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ぴーかる

城域はどこまで? (2020/12/13 訪問)

【波賀城】
<駐車場他>波賀城史蹟公園駐車場<35.160795, 134.554398>
<交通手段>車

<見所>石垣・模擬櫓
<感想>日帰り宍粟市攻城の旅1城目。波賀城の城域は一体どこまでなのだろうか。城の主要部だったところは本当は違う場所ではなかったのではなかろうか。自分が行って見て来た疑問に明瞭に解決するものが見つからなかったので、今回の私の投稿が的外れなものでしたらすみません。またこの疑問に対する答えを御存じの方おられましたら教えて下さい。かなりの長文になりますが次に見て来た事実を記述します。

 史蹟公園駐車場の手前数百㍍手前から山の斜面に登り石垣のような石積み(これはGoogleのストリートビューでも見れます)が見られます。駐車場は山の塁線を広く削った弓状になっていて、南側下は崖になっていますが、そこの斜面に遠くからですが石垣が見られます。疑問点は駐車場の北側上方で山の斜面に巨石が広大に散乱、小さめの石であちこちに石垣が見られます。そこに「この付近は城山です」「この付近は馬隠しです」と書かれた小さな看板があるだけでここには他に特に案内図や説明板もなにも無く一旦あとにして、城に向かいます。「馬隠し」というのは、波賀城跡説明板によると、〚この地は十一世紀初め頃には伯可荘という石清水八幡宮の荘園となっていました。築城者と推測される芳賀氏の芳賀七郎という武士が有名な名馬を飼っており、都からその名馬を献上せよとの命令が下されましたが、芳賀七郎はそれに従わず合戦になりました。その時「馬隠しの穴」に名馬を隠しましたが力尽き戦死していまいました。〛とありますが、その看板の付近に特に穴は見当たらなかったのでよくわかりませんでした。

 駐車場から車1台通れる林道を100㍍ほど南西方向に進むと2股に道が分かれています(ここもストリートビューで見れます)。分岐に林道の案内板と杉板の販売の看板があります。分岐の左手斜面には曲輪と石垣が僅かにあります。右手斜面は私には畝状竪掘り跡のように見えました。分岐の片方北方向の道へ散策するのもあと回しにしてまずは南西方向の波賀城跡に向かいます。
 
 分岐から緩やかな下り坂になっていて、200㍍程先に城跡入口の冠木門があります。分岐から冠木門入口までの道両脇の山の平地には石が散乱し、堡塁のような小山が数個あります。石垣巻きの堡塁から石垣が全て落ちてしまった転落石に見えなくもないです。
 
 冠木門から中は波賀城の城跡公園になっているので皆さんの投稿の通りなので割愛します。少し所見を記述すると、冠木門を入って進むと、主要部の小山脇に横堀跡が見られますが、ここにも石が溜まっているので、これは絶対主要部小山斜面の石垣であった転落石だろうと思われた(写真9枚目・ストリートビューで見れます)。結局、波賀城跡公園の主郭部分はこの一帯山系の下った南西崖先端の小山山頂にあり、標高では車を駐車した駐車場の位置とほぼ同じだろうと感じた。調べてはいないが、ここ周辺の山系の一番高いところは駐車場北東側にある広大な巨石敷きの斜面を登った先の山が高いように見えました。

 城跡公園を見終わったあと、先程の林道の案内板のある分岐の道を北上しました。右手は山で、左手は谷になっていますが、ここも大竪掘りと舌状の曲輪に見えなくもないのがあります。200㍍程進むと「此の道は二百米先で行止まりです・・・」の看板と銘の無い石碑と諸々があります。その手前斜面が窪地(曲輪に見える)になっていて、巨石、道斜面に巨石の石垣に見えなくもない(写真8枚目)のがあります。

 駐車場に戻り、いよいよ謎に思った「城山です」「馬隠しです」の山を攻めました。駐車場のすぐそばに半円形に組まれた石垣があり(写真5・6枚目)駐車場からでも見えます。曲輪か塹壕跡のようにも見えます。またここの斜面が巨石の滝(写真7枚目)のようになっています。この光景は赤松氏の白旗城「谷落としの岩」と感状山城の大手門跡手前の大手道の巨石の散乱具合と非常に良く似ている。この光景も駐車場から見えますので、来られたら見て下さい。巨石敷きの薄い場所を登って中腹に虎口跡のような石垣(写真1枚目)と小さめの石を集めた何か施設のような石垣(写真2枚目)があります。更に少し登ると大きく平地になっている場所が何箇所かあります。石が堆積しています。山頂に向かう上方の平地(曲輪?)の輪郭に沿って長い石垣があります(写真3・4枚目)杉の落葉の堆積と石垣が崩れていて低くなってはいますが、元々は相当高く積まれていたように見えます。この石垣は山頂の方まで伸びているように見えました。山頂まではまだ数百㍍ほど登らなければならない感じで、あとで後悔したのですがここで山を降りました。

 波賀城跡公園となっている面積よりはるかに広く、高い山頂の方にあり、後世に積まれたものとは思えない石垣遺構を見てこの場所は城跡かという謎と城跡ならば何故広く説明されていないのかの疑問が深まる所、自分が見た感じではすごい所に見えました。

<満足度>◆◆◆

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カルビン

勝手に第二次籠城期間 [三方ヶ原~犀ヶ崖]  (2016/07/02 訪問)

上洛を開始した武田信玄軍に対し、素通りされるのを放置せずに出陣た徳川家康軍が、三方ヶ原で返討にあって命からがら浜松城に逃げ戻った三方ヶ原合戦はエピソードはお城好き含め戦国ファンの方々には有名なお話。

そんな家康が逃げ戻った後、鉄砲による夜襲でちょっと仕返しした犀ヶ崖夜戦は比較的知られていないかと。

ここ数年の夏季の猛暑でお城巡りが辛かった時期、こういう散策なら出来るだろうと行って来た2ヶ所の古戦場。


浜松駅からバスで「三方原霊園」停留所で降りると目の前に解説と石碑がありました。

ただ、丘の頂上が攻防の要であったとされますが現地にそれらしき地形は見られませんでした。。。勿論遺構もありません。


それだけの為に訪問するには勿体ないですが、浜松駅へ戻るバスの路線上「犀ヶ崖」停留所で下車し、今度は犀ヶ崖古戦場を見学。

現地には徳川軍が鉄砲夜襲で騎馬隊を追い込んだとされる崖が残っており、更に小さな無料資料館、三方ヶ原ー犀ヶ崖の合戦で亡くなった本多忠真(忠勝の叔父)のお墓、家康の身代わりとなった夏目吉信碑と解説(道を挟んで反対側)、更に何の関係か解りませんがねずみ小僧治郎吉のお墓もありました。

犀ヶ崖からは浜松城までちょっと距離ありますが徒歩圏内だったので、浜松駅周辺にある家康に纏わる史跡とセットでこの古戦場巡りされると効率は良さそうです。



このご時世なのに年明けから忙しく投稿が出来てませんでした。。。
ようやく勝手に第二次籠城企画としてこんな記事掲げてみました(ー∀ー)

次があるかどうかは全く解りませんwww

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肉球

小さいですが凝縮してます (2021/01/22 訪問)

仕事帰りに立ち寄りました。
城跡の南側にある公園の駐車場に車を止め20メートルほどの高低差のある坂道を登ると城跡です。
途中霧吹き井戸や血の出る松跡(枯れてしまったようです)がありますが
抜け道になっているようで交通量が結構あります。
城好きであればすぐに城跡とわかるような郭・堀・土塁が狭い範囲に凝縮されています。
現在堀は浅くなっていますが発掘調査で深さ5メートルほどあり畝堀も確認されています。

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小城小次郎

三村家親の覇業はここから始まったか (2020/11/22 訪問)

備中の覇者・三村家親の覇業はここから始まったと言えるだろう。麓に居館もあるが山上の曲輪群には庭園跡らしきものもあり、それなりに居住施設も構えられていたのだろう。どう使い分けていたものか、興味深いところではある。

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橋吉

道の駅に隣接している (2018/04/30 訪問)

古宮城から、国道301号線を南へ800m移動し、亀山城へ向かいました。
上野国から三河国作手地方に移住した奥平貞俊は、1424(応永31)年に亀山城を築き本拠地としました。
元亀年間(1570年~1573年)には、貞能の子貞昌(信昌)が甲斐国の武田氏に従属したため、武田氏の三河侵攻の拠点となりますが、1573(天正元)年には徳川氏へ転属します。
関ヶ原の戦いの後、1602(慶長7)年には信昌の四男松平忠明が城主となり作手地方支配の拠点となりましたが、1610(慶長15)年に伊勢国の亀山城へ移封されると、城は廃城となりました。

国道301号線沿いにある道の駅「つくで手作り村」の第二駐車場脇に亀山城址入口があります。

小さな丘の上に、土塁に囲まれた本丸と二の丸があり、そのまわりを小さな曲輪が取り囲んでいる単純な縄張りです。

道の駅に隣接していることもあり、見学者がたくさんいました。
高低差はさほどなく、よく整備されていることもありピクニック気分で訪れることもできます。

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うっちー幸村

僕のお気に入りお城本総選挙 エントリーNo.6

「静岡県の歩ける城70選」
です!この本は、静岡県にある、歩ける城を70も紹介しています。豊富な写真や説明!
定価本体1800円+税 著者 加藤理文

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昌官忠

クラブツーリズム「信州桜吹雪」1泊2日③ (2017/04/08 訪問)

クラブツーリズム「信州桜吹雪」1泊2日の3城目は高田城です。松代城からの転戦です。

高田城は2回攻城しています。
①2017/04/08(今回) クラブツーリズム「信州桜吹雪」ツアーでの攻城
②2018/11/11 続100名城スタンプ押印目的の攻城(投稿済)

夜桜がライトアップに映え、とても綺麗でしたが、降雨と稚拙な夜間撮影技術の為、ピンボケしまくりです。
かろうじて見えるものを選んで投稿します。攻城時間は50分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム「信州桜吹雪」1泊2日② (2017/04/08 訪問)

クラブツーリズム「信州桜吹雪」1泊2日の2城目は松代城です。上田城からの転戦です。

松代城は2回攻城しています。
①2017/04/08(今回) クラブツーリズム「信州桜吹雪」ツアーでの攻城
②2018/10/07  100名城スタンプ押印目的の攻城(投稿済)

桜を見るツアーですが、桜は咲いていません。団体移動の為、ツアー客がどうしても写真に写り込んでしまいます。
極力人が写っていない写真を選んで投稿しました。攻城時間は60分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム「信州桜吹雪」1泊2日① (2017/04/08 訪問)

クラブツーリズム「信州桜吹雪」1泊2日の1城目は上田城です。

上田城は3回攻城しています。
①2017/04/08(今回) クラブツーリズム「信州桜吹雪」ツアーでの攻城
②2018/06/24 電車&レンタサイクルを使って日帰りで、富士見城/小諸城/龍岡城や田口城などを一人で巡りました(投稿済)
③2020/10/13 自宅(千葉県)から車を使って妻と二人での攻城(投稿済)

桜は満開とは言えませんでしたが、観光客が多く、どうしても写真に写り込んでしまいます。
極力人が写っていない写真を選んで投稿しました。攻城時間は75分くらいでした。

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肉球

巨大です (2021/01/21 訪問)

寒さが緩みついつい外出してしまいました。
何度か訪れていますが城内全てを把握するのがなかなか困難です。
堀がきっちりと残っているので見学しやすくアップダウンもそれ程きつくありません
お城の南側の滝山街道沿いに専用駐車場があります。
隣はコンビニです。ピクニック気分で訪れている方も多くいます

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古市氏と筒井氏の争いの最前線 (2021/01/17 訪問)

平清水氏は、古市氏側。奈良盆地で古市氏と筒井氏が争っており、筒井氏側の喜多氏北村城と2〜3kmしか離れていない。この辺りは、奈良盆地から、かなり登っており、山間に狭い平地が点在する。
平清水城は、北城と南城がある。北城は、郭が尾根最上部になく、尾根を高土塁に加工して、背後を守っている。前面は谷側の急斜面。
南城は、梅本神社背後の頂部まで行ってみたが、平削してあるような、自然地形のような。

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イオ

国史跡・安宅氏城館跡 (2021/01/10 訪問)

戦国中期に築かれた熊野水軍・安宅氏の本拠で、発掘調査によると戦乱の中、江戸初期に至るまで居館として機能していたようです。

日置川下流域の東岸に居館跡が、その南に武家屋敷や湊の伝承地があり、井戸跡もあるようですが、現在では一帯は宅地や田畑になっていて、宅地の下に遺構とされる石垣が見られるくらいです。

周囲には平地の居館である安宅本城の防衛のための城が数多く設けられており、北に八幡山城、日置川対岸に大野城、南の安宅荘全域を見渡す高所に勝山城が、日置川上流には中山城と土井城が、河口部には海上を見張るための大向出城があります。昨年3月にはこれら安宅氏居館(安宅本城)、八幡山城、中山城、土井城に境目の城・要害山城を加えた5城が「安宅氏城館跡」として国史跡の指定を受け、残る3城についても追加指定を目指しているようです。

駐車場はないため、八幡山城の登城後に安宅八幡神社の駐車場に車を駐めたまま訪れましたが(徒歩5分)、安宅八幡神社の社務所には安宅氏城館跡の航空写真やパンフレット、古地図などが多く掲示されていますので、電車で来られた方も立ち寄ってみる価値は充分にあると思います。
 

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昌官忠

クラブツーリズム「宮城・山形・福島の日本100名城制覇」の旅⑥ (2017/10/01 訪問)

「クラブツーリズム「宮城・山形・福島の日本100名城制覇」の旅」の6城目(ラストです)は多賀城です。仙台城からの転戦です。
100名城スタンプは「JR東北本線の国府多賀城駅」で押しました。

多賀城は大和朝廷が蝦夷を制圧するため、軍事的拠点として多賀城は神亀元年(じんきがんねん)724年に大野東人(おおののあずまひと)によって創建された城柵です。『日本後紀』に登場するようです。
平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに日本三大史跡に数えられています。陸奥国府のほか、鎮守府が置かれました。
現在は国の特別史跡に指定され、政庁跡や城碑、復元された塀などが残されています。

平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)に比べるとちょっと地味かなという印象です。でも100名城なんですよね。
攻城時間は75分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム「宮城・山形・福島の日本100名城制覇」の旅⑤ (2017/10/01 訪問)

「クラブツーリズム「宮城・山形・福島の日本100名城制覇」の旅」の5城目は仙台城です。山形城からの転戦です。
100名城スタンプは「仙台城見聞館」で押しました。

仙台城は2回攻城しています。
①2017/10/01の今回でツアーを利用して一人で攻城
②2020/07/01に 大手門脇櫓を見学する為に一人で攻城(投稿済)

仙台城は「関ケ原の戦い」の後、伊達政宗によって築かれた城です。以降、約270年にわたり伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁でした。
現在は青葉山公園として整備されており、本丸には伊達政宗騎馬像が建てられています。

伊達政宗騎馬像の台座にあるレリーフ①遺欧使節団②朝鮮出兵の図③少年期の元服姿④従三位叙任の内、①と②しか写真を撮っていませんでした。
この時はツアーの見学時間の都合上、復元された大手門脇櫓が見学できないことが心残りで、レリーフが4枚あることは後で知りました。
大手門脇櫓の見学だけは2020/07/01にリベンジしましたが、残り2枚のレリーフは課題ですね。
攻城時間は60分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム「宮城・山形・福島の日本100名城制覇」の旅④ (2017/10/01 訪問)

「クラブツーリズム「宮城・山形・福島の日本100名城制覇」の旅」の4城目は山形城です。会津若松城からの転戦です。
100名城スタンプは「二の丸東大手門櫓内部」で押しました。

山形城は延文元年(1356)に羽州探題として山形に入部した斯波兼頼(最上家初代)が築城したのが始まりと伝えられ、現在の城郭は第11代城主最上義光(1546~1614)が築いたものが原型とされています。
本丸・二ノ丸・三ノ丸の三重の堀と土塁で囲まれた、全国有数の規模を持つ輪郭式の平城で、出羽の関ヶ原合戦「長谷堂合戦」で城郭が霞で隠れて見えなかったことから「霞ケ城」とも呼ばれていたそうです。
現在残っている二ノ丸の堀や土塁・石垣は、最上家改易後、元和八年(1622)に城主となった鳥居忠政により整備されたと伝えられています。
最上家により始まった山形藩は、最も長く藩主を務めた秋元家でも78年、最短の堀田(正仲)家は1年と、藩主の交代が非常に頻繁だったようで、義光の頃には57万石あった石高も、最後の藩主・水野家の頃には5万石とかなり減少しています。

現在城址は霞城公園として整備されており、桜と観光の名所になっています。
また、公園内やその近くには、山形市郷土館、山形県立博物館、山形美術館、最上義光歴史館などの多くの文化施設があります。

堀や石垣・土塁などが残っており二の丸東大手門も立派でした。もちろん最上義光公像もかっこよく正面から撮るよりは横から撮る方が絵になります
公園は広くないので、30分もあれば大丈夫ですが、近くにある文化施設を見るとなると+1時間は必要かと思います。
攻城時間は60分くらいでした。

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橋吉

城山公園 (2018/03/10 訪問)

尾張旭市には城山公園があり市民に、子どもが小さな頃連れて行ってあげたことがあります。当時はあまり気にならなかったのですが、城マニアとなった私は公園名を聞いただけでワクワクしてしまいます。

調べてみると、ここには新居城とよばれる城があることがわかりました。
新居城の歴史はよく分かっていません。
南北朝期の1361(康安元)年に水野良春が築城し、1460(長禄4)年頃にはその子孫である水野宗国によって築き直されたようです。
その後、戦国期に至ってどうなっていたのかは分かりません。

いきなり駐車場脇に、天守閣?
とおもったら、旭城という名のレストハウスでした。
もちろん、新居城にはこんな建物はなかったわけですが、
ここの良心的なのは新居城の縄張りをぎりぎり外れて立っているところです。

城跡は、駐車場から見ても、小高い丘になっています。
土塁,土橋,堀切が残っています。
本丸は、弓道場とテニスコートなっており、その周囲を土塁が取り囲んでいるようです。

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赤い城

武田と正木 (2020/01/19 訪問)

久留里線の東清川駅から登城口まで徒歩で20分くらい。
笹子地区の集落にあります。
入口の標柱を進むと民家、ぬかるんだ登城口から登りました。
一通り散策し帰ろうとしたら地元の方に声をかけられ「案内するよ」と。
この城、武田の城と正木の城に分かれているとのこと。
二人して藪漕ぎ、直登したのですがなかなかの大きな城、藪化した深い堀や鋭い切岸などをご案内いただきました。
私有地もあるのでご注意下さい。
久留里線は1時間に1本なので計画的に。

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yoshi

だいぶ前に千葉ドライブで (2014/08/22 訪問)

館山城と久留里城と巡った時の写真です。
中は展示館となっており、本多忠勝好きには訪れたいお城です。

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yoshi

だいぶ前に千葉ドライブで (2014/08/22 訪問)

以前に館山城と大多喜城と巡ったときの写真です。
この時は、外装補修中で足場が組んであり、ちょっと残念。また行きたいお城です。
結構、坂道を登りますが上から見るけしきは絶景です。

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笠置街道を行く (2021/01/17 訪問)

城びと未投稿の奈良県北東部の山間の二城を訪れた。笠置城の麓から、南に笠置街道を行き、北村城を目指した。途中に手書きの「上狭川城」の標識あり。
林道兼で、登城路が整備されており、容易にたどり着ける。単郭ながら、南の虎口は、二重升形で重厚な土の城。写真の6枚目以降。
北村城は、南側の民家脇から登城。庭先で作業中のご主人に道を聞くと、案内の後に、「何もないですよ」と。「十分、見応えあります」と応えた。
城跡は、南に深い堀切、北と東側に急な切り岸。
北村城の喜多氏は、山間の地ながら、筒井氏の重臣であったと。次に平清水城を目指した。

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