駿府城は明治維新の後、明治5年までに払い下げられ、豊橋師団の所属、歩兵第29旅団第34連隊が置かれ、本丸は壊され水堀も埋められてしまいました。現在は本丸と二の丸が一緒になった状態で公園化されています。
当時は景気対策で軍隊の誘致が活発化していたようで天守台もこの時に埋められてしまっていたようです。時代の流れとはいえ、罪深い話です。現在駿府城跡天守台野外展示プロジェクトが行われており発掘の工程が解るように公開がされています。天守台の再現は完全とはいかないようですが、やむを得ない処置だとは思います。
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