織田信長の戦地本陣である茶臼山には神社があって舗装された道路が続いているんだけど通行止になっています。どうやら「じもピー(じもとピープル)」専用らしい。じつは新東名の設楽原PAから簡単に登城できます。
通行止になっている近くに「鈴木金七郎重正」の案内板があります。新城市富永旧川上村の鈴木一族の出で、天正3年5月14日に長篠城を鳥居強右衛門と共に出発し、岡崎城の家康に長篠城の窮状報告と援軍要請を行ったと記載があります。
強右衛門と共に「援軍来る」の狼煙をあげたとされ、合戦後に作手の亀山城主となった松平(奥平)忠明は作手村大田代に帰農していた金七郎を訪ね、二百石の禄を与えて往年の労をねぎらったそうです。
う~ん・・強右衛門だけじゃなかったんだ・・「援軍来る」と狼煙で知らせたのなら、武田軍が強右衛門に虚偽の報告をさせることに意味はあったのだろうか? でもそこで意地を貫いたことで、凄い有名人になったわけだし・・人生いろいろだ
設楽原PAでとんから定食を食べて力を付ける。ちょっと肉がかた・・いやいや旨いですぞ。デザートは西尾抹茶のソフトクリームです。
ここで売っている強右衛門Tシャツを着て街を歩けば人目を引くこと請け合いですぞ。
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