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イオ

つぶやきあれこれ

熊本地震から一週間以上が経ち、被災地の厳しい状況が連日伝えられている中、普段と変わらない生活をしていることに申し訳なさも感じますが、現段階では何もできなくても、いずれ状況が落ち着いて復興に向けての段階では仕事柄お役に立てることもあるはず、と自分に言い聞かせる今日この頃です。

トクさん、ご無事でのご帰宅、お疲れさまでした。誰にでも遠征先でこういったことが起こり得るんだと考えると備えの必要性を感じますが、いつどこで何が起こるかわからない以上、備えると言っても何をどうしたら良いものやら…。せめてそういう意識だけは常にもっておく、くらいでしょうか。

地震に限らず、近年は風水害も激甚化していますし、お城への被害も各地で生じていることを考えると、見ずには死ねないと思う城は見られるうちに見ておかないと、とも改めて痛感させられました。熊本城の完全復旧までは生きていたいな、と思っていましたが、今回の被災で完全復旧の延期は避けられないでしょうし(…と思っていたら、元々修理予定だった石垣の崩落が大半で工期に大きな影響はない、とのこと)。ともあれ、陣城めぐりも良いけれど、より行きたい城があるならまずはそちらを優先すべきですよね。今日見られるものが明日も見られるとは限らないのですから。

ところで…

大阪・お城フェス2026での赤色立体地図お城かるた大会まであと数日、日々予習に励んでいますが、読み札を採用してもらっている立場上、無謀は承知で上級クラスに出場するつもりです。あ さんも9日に参戦されるとのこと、私も「イオ」の名札をぶら下げていきますので、お目にかかれるのを楽しみにしております。午前中はブースや展示を見て回り、午後はかるた大会参戦の予定です。参加受付の状況次第ですが、12時半くらいには受付に並ぼうかなと思っています。にのまるさんも9日に参戦できるようであれば、かるた大会でご一緒できると嬉しいです^^
 

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todo94

20年前の攻城 (2026/08/14 訪問)

まだポチっていなかった立花城、本丸に到達したのみで見落としている場所だらけだったので、再訪してから投稿しようと考えていたのですが、2000城達成前に福岡に行くことは難しくなってしまいました。とりあえず、20年前の写真を投稿させていただきます。再訪の際は、トクさんの投稿を参考にきっちりと城を見て回りたいと思います。それにしてもお盆期間中にこんな山城を攻めているとは。今でこそ、山城オフシーズンを設けていますが、このころは見境なく城攻めをしていました。福井県の杣山城攻略も夏季だったように記憶しています。

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赤い城

天王寺公園の一角に (2026/07/17 訪問)

天王寺駅の北側に天王寺公園があります。
入園時間は7時、ちょうどOnTimeで到着しました。
南側の入口から入り、旧黒田藩蔵屋敷長屋門へ向かいます。
大阪市立美術館の前を通り河底池へ。
水堀の跡とされています。

赤い和気橋を渡ると茶臼山です。
古墳を利用したもので大坂冬の陣では家康が、夏の陣では真田信繁が陣を置いています。
山頂には石碑があり、真田、徳川両家の家紋が彫られていました。
城の遺構としては微妙ですが大坂城を廻る攻防戦の重要な場所であったことがしのばれます。

すぐ近くには天王寺動物園、公園からは通天閣も綺麗に見えました。
また、北側の一心寺には「真田の抜け穴」といわれる井戸跡があります。
コンクリートの蓋で塞がれてますが・・

【見どころ】
 ・山頂に設置された石碑

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つちのこ

出石城 (2026/08/02 訪問)

日帰りで出石城、有子山城を訪れる。
朝9時過ぎに現地に到着し、出石城跡に建つ市役所の駐車場に車を停める(土日は有料P)。日曜日だったが朝9時過ぎと早い時間だったため、車は2、3台ほどしか駐車場しておらず。(12時過ぎて戻ってきたときは、市役所も最寄りの観光用駐車場もほぼ満車だった。)

出石城に行く前に、徒歩すぐのいずし観光センターへ。そこで出石城、有子山城のパンフレットを入手。
登城門から入城し、二ノ丸、本丸、稲荷曲輪と進む。
石垣は残っているが、建物(東西隅櫓)は再建されたもの。
本丸跡には、江戸期に出石藩を治めた仙石氏の祖、仙石秀久が祀られている感応殿が建てられている。
その本丸より上部にある稲荷曲輪には、有子山城内にあったとされる有子稲荷社が鎮座しているが、この稲荷曲輪の高石垣は但馬国一の高さとのことで、とても迫力があった。
見学時間は約1時間。

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シェル

猛暑の高崎散策 (2025/08/21 訪問)

 北陸からの帰り道に寄り道をして高崎城に初訪問。高崎駅からは徒歩15分ほどです。
 新幹線の都合で、どうしてもお昼過ぎの到着になってしまい、高崎は37℃の猛暑となっていました。
 ものすごく暑かったので、準備を整えて、城跡までは路線バスを利用しました。城内にある「市役所」のバス停で下車し、熱中症対策を万全にして散策しました。
 現在、城跡は高崎市役所や裁判所などの官庁が立ち並び、本丸などは失われていますが、三の丸の水堀と土塁はよく残されています。高崎市役所前交差点そばには、出桝という凸型になった城塁が残っていて、見ごたえがありました!!
三の丸北西側の高崎郵便局・高松中学校の裏は、水堀は埋められていますが、堀跡は遊歩道となっていて土塁上などを歩いて見学することもできました。
 また本丸乾櫓(現存)と三の丸東門(現存)が群馬音楽センターの東側に移築されています。乾櫓は重箱櫓というタイプの櫓で、元々は本丸にあったものです。明治に払い下げられたあと、昭和に再び城内に再移築され、群馬県内では現存する唯一の櫓となっています。三の丸東門は、元々は、先ほど触れた三の丸の出枡そばの高崎市役所前交差点付近にあった城門です。くぐり戸があるため、通用門として使われていたとされています。
 猛暑なので、あまり長居せず、高崎駅に戻りましたが、高崎駅では、ゆるキャラの「ぐんまちゃん」にジャックされていて、駅舎内は「ぐんまちゃん」が溢れていました!!

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三河武士発祥の地&脱力系張り紙 (2026/07/24 訪問)

 郭内の由緒書きに、三河武士発祥の地と誇っておられます。酒井忠次出生の地でもあるのですね。 平野の中につき、急峻な地形ではないですが、高台を占めているのがわかります。
 城びと先人の投稿写真に、賽銭箱まわりの張り紙が写っています。しんちゃんさんは、喰いついてますね(私も)。2025年12月のしんちゃんさん訪問時よりも張り紙は減って、位置も変わってました。定点観測ね。

 イオさん:大阪・お城フェス 9日(日)に参戦の予定ですか。私も9日に参戦しようと思っています。イオさんに倣って、手製のネームタグ(なるべく目立たないやつ)をぶら下げてみようかと。こう書いただけで冷や汗が出た。

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にのまる

感謝。 (2026/06/27 訪問)

三戸城の門の部材を使った山門がある法泉寺と龍川寺に寄りつつ聖寿寺館へ向かいました。
バス便はしばらくないので歩いたほうが早いのですが、遠征6日目で疲労はたまっているし、日傘を差す手もプルプルで苦行になりつつあります。

そんな中、アップルドーム(三戸町のスポーツ文化施設)入口に自転車が数台置いてあるのが目に入りました。個人の自転車ではなさそう。もしかしてレンタサイクル⁈
恐る恐る受付で尋ねると町外からの観光客に貸し出しているとのこと。電動アシスト付きで無料。聖寿寺館まで行きたいと告げると南部町での利用もOKとのことでお借りすることができました!今回の城旅でいちばんうれしい瞬間だったかもしれません。
聖寿寺館への行き方も聞いていざ出発🚲💨
ほんとに、ついさっきまで歩くしかないと諦めていたのに、風を切って自転車を漕いでいる自分が信じられなかったです。

そして無事聖寿寺館に到着。
はじめに案内所に行き、南部利康霊屋の見学をお願いしました。霊屋内は撮影禁止でしたが、音声案内がとてもわかりやすくてありがたかったです。厳かな雰囲気の中で、自分の目で見、耳で聞き、頭で考え、心に刻むことができたのはカメラを持たなかったからだと思いました。

その後、聖寿寺館の案内もしていただきました。広い館跡は一部復元され説明板なども設置されていますが、自分ひとりでの見学だと知り得なかったことー、整備途中で建物跡が発見され学術的調査に方針が変わったこと、発掘物のこと、個人所有のりんご畑だった頃からのこと、西側の断崖の様子、放火説についてなどなど、興味の尽きない話をたくさん伺い、知見を深めることができました。

視線の遥か先には三戸城。3時間前に覗き込んだ【三】【戸】【城】の大看板が、小さく小さく見えました。(掲載写真はズームしています。)本拠移転(逆コースですが)のルートを辿り、当時を思い浮かべてみると、焼け出されてしまったけれど希望はあったのではないかなという気がしてきました。
三日月の丸くなるまで南部領のほんの一部ですが徒歩と自転車で地面を踏みしめたこと、助けられたこと、お世話になったこと。忘れられない一日になりました。

自転車返却時にバタバタしてアップルドームのスタッフの方にきちんとお礼を言えなかったことが心残りです。この場をお借りして、本当にありがとうございました。また次回、よろしくお願いします。
(アップルドームは三戸駅から徒歩10分くらいです。)


⭐︎今週末の「大阪・お城フェス」、行けたら行きます。

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ぴーかる

牧野城 (2026/06/14 訪問)

【牧野城】
<駐車場他>駐車場はなし。説明板前に停めました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日東海ちょこ城道中8城目。2日目朝一。牧野城の詳細は添付写真の現地説明板をご覧下さい。
 現地はビニールハウス群の中に土塁の隅角の一部が残されています。軽トラばかり通るので普通の乗用車が通ると運転手のおじさん達が不審な感じで見て通り過ぎるのが困った。

<満足度>◆◇◇
<宿>ホテルクラウンヒルズ豊川駅前に泊まりました。安くて部屋・大浴場きれいでした。冬の愛知県の山城攻めの時リピートしようかと思います。

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トク

平和について考える旅2026(1/3)【戦艦大和沈没地点を忍ぶ】 (2026/07/28 訪問)

また今年も終戦の日前の恒例、トクの平和について考える旅を始めます。今年もよろしくお願いします。実は熊本地震があった日、私はこんな所に来ておりました(おさわがせしました)。

ここは本土最南端「枕崎市」です。鹿児島中央駅前から鹿児島交通の枕崎行きのバスに乗り1時間30分、「枕崎駅」に到着しました。何と枕崎へは、JRより路線バスの方が、早くて安いです。バスを降りると現在の気温は37度(実際の地面は40度超)、日差しが痛いです。

駅前の観光案内所でレンタサイクルを借り(電動4時間1,000円)、まず駅から北2kmの所にある「桜之城」を訪れました。加世田に本拠を置く薩州島津氏の支城です。桜山小学校の横の高台に鐘桜があり、ここが城の本郭であったとされています。説明をよく読むと、あの岩屋城や立花城攻めの総大将であった島津忠長が、若き頃ここの城主であったようです。

それから今度は駅から南に4kmの所を目指し、海岸沿いに爽快にチャリを走らせました。潮風を浴びると、少し涼しくなり心地いい感じです。そして突端にある岬の「火之神公園」に着きました。ここは映画「男たちの大和」のロケ地にもなった場所です。そしてそこには、大和の慰霊碑が建てられています。

ここから見えるこの海のこの方向200km先、北緯30度43分・東経128度04分・水深370mの海底に、戦艦大和は乗員3,056名を乗せたまま、今も眠っています。昭和20年4月6日、沖縄に上陸した米軍を攻撃するため、片道分の燃料だけで海の特攻として、大和は徳山沖を出港しました。そして翌7日、この枕崎沖を通過した後、米軍機約1,000機の猛攻を受け沈没しました。ここ火之神公園には、その犠牲になった乗組員を忍び慰霊碑が建てられ、そして毎年その沈没した4月7日に慰霊祭が行われているそうです。

帰りに、枕崎お魚センターに立ち寄り、名物「枕崎ぶえん鰹丼」を食べました。そう言えば枕崎は(かつお)で有名な所でしたね。ぶえんとは新鮮という意味だそうです。「削り節は食べ放題ですよ~!」と言われましたが・・(笑)。

(2/3)に続きます。
 

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赤い城

花塚山古墳 (2026/07/17 訪問)

仕事で大阪出張があり、空き時間でいくつか攻城してきました。
いずれも遺構には期待出来ないのですが・・・

ホテルは日本橋、夜は新世界を散歩しました。
外国人の方で賑やかでした。
翌朝、まずは朝駆けでこちらへ。
地下鉄谷町線の出戸駅から徒歩で10分くらい。
瓜破東小学校周辺が城跡です。
学校のほかも住宅地で遺構は残りません。
皆さんのレポートにもあるようにここから南東にある花塚山古墳へ移動しました。
この周辺は大きな霊園になっています。
古墳は円墳で石碑が立っています。
城の何かに使われていたのかな〜

【見どころ】
 ・花塚山古墳

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HKISD

山鹿城散策 (2026/07/28 訪問)

駐車場、左側から登り登った後、横長の城跡で全て散策しました。
非常に歩きやすかった。

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HKISD

岡城散策 (2026/07/28 訪問)

お寺の駐車場に停めて出発。本丸迄の道のりはあっという間につきました。
とにかく暑かった。ハチもいるので注意ですね。

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にのまる

河岸段丘 (2026/06/27 訪問)

道南城めぐり旅の帰路、
新青森→(はやぶさ)→八戸
八戸→(青い森鉄道)→三戸
三戸駅前→(南部バス)→三戸町役場前
で行きました。

バス停から10分足らずで門住稲荷。そこから上り坂を数分で最初の城址碑。その先に物見櫓跡。
色づき始めた紫陽花に夏の訪れを感じながら石段を上ると、鮮やかな緑の葉陰に古色蒼然とした石垣を発見👀視線を上に向けると白漆喰が眩しい綱御門。ときめかずにはいられません。
大手を守る強くて美しい綱御門は江戸時代の絵図から復元されたそうで、今でも全然ウェルカムではない向きで建っています。突入できない……。
現地説明板を読むと、解体された門の部材が龍川寺の山門に転用されているとのこと。これは!あとで行こう_φ(・_・

曲輪や屋敷跡が整然と並んだ地形復元図を見ながら歩を進めます。現地にも標柱が建てられていて、今このあたりにいるのだなということがわかって楽しかったです。
段差や景色や位置情報でリアル河岸段丘を感じられたのもよかったです。いい経験ができました。

糠部神社を過ぎると温故館と歴史民俗資料館。温故館は模擬天守ですが、場所は違えど絵図で確認できる隅櫓を模して建てられたそうで、当時を思う縁になるなぁと思いました。

そしてようやく本丸へ。大門跡や搦手門跡の他にもマップに載っていない標柱がひょっこりこんにちは😀していて、一見広い駐車場なのですが、宝探しをしているような気分になりました。

搦手門から出ると次のポイントは繭子像、亀池、鶴池です。水の手チェックはしておきたいところですが、元気いっぱいの下草に怯んでしまいました。夏場はがんばって草刈りをしてもすぐにモサモサになるので(絶賛体験中)近づけなくても残念とかはありませんでした。

奥瀬与七郎邸に向かいます。四阿が見えました。きっと素晴らしい眺望が待っているに違いありません。まっすぐなアプローチを突き進むと「望岳亭」と書かれた四阿の横に外を向く大きな四角い看板が3枚ありました。これは一体何?と覗き込むと【三】【戸】【城】。おぉーっ😮
その看板が向いている方角にあるのは聖寿寺館(本三戸城)。三戸城に移る前の南部氏の居城です。粋な計らいとはこのようなことを言うのだなと感動しきりでした。

続いて鍛冶屋門です。
草むらの中から僅かに顔をのぞかせている石垣。道も隠れているので、ここで合ってる?と少々不安になりましたが間違いなさそうです。説明板もありました。
門の部材が法泉寺山門に移築されているとのこと。先ほどの綱御門移築の龍川寺と共にこれはぜひ見に行きたい。。。
行こう!と決めた時点で、このあと予定している聖寿寺館(まで徒歩20分くらいのバス停🚏)まで行くバス🚌に乗るのは諦めました。まぁ何とかなるだろう。

このまま下って行けば城下に出られるはずなのですが、通行止めの看板が立っています。ここよりずっと手前から車両通行止めだったし、“車両”と書いていなかったのでこの先は歩行者も行ってはいけないのだろうと判断して元の道を戻ることにしました。

淡路丸に行っていなかったので行ってから再び城内を噛み締めながら戻り、行きに見なかった綱御門側面の石垣を確認して、予定通り法泉寺と龍川寺へ行きました。両寺とも聖寿寺館への道筋から外れなかったのが幸いでした。

以前から行きたいと思いつつ、東京出発で三戸城と聖寿寺館を一日でまわる自信がなくて思いきれていませんでした。赤色立体地図かるたに背中を押されて今回行くことができました。ありがとうございますm(__)m

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T-Shionoya

明知城 別カテゴリーの畝状竪堀群 (2026/03/01 訪問)

3月に訪れた城は岐阜県恵那市の明知城。

木曽川や東山道の南に広がる丘陵地帯、その中の小さな盆地に東側の山地から張り出した比高約60mの小山一帯を城塞化した城。
西麓には矢作川の支流・明智川が流れ、東山道と岡崎を結ぶ街道と、信濃と尾張を結ぶ街道がクロスする地。

1247年に遠山景重が築城したとも伝わるが、最近の発掘調査では1500年代中期の築城と考えられている明知遠山氏の居城。
1574年に武田勝頼の攻撃を受け落城し、更に小牧長久手の戦いで遠山利景が森長可に逐われるが、関ヶ原の戦いで利景が奪還。ここで利景が改修し、出丸や本丸には石垣が用いられたと見られているが、1678年から遠山氏が江戸に常住となると、代官の村上氏が陣屋を管理したとのこと。

現在は、日本大正村の観光スポットの1つである県指定史跡の城跡。

訪問時は、陣屋跡からその北側の土塁に沿って進み山城エリアへ入城。
1番の見どころである畝状竪堀群へたどり着くと、私がこれまで見てきたものは全くの別種で、とにかく巨大。
他にも本丸西側の堀切周辺の防御施設や、貯水池、隠しアイテム的な出丸の「くつ石」もしくは「旗立石」などと呼ばれる石など見どころは豊富。
滞在時間は3時間を越えた明知城が、私の城郭巡りの230城目となりました。

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ぴーかる

米津台場 (2026/06/13 訪問)

【米津台場】
<駐車場他>駐車場はなし。説明板前に停めました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日東海ちょこ城道中7城目。米津台場の詳細は添付写真の説明板をご覧下さい。現地の説明板のある奥から土塁の一部には登れますが奥が完全に藪化して形状がよく分かりませんでした。土塁は砂盛りのようにも感じましたが、こんなに木々が生えるものなのですね。蚊の襲撃もあって退散しました。

<満足度>◆◇◇
<グルメ>1日目終了、米津台場からは距離が離れていますが、ホテルは愛知県豊川駅前、夕食は豊橋駅から近いカレーうどんの店「玉川 豊橋広小路本店」に行きました。カレーうどんのうどんを大盛りにしました。カレーうどんとまぐろ丼や天丼のセットがメニューにあるのですが、豊橋のカレーうどんの特徴は底にご飯があるし、丼とのセットは、ご飯ご飯になる(関西人のお好み焼きとご飯のセットより炭水化物炭水化物やん!)のでこれは避けました。5時だったので空いていました。

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安芸国50万石福島正則 (2026/06/17 訪問)

 トクさん、無事のご帰還、よかったです。鹿児島から東回り北上は大分でもう一泊する長旅なのですね。10年しか経っていないのに、再びの熊本震災。被災者の皆さん、熊本城関係者の皆さんに、お見舞い申し上げます。6月に熊本城を訪問したばかりで、石垣の崩落動画がとても痛々しく感じられます。
 そして、昌官忠さん、中国地方と兵庫県遠征32日の投稿が完了しましたね。最後は、楯岩城になりましたか。高校生まで日々見上げていた山です。昌官忠さんの長い道中、何度、ズボンが泥だらけになったことか。毎日、はらはらしつつ投稿を読ませてもらいました。
 さて、亀居城です。城びと先人の投稿を見て、行きたい城にノミネート。江戸時代に入ってからの大大名の城は、規模も大きく、石垣も大きな石を多用し、完成度が高いです。この後に、岩国城に行きましたが、亀居城から10kmほどしかなく、亀居城は、対毛利の構えなのを実感しました。福島正則って、武力や城づくりの実力はぴかいちなんでしょうね。

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ヒロケン

初登城 (2026/07/25 訪問)

日米和親条約により函館は開港され幕府は函館奉行所を設置し、函館奉行所防衛のため五稜郭築城が決められました。日米和親条約締結の10年後に五稜郭が完成しましたが、完成から4年後(明治1年)の10月に榎本武揚ら旧幕府軍が五稜郭を占領し、7カ月後の翌年5月に旧幕府軍が降伏するまで函館戦争の舞台となりました。

五稜郭は西洋式築城法により築城された城で五つの防塁が鋭角状に突き出しているので、平面形状は星形に見えますが、地上からは分からない様になっています。石垣も5~7m程で高くはありませんが、跳ね出し石垣や見隠し土塁などがあり随所に日本の優れた築城技術が施されています。

北海道は2度目の観光となりますが、北海道の城へは行ったことがなく今回が初登城となります(((o(*゚▽゚*)o)))北海道の城へはあまり興味が持てず、日本100名城スタンプ集めも後回しとなっていましたが、今回五稜郭を訪れ162年も前にこれほどの築城技術があったのかと驚かされました。
函館奉行所も忠実に再現され、ここに榎本武揚らが立て籠ったかと思うと感慨深い思いで散策しました。

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長久手古戦場記念館(夏の古戦場めぐり 小牧長久手の戦い) (2026/08/01 訪問)

 今年の4月に愛知県長久手市の古戦場公園内に長久手古戦場記念館がオープンしましたので行って来ました。「長久手合戦図屏風(六曲一隻)」復元模写の展示や長久手の戦いに関する史跡地の距離感、臨場感を体感できるデジタルコンテンツなどがあり楽しませてくれます。その後は長久手古戦場の関連場所をぶらぶらと散策して帰って来ました。長久手古戦場は2回目の投稿となります。
長久手古戦場記念館および古戦場公園はリニモ(東部丘陵線)長久手古戦場駅を下りて徒歩1~2分の場所にあります。

 愛知県も岐阜県も今はとても暑いので、午前中早めにさらりと歩いて来ました。

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六実駅より (2026/07/30 訪問)

 遺構はそれなりに残っているようですが、城域は私有地で立ち入りはご遠慮くださいの表示があり説明板を確認して退散しました。

 六実駅より徒歩約10分で説明板まで行くことができます。

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安房神社 光明寺 (2026/07/30 訪問)

 安房神社と光明寺付近が跡地です。安房神社の境内や光明寺本堂の裏にも土塁がありました。当時のものか否かは自分では判断できません。

 北総線小室駅から徒歩15分くらいでした。

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