岡山県高梁市にある成羽陣屋跡(城びと未登録)。
本来の目的地に向かう途中でたまたま大きな石垣が目に入り、なんだこれ!?と思って車を止めて訪問。
城びと未登録だったけど、江戸時代にこの地を治めていた山崎氏の御殿跡とのこと。巨石が積み上げられた石垣は見応え抜群!
こんな片田舎(失礼!)にこれだけの規模の御殿を築いた山崎氏の力が大きかったことが窺い知れる。本当に偶然通りかかっただけだったけど、見ることができて良かった!
現在は跡地にすごくモダンな美術館が建っている。
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2026/10/04 14:13
高梁市の陣屋跡 (2026/08/22 訪問)
岡山県高梁市にある成羽陣屋跡(城びと未登録)。
本来の目的地に向かう途中でたまたま大きな石垣が目に入り、なんだこれ!?と思って車を止めて訪問。
城びと未登録だったけど、江戸時代にこの地を治めていた山崎氏の御殿跡とのこと。巨石が積み上げられた石垣は見応え抜群!
こんな片田舎(失礼!)にこれだけの規模の御殿を築いた山崎氏の力が大きかったことが窺い知れる。本当に偶然通りかかっただけだったけど、見ることができて良かった!
現在は跡地にすごくモダンな美術館が建っている。
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2026/10/04 13:55
2026/10/04 13:38
大友宗麟の館跡 (2026/08/08 訪問)
南蛮貿易で名を馳せた大友宗麟の館跡。
隣接されている南蛮BVNGO交流館は入場無料で、大友氏や南蛮貿易の歴史を知ることができる。
1595年にポルトガル人のルイス・ティセラという人物が制作した、ヨーロッパ初の日本地図にもBVNGO(豊後)という記載があり、当時大友宗麟がヨーロッパまで名が知られていたことが窺い知れる。
日本庭園は復元されていたが、館跡はまだまだ発掘中のようなので、これから整備されたらまた来たい!
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2026/10/04 13:21
眼鏡橋のある城跡 (2026/08/06 訪問)
長崎にある眼鏡橋と言えば長崎市内のものが有名だけど、諫早にも眼鏡橋があった!(城の成り立ちとは関係なし)
この城は小高い丘に造られていて、虎口や武者走り、曲輪などがコンパクトに収まっていて手軽に回ることができた。
日本の歴史公園100選に選ばれていることもあり、登城路も整備されており、随所に説明版もあってわかりやすい。
眼鏡橋も立派な石造りで、歩いて渡ることもでき歴史を感じることができた!
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2026/10/04 11:16
2026/10/04 05:17
南宮山 (2026/10/03 訪問)
関ケ原の戦いのときに毛利秀元が布陣した南宮山へ行って来ました。城びとには未登録の陣城で、松尾山城の周辺観光として投稿します。
南宮山の頂上ではなく少し下がった東尾根に陣城は築かれています。登城路は南宮大社の奥にある安国寺恵瓊の陣跡がスタートで南宮山ハイキングコースとして整備されていて宝珠院趾までは木段になっていますが、その後は比較的緩やかな坂を登ります。歩きにくい場所もありますが、山城に慣れた方なら許容範囲でしょう。堀切、竪堀、土塁、櫓台などが残っています。主郭には石碑、説明板がありました。主郭から大垣城方面は見ることができますが、関ケ原古戦場方面は見えません。説明板には「ここからは、大垣序は望めても、関ケ原を望むことはできない。大垣城を取り囲む東軍を牽制するための布陣と推測される。」と書いてありました。縄張り図を見ると主郭の西側にも曲輪が展開し堀切などあるようですが、「これより先はハイキングコースではありません。立入をご遠慮下さい 垂井町」の標識があり見学は断念しています。主郭からの眺望はいいのですが、この日はもやがかかっていました。「宰相殿の空弁当」というエピソードがありますが、毛利秀元はここで弁当をたべたのか食べなかったのか。この日は朝早かったので自分はすぐに下山しましたが、昼頃なら景色を眺めながら本当に弁当を食べてもいいかなと思いました。
山城シーズンも近くどこかで足慣らしようと思い南宮山を選択しました。以前に登った時に歩きやすかった記憶があり選択したのですが、主郭まで1時間近くかかりそれなりにしんどかったですね。ハイキングコースになっていて、この日も多くの方がハイキングを楽しんでみえました。日差しの多くは木々に阻まれてそれほど暑くもなく風もあって歩きやすかった。
JR垂井駅から徒歩約15分で南宮大社に行くことができます。その奥にある南宮稲荷神社を経由して登城口である安国寺恵瓊陣跡まで5分くらいでした。南宮大社近くには吉川広家陣跡もあります。
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2026/10/03 21:06
大溝陣屋総門もお薦め (2026/10/02 訪問)
大溝城の築城は1578(天正6)年とも1581(天正9)年ともいわれています。
織田信長が、甥(弟・織田信行の長男)の織田(津田)信澄に作らせました。
城の縄張は明智光秀によるといわれています。
大溝城の築城により、信長の安土城のほか、明智光秀による坂本城、羽柴秀吉による長浜城とともに琵琶湖の四方に城を配置することで、近江の水運、琵琶湖の制海権を掌握しました。
本丸の石垣、天守台が残されています。
老人施設の脇の細い通路を進んで行きます。
三の丸、二の丸は高島市民病院の駐車場になっています。
大溝城は1585(天正13)年廃城となり、部材は水口岡山城へ移されました。
1619(元和5)年、伊勢上野より分部光信が入封し、大溝藩が立藩しました。
大溝城三の丸付近に陣屋を構え、織田信澄がつくった街割を元に城下町を整備しました。
陣屋前には武家屋敷を集め、その入り口に立てられたのが総門が残っています。
総門の隣に2台分駐車スペースがあります。
また、自転車やバイクは黒塀に沿ってとめることができます。
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2026/10/03 16:26
笠置寺 (2026/09/20 訪問)
【笠置城】
<駐車場他>駐車場あり500円
<交通手段>車
<見所>巨石
<感想>日帰り近隣の行っていない城 穴埋め旅ラスト3城目。京都府教育委員会のサイトによると1331年に後醍醐天皇が2度目の倒幕計画がばれて御所からこの笠置山に移り、倒幕の挙兵を起こします。元弘の変の始まりの地です。笠置山の寺院は奈良時代からあったのでここを城塞化したようです。幕府軍が攻めてきて全山焼亡し後醍醐天皇は捕縛されて隠岐の島に配流されます。戦国時代には山城守護の細川晴元の守護代木沢長政が当城に入城しています。
参拝料500円かかります。受付の右手に転載禁止だが撮影OKの収蔵館があり奈良時代の物もあり見応えあります。進行ルートに沿って散策します。巨石が多数あって、巨石に磨崖仏を彫った遺構があり楽しめます。山頂が後醍醐天皇の御在所跡だったようで、その下段にもみじ公園となっている宝蔵坊跡があります。僅かに石列が残ります。二の丸跡や貝吹き岩のある曲輪など多数曲輪が残っていますが国史跡なので柵を越えて散策するのはやめておきました。隠岐から脱出した後醍醐天皇が身を置いた鳥取県の船上山城もそうでしたが、鎌倉時代の城なので、あまり技巧的な遺構は見受けられなかった。散策は眺望も良く、私の好きな巨石も沢山あって楽しかった。
これにてこの旅終了。朝6時に出立して笠置寺を見終えたのが夕方4時、結局1日楽しみました。西へ東へ移動して176㎞無事走破。
<満足度>◆◆◇
<グルメ>道の駅みなみやましろ村を紹介したいところですが、道の駅って最近超混雑して駐車するのに大渋滞となるのでお勧めしません。私が城巡り始めた頃はよく立ち寄ったこの道の駅も空いていたのに・・・。南山城村はお茶の産地で美味しいです。「南山城村農林産物直売所」にも同じお茶が販売されているのでこちらが空いています。道の駅にも売っている産直の卵もあります。
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2026/10/03 10:55
11年振りの上田城-2/3石垣編 (2026/09/23 訪問)
上田城の石垣は二の丸東虎口、北虎口、本丸東虎口、西虎口、尼ヶ淵の崖補強石垣、本丸東虎口前の土橋両端面の虎口が中心で本丸の北上段境目に低い石垣で上段下段と分けている。
上田城は天正11年(1583年)真田昌幸に依って築城されるが土の城の様です、徳川氏の与力大名と組みされて居ましたが、徳川氏との攻防戦を2回行い徳川軍を退けています。
関ケ原後真田昌幸の長男信之は東軍に与し、戦功により上田城9万5千石を与えれれましたが、上田城は幕府に徹底的に破壊されて居り本丸二の丸は使用せず三の丸の水堀を巡らした方形御屋形屋敷で政務生活をこなし、元和8年(1622年)仙谷氏が入封し破壊されていた上田城は修復が始まり堀の掘り起こし、石垣造りが行われて、現在の石垣は仙谷秀久の息子忠政により行われた。
本丸東虎口門前の真田石成る鏡石は真田氏築城の時の鏡石なのか?時代の流れを読むと仙谷忠正修築時の鏡石の様に思えるが、上田城は真田推し、真田熱が多く鏡石も真田石と成ったのかも?
仙谷忠政が寛永5年(1626年)に死去すると修復普請は中断され5年間の普請で未完成の状態で終わった模様。
11年振りの上田城-/3/3土塁と堀編に続く。
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2026/10/03 10:44
2026/10/03 10:26
2026/10/03 10:18
2026/10/03 07:25
何度でも行きたくなります。 (2026/09/01 訪問)
飯島陣屋見学後、飯田線で岡谷まで戻りましたが上り電車は50分後。下りの時刻表を見ると20分後に長野行きがあったので急遽松本城へ行くことにしました。これができるのが18きっぷのありがたいところです。松本駅では名物アナウンスの「まつもと〜」が復活していました。
松本滞在時間1時間の予定でしたのでゆっくりできませんでしたが、復元に向けて整備中の南外堀・西外堀の様子や、毎年秋に行われる塗り替えに入った天守を見ることができ、これからも続く松本城の歴史の1ページに触れられたことがうれしかったです。
天守見学の待ち時間は驚きの0分でした。行列必至だと思っていたので予定しておらず、見学時間50分も難しかったので今回は見送りました。
それなのに……最近ハマっているエキタグの「鉄道とバスで巡る信州周遊エキタグスタンプラリー」の松本エリアをしっかりとクリアして帰途につきました。(博物館のジオラマも見に行ったのですがお休みでした。)
とことん松本城(←パクリ)は以前3回にわけて行っているので、これからも今回のようにふらりと出かけられたら幸せだなぁと思いますが、ふらりと出かけても、いつ行っても、ちらりと見るだけでも圧倒される国宝天守、やっぱりすごすぎです🏯
松本城前の海鼠壁のファミリーマートは以前お財布を忘れて行ったときに慌てて数千円おろした思い出のコンビニです(キャッシュカードは持っていた)。
“お財布忘れて城めぐり”は城びとあるある?なのかはわかりませんが、todo94 さんの“スマホだけで大阪観光”に触発されて、先月大阪に行ったときに密かにチャレンジしてみたのですが、コインロッカーと自販機でゲームオーバーでした😑
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2026/10/02 22:05
香春岳城散策2/2(三ノ岳~二ノ岳&一ノ岳遠望~立入禁止地点) (2026/09/22 訪問)
たぶん井戸跡と思われる場所は,山頂部手前です。竪堀の場所は,二ノ岳に向かっていく途中に東側へ進入した先にあります。
ここは失敗したらとてもイタイお城。年齢的に最初で最後の可能性が高いと…。事前に零汰さんの投稿を確認しておいて正解でした。「二ノ岳へは立入禁止が解消されていない予感」によって,「二ノ岳&一ノ岳遠望は必須」。
結果,二ノ岳へは立入禁止が解消されていませんでした。予想していたので,ショックもなく,すぐに下山開始。まだ誰も投稿できていなかった竪堀も撮れたので満足です📸
さらに,採銅所駅から障子ヶ岳城攻城の計算も立ちました。再度,日田彦山線に乗れるということで,採銅所駅の時刻表をパシャリ。比較的本数あります。ついでに車両も。IC不可なのでご注意ください。
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2026/10/02 21:16
11年振りの上田城-1/3現存建物と復元建物編 (2026/09/23 訪問)
上田城登城は11年振り桜満開の時以来です(2015/04/09)。前日軽井沢黒柳徹子ミュージアムを家内の願いを叶えて、小諸城探訪し翌日早朝、シルバーウイークの混雑を見込んで上田城の尼ヶ淵駐車場が満車に成る前にと、9時前に着く様に宿泊の小諸城隣接ホテルを出発、尼ヶ淵駐車場は満車前でセーフ。
家内とも11年振りの上田城です。整備された尼ヶ淵駐車場から現存の本丸西櫓、払い下げて後元の場所に再移築された本丸南櫓が尼ヶ淵の断崖上に存在感を誇っています。崖の土塁、法面上に石垣もよく整備されて居ます。
本丸の東虎口門は平成6年に復元されて32年経ってしまいました。東虎口門と南櫓、北櫓を揃った構造は上田城のシンボルで良く写真で表示されています。虎口門を潜って本丸に入ると南櫓、北櫓、東虎口門を裏手から眺められます、公開されて入場できますが今回はパス。本丸内部の真田神社を参拝して本丸西虎口より西櫓を眺める。
朝早くても観光客は多く賑わっていました、真田神社への参拝、お土産購入が多いようです。
上田城の本丸には二階櫓が7ヶ所に在ったそうです。上田市は発掘調査と絵図、古写真の情報収集を10数年前から行っており江戸期の上田城を復元の可能性を狙っております、平成24年に整備計画構想を発表しHPにも公開されています。
出来ると良いですね!
11年振りの上田城-2/3石垣編に続く。
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2026/10/02 19:39
香春岳城散策1/2(JR採銅所駅~登城口~三ノ岳分岐点) (2026/09/22 訪問)
対馬博物館を鑑賞し,ジェットフォイル(ヴィーナス)で博多港へ。博多駅までは路線バス。そして,博多駅から小倉駅までJR区間快速で移動。晴れてはいましたが,台風の影響でかなり波が高かったです…。
翌日になり,日田彦山線で採銅所駅へ。最高の天気。ちょうどよく風も吹いてました。採銅所駅から南へ向かい,途中で右折して線路横断。長光集落を抜けて,アトはひたすら道沿いを進みます。途中,洞窟らしきモノを発見しましたが,今は使用されていないと思われる抜け道でした。車では通れませんが,徒歩では抜けれます。けっこう気になります。
登城口では,通りすがりの軽トラックの運転手が,私のことをジロジロ見ながら去って行きました。そんなに珍しいのかな…?
岩登りコース/ファミリーコース分岐点では,ちょっと迷いましたが,ファミリーコースをチョイス。
途中,朽ちた看板を見つけました。見えないところが気になってしかたありませんでした。
さらに進むと休憩ポイントがあり,田川市から来たというお姉さまに遭遇しました。この山に登る人たちは,みな常連ばかりだそうで,私のことが不思議に思えたそうです。たぶん,軽トラックの運転手も同じかも…。ここで,お姉さまと10分ほど会話が弾みました。
ここを過ぎてしばらくすると,トラロープ伝いで登る区間があります。そんなに長くは続きませんので,一歩一歩確実に。
三ノ岳分岐点は目の前にドーンと現れますので,まず見落としはないかと…。本線は右にカーブしております。
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2026/10/02 08:18
新宮城跡散策マップ(本丸~鐘ノ丸~松ノ丸) (2026/04/25 訪問)
(続き)
本丸は四隅に櫓(南西隅には三重天守も)を設け、櫓の間には多門櫓が設けられていました。まずは本丸北西辺から熊野川を望む定番ショットから。右手の出丸西面石垣に排水樋が見られます。出丸越しに熊野川を望むのも定番ですね。本丸石垣に目を転じると北西辺の多門跡の石垣にも排水樋が見られます。北東辺の多門石垣にも排水樋があるようですが確認できませんでした。南東部の搦手門は立入禁止ながら見事な石垣が遺っています。南東隅の櫓跡からは城下の向こうに熊野灘を見渡せました。先ほど腰曲輪から見上げた南東辺の屏風折れの多門沿いに進むと、丹鶴山の名の由来である丹鶴姫の石碑、與謝野寛(鉄幹)の歌碑があり、時季的に藤棚も見頃でした。天守台からは崩落跡に設けられた石段を下りて鐘ノ丸に向かいます。
本丸と鐘ノ丸の間の鐘ノ丸東門は仕切石垣の一部が遺っています。鐘ノ丸には南辺、南西隅、北西隅に櫓が配されていましたが、昭和の一時期に旅館が営業していた(ケーブルカーもその当時のもの)こともあり、現在は広場とベンチが見られるくらいです。鐘ノ丸北下段の松ノ丸との間には鐘ノ丸渡櫓門の枡形虎口があり、枡形正面には鏡石が設置されています。松ノ丸も旅館の一部だったようで現在は樹木が植えられているくらいですが、大手口にあたる松ノ丸西門には見事な石垣が遺っていました。大手道に向かうのは後にして、松ノ丸東門から水ノ手曲輪に下りていきます(続く)。
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2026/10/02 06:49
行ってないけど (2026/08/14 訪問)
皆さんと同様に対岸から望むのみです。
ポリシーには反するのですが立入禁止なのでやむを得ません🥲
鳥羽城の城山公園からモニュメント越に望んだ後、海岸の散策路へ。
遊覧船に乗れば近くを通るのでしょうが早朝で営業時間前。
「行った」ことにして一旦ホテルへ戻りました。
この日は伊勢神宮の内宮詣りへ、おはらい横丁でお昼に伊勢うどんを頂きました。
讃岐とは対極のフワフワ感。
好みは分かれると思いますが個人的にはうどんはコシがあるのがいいかな😁
【見どころ】
・城山公園からの遠景
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2026/10/01 20:06
夏場の運動不足解消を兼ねた登山のはずが・・・ (2026/10/01 訪問)
近くで手軽に行ける標高281mの岩屋城へ登りました。岩屋城へは大宰府天満宮から車でも行けますが、夏場の運動不足を解消するため、西鉄都府楼駅から大宰府政庁・大宰府市民の森・九州自然遊歩道を通り、汗をかきながら約1時間30分かけて登りました(写真①②③)。10月になったというのにこの日も気温は30度、朝晩は涼しくなりましたが昼はまだ暑いです。先週、辰兵衛さんが雨雲を連れて九州に上陸してくれたおかげで、やっと3日間くらいまとまった雨が降りましたが、まだまだ水不足解消には程遠いようで、市役所の節水するよう呼びかける車が駅前を巡回していました。逆に関東では30日以上も雨が続いているようで、印旛沼の映像をみると絶句してしまいます。被害に会われた方々には、お見舞い申し上げます。
高橋紹運の墓の下にある急斜面(写真④)を、竪堀に沿って登っていると・・・😱! またも霊を感じてしまいました。そう言えばこのあたりは、岩屋城の戦いの最大の激戦地だったようです。つまりこのあたりで、763名のほとんどが壮絶な討死をしたという事になります。そしてそれを見届けた高橋紹運は、現在は墓になっている二ノ丸の櫓があったこの場所(写真⑤)で、最後は自ら壮絶な最期(討死)を遂げたと伝わっています。
またひんやりとした風が吹き、強者どもの声が、聞こえて来たような気がしました。
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2026/10/01 16:48
浦上久松 (2026/10/01 訪問)
浦上久松の居城であるとされています。説明板に「 この城郭は、戦国時代に珍しい「平山城」で、残存状態の極めてよい城跡である。」とありました。確かに各曲輪などよく残っているように思いますが、時期的にまだまだ緑色の草木が遺構を覆っていました。やはり登城は冬がいいですね。また西本郭から大手守備郭を散策しているとズボンにひっつき虫が多く付いて戦意喪失し早々に撤退しました。
JR姫路駅よりバスに乗り西山下バス停下車。徒歩約5分で登城口に行くことができます。
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