まつおやまじょう

松尾山城

岐阜県不破郡

別名 : 長亭軒城
旧国名 : 美濃

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小早川秀秋陣跡(松尾山頂上)
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イシテル

関ケ原を一望する陣城「松尾山城」 (2020/06/27 訪問)

新型コロナの感染防止で2月中旬から自粛していた城巡りを再開。まずは単身住居近場の岐阜県_関ケ原の松尾山城へ行きました。
徒歩30分程で登城口に着くはず(ネットのコメントや観光案内所の職員さんの話では)がスマホナビに従って歩いて行くと松尾山の裏側にある登山口(聖蓮寺側)へ案内され、関ケ原駅から50分程掛かって到着。そこから小早川秀秋の陣跡(頂上)まで1.5kmと少し遠回り(約5.0km)の登城となりました。
但し、こちら側から登ると竪堀、畝堀、土橋などあり、表の登城口から登っていれば知る由も無かった遺構を見ることが出来ました。
頂上(小早川秀秋陣跡)は、主戦場となった関ケ原決戦地や石田三成の陣跡(笹尾山)が良く見える位置であって、石田三成が毛利輝元の陣(西軍本陣)にしようと廃城の松尾山城跡を陣城として整備したことが良く解ります。
ただ、小早川秀秋は、初めから東軍と戦う意思は無く、毛利輝元が大坂城から動かないことを良いことに、ここを自陣として占拠した。ここに立ってみると、この高さから降りて戦う気持ちになれず、主戦場を見て静観していた。そこへ家康の強い指令があり、恐怖をおぼえ裏切りへと向かってしまったのでは?、など考えてしまいます。
家康が小早川秀秋の陣に鉄砲や大砲を撃ちかけ、それで裏切ったとの説がありますが、弾丸や砲弾が届く高さでなく、麓の主戦場での音は良く聞こえても自陣に向けての発砲であることは判らなかったでしょう。実際は、家康の指令を聞いて行動したものだと判ります。
表の登城口に向かって下城。主郭(小早川陣跡)を降りると郭の西側に廻る道があり、そこから西側に行くと、別の郭と思われる遺構が幾つか見られます。郭跡のひとつは登れましたが、その他は登れる道が途絶えていて断念。整備すると多くの遺構があると思われ、残念でした。
下城の後は、福島正則陣跡、藤堂高虎・京極高知陣跡などを廻りながら関ケ原駅へ到着。藤堂高虎・京極高知陣跡は関ケ原中学校の敷地内にあり、入るのを躊躇しましたが、正門横の案内板に「入場可」との記載を見つけ、遠慮なく立ち寄らせていただきました。
遠回りをしましたが松尾山城跡裏側の遺構や常盤御前の墓などもお参りして、久しぶりに充実した一日となりました。
裏から登城して、表に下城するのは、徒歩ならではの城廻。観光案内所でレンタサイクル(4時間:550円、1日:1100円)もありますが、借りると名所をいろいろと行きたくなるので、徒歩で松尾山城ただ一つを目指したのですが、結果として良かったと納得しています。

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くっしー

ちょっと舐めてました( ̄▽ ̄;) (2020/02/15 訪問)

まあ、陣城なのでぱっと行ってぱっと帰ってこられるやろうと思ったのですが、結構きつかった。
駐車場から頂上まで約一時間ですね。

言わずと知れた「関ケ原の戦い」における小早川秀秋の陣があった場所ですが、築城は室町時代初めで、織田氏と浅井氏が国境で争いあった場所なんですね。

麓の辺りは自然地形と中世の作事か近代の改変かよくわからない地形でしたが、陣跡周辺はがっつり遺構が残っていました。土塁がしっかり作られてたのと枡形虎口になっていたのが印象に残りました。

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イオ

ただの陣城にあらず (2020/02/01 訪問)

室町前期に富島氏が築城し、戦国末期には浅井氏と織田氏の境目の城となりましたが、織田氏が美濃と近江を領したことで役割を終えて廃城。関ケ原の戦いに際して、西軍総大将・毛利輝元の本陣とすべく石田三成の命により大垣城主・伊藤盛正が改修するも、輝元は大坂城から動かず、小早川秀秋が盛正を追いやって布陣しました。松尾山からの小早川隊の東軍への参戦が勝敗を左右したのはご承知のとおりです。

急ごしらえの陣城かと思いきや、山頂の主郭から北東、東、南、南西にのびる各尾根筋に曲輪を設けた大規模な山城で、各曲輪(南西の曲輪を除く)の周囲を土塁がめぐり、主郭の南部には土塁で枡形虎口が築かれていて、北側には竪堀が長く伸びています。そして主郭からは関ケ原の主戦場が一望のもとに見渡せます。北東の曲輪の土塁には折れが設けられ、南の曲輪には堀切と土橋の先に虎口があります。西の曲輪と南西の曲輪の間には大きな堀切、南西の曲輪の南端尾根筋には堀切が交互に3本並んでいます。また、曲輪間の斜面などに階段状に曲輪が設けられ、大軍の収容を想定していたものと思われます。

前々から関ケ原古戦場に行ってみたいとは思っていましたが、昨秋の山城サミットでガイドマップをもらって行きたい思いに火がつき、ニッポン城めぐりの関ヶ原イベントにあわせて訪れることができました。…と言っても、松尾山城については「関ケ原の戦いの転機となった地でもあるし、せっかくだから登ってみるかな。遺構もあるようだし」程度でさほど期待してなかったんですが、まさか遺構がこれほどの規模で状態よく残っていたとは! 北麓の登城口駐車場から主郭まで約30分を要しますが、特に急登でもなく歩きやすい道ですし、時間が許せばぜひ登ってみて下さい。ただ、松尾山はヤマビルが出るらしいのでご注意を。この日は真冬だったので遭遇せずに済みましたが…。
 

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todo94

関ヶ原 (2010/05/03 訪問)

カーナビをセットして下道で向かったが、ものの見事に登山口の聖蓮寺脇に導いてくれた。山頂まで1.4kmという表示にちょっと驚かされたが、緩やかな登山道なのでハイキング気分で楽々登っていくことができる。流石に山頂付近はそれなりの坂になるが、土橋や堀切の遺構らしきものも視認できてなかなか楽しく登っていける。そして、山頂部には見事に虎口と土塁がお出迎え。そしてこの山頂からは、関ヶ原の古戦場を眼下に一望することができるのだ。まさしく、関ヶ原の戦いに於ける一等地とも言える場所。石田三成の小早川秀秋に対する配慮があったと言うべきなのだろうか。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 富島氏
築城年 応永年間(1394~1428)
主な改修者 小早川秀秋
主な城主 富島氏、不破氏、小早川氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀、井戸
指定文化財 町史跡(松尾山城址)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県不破郡関ケ原町松尾
問い合わせ先 関ケ原町教育委員会事務局社会教育課
問い合わせ先電話番号 0584-43-1289