かくとうじょう

鶴頭城

宮城県遠田郡

別名 : 西館、西舘城、不動堂要害
旧国名 : 陸奥

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内堀と居館跡切岸、東側
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カズサン

別称不動堂城やっと初登城 (2022/05/28 訪問)

 不動堂城と認識して居り、平成28年から仙北方面の城跡を攻め、桜の涌谷城、佐沼城、秋には寺池城、令和2年秋に彫堂七館、千石城と攻め、近くに在るはずの不動堂城が分からない、よく参考にしてる城郭放浪記さん余湖図コレクションさんに記載も無く其のままにしていましたが、ぎりょうさんの城びと投稿でその近くに在る鶴頭城が不動堂城であり伊達家要害の一つ西舘であるとすっきり判明しました。

 今回不動堂城初登城を目指して城廻り、先に北上の浮牛城初登城し安倍貞任を偲び南部藩と伊達藩の境目の伊達藩上口内要害を観察探訪の後、約100km程南下しやっと判明探した不動堂城に初登城。
 近くに不動堂小学校も有り良く地図を調べれば分かったものにと思ったりして、不動堂城北東に在る専用駐車場に駐める(38°31'44"N 141°4'43"E)。

 鳴瀬川を西の自然濠と利用し、南から東、北に内堀、更に外堀で囲み、本丸が居館跡、北西方向に西曲輪、南に一段下がって井戸が在り更に下がって大手門が構えてる。
 居館跡に東には綺麗なトイレ完備、居館奥に高まりが有り現在不動堂神明社が鎮座してる、神社裏と西曲輪間に堀切空堀が有る、居館跡水堀、切岸、西側にも鳴瀬川土手上に切岸が残ってる。
 居館跡本丸城は草が伸びており歩く所だけ草刈り、鳴瀬川越えに南西側千石城を眺めるが良く分からない。

 歴史的には南西3km程千石城と対峙し大崎氏の支配下に在った、後伊達氏の所領と成って慶長16年(1611年)後藤氏が此の地を治め、明治まで後藤氏が継承した。(史跡案内板抜粋)

 不動堂城裏門が東に約500~600mの所の皎善寺霊廟門として移築現存してる。住所:宮城県遠田郡美里町塔ノ越104
 駐車場:(38°31'39"N 141°05'03"E) 狭い道ですので安全運転を!

 やっと登城出来ました、ぎりょうさんありがとうございます。

 
 

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ぎりょう

仙台藩宿老後藤氏の要害跡 (2020/07/18 訪問)

梅雨の晴れ間、藩政時代に当地を領した後藤家の古文書を閲覧する機会に恵まれ美里町を訪問。その帰り道、城址と後藤家歴代の墓所がある「月州山皎善寺」を訪れました。鶴頭城(別名西館)は天正年中には鳴瀬川対岸の伊達家臣遠藤氏が拠る千石城に対する大崎氏の属城であった。政宗入部後の慶長16年(1611)からは仙台藩宿老の後藤氏に与えられ伊達21要害の一つ不動堂要害として明治を迎えます。城址は本丸である居所に東に大手門、西に内門を構え、西曲輪と士屋敷が四方を取り囲む。南側は鳴瀬川を天然の豪とし、東、西、北側に内豪、外豪を構える構造。遺構は西曲輪の土塁、本丸の切岸、井戸、内濠が残るが、東に隣接する皎善寺内に「内門」が移築されており二代近元公はじめ後藤家累代の墓所とともに見学をお勧めしたい。本丸北側に駐車場がある。

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刑部

今は神社と公園 (2019/04/28 訪問)

こじんまりとした城址、駐車場はあります。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 後藤氏
遺構 曲輪、横堀(水堀)、移築門
再建造物 碑、説明板
住所 宮城県遠田郡美里町字西館