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カズサン

猛暑日散歩南広場より (2026/08/07 訪問)

 先に投稿した猛暑日散歩、日本庭園、天守曲輪、本丸では猛暑の西日直射を避けて木陰、日陰より探訪と最近買い求めたコンデジの試し撮りしました。
 西日に曝されますが景観整備された天守曲輪、本丸の南側石垣、天守閣南面、天守櫓御門南面を南広場から眺めないと探訪が完成しません、西日直射の中で天守曲輪い石垣、天守閣、天守櫓御門辺りのビューポイントを眺めコンデジ試し撮りをして早々に本丸東下の日陰木陰エリアへ避難。
 南広場は以前浜松税務署が有り立退き移転後、発掘調査をして家康築城時の池堀跡を発見、本丸多聞櫓跡石垣発見、天守曲輪南側の樹木伐採し石垣が良く観える様に景観整備、広場は芝生を植え、池跡はモルタル舗装地面に色を変えて池跡を示している、その他に浜松城の変遷履歴を絵図入りで解説板が並び良く分かるように整備されて居ます。
 南広場からの写真、本丸の若き日の家康公像、本丸北側石垣・土塁の断面と同説明盤を投稿掲載いたします。
    

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ヒロケン

城びと未登録の城 百済寺城 (2026/08/10 訪問)

百済寺の伽藍は、本堂を頂点に200カ所にのぼる坊院群が配されていたとされています。六角氏重臣の進藤山城守により石垣や空堀が築かれ城塞化されておりましたが、織田信長による近江侵攻の際、六角義賢・義治父子による鯖江城籠城戦への呼応に対する報復を受け、焼き討ちされ全山灰塵に帰し衰退しています。

早朝5時半に百済寺駐車場に着き散策を開始。駐車場から歩いて200m程下ったところに赤門があり、その手前に立派な土塁と空堀が確認できます。でも今回訪れた目的は、百済寺庭園と城塞化された折の石垣。赤門・空堀など見学し趣のある参道の石垣をなどを画像に収めながら現在の寺院へ到着。ですが、門にあるお知らせを見て愕然。拝観時間は8時30分から( ノД`)シクシク…まだ1時間半もある( ノД`)シクシク…どうしようか迷いましたが、リベンジを誓い泣く泣く諦めました。

ちなみに百済寺の読み方は、くだらじ ではなく、ひゃくさいじと読みます。

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イオ

とことん亀山城(西之丸周辺) (2026/02/15 訪問)

(続き)

京口門(亀山市西町)
板倉期に築かれた惣構西端の城門で、番所を設けて東海道の往来を監視していました。坂の下から見上げる姿は壮麗で、歌川広重の「東海道五拾三次」にも描かれるほどでしたが、現在は遺構は失われ、説明板が立つのみです。

西之丸(亀山市西丸町)
西之丸は本多期に本丸南側に拡張された曲輪で、周囲を外堀が囲み、南に青木門、西に黒門、南東隅と南西隅には東海道を監視する隅櫓が設けられていました。いずれも遺構は失われていますが、南西辺の外堀が一部復元されており、往時の堀幅、土居の高さ、水面の高さを体感することができます。また青木門跡、黒門跡ともに標柱が立つのみながら、青木門跡は屈曲した街路に枡形門の名残を、黒門跡は水路に外堀の名残を見ることができます。西之丸は家中屋敷とも呼ばれ、重臣の屋敷が建ち並んでいましたが、うち石川氏の家老を代々務めた加藤家の長屋門と土蔵が現存し、土日祝には見学もできるようです。この日は開館時間前だったので外観だけで我慢…。重臣屋敷のほか、江戸後期には藩校「明倫舎」も置かれました。亀山中学校の敷地内に標柱が立てられています。西ノ丸東側の外堀は池の側と呼ばれる池として遺っており、池の側に沿って植えられていた松並木が一部現存しています。池の側の北側には石井兄弟亀山敵討遺跡の石碑と説明板が立てられていました。

石井兄弟の石碑を過ぎて坂下門跡から二之丸に入り、二之丸を散策します(続く)。
 

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todo94

北海道のチャシ・陣屋めぐり⑤の2 (2026/08/09 訪問)

入館料300円の知床博物館ですが、隣接する姉妹町友好都市交流記念館にも入館できます。津軽藩との縁で弘前市と姉妹都市というのはわかりますが、何と弘前ねぷたを伝授してもらって斜里町の行事として根付かせてしまったというのです。既に40年を超える歴史を有しています。そういえば、道の駅しゃりにもねぷたの展示がありました。交流記念館にはねぷたの収蔵庫迄あってこれも見学することができます。肝腎の陣屋は史跡碑と説明板が建つのみで遺構はないようですが、幕末の蝦夷地の守りがこんな交流を生み出しているとは、大きな驚きでした。今まで、白老、ヲシャマンベ、ハママシケ、宗谷などの陣屋を巡ってきましたが、こういう事例には初めて接した次第です。なお、最北東の国立公園・知床と最南西の国立公園・西表の縁で竹富町とも姉妹都市となっていて交流記念館には竹富町の展示もありました。ともに世界遺産にもなってこれはこれですごいことです。

最後に日照寺の供養塔も落ちなくチェックして、充実した斜里町での時間を過ごすことができました。この日は、傘が必要ない程度の霧雨が降っていて最高気温は18℃ほどだったと思います。泊は網走にとりました。

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にのまる

広い! (2026/06/28 訪問)

弘前城見学後、特急つがるで浪岡へ。
前日の三戸での自転車移動の快適さが忘れられず、駅の案内所へ直行しレンタサイクルをお借りしました。簡単な手続きのみで無料。得意のママチャリタイプで助かりました。

中世の館に寄ってから現地へ。
散策コースに沿って8つの曲輪を見学しました。東館の三重堀や北館の迷路のような屋敷区画がとても印象的でした。一見何もないようで、でもものすごくたくさんのものが詰まっている。ここに形成されたコミュニティを想像するだけでお腹いっぱいになる。過去への夢が広がるお城だと思いました。

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ぴーかる

高縄城 (2026/06/14 訪問)

【高縄城】
<駐車場他>駐車場はなし。太平寺駐車場を利用しました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日東海ちょこ城道中12城目。高縄城は1475年に戸田宗光によって築城されました。戸田宗光は1479年に田原へ移り田原城を築城します。1493年に宗光は吉田近くの二連木に城を築いて田原城は子に譲ったので高縄城の役割はこの時期薄れます。1505年ごろから吉田川対岸の牧野氏が進出して戸田氏と対抗しはじめたので高縄城は二連木城と田原城を結ぶ拠点城として重要度が高まったようです。
 現地は現在高専学校になっていて入ることはできません。城びと情報では平城となっていますが、南の太平寺から見たら小山の頂上全体を切り開いた平山城だったのではないかと思いました。

<満足度>◆◇◇

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トットコ

12城目 (2026/08/11 訪問)

久しぶりにお城へきました。
12/100まだまだ先は長いぞ!

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トク

平和について考える旅2026(3/3)【最後の特攻機】 (2026/07/31 訪問)

トクの終戦の日前、平和について考える旅(3/3)です。

皆さんは太平洋戦争で最後に飛び立った特攻機は、どこから飛び立ったのか、またそれは誰だったのかを、御存知でしょうか?

大分府内城から東へ3km程行った所、大分商業高校(夏の甲子園出場)の隣に、大洲総合運動公園という場所があります。実はこの一帯には太平洋戦争中、海軍大分基地飛行場がありました。昭和20年(1945年)8月15日12時、日本はポツダム宣言を受け入れ降伏する旨の昭和天皇による玉音放送が、日本全国民に向け流されます。しかしその4時間後の16時、戦争はもう終わったにもかかわらず、ここ大分基地から沖縄に向け飛び立った飛行機がありました。これが最後の特攻機です。

この飛行機に乗っていたのは、「宇垣纏(まとめ)」中将です。連合艦隊作戦参謀を務め特攻作戦を立案し、その後は第五航空艦隊司令長官となって昭和20年3月に鹿屋基地に赴任、特攻作戦を先頭に立って陣頭指揮した人物です。彼が赴任中の昭和20年4月から7月の間に、1,271名の若者が鹿屋基地と串良基地から飛び立ち、帰らぬ人となった事は前回お伝えしたと思います。その後8月に入り、鹿屋にはもう飛行機が無くなったので、宇佐基地を経由して大分基地に入り、彼は終戦を迎えました。そしてその日、大分基地に隠されていた最新鋭の戦闘機「彗星」に乗って飛び立ったそうです。いくら悪化した戦況だったとはいえ「死んでこい!」と愚かな命令を出し続けたあげくに敗戦、「自分はいったい何という事をしてしまったのか・・・」と最後は後悔の念に駆られていたそうです。そして自ら飛行機に乗り出撃する事で、自分なりのけじめをつけたかったのではないでしょうか?

私は府内城の天守台に立ち、基地のあった方向を眺めてみました。昭和20年7月17日、B29による大分空襲で、このあたり一帯は一面の焼け野原になったそうです。その時に府内城も焼け落ちました。しかし、人質櫓と宗門櫓はだけは奇跡的に焼けずに残り、現存櫓として今でも残っています(写真⑤⑥)。

昨年1年間だけでも、ウクライナ・パレスチナ・イランなどで、数万人もの方々が戦争で亡くなられています。日本は巻き込まれる事なく、平和が続く事を願いたいものです。
 

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朝田 辰兵衛

にのまるさんの感性理解度【40%】…(>_<)

にのまるさんの感性理解度テスト,解答ありがとうございました。
全10問の答え合わせをしたら,40点でした…(>_<)
赤点なので,追試かな…?!
「イチゴの形」が今帰仁城なら,苗木城は「野いちご」ですねぇ…。

アジア航測株式会社さんのYouTube練習動画,バッチリ視聴しました。
興味深かったのが,アジア航測株式会社さんの株主は,JR西日本が多かったこと。
それだけ密接な関わりがあるんだな…と。
あっ,別に株を買っちゃおうという狙いではありません。

ようやく,九州新幹線と九州自動車道が復旧ですね。
そして,熊本城も再開。
今回の地震発生から,周辺地域の観光業が大打撃を受けているそうです。
自分に何ができるか悩んでおられる方がいらっしゃいましたら,
問題なく行ける城郭を散策するだけでも宜しいかと思います。
九州はクマいませんので(熊本城のクマはまだお休み中かな…?)。

そうそう,クマのいない千葉県で甚大な被害が出ましたね…。
謹んでお見舞い申し上げます。

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イオ

とことん亀山城(西出丸周辺) (2026/02/15 訪問)

(続き)

西出丸(亀山市西丸町)
西出丸は本多期に本丸西側に拡張された曲輪で、米蔵が建ち並んでいたようですが、現在はテニスコートと駐車場になっていて標柱が立てられているのみです。西出丸西端にあった関見櫓も失われていますが、テニスコート南西麓に標柱があり、標柱の位置から見上げると櫓跡っぽい感じがします。西出丸北麓の外堀跡は菖蒲園として整備されていて、菖蒲園から見上げる西出丸北面の土居は急峻で高さもあり、なかなかの迫力でした。

亀山古城(亀山市若山町)
亀山城北西の小山は江戸期の絵図では古城と表記され、岡本期に現在位置に移されるまでの亀山城跡とされますが、説明板によれば古城では城郭遺構が発見されていないのに対して、亀山城二之丸や三之丸では戦国期の堀が確認されていることから古城がこの地にあったかは未だ明らかではないんだとか。古城と思って訪れた現地の説明板でそんなこと言われてもなぁ…。それと、位置は特定できませんが、菖蒲園から古城までの道に亀山城多門櫓と菖蒲園をデザインしたマンホール蓋がありました。

亀山市歴史博物館(亀山市若山町)
博物館自体は来年3月まで長期休館中ですが、博物館前に発掘調査で確認された二之丸南西隅の石坂門の石垣と側溝が移設復元され、説明板も立てられています。今回は休館を承知で移設石垣目当てでしたが、亀山城のジオラマや史料の展示も見てみたいので、再開されたら再訪したいところです。

羽柴秀吉亀山城攻め本陣跡(亀山市野村)
賤ヶ岳の戦いに先立って柴田方として挙兵した滝川一益に奪われた亀山城(古城)を攻めるべく羽柴秀吉が本陣を布いたとされる地で、公民館の駐車場への入口脇に標柱が立てられています。川をはさんで亀山古城と向かい合う位置です。

羽柴秀吉亀山城攻め本陣跡から旧東海道を東にたどって京口門に向かいます(続く)。
 

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真田郷

豊臣秀吉による小田原征伐のきっかけになった城 (2026/07/20 訪問)

国道17号線沿いにあるのでアクセス抜群。当時の建物はないものの、廓・馬出・土塁・堀切などの遺構が説明板とともに丁寧に整備され、見どころたっぷりです。

敷地内にある「名胡桃城址案内所」では名胡桃城に関わる歴史が知れたり御城印や関連グッズを購入できます。

名胡桃城址
https://www.enjoy-minakami.jp/spot/8065/

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todo94

北海道のチャシ・陣屋めぐり⑤の1 (2026/08/09 訪問)

北海道2日目は、釧路から釧網本線で知床斜里駅にアクセスします。前日、私は全く雨に降られなかったのですが、釧網本線は大雨で運転見合わせが続いていたのです。私が乗る予定の列車から運転が再開されるとは、なんともラッキーでした。釧網本線は、列車の本数が少なく、斜里町で5時間半も過ごすことになってしまいました。ということでお目当ての津軽藩シャリ陣屋に向かう前に、だらだらと斜里町内を散策します。斜里神社、禅龍寺を経て先へと進むと津軽藩士殉難慰霊碑がありました。隣には供養塔が立っていて、もう一つの供養塔は日照寺にあるとのこと。これはもう、見ていくしかありません。津軽藩士の墓所跡のほか、一位(オンコ)樹霊塔なんてものもあり、鉛筆の由来についての説明板があってとても勉強になりました。ちなみにオンコとはイチイの木のことで、斜里産のイチイは鉛筆原板として最適だったのだそうです。とりあえず、陣屋に赴く前に知床博物館を見学していくことにしました。期待通り、津軽藩の展示があったのですが、斜里町と津軽藩のつながりの強さは私の想像をはるかに超えるものでした。

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yoda 1253

天然の要害 (2026/08/12 訪問)

尾根を利用した山城でこんな急峻なところによく建てたなあという感じ 野面積みの石垣が無骨さを引き立たせてます

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yoda 1253

鉄壁の守りの城 (2026/08/11 訪問)

築城の名手 高山右近が築城 天守や櫓はないですが遺構は残っています。

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橋吉

16年で廃城 (2026/08/09 訪問)

黒野城は、1595(文禄4)年、加藤貞泰によって築かれました。
貞泰の父、加藤光泰は、豊臣秀吉に仕えて甲斐国24万石を領してましたが、1593(文禄2)年朝鮮の役で急死し、貞泰が家督を継ぎました。
貞泰は幼少のため、美濃国黒野4万石へ減封となってしまいました。

貞泰は城下町を整備しましたが、1610(慶長15)年伯耆米子藩6万石の藩主となり、さらに、1617(元和3)年伊予大洲藩に6万石で移封され、黒野城はわずか16年で廃城となりました。

本丸跡が公園として整備されています。
公園に駐車場はありませんが、隣接する平成医療短期大学の駐車場を土・日・祝日に限り使用することが出来ます。

本丸の周囲に土塁があり、その外側に内堀が残っています。

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赤い城

かるた大会

イオさん、あさん、にのまるさん、素敵なレポートありがとうございます✨️
楽しそうな雰囲気と真剣勝負のヒリヒリ感が伝わりました、かな?
いずれにしてもにのまるさんとイオさんには太刀打ちできそうにありません🥹
ここまで雰囲気と直感で生きてきたので事前準備もいい加減なので。
とはいえいつか参加したいので勉強します📚️かな?

今日は相方孝行で伊勢へ来ています。
城はちょっとですがお昼はリーズナブルな牛銀さんで松阪牛のランチ。
美味しかったです🐂


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つちのこ

湖東の旅② (2026/08/10 訪問)

観音寺城に続いて訪れました。羽柴秀次の居城として築かれた、八幡山城です。
時間がなかったためロープウェイで山頂まで行きました。往復950円です。
山頂駅からすぐが二ノ丸跡で展望台となっています。そこから本丸跡へ。この季節はカラフルな風鈴がたくさんあり、映えスポットになっていました。
本丸跡には村雲御所・瑞龍寺門跡という門跡寺院があります。山門が本丸虎口でしょうか。立派な門でした。
北の丸跡からは、安土城や観音寺城が一望できました。西の丸からは琵琶湖のレイクビューが素晴らしく、観光客の皆さん記念撮影されていました。そこから南にある出丸は270度のパノラマビューで、見晴らしは抜群。敵が攻めてきても一目瞭然だと感じました。

1日湖東を巡ってみて、琵琶湖の反対側、湖西出身者の感想…この湖東の地形(平野が広がり所々にポツポツ山がある)は同じ琵琶湖の回りとは思えない景色で、羨ましいなぁと思いました。

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つちのこ

湖東の旅 (2026/08/10 訪問)

近江国守護、佐々木六角氏の居城、観音寺城へ。
駐車場は観音正寺表参道駐車場を利用。460段の石階段を登ります。裏参道の駐車場もあるようで、こちらはゆるやかな坂道を15分ほど歩けば着くようです。料金はどちらも600円。城の遺構をくまなく見るなら、裏参道から歩く道にはいくつか曲輪があるようなのでそちらがいいかもしれません。
登城にはお寺の境内に入る必要があり、入山料がかかり、大人800円です。受付の方に登城する旨伝えると、縄張図の書かれたパンフレットをくださいました。
境内脇を抜けて、本丸跡までは10分ほどで着きます。そこから南西に曲輪が続き、特に平井丸の壮大な虎口、その先の大石垣は一見の価値ありでした。ほんと応仁期にこんなデカい石垣作ったの?と驚きました。

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真田郷

真田氏ゆかりの城 (2026/07/18 訪問)

「沼田公園」として整備され、公園入口には「沼田市観光案内所」があり城の歴史が学べるほか御城印やお土産などが購入できます。また周辺の観光案内も充実しています。

沼田公園
https://www.numata-kankou.jp/activity/sight/numatakoen/index.html

すぐ近くにはもう一つ「上州真田武将隊商い処 松之屋」というお店もあり、ここでもさまざまなオリジナルグッズが購入できます。

上州真田武将隊商い処 松之屋
https://josyu-entertainment.com/matsunoya/

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もりちゃん

大多喜駅前のレンタサイクルが便利❗️ (2026/02/22 訪問)

歴史ある薬医門をくぐると、、、何と、そこは大多喜高校❗️ 校内には古〜い大井戸もあり、日常で歴史に触れることができる素晴らしい学校だ、と思っていたら、、、山上には天守が‼️ 城下の人は、こんな風に城を見上げていたのかなぁ〜、何て思いを馳せました。
駐車場から天守までの道の途中には、大多喜水道という人ひとりギリギリ通れそうなトンネルが。通り抜けに挑戦しましたが、閉所恐怖症なので途中で断念。Uターン出来ないので、後ずさりで戻ってきました。。。
大多喜への道中は、菜の花や紅葉など季節の楽しみも多そうだ。いすみ鉄道が再開したら、小湊鉄道と乗り継いで外房線から内房線まで抜けられるので、乗り鉄にもお勧め‼️

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