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todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑪ (2026/05/05 訪問)

湯野田城からの転戦です。有田ばかりでなく、波佐見でも陶器市が開催されていてそれなりの渋滞に巻き込まれてしまいました。城名は「ありお」ですが、山と公園は「ぎびさん」です。蟻尾山公園から伸びる登山道を登っていきました。一気に最高所の主郭迄進み、帯郭を回って下山。登山道から外れた櫓台には祠が二つ並んでいました。そこからそのまま下って展望台へ。展望台は城域の外のようで登山道からも外れています。櫓台も展望台もピクミンブルームのビッグフラワーのスポットになっていたので助かりました。展望台からそのまま下っていくと、説明板や蟻尾山公園案内板の近くに下りてくることができました。

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にのまる

西曲輪整備工事 (2026/05/05 訪問)

湯村山城、法泉寺とまわってまだ時間も体力もあったので、8年前と同じルートで武田神社まで歩きました。当時は2度と歩くことはないだろうと思っていた住宅街ですが、何となく記憶にあって、この辺りで道に迷ったご婦人に声をかけられたなぁとか(ご近所さんとの連携プレーでご自宅まで無事送り届けられました。)とか、ここのカーブが怖かったなぁとか思い出しながらのお散歩でした。

躑躅ヶ崎館跡では西曲輪の整備工事中。土塁の上をぐるりと歩いて現在の姿を見納め(?)しました。そろそろ工事も終わっている頃なのでまた見に行かねば!

北側に抜け出て大手門へ。
写真を振り返ってみると、誰も写っておらず静寂の中のお城散策のようでしたが、武田神社は大行列で大賑わいでした。

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あっくん

ひっそりと、寄り添う。 (2026/05/22 訪問)

大野市の象徴、そしてなにより、市民を見守って
います。

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あっくん

最高‼️ (2026/05/23 訪問)

前からぜひ訪れたいところでした。
感激です。

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ぴーかる

布市城 (2026/05/09 訪問)

【布市城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅11城目。布市城は南北朝時代に桃井直常が築城したとされます。戦国期には畠山氏、江戸時代には1600年から8年間だけでしたがひじかた氏の布市藩1万石があったそうです。私も城びとポイントである興国寺の北東に位置する水田内の方に行きました。水田内にぽつんと倒れてしまった五輪塔がある墓地がありました。桃井氏被官の子孫小柴氏の墓所だそうです。一番大きい墓石には明治の元号がありました。ちょうど田植え作業をしていらっしゃいました。時間早かったのですが1日目最後とし、下記のたまご園に寄って富山市内のホテルにチェックインしてJR駅前にある「ラーメン一心」で早めの夕食をとりました。夕方この店並ぶのが嫌で城巡り早めに切り上げました。

<満足度>◆◇◇
<グルメ>「田村農園たまご園」近いのは蜷川館跡なのですが、蜷川館は行ったことあるので、今回この城跡に寄ってプランを入れていました。たまごを購入する目的で行ったのですが、お店ではお客さんが皆ソフトクリームを注文しているので、つられて買いました。濃厚、たまごもちょっと入っているかも、とても美味しかった。車がひっきりなしに入ってきて大盛況でした。

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朝田 辰兵衛

痛々しくも,起き上がりました… (2026/06/06 訪問)

ちょいと与板まで現状を確認しに行ってきました。とりあえず,痛々しくも,起き上がっていました。そもそも,老朽化が著しいので,ほとんどの部材は取り替えになるものと思われます。パッと見で現在の状態でも,震度4クラスで倒壊するものと推察します。

todo94さん,佐賀県コンプリートはまだなんですね。竹崎城は攻城していた記憶がありました…。
また,攻城時の「勝負メシ」はすき家なんだな…と思っていたら,リンガーハットのバリエーションもあったんですね!!!

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木曽義徳の墓と屋敷跡 (2026/06/06 訪問)

 JR瑞浪駅から徒歩約15分の場所に木曽義徳の墓があります。木曽義徳とは初めて目にする名前でした。木曽義徳の曽祖父は武田信玄の娘婿であった木曽義昌です。木曽氏は後に徳川家康に従い関東に移りますが、義昌の子義利の時代に改易となり没落します。義利の子、義辰は妻と三人の子どもを連れて、流浪の身となり、この地へ落ちて60坪の田んぼを耕して生活をしていました。義徳は次男で兄は若くして病死、弟は尾張藩の剣道指南役を務めていたようです。義徳はここで寺子屋を開いて士官の道を探していましたが叶わず、延宝9年(1681)4月7日この土地で世を去りました。ただ木曽義徳については他の説もあるようです。
 墓の近くに屋敷跡がありますが、雑草が多く道路から見ただけです。

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猿子砦 (2026/06/06 訪問)

 岐阜県瑞浪市にある城びとには未登録の砦跡です。鎌倉時代、土岐氏の本城である鶴ケ城を中心にして付近に築かれた出城の一つで、猿子七郎国行が城主でした。大通寺裏の墓地周辺が跡地で、遺構はなく墓地の一画に石祠と共に看板が建っています。

 JR瑞浪駅から徒歩20分くらいで行くことができます。


 JR瑞浪駅を出てすぐのところにある加登屋食堂さんにお邪魔して、名物あんかけかつ丼をいただきました。溶き卵の入ったアツアツの和風あんがかかっているかつ丼です。「秘密のケンミンSHOW極」などの全国放送の番組や地元テレビ局ではよく紹介されているお店なので、いつかは行ってみたい食べてみたいと思っていました。

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「鶉古城」。 (2026/02/21 訪問)

「中野城」のある邑楽町には多々良沼公園があります。
この公園周辺が「鶉古城」です。駐車場もトイレもあり、なんならお散歩するのに良い感じの公園です。

この日は、城びと未登録のお城ばかり車で巡り、路駐でダッシュを繰り返していたので、ゆっくり歩きたいと思い着陣しました。
多々良沼の周辺を確認すると、沼の内側に突き出した所があります。
線香花火のよーな、ビードロのよーな、細長い先に丸い場所がありました。そこに『浮島弁財天』とあり、散歩することに。
と、とりあえず(?)「鶉古城」攻めです。
土塁と空堀があります。
郭の横には藤棚があり、季節が巡ってきたら紫色のトンネルになるのだなーと、芝生の郭をチラッと見て『浮島弁財天』へ。

この『多々良沼公園』、カメラを持った人をたくさん見かけました。
水辺に何やら、白い物達。
水不足で沼の水辺が、かなり奥になってしまったようです。越冬する白鳥が丸くなってました。
白鳥と水不足の心配をしながら浮島弁財天に到着。
この、弁財天は鎌倉北条家の再興を願って建立されたそうです。
その時も白鳥、いたのかな?
ん?「鶉古城」のウズラって、いたのかな?

「鶉古城」は14代執権 北条 高時さんの弟、朝正さん・朝春さんが鎌倉から逃れて築城したそうです。

ちなみに北条 高時さん、1991年大河ドラマ『太平記』、アニメ『逃げ上手の若君』でも、ひどく無能に描かれてます。笑ってしまうくらいです。

私の住む東京の端っこの水は、奥多摩湖に頼ってます。「鶉古城」攻めをした月に奥多摩湖の水位を見に行って愕然としました。その日から毎日、貯水率を確認してます。現在、台風が通過したのに、33%代です。

来年も白鳥来るかな~。
たくさんの水でお出迎えしたいな。
多々良沼の水位も気になる「鶉古城」攻めでした。

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イオ

鉱山奉行の屋敷 (2025/11/15 訪問)

越前大野から飛騨に入封した金森長近は越前から茂住宗貞を招いて鉱山開発にあたらせました。宗貞は茂住銀山や和佐保銀山、森部金山等を開発した功績により金森姓を与えられ、四方に高塀をかけた石塁をめぐらせ、四隅に隅櫓、東・北・南の三方に櫓門を設けた屋敷を構えましたが、長近が没すると自ら屋敷に火を放ち越前(越中から能登とも)に退去したと伝わります。

金龍寺の駐車場から登城開始。屋敷跡は金龍寺の境内になっていて、金森宗貞邸跡の標柱と説明板、宗貞金森翁之碑が立てられています。四方にあったとされる石塁のうち北東部は国道改修により失われましたが、南辺と北辺の石塁が遺り、隅櫓台には鐘楼や茂住神明神社の社殿が建てられていました。西側は高原川の断崖になっていて、なかなか堅固な城館だったようです。

当初は一門衆の屋敷かと思っていましたが、功績を挙げた鉱山奉行に金森姓を与えているあたり、山がちで農業収入が期待できない飛騨にあって鉱山開発にかける長近の強い思いを感じた屋敷跡でした。
 

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カズサン

【上野 三ツ寺Ⅰ遺跡】群馬県高崎市 古墳時代城館-城郭の初期か? (2026/05/30 訪問)

 保渡田古墳群の三ツ寺Ⅰ遺跡は、かみつけの里博物館より南東に約800m、経路約1100m、かみつけの里博物館駐車場から県道123号線秋葉交差点を南下、県道10号線と交差する井出交差点を東進約200m、県道10号線と上越新幹線が交差する辺りが「三ツ寺Ⅰ遺跡」です、が発掘調査後埋め戻されて居ます。
 案内板は県道10号線と上越新幹線が交差した高架橋下の東側に案内指示板と少し文字と画像が剥落しかけた案内板揃って在ります。
 車は西隣のコンビニ「ローソン高崎井出店」(36°22'26"N 138°59'32"N h=130m)を利用。
 資料がローソン高崎井出店に用意されて居り、お話して資料を頂き、駐車場を利用させて頂く。
 住所:群馬県高崎市井手町192-3(遺跡住所が未定なのでローソン高崎井出店の住所を代用)

 かみつけの里博物館の展示で「三ツ寺Ⅰ遺跡」を知り是非見たいとガイドの方受付の方に情報、周辺地図を頂いて、ローソン高崎井出店で資料リフレット取り扱いし駐車場利用も可能との情報も得ました。
 
 三ツ寺Ⅰ遺跡は昭和56年から58年の上越新幹線建設工事中の発掘調査で発見された、その後埋め戻されて中心部は上越新幹線架橋した、県道10号線下に残されています、往時を見る事は出来ませんが、三ツ寺Ⅰ遺跡の復元ジオラマ、説明がかみつけの里博物館に在ります。
 三ツ寺Ⅰ遺跡のジオラマを初めてみた時は古墳時代の王の館、日本の城の初めの城館?と感激しました、その後脳裏に何か見た記憶が戻ってきて、どこの資料、本なのか分かりませんが甦ってきました。
 1500年前の古墳時代榛名山東南麓を拠点に栄えた豪族首長の居館と首長を祀った前方後円墳大型3基が榛名山の大噴火火砕流の土砂に埋まり、1500年振りに甦り復元され、博物館で資料を見る事が出来ます。大変感謝です。
 資料とジオラマによると、館の規模は約86m四方で、北と南に馬出状の出曲輪、出構が4基、濠に囲まれて濠幅30m、深さ4m、土塁で囲み板柵列の囲み、土塁斜面には葺石、主郭内部は首長の館と従者の建物に二分されている。

 大変貴重な体験をさせて頂きました、城好きとしては日本城郭の初めを体験確認した思いです。ありがとうございました。
 帰って調べたら千田先生の城郭考古学の冒険に原始・古代の城館として写真と説明が有りました、それと日本の城に亡き香川元太郎画伯のイラストが有る様です。
 

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todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑩ (2026/05/05 訪問)

唐船城からの転戦です。途中、有田の陶器市が開催されていて、ヘボいカーナビがバイパスではなく、街中の道を案内したため、大渋滞に巻き込まれてしまいました。ここでの時間ロスは大きく、今回の城めぐりで長崎県境近くの竹崎城に足を伸ばすことは断念せざるを得ませんでした。と云う訳で、朝田辰兵衛さん、私の佐賀コンプはまだまだ先になりそうです。

嬉野市内に到着した時には正午となっていたため、近くのリンガーハットにて昼食をとってから登城しました。嬉野公園、西公園として整備されていて、広い副郭はなかなか快適でした。主郭には権現社が建ち、水道施設もあります。谷を越えた曲輪上段、下段も公園としての佇まいを保っています。

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あっくん

丸岡城 (2026/05/23 訪問)

工事中でした。

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カズサン

保渡田古墳群3/3-かみつけの里博物館 (2026/05/30 訪問)

 二子山古墳の続です。

 かみつけの里博物館は上毛野(カミツケノ)はにわの里公園の中心施設で八幡塚古墳と二子山古墳の中間に位置し二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳、三ツ寺Ⅰ遺跡、太子塚古墳の発掘遺物、埴輪などの展示、古墳群、遺跡の復元ジオラマで分かり易く説明解説されています。
 目に付いた展示物は、馬形埴輪、短甲武人埴輪、盾持ち埴輪、保渡田古墳群はじめとした榛名山南東麓ジオラマ、八幡塚古墳ジオラマ、三ツ寺Ⅰ遺跡ジオラマは感嘆興奮し観察見学しました。
 特に三ツ寺Ⅰ遺跡は城好きの私としては大変興味深く観察し、1500年前の古墳時代に中世、戦国期にも匹敵する四方に濠を回らし、南方と北方に出郭馬出を設けて、出構を西方北方に2基づつ設けてる、本郭は二分割し西に首長の館、東に従者の建屋、周囲は土塁と板塀、板柵で囲んでいる。
 ガイドの方と受付の方に三ツ寺Ⅰ遺跡の場所を聞きこの後訪ねました。

 長年の願いが叶い東国の栄えた時代の古墳、遺物を初体験見学堪能しました、感謝です。
 65歳以上は無料で見学出来ました、ガイドさん受付の女性の方々お世話に成りありがとうございました。

 次は別城扱いで三ツ寺Ⅰ遺跡を投稿します。
   

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天守無しがアツい

朝7時の甲府城 (2026/06/01 訪問)

ホテルをチェックアウトしてから特急に乗るまでの合間に…甲府城を軽く訪問🏯

朝から城内を散歩されてる方もいた🚶‍♂️

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朝田 辰兵衛

todo94さん,返信ありがとうございます…

todo94さん,返信ありがとうございます。「ご教示」なんてめっそうもない…。
たしかに日在城は予想以上に疲弊し,私も「もう行かなくてもいいや…」と思いました…<苦笑>。
主郭到着まで気が抜けず,さらに主郭と最高所はかなりの比高差があるため,心を折られるのも無理ないと思います。
境目にうっすらと堀切がありましたが,撮影失敗しました。
todo94さんのレポートを読むと,東北東ルートもかなりのハードワークを強いられそうですね…。
しかも,距離が長そう…。

以前「唐津線沿いでアップデートしなきゃならない城を見つけました…」と書き込みましたが,その城は「肥前青山城」でした。先日,todo94さんが投稿されていたので「おぉっ」と思いました。
7月に岸岳城とセット攻城か…と思っていたので,天候や体力がヤバければスルーしたいと思います。

そうそう,todo94さんは佐賀県コンプリートも見えてきたのではないでしょうか…?

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イオ

枡形虎口と算木積み石垣 (2025/11/15 訪問)

南北朝期に飛騨国司に任じられた姉小路家綱が築いた城で、三家に分かれた姉小路氏の小島氏が居城としました。戦国期には南飛騨から台頭してきた三木氏に従って存続しましたが、金森長近の飛騨攻めにより落城し、小島氏も滅亡しました。

主郭部まで車で行けるようですが、古城跡の西端まで行くつもりなので、そこからまた主郭部まで引き返すくらいなら山麓から歩いて行こう、ということで、太江農業センター前の小島城跡駐車場から登城開始。案内表示に従って進み、太江川を渡ったところが太江口の登城口で、登ること10分あまりで尾根筋の林道に到達。林道南側には幾条かの竪堀があるようですが、草木に覆われていてよくわかりません。沼町口からの登城道との合流を過ぎると、林道から見上げる尾根筋に二条の堀切がかすかに見えますが、これも藪化していてはっきりしません。さらに進んだ先の林道終点に駐車場が設けられています。駐車場から主郭部に向かう前に北尾根へ。深さのある堀切で尾根筋を断ち切っていました。

主郭部の東端には櫓台がそびえ立っています。櫓台からは木々の合間に南麓の沼町と宮川を見渡すことができました。櫓台の南東部には東尾根に続く内枡形虎口がある…はずですが、ここなんだろうけど…と藪の凹凸から推測できる程度です。東西にのびる主郭部の中央には一段高くに主郭があり、休憩所に説明板が設置されていました。主郭部の西端にも内枡形虎口が開口し、虎口の脇には未発達ながら算木積みの石垣が見られ、西辺から北にかけて石垣が積まれています。枡形虎口も算木積み石垣も飛騨の山城には見られないもので、新たな統治者としての金森氏の権威を示すための改修と考えられるんだとか。

主郭部から尾根沿いに階段状に設けられた小曲輪群を下りて行くと古城跡に至ります。当初は古城跡周辺のみだったのが東側へと拡張されて現在見られる縄張になったようです。古城跡の防御施設は切岸や土塁、西端に堀切が見られるくらいで、なるほど確かに主郭部に比べると古い縄張のように思えます。そしてそのまま西麓の杉崎口に下山しました。

草木に覆われて竪堀や堀切、枡形虎口が分かりづらくなっているのは残念でしたが、思いのほかしっかり遺った金森氏改修の石垣はなかなか見応えがありました。
 

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カズサン

保渡田古墳群2/3-二子山古墳 (2026/05/30 訪問)

 八幡塚古墳の続です。

 保渡田古墳群の二子山古墳は「かみつけの里博物館」の西隣に在ります。古墳群3基の前方後円墳の中で最大です。
 全長213m、全幅108m、墳丘長108m、墳丘高9~10m、三段墳丘で斜面は石葺ですがコクマ笹で保護の為に植栽されている、周りは内堀外堀と内堤外堤で囲まれている、内堀には円墳部四方に陪塚の様な中島が付随して居ます。
 平成15年から17年に史跡整備調査の上復元整備されました。昭和60年9月3日に保渡田古墳群は国史指定されています。
 円墳部北東部からの板階段で円墳頂上に登り、頂上部には発掘調査状態の石棺写真パネルが原寸大で展示されて、周囲に説明盤設置されている、説明文ではパネル下1m下に実物舟形石棺が保存されていると、円墳部と方墳部とは道で繋がり墳丘からの眺めがよく、大噴火の有った榛名山を眺望出来る。
 榛名山東南麓には東日本でも有数の勢力を誇った豪族首長(王族)の本拠地が有り、三ツ寺遺跡Ⅰ王の館(城館)と王族を祀った大型の前方後円墳が残って居ます。
 二子山古墳東、かみつけの里博物館の南に紺色の矢車草と麦秋が混ざり植わって奇麗でしたので10番目に写真を載せます。

 次に「かみつけの里博物館」に続く。
   

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todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑨ (2026/05/05 訪問)

日在城からの転戦です。有田川が大きく蛇行している地点に所在する城です。城の北側には山田神社、南側には唐船城公園があってどちらにも駐車場と説明板がありました。私は、山田神社から登城し展望台に上ってから公園側に下りました。展望台のあたりは狼煙台であったようで、公園の方は中世の居館跡とのことです。最後は道路となっている堀切跡を通って山田神社駐車場に戻るというルートをたどりました。

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todo94

朝田さん、ありがとうございました

朝田辰兵衛さん、ご教示ありがとうございました。やはり、もう少し下らなくてはならなかったのですね。山中で迷うのが怖くて引き返してしまいました。リベンジを志す気はほとんどないのですが、その気になったときには主郭にチャレンジしてみたいと思います。

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