楢崎城から車で50分くらいでで、熊野神社駐車場(34.813741、132.881507)に着きました。
そこから、登山道入口(34.814473、132.884162)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代に藤原兼範(三吉氏)によって築かれたと云われています。
兼範は承久の乱後に三次に入り、2代兼定が三吉大夫と称して三吉氏を名乗りました。
以後、兼家-信兼-秀高と続き、三吉周辺に所領を広げて備後北部でも有力の国人として勢力を誇ったようです。
1540年(天文9年)、翌1541年(天文10年)と出雲の尼子晴久が吉田郡山城の毛利元就を攻めたとき、尼子方として加わりましたが敗れました。
1542年(天文11年)周防の大内義隆が出雲の尼子晴久を攻めた時には大内氏に従って尼子氏を攻めたが、大内方が劣勢となると尼子方から大内方に靡いていた国人衆が離反して総崩れとなった敗れました。
1544年(天文13年)尼子氏は三吉氏を攻めたが毛利氏の援軍により撃退し以後毛利に属するようになった。
その後、1591年(天正19年)比隈山城を築城し居城を移したため廃城となりました。
本丸近くまで車でいけるようですが、道は狭く離合困難とゆうことで、熊野神社の駐車場を利用して歩いて登りました。熊野神社前に説明板があります。
「登山道」の案内標識&赤いテープがたくさんあり、迷うことなく主郭まで行けます。
巨大な山城で高土塁を用いた曲輪があり、堀切とそこから伸びる竪堀があり、数条もの竪堀が谷底まで伸びておりまさに圧巻です。
攻城時間は80分くらいでした。次の攻城先=高杉城に向かいました。
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