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駿府城

駿府城跡天守台発掘調査現場最後の“休日公開”&限定ツアーを開催します!

駿府城跡天守台発掘調査現場では、野外展示施設の整備に伴い、令和7年9月末で土日祝の公開が終了し、12月26日(金)をもって平日の公開も完全終了します。そこで12月13日(土)に”最後の休日公開日”を特別に設けます。
今回、このラストチャンスに合わせて、限定ツアーも同時に開催します!普段耳にすることのできない、「発掘の裏側」や「最新の調査成果」を、現地で直接聞くことができます。

◆今回の限定ツアーの見どころ
※限定ツアーにご参加いただいた方のみでご覧いただけます。
・天正期の本丸石垣を新たに発見!
駿府城では天守台の調査以外で”初”となる歴史的発見です。
・慶長期本丸石垣の姿も明らかに!
徳川家康の居城・駿府城の新たな一面が見られる貴重なチャンスです。

◆開催日時: 12月13日(土)9:00~16:30(最終入場16:00)
限定ツアー(当日受付・無料)【先着順・各回20人/全8回/各回約30分】
10:00~/10:30~/11:00~/11:30~/14:00~/14:30~/15:00~/15:30~
※当日の状況により時間・回数が変更になる場合があります。
◆開催場所:駿府城公園(静岡市葵区駿府城公園1-1)駿府城跡天守台発掘調査現場
◆開催可否:少雨決行
※荒天等で中止の場合は12月12日(金)17時までに静岡市HPにてお知らせします。
◆対象者:どなたでも参加できます
◆料金:無料
◆申し込みの有無:不要 ※限定ツアーの参加者のみ、当日の受付が必要です。
現場説明会に参加される方は、当日、現場内の「発掘調査現場きゃっしる」前にて、各回1時間前から受付を行います。
これまでの調査成果が一気に見られる“特別な一日”。最後の休日公開となるこの日に、ぜひお越しください。

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赤い城

駅近物件 (2025/11/25 訪問)

倉吉に所用があり、少し早めに着いたので足を伸ばしました。
山陰本線の八橋駅に車を置き、すぐ近くにある説明板のところから登っていきます。
すぐに2つの曲輪に到着、東側の郭には石垣も見えます。
2つの曲輪の間は高くなっていて神社が鎮座します。
櫓台でしょうか?
この北側が窪んでいて虎口だったとされます。
西側の曲輪には僅かに石積が残り、酒井片桐飛行殉難碑が立っています。
城は山陰本線の南側まで広がっていましたが鉄道により分断、南側には遺構は無さそうです。

ここで見学終了しましたがどうやら曲輪の北側にも石垣があるようです。
事前確認が漏れてました😅

【見どころ】
 ・(一部見てないが)石垣

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todo94

三連休・山口県の攻城⑥ 山口駅から登城口まで (2025/11/23 訪問)

前日の蓮華山城でのダメージはありましたが、この日予定していた攻城をあきらめる気はさらさらありません。三連休の中日、献血の予約が取れるまでレンタカーの予約を入れずにいたら、徳山界隈のレンタカーはすべて満車となってしまいました。やむなく、JRで山口駅に向かいます。レンタカーが借りられなかった時点でこの日のターゲットは古城ヶ岳城のみに絞りました。県庁所在地の駅とは思えないほどさびれた山口駅のコインロッカーに荷物を預け、一の坂ダムを徒歩にて目指します。折角ですので、道すがら、洞春寺と瑠璃光寺には立ち寄っていきます。青空をバックにした国宝・五重塔は本当に絵になります。そして瑠璃光寺から40分ほどで一の坂ダムに到着。その先に進んだところにある登城口は、雑草が繁茂していて先に進んでいくことに不安を覚えます。

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しんちゃん

天守台と破城の痕跡 (2025/11/08 訪問)

天守台直下の伝本丸取付台は調査中で立ち入ることが出来ず、その先の遺構も確認することが出来ません。調査が進んで、早く安土城を自由に散策できるようになればと思います。荒々しい野面積みの石垣ですが当時の天下人に相応しい巨大な天守台です。
個人的には真に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉こそが最初の天下人と思っているのですが、日本の大半を支配下に治め天下統一に最も近かった織田信長も天下人と呼ばれているようです。三好長慶もそれ以前の天下人とされる場合もありますね。
天正13年(1585)に八幡山城が築かれ羽柴秀次が入城すると、安土城は廃城になり豊臣秀吉の命で石垣も崩されました。安土城は元々は観音寺城の支城が有った場所に築かれていて、戦略的にそれほど重要な位置に有るわけでもなく、天下人が秀吉に代替わりしたことを世に示す意味合いが大きかったようです。まさに破城もいろいろです。
家康ほどじゃないにしろ、秀吉も元主君の城に対して容赦無いですな。

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しんちゃん

本丸へ (2025/11/08 訪問)

織田信忠邸から本丸に続く石段をしばらく登って行き、伝・黒金門を越えて右折した先に伝・二ノ丸の石垣が見えてきます。
この二ノ丸跡が信長廟になっています。天守台の石垣の上は木々が鬱蒼と生え茂っていて、まるで密林の中の遺跡のようです。
う~ん、こんなんだったかな? 本丸周辺は立入出来る場所が限られていて三の丸や八角平方面には進むことが出来ません。天守台の上には登ることが出来ます。

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BUGTI

湯浅党本拠の城 (2025/12/07 訪問)

普段は非公開の湯浅城が一般公開されたので訪問してきました。城内は藪や竹林が多くて視界や足場が悪いところも多くありましたが、逆に開発の手が入っていないだけに昔の姿がそのままに残っている感があります。特に主郭東下の土橋は、主郭から土橋を渡る敵をちょうど狙える位置にありました。曲輪の切岸も急な角度になっていて、下から攻めるのは難しそうです。今後とも手を入れない状態で保存されることを願います。令和8年2月28日と3月1日にも一般公開がある予定です。

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小城小次郎

城までの道 (2025/03/29 訪問)

道が傷んでいなければ城跡のすぐ近くまで車で行けるが傷んでいないかどうかは行ってみないとわからない(私は歩いた)。一段低い所にある城址碑までよりもむしろその先の曲輪群の方がお城っぽさを色濃く湛えているように見えた。

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しんちゃん

石垣の迫力に圧倒される。 (2025/10/12 訪問)

久々の津山城です。イベントでも無ければ、なかなかこの辺りまで来る機会はありません。森忠政の以前の居城美濃金山城(7万石)も良い城ですが、津山城(18万6500石)の石垣の進化っぷりは凄い。18万6500石といったらけっこうな大身だけど、この城の石垣の凄さはそれ以上に見える。天守や櫓も凄い数だったようだし、地元の人達は大変だったろうな。
これだけの居城も廃城令であっさり破却されてしまったわけで、実に勿体ない話だと思う。残っていたなら残っていたで維持費が大変なことになると思うけど、小倉城を模したとされる天守は残しておいて欲しかったな。

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ヒロケン

石の寺 教林坊 (2025/12/06 訪問)

石の寺 教林坊 伝小堀遠州作の名勝庭園

300本の紅葉と竹林 少しピークは過ぎていると思われる紅葉が癒してくれる。ご夫婦・恋人・友人といった方々が大勢訪れておりました。観音寺城攻略後、自分は一人で訪れ少し浮いていたかの様に感じましたが十分に癒され行って良かったと思います。

教林坊は最盛期には70を超える坊舎・子院があったとされる観音正寺の子院の一つであったとされています。皆さんも観音寺城に行かれた際は行かれてみればと思います。

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いんげん丸虫

谷小屋城 福井県小浜市 (2025/11/23 訪問)

標高240mの山城です。
妙祐寺の背後の尾根から直登します。
看板等はありません。かなりの急斜面
で幹につかまっては反動つけて5、6歩
登るといった感じです。健脚の方でも
主郭までは1時間近くかかるのでは。
100mくらい離れて2箇所に遺構があり
尾根を中心として4ヶ所の曲輪があり
要所に堀切があります。全部で12ヶ所
堀切がありますね。整備等されてない
自然のまんまで良かったです。

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ヒロケン

伝三国丸・伝楢崎丸・伝沢田丸・御屋形の石垣 (2025/12/06 訪問)

観音寺城の伝三国丸・伝楢崎丸・伝沢田丸・御屋形の石垣を投稿いたします。

伝三国丸は繖山東尾根登山ルートのピークにあたり、ここから繖山山頂まではなだらかなルートが続いています。伝三国丸の郭はさほど広くはありませんが、東側と北側に1.5m程の高さで割と大きな石の石垣が残っています。(画像1と2)

伝楢崎丸は伝沢田丸?を伝本丸に行くルートで降りて行くとあり、伝楢崎丸の石垣は高さ3m程の石垣が30m程(目測)続いています。東尾根ルート・繖山山頂付近にある郭には藪藪で入って行くことが困難で、この楢崎丸の郭も同様で入って行くことが出来ませんでした。(画像3と4)

伝沢田丸?には観音正寺から本丸に行く途中に繖山三角点に向かう案内があり、このルートを登り切った先を右に曲がれば三角点ですが、左に下れば伝沢田丸?の北側に石垣と虎口と思われる遺構があります。(画像5と6と7 この虎口を下って行った先に伝本丸虎口があります)

御屋形の石垣は高さ・長さ・石の大きさは観音寺城の中でも最大級です。(画像8と9)この御屋形の石垣を横切るように大手道と言われる登山ルートが続いています。

今回投稿した〇〇丸という郭には案内がなく、観音寺城縄張り図と見比べたもので自信がありません。特に伝沢田丸?は自信がありません。違っておりましたら教えていただければ幸いです。そもそも各郭に”伝”と記載されているということは、「確かではなく多分?」ということであろうと思います。他の山城では山頂に本丸を置き、各尾根筋に郭を配するものと思っていますが、この観音寺城は、繖山の西尾根に中核をなす郭を配しているのは何故だろうと疑問に思ったりもします。

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トク

【とことん名護屋城-③】秀吉と茶々が暮らした山里丸 (2025/11/23 訪問)

気になる平山優先生のもう一つの話題は、秀吉と茶々の話です。

茶々が名護屋に来た事は一度だけあるようですが、それがいつだったのかははっきりと分かっていないそうです。茶々は、名護屋城の天守は風がとても強いので、天守を嫌って山里丸へ移ったとか。それで秀吉も山里丸で暮らすようになったそうです。山里丸は巨大な石垣をともなった門跡が、破却されずに今でも大部分が残っていました(写真①②③④)。この石垣の上の広沢寺(写真⑦⑧)の横に、秀吉の居館(写真⑤⑥)がありました。確かにここなら本丸が風よけとなってくれそうです。そしてその横には、茶室や月見櫓や船遊びをする場所(写真⑨⑩)も建てられ、兵士たちが朝鮮で戦っている最中も、秀吉はここで優雅に過ごしていたものと思われます。そして茶々がいない間は側室の広子(広沢局)がここにいたそうです。

平山先生は、秀頼が生まれた日(文禄2年8月29日)から280日前に逆算すると、秀吉は母(なか)危篤の知らせを受けた7月に名護屋をいったん離れますが、葬儀が終わって大坂から名護屋に戻ったのが(11月4日)。その直後の11月中旬がちょうど280日前となるので、この頃に茶々は名護屋に居てそして懐妊したのでは、もしそうなら秀頼は秀吉の子に間違えないだろうという見解でした。さあ真実はどうなのでしょうか?

次は小和田哲男先生の講演、(黒田官兵衛の縄張りを読み解く)の中からに続きます。

(P.S)
と言う事は🤔? もしかして11月中旬に茶々が名護屋でなく大坂にいたとしたら、秀頼は秀吉の子ではないと言う事になるのですか?(😱~!)。
 

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todo94

三連休・山口県の攻城⑤ 【城びと未登録・旧藩台場跡】(山口県周南市) (2025/11/23 訪問)

徳山陣屋に比べるとだいぶ徳山駅に近いところにあります。徳山駅近くのホテルに泊をとりましたので、コンビニでの朝食調達の早朝散歩の折にチェックしてみました。標石と説明板がありました。古い標石は新幹線工事の際に破損したそうです。

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アネ

ライトアップ (2015/04/02 訪問)

姫路城はイベント毎に様々な色にライトアップされることで知られていますが、
「世界自閉症啓発デー」は「青」です。
夕方に駅前を出るお城までのパレードに参加し、ライトアップを見届けてから帰宅となると宿泊必須です。
しかも、知人からのお誘いで、初めて出かけた時は桜の季節と週末がこのイベントと重なり、ホテルが取れませんでした。
「少し移動して」とも思ったのですが、桜の季節の週末はきっとどこもホテルは取れないと諦めました。
夜行バスは安いけれど、ちょっと怖いし……「そうだ!同じ夜行なら、あれがあるじゃないか」と思いついたのは
「サンライズ出雲・瀬戸」です。
ごろ寝シートでもいいやと思ったのですが、ダメ元でみどりの窓口で個室の空きを探してもらうと、「取れますよ」とのこと。どうやら週末でも「上り」、特に出雲と瀬戸が連結される岡山以東にはゆとりがあるようです。
とはいえ、夜の11時過ぎまで、どこにいたものやらと悩み、駅前のファミレスの閉店まで粘り、その後は駅のホームの椅子からお城を眺めておりました。
駅近くのコンビニで食料とアルコールを買い込んで、2階席から夜景を肴に一人酒です。
花冷えの季節でもあり、競争率も高いので、揺れる車内でシャワーを浴びるのは見送りました。
気がつけば、列車は横浜を過ぎていました。
東京駅で車庫に向かう前の姿をあれこれ撮影してニンマリ。
こういうのを「災い転じて福となす」というのでしょうか?

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たか

今は病院 (2025/12/06 訪問)

タイトル通り今は大きな野崎病院となっている。
ただ裏側の公民館や民家あたりには遺構らしきものがある。

ここも伊東氏48城の一つ。
島津にやられたとはいえ大きな勢力として当時は力を持っていたのだろうと思った。

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たか

離合できない (2025/12/06 訪問)

車で行かれる方は用心をお願いします。
わたしは途中で右折を間違えてしまい先に進んでしまったら後ろから地元の方の車が…
Uターンもできずにやり過ごすスペースも無くて大変でした。

伊東氏48城巡りの一つになります。
民家なのか作業場所なのかというところに寄せて停めさせてもらいいざ攻城。
そこからだとあまり距離も無く意外と楽に登城できました。
途中地元の方が以前に使っていたような小屋があったりしました。

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しんちゃん

石垣の山城では別格な感じ (2025/11/15 訪問)

岐阜のオシロフェス(山城に行こう)に向かう途中で、いくつか山城を攻めていきましたが、このあたりは実に良い山城が多い。
武節・岩村・明知・妻木・高山・・どれも良かった・・いや高山城は・・いや、高山城も素晴らしかった。オシロフェスに高山城のブースもあったし、褒めておかないと後が怖い。
実は小里城も良い城なのだが、時間と体力の関係で今回はパスした。先の五城はアクセスがとても良いのだ、「車」が必要になるが。

やはりこの日の一番は岩村城だ。岩村城の石垣は戦国からの最高の贈り物(ギフト)だ・・ギフだけに(・・・)。
岩村城の本丸は駐車場から歩いてすぐだ。親子連れが結構来ているな。

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アネ

遠い、高い、キツい、でも美しい。 (2025/05/13 訪問)

羽田から福岡乗り継ぎで対馬に飛びました。
梅雨どきなので、2泊3日の日程です(これなら、何とか雨に降られずに城に登れるだろうという考えです)
初日は「つしにゃんキッチン」で蕎麦のランチ。と同時にスタンプと城・島情報をget。
先般ようやく韓国から帰国した仏様は残念ながらまだ拝めないとのことで、少々ガッカリ。
ひとまず博物館へ行き、島についてお勉強。
お船場跡を遠くから眺めて、1日目は終了。
2日目、いよいよ登城。が、街から城の駐車場までだけでも結構あります。
ここにある仮設トイレを逃すともう先にトイレはありません。
登り始めてすぐスズメバチに出会しました。
いつもなら、「帰る!」というところですが、
この天気、今日を逃したら次はないと自らに言い聞かせて登り続けました。
途中にある東屋や、擁壁跡などに励まされながら、頂上へ。
ここから見下ろす浅茅湾の美しいこと。
絶対に後悔はしないと思います。
そして、その後は強行スケジュール大好き野郎の提案で、上島へ山猫に会いに行くことに。
更に韓国展望所から釜山の街を眺め、オメガ公園へ。
そうガメラファンの聖地、オメガ塔跡がある所です。
さすがに胃もくたびれたので、夜は美津島のラーメン屋さんへ。
対馬グランドホテルの大浴場でゆっくりしたら、翌日は万松院や朝鮮通信使資料館へ。
滞在中何度も渡った真っ赤な万関橋を通って、和多都美神社へ。
不思議な三つ足鳥居や海に立つ鳥居など、とても清々しい景色の神社なのに、インバウンドに荒らされ、あまつさえ暴力沙汰などもあったため、制服警官の方がパトカーで警戒中でした。
なお、厳原に宿泊した場合、上島にある野生動物保護センターや韓国展望所までの日帰りは公共交通機関ではかなりタイトです。
夏秋は台風、冬は大陸からの低気圧で海も空も荒れ、欠航が増えます。日程に余裕を持つか、春や初夏などの気候の安定している時期を選びましょう。

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しんちゃん

親子連れがピクニックしていた😄 (2025/11/16 訪問)

妻木城の主郭には石垣が良く残されています。登城口の駐車場には「クマ注意」の看板が立っていたのに親子連れがピクニックに来ていました。この辺はクマはあまり出ないようだ・・なんとも呑気な感じだが、とにかく気を遣わせては悪いので、距離を取りながら石垣を楽しんで帰ることにした。山城に石垣があると、ちょっとうれしい。
もちろん土塁や堀切などが主体の山城もすばらしいのだけど。

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アネ

負けるな! (2020/11/15 訪問)

何度も熊本城は訪れていますが、
一口城主になってすぐにあの地震に見舞われました。
瓦がほとんど落ちてしまった無惨なあの姿は今も忘れることはできません。
それが、よくぞここまでというところまで復興されました。
空中回廊から目の高さで石垣上部を見ることができるのは、修復中の今だけ。
桜馬場側からだと、登りが続きますので、体力に自信がない向きには、ここから二の丸駐車場側までシャトルバスを利用して、大天守から下ってくることをお勧めします。
こちら側には県立美術館があり、細川家由来の美術品も収蔵されています。
また、明るく広いカフェがありますので、桜馬場城彩苑界隈が混雑している時のランチや休憩にも便利です。
市内に宿を取って、夜の街に繰り出すもよし、菊池温泉でのんびり疲れを癒すもよし、海を渡って島原温泉というのも乙ですよ。

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