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駿府城

駿府城公園の富士山ビュースポット「富士見芝生広場」

駿府城公園内にある富士見芝生広場は、富士山を望むことができる公園内屈指のビュースポットです。かつては、現在閉鎖されている駿府城跡天守台発掘調査現場の南側からも富士山を望むことができましたが、立ち入りができない今でも、この富士見芝生広場からは変わらず雄大な富士山の姿を楽しむことができます。
天気が良く空気が澄んだ日には、広々とした芝生の先に富士山がくっきりと浮かび上がり、訪れる人の目を楽しませてくれます。特に冬は空気が一段と澄みわたり、雪の積もった富士山の美しい姿を望めるおすすめの季節です。
富士見芝生広場は、駿府城公園内地図の「10番」に位置しています。駿府城公園を訪れた際には、ぜひ富士見芝生広場に立ち寄り、ここから望む富士山の景色をゆったりとお楽しみください♪

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赤い城

宮路山城 岡山県岡山市 (2026/01/12 訪問)

毛利氏の境目七城を廻りました。
備中高松城と撫川城は登城済みなので残り5城です。
宮路山城は城びと未登録です。

足守陣屋の観光駐車場を利用し、徒歩で田上寺に向かいます。
その裏手の墓地の奥に登城口があります。
ピンクリボンに従ってまっすぐ進むと切通があり、ここから右手に登ります。
急坂をしばらく登ると二重堀切が迎えてくれます。
この先に期待を持たせてくれます😍
この堀切から何条かの竪堀が続いていました。

登城路に戻りさらに進みます。
段になった曲輪を経て2郭へ。
北西部角の下には二重堀切、下りてみます、ここも素敵。

ですがここからが圧巻🤩
2郭北側の斜面には三重堀切、さらには畝状竪堀群が。
素晴らしいです。
木につかまりながら登り、曲輪へ戻り主郭へと進みます。
虎口から主郭へ、さらに段曲輪を下りて東側へ。
ここにも二重堀切と三重堀切が並びます。
南側には畝状竪堀群も施され、宇喜多と対峙した東側の守りの固さがよくわかります。

境目七城では最も見どころが多い城でした。
登城路以外は少し歩きにくいですが行ったほうが良い城かと思います😊

【見どころ】
 ・いきなり現れる二重堀切
 ・多くの畝状竪堀群
 ・東側の守り

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送りバント

20180728姉川城(佐賀県神埼市) (2018/07/28 訪問)

きれいに整備された横武城と同じくクリークに広がる城だが、民家や畑が広がる風景が逆に新鮮に感じる。どこまでが私有地なのか不明確なため、ズカズカ入って行けない

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カズサン

中泉御殿と大池【歴史講演 家康の天下取りと大池~その戦略を今、解き明かす~】受講 (2026/02/07 訪問)

 城びとで遠江中泉陣屋が登録されていますのでこの城名での投稿とさせて頂きます。遠江中泉御殿・・家康の鷹狩休息御殿して天正12年、14年(1584年1586年)伊奈忠次に普請される、現在はJR磐田駅南口より南に約200mの所に御殿公園が有り、家康座像と案内板が有るだけです。中泉陣屋は中泉御殿の一部を利用した様です。

 大池の会第3回歴史講演「歴史講演 家康の天下取りと大池~その戦略を今、解き明かす~」が有り、受講しました。
 講演会場:静岡県磐田市大原1572-1(静岡産業大学磐田キャンパス大学講堂)
 講演講師:冨田泰弘氏(磐南文化協会理事、磐田市文化財課職員)
 講演時間:令和8年2月7日(土)13時30分~15時
 駐車場:大学周辺駐車場利用  講演料:無料

 今年の大河ドラマ豊臣兄弟にも家康の登場も有り今回の講演、富田講師を迎えて大池の会では歴史講演は3回目、冨田康弘氏の磐田を中心にした戦国期の研究調査をもとに、2022年徳川家康と岩田~遠州に見える天下人の足跡~、2025年豊臣秀吉と磐田~遠州に天下人の足跡を探す~との書籍を出版されています。大池の会は25年前から活動して居ます。

 冨田講師の講演は
 ・大池と中泉御殿
  中泉御殿の規模は南北400m東西400m、面積120,000㎡、籠城兵力6,000人、最大収容兵力30,000人。
  磐田の秋鹿氏より1573年に家康へ御殿・土地を献上されている、中泉御殿前には中泉砦しての機能、御殿の普請は天正14年12年説、作事は天正15年(1587年)で伊奈忠次による。冨田講師作成の中泉御殿作図がスライド映像されました。
 大池は現在JR磐田駅より南に1.5km程で往時より小振りですが当時は中泉御殿の南端が大池に成っており規模が大きかったようで水運で結ばれていた様です。 
 中泉御殿建設以前は中泉砦、見付砦、城之崎城の兵站拠点として、高天神城の武田氏との攻防戦の反撃拠点の基地として機能。

 ・中泉御殿と遠州の城
  中泉砦、見付砦、城之崎城の拠点から大池、今之浦(池)、大池川、今之浦川、太田川、原野谷川をクリークで繋ぎ河川水運の機能を高め、馬伏塚城、岡崎の城山、横須賀城に跨る内海までの水運と拠点城郭の修復築城し高天神城を西から砦群を築き攻めていた。
  又原野谷川を介して久野城とは鷲巣川にて、掛川城は逆川にて繋がっていました。
  遠州の磐田台地から小笠原丘陵の南側は河川、沼、湖、クリークの低湿地地帯で河川水運が利用されていた様です、又武田氏との攻防時は武田氏が今川氏の水軍を傘下に治めており遠州灘の水軍海軍の安宅船が駿府から三河渥美湾まで睨みを効かせて徳川氏の動きを抑えて居り、遠州の河川水運に頼らざる得なかった徳川氏の内情があったようです。戦国時代の中東遠の城と周辺スライド冨田講師作図を投影して説明頂きました。作図スライド説明中には各拠点城などの映像も有り大変良く分かりました。

 ・伊奈忠次ゆかりの地交流
  中泉御殿の普請作事の伊奈忠次も有り磐田市もゆかりの地交流へ、地出生地の西尾市、関東の治水関係の伊奈町、川口市、つくばみらい市などとNHK大河ドラマ化へ!目指そうとの運動を始めたようです。
   
 静岡産業大学講堂150名の満席で補助椅子も出して約180名の超満員男女高齢者が殆どでした。
 講師の冨田泰弘氏、大池の会の方々に感謝申し上げます、ありがとうございました。
  

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つね

関宿城 (2026/02/05 訪問)

御三階櫓を模した博物館(入館料200円)からの利根川、江戸川の眺めがいいです。本丸跡以外にも外濠跡、鍵の手十字路、祈願所、本丸内の建物等見所が何気にあります。

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つね

関宿城 (2026/02/05 訪問)

東武動物公園駅東口から朝日バス「新町」で降車(約25分)。バス停から徒歩15分くらいで関宿城博物館(御三階櫓)に到着。その後、◉鬼門除け稲荷◉本丸跡◉曲輪跡(侍屋敷跡)◉鍵の手十字路◉大手門、外濠跡◉昌福寺(城主祈願所)◉搦手門跡、外濠跡◉光岳寺(於大の方菩提寺)◉実相寺客殿(本丸内の建物を移築)を訪問しました。

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T-Shionoya

田峯城 復元された中世の山城 (2025/11/02 訪問)

昨年11月に訪れた愛知県北設楽郡設楽町の田峯城。

三河山地中央部、東三河の豊橋平野と信濃国を結ぶ伊那街道の通過ポイント。東と南を寒狭川(豊川上流部)が蛇行して流れる田峯台地の南東部の小山に築かれた城。比高は川側が約150m、台地側が約30m。

1470年に菅沼定信が築いた田峯菅沼氏代々の居城。
長篠設楽ヶ原の戦いでは城主定忠が武田に従い出陣したが、敗走する勝頼の入城を留守居の定直らが拒絶したエピソードが有名。
1582年に菅沼定利が飯田郡代に就くと、田峯城は廃城となりました。

現在は、曲輪や堀が残り、本丸には他の中世城郭を参考に御殿や物見台などが復元されている城跡。

訪問時は、まず木橋から曲輪群を巡り、裏曲輪から東の堀切へ。再び曲輪群に戻り本丸へ上がると、本丸虎口は小規模ながら2つとも枡形を形成。
また本丸御殿の展示によると、長篠設楽ヶ原の戦い前から定直は徳川を支持していたという事も、個人的には収穫の1つ。

全景の撮影ポイント探しも愉しんだ、私の城郭巡りの217城目でした。

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「山根城」。 (2026/01/17 訪問)

城びと未登録の「山根城」は、「毛呂氏館」と「斎藤氏館」の真ん中辺りに、ちょこんとあります。
「山根城」はまたの名を「毛呂城」。毛呂一族のお城です。
しかし、遺構はなく石碑のみです。
山城や藪を進まないと見ることの出来ないお城を苦手とする私にとっては大好物物件です。

早速、ナビが『目的地は右側です。』と到着のお知らせ。JR八高線の踏切を渡った所でナビ終了です。
道は開けているけど、石碑が見当たりません。
と、遠目で探っていましたが、足元にありました。(ちょっと大げさ。)
第一声が『ちっさっっ』です。
近づき中腰、アップでパチリ。退陣です。

周りは比較的に新しい住宅が並んでました。遺構は無くても、「山根城」があった証を残している事が嬉しいです。

全国にある小さな証を見つけてあげようと思った「山根城」攻めでした。

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20191223三瀬城(佐賀県佐賀市) (2019/12/23 訪問)

三瀬城跡駐車場を利用。石積が施された低い土塁や虎口が残る二の郭にまず喜び、さらに登ってビックリ。立地からは想像できないほど広い主郭で、四方を高く立派な土塁で強固に取り囲まれている。南東には横矢が架かっていて、堅強な守り。福岡・佐賀県境の山奥にあり訪問しづらい場所にあるが、かなりおすすめの山城

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20190613佐賀城(佐賀県佐賀市) (2019/06/13 訪問)

約2年ぶりの訪問で周囲をのんびりと散策。幅広の水堀や未訪問だった南西隅櫓台などを楽しむ

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20170729佐賀城(佐賀県佐賀市) (2017/07/29 訪問)

鯱の門、天守台を見た後、本丸御殿内をボランティアガイドさんの説明を受けながら見学。暑い日だったが、現存建物である「御座間」以外は冷房完備(笑)

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20190613江迎城(佐賀県三養基郡上峰町) (2019/06/13 訪問)

公園内を一回りし、城址碑、案内板と水堀を確認。佐賀平野特有のクリークに囲まれた城址

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20191223古湯城(佐賀県佐賀市) (2019/12/23 訪問)

公園化でかなり改変されているものの、切岸、浅い堀切、階段状の小曲輪、少しの石積など、城址を感じられるものは残っている

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20170923吉野ヶ里(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町) (2017/09/23 訪問)

「大きな公園に行こう」と子どもを誘い出し、ついでに城攻め。想像以上の広さに足が疲れた…

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伊賀文化産業城 (2026/02/07 訪問)

 近くへ来たので寄ってきました。3年ぶりの登城です。
現在の天守閣は、伊賀地域の文化と産業の振興拠点として川崎克代議士が私財を投じて昭和10年に完成させた木造の天守です。「伊賀文化産業城」が正式名です。三層三階の大天守に渡り廊下でつながった小天守があり連結式の天守が建っていますが、藤堂氏の時代は五層五階で南側に付櫓が取り付く複合式の天守でした。模擬天守はあまり好きではないのですが、このエピソードは好きで木造で建てられていることにも好感が持てます。今では伊賀上野城と伊賀市のシンボル的存在となっています。自分としては、この城の魅力は高石垣だと思っています。高石垣の上から下を見るとその高さが実感できますが、とても怖かった。高所恐怖症なのはわかっていますが、毎回見てしまいます。水堀の周りの道を歩き下から石垣を見るのが好きですが、もう少し周囲の木を少なくしていただけるとありがたいです。

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稲垣氏の城 (2026/02/07 訪問)

 稲垣氏の城と伝わっています。登城口の目の前に三の郭があり、大手口、二の郭を経由して本郭へ行くことができます。本郭は見事な土塁で囲まれていました。本郭の西側には二カ所の堀切と西の郭があり尾根筋を防御しています。本郭を囲む土塁と一の堀切が見どころだと思います。空堀のある北側に行きました。空堀はそれなりに残っていましたが、浅くなっていておまけに藪になっていました。写真ではほとんどわかりません。また空堀石柱付近で武者隠し遺構という石柱をみつけました。やはり藪になっていてどこが武者隠しなのかわかりません。空堀周辺を除けば曲輪や土塁などが各所に残っていて楽しく散策できました。
 整備されていない所もありますが、標識もあり概ね見学しやすい城址です。

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20171220基肄城(佐賀県三養基郡基山町) (2017/12/20 訪問)

古代山城特有の壮大な水門石垣は必見

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20200224岸岳城(佐賀県唐津市) (2020/02/24 訪問)

岸岳の山頂尾根全体に弓状に築かれ、西端の旗竿石から東端の姫落しまで延々1キロにわたって見事な遺構が残る。石垣造りの堀切、曲輪下に残る折れの付いた高石垣、城域両端からの眺望など、とにかく見所の多い名城

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廃墟となった別荘分譲地を抜けてアプローチ (2026/02/06 訪問)

 ぴーかるさんの前例に倣って、廃墟となった別荘が点在する西側からアプローチして楽しました。ただし、道路はけっこう荒れてきていたので、城域の1kmほど手前に車を置いて、歩いていきました。
 舗装道から、緩斜面を行くと、主郭西の二郭に入るのですが、城びと先人指摘のように土塁や堀切がなく、郭の内側に、郭内を削平した結果の段差だけがあります。一方、主郭の切岸はしっかり作りこまれています。主郭南の枡形虎口も良いですね。
 国道165号線から分岐する進入道に青山高校の門柱が立っており、また、その先の道の脇にも高校の施設があり、気になりましたが、城に向かって分岐するところの先にゲートがあり、そこから先が関係者以外立ち入り禁止のようでした。
 しんちゃんさん、消息を気にしています。

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ヒロケン

空堀の遺構がよく残る山城 (2026/01/10 訪問)

豊田城は奈良県天理市にある山城で、室町時代中期に興福寺の衆徒として布留郷に勢力を誇っていた豪族、豊田氏の居城です。標高180mの丘陵上にあり、郭と空堀、土塁がよく残っています。頂部に本丸を配し、その本丸と各郭を囲む空堀は圧巻で見応えが十分にあります。
ですが、整備などされておらず、空堀には倒木(画像6)、各郭には笹が生い茂り背丈ほどのところもあり(画像10)、とても入って行ける様にはありませんでした。

イオさんの2025年5月11日投稿の画像1の竪堀を見て、「行ってみたい」城として機会を伺っていました、どの方の投稿を拝見しても倒木と藪が酷いとのこと、冬期に行かれることをお勧めとのことでしたので、2026年1月10日大和郡山城訪問後に豊田城に行ってきました。
倒木と藪が酷い状態でしたが、それを差し引いても、この竪堀、空堀群は素晴らしく行って良かったと思っています。駐車場等を含め、整備されることを願っています。

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