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イオ

存続期間8年 (2024/02/18 訪問)

幕末期に大和新庄藩主の永井直壮が陣屋を櫛羅に移して築いた陣屋で、廃藩置県により建物は取壊され、現在では移築された建物がわずかに遺るのみです。

陣屋跡は私有地のため立入不可で、南側の陣屋跡に続く(と思われる)道の門も北側の道路沿いの門も、それぞれ閉ざされていました。石碑や説明板も見当たらないので、先達方の投稿にある城下の民家に移築された南門と、九品寺の移築御殿玄関をチェックしてヨシ!とします。…で、この後、山麓線を南下して佐味城に挑戦しました(あ さんも登城されたとのこと、面白い城ですよね)。
 

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー75城目 (2024/03/10 訪問)

1月の白石城以来、2024年3個目の続100名城スタンプです。豊臣秀次居館跡の石垣を十分に堪能してから村雲御所へと向かいました。岐阜城ですらロープウェーを使わない私ですので、当然ここも徒歩での攻城です。本丸の石垣や瑞龍寺には雪が残っていました。雛人形の展示もしっかりと拝見させていただきました。出丸を含めて一通り郭をめぐった後、北ノ庄城へと向かいました。

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ぎりょう

復元模型に在りし日を偲ぶ (2024/04/21 訪問)

恒例となった仲間との旅行で新潟県長岡方面を訪れました。今回も私自身の関心は戊辰戦争と「おくのほそ道」関連の史跡探訪です。
河井継之助に関して長岡市と小千谷市、「おくのほそ道」北陸路は出雲崎町を訪れました。
毎回行く先々の城館訪問も楽しみのひとつなのですが、徳川譜代牧野家の居城は現在JR長岡駅となり跡形もありません。ただ、「長岡藩主 牧野家資料館」に、広大な平城の模型と「御三階」と呼ばれ天守閣に相当した櫓の復元模型がある事を知り、一度見てみたいと思っていました。長岡市の悠久山公園には天守閣風の歴史資料館が建っています。私は長いことその姿が、かつて実在した長岡城三階櫓を模したものと勘違いしていました。「御三階」の模型は藩主家に伝えられた図面と江戸時代の姿を回顧した風景画を参考に復元されたということです。城の正面を向く西側最上層に唐破風を設けた白亜の三階櫓は、まさに天守に値する姿であり、長岡城のシンボルだったものと感じました。

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しんしんちゃん

あのころ君は「箱入り姫さん」だった (2013/09/21 訪問)

先週土曜日に久しぶりに姫路城に行ってきたのですが、せっかくなので最初に訪問した時の写真も掲載させていただきたいと思います。もう10年以上前の話ですが、この時は平成の大修理で大天守の解体工事をやっていました。人も今ほど多くなく、お菊井戸の周囲にも人はそれほどいませんでした。大天守は建屋の中に納まっていて通常の拝観料でエレベータで修理中の様子を見学することが出来ました。
しっかりしてらっしゃる‥。とはいえ、通常では見ることの出来ない大天守最上部をガラス越しとはいえ確認することができたのは貴重な経験でした。そういえば西の丸にあった、千姫がかるたやら貝殻合わせをしていた人形は無くなってしまったんでしょうか? ちょっと残念ではありますね。

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カズサン

現存木造独立式天守閣 (2024/04/19 訪問)

 今回桜の時期は過ぎましたが、20代初めの50数年前にJR周遊券を利用して北陸路の城廻をした思い入れのある丸岡城を久しぶりに訪ねました、プライベート、業務出張中立寄りで何回となく訪ねた城郭です。

 駐車場は本丸東下の二の丸跡辺りの丸岡城駐車場を利用。

 今回は1泊2日、0泊を北陸道南条ASで仮眠車中泊してフルに2日間を使用の北陸路未踏の城、既踏の城17城廻りでメインは加賀切山城探訪、合わせて登城の計画を企画しました。

 丸岡城の登城は朝の7時過ぎ、開場前(入場券無し)に本丸、天守閣廻り、新しく出来ていたお天守前公園も眺めて、戦前は国宝であった丸岡城の国宝霞ヶ城碑と丸岡藩誕生400年の登りも拝見、三の丸跡碑も確認して、以前あった丸岡城庭園は?確認するが再整備で丸岡観光情報センターとして新築工事中で今年2月末完成が資材人員難で今年の7月にずれ込むようです、新しい丸岡城の情報発信が楽しみです。
 
 歴史民俗資料館が開いていましたの入館をお願いしたのですが丸岡城入場券と合わさってるので券が無いと入れないとの事、断って丸岡城模型と年表の撮影とパンフレットは頂きました、お手数おかけしましたがありがとうございました。
 北東のふれあい広場は一面芝生で気持ちい、また北東面より本丸の石垣、天守閣を望めてこれまた素晴らしいビュースポット、その近くには日本一短い手紙で有名な「日本一短い手紙館」が城郭風の作りで趣有り、門は庄屋門を移築した薬医門が構えています。
 駐車場前の一筆啓上茶屋には「丸岡城天守を国宝に!」大立て看板がります、頑張れ丸岡城!

 桜は終わりましたが、藤の花、八重桜、ツツジが咲き城跡に華を添えていました、美しい、8時半前の1時間超っと散策させて頂きました。

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しんしんちゃん

大久保陣屋・坂崎陣屋 愛知県幸田町字御屋敷 (2024/04/23 訪問)

現在は八百富神社になっている場所には江戸時代、大久保彦左衛門家の陣屋が有りました。彦左衛門こと大久保忠教は「三河物語」を執筆したことでも有名で、大久保忠世の弟でもあります。功績が多大な割には三河国額田における石高は千石で、後に加増を受けても二千石でありました。大久保本家は江戸時代に冷遇され改易になっており、忠教もそのことに不満を持っていたらしく、死の間際に五千石の加増を打診されても断ったとのことです。
陣屋跡には八百富神社が建ち、陣屋時代の石垣が残っています。東側には土塁のような盛土もありました。境内には平岩親吉の平岩家の家名の元となったという「平岩と射割石」の一部が残っています。

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天守無しがアツい

日本最大級の弥生遺跡 (2010/09/06 訪問)

私が吉野ヶ里遺跡を訪れたのは、2010年の秋でした。福岡空港からJRで隣の佐賀県へ 吉野ヶ里駅で下車し、そこから10分ほどの場所に遺跡はありました

中に入ると、そこは弥生時代にタイムスリップしたかのような場所でした…。竪穴住居(画像1枚目)に物見やぐら、高床倉庫がいくつも点在し、広い敷地でした(吉野ヶ里訪問の後に登呂遺跡を巡った私ですが、そこと同じくらいか、もう少し広いんじゃないかな…?)

建物内には出入り自由で、竪穴のみならず、倉庫や物見やぐらにも足を踏み入れました。やぐらの展望室(?)まで登り、そこから下を除くと、「結構遠くまで見渡せるな。当時の人はこうして外敵が侵入しないか監視していたのか…」と思えました

2枚目の画像は、やぐらからの光景。こうして見ると、曇り空が何か怖い雰囲気を漂わせているようにも思えます。そしてジオラマっぽくも見えませんか…?(もちろんそうじゃないけど)

3枚目の画像は遺跡内の歩道から撮影した光景ですが、これを見ると、当時の吉野ヶ里が柵に囲まれている様子が伺えます。当時は基本、集落の周りを木製の柵で防御していたようです。

竪穴住居の他に、それより広くて大きめの住居も(私の記憶が確かならば)あり、その中にも入ってみました。そこはとても広かったです。「おそらく大家族がここに住んだのだろうな… 床は土だから裸足で歩くと汚れそうだし、当時はたき火しか暖房がないから、そこは不便そうだが、自分の家の部屋より広いことは間違いない…」と感想として思いました。

これまでに私はいくつか古代の遺跡を訪問しましたが、敷地が一番広いのは吉野ヶ里だと思います。逆にいえばその分、巡るのも時間を要するのですが、弥生気分を味わうにはいいと思います…。

自分なりにこの遺跡を見学したあと、レストランで食事を摂りました 古代米入りのランチです。そういう米を味わうのは初めてでしたが、味は美味しかったと思います ゆっくりと、現代に蘇った弥生のお米を噛みしめました…

ここでも私は(他の遺跡同様)当時の生活用具・人骨・武器。陶器などを見物し、そして竪穴に入りまくりました。竪穴は(時代によって多少造りに違いはあるそうですが)、基本どこも同じです。でも私は飽きることなく、こういう古代遺跡を訪れては毎回、そこに入ってそして、古代人の気分を味わうことにしているのでした…

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天守無しがアツい

城名は茅ヶ崎 けれど所在するのは横浜市 (2024/04/22 訪問)

(茅ヶ崎城の御城印に付いていた解説文)
横浜市都筑区にあった丘城。鶴見川の支流・早渕川を北に、南を正覚寺谷に囲まれた天然の要害になる。城は六つの郭と複数の平場からなり、東郭・中郭・西郭が東西に並んで城の中核を形成する。築城は室町時代後半と戦国時代前半の二期にわたり、戦国期以前の地域の様子を示す遺跡として興味深い。文献資料は正覚寺に天正十八年(一五九〇)の豊臣秀吉禁制が伝わる。近世になると多田山城主行綱の伝説が付随していく

センター南(横浜市営地下鉄ブルーライン)から徒歩10分ほどの場所に小高い丘の森があります🌳🌳 そこにあるのが茅ヶ崎城址。茅ヶ崎と言っても同じ神奈川県の茅ヶ崎市とは関係なく、横浜市都筑区の中にそういう地名があるのです。最初は夏至…6月下旬あたりに行こうと考えていたのですが(その頃が一番日没が遅くて他用のついでに見学しやすいから)、待ちきれなくなり4月下旬に1度目の散策

1枚目が城址入口にある案内板。城址の全体図がここに表示されてます。ここは大きく分けて…北郭・中郭・東郭・西郭の4つで構成。腹ペコで長時間の見学が厳しかったのと、「いっぺんに回るよりも後日分に分けて見学した方が面白いかもな…」と思えてきて、この日は北郭と中郭を見物することにしました🚶‍♂️

2枚目は中郭…土塁や曲輪に関する解説文が立ってました。土塁らしきものが現存しており、敵が攻めてきた際にここから弓矢を放ったりして応戦…実際に戦闘で使われたかまでは分かりませんが、防御機能の1つとして設けられたのは確かでしょう…

現在は隅にベンチがあるだけのだだっ広い芝生の生えた広場…雨が降り終えてからそれほど経過してなかったので、郭内を歩いていたら履き物に草や泥が付着してしまい、後で拭き取るのが面倒でした👟

3枚目の左が茅ヶ崎城の御城印。販売場所は横浜市歴史博物館。(他の横浜市内における城跡のと一緒に)まとめ買いしたものの1つ

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sorato

深大寺城虎口 (2023/04/10 訪問)

春の虎口です

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刑部

侵入禁止 (2024/04/15 訪問)

残念ながら侵入禁止の為中には入れませんでした。
入り口付近での撮影だけでしたがかなり遺構が見られたようです非常に残念です!

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駿府城

発掘調査現場来場者100万人目前!

駿府城跡天守台発掘調査現場の累計来場者数が、現在98万人を突破しました。
 
駿府城跡天守台発掘調査現場および「発掘情報館きゃっしる」は、平成28年8月に開館し、今年で8年目を迎えます。市内の方はもちろん、静岡県外や海外からたくさんの方にご来場いただいています。
駿府城跡天守台発掘調査現場は、駿府城や天守台を身近に感じていただけるよう、発掘調査現場を公開「見える化」しています。
見学ゾーンでは天守台を間近に見学できるほか、併設する「発掘情報館きゃっしる」では、調査の最新情報や出土品を展示しています。
 
記念すべき100万人目はあなたかもしれません!

ぜひ発掘調査現場に足を運んで、歴史観光をしてみてはいかがでしょうか?
発掘調査現場は、年中無休(年末年始を除く)で見学できます。ぜひ静岡にお越しの際は、駿府城跡天守台発掘調査現場にお越しください。

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方形の縄張りが美しい (2023/04/20 訪問)

石碑がある西側中央から、周囲を一周してみました。城びと先人のレポート通り、堀は草むら状態で、深さや規模が分かりにくいです。西側は、堀を挟んで城外と同じ高さです。北と東は高低差あり。南は西に向けて坂。幅60mほど、奥行き35mほどの長方形の敷地(南東に欠け)が素敵です。
イオさんが、書かれてますが、Googleマップの航空写真を見ると、出丸や北東の鬼門対策の角取り(?)もわかりやすいです。

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カズサン

桜・若葉の大草山絶景の頃再訪 (2024/04/08 訪問)

 堀江城の対岸にある大草山が桜と萌黄のグラデーションに覆われて絶景の中、先の3月23日歴史講座「堀江のまちを知る」見学会の日は雨でしたので晴れの日(実際は曇り日でしたが)に再訪しました。
 
 駐車場は前回と同じ「舘山寺公共駐車場」を利用(無料)して北側へパルパルロープウェイ乗り場方向へ、舘山寺線が通ってる大堀切を西へ舘山寺バス停が有り、堀江城の解説板が有る、以前は堀江城の入江だった所に小舟に乗った観光ホテルの大看板が有るが奇しくも入江だった証なのか?入江は埋め立てられているが舘山寺バス停から西の浜名湖の砂州陸地の間には若干の低さがあり、入江の痕跡では、以前は陣屋跡の標柱が在ったが現在は無い、陣屋跡の立つ観光ホテル堀江の庄の前を通り入江の運河跡である水路脇を通って内浦に出る、その間堀江城の南側、西側を眺めるが桜は満開、御陣山も良く観える。
 
 内浦に出て運河跡の水路の出口を確認、望遠で撮影、北側から堀江城御陣山を確認、ホテル九重が撤去されて景観の見通しは素晴らしい、堀江城の本丸には観覧車が廻っている、北から東側に廻り、堀江城の本曲輪、二の曲輪の稜線がよく分かる、現実には観覧車はじめパルパルの遊具施設に覆われている、桜は満開でした。
 北側からは内浦越しに大草山が良く観えます、当日は曇り日でしたが桜、山桜が点在し、若葉の芽吹きが進んでおり緑のグラデーションの中に桜が浮いている様が絶景、一時の安らぎを感じます。

 ホテル九重の在った頃、玄関受付奥のウエルカムエリアでは大ガラス窓いっぱいに大草山が写り四季折々の絶景を眺めたもです。
 

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刑部

枝垂れ桜 (2024/04/15 訪問)

一本の素晴らしい名前のついた枝垂れ桜が見事でした!

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しんしんちゃん

考察・関ヶ原 大谷吉継陣の背後の城山。 (2024/04/14 訪問)

大谷吉継の陣の続きです。大谷吉継陣の北側には道の途中に少し広い扁平地が存在します。一見して郭にしか見えませんが、昭和の杉の植林のために扁平した可能線が有ります。実際に杉らしき木がたくさんありますが、かつて存在した郭を利用している可能性もあります。
こういった場所が南宮山にもあって正直、史跡の中にあるので紛らわしいのですが、郭の可能性を考慮しておきたいと思います。
さらに北上して行くと堀切が続いています。少なくとも4か所は存在しており、斜面の東側に大軍を駐留しているので、手薄になる西側に竪堀を集中しているのは理にかなっています。このさらに北にある扁平地(郭)に西軍の中心を担う人物がいたものと推測します。

私は関ヶ原周辺は鎌倉幕府が元軍の襲来に備えて整備をしていたと想定しており、この山中の城山(仮)や南宮山、松尾山(出城を含む)はその一環だったと考えています。石田三成はこの付近で生まれ育ち、また要衝の佐和山に城を構えていたことから、そのことは周知していたものと考えます。明軍が襲来し京を占拠した際には関ヶ原に敵をおびき寄せてから山中の城山(仮)と南宮山の兵で退路を遮断し敵を関ヶ原に封じ込めてから、完全に殲滅するつもりであったと想定します(現状での考察)。

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todo94

近江の城めぐり⑪ (2024/03/09 訪問)

近江の城めぐり2日目です。ホテルの朝食をいただき、栗東で給油してから向かいました。近江八幡は夜間に雪が降ったようで登城路にもうっすらと雪が積もっていました。とある煩悩の登城目録さんのような荒業は、藪が濡れそぼっている状況ではあきらめざるを得ません。それでも堀切を越えて主郭にはたどり着けたのではないかと思います。来た道を引き返しましたが急坂で足を滑らせしりもちをついてしまいました。

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chiroru

期待を裏切らない城跡です (2024/04/19 訪問)

登城の仕方や見学ポイントをこのサイトで参考にさせてもらいました。

山城の郷駐車場より中腹までは「天空バス」で、そこから城入口までは徒歩10分弱ほどで到着。大手口に入れた時は嬉しさのあまり
「わー」って声に出してしまいました。
ボランティアガイドさんの案内にて北千畳→三の丸→二の丸→本丸→天守台→平殿→南二の丸→南千畳としっかりと学習。

北千畳からは、出城の但馬観音寺城も見えます、それとこの城が落城し悲しむお姫様が逃げて行ったと伝えられている「金梨山(かなしやま)」の話を聞かせてもらいました。そのガイドさんは好奇心からお姫様が逃げたほこらをこの目で確かめるべく入山しついに見つけたと自信で撮影されたお写真をみせてもらえました。肉眼でもその岩のほこらを見ることができます。

三の丸、二の丸と歩くそばには武骨な石垣で歓迎されているかのように立派です。牛蒡積みもしっかりとみれました。

天守台からは立雲峡の方向を眺め、その周りには春には桜が咲き、手前には川が流れ、天然の庭としてお殿様が愛でたのだろうと納得の
構図に感激してました。

南二の丸、南千畳とこの城では開放的で広大な感じの曲輪でした。

天守がないので想像やまない世界観に浸れるのも魅力です。素晴らしい晴天と素敵なガイドさんに恵まれた登城でした。

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小城小次郎

シダがすごい (2023/11/03 訪問)

安宅本城を中心とする諸城からはちょっと離れているが「境目の城」としての役割が評価され(?)国史跡「安宅氏城館跡」に含まれている。畝状竪堀は季節を間違うとシダにびっしり覆われている(泣)。

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じゅんじん

辛垣山 (2024/02/17 訪問)

枡形山城経由でいきました。主郭部分は削り取られていますが雰囲気は伝わります。

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しんしんちゃん

関ヶ原古戦場 大谷吉継陣・大谷吉継墓 (2024/04/14 訪問)

関ヶ原古戦場の大谷吉継陣は若宮八幡社の北側の丘陵上に築かれていたとされており、その北側の丘陵上に藤堂家によって建立されたとされる大谷吉継の墓があります。その傍らには吉継を介錯した湯浅五助隆貞の墓もあり、新しい花が添えられています。
陣所の東の道路わきに藤川台の案内板があり、そこから大谷吉継の墓に行くことが出来ます。道中は広い平地が広がり、北側の一段下がった丘陵もかなりの広さがあり、大部隊を駐留することが可能だと感じました。
大谷吉継らの墓に参拝したあとは南の陣所には向かわず、北の尾根上を目指します。白峰氏の説に石田方の主力諸将の陣が山中の陣にあったと呉座氏の著書にもあるので確認をしたかったのです。山中とは「さんちゅう」ではなく「やまなか」村、もしくは山中という地名を指すようで尾根上に何らかの遺構が有るのではないかと考えました。

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