笠岡城から徒歩15分ちょっとで、笠岡代官所跡(34.507669、133.507478)に着きました。
笠岡は、1600年(慶長5年)に徳川氏の直轄領となり、1619年(元和5年)に備後福山の水野氏の所領となりました。
1698年(元禄11年)には、再び幕府の直轄領となり、1700年(元禄13年)笠岡に初めて代官所が設けられ、以後幕末まで42代170年の代官支配が行われました。
これらの代官の中には、「いも代官」として有名な14代井戸平左衛門正明や、1798年(寛政10年)に郷校「敬業館」を創立した30代早川八郎左衛門正紀がいます。
代官所は明治まで続き廃藩置県の後は小田県庁となりました。
小田県庁は、1871年(明治4年)に廃藩置県の布告によって設置された深津県が、1872年(明治5年)には小田県と改称され、その県庁が笠岡に置かれました。
当時小田県(備中・備後のうち東部五郡)のほか岡山県(備前)、北条県(美作)の三県が置かれていましたが、うちでも小田県は約53万石の最も大きい県であったそうです。
1875年(明治8年)には、小田県は岡山県に合併されました。
笠岡代官所は笠岡小学校に築かれていました。現在、小田県庁時代に妹尾陣屋から移築された表門が現存しており、付近に石碑や説明板が設置されています。
攻城時間は5分くらいでした。
本日の宿泊先に行く為、笠岡駅から福山駅に戻り、コインロッカーより荷物を取り出して三原駅に向かいます。
まだ時間が早いので、三原駅で三原城を攻城することにしました。
+ 続きを読む









