続日本100名城

ようがいやまじょう

要害山城

山梨県甲府市

別名 : 要害城、積翠山城
旧国名 : 甲斐

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要害山城
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しんしんちゃん

そもそも籠城戦、考えてないでしょ (2017/12/10 訪問)

要害山城は武田信玄の父・信虎が築いた詰めの城で信玄公の時代にも存在していました。武田信玄生誕の地とされており麓には東郷平八郎の書による石碑もあります。東西に伸びる尾根上に築かれており西の大手から段状に郭が続いており要所を守る門には石垣が礎石として積まれていたようです。竪堀や堀切なども備え、それなりの山城ではあると思いますが、武田信玄の詰めの城にしては少々物足りなくもあります。上杉謙信や織田信長、今川義元らの本城を訪ねてみると未完成だったり、防御が甘かったりと感じることも多々あるのですが、この方々の頭の中には籠城という発想は無いのかもしれません。戦というものは他人の地でやるものだと思っているのではないでしょうか。
いい気なものだなと思いますが、上杉家以外の子孫たちが悲惨な目に合っているのを見ると、それ見たことかと思わなくもないです。

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くうくう

信虎築城、信玄出生の標高780mに築かれた武田氏の詰城

武田信虎が永正17年(1520)躑躅が崎の武田氏館の詰城として築城。東郷平八郎書による「武田信玄公誕生之地」碑もある。主郭は土塁がめぐり、大手方面の西は階段状に曲輪が展開、搦手方面の東は大きな堀切が何本か確認できる。石塁や虎口が石積みで固められてたり、背後の堀切などには石積みが見られたり、と堅牢に防御されている。南東尾根の支城熊城とともに戦国期の武田氏山城の迫力を余すことなく伝えている。

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ぴーかる

要害山城 (2023/01/08 訪問)

【続百名城56城目】
<駐車場他>要害山登山口駐車場
<交通手段>車

<見所>土塁・虎口・曲輪
<感想>新春1泊2日甲府盆地の旅3城目。2日目の朝一に登城しました。登山道はかつての大手道のままだったようで、登城口付近に門跡の石積み、登山道には土留めの石積みが随所に見られます。大手虎口の手前に竪堀があります。虎口石積遺構は武田氏館跡に見たものと酷似していたので詰城の方にも同じような建造物があったことを思わせる。曲輪は城跡内部の大手道を中心に左右に大きく山を囲むように広がり段状になっています。大手虎口や主郭手前の虎口は枡形になっており見応え十分です。主郭は土塁囲みで最奥の土塁がひときわ高くなっています。主郭土塁も石積みであったようでほんの一部石積みが残されています。主郭背後には大堀切、搦手側は尾根上の折れ曲り虎口や堀切土橋の土留めの石積みが見応えあります。甲斐武田氏も堅固な詰め城を持っていたことを認識しました。予習をせずに来たので予想外の見応えに大満足です。

<満足度>★★★

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー56城目 (2022/12/17 訪問)

甲州牛のビーフシチューで贅沢な昼食をとった後の山梨ドライブの締めは続100名城の要害山城。なかなかの寒さでしたが、御坂城を攻略した日の要害山城に比べれば、風が殆どないだけ楽です。枡形の連続は圧巻ですが、草刈り後、冬枯れの季節がやはり見栄えが良いようです。続100名城選定により、訪れる人は確実に増えています。山頂で山ピクミンの苗をゲットできました。スタンプ置き場の藤村記念館前に信玄の父の武田信虎の銅像が出来ていました。

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 永正17年(1520)
築城者 武田信虎
主要城主 武田氏、徳川氏、加藤氏
文化財史跡区分 国史跡(要害山)
近年の主な復元・整備 武田勝頼、加藤光泰
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
住所 山梨県甲府市上積翠寺町
問い合わせ先 甲府市産業部観光商工室観光課観光係
問い合わせ先電話番号 055-237-5702