まつおやまじょう

松尾山城

岐阜県不破郡

別名 : 長亭軒城
旧国名 : 美濃

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①	松尾山から関ケ原東側を望む
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トク

④【関ケ原の26人 】(1)小早川秀秋 (小早川秀秋と松尾山) (2022/12/01 訪問)

(1人目)小早川秀秋の続きです。

松尾山は標高293mの山です。チャリで駅前の観光交流館から麓の駐車場まで15分、そこから40分の登山です。また今回も最初から最後まで誰にも出会いませんでしたが(今回も山を一人占めできたと思いきや・・・)、山頂近くで鹿に出会いました(笑)。

前夜に雨が降ったせいか、特に後半はすべりやすかったです(粘土層のような土でした、注意して下さい!)(写真⑦:後半の登山道)。

山頂の陣跡に立つと、確かにここからは関ケ原が一望できます(写真①②③④)。合戦の状況が手に取るようにわかったのではないかと思います。家康の最後の陣もはるかに見えましたが、あそこから鉄砲を撃ってもまずここまでは聞こえないでしょうね-。登ってみて感じたのですが、山頂本丸は意外と狭く(写真⑧⑨)、しかも斜面はどこも崖のようにとても急でした(写真⑤⑥)。これらはどうやら人工的に造られた切岸のようです。ここに15,000もの兵がどうやって陣を張っていたのか? とても不思議でした。小さな曲輪もいくつか造られていたようなので、木がなければもう少し曲輪の跡や全体もはっきり見えたのかもしれませんが・・・。

眼下には大谷吉継の陣が見えました。決戦前夜も朝方まで雨だったので、ここからあそこまで一斉に行くには、山を走って下るというより、多分濡れているこの急な斜面を滑り落ちるような感じで下りて行ったのではないかと思いました。(馬などはどうやって下りたのだろう?)

黒田長政からの誘い(調略)で家臣の意見も割れ、小早川秀秋は最後まで苦しんでいたようです。しかし朝になって雨がやみ、霧が晴れたとたん、自分の眼下にはいるはずのない東軍の大軍勢と徳川家康の旗印が見えました。これで毛利秀元と吉川広家はすでに寝返り、豊臣秀頼と毛利輝元はもはやここには来ぬとここで確信してしまったのかもしれません。

そして最後は、どんな思いでここから大谷吉継の陣へ目掛け、山を下りる決断をしたのでしょうか?

次は(2人目)に続きます。
 

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にのまる

「関ケ原陣跡制覇ウォーキング2022」に参加しました。 (2022/09/25 訪問)

 選択した「制覇コース」(距離16km/所要時間約6時間)には21箇所のチェックポイントがあり、その11番目が松尾山でした。東軍→西軍陣跡とまわるコースのちょうど真ん中です。
 それまで持っていた松尾山のイメージは家康から見下ろされ出撃も容易な小山で、「城」にカウントされているとも思わないでいたのですが、実際に行ってみると結構な山城でした(゚д゚)!
 松尾山の高低差は約200メートル。麓の案内板には距離1.5km、徒歩約40分で山頂の小早川秀秋陣跡に到着とあります。既に出発から3時間以上歩いていましたが「登る」以外の選択肢はありません。楽ではなかったですが登山道を整備してくださっていて、迷ったり漕いだりするようなことはなかったです。
 約30分で山頂に到着しました。陣跡らしい土塁も残されています。山のてっぺんまで歩いて登ったのは3か月ぶり。イベント中でそこそこ混雑してはいましたが、関ヶ原を一望し、桃配山を眺め、あのかわいらしい肖像画の青年の姿を思い浮かべたりしました。
 しかし、16時までにゴール地点の笹尾山のスタンプをゲットしなければ失格(無効)となるルールがあるので、そうそうゆっくりもしていられません。聖蓮寺方面へ向かって下山しました。こちらにも枡形虎口や土橋がありました。


今回巡ったコースは写真⑧のとおりで、何とか時間内にゴールインできました。(別投稿で各陣跡の感想など記したいと思います。)

帰省の折など新幹線で関ヶ原を通るたびにいつか歩いてみたいと思っていた願いが叶い、思い出深い一日となりました。実際に各陣跡を歩いたことで配置や距離感も掴めたので、来年の「どうするMJ」が楽しみです(´艸`*)

今回、コース序盤でゆっくりしすぎたせいもあってか7時間以上かかり、16kmのはずが28km以上歩いているのは駅までの往復を入れても長すぎ…(; ・`д・´)な気もしますが、思い切って参加してよかったです。
といっても前日と翌日が仕事のため日帰りするしかなく、朝6:00品川始発の新幹線に乗り8:23に関ヶ原駅到着(名古屋で新快速に5分で乗り換えがドキドキでした)……からの出陣で、帰りもとんぼ返りだったので、古戦場記念館にも笹尾山交流館にも駅前観光交流館にも関ヶ原ウォーランド(←いちばん行きたい)にも、コースになかった桃配山にも行けませんでした。来年これら込みで計画を立ててまた参加出来たらいいなと思っています。

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ヒロケン

陣城でしょ (2022/04/05 訪問)

松尾山城は、築城年代は定かではありませんが、応永年間に富島氏によって築かれたとされています。戦国期に入ってからは、織田氏との関係が悪化した浅井氏が、樋口氏に命じ松尾山を占拠させ砦を築きましたが、樋口氏は織田方の竹中半兵衛の調略により、織田氏に降り織田氏家臣の不破氏が守備したとされています。
関ヶ原の合戦で、廃城となっていた、松尾山城を石田三成公の要請を受けて伊藤氏が修築し布陣しましたが、小早川秀秋公によって追い払われ、小早川勢が松尾山に陣を布陣したのは周知のとおりです。

松尾山城は、松尾山の山頂にあり関ヶ原を一望でき、関ヶ原の合戦の折、若干19歳の小早川秀秋公が布陣した城として有名ですが、「所詮、急ごしらえの陣城でしょ」とあまり乗り気ではありませんでしたが、登城してびっくり(@_@)単純な陣城ではなく、しっかりと曲輪・土塁・堀切・竪堀などが残り、本格的な山城だといえます(*^▽^*)
なだらかな、登山道を40分程登れば、山頂に辿り着きます。山麓に駐車場も有り、そして何とトイレも山頂に完備されています。何より、関ヶ原が一望でき、関ヶ原の合戦の陣形図があり、西軍の優位性がはっきりと分かります。西軍は鶴翼の陣形で、東軍は車懸の陣形。この西軍の優位性を徳川家康公が分からないはずはなく、やはり、合戦の前から小早川公は調略されていたものと思われます。(想像です)

ただ、登城して思ったのですが、確かに良い山城ですが、小早川勢1万5千の兵が駐屯できるほどの規模ではなく、小早川公の側近1千程が山頂で待機し、残りの兵は山麓、山腹に配置されていたと思われます(想像です)煮え切らない小早川公の陣に家康公は鉄砲を撃ちたてたとありますが、絶対火縄銃では小早川公の陣まで届きません。

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小荷駄

松尾山城 (2022/03/11 訪問)

関ケ原駅から徒歩20分~25分程で駐車場です。駐車場の大きさはあまり大きくはありませんでした。6~7台程停めれると思います。トイレは駐車場から徒歩5分程名神高速を潜った先にあります。駐車場から徒歩40分位で主郭に着きました。登山道は整備されていて歩きやすくとても良かったです。当日は主郭からの眺望は良く関ケ原方面を一望出来ました。此の場所で合戦当日小早川秀秋さんはどれ程悩んだのかと想うとなんともいえない気持ちになりました。主郭南側の枡形虎口に暫し見惚れてしまいました。ほかにも見応えのある遺構がいくつもあり大変満足いく一日になりました。主郭西側の曲輪とその南側の曲輪は残雪の為に行けず次回に持ち越しとなりました。帰りにはまつのやさんにてお菓子を買って帰りました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 富島氏
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な改修者 小早川秀秋
主な城主 富島氏、不破氏、小早川氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀、井戸
指定文化財 町史跡(松尾山城址)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県不破郡関ケ原町松尾
問い合わせ先 関ケ原町教育委員会事務局社会教育課
問い合わせ先電話番号 0584-43-1289