得意の途中下車で向かいました。平場で距離も短いので,キャリーバッグを引きずりながら…。事前に,todo94さんのレポートを確認させていただき,江浄寺にも立ち寄りました。深みが増したことに感謝申し上げます。
そうそう,todo94さんの命がけの蓮華山城攻城,無事に帰還できたことに胸をなでおろしました。
明日は我が身…の可能性もあるため,神妙な気持ちになりました。クマとの遭遇の可能性もゼロではないし…で。
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2025/12/07 18:35
JR清水駅にて途中下車…🚉 (2025/10/13 訪問)
得意の途中下車で向かいました。平場で距離も短いので,キャリーバッグを引きずりながら…。事前に,todo94さんのレポートを確認させていただき,江浄寺にも立ち寄りました。深みが増したことに感謝申し上げます。
そうそう,todo94さんの命がけの蓮華山城攻城,無事に帰還できたことに胸をなでおろしました。
明日は我が身…の可能性もあるため,神妙な気持ちになりました。クマとの遭遇の可能性もゼロではないし…で。
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2025/12/07 17:58
城びと未登録のお城攻め「油井ケ島城」。 (2025/11/23 訪問)
「花崎城」の後に「油井ケ島城」に転戦しました。
埼玉県加須市油井ケ島927
ナビに入力し畑道をまっすぐ進んだ先に緑の小山、その前に標柱がありました。
標柱には『鐘撞山』。
側面の説明文には『猪俣 小平太の子孫が居住し、私市(騎西)城とよしみを通じていた。上杉 謙信さんの兵が押し寄せ、私市(騎西)城へ急を知らせる為、鐘を撞き鳴らした。』と、ありました。
小山は柵に囲まれ入る事ができません。
向こうの方には広い所があり、説明板らしき物が見えます。
「油井ケ島城」の記載はありませんが、「騎西城」の支城だったんじゃないかと思います。
そーか「騎西城」の近くなのかと、次のお城攻めが決定した「油井ケ島城」攻めでした。
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2025/12/07 17:40
和製テオティワカン (2023/11/20 訪問)
きっかりガッキリ四角い石垣、それが米子城。
空港から大山をほぼ正面に眺めつつ、街を目指して走れば、やがて右前方に重厚な姿を見せてくれます。
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2025/12/07 17:34
兵庫からなら氷ノ山の先 (2023/11/21 訪問)
鳥取県にありますが、街道をもう少し進めば、難所として知られた兵庫県との県境。(2019年まで未通区間が4つもあったR482。2023年8月にも豪雨災害で不通区間が発生。今も大型車は通行不能だったり、普通車も冬季通行止だったりで、「酷道」扱い。よってアプローチは鳥取側からがデフォルト)
氷ノ山スキー場もほど近い山深いところで、街寄りには「先生シリーズ」の「ヤギ部」で有名になった鳥取環境大学があります。
テツの皆さんの間では人気の若桜鉄道の終点でもあり、寝台車が静態保存されていますので、週末には賑わっています。
(この列車はそのうち、ホテルに改造される予定とか)
観光案内所でスタンプを押すと、ふと目に入ったのが「クマ鈴お貸しします」の文字。
「あの〜、もしかして出るんですか?」「はい」
それ早く言ってください!
駅前広場から持参の双眼鏡で石垣を眺めて、帰ってきました。
道の駅の食事はどれも美味。お土産にはジビエなどいかがでしょうか?
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2025/12/07 17:26
佐々木城址碑及び伝布施淡路丸周辺の遺構 (2025/12/06 訪問)
観音寺城は近江守護佐々木六角氏が戦国時代に居城とした、標高433mの繖山山頂から南山麓にかけて郭が広がる大城郭で、中世五大山城の一つとして数えられています。
観音寺城の特徴は石垣を多用している事です。石垣の本格的な導入は安土城以後のこととされており、安土城より古い観音寺城の石垣の多用は例外的で、戦国時代としては唯一の城とのことです。
観音寺城には、6度目の訪問で山頂から南西に延びる伝本丸・伝平井丸・伝池田丸・大石垣を見学し、満足していましたが、前回訪問した折、安土城考古博物館の学芸員の方から、繖山山頂から東に延びる尾根筋にも見どころがたくさんある事をお聞きし、今回訪問してきました。
今回、朝7時登頂者用駐車場に駐車(無料)、徒歩で伝布施淡路丸・繖山東尾根筋をへて山頂へ、山頂から南西に延びる尾根筋の伝本丸・伝平井丸・伝池田丸をへて大石垣へ、帰りは伝平井丸から伝本丸に入り、本丸虎口から山頂に延びる尾根筋を通過し、来た道を引き返し、伝目加田丸から結神社へ、結神社から登頂者用駐車場へ。その後、石の寺 教林坊で庭園を鑑賞し、教林坊から徒歩で御屋形跡へ(天満宮)14時過ぎに帰路へ着きました。
たっぷり観音寺城を堪能しましたが、まだまだ繖山には遺構が眠っていると思われるので、また訪問したいと考えています。
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2025/12/07 17:14
ヘルズキッチン? (2023/12/13 訪問)
高速道路を降りて、目印らしい建物がまるでない道を走っていくと、突然開ける城跡、それが興国寺城跡です。
この三方を山に囲まれ、南側の海に向かって開けた「ミニミニ鎌倉」のようなつくりをどこかで見たようなと考えるうちに思い出したのは、「ハーメルンの笛吹き男」の最後に、子どもたちを飲み込んで行った場所として登場する「ヘルズキッチン」でした。
小さいながらも地元の皆さんによる手入れが行き届いた端正なお城です。
スタンプは神社の手前の事務机の中に。
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2025/12/07 16:01
2025/12/07 11:10
いやな時代だ。 (2025/11/22 訪問)
松本城の待ち時間は50分、ようやく入ってもゆっくりしか進まない・・三時間ぐらいは見ておいた方が良い。でもそれだけの価値は十分にあると思う。400年以上を経たこの天守を切り欠いて鉄骨を入れるとは畏れ多い。人命を守るため仕方がないとは思うが、ただの保身のために他の天守にその流れが波及するのは避けてほしい。
松本城の内部は銃や大筒に関する展示が充実している。だが、別に天守の中で展示するほどの内容でも無い。天守の存在意義は現存する木造建築をいかにして原型を留めながら維持するかだと思う。石垣も重要な文化財だが、かつて天守のあった石垣の上に天守を再建する意味はあると思う。戦争で焼けてしまったのは国の責任なので再建の意義は大きいと思う、廃城令で自分たちで壊してしまったのは△・・ある意味自業自得とも言える。
もともと石垣しかない天守台に天守を建てるのは、悪いが×だ。少し離れた場所に石垣から組み直して建てた方が良いと思う。
個人的に史実に忠実に再現するから意味が有ると思う。ただ欲しいからという理由だけで貴重な石垣の上にコンクリートで模擬天守を造ったり、木造天守にエレベータを付けようというのは城郭に対する理解と愛情が欠如していると思う。
もともと天守はエレベータを付けるのに一番適さない構造をしているが、広島城にエレベータを付けたら上の階はギュウギュウになってしまうだろう。いくら小型化しても限界があるし、木造復元の意味さえ失われてしまう。
とりあえず名古屋城を巻き込まないでほしい。もう十分めんどうなことになっている。江戸城と広島城で勝手にやってほしいが、今の江戸城の天守台の上に再建するのは反対だ。
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2025/12/07 10:22
いい感じの切岸が見られる (2025/03/29 訪問)
伊勢上野城(三重県)を掲載。浅井三姉妹が織田信包の庇護を受けて幼少期を過ごしたお城と言われてきたが異説もあるらしい。分部氏2万石のお城でもある。遺構に乏しいとされるが切岸はほぼほぼ当時のままなのではなかろうか。意外といいお城だった。
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2025/12/07 07:17
三連休・山口県の攻城④ 西峰展望台からの迷走 (2025/11/22 訪問)
頂上から西峰への往復のアップダウンを含めれば、蓮華山城攻城のトータルで登った高さは500mを余裕で越えているでしょう。段郭の連なりはこの城一番の見どころのように思います。西峰展望台には、その先の今要害への案内がありましたが、さすがにこれは自重しました。登城でかなり難渋したので帰路は「下山コース案内図」を参考に別ルートをとることにしましたが、これが大失敗。東峰に行ったり戻ったりで全く下山できません。テープの表示に従っても断崖で先に進めず、途方に暮れてしまいました。そして最悪なことにスマホのバッテリー迄、切れてしまって地理院地図もピクミンブルームの花植えの軌跡も見ることができなくなってしまいました。遭難の二文字が頭をよぎります。急な岩場を下りるときに足を滑らせ、木の枝をつかんでぶら下がった折に右の背の肋骨を強打してしまいました。2週間ほどその痛みは引けませんでした。ぬかるみがなかったことだけが救いでしたが、今まで経験した中で最大の困難を味わう攻城となりました。レンタカーの返却はぎりぎりとなってしまい、ガソリンスタンドに寄れず満タン返しができないというありさまでした。「山陰・山陽の名城を歩く」にも載っている城が、こんなに危険でよいのでしょうかとも思います。今まで未投稿だったのも納得の手ごわい城でした。
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2025/12/07 05:57
鮭にはクマがつきもの (2023/10/26 訪問)
村上といえば鮭というわけで、街のお店に行くと、「これは、外国人には耐えがたいんじゃなかろうか」という匂いが立ち込めておりました。
さて、お土産の手配も済んだので、お城へ向かったのですが、駐車場から案内板前まで進むと、「クマ出没注意」の看板。しかもその周りをスズメバチが飛んでいます。
君子危うきに近寄らず。ここも撤収致しました。
再び街に戻り、和カフェで一服したかったのですが、あいにく満席。
クリーム笹団子をテイクアウトし、月岡温泉への車内でもぐもぐタイム。
こやつ、かなり粘ります。クチャラーになってしまい、非常にカッコ悪いことになりました。
月岡温泉では、華鳳に宿泊。贅沢な一夜を過ごしました。
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2025/12/07 05:38
峠の走り屋さん御用達 (2023/12/13 訪問)
まずは駅前でスタンプを。係の方に「無料の駐車場があります」と教えていただき、山に向かうと……
武田神社からは一本道なので迷うことはないはずなのですが、「ここが駐車場?」というところをうっかり通り過ぎてしまい、楕円ループの上まで行くと、突然道幅が狭くなります。
このループは夜景スポットとして、甲府の恋人たちには人気の場所ですが、そこを過ぎると今度はバイクや自転車でないと走れないワインディングが待ち構えています。そしてその先には標高1110mを誇る太良ヶ峠が。
こんなものを背負ってるんですから、要害山という名も宜なるかな。
が、しかし、この山道登れってか?
クマ出そうだし……今回はクマ鈴持って来てないし、スカートで来ちゃってるんですけど……無理は禁物、城は逃げない。
撤収しました。
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2025/12/07 05:18
ちょっとわかりにくい (2023/12/12 訪問)
まずはスタンプ。そこから結構走りました。
しかも駐車場が三台分程度しかありません。
急な石段は道路からすぐに始まるので、下りの時の方が危険です。
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2025/12/07 05:09
乗車場所がカギ (2023/12/14 訪問)
関東で初めての石垣の城だということ、あの連れショ○の現場だということで行ってみました。
あの有名パティシエのお店の前には大型バスも停められる広々とした駐車場があります。
公共交通機関派はコミュニティバス「うめまる号」利用が便利だと思いますが、
始発地=駅で満員になるケースもあるそうなので、小田原城と合わせての時はまずはこちらの石垣山城から。
いつも地元マダムたちでごった返している店内にスタンプはあります。
修復作業中ということもあって、歩きにくい箇所もいくつかありますが、さほど苦労せずに中心部へ。
眼下に相模湾と小田原の町と城を望むと、なるほど、気持ちよ〜く用がたせたろうなと思いました。
ランチは待ち時間を考えると、街へ戻る方がどうやら得策。
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2025/12/07 04:46
スタンプ押すのも大変だ (2023/11/10 訪問)
駅から徒歩2分くらいの地区センターにスタンプはあるのですが、問題はここには駐車場がないってこと。
斜向かいくらいにコインパーキングはあるものの満車。さぁ、どうする?
運転手が地区センター玄関に鼻先突っ込んで、方向変換してる間に私がスタンプ押しました。
良い子は真似しないでね。
しかるのちお城に向かいますが、これが住宅街のまん真ん中。
しかも道はクルマで登れるような幅でも傾斜でもない。
もちろん駐車場もない。
川の向こうの高速道路から眺めるしかなく、尻尾巻いて帰ってきました。
ある意味難攻不落です……
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2025/12/07 02:16
並木道の先には (2022/10/18 訪問)
2日続けて訪問しました。
四稜郭とは異なり、ほぼ方形で、案内板には「亀が首を伸ばした形」とあり、うまいこと言うもんだと思いました。
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2025/12/07 02:04
H (2022/10/19 訪問)
道路の案内板は行き届いています。駐車場もトイレもあるとは思いませんでした。
上から見るとHの字の形をしており、幕末に大急ぎで作られたにしては、虎口もきちんと残っています。
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2025/12/07 01:46
どれだけ知っていますか? (2023/11/10 訪問)
「台場?お台場?どっちが正しいの?」と訊かれて、即答できる人は実はそう多くないのではないかと思っている。
「船の科学館のプールに泳ぎに行っていた」と言えば驚かれ、観覧車やヴィーナスフォートというものがあった話も「?」という始末。
今や湾岸署やら水上警察署やらのある場所にされてしまっている。
レインボーブリッジを封鎖してもしなくても立ち入り禁止の台場もあるし、木更津寄りのある海堡は消防士の訓練専用だ。
今、地続きである台場しか見られないのは、何だかなあ。
全ての台場に上陸、見学できるツアーができないものだろうか。
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2025/12/07 01:45
旧樋口家住宅 長野県長野市 (2025/11/23 訪問)
松代城の近くにある旧樋口家住宅は、江戸時代真田藩士として目付役などを務め江戸末期には230石を録を受けていた樋口家の住宅です。
樋口氏は元は武田の家臣で、明和2年(1765)六代・角兵衛邦蕃の時に当地へ移り、近年まで続いていたようです(案内番より)。
新御殿のすぐ近くにあり、かつての殿様とはご近所であったようです。主屋・土蔵・長屋・庭園などがあり簡素ながらも、そこそこ(失礼)の上級武士で有ったようで、その暮らしぶりが伺えます。
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2025/12/07 01:33
真田邸 長野県長野市 (2025/11/23 訪問)
新御殿は元治元年(1864)松代藩9代藩主真田幸教によって立てられました。最初は幸教の義母貞松院の住居でしたが明治以降は真田家の私的な住居になったため「真田邸」とも呼ばれています(案内板より)。
比較的年代が新しいため、建物や土蔵、庭園などが良く残っています。明治以降は欧風な建築物に居住した元大名もいますが、こちらの方がしっくり来ます。本来大名のための屋敷ではありませんが、35の部屋と7棟の土蔵があり、なかなかセレブ感が漂っています。
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