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カズサン

高城川合戦で有名な高城 (2016/10/24 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会参加後九州城探訪、伊東氏と島津氏との攻防、島津氏と大友氏との攻防は特に有名で高城川合戦(耳川合戦)大友氏が大敗、島津氏と豊臣氏との攻防で島津氏は敗北するが高城は大友氏、豊臣氏には落城せず堅城を誇っていた。
 東に延びた舌状台地を活用したい城郭で東端の本丸までの尾根筋に1から5の空堀を設け麓までの竪堀に繋がってる現在は橋が架かり通路に成ってる、本丸には模擬天守風の展望台が有る
 駐車場は本丸下段に有り手短に探訪できる山城です。

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刑部

上杉謙信 奪回の城 (2020/01/16 訪問)

行く途中から関東管領 平井城の旗が沢山あり城址が直ぐわかりました。 駐車場・案内板が立ち並び地元で親切にアピールしてます。

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トーダイ

登城路は見つけ難いです (2020/01/18 訪問)

城巡りで訪れた町の大型書店で「郷土本コーナー」に行き、その土地でしか入手
出来ない城郭本、歴史本を探すのが楽しみです。

いつも高知市で行くのは、ひろめ市場に近い金高堂書店、郷土本コーナーに山積み
されていたのはハーベスト出版『土佐の山城』、構成は「名城を歩く」シリーズと
同じで山城50城+23城(約400ページ)、即購入しました。登城済みの方が
少ないので「魚と酒」が美味しい高知を訪ねる言い訳が見つかりました。

昨夜は「土佐の山城」で予習、さらに城郭放浪記からトラック(軌跡)データを
iPhone(地形アプリ)にダウンロード、四国霊場37番札所岩本寺駐車場を利用、
2ルートから迷ったが、三熊野神社東の窪川家老山内家の墓所脇から登城開始する。

数分で登城路が消滅したが、地形アプリのトラックを信じて進むと東屋に着く、
見上げるとピンクリボンがチラチラ見える、地形アプリを確認しながら直登開始、
約15分で尾根筋に辿り着く。

尾根筋は「ミニ八十八箇所巡り」の仏様に導かれて約10分で城跡に着きました。
「土佐の山城」からプリントした縄張図を手に約30分探索、曲輪・土塁・堀切・
虎口・石積跡など確認できましたが、登城者が少ないのか、遺構は良い状態です。

地形アプリを見ると、北西麓の登城口<33.209287, 133.138877>から直登無しに
(未確認ですが)上がれるようです。どちらにしても少しキツイです。

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勝野武士

いざ、信貴山へ!(short ver.) (2019/09/07 訪問)

『城びと』の皆様、お久しぶりですm(_ _)m
前回の投稿から、実に四ヶ月以上…もう忘れ去られているかもしれませんが、今年もどうぞ宜しくお願いしますm(__)m

さて、本年一発目の投稿は、昨年9月に登城した信貴山城です。
信貴山城といえば、『稀代の梟雄』松永弾正久秀の居城として、また壮絶な最期を遂げた事で有名ですね。

今回は初めての信貴山。
信貴山は元々聖徳太子が物部氏との戦(丁未の役)に臨み戦勝祈願をして以来、今日まで一千四百年以上人々の信仰を集め続ける朝護孫子寺の境内であります。
信貴山城を最初に築城した(古代山城の高安城を利用したとも?)のは南北朝時代、楠木正成といわれていますが真偽は不明。戦国時代に木沢長政が信貴山上に築城し、永禄二年(1559)に松永久秀が大改修しました。
信貴山頂(雄嶽)を本丸(三層の天守?)として、大和國を牽制するかのように山頂から尾根を中心に扇状に無数の郭群を展開し、雌嶽や朝護孫子寺も取り込んだ大城郭だったようです。
織田信長によって落城したのは天正五年(1577)。久秀による大改修から18年後の事でした。

先に書いておきますが…すみません、朝護孫子寺を隅々まで堪能し過ぎました(汗)。
山頂へ向かおうとしている時間はすでに午後3時を過ぎていましたので、急いで本堂近くの虚空蔵堂横からの石段から、山頂の空鉢護法堂を目指しました。

約700mの九十九折れの山道を登り詰め、山頂に近づくにつれて郭跡らしき平坦地が所々にあります。

途中、雌嶽方面に別れる山道がありますので、まずはそちらへ。結構すぐに雌嶽山頂に着きます。
山頂には小規模ながら細長く明瞭な郭跡を見ることができます。

そして山頂へ。空鉢護法堂の手前、一段下がったところに石碑と説明板が設置されています。
山頂の空鉢護法堂一帯が本丸、そして久秀が平蜘蛛の茶釜とともに自ら爆死したという三層の天守があったとされるところです。
境内地ですので往時の面影を探るのは少々難しいですが、空鉢護法堂が一段高いところに建っていますので、なんとなくイメージ出来る…かも。
山頂の見所はやはり、久秀もかつて天守から目にしたであろう絶景でしょう。山道を急ぎ目で登ってフラフラの身体には眼福であり、澄み渡るそよ風が心地良かったです。

信貴山城はほとんど石垣を使用しない『土の城』だったようで、面影を探るにはやはり郭跡を堪能しましょう。山頂から少し下ると夥しい郭群を見ることができます。
中腹には久秀の日常生活の場と推定されている『松永屋敷跡』があり、城内でも最大の敷地面積を誇るとか。
そんな城跡内一番のメインであろう『松永屋敷跡』に向かおうとしましたが、この時点で午後4時40分…いよいよ薄暗くなってきたわ帰りのバスの時間も迫ってきたわで、ここまできて無念ですが、泣く泣く断念しました…。
松永屋敷跡、いずれリベンジします…(;´д⊂)

以上、隅々まで見ることが出来ませんでしたが、実際に訪れてみると思ってた以上に大規模な山城でした。
是非とも朝護孫子寺とセットで、マイカーで行くのがベストですが、ケーブルカーやバスなどで行く場合は夕方で便が終わっちゃうので、出来るだけ朝早くから訪れたほうが吉です。

そうそう、空鉢護法堂横の管理棟には、なんと本物の白蛇様がいらっしゃいます。堂守のご夫婦に申し出れば、見せていただけるかもですよ。
ちなみに私は見せていただけましたが、丸まって眠っておられました(^_^;
もっとも今は冬眠中な為ダメだと思いますが、ご興味のある方は如何でしょうか(笑)?

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響ちゃん

曇り (2020/01/18 訪問)

富士山見えなかったぽい

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六神合体

ポツンといっけ・・・いかん。タイトルが被る・・ (2019/12/29 訪問)

2019年最後の攻城と言うことで。
蛭山としても有名な場所なのであえて12月の真冬にチャレンジしてきました。
五十波の登城口から上がりましたが、入口が坂でバイクで立ちゴケしました。
お気をつけください。
険しい道のりを40分ほどで頂上です。
かなり凄い石垣があるのですが・・・後世のものだそうです。
出丸っぽい遺構も合わせて赤松系築城の特徴が大きい城跡でしたね。
あと、綺麗な雲海が見れました。

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六神合体

広島! (2019/12/15 訪問)

広島城です。
バイクなら天守閣真下まで直行で行っていいと言う・・・すげえ城ですね。
いや、ほんと広い。
再建された二の丸も綺麗でした。

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六神合体

漢なら歩いてナンボ (2019/12/15 訪問)

言わずと知れた岩国城。
ロープウェイもあるのですが、漢なら歩いてナンボっしょ。
しっかしロープウェイに比べて物凄い遠回りでした。
大堀切や中世の面影もそこそこにやはり野面の石垣が見どころですねー。
天守閣内部は刀剣資料館と化していてその手の趣味の方はそそられるのでは無いでしょうか?
行き道を徒歩で、帰り道をロープウェイで・・・というギャグをやりたかったのですが、お金がもったいないので徒歩で帰りました。

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しろちゃん

海に突き出た岬の城 (2019/01/18 訪問)

日向の伊勢ケ浜の南の日向灘に突き出た岬で三方が海に囲まれた城が、日知屋城がある。

延岡の土持氏と宮崎の伊東氏が争奪戦が繰り広げられ、日向の門川城、塩見城の三城を日向三城とされ、伊東氏の都於郡城を拠点にして伊東氏四十八城の一つにもなっている。

海岸線は、岩場が荒々しく、絶壁となっています。
城内は、堀切や枡形がありました。
ただ城内の縄張りは、余り堅固さを感じませんでした。

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六神合体

こんなところに城が!? (2019/12/15 訪問)

岩国市に岩国城見に行くだけじゃつまらないと思い検索して見つけたのがこの高森城です。
岩国のほんと山の中のさらに山の中にある「こんなところに城跡!?」的な城です。
登城口の看板が倒れておりそのせいで1時間ほど彷徨いました。
登城口は落葉で滑るの何の・・・
本郭までは15分くらいで着きます。
小さいお城ですが、石積みや土塁がはっきりと分かりました。

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六神合体

隠れた名城です (2019/12/15 訪問)

早朝より攻城しました。
広島では大変珍しい福島正則が全面に出された城ですね。
一部後世のものにも見えますが、正に石の城です。
縄張りは中世っぽいのに総石垣というのが溜まりませんね。
大変いい城跡でした。

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国重

城域が広い城です (2020/01/18 訪問)

墓地横の駐車場から20分ほどで二の丸横に着きました。案内板があまりありませんから色々と歩き回りました。見晴らしは最高でした。

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いんげん丸虫

御所山城 神奈川県 (2020/01/12 訪問)

みところやま
有料道路 箱根ターンパイク(普通車730円)の脇にあります。入口からの約100mは笹薮が酷く、顔の位置に葉が繁ってるため腰を屈め笹薮の中を潜るように進みます。土質が非常に柔らかく遺構はどんどん変化してしまいそうです。実際、雨の通り道が遺構と区別出来なくなってます。なるべく初期に書かれた縄張り図を参考にしたほうが良いです。
秀吉、石垣山城に関係があるコンパクトな陣城です。

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スプラNNNN

豊川いなり商店街 (2020/01/13 訪問)

豊川稲荷の前にある商店街です。人がすごかった。
焼きいなり、いなりシュー、せんべい、ヤマサのちくわ、いなりバーガー食べた。
豊川いなりは持ち帰った。(わさびがおいしい)

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スプラNNNN

豊川稲荷 愛知県豊川市 (2020/01/13 訪問)

本殿はすごく大きいです。
週末だったので、人でいっぱいだった。前の商店街で焼きいなり食べた。いなりシューおいしいよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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くっしー

発掘調査の一般公開 (2020/01/18 訪問)

発掘調査で現在の模擬天守の西側で長さ約180㎝・高さ約70㎝の天守台の石垣が発見されました。「間詰め石」など、信長期の石垣の特徴が見られ、岐阜城に最古の天守があった可能性がでてきました。その一般公開が本日(2020.1.18)まで行われています。
市の担当者の話によると、明治時代に当時の石垣を壊して、現在の天守を作ったらしいです。なので残っているのはほんの一部ですね。また、公開が終わったら保存のために埋め戻すようです。
ニノ門脇の石垣も面白いですね。普段は見られない石垣の内部を見ることができ、説明の看板、パンフレットもあります。

今回は「百曲り登山道」から登り「七曲り登山道」からおりたのですが、今度登るときは「めい想の小径」から登り「馬の背登山道」から降りようと思います。こちらには搦手門の跡や斎藤時代の痕跡が残っているそうです。

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小城小次郎

向羽黒山城

本丸周辺の整備が進み、計画的に構築されたであろう大城郭の片鱗が少しずつ見えてきた。これまで竪堀と称されてきたものが通路であった可能性についても考えさせられた。

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しんちゃん

浜松城は、本当に武田軍が恐れた堅固な城だったか? (2020/01/16 訪問)

夕方、仕事帰りに登城。我が浜松城の自慢は、野面積みの石垣と門脇の鏡石だ。特に鏡石は、巨石を縦に使い尚且つ隅石
であるため、設置は大変だっただろうが見事だ。
ところで、学校では北から攻めてきた「武田軍が堅固な浜松城を警戒」城の手前で進路を西に取り、徳川をおびき出して三方原で合戦になったと教わってきたが、最近は「三方ヶ原の合戦時、織田も恐れる25,000人の最強騎馬軍が本当に浜松城を警戒しただろうか?」と疑問に感じており、今回はそこをテーマにまわった。さて、江戸末期の城絵図には現存する石垣や堀があるが、家康がいた時代の城絵図は大きく異なり浜松城と言うより引間城(古城)である。武田軍との攻防絵図から、武田軍は掛川城や浜松城など見向きもせず、要塞であり、遠江の守りの要である高天神社と二俣城はしっかりと押さえて、京を目指していた感じがする。
もう一つの日頃から感じていた疑問「北遠地方の城と浜松城は天竜川でつながっていただろうか?」と言う事も今回はっきりした。浜松城下絵図を見ると城近くまで馬込川が来ていた事がわかる。馬込川とあるが、当時は天竜川の下流はいくつもの支流が流れており、その内の一つが馬込川だったようだ。よって北遠地方の要所の城から浜松城まで、川で容易に来れただろう。浜松城公園から国道を渡り、ひっそりと残る引間城に初めて行ってみた。なるほど、ここから船着場が見えたのであろう。
結論とすると、浜松城は東海道の宿場町にある要の城で川・道と交通の便が非常に良く城下街の形成には持ってこいの場所で、戦いは北遠・中遠の要塞で頑張っていたと考えれる。
浜松城から大手門跡まで歩いた。城絵図を見ながら大手門跡に立つと城の大きさや今も城下町に残る地名などがよくわかり面白い。さらには、浜松駅近くにある浜松魅力発見館THE GATEに立ち寄った。浜松城、二俣城、高根城をドローン空撮した状況をVRで見る事が出来る。各1分30秒程度と短いが、とても良かった。

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山口駿河守幻夢斎

戦闘を意識して建造された近世城郭 彦根城 (2019/09/25 訪問)

彦根城へは、彦根駅から徒歩15分、今までに3度訪れましたが、3度目は、大雨の中の探索となりましたが、たっぷり時間をかけて見学しました。

彦根城は、関が原合戦の戦功で、近江佐和山18万石を与えられた井伊直政が、石田三成の居城佐和山城を廃し、琵琶湖畔の金亀山に築いた平山城、直政は、関が原合戦後まもなく、戦傷がもとでなくなっていますので、完成したのは、井伊直孝の時です。

その後、彦根藩は、25万石に加増され、譜代大名最大の井伊家の居城として14代続き、明治維新を迎えています。
築城当時は、大阪に豊臣秀頼があり、西国諸藩にもにらみを効かせた、戦闘的な城であったことがよくわかります。

天守も、もちろんですが、水堀や石垣、さらに隣接する玄宮園など、見どころ満載の素晴らしい城跡だと思います。

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カズサン

鹿児島で唯一石垣を用いた義弘の山城 (2016/10/25 訪問)

 鹿児島県湧水町に在る島津義弘在城の山城で大手虎口に石垣が用いられてる鹿児島では珍しい山城です。
 湧水町から吉松町人吉に向かう国道268号線沿いの川内川沿いに城跡の道標が有り山手に向かって行くと本丸横に大型駐車場が有る、大手入口に冠木門風の新しい城門、本丸大手枡形虎口は石垣の階段状虎口で本丸へ、本丸からは川内川がくねった栗野市街が見渡せる、堀切を挟んで二の丸と続き幟旗は島津義弘を大河にと大書きされてる。
 栗野町には40数年前から仕事で訪ねてるのですが地元メンバーも城には関心が無く私も時間を取って登城する事も無く退職してからやっと初登城しました。

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