まつおやまじょう

松尾山城

岐阜県不破郡

別名 : 長亭軒城
旧国名 : 美濃

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主郭枡形虎口
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BUGTI

小早川秀秋陣跡 (2023/11/23 訪問)

ドラマの効果で山城にしては多くの人で賑わっていました。主郭以外は誰もいませんが。主郭の周りに土塁がしっかり残っています。また、主郭の南には枡形虎口がはっきり残っていました。そのほか東の曲輪や、主郭の西の曲輪にも土塁が残っていて、とても臨時の城とは思えない造りです。戦が長く続くことを想定していたのでしょうか。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:松尾山城 (2023/04/27 訪問)

長比城からの転戦です。松尾山登山口駐車場(35.352142、136.461413)に駐車しました。

松尾山城は「関ケ原の戦い」で東軍に寝返った小早川秀秋が布陣した城として有名です。
築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に富島氏によって築かれたと云われています。
浅井長政が織田信長との同盟関係を解消したことにともない、長政は樋口直房に美濃国境である松尾山を占拠させ城を修築させました。
しかし直房は竹中半兵衛の調略により信長に降り、その後は信長の家臣である不破光治が城を守りました。
1575年(天正3年)不破光治は越前平定で功を挙げ、前田利家・佐々成政とともに府中三人衆の一人として越前国龍門寺城主となりました。
1579年(天正7年)には浅井家滅亡によって、その役目を終えていったん廃城となりました。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦で大垣城主伊藤長門守盛正は石田三成の要請を受けて大垣城を提供するとともに、松尾山城を修築して布陣しました。
しかし、盛正は小早川秀秋によって追い払われ、松尾山には小早川秀秋が布陣しました。小早川秀秋は西軍として松尾山に陣を布いたが、東軍に寝返ります。

松尾山城は前日に攻城する予定でしたが、発熱の為、断念しました。(前日断念した城は菩提山城、京極氏館、上平寺城など)
せめて登り口までは行きたいと思い、本日、急遽、やって来ました。必ずリベンジします。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=長松城に向かいます。

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城好きのメガネ

「松尾山城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
松尾山城は浅井氏の家臣・樋口直房が境目の城として入る。堀氏・樋口直房が竹中半兵衛の調略によって織田氏に降ると、不破光治が城主となる。織田信長が近江を掌握すると廃城となる。関ヶ原の戦いでは小早川秀秋が陣を敷く。関ヶ原の戦い後は再び廃城となる。現在、曲輪、土塁、堀切、竪堀等が遺されている。

<アクセス>
JR関ヶ原駅 徒歩50分

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トク

④【関ケ原の26人 】(1)小早川秀秋 (小早川秀秋と松尾山) (2022/12/01 訪問)

(1人目)小早川秀秋の続きです。

松尾山は標高293mの山です。チャリで駅前の観光交流館から麓の駐車場まで15分、そこから40分の登山です。また今回も最初から最後まで誰にも出会いませんでしたが(今回も山を一人占めできたと思いきや・・・)、山頂近くで鹿に出会いました(笑)。

前夜に雨が降ったせいか、特に後半はすべりやすかったです(粘土層のような土でした、注意して下さい!)(写真⑦:後半の登山道)。

山頂の陣跡に立つと、確かにここからは関ケ原が一望できます(写真①②③④)。合戦の状況が手に取るようにわかったのではないかと思います。家康の最後の陣もはるかに見えましたが、あそこから鉄砲を撃ってもまずここまでは聞こえないでしょうね-。登ってみて感じたのですが、山頂本丸は意外と狭く(写真⑧⑨)、しかも斜面はどこも崖のようにとても急でした(写真⑤⑥)。これらはどうやら人工的に造られた切岸のようです。ここに15,000もの兵がどうやって陣を張っていたのか? とても不思議でした。小さな曲輪もいくつか造られていたようなので、木がなければもう少し曲輪の跡や全体もはっきり見えたのかもしれませんが・・・。

眼下には大谷吉継の陣が見えました。決戦前夜も朝方まで雨だったので、ここからあそこまで一斉に行くには、山を走って下るというより、多分濡れているこの急な斜面を滑り落ちるような感じで下りて行ったのではないかと思いました。(馬などはどうやって下りたのだろう?)

黒田長政からの誘い(調略)で家臣の意見も割れ、小早川秀秋は最後まで苦しんでいたようです。しかし朝になって雨がやみ、霧が晴れたとたん、自分の眼下にはいるはずのない東軍の大軍勢と徳川家康の旗印が見えました。これで毛利秀元と吉川広家はすでに寝返り、豊臣秀頼と毛利輝元はもはやここには来ぬとここで確信してしまったのかもしれません。

そして最後は、どんな思いでここから大谷吉継の陣へ目掛け、山を下りる決断をしたのでしょうか?

次は(2人目)に続きます。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 富島氏
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な改修者 小早川秀秋
主な城主 富島氏、不破氏、小早川氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀、井戸
指定文化財 町史跡(松尾山城址)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県不破郡関ケ原町松尾
問い合わせ先 関ケ原町教育委員会事務局社会教育課
問い合わせ先電話番号 0584-43-1289