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じゅんじん

城のホテル (2020/08/27 訪問)

城域内のホテルが6月オープン。8月終わりに泊まりました。お城の本読みながらワイン🍷飲んで屋上露天風呂は天然温泉♨️、朝食は豪華でした✨

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明石海苔

天守が残念 (2020/09/17 訪問)

城のふもとからは素晴らしく見え、二の丸、天守曲輪までの立派な石垣でしたが、
あの天守は残念でした

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イオ

道明寺・誉田の戦い (2020/09/13 訪問)

1月以来の大坂の陣史跡めぐり(第8回)は夏の陣の道明寺・誉田の戦いを。

大和方面から迫る幕府軍(水野勝成、伊達政宗ら)を河内平野の入口である国分村で迎撃すべく後藤基次、真田信繁、毛利勝永らが出陣するも、濃霧のため真田ら後続隊の到着が遅れ、幕府軍はすでに国分村に集結していたため、後藤隊は単独で国分村を見下ろす要衝・小松山に布陣し、10倍を超える幕府軍と対峙。奥田忠次を討ち取り、攻め寄せる幕府軍を何度も撃退するなど奮戦しましたが、8時間に及ぶ激闘の末、負傷した後藤基次は吉村武右衛門の介錯により自刃しました。

遅れ到着した薄田兼相、明石全登らは道明寺において幕府軍を迎え撃つも、薄田兼相は勇戦むなしく討死、残りの部隊は誉田村に撤退しました。そこにようやく真田、毛利ら後続隊が到着。戦線を立て直し、誉田八幡宮付近に布陣した真田隊と伊達軍の片倉重綱(重長)隊との間で激戦が繰り広げられました。そして、戦いが膠着状態になったところに八尾・若江での豊臣方の敗報を受け、豊臣軍は真田隊を殿軍として天王寺方面に撤退。真田信繁の「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候」はこの時の言葉ですね。

小松山は現在の玉手山あたりとされ、玉手山一号墳の南西麓には石碑や説明板、後円部には奥田忠次の墓地があります。また、玉手山公園の歴史の丘には後藤基次と吉村武右衛門の石碑や説明板があり、その奥には大坂夏の陣両軍戦死者供養塔がある……はずですが、こちらはうっかり見逃してしまいました。

第二の戦場、道明寺は現在の道明寺天満宮のあたり(道明寺は明治の神仏分離令によって西隣に移転)で、近鉄・道明寺駅前には道明寺合戦記念碑と説明板が設けられ、駅から南西に徒歩12分の畑に囲まれた一角には薄田兼相の墓があります。

誉田八幡宮には誉田林古戦場址の石碑と説明板があります。大坂夏の陣だけでなく、南北朝初期には楠木正行と細川兄弟、室町中期には畠山政長と義就、畠山稙長と義英との間で再三戦場となった地のようです。

古戦場の痕跡はないものの、石碑や説明板はあちこちにありますし、何より小松山から河内国分駅越しに大和口を見渡していると、眼下を埋め尽くす幕府軍を前に、後藤又兵衛はどんな思いだったのかな……と往時に思いをはせるひと時でした。
 

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todo94

日帰り志摩半島ドライブ (2020/08/04 訪問)

登れる灯台スタンプラリー目的の志摩半島行き。朝駆けで攻城してみました。城址碑や説明板は見つけられませんでした。東西両側の入口に通行止め表示がありましたが、東側の道には土砂崩落はなく通行可能です。回り込んで山中にも分け入ってみましたが、全くの未整備でした。

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さく守

縄張りと歴史的に印象が強い城 (2020/09/18 訪問)

大きな三日月堀の丸馬出を含めて大きな堀で曲輪を区切った縄張りが素敵な
武田の戦いの城といった印象を持ちました。
1582年の甲州征伐で織田軍が攻めてきた時に戦わず城を捨てたという話。
最後に武田が滅んだ結末と合わせとてもインパクトがあり行ってみたかった城です。 
いい雰囲気の城でした。

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さく守

南北朝にも絡んだお城 (2020/09/21 訪問)

南朝方の拠点にもなったようです。
周囲が田畑の中、比高が数mと低い丘になっています。
周囲に堀もあり曲輪として認識できますがなかなかのどかなお城です。

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くっしー

飛騨の城跡へ行こう!2020 「中井均先生と歩く!高原諏訪城探訪」 (2020/09/27 訪問)

飛騨市主催のイベントに参加してきました。
午前が、滋賀県立大学の中井均先生と一緒に高原諏訪城を探索。午後は公民館で「高原諏訪城を考えるー縄張りから見た江馬氏館との関係ー」と題した講演会でした。
高原諏訪城は竪堀・堀切がはっきり残っています。それから、中井先生が絶賛されていたのが「切岸」。非常に急こう配になっていて現状でも登るのは難しいですね。土のお城として非常にレベルのたかい城です。それから注目は、主郭からの眺めがめちゃくちゃ素晴らしい。保存会の方たちが丁寧に整備をされているそうで、30分かけて登るだけの価値ありです。また主郭から江馬氏館が見えます。高原諏訪城と江馬氏館がセットであることの証といっていいと思います。
さて、午後の講演会ではその江馬氏館との関係が話題となりました。江馬氏館は発掘調査の結果、16世紀の前半までしか使われていなかったことが分かっています。一方で、高原諏訪城は1582年に落城したとされています。セットであるはずの江馬氏館は約50年前に廃絶していたのに高原諏訪城は16世紀末まで使われていた。これはどういうことなのかということに対していくつかの仮説が提示されていました。中井先生によると江馬氏館移転後は実用的な城というよりは、先祖伝来の地として維持され続けたのではないかということでした。ただこれは、まだまだ議論の余地があるみたいですね。

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くっしー

模擬天守ですが見栄えがする。 (2020/09/27 訪問)

別名「東町城」、戦国時代の国人である江馬氏が築城した城ですが、この天守は全く当時のものとは関係ありません。でも、段丘上にあって下を流れる高原川が見渡せます。逆に街から見上げると築50年で、なかなか趣がありますよ。結構、批判されている人もいますが、モニュメントとしてこれはこれでありかなと思います。
空堀など縄張もなかなか見ごたえがあるなと思いますが、いつの時代のものですかね?江馬氏の時代の遺構が残っているのか、それともその後に入った金森氏のものか。そもそも、江戸時代の初めに廃城となって以降の状況はどこまで残されているのか。近くに国史跡にもなっている江馬氏館との関係はどうなっているのか。いろいろと考えさせてくれる城跡です。
隣に駐車場がありますが、スカイドーム神岡という道の駅から歩いても5分です。
鉱山資料館と旧松葉家もセットになっていますので、こちらも一緒に観られるといいと思います。

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中川藤兵衛尉

三木城 (2020/09/27 訪問)

播磨国でも紀伊国でもなく、近江国甲賀にあります。詳しいことは分かりません。土塁跡の様な林があります

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中川藤兵衛尉

木津城 (2020/09/27 訪問)

『山城志』にも記載された古い城で、応仁・文明の乱では東軍が、永禄十一年の合戦では三好城州が用いました。方形単郭の城とされていますが、現地案内板では尾根曲輪群が示されています。内部は土塁・空堀が多く残っていて見応え抜群です

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中川藤兵衛尉

木津平城 (2020/09/27 訪問)

『経覚私要鈔』では「木津城」、『木津天神官神事記録』では「木津庄カマエ」と記されている城です。集落全体を武装化して「城」と表現するという重要な事例を示している、という学術的に価値のある城ですが、遺構はありません。

個人的なことで申し訳ありませんが、通算百城目がこの城でした

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中川藤兵衛尉

狛城 (2020/09/27 訪問)

別名「上狛環濠」、「大里環濠」。狛城は、『大乗院寺社雑事記』にも「狛下司之跡之城」と書かれている、狛日向守の居館城郭。これを囲んだ環濠集落が大里/上狛環濠です。旧大和街道が南北に貫いています

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赤い城

大雷神社 (2020/09/21 訪問)

秩父鉄道の持田駅から徒歩10分くらい。
大雷神社が城址となります。
公園の前に石碑が立っています。
大雷神社の背後に微かに土塁と堀跡が残っています。
忍城の支城で上杉謙信が奪い、忍城に対する守備の要として利用したと言われています。

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中川藤兵衛尉

向島城 (2020/09/27 訪問)

看板が出来たと聞いて再訪しました。縄張り図欲しかったですね、出来れば現在の地図と重ねて

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中川藤兵衛尉

御牧城 (2020/09/27 訪問)

別名「西一口(にしいもあらい)城」。旧巨椋池の南西部に位置する、斎藤別当実盛の居館。承久の乱では上皇方が用い、元亀元年の騒乱では三好三人衆が落としました。現在は古き良き町並みと田圃とです

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織田晃司

妻木城 (2020/09/20 訪問)

南側駐車場だと主郭まで最短10分ほどで行けますが、駐車場までが悪路となります。
北側の妻木城士屋敷跡前の駐車場だと安全な道のりですが主郭までは約25分かかります。

運がよければ御嶽山が見れます。

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初老

唐津城 (2020/09/20 訪問)

虹の松原から、舞鶴大橋、そこから見えるお城は最高に綺麗でした。

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織田晃司

登城口からワクワク (2020/09/20 訪問)

登城口からすぐに見える石垣。
御殿場跡の大手門石垣。
本丸の不等辺多角形の天守台。石垣の城です。

運がよければ御嶽山が見れます。

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織田晃司

大河ドラマに湧く (2020/09/20 訪問)

明知城。でも搦手口より登城。
土の城で畝状竪堀群は見どころ。
明智光秀との関係は定かではない。

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織田晃司

♪飯田 飯田 飯田 飯田 飯田〜 (2020/09/20 訪問)

城の輪郭としてはほとんど消滅してますが赤門や水の手御門跡、櫓台跡の石垣があります。

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