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しんしんちゃん

守山崩れ (2024/04/06 訪問)

守山城は宝勝寺一帯に築かれていたとされています。宝勝寺が主郭と思われ、南は切岸のようになっており、北側に堀切が残っています。城域は東西約58m、南北約52mとされています。天文年間(1532~55)松平清康が尾張攻略のために居住しますが天文4年に家臣の安倍弥七郎に殺され、松平勢は総崩れとなり岡崎に引き上げたとあります。いわゆる「守山崩れ」ですね。

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イオ

桜桃爛漫 (2024/04/06 訪問)

今年の城の日は、所用で大阪に行くついでに大坂城で桜見物を。昨秋に紅葉見物で訪れた際に、東外堀沿いの桜並木の紅葉が(遠景では)綺麗だったので、いつか桜の時季にも来てみたいな、と思っていましたが、思いがけず早く叶えることができました。

例年より開花が遅れたことで、ちょうど城の日に満開を迎え、東外堀の南端からは両岸に続く桜並木が見渡せます。東外堀沿いに北に進むと、巽櫓台から艮櫓台、さらに高石垣の上にも桜が続き、桜越しに天守の姿も覗いています。天候も穏やかで、公園側の桜並木の下では多くの人々がシートを広げてお花見に興じていました。ああ、なんて心和む春の一日…。

東外堀沿いの桜を満喫したところで、今度は北外堀沿いの大阪城桃園へ。桃の見ごろはもう過ぎているかと思いきや、早咲きから遅咲きまで様々な品種が植えられていて、華やかな色彩の桃と桜の競演を堪能させてもらいました。こちらも大いにおすすめです。

そして伏見櫓台を経て、乾櫓を眺めながら帰途につきました。次は乾櫓特別公開に来るぞ、と念じつつ…。
 

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todo94

京阪の城めぐり⑫ (2024/02/25 訪問)

ここも三津寺砦と同様、2023年2月に訪れた際には工事中でした。坐摩神社、知らなければいかすり神社とは読めませんよね。旧社地の行宮とのことで神功皇后鎮座石がありました。雨中、無理はしたくなかったので今回の京阪の城めぐりはこれにて終了。大阪駅の大丸で贅沢な寿司の昼食をいただいた後、予約を入れておいた曾根崎献血ルームに早めに向かいました。

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カズサン

桜装う浜松城2024 (2024/04/07 訪問)

 今年も桜満開の浜松城を訪れる事が出来ました、早めに家を出て北側の浜松城公園駐車場の開き時間に合わせて出かけましたが8時半前には既に駐車場手前で渋滞発生、8時半と思っていたのですが8時に駐車場は開場でした入ったときは9割方の満車状態。
 早速桜と天守閣の見えるポイントを廻って撮影開始、北側駐車場の眺め、中央広場、天守曲輪のポイント、富士見櫓跡からの眺め、本丸からの、南広場から、今回鳥居曲輪の在った出丸跡(現浜松中央図書館)の駐車場から眺め、当日は日曜日で市役所が閉まっていて屋上に登れずでしたので翌日曇り小雨でしたがスマホで屋上フェンス越しに撮影しトリミング写真を投稿します。
 7日の登城日は大勢の花見客で大変な賑わい桜まつりも7日まで屋台も出て盛況でした。
 当日天気は良く他の遠州の城郭を廻りたく1時間半ほど撤収。
 満開の浜松城を堪能致しました、二の丸の大河ドラマ館跡が寂しそうでした。
 

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しんしんちゃん

展望台に模擬天守。市民の憩いの場。 (2024/04/06 訪問)

新居城は南北朝時代に当地の土豪、永野良春によって築かれたとされています。比高はおよそ40m、東西約280m、南北約140mの城域をもち、一部土塁が残っているようです。主郭と見られる部分にスカイワードあさひという公共施設があり展望室やレストラン、展示場などを備えています。南側には堀切と見られる箇所があり、橋がかかっています。その先に天守風の休憩施設があり食事を取ることも出来るようです。
ちょうどこの日は、さくらまつりの最中で多くの家族連れでにぎわっていました。

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「日本100名城かるた」が4/11のBSよしもとの番組で紹介されます!

みなさま
こんばんは!!速報です!

「日本100名城かるた」が、、、なんとテレビデビューします!!
4月11日(木)放送のBSよしもと「キクテレミルラジ265」の今話題のトレンドニュースを取り上げるコーナーでご紹介いただけるとのこと!!

昨日メールをいただいて、とんとん拍子で決まりました~!!
時間は、16時35分頃~17時30分頃だそう。
見逃し配信もあります!

生放送なので、進行の関係で紹介されない可能性もあるそうなので・・・
どうぞ、皆さま、城びと編集部と一緒に祈ってください!
「放送されますように!!!」

番組公式サイト→ https://bsy.co.jp/programs/by0000018914

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しんしんちゃん

湯づけ・戦国のパワーフード 織田信長編 (2024/04/09 訪問)

ご飯に水やお湯をかけて食す風習は平安時代のころからあったようです。当時は保温機能の付いた炊飯器などないので、米はたいがい冷めていたのでお湯をかけて暖かい米を食す湯づけが好まれたようです。戦国武将たちにも好まれ、特に冬場は重宝したようです。
織田信長が桶狭間の合戦に赴く前に湯漬けを食べ、「敦盛」を舞ったというのは有名な話です。さすがに米にお湯だけでは味気ないので少し塩をたしていますが、非常なシンプルな味で、それ故に奥が深いです。湯づけを食すにも作法があって、食している間は、汁は吸わずに最後にすすうらしいです。
シンプルな味ですが合戦に赴く諸将たちにとっては最後の食事になるかもしれず、それ故に格別な味わいであっただろうと考えます。ある意味究極のグルメですね。
さすがに晩御飯がこれだけでは体が持たないので、サラダやヨーグルト(日切れ)で補完しています。気を引き締めるために月一くらいで湯づけの日を設けたいと考えています。

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しんしんちゃん

桜と石。 (2024/04/06 訪問)

名古屋城はこの時期、桜もきれいだし、岩の種類も豊富でいくら写真を撮っても、撮りきれません。日本三大名城として大阪城、江戸城(熊本城)に並ぶ格式を誇っているだけのことはありますね。ここ二日の間、桜散しの雨も降っていて風も強く、名古屋城の桜もそろそろ見ごろを過ぎているころと思います。少し名残惜しいですが、また来年の桜を楽しみにして、大事無く過ごしたいと思います。
名古屋城は天下普請で短期間で完成しており、総延長8.2km、面積5万平方mにおよぶ石垣には様々な石材が使用されています。以前、和歌山城に使われている和泉砂岩の話をさせていただきましたが、名古屋城も二の丸の石垣などに河戸石と呼ばれる砂岩を多く使用しています。ジュラ紀の地層から採取されるようなのですが、見た目に堅そうで石垣としての役割を十分果たしているようです。見た目にボロボロで見るからに心配な和泉砂岩と違って、「砂岩ですが何か?」とでもいいたげな頑強さです。う~ん、かわいくない。やはり私は和泉砂岩を「推し」です。
名古屋城の石垣は幡豆石と呼ばれる花崗閃緑岩を多く使用していますが、東鉄門跡付近には熊野石と呼ばれる石が使用され、名古屋城で一番大きな石である清正石は山陽帯花崗岩が使用されているそうです。正直、予備知識がないとなかなか見分けがつかないですね。

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ぴーかる

天女の羽衣 (2024/02/17 訪問)

【羽衣石城】
<駐車場他>羽衣石城駐車場20数台分あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣・巨石群・眺望
<感想>日帰り羽衣伝説の旅1城目。羽衣石城は1366年に南条貞宗によって築城されたとされます。戦国時代には尼子氏によって落城し尼子領となりますが、尼子氏が毛利氏によって滅ぼされた後は南条氏が復帰します。時の城主、南条元続は羽柴秀吉の鳥取城攻めの際には羽柴方に味方します。1582年に吉川元春配下の武将山田重直の手により落城しますが、1584年に織田・毛利の講和により再び南条氏が復領します。南条元続の子の元忠は関ケ原で西軍に味方し城は廃城となったようです。
 上記駐車場から400mの道と500mの道の2つのルートがあり、先達の方々と同じように400m側から登って500m側から下山しました。どちらも遊歩道階段が付けられているので登り易く、400m側の方に見れる遺構が多く残っているのでこの順で進むのがお勧めです。登り始めてすぐに方形の石積み遺構が現れます。櫓台か門跡と思われます。このような石積み跡は中腹まで所々に見られます。八幡社の曲輪、発掘途中の曲輪群、石垣の多く残る曲輪、お茶の水井戸(池かも)、巨石群のある曲輪、羽衣石を見て楽しみながら登り山頂主要部に到ります。主郭主要部は南北に長く主郭北側下段に展望台、主郭に模擬天守(中には入れない)、主郭南下段に2郭3郭があります。周囲を帯曲輪で巻いています。南西隅に巨石で塞いだ虎口遺構があります。下山したルートの方には巨石の塁壁、谷に段曲輪があり石垣が僅かに残っていますが、未整備で沢を挟んで遠くからしか眺めることしか出来ません。山頂手前に礫石が相当落ちているので何かの遺構が崩れてしまっているのを想像させます。主郭主要部が整備され模擬天守があるので重機をこちら側から入れているような感じでした。また、登山道途中にあれだけあった石垣遺構が主郭主要部には全くなかったのは不思議だと思いました。

<満足度>◆◆◆

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肉球

山川氏館  茨城県結城市 (2024/03/27 訪問)

結城氏一族山川氏の館跡です。
鎌倉時代に築かれ山川綾戸城を築くまでの250年程の間
山川氏の本拠地だったようです。
枡形の館跡には堀跡と土塁が残り内側は東持寺というお寺になっています。

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肉球

山川綾戸城 茨城県結城市 (2024/03/27 訪問)

平将門が砦を築いたいう説もあるようですが
結城氏一族の山川氏によって築かれたようです。
結城氏と一緒に山川氏も越前へ移ったのち
江戸時代初期に水野氏が近世城郭として整備したようです。が
すぐに駿河田中城へ転封し廃城。
僅かな土塁と水野家の墓所が万松寺廃寺跡に残るくらいで
ほとんどが宅地と農耕地になっています。
土塁が残るのは南北にのびる舌状台地なので
東と西の湿地が堀跡かと勝手に想像して
画像を掲載しました。

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カズサン

今年も逆さ久野城を観たくて! (2024/04/04 訪問)

 東の丸と北大土塁のつづきです。

 昨年の3月29日に初体験の桜に覆われた久野城の逆さ久野城を今年も見たくて4日吉岡大塚古墳の後に寄り桜の開花は5部咲きの感じでしたが、北側の駐車場から西の丸、南の丸、大手を通って東名高速道に近いビューポイントの昨年新しく出来た遊水池東側へ行きましたが、当日は曇り日でやや風が有り遊水池にはさざ波が立ち水面に桜に覆われた久野城が写りません、7日の再び訪れて逆さ久野城をを見る事が出来ましたが晴天で無く青空を写し込めなく、昨年の景観を超える事は出来ませんでした。
 逆さ久野城の4日の写真と7日の写真及び南の丸、本丸周辺も合わせて投稿致します。

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肉球

長井戸城 茨城県境町 (2024/03/27 訪問)

城びと未登録長井戸城
圏央道境古河IC出てすぐの所にある長井戸香取神社が跡地です。
古河公方配下の菅谷氏の館だったようで
その後小山氏の配下になった模様。
菅谷氏は秀吉の朝鮮出兵や家康の大阪の陣にも参戦しましたが
のちに帰農した模様。

神社敷地を囲う東側に土塁と堀跡、北側に土塁が残り
西側と南側はほとんど消滅してますが
神社敷地内に内堀土塁が残されています。

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肉球

ひと回りしてみました (2024/03/27 訪問)

本丸跡が僅かに残り
二の丸跡は本丸跡の南から北東へ伸びる畦道か?
三の丸は乳牛牧場付近か?
縄張り図と睨めっこすると何となく判別できる気がします。
大手門跡から搦手門跡までの外堀は水路のように残っています。
本丸御殿一部は近くの実相寺に移築されています。
移築され頼りなさそうにしていた埋門は修築が終わりシャキッとしてました。

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クラファンの応援、ありがとうございます!

こんにちは!城びと編集部です。
4月6日からはじまった「日本100名城かるた」のクラファンですが、多くの方から応援いただいております。
編集部一同感激&さらに頑張らねばと思っております!

お気づきの方がいらっしゃるかもしれませんが、城びとサイトから、今回のプロジェクトページに遷移するバナー広告を掲載しています。ぽちっとクリックすると、Makuakeサイトにいきますので、よかったら見てください。

皆さまのお力が必要です。引き続き、応援よろしくお願いします!

(追伸)100名城かるたに、どのフレーズや絵柄が選ばれたかは、商品が届いた時のお楽しみにしたいと思い、現在、公開していません。・・・が、Makuakeのプロジェクト説明ページや城びとのSNS等で、ちら見せしてますので、よかったらご覧ください。

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todo94

京阪の城めぐり⑪ (2024/02/25 訪問)

野田城と同様、2023年2月19日以来、ほぼ1年ぶりの再訪です。前回はまだ工事中だった三津寺が竣工していました。ホテルの1階にすっぽりとおさまっている本堂はここでしか見ることができない風景なのではないでしょうか。この日は大阪マラソンにあたっていて、寺の前の御堂筋がマラソンコースになっており、道路の反対側からホテルの遠景を撮影することはあきらめました。

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赤い城

城域は広いが (2024/03/24 訪問)

播磨三城の一つで戦国末期には三木氏が城主となった城です。
水尾川と夢前川が合流する部分の北側にあり、結構な広さがあったようです。

現在は宅地化され、遺構はほとんどなさそう。
とは言えまずは英賀神社へ。
神社の裏手に土塁が残っています。
土塁の石碑も立っているのでその時代のものと思います。
隣接する英賀城公園には謎の模擬天守台、しかも一部崩れていました。

この公園の端に石碑がある他、何箇所かに石碑があるようですが時間なく見きれず。
とりあえず本丸跡とされる場所の大きな石碑と説明板のところまで行って退却しました。

目立つ遺構はないものの時間をかけて歩くと街中遺構ハントが楽しめるかもしれません。
また行くことがあれば試して見ようかな。

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しんしんちゃん

模擬天守は日曜・祝日 (2024/04/06 訪問)

竜泉寺が城址とされ、弘治3年に織田信長の異母弟・織田信勝(信行)によって築かれたとされています。信勝が信長に殺された跡、廃城になりましたが、小牧・長久手の戦いの際にも羽柴秀吉に陣所として利用されています。
池田恒興・森長可らの討死の報を受けた秀吉が大軍をもって竜泉寺城に陣を敷き、短期間に堀を巡らせたが、家康が小幡城に兵を引いたため、秀吉も陣所に火を放って楽田城に引き上げたそうです。竜泉寺にはミニチュアの名古屋城のような模擬天守(円空の仏像などを展示)がありますが土曜日なので入れませんでした。桜が咲いているのに少し残念です。2019年の8月にも訪れているので、その時の写真も掲載しておきます。

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カズサン

東の丸と北大土塁 (2024/04/04 訪問)

 4日飯田城、飯田古城、帆立貝型古墳吉岡大塚古墳の探訪の後、南アルプスから南に伸びる山塊、宇刈丘陵の南端の久野城を3月7日以来、東の丸周囲の矢竹藪の伐採刈込進捗如何にと、且つ桜の開花状態の確認、昨年体験した逆さ久野城を今年も見たいとの思いも合わせての帰路訪ねました。
 東の丸の周囲の矢竹藪と外堀湿田の葦は奇麗に刈られて切岸は奇麗、よく確認できます、葦も刈られて元の姿に戻っています。しかし葦、矢竹の成長は早くいつまでこの景観が楽しめる事か、早くお訪ねください。
 訪ねた4日は桜の咲は5部前頃、7日訪ねた頃は満開で南の丸は花見で賑わっていて大手側の駐車エリアは満車状態で導入橋に一時路駐で探訪撮影。
 東の丸の伐採整備と満開桜を十分に堪能しました、桜と城は良くマッチします。

 沢山撮影しましたので逆さ久野城は南の丸と本丸編に投稿致します。
 

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しんしんちゃん

織田信秀、織田信勝(信行)ゆかりの城 (2024/04/06 訪問)

末森城は天文17年(1548)織田信秀によって築かれました。天文21年(1552)に信秀が死去すると信長の同母弟・信勝(信行)が城主となりました。信勝は信長に反旗を翻し、一度は許されますが永禄元年(1558)に再び謀反を企てたとされ清洲城で殺されます。
末森城は標高43mの岡地に築かれており、現在では本丸は城山八幡宮の境内になり、二の丸は駐車場になっています。一見普通の神社に見えますが本丸から東に降りていくと見事な空堀が残っており神社への橋が土橋の代わりにかかっています。

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