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ぴーかる

日宮城 (2026/05/09 訪問)

【日宮城】
<駐車場他>薬勝寺公園駐車場を利用しました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅9城目。日宮城の築城年代は不明なようで、神保長職が勢力を拡大した頃にはその支配下の支城としていたようです。その後一向一揆の攻撃を何度か受けて城は姿を消していったようです。
 ここもあとの調べで日宮社に現地説明板があるのが分かってしまい痛恨ミス。城の北側からアプローチして丘上までは行けましたが、そこから私有地の看板が立ち塞がっていたので、ここまでとして引き上げました。城びとポイントが主郭で、日宮社と薬勝寺との間に堀切があるので、社と寺の場所は南郭だったようです。最初薬勝寺に迷い込んでしまい、墓地の背後に土塁があるのが確認できました。

<満足度>◆◇◇

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小城小次郎

香西氏の南の守り (2025/08/10 訪問)

築城城とも表記されるこのお城は香西氏の被官だった築城(つづき)氏のお城だったという。香西の南側を守る要としての役割があったのだろうか、城域はそれなりに広かったらしい・・が、今は案内看板がひとつ立つのみだ。

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ヒロケン

金沢城散策2 櫓と櫓門及び多門櫓 (2026/05/04 訪問)

金沢城の櫓と櫓門及び多門櫓の定番画像をアップさせていただきます。金沢城は石垣の宝庫でもありますが、やはり彩を飾る櫓も恰好が良い(。・ω・。)ノ♡金沢城の櫓・櫓門・多門櫓のあちこちで唐破風の出窓が優雅さを醸し出していると思っています。
画像の1と2は2010年に再建された河北門の建築群、河北門のスロープから撮った河北門表門と菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓を撮影できるスポットで最近のお気に入りの場所です。
画像3と4は重要文化財。現存する金沢城搦手桝形の建築群、石川門表門と石川二重櫓・石川門櫓門です。百閒堀から見上げる石川門と二重櫓はなんとも恰好が良い(。・ω・。)ノ♡。画像5と6は2001年に復元された橋爪門続櫓と五十間長屋。二の丸を防衛する巨大な二重多門櫓、高さは約10m、両端の長さは98mに及ぶそうです。金沢城といえばこの画像ではないでしょうか。
画像7はこちらも現存する多門櫓で重要文化財です。三十間長屋の出窓と突出しが恰好が良いと思います。画像8は橋爪門櫓門と五十間長屋。画像9は2020年に復元された鼠多門。黒漆喰で仕上げられていて他の門には見られない特徴です。画像10は菱櫓と五十間長屋。つつじと櫓のコラボ。
正直、どの画像も金沢城に来る度に撮っていますが、毎回撮らずにはいられない衝動にかられます。

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HKISD

隈府城散策 (2026/05/29 訪問)

菊池公園、菊池神社を散策しました。
駐車場もあり、公園も広く公園も2つありました。

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イオ

各期の痕跡 (2025/11/15 訪問)

詳細は不明ながら姉小路三家・古川氏の居城と伝わります。戦国期には古川氏を破った三木氏が姉小路(古川)氏の名跡を継いで古川城を支配下におきました。金森長近の飛騨攻めで三木氏が滅ぶと金森可重(長近とも)が入りましたが、増島城を築いて移ったことにより廃城となりました。

県道から吉城コンポへの分岐を進み、登城口を通り過ぎた先に設けられている駐車場(案内表示あり)から登城開始。登城口まで戻って登って行くと、登城道の東側に麓の道を見下ろす出曲輪状の腰曲輪群が連なっています。さらに登城道を進んで主郭部へ。主郭部から北東にのびる支尾根は堀切で断ち切っていました。堀切で引き返して主郭に向かうと、主郭部への入口には石垣造りの内枡形虎口が設けられています。地表面に見られる石垣は金森期のものですが、発掘調査により地中に三木期の石垣が確認されているようです。

主郭部に入ると古川城跡の標柱と説明板が立てられ、覆屋の中には蛤石と呼ばれる球状閃緑岩が安置されています。眺めていると何やらぞわぞわした気分になるからか、蛤石にはうなり声をあげたり、運び出そうとすると重くなったり、日照りの中、川に沈めると大雨が降ったり…といった不思議な伝承が伝わっています。主郭の周囲には帯曲輪をめぐらせ、主郭の切岸は鋭く高くそびえ立っています。帯曲輪からは幾条かの竪堀を落とし、北西尾根は堀切で遮断していました。主郭の西側は櫓台状になっていて、発掘調査により古川期、三木期、金森期それぞれの建物の痕跡が確認されているようです。櫓台の周囲には金森期の石垣もわずかに見られました。

1時間を要せずひとめぐりできる規模ですが、古川、三木、金森の各期の痕跡がよく遺り、鋭く高い切岸といいなかなか見応えがありました。
 

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todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑦ (2026/05/05 訪問)

ホテルをチェックアウトして、最初に向かったのは、唐津市内の肥前青山城。城郭放浪記さんのページを参考に林道を分け入っていきました。車で進んでいくのに少々不安を感じる林道でしたが、記載されていた林道分岐点奥のチェーンを見つけて一安心。堀切らしき遺構も確認しつつ、三角点にたどり着くことはできました。そこはかとなく土塁も残っているようでこの辺りが主郭になるのかと思います。熊野神社からの登城路は判然としていないようで駐車場所にも難渋しますからお薦めしませんが、縄張図の付いた説明板はこちらにあります。

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トク

「ブラタモリ」と「二様の石垣」と「お城EXPO」 (2026/05/31 訪問)

5月30日NHK放送の「ブラタモリ」では熊本城が特集されました。その中で、二様の石垣は右が加藤清正、左が子の加藤忠広が築いたと紹介されました(あれ?左は細川忠利じゃなかったの?😱)。気になったので訪れてみると、確かに説明版も変更されていました(写真②③)。どうやら石垣修復工事をしている最中に、その事が明らかになり変更されたようです。ならば今までの城郭検定試験の正解も誤っていたという事になるのでしょうか?😱~(もう遅いよ🤔)。先生方の講演の中でこの石垣も話題になればいいな。

城びと特集に掲載されている「特別版お城EXPO in熊本2026」に私の投稿写真が掲載されていたので驚きました(ありがとうございます)。会場の「熊本城ホール」は、桜町バスターミナル内にあります(高速バスや空港リムジンでお越しの方は下車してそのままエスカレーターで上がるだけ、熊本駅からは市電やバスで約10分です)。熊本城からは徒歩10分くらいの所にあり、熊本城もそもそも広いので歩きやすい格好がよろしいかと。天守最上階から見た熊本城ホール(写真⑨)と2Fエントランス(写真⑩)の様子です。桜町から通町筋にかけての一帯は、熊本ラーメン・馬刺し・肥後の赤牛・辛子蓮根などのおいしい店もたくさんありますよ!😊。ひまな方は本物のくまモンも探してみて下さいね!
 

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100名城ビギナー

今回の秋田県名城巡り、最後はここ! (2026/05/24 訪問)

今や私のライフワークとなった「(続)日本100名城」巡りですが、秋田県名城巡りの最後に訪れたのは、今回唯一の「続」ではない「日本100名城」である「久保田城」です。
この城は天守(厳密には櫓)を備えていて、模擬天守とは言え、やはり天守があるのとないのとでは気持ちの高ぶりが全然違いますね~o(^o^)o ワクワク
城巡りを志してからは、ここで9城目ですが、天守を持つ城は、まだ3つ。
100名城に名を連ねている城の中でも、天守がある城は意外と少ないんですよね。
ここにも何度もクマが出ているとホテルで聞いたのですが、それっぽい危険な雰囲気は感じなかったです(一応、秘密兵器「超強力 熊撃退スプレー」は持っていきましたが)
でも、秋田では駅前を歩いたり、スーパーの店内に居座ったりしてるので、どこも安全とは言えませんけどね。

今回も例によって、アップした写真に沿って簡単な説明を入れていきたいと思います。
「続きを読む」と「すべての写真を見る」の両方を開いてもらえば、写真を見ながら説明を読めるので便利です。
PCだったら画面分割して説明と写真を並べて見較べるとさらに見やすいですよ!

① 最初は恒例の御城印から始まります。扇の家紋は佐竹氏のもの。秋田は佐竹氏一択で今でも皆さん佐竹氏が好き好き感が伝わってきます。公園内にある「佐竹資料館ミュージアムショップ」は今風でカッコいい建物でした。施設は資料館(有料)とショップに分かれていて、御城院はショップで購入することができます。今回は通常版の他に切絵バージョン(後述)もあったので両方購入いたしました。
② 久保田城の天守(御隅櫓)です。模擬天守とは言え、やはり天守があるとテンションが上がります。写真もかなり撮ったのですが、残念ながら多数の大きな松の気に邪魔されて、せっかくの独立式天守なのに全景を松に遮られずに撮ることはできませんでした。その中ではコレが一番マシかなぁ。城が映えるように木々の手入れをして欲しいな~
③ 表門に向かう石段です。いい感じに古びた雰囲気がgood! 構造は木造2階建て瓦葺きの櫓門です。天守の次に久保田城を代表するスポットですね。
④ 表門から中に入り、内側から見ると、③とはまた趣が異なります。私は中から見た表門の方が好きです。2階に上る階段なども忠実に再現されていますね。
⑤ 天守の全景はもちろん素敵ですが、斜め下から仰ぎ見る大迫力のこのアングルが私は一番好きです。屋根の鯱と天守の3分の2が写り込むぐらいのバランスが構図の黄金比と私は勝手に思ってます。
⑥ 天守(有料)の最上階に昇り、秋田の景色を一望しようと思い「廻り縁」に出たところ、それ以上に存在感がある瓦屋根の造形美に目を奪われました! 左右対称に収まるように、そして廻り縁の一部が写り込むように何度も撮り直した自信作です!
⑦ 天守から下りた場所に「胡月池」を取り囲むように造られた美しい庭園があったので思わずパチリ♪ 一周回ってみましたが、ここからのアングルが一番好きです。涼しげな噴水と、どっしりと落ち着いた行燈が地味にいい味を出しています。
⑧ 長坂門口の石段を下から見上げたアングルです。石段を昇って上からも撮ってみたのですが、露光の関係か薄暗くなってしまったので、こちらの写真を採用しました。
⑨ 上述した「佐竹資料館ミュージアムショップ」がすごくオシャレで、建物の写真もアップしたかったのですが、投稿写真は10枚までとなっているので泣く泣くボツにしました。ショップで通常の御城印の他に切絵バージョンがあったので迷わず購入しました。これ実は1枚なんですが、白い紙の上に置いて撮ったのが左側、黒い紙の上に置いたのが右側なんです。全然、雰囲気が違うでしょ? 感動しました~
⑩ 最後は恒例の日本100名城スタンプです。秋田城のスタンプが、まさかの古代の水洗トイレの図柄だったので、久保田城はどうなんだろう?と少し不安に思い押してみたら、やっぱり定番の美しい天守が描かれていて、なぜか安堵しました。

今回の秋田県名城巡りは、クマに遭遇するリスクが最大の懸念でしたが、無事に帰宅することができて良かったです。 ε-(´∀`*)ホッ
6月の城巡りは、娘と二人で宮城県の名城を3つ回る予定です。
マイペースで探訪する一人の城巡りもいいですが、歴史好き(大学も歴史学科)の娘とアレコレと楽しく話しながら城を巡る時間は私にとって至福の時です♪

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カズサン

10年経過の復元郭馬出西虎口二階櫓門 (2026/05/30 訪問)

 復元された本丸西虎口門を表側、裏側、木橋を渡って蔵屋敷側からと初対面観察し十分堪能してから二の丸の南側の郭馬出に構えている復元郭馬出西虎口二階櫓門を見学観察へ移行しました。
 復元郭馬出西虎口二階櫓門は平成28年11月公開から10年経過し、真新しい木肌が風雪に耐えて風格を表してきました、裏面、表面からと眺め観察、裏手の大梁の存在感が有ります、左右の続木塀と登り石階段(雁木石垣)も確認、郭馬出への土橋と左右の大堀切も見逃せません、素晴らしい遺構と復元建物です。
 

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イオ

農地の片隅の遺構 (2025/11/15 訪問)

戦国前期に三木直頼が築いたとされ、三木氏代々の居城となっています。三木自綱が松倉城を築いて居城を移すと松倉城の支城となりましたが、冬には雪に閉ざされる松倉城に代えて桜洞城で政務を執ったことから「冬城」と呼ばれました。金森長近の飛騨攻めでは金森可重に攻められて落城。萩原諏訪城の築城にともない廃城となりました。

桜谷公園の駐車場から登城開始。桜洞谷に架かる橋を渡ったところの登城口から急斜面の登城道を登って行くと、台地の上に広がる城跡は耕地整理により遺構のほとんどが失われています…。それでも北辺には内側にも外側にも石積みが施された土塁が続き、土塁は北西隅で南に折れて、西辺の土塁の内側には横堀が南に続いていました。石碑や説明板は見当たりませんが、横堀の東側には桜洞城後の標柱が立てられていて、標柱の脇に車1台分の駐車スペースがあります。ここまで車で来るのが一番早いのはわかっているんですが、若い頃に田んぼに車をはまり込ませて、道が狭すぎてJAFも呼べず、近くの農家さんに泣きついてトラクターで引っ張り上げてもらった情けない過去があるので…。
 

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todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑥ 唐津城内(三の丸)に宿泊 (2026/05/04 訪問)

佐賀県内での一泊目は、唐津城の三の丸内にあるホテルでした。部屋からライトアップされた唐津城の模擬天守を望むこともできました。入場料を支払っての攻城はしませんでしたが、今年訪れた城としてカウントすることにしました。翌朝は、朝食の為にすき家に向かう途次、模擬天守を遠望し、二の門跡付近なども散策してみました。

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赤い城

元は島 (2026/05/06 訪問)

海部城から北上して加島城へ向かいます。
城の手前が屋敷跡で民家がありますが広くなったスペースに車を置きました。
登城口には「加島の堆積構造群露頭」との説明板があります。
県の天然記念物だそうです。

ここから舗装路を登っていくと削平地があり、城の説明板が立っています。
背後の藪に入ってみましたが遺構らしいものは見られませんでした。

元は離島だったそうですが現在は陸続き、主郭部からは海を見渡せますがこの日は曇天、眺望も今ひとつでした😭

【見どころ】
 ・(晴れてたら)眺望

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カズサン

復元本丸西虎口門の詳細 (2026/05/30 訪問)

 先の復元本丸西虎口門の姿を木橋と供に紹介しましたが、細部の写真も撮りましたので詳細編として投稿致します。
 本丸西虎口門は高麗門形式で屋根は発掘調査の結果、瓦の発見が無く板葺としたようです、鏡柱は欅材、控柱と控屋根を両翼に構え控屋根も板葺、上部に冠木を置き中央に屋根押さえ十字に構えてる、扉には金具隠、扉軸押さえの八双金具を道いて各城門の様式に準じていた。
 門周りには排水を考慮して石垣、排水溝などが復元されていた。
 続塀は板塀で矢狭間と鉄砲狭間が狙っている、虎口門表の右に当たる南には折れの横矢掛りの板塀と成っていた。
 門の中心部は欅材が使用されており、屋根の板葺、板塀などは杉材が使用されていました。
 復元本丸西虎口門を本丸側の裏手から表側、木橋を渡って蔵屋敷側からと十分堪能しました。

 終わって郭馬出西虎口二階櫓門も撮影しましたので後程投稿致します。
  

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ぴーかる

放生津城 (2026/05/09 訪問)

【放生津城】
<駐車場他>駐車場はなし。路肩に停車してダッシュで撮影しました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅8城目。お城の詳細は現地説明版の添付写真をご覧ください。現地説明板の記述にあるように、足利10代将軍の義材(後の義稙)が明応の政変(細川政元・日野富子らによって将軍職を引きずり降ろされる事件)から逃れ越中国放生津に下向した場所です。ここで義材は陣容を整え、なかなかな政権を樹立したようです。昨年自分が勉強した内容がここへ来て繋がりました。
 現地は小学校になっていて、遺構は消滅しています。ということは土塁らしき盛山がありますが後世のものかと。先達の投稿にあるように「城址」だけ刻んだ石碑も、ちょっとウケましたが、しっかり撮影しときました。

<満足度>◆◇◇

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トク

3【秀長の但馬平定をたどる③】豊岡城(宮部継潤が北但馬を統治した城) (2026/05/14 訪問)

竹田城からの転戦です。竹田から播但線をさらに北上して和田山で乗り換え、山陰線の普通列車に乗ること計50分、豊岡駅に到着です。豊岡城は駅から徒歩20分の、神武山(標高49m)にありました。江戸時代には、山の麓(北側)に豊岡陣屋があったようです。

1580年、有子山城の戦いに勝利した秀長は、北但馬(豊岡・城崎)の統治を宮部継潤に任せます。継潤はここ神武山に三重の天守を建て居城としたようです(写真①の位置)。

遊歩道から登りました。本丸からは木立が生い茂り眺望がなく、豊岡市街を眺めたかったのですが望めずガックリでした。でもふと南側にわずかに木立の隙間があったので覗いて見ると、何と!・・・出石と有子山がきれいに見えました! 当時は木立など無いので、もっとよく見えたと思います。豊岡城に入った継潤はどんな思いで、ここから秀長の居る、あの有子山城を眺めていたのでしょうか? 「北但馬の統治は、この宮部継潤にお任せあれ~!」、そんな事をつぶやいていたのかもしれませんね(笑)。

夜は駅前の豊岡スカイホテルへ宿泊しました。ウェルカムサービスで冷たい缶ビールをもらい、ちょっぴりうれしかったです😊。明朝はここから、出石・有子山城へ向かいます。
 

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イオ

南飛騨統治の拠点 (2025/11/15 訪問)

飛騨国の領主となった金森長近が高山城の支城として築き、姉婿の佐藤秀方を城主に任じて南飛騨統治の拠点としました。一国一城令により廃城となった後も金森氏の「旅館」として維持されましたが、江戸中期に金森氏が出羽国上山に移封されて天領になると、高山城とともに破却されました。

城跡南側の二の丸跡に建つ集会所の駐車場から登城開始。諏訪神社の参道を進むと本丸南側の大手口に至る土橋の両側に横堀が続いています。本丸は南辺と東辺を横堀で囲み、現在はどちらも空堀ですが往時は南辺の土橋東側と東辺は水堀だったとのこと。本丸の周囲には丸みを帯びた河原石を用いた石垣をめぐらせ、四隅には矢倉を配し、南東隅の東矢倉が天守の役割を果たしたようです。本丸は諏訪神社の境内になっていて、矢倉台には那智社や稲荷社など境内社が祀られています。本丸西側の搦手口は枡形状になっていて、発掘調査により石垣や石塁が確認されています。搦手口を出て下りて行った先の登城口には、苔むして文字が読みづらくなった城址碑が立てられていました。搦手登城口から北に進み、池のある角を東に折れると後世の石積みの上に本丸の石垣が聳えています。飛騨川の段丘崖でしょうか、なかなかの高さです。そして、北東隅で南に折れて本丸東辺の石垣と水堀跡を眺めつつ萩原諏訪城をひとめぐり。コンパクトな平城ながら堀や石垣、櫓台もよく遺っていて大いに見応えがありました。

…ということで、金龍紀行のメインイベントともいうべき飛騨遠征のスタートです。名前はそれなりに知られていてもどんな活躍をしたのかはあまり知られていない金森長近の飛騨での足跡を1泊2日でたどってみるとしましょう。
 

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赤い城

南阿波の海城 (2026/05/06 訪問)

ゴールデンウィークの最終日、南阿波をドライブしてきました。
まずは海部城、阿波九城のひとつです。
北側の駐車場に車を置き、登城口から登って行きます。
途中の大展望からは海部川の河口や太平洋を望みます。
さらに登ると主郭部に到着、土塁がついています。
本丸には野面積みの石垣との案内板がありますがこれは戦時中のもののようです。
ただ、当時も石垣はあったようで矢穴のある石も転がっています。

その先を降りていくと算木積の石垣がありますがこれも近世のもの、立派ではあります。
南に進むと見どころの堀切、さらには竪堀も2条見られました。
南東の住宅地の中には陣屋跡の石碑も立っていました。
これで阿波九城は一通り廻ることができました。

チェブさん、メッセージありがとうございました。
また、いつも楽しいレポートをしていただきありがとうございます😊
50代半ばでの移住でしたがお陰様で程よい刺激を受けながらまったりと過ごしています。

【見どころ】
 ・南尾根の堀切
 ・竪堀
 ・大展望からの眺望

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todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑤の6 城カードゲットの後に【生駒親正、北条氏盛、島津義弘陣跡】 (2026/05/04 訪問)

この日の最後は、東松浦半島の先端、波戸岬近くの陣跡を攻めました。陣跡めぐりマップにA~Mで示されている見学可能な陣跡が波戸岬付近には4つ、固まっているのです。生駒親正陣は公園として整備されていました。北条氏盛陣はちょっとしょぼいですが説明板はありました。増田長盛陣は国民宿舎の隣でチェーンが張られていて入ることができませんでした。島津義弘陣は、駐車場からの登城ルートが判然としていませんでしたが、石垣も残っており、半島先端部にある4つの陣跡では最も見ごたえがあるのではないかと思います。既に17時を過ぎてしまっていましたので、ここから予約を入れてある唐津のホテルへと向かうことにしました。今回、回ることができなかった陣跡もいつか散策してみたいと思います。

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天守無しがアツい

山梨縣護国神社 (2026/05/31 訪問)

割と近くにある護国神社⛩️
甲府駅からレンタサイクルでアプローチ🚵‍♂️
駅から坂になってるので多少のキツさは感じるも電動自転車ならノープロブレム

境内には戦争で命を落とされた方々を祀る慰霊碑および銅像の数々

主に太平洋戦争で亡くなられた方々へのものとなるが…自衛隊で殉職された方の慰霊碑も1つ見つけた🪦

御朱印は300円

今の我々日本人がこうして平和に過ごせるのは…先人が命を賭けて国を守ろうとしたから✈️🇯🇵その事を忘れないでください…

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天守無しがアツい

多賀城跡ガイダンス施設 (2026/05/23 訪問)

多賀城の100名城スタンプと御城印を求めに天国多賀城駅から歩く🚶‍♂️

途中…多賀城跡と彫られた石柱と遭遇
国府多賀城の駅舎を通って…城跡内へ

少し奥の方にある管理事務所にてスタンプを押す
御城印は多賀城跡ガイダンス施設…つまり駅近くにある事を知る…しかもそこでスタンプも押せたと…なら最初からそっち向かえばよかったのか…ちょっと時間のロスしたわー😂

ガイダンス施設にて御城印と100名城カード…あと親への土産として古代米コーヒーを購入☕️

無料Wi-Fiが使えたので…歩数計アプリのゲージ消費しながら多賀城の復元映像を眺める

時は平安初期…泣くよウグイス平安京(794年)の少し後…時の天皇(おそらく桓武天皇🤴)は坂上田村麻呂を征夷大将軍に命じ…大和朝廷にとって異民族だった蝦夷討伐をさせる⚔️

ここ多賀城が東北における一大拠点…当時は(現在の)岩手県あたりまでしか朝廷の領域に無かったので🇯🇵蝦夷との抗争における最前線とも言えた

おそらく兵力に勝る朝廷軍はやがて勝利…蝦夷側のリーダー阿弖流爲(あてるい)は(坂上田村麻呂の助命嘆願もむなしく)処刑され…朝廷の勢力拡大⤴️

これが時代を下ると…平泉(岩手県南部)に奥州藤原氏が栄え…(坂上田村麻呂の頃とは別の意味になってしまってはいるが)征夷大将軍源頼朝によって藤原氏が滅ぼされ…現在の青森県あたりまでが日本に組み込まれる…そして江戸時代に入ると松前藩として(函館を中心とした)北海道の一部までが日本領となるのである🗾

海外の話になるけど🌏映画「ブレイブハート」に描かれてるように…イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿によるスコットランド🏴󠁧󠁢󠁳󠁣󠁴󠁿侵攻がおこなわれ…劣勢ながらもそれに抵抗するスコットランド軍という歴史が中世ヨーロッパに存在していた(13世紀あたり)

それよりも前の時代になるけど…大和朝廷(日本)がイングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿蝦夷がスコットランド🏴󠁧󠁢󠁳󠁣󠁴󠁿として当てはめると…同じような歴史を辿ってるんだな…と思わせられる🤔

もっとも…スコットランドの場合…イングランドの圧力こそ受けてはいたけど…1707年に合併してグレートブリテン🇬🇧になるまでは独立を保っていた…一国家として存在していた…対照的に蝦夷は(歴史の授業にちょろっと出てくるだけで)その後は消息不明…おそらく日本人と自然同化した?

あと…映像に出てくる防御性能の高そうな甲冑(坂上田村麻呂といった大将クラスが着けていたらしい)…展示品の民族衣装を目にする中で…今から一千年も前にもうこれだけの衣服や防具を作れる技術があったのがすごい😳

言い換えれば…服飾や甲冑の技術って…当時からそれほど変わってないと言う事でもあるのかな?鉄道や航空技術…電化製品やITは今の方が比べるべくもなく進化していても…

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