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イオ

改めて整備のありがたみ(西曲輪群~北西尾根) (2026/04/25 訪問)

(続き)

中央曲輪群(居館跡)から西曲輪群(詰城)への登城道から見上げる主郭東面には石垣が大規模に設けられています。前回もこの石垣は見ていますが、かなりシダに隠れていた覚えがあり、中央曲輪群だけでなく西曲輪群も綺麗に整備されているようです。そして主郭と物見郭の間の堀切を進み、物見郭にちょっと寄り道してから主郭へ。主郭の南虎口脇にも石垣が積まれています。主郭に上がってまたびっくり。木々はすっきり伐られ、下生えも綺麗に刈られて眺望も主郭内の見通しも何の支障もありません。中央曲輪群といい西曲輪群といい、もはや同じ城とは思えないレベルです。

両脇に石垣が積まれた主郭北虎口を出て北西尾根に向かいます。北西尾根は二重堀切で遮断し、その先の尾根西面には畝状空堀群が、堀切南端には石垣が設けられていました。前回も岩盤を掘り抜いた二重堀切は大いに見応えがありましたが、内側の堀切を覆っていたシダが刈られたことにより、さらに見栄えが良くなっています。北西尾根の畝状空堀群や堀切南端の石垣を見た覚えがないのは、藪でわからなかったからかもしれません。ともあれ、以上で京城をひとめぐり。

この間の皆さんの投稿で綺麗に整備されていることも見応えがあることも承知していましたが、その上でなお「これほどとは!」の一言に尽きます。前回登城時の投稿で「状態の良い城を巡ることができるのは、損得度外視で整備してくれている方々あってのこと」などと書いていますが、まさかそのことを7年越しで当の京城で改めて実感することになろうとは。現在の状態を維持し続けるのは大変なご苦労だと思いますが、おかげさまで素晴らしい遺構を見せていただきました。ありがとうございます。

…ということで、なかなか訪れにくい城ではありますが、新宮城と赤木城を結ぶルート上にあり、1時間くらいでひとめぐりできますので、山城好きであれば続100名城めぐりのついでにぜひお立ち寄りを。私からも大いにおすすめいたします。
 

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にのまる

遠賀川河口 (2026/09/10 訪問)

JR折尾駅から市営バスで山鹿下車。
ショートカットする道を通り過ぎてヨットハーバーの方まで行ってしまいましたが、途中に【秋月藩・東蓮寺藩貢米蔵の跡】碑が設置されており、遠賀川河口に位置する山鹿城も水運の要となる城だったであろうことが想像できました。

消防団横の城山公園入り口から登りました。法面の広範囲で崩落防止策が講じられており、自然や歴史遺産と人々の生活をバランスよく守ることの困難さを思います。

山鹿城は春にはお花見を楽しめる公園ですが、本丸・二の丸・帯曲輪は現在でもそれとわかり、全体的にコンパクトなので真夏の城めぐりでも歩くのが大変ということはありませんでした。三の丸の白山神社の方へ通り抜けましたが、連郭式を体感しやすいお城でした。

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赤い城

土塁上ウォーク (2026/08/15 訪問)

三瀬館から国道42号線を少し戻り、三瀬砦の案内板に沿って南側に入ります。
北畠氏家臣の三瀬氏の居城です。

砦前に説明板があります 
駐車場に車を置き虎口から中に入ります。

主郭は広く井戸もあり、3mくらいの高さがある土塁で囲まれています。
とりあえず土塁上へ登ります。
西側へと進んでいくと郭内の少し段になったところに神社が祀られていました。
神社の奥まで土塁は続いていてこちら側にも開口部が見られます。

宮川と大谷川が流れ、三方が崖で天然の要害となっています。
期待値は高くなかったのですが思いのほか良い城でした。

【見どころ】
 ・高い土塁
 ・井戸

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小城小次郎

正しいと思ったことをしただけだろう (2025/11/24 訪問)

苅安賀城の尾張浅井氏は近江浅井氏と同族とか。最後の当主・田宮丸(長時)は小牧長久手の戦いに先立ち津川義冬らとともに織田信雄に粛清される。田宮丸16歳の時という。たぶん彼は正しいと思ったことをしていただけなのだ。

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ゆいひろ

どこから見ても絵になる、至高の世界遺産 (2023/11/23 訪問)

「現金忘れて中には入れず😭でも外周だけで圧倒される美しさ!」
念願の姫路城へ!手持ちの現金がなくて中には入れなかったハプニングもありましたが(笑)、外から見るだけでもスケールの大きさに大興奮でした。あまりに素敵でLINEの写真も即お城に!
敷地内には可愛い動物園があったり、着物姿の新郎新婦が前撮りをしていたりと、お城の周りを散策するだけで最高に楽しめました。今度はリベンジして中に入りたいです!

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朝田 辰兵衛

ここは私有地につき立入禁止…🙅 (2026/09/22 訪問)

立入禁止から立入禁止に転戦です。ここは私有地につき立入禁止なので,入れそうなポイントを見つけましたが,不法侵入となりますので(自重して)外観のみにとどめました。不法投棄する輩がいるようです…。
小倉駅BCの4番のりばから,黒崎BC行きのバスに乗りました。しっかりと「到津経由」を確認。歯大前バス停で下車【320円】。ここから徒歩約15分で「立入禁止」の立て看板に到着。
黄門様の石橋が見たかったので,到津八幡神社へと。最後に水運を担っていたと思われる板櫃川を眺めて終了。

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ゆいひろ

幕末の夢が眠る、最後の砦 (2026/07/12 訪問)

「タワーからの絶景と幕末の歴史に感動!見どころ満載のスポットです」
五稜郭タワーに昇って上から全体を眺めましたが、その圧倒的な規模の大きさに驚きました。地上に降りてからは、再現された箱館奉行所へ。天守閣を持つお城とは違いますが、とても趣のある佇まいで、当時の雰囲気をじっくりと肌で感じることができました。タワーでの展示も詳しく、歴史への理解が深まります。景色も歴史も見応え十分で、函館に来たら絶対に外せないおすすめのスポットです!

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カズサン

11年振りの上田城-3/3土塁と堀編 (2026/09/23 訪問)

 11年振りの上田城-2/3石垣編の続きです。
 先の投稿でも書き込みました様に、関ヶ原合戦の後懲りたのでしょう徳川氏に徹底的に破壊されて、東軍に与した真田信之が上田城に入封するも、本丸、二の丸は使用せず三の丸に水堀で囲まれた方形の御屋形を造り藩政を行った、現在は上田高校として現存してる。
 22年後の元和8年信之は松代へ転封し、小諸から仙石忠政が入封し幕府からの資金援助を受けて上田城の大改修が行われて現在に姿に戻りました。

 一度埋められた堀も、掘り起こされて内堀、外堀の水堀へ戻り現状の内濠として残って居ります。内堀と本丸土塁の見所の一つが北東角の鬼門封じの入隅を施し土塁上左右に二階櫓が建っていた、結局本丸には現存の北櫓、南櫓、西櫓と鬼門封じの2櫓、北西角、本丸西虎口北の櫓と7軒の二階櫓が建っていた。
 内堀を二の丸沿いから巡りましたが本丸側、二の丸側とも樹木が大いに茂り見通し景観は良くありませんが、北西角、北東角は樹木の伐採もして有り良く眺める事が出来ます。本丸東側の土塁上も樹木が大いに茂って居ましたが何本か大樹の百日紅が赤い花を付けて景観の色付けをしていました。
 二の丸の東空堀は以前電車が通って居り二の丸のコンクリと橋下トンネルには架線を掛ける痕跡が在る。百間堀、広堀は現在球場、陸上競技場と成っている。
 外堀の役目を担っていた千曲川支流の尼ヶ淵は公園駐車場ですが上田城の南を護っていた要害で現在は見所の一つです。

 帰ってから上田市役所のHPを見ましたら上田城の将来整備構想図(H24)を発見しましたので10番目に添付します。本丸、二の丸の整備、本丸の櫓復元整備、二の丸の虎口、土塁復元整備の様子が分かります。本丸に七の二階櫓が建つ姿を観たいものです?
 
 この後は小諸城移築山門の在る寺院と龍岡城へ小雨が降りだしました。
 

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イオ

改めて整備のありがたみ(中央曲輪群) (2026/04/25 訪問)

約7年ぶりの再訪です。前回登城時はほぼ全域が木々と藪に覆われていましたが、その1年後にあ さんから草刈りされていたとのレポートがあり、それ以降は登城された皆さんから続々と称賛の声があがる…。ずっと気になっていましたが、ようやく再訪を果たすことができました。

まず県道から登城口に向かう角の説明板をチェックすると…新しくなってる! 城びと投稿の写真で見るに、遅くとも昌官忠さんの登城時(2025/05/02)までに立て替えられたようです。そして曲輪の一部と考えられる東泉寺跡に車を駐めて登城開始。登城道を進んで行くと中央曲輪群南面の石垣が見えてきます。前回見た覚えがないので、当時は木々や藪に隠れていたのかもしれません。そして居館跡とされる中央曲輪群に足を踏み入れてびっくり。木々はすっきりと伐られ、倒木とシダの藪で何が何やら状態だった面影は微塵もなく、散策するのに何の支障もありません。前回あきらめた畝状空堀群を見るべく中央曲輪群の東斜面に向かうと4条の竪堀がはっきりと遺っています。よく見ると畝にも堀底にもシダはうっすらと生えていて、今の状態が絶えず整備され続けている結果であることがわかります。畝状空堀群の下には2条の堀切も明瞭に見られました。さらに北斜面には苔むした石垣が延々と続いています。…う~ん、見応えありすぎるんですけど。前回登城時の投稿に「もう少し整備されればもっと見応えがあるのに…」などと書きましたが、まさかこれほどのポテンシャルを秘めた城だったとは。

前回見られなかった中央曲輪群の遺構が見られただけでも充分に満足ですが、せっかくなので枡形虎口を抜けて詰城とされる西曲輪群に向かうと、登城道の先に東斜面の石垣が見えてきました(続く)。
 

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赤い城

北畠具教の館跡 (2026/08/15 訪問)

伊勢遠征最終日は雨模様、特に予定は無く城メインに。
まずは朝駆けでこちらへ。
国道42号線を走ると三瀬砦の案内板があり、少し先を北側に入ります。
観光用の駐車場があり、そこから案内板に沿って進みました。
すぐに公園化された館跡に到着、石垣が残っています。
館跡は階段状の曲輪になっています。
とりあえず一番上の曲輪まで登り、一旦降ります。

東側には見張台の茶臼山砦があります。
案内板もあるハイキングコースになっています。
登っていくと堀切があり、南北の二つの曲輪を隔てます。
天候がいまいちだったので眺望は微妙ですが見晴らしはよさそうでした。

北畠具教が隠居して住んだ館跡で終焉の地でもあります。
館の南側には具教の胴塚もあります。

【見どころ】
 ・段になった曲輪
 ・石垣
 ・見張台の茶臼山砦

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小城小次郎

変な形で日本史に名を残した加賀野井重望 (2025/11/24 訪問)

小牧・長久手の戦いでは羽柴軍の猛攻を受け、ここで楠木正成の嫡流が絶えたと伝わる。城主の加賀野井氏は関ヶ原の直前になって水野忠重を殺害するという大事件をやらかし、変な形で日本史上に名を残すこととなった。

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イオ

どっこい生きてる日本100名城かるた

特別版お城EXPO・in熊本2026に参戦された皆さま、お疲れさまでした。私は所用で参戦できなかったので、せめて雰囲気だけでもと3日の夜に城びとの✕を覗いてみたところ、加藤理文先生によるかるたワークショップが開催されていたそうで、掲載されている写真をよく見てみると…絵札が赤くない!? もしやと思って公式HPで確認したところ、やはり「日本100名城かるた」のワークショップでした。ずいぶん前にSOLD OUTになり、現在は城びとストアへの掲載もなくなっているので絶版になったのかなぁ…と思っていましたが、どっこい生きてるじゃないですか! ワークショップに参加して「ほしい!」となった際に「もう絶版で手に入りません。残念でした~」なんて対応になるくらいならワークショップを開催したりはしないでしょうし、すでに再版された(今後される)んでしょうか。年末の横浜でかるた大会が開催されるなら、当たり前に「赤色立体地図お城かるた」だと思い込んでいましたが、「日本100名城かるた」の可能性もある? 熊本は横浜への布石なんでしょうか?(たぶん考えすぎ)

「赤色立体地図お城かるた」は、やり込む深さがあるのが楽しいんですが、一定以上やり込んだ人と初見の人とではほとんど勝負にならないところがあり(だからこそクラス分けが必須)、その意味では「日本100名城かるた」のほうが間口が広い(初見でも赤色立体地図ほどの差はつかない)と思いますので、「赤色立体地図お城かるた」だけでなく「日本100名城かるた」でのかるた大会の開催にもぜひ期待したいところです。

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ヒヨッピー

茅ヶ崎城 (2026/10/01 訪問)

横浜のニュータウンである都筑にある城跡です。地下鉄のセンター南より徒歩圏で、公園として整備されており、空堀や遺構跡も見られて、素敵なところです。

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のん

松尾城址と鈴丘城址 (2026/08/22 訪問)

信州飯田あたりを治めていた小笠原氏は、信濃守護職と重要な領地である伊賀良庄を巡って相続争いを繰り返しました。その結果、国府のあった府中(松本市)と、松尾、鈴岡の3家に分裂してしまいました。

その後、何年も身内での争いが続き、鈴丘城当主親子を松尾城に呼び出し騙し討ちにし、その後鈴丘城は廃城に。しかし、信州の南の地域は、織田、徳川、武田が取り合う争いの地域であり、松尾城は織田信長との戦いに敗れ、廃城となっています。

見どころ
広い曲輪や土塁などの遺構が残っています。
また、毛賀沢などの沢に削られた三方高い崖に築かれた地形。
また、沢を挟んだ鈴岡城にも歩いていけるので、両方を楽しむことができます。

今は公園として親しまれ、春には桜が綺麗です

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のん

松尾城址から鈴丘城址へ (2026/08/22 訪問)

毛賀沢という深い川を挟んで、松尾城と鈴岡城があります。どちらのお城から攻めても、行き来できます。しかし、深ーい沢に隔たれており、かなり長い階段の登り降りが必要です。

松尾城と鈴丘城は、長年争いが絶えず、松尾城側が騙して鈴丘城の当主を騙し討ちにし、最後は鈴丘城側が負けて廃城となったそうです。戦国時代のお城には悲しい歴史がつきものですね。

見どころ
発掘調査を経て、堀跡や曲輪などが綺麗に残されています。公園になっているので、芝地でお弁当など食べるのも心地よいです。
天竜川や南アルプスを望む景色も絶景です。
また、毛賀沢など川に挟まれた険しい崖に立つ地形を感じるには、松尾城に抜ける道はぜひ歩いてみてください。
毛賀沢は、橋から川面が見えないほど木々で鬱蒼とした深い沢となっております。
松尾城と両方見て回れますが、深い沢を往復する必要があるので、歩きやすい支度は必須です。

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ダイエティシャン

出雲、石見のお城イベント (2026/05/04 訪問)

10月11月開催の出雲、石見のお城イベント紹介。

10月10日(土)~11月23日(祝)【いわみん2026】いわみ(島根県西部)の地域の歴史、文化を知る期間限定の地域あそびイベント。詳細は【いわみん2026公式hp】。首都圏から、萩▪︎石見空港の利用料補助あり。詳細は【おいでよしまね~しまね田舎ツーリズムポータルサイト】公式hpのニュースから。

11月16日~11月18日石見の山城探訪。 2泊3日、79800円~83800円。羽田空港発。七尾城、浜田城、丸山城、津和野城、中荒城を講師と共に探訪。特に丸山城(川本町)と中荒城(津和野町)は、個人では攻城が難しいので、お勧め。詳細は【島根県古代文化センター】公式サイトR8年度しまねの古代文化探訪ツアー 石見の山城 または【クラブツーリズム】公式サイト 石見の山城

写真は、津和野城の中世城郭中荒城。

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イオ

新宮城跡散策マップ(水ノ手曲輪~二ノ丸~大手道) (2026/04/25 訪問)

(続き)

松ノ丸東門から水ノ手曲輪に下りて行くと、水ノ手曲輪を見渡す位置に水ノ手の説明板が立てられていました。水ノ手曲輪から振り返ると数段の低石垣の上に城山の本丸・鐘ノ丸の石垣がそびえ立っています。前回よりも川の水位が高かった(前日は雨)ので川沿いには下りられませんでしたが、巨大な舟入は備長炭を江戸に出荷する拠点だったことを感じさせます。発掘調査では熊野川流域から集積した備長炭を収納する炭納屋群も確認されています。

水ノ手曲輪から川沿いに進み、南に入って二ノ丸へと向かう途中、民家が建ち並ぶ中に大手道の石垣が遺っています(通行不可)。大手門跡から二ノ丸西辺をたどると民家の合間にところどころ二ノ丸西面の石垣が覗いていました。上部の積み方が違う部分は後世の積み増しでしょうか。二ノ丸西面にも2基の排水樋があるようですが、見付けられませんでした。二ノ丸南西隅の算木積み石垣をチェックして南面の石垣を眺めながら東へ。二ノ丸は保育園になっていて立ち入りできませんが、これほどの石垣が遺っているだけでもありがたいことですね。冠木門のある公園入口から石段を登って行くと、先ほど下から見上げた大手道に合流します(案内表示あり)。ここから先が往時の大手道で、道の脇に排水溝が設けられ、さらに登った先の道沿いには白壁土塀の基礎部分が遺っています。そして松ノ丸西門で新宮城をひとめぐり。

久しぶりに訪れてもやっぱり見応え満点の総石垣の名城で、前回もひと通り見ているので今回は軽くでいいや、と思っていたはずが、新宮城跡散策マップには前回は意識していなかった排水樋や刻印などマニアックな見どころまで網羅されていたこともあって、今回もしっかり2時間堪能させていただきました。
 

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T-Shionoya

巨岩を中心とした海ノ口城 (2026/04/19 訪問)

毎年この周辺を通るたびに気になっていた城の1つ、前回投稿した海尻城に続き訪れた長野県南佐久郡南牧村の海ノ口城。

海尻城から千曲川を挟んで東へ約2km、山地地形の比高約200mの尾根上に築かれた城。
佐久郡の南端エリアで海尻城と共に甲斐国との国境を警備した支城と考えられる。

築城時期は不明だが、武田信虎による佐久侵攻の際には、佐久平賀城の平賀源心が守備。
攻めあぐねた武田軍は甲斐への帰陣を始めるが、それに気を緩めた源心の隙を突き、初陣の信玄が奇襲を仕掛けて攻略。
このエピソードの真偽は定かでないものの、武田信玄初陣の地として伝わっている。

現在は村の指定史跡となっており、南麓から登るルートには標識が設置され、主郭部には東屋が建つ。

訪問時、標識に従い進んで行くと鳥居峠に到着し、そこから登る急な尾根の途中には、土橋を持つ堀切のような地形が2本存在。
登り切ると3段の曲輪で構成されており、最上段が屏風岩のある主郭。そして主郭の背後、東側の巨大な堀切(東堀)は海ノ口城の1番の見どころ。磐座信仰の場所に置かれた城のようで、鳥居峠には鳥居が立っていたのでしょうか?
東堀から更に東へ進むと、未削平の尾根上に堀切AとBがあるが、Aは明確であるもののBは不鮮明。

城郭構造に海尻城との共通性も感じた、私の城郭巡りの235城目でした。

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張陳

西の京の中心地 (2026/09/20 訪問)

大内氏館跡は、大内義隆の菩提を弔うために建てられた龍福寺となっています。
敷地内には庭園や資料館もあります。
また、周囲は土塁や西門、石組溝など復元された遺構がありますので、お見逃しなく。

私は、この日、「瓦そば柳屋」さんで瓦そばをいただきました。
ただこのお店、大変な人気店で、開店30分後でも40組以上が並んでいました。
私が行った26年9月の時点では、順番が近づくとラインかメールで通知が来るように設定できましたので、まずは柳屋さんで受付を済ませた状態で周辺を見て回ることをおすすめします。
この間に、今八幡宮、八坂神社と築山神社、大内氏館の外周を見て戻ってくるくらいの余裕はありました。

宿はせっかくならば湯田温泉で。
私はホテル喜良久でお世話になりましたが、とてもきれいな宿でした。
どうしても「春来館」でバリそばを食べたかったので素泊まりとしましたが、大満足でした。

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張陳

瑠璃光寺に来たのなら。。 (2026/09/21 訪問)

山口市内で一番の観光スポットは瑠璃光寺でしょう。

山口城はそこから徒歩圏内にありますので、その帰りにでも寄ってみてください。
瑠璃光寺から洞春寺側に進んでいくと、まずはネットで補強された石垣を見ることが出来ます。
石垣に沿って進むと、山口県庁の東側の入口に至ります。
そこから中に入れば、土塁や砲台跡(Googleマップでは東稜堡の砲台跡となっています)を見ることが出来ます。
もう一度、敷地外に出れば堀や石垣を見ることが出来ます。
そのまま進むと藩庁門に至りますので、そちらの見学もお忘れなく。

周辺グルメとしては、「長州そば 東京庵」をおすすめします。
こちらでは蕎麦寿司をいただくことが出来まして、私は妻とそれぞれ蕎麦を頼み、蕎麦寿司を分けたのですが、これはこれで美味しかったです。

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