🦮連れ旅で城巡り
本居宣長記念館がすっごく良かった
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2026/05/24 12:34
わん連れ (2026/03/14 訪問)
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2026/05/24 07:12
越中宮崎城 (2026/05/02 訪問)
宮崎城は日本海に臨む標高248mの城山に築城された山城です。山頂部に本丸を置き、そこから西に向かって階段状に二の丸・三の丸が配置されています。
平安時代末期に木曽義仲公が北陸宮(後白河法皇の孫)を迎え御所を造営、この御所が宮崎城の始まりとされています。
中越国境にある城で、戦国時代には重要な役割を果たしました。松倉城主・椎名氏が武田方についたため、上杉謙信公は越中に侵攻し宮崎城を攻略、しばらくは上杉領でしたが、1583年佐々成政公により宮崎城は落城。佐々氏の家臣が宮崎城を守りましたが、翌年の1584年には上杉景勝公が再び宮崎城に侵攻。佐々氏の守備兵300人が奮戦しましたが、9割方が上杉方に打ち取られ落城。
その後、時代の変遷後前田氏の家臣が配置されましたが、江戸時代に入り廃城となっています。
この日、お孫ちゃんに会いに石川入りするため、夜中24時に車で豊橋を出発。(石川動物園に9時待ち合わせ)5時過ぎに無料の城山駐車場(無料・トイレあり)に着き散策。旧陸軍が造った削平地や土橋があり、(土橋がある場所が堀切跡のためこの削平地も城域であったと思われます。)土橋を渡った先が、宮崎城の本丸になります。
この城の見どころは、三の丸の石塁跡と七曲堀ではないかと思います。七曲堀は7番目の画像でご覧の通り残念な状態となっていますが、雑木の隙間から垣間見る堀は、中々の規模で深さもあるように思います。そして何と言っても、この城から見る眺望は、最高の見どころでもあります。
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2026/05/24 06:57
2026/05/24 00:29
東北歴史博物館 (2026/05/23 訪問)
多賀城跡の近く…国府多賀城駅すぐそばにある…東北歴史博物館を見学
多賀城の復元された門を見学したタイミングで…「城跡の残りと博物館どっちを(次の電車が来るまでの間に)巡ろうか…?
「10年前にここを訪れた時…城跡はひと通り見てまわったが…あの博物館は「またの機会があれば」と思いながら電車に乗った記憶がある…ならば今回はそっちにしようかな🤔その方が後悔しなさそう」という考えに至る
次の電車が来るまでの30-40分をそこで過ごす…常設展のみの見学…北京原人→縄文弥生→古墳建設時代→多賀城の成立(奈良から平安初期)まで
個人的に骨を見るとインパクト感じて記事のネタにしたがる性分らしい💀(笑)大昔の人は身体を折り曲げて体操座りに近いポーズで埋葬されたんだな🪦
多賀城は東北地方における政府の拠点🏯
(添付画像には無いけど)奈良時代あたりの日本地図🗾も展示されており…平城宮に都を置く政府によって…蝦夷の存在する東北の北側(青森や秋田)以外の60カ国は支配下になっていた
逆に言えば…東北の北隅以外…九州や対馬といった…都から離れてると思われる場所も…こんなに早い時代から政府の管理下に置かれていたという事である…交通網が現代と比べてはるかに未発達な時代に…その統治力がすごいとさえ思った
今は(復元された門以外)多賀城に当時の建物は残ってない…しかし当時はここに防衛拠点としての建物があり…ここから兵を整えて出撃する軍人もいれば…事務作業に携わる人間もいた
木簡と紙…政務には両方が使用されていたが…木簡には字を書いた後に刀で削ってまた使うことができるリサイクル機能…取り出したいものがある際に紙よりもサッと出しやすいメリットがあった
逆に紙のメリットは…木簡よりも面積が大きい分…たくさんの文字を書いて残せるというところだろう…なので記録書を残すのに向いてる…短いメモ用として融通効くのが木簡というわけで
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2026/05/23 17:51
豊田市博物館「教えて、千田先生!とよたの城も 天下の城も」 (2026/05/23 訪問)
拳母城近くにある豊田市博物館では企画展「教えて、千田先生!とよたの城も 天下の城も」が開催されています。以前にT-Shionoyaさんが投稿されていて、この企画展を知りました。興味があり行って来ました。豊田市内の比較的遺構が残っている城址が紹介されています。ノーマークの城もあり参考になりました。豊田市内の城は主に山城なので、今年の秋か冬にでもいくつか行けたらいいかなと思っています。
博物館を出た後は拳母城周辺をぶらぶらと散策しました。
テレビなどでよくお見掛けする千田嘉博先生は豊田市のご出身なのですね。初めて知りました。
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2026/05/23 15:42
2026/05/23 09:40
城びと未登録のお城攻め「大館氏館」。 (2026/02/21 訪問)
「下田島城」は高校周辺がお城跡です。
こちらから、車で10分くらいの所に「大館氏館」があります。
「大館氏館」は築城年数は不明です。
新田 義貞さんの家臣、大館 宗氏さんの館です。
大館 宗氏さんは鎌倉攻めの時、極楽寺切通しで大将として奮闘しましたが、討死しました。
ちなみに、神奈川県の城びと登録、「一升枡遺跡」に攻め込む時は極楽寺辺りを通過します。
その後、宗氏さんの子は後醍醐天皇より伊予国守護に任じられます。
「大館氏館」は違った意味で難攻不落な館です。
畑道の途中に「大館氏館」はありました。朱い冊で一部が囲われていて社がお祀りされています。
道幅が写真⑤のように狭いです。
またまた、ちなみに、自分の影を写り込ませ、道幅を表そうと思ったのですが、若い女子には『ダッサー!』なんだそうです。私の写真は壊滅的にダサいと笑われました。
でも、壊滅的写真にお付き合い下さい。
この狭い道はクランクがあり、私の小さい車でギリギリかわせました。あんなに冷や汗をかいたのは久しぶりです。
私のお城攻めには、少しの勇気が必要だと、前々から分かっていたのですが、あさんの投稿写真で、脚立も必要なのだと分かりました。!(^o^)!
「下田島城」で高校をぐるっと回ったら「大館氏館」へ転戦、いかがでしょうか。
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2026/05/23 07:14
ゴールデンウイーク肥前の攻城② (2026/05/04 訪問)
神代氏芦刈館からの転戦です。西渓公園の駐車場にレンタカーをとめ、多久市郷土資料館のジオラマを見てから、多久神社より登城しました。説明板あたりまでは整備された登城路ですが、その先の登城路はなかなか判然としていません。最後の方はかなり急峻でそれなりにきつい攻城でした。足を滑らせてしがみついた木の表面で両腕をすりむいてしまいましたが、献血予定日の6日前で助かりました。山頂部には、控えめながら城名を記した幟が立っていました。その奥は茨が繁茂していましたが、注意深く進んでみると結構広い郭が潜んでいました。こちらの方が山城としての雰囲気は良いように感じました。全体を通してみて説明板の少し先にある麓の堀切が深くくっきりとしていて一番見ごたえのある遺構だと感じました。吉川弘文館の「九州の名城を歩く」によると説明板の立つ辺りは、前多久氏段階の城館跡と推定されるとありました。見ごたえのある堀切はこの城館の後背を守っているという訳ですね。
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2026/05/23 05:12
2026/05/23 04:55
2026/05/23 04:36
2026/05/22 23:16
宮城縣護国神社 (2026/05/22 訪問)
仙台城の本丸に存在してる宮城縣護国神社⛩️
鎮魂の泉などが戦没者の慰霊的役割を果たしてる
本殿でお詣りを済ませてから御朱印を授与
ここのは書置きのみ取り扱い
護国神社と浦安宮のがあり両方を授与(1000円)
やり残しはしたくないので案内に従って浦安宮も参拝
奥には入れない仕組みになっており…かなり手前に賽銭箱
本殿と同じくそこにも100円納めて…ここまで来れた事への感謝…旅の成功を願った
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2026/05/22 18:50
勝頼公まつりに行ってきました。 (2026/04/26 訪問)
武田氏終焉の地、甲斐大和駅近くの大和中学校校庭で開催された『甲州市ふるさと武田勝頼公まつり』に行ってきました。
プログラムは
・武田勝頼公軍団出陣絵巻
・甲斐天目山勝頼公太鼓
・ステージイベント
・ふれあい広場(出店ブース)
・勝頼公特別企画資料展
勢揃いした勝頼軍団、かっこよかったです。
中でも感動したのは、信勝公の擐甲の礼(世継ぎの儀式)。楯無の鎧を装着する姿にうるうる🥹
滅亡を覚悟した陣中での儀式は胸に迫るものがありましたが、凛と立つ貴方は立派でした!!(ほぼ母の境地)
ひと通り見終えて、帰りに「勝頼公腰掛け石」を探しに行きました。地図を見ながら行ったらフェンスの外側に着いてしまい🙀
内側にまわると1時間に1本の電車に間に合いそうになかったので諦めました。
腰掛けたかったな……。
また行こ!
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2026/05/22 17:15
「豊臣秀保」陣跡(秀長の嗣子の生涯) (2026/04/05 訪問)
豊臣秀長ゆかりの人物の陣跡めぐり(2人目)です。藤堂高虎の次は、豊臣秀保の陣跡を訪れました。
豊臣秀保とは、豊臣秀長の娘婿養子となり、秀長死後には大和中納言に任ぜられ、秀長の家督(大和郡山城100万石)を継いだ人物であるという事を、皆さんは御存知でしょうか🤔?
名護屋城博物館入口から、今度は国道を南西方向に30分(2km)ほど歩いた場所に、豊臣秀保の陣跡はありました。入口には「大和中納言」と刻まれた石碑が立っていました。
名護屋城に造られた陣は約150あると言われていますが、秀保の陣はその中でも家康・利家と並ぶ最大級の広さであったようです。秀長亡き後の秀吉は、秀保を秀長の代わりの副大将格に据えていた事が想像できます。当時は20ヘクタール(東京ドーム4個分)の敷地に、1万5千の兵を収容していたとか。現在はその内の、50平方メートル(館跡部分のみ)が保存されています。館の周りは2~3mの高さの石垣に囲まれ、当時はその上に塀があり、表門と内門は桝形で仕切られていました。そして内門の中は、書院や御座の間や数寄屋や庭園まで伴っていた、とても優雅な御殿作りの陣であったようです。
1594年「文禄の役」の時、秀保はまだ若干16才でした。渡海はとても無理なため、家老の藤堂高虎が秀保に代わり渡海し戦ったようです。
秀保は、もともとは秀吉・秀長の姉である智(とも)の三男で、兄には秀次・秀勝がいました。1591年の秀長が亡くなる直前、慶(ちか)は秀長の後継ぎがいない事を憂い、幼い長女三八(みや)の婿養子として当時13才の秀保をもらい受け、跡取りとして大和郡山城を継がせます。そして秀長は安心したのかそのわずか18日後、大和郡山城で亡くなってしまいました。そして抑えを失った秀吉は、朝鮮への出兵を開始します。
しかし文禄の役が終わった翌1595年、秀保も郡山へ戻った後、十津川温泉で療養している最中に、突然亡くなってしまいます。疱瘡だったという病気説や、川で溺死したという事故説や、突き落とされたという殺人説もあり、死の真相は未だ謎に包まれています。また葬儀も、秀吉の命により行われなかったようです。
また同年、秀次は秀吉により自害させられて亡くなり、その妻子までもが処刑させられます。秀勝は出兵の最中に、朝鮮で謎の死を遂げています。
まさか秀吉は・・・😯! 文禄の役の最中に淀との間に生まれた「秀頼」に豊臣家を継がせるため、邪魔な豊臣姓の男子を全て殺して行ったのではないでしょうか?(😱~!)。と推測した私は考えすぎでしょうか? いずれにせよ、これにより後継ぎのいなくなった郡山豊臣家は、断絶してしまいました。
道路を挟んだ山の上には、当時秀保と同じ16才であった堀秀治の陣跡がありました。私はそこから秀保の陣跡を、桜越しに眺めてみました(写真⑩背後の山全体が豊臣秀保陣跡)。文禄の役から1年後、わずか17才で生涯を閉じてしまった豊臣秀保・・・。彼は本当は、どんな人生を歩みたかったのでしょうね。そしてこの時、与一郎に続いて秀長や秀保までも失った慶(ちか)の悲しみは、いかばかりだったのでしょうか?
次からは、秀長の但馬平定を追って行きます。
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2026/05/22 14:59
思った以上に時間が足りない (2026/05/06 訪問)
今回の旅の最後は躑躅ヶ崎館です。
要害山城を降りて少し疲れていましたが帰りの特急に乗れないと困る(GWなので…)ので足早に資料館から攻城開始。
無料部分と有料部分があり無料部分はそうでもないかなと思っていたらしっかりと武田家の歴代頭首の事や躑躅ヶ崎館の歴史について記載されており適当に終わらせることができません。
じっくりと見学していますと列車が気になり始めました。
仕方なく斜め読みで資料を確認して館の方へ。
神社へお参りした後、西曲輪の方へ。
残念ながら西曲輪は現在工事中。
しかしながらそこから北の方へ進む途中の堀、北側の門跡+虎口、土橋など見ごたえがあります。
常に頭は電車から離れませんがここは感嘆の声が思わず出てしまいます。
表側の神社!って感じから一気に城塞って雰囲気にギャップ萌えですww
ここでレンタカーの返却や安全を鑑みて今回は終了。
まあまだまだ山梨はいろいろとあるのでまた第2弾で見て回ろうかと思っています。
合計2日間で約4万歩!
疲れたけど充実のGW!電車で一杯やって帰宅しました。
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2026/05/22 14:30
信虎の用心深さがわかる (2026/05/06 訪問)
鼻歌交じりに行けた朝の甲府城から一変、要害山城を攻城です。
躑躅ヶ崎館を後回しにして元気なうちに登城しようと考えましたw
ナビ通りに行くと要害山温泉の登山口に着きました。
駐車スペースに2台ありました。
あとで藤村記念館の方に聞いたのですが2件あった温泉はどちらもやっておらず福祉施設になっているそうです。
おそらくその施設の方たちが作成した熊よけの鈴付き杖が登山口にあります(わたしは気付かずに降りてきてから気づきましたw)
案内板の横から突然急な坂道です。あとから来られた方はそれを見た瞬間やめたって言ってました。
ただ急ではありますが結構整備がいき届いて杖があればそこまで言うほど大変ではないと思います。
途中大木が道を2か所ほど塞いでいますので長ズボンとシッカリめの運動靴は最低必要だと思います。
片道30分と書かれていますがゆっくり休憩しながら行ったのでわたしは40分弱、下山は25分くらいでした。
途中3組ぐらいすれ違いましたが挨拶を交わしながらとても気持ちがいいです。
竪堀、土塁、石垣、門跡、門跡には虎口になっていて3か所もあり信虎の用心深さが伺えるようでした。
確かにここまでしているなら詰城として完璧でしょうし、信玄をここで出産させたのはわかる気がします。
途中、不動曲輪で不動尊にご挨拶して後ろを振り返ると絶景で気持ちがいい!
本丸跡にはまた丸太が倒れていますがここは暖簾をくぐるようにスルーw
きれいなツツジに囲まれて「武田信玄公誕生の地」と石碑がありました。
ちなみによく見ると左下に「東郷平八郎 書」と書いてありました!
ここから戻って躑躅ヶ崎館をいざ目指さん!
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2026/05/22 13:56
広大で駅から気楽に行ける城 (2026/05/06 訪問)
昨日の新府城責めに続き本日は甲府城からスタートです。
今回は武田家がテーマでしたが少し脱線ww
東横インに泊まりましたので7時過ぎには食事を終えて攻城開始です。
こんなに近くてラクチンなんてとても素晴らしい。
昨日のほろ酔いで見かけたライトアップされていた天守台がそびえ立っていてワクワクさせてきます。
時間が早いのでスタンプなどは開店までおあずけで石垣に食いつき!
野面積みの石垣で詰石もしっかりとされて面がとても美しい!
天守台もですが各門の石垣に塀の狭間がとても映えます。
天守台に登ると一面見渡すことができて爽快です。
ガイドさんたちが説明しているのを横から聞きながら要害山はどこだろうとか見ていました。
そこから稲荷櫓の方へ進み二重の石垣を確認。
綺麗に残っています。
その後、稲荷櫓、鉄門の中を見学していると敷地が広いせいもあってかなり予定時間をオーバーしてしまいました。
この日はお目当ての躑躅ヶ崎館に行かなきゃいけないのでここで切り上げて終了。
駅近ですのでまた来れそう。
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2026/05/22 11:07
歩いた~ (2026/05/05 訪問)
今回の旅は1日目は車無しと決めていたので新府城から日ノ出城まで徒歩で攻城しました。
天気も良いし歩くのはあまり苦にならないとはいえ、アップダウンがあると結構しんどい…
富士山を眺めながらゆっくりと時間をかけて1時間程度で到達。
石碑で確認しましたが土塁などの遺構があるとの事ですがわたしにはわかりませんでした。
本丸跡は今は太陽光パネル(その下はシイタケ栽培かな)になっていました。
その後また徒歩で1時間ほどかけて新府駅に行ったら丁度のタイミングで甲府行きの電車が来ました。
これは嬉しい!
甲府で一泊するので鳥モツと先程周りにあったブドウ畑を思い出してワイン、最後にほうとうを頂きました。
一日で27,000歩も歩いたのですっかり酔いもまわり良い気持ちでホテルに戻りました。
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2026/05/22 07:05
城びとたちのエンジェルロード (2026/04/19 訪問)
いよいよ甘崎城です。
到着時はまだ「島」の状態、本当に渡れるのかな?と感じました。
潮が引いていくとともに来城者も増えてきました。
この日の干潮は17:20、渡れるまではもう少し時間がかかります。
海への降り口には松山市出身、香川元太郎先生のイラストの案内板が立ちます。
大分引いてきたのでここから降りていきました。
岩場は滑りやすく注意が必要です。
しばらくすると見事に海割れに🤩渡ります。
砂浜には石列が残っていてここから北に向けて進みました。
北郭の北側には船隠しのような穴がありました。
岩場には岩礁ピットも数多く施されています。
南隅の石垣は算木積で近世の初めに造られたもので、岩礁ピットは石垣が積まれた以前、中世に機能していたものと思われます。
南側から郭部分に登れそうな場所もありましたが今回は自重、次に来た際には行ってみようと思います。
昔は郭部分でキャンプをしていた、と近くから来ていた方に伺いました。
なので少し改変されているかもしれませんね。
このような海割れは小豆島のエンジェルロードも同様、あちらは恋人達や女性で賑わいますがこちらは城好き達で賑わっていました。
【見どころ】
・潮が引いていく様子
・岩礁ピット
・南隅の算木積石垣
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2026/05/22 06:59
ゴールデンウイーク肥前の攻城① (2026/05/04 訪問)
今年のゴールデンウイーク後半は、カレンダーでは5連休。しかし、私は日曜の午前に所用が入っていてちょっと残念な状態でした。そんな中、行き先を肥前に定めたのは自由席がなくなる新幹線のぞみやETC休日割がなくなる高速道路を使わないで城めぐりができる地であるからでした。日曜日の所用を終えてすくに羽田に向かい、福岡便で前泊の地・博多へ。みどりの日は、早朝、普通列車で博多駅から佐賀駅にアクセスしました。午前8時にレンタカーを借り受けてまず向かったのが、神代氏芦刈館。「くましろし」とはちょっと読めません。芦溝地区農村公園になっていて駐車場、トイレも備えていますが、遺構はなさそうです。
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