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dougen

2026.1.4登城 (2026/01/04 訪問)

埼玉高速鉄道新井宿駅の北東側に赤山城址があります。
県の史跡に指定されおり、城址公園として整備され、石碑や解説板が設置されています。
遺構として、郭と空堀が確認できます。

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「北海道の名城巡り」最後はやはり… (2026/09/20 訪問)

松前城は江戸末期に整えられた「日本最北端かつ最後の日本式城郭」で、明治維新後、城の大半が取り壊されましたが、天守は国宝として残されました。
しかし、昭和24年の火災で焼失し、創建当時から現存する建築物は切妻造りの「本丸御門(国指定重要文化財)」と「本丸表玄関」(北海道有形文化財)のみです。
現在の天守は昭和35年に鉄筋コンクリート構造ですが外観は忠実に復元されています。
天守の内部は松前城資料館として利用されています。
また、松前城址を含む松前公園は全国屈指の桜の名所で「日本さくら名所100選」にも選定され250種1万本の桜が咲く様子は圧巻です!
日本100名城スタンプは天守入口で、御城印や城カードは天守入口のの右にある観光案内所で購入できます。

上ノ国から到着し、松前で一番の老舗旅館「矢野」のレストランで昼食をと思ったのですが、この日、朝から「松前マグロ祭り」が開催されていて、順番待ちの人が30人以上…
幸い、あまりの混雑に旅館の方で宴会場を解放してくれることになり、それほど待たずに席に着くことができましたε-(´∀`*)ホッ
松前は大間と並びマグロ漁で有名な港なので、私は本マグロ御膳、娘は一番人気の松前名産・岩海苔御膳に本マグロの刺身を追加で注文しました。
私のマグロ御膳は、もちろん美味しかったのですがマグロばかりで少々飽きてしまいましたが、娘の岩海苔御膳は(特に香りや風味、食感)絶品でした(オススメ!)
松前に来たのに岩海苔だけでマグロを食べないのも勿体ないので刺身の単品を追加、、、なんて娘のセレクトに感心しきりの私でした。

それでは、さっそく写真に沿って説明をさせていただきます。
① 私の勝手なこだわりで毎回1枚目は、御城印の写真と決めています。中央にはダイナミックな書体で「松前城」と見事に描かれています。家紋は松前氏の「丸に武田菱」です(松前氏は若狭武田氏の流れをくむ)その下には松前城天守が描かれていて手書き風な御城印でした。
② 2枚目には毎回「城を代表する景色」を選んでいます。今回はやはり、この構図しかないですね。重要文化財の「本丸御門(現存)」と「天守(外観復元)」を一緒に入れて二の丸側から撮った一枚です。江戸時代末期に北方警備の強化を目的として建設された、切妻造り・銅板葺きの櫓門です。松前城で現存する貴重な建築遺構となっています。
③ 「旧福山城(松前城) 本丸御殿玄関(現存)」です。明治時代に城が取り壊された際、この玄関部分だけは昭和57年まで近くの小学校の正面玄関として実際に使われていたそうです。その後、現在の本丸内に曳屋(建物ごと移動)され、北海道指定有形文化財として保存されています。唐破風の曲線や彫刻の細工が見どころです。
④ 内堀に架かる木橋を石垣と漆喰の狭間壁を背景に撮りました。このまま進むと「天神坂門」に向かいます。家紋と松前城と書かれたのぼり旗が、これから先の期待を膨らませてくれました。
⑤ 城跡に入って最初にくぐる門が、この「天神坂門」です。2002年に復元された高麗門形式の城門で、天神坂を登って三ノ丸へ入る場所にあります。
⑥ 松前城の裏口にある2000年に復元された「搦手二ノ門」に向かう坂道の途中です。切込み接布積(正面)と打込接乱積(右)角で分れた石垣と、白壁の土塀の美しさが目を引きます。また、門の左前には、敵からの目隠しや防御のための土塁「三本松土居」の一部が写り込んでいます。
⑦ 「搦手二ノ門」を正面から撮った写真です。この門は「高麗門」と呼ばれる建築形式で造られていて、2002年に木造で忠実に復元されました。
⑧ 松前城天守の裏手にある本丸広場です。左側に見える大木はクロマツで太い幹と大きな枝ぶりに圧倒されます。芝生内の石碑には「旧松前城本丸御殿玄関」とあります。3枚目の写真の建物が移築される前にあった場所なんでしょうね。
⑨ 大きな屋根の建物がチケット売場です。前に「史蹟 松前城」という石碑が立派だったので主役として撮影しました(券売所は脇役です) 券売所は向かって右側が入口、左側が出口となります。観覧券を購入して右に進むとすぐ、「地下通路」へ降りる階段があり、そのまま進むと天守閣(資料館)内に入ります。
⑩ 最後は本丸広場から撮った松前城天守(外観復元)の雄姿です。江戸時代の最後に造られた城で、戦前は現存天守で国宝にも指定されていました。せっかく戦火を免れたのに、終戦から4年後に失火から類焼してしまったのが、なんとも惜しいですね。もし火事がなかったら、北海道にも一つ(13番目の)現存天守があったと思うと悔しくてなりません!石垣も整然と美しく積まれていますが、調べてみたら、天守台の石垣は築城当時のものがそのまま現存しているそうです。素晴らしい!

松前から車で1時間半の函館に住んでいながら、そして、何度か松前城を訪れていながら、今年の2月までは、城にまったく興味がなく、ただの観光名所としてサラ~っと見ただけで天守内に入った事もありませんでした。
今回の訪城で松前城の素晴らしさ、貴重さ、美しさをたくさん気付かせてもらいました。
城好きになって良かったぁ~(*´∀`).。o○ポワ~ン

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イオ

山深い地の総石垣 (2026/04/25 訪問)

豊臣秀長の熊野支配に抵抗する北山一揆への押さえとして藤堂高虎が築いたとされる城で、熊野の木材搬出のための拠点ともなりましたが、江戸期には役目を終えて廃城となったようです。

間接的には秀長に関係する城でもあるので、月影の男紀行の番外編として約7年ぶりに再訪しました。南東麓の駐車場から登城開始し、登城口すぐの(伝)鍛冶屋敷跡から見上げると山上に連なる東郭の石垣。赤木城に来たなぁ…という気分にさせられます。東郭の門から城内に入り、主郭下段の虎口から連続する枡形を抜けて主郭に至るまで幾度の屈曲を強いられることでしょう。さらに主郭の隅部には折れを設けて横矢が掛かるようになっています。さすがは高虎、堅固な構えです。主郭の外周をまわって北郭を通り抜けた先の北尾根は堀切で遮断されていました。北尾根の堀切で折り返して、今度は西郭へ。西郭は尾根沿いに4段の郭を連ね、礎石建物や水溜と思われる石組遺構が確認されています。西郭の最下段から谷部に降りて行くと、3段の郭からなる南郭が広がっています。礎石建物やかまど跡が確認されるなど生活の場だったようです。

2度目でもあり今回は軽くひとめぐりしただけですが、これほどまでに見事な総石垣の城がこんな山深い地に築かれていることに改めて驚かされました。一揆勢に対する威圧効果は相当なものがあったんじゃないでしょうか。そして次の城へと向かう前に田平子峠刑場跡に立ち寄り、北山一揆殉難者供養之塔に手を合わせて赤木城を後にしました。
 

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赤い城

竹神社 (2026/08/15 訪問)

近鉄山田線の斎宮駅から徒歩で10分弱くらい、竹神社が城跡で駐車場もあります。
道路沿い碑が立っています。
神社境内を散策しましたが遺構は残っていないようです。

線路を挟んだ北側には斎宮跡があり、建物が復元されています。
斎王と呼ばれる女性皇族が住んでいた場所のようです。
伊勢神宮の斎宮頭を務めた藤原氏が斎藤姓の発祥とのことです。

伊勢遠征最終日、この後ホテルに戻り再度松阪へ。
ステーキ丼を頂きました🐂

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カズサン

発掘と整備復元進行中、楽しみな事です (2026/09/23 訪問)

 16年振りの2度目の探訪、龍岡城であいの館、史跡龍岡城跡ガイダンスセンターを見学し龍岡城周辺探訪後、再度ガイダンスセンターによって、係りの方と少し会話し「5年後にお越しください」が気に成り話を進めると復元計画が有るそうで、佐久市教育委員会文化振興課(文化財事務所)が発行してる、史跡龍岡城整備基本計画(令和3年3月発行)の冊子をチラッと見せて頂き、付図の整備スケジュール、史跡公園としての全体イメージ、整備イメージ図はゆっくりと見る事が出来、帰ってから佐久市のHPを開き、文化財事務所より史跡龍岡城跡整備基本計画が61ページで公開されていました。

 本丸の発掘調査後、現存台所櫓を元の位置に移築、解体移築か曳家移築か?、現存移築医薬門は民間からの買い上げ?などで解体移築?
 本丸大手の表門は図面も有り復元可能、本丸御殿も平面図など当時の棟梁などの残された図面、黒門、通用門は復元、稜堡土塁上の樹木伐採、再移植、散策路、外周園路などの整備が令和8年から13年へ、更に13年後へと続くようですがスケジュール進捗は、色々アクシデントも有り?伸びる事でしょうが楽しみな事です。後は自身の寿命との勝負です。

 16年振りの龍岡城探訪の後、国道141号線経由帰路へ、中央道高速までの国道141号線の峠越えは小雨と霧が出て少しデンジャラスな走行でした、高速は安定走行20時前には帰宅出来ました。
    

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カズサン

16年振り唯二の五稜郭探訪編 (2026/09/23 訪問)

 16年振り同じ9月に訪ねる事に成りました、上田城、小諸城移築城門を午前中探訪の後途中まで完成してる中部横断道を使い龍岡城へであいの館駐車場利用。
 以前在ったであいの館と今春完成したガイダンスセンター資料館を見学、見学後五稜郭稜堡を探訪へ大手門橋右手の北稜堡、水堀、規格化した石垣、武者返し石垣、上部に土塁を北稜堡から東稜堡、東門(通用門)まで探訪、水際の石垣が落ち込んでる所を散見した。
 大手門から入り本丸の発掘調査中のエリアを覗き、元台所櫓を遠見して、又ガイダンスセンターへ、係りの方と会話して「5年後にお越しください」と言われて大手表門、現存台所櫓元の位置に移設、現存移築医薬門の本丸元の場所へ移設が発掘調査完了後約5年か?復元整備されるようです。
 この後、龍岡城跡の近くグーグルマップ史跡マークに龍岡城移築医薬門(であいの館Pより東へ約700mの民家の表門)と龍岡城枡形跡(であいの館Pより北西へ約350m)が在り探訪しました。
 移築医薬門前は道が狭く路駐困難にて西へ30m程の新海三社神社入口三角コーナーに1台路駐可、案内板など無し、表の門と塀を撮影して撤収。
 枡形跡石垣は石垣表側の砂利地に路駐可、ただ場所は狭いので進行バック要注意してください、喰い違いの石垣と石碑、案内板有り、2ブロックの石垣が見所です。

 現存の台所櫓と移築医薬門の写真は次の編に投稿掲載します。

 発掘と整備復元進行中編に続く。
  

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トク

特別版 お城EXPO in 熊本2026 (2026/10/04 訪問)

熊本城ホールで開催された「特別版 お城EXPO in 熊本2026」へ行って来ました。

1日目は急に仕事が入り行けなかったので、2日目のみの参戦です。入場開始10分前(9:20)に到着したのですが、もうすでに1000人以上の方が並んでいました。そして(9:30)いよいよ入場開始。皆一斉に城郭PRブースへ殺到です!(早い😮)。

1階はその日本全国の城郭PRブース、2階では武将隊やご当地キャラによるステージや100名城パネル展示、3階では厳選プログラムや特別展示やワークショップが行われていました(写真②)。思った以上に大きな規模で、そしてどのブースも大盛況です! どこから湧き出て来たのか、九州の田舎にも城好きがこんなに大勢いたとはビックリです😱!(写真③④)。

城郭PRブースで特に目立ったのは、岡山城のブースでした。宇喜多秀家を大河ドラマにと熱の入ったPRです。おみやげもらえました(笑)(写真⑤)。仙台城のブースでは、政宗も虎視耽々と2度目の大河を狙っているようでした。私がまだ行った事のない松本城のブースでも、いつかは行きたいとお伝えすると、福岡から松本まで飛行機の直行便が就航しましたよ(え😮!)。

金田城のブースに行くと、昨年の登城を思い出して懐かしく、つい話がはずんでしまいました。私がまた行ってみたい城のNO.1です。佐敷城のブースでは、公共交通でも行けるようになりましたか?と聞いてみましたが、肥薩オレンジ鉄道の復旧には、まだ1カ月程度かかりそうで、まだ行けないとの事です。復旧したら是非また訪れますと約束して別れました。

八代城のブースでは、私も8月に被害状況をお伝えしましたが、復興に懸命にがんばっておられる様子が伝わってきました。ほんの少しですが、復興義援金を募金箱入れさせていただきました。1日も早く復興される事を願います。人吉城のブースでも被害はなかったかと聞くと、本丸の地面に亀裂が入り本丸は立ち入り禁止ですが、その他に被害はないので是非お越し下さいとの事で、安心しました。

物販コーナーで、限定来場記念御城印と限定バッチをGETしました(写真⑨)。このバッチをリュックにつけて、次からは登城しようと思います(密かな楽しみ😊)。ちなみに「赤色立体地図お城かるた」は売っていましたが、「日本100名城かるた」は売っていませんでした。また日本100名城かるたのワークショップが開かれているとは知らなかったので、レポートできずすいません。

3Fの特別展示では、「丸武」の甲冑コーナーがありました。以前にもお伝えした鹿児島県川内市にある工房で、今やドラマや映画の時代劇などで使われる甲冑の大部分を作っている会社です。皆さん甲冑を着て写真を撮ったり、大谷翔平さんの兜をかぶったりして楽しんでいました(写真⑥)。また工房へも行ってみたくなりました。

その他にも熊本城の歴史のパネルの展示や、被害状況のパネル展示、超精巧に作られた熊本城模型を展示した特別コーナーもありました。出演する武者たちが、このあまりにも精巧な模型に驚いて、見入っている姿には笑えました(写真⑦)。

カンファレンスホールで行われた厳選プログラムは、「小和田哲男」先生、「平山優」先生、「高橋英樹」さんの、3つのプログラムを拝聴させていただきました。講演は超満員で大盛況でした(写真⑧)。皆さんとても熱心で、時には先生方のジョークに笑いを交えて楽しく聞かれていました。特に小和田先生の、実は清正は土木技術や人身掌握に長けている人物だったというお話や、平山先生の清正の関ケ原前後の謎の行動について読み解くお話は大変興味深かったです。何だか加藤清正という人物の人生を、これから追ってみたくなりました。そしてラストは、くまモンのステージで盛り上がりフィナーレです。

被害に会われた方々、復興に携わっている方々には、全国の皆さんが熊本を応援しているぞという熱いエールが、十分に届いたのではないかと思いました(写真⑩)。

最後に、スタッフや関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。
そして楽しい時間を、ありがとうございました。
 

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イオ

改めて整備のありがたみ(西曲輪群~北西尾根) (2026/04/25 訪問)

(続き)

中央曲輪群(居館跡)から西曲輪群(詰城)への登城道から見上げる主郭東面には石垣が大規模に設けられています。前回もこの石垣は見ていますが、かなりシダに隠れていた覚えがあり、中央曲輪群だけでなく西曲輪群も綺麗に整備されているようです。そして主郭と物見郭の間の堀切を進み、物見郭にちょっと寄り道してから主郭へ。主郭の南虎口脇にも石垣が積まれています。主郭に上がってまたびっくり。木々はすっきり伐られ、下生えも綺麗に刈られて眺望も主郭内の見通しも何の支障もありません。中央曲輪群といい西曲輪群といい、もはや同じ城とは思えないレベルです。

両脇に石垣が積まれた主郭北虎口を出て北西尾根に向かいます。北西尾根は二重堀切で遮断し、その先の尾根西面には畝状空堀群が、堀切南端には石垣が設けられていました。前回も岩盤を掘り抜いた二重堀切は大いに見応えがありましたが、内側の堀切を覆っていたシダが刈られたことにより、さらに見栄えが良くなっています。北西尾根の畝状空堀群や堀切南端の石垣を見た覚えがないのは、藪でわからなかったからかもしれません。ともあれ、以上で京城をひとめぐり。

この間の皆さんの投稿で綺麗に整備されていることも見応えがあることも承知していましたが、その上でなお「これほどとは!」の一言に尽きます。前回登城時の投稿で「状態の良い城を巡ることができるのは、損得度外視で整備してくれている方々あってのこと」などと書いていますが、まさかそのことを7年越しで当の京城で改めて実感することになろうとは。現在の状態を維持し続けるのは大変なご苦労だと思いますが、おかげさまで素晴らしい遺構を見せていただきました。ありがとうございます。

…ということで、なかなか訪れにくい城ではありますが、新宮城と赤木城を結ぶルート上にあり、1時間くらいでひとめぐりできますので、山城好きであれば続100名城めぐりのついでにぜひお立ち寄りを。私からも大いにおすすめいたします。
 

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にのまる

遠賀川河口 (2026/09/10 訪問)

JR折尾駅から市営バスで山鹿下車。
ショートカットする道を通り過ぎてヨットハーバーの方まで行ってしまいましたが、途中に【秋月藩・東蓮寺藩貢米蔵の跡】碑が設置されており、遠賀川河口に位置する山鹿城も水運の要となる城だったであろうことが想像できました。

消防団横の城山公園入り口から登りました。法面の広範囲で崩落防止策が講じられており、自然や歴史遺産と人々の生活をバランスよく守ることの困難さを思います。

山鹿城は春にはお花見を楽しめる公園ですが、本丸・二の丸・帯曲輪は現在でもそれとわかり、全体的にコンパクトなので真夏の城めぐりでも歩くのが大変ということはありませんでした。三の丸の白山神社の方へ通り抜けましたが、連郭式を体感しやすいお城でした。

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赤い城

土塁上ウォーク (2026/08/15 訪問)

三瀬館から国道42号線を少し戻り、三瀬砦の案内板に沿って南側に入ります。
北畠氏家臣の三瀬氏の居城です。

砦前に説明板があります 
駐車場に車を置き虎口から中に入ります。

主郭は広く井戸もあり、3mくらいの高さがある土塁で囲まれています。
とりあえず土塁上へ登ります。
西側へと進んでいくと郭内の少し段になったところに神社が祀られていました。
神社の奥まで土塁は続いていてこちら側にも開口部が見られます。

宮川と大谷川が流れ、三方が崖で天然の要害となっています。
期待値は高くなかったのですが思いのほか良い城でした。

【見どころ】
 ・高い土塁
 ・井戸

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小城小次郎

正しいと思ったことをしただけだろう (2025/11/24 訪問)

苅安賀城の尾張浅井氏は近江浅井氏と同族とか。最後の当主・田宮丸(長時)は小牧長久手の戦いに先立ち津川義冬らとともに織田信雄に粛清される。田宮丸16歳の時という。たぶん彼は正しいと思ったことをしていただけなのだ。

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ゆいひろ

どこから見ても絵になる、至高の世界遺産 (2023/11/23 訪問)

「現金忘れて中には入れず😭でも外周だけで圧倒される美しさ!」
念願の姫路城へ!手持ちの現金がなくて中には入れなかったハプニングもありましたが(笑)、外から見るだけでもスケールの大きさに大興奮でした。あまりに素敵でLINEの写真も即お城に!
敷地内には可愛い動物園があったり、着物姿の新郎新婦が前撮りをしていたりと、お城の周りを散策するだけで最高に楽しめました。今度はリベンジして中に入りたいです!

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朝田 辰兵衛

ここは私有地につき立入禁止…🙅 (2026/09/22 訪問)

立入禁止から立入禁止に転戦です。ここは私有地につき立入禁止なので,入れそうなポイントを見つけましたが,不法侵入となりますので(自重して)外観のみにとどめました。不法投棄する輩がいるようです…。
小倉駅BCの4番のりばから,黒崎BC行きのバスに乗りました。しっかりと「到津経由」を確認。歯大前バス停で下車【320円】。ここから徒歩約15分で「立入禁止」の立て看板に到着。
黄門様の石橋が見たかったので,到津八幡神社へと。最後に水運を担っていたと思われる板櫃川を眺めて終了。

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ゆいひろ

幕末の夢が眠る、最後の砦 (2026/07/12 訪問)

「タワーからの絶景と幕末の歴史に感動!見どころ満載のスポットです」
五稜郭タワーに昇って上から全体を眺めましたが、その圧倒的な規模の大きさに驚きました。地上に降りてからは、再現された箱館奉行所へ。天守閣を持つお城とは違いますが、とても趣のある佇まいで、当時の雰囲気をじっくりと肌で感じることができました。タワーでの展示も詳しく、歴史への理解が深まります。景色も歴史も見応え十分で、函館に来たら絶対に外せないおすすめのスポットです!

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カズサン

11年振りの上田城-3/3土塁と堀編 (2026/09/23 訪問)

 11年振りの上田城-2/3石垣編の続きです。
 先の投稿でも書き込みました様に、関ヶ原合戦の後懲りたのでしょう徳川氏に徹底的に破壊されて、東軍に与した真田信之が上田城に入封するも、本丸、二の丸は使用せず三の丸に水堀で囲まれた方形の御屋形を造り藩政を行った、現在は上田高校として現存してる。
 22年後の元和8年信之は松代へ転封し、小諸から仙石忠政が入封し幕府からの資金援助を受けて上田城の大改修が行われて現在に姿に戻りました。

 一度埋められた堀も、掘り起こされて内堀、外堀の水堀へ戻り現状の内濠として残って居ります。内堀と本丸土塁の見所の一つが北東角の鬼門封じの入隅を施し土塁上左右に二階櫓が建っていた、結局本丸には現存の北櫓、南櫓、西櫓と鬼門封じの2櫓、北西角、本丸西虎口北の櫓と7軒の二階櫓が建っていた。
 内堀を二の丸沿いから巡りましたが本丸側、二の丸側とも樹木が大いに茂り見通し景観は良くありませんが、北西角、北東角は樹木の伐採もして有り良く眺める事が出来ます。本丸東側の土塁上も樹木が大いに茂って居ましたが何本か大樹の百日紅が赤い花を付けて景観の色付けをしていました。
 二の丸の東空堀は以前電車が通って居り二の丸のコンクリと橋下トンネルには架線を掛ける痕跡が在る。百間堀、広堀は現在球場、陸上競技場と成っている。
 外堀の役目を担っていた千曲川支流の尼ヶ淵は公園駐車場ですが上田城の南を護っていた要害で現在は見所の一つです。

 帰ってから上田市役所のHPを見ましたら上田城の将来整備構想図(H24)を発見しましたので10番目に添付します。本丸、二の丸の整備、本丸の櫓復元整備、二の丸の虎口、土塁復元整備の様子が分かります。本丸に七の二階櫓が建つ姿を観たいものです?
 
 この後は小諸城移築山門の在る寺院と龍岡城へ小雨が降りだしました。
 

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イオ

改めて整備のありがたみ(中央曲輪群) (2026/04/25 訪問)

約7年ぶりの再訪です。前回登城時はほぼ全域が木々と藪に覆われていましたが、その1年後にあ さんから草刈りされていたとのレポートがあり、それ以降は登城された皆さんから続々と称賛の声があがる…。ずっと気になっていましたが、ようやく再訪を果たすことができました。

まず県道から登城口に向かう角の説明板をチェックすると…新しくなってる! 城びと投稿の写真で見るに、遅くとも昌官忠さんの登城時(2025/05/02)までに立て替えられたようです。そして曲輪の一部と考えられる東泉寺跡に車を駐めて登城開始。登城道を進んで行くと中央曲輪群南面の石垣が見えてきます。前回見た覚えがないので、当時は木々や藪に隠れていたのかもしれません。そして居館跡とされる中央曲輪群に足を踏み入れてびっくり。木々はすっきりと伐られ、倒木とシダの藪で何が何やら状態だった面影は微塵もなく、散策するのに何の支障もありません。前回あきらめた畝状空堀群を見るべく中央曲輪群の東斜面に向かうと4条の竪堀がはっきりと遺っています。よく見ると畝にも堀底にもシダはうっすらと生えていて、今の状態が絶えず整備され続けている結果であることがわかります。畝状空堀群の下には2条の堀切も明瞭に見られました。さらに北斜面には苔むした石垣が延々と続いています。…う~ん、見応えありすぎるんですけど。前回登城時の投稿に「もう少し整備されればもっと見応えがあるのに…」などと書きましたが、まさかこれほどのポテンシャルを秘めた城だったとは。

前回見られなかった中央曲輪群の遺構が見られただけでも充分に満足ですが、せっかくなので枡形虎口を抜けて詰城とされる西曲輪群に向かうと、登城道の先に東斜面の石垣が見えてきました(続く)。
 

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赤い城

北畠具教の館跡 (2026/08/15 訪問)

伊勢遠征最終日は雨模様、特に予定は無く城メインに。
まずは朝駆けでこちらへ。
国道42号線を走ると三瀬砦の案内板があり、少し先を北側に入ります。
観光用の駐車場があり、そこから案内板に沿って進みました。
すぐに公園化された館跡に到着、石垣が残っています。
館跡は階段状の曲輪になっています。
とりあえず一番上の曲輪まで登り、一旦降ります。

東側には見張台の茶臼山砦があります。
案内板もあるハイキングコースになっています。
登っていくと堀切があり、南北の二つの曲輪を隔てます。
天候がいまいちだったので眺望は微妙ですが見晴らしはよさそうでした。

北畠具教が隠居して住んだ館跡で終焉の地でもあります。
館の南側には具教の胴塚もあります。

【見どころ】
 ・段になった曲輪
 ・石垣
 ・見張台の茶臼山砦

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小城小次郎

変な形で日本史に名を残した加賀野井重望 (2025/11/24 訪問)

小牧・長久手の戦いでは羽柴軍の猛攻を受け、ここで楠木正成の嫡流が絶えたと伝わる。城主の加賀野井氏は関ヶ原の直前になって水野忠重を殺害するという大事件をやらかし、変な形で日本史上に名を残すこととなった。

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イオ

どっこい生きてる日本100名城かるた

特別版お城EXPO・in熊本2026に参戦された皆さま、お疲れさまでした。私は所用で参戦できなかったので、せめて雰囲気だけでもと3日の夜に城びとの✕を覗いてみたところ、加藤理文先生によるかるたワークショップが開催されていたそうで、掲載されている写真をよく見てみると…絵札が赤くない!? もしやと思って公式HPで確認したところ、やはり「日本100名城かるた」のワークショップでした。ずいぶん前にSOLD OUTになり、現在は城びとストアへの掲載もなくなっているので絶版になったのかなぁ…と思っていましたが、どっこい生きてるじゃないですか! ワークショップに参加して「ほしい!」となった際に「もう絶版で手に入りません。残念でした~」なんて対応になるくらいならワークショップを開催したりはしないでしょうし、すでに再版された(今後される)んでしょうか。年末の横浜でかるた大会が開催されるなら、当たり前に「赤色立体地図お城かるた」だと思い込んでいましたが、「日本100名城かるた」の可能性もある? 熊本は横浜への布石なんでしょうか?(たぶん考えすぎ)

「赤色立体地図お城かるた」は、やり込む深さがあるのが楽しいんですが、一定以上やり込んだ人と初見の人とではほとんど勝負にならないところがあり(だからこそクラス分けが必須)、その意味では「日本100名城かるた」のほうが間口が広い(初見でも赤色立体地図ほどの差はつかない)と思いますので、「赤色立体地図お城かるた」だけでなく「日本100名城かるた」でのかるた大会の開催にもぜひ期待したいところです。

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ヒヨッピー

茅ヶ崎城 (2026/10/01 訪問)

横浜のニュータウンである都筑にある城跡です。地下鉄のセンター南より徒歩圏で、公園として整備されており、空堀や遺構跡も見られて、素敵なところです。

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