(1人目)小早川秀秋の続きです。
松尾山は標高293mの山です。チャリで駅前の観光交流館から麓の駐車場まで15分、そこから40分の登山です。また今回も最初から最後まで誰にも出会いませんでしたが(今回も山を一人占めできたと思いきや・・・)、山頂近くで鹿に出会いました(笑)。
前夜に雨が降ったせいか、特に後半はすべりやすかったです(粘土層のような土でした、注意して下さい!)(写真⑦:後半の登山道)。
山頂の陣跡に立つと、確かにここからは関ケ原が一望できます(写真①②③④)。合戦の状況が手に取るようにわかったのではないかと思います。家康の最後の陣もはるかに見えましたが、あそこから鉄砲を撃ってもまずここまでは聞こえないでしょうね-。登ってみて感じたのですが、山頂本丸は意外と狭く(写真⑧⑨)、しかも斜面はどこも崖のようにとても急でした(写真⑤⑥)。これらはどうやら人工的に造られた切岸のようです。ここに15,000もの兵がどうやって陣を張っていたのか? とても不思議でした。小さな曲輪もいくつか造られていたようなので、木がなければもう少し曲輪の跡や全体もはっきり見えたのかもしれませんが・・・。
眼下には大谷吉継の陣が見えました。決戦前夜も朝方まで雨だったので、ここからあそこまで一斉に行くには、山を走って下るというより、多分濡れているこの急な斜面を滑り落ちるような感じで下りて行ったのではないかと思いました。(馬などはどうやって下りたのだろう?)
黒田長政からの誘い(調略)で家臣の意見も割れ、小早川秀秋は最後まで苦しんでいたようです。しかし朝になって雨がやみ、霧が晴れたとたん、自分の眼下にはいるはずのない東軍の大軍勢と徳川家康の旗印が見えました。これで毛利秀元と吉川広家はすでに寝返り、豊臣秀頼と毛利輝元はもはやここには来ぬとここで確信してしまったのかもしれません。
そして最後は、どんな思いでここから大谷吉継の陣へ目掛け、山を下りる決断をしたのでしょうか?
次は(2人目)に続きます。
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