まつおやまじょう

松尾山城

岐阜県不破郡

別名 : 長亭軒城
旧国名 : 美濃

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南宮山 (2026/10/03 訪問)

 関ケ原の戦いのときに毛利秀元が布陣した南宮山へ行って来ました。城びとには未登録の陣城で、松尾山城の周辺観光として投稿します。
 南宮山の頂上ではなく少し下がった東尾根に陣城は築かれています。登城路は南宮大社の奥にある安国寺恵瓊の陣跡がスタートで南宮山ハイキングコースとして整備されていて宝珠院趾までは木段になっていますが、その後は比較的緩やかな坂を登ります。歩きにくい場所もありますが、山城に慣れた方なら許容範囲でしょう。堀切、竪堀、土塁、櫓台などが残っています。主郭には石碑、説明板がありました。主郭から大垣城方面は見ることができますが、関ケ原古戦場方面は見えません。説明板には「ここからは、大垣序は望めても、関ケ原を望むことはできない。大垣城を取り囲む東軍を牽制するための布陣と推測される。」と書いてありました。縄張り図を見ると主郭の西側にも曲輪が展開し堀切などあるようですが、「これより先はハイキングコースではありません。立入をご遠慮下さい 垂井町」の標識があり見学は断念しています。主郭からの眺望はいいのですが、この日はもやがかかっていました。「宰相殿の空弁当」というエピソードがありますが、毛利秀元はここで弁当をたべたのか食べなかったのか。この日は朝早かったので自分はすぐに下山しましたが、昼頃なら景色を眺めながら本当に弁当を食べてもいいかなと思いました。

 山城シーズンも近くどこかで足慣らしようと思い南宮山を選択しました。以前に登った時に歩きやすかった記憶があり選択したのですが、主郭まで1時間近くかかりそれなりにしんどかったですね。ハイキングコースになっていて、この日も多くの方がハイキングを楽しんでみえました。日差しの多くは木々に阻まれてそれほど暑くもなく風もあって歩きやすかった。

 JR垂井駅から徒歩約15分で南宮大社に行くことができます。その奥にある南宮稲荷神社を経由して登城口である安国寺恵瓊陣跡まで5分くらいでした。南宮大社近くには吉川広家陣跡もあります。

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しんちゃん

北東の扁平地・四段の郭 小早川本体の進軍ルートを考える (2025/11/30 訪問)

久々に松尾山城に行ってきました。今回は搦め手からでは無く、北側のメジャーなルートから。個人的には江戸時代から続く小早川秀秋を侮る風潮が好きではない。若者を侮るのは平和な時代(江戸時代)の悪癖だと思います。戦国から大阪の陣まで続く動乱の時期では皆必死に知恵を絞って生きていたので若者から老人・女性・僧・農民に至るまで侮れるような存在はいなかったと思っています。

小早川をけしかける「問鉄砲」にもいろいろ解釈があって、戸田氏鉄の記した「戸田左門覚書」には問鉄砲の記載はありません。小早川隊の到着が遅くて苛立つ福島正則の傍にいる武将が「霧が濃いので小早川は動けないのです」という説明をして福島が気を取り直すといった記載がありました(記憶で書いているので詳細の誤差はご容赦を)。白峰氏の著書にある一次史料には小早川隊は開戦後すぐに西軍と交戦したと書かれているようです。ひょっとすると麓に居た小早川の先手はすぐに戦いを始めたけど、本体の到着は遅れたのかもしれません。
松尾山城の本丸から見ると戦場はすごく遠くに見えます。講談の「問鉄砲」はいささか無理が有るような気がする、戦場からこっちに鉄砲撃っても見えるのかな? 鉄砲撃ちかけられて急いて戦場に赴いたとしてもどれだけ時間がかかるか・・そもそもここを騎馬隊で降れるのか?
戦場に向かうにしても適切なルートが有ると思う。
メジャーな縄張り図には出てこないけど松尾山城の周辺にはけっこう扁平地が有ります。小早川隊が15000もの兵を連れて来れたかは謎ですが(諸説あるので)雑兵が駐屯する扁平地は多数必要だと思います。もちろん土塁は無し。
個人的には主郭の北東にある四段の扁平地が気になります。ここから尾根が北西に続いていま(実はそっち方向にも遺構と見られる場所がありますが詳細は省略)。この四段の扁平地から続く尾根は進軍ルートの比定地の一つでは無いでしょうか。尾根についている竪堀の様な堀道は後世のものだろうか。同じようなものを朝倉山や某所で見たような気がする。
呉座勇一氏の著書「動乱の日本戦国史」の第五章を参考にすると「備前老人物語」には徳川方が松尾山の麓に展開していた小早川隊に誤射を装って射撃を行ったという記述があるようです。これが問鉄砲の元ネタになっている可能性もありますな。
一次史料と矛盾する部分もあるだろうが、小早川隊が開戦後即座に全軍で西軍と交戦したという可能性と、一部部隊が交戦し本隊は遅れて到着したという可能性も考慮したい。

正直ひねくれた投稿ばかりで申し訳ないが、歴史と城郭(遺構)は切っても切り離せない相互補完の関係だと思うのだ。。

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伊藤盛正 (2025/11/24 訪問)

 久しぶりの登城でしたが、記憶していたより竪堀がよく残っていました。追加で竪堀と湧き水周辺などを投稿します。

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小早川秀秋 (2025/11/24 訪問)

 久しぶりの松尾山城です。
登山道を進み主郭に入る前に東尾根にある曲輪から散策しました。堀切がありましたが、浅くなっていました。その後、主郭、馬出状の曲輪、東南側の尾根にある2つ目の曲輪、空堀を挟んだ西側にある2つの曲輪等を散策しました。それぞれの曲輪には土塁があるのですが、主郭の西にある曲輪のうち南側の曲輪にだけは土塁がありません。ここが元の長亭軒城なのではないかとも言われています。その先には3本の竪堀が交互に設けられていました。主郭と西の曲輪の間には空堀があり、そのまま谷となっています。井戸らしき場所もありますが、谷を少し下ると水が湧いていました。標高293.1mの山の上ですが、水には困らなかったのかもしれません。東西約400m、南北約250mの比較的大きな山城で曲輪、土塁、堀切、竪堀などが残り、陣城ではなく本格的な城だと思います。

 登山道は整備されていて道幅もあり歩きやすい。城内の散策路も概ね整備されていました。
 JR関ケ原駅から徒歩約25分で登城口へ行くことができます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 富島氏
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な改修者 小早川秀秋
主な城主 富島氏、不破氏、小早川氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀、井戸
指定文化財 町史跡(松尾山城址)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県不破郡関ケ原町松尾
問い合わせ先 関ケ原町教育委員会事務局社会教育課
問い合わせ先電話番号 0584-43-1289