みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

しんちゃん

堀切と郭 (2024/11/09 訪問)

山田城の登城路は砂防ダムを正面に見て、右手側に付いているようです。鉄製の階段や私の登ったルートは非推奨のようですね。参考にならず申し訳ないです。主郭は山の中腹に小高い丘状に存在し、東側に堀を隔てて広い郭が有ります。主郭北東にも郭が付いていて、そこから主郭に登りました。上から周囲を見下ろすと結構急な切岸があり、高さもそれなりに有ります。主郭背後(西側)にも大きな堀があり、北側へ回り込んで続いています。帰りは東の郭の腰郭沿いに降りて行きましたが、周囲はなかなかに急です。危ないので登城と下山は正式なルートでお願いします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

猫猫

松本城 (2024/10/19 訪問)

城人デビューです
毎年恒例の仲間5人旅行で行きました!
姫路城は数年前です

+ 続きを読む

しんちゃん

増島城城門 淨徳寺・飛騨市古川町中野 (2024/10/14 訪問)

飛騨市古川町の淨徳寺の山門は増島城の城門を移築したものと伝わります。開基は江馬氏14代正之の家臣・岩佐善太郎正直の六男・岩佐正盛とされ、蓮如上人に帰依し、道場を落合から中野に移したのが始まりとされ、元禄年間に淨徳寺の寺号を許されたとのことです。
石垣は新しい物のようですが、城門に負けない立派なものに仕上がっています。その他の写真は近くの道の駅で撮ったものです。熊も子供のうちは可愛いですが、猛獣であることには違いが有りません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

石碑の場所は刑場跡らしいです… (2024/09/15 訪問)

芦名城の散策を終え,芦名バス停から「逗6」系統のバスで逗子駅に戻りました。逗子駅からはJR横須賀線で大船駅へ。ここから徒歩で向かいました。大船駅から数100m南側に玉縄首塚があるためです。しかし,逆光でうまく撮れませんでした…📷
七曲坂と七曲段のパネルを発見し,安堵しているのも束の間,石碑の場所に苦慮しました。「この交差点付近のハズだが…」とキョロキョロしていたら,通りすがりの女性が声をかけてくれて,無事に見つけることができました。なんでも,ここは大勢首を刎ねられた場所なんだとか…。首塚から散策を開始し,刑場跡で終えるという…。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

土の城の傑作 (2024/10/14 訪問)

広瀬城の最大の見どころは西の郭の周囲に巡っている畝状竪堀(空堀)群ではないでしょうか。特に北側に良く残っています。東の空堀群はヤブ化が進んでいて良く見えません。400年以上前の土の城の遺構を見れるのも、ある意味幸運なことかもしれません。
北東の尾根に付いている大きな堀切も見どころの一つです。ひとしきり遺構を訪問したあとは田中筑前守の墓碑に挨拶して撤退です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

百足(むかで)城  飛騨市古河町高野 (2024/10/14 訪問)

城びとの城ではありませんが、百足城の投稿です。姉小路高綱の隠居城ではないかと伝わり享保年間(1719~1736)に飛騨国代官・長谷川忠崇が編纂した「飛騨志」に記載が有るようです。たしか以前に昌官忠さんも投稿されていたと思います。
県道50号線の工事が終わり、県道側からも城址にアクセスできるようなので、空きスペースに駐車し、訪問しました。主郭の西下に二郭があり、東に三郭と四郭があり、三郭は見張台になっているようです。また三郭の西側に空堀が有るようです。
大規模な城郭ではありませんが、姉小路氏の隠居城であればちょうど良い大きさではないでしょうか。県道からアクセスできるのが個人的にポイント高いです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

栃木西方城

西方城跡関連イベントのお知らせ (2024/11/18 訪問)

西方城跡が国指定史跡となったことを契機として、各種イベントを開催いたします。ぜひご参加ください。なお、申込方法等の詳細は、追って栃木市ホームページ等(https://www.city.tochigi.lg.jp/soshiki/57/)でお知らせいたします。お楽しみに!

お城Expo 2024 
全国のお城が集合し、展示や講演等のプログラムが楽しめるお城Expoの文化庁ブースに、西方城跡も出展します!
開催概要
主催:お城Expo(公益財団法人日本城郭協会、城びと〈東北新社〉、株式会社ムラヤマ、パシフィコ横浜)
日時:令和6年12月21日(土) 
午前9時〜午後6時(入場は午後5時30分まで)
※21日(土)午後6時から特別プログラム開催
日時:令和6年12月22日(日) 
午前9時〜午後5時(入場は午後4時30分まで)
会場:パシフィコ横浜 ノース(神奈川県横浜市西区みなとみらい1-1-2)
入場料:あり(下記URLからご確認ください)
イベントURL:https://www.shiroexpo.jp/

企画展『なんで西方城 なるほど西方城』
これまでの調査成果をまとめた企画展を開催します。期間中には、学芸員によるギャラリートークを予定しています。
開催概要
主催:栃木市教育委員会
期間:令和7年1月6日(月)〜2月2日(日)
※火曜日休館 午前9時から午後5時まで(入館午後4時30分まで)
会場:栃木市蔵の街市民ギャラリー(栃木県栃木市万町3-23)
観覧料:無料
学芸員ギャラリートーク
日時:令和7年1月12日(日)、1月18(土)、1月26日(日)
各日全て午前10時〜30分程度

西方城跡現地説明会(山頂・山麓部)
文化課の学芸員による現地説明会を開催します。動きやすい服装でお越し下さい。
開催概要
主催:栃木市教育委員会
日時:令和7年1月12日(日)、令和7年1月25日(土)
※両日とも午後1時〜午後3時30分
参加費:無料
定員:各日50名

歴史講座『なんで西方城 なるほど西方城』
文化課の学芸員が講師となり、西方城跡に関する歴史講座を開講します!講座当日の午後には現地説明会も開催します。続けて参加することも可能ですのでぜひ合わせてご参加ください!
開催概要
主催:栃木市教育委員会
日時:令和7年1月25日(土)午前10時30分〜1時間
会場:西方公民館 2階大会議室(栃木県栃木市西方町本城1)
講師:文化課 学芸員
参加費:無料
定員:60名

このページに関するお問い合わせ先
栃木市文化課文化財係
〒328-8686
栃木市万町9-25 栃木市役所4階 文化課
Tel:0282-21-2497 Fax:0282-21-2690
栃木市文化課H.P https://www.city.tochigi.lg.jp/soshiki/57/

+ 続きを読む

栃木西方城

西方城跡が国指定史跡となりました!! (2024/11/18 訪問)

栃木県栃木市西方町にある山城(標高約221メートル)『西方城跡』
栃木市教育委員会では西方城跡の実像を把握するため、平成29年度(2017)から令和5年度(2023)まで測量調査、縄張図調査、発掘調査、史料調査を進めてきました。令和6(2024)年6 月24 日(月)開催の同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、「西方城跡」を国の史跡に指定するよう、文部科学大臣に答申し、この度晴れて令和6年10月11日(金)官報告示をもって正式に国指定史跡となりました。
 国指定史跡は、栃木市内で3件目となります。城びとの皆さま、城びとの情報をご覧になった皆さま、たくさんのご声援本当にありがとうございました。改めて感謝いたしますとともに今後ともご声援の程よろしくお願いします
m( * _ _)m
またこれを契機にたくさんのイベントをご用意しておりますのでぜひご参加ください!

★アクセス方法★
東武日光線「東武金崎駅」から徒歩約30分
北関東自動車道「都賀IC」から車で約15分
東北自動車道「都賀西方スマートインターチェンジ」から車で約5分
※お車でお越しの方は長徳寺東側見学者用専用駐車場をご利用ください
(普通乗用車13台分の駐車場です)
お問い合わせ先
栃木県栃木市教育委員会文化課係
〒3288686
栃木市万町9-25栃木市役所4階文化課
TEL0282-21-2497
FAX0282-21-2690
📨bunka02@city.tochigi.lg.jp
栃木市文化課H.P https://www.city.tochigi.lg.jp/soshiki/57/

+ 続きを読む

ランフランコ

#34 尾上城 (2024/11/16 訪問)

公園になってるいるとはいえ、この規模をただで楽しませてもらえるのは、金沢市太っ腹だな。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

伊賀門辺り-4/4 (2024/11/09 訪問)

 本丸清明館廻り模擬石垣と堀-3/4の続きです。

 宇都宮城本丸の南側に枡形の伊賀門が在りました、発掘調査の上埋め戻されて芝生の丘に成っており市民の憩いの場所でもあります、伊賀門辺りの散策は、車を駐めた南駐車場から本丸堀跡解説板、西回りで櫓と高土塁を見学し、清明館廻り模擬石垣と堀を東周りに見学して、伊賀門跡辺りに戻り散策、南駐車場に二の丸から三の丸への土橋の側面石垣がレプリカ展示されていましたので見学、本物は埋め戻し地中保存されて居るそうです。

 長々と4編ご覧頂きありがとうございました。
  

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

本丸清明館廻り模擬石垣と堀-3/4 (2024/11/09 訪問)

 清明台と土塀-2/4の続きです。

 宇都宮城址公園には平成19年西側高土塁、清明台、富士見櫓と続き土塀が復元される以前に清明館が建てられていました、今回久しぶりに無料の清明館入場し歴史、文化財の見学しました。
 清明館建設にあたり周辺北側、東側、南側に城郭風の雰囲気を出すためにか?模擬式?現代の技法による石垣、空堀、木橋虎口が施設されてやや紅葉の木々もあり、写真撮影しましたので投稿させて頂きます。
 
 伊賀門辺り-4/4に続く。
  

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

とことん津山城(二の丸) (2024/09/16 訪問)

(続き)

二の丸へと続く表中門跡の石垣。写真では何度も目にしていましたが、実際にその場に立ってみてあまりの巨大さに驚かされました。この石垣の間を埋める櫓門ってどんな規模だよ…。思い描くとそら恐ろしいほどです。表中門跡を抜けると、まずはすぐ右手の桐の段へと続く石段へ。桐の段には塩蔵、南西隅に表中門前を見下ろす見付櫓、東辺に玉櫓、北東隅には十六番門があったようですが、今は玉櫓跡の櫓台に忠魂碑が見られるくらいです。

表中門跡に戻って広大な石段を二の丸に向かうと、左に二度折れて四足門跡に至ります。四足門の東に隣接していた走櫓は失われましたが、四足門は中山神社の神門として移築現存しているようなので、またの機会にはせひ見に行きたいものです。四足門跡から登城ルートは今度は右に三度折れて切手門跡に向かいますが、その前に二の丸内を散策します。二の丸の南辺には東西60mに及ぶ鉄砲櫓が三の丸に睨みを効かせ、その名のとおり1000挺の鉄砲と2万個の玉が備蓄されていたそうです。二の丸は二の丸台所で仕切られていて、台所西側の二の丸御殿に行くには備中櫓南西下の十七番門を潜る必要があったようです。現在のトイレと自販機のあたりでしょうか。長柄櫓跡へは石垣崩落のため近付けませんが、二の丸西辺を昇櫓跡~塩櫓跡~白土櫓跡とたどって折り返しました。

多門櫓跡の石垣を見上げつつ備中櫓の下を回って切手門跡に向かう途中、ふと見上げると備中櫓の石垣に張り付く人の姿!? 一瞬ぎょっとしましたが、津山城ほどの高石垣になると草刈りにも命綱は必須ですよね。そして長局跡の高石垣を見上げながら切手門跡を抜けて石段を上ると、右手に桐の段を見下ろす弓櫓が、もう一段上には辰巳櫓があったようですが現在はベンチが置かれているくらいです。北東隅の十四番門から本丸東辺にも行けるようですが、まずは表鉄門から本丸に向かいます(続く)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

『YOASOBI 5th ANNIVERSARY DOME LIVE 2024 “超現実” 』前の攻城① (2024/11/09 訪問)

『YOASOBI 5th ANNIVERSARY DOME LIVE 2024 “超現実” 』のための上京ですが、せっかくですので朝一番のあずさで東京駅にアクセスし、城めぐりもしてみました。常磐線に乗り換えて南千住で下車し向かったのが、石浜城。石浜神社は七五三のお子さんもおりそれなりに賑わっていました。鳥居越しのスカイツリーという楽しみ方があったとは。

+ 続きを読む

ぎりょう

戊辰戦争横手の戦いを訪ねて (2024/11/09 訪問)

 仲間たちとの歴史探訪ツアー秋の陣は、秋田県南の横手市・大仙市に。慶応4(1868)年8月、佐竹家支城横手城は戊辰戦争時、奥羽列藩同盟軍(庄内・仙台・松山藩)の攻撃により落城します。今回横手市内では戊辰戦争に関連する場所を訪問しました。
先ず城下から10kmほど北西にある古戦場「耳取合戦跡地」、次に「生の森庄内藩二番隊斥候の地」に。生の森は城下の西6kmほど、高台からはるかに横手城を望むことができました。
その後、市街地に戻りいよいよ横手攻城となります。往時は城代戸村大学とその家臣が籠城していましたが、庄内藩一番大隊が大手口より、同二番大隊が搦手口より攻撃して合戦に及びます。城兵の善戦空しく城に火の手が上がり、戸村大学は脱出し落城します。二ノ丸跡に建つ展望台(昭和40年に建設された三層の模擬天主)には燃え上がる城の姿を描いた「横手攻光景」など絵画も展示されています。
 本丸跡には明治12(1879)年11月に戊辰戦争戦没者供養の目的で秋田神社が祀られています。今回訪れて残念だったことに本丸一帯の草が伸び放題、社が大きく壊れていたことです。不思議に思い展望台の職員さんに尋ねたところ、数年前に本丸の樹木が豪雪によって倒れ、社が大きく傷つき修理されていない状況とのこと。この社は本丸の表門を解体した際の木材を使って建立されており、柱には戊辰戦争当時の弾痕が残っており、ぜひ復旧してもらいたいと感じました。
 また、市内城西町の城代戸村氏の菩提寺龍昌寺には戊辰戦争戦死者墓所があり線香をあげお参りすることができました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

岡前館 姉小路家墓地墳 (2024/10/14 訪問)

岡前館‥岐阜県飛騨市古川町杉崎(諏訪神社)情報は城郭放浪記さんより
岡前館は別名・柳の御所と呼ばれ、姉小路氏の館が有ったと伝わる場所の一つです。諏訪神社の境内には姉小路家墓地墳があり、岡前(御構)の山裾より発掘された墓塔が並んでいます。館跡については諸説あるようで、岡前館と柳の御所は別の館である可能性もあるようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

野口城 飛騨市古河町野口 (2024/10/14 訪問)

向小島城の代わりに野口城を投稿してますが、まだ写真が残っていました。野口城は一城三郭とも言える城で、それぞれ曲輪ごとに見ごたえのある城です。
北の曲輪と南東の曲輪にはそれぞれ連続した堀切と畝状の空堀が付いています。この畝状の空堀ですが南東の曲輪のほうは少し浅いようです。以前の投稿で南東の曲輪付の畝状の空堀として紹介したのは二重の空堀のほうだったかもしれません。ご容赦願います。
ひとしきり遺構を確認した後は下山と相成ります。北の新しい道を下りて行く方が安全なのですが、そこから南に回るのにはかなり遠回りになりそうです。車をとりに行かないといけないので、南側を直下することにします。斜面が急なので足を横向きにして滑り降りていきます‥。 ズザザザ~、名付けてスライディング下山。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

主郭からの眺望は良い (2024/10/14 訪問)

高堂城はハイキングコースになっていて、それほど急な高配は有りませんが、訪れる人はあまりいないようです。もっと街に近ければ多くの人が訪れると思うのですが、少し惜しいですね。最初に訪れる遺構は「のろし台跡」で背後に堀切がかかっています。この城で堀切を見れるのはこのあたりだけでしょうか、主郭周辺にもいくつか扁平地はあるのですが、土塁や堀切などは見られませんでした。
とはいえ頂部からの見晴らしは、とても良いです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

松倉城 (2024/10/14 訪問)

松倉城の写真がまだ残っていました。この周辺では珍しい総石垣の城で、本丸は外曲輪を含めて二段になっています。三の丸から二の丸まで、石垣で築かれ見応えも十分です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

鳥居越しのスカイツリー…⛩ (2024/10/14 訪問)

JR亀有駅からJR南千住駅に移動。ここから徒歩で向かいました。にのまるさんの投稿から「鳥居越しのスカイツリー」が,“お約束”となっているようですね…。イイ天気を狙わねばと思っていました☀
白鬚橋からスカイツリーを眺望すると,近距離からかイイ眺めでした。そのまま白鬚橋を渡り切ったら,押上行きのバスが来ましたので,飛び乗って散策終了しました。
この日は,押上駅のコインロッカーにキャリーバッグを入れて散策をスタートしましたので,これでループが完成です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

東山霊山城 (2024/11/03 訪問)

【東山霊山城】
<駐車場他>東山山頂公園駐車場
<交通手段>車

<感想>東山霊山城は1552年に第13代将軍の足利義藤(のちの義輝)が築城したとされます。義藤はこの数年前より大御所の父である足利義晴と共に中尾城を築城し上洛できる活動を行ってきたが、父義晴が死に、中尾城の戦いにおいて三好長慶軍に敗れ近江朽木に幽居していました。後ろ盾となっていた六角定頼も死に、後継の六角義賢が三好長慶との和睦を働きかけ和議が成立し今出川御所に上洛します。同じく三好長慶に敗れた細川晴元が丹波で勢力を盛り返し京都まで迫ってくると、身の危険を感じた足利義藤は清水寺の裏山に東山霊山城を築城します。足利義藤の奉公衆たちは三好派と晴元派に真っ二つになり義藤は厳しい選択をせまられた末、三好長慶を「御敵」とします。1553年に三好長慶は大軍をもって東山霊山城を攻めて落城します。京都の船岡山に陣取っていた義藤は朽木に退去しここから5年間幽居することになります。(ちょど今この辺り勉強中なのでつい長文になりました<(_ _)>)

 攻め口ですが、南からの通路が立入禁止ということで北の将軍塚から。結局、添付写真にあるように北側も通路は立入禁止となっていました。お勧めしませんが直登できる所があります。将軍塚のある青蓮院門跡の山門の左脇に京都1周トレイルの東山22番から山に入ります。分岐を知恩院の方へ。十字路で左に曲がって南下します。丸太橋を渡り少し下ると左手の沢向こうに北側の立入禁止があります。そこを過ぎて更に少し下ると滝の手前に沢に降りれる国有林のピンクリボン誘導があります。沢に降りて渡っても斜面にピンクリボンがありますのでそれに沿って直登(以前は道があったようですが今はロストしています)します。登り切ったところが主郭南側の堀切に登り切ります。主郭南の堀切から南へは行きませんでしたので遺構はどうなっているか分かりません。主郭は登ってきた堀切と主郭は小さく、すぐ北に伊藤博文詩碑のある副郭、副郭の周辺は西奥の尾根は藪化、以外は急斜面で特に表面観察で確認できる遺構は残っていませんでした。登ってきた降りが大変で、落葉の堆積で表面層と一緒にずるっと背中からコケて2m程、お尻と背中が泥だらけになりました。頑張った割には見れる遺構が少ない。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ3