戸塚高校の下に森家の屋敷がありました。
この戸塚高校の敷地は戸塚高校移転の際に譲ったものです。
東寺の新聞記事や、あづまかがみにも森家のことは記録があります。
明治のころの宮内庁の人物資料にも記載があります
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2026/07/18 15:20
畠山重保館はここではありません。
戸塚高校の下に森家の屋敷がありました。
この戸塚高校の敷地は戸塚高校移転の際に譲ったものです。
東寺の新聞記事や、あづまかがみにも森家のことは記録があります。
明治のころの宮内庁の人物資料にも記載があります
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2026/07/18 11:27
13番目の現存天守!? (2026/07/10 訪問)
日本で唯一の円郭式城郭である田中城。
かつては本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸が円形に広がり、4重の同心円状の水堀が巡らされていた。
現在も所々に堀や土塁、曲輪が残っており、道もかつての縄張りの形状を引き継ぎ同心円状に残っている。
下屋敷には、かつて本丸にあった二重櫓が残っており、大きさ自体は小さいものの立ち位置的には13番目の現存天守と言ってもいいかもしれない(言い過ぎかな?)。
また、ちょっと離れた位置にある旭傳院には、小振りながら田中城から移築された不浄門が残っている。
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2026/07/18 07:03
松前藩すごい。 (2026/06/24 訪問)
新函館北斗駅で富川会館行きのバス乗り場を探していると「戸切地陣屋型花壇」の文字が目に飛び込んできました。あたりを探してみると先の尖った星型の花壇が!すでに3日もこの近くに滞在しているのに全く気づかなかったです。さすが日本で最初の西洋式星形城郭💫このあとの現地訪問への期待も高まります。
時間通りに来てくれたバスで「清川陣屋」下車。“桜が有名”と聞いていましたが、バス停からの上り坂が桜のトンネルになるようです。10分くらいで見晴らしのいい場所につきました。ここも桜の園のようで、すでに時季は過ぎていましたが、たくさんの桜の木がありました。
陣屋跡へはこのまままっすぐ行けますが、東側に外周を歩けそうな道があったのでまずは外から見てみることにしました。草刈りなどの整備をしてくださっているおかげだと思いますが、遠目でも稜堡のラインがわかり、また、同時に閉塞感も強く感じました。この直前に函館四稜郭に行ったので、規模の違いをリアルに感じられたのはいい体験でした。
火薬庫が搦手の外のさらに奥にあるのに気づいたのが遅かったので、結局外周→搦手→大手→搦手→火薬庫→搦手→大手と行ったり来たりしましたが、その分たくさん見られたのでOK🙆♀️です。
再建された表門・裏門のほか、郭内にはたくさんの建物が平面復元され、それぞれに説明板もありました。当時は17棟の建物があり120人が守備していたそうです。
乗っ取られるくらいならと、最後は自らの手で焼き払ったそうですが、復活を遂げた!と言ってもいいくらいのすばらしい遺構を見ることができました。
⭐︎あまり参考にはならないと思いますが、バス便、ホントに少ないです。
【行き】
新函館北斗14:06→清川陣屋14:25
【帰り】
清川陣屋16:05→新函館北斗16:24
平日なので↑で行けましたが、休日(学校の長期休み期間も)だと各1日1本で上記のバスはありません。いさりび鉄道の清川口にもバスで行けますが、これはこれで列車との接続が厳しいです。
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2026/07/18 05:33
(中国地方と兵庫県)遠征23日目:野田山城 (2026/06/02 訪問)
天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
枝の城/館城から車で5分弱で、別所集会所(34.784586、132.439917)に着きました。
詳細は不明ですが、城主は板垣内蔵之助とも伝えられるが詳らかではありません。
集会所前南側の小道を進むと登山口方面です。説明板の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
歩行歩数=4903歩、歩行距離=3.4Kmです。本日は台風の影響で山城の登城はせず、登城口止まりでしたので、ほとんど歩いていません。
本日の宿泊先に車で向かいました。
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2026/07/18 05:30
(中国地方と兵庫県)遠征23日目:枝の城/館城 (2026/06/02 訪問)
天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
駿河丸城から車で5分くらいで、県道5号線案内標識(付近34.776688、132.452032)に着き路駐しました。
詳細は不明のようですが、戦国時代に吉川氏の家臣森脇弥三春近によって築かれたようです。
1562年(永禄5年)石見国乙明城主の福屋氏の軍勢が吉川領に攻め込んできたとき、森脇春近がこの枝の城から出撃して大塚で戦ったそうです。
県道5号線沿いに案内標識が出ています。案内標識の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=野田山城に向かいました。
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2026/07/18 05:27
(中国地方と兵庫県)遠征23日目:駿河丸城 (2026/06/02 訪問)
天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
小倉山城から車で10分くらいで、駿河丸城跡入口標識付近(34.776029、132.460099)に着き、標識に従い車を進め、入口付近に車1台分のスペースに駐車しました。
1313年(正和2年)吉川経高によって築かれたと云われています。
吉川氏は駿河国入江荘吉川邑発祥で、1313年(正和2年)吉川経高が安芸国大朝荘に移り住んだことから安芸吉川氏が始まるようです。
このとき経高は80歳であったといい、1319年(文保3年・元応元年)に86歳で没しています。
安芸へ下向した吉川氏が最初に居城としたのがこの駿河丸城とされ、以後4代経見の頃に小倉山城に本城を移すまでの約70年間、吉川氏の本拠となった城だったそうです。
説明板と登城口の写真を撮って撤退しました。
本丸まで170mなら雨の中、登城してもよかったかもです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=枝の城/館城に向かいました。
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2026/07/18 05:24
(中国地方と兵庫県)遠征23日目:小倉山城 (2026/06/02 訪問)
天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
日野山城から車で10分弱で、北側駐車場(34.772470、132.496528)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、南北朝時代末期に吉川経見によって築かれたと云われています。
吉川元春が1550年(天文19年)に日野山城を築き、居城を移すまでの代々、「鬼吉川」と呼ばれた安芸吉川氏の居城として使われていました。
毛利元就夫人の妙玖(吉川国経の娘)もここで生まれました。
駐車場に説明板と城址碑有ります。
説明板、城址碑と登城口の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=駿河丸城に向かいました。
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2026/07/18 05:19
(中国地方と兵庫県)遠征23日目:日野山城 (2026/06/02 訪問)
天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
松本屋敷から車で15分弱で、国道261号線の火の山城入口標識付近(34.738063、132.501436)に路駐しました。
築城年代は定かではないようですが、吉川氏によって築かれました。
1545年(天文14年)頃、吉川興経が新庄の小倉山から本拠を移した城で、1591年(天正19年)豊臣秀吉の命により吉川広家が出雲富田城に移るまでの吉川氏の本拠城でした。
毛利元就の次男である元春が吉川家を相続し、1550年(天文19年)に日山に入城、1567年(永禄10年)頃大改修されたようです。
元春とその長男元長の死後、家督を継いだ三男広家によって1588年(天正16年)頃、再度改修されたようです。
改修は1591年(天正19年)広家が出雲国富田城に居城を移すまで続けられていたそうです。
説明板と入口の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=小倉山城に向かいました。
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2026/07/18 05:16
(中国地方と兵庫県)遠征23日目:松本屋敷 (2026/06/02 訪問)
天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
吉川元春館から車で5分くらいで、石垣前(34.718795、132.46341)に着き路駐しました。
詳細は不明ですが、1580年(天正8年)頃、吉川元春の妻(新庄局)が日山城から吉川元春館に移るまで住んでいた所と云われています。
松本屋敷は吉川元春館の北西に築かれていて、石垣が残っています。
石垣と説明板の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=日野山城に向かいました。
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2026/07/17 19:35
家康お膝元の城 (2026/07/10 訪問)
駿府城に十数年振りに訪問!
レンタサイクルで外堀と中堀をぐるっと回ってじっくり攻城できた。
さすがに家康が住んでいた城だけあって、巨石が整然と積まれた石垣や大きな堀跡などかつての威光が感じられる。
復元された2つの櫓や東御門もけっこう大きくて迫力がある!夜のライトアップも見事!
お天気の中、城内のおでんやで食べた静岡おでんとビールはサイコー!!
天主台の見学ゾーンは期間が過ぎており、残念ながら入ることはできず。どんどん整備が進んでいるようなので、環境が整ったらまた来たい!
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2026/07/17 18:55
2026/07/17 18:12
千葉県の先っちょの城 (2026/07/08 訪問)
千葉県の北西、利根川と江戸川の境目にある関宿城。
模擬天守だけど、江戸城の富士見櫓に似ていたとの伝承から、富士見櫓に模して造られている。
周りは高い建物もなく平地にあるので、離れた場所からも見える。かつて城下町があった場所には曲輪跡や堀跡、鍵の手十字路など遺構も残っている。
関宿城から南に下った實相寺には、かつて本丸にあった御殿が客殿として現存しており(千葉県内では唯一現存する本丸の建物とのこと)、さらに南には廃城時に民間に払い下げられた埋門が現存していて、けっこう見どころが多くて楽しめた!
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2026/07/17 09:28
京都:阿弥陀寺(信長の首はどこへ消えた?) (2023/12/12 訪問)
イオさんに刺激され、私も少し気になっていた本能寺の話題をさせていただきます(すいません)。確かに織田信澄の黒幕説は、誰もが予想していなかった展開でしたね。NHKにあっぱれです!😊
ところで、本能寺の変で信長の首は見つかりませんでした。ならば信長の首はいったいどこへ消えたのか? もし見つかっていれば、光秀の方が天下を取れていたかも? とネバたらを考える明智ファンは多いのではないかと思います。でも明智軍1万5千の軍勢がぐるりと取り囲んでいたので、信長が本能寺から生きて逃げ出せたとはとても思えません。血眼になって探したにもかかわらず、なぜ遺体は見つからなかったとされているのでしょうか? どうやら調べてみたところ、二つの説があるようです。
【説1】清玉上人説
【説2】日海上人説
【説1】に関してはさらに最近、「明智光秀は実は本能寺にはいなかった」という新たな追加説が浮上し、光秀は6km南の鳥羽で信長が逃げて来るのを待ち構えていた、斎藤利光は2km北の二条御所にて信忠を囲んでいた、よってドラマなどとは異なり、「本能寺を攻めたのは実は明智秀満の軍勢のみだった」とも言われているようです。その時、秀満の家臣が信長の家臣たちが遺体を荼毘に付すところを発見するも、終わるまで見逃してくれと頼まれたため、家臣は秀満に報告します。しかし秀満は見逃す事とし、なぜか光秀には報告しなかったようです。その時駆け付けた織田家ゆかりの清玉上人が、成仏させるのは僧の役目と、その遺骨を引き取り阿弥陀寺に運んだとされています。清玉上人はその後、信忠や家臣らの遺骨も引き取り、墓を建てたようです。しかしそれを後に知った秀吉は、百箇日法要を阿弥陀寺で行いたいと清玉上人に申し出ますが、清玉上人が断ったため、自ら大徳寺で盛大に行い、後継者は自分である事をアピールしたようです。
三年前ですが、私はその京都の阿弥陀寺を訪れました(写真①)。確かに信長と信忠の墓があり(写真④)、森蘭丸ら家臣たちの墓もありました(写真⑤)。これを見ると何やら信憑性がありそうですが、でも本当に信長の遺体を、蟻の這い出る隙間もない程の軍勢に取り囲まれている中、怪しまれずに荼毘に付し、熱く焦げた遺骨をこっそりと運ぶ事などできたのでしょうか? 機会があればもう一つの【説2】も、いつか追ってみたいです。
本能寺の変には、現代人には分からない謎が、本当に多いですよね!🤔
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2026/07/17 07:12
和泉の攻城⑤ 城カードは入手したもののスタンプは捺せず (2026/07/11 訪問)
要家住宅(畠中城)からの転戦です。貝塚駅から南海に乗り、次の蛸薬師駅で下車して徒歩でアプローチしました。城カードの入手が最大の目的でしたが、続100名城のスタンプ帳を忘れてしまうという大失態を演じてしまいました。なので今回は天守には入らず、二の丸にて城カードを購入するにとどめました。近隣にはまだまだ未攻略の城が残っているので、来年あたり、また、狙ってみたいと思います。岸和田城から南海岸和田駅まで歩いただけでかなり疲れてしまったので、駅前で握り寿司の昼食をとりました。冷たい麦茶で生き返りました。
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2026/07/17 04:46
(中国地方と兵庫県)遠征23日目:吉川元春館 (2026/06/02 訪問)
天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
与谷城から車で10分くらいで、吉川元春館駐車場(34.717378、132.466570)に着きました。
1583年(天正11年)吉川元春によって築かれました。
1582年(天正10年)嫡男元長に家督を譲った元春が隠居所として築いたのが吉川元春館です。
1586年(天正14年)吉川元春は元長とともに秀吉による九州征伐に従軍していましたが、豊前国小倉城で没し、元長も翌1587年(天正15年)に日向国都於郡で没しました。
家督は三男広家が継ぎ、吉川元春館はこの広家の時代に完成しました。元長死後は三男広家夫婦の居所として機能したそうです。
1591年(天正19年)吉川広家は出雲国富田城へ転封となり、1600年(慶長5年)関ヶ原合戦で敗れた後は周防国岩国へと移り、安芸国から去っていきました。
城館正面にある立石の間に石を横積みにする独特の石垣が素晴らしく、発掘調査結果から台所と付属屋が復元され、庭園もあります。
ガイダンス施設で展示物とビデオを見ました。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=松本屋敷に向かいました。
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2026/07/17 04:39
(中国地方と兵庫県)遠征23日目:与谷城 (2026/06/02 訪問)
天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
寺原城から車で2~3分くらいで、説明板前/赤い橋(34.686189、132.4923592)に着きました。
築城年代は定かではないようです。
南北朝の争乱に当って毛利貞親・親衡父子は、南朝方について忠勤を尽しました。ことに親衡は足利直冬や征西将軍懐良親王と気派を通じ、吉田庄を中心に気勢をあげました。
与谷城は親衡が1350年(観応元年)と1367年(正平22年)に拠った城で、最後に吉川実経に攻略されています。
国道261号から寺原集落に入り寺原川沿いの道を走ると、寺原川に架かる赤い余谷橋があり、そこに説明板があります。
説明板と赤い橋の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=吉川元春館に向かいました。
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2026/07/17 04:37
(中国地方と兵庫県町)遠征23日目:寺原城 (2026/06/02 訪問)
天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
今田氏館から車で10分くらいで、西光寺門前空スペース(34.686512、132.500932)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、南北朝時代と云われています。
南北朝の争乱に当って毛利貞親・親衡父子は、南朝方について忠勤を尽しました。ことに親衡は足利直冬や征西将軍懐良親王と気派を通じ、吉田庄を中心に気勢をあげました。
1350年(正平5年・観応元年)城主寺原時親は猿喰城の山形為継・壬生道忠とともに寺原城に籠ったが吉川実経・武田氏信らの攻撃により落城降伏しました。
1542年(天文11年)の大内氏・毛利氏による尼子攻めの後、寺原城・余谷城を吉川氏に与えています。
西光寺の北西背後の山の頂部が城址のようです。時西光寺と北西背後の山の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=与谷城に向かいました。
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2026/07/17 04:33
(中国地方と兵庫県)遠征23日目:今田氏館 (2026/06/02 訪問)
天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
今田城から徒歩2~3分で、説明板/標柱前(34.666334、132.503552)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、室町・戦国時代(15~16世紀)に今田氏が拠った北広島町今田の谷の最奥部に位置する城館遺構のようです。
説明板と石碑の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=寺原城に向かいました。
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2026/07/17 04:30
(中国地方と兵庫県)遠征23日目:今田城 (2026/06/02 訪問)
天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
猿喰城から車で10分弱で、こぶしの名水駐車場(34.667514、132.503095)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、今田氏によって築かれました。今田氏は山県氏の一族で壬生城主壬生氏、有田城有田氏と同族のようです。
永享年間(1429年〜1441年)に山県満政が今田を領して今田氏を称したことに始まるとされます。
今田氏は安芸国守護武田氏に属していたが、永正年間(1504年~1521年)に武田元繁が大内義興から離反して没落すると、山県領域は吉川領となり、今田氏もまた吉川氏に従いました。
その後、今田氏は吉川一族の経高が家督を継承して吉川氏一族となります。1575年(天正3年)には備中楪城の在番を命じられています。
現在は今田氏城館跡として登山道が整備されています。
今田城への道標が出ており、今田城こぶしの名水も有名です。
今田城こぶしの名水:井戸が掘られてまだ10年余のようですが、まろやかで口当たりのよい水でした。
説明板と登城口付近の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=今田氏館に徒歩で向かいました。
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2026/07/17 04:26
(中国地方と兵庫県)遠征23日目:猿喰城 (2026/06/02 訪問)
天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
桂城から車で30分くらいで、猿喰林道入口(34.651270、132.507679)に着きました。
南北朝の争乱に当って毛利貞親・親衡父子は、南朝方について忠勤を尽しました。ことに親衡は足利直冬や征西将軍懐良親王と気派を通じ、吉田庄を中心に気勢をあげました。
猿喰城は、1350年(観応元年)毛利親衡に呼応した山県為継、壬生道忠が拠った所で、安芸国守護武田氏信によって攻略されました。
登城口付近の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=今田城に向かいました。
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