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2026/09/11 12:36
足利氏館 (2026/09/07 訪問)
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2026/09/11 12:22
2026/09/11 08:04
行市山南砦(長浜市余呉町池原) (2026/03/28 訪問)
行市山南砦(城びと未登録)は、賤ケ岳の戦いにおいて柴田方が築いた陣城で、別所山砦と行市山砦を繋ぐ役割を果たしたと考えられますが詳細は不明です。
別所山砦から約25分で行市山南砦に到達。別所山砦まではいくつかの砦をめぐりながら徐々に登って行く感じでしたが、行市山へはひたすら登りです。かつて陣城間を結んでいた城道(かもしれない登山道)を進むと、城道は行市山南砦の手前で左右に分岐し、横堀状の城道に周囲を囲まれた曲輪が主郭です。主郭は斜面に階段状に設けられていて、城道を登ってきた敵兵を攻撃する造りでしょうか。分岐していた城道は主郭の西端で合流し、その先は喰い違い状の堀切で尾根筋を遮断しています。
行市山南砦を出て行市山砦へ城道をさらに登って行く途中、振り返ると賤ヶ岳の戦いの柴田方・羽柴方双方の砦群を一望に見渡す眺望が広がっていました。
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2026/09/11 07:22
いつでもウォーク:Pikmin Bloom Tour in 横須賀 当日の攻城② (2026/08/30 訪問)
>赤い城さん 正解のご教示、ありがとうございました。今後の城めぐりにまた楽しみが増えました。それでも鳥羽城は自力で見つけ出す自信はありません。
さて、8月30日の攻城に戻ります。河崎氏館からの転戦です。江ノ電・極楽寺駅から徒歩にてアプローチしました。神奈川県の管理となっていて立入禁止とのことです。極楽寺坂の切通しは通ってみました。鎌倉の切通しめぐりをしたのは、2005年12月のこと。21年ぶりの再訪となりました。このあとは、横須賀に向かい、今回の旅の目的であるいつでもウォーク:Pikmin Bloom Tour in 横須賀を楽しみました。記念艦三笠もチェックポイントになっていたので2010年以来、16年ぶりに再訪することができました。
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2026/09/11 05:12
2026/09/10 22:05
2026/09/10 21:52
山中で初迷子 (2026/09/05 訪問)
先日登城した有子山城と出石城に続き、此隅山城を登城。近くの出石神社に参拝してから行きました。
いずし古代学習館でパンフレットを頂き登山道へ。20分ほどで堀切など遺構が見えてきました。西の曲輪を見て主郭方面へ。なかなかの急斜面、苔むし具合も良きです。
主郭から下山の道を進んでしばらく、何やら登りと景色が違うことに「もしかして…」と思いつつそのまま進んでいました。が、全く案内標識が現れないので絶対ルートではないと確信し、来た道を引き返し尾根を目指しました。しばらくすると案内標識発見!山城歩きを始めて、初めて一人迷子になりました。これも誰もが通る道だと思い、今後の城歩きの糧とします。
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2026/09/10 08:11
別所山砦(長浜市余呉町池原) (2026/03/28 訪問)
別所山砦(城びと未登録)は、賤ケ岳の戦いにおいて柴田方の前田利家・利長父子が築いた陣城で、利家らが茂山砦に移ると代わって拝郷家嘉が守将となりました。
橡谷山砦から15分弱で林道からの登城口に到達。登城口までの道中には駐屯地っぽい平坦地や土塁や堀っぽい地形もありましたが、果たして…。登城口から約5分で北東尾根の斜面に設けられた曲輪群に至り、北東尾根の付け根には南辺に土塁が続いていました。北東尾根から谷をはさんだ北尾根にも小曲輪群が展開しています。別所山砦の主郭はほぼ方形で、周囲に土塁をめぐらせ、東辺と西辺には横堀も見られます。南東隅部は土塁と堀を屈曲させて横矢掛けになっていました。虎口は南側に開口し、虎口から西にのびる土塁は南西隅で櫓台になっています。主郭内には別所山砦跡の説明板が立てられていました。
柴田方の封じ込めを基本戦略とする羽柴方に対して、柴田方は羽柴方の防衛ラインの突破が命題であり、そのため柴田方の陣城の防御施設は簡素だとされますが、さすがは能登一国の領主の陣城ともなるとしっかりした造りですね。別所山砦は羽柴方の天神山砦を眼下に見下ろし、玄番尾城から行市山砦を経て前線の砦群を結ぶ重要な位置にあるだけに、現地に立ってみて改めて利家の撤退が柴田方に与えた影響の大きさを実感させられました。
さて、いよいよ別所山砦の北西にそびえる行市山を目指すとしましょう。
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2026/09/10 07:10
赤い城さんのクイズの答え (2024/09/21 訪問)
赤い城さん、こんなに石樋、排水口の写真を撮りためていたとは恐れ入ります。瞬殺できたのは最初の高知城のみです。三枚目の松阪城も多分大丈夫かと。あとはもう、何が何だかわかりません。今年見てきた大阪城にも沢山排水口はありましたが、今回出題された写真の中にはなさそうですしね。六枚目なんか見ていれば記憶に残ると思いますので、きっとまだ目にしたことがないのだと思います。
あまり回答を引き延ばしても申し訳ありませんので、玉砕覚悟で答えさせていただきます。100名城の中から選んでみました。
①高知城
②丸亀城
③松阪城
④高取城
⑤岡山城
⑥和歌山城
⑦二条城
⑧名古屋城
⑨広島城
⑩首里城
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2026/09/09 23:33
大口町の小口城 (2026/11/24 訪問)
大口(おおぐち)町にある小口(おぐち)城とは洒落が効いている。沢山ある織田家のうち後に岩倉織田家と呼ばれる伊勢守系の織田広近によって築かれたという。不自然に一段高い主郭からは井戸跡や須恵器等も検出されたのだとか。
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2026/09/09 19:49
25【秀吉の九州平定をたどる⑥】島津歳久(豊臣秀吉暗殺未遂事件) (2026/07/16 訪問)
虎居城は薩摩郡さつま町にある、島津四兄弟の三男「島津歳久」の居城で、別名(宮之城)とも呼ばれています。
出水(いずみ)駅前から鹿児島空港行の南国交通バスに乗り40分、「宮之城駅(鉄道記念館前)」で下車しました(写真⑨)。ここには昭和60年まで国鉄宮之城駅があったそうでうす。そこから川内川(せんだいかわ)の川沿いを30分程歩いた、虎居城を眺める場所にある「宮之城歴史資料センター」に立ち寄りました(写真①②③)。ここでは、虎居城の模型や宮之城島津家の歴史などが、詳しく解説されています(写真④⑧)。また井伊直政が島津義久に宛てた、「早く上洛し家康殿に謁見するように」と催促した手紙など、貴重な資料も保存されており見る事ができました。
虎居城は蛇行する川内川が三方を囲んで、まるで島のようになっています(写真⑤)。この城はいったいどこから攻めたらいいのだろう🤔? 落とすのは相当難しいと感じました。歴史資料センターからさらに10分程歩いた「のびのび公園」からは全体が一望でき、新たに赤い橋が架かっていたので、渡れるかと思いましたが、まだ工事中で渡れないようです(令和9年3月頃から渡れるようになるそうです)。宮之城中学校側からも渡れないので、虎居城へは結局今は入る事はできません。よって川の対岸の公園から眺める事しかできず、橋が開通したら再度リベンジに来ようと思いました(写真⑥⑦)。
薩摩は島津四兄弟(義久・義弘・歳久・家久)が固い絆で守っていました。しかし、九州の東から南下する豊臣秀長を、義久・義弘・家久の三人で、根白坂で迎え撃つも大敗してしまいます。この時、歳久は病のため根白坂には行けず、代わりに九州の西から南下する豊臣秀吉を、自分の居城である虎居城で迎え撃つ準備をしていました。しかしここで、根白坂で兄弟たちが大敗したとの報が届きます。
敗戦から20日後、川内の泰平寺に滞在していた秀吉に、義久は剃髪して訪れ、降伏を申し入れました(写真⑩)。佐土原城に籠るも藤堂高虎に囲まれていた家久も降伏し、これに続きます。飯野城に籠った義弘は徹底抗戦を唱えますが、義久に説得されその3日後に降伏します。最後に残ったのが歳久です。養嗣子の忠隣を根白坂で失ったせいもあり、秀吉を恨む歳久は、絶対に降伏するつもりはありません。
ならば秀吉は川内から大坂へ戻る途中に虎居城に立ち寄り、自らの大軍を見せつけ降伏の機会を与えようとします。しかし歳久は降伏どころか、乗っていた秀吉の籠めがけて何と矢を射かけ、暗殺しようとしました。矢はすべて籠に当たったようですが、秀吉は事前に察知し籠を乗り換えていたため無事で、暗殺は失敗に終わったようです。それでも秀吉は歳久を許し大坂へ戻りました。
しかし5年後の1592年、島津歳久の家臣「梅北国兼」が、肥後加藤領の佐敷城にて、朝鮮(文禄の役)へ出兵しようとしていた島津義弘の船団を襲って出兵を妨害するという事件が発生し、島津軍は朝鮮に遅参するという大失態を演じてしまいます。これに秀吉は大激怒! 裏で糸を引くのは歳久と決めつけ、当主義久に弟の歳久を討つよう命じます。実は国兼の背後には別の黒幕(伊集院忠棟)がいたようですが、歳久は弁明せず、兄義久の家臣に素直に討たれ亡くなりました。
歳久は自分のせいで島津家が危ない事を察知していたのですね。泣く泣く弟を殺した義久の気持ちは、いかばかりだったのでしょうか?
さらにその8年後の1600年、関ケ原の戦いで家康の首を狙うも失敗し、命からがら薩摩へ戻ってきた弟の義弘を、義久は命をかけて家康から守ろうとします。これは同じく弟だった歳久を秀吉から守れなかった兄としてのくやしさが、そうさせたのではないでしょうか?
話がまた兄弟話に脱線して長くなってしまい、申し訳ありませんでした。次からは、豊臣秀長が九州平定を終えてから亡くなるまでの、(最後の3年間)をたどって行こうと思います。次は大坂城に続きます。
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2026/09/09 12:44
雁金をどり
> 名城マイスター8級さん
上田城の投稿10枚目の写真、中段右側の御城印の登城記念の文字の下の図柄は「結び雁金紋」で、戦時の「六文銭紋」に対して平時(日用調度品など)に用いられた真田家の家紋のひとつです。祝い事などでは「州浜紋」も用いられていたようです。
ところで、大河ドラマ「真田丸」では、お梅との祝言や九度山脱出の際にこの結び雁金紋にちなんだ「雁金をどり」が印象的に用いられていますが、この雁金をどり、地元に古くから伝わる踊りかと思いきや真田丸オリジナルのものだそうで、劇中で披露されたのは1番のみですが、州浜紋にちなんだ2番、六文銭紋にちなんだ3番の歌詞まであるんだとか。真田丸、芸が細かいなぁ。
> todo94さん
和歌山県(特に南部)は「行く!」と覚悟を決めないと行きづらいところですからね(笑) その上、行きたい! と思える名の通った城も数えるほどしかありませんが、城びと登録の山城なら手取城とか安宅八幡山城とかが見応えあったなぁ…と思ったら、どちらもとうに登城済みでしたね。さすがです。
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2026/09/09 11:16
2026/09/09 11:14
2026/09/09 11:12
2026/09/09 11:09
2026/09/09 08:10
橡谷山砦(長浜市余呉町池原・小谷) (2026/03/28 訪問)
橡谷山砦(とちたにやまとりで・城びと未登録)は、賤ケ岳の戦いにおいて柴田方の金森長近が築いた陣城ですが、長近は前田利家らとともに羽柴方と戦うことなく戦線離脱しています。
中谷山砦から10分弱で橡谷山砦に到達。橡谷山砦は大きく分けて北の曲輪と南の曲輪からなり、北の曲輪の東側には駐屯地と思しきほぼ自然地形の曲輪群が尾根沿いに続いています。東尾根の曲輪群を抜けて東側の虎口から北の曲輪へ。北の曲輪は西辺、北辺、東辺を土塁がめぐり、東と北に虎口が設けられています。曲輪内には「中之谷山 原彦次郎長頼砦」の標柱が立てられていて、この地が中之谷山砦、林谷山砦への分岐の地が橡谷山砦(金森長近砦)とする説に基づくもののようです。北側の虎口から出て北に回り込むと北の曲輪北辺の土塁の向こうには自然地形の尾根が続いていました。北の曲輪南西辺の堀切を越えて南の曲輪へ。途中、ほぼ自然地形の平坦地が続いていますが、このあたりも駐屯地だったのでしょうか。南の曲輪は北東辺と南西辺に土塁、北西辺に横堀をめぐらせていますが、北の曲輪よりも藪化していて遺構が確認しづらい状態でした。
この地が橡谷山砦だったのか中之谷山砦だったのかはわかりませんが、南東は中谷山砦、北東は柏谷山砦から大谷山砦、南西は別所山砦に通じる柴田方の陣城群の要となる位置であり、多くの兵を収容できる広さがあることから、原長頼(大野郡の3分の1)よりも石高(=動員力)がある金森長近(同3分の2)の陣と考えるのが妥当なのかな、とも。
橡谷山砦に続いては、同じく戦線離脱組の前田利家の陣城・別所山砦に向かいます。
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2026/09/09 07:50
2026/09/09 07:18
シルクフェア (2026/04/29 訪問)
>イオさん ご祝辞ありがとうございます。イオさんはたしか和歌山県の方ですよね。現時点で私の攻城数が最も少ない県が和歌山県なのです。山城シーズンに突入したら年内に和歌山に足を伸ばしたいと思っております。よろしくお願いいたします。
>にのまるさん 岡谷にいらしてたのですね。林家住宅と蚕糸博物館を結ぶ途中に拙宅がありますので、うちの前をにのまるさんが歩かれたかと思うと感慨深いものがあります。毎年、4月29日にシルクフェアが開かれていて今年は30回の節目を迎えていました。林家住宅、蚕糸博物館が無料のほか、通常非公開のスポットもめぐるスタンプラリーが開催されます。スタンプラリーのためのバスも運行されますので機会がありましたらまた、お越しください。投稿写真は今年のシルクフェアの際に撮影したものです。(花岡城は全く関係ないので恐縮の限りです。)
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2026/09/08 21:08
岡谷駅から一日散歩 (2026/09/04 訪問)
todo94さん、早速のお返事ありがとうございます。
花岡城、もちろん正解です(*´꒳`*)
先日久しぶりに行ってきました。
最近飯田線にハマっていて、その日は下伊那郡の大島城を予定していたのですが、雨予報のためお城抜きで岡谷の蚕糸博物館、美術考古館、旧林家住宅に行くことにしました。
最初に蚕糸博物館へ。富岡製糸場のような規模ではありませんが展示品も多く、シルク産業の歴史や工女さんたちの日常を知ることができました。実際の作業風景を見学させていただいたり、桑の葉をハムハムする蚕ちゃんたちのかわいい姿に釘付けになったり。気づけば2時間近く滞在していました。
見学を終えて外に出てみると、あれ?晴れてる☀️
それならばと、歩いて花岡城へ向かいました。帯曲輪、主郭、土塁、三角点をチェックします。天竜川に諏訪湖。少し登っただけで視界がひらけ、眺めも抜群。もしかしたら高島城が見えるかも?と思ったのですが無理でした。帯曲輪で見かけたのが岡谷市鳥瞰図。昭和初期の製糸工場が並んだ姿を現在の様子と見比べられるという絵図でした。
下山後、市立美術考古館へ。企画展「四大城址ー戦乱の信濃を望むー」開催中ということで行ってみたのですが、手作りの模型や謎解きパンフレットなどもある楽しい展示でした。武田信玄狼煙リレーに合わせた企画だったかも。向山伊保江七宝展も、常設の縄文土器展示もとてもよかったです。
最後に重文の旧林家住宅へ。こちらの受付で初めて2館・3館・5館共通入館券があることを教えてもらい、最初にここに来ていればー(>_<)と思ったりもしましたが、気儘な旅をしていればこんなこともあります。
そして、この住宅が本当に素晴らしかったです。古民家めぐりも長年の趣味なのですが、ここまで丁寧に一対一で解説していただたことはあまりなく、建物の普請や家具、仏壇、調度品のすばらしさもさることながら、解説員の方のお人柄がとても温かく、岡谷散歩の締めくくりにとてもいい時間が過ごせました。
ということで、赤い城さんにおめでとうクイズ、バトンタッチします!
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