続日本100名城

ようがいやまじょう

要害山城

山梨県甲府市

別名 : 要害城、積翠山城
旧国名 : 甲斐

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要害山城
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WEST

要害山城探訪 (2025/04/08 訪問)

要害山城を訪問しました。このお城は武田信玄の親である武田信虎が築城しました。登城の前に甲府駅前の藤村記念館でパンフレットと縄張図を頂きました。登城ルートと遺構確認の参考となります。
登城口近くに数台駐車できる駐車場がありますので、自動車によるアクセスが便利です。
登城口からは本曲輪まで登りに25分、下りに20分程度でした。登城路は特に迷うことなく進むことができましたが、ただ登城路に倒木がありますので、注意が必要です。
登りは曲輪、竪堀、土塁、それに石垣の遺構を見ながら、本曲輪まで行きます。途中にある不動曲輪からは甲府市内が望めます。山城の醍醐味ですね。
本曲輪から奥に進むと大きな堀切を見ることができます。なかなか見ごたえがありますよ。

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火ノ島豊後守正宗

要害山城 (2025/04/10 訪問)

続80城目。
武田神社から徒歩で40分程度で登城口に到着。ここから30分以上かけて山頂にやってきました。かなり疲労困憊ですが、本丸跡で食べたおにぎりがたいへん美味しかったです。
昨日の八王子城よりはちょっと楽かなっと思いました。

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熊城 (2024/12/05 訪問)

 要害山城の南東の谷を隔てた標高約730mの尾根に築かれた城で詳細はわかっていないようですが、要害山城の出城のように考えられている城址です。要害山城へ来たのは今回で3回目です。いつも熊城をセットで散策していました。要害山城より武骨な雰囲気で結構すきな城址です。
 要害山城を散策した後、戻らずに背後の尾根を歩いて行くと深草観音・岩堂峠へ行く標識があります。その道を、道なりに尾根筋を回りこむように歩いて行くと西へ伸びる尾根があり降りて行くと熊城へ行けます。ハイキングコースの道から熊城方面の尾根へ入る場所に標識はありません。以前登城したときは土管があり目印としていましたが、撤去されていました。ただその場所に黄色いリボンが左右の木に巻かれて目印になっています。ここを降りて行くと途中で左右の尾根に分かれる所がありますが、右側(岩に石が積んであるのが目印)へ進みます。すると深い堀切があり、ここからが城域です。その堀切を越えてもすぐにまた深い堀切があり二重掘切といってもいいのかもしれません。それぞれの堀切は左右が竪堀となっていました。2つ目の堀切の東側に竪堀を降りて行くと南側に畝状竪堀を見ることができます。竪堀を戻り堀切を上がると主郭です。その下にも曲輪が続きます。下の曲輪から南東部へ回り込むと、ここにも畝状竪堀がありました。元の道に戻り降りて行くと堀切が2カ所あり、ここまでが主要な城域と思われます。コンパクトな城址ですが、堀切は見事で、畝状竪堀も観られ、所々石積みも残っていて楽しく散策できます。ただ道は整備されていないので歩きにくい所もあり多く、左右は急峻なん崖で高所恐怖症の自分は少し怖かったですね。

 さらに下りて行くと山麓に石積みと曲輪の跡かと思われる地形があります。後世の畑などの跡かとも思われますが、館跡と見えなくもありません。山麓のこの地形についての資料は見つけられませんでした。詳細は不明です。

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武田信虎 (2024/12/05 訪問)

 この日は天候にも恵まれ、紅葉の季節を楽しみながらのんびりと散策しました。門跡、曲輪など追加で写真を投稿させていただきます。

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 永正17年(1520)
築城者 武田信虎
主要城主 武田氏、徳川氏、加藤氏
文化財史跡区分 国史跡(要害山)
近年の主な復元・整備 武田勝頼、加藤光泰
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
住所 山梨県甲府市上積翠寺町
問い合わせ先 甲府市産業部観光商工室観光課観光係
問い合わせ先電話番号 055-237-5702