大溝陣屋跡
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2026/11/03 17:25
大溝陣屋跡 (2026/11/03 訪問)
大溝陣屋跡
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2026/11/03 16:54
相馬氏歴代の居城を訪ねて④ (2026/10/17 訪問)
今回の旅4城目は相馬氏最後の居城中村城です。
慶長十六年(1611)に相馬利胤はこの城を改修して小高城から移転し、以後明治4年(1871)の廃城ま260年間相馬氏の本拠地となりました。
中世にはその後の本丸、西二の丸、東二の丸で構成された土の城でしたが、16世紀前、後半の整備・改修により、鉢巻き石垣や、南二の丸、三の丸、馬出しなどが構築されたようです。
小高から中村への移転はやはり隣国伊達氏との緊張関係によるものなのでしょう。
本丸は東西118m、南北112m、比高は10mと決して広くはありません。その南西角には天守があったようですが、寛文10年(1670)に落雷による火災によって焼失したようです。その後再建されることもなく、天守台や詳細な資料も残されていないため、その外観や構造はわかっていないようですが、現在の相馬神社社務所のあたりに建っていたと推測されているようです。同時代に建設された天守は松本城や松江城、弘前城の天守があります。南二の丸に立って、本丸を望み、黒漆喰の小ぶりな三層天守をイメージしてみました。
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2026/11/03 13:14
再訪したいと思います! (2026/11/01 訪問)
じいさん仲間の歴史ツアー、秋の陣は盛岡方面へ。
途中でこれまで国道四号線で何度も通り過ぎながら訪問していなかった徳丹城跡に初めて立ち寄ることができました。
数年前に興味をもった古代城柵・官衙跡巡りですが、「律令国家最後の城柵」として造営された徳丹城の成り立ちを知ると、古代城柵探訪のまとめにふさわしい遺跡と感じました。
ここより12km北にあった志波城が北上川の度重なる水害により移転を余儀なくされていたことと、それまでの征夷政策から融和政策へ国家政策の転換が徳丹城造営に繋がったなったようです。
志波城は坂上田村麻呂によって延暦22年(803)に造営されました。徳丹城は弘仁3年(812)に征夷将軍文室綿麻呂により造営されますが、9世紀半ばにはその機能を終えたとのことです。
今回の訪問で、徳丹城は城柵・官衙の完成形なのかと感じました。また、城地には「先行する官衙」や、旧北上川に向う運河の遺跡などもあり、大変興味深く感じました。
城地跡西に矢巾町歴史民俗資料館があり、発掘調査結果や出土物などが展示されいます。開館直後の訪問でしたが女性職員さんからたくさんの資料をいただき、質問にも親切にお答えいただきました。盛岡市に向う途中で、短時間の訪問となってしまいましたのでぜひ再訪したいと思います。
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2026/11/03 10:58
朝田辰兵衛さん 山梨県コンプリートおめでとうございます
朝田辰兵衛さん 山梨県コンプリートおめでとうございます🎉
祝辞遅くなりましたm(_ _)mすみません。週末から城巡り旅でサイト全然見れてませんでした。
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2026/11/02 21:30
すばらしい石垣
りっぱな石垣の城でした。
駐車場あり。
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2026/11/02 21:27
春日山城が。 (2026/09/26 訪問)
なんの変哲もない公園です。
車とめられないかな。
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2026/11/02 21:25
2026/11/02 21:23
すばらしい (2026/09/21 訪問)
土塁の凄さ感じました。
駐車場トイレもあり。
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2026/11/02 20:29
2026.2.21登城 (2026/02/21 訪問)
圏央道木更津東ICと高滝湖PAの中間ぐらいの場所にある木更津市立少年自然の家キャンプ場が真里谷城址となります。
キャンプ場に通じる道は通行止めになっていましたが、徒歩で登城できるう回路が設置されており、
本来の登城道を歩くことができます。
城址はキャンプ場となっていますが、冬季は営業しておらず閑散としてゆっくりと散策できます。
主郭には城山神社があり、かなりの高さのある土塁があります。
またキャンプ場入口付近が二郭となりますが、見事な空堀や竪堀が確認できます。
かなりの山奥ですが、車であればきれいな舗装道路となっていますので、問題無く辿り着けます。
遺構は見応えがありますので、オススメの城址です。
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2026/11/02 18:51
ぷらっとかすかべ (2026/11/01 訪問)
今年の「東京文化財ウイーク」は私のハートに響かなかったので,なぜか春日部。観光案内所となっている「ぷらっとかすかべ」へ。クレヨンしんちゃんのスタンプラリーをやっていたのですが,スタンプのコンプリートで何も景品ナシ。スタンプラリーは参加しませんでした。足が疲れていたので。
この「ぷらっとかすかべ」で地元のおみやげ購入。撮影スポットには,サトーココノカドー。久しぶりでホッコリ。
ところで,城びとのしんちゃんさんは生きているのか…?
何か一報いただきたいものです。
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2026/11/02 16:25
武田氏関連史跡いろいろ
5月に訪れた際に整備工事中だった西曲輪を見がてら行ってきました。そのほかお散歩したところの写真です。
①整備工事が終了した西曲輪
②信玄公火葬塚
③梅翁曲輪の石垣と集水口跡平面表示
④かぶとやさんのソフトクリーム
⑤逍遥院の逍遥軒信綱(信虎六男・武田信廉)の祠
⑥大泉寺の武田信虎公像
⑦大泉寺の曽我兄弟の供養塔
⑧大泉寺の武田三代の霊廟と墓
⑨入明寺の武田竜宝(信虎二男・武田信親)墓所
⑩県立博物館の「武田の馬」
まだ知らないところもたくさんあると思うので折を見て探してみたいです。
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2026/11/02 08:08
取りこぼし回収 (2026/05/23 訪問)
この日はニッポン城めぐりのエリア限定イベントがてら、あちこちで昨春の取りこぼしの回収を。例によって阪急・西院駅から阪急レンタサイクルで京都市内をめぐります。まずは聚楽第から。
徳川家康邸跡(京都市上京区北伊勢屋町・西院町)
聚楽第南部の椹木町通沿いに石碑と説明板があります。聚楽第の廃城により徳川家康邸も破棄されて町人地となりましたが、西隣地には江戸期に京都所司代の千本屋敷が造営されて幕末まで存続しています。なお、説明板が掲示されている建物は佐々木酒造の酒蔵で、千利休が茶の湯に用いたという銀明水で仕込んだ「聚楽第」が看板商品です。大河ドラマ「麒麟がくる」で秀吉役を演じた佐々木蔵之介さんのご実家でもあります。ちょっと覗いてみたいところでしたが、営業時間前だったのでまたいずれ。
妙覺寺(京都市上京区下清蔵口町)
聚楽第の裏門が大門として移築されています。妙覺寺は斎藤道三と縁が深かったことから織田信長の上洛時の定宿となり、本能寺の変の際には織田信忠が宿泊していた寺院です。その後、秀吉による京都改造により現在地に移転し、大門は江戸前期に移築されたもののようです。
細かく見れば聚楽第ゆかりの地はまだまだありますが、とりあえず今回はこんなところで。
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2026/11/01 21:41
久野城 立体感を感じさせる城 (2026/04/28 訪問)
ゴールデンウィークに帰省する際、今年は好天に恵まれたため立ち寄ることが叶った静岡県袋井市の久野城。
掛川市や森町から袋井市の北部に伸びる宇刈丘陵の南端エリアにおいて、比高約25mの1つの舌状丘陵に築かれた城。
北西以外の三方を水堀および沼地に囲まれた要害の地で、2kmほど南には東海道の袋井宿が位置するポイント。
築城時期は定かでないが、1500年頃に久野宗隆が築城したとされる久野氏の居城。
1590年には豊臣家臣の松下氏が入り城を改修。1603年から再び久野氏が領有し、1619年には北条氏重が城主となるが1644年で廃城に。
現在は、北の丸付近が失われているものの、市の指定史跡として保存会により整備されている土の城跡。
訪問時は大手口から入城し、ほぼ時計回りで各曲輪へ移動。
堀や土塁の類は目立たないが、高層の曲輪は切岸で囲まれており、その下の階層に睨みを利かせる立体的な曲輪配置が印象的。
約2時間愉しんだ、私の城郭巡りの237城目でした。
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2026/11/01 20:23
2026/11/01 16:56
本日のメインコース (2026/10/29 訪問)
日の出に染まる雲海を眺め、赤倉観光ホテル名物フレンチトースト他のバフェ朝食をこれでもかと楽しんでいると、天気は回復傾向。
前日の雨とは打って変わって好天に恵まれたので、まずはホテルからサービスのロープウェイチケットを使って展望台へ。
ここにもインフィニティポンドがあります。不思議なアート作品を眺めながら、下界へ向かい、予定通り春日山城へ。
運転手のガセネタに騙されて、まずは埋蔵文化財センターへ。玄関にある「スタンプはここにはありません。『ものがたり館』へ」の貼り紙に「ほれ見ろ!いい加減なこと言いおって」とちょい腹を立てつつ、チラシの類をピックアップ。
ものがたり館で地図と回り方のインフォメーションをいただいて、スタンプもget!
「あのー、クマ出ましたか?杖とか要りますか?」と伺うと、「いや、今年は出てませんよ。小学生でも登れますから、杖とかポールは要らないと思います」とのこと。「こちらにはクリアファイルとか置かれていませんか?」とお尋ねすると、「神社前の小さな売店に置いてあるかも」と教えて下さいました。
春日山神社前駐車場までクルマで登り、インフォメーション通り、時計回りで回ることにしました。途中までは舗装された道なので、楽々登れて「まだまだこんなもんじゃないはず」と自分に言い聞かせます。
歩道に入っても段差もさほどキツくなく、三の丸、二の丸等で休み休みなので、本丸までは予想よりも登りやすく、「昔もこの道幅・勾配だったとすると、馬なら駆け登ってきたかもしれない」と思いました。(二の丸等には猪に荒らされたため、養生中の箇所があります。お城を守るため、ロープ張りの中には入らないようにしましょう)
で、本丸からは毘沙門堂、直江屋敷跡などを回りながら下りますが、この道がなかなかの難物。危険な谷・崖側にはロープがない!なくてもいい山側にはある!段差も下りでこれは辛い。小学生は大丈夫でも、還暦過ぎの膝には来る。杖要ります‼️トレッキングポール持って来てたのに、なんでクルマに置いて来ちゃったんだろう?何箇所かジメジメズルズルしている所もありました。(河後森城に似てると思いました)
神社手前に小川未明の両親の記念碑が建っていたので、未明ファンとしてはしっかり礼を捧げました。
神社に参拝して、案内所でチラシ関係をいただき、売店に突入。控えめな構えに反して、品揃えが充実してたので、運転手、大爆発してました。
ここからは鮫ヶ尾城に向かって快走……と言いたいところですが、なんと昼食を摂っていなかったことに気がつきます。
といっても、ここでしっかり食べると17:30スタートのフレンチのフルコースの夕食が入らなくなります。コンビニおにぎり一個に抑えました。
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2026/11/01 07:22
にのまるさん,赤い城さん御礼
早速のご回答,ありがとうございました!
①岩殿山城,②深草館,③御坂城は正解です。
④北杜市考古資料館(谷戸城碑があります。谷戸城登城口の向かい)
⑤小田野城(土質は岩殿山城に酷似。岩殿山城より急峻&ロングディスタンス)
⑥中野城(約1㎞も落ちているのか…と想像すると,ゾッとします)
⑦白山城(満身創痍の状態で散策した畝状竪堀)
以上となります。
なんだか,さっき長い横揺れを感じたけれど,気のせいかな…?
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2026/11/01 06:36
朝田さんクイズ
そう、八王子城でした。
詰城からさらに進んでいくと富士見台。
天気のよい日に行かれる際には足を伸ばしてみてください。
さて、お返しクイズ、にのまるさんがわからないのに私に分かるはずなく😭
①〜③は私も同じです。
①岩殿山城 次行くことがあれば稚児落し見たいです
②深草館 木橋の先には素敵な土塁が残ります
③御坂城 本栖城とも思いましたがヒントからこちら
④全くわかりません。見た目だけで熊城🐻(笑)
⑤〜⑦全くわかりません。中野城、本栖城、獅子吼城、白山城あたりが候補かとは思いますが・・・
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2026/11/01 06:21
クイズ返し問題。難しい😖
①小山田信茂が「おいでおいで」の岩殿城。登城路復活したそうですがちょっと怖そう。
②木橋が「おいでおいで」の深草館。リベンジしません。
③この景色で“まだ登城途中”ということは御坂城?行ってみたいけれど自信がない。
④県立考古博物館にいたのはイノシシの剥製。県立博物館にいたのは復元された「武田の馬」。なので自然豊かな八ヶ岳、小海線、北杜市方面?
⑤⑥⑦未知の世界!
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2026/10/31 22:24
相馬氏歴代の居城を訪ねて③牛越城 (2026/10/16 訪問)
この日の三城目は南相馬市の牛越城に登城しました。
小高城からの本拠地移転の計画は、村上城築城中の火災発生で中止となり、それまで城番をおいていた牛越城を改修して、義胤が慶長二年(1597)に小高城からここに移ることとなったわけです。
それまでの小高城から北に12.3kmに位置し、水無川の北岸の東西に延びる丘陵東端に、二ノ丸(西曲輪)、本丸、東舘(三ノ丸)、帯曲輪、腰曲輪、空堀を配した縄張り。本丸は東西300m、南北280mの規模で、標高は73mですが、麓から望むと高さを感じます。
本丸は現在水道施設となっており、全体を眺めることができず、当時の規模をつかむことはできません。本丸以外の遺構はしっかり残っているようなのですが、時節柄草木が繁茂していて確認が困難でした。
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2026/10/31 22:14
高島古城(茶臼山城) 長野県諏訪市 (2026/10/24 訪問)
JR中央本線上諏訪駅から北東に約1km。
手長神社の裏手、県営桜ヶ丘団地周辺に高島古城(茶臼山城)跡の案内板と石碑があります。
文明15年(1483)、諏訪上社大祝家の諏訪継満は下社の金刺興春、高遠継宗らと結託し、反乱を起こします(文明の内訌)。上社惣領家の諏訪政満とその嫡男である宮若丸を殺め、興春は茶臼山城を占領しますが惣領家の反撃にあい戦死。政満の次男頼満は10歳の若さで家督を継ぎ、大祝家を滅ぼして諏訪を統一します。
頼満の孫である頼重の代には諏訪一帯は武田氏の所領となり、重臣の長坂光堅が郡代として入城しますが、天正10年(1582)に信長により武田氏は滅ぼされ、その旧領は河尻秀隆に与えられます。しかし同年に本能寺の変で信長が斃れ、秀隆は武田旧臣の反乱により亡くなります。
その後は家康の家臣である頼忠(頼重の従弟)に諏訪の地が与えられ、新たに金子城を築き本拠としますが、天正18年(1590)の小田原平定後、頼忠は家康とともに関東へ移封となります。
代わって秀吉の家臣であった日根野高吉が入城しますが、諏訪湖畔に新城を築くに伴い茶臼山城はその役割を終え廃城となりました。また、金子城もこのとき廃城となり、石材などが高島城に転用されています。
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