【白鹿城】
<駐車場他>白鹿谷登城口前<35.500426, 133.051724>に3台程度可能。
<交通手段>車
<見所>竪堀・堀切・曲輪
<感想>1泊2日尼子十旗攻城の旅2日目6城目。第一の城、白鹿城の築城年・築城主は定かではありませんが、戦国時代には尼子氏の家臣の松田氏が城主となっています。白鹿城の戦いでは城主の松田誠保は籠城しよく耐えてましたが、毛利軍は荒隈城の向城を築城、吉川元春が真山城を占拠して攻城し、1563年に落城し廃城となりました。
登城口が城跡の北西端部分にあたります。曲輪の切岸下の山道を回り込むように進むと右手に竪堀群が表れます。左手に入り込むと北西の曲輪群があります。竪堀群の奥が堀切になっており、南西方向に向かって右手に曲輪群、左手はすり鉢状の谷になっていて谷底は曲輪になっているようです。堀切の北側から切岸を登って、井戸跡のある曲輪、上段に月見御殿の曲輪、月見御殿の北側奥が本丸になっています。本丸から北東側にかけて小さな連郭が連なっており、東側にスロープの道が残っています。当時のものならば大手道かと思いました。月見御殿の南東側に一の床から三の床といわれる連郭が連なっており、特に一の床曲輪が広いので、ここが主郭、本丸跡は大手曲輪のように私は感じました。尼子十旗第一の堅城といわれるだけあって見応えある城跡でした。
<満足度>◆◆◆
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