ふるかわじょう

古川城

宮城県大崎市


旧国名 : 陸奥

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古川第1小学校 (2022/09/22 訪問)

 古川第1小学校正門の横に案内板があり土塁が残っていたころの写真が表示してあります。近くの瑞川寺には、寺門風に一部改造して移築した搦手門があります。

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カズサン

移築搦手門が有名 (2020/10/27 訪問)

 4泊5日の下越奥州城廻りの最終日GoTo割を利用して泊まったホテルを朝早く出発し古川城を目指す、現在は古川第一小学校に成ってる。
 車は近くの大崎市役所駐車場を利用、出勤前でガラガラ、徒歩で数分、緒絶川を渡って東より校門に至る、校門を入り写真でよく見てる石碑案内板が有る、昨日人首城で動かなく一眼レフカメラの調子が戻り写真を撮る、ここから南に古川城の搦手門が移築されてる瑞川寺が5、600m程の所に在る、同参拝者駐車場を利用し参拝と見学、立派な2階楼門です。
 古川城は大崎氏の城ですが奥州仕置きで改易、秀吉配下の木村氏が入城するが大崎葛西一揆の不始末で改易、後伊達領に家臣の鈴木氏が入部、瑞川寺は鈴木氏の菩提寺に成って居り鈴木氏が搦手門を山門として寄進した模様。

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dougen

2019.3.31登城 (2019/03/31 訪問)

中新田城から国道347号を東へ古川駅近くの古川第一小学校が古川城址となります。

遺構は残っていませんが、城址の石碑と解説板が設置されています。

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ぎりょう

「天文の内乱」伊達稙宗・大崎義直連合軍の攻撃で落城 (2019/12/31 訪問)

延宝年中(1673~81)に仙台藩が幕府に提出した「仙臺領古城書上」の記事では 「稲葉村 平 古川城 東西七十間 南北四十九間 城主古川刑部少輔持忠。天文年中註罰。天正之比古川弾正居住。木村彌市右衛門居住。伊勢守子。」とある。また安永四年(1775)に書かれた稲葉村の「風土記御用書出」写しの記事では 「古城 一古館 竪五拾間 横七拾間 右ハ本丸と申伝候 四方掘相廻 二・三ノ丸・外郭等引続有之候事」とあり、以下二之構屋敷、西館、外郭、土櫓、馬場先、大手先の記述が続く。城主についてはほぼ古城書上に準ずるが、大崎・葛西一揆の終息後木村氏が改易され政宗の領地となると鈴木和泉守が城主となる。その後鈴木氏が桃生郡深谷に領地替えとなり古川城は廃城。古館は御蔵入畑に惣堀は苗代や田畑に開発されたと言う。
城は大崎平野の中心に位置し、古館(本丸)の外周を惣堀で囲み、外郭、二ノ構(二ノ丸)、西館(三ノ丸)で守られた規模の大きい平城であったと考えられる。現在古館は大崎市古川第一小学校・外郭は古川中学校の校地となり他の郭も市街地化され跡形をとどめない。城址の東側を流れる緒絶川と、同城の搦手門を移築したと伝わる鈴木氏の菩提寺瑞川寺の山門にわずかに往時をしのぶばかり。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 大崎氏
築城年 不明
主な城主 大崎氏、古川氏(大崎市家臣)、木村氏、鈴木元信(伊達氏家臣)
廃城年 寛永年間(1624〜1644)
遺構 曲輪、横堀、土塁、移築門(瑞川寺山門)
指定文化財 市史跡(古川城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 宮城県大崎市古川二ノ構7-67
問い合わせ先 大崎市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0229-72-5036