一部移築されています。
 移築された石垣そばには、歩行者用の橋があり、堀の対岸のシャボン玉公園へ渡ることができます。シャボン玉公園は、佐賀城の西の丸跡にあたり、公園内のテニスコートそばに西の丸隅櫓跡が説明板あります。西の丸隅櫓は、三層四階で、佐賀城の天守に次ぐ高層建築物だったようです。佐賀の乱で焼失してしまったのが悔やまれます。

④ 南西隅櫓台
本丸の南西側隅の櫓台跡。本丸側からも見学可能ですが、道路側からの方が、見やすいと思います。こちらの石垣を少し珍しい亀甲積みで積まれています。

⑤ 東堀・裏御門跡
東堀は、一度埋め立てられましたが、近年になって復元されたようです。
本丸側の裏御門跡はL字状の道になっていて、当時の雰囲気が残っています。また船着場跡も復元されています。
本丸編につづく…

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todo94

日帰りに予定変更の三河攻城⑩ (2025/04/12 訪問)

三河吉田城からの転戦です。住宅地の中の城ですが、豊橋競輪の潤沢な駐車場があるので駐車場所には困りません。大口公園として整備されている部分は市民の憩いの場の公園然としていますが、城の遺構とみられる部分も結構残っていました。この日の攻城はこれをもって終了。豊川インターから、往路は夜間通行止だった東海環状道を経由して、帰着いたしました。

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赤い城

真鍋氏の居城 (2025/04/20 訪問)

この日3本目の山城です。
国道319号線、松山道高架のところに案内板があります。
駐車スペースもあったのでここから登りました。
少し登って折り返し、分岐を左に登ったら登城口です。

登城路は整備されていて歩きやすいです。
途中、案内板も設置され迷うこともありません。
20分くらいで城域に、段になった曲輪に出ます。
石垣もありますが主郭の水波神社を祀った時のものかもしれません。

神社裏手に土塁が残り、その先の尾根には2条の堀切がありますが登山道整備のため埋められていました。
そこから落ちる竪堀は残っています。

真鍋氏の居城ですが、ここも秀吉の四国攻めで小早川隆景の攻撃により落城しました。

【見どころ】
 ・主郭から続く段曲輪
 ・神社背後の土塁と堀切

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シャンシャン

国指定史跡の山城跡 (2025/04/22 訪問)

東広島市にある国指定史跡の山城跡。
曲輪や堀切がよく残っており、一部石垣も確認できる。登山路も複数あり、けっこう大掛かりな山城。
同じ鏡山内にある鏡谷神社もこじんまりしてるけど、拝殿までの石段や山の中の静けさも相まっていい雰囲気を醸し出してる。

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