みんなの投稿

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じゅんじん

ここかあ (2022/04/25 訪問)

冬にチャレンジします。

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姫街道

桜と堀の名所 (2022/05/04 訪問)

桜の名所として有名だが、私は有名な橋が架かる堀に注目した。「なんと立派な堀だろう」私が知っている武田の堀とは少し趣きが違うが、自然の地形を生かした縄張り+武田の築城技術が生かされているのは間違いない。大手から本丸への導線も面白い。

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赤い城

田園調布に・・・。 (2022/04/30 訪問)

東急の田園調布駅から徒歩で10分。
奥沢小学校が砦跡とされています。
吉良氏家臣の大平氏の砦とされますが詳細は不明です。
この日は日曜日だったので怪しまれることなく写真撮りましたが平日は微妙ですね。
周辺を少し歩きましたが砦感を感じることは出来ませんでした。
田園調布駅前には長嶋茂雄さんが通ってた焼鳥の名店が。
アンチGですが機会があれば行ってみたい。

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ぴーかる

敦賀城 (2022/04/16 訪問)

【敦賀城】
<駐車場他>城びとポイント真願寺:参拝者駐車場 来迎寺:<35.651413,136.061333>の道路脇
<交通手段>車

<感想>敦賀城は本能寺の変後に秀吉が蜂谷頼隆を敦賀に入れ1583年に築城された。蜂谷頼隆は九州平定中に病死した為にやがて大谷吉継が入城し大改修を行う。関ヶ原後は城は越前国の領主となった結城秀康に接収され代官が置かれたが一国一城令により廃城となります。
遺構は数々残っているようですが今回私は、真願寺の礎石・来迎寺表門がかつての中門・敦賀西小学校の説明碑の3か所を巡りました。
 あと日本三大松原である気比の松原に行きました。

<満足度>◆◇◇

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ヒロケン

7度目の訪問 (2022/05/04 訪問)

金沢城は、犀川と浅野川に挟まれた金沢市の中心部に位置する小立野台地の突端に築かれた梯郭式平山城です。城域は東西680m・南北670m・面積は30万㎡におよんでいます。
金沢城はかつて、加賀一向衆の本拠金沢御坊があった場所といわれています。織田信長公の命を受けた柴田勝家公・佐久間盛政公の攻撃を受け金沢御坊は陥落、御坊跡を盛政公が改築しています。その後、柴田勝家公が羽柴秀吉公に敗れると、前田利家公が金沢城に入城し、明治維新まで、前田家の居城となっています。

現在の金沢城は重要文化財の石川門・三十間長屋が残り、河北門・橋爪二之門・鼠多門などが再建され、そして何と言っても高く長い石垣があり、7度目の訪問ですが、感動しっぱなしでした。

金沢城には、6ヵ月ぶり7度目の訪問で娘の新築祝いで金沢に訪れました。森寺城を訪問した後、金沢市内に入り「金沢に来たからには、金沢城に行かなきゃね」っていう思いで、金沢城周辺で駐車場を探しましたが、何処も満車(>_<)おまけに、凄い人混みで交差点ごとに渋滞(>_<)娘との約束の時間が迫る中、泣く泣く( ノД`)シクシク…諦めました。
娘の家に行っても、気分が晴れず明日時間がつくれるか考えていたところ、娘が「そんなに行きたきゃ、歩いて行きん」「ここから30分もかからんよ」って、(*^▽^*)「成る程その手があった」つくづく良い娘を持ったと思いながら、30分かけ徒歩にて訪問しました。

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小荷駄

興国寺城 (2022/05/15 訪問)

何度も来ていますがふらっと近所にお散歩感覚で来ました。三の丸が駐車場になっています。トイレは本丸の中に有ります。パンフレットと続百名城スタンプも本丸に有ります。北曲輪は大空堀からはバリケードで塞がれて立ち入り禁止になっていると思います。大空堀を西に進むと道に出ますので北に進むと新幹線の脇の道を入ると北曲輪を確認できますが藪が凄くて寒い時期のがよいかと思います。なかなか整備計画が進んでいない様には思いますがなかなか見所も多く手入れもされていて散策はしやすいです。特に本丸周囲の土塁と北曲輪との大空堀は高さもあり堀底も歩けるので楽しいです。

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じゅんじん

石垣 (2022/04/25 訪問)

天守台など見ごたえがあります。たまに御城印やってます。

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じゅんじん

新緑がまぶしい (2022/04/25 訪問)

目に優しい緑でした。

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モモ

城と生き物 (2022/04/10 訪問)

水堀の番人がご挨拶してくれました♪

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モモ

究極の一枚 (2021/06/26 訪問)

桜は多いけど、山百合との組み合わせは少ないかな

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ぱぱち

【城と生き物】獲物をじっと待つアオサギ (2022/05/15 訪問)

小倉城のお堀端に大きなアオサギがいました。お堀には鯉やカメなどが見えますが、どんな獲物を狙っていたのかな。

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小城小次郎

よく整備されていてとっても気持ちの良いお城 (2022/01/08 訪問)

近江の「おだに」城ではなくこちらは播磨の「こだに」城。天文年間に小谷城にいた赤松祐尚は善政を敷き領民にも慕われたとか。横堀を配する城郭構造は赤松氏の後に入った宇野氏の影響かも。よく整備されていて気持ちの良いお城。

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チェブ

暗渠と枯山水で二俣城を想う。 (2022/05/06 訪問)

昨日、投稿した「二俣城」の案内に『二俣城跡0.2km 鳥羽山城跡方面1.3km』とあります。
迷う事なく「鳥羽山城」へ転戦。
「二俣城」から歩いても行けますが車で移動し着陣。鳥羽山城 も駐車場があります。

「鳥羽山城」は「二俣城」の支城くらいにしか考えていなかったのですが、、、。

武田家が籠る「二俣城」を攻略する為に築城したようです。
よく、こんな近くに築城したな~が、その時の正直な感想でした。
今の地形から「二俣城」と「鳥羽山城」を見たら圧倒的に「鳥羽山城」の方が立地条件が良いんです。

と少々、勘違いしながらの城攻めです。

石が曳かれた立派な大手道をグルーっと進みます。サイドにも石垣がありました。
土塁の下側を補強する腰巻石垣でしょうか?
東京の端っこに住む私は、こんなカッコいい石垣は出会った事がありません。
、、、腰巻石垣を検索したら、見逃しただけで近くの江戸城や八王子城にもありました。お恥ずかしい、、、(-_-;)

枯山水庭園の跡がありました。「二俣城」を攻略してから作ったのでしょうか?
本丸東門の上に橋がありました。くぐると足元に暗渠??。
暗渠がある事に疑問が湧きました。
「二俣城」は水を井楼を組んで汲み上げてました。
こんなに近い「鳥羽山城」は水の排水設備まで整えている?水には不自由してない?
「二俣城」の縄張りを、初めから「鳥羽山城」の場所にしたら良かったのに、と思いました。

投稿する前に、天竜川を調べたら当時は「鳥羽山城」と「二俣城」の間に流れていたんだとか。
なるほど。
車を移動した時も、一旦 下って上がったのは、元々の川跡だった所のようです。
徳川軍も「二俣城」が川向こうなら、近くても築けます。

天守台がある「二俣城」と庭園があった「鳥羽山城」。その後の2城は仲の良い兄弟のようです。

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豊山町商工会付近 (2022/05/15 訪問)

 溝口氏の城ですが、案内板も石碑も遺構もありません。多くの先輩方と同じように豊山町商工会に隣接する公園の写真を投稿しました。近くに堀之内という交差点があり城であった面影を残しています。
JR勝川駅よりあおい交通バスに乗り豊山町商工会バス停下車、徒歩1分です。

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カズサン

【陸奥・瑞鳳殿】伊達政宗霊廟 (2009/05/17 訪問)

 仙台城の北壁石垣、修復成った高石垣を雨の中充分に観察探訪、修復竣工後5年経っての願いが叶いました。仙台城本丸跡を終えて今回の旅行4日目ファイナル、伊達政宗の霊廟、本丸跡より東に直線で約1km程の所に在る瑞鳳殿を13年前の平成21年5月中旬訪ね参拝しました。

 車レンタカーは瑞鳳殿北側下に専用駐車場が有りそこを利用。
 住所:宮城県仙台市青葉区霊屋下23-2

 仙台城の東約1km、広瀬川が二重に蛇行した経ヶ峯丘陵の樹木が鬱蒼と覆った所、駐車場から立派な石階段が南上方に登って行く、伏見桃山様式の瑞鳳殿が極彩色で彩られ厳かに佇んで居ます、そこから西の高まりに瑞鳳殿よりは控えめに2代忠宗感仙殿、3代綱宗善応殿が建て居ます。
 これらの霊廟も仙台城大手門と一緒に先の大戦の空襲で焼失し、瑞鳳殿は昭和54年再建、感仙殿、善応殿は昭和59年に再建されました。
 一度訪ねたいと思って居りましたので立派な伏見桃山様式の霊廟を雨の中でしたが見学参拝出来ました。

 これで今回の日光・会津・松島名所名湯めぐり兼城廻り7城定年退職旅行を充分堪能し終えて、レンタカーを仙台で返し新幹線で浜松へ帰りました。

 長々の投稿、ご覧頂き有難うございました。


 

 

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しだみゅう

名古屋城 (2021/02/25 訪問)

さすがです。

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しだみゅう

圧巻❗ (2020/05/07 訪問)

六段壁、スゴイ!

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しだみゅう

大野城 (2021/11/06 訪問)

目立ちます❗

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しだみゅう

元旦 (2022/01/01 訪問)

元旦に!

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🏯城好きのメガネ

「長浜城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
長浜城は羽柴秀吉が最初に築いた居城であり、秀吉の領国・城下町経営の基礎を築いたとされる。元々は、織田信長から浅井氏の旧領を与えられ当時“今浜”と呼ばれていたこの地を信長の名を拝領し“長浜”に改名する。本能寺の変では明智光秀方に与した阿閉貞征が長浜城を占領した。羽柴氏の妻ら逃れ、山崎の戦い後に羽柴氏の支配下に戻る。清洲会議後は柴田勝家の甥・柴田勝豊を長浜城の守将として入城させる。賤ヶ岳の戦い後は、再び秀吉の支配下に入る。関ヶ原の戦い後、徳川家譜代の内藤信成・信正が城主になり長浜藩を立藩するも、大坂の陣後に内藤氏が高槻に移封され、長浜城は廃城となる。現在、曲輪、石垣、移築門、井戸等が遺されている。

<アクセス>
JR長浜駅 徒歩10分

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