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カズサン

伊勢未踏の城廻りⅠ (2021/04/10 訪問)

 三重県伊勢の国伊賀の国の気に成っていた未踏の城廻りを土曜日曜天気の良い日を見定めて1泊2日で密集と接触を極力避けるように県境を越えますが出掛けて来ました17城踏破。菰野城は今回早朝最初の城に成ります。

 新名神菰野ICが出来て探訪がしやすく成りました菰野ICより約1km程、跡地は現在菰野小学校に成っています。
 駐車場は在りません。
 ナビは小学校南側でプールの東側の空きスペースをGoogleMapの航空写真で見つけ目的地にしました。しかし空きスペースは私有地停められず、小学校南道路でプールの横に路駐し同場所に在る案内板、石碑を撮影、小学校周囲を車で廻り確認、校庭に何やら在る(旗の掲揚台でした)ので北側校門を通り駐車場に一時停める朝早く断りも出来ず。駆け足探訪です。
 北西に復元整備された堀跡、土塁、こちら側にも案内板、西側は国道306号線で遮断されて遺跡もつぶされた様子ですが国道を越えた西側に一部復元堀が整備保存されてる。
 案内板に2階隅櫓の記載が有りましたが良く分かりませんでした、地図にはナビで目的にした所に史跡マークで角櫓跡と成って居ましたが跡の確認は出来ませんでした。

 歴史:ひじかた雄氏は家康より関ヶ原の功績により菰野1万2千石を与えられ大名に列した、ひじかた氏この地で明治まで継承された。

 情報とガイドは城郭放浪記さん余湖図コレクションさんによる。

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ダイエティシャン

緑の桜【御衣黃 ぎょいこう】満開 (2021/04/14 訪問)

馬舎跡の緑💚の桜、満開🌸
さくら餅もみどり

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ダイエティシャン

牛尾城Ⅶ〜竹林跡 (2021/04/14 訪問)

主郭(1枚目)迄、登城口から約25分
這って下山② あまりにも、急な下りざかの為。
途中、矢竹用に使われたとされる竹林跡も発見③

様々な方々の攻城記録のおかげで、やっとリベンジ攻城を果たしました。ありがとうございました。
投稿お読み頂きありがとうございました。

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ダイエティシャン

牛尾城Ⅵ〜七曲がり 大岩 主郭 土塁 (2021/04/14 訪問)

主郭(1枚目)迄、登城口から約25分
再び50℃位の七曲がり② 大岩③ 七曲がり④
やっと主郭、主郭内下の段北東に土塁が綺麗に残っています。⑤⑥ 主郭内上の段に木に寄り掛かる【本丸跡】の標柱⑦ 眺めは良く無いです⑧ 広さあり⑨ 主郭内上の段から下の段を見下ろす⑩

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ダイエティシャン

牛尾城Ⅴ〜登城道 大岩 七曲がり 主郭下の郭 (2021/04/14 訪問)

主郭(1枚目)迄、登城口から約25分
30℃位の平坦道②の後、再び50℃位の斜面の七曲がり③ その後、真ん中に大岩!④またまたしがみつき、よじ登ります。また七曲がり⑤倒木を跨ぎ、潜り⑥⑦すると、主郭下の郭に到着⑧⑨

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ダイエティシャン

牛尾城Ⅳ〜登城道 (2021/04/14 訪問)

主郭(1枚目)迄、登城口から約25分
鉄塔から上に続く道②を進軍すると、道が2手に③!左に進軍 ④ 30℃郭の平坦道⑤ 倒れた標柱⑥ 石垣?が道の左右に見えて、⑦〜⑨主郭間近?と思いましたが、まだまだ。

すみません、投稿もまだまだ続く

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ダイエティシャン

牛尾城Ⅲ〜鉄塔 登城道  (2021/04/14 訪問)

主郭(1枚目)迄、登城口から約25分
登城道の真ん中にも大岩出現! ②③岩を慎重によじ登ります。ロープも何もありません。更に進軍④ 矢竹⑤ 鉄塔に到着⑥⑦ 広さがあり、郭っぽい。北、南、東⑧⑨⑩。眺めは良く無い。

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ダイエティシャン

牛尾城(三笠城)Ⅱ〜登城道 七曲がり 鉄塔 (2021/04/14 訪問)

主郭(1枚目)迄、登城口から約25分
石垣?石も登城道の左側に見えます(2'3枚目)木の実?(4枚目)こういうので滑り易いので慎重に進軍。土質も滑り易い(5'6枚目)明るくなり、(7枚目)主郭?と思いきや、緩やかな道が(8枚目)続く。大岩もあり(9'10枚目)

3回目でやっと攻城出来たので、投稿はまだまだ続きます

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ダイエティシャン

牛尾城(三笠城)Ⅰ〜登城口 駐車スペース 七曲がり (2021/04/14 訪問)

尼子十旗の一つ
道標も階段もありません。登山靴必要!
主郭(1枚目)迄、登城口から約25分
看板の所に2台位の駐車スペースあり(2枚目)
真っ直ぐ(3枚目)進軍すると、2手に別れ道(4枚目)が。調べた結果、右に真っ直ぐ登ります(5枚目)水が湧き出ている?陥没?(6枚目)倒木もあり(7枚目)七曲がり開始の辺り(8枚目)30℃位の、片足しか通れないような狭い七曲がりを進軍(9、10枚目)


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ぴーかる

瓶割山城 (2021/03/20 訪問)

【長光寺城】
<駐車場他>駐車場はなし。日吉神社駐車場は鳥居入口が塞がれているので車両が入れなくなっています。私は登城口前<35.108769, 136.128632>の地点がギリ道路を逸れて駐車できます。
<交通手段>車

<見所>曲輪・竪掘・堀切・石垣・地蔵群
<感想>近江佐々木氏・佐々木六角氏の攻城3城目。長光寺城は現地説明板によると佐々木六角氏と対立した佐々木四郎政尭により1468年に築城されたとされる。1570年には柴田勝家が六角義賢と戦った時には城中の水瓶をすべて割って兵を奮い立たせ勝利したことから「瓶割り柴田」山は「瓶割山」と呼ばれるようになった。
 登城道はいくつかあるようだが私が駐車した所の大岩ルートがお勧めです。何故か現地縄張り図に記入されていないのですが、登城口に大岩、登り始めてすぐには添付写真の巨石と石垣のコラボ、岩の堡塁、大竪掘りがあります。主郭手前数百mから曲輪も数個あり三の郭に繋がります。大岩ルートは麓から主郭まですべて見所ある遺構が残されています。
 主郭北東部の下段には転落石の巨石が転がっており相当な石垣があったと思われます。地蔵、石仏も多数ありました。また「とある」さんの投稿通りここにちゃっかり井戸跡もありました。これほどの山城で水の手が無い訳ないのですよねぇ。主郭北東先に八角平という広い削平地があり、その先には旧三の郭があります。
 主郭南側と二の曲輪は堀切で仕切り、主郭南西面に添付写真1枚目の城内最大の石垣が残されています。二の郭南側にも僅かに石垣が見られます。二の郭とその南の郭もまた堀切で仕切りその郭には竪掘りが見られます。木が伐採され見易くなっています。
 下山は主郭と二の郭の堀切から入る不二滝ルートを下り、足利義晴の御所跡土塁を見て終了した。見所ある遺構が沢山残っている山城で見応えありました。お勧めです。

<満足度>◆◆◆

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イオ

河川堆積台地の城 (2021/03/27 訪問)

南北朝初期に赤松氏家臣・貴志義氏が築いた城で、戦国期には瓦林正頼が居城とし、越水城に居城を移した後は支城として機能したようです。戦国末期、三好氏家臣・篠原長房の攻撃を受けて落城。そのまま廃城となりました。

詳細は不明ながら日野神社が推定地とされ、参道には城址碑があり、由緒書にも瓦林城の記載があります。社殿奥の社叢林には堀っぽい地形があったり、東辺には土塁っぽい土盛りも見られますが、武庫川の氾濫による自然地形らしく、遺構ではないようです。瓦林城は河原林城とも記されますが、武庫川の氾濫による堆積台地の叢林に築かれた城だと考えると、元々は「河原林」だったのが転じて「瓦林」になったのかな、などと考えながらの散策でした。

ついでに、もうひとつの推定地であり、瓦林正頼の墓がある極楽寺も訪れてみましたが、こちらは住宅地の中のお寺で、城跡を感じさせるものは見当たりませんでした。強いて言えば、西隣が小学校というのがそれらしくもありますが…。
 

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昌官忠

南武線沿線10城巡り④:大丸城 (2021/04/12 訪問)

入会当初の2020/07/30に内容のない投稿(つぶやき)をしていました。今回、攻城したので再投稿します。
南武線沿線10城巡り4城目は大丸城です。
南多摩駅より徒歩3~4分くらいで案内板前(35.647329、139.4894)に着きました。

大丸城の詳細は不明ですが、多摩川の渡河地点である「是政の渡し」を押さえる拠点として築かれたと推定されています。
新田義貞が城主だったという伝承も残っているようですが、こちらも定かではありません。
城址は多摩ニュータウン造成により遺構も消滅していますが、このときにおこなわれた発掘調査により14世紀~16世紀頃に使われていたことが明らかとなりました。
住宅街に詳細な説明板が建てられています。なお近くにある「城山公園」は城址の位置ではないようです。

住宅街に説明板があるだけでした。説明板の写真を撮って速攻撤収です。
攻城時間は1~2分でした。

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昌官忠

南武線沿線10城巡り③:高安寺城 (2021/04/12 訪問)

入会当初の2020/07/30に内容のない投稿(つぶやき)をしていました。今回、攻城したので再投稿します。
南武線沿線10城巡り3城目は高安寺城です。
分倍河原駅より徒歩6~7分くらいで高安寺総門付近(35.669815、139.473167)に着きました。

高安寺城は平安時代に藤原秀郷が武蔵国府近郊に置いた居館を市川山見性寺に改めたのが始まりとされるようです。
平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった源義経もこの寺に立ち寄って武蔵坊弁慶が大般若経を書き写したと言われています。
南北朝時代には、新田義貞が北条泰家率いる鎌倉幕府軍を撃破した「分倍河原の合戦」で本陣を置いた城ですが、これら一連の戦乱によって寺が炎上するなどして見性寺は荒廃してしまいます。
そこで暦応年間(北朝、1340年前後)に入ると、足利尊氏が建長寺の大徹禅師を開山として招き臨済宗の禅寺に改めて再興しました。
この際、尊氏が進めていた安国寺の一つとしてこの寺を位置づけ、名称も尊氏の旧名(高氏)から龍門山高安護国禅寺と命名されました。
要衝にあったため、室町時代には鎌倉公方・足利氏の支城として使われ、さらに戦国時代には上杉氏や北条氏など関東における中心勢力が拠点として利用しています。
現在の本堂は1624年(寛永元年)に火災に遭い消失したものを1803年(享和3年)に再建したもので、本堂正面には「等持院」の扁額があり、これは開基となった足利尊氏の法嗣名のようです。
1872年(明治5年)に建てられ左右に仁王像を配する山門、1856年(安政3年)に建てられた鐘楼と共に東京都選定歴史的建造物に選定されているようです。(鐘楼の写真撮り忘れました)
現在城址には高安寺の境内となっており、遺構は残っていません。

境内を散策しました。お寺ですね、山門はかなり立派です。
攻城時間は10分くらいでした。

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赤い城

古民家裏に堀と土塁が。 (2021/04/10 訪問)

熊谷駅から徒歩で40分。
田園地帯の中にあります。
郭内に平山家住宅が建ち、これは重要文化財に指定されています。
生活感もあるので完全な私有地、公開頂けていることに感謝です。
が、目的は住宅ではなく遺構。
古民家の裏側に回ると良好に残る堀と土塁が。
こんな中で暮らして見たいです。

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あんどれ

三の丸までよ。 (2021/04/13 訪問)

記念すべき第1回目の利神城ガイドツアーに参加。三の丸までしか入れませんが、今後の整備に期待!!

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小城小次郎

これはもはや芸術品だと思う (2021/01/25 訪問)

20年前と今とではお城の印象がまるで違う。それだけ整備が進んだのか、かつての私の目がフシアナだったのか・・・。切岸、土塁、連続堀切等が織りなす土の造形美は、もはや芸術品の域にあると思う。

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カズサン

【三河石橋城】愛知県新城市 道の駅の真ん前 (2021/03/26 訪問)

 草が茂る前に奥三河作手地区の城廻り、古宮城、作手歴史民俗資料館、川尻城、亀山城と探訪し道の駅でトイレ休憩、お茶でほっとし真ん前に慈昌院幟旗めく石橋城が目に入って来ます、前回H27年5月15日登城の投稿では裏手の土塁写真を撮り忘れ失礼な投稿写真に成ってましたので再登城、裏手の土塁を探訪し撮影。

 駐車場:前の道の駅
 住所:愛知県新城市作手清岳寺屋敷3
 構造:単郭の館造り
 歴史:奥平氏2代目貞久の次男久勝によってこの地に屋敷を構え石橋氏を名乗る、石橋氏2代目繁昌は主君4代貞勝への謀反が露見し屋敷を攻められ郎党40余人討死、天文6年(1537年)。
 後年当山和尚が繁昌と一族の死を哀れみ、亀山城主貞勝に願い出て当屋敷をもらい受けて寺地とし石橋山慈昌院とした。(案内板抜粋)

 寺院敷地内ですので先ずは参拝して、マナーよく見学観察撮影させて頂きました。

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カズサン

南濠のクマ笹が刈られて景観良好大満足 (2021/03/26 訪問)

 草が茂る前に観察登城と奥三河作手地区の城廻り、古宮城、川尻城を廻り国道301号線から良く観える亀山城を訪ねました。

 駐車場:亀山城南奥の専用駐車場、駐車能力大、近くの「道の駅つくで手作り村」も可能で余裕有

 今回6年振りですが駐車場から本丸搦手虎口までの登城路、遊歩道が手すり付きカラー舗装路に成ってました、大変登りやすい。
 草も刈られ観察探訪しやすく成って居り大変ありがたい、又今まで本丸南側の南濠(長い横堀)はクマ笹が茂り入り込めなかったのですが道筋のみ刈りこまれ今回初めてゆっくりと観察探訪出来ました、濠の凄さと本丸南側の急峻土塁も圧巻の造りです今回初めて実感しました、大手側、東曲輪、南曲輪の存在も確認しましたがクマ笹に覆われてます。
 北側の草は刈りこまれ景観、探訪は観察しやすく成ってます、本丸、二の丸、西曲輪、西腰曲輪、北濠、北側城塁は景観良好。
 大変満足の探訪でした。
 投稿写真は今回観察注目した横南濠と同高土塁、北西の横濠、手すり付き登城路を掲載、本丸、二の丸、二の丸下長横堀は前回のH27年5月15日登城分写真でご勘弁ください10枚が限度なので。

 歴史:上野奥平郷から三河作手に移住した初代奥平貞俊が応永31年(1424年)川尻城から移り5代続く、5代目貞昌(改名信昌)は長篠城主で長篠合戦で籠城耐え切った、後年奥平氏は黒田官兵衛の築いた中津城10万石で明治期を迎える。

 当日は金曜日でしたが近くの「道の駅つくで手作り村」は満員満車状態でした人出多し、オートバイのツーリングが多く見られました、亀山城の探訪客は少なめ、私の登城中は古宮城で逢った夫婦と出会いました、あれから塞之神城に寄ったとの事でした。

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昌官忠

南武線沿線10城巡り②:三田城 (2021/04/12 訪問)

入会当初の2020/07/30に内容のない投稿(つぶやき)をしていました。今回、攻城したので再投稿します。
南武線沿線10城巡り2城目は三田城です。
谷保駅より徒歩15分ちょっとで城山公園案内板前(35.678638、139.436379)に着きました。

谷保城は三田氏の館跡とも、また鎌倉御家人津戸三郎為守の居館跡とも伝えられますが、詳細は不明のようです。
なお三田氏は、平将門の後裔と称し、青梅を本拠に置き、西多摩から入間郡にかけて支配していた豪族で、後北条氏に敗れて本家は滅亡しているようです。
城址は城山公園として整備されていますが、郭内は私有地で見学できません。
近隣には東日本最古の天満宮と伝わる「谷保天満宮」や「くにたち郷土文化館」があり、くにたち郷土文化館には常設展示として谷保城に関する展示もあります。

「旧柳澤家住宅」の開館時間は9時からなので、8時前に到着した自分は見学できませんでした。
私有地の為、中に入ることができず、城跡の周囲をウロウロしましたが、空堀、土塁かなと思えるものもあるがイメージはわかないですね。
攻城時間は20分くらいでした。

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昌官忠

南武線沿線10城巡り①:立川氏館 (2021/04/12 訪問)

入会当初の2020/07/30に内容のない投稿(つぶやき)をしていました。今回、攻城したので再投稿します。
南武線沿線10城巡り1城目は立川氏館です。
立川駅より徒歩17~18分くらいで普済寺山門前(35.690852、139.402448)に着きました。

立川氏館は立河宮内少輔宗恒によって築かれたと伝わる居館です。
立川氏(立河氏)は武蔵七党のひとつ、西党・日奉(ひまつり)氏の一族で、宗恒を祖として、立川氏館を本拠としてこの地を支配していました。
北条氏照の家臣に立河照重の名が見られるように、戦国時代も北条氏に従い、本領安堵されていたようです。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」では、立川宮内大輔の館を焼き払った記録があるようです。
北条氏滅亡後、立川氏は徳川家康に取り立てられ、子孫は水戸藩に仕えました。
なお館跡に建てられた普済寺には立川市唯一の国宝である「六面石幢」があります。
館跡の遺構としては、本堂の東南側に土塁を確認することができます。

本堂の裏手の庭園の一角にある国宝の六面石幢は、令和6年まで保存工事のため公開していないと聞いていたので裏手に廻るのをやめました。
このお寺、文化財がたくさんありそうで、山門も土塁もそのひとつでした。トイレもあります。
攻城時間は10分くらいでした。

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