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にのまる

感動と感謝の一日でした。 (2026/09/20 訪問)

JR八幡駅から西鉄バスで花尾西登山口下車。登城口を探して坂道を登ります。
途中、「赤穂四十七士の墓」の案内がありましたが、この場所との繋がりがわからなかったの寄りませんでした。

バス停から10分くらいで登城口に着きました。道標には【東登山道】【中登山道】/【西登山道】の3ルートの分岐でいずれも20分との記載があります。
ざっくり下調べした感じでは東登山道経由だと途中に目立った遺構はなさそうでしたが、“どのルートから行っても一周できる”との口コミもあったので、東登山道から登って西登山道から降りることにしました。

しばらく進むと【東登山道】と【中登山道】の分岐に出ました。予定どおり【東登山道】を選択しましたが、なかなか歩きづらい道で、選択を誤ったかと凹んでしまいました。
しかしここまで来て引き返すのも大変です。20分で山頂に着くならこのまま行こうと気持ちを切り替え、足を踏み外さないように用心しながら進みました。『九州には熊がいない。』これがどれだけ安心材料になったことか。。。

心折れながらもしばらく進むと[忠魂の碑→]の案内がありました。ここまで案内板が全くなかったので、人の手で書かれた文字を見てすごくホッとしました。しかし、寄り道をする心の余裕はありません。忠魂碑の方向に一礼して先へ進みます。

その先は案内板が複数設置されていて、それでも悩みながらでしたが何とか馬場跡に到着。登城口から40分かかりました。

ここからようやく遺構群が始まります。(ここまでも曲輪や竪堀、堀切がありました。)
ただかなり弱気になっていたので、下山道沿いにある遺構だけ見て帰ろうと思いました。

ところが、右斜め前方から[↙️古井戸]の看板がこっちに来いと手招きしています。竪堀を下れと言っているようです。
どうしよう……まぁ、遠目で場所を確認するだけでもいいか、くらいの気持ちで下ってみることにしました。
うっすらと踏み跡がありますが足元を確認しながら慎重に進みます。
そしてしばらく進んだところでふと顔を上げると、想像もしていなかったすごい石垣が目に飛び込んできました。「何だこれは⁈」

それまでの後ろ向きな気持ちはどこへやら。石垣目指してまっしぐら💨
古井戸との対面も果たせました。立派な石組みの井戸でした。
土造りの山城で突然石の造形物に出会った時の感動と高揚感は言葉で表せるものではなく、誰かの理解を求める必要もない自分だけの宝物だと思いました。

古井戸の石垣群は上へ上へと続いています。登り石垣です。今まで登り石垣は『見るだけ』のものだったので、こんなふうに一歩一歩踏みしめながら登れてまた感動でした。

登りきったところにひらけていたのは山頂の本丸下段でした。古井戸経由で本丸に来たことになります。

誰もいないと思っていた山の上。
ベンチでコーヒーブレイクをされている(登山の方がよく使われているあのおしゃれなコーヒーセットで!)方がいらしてびっくりでした。おそらくその方も草の陰からいきなり人間が現れて驚かれたと思いますが。

このまままっすぐ進んで下山できるかどうか聞きたくてその方にお声掛けしました。とても親切な地元の方で「ダルマの案内板を左に行くと緩やか。右に行くと近道だけれど険しい」と教えてくださいました。

「ダルマ」は三の丸と四の丸。
険しいと言われても曲輪となれば行ってみたい。
どうしようかなぁと考えていると、教えてくださった方が下りてきてダルマの方に一緒に行ってくださることに🙏

この道が中登山道だったようで、デコボコはありましたが東登山道よりは安心安全で、曲輪も櫓台も確認できてよかったです。その方から、行きに見かけた「赤穂四十七士の墓」や「忠魂碑」について、おそらく地元の方しか知らないであろう情報も教えていただきました。また祝日には本丸に日の丸が掲揚され、青空に映えて素晴らしいそうです。(この日は祝日の前日でした。)

登り始めてから登山口に戻ってくるまでに要した時間は2時間でした。案内板のとおり20分で本丸まで行ける自信はありませんが、次回行くとしたら(行きたい!)東登山道ではなく中登山から登ろうと思います。(連郭式を本丸まで順に辿れそう。)

石積みとの出会い、山城びとさんとの出会いが忘れられない登城でした。
その方は以前にもここで登山道を尋ねられ教えたことがあるそうですが、「ふつう女の人が一人で登るなら皿倉山でしょう。花尾山に来るなんて。」と身に余る褒め言葉をいただきました。お名前も伺わず名乗りもせずでしたがお世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

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赤い城

高石垣が有名 (2026/08/15 訪問)

伊勢遠征最終日、帰路を伊賀経由として立ち寄りました。
前回の登城は2010年3月、スタンプ目的で天守と高石垣を見て満足した記憶があります。

無料の市営城北駐車場に車を置き徒歩で5分くらい、北側の登城口から登りました。
早速現れたのが深い空堀。
藪で写真映えはしませんがかなりの深さであることはわかります。
降りたい衝動に駆られますが自重。
城代屋敷に向かいます。
筒井氏時代の本丸で虎口や本丸に見事な石垣が残っています。
ここから模擬天守を望みます。
木造で戦前に建てられたものでそれなりに風格はあります。

その先に高石垣、まずは上から堀を見おろします・・高い😱
2回目でも十分に感動出来ました。

一旦表門から出て高石垣を下から見上げることに。
内堀越に見上げると・・高い🫡
下からでも感動です。
内堀沿いに歩き、再度城代屋敷を楽しんで表門から下山しました。

ここの天守は当初今治城からの移築計画があったそうです。
家康に高虎が亀山城の天下普請を命じられそちらに転用したとのことです。

【見どころ】
 ・高石垣
 ・深い空堀
 ・城代屋敷の石垣

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朝田 辰兵衛

立入禁止コレクション[第3弾] (2026/10/10 訪問)

笹尾砦は以前から何度か計画してきましたが,その都度「雨」に泣かされてきました…<泣>。JR小淵沢駅からはけっこう距離もあり,高低差はかなりあります。雨の中は歩きたくないスポットです。
どうしたものかと思いつつ,ついにシェアサイクル「COGICOGI」に会員登録しました。クレジットカード払いのみというのは,ちょっと気が引けていましたが,全国展開しており,他にも使えそうなスポットがあったので。カギ紛失防止のため,施錠と解錠はスマホで行います。ちなみに,この小淵沢スポットは,最低【1000円/2時間】と,比較的高め。
3日連続電動自転車の初日。電動自転車に長時間乗っていると,その後すぐに歩き出すと感覚がおかしくなります(←私だけかな…?)。テキトーな幅で歩かないとダメだし,山は登れても下山感覚がすこぶる不安定です。モモとふくらはぎの疲労感が通常と違うし…。
ま,けどここは立入禁止とわかっていたので,全然気にせずに終了です。
立入禁止の手前が空堀のような気がしました。

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アネ

トラベルはトラブルとは言うけれど…… (2026/10/09 訪問)

熊野本宮での音楽祝祭劇観覧のためにこの日程にしましたが、多客期になんか旅行するもんじゃありませんね。
首都高の葛西入り口閉鎖は事前に知っていたので、早めの出発で余裕はありましたが、羽田の2つのラウンジのうちの1つが改修のため鬼混み。
和歌山に着いたら、自動車道が途中で通行止め!一般道に降りたら、あるはずの道の駅が閉鎖。

天気も良かったので、着陸前に見えた旧ランウェイ跡や太平洋は綺麗でした。最終日に予定していた橋杭岩も初日に見られました。でも、その先の「鯛島」の方がインパクトあった(笑)まるで子供が絵に描く「おさかな」の形そのまんまなんですから。
新宮市内は思ったよりも走りやすかったし、和歌山って運転マナーいいのでびっくりしました。

「歴史民族資料館」はちょっと見つけにくい。阿須賀神社参道の奥まで徒歩で進まないと見えません。
なのでナビの目標設定は「阿須賀神社」にしましょう。ここの駐車場の奥から2台分が資料館用スペースです。
まずは参拝して神様にご挨拶。その後資料館でスタンプとパンフレットを頂きました。
ここの係員さんもとても親切です。お城跡へのクルマでの進み方、駐車場の状況、城跡の歩き方など、丁寧に教えて頂きました。感謝にたえません。元気な方なら、この後新宮城に登れてしまうと思いますが、2人合わせて130歳越えの我々なので無理はしません。
今回は「ニューパレス」さんに二連泊。駐車場が3ヶ所ありますが、ホテル直結に停めたいので、サクッとチェックインしました。
お部屋から城跡がバッチリ見えます。惜しむらくは大浴場が16:30~24:00なので、朝湯派には物足りないこと。
が、巡礼者のためのコインランドリーも備えられていますし、各階ELVホールに電子レンジがあって便利です。

夕食は憧れのめはり寿司。他にも「那智の滝」と共に秋刀魚やら串揚げやら、これでもかというくらいいただきました。
初日はこれまで。

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dougen

2026.1.10登城 (2026/01/10 訪問)

秩父鉄道武川駅の南方の本田地区に本田館跡があります。
現在は個人宅裏の雑木林になっていますが、空堀や土塁が残っています。
道路沿いに解説板が設置されていますので、場所は分かるのですが、遺構のある雑木林は個人宅の裏となりますので、勝手に入る訳にはいけません。
たまたま家主の方が外にいらしたので、館跡のことを聞くと、入口を案内してくれました。
同じ様に館跡を探している人を見つけたら、声を掛ける場合もある様です。

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しろりん

城壁美 (2026/02/15 訪問)

世界遺産の一つです。三山時代、中山を支配した中城按司数代とその後の座喜味城からやって来た護佐丸によって14世紀の終わり頃までにグスクの形が完成しました。300ほどあると言われるグスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られています。入り口の管理事務所で入場料を払うと、カートでグスクの正門まで乗せて貰えます。ぐるっと見て回り、裏門を経て入り口に戻ってくるような順路になっています。城壁から臨む中城村の湾が一望できます。
とにかく城壁の石積みがとても美しく、二の郭の曲線の美しさに感嘆しました。城壁の石積み方法には古い時代から3種類あり、違いを意識しながら見るのも良き。個人的に、最も美しいグスクの一つだと思っています。平日で天気もあまり良くなかったので殆ど人がおらず落ち着いてゆっくり見て回れました。

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チケット先行発売情報

2026年12月19日(土)・20日(日)「お城EXPO 2026」のチケット先行販売情報が出ました!
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000053.000120609.html

そうです、
★10/17(土)10:00~⇒ ワンデイ入城券(4種類)、サタデーナイトコンサートチケット、入城券
★11/14 (土)10:00~⇒ 厳選プログラム指定券(単体)

【ローソンチケットのみの取り扱い】
すべての厳選プログラムチケット(ワンデイは10/17~・単体は11/14~)、サタデーナイトコンサートチケット(10/17~)

【ローソンチケット以外のプレイガイド】
11/14~入城券

そして、肝心の厳選プログラムの概要は!?
なんと、城びとで先行情報公開中です!! ⇒https://shirobito.jp/article/2144

年末のご挨拶、いつもの地で皆さまとお会いできるのを楽しみにしております!
どうぞよろしくお願い申し上げます。

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しろりん

琉球寒緋桜の名所 (2026/02/14 訪問)

世界遺産の一つ。三山時代、北山の王がここを拠点として北部地域を支配しました。
2月のこの時期は何と言ってもリュウキュウカンヒザクラ(琉球寒緋桜)が満開でとても綺麗です。昭和40年代に地元の人たちによって植栽されたそうですが、今ではすっかり桜の名所として知られています🌸。世界遺産に登録される前に訪れた時より遊歩道も周辺施設も整備されています。

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赤い城

安土城に似ていた? (2026/08/15 訪問)

松阪城は初めての登城でした。
隣接する駐車場に車を置き、表門へ。
ですが、まずはいつものように周囲を歩きます。

二の丸の石垣を見上げながら進み、さらに行くと裏門です。
裏門の外には御城番屋敷と土蔵があります。
サッと見学した後、本居宣長記念館でスタンプをゲット。
100名城77個めです。

そこから石垣に沿って歩き、表門から二の丸へ。
中御門から本丸下段、さらに本丸上段へ進みました。
天守台もあり、ここからの見晴らしも良く気持ちいい😍
本丸石垣の北側には向こう側が見える珍しい構造の水抜き抗があります。
きたい丸から見上げました。
その後、多聞跡の上を歩いたりして十分に楽しんで表門から下山しました。

帰ってから調べると蒲生氏郷が安土城を参考にして築いたともいわれているようです。
なかなか来る機会がなかったのですがようやく登城、石垣が素敵な良い城でした。

【見どころ】
 ・各所の石垣
 ・水抜き抗
 ・天守台

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todo94

スポーツの日三連休の大分の攻城① (2026/10/10 訪問)

当初は高知あたりをターゲットにロングドライブを計画していたのですが、急遽、行先を大分に変更してしまいました。幸い、中津の東横インの予約をとることができました。何故、大分をターゲットにしたかというと、「VIVANT」公式ツアー 名シーンの舞台を巡る聖地巡礼・東京都内編 参加の前日に赴いた江戸東京博物館の大河ドラマ特別展にて、この三連休に日田豆田町の草野本家にて、豊臣秀長所用と伝わる甲冑が公開されることを知ってしまったからなのです。金曜の勤務を終えてから西下し、広島にて前泊。朝一番のさくらに乗って中津には8時半過ぎに到着しました。レンタカーを借り受けて日田に向かう途中で攻城した次第です。忠霊塔が建つ南台は公園として整備されていますが、黒田時代の石垣なんかも残っています。獣除けフェンスを開けて入る北台はあまり整備の手が入っていませんが、戦国の城の趣は感じることができました。現地での表記は平田城一色です。そりゃ、白米城と書いて「まつたけじょう」なんて読めませんからね。帰ってきてから中津駅前に耶馬渓橋の後背に平田城を写した写真を発見してしまいました。また、機会があったらそんな写真も撮ってみたいと思います。長岩城再訪の折などに。

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長町ツインズパパ

宮城県亘理町の城下町の風情が残る街並みを散策してきました。 (2026/10/11 訪問)

東北歴史博物館友の会が主催する「歴史探訪会 in 亘理」に参加しました。ガイドの案内で亘理要害跡に鎮座している亘理神社を訪問しました。
亘理伊達家が明治維新後、北海道に移住した後に、渡りの人々が初代領主伊達成実を祭神として祀り、建立したそうです。江戸時代には亘理伊達家の居館があったようです。

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マッサン

安全第一です (2026/10/10 訪問)

石積櫓や弓型砲座が「危険」なことで有名な長岩城ですが、本丸は比較的安全で道中の石積を見るだけでも十分満足できます。
入口の記帳所から本丸まで往復2時間程度でした。登りがきつく足元も悪いので緊張の連続ですが、普通に山城好きなら登城が難しいわけではありません。
足元は石がゴロゴロしているので底の硬いトレッキングシューズ~登山靴が必要です。登山用のポールも必須ですが、1本だけ持って片手はフリーにしておくことをお勧めします。
梯子より先の石積櫓等は見てません(還暦越えですので無理はしません 笑)。

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「徳川家康と豊臣政権」静岡市歴史博物館 (2026/10/12 訪問)

 慶長12(1607)年、徳川家康は輪郭式で3重の堀を持ち、本丸には5重(または6重)7階の天守を配置した城を全国の大名に命じて築城させました。現在は巽櫓、東御門、坤櫓が再建され、本丸、二の丸跡は駿府城公園として親しまれています。近くまで来たので寄ってきました。今年2回目の登城です。駿府城跡天守台発掘調査現場及び「発掘情報館きゃっしる」が2025年12月26日に閉館し発掘現場は見ることができないと思っていました。散策していると発掘現場の周囲を囲む塀にアクリル板の窓が設置されていて一部ですが見ることができました。少しでも見ることができるのはちょっとうれしい。時間の関係で駿府城公園を中心にさらりと散策しました。
 お隣の静岡市歴史博物館では「徳川家康と豊臣政権」という企画展が開催されています。徳川家康や豊臣秀吉などの朱印状や書状など文献が多く展示されていました。当時の朱印状など文献はさっぱり読めませんが、それなりに楽しむことができました。

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ちぼる

清州城 (2026/03/22 訪問)

千と千尋の神隠しのような感じでした。

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カズサン

【遠江国分寺】静岡県磐田市 令和7年度復元遅れ工事現場の様子 (2026/10/02 訪問)

 静岡県磐田市では遠江国分寺跡の復元整備計画が進んでおります。今年2月7日と4月3日訪ねました。令和7年度の復元整備工事の期間が3月末から9月25日へと変更して居ました。
 今回9月末を過ぎましたので遠江国分寺跡の復元整備工事の進捗は如何にと探訪しました。

 住所:静岡県磐田市中泉3365(遠江国分寺史跡公園)
 駐車場:磐田市役所北側の駐車場利用、公園の南側。
 参考資料:磐田市HP、グーグルマップに依ります。

 令和7年度遅れ復元整備工事は中門と東回廊ですが、訪ねた当日工事用囲いフェンス、ネットは取り払われて工事外地点より観える様に成って居ましたが、工事用エリアを示す虎ロープが張られて進入禁止状態でした。
 もう少し近くで観たいと思い、東側の現在の国分寺に廻って国分寺裏から観察へ、国分寺側からの進入には虎ロープが張って無く復元金堂跡には入れる、金堂の西東から、復元されて中門、東回廊を良く観る事が出来ました、東回廊は歩けそうでしたので中門の東まで行き観察撮影、ベンガラのモルタル舗装が目に輝かしい、勿論木装基壇での復元です。
 正式公開でもなくそそくさと退散しました。
 遠目で令和8年度復元整備計画工事期間は令和9年2月26日までと工事案内板に記載されていました。
 令和8年度の復元整備工事は、中門跡南前と講堂跡僧房跡周りのサイン等整備工事と案内。

 まだ西回廊は一部出来上がって居ますが金堂との続き西回廊半分が残って居り、金堂前の工事の為に空けてあるのか? 金堂前の灯ろうもまだ残って居ます、東屋、トイレ、ガイダンス施設、散策路も待たれる整備工事です。

 遠江国分寺投稿履歴
 2024年4月11日投稿、訪問2024年4月7日
 2025年4月19日投稿、訪問2025年4月5日
 2026年2月11日投稿、訪問2026年2月7日
 もご参照ください。

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ダイエティシャン

10月18日(日)三の丸広場オープンイベント (2026/10/10 訪問)

10月18日(日)三の丸広場オープンイベントが開催。10月17日(土)前夜祭で、二の丸高石垣のライトアップも開催。詳細は米子城公式サイトへ。
整備で、内堀跡(写真②)建物跡(③)が分かるように。

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天守無しがアツい

北条氏直により築城⛰️ (2026/10/11 訪問)

車で麓の駐車場に停める🅿️
トイレ横の展示パネルをひと通り眺めてから
階段を上って城跡へ🚶‍♂️

第四曲輪…虎口…第三曲輪…

第三曲輪は小さな神社となっており…ここまで来られた事への感謝を告げながら祈る🙏

三代目氏康の頃には関東西半分伊豆半島の一帯が北条氏の勢力範囲

武田氏が駿河に侵攻して三枚橋城を設けたのに対抗して🏯五代目当主氏直もここ長浜城を設けた

ちなみに武田氏と北条氏は…略史によると駿河湾などで合戦を繰り広げたそう🌊⛴️時の武田の主人は勝頼👨‍🦰

先代の信玄に比べると…地味というか劣ってる印象のある勝頼だが…武田氏三代目として恥じないくらいの…戦国武将として及第点の能力は備えていたのかもしれない

長篠の戦いの惨敗も…勝頼率いる武田軍の不甲斐なさというよりは…織田徳川連合軍という相手が悪かった…だって火縄銃を大量に用意して効率よく撃ってくるんだから🔫🔫⚠️

長篠で多くの有能な家臣と兵を失いつつも…駿河湾では北条軍相手に何年も戦いを繰り広げて…信玄の息子に恥じぬ奮闘を見せた勝頼…しかし最後は織田信長に滅ぼされてしまう

その8年後には…豊臣秀吉に対する最後の相手として…勝頼と同じく奮闘して籠城して粘るも…北条氏も降伏🏳️五代でその夢は潰えた

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ヒロケン

なんて日だ‼ (2026/10/05 訪問)

織田信長公が尾張を統一した頃の清州城は守護の城館と同じくらいだったと考えられ、桶狭間の戦いに勝利した信長公はこの清州城から天下統一の第一歩を踏み出しました。
本能寺の変の後、織田家の跡目を決める清州会議後に城主となった信長公の次男、信雄公によって改修された清州城の城郭は、天守を備え東西1.6km、南北2.8kmにも及ぶ巨大な城塞都市であったといわれています。
名古屋城築城時に清州城は廃城となりましたが、清州城の資材が名古屋城築城に使用され、名古屋城西北櫓は清州櫓とも言われており、清州城天守の古材で作られたといわれております。

この日、久しぶりの訪問で清州城天守最上階より見る景色を画像に収めるべく訪れました。清州古城址公園駐車場に車を停め(無料でトイレ完備)古城址を散策、信長社や顕彰碑を堪能後、東海道本線に分断されている清州公園へ、濃姫と信長公像を画像に収め、いよいよ模擬天守に朱色の橋を渡り、目にしたものは「本日休館日」( ノД`)シクシク…おまけにしとしとと雨が( ノД`)シクシク…予報では晴れ、雨具を用意していなかったのでこれまでで退散。小峠さんの「なんて日だ」をつぶやきながら帰宅( ノД`)シクシク…

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トク

大友に仕え龍造寺に滅ぼされた蒲池氏の城(ですが・・😮!) (2026/10/10 訪問)

春色の汽車に乗って ♪
海に連れて行ってよ~♬
煙草の匂いのシャツに ♪
そっと寄り添うから~♬

西鉄「蒲池駅」(写真⑥)で電車を降り、懐かしい昭和のアイドル 松田聖子(本名:蒲池法子)さんの歌を口ずさみながら、駅から歩く事30分、「蒲池城」が建っていたとされる場所に到着しました。国道385線の蒲池城跡交差点のあたりに城が建っていたようです(写真②)。城跡碑(写真①)がひっそりと民家の裏にありました。

さらにその100m南東には、蒲池氏の菩提寺である「崇久寺」がありました(写真③④)。そこには大友に従い耳川の戦いで討死した「蒲池鑑盛」とその一族の墓がありました(写真⑤)。

蒲池氏は平安時代から続く、南筑後地方を治めて一時は20万石も領した名門の国衆でした。そして戦国時代になると、本城を蒲池城から支城であった柳川城に移し、本城と支城を入れ替えたようです。しかし豊後大友氏が筑後を支配するようになると大友に仕え、龍造寺を攻めた今山の戦いに大友軍として加わります。今山の戦いで大友が敗れると、今度は龍造寺に寝返り、沖田畷の戦いに龍造寺軍として加わります。そこで龍造寺隆信が有馬・島津連合軍に敗れ討死するとまたもや大友軍に戻り、今度は耳川の戦いに加わるも、当主鑑盛と三男統安はそこで討死してしまいました。しかし嫡子で次男の鑑蓮は戦わずして裏切り、戦線離脱して柳川に戻って、今度は北上してきた島津氏に寝返ったようです。

それに怒った大友宗麟の重臣筆頭である立花道雪は、何と病を押して立花城から裏切った鑑蓮を討伐しようと出陣しますが、途中の高良山で病死してしまいます。その時「我が死体に鎧兜を着せ、高良山に頭を柳川に向けて埋めよ!」と命じたそうです。よほど大友を裏切った鑑蓮が憎かったのでしょうね。しかしそれでは忍びないと、娘婿養子の宗茂が立花城へ遺体を運び帰ります。

しかし結局は、鑑蓮は龍造寺政家(隆信の嫡子)の騙し討ちで誅殺され、跡を継いだ鑑盛の四男の統春も政家から柳川城を攻められ敗北、蒲池氏は滅ぼされてしまいました。

それから秀吉が九州を平定すると、関ケ原までは立花宗茂の領地となります。そして関ケ原後には田中吉政が柳川城に入りますが、近江の出身である吉政は、蒲池氏の歴史などは知るよしもないため、崇久寺だけを残し、あっさりと蒲池城は取り壊して、この一帯を田畑にしてしまったようです。そして田中氏が二代で断絶すると、再び立花宗茂の領地となります。

ちなみに耳川で亡くなった蒲池鑑盛の三男統安(鑑蓮の弟)の子の応誉は、僧侶となって柳川に良清寺を開き、再度領主となった宗茂の正室で、亡くなった誾千代(道雪の実娘)を弔ったため、その子孫は立花家に召し抱えられ、蒲池の名跡を再興して家老の待遇を受けたそうです。そして松田聖子さんは、その末裔にあたるそうです(😱!)(Wikipediaより)。

赤いスイートピ~♬、のお話でした😊。
 

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肉球

復元三日月堀 (2026/10/09 訪問)

丸馬出しの土塁と三日月堀、外堀の一部が復元され水堀が復活していました。
外構工事が完了してないようで立ち入り禁止になっていますので
柵の外側から撮影してきました。

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