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イオ

連戦連敗にリベンジ

あ さん、赤松城へのルートの詳細なご案内ありがとうございます。無念の連戦連敗から2年あまり、ようやくリベンジの気力が湧いてきて、ちょうど今週末に苗代川池ルートで再挑戦する予定でした。おかげさまで安心して(けれど油断せずに)登城できそうです。

それと、田尻城に続いて平須賀城に行かれたようですが、問題なく登城できましたでしょうか? 2年前は現地で案内されている登城道は激ヤブ状態で断念せざるを得なかったので、今回も難しいようなら別のルート(直登も辞さず)を探すしかないかな、とも思っているんですが…。

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todo94

宮崎県の攻城③ (2026/03/07 訪問)

穂北城からの転戦です。この城も城址公園として整備されています。城址公園への入り口の表示が見当たりませんでしたが、急傾斜地の標柱の建っている細い道を進んでいくとトイレを備えた駐車場にたどり着くことができました。グーグルマップにも表示されている道です。城址碑のような入り口表示の左手を下っていってはいけません。右手の道を登っていくときれいに整備された主郭に達します。そこまでに見ることができるシラスの切り立った堀切はいかにも南九州の城といった味わいがありました。堀切、空堀の中には倒竹があったりしますが、私が最も好きな宮崎県の城・都於郡城とはまた違った野趣に富んだ魅力を感じることのできた城でした。

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トク

【大友宗麟】(3)神宮寺浦(宗麟が築いた南蛮貿易の拠点) (2026/01/18 訪問)

大友宗麟、浜脇館からの続き(3)です。

当主の座に据えられた義鎮(宗麟)は、自分にはそんなつもりはなかったにもかかわらず、自分のために父・継母・弟が殺され、それが一生心の傷となって残ります。それから戸次鑑連(後の立花道雪)や臼杵鑑速を中心とした大友軍は、数々の戦に勝ち続けますが、その度に多くの人々が犠牲になる姿を見た義鎮は、その後の戦は重臣に任せて、本当は戦を好まず、最前線に立つ事はありませんでした。

二階崩れの変の翌1551年、義鎮は「フランシスコ・ザビエル」と出会い、大友館に招き入れます。そして心の救いを求めて、何とキリスト教に没頭していったのです。それからイエズス会に豊後でのキリスト教の布教を許可します。

しかしここで義鎮は、布教の条件としてイエズス会に南蛮との貿易の仲介を求めます。最初はそのおかげで貿易による富を得て、鉄砲に必要な鉛や硝石が手に入り、大友家はますます戦に勝ち続けて領土を拡大し、九州六か国(豊後・豊前・筑前・筑後・肥前・肥後)を制し、九州最大の大大名になって行きました。ポルトガルの地図にも、豊後(BVNGO)と日本の中でもまるで独立国ように扱われ、義鎮の事を英知に満ちた国王だとザビエルは称賛し国へ報告していたようです。

大分市の北側の海岸に、神宮寺浦という場所があります(現:大分市春日浦)。義鎮はここに大きな港を作り、ポルトガル船や東南アジアの船が多数ここに寄港できるようにして、貿易を盛んにしたと伝えられています。神宮寺浦公園には宗麟の銅像と石碑が建てられていました。また近くには、航海の安全を祈ったとされる春日神社もありました。そして現在その貿易港があった海岸は、何とフェリー乗り場になっていました(神戸六甲アイランド行「さんふらわあ」乗り場、毎日就航)。

義鎮が当主となってから、連戦連勝で勝ち進んだ大友軍でしたが、1561年の毛利と対峙した「門司城の戦い」で大友軍は初めて敗戦を経験します。戦に勝っている間は不協和音も小さいのですが、これがきっかけで、負けたのは義鎮がキリスト教に没頭するせいと、神社の神主の家柄である奈多夫人(正妻)とは不仲になり、仏教に帰依する家臣たちからキリスト教への不満が爆発し、それで謀反や裏切りが家中で起こるまでに発展してしまい、大友家はピンチを迎えます。そこから義鎮はどうやって大友家を立て直し、家中をまとめていったのでしょうか?

次は、その不協和音の原因となった門司城(門司城の戦い)に続きます。
 

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カズサン

【筑前 犬鳴別館】福岡県若宮市 福岡藩幕末最後の城館 西虎口搦手裏門周辺 (2025/10/26 訪問)

 昨年11月26日に初投稿しました「筑前 犬鳴別館」未投稿写真が多く残って居ましたので初回投稿写真に重ならない様に写真選択して投稿させて頂きます。(城びと登録されていない城館です)

 住所:福岡県若宮市犬鳴(犬鳴ダム北へ約2km)
 詳細は初回の投稿をご覧ください。

 初回は西虎口搦手裏門辺りの写真投稿が少なかったので集中掲載しました、西虎口の石垣、階段も良く残って居ます、上段南面石垣が一部崩落して折り修復が待たれます。
 3月末から4月初めは本丸広場に植わってる桜がさぞ見事に咲揃う事でしょうでしょう、目に浮かびます。
 
 
 

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イオ

街なかの中世平城 (2025/08/09 訪問)

南北朝期に安見清儀が築いたと伝わりますが、現在見られる遺構は戦国期に安見宗房または安見右近が築いたもののようです。

交野市役所の駐車場から登城開始。交野城(現地の表記では私部城)は西から東へ二郭、本郭、三郭、四郭と郭を連ね、四郭の南側に出郭を構えた連郭式平城で、本郭の南側に城址碑と説明板が立てられていますが、本郭内には立ち入りできません。本郭と二郭の間の大きな堀切は駐車場を拡張するのか南半分が整備され、こちらも立入禁止になっていました。周囲より一段高い二郭には説明板が立てられ、西辺にあった土塁は失われたようです。井戸も見付けられませんでした。二郭の南側には本丸池と呼ばれる水堀跡が遺っています。三郭と四郭は住宅地になっていて遺構は見られず、四郭から南に少し行ったところの光通寺が出郭です。光通寺は周囲より一段高くなっていて、それらしい雰囲気があります。

交野市役所に戻る前に交野代官所(交野市私部)にも寄り道。江戸前期に設けられた旗本高家・畠山氏の代官所で、交野城主・安見氏の家臣だった北田氏が代官を務めました。北田家住宅として代官所の建物は現存していますが、現在もご子孫が住んでおられるので内部は通常非公開です。それでも周囲を歩くと長屋門や漆喰の白壁、見事な切込接石垣が見られました。
 

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二番槍 (2026/03/08 訪問)

 イオさんが南側尾根道の麓までの激細道で脱輪しそうになり撤収したあと、しんちゃんさんが北側から一番槍をつけました。今回は、軽自動車にてイオさんと同じく南側からアプローチしました。尾根道に上がってしまえば、ところどころシダをかき分けながらも特に支障なく赤松城にたどり着けます。問題は、どう尾根道に上がるかです。
 まず、尾根道に上がろうとするまでの道のりを説明しておきます。苗代川池の出口に至る細い道を写真7のところまで行きます。数十mほど過ぎるとUターン・駐車スペースがあります。写真7の右側の道を行くと、突き当りに、壊れた砂防ダムがあります。ここから、チョイスは三つあります。①谷を行く(国土地理院地図の道)、②尾根を行く(ヤマレコ先人)③林道を行く。砂防ダムを渡り、その延長で谷を行くと、最後に谷頭を上ることになりますが、激しく直登することになります。砂防ダムを渡り、右にずれて尾根を上っていく方がよいです。鹿と目があいました。砂防ダムから左手を見るともう一つの砂防ダムがあり、その上を渡ると先に林道があります。写真10のように土砂崩落個所がありますが、歩いていくぶんには支障ありません。じつは、1週間前に城域まであと15分くらいのところまでいったのですが、日没が近づき撤収しての再チャレンジでした。
 たどりついた主郭は結構広いです。主郭を中心に南北に尾根があり、郭が配置されています。土塁やスロープ状の土橋を見ることができます。石垣の痕跡が見られます。赤松城の「赤松」は、播磨の赤松氏(室町幕府四職)が紀州の一揆鎮圧を命じられ、築城したことが由来なのですと。

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ぴーかる

散々迷って、ストックなくす。 (2026/01/24 訪問)

【虎城山城】
<駐車場他>ドメキ漁港に停めて徒歩で向かいました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日紀伊半島1周、山城攻略旅6城目。本州最南端の城びと城、虎城山城の築城は添付写真の説明板にて割愛いたします。先に登城方法を説明します。青年会館の右手に説明板があります。説明板の所に階段が2手に分かれていますが、右手の階段を登ります。青原寺の山門を入って右手の階段を登って鳥居のある祠に着きます。背後の山道を登りきると城跡に到着します。山門が閉まっていれば山門の手前右手に尾根に取り付く踏み跡がありますので藪化した細尾根を登ると祠に着きます。
 単純なのに超迷って、最初右手の階段を登って、お寺に着いたので違うと思い、降りて左手の階段を登り切ると耕作放棄地が広がっていて、散々迷走してやっぱり違うとなって、もう一度お寺さんの方からアプローチしてやっと到着。
 城跡はほぼ単郭で説明板にある二の丸はちょっと分かりませんでした。広い主郭の北側に2段腰曲輪が付いています。土塁や防御設備の遺構は表面観察では見受けられなかった。更に見終わって、車に戻る途中に肩に掛けていたストックが無くなっていることに気づいて、どこでなくしたか分からないので諦めました。たぶんお寺の山門前の細尾根の藪にありそうな気がします。次に行く方、確認して回収お願いできたらと思います。
 1日目終了、宿泊は那智勝浦まで戻って泊まりました。夕食にまぐろカツ丼を予定していましたが、店に行ったらなんと改装中でお休み、無念。

<満足度>◆◇◇

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ジェイド

豊臣石垣館もぜひ見学しましょう (2026/03/03 訪問)

大手門に向かって右側の南外堀からの六番櫓を含めた石垣の眺めが最高で、ベストショットのポイントとなります。大手門をくぐる前にここから写真を撮ることをお勧めします。
桜門からは蛸石と大阪城が見えますので、ここもベストショットポイントとなります。
秀頼・淀殿ら自刃の碑は大阪城の裏手にあります。
新しくできた豊臣石垣館にもぜひ見学しましょう。天守閣入館券で入館することができます。私が行ったときは、天守閣は混んでいましたが、石垣館はガラガラでした。
京橋口近くの追手門学院小学校、テレビ大阪のビル、ドーンセンター脇にある石垣も時間がありましたら、ぜひ見学して下さい。
スターバックス大阪城公園森ノ宮店で休憩後、真田丸跡に歩いて行きました。心眼時で出丸跡の碑を見てから大阪明星学園横で真田丸跡の碑を見て、三光神社で真田の抜け穴跡を見学しました。
約4時間の見学でした。

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イオ

久貝氏の陣屋 (2025/08/09 訪問)

江戸前期に久貝正方が築いた陣屋で、代官約2名を常駐させて明治まで存続しました。

陣屋には御殿、代官詰所、足軽詰所、蔵や牢などがあったようですが、現在は住宅地になっていて、往時を伝えるのは陣屋前の通りと圓通寺(南に約2km)に移築された陣屋門のみです。また、久貝氏の菩提寺である正俊寺(東南東に約500m)には久貝氏代々の墓所が設けられています。
 

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todo94

宮崎県山間地の攻城② (2026/03/07 訪問)

日向小川城からの転戦です。グーグルマップの穂北城址公園は牛舎の中に入っていくような道ですが、奥にトイレも備えた駐車場があります。グーグルマップのマーカーは説明板のある曲輪についていますが、そこは、標高が一番低く、眺望が開けているので物見的な性格を持つ曲輪だったと思われます。もっと駐車場に近い標高の高い曲輪は、整備の手は入っていませんが、土塁も備えているし、それなりの広さも持っているのでこちらの方が主郭だったのではないかなあと感じています。

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T-Shionoya

「山城に行こう!」で知った今城へ (2025/12/07 訪問)

昨年11月の可児市のイベント「山城に行こう!」で知り、12月に訪れた岐阜県可児市の今城。

可児盆地南の丘陵地帯、今川が流れる谷底平野の奥部において、北へ伸びた比高約15mの小さな丘の先端に築かれた城。

1500年代前・中期に地元の土豪である小池家継が築いたと伝わり、織田信長の美濃平定期には織田方に従属。本能寺の変の後、小池氏は帰農したようだが、城の構造から小牧長久手の戦いの頃に改修されたとの説もある。

現在は枡形虎口などが立入禁止であるものの、本丸・二の丸・三の丸に土の遺構が残る整備された城跡。

実際に訪れると、案内図の大手門からの入城となるが、パンフレットの復元図では枡形虎口が大手、二の丸の虎口は曲輪の北側に描かれている。
小さな城ではあるが、立派な本丸土塁や複数設置された堀により、要塞感は極めて濃密。

滞在時間約1時間の今城が、私の城郭巡りの218城目となりました。

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朝田 辰兵衛

todo94さん,レスありがとうございます❢ (2026/02/21 訪問)

todo94さん,私の空想に丁寧なレスをいただき,深く感謝申し上げます。
献血している時間というのが,大事なオフの時間になっているようですね。攻城へのスイッチを入れるために,なくてはならない大切な時間。それが献血なんだと…。

御城ですが,JR思川駅を途中下車。この日3度目のキャリーバッグを転がしながら…で。住宅街に入ったら,近隣にお住いのお姉さま方が,路上で楽しそうに会話をしておりました。「御城稲荷神社はどこでしょうか…?」と声をかけたらとても親切に教えていただきました。なかなかわかりづらいです。聞いて良かったです。帰路は,両毛線の電車時間が迫っていたため早足でした。往路も会話のために計測がいい加減になりました。たぶん,徒歩約25分くらいかな…と。
血の話題になりましたので,色味が赤い城をチョイスしました。

この後,JR宇都宮駅に移動し,宿泊しました。
2日間,駅前のトナリエ内にあった「つけ麺らーめん春樹」で夕食。初日は,ラーメンとチャーハンのセット。2日目は,ラーメンとギョーザのセット(ライス1杯無料)。
撮れ高が少ない城なので,一緒にアップします。

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ミヤちゃん

外は綺麗だった (2026/03/06 訪問)

噂には聞いていた姫路城。今日はしっかりと見尽くすぞと思いながら登城。
ただ、ガイドをつけなかったせいか説明が無かったので、展示してあるものが他の城に比べて少ない気がした。鬼瓦は現存のあるものは展示されてはいた。
大阪城の時と比べて体重が5キロほど落ちたので、
息切れはしなかった。そして、国宝は基本的に階段は急だった。
外からは綺麗に見える。狭間も色々な形があり、容易には攻められない作りになっていた。
夜のライトアップまで起きていれば、白が際立つ城の写真が撮れたなと、少し残念だった。

ラーメンを食べるなら、お店は割と多い。新生軒、
なか山、麺哲(ここは休みの為行けなかった)。
非常に美味しかった。居酒屋も多かった。お城の後は、こういった所で過ごすのもありですね。

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チェブ

知らぬ間に2城。 (2026/02/28 訪問)

だいたい皆さん「御殿山城」とセットで登城する「筑土城」。
モダンな『赤城神社』の後、散歩していたら偶然「御殿山城」へとだどり着き、なら「筑土城」へと散歩しました。

「筑土城」は上杉氏の砦があったようです。
『筑土八幡神社』周辺が城跡。
『筑土八幡神社』は1200年前の嵯峨天皇の頃からお祀りされているようです。
地域の安全と繁栄を祈願する産土神として信仰されてます。

「御殿山城」の御殿坂から「筑土城」へ進軍。
『赤城神社』のオカッパ頭の可愛い感じとは違い、勇ましい狛犬が守ってます。
神社を背に階段を下りると左手に小さい公園があり、傾斜を利用した滑り台があります。傾斜を登る両側に石段や鎖があり、何通りか登り方があります。
以外と住宅街だったので遊ぶ子供達がいるのかもしれません。

友達2人に『今、知らぬ間にお城、2城制覇したんだよ』と告げると、『始まった、、、』みたいな苦笑い。
今度は九段下の方に行ってみようと、元の道を戻りましたが、九段会館でお茶をして退陣しました。

もともと、神様が祀ってあった所に砦を築くとか、古墳だった所に布陣するとか、先人たちは亡くなった方や神様をどう思っていたんだろう?
何でここに砦を築いたか聞いてみたい「筑土城」攻めでした。
、、、幽霊怖いから、やっぱいいや。

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宗春

城跡見学会に参加してきました② 本佐倉城 (2026/03/07 訪問)

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその41を兼ねます

酒々井町主催の本佐倉城跡見学会に参加してきました。
本佐倉城も2回目なのですが、前回は台風だか大雨だかの後だったため、セッテイ山の入口に倒木があって虎口にすら辿り着けなかったのでリベンジでした。
以前来た時より少し整備が進んでいて、セッテイ山も木が伐採されて歩きやすくなっていました。ありがたやm(_ _)m

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宗春

城跡見学会に参加してきました① 佐倉城 (2026/03/07 訪問)

城跡見学会は酒々井町の主催で、本佐倉城跡の見学会でしたが、折角なので佐倉城も攻めてきました。

佐倉城は2度目の訪問ですが、前回はうっかり馬出し空堀を見るのを忘れてしまったため、リベンジでした。
折角なので本丸まで行ったのですが、本丸では犬のレースをやっていました。競争というよりタイムトライアル的な、1匹ずつ(100mぐらい?)飼い主めがけて走っていて癒されました。

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Kappa0924

別名”竜尾城” (2021/07/15 訪問)

物見櫓(歴史資料館)は木曜日休館

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Kappa0924

鍋島陣屋 (2020/09/28 訪問)

復元長屋門

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Kappa0924

妻鹿城 (2021/03/20 訪問)

別名”国府山城”

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ヒロケン

江戸幕府に於ける出世城 (2026/03/07 訪問)

徳川家康公が浜松城を居城としていた期間は17年で駿府城に移った。その後、徳川氏の城代として菅沼定正公が入り、家康公が関東に移ってからは、豊臣氏の家臣堀尾吉晴公が入った。
延べ26人の浜松城主の中から、後に征夷大将軍となった徳川家康公をはじめ、江戸幕府下で老中5人、大阪城代2人、京都所司代2人、寺社奉行4人という幕府の要職に就く城主を多く輩出したことから浜松城は出世城として広く知られていた。

自分も出世がしたく、何度も浜松城に足を運んだが結局出世することがなく、今に及んでいます"(-""-)"ですが、浜松城の見どころ模擬天守、天守門、本丸周辺の石垣等々仕事でのストレスを発散させてくれます。特に石垣は、粗雑さと荒々しさがあるが、石垣の隅角は算木積みになっており、恰好良くまとまっていて自分の好きな石垣の一つです。

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