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み。

石垣が素晴らしい☆ (2026/09/23 訪問)

東北の石垣造三大名城と言われるだけあって、復元三重櫓もさることながら、石垣の見応えも十分過ぎるほど立派です!高石垣の上から城兵に狙われている場面を想像しただけで、生きた心地がしません(・・;)

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ヒロケン

天然の要害 (2026/09/19 訪問)

二俣城は天竜川東岸の丘陵上に立地し、往時は二俣川が城の東側から南側にかけて流れており、三方を川で囲まれた天然の要害地形であった。本丸を中心に南側を二の丸、蔵屋敷、南曲輪を配し二の丸と蔵屋敷、蔵屋敷と南曲輪それぞれに堀切を配していました。(画像4と6)また、本丸の北側には北曲輪を配し、こちらにも本丸と北曲輪の間に大規模な堀切(画像8)を配していました。さらには、北曲輪の北側にも堀切を配しそれぞれに堀切で区画することにより、尾根続きとなる北側の防御を固める構造となっていました。

本丸には1辺約10m程で野面積みで積まれた天守台が現存しており、天守台の北側には石段と共に付櫓の為の突出部が設けられていますが、天守台に礎石が残っていないとの事から天守が在ったかどうかは分かっていないとの事です。

二俣城の東側山麓にある清龍寺には全国的にも珍しい復元された井戸櫓(画像9)や武田氏への内通を疑われ自害した家康公嫡男の徳川信康公の廟所(画像10)があり見どころ満載の城跡です。
駐車場も北曲輪の北側(堀切があったとされる場所)に6台程停められる駐車場もあり、2ケ所にトイレ(1ケ所は簡易トイレ)も設けられております。また、カズサンさんの投稿にあった通り植生整備事業が進んでおり、今まで見る事が出来なかった西の丸(画像7)や天守台をぐるりと一周することが出来ます。

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ぴーかる

稲八妻城 (2026/09/20 訪問)

【稲八妻城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.757578, 135.778485>道路脇に停めました。
<交通手段>車

<見所>堀切・横堀・切岸
<感想>日帰り近隣の行っていない城 穴埋め旅2城目。稲八妻城の詳細は定かではありません。室町時代から戦国時代まで国人の城跡だったようです。添付写真の箇所から真っ直ぐ西に直登すると主郭に出ます。なんとなく踏み跡があり登りやすいです。主郭から尾根上の城跡は倒竹で結構進みにくいです。主郭は三角状で北側に土居が付いています。主郭の北側は高い切岸になっていて堀切跡があります。「跡」としたのは年月で埋まったような感じがしたので。北側の堀切から東側下段に広い曲輪があり横堀が付いています。
 主郭の南側は細尾根の先の東下段に南北に横堀があります。横堀・細尾根のさらに南側に深い堀切があります。倒竹で散策は不便でしたが切岸は竹をつかんで登り降りできましたので侵攻不可能ではなかったです。ゴム付きのグリップ軍手必要かと。相当削り込んだ城跡で予想外に見応えありました。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

水の手不明御門と藤村碑編 (2026/09/22 訪問)

 本丸、天守台石垣と三層櫓が聳えていた事を想い、苔むした石垣にも歴史の流れ、風情を感じる。西側へ移動すると北西角千曲川に面し天然の大堀切地獄谷にそそり立つ水の手不明御門跡、現在は展望台東屋が建ち手前より架橋で楽に移動できるようになっている。
 遠望する千曲川の流れは蛇行し、西浦ダムから落ち込む爆流の轟が一帯を、島崎藤村の世界に、素晴らしい景観です、中学時代に国語で教わった千曲川旅情のうた「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・ 暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛・・」が頭をよぎる。
 架橋の手前に藤村碑石柱、丸い自然石に刻まれた千曲川旅情のうたが刻まれているが黒ずんで読みずらいが頭だけは何とか読み込んでいけた。

 水の手不明御門跡は展望台架橋で分かりずらいが、門跡石垣と説明板が有り、架橋脇から少しは見る事が出来る。
 
 二の門辺り~地獄谷編に続く。
 

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じゅんじん

国宝天守 (2026/08/13 訪問)

3年ぶりぐらいでした。国宝天守はすばらしい。9時半到着で30分待ちでした。

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カズサン

天守台と本丸石垣編 (2026/09/22 訪問)

 小諸城へは16年前の大手門が現在位置に修復復原された直後に登城以来です。今回は家内の軽井沢黒柳徹子ミュージアム見学要望に応えて、浜松から新東名中部横断道国道141号線国道18号線で北上。宿を小諸城隣接ホテルに予約し22日23日と小諸城上田城龍岡城の再登城企画。

 先ずは三の門を通り入場料300円を払い、二の丸、黒門、本丸、天守台、樹齢500年の大欅、藤村碑と千曲川旅情のうた碑、水の手不明御門跡の展望台、千曲川遠望、直前の西浦ダム流爆音の轟が藤村詩集に引き込む、戻って三の門、大手門と初東閣を廻りました。

 先ずは小諸城天守台が石垣として一番目を惹き付けますが、武田家臣山本勘助縄張と伝わります。
 天守台は秀吉から讃岐10万石を九州攻め、戸次川の戦いで総崩れ単独敗走し秀吉は激怒、改易されて浪人となり。4年後の小田原征伐で家康の執成しで戦功を挙げ5万石の小諸城主大名に復活した仙谷秀久によるものです。
 小諸城の天守台は本丸石垣の北西にあ有り角々初期の算木積の様でもあります、また天守台には仙谷秀久築城の折り三層の天守聳え秀吉の許しを得て金箔瓦が輝いて居た様です。
 本丸は西奥の千曲川崖端の一番広い曲輪に石垣で囲み虎口は南西の黒門辺りと、南東、北に在ります、現在本丸には懐古神社が鎮座して居ます。石垣にはコケがむし歴史と風情を感じ、傍の大欅は樹齢500年山本勘助も仙谷秀久も見ていた事でしょう。
 グルーと歩き疲れて本丸内に在る山城館で甘味喫茶で一息つきました。
 
 水の手不明御門と藤村碑編に続く。
   

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蜂須賀家政 (2026/09/23 訪問)

 久しぶりの徳島城です。最近も登城したような気になっていましたが、帰ってから確認すると前回登城したのは平成29年(2017年)でした。
 本丸、西二の丸、西三の丸、東二の丸の城郭部分と、山麓の居館部分からなりたっています。東二の丸に天守跡がありますが、当初天守は本丸にあったようです。元和年(1615~24)に取壊され、一段下がった東二の丸に天守代用の御三階櫓が建てられました。石垣は「阿波の青石」と呼ばれる緑色片岩で築かれ、本丸周囲を中心に見事な石垣を観ることができます。林の中に入ると石垣をさらによく見ることができると思いましたが、所々に「はやしの中にはいらないでね!」と書かれた立札があり林の中を彷徨うことは断念しました。

9月23日の夕方と24日早朝に登城しています。投稿した写真は両日に撮影したものが混在しています。
徳島城博物館は9月23日に訪れたときは夕方でしたので閉館後、翌日はシルバーウィーク明けで休館でした。

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桑村隼人亮 (2026/09/24 訪問)

 津田八幡神社裏の津田山に位置していた城です。石取りや公園整備などで破壊され遺構は残っていないようです。
山頂付近にある皆さんが投稿されている石碑まで行って来ました。

 JR徳島駅よりバスに乗り一丁目バス停にて下車。徒歩1分くらいで登城口である津田八幡神社へ行くことができます。

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平島公方 (2026/09/23 訪問)

 天文3年(1534年)室町幕府第10代将軍足利義稙の養子であった義冬が、阿南市那賀川町の平島庄に拠点を構えました。場所の名前から平島(阿波)公方と呼ばれるようになりました。義冬の子である義栄は第14代の室町幕府将軍になっています。阿波公方民俗資料館近くにある標柱のある場所へ行って来ました。玄関書院や門が移築されていることは知っていましたが、今回は行っていません。

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東条紀伊守 (2026/09/23 訪問)

 西方山の東面中腹に築かれた城で、登城路は整備されていて容易に展望台まで行くことができます。ただ下から上までずっと階段です。展望台のある場所は腰曲輪で一段上が主郭ではないかと思います。日亜化学工業株式会社さんによって登城路と展望台付近は整備されたようで「西方山周辺の歴史」というパンフレットも置いてありました。

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牛岐城趾公園 (2026/09/23 訪問)

 蜂須賀氏の阿波九城のひとつです。本丸周辺が牛岐城趾公園として整備されています。道路工事や宅地開発で遺構はほとんど残っていませんが、牛岐城趾館内には発掘調査で発見された石垣が展示されています。普段は鍵が掛けられているため入れません。牛岐城跡公園管理事務所に希望すれば開けていただけるとのことでお願いして開けていただき見学してきました。私ひとりのためにわざわざ階段を上がって開けていただくのは申し訳なく思いましたが、おかげで野面積みの石垣を見学できました。

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日和佐肥前守 (2026/09/23 訪問)

 日和佐肥前守が、長宗我部勢の侵攻を防ぐためにこの地に城を築いたとされています。城址には、昭和53(1978)年に日和佐勤労者野外活動施設として建てられた模擬天守がありますが、耐震上の理由で閉館していました。遺構はなく周囲に石垣がありました。雰囲気はいいのですが、当時のものではないようです。

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牟岐大膳允 (2026/09/23 訪問)

 牟岐大膳允の城で天正3年(1575年)長宗我部元親の軍が阿波に侵攻し海部城が落ちると人質を出して降伏しました。標高約50mの山頂に観音堂があり主郭と思われます。尾根に曲輪が展開していたと考えられますが墓地となっていました。写真は撮りましたが墓石ばかりなので投稿していません。古そうな石垣があり投稿しましたが、当時のものではないでしょう。海蔵寺には幕末に土佐の勤王の志士がこの地で取り調べを受けたという説明板がありました。城についての説明板等はありありません。
 海蔵寺から登城して八幡神社側へ下りて来ました。

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浅川兵庫頭有辰 (2026/09/23 訪問)

 浅川兵庫頭有辰の築城と伝わっています。長宗我部元親の阿波侵攻に伴い落城しました。
石碑と説明板が北尾根先の津波避難所にあります。城址は藪になっていて侵入を試みましたが、すぐに断念しました。

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海部左近将監友光 (2026/09/23 訪問)

 海部氏の城で長宗我部元親の侵攻により落城しました。羽柴秀吉による四国平定に伴い蜂須賀家政が入部すると阿波九城のひとつとなり阿波支配の拠点となっています。
海部小学校近くの登城口より登城しました。城山は南北300m、東西250mの範囲に収まる小丘陵に大小14の曲輪が配置されています。堀切や竪堀もみられますが、切岸が防御の主体となっています。石垣や土塁もあり楽しく散策できました。
登城路は整備されていて概ね歩きやすかった。

JR阿波海南駅より徒歩約15分で海部小学校近くの登城口に行くことができます。

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チェブ

轍とおにおこ。 (2026/07/04 訪問)

前回に引き続き「勝山城」。今回は遺構編です。
薄べったい投稿になりますので、ご注意下さい。

駐車場から整備された道を進み長屋門を見学。更に進むと大きな橋が見えました。その左手に勝山城北限土塁跡の標柱があります。私はこちらから入城しました。
しばし鬼怒川を眺め、日頃の運動不足解消の為、後でこの先の氏家ゆうゆうパークで歩いてこようか考えます。
と、言うくらい歩きやすそうな公園です。
で、先人たちも鬼怒川を眺めていたのかなーと思い出し、出陣しました。

草木が元気な7月でしたが、草刈をしてくれていて梅雨時期でもスニーカーで大丈夫でした。
本当、ありがたいです。

堀が立派で堀底を歩いてみようと、本丸の堀を眺めてみたら車の轍が。
ま、まさか堀底ドライブできるのか?堀がカーブしているけど、、、?
と写真⑨から写真⑩の堀の轍を意識し歩きます。途中、轍はなくなりました。
勝山城関係者の車でしょうね。
それに梅雨でぬかるんだ道ははまりそうです。

ある日、会社で『この雨で、おにおこ川温泉、中止になりました。』と真顔で後輩が言いました。
今の若いのは、鬼怒川も読めんのか!『おにおこ』は『きぬ』、『きぬ川』じゃ!とハラスメントギリギリで教えました。
10年位前、鬼怒川は台風で決壊し栃木県や茨城県の一部に水害が出ました。私の親戚も被害に遭いました。

今回は千葉県で冠水や印旛沼の決壊です。
改めて、お見舞申し上げます。

私も車が泥にはまって、動けなくなった事があります。
、、、某お城で。
積んであったバスタオルを噛ませて脱出しました。
なので堀底には車でドライブなんて、もってのほかだと再確認した「勝山城」攻めでした。

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篠原長秀 (2026/09/22 訪問)

 三善長治の家臣篠原長秀の城と伝わっています。篠原神社と真観寺付近が城址ですが、遺構はありません。

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JR蔵本駅近く (2026/09/22 訪問)

 JR蔵本駅の北西部付近が城址と伝わっています。蔵本駅のすぐ北側に城主を祀った祠と説明板があります。遺構はないと思われます。

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遠くから (2026/09/22 訪問)

 「四国の名城を歩く」(吉川弘文館)を読むと「開墾や急傾斜地保護の工事などで改変を受けているものの全体的によく残っている」と記載してありました。しかし南海病院敷地内にあり立入禁止との情報あり、近くへは行っていません。トリーデなるとから写真撮影しました。

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妙見山公園 (2026/09/22 訪問)

 古くは小笠原氏の居城と伝えられています。戦国時代には三好氏、その後は長宗我部氏の支配となりますが、天正13年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐後は蜂須賀家政がこの地を治めるようになります。居城である徳島城の9支城のひとつとして益田正忠が城番となりました。一国一城令により廃城となっています。
室町幕府の10代将軍足利義稙、14代将軍足利義栄はこの城で亡くなったと伝えられています。現在城址には模擬天守が建ち妙見神社本殿背後の石垣が一部遺っています。他にも石垣が遺っているとの情報がありましたが、確認していません。

 山頂まで車で行けますが、徒歩だとJR鳴門駅から妙見神社登り口まで約15分くらいです。

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