吉田茂邸を散策しそのまま小磯城跡へここの展望台は富士見100選に選ばれているそうですがあいにくの曇りで見えませんでした。
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2026/10/03 10:18
2026/10/03 07:25
何度でも行きたくなります。 (2026/09/01 訪問)
飯島陣屋見学後、飯田線で岡谷まで戻りましたが上り電車は50分後。下りの時刻表を見ると20分後に長野行きがあったので急遽松本城へ行くことにしました。これができるのが18きっぷのありがたいところです。松本駅では名物アナウンスの「まつもと〜」が復活していました。
松本滞在時間1時間の予定でしたのでゆっくりできませんでしたが、復元に向けて整備中の南外堀・西外堀の様子や、毎年秋に行われる塗り替えに入った天守を見ることができ、これからも続く松本城の歴史の1ページに触れられたことがうれしかったです。
天守見学の待ち時間は驚きの0分でした。行列必至だと思っていたので予定しておらず、見学時間50分も難しかったので今回は見送りました。
それなのに……最近ハマっているエキタグの「鉄道とバスで巡る信州周遊エキタグスタンプラリー」の松本エリアをしっかりとクリアして帰途につきました。(博物館のジオラマも見に行ったのですがお休みでした。)
とことん松本城(←パクリ)は以前3回にわけて行っているので、これからも今回のようにふらりと出かけられたら幸せだなぁと思いますが、ふらりと出かけても、いつ行っても、ちらりと見るだけでも圧倒される国宝天守、やっぱりすごすぎです🏯
松本城前の海鼠壁のファミリーマートは以前お財布を忘れて行ったときに慌てて数千円おろした思い出のコンビニです(キャッシュカードは持っていた)。
“お財布忘れて城めぐり”は城びとあるある?なのかはわかりませんが、todo94 さんの“スマホだけで大阪観光”に触発されて、先月大阪に行ったときに密かにチャレンジしてみたのですが、コインロッカーと自販機でゲームオーバーでした😑
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2026/10/02 22:05
香春岳城散策2/2(三ノ岳~二ノ岳&一ノ岳遠望~立入禁止地点) (2026/09/22 訪問)
たぶん井戸跡と思われる場所は,山頂部手前です。竪堀の場所は,二ノ岳に向かっていく途中に東側へ進入した先にあります。
ここは失敗したらとてもイタイお城。年齢的に最初で最後の可能性が高いと…。事前に零汰さんの投稿を確認しておいて正解でした。「二ノ岳へは立入禁止が解消されていない予感」によって,「二ノ岳&一ノ岳遠望は必須」。
結果,二ノ岳へは立入禁止が解消されていませんでした。予想していたので,ショックもなく,すぐに下山開始。まだ誰も投稿できていなかった竪堀も撮れたので満足です📸
さらに,採銅所駅から障子ヶ岳城攻城の計算も立ちました。再度,日田彦山線に乗れるということで,採銅所駅の時刻表をパシャリ。比較的本数あります。ついでに車両も。IC不可なのでご注意ください。
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2026/10/02 21:16
11年振りの上田城-1/3現存建物と復元建物編 (2026/09/23 訪問)
上田城登城は11年振り桜満開の時以来です(2015/04/09)。前日軽井沢黒柳徹子ミュージアムを家内の願いを叶えて、小諸城探訪し翌日早朝、シルバーウイークの混雑を見込んで上田城の尼ヶ淵駐車場が満車に成る前にと、9時前に着く様に宿泊の小諸城隣接ホテルを出発、尼ヶ淵駐車場は満車前でセーフ。
家内とも11年振りの上田城です。整備された尼ヶ淵駐車場から現存の本丸西櫓、払い下げて後元の場所に再移築された本丸南櫓が尼ヶ淵の断崖上に存在感を誇っています。崖の土塁、法面上に石垣もよく整備されて居ます。
本丸の東虎口門は平成6年に復元されて32年経ってしまいました。東虎口門と南櫓、北櫓を揃った構造は上田城のシンボルで良く写真で表示されています。虎口門を潜って本丸に入ると南櫓、北櫓、東虎口門を裏手から眺められます、公開されて入場できますが今回はパス。本丸内部の真田神社を参拝して本丸西虎口より西櫓を眺める。
朝早くても観光客は多く賑わっていました、真田神社への参拝、お土産購入が多いようです。
上田城の本丸には二階櫓が7ヶ所に在ったそうです。上田市は発掘調査と絵図、古写真の情報収集を10数年前から行っており江戸期の上田城を復元の可能性を狙っております、平成24年に整備計画構想を発表しHPにも公開されています。
出来ると良いですね!
11年振りの上田城-2/3石垣編に続く。
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2026/10/02 19:39
香春岳城散策1/2(JR採銅所駅~登城口~三ノ岳分岐点) (2026/09/22 訪問)
対馬博物館を鑑賞し,ジェットフォイル(ヴィーナス)で博多港へ。博多駅までは路線バス。そして,博多駅から小倉駅までJR区間快速で移動。晴れてはいましたが,台風の影響でかなり波が高かったです…。
翌日になり,日田彦山線で採銅所駅へ。最高の天気。ちょうどよく風も吹いてました。採銅所駅から南へ向かい,途中で右折して線路横断。長光集落を抜けて,アトはひたすら道沿いを進みます。途中,洞窟らしきモノを発見しましたが,今は使用されていないと思われる抜け道でした。車では通れませんが,徒歩では抜けれます。けっこう気になります。
登城口では,通りすがりの軽トラックの運転手が,私のことをジロジロ見ながら去って行きました。そんなに珍しいのかな…?
岩登りコース/ファミリーコース分岐点では,ちょっと迷いましたが,ファミリーコースをチョイス。
途中,朽ちた看板を見つけました。見えないところが気になってしかたありませんでした。
さらに進むと休憩ポイントがあり,田川市から来たというお姉さまに遭遇しました。この山に登る人たちは,みな常連ばかりだそうで,私のことが不思議に思えたそうです。たぶん,軽トラックの運転手も同じかも…。ここで,お姉さまと10分ほど会話が弾みました。
ここを過ぎてしばらくすると,トラロープ伝いで登る区間があります。そんなに長くは続きませんので,一歩一歩確実に。
三ノ岳分岐点は目の前にドーンと現れますので,まず見落としはないかと…。本線は右にカーブしております。
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2026/10/02 08:18
新宮城跡散策マップ(本丸~鐘ノ丸~松ノ丸) (2026/04/25 訪問)
(続き)
本丸は四隅に櫓(南西隅には三重天守も)を設け、櫓の間には多門櫓が設けられていました。まずは本丸北西辺から熊野川を望む定番ショットから。右手の出丸西面石垣に排水樋が見られます。出丸越しに熊野川を望むのも定番ですね。本丸石垣に目を転じると北西辺の多門跡の石垣にも排水樋が見られます。北東辺の多門石垣にも排水樋があるようですが確認できませんでした。南東部の搦手門は立入禁止ながら見事な石垣が遺っています。南東隅の櫓跡からは城下の向こうに熊野灘を見渡せました。先ほど腰曲輪から見上げた南東辺の屏風折れの多門沿いに進むと、丹鶴山の名の由来である丹鶴姫の石碑、與謝野寛(鉄幹)の歌碑があり、時季的に藤棚も見頃でした。天守台からは崩落跡に設けられた石段を下りて鐘ノ丸に向かいます。
本丸と鐘ノ丸の間の鐘ノ丸東門は仕切石垣の一部が遺っています。鐘ノ丸には南辺、南西隅、北西隅に櫓が配されていましたが、昭和の一時期に旅館が営業していた(ケーブルカーもその当時のもの)こともあり、現在は広場とベンチが見られるくらいです。鐘ノ丸北下段の松ノ丸との間には鐘ノ丸渡櫓門の枡形虎口があり、枡形正面には鏡石が設置されています。松ノ丸も旅館の一部だったようで現在は樹木が植えられているくらいですが、大手口にあたる松ノ丸西門には見事な石垣が遺っていました。大手道に向かうのは後にして、松ノ丸東門から水ノ手曲輪に下りていきます(続く)。
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2026/10/02 06:49
行ってないけど (2026/08/14 訪問)
皆さんと同様に対岸から望むのみです。
ポリシーには反するのですが立入禁止なのでやむを得ません🥲
鳥羽城の城山公園からモニュメント越に望んだ後、海岸の散策路へ。
遊覧船に乗れば近くを通るのでしょうが早朝で営業時間前。
「行った」ことにして一旦ホテルへ戻りました。
この日は伊勢神宮の内宮詣りへ、おはらい横丁でお昼に伊勢うどんを頂きました。
讃岐とは対極のフワフワ感。
好みは分かれると思いますが個人的にはうどんはコシがあるのがいいかな😁
【見どころ】
・城山公園からの遠景
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2026/10/01 20:06
夏場の運動不足解消を兼ねた登山のはずが・・・ (2026/10/01 訪問)
近くで手軽に行ける標高281mの岩屋城へ登りました。岩屋城へは大宰府天満宮から車でも行けますが、夏場の運動不足を解消するため、西鉄都府楼駅から大宰府政庁・大宰府市民の森・九州自然遊歩道を通り、汗をかきながら約1時間30分かけて登りました(写真①②③)。10月になったというのにこの日も気温は30度、朝晩は涼しくなりましたが昼はまだ暑いです。先週、辰兵衛さんが雨雲を連れて九州に上陸してくれたおかげで、やっと3日間くらいまとまった雨が降りましたが、まだまだ水不足解消には程遠いようで、市役所の節水するよう呼びかける車が駅前を巡回していました。逆に関東では30日以上も雨が続いているようで、印旛沼の映像をみると絶句してしまいます。被害に会われた方々には、お見舞い申し上げます。
高橋紹運の墓の下にある急斜面(写真④)を、竪堀に沿って登っていると・・・😱! またも霊を感じてしまいました。そう言えばこのあたりは、岩屋城の戦いの最大の激戦地だったようです。つまりこのあたりで、763名のほとんどが壮絶な討死をしたという事になります。そしてそれを見届けた高橋紹運は、現在は墓になっている二ノ丸の櫓があったこの場所(写真⑤)で、最後は自ら壮絶な最期(討死)を遂げたと伝わっています。
またひんやりとした風が吹き、強者どもの声が、聞こえて来たような気がしました。
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2026/10/01 16:48
浦上久松 (2026/10/01 訪問)
浦上久松の居城であるとされています。説明板に「 この城郭は、戦国時代に珍しい「平山城」で、残存状態の極めてよい城跡である。」とありました。確かに各曲輪などよく残っているように思いますが、時期的にまだまだ緑色の草木が遺構を覆っていました。やはり登城は冬がいいですね。また西本郭から大手守備郭を散策しているとズボンにひっつき虫が多く付いて戦意喪失し早々に撤退しました。
JR姫路駅よりバスに乗り西山下バス停下車。徒歩約5分で登城口に行くことができます。
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2026/10/01 10:42
100名城の54( ・᷄ㅂ)大坂城🏯 (2024/12/30 訪問)
天下の名城🏯大坂城!
大阪に住んでた時はよく花見してたなぁ🌸
見事な石垣で、こんなの落とせるのか?と思うほどの深く広い堀
コレでも( ・᷄ㅂ・᷅)徳川の堀なんだよねー
井戸から豊臣の堀が見つかったらしい
まぁ天守も徳川天守の天守台の上に豊臣天守をイメージして建てた合鴨みたいなコンクリートの3代目天守だから、まぁまぁまぁ…
敷地内のスタバもリージョナルランドマークストアで素敵だね✨
大坂城内は,物凄い中国人でただの人混み博物館!こんなん見ても分かるんかいな( ・᷄ㅂ・᷅)
大阪に来たら、あべのハルカスに行っての上から大坂城🏯!今ではすぐ見つけられるほど通った!
鶴橋でフグ🐡食べたり、東三国の名店大養軒の中華弁当🍱
ウルフルズ結成の喫茶店でチャイを飲む☕️
ええなぁ大阪( ・᷄ㅂ・᷅)懐かしい
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2026/10/01 10:35
「北海道の名城巡り」2城目は皆さんご存じのココ! (2026/09/17 訪問)
近世の城郭や中世の山城とは趣を異にする「日本初の星形西洋式城郭」と言えば、皆さんお分かりですよね♪
1952年に北海道で初めて国の特別史跡に指定された「五稜郭」です。
地元なので今まで何度も行ってますが、城に魅了されてから訪れたのは今回が初めてで、たくさんの気付きや感動がありました。
小学校の運動会も五稜郭の本丸でした(当時は函館奉行所などなく、ただの広場でした)
この日も健脚の娘と一緒に楽しく歩き回りました。
この日の見学ルートは、まず五稜郭タワーに昇り、展望台から星形の全貌をじっくりと望みました。
タワーを後にするも、すぐに綾内には入らず、五稜郭の堀の外側の周遊散策路を綾堡の角や石垣、土塁などに注目しながらゆっくりと一周しました(約1.8km/徒歩40分)
その後は、「一の橋」を渡り「半月堡」を観察し、いよいよ「二の橋」を渡り稜内に入ります。
橋を渡り入城するとすぐ(敵の視線を遮るための)見隠塁に突き当ります。
そこを右に進み本塁(星形にぐるりと囲む土塁)に登り、塁上を進んだり堀側の低い土塁(低塁)に降りてみたりしながら半周すると裏門橋に辿り着きました。
そこから再び城内の土塁の上から内(空)堀を見下ろしたり、外堀の内側に沿って歩いたりして、残り半周を周り本丸に降りました。
本丸には2010年に復元された「函館奉行所」がありますが、奉行所内の部屋の再現や展示コーナーなどが以前訪れた時よりも進化していて、ゆっくり時間を掛けて楽しく見学することができました。
奉行所の向かいの大きな売店で100名城スタンプを押し、御城印と城カードを購入して五稜郭を後にしました。
① 私の勝手なこだわりで毎回1枚目の写真は、(入手できれば)御城印と決めています。五稜郭の通常版(左上)の他に、桜の名所と言うこともあり桜バージョン(右上)も購入しました。 また、五稜郭が「ゴールデンカムイ」という漫画で最後の戦場として終盤の重要舞台となったり、TVアニメ版では59~62話が「五稜郭編」として展開された(売店の女性の説明) ということで(何度か増刷して)販売されたそうです。そんなの知らなかったのですが、たまたま5月に当日の朝刊を見たら「本日でゴールデンカムイの御城印が販売終了」と載っていて、ゴールデンカムイが何なのかも知らず、慌てて五稜郭に直行しました。雨の中20分近く待ってゴールデンカムイ版の御城印2種(下2枚)を入手することができました(1人一枚ずつの制限販売) でも9月に帰省する(歴史好きの)娘の分も買ってあげたくて、再度、最後尾に並び(最初より列が長くなってる!)30分後に順番が回ってきたら私が一度購入していることを覚えていて(下手に説明なんて聞くんじゃなかった)、「ダメです」と言われ30分も並んだことを滔々と説明し、しつこくお願いし「通常版と桜バージョンも2枚ずつ買うから」と頼み込んだ末、渋々、売ってくれました。と言うことで御城印は入手済でした(日付はちゃんと訪城日にしています)ので、この日は新たに集め始めた「城カード」日本100名城スタンプをスタンプ帳と、新たに購入した「日本名城 厳選24城」に押印しました(日本100名城の日本城郭協会が出版した本なので押すスタンプは同じ) ふと思ったのですが、なぜ徳川の「三つ葉葵」なんだろう? さっそく調べてみたら、幕末の日本で北辺(特にロシア)の防備のため、五稜郭を「要塞付きの役所」として江戸幕府が作ったそうです。
② 写真の2枚目には「城を代表する景色」を貼ると決めていまが、やはり五稜郭と言えば五稜郭タワー展望台から撮ったこの写真ですよね♪ 空からの写真じゃないので完全な星形には見えませんが90mの高さから見下ろすと何となく星形の雰囲気が伝わりますよね。改めて見ると本当に美しい城郭です。
③ 「大手門口の高石垣と内堀」です。五稜郭の中では一番高い石垣です(7m) 草木がびっしり生えていて判りにくいですが、石垣の最上部には敵の進入を防ぐため庇(ひさし)のような刎出(はねだし)が作られています。内堀も草が密生してしまい、少し整備してくれたら、けっこう絵になるスポットなんですけどね。
④ タワーから見た「大手口の半月堡」です。三角をした半月堡は全ての綾堡の間に設けられる予定でしたが予算の都合で大手口に一つしか造られなかったそうです。そして領内の低塁にズラリと並ぶ丸く整えられた低木が可愛いです(多分ツツジ?)
⑤ これも五稜郭の定番といえる写真です。「特別史跡 五稜郭跡」の石碑と稜内に入る「一の橋」を撮りました。案内板の後ろが上で紹介した「半月堡」になります。
⑥ 領内に入る前に、のんびり40分ほど歩いて堀の外を一周しました。狙ったのは低塁にある綾堡の角部分です。石垣の左部分は野面積み、右部分は打込み接ぎ、角の部分は切込み接ぎで算木に積んでいるのが面白いですね。奥の「二の橋」も入るように構図を決めました。そして低塁に10以上並ぶ丸く整えられたツツジがボンボリみたいで可愛いらしいです(*^-^*)
⑦ 五稜郭には3つの橋がありますが、奥に見えてるのは「裏門橋」です。手前の特徴ある石垣と一緒にフレームに入れました。五稜郭は日本初の西洋式城郭ですが、石垣の建築には伝統的な日本の石工技術が使われているのが面白いですね。石垣の最上部にある少し外側に突き出た独特の形状は武者返しと呼ばれ敵の侵入を防ぐ役割を持っています。積み方も日本の城郭に見られる堅牢な石積み(左‣打込み乱積み/角‣切込み布積み)の美しさそのまま残されています。緑豊かな土塁と美しい水堀のコントラストが綺麗に撮れました。
⑧ 星型要塞の最大の特徴である鋭く突き出た角(綾堡)が綺麗に見えます。このV字の構造によって死角をなくし、どの角度から敵が来ても十字砲火を浴びせられるように設計されています。今回、堀の外周を歩かなければ撮れない風景で、広大な水堀が鏡のようで、青空と白い雲が美しくリフレクションして美しさに花を添えています。
⑨ 本丸の中央にある2010年に忠実に復元された「函館奉行所」です。ネットで多くみられる画像は正面から撮ったものが多いので(人も混んでたし)正面から横に回り込んで見たところ、正面からの写真に負けず劣らず美しく、見事な屋根の上には港を監視するための「太鼓やぐら」が備え付けられています。何よりこの写真を選んだ理由は右の大屋根の背景に五稜郭タワーが写っているからです。タワーが2006年、奉行所が2010年とほぼ同年代に完成したにも関わらず、江戸時代の奉行所と現代のタワーという対照的な今昔の建物が一つのフレームに収まっている違和感が私は好きです。
⑩ 最後は、これが無かったら五稜郭の魅力が半減してしまう「五稜郭タワー」を主役に堀の内側にある土塁の上から堀越しに撮りました。手前に並ぶ丸く整えられた可愛らしいツツジ、右に少し見えてる木橋は本丸に続く「二の橋」 そして堀とタワーの間に少し盛り上がってる土塁が攻撃拠点となる「半月堡」です。函館人からすると「これぞ五稜郭!」という景色です。現在の五稜郭タワーは二代目で、1964年建造の旧タワーの展望台は高さが60mしかなく「全く星形に見えない」と観光客から不評でした。老朽化もあって現在のタワーが2006年に開業(両方のタワーが同時に建っていた時期もありました)、展望台の高さも1.5倍の90mになり、さすがに真上から見た星形とはいきませんが、2枚目の写真のように星形の雰囲気が伝わるようになりました。
見学終了後の昼食は、娘が小中生時代に家族でよく食べに行ったラーメン店「あじたか」を久しぶりに訪れ、美味しい塩ラーメン(麩が入っている昔ながらのラーメン)や、客の要望や店主のセンスでどんどん増える新メニュー(昭和の味から平成、令和の味まで楽しめる)を堪能して二人とも満足&満腹で店を後にしました(近くに似た名前で、行列が途切れない人気店「あじさい」がありますが、私たちは断然こっちの方が美味しいと確信しています!)
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2026/10/01 09:32
100名城の44( ・᷄ㅂ・᷅ )名古屋城🏯 (2016/06/14 訪問)
尾張名古屋は城で持つ( ・᷄ㅂ・᷅ )🏯
我が地元愛知県名古屋市🏯何度来たか分からない
日本で最も床面積の大きなお城、天下普請で建てられた天下の名城!
戦争で焼けなければ、昭和まで残ったのに…
昭和までは現存20城だったのになぁ( ・᷄ㅂ・᷅)、
本丸御殿は復元され、物凄く精密な工芸品で作られていて必見!
木造復元が決まって、今は内見出来ない老朽化の進んだコンクリ天守( ・᷄ㅂ・᷅)…
どうやらくだらない団体もいて、木造復元なのに車椅子の方達の為にバリアフリーでエレベーター付けろとか、訳分からん事言う輩達がいて、計画が頓挫しているらしい…せっかく図面があって復元出来るのに、頭おかしいのか?そんな紛い物を作って、将来国の財産になるとでも思ってんのかな?今の自分の権利や主張を優先しすぎる時代…見れないことも一つの人生!足るを知るという京都竜安寺のつくばいの精神を持つことが大事かな…
そんな事言いだしたら、キリがないんだけどねー
吾唯足知( ・᷄ㅂ・᷅)
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2026/10/01 09:02
2026/10/01 08:40
2026/10/01 08:16
100名城の14(ㅂ・᷅ )水戸城🏯 (2023/01/25 訪問)
結構広いな( ・᷄ㅂ・᷅)さすが御三家の城🏯
まだ雪の残る季節に行くとまだ空気は冷たく、より一層静謐で厳かな雰囲気で、ここにサムライが通ってたんだろうなぁと思うと感慨深いな( ・᷄ㅂ・᷅)シミジミ
現存する薬医門は高校の中とは行くのに気が引ける。
こんな貴重な物、高校生くらいだと落書きしそうな門だが…
大きな堀には今や電車が走り、現代に城が溶け込んでいる感じ。ブラタモリでも出てたなココ。
弘道館跡や大手門跡も趣があり、直線を強く感じる道が多くて、真っ直ぐな心を持った侍がここを歩いたんだろうなぁ
畳の縁を踏んではいけないが、葵の御紋だと、より踏めないな、
ワザとそうしたのかな?( ・᷄ㅂ・᷅)…
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2026/10/01 07:52
新宮城跡散策マップ(本丸腰曲輪周辺) (2026/04/25 訪問)
関ケ原の戦いの功により紀州藩主となった浅野幸長の重臣・浅野忠吉が熊野川南岸の丹鶴山に築いた城で、一国一城令によりいったん廃城となるも後に再築が認められ、浅野氏が安芸国に移封になり、代わって徳川頼宣の附家老・水野重仲が入った後も築城は継続されて、水野重良(重仲の子)の代に完成をみました。そのまま水野氏代々の居城として明治を迎えています。
赤色立体地図お城かるたの読み札採用のお礼参りを兼ねて約7年ぶりに再訪しました。今回も丹鶴城公園駐車場から登城開始。ヒロケンさんの投稿にある駐車場脇の新宮城跡散策マップを手に取ってみると、7年前の散策マップから刷新されていました(2022年に刷新されたようです)。一応、前回の散策マップも持参していましたが、せっかくなので今回は新しいほうの散策マップに基づいてめぐってみようと思います。なお、この散策マップは新宮市観光協会(https://www.shinguu.jp/pdfmap)でも公開されていますので、興味があればどうぞ。
駐車場から本丸への石段を登って行くと、目の前にそびえる鐘ノ丸南面と本丸腰曲輪南西面の石垣。そのそれぞれに排水樋が見られます。多雨地方の切込接石垣には必須の設備のようです。赤い城さん、新宮城には8基の排水樋があるそうですよ〜。日本一短いケーブルカー軌道跡を横目に本丸腰曲輪に到達。眼前には本丸の石垣がそびえ立ち、本丸南西面の石垣には⦿の刻印が、天守台西隅の石垣には矢穴が見られました。天守台石垣は北西面が崩落していますが、南隅には綺麗な算木積石垣が遺っていて、天守台から北東に続く本丸南東面の石垣は、屏風折れと呼ばれる三か所の折れを設けた横矢掛りになっています。本丸腰曲輪南部の櫓跡には休憩所が設けられ、その南下段には配水池が設けられていました。
本丸腰曲輪の東端で折り返して本丸に向かうと、腰曲輪北端からは眼下に水ノ手曲輪と熊野川を一望できます。本丸側に目を転じると、本丸北西面の石垣が上下二段になって続いています。腰曲輪と同じ高さの野面積石垣(下段)が浅野期、その上に積まれた切込接石垣が水野期の石垣と考えられるようです。そして本丸虎口の高麗門から渡櫓門を抜けた正面には精緻な亀甲積石垣が設けられていました。鏡石として巨石を配する代わりに最高水準の石垣技術を見せつける、ということでしょうか。
さて、本丸虎口を抜けるといよいよ本丸に入ります(続く)。
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2026/10/01 07:10
2026/10/01 03:03
2026/09/30 22:01
究極のハイブリッド境目の城 (2025/11/24 訪問)
小牧長久手の戦い当時は尾張国だった竹ヶ鼻城が羽柴方の攻撃対象となり、関ヶ原の戦い当時は美濃国だった竹ヶ鼻城が福島正則の攻撃対象になったという究極の境目の城(大変だぁ)。羽島市民俗資料館のあたりが城域という。
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2026/09/30 20:08
イオさんありがとうございます。
イオさん、虎城山城跡での私のストックをわざわざ探して頂きありがとうございました。紛失した場所も明確に分からなかったもので、回収する体力が本当に残っておらず、藪の中や城跡に物を置きっぱなしにする事が気になっていたので、城びと様方にお任せするしかなかった次第です。すみませんでした<(_ _)>。もし発見された方は回収して申し訳ないですが廃棄していただけたら助かります。
またイオさんの虎城山城跡やそのあとの下里城跡での城巡りの私の案内がお役に立ったので嬉しかったです。
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