岡山・鳥取の城巡り3日目。
まずは鳥取城の平地部にある山下ノ丸へ。
去年復元されたばかりの擬宝珠橋と中ノ御門を通って城内へ。櫓はないけど石垣の連なりが迫力満点!
天球丸の巻石垣、これをずっと見たかった!丸みを帯びていてなんだか可愛らしい。
他にも登石垣や三階櫓跡の高石垣など見どころ満載!
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2026/04/10 14:49
2026/04/10 11:32
玉石垣に桜の横須賀城 (2026/04/03 訪問)
小山城の桜に覆われた本丸、展望台小山城の廻縁より富士山発見し遠望を久しぶりに体験し満足の小山城を終えて、帰路方向の横須賀城へ、御前崎経由の国道150号線約40~50km走行。車は西の丸西下のトイレ付駐車場へ駐める。既に満車状態でやっと1台駐車出来ました。
登城ルートはに西の丸中段より南に廻って桜ビューポイントの西の丸南東下で本丸下段櫓門枡形跡丸石垣と桜を入れて撮影、本丸櫓門枡形下に降りて本丸東虎口周りの桜を入れて撮影、北の丸へ回り、本丸東土塁の崩落は以前のままでしたが少し雨による崩落が進んで居る様です。北の丸の一本大桜と松尾山登城坂階段を入れて撮影、本丸裏手の北側土塁と白い大島桜を入れて撮影、北の丸から本丸東虎口より本丸へ、天守台、裏手の大島桜は表から撮影すると順光で奇麗に撮れる。本丸、西の丸、西の丸は桜は若いが植栽が多いので花見広場に成っている、しかし時間が遅くなって花見客無し。
探訪撮影中、金土日曜日が横須賀祭に当たり御囃子の音が賑やかく聞こえてくる、昨年と同タイミングでの桜城廻でした。
今回の遠州路桜と城廻りは4/2浜松城、4/3久野城、掛川城、小山城、横須賀城を雨降りを避けて探訪、桜と城、青空が毎年毎年の楽しみでウキウキした高揚感が湧いてきます。長々の投稿ご覧頂きありがとうございました。
この後は磐田市役所北隣の遠江国分寺整備中現場を確認見学して帰りました。
期限は3月末から9月末へ伸びて居ました。
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2026/04/10 07:32
年度末山陰の攻城・尼子十砦を攻めるための城 (2026/03/29 訪問)
残り4城の尼子十砦、この日でのコンプリートを目指します。朝一で向かったのは、尼子十砦の亀遊山城を攻めるために毛利が築いた出雲豊岡城です。ぴーかるさんの投稿を拝見して城の西側の木橋から突入です。井川城の板の橋より遥かに怖い橋ですので、にのまるさんにはお薦めしません。足元がぬかるんでいて間違って踏み込んでしまおうものなら、靴が泥まみれになる事必定ですので早々に急斜面の竹林に入っていきました。倒竹もありましたが、さほど荒れた感じはありませんでした。空堀や堀切をいくつも確認することができましたが、光量不足で手ブレになってしまった写真が多数ありました。残念。来た道を引き返すのはかなり気が重かったので、藪漕ぎ覚悟で尾根を下っていきます。いくつもの堀切を越えて最後の写真の部分に降りてくることができました。蛇喰川を渡ってすぐの場所です。
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2026/04/10 06:56
松葉城 愛知県海部郡大治町 (2026/03/22 訪問)
城びと未登録、周囲は宅地化され遺構はおろか説明板や石碑もありません。
戦国時代は織田伊賀守の居城で信長と坂井大膳との戦いである萱津の戦の舞台となりました。
【見どころ】
・心眼で見る城跡
あまりに撮れ高が乏しいのでここからは名古屋めしのレポートになります。
初日はあつた蓬莱軒のひつまぶし。
朝9:30に到着したもののすでに行列。
幸い駐車場には入ることが出ました。
整理券をもらい11:10の入店、待ち時間は熱田神宮を散策、信長塀も確認できました。
ひつまぶしはやっぱり美味しい、ちょっと贅沢しちゃいました。
夜はこちらも王道の風来坊で手羽先。
少し甘めですがビールが進みました🍺
翌朝はコンパルでモーニング☕
あんこが苦手なので小倉トーストは選びません😓
ハムエッグトーストのモーニング、相方はエビフライサンド。
ボリューミーで美味しかったです。
腹ごしらえもできたのでこの後岐阜城へと向かいました。
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2026/04/09 18:53
中世城郭の最高峰と近世城郭が混在する名城 (2025/05/03 訪問)
後北条氏の発達した中世城郭(総構)と江戸時代の近世城郭(現小田原城址公園)が共に残る城跡。中世城郭と近世城郭が共に残る城跡は全国的に見ても決して多くはないのではないだろうか。
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2026/04/09 18:48
横浜市内にしっかりとした遺構が残る貴重な城跡 (2026/02/26 訪問)
開発により分かりづらくなってしまったものの、よく見れば周辺の地形や旧城時の敷地内に遺構が残る。土塁や虎口跡は見れば分かる程度には残っている。開発されまくっている横浜市内では、かなり遺構の残りが良い方だと思う。
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2026/04/09 17:34
甲賀ゆれ (2026/04/09 訪問)
城主は甲賀衆の佐治氏とされ、織田信長の近江侵攻に伴い配下となりました。天正13年(1585年)の「甲賀ゆれ」に際しては籠城して抵抗し堀秀政、中村一氏に攻められ落城しています。
遺構は開墾等によりかなり破壊されていますが、堀の一部といわれている「枡形池」が北側にあり、その南側には曲輪跡と思われる広い場所があります。ほかにも土塁や空堀などを観ることができます。愛宕山には櫓でもあったのでしょうか。愛宕山の南側にも堀跡のような地形がありました。倒竹が多く侵入は断念しています。西へ歩いて行くとやはり堀のような地形がありましたが、後世のものかもしれません。
さらに西側に堀らしき地形を隔てて2つの曲輪ありますが、今回は入口がわかりにくかったことと時間の制約があり散策していません。
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2026/04/09 11:47
小山城はやっぱし三重三日月堀 (2026/04/03 訪問)
先に小山城の桜と富士山、展望台小山城で写真投稿しましたが、小山城の特徴は西に構えた三重の三日月堀は有名です。以前からの樹木、灌木の伐採整備が進み三重の三日月堀がよく観える様に成っていますので昨年と同様ですが写真投稿致します。
灌木、草などは伐採、刈り取られて居ますが大きく成った常緑樹木はそのままですので、もう少し間引き伐採して貰えると更によく三重三日月堀が観察出来る事でしょう。台風大風で大木が倒壊して遺構の損傷に成らない内にお願いしたい?
素晴らしい遺構が残って居ります。
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2026/04/09 11:20
桜満開の小山城に富士山発見 (2026/04/03 訪問)
遠州路桜と城廻り掛川城に続き遠州東部大井川近くの小山城へ、掛川から国道1号線バイパス経由、最近繋がった金谷御前崎連絡道菊川JCT経由同道を通り、昨年できた道の駅そらっと牧之原に寄って、お気に入りの「ちりめん山椒」をゲットして小山城南山麓のジャリ駐車場に駐める、舗装駐車場は満車の盛況ぶり。
道の駅そらっと牧之原は近場の焼津、大井漁港、御前崎から水揚げされた魚を使った海鮮丼ぶり料理が人気です、又大井漁港で揚がったシラスを使った「ちりめん山椒」は私のお気に入り、ご飯のお供、酒の肴にぴったりです。
昨年の同時期にも訪ねて居りますが、今年も探訪、桜と城に青空のロケーションはウキウキの探訪です、本丸桜は満開、大勢の花見客、小山城の天守閣は「吉田町展望台小山城」と称しております。展望台に200円入場料を払い、1階2階の展示を閲覧、展望階の廻縁で桜に覆われた本丸二の丸を見下ろす、見事な咲振り、目を東に向けると富士山を発見、「富士山が見える」と声を発してしまいました、昨年は見えなかったのに、感激です富士山を見ると何か胸躍る気持ちと得をした気持ちと何とも言えないありがたさも沸き上がって来ます。ありがたやありがたや! 南に廻ると太平洋と突出た御前崎を遠望。
展望階廻縁、本丸、二の丸より桜と小山城展望台天守閣風建物を入れて撮影。
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2026/04/09 09:36
【大友宗麟】(10)高城川の戦い(決戦!大友VS島津) (2026/01/24 訪問)
大友宗麟、大友館からの続き(10)です。
大友家没落の原因となった地「高城」、ここはかつて、大友全軍と島津全軍が激突した場所でした。
1578年、島津に追われた日向の伊東義祐が宗麟に助けを求めに来ると、宗麟は娘が嫁ぐ伊東氏を助け日向の国(宮崎県)を奪還するため、臼杵から豊後全軍5万をもって出陣します。しかし宗麟は延岡まで来たところで、何故か日向の国を(ヒムカ)と名付け、全国からキリシタンを集めたキリストの理想郷(ムジカ)の国をこの地に作ろうと、進軍を止め神社仏閣を壊し、その建設に没頭し始めたのです(それが宗麟の真の目的だったのでしょうか?)。
しかし主力軍4万はそのまま南下し、山田有信と島津家久が籠る高城を取り囲みます(写真①②③)。ここで3カ月経っても宗麟からの攻撃命令は出ません。それどころか宗麟はムジカの建設にますます没頭して行きました。宗麟は理想郷が完成するまで島津に邪魔されないよう牽制するだけで、本気で戦をする気はなかったのかもしれません。そんな主君に家臣たちはいらだち、総大将を任された田原紹忍(宗麟の正妻奈多夫人の兄)と、血気に逸る田北鎮周や佐伯宗天などの重臣との間で、口論が陣中で始まってしまいました。もはや大友軍はまとまりがなくなったようです。
その時です! 有信を助けるべく当主の島津義久を総大将とする島津主力軍3万が根白坂に到着します。そして島津軍は坂を下りこの高城川の近くまで攻めて来ました。ここで大友軍が応戦するため松山之陣を下りると(写真⑥)、島津軍はなぜかUターン、一斉に逃げるように引いて行きます。「島津軍など恐れるに足らず!」。そしてこの時、田北鎮周や佐伯宗天らは、薩摩の当主義久の旗印を発見します。その旗印を見たとたん「敵の総大将じゃ~! 今が義久の首を獲る千載一遇のチャンス!」とばかりに暴走、島津軍を追撃し深追いしました(これが罠です!)。すると両側に潜んでいた島津義弘と島津以久に取り囲まれます。危ないと思った後詰の田原紹忍は彼らを助けに行きますが、今度は高城にいた山田有信と島津家久が城を出て、紹忍の背後を囲みました。これが島津得意の「釣り野伏せ」です。四方を完全に囲まれ、見事に罠にかかった大友軍は大敗。田北鎮周や佐伯宗天はこの切原川の河原で戦死したそうです(写真④⑤)。
戦が終わると、松山之陣の後方の丘に、山田有信により大友軍と島津軍の戦死者を供養したとされる供養塔が立てられました。そしてその地は、「宗麟原」と名付けられていました(写真⑦⑧⑨⑩)。
この後、大友軍は豊後に逃げ帰ろうと北へ敗走します。対する島津軍は耳川で追いつきます。そこで大友軍は、さらに大量の戦死者を出してしまいます。次は、大友軍がとどめを刺された耳川と、宗麟の本陣があった無鹿を訪れます。
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2026/04/09 08:09
山頂部周辺の曲輪群 (2025/11/02 訪問)
(続き)
本丸から二の丸まで戻って搦手側へ。本丸西面は破城によるものか石垣が崩れています。搦手の虎口を横目に西裾の腰曲輪に向かうと、こちらも破城によるものか南端部に石垣の崩れた枡形虎口がありました。虎口を出た先の登城道沿いには本丸とホオヅキ段の石垣が続いています。こちらは状態良く遺っていました。途中で石垣を登ってホオヅキ段へ。北側の天守台の石垣は崩れて石材が散乱しています。かつてはホオヅキ段から本丸の東裾を通って三の丸の大手枡形虎口に至るルートがあったようですが、藪化していたのであきらめて馬場に向かいます。馬場への尾根沿いには竪堀や櫓台、堀切があり、馬場には説明板が立てられて山麓からの車道の駐車場所になっていました。
馬場で折り返して今度は搦手口から六角石垣へ。搦手口も枡形虎口になっています。腰曲輪西面の石垣を眺めつつ西にのびる支尾根を進むと、尾根沿いの曲輪にも石垣が見られます。物見台と考えられる支尾根西端の曲輪は周囲を鈍角の石垣で囲んでいて、六角石垣と呼ばれています。破城を免れたようで石垣は状態よく遺っていて、周囲をたどって角を数えてみましたが、六角までは確認できませんでした。そして古城手前の分岐で来た道に合流して下山しました。
山腹の石切り場や山麓の居館などもあるようですが、今回はこんなところで。古城もそれなりに遺構はあるものの、この城の見どころは何といっても山頂部の石垣(と眺望)なので、車で登城されるなら山頂まで行ってしまってもいいかな、とも思います。ともあれ、中世の土の城と近世の石垣の城が並存する見応えのある城でした。
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2026/04/09 07:02
年度末山陰の攻城・尼子十砦編④ (2026/03/28 訪問)
神庭横山城からの転戦です。麓に加茂神社が建っています。案内板が倒れていて登城路を見つけるのにしばらく時間がかかってしまいました。ぴーかるさん投稿の写真を見ていれば悩まずに済んだのに。その登城路、倒竹が結構あり、下りも続いたりして進むことに不安を覚えてしまいますが、山頂の三角点にたどり着くことはできました。公園として整備され四阿もありますが、今は人手が入っている様子がありません。この日はここで攻城を切り上げます。まだ時間があったので、安来市の和銅博物館にも足を伸ばして玉鋼や天秤ふいごを拝んできました。鬼滅やもののけ姫につながりをもつスポットかと。
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2026/04/09 06:22
蜂須賀正勝の居城 (2026/03/22 訪問)
蓮華寺というお寺が城跡で駐車場もあります。
お寺の前には説明板がありますが城についての記載はありません。
少し入っていくと蜂須賀正勝の顕彰碑がありました。
結構立派な石碑です。
山門から入っていくと建物がありますが少し西側に建っています。
これは大師堂だそうで本来正面にあった本堂は再建されなかったとのことです。
境内にはミニ四国八十八ヶ所もありました。
蜂須賀氏のゆかりなんですかね。
遺構は無いとのことですが本堂裏手ではそれっぽい雰囲気も感じられます。
土塁もあるのですがこれはお寺を建てた際のものかもしれませんね。
周囲は水田になっていました。
【見どころ】
・大きな顕彰碑
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2026/04/08 22:20
「ぽっぽ焼き屋台」出ました! (2026/04/08 訪問)
ちゃんみな氏が,「美味しすぎて,6本は食べた」という,「ぽっぽ焼き屋台」が出ております。イメージ的には黒砂糖系の蒸しパンかな…?
15本で600円でした。
個人的には,菜菓亭の河川蒸気をおすすめします。ぽっぽ焼き生地に小豆クリームが挟んであり,越後土産に喜ばれると思います。季節限定クリームも登場したりしています。新潟駅ビルCoCoLoで販売しておりますが,ちょっと割高設定に感じます。250円台です。万代シティのイオンでは220円台。
桜満開画像とともにアップします。
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2026/04/08 21:43
どえらいお城だ (2025/05/18 訪問)
整備されているところだけでもどえらいお城だがこのお城は未整備エリアが破格に広く、有名な主郭南斜面だけでなく北斜面にも無数の竪堀が入っているらしい。見学できるようになったらさらにどえらさが伝わるのだろう。
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2026/04/08 21:38
2026/04/08 19:06
日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り⑤:久喜陣屋 (2026/04/08 訪問)
日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り5城目は久喜陣屋です。花崎城からの転戦です。
久喜陣屋は別名米津(よねきつ)氏陣屋と呼ぶそうです。
米津氏は徳川家譜代の家臣で、愛知県西尾市に本貫地があるそうです。
1604年(慶長9年)米津勘兵衛田政は5,000石を与えられ、のち江戸町奉行となったそうです。
その子田盛は久喜郷2,091石を領し、1666年(寛文6年)には15,000石の大名となり、大坂定番になっています。その子政武は1684年(貞享元年)久喜に陣屋を構えました。
その後、通政の代、1798年(寛政10年)出羽国長瀞に6,4000石を移され、陣屋を長瀞に移したそうです。
御陣山児童公園が久喜陣屋跡のようです。公園内には特に目立った遺構もなく、説明板もありません。
脇に祠の建つ古墳状のものがありますが、これが遺構といえば遺構かな?
この祠の説明にかってここに首塚があり、そのお祓いするようなことが書いてありました。
攻城時間は10分くらいでした。日帰り東武伊勢崎線沿線城巡りはここがラストです。千葉の自宅に帰ります。
歩行歩数=22618歩、歩行距離=15.8Kmです。
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2026/04/08 19:01
日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り④:花崎城 (2026/04/08 訪問)
日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り4城目は花崎城です。羽生陣屋(城びと未登録 埼玉県羽生市)からの転戦です。
花崎駅から徒歩10分弱で、花崎城山公園入口(36.111147、139.627568)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、粟原城の支城で鷲宮神社神官大内氏の重臣細萱民部少輔光仲が城主だったそうです。
1561年(永禄4年)上杉謙信が関東へ進出した際、上杉方の羽生城主木戸宮内少輔によって粟原城とともに落城したそうです。
花崎城は花崎城山公園付近に築かれていたようです。 公園内に水堀と空堀が残っています。
公園の名は花崎城山公園ですが説明板は見つけられませんでしたが、花崎遺跡の説明板はありました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=久喜陣屋に向かう為、花崎駅から久喜駅に向かいます。
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2026/04/08 18:55
日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り③:羽生陣屋(城びと未登録 埼玉県羽生市) (2026/04/08 訪問)
日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り3城目は羽生陣屋(城びと未登録 埼玉県羽生市)です。羽生城からの転戦です。
羽生城から徒歩10分くらいで、高山神社入口(36.175159、139.544088)に着きました。
1867年(慶応3年)江戸幕府によって築かれました。
羽生領十八ヶ村を管理する代官所として築かれたもので、岩鼻代官木村飛騨守勝教の支配下だったようです。
1868年(明治元年)官軍によって襲撃され焼き払われました。
羽生陣屋は羽生城跡を利用して築かれたようですが、現在は宅地や田畑となって遺構はありません。
高山稲荷神社の辺りが陣屋跡です。高山神社の説明板に羽生陣屋の記載がありました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=花崎城に向かう為、羽生駅から花崎駅に向かいます。
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2026/04/08 18:52
日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り②:羽生城 (2026/04/08 訪問)
日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り2城目は羽生城です。館林城からの転戦です。
羽生駅から徒歩20分ちょっとで、古城天満宮入口(36.175422、139.549907)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、天文年間(1532年〜1555年)はじめ頃に広田式部大輔直繋によって築かれたと云われています。
古河公方に従っていた広田直繁、木戸忠朝らが守っていましたが、永禄年間(1558年〜1570年)に上杉謙信が関東に入るとそれに従いました。
謙信が越後に戻ると小田原北条氏と戦いましたが、1574年(天正2年)に落城し、木戸忠朝らは上野国膳城に引き上げたそうです。
その後、北条氏の家臣となっていた忍城の成田氏長が羽生城を管理し、成田長親が城代となります。
1590年(天正18年)豊臣秀吉による小田原征伐で、羽生城は破棄され忍城に籠城してこれを迎え撃ったそうです。
1590年(天正18年)徳川家康が関東に入部すると重臣大久保忠隣が20,000石で羽生城主となり、父忠世が没すると家督を継いで小田原城主となりますが、羽生の領地も維持されたそうです。
しかし、1614年(慶長19年)大久保忠隣は改易となり、羽生城は破棄されました。
古城天満宮のあるところが天神郭のようです。
遺構は残っていないようですが、古城天満宮の入口に石碑と説明板があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=羽生陣屋(城びと未登録 埼玉県羽生市)に徒歩で向かいます。
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