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トク

⑰【関ケ原の26人 】(9)宇喜多秀家 (岡山城の石垣) (2023/01/19 訪問)

岡山城の続きです。
関ケ原から話がちょっとそれてすいませんが、岡山城の石垣も大変よかったのでお伝えします。岡山城にはいろいろな石垣があるんですね~(私は前回訪問時は気づかず今回初めて知りました)。天守だけでなく石垣も十分楽しめるお城です。

1番目、まず入口にある「鏡石」です(写真①:わ!大きい😯)。 高さ4.1m幅3.4mあるそうです。これは犬島という所(離島)から運んできたそうです。威厳を示すには十分ですね。

2番目はこの部分「中の段南西部の石垣」です(写真②:ちょうど工事中だったのですいません)。右の緩い傾斜で自然な感じで積まれているのが小早川秀秋の石垣、左の傾斜がきつく切込接で造られているのが池田忠雄の石垣だそうです(対称的ですね~)。

3番目はこの部分(写真③)「大納戸櫓下の石垣」です。ここには天守に次ぐ三重四階の櫓があったそうです。小早川が築き池田氏が改修、上に行くほど傾斜が急になっています(技術の進歩にともなった改修というわけですね)。

4番目は「不明門(あかずのもん)下の石垣」です。右は宇喜多時代の石垣で、土台の岩盤の上に自然石をうま~く積み上げてます。何だか踏ん張っているように見えておもしろいです(写真④⑤:がんばれ~!😠)。左は池田時代に改修された石垣です。

5番目はここです(写真⑥)。表書院の発掘調査をしていたら、その地中から宇喜多秀家の石垣が出てきたそうです。江戸時代の池田氏はこの石垣を地中に埋めて、この上に表書院(藩士の仕事場所)を造っていたという事ですね。

6番目はここ(写真⑦)「月見櫓下の石垣」です。現存する月見櫓とともに池田忠雄時代に造られたものです。よく見ると矢穴や刻印があちこちに見られました。

7番目は「礎石」です(写真⑧)。天守をコンクリートで再建する時に、以前発掘で見つかった礎石を同じ間隔でここに並べて残しているそうです。

8番目は「本段東側の高石垣」です(写真⑨)。左が宇喜多秀家の石垣で、真ん中を境に右が小早川秀秋の石垣です(どこが境目でしょうか? わかりますか?)。宇喜多の石垣に小早川が継ぎ足したようです。宇喜多の石垣は大きめの石を丁寧に積み上げている感じがするのですが、小早川の石垣は時間がなかったのか、自然の小さめの石を加工せずそのまま短時間で積み上げた感じです。何か両者の性格の違いが表れたようでおもしろいです😊。

最後9番目はこの石垣です(写真⑩)。天守北面下ちょうど不等辺五角形の私の好きなふくらみの部分です。石垣を全体的によく見て下さい。 何となく少しうっすらと赤く感じませんか? ならばそれはなぜだかわかりますか? これは昭和20年に岡山城は空襲で焼失し、天守もその時に焼け落ちました。その時の燃えた痕跡で今でも少し赤い色が残っているそうです。何か悲しい痕跡ですね😩。

次は(宇喜多秀家陣跡)を歩きます。
 

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赤い城

富士山が見たくて (2023/01/22 訪問)

中川城朝駆けの後登城しました。
この日は無性に富士山が見たくなり西への攻城です。
相模と駿河の境の城、足柄峠に位置します。
駐車場もあり、石碑のところから階段を登ると主郭です。
お目当ての富士山は残念ながら山頂に少し雲がかかっていました。
主郭と二郭の間の堀切、さらに御殿場方面に下りて行きます。
五郭の周囲には深い堀底道があり、ここから遊歩道を登って引き返しました。
各曲輪の間には堀切も切られ、見どころは満載。
蔵屋敷跡は立入禁止になっていました。
ここでは富士山は今一つでしたが、このあとのドライブ中には晴れて雄大な姿を見せてくれました。
いいことありそうな気にさせてくれます。

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Yu-1

都内から行きやすいお城 (2023/01/21 訪問)

里見八犬伝で有名になった聖地巡礼の元祖。
江戸時代後期から現代まで日本が誇る「長編小説」モデルのお城
お城近辺にも戦後を感じる事ができる建物などが沢山ある。
江戸後期〜戦後好きにはいい観光タウンは「館山城」から始まる。

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モト

言わずと知れた素晴らしい国宝天守 (2023/01/12 訪問)

もう説明不要の素晴らしい天守でした。
何回目かの登城でしたが、何度見ても見惚れてしまいます。
今は夜にレーザーマッピングをやっていて幻想的な城を演出してました。
昨晩はそれを見て新たな魅力にうっとりしたところでしたが、やはり明るいところで見る天守は素晴らしいです。
どちらもそれぞれ魅力があり両方大満足でした。

次はレーザーマッピングの松本城もお届けできたらと思ってます。

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todo94

新年2日目の攻城 (2023/01/02 訪問)

高崎に帰省してチェックしておきたかったのが箕輪城の木橋。残念ながら工事のため通行止めで三の丸側から橋の中ほどまでしか渡れませんでした。それでもかつては樹木が生い茂っていた堀底を歩けるようになるなど、新たな散策ルートがとても増えていて楽しむことができました。駐車場は虎韜門跡前を利用しましたが、此処の道を挟んだ向かい側に白川口埋門跡がありその説明板の中にこの後、向かう予定の鷹留城に関する記述があって嬉しくなってしまいました。

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みぃ

琵琶湖一望の山の上 (2023/01/17 訪問)

八幡山のロープウェイで上がって行くと、琵琶湖と伊吹山など眺めがとても良いところにある。安土城落城の後、豊臣秀次が築城した。
本丸を山頂に、二の丸、北の丸、西の丸、出丸などがあり、それぞれ眺めが良く、遠く雪山が見え、それば伊吹山だそう。
お城が廃城になり、山頂部の本丸跡に、秀次菩提寺の村雲御所瑞龍寺が京都より移築された。菊の紋が印象的。
御城印は、瑞龍寺で購入。
2月からGWごろまで、豊臣家のお雛様を展示するそうだ。

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徳川の城 (2024/02/02 訪問)

 外堀を一周しました後、内堀周辺と本丸等を散策しました。冬だと葉も落ちて遺構が見やすいです。天守閣も行きましたが、冬の平日で空いているか思っていましたが予想以上に観光客が来ていましたね。豊臣氏の頃の大阪城はどのような城であったか気になります。

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外堀 (2023/02/02 訪問)

 久しぶりに登城しました。この城の魅力は高石垣と水堀だと思っています。外堀から見る風景が好きでぐるりと一周しました。

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常宣寺 (2023/02/02 訪問)

 石山本願寺が築いたとされる51の出城のひとつと伝わっています。常宣寺が推定地です。大阪市顕彰史跡パネルが設置されています。

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善福寺 (2023/02/02 訪問)

 石山本願寺の51の出城のひとつと伝わっています。善福寺付近が推定地です。以前は大阪市顕彰史跡パネルが設置されていたようですが、行ったときは山門付近にはありませんでした。

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POYO58

続日本100名城No.6 浜松城 2年ぶりの攻城 (2023/01/29 訪問)

遺構★★★☆☆ 石垣、曲輪、井戸、武者走り 復元:天守門と天守
久しぶりの投稿です。
さて予言していた通り、浜松城に行って参りました。あ、カズさん。ごめんなさい大河ドラマ館行きませんでした。とにかく混み過ぎ…電車の都合で30分待ちは無理だったので、岡崎城の大河ドラマ館に行きました。
浜松城は、徳川家康によって築城されました。しかし、今残っているのは7割くらいが堀尾吉晴の遺構かな。二俣城や鳥羽山城と石垣が似ていました。ただ二の丸にはどうやら家康の遺構が残っているそうですね。
おそらくですけど浜松城に行かれた人のほとんどは天守が見どころだと思っていらっしゃると思いますが、天守を除いても見どころはたくさんあります。

武者走り
かつて本丸にきた敵兵を城兵が武者走りの上から鉄砲で集中攻撃をしていた場所ですね。本丸をぐるっと囲っていて土台が高石垣なので敵兵が簡単に登ることもできません。

八幡櫓台、富士見櫓台
今は石垣が残っています。八幡櫓台は天守の隣側に立っていたため、見逃す人多いのではないでしょうか?富士見櫓台は今も富士山を眺めることができます。またここからみた天守も綺麗ですよ。富士見櫓は最近の調査で玉石が使われていたことが明らかになっています。

また天守の地下一階には井戸が展示されています。築城当時からずっと残っていたもののようです。また浜松城の天守については謎が多く、未だ解明されていません。
天守がリニューアルして黒瓦から金瓦に変わっています。天守も観察してみてください。

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肉球

鶴牧陣屋・千葉県市原市 (2022/12/30 訪問)

先に投稿した姉ヶ崎陣屋から川を渡った先にある姉ヶ崎小学校が跡地です。
姉ヶ崎陣屋とは逆に江戸時代後半1827年安房国北条藩から移った水野氏によって築かれた陣屋跡です。
学校の入り口と校門内に石碑が建っています。
遺構はありません。

橋を渡り学校の裏にある山が椎津城の一部、正坊山砦です。
ここから椎津城まで5分ほどです。 

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肉球

姉ヶ崎陣屋・千葉県市原市 (2022/12/30 訪問)

江戸時代の初め(1607年)結城秀康の次男忠昌が姉ヶ崎藩を立藩し常陸下妻へ移封(1615年)
その後忠昌の弟直政が(1616年)立藩し越前大野へ移封(1624年)
二人の殿様20年弱しか存在しなかった為か遺構はまったくありませんし稲荷神社の建つ場所も伝承地です。
姉ヶ崎駅前に車を停め椎津城へ向かう細い路地を入った住宅街に稲荷神社はあります。

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肉球

整備されています (2022/12/30 訪問)

築城に関しては諸説あるようですが14世紀に築かれ豊臣秀吉の小田原攻めで浅野長政に攻められ落城したようです。
今は工業地帯が広がり海から離れていますが当時はもう少し海に近かったと思われます。
東京湾に向かって突き出た台地に築かれ南側と北側の台地にも砦が築かれていたようです。

最近見学できるようになったばかりのようで民有地と市有地が入り組んでいます。
主郭に案内板があり歩ける部分が記されていますので注意が必要です。
主郭近くには駐車場がありませんので姉ヶ崎駅近くのコインパーキングに停め10分ほどで歩けました。

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侍ホリタン

細川幽斎(藤孝)公隠居の名城を訪ねて (2022/06/18 訪問)

本能寺の変後、隠居した細川幽斎公の居城として築かれ、細川氏、京極氏、牧野氏と城主を変えながら明治に至るまで領内統治の中心でした。関ヶ原の前哨戦では西軍1万5000の兵に対してわずか500の兵での籠城戦に50日近くも耐えました。この戦いは細川幽斎公が「古今和歌集」唯一の伝承者であったため、廃絶を憂慮した後陽成天皇の勅命により西軍の包囲が解かれています。
城門の隣に6台程度停める事ができる臨時駐車場有ります(無料)。 城門の2階が田辺城資料館(有料)、櫓内は細川幽斎公を紹介する資料館(無料)になっています。御城印は田辺城資料館資料館にて販売されています。

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侍ホリタン

明智光秀公が築いた京都京北の名城を訪ねて (2022/06/12 訪問)

京都と若桜を結ぶ周山街道の中間点、標高480mの山頂に築かれた山城です。1579年築城後1582年まで明智光忠公の居城でしたが、山崎の戦い後には加藤光泰公が入城、その数年後に廃城となっています。石垣を多用した作りと規模は安土城にも匹敵するものと言われています。
登城口周辺には駐車場がないので道の駅「ウッディ京北」を利用すると良いです。登城口まで徒歩10分程度です。パンフレットは道の駅内のレジでもらえます。石垣の一部が崩れかかっておりトラロープがはられているので見学には注意が必要です。 御城印は慈眼寺にて販売されています。慈眼寺には逆臣の汚名により墨で真っ黒に塗られた明智光秀公の坐像があります。

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モト

境内に横山神社があります (2023/01/31 訪問)

八雲八幡神社が跡地との事です。
武蔵の武士団の横山党の館があった場所になります。
境内には始祖である横山義孝を祀った横山神社がありました。

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トク

⑯【関ケ原の26人 】(9)宇喜多秀家 (宇喜多秀家と岡山城天守) (2023/01/19 訪問)

(9人目)は「宇喜多秀家」です。
関ケ原当時の居城、「岡山城」を訪れてきました。

岡山城は昨年リニューアルされました。4年ぶり2度目の訪問ですが、以前よりあざやかな黒に生まれ変わっていたのでビックリしました! 見事なまでに艶のある黒漆塗り、そして金箔瓦や金の鯱とのコントラストが・・・うわ~実にまぶしい😎! しばらくその美しさに見とれてしまいました。まさに烏城の名にふさわしい今が必見です!(写真①②)。

城内もリニューアルされていました。宇喜多→小早川→池田氏の歴史が実に分かりやすくまとめられています。地元岡山出身の磯田先生の声による解説などもあり(写真④)時を忘れるくらいにとても楽しく見学する事ができました。(結局館内を2周してしまいましました)。

私の一番好きな角度はここです(写真⑥)。この不等辺五角形の石垣のふくらみに合わせた天守のやわらかい形。そしてそのふくらみのちょうど上の部分に唐破風がありアクセントのとれたデザイン。さらにその上段(三重階)ではちゃんと安定した四角になる。まさに望楼型でないとできない技ですよね! 元々の天守台の固い地盤がこのような形だったため、工期短縮のため天守台を削るより上の天守を台の形に合わせた方が早いとして築城したのでこうなったとか?

備中高松城攻めの折、宇喜多直家は毛利を裏切り秀吉に付く証として、子の秀家を人質として秀吉に託します。そして秀家はねねの下で猶子として成長し、岡山(備前・備中・美作・播磨)57万石を与えられるまでになりました。築城当時は、西の毛利、さらにその西には九州・四国の豊臣に従わない(あるいは従ったふりをしているだけ)の諸大名が多くいたため、豊臣の象徴である黒塗りの城に許された者だけがつけられる金箔瓦を施し、それらの諸将ににらみをきかせ、豊臣は自分が守るという秀家の築城時の決意の表れがこの城に込められているのではないかと思いました。

私は岡山城の天守に立ち眺めて見ました。旭川が天然の堀となり、金の鯱と重ね合わせた後楽園や街との風景は、とても美しく感じました(写真③⑦)。秀家はこの景色を眺めながら、どんな思いで関ケ原へ出陣して行ったのでしょうか? 五大老の中で最も若い28才。色白な表情(写真⑧)とは裏腹に、西軍の中では最も血気盛んで、三成にとってはとても頼もしい存在に映っていたのではないでしょうか?

次は、(岡山城の石垣)へ続きます。

【余談】岡山名物「きびだんご」
おみやげに名物「きびだんご」買いました(写真⑩)とてもおいしかったです。これを食べた(きじ・さる・犬)がついて行った理由がよくわかりました(笑)。
 

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赤い城

丹沢湖のその先に (2023/01/22 訪問)

県道76号線を北上、丹沢湖の横を進み中川橋を右折します。
渡ったところに広いスペースがあり、車を停めました。
車では侵入禁止のトンネルを抜けて5分くらい進むと城址になります。
案内板も石碑もありませんが主郭には土塁っぽい小山があります。
立入禁止の下の郭を見下ろすと広く平らな曲輪が確認できます。
以前はキャンプ場だったとのことです。
車ならまだしも交通機関の場合行く苦労の割には?って感じかと思いました。
奥牧野城とともに神奈川コンプリートの最難関かと。

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真光寺はいずこに (2023/01/29 訪問)

城びと先人のレポートに、真光寺に説明板あり、とあり、砦趾である、神須牟地(かみすむち)神社参拝後に、真光寺を探しました。お寺さんの大きな屋根がすぐ見つかるだろうと、神社周りを歩きましたが、見当たりません。google mapを拡大しても現れません。google mapで検索したら地図上に表示されました。狭く、曲がった路地を行きます。お寺の塀の説明板には、曲がりくねった道は、環濠集落のなごりだと。道端に付近の地図があったので掲載しました。

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