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しんちゃん

六文銭 (2025/02/02 訪問)

名胡桃城に行ってきました。最強寒波の影響で、今はすごい雪のようですね。この日、箕輪城は雨でしたが沼田城と名胡桃城には雪が積もっていました。長岡市に行きたいですが、正直たどりつけるかわかりません。
「真田丸」の影響で続百名城に選ばれたイメージが有りましたが、再び訪れてみると堀などの遺構の残存度(再現度?)には脅かされます。通常は国道沿いで訪問もしやすいので、是非訪れていただきたいと思います。

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しんちゃん

カツオのたたきも良いけれど。 (2025/01/25 訪問)

以前、朝田さんにクイズで出題していただいた南蛮たたきを見てきました。二の丸の御殿北御庭の北端に連なる練塀の遺構です。「南蛮たたき」とは小石や砂利などを石灰や油などで固めた独特のコンクリートのようなものらしいです。私も見るのは初めてで、以前クイズに答えることが出来たのはネットなどで見た情報が頭の隅に残っていたからです。
塀の屋根などは風化して、だいぶ小さくなってしまっていますが、なかなか珍しい遺構です。カツオは叩くと大きくなりますが、南蛮たたきも大きくならないかな?

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しんちゃん

姫路城  (2024/04/20 訪問)

なんだかんだ言っても姫路城は凄い城です。本当はこれ以上に凄い城がいくつもあったはずなのですが・・。名古屋城の天守が戦争で燃えてしまったのは本当に残念。国が起こした戦争で、名城が幾つも失われたのだから、国に責任とって木造で再建して欲しいぐらいです。坂本城のように、せっかくすごい石垣が出てきてもすぐ埋めちゃうし、今の文化庁のやり方には不満がありますね。
多くの遺構を残す姫路城も26年3月に入場料を2500円に値上げする予定らしいです。年3回訪問するとすれば、年間パスポート5000円を購入する方がお得ですね。これは本気で購入を検討しなくてはいけませんかな。

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しんちゃん

案外広い天守閣。 (2025/02/09 訪問)

彦根城はいい感じに雪でしたね。文化財への負担は気になりますが雪景色がきれいです。そういえば姫路城の入場料は姫路市民以外は2500円に値上げするようですね。ちょっと行きづらくなるなあ。正直、国の税金もだいぶ投入されているはずなので税金を払っている国民として、不満はあります。
地元の政治家の人気取りに使われているようで嫌ですね。彦根城や犬山城はなんとか据え置きでお願いしたいです。年に2~3回は行きたいですからね。

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しんちゃん

三方原古戦場 (2025/01/26 訪問)

私の地元・豊橋の近くには古戦場がたくさんあります。ありがたいですな~。桶狭間、小牧・長久手、関ヶ原、三方原、長篠、少し足を延ばせば川中島。やはり三英傑の地元だけありますわ。
浜松市北区を井伊谷に向かっていると、三方原古戦場の石碑があったので寄りました。近くには犀ヶ崖古戦場や一言坂古戦場もあります。元亀3年(1572)10月3日に2万5千の大軍を率いて甲府を出発した武田軍と、1万1千の徳川軍(織田の援軍含む)が同年・12月22日にここで激突しました。ちなみに某アプリではここで井伊直政をゲットすることができました。

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戦国roman

🏯城攻略〜土佐国 安芸城〜 近世 土佐藩家老の居館編 (2025/01/08 訪問)

下記縄張り図の一番下、追手門・枡形の前にある駐車場に停めて入城します。
ちなみに追手門のゲートをのけてクルマで入り中にも駐車場がありますが段差の部分のスロープの幅が狭いので小型車でないと脱輪しそうなので私は堀の外の駐車場(無料)に停めました。

「安芸城は安芸氏代々の居城でしたが、永禄12年(1569)長宗我部元親の攻撃に敗れ、その後は長宗我部氏が約30年間支配した。
慶長6年(1601)土佐へ入国した山内一豊は、佐川、宿毛、窪川、本山、安芸の5ヶ所の城に重臣を配置した。安芸城を預けられた五藤氏は、ここに屋敷を構え、城の入口に櫓門と枡形を設け、東西の土塁上には石垣を練塀を築いた。」
(現地案内板より)

域内には下記の施設があります。

◆五藤家安芸屋敷
こちらは入場できるようでしたが私は江戸期のものはあまり興味がないので割愛しました。

◆歴史民俗資料館
館内は写真撮影不可かつ残念ながら城に関する展示はほとんどありませんでした。
ただ写真のパンフレット・縄張り図を頂いたのでそれにもとに裏山の詰めの城を攻城しました。

◆書道美術館
城ちっくな建物ではありますがさすがにこちらは有料かつ興味がなかったのでパスしました。

◆藤崎神社
土佐藩家老五藤家の先祖をまつる神社
詳細は添付写真をご覧ください。

水堀と土塁、そして追手門・枡形があり、かつ詰めの城である山城もありなかなか雰囲気のある城でした。

攻城時間:45分(山城、資料館含め)

駐車場:複数あり(無料)

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朝田 辰兵衛

足軽長屋の茅葺屋根が心配で… (2025/02/11 訪問)

2021年1月14日に崩れた足軽長屋の茅葺屋根が,「今シーズンは大丈夫なのか…❓」と心配になったので,巡視点検してきました。
良く見ると,屋根の張り出し部分に,崩落防止用の支えを入れて対策されてました。春には取り外すものと思われます。
とりあえず安堵したので,凍った水堀を眺めに御三階櫓まで。散策ルートは犬の散歩コースとなっており,幅は狭いですが除雪されてました。しかしながら,門は閉ざされ,安兵衛茶屋も営業しておりませんでしたので,ご注意ください。

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戦国roman

🏯城攻略〜土佐国 安芸城〜 中世 土佐七雄の山城編 (2025/01/08 訪問)

安芸城は中世に安芸氏が築いた城山部分と江戸時代に入って土佐藩家老五藤家によって整備された居館部分とから構成されます。
山城は「土佐七雄」の一人に数えられ土佐東部を治めていた安芸國虎の居城であります。

土佐七雄
室町時代末期から戦国時代にかけて土佐国に存在した7つの豪族の総称であります。
下記のメンバーで8人いますが一条氏は土佐国司、正二位の家格を誇り、七雄の別格的存在であります。
                領地
幡多郡 中村城主  一条氏 1万6千貫  *今回攻城
安芸郡 安芸城主  安芸氏   5千貫  *今回攻城
香美郡 香宗城主  香宗我部氏 4千貫
長岡郡 本山城主  本山氏   5千貫
長岡郡 岡豊城主  長宗我部氏 3千貫  *攻城済み
吾川郡 吉良城主  吉良氏   5千貫
高岡郡 蓮池城主  大平氏   4千貫
高岡郡 姫野々城主 津野氏   5千貫

しかしこの安芸國虎も昨日の中村城の一条氏と同様、土佐を平定する長宗我部元親との攻防で敗れ自刃します。
歴史民俗資料館のスタッフの方曰く、「5分で登れる山城」とのことです。要は平山城(標高41m)ですね。



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トク

④【護佐丸と沖縄6城】(2)今帰仁城(2/2) (2025/02/05 訪問)

2城目、今帰仁城の続き(2/2)です。大曲りと呼ばれる1.5kmにわたる城壁は圧巻でした。そしてその曲線美はとても美くし感じました(写真①②)。特に北の志慶真門郭から本郭を見上げた城壁の景色には圧倒されてしまいました(写真⑧⑨)。

今帰仁城をこのような石垣の城壁にしたのは1390年頃に北山を統一した「怕尼芝」(はねじ)だとされています。そしてここから「珉」(みん)「攀安知」(はんあんち)までの三代にわたり北山王を名乗り北山は全盛期を迎えます。しかし1416年に攀安知は中山王の尚巴志(しょうはし)により滅ぼされ、ここに琉球は尚氏により統一されました。

護佐丸はこの尚巴志の北山討伐軍に加わり先頭になって戦いました。そして多大な功績を上げ琉球王となった尚巴志から絶大なる信頼を得て、占領後の北山の監守役を任されます。王との深い絆ができた瞬間でした。

主郭には居館の跡がありました(写真⑤)。監守時代の護佐丸はここで5年間を過ごしたものと思われます。先祖の土地へ戻った護佐丸は、毎日ここからどんな思いでこの美ら海(ちゅらうみ)を眺めていたのでしょうか(写真⑩)。

王はその5年後に北山に潜む族からの反乱を恐れて、護佐丸に首里を守る地に新たな城を築くよう命じます。命を受けた護佐丸は山田城に戻り、その山田城の西8kmの読谷(よみたん)村の座喜味の丘に城を築く事を決意しました。

次は、その護佐丸が築城名人と言われる由縁となった「座喜味城」を訪れます。
 

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todo94

南九州の群郭式城郭 (2025/02/10 訪問)

まだ暗いうちにチェックアウトし、すき家にて朝食。7時過ぎに到着しました。吉川弘文館の「九州の名城を歩く~宮崎鹿児島編」に所収の城です。続100名城の志布志城や知覧城などと同様、南九州の群郭式城郭では各郭が~城と表現されます。主郭にあたるのは松尾城で主郭が石垣で区切られ、竪堀が落ちていました。詰めの郭は肥田木城で、立派な石の城址碑は荒神城の麓にあります。深い空堀で各曲輪が区切られている素晴らしい城でした。2025年に私が初めて訪れた城のベスト3に入ることは間違いないかと思います。

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you

ゲストハウス 鬼のさんぽみち (2025/02/08 訪問)

一つ前の投稿に目を通していただけますと幸いです。

ただただ感謝を伝えたいだけですのでご了承ください。
2月8日, 9日の1泊2日で鬼ヶ城(三重県熊野市)と新宮城(和歌山県新宮市)を訪れました。

今回宿泊させていただいたのが「ゲストハウス 鬼のさんぽみち」さんです。
世界遺産 鬼ヶ城のすぐ近くにあることがその名前からも想像されるかと思います。
また、“鬼”と“さんぽみち” このギャップがなんともかわらしいですね。

こちらのゲストハウスはご家族3人で経営されています。
事前にホームページ等を拝見、前日に電話で一報を入れさせていただきましたが、
お会いする前から愛想のよさを感じていました。

JR熊野市駅と大泊駅の2駅限定で、宿までの送迎サービスを提供されているとのことで
チェックイン・アウトともに送迎していただきました。
チェックイン後、宿泊予約者限定の手作りチーズケーキをご馳走になりました(撮り忘れました、、)。
観光での程よい疲れも相まってかとてもおいしかったです。甘党大歓喜です!
「お城巡りでこちらに伺いました。」と話すと、以前も同じようなゲスト様(女性2人)がお見えになったとか!
曰く、100名城か続100名城の片方はスタンプをコンプリートしていてもう片方を集めていたそうです。
いずれもまだ半分も巡っていない私は頭があがりません、、
その後もしばらくの時間、ダイニングでお話を聞いていただきました。本当にありがとうございました。

ダイニングはご夫婦さまのDIYで洋風な空間が広がる一方、
お借りした部屋は畳敷きで古式ゆかしい和室となっていました(洋室もあります)。
個人的に嬉しかったのは、1人で寝るには十分な広さがあるベッドです!
このゲストハウスには「離れ NAGI」という古民家もあり、予約で一棟貸切です。
リビングからは熊野灘が望め、バーベキュースペースやピザ窯もあって自然をたっぷり堪能できますね。
友人なんかを連れて行ってみたいです。

翌朝は7時前に起床し、外に出て鬼ヶ城の静かな朝を眺めました。
とても寒かったですが、あんな絶景が見れたんですからどうってことない。
日中は風が強いですが早朝は凪いで森閑としています。
9時前にチェックアウト、車で出る際に見えなくなるギリギリまで笑顔で手を振ってくださり
最後の最後まで厚くもてなしていただき感謝の気持ちでいっぱいです。
駅でお別れの際に、ご夫婦さま2人に渡しそびれた分の名刺も快く受け取っていただいて本当にありがとうございます。
今回登城を果たせなかった熊野市の名城 赤木城や
県内の城・観光地を訪れる際はまたご利用させていただきたいと思っております。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
皆様も、泊まりがけの熊野市観光やお城巡りの際、
ご利用してみてはいかがでしょうか。

余談
実際に会ってはいませんが
ご家族で飼っていらっしゃる2匹の猫が超かわいいです。
公式Instagramを是非のぞいてみてください。

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カズサン

本丸大看板竹林伐採されてスッキリ (2025/02/12 訪問)

昨年9月28日探訪以来気に成って居た久野城本丸の久野城址大看板がリニューアルされていたのですが南東面の切岸の竹林が大きく伸びて遠くからの眺めを妨げていました。
 昨日今冬最強の寒波の弛みが朝午前中有り探訪散策に出掛けましたところ、本丸南西切岸本丸下段の竹林樹木が伐採されて地肌も表れてスッキリし四文字の「久」「野」「城」「址」立大看板が本丸下段より良く見え、東名高速道近くからも良く見えて久野城の存在を訴えています。
 東名高速道近くの遊水池越しの久野城を眺め、北東側から以前より残って居た横堀大土塁下の竹林茂みの伐採有無を確認したが残ったまま、竹林は伐採されても1年で伸びてきますから奇麗にするのは大変な事ですが元水堀深田の葦の原越しに眺めて、西の丸南の丸大手側経由して高見跡に登り二の丸、本丸と散策撮影、紅梅が1本咲いていました。
 
 

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しんちゃん

つぶらな瞳だゾウ (2025/02/02 訪問)

高崎城は慶長3年(1598)井伊直政によって築かれました。かつてこの地には和田氏による和田城が築かれていましたが、和田城址を取り込む形で高崎城を築いたとされています。現在残っている遺構は三の丸の堀と土塁のみになるようですが、乾櫓と東門が移築されています。なぜかワラで出来たゾウのモニュメントがありますが、このゾウ 異様に良くできています。良く見るとつぶらな瞳にまつ毛まで生えてますね。キモいくらいのこだわりが実に良いです。

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小城小次郎

充実した案内看板が嬉しい (2024/04/28 訪問)

堀秀政の従兄弟にして重臣であった堀(奥田)直政の家系からは三つの大名家が生まれているが椎谷藩もそのひとつ。藩の台所は常に火の車だったらしいが陣屋跡は想像以上に立派だった。案内板が多いのも見学者には嬉しい配慮。

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ぴーかる

小里城 (2024/12/28 訪問)

【小里城】
<駐車場他>小里城跡駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>石垣・本城枡形
<感想>日帰り小里城攻め旅3城目、本日のメイン。現地説明板によると小里城は1532年に小里光忠によって築城されたとされます。1572年(1570年の間違い?)の上村合戦で嫡男の小里光次が討死します。1574年に織田信長は岩村城攻めの拠点として池田恒興を小里城に配して改修を命じます。その後1576年に織田信忠が入城し石垣・土手・3重櫓を新築して小里氏に与えたとされます。関ヶ原後は小里氏は幕府の旗本として小里城を取り壊して麓に陣屋を築きます。1623年に小里氏は嗣子がいないため断絶し陣屋も取り壊されたようです。
 
 登城口から陣屋跡の石垣が観察できます。陣屋跡は山の中腹下部に築かれていて山の稜線に沿って横に広く曲輪を段にしています。曲輪段の石垣と大手の石垣が見事に残されていて見応えがあります。
 城跡は山城であり中腹の巨石で挟まれた通路を通ったり、巨石の転がる大手虎口を通ったりして山頂に向かいます。山頂付近からは2郭に入ります。石垣がお出迎えします。登城道の石垣と2郭の曲輪壁の石垣が見事です。2郭から上段に行くと主郭に入り天守台(現地では本城枡形と書いてありました)がいきなり見えて圧倒されます。天守台のある主郭は比較的小さく、主郭の南から西側にかけて広い副郭を備えています。副郭からさらに南にかけて傾斜になって最後は横広の腰曲輪で終わっています。副郭から傾斜にかけて廃城のためか巨石がゴロゴロと散らばっています。中には巨石間に苗木城で見たちょこっと間詰めした石垣が残り崩していない箇所が分かります。
 天主台ですが現地説明板に後世地元の村民の有志で修復を施しているようで、どこまで手が加えられているかちょっと分かりませんでした。天主台の中に礎石が表面観察で見受けられれば重層の建物があったのでしょうが、半地下構造の石積みもどうでしょうか?石積み南面の巨石を抱き込んだ造りは見応えあります。やっぱりいい石垣遺構をみるとその上に建っていた建造物の想像は尽きないです。

<満足度>◆◆◆

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しんちゃん

新田氏の庶流・岩松氏 (2025/02/02 訪問)

下田島城は高等学校の敷地内にあるので当然入ることは出来ません。校内には土塁が残っているようで、売り物件の敷地のあたりから写真を撮らせていただきました。江戸時代の旗本・岩松秀純により築かれたとされています。新田氏の血筋であったためか徳川の時代では冷遇されていたようですね。城というより屋敷の様なものでしょうか。

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しんちゃん

特別史跡 国宝彦根城 (2035/02/09 訪問)

天秤櫓と太鼓門櫓を通過すると、国宝の天守閣のある本丸に到着します。城域は特別史跡に指定され、天守と附櫓、多聞櫓が国宝に指定されています。天守以外にも多くの建造物が残っていて、季節ごとに訪れたくなる名城です。
天守は大津城がら移築されたという伝承があり、小ぶりな天守と言われていますが、入って見ると案外広いです。天守から眺める琵琶湖や彦根の街並みも良いですね。

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とばつびしゃもん

尚巴志による三山統一の拠点の城 (2024/12/30 訪問)

糸数城から10分、大里城址公園前にある体験交流センターの駐車場から登城開始。
広場になっている二の郭を通って一の郭へ。一の郭の西側の高台は物見台跡らしく、物見台に続く道には当時の石垣に使った石材なのか琉球石灰岩が散乱している。15分の攻城。
首里城に近いホテルに宿営し夜討ちをかける。

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赤松祐尚 (2025/02/13 訪問)

 赤松満祐の弟上原民部大輔祐政により築城されたと伝わります。嘉吉の乱の際、山名宗全の軍勢に攻め落とされました。天文年間に赤松祐尚が再建し、城の裾野に陽松寺を建立、嘉吉の乱で討ち死にした家臣や一族を供養する墓を境内裏に建て、寺社の整備、耕地の整理、市場の開設等多くの善政をしいて領民から慕われましたが、尼子氏により滅ぼされました。
 曲輪、堀切、土塁などが残っています。
 陽松寺脇の登城口から登っていきます。登城路も城域もよく整備され散策しやすい城址です。登城口にある坊獣フェンスの入口から15分くらいで本丸に行くことができました。

 姫路駅からバスに乗り笠屋バス停下車、バス停から陽松寺まで徒歩10分くらいです。小谷区公民館前の駐車場に説明板があります。

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にのまる

鯨🐳 (2025/01/05 訪問)

今年の城はじめも昨年と同じく櫛崎城でした。隣接する病院へ行った際に駆け上がったというのも同じです。
ここに水族館があった頃の遺構である鯨🐳、優しい目をしています。

トクさんへ。
お返事遅くなり申し訳ありません。地元のおすすめお菓子は、外郎(御堀堂)と豆子郎と巌流焼と利休さんと阿わ雪(松琴堂)です。江戸金の亀の甲せんべいやうにパイも好きだったんだけど、なくなったみたい⁉︎

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