みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

Tokyobay

近世の金座跡地に近代の日銀が (2025/04/19 訪問)

常盤橋御門向かいにある日銀は江戸時代に金座だった場所。因果か?タマタマか?は不明。そして、有名な広重の浮世絵『する賀てふ』が描かれた位置と同じ場所で撮影。三越と日銀・三井本館の通りからは、もちろん富士山は見えない。当時も見えたのかどうか怪しいが・・・。 
※ 『する賀てふ』(国会図書館サイト) https://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail042.html
ちなみに、貨幣博物館は大人も子供も楽しめる施設でオススメ。古代から現代までの貨幣や金融の歴史が詳しく学べる。新たな発見が色々とあり、思った以上に有意義だった。尚、今や常識ではあるが、最古の貨幣は和同開珎ではない。自分は約10年前に日本史の勉強し直して驚いたが。あとは「西の銀と東の金」というのも昨年知ったし、地図に使われる銀行マークって江戸時代の両替商のはかり分銅から派生したってのはこの度初めて知った次第。で、経済学者は否定する電子マネーの貨幣価値を、日銀が堂々とアピールしているのには驚いた。ていうか、貨幣発行元としてそんなことして大丈夫なのか?と逆に心配になったが・・・。

+ 続きを読む

しんちゃん

法界庵 (2025/04/07 訪問)

どうもすみません。悪気は無いんですよ、本当に。ただ、某城びとさんの記事を見てたら出てきてしまったんですよ「不発弾」が。
他にもいろいろ出て来そうで怖いですな(笑)。しかし、ストリートビューで見てみると双六館もなかなかいかつい・・危ないと思われたら遠景でも十分だと思います(差し出がましいですが)。でも「ゴジラ岩」の写真は見たいです。

若狭野陣屋は浅野陣屋とも呼ばれ、寛文11年(1671)赤穂藩主・浅野長直の養子・長恒が分家して3000石の旗本として陣屋を築いたのが始まりとされています。現在残っている建物は、藩札を作っていた札座と呼ばれる建物であった法界庵と西法寺に移築された陣屋門とされています。陣屋門の方は、今回パスさせていただきました。早く姫路城の桜が見たかったんですよ。
以前、訪問しているはずだけど、昔の写真から探し出すのもメンドイし・・・。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

シャンシャン

秘密基地気分の水城 (2025/04/22 訪問)

小高い丘陵にある水城跡。
登城路も整備されており、曲輪もしっかり残っている。
何と言ってもこの城跡の最大の見どころは海に面した船隠し。引き潮の時を狙って訪問。船隠しの中はちょっとした秘密基地のようで少年心をくすぐられる。
浜辺からは、かつて旧日本軍の毒ガス製造工場があった大久野島が見える(現在はウサギの島として有名)。大久野島の送電鉄塔は200m以上あり日本一の高さ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

宗春

地元の友人と讃岐・阿波・淡路の城を攻めて来ました ⑤ 引田城 (2025/04/10 訪問)

4城目は引田城。本日既に3城目、しかも山城です。途中までは急坂、途中からは然程急ではなくても岩山登りでした。所々立札で現在地は何となく分かったのですが、肝心の天守台跡に天守台を示す表示が無く、困りました。中途半端に整備するのではなく、キチンとやってほしいですね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

永良三郎則綱 (2025/04/24 訪問)

 南北朝後半、赤松円心の孫永良三郎則綱が築いたと伝わる城です。標高433mの稲荷山にあり、頂部に主郭を置き南側に曲輪を展開させ、北側は南に比べると尾根が細く堀切で防御している縄張りです。曲輪跡、石積み、堀切などが残っていました。山城賛歌さんのHPの縄張り図では主郭東側に「幅10m、高さ1mにわたる残存石垣跡、最大見所」の記載がありました。行こうとしましたが、倒木(伐採した木?)が折り重なっていて近づけません。場所は間違っていないと思うのですが、少し残念でした。ぴーかるさんの投稿を見て北尾根には行けないかと思っていましたが、通路が整備されていました。北尾根には堀切が2カ所確認できます。主郭の虎口手前の石積みの中に布袋さん?がいました。

 JR鶴居駅から徒歩10分くらいで登城口に行くことができます。登山道は歩きにくい所もありますが、トラロープ等もあり助かりました。主郭まで100mおきに標識があり迷うことなく主郭へ行くことができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

白岩城攻城で安堵して… (2025/04/19 訪問)

白岩城攻城で安堵し,自分にごほうび的に角館城へ。武家屋敷通りは,外国人観光客がほとんど。桜はまだ開花していませんでしたが…。
この時は「双六館」が残っていると思ってもみなかったので,駆け足で秋田県内を廻った余韻に浸っていました。まったりと…。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

本丸残存石垣 スタンプあるある (2025/03/16 訪問)

金山城主要部は、日の池の北側に二の丸があり、西手に一段下がって三の丸、東の最高所が本丸で新田神社が祭ってあります。本丸石段下を西手から北側に回り込んでいくと天主曲輪裏馬場があり(この城は天主表記)、本丸の残存石垣を見ることが出来ます。金山城の石垣がどこまで当時の物かは解りませんが、それでもかなりの物であったと思います。北条氏がなぜ、ここに石垣の城を築こうとしたのかも良く解らないんですね。
そういえば百名城・続百名城の二冊目のスタンプ帳で箕輪城のスタンプを押す際に間違って金山城の所に押していました。この場合、箕輪城を空けておいて、テレコにして両矢印を書き加えておくのがスマートなやり方だったんだけど、分かんないから両方に箕輪城のスタンプを押してあります。しょうがないので、箕輪城の上から金山城を押しました・・。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

明禅寺城 (2025/02/22 訪問)

【明禅寺城】
<駐車場他>操山公園里山センター駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>石垣
<感想>日帰り相生牡蠣買いラスト旅4城目。現地説明板によると明禅寺城は1566年に宇喜多直家が築いた前衛基地の出城です。翌年に備中国の三村勢に占拠されますが、宇喜多直家は奪還を果たすとともに三村軍を迎え討って完勝しました。これが明禅寺崩しと呼ばれています。
 里山センターから南に登って尾根上に出ます。そこから北へ方向転換して山の側面の遊歩道を進みます。案内板があるので分かります。やがて堀切があり、ここから城跡とわかります。
 城跡は主郭を中心に南に堀切、北下段に虎口曲輪、その北側に薄い堀切があり、さらに北側が広い平坦地になっています。広い平坦地は武者溜まりだったように思います。主郭の南虎口に多く巨石群がありスロープ状の通路が敷いてあり、朝田辰兵衛さんの投稿の石切場というのはここかと思います。どこまで改変されているかの判断はできませんでした。
 見所は石垣群で主郭南の堀切の東西各々の斜面にすごい段状の石垣群があります。石垣は主郭の東斜面と北の虎口曲輪の東面にも倒壊した石垣跡が見受けられます。石垣は面を表に揃えた美しい積み方をしています。高石垣ではなく、段々状になっていて、私には古いものに見受けられました。城びと情報の遺構にも石垣と書かれているので城の遺構と思いたい。私の大好きな感じの石垣遺構で斜面にへばりついて堪能、暫し見とれていました。438㎞無事走破。

<満足度>◆◆◆
<グルメ>以前にも投稿しましたが、兵庫県相生市の道の駅「あいおい白龍城」に殻付き生牡蠣が1㎏1000円で販売されています。4年くらい前から続けてこのシーズンになったら買いに行ってます。すごく安くて今年はさすがに値上がりしているだろうと覚悟して行きましたが、値段そのままでビックリ!身も大きくて美味しいです。レストランの牡蠣づくしの御膳もお勧めです。今回はこの牡蠣買いをメインに周辺の行っていない城びとの城を攻略しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

月の池、日の池 (2025/03/16 訪問)

金山城は応仁3年(1469)に築かれたとされ、戦国期には由良氏の城となり、現代残っている普請は北条氏の指示の下、天正15年頃に整備されたもののようです。豊臣秀吉の小田原攻めの頃には北条氏の城になっていたようですが、北条の城にしては珍しい石垣の城です。
大堀切の近くに月の池があり、大手虎口の先に城の主要部が広がっているのですが、いかつい石垣の城と言うより、アンデスあたりに有る山岳部の石の集落の様な雰囲気です。なんとなくマチュピチュ感ありますね・・。
月の池、日の池もインパクトあるし、なんとなく某アプリの築城を思い出してしまう、こっちがオリジナルなんだけど。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

西側の遺構 (2025/03/10 訪問)

白鳥城の写真、西側の遺構がまだ残っていました。主郭が最高所に有り、東と西に郭が配され遺構が残っています。主郭の東西に堀切が配され、西側の郭を南に進んだ先に出丸が有ります。白鳥城は元々、神保氏の城で、天正13年の羽柴秀吉の佐々成政攻めの際に秀吉の本陣が置かれました。白鳥城は遺構も良く残っており、縄張的にも優れた城ですが、少し構造が複雑な所があり、記憶に頼っている部分が多いので、細部の抜けはご容赦ください。最近記憶力がトンと落ちて・・・。
頭の中の八割が「お城」なら良かったのですが、私の場合は
35%・・お城
25%・・エ〇いこと
20%・・プラモとか
10%・・食う飲む寝る
残りが家族、仕事、世界平和やらなんやら・・なんだろう、盛大に墓穴を掘ったような気がするが・・そんなにダメ人間でもないんですけどね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

たか

バタバタとしながらもとりあえず (2025/03/26 訪問)

車で石段の手前まで行くことができます。
アポイントまでの時間にこっそりと行ってきました。
あまり沖縄の城という感じがしませんでした。
遺構があまりに無いのでサラッと見て登城終了しました。

+ 続きを読む

たか

とにかく行ってみようと思った (2025/03/26 訪問)

沖縄に行き時間も取れそうだったので朝5時から出発!
カーナビ通りに行くとなんだか場違いなところに…
近くで農作業中のおじさまに聞くと親切に教えて頂きました。
謝名城共同売店を左折(戻る方向では右折)、確かに看板がありました。

民家のあるところに看板がありますのでこれを撮影(過去のコメントで撮っておいた方がいいとのこと)
きちんと階段とか整備はされていますが沖縄の城はどこも急勾配です。
登ると祠や舞台的な建物があります。
下りは別ルートで戻りました。
戻りのルートは比較的楽だったのでそちらからのアプローチがお勧めです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

たか

美しい! (2025/03/26 訪問)

とにかくこの石垣は美しい!
本土のお城にはないこの曲線美。
引き込まれるようにじっと見とれてしまいます。
中国の影響が強い琉球のお城。
ほかのところもそうですが晴天のときに行くと最高です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

たか

絶景! (2025/03/26 訪問)

名護まで来たので延泊して伊江島へ。
一泊確定しているので散策がてら歩きながら登城。
登山口のところには売店(わたしの行った時には閉店していましたが)もあり駐車場も完備されていました。

登山口からは急勾配ではありますがきちんとコンクリート及び手摺が整備されていて意外と楽に行けました。
そして山のてっぺんまで来たら360°大パノラマ!
あいにくの天気ではありましたが解放感と絶景がたまりません。
ぜひチャンスがあれば訪れていただきたいところです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

たか

無理してはダメです (2025/03/27 訪問)

今帰仁の運天港からフェリーにて伊是名島へ。
日帰りできるとのことで気合を入れて出発。
島に到着して歩きでいざ登城。
綺麗な海を横目にしながら麓に到着。
向かって左側に登山口がありそこから上がれます。
道を丁寧に整備されていてとても素晴らしい。
かなり登り切ったところで祠があって左右に分かれています。
右に行けば切り立った一番高い場所に行けます。
ただここからですが薄っすら誰かが通ったであろう形跡はありますが道てきなものはありません。
わたしは好奇心のあまり登って絶景を眺めて感動をしました。
帰りの下山で降りやすいところを降りていって元の登山道から外れてしまい北側の断崖絶壁に出てしまいました。
そこから険しい斜面を戻ろうとするも力尽き110番通報。
地元警察や役場の方々に大変ご迷惑をおかけしました。
フェリーに間に合うはずもなくその日は民宿に一泊。
擦過傷がひどかったですが助かってよかった。
もう二度とこんな無謀はしないと強く思いました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

WEST

高島城探訪 (2025/04/09 訪問)

高島城を訪問しました。ここは高島公園として整備され、天守閣、冠木門、角櫓などが復興されています。駐車場は天守閣の下にある駐車場(10台程度駐車可)を利用しました。
見どころは復元された天守閣です。堀越しに見る天守閣はなかなかのものです。その三階の展望台からは諏訪湖を眺めることができます。築城当時は城の際まで諏訪湖の水が迫っていたとのことですが、現在は距離があるようです。
城内散策後は高島藩諏訪家の菩提寺である温泉寺に立ち寄りました。ここには高島城から移築された能舞台を使った本堂と三門があります。高島城から自動車で数分のとことですので、寄ってみるのも良いと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

WEST

伊那大島城探訪 (2025/04/09 訪問)

伊那大島城を訪問しました。このお城は武田氏の城郭の特徴がよく表れています。現在は台場公園として整備され散策し易いお城です。
駐車場にあるトイレの前に紙の縄張図が準備されており、城内散策の参考となりました。最初の見どころは、駐車場横の丸馬出と三日月堀です。この遺構は良く残っていて分かりやすいです。
城郭は三の丸、二の丸、本丸が直線に並んでおり、その間に大きく深い空堀を見ることができます。特に二ノ丸と本丸の間の空堀は幅広く深いものでした。
登城としての感想ですが、遺構も多くしっかり整備されており、是非訪問して貰いたいお城です。長野県南部の観光の際には。是非訪問してみてください。お勧めですよ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

【春の長崎天草を巡る⑥】佐世保観光 (2025/03/28 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、平戸から佐世保に戻り東横インに連泊し(写真⑩)、翌日の午前中に佐世保観光をしました(お城に関係ない話になりますがすいません)。

佐世保と言えば海上自衛隊の基地がある事で有名です。艦艇公開や佐世保湾軍港クルーズが行われているので、それに合わせて訪れました。いずれも予約が必要なので、実施日と予約方法などはHPで確認されて下さい。

接岸されている護衛艦に実際に乗船して内部を見学しました(写真③④)。そして対潜水艦や対弾道ミサイルに対し、どのように迎撃しようとしているのか、実際の装備を目の前にして説明を聞きました(写真⑤)。尖閣諸島や台湾問題で最近は出航回数が多く、さらに遠くソマリアまでタンカー護衛任務もあるそうで、なかなか日本へ帰れないと隊員の方はぼやいていました。本当にご苦労様です。

また佐世保湾を一周する軍港クルーズ(写真②の船)では、様々な護衛艦を海から眺めたりできます(写真⑥)。戦艦武蔵を建造したドックは今でも残っており、眺める事ができました(写真⑦)。また市内には、日本海軍の始まりから海上自衛隊の現在までの歴史をまとめた自衛隊施設の資料館「セイルタワー」もあり見学してきました(無料)。

この後所要のため、特急「みどりハウステンボス号」(写真⑧⑨)に乗っていったん福岡に1日戻り、それからすぐ出直して後半戦に続きますので、また引き続きよろしくお願いします。

次は、島原半島の城を目指します。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

南城 (2024/12/28 訪問)

(続き)

南城北西麓の駐車スペース(説明板あり)から登城開始。ハイキングコースをしばらく行くと左側に尾根へと上る階段があり、右側は西端の曲輪、その間の堀切は切通道になって続いています。階段を上り、尾根沿いに展開する曲輪群を進むと曲輪間に石段がありました。てっきりハイキングコースとして改変されたものかと思っていたら、発掘調査により検出した石段遺構なんだとか。石段の上の曲輪では礎石建物や石組庭園も確認されているようです。龍王山山頂が南城の本丸です。本丸からは西に大和盆地を見下ろす眺望が開けています。本丸の南東には堀切を挟んで弥七丸が連なり、さらに東の堀切の先の曲輪が東端です。

堀切の堀底から続く城道を南へ下ります。弥七丸の南西下を通る城道沿いには喰違い虎口や土橋、伏兵溜まりなどが設けられている…そうですが、これかな、と思う箇所はあるものの、いまいち確証が持てませんでした。その先には本丸南下の腰曲輪から竪土塁が城道までのび、竪土塁を回り込むと屋敷地らしき削平地が広がっています。屋敷地の上には龍王山の名の由来でしょうか、柳本龍王社が祀られていて、南城の水の手だったと思われます。龍王社から切通道を上って行くと最初に上った階段のところに到着。階段の北側から北西端の堀切を抜けて尾根の東側に出ると、主郭部北下の腰曲輪を確認して南城をひとめぐり。

辰年の城納めとして訪れましたが、技巧的な虎口あり、巨大な堀切あり、畝状空堀群ありと、北城・南城あわせて4時間半を要する大いに見応えのある城でした。


…ということで、久々に「麒麟」でも「金龍」でも「きっかけ」でも「くいだおれ」でもない、普通の投稿をしたように思いますが、城めぐりの投稿も4か月分くらいたまってしまっているので、これからぼちぼち挽回していきたいと思います(…追いつけるのか?)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

これが琉球の兜!(展示企画・4/29~6/2・護佐丸歴史資料図書館) (2025/04/29 訪問)

◯ イベント名:想定復元品 琉球式兜展示
◯ 期間:令和7年4月29日~6月2日
◯ 場所:護佐丸歴史資料図書館(中城村字安里215番地)図書室1階
 ※ 中城城跡から約4km、車で十数分の場所にあり、グスクの発掘品などが常設展示されています。
◯ その他:
 ・入場無料
 ・10時~19時(土日祝は17時まで)
 ・休館日 4/30、5/1、7、8、9、13、15、20、27

沖縄の兜、どのようなものをイメージしますか?

琉球王朝やそれ以前の時代の甲冑は残念ながら現存してませんが、
首里城はじめグスクで発掘される断片から、
日本式の甲冑が海を渡って用いられていたと考えられています。
また、独特にデザインされた鍬形などの立物が発掘されており、
琉球独自にアレンジされた立物が組み合わされていたのではとも考えられています。

こうした推定に基づき復元された兜が
このたび、中城城跡に近い資料館・護佐丸歴史資料図書館で展示されることとなりました。
製作したのは「オータニサン」のエンゼルス兜で知られる甲冑メーカー・甲冑工房丸武。
レプリカとはいえ沖縄県では珍しい兜の展示企画、
中城城跡を尋ねる機会があればお立ち寄りください。
(E)

+ 続きを読む

ページ2