赤堤村は戦国時代、吉良氏の頃より開発されていて、世田谷城の北方を守るために六所神社のあたりに塁を築いたとされています。このあたりの土地は豪徳寺よりジワジワ高くなってきていて頂部のあたりに六所神社があるようです。
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2024/12/05 21:27
2024/12/05 20:44
本丸の周りの堀切や土塁が残る。 (2024/05/06 訪問)
本丸は法宣寺の西側にある林の中にあって、周囲を堀が囲んでいます。虎口は南に付いているようだけど直接、堀を渡って入らせていただきました。ネットで縄張りを調べてみると、けっこう複雑な構造をしているみたい。基本的に平城だけど縄張りの複雑さは杉山城を思い出します。西に利根川が流れているので、戦国時代には水を引いて、本丸の北側は水堀になっていたのでしょうか。ますます攻めづらい‥。
しかし、内郭にはどうやって行くんだろう。土橋は無さそうなので、木橋を渡していたのかな?
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2024/12/05 20:21
近くまで来たので‥ (2024/11/10 訪問)
筒井城は筒井氏の居城で、現在は宅地や田畑になっていますが、主郭の周囲に内堀と外堀が残っています。以前訪問した時の写真のデータが破損して、主郭の写真が無かったので、近くに寄ったついでに撮って来ました。
これだけだと物足りないので、近くにある筒井順慶墓所も訪問したのですが、鍵がかかっているようです。どうやらタイムリミットがあるみたい。筒井順慶公は天正12年に郡山城で亡くなり、奈良の円証寺に葬られましたが、後に当地に改葬されたそうです。
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2024/12/05 19:21
津和野城下町のちいさな農家のレストランにてモンブランつくり体験🌰 (2024/11/29 訪問)
びっくりするほどの量の栗クリームのシャワーを浴びて、モンブランの完成🌰
タルトの中身はホイップクリームと思いきや、食べてのお楽しみです。
津和野城下町のちいさな農家のレストランにてモンブランつくり体験。
今年は終了しましたが、来年もする予定とのこと。
詳細は、津和野町観光協会hp
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2024/12/05 18:25
2024/12/05 14:35
広くて美しい土のお城 (2024/11/30 訪問)
八王子城の後 八王子駅からバスで滝山城址下バス停へ 八王子駅のバス乗り場は12番です バス停降りて反対側に渡り八王子駅方面のバス停の向こうはすぐ大手口 一気に雰囲気変わります 少し急な坂をの登り三の丸へ大きな堀がありテンション上がって行きます 馬出や曲輪を見ながら想像の中で矢や鉄砲に打たれてました 本当良く配置されてる面白い 中の丸でスタンプ貰い 本丸へ 井戸など見つつ神社にもご挨拶して日が暮れてきたので案内に沿って大手へ バスに登り八王子駅へ 駅の八王子博物館で八王子城と滝山城の御城印を買い帰路へ
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2024/12/05 14:05
憧れの山城へ! (2024/11/27 訪問)
前日の米子城に引き続きお天気が心配でしたが 月山富田城行ってきました 安木駅からイエローバスで月山入口バス停へ 歴史資料館の目の前に着きます スタンプ押して資料館でジオラマ見て下準備して出発 尼子神社にご挨拶し曲輪を見学しながら進みます 山中鹿介の像にもご挨拶 花ノ壇へ復元された建物をみて山中御殿へ どのルートがら登っても山中御殿へ着きます 広い曲輪周囲は石垣で固められていました そしてウワサの七曲がり 山吹井戸など見ながら三の丸へ 現れた石垣に感動! そして本丸へ天気はイマイチだけどそれでも眺めが良い 山中鹿介の記念碑をみて勝日高守神社にもご挨拶 気持ち良く過ごしていたら帰りのバスの時間を失念していて慌てて下山 もっと見たい所あったのにー うしろ髪ひかれつつバスに乗りました お天気は何とかもってバスに乗った途端に大雨 尼子氏と山中鹿介さんたちにお礼を心の中で言いつつ再訪をしたいと強く思いました
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2024/12/05 11:17
「山城に行こう!2024」に加治田城ブース出展します!
山城に行こう!2024 岐阜のお城大集合!ぎふオシロフェス に
加治田城ブース出展します!(7日・8日両日共)
今年もコミッティメンバーによる「ご協力金返礼」のティッシュペーパーケースと
ティッシュボックスケースを制作しました。
富加町にある文化財をデザインしたイラストが入っています。
お楽しみに!
また、可児市特別顧問による講演会や、城跡紹介ブース、物販・体験ブースなど
楽しいイベント盛りだくさんです。
開催日時 : 令和6年12月7日(土) 10:00~16:00 / 8日(日) 10:00~16:00
会場 : 広見地区センター (メイン会場)
岐阜県可児市広見7-77
入場料 : 無料
多くの方のご来場をお待ちしております。
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2024/12/05 09:40
対新羅最前線基地(1/3):雷山神籠石(北水門) (2024/11/28 訪問)
「雷山神籠石」は、663年白村江の戦いに破れた天智天皇が、新羅の反抗を恐れ(大宰府政庁・大野城・基肄城・水城)の防衛ラインに加え、さらなる最前線基地(兼見張台)として、670年頃に954mある雷山の中腹450m付近に築いた神籠石系山城です(石碑写真①)。
中央の不動池を挟んで、南に南水門、北に北水門があります。まず北水門を見学ました(写真②より入る)。排水溝は石垣で築かれていました。また今でも多くの水が流れていたのには驚きました(写真③④⑤)。また北水門から西と東の斜面には斜面を補強する列石もありました(写真⑥⑦)。この石垣の技術で築かれた水門や列石を見ると、今から1350年も前(まだ奈良時代より前の飛鳥時代です)に築かれた物とはとても思えません・・・石を削って並べるという発想があった事自体が驚きです😲! いかに新羅の脅威から必死に守ろうとしていたのかを感じました。
雷山神籠石が築城されてから620年後の鎌倉時代になると、鎌倉幕府(北条時宗)の命で元の侵攻に備え元寇防塁とともに高祖城(たかすじょう)を築いた原田種継の支城となり、ここは「筒城」と呼ばれていたようです。北水門にはその名の石碑がありましたが、それ以外の城の遺構はありませんでした(写真⑨)。
不動池は江戸時代に築かれた農業用溜池なので、もしかして館跡などの遺構はこの池の底に眠っているのかもしれません(写真⑩全体図)。
次は、「南水門」から「雷山千如寺」の方へ行ってみようと思います。
P.S 私がここを訪れた直後に放送された先週の大河ドラマ(12/1放送)で、紫式部が何とこのすぐ目の前の所まで来ていた事を知った時は驚きました(😱~!)。 そのあたりの話題も合わせて、次へ続きたいと思います。
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2024/12/05 08:12
金森長近生誕500年 飛騨高山ツアー (2024/11/30 訪問)
ニッポン城めぐりのオフィシャルツアーに参加しました。金森長近生誕500年を記念して飛騨高山のゆかりの地をめぐるツアーで、加藤理文先生が全行程に同行して解説して下さいました。
名古屋駅に集合すると、まずは金森長近の飛騨攻めにおける激戦地、向牧戸城(城びと未登録)へ。飛騨地方は前夜は雪であり、郡上八幡を過ぎたあたりから一帯は雪景色、高速道路もチェーン規制されていて「大丈夫か、おい…」と思っていましたが、懸念のとおり向牧戸城は30cmもの雪に閉ざされており、まさかの登城断念…。まだ11月だというのにこの積雪。飛騨の冬の厳しさを身をもって知りました。
気を取り直して高山城下の素玄寺へ。金森長近の菩提を弔うために二代・金森可重が建てた寺院で、住職さんと「金森長近と城下町文化による地域の活性化推進委員会」会長の桑谷さんから素玄寺と金森長近についてのお話を伺い、通常非公開の金森長近の采配や軍扇などを見学させていただきました。金森長近というと、三英傑に仕えて越前大野と高山の町を開いたまちづくり名人…くらいの予備知識でしたが、いろいろと話を伺うとなかなかに興味が尽きない人物のようです。
ホテルでは参加者全員での宴会とクイズ大会。14チームに分かれてお城とニッポン城めぐりの知識を競うチーム戦で、練習問題は簡単(姫路城、松本城、さんじゅーろー)でしたが、本問は相当にマニアックで、私程度の知識と経験では全く太刀打ちできず、チームの戦力にはなれませんでした…。でも、城好き同士でああでもないこうでもないと頭をひねって問題に挑むのは楽しい時間でした。
ツアー2日目はまず松倉城に登城。三木氏が築き、飛騨攻め後に金森長近が改修したとされる城で、朝から霧が立ち込めていて眺望は全くききませんでしたが、この際、登城できれば文句はありません。発掘調査で確認された埋門などは普段は遺構保護のためブルーシートが掛けられているようですが、この日はシートを外して調査に携わっておられる加藤理文先生直々に解説いただきました。やはり専門家に解説いただけると、自分一人でめぐるより遥かに理解が深められますね。
松倉城に続いては飛騨東照宮と金龍神社に参拝。飛騨東照宮は三代・金森重頼が創建したもの、金龍神社は金森長近を祭神とする東照宮の摂社です。こちらでも宮司さんと桑谷さんから飛騨東照宮と金龍神社についてのお話を伺いましたが、宮司さんが「三木さん」と紹介された時に参加者(私含む)から「おおぉ…」とどよめきの声が上がりました。金森氏は江戸中期に出羽国・上山藩に移封されたため、高山には金森さんはほとんどいないそうですが、金森長近に追われた三木さんは今もこの地に多く住んでいて、その一人が長近の祭祀を司っているというのは不思議な巡り合わせですね。
昼食の後はツアー締めくくりの高山城。言うまでもなく金森長近が築いた城です。二の丸跡の金森長近公銅像の前で集合写真を撮り、加藤理文先生の解説で城内をひとめぐり。破城に伴って石垣はほとんど遺されていませんが、自分では気付かなかっただろう石垣をいくつも案内していただきました。
ニッポン城めぐりオフィシャルツアーは初参加であり、城友さんの参加も一人だけだったのでほぼ全員初対面でしたが、皆さん気さくに話していただき、おかげさまでとても楽しく過ごさせていただきました。ただ、ひとつ心残りがあるとすれば、ホテルでのクイズ大会の後にかるた大会ができないかなーと、出発2日前に届いたばかりの日本100名城かるたを持参しながらも、時間と会場の関係で実現できなかったこと…。やはりお城EXPOでのかるた大会に期待するしかないようです。
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2024/12/05 07:01
特別設定 えきねっと限定 大人の休日パス スペシャルで青森の城めぐり⑧ (2024/11/17 訪問)
蠣崎城から帰路に着く途次で立ち寄りました。小川原湖の北端につながる内沼に半島状に突き出た部分に立地しています。南西と北東、それぞれの対岸に赴いてみましたが、登城路を見出すことはできませんでした。2022年4月下旬には六ケ所村の蝦夷館ツアーが開催されていて、昨年は鷹架沼南館だけのツアーでした。次の内沼蝦夷館ツアーがいつになるかわかりませんが、機会があったら是非参加してみたいと思います。持ち物に長靴とあるので、今回の断念は致し方ありません。古城盛衰記さんも登城にはかなり苦労されたようですしね。とりあえず、対岸からの遠景写真のみ、投稿させていただきます。今回の特別設定 えきねっと限定 大人の休日パス スペシャルを使っての青森の城めぐりはこれにて終了です。
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2024/12/04 23:51
名城鑑賞 (2024/10/01 訪問)
春日山城で予定時間をオーバーしたため、高田へ行く列車もずれ込んでしまいました。
しかしその結果、春日山駅に一日に上下各1本しか停まらない特急しらゆきに高田駅までひと駅4分乗車という狙ってもなかなか出来そうにない体験ができ、それだけで充分すぎる思い出ができました。
高田城も久しぶりの訪問です。
工事のため本丸から二の丸方向へは通り抜けられませんでしたが、時間の許す限り城内を見て歩きました。広かったです。
遅ればせながら“かるた”完成おめでとうございます。ご挨拶と購入に横浜へ伺う予定でいます。どうぞよろしくお願いいたします。
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2024/12/04 23:37
城址公園編 〜豆腐ラーメンを食べ、いざ出陣!!〜 (2023/12/22 訪問)
本丸跡から南へ進み、城址公園へ移動。
城址公園は岩槻城の新曲輪と鍛冶曲輪の部分にあたります。
城址公園の散策前にランチは城址公園内の さいたま市民会館いわつき の中にある レストラン大手門 で、岩槻の名物 豆腐ラーメンをいただきました。見た目は辛そうですが、麻婆とは異なり、辛さは控えめで、とてもおいしかったです!! ラーメンで腹ごしらえをして、いざ出陣。
市民会館前の道路を南に少し歩くと、黒門と裏門が移築されています。この二つの門は城内のどこに元々あったのかはわかっていないようです。
移築門からさらに道なりに南に進むと、一部藪になっていますが、新曲輪の馬出跡が残っています。そこから南に少し歩くと新曲輪の石碑が立っており、そこで左に曲がって進むと、鍛冶曲輪の馬出と虎口、堀底道の入り口があります。
鍛冶曲輪には、周囲に土塁が良好に残っており、白鶴城址碑が設置されています。
鍛冶曲輪を見学後、堀底道へ移動。ここの堀はかなり深く迫力がありました。鍛冶曲輪側から堀底道を北に進むと堀障子の跡もあり、堀障子の東側には、菖蒲池が広がっていました。
12月終盤の訪問だったため、菖蒲池の日陰部分は若干凍っていました。
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2024/12/04 23:23
町なか散策編 〜大構・本丸跡などなど〜 (2023/12/22 訪問)
東武アーバンパークライン(野田線) 岩槻駅から散策開始。
岩槻城の一部は城址公園となり整備されていますが、本丸などの主要部は市街地の中に埋もれている状況になっています。今回は城址公園以外の周辺スポットもぐるぐる散策してきました。
① 芳林寺
岩槻駅から城址公園とは逆の西側に少し進んだところにあります。ここには太田道灌の騎馬像、太田氏資の銅像、「太田道灌公築城550年記念」で作られた岩槻城の復元図があります。岩槻城を築いた太田氏は、江戸城を築いたことでも有名ですが、岩付(岩槻)が北条氏の支配下になったのちは、常陸の佐竹氏のもとに行き、小田氏治の小田城を攻めたり、最終的には結城氏に従い越前へ移るなどなど、茨城の武将たちと、がっつり絡んでいて驚きです。
② 愛宕神社(岩槻城大構)
芳林寺から東へ移動し、東武野田線沿いにあります。ここには岩槻城大構の土塁が神社の本殿の部分に現在も残っており、説明板も設置されていました。
③ 浄安寺(岩槻城下 田中口木戸門)
愛宕神社から住宅地を東へ進み、旧日光街道沿いに浄安寺があります。浄安寺には、岩槻城下の田中口の木戸門(槍がえし門)が移築されています。
④ 時の鐘
浄安寺から南に進み、交差点を過ぎてしばらく歩くと、岩槻城のシンボル的存在の時の鐘があります。ここには岩槻城の説明板も設置されています。
⑤ 岩槻城主要部(大手口跡・本丸跡・二の丸跡)
時の鐘から大通り方面へむかうと、途中に大手口跡があり、石碑が立っています。大手口跡から道なりに進み、大通りに出る五差路があります。ここが三の丸跡にあたるらしく、五差路の所に石碑が立っていました。(三の丸跡の石碑周辺は、交通量があるので、見学される際は気を付けてください。)
三の丸跡から県道2号を東へ進むと銀行前の所に本丸跡の石碑と説明板が設置されていました。
本丸からさらに道なりに東へ進むと、クリーニング店の少し先の歩道の所に「二の丸跡」の碑が建っています。本丸跡と二の丸跡間は若干下りの坂になっていました。当時の雰囲気がどことなく感じられました。
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2024/12/04 20:02
上杉陸奥守憲英 (2024/05/05 訪問)
庁鼻和城は国済寺と日吉大社の周辺一帯に築かれていたようです。上杉陸奥守憲英の嫡子・庁鼻佐馬助憲光が居住していたとされ、この頃にはすでに居館が築かれていたようです。国済寺は憲英が峻翁令山禅師を請じて開山としたとされ、境内には憲英公の墓と、土塁の一部が残っています。
寺の北方にも長さ135mほどの土塁が残っているようなのですが確認できていません。情報は城郭大系からだし、まだ残っているのかな?
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2024/12/04 19:44
二上山城周辺 奈良県葛城市 (2024/11/16 訪問)
二上山城の西側にある鹿谷寺跡は奈良時代に築かれた古い寺跡です。私は使用していませんが、ここからも城跡に向かうルートがあり、寺跡からは城址を俯瞰することができます。天然の岩盤が防御に適した配置になっていて、岩の上から侵入者を見張ったり、攻撃することが可能です。また西側に続く道を登ると物見台らしき場所にたどり着き、街道を俯瞰することができます。
私の考えに過ぎませんが、創建当時は城郭寺院のような寺で、後の時代には二上山城の守りの一端を担っていたのかもしれません。
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2024/12/04 19:27
小倉城 長野県佐久市 (2024/01/07 訪問)
標高1220mの山城です。
今年の1月に訪城。
最初は登り口を間違え山中を2時間位
さまよいました。
10日後、再び挑戦し、なんとか訪城
出来ました。
岩尾根に細い平場が2段位、浅い堀切
に竪堀か自然地形か微妙な遺構が
いくつかあります。
猿が10m前をずっと先導してました。
途中、雪が降ってきてかなり寒かった
です。
川に3本の丸太がかかっている状態の
橋を渡らなくてはならないのですが、
雪で滑り落ちそうで怖かったです。
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2024/12/04 19:24
小川城周辺 奈良県吉野郡東吉野村 (2024/11/09 訪問)
小川城周辺の投稿です。小川城の主郭の南の尾根上には年代不詳の石積があります。遺構ではないと思いますが、せっかくここまで来たので掲載しておきたいと思います。石積の上の方は崩れてしまっているようですね。
小川城の北側を高見川が蛇行しているのですが、対岸の道沿いにニホンオオカミの像があります。人間の都合で絶滅してしまった生物ですが、いたらいたで問題になっていそうですね。私は熊肉が好きなので、少なければ保護して、多ければおいしくいただきたいと思います。国も自治体も猟友会頼みで、実質何もできないのだから、もっと危険と向き合っている人たちを大切にするべきですね。
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2024/12/04 18:54
開門中の正門を許可撮りしました📷 (2024/11/02 訪問)
正門の向かって右ワキに守衛室があり,さらに警備員が1名立っていました。ダメもとで「門を撮らせていただいて宜しいですか…?」と警備員に尋ねました。返答は「人物は絶対に写さないでください」と。そして,行列が途絶えたタイミングで警備員にアイコンタクトを取ってパシャリ📷
ついでに向かって左ワキのマリア像も。
撮影画像をいちおう確認してもらい,了承を得ました。その後,「周囲をうろつかないで立ち去ってください」と。追加で門の前の道を撮るだけにとどまりました。
うろついて,みすみす貴重な画像を破棄せざるを得なくなったら何のために来たのかわからなくなるので,これだけの撮れ高で退散しました。
撮れ高がショボいので,この日の食事をアップします。
JR八王子駅の駅ビル「セレオ北館」9F「おばんざい処 はんなり」の「チキン味噌かつ定食(税込 1,353円)」です。
越後人は生まれながらにしてシャリの味にはうるさくなっちゃいますが,ここはオススメします。
新潟産コシヒカリを釜炊きしています。そもそも丼でごはんが出てきたのですが,おかわり自由です。私は1回おかわりしました。
1度のおかわりで,充分にモトを取った実感はあるかと思います。
ぜひ,東京都でおいしいごはんが食べたかったらど~ぞ❢
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2024/12/04 17:30
一乗谷城跡 (2024/12/04 訪問)
朝倉義景の居城です。近くにある大野市の朝倉義景のお墓にも参ってきました。
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