たかやまじょう

高山城

岐阜県高山市

別名 : 天神山城、臥牛山城、白雲山城、青山城
旧国名 : 飛騨

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城山公園の金森長近公之像
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イオ

信長スタイルの天守 (2024/12/01 訪問)

室町中期に多賀出雲守徳言が城山(臥牛山、巴山とも)に築き、戦国前期には高山外記が在城した天神山城を前身とし、織豊期に飛騨一国を領した金森長近が飛騨国統治の拠点として鍋山城に替えて築城しました。江戸中期に金森氏が移封されると加賀藩が在番し、飛騨国が天領となると破城の上、廃城となりました。

ニッポン城めぐりのオフィシャルツアーで訪れました。城山公園(二の丸跡)の金森長近公銅像の前で集合写真を撮り、加藤理文先生の解説で城内をひとめぐり。破城の際に石垣の石材は徹底的に運び出されたそうで、本丸の周囲を覆っていたはずの石垣はすっかり無くなっていますが、それでも中段屋形を経て本丸に向かう登城道沿いに矢穴のある石垣などが見られました。太鼓櫓跡にも石積みが見られますが、加藤先生によればこれは遺構かどうかは微妙なんだとか。使者の間の石垣は明らかに復元ですね(説明板にも書かれていますが)。

本丸には本丸屋形の礎石列が見られます。本丸には本丸屋形が石垣から一部せり出すように建ち(懸造り)、屋形の西端には屋形に乗せたような天守が建てられていました。本丸屋形は藩主の居住空間でもあったようです。岐阜城でも安土城でも織田信長は天主で暮らしていたとされますが、羽柴秀吉の時代の城でありながら、天守を居住空間とする信長スタイルで建てられているところが面白いな、と。金森長近は信長の幼少期から養育係として長く仕えてきたので、信長の死後もあえて信長スタイルを貫いたんでしょうか。

本丸から大手道を下りて行く道中にも本丸南東面に石垣が見られました。そして南之出丸からさらに大手道を進むと、大手門と思しき巨大な石垣が見えてきました。これは! と思いましたが、昭和に公園の修景のために積まれた模擬石垣とのこと。そりゃそうか。破城されたのにこんな立派な大手門石垣が遺ってるはずないですもんね。

…と、復元や模擬の石垣はあるものの、破城に伴って遺構はほとんど遺っていませんが、加藤先生には自分では見落としていただろう石垣の痕跡をいくつも案内していただき、秀吉の時代に信長スタイルの天守を建てたという説明にも大変興味を惹かれました。「金龍がゆく紀行」として金森長近の生涯をたどってみようと思った理由のひとつでもあります。
 

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イオ

素玄寺(高山市天性寺町) (2024/11/30 訪問)

素玄寺は金森長近の菩提を弔うために二代・可重が高山城下に建てた寺院で、長近の法号「金龍院殿前兵部尚書法印要仲素玄大居士」にちなんで素玄寺と称しています。本堂は高山城三ノ丸の評議場を移築したもので、素玄寺では長近の肖像画や所用の采配・軍扇などゆかりの品を所蔵しています(通常非公開)。その他、本堂の釘隠しが金森氏の梅鉢紋だったり、長近の像(高山城の銅像と同じデザイン)や在りし日の高山城を描いた絵画が飾られていました。

本堂裏手の墓地には金森家累代供養塔と金森家殉死者の墓があります。また、大原彦四郎の墓もあってちょっとびっくり。大原彦四郎紹正は江戸中期に幕府領となっていた高山に補任した飛騨代官(後に郡代)で、幕府の方針を苛烈なまでに遂行したことにより大原騒動と呼ばれる百姓一揆を引き起こしていますので、こうして今なお高山に墓があるのは意外な感じでした(幾度か倒されて破損しているそうですが)。

さて、この日はニッポン城めぐりのツアーで訪れたため、通常非公開の金森長近ゆかりの品々を見学できただけでなく、住職さんと「金森長近と城下町文化による地域の活性化推進委員会」の会長さんから素玄寺や金森長近についてのお話を伺うことができ、金森長近というと、三英傑に仕えて越前大野と高山の町を開いたまちづくり名人…くらいの予備知識しかありませんでしたが、がぜん興味が湧いてきましたので、細々と続けてきた明智光秀の「麒麟がくる紀行」もひと区切りしたことでもあり、今度は金森長近ゆかりの地をめぐってみようと思い立ち、ここ素玄寺から「金龍がゆく紀行」を始めたいと思います。
 

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三浦の晃ちゃん

熊注意❗ (2024/04/15 訪問)

高山祭りに高山市を訪れているので、早朝の散歩がてら、訪問しました。江戸時代の半ばには、廃城になっていますが、金森氏の居城です。途中に、熊よけの道具が、自然な形で、置いてあったのには、ドキッとしました。

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あっちゃん

高山城 (2024/02/23 訪問)

熊出没の表示に怖気付いて本丸まで行かず、いまだに後悔してます。

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 望楼型[2重3階/1600年頃築/破却]
築城主 金森長近
築城年 天正16年(1588)
主な城主 金森氏、前田氏
遺構 曲輪、横堀、石垣、土塁
指定文化財 県史跡(高山城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県高山市空町
問い合わせ先 高山市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0577-35-3156