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カズサン

水の手不明御門と藤村碑編 (2026/09/22 訪問)

 本丸、天守台石垣と三層櫓が聳えていた事を想い、苔むした石垣にも歴史の流れ、風情を感じる。西側へ移動すると北西角千曲川に面し天然の大堀切地獄谷にそそり立つ水の手不明御門跡、現在は展望台東屋が建ち手前より架橋で楽に移動できるようになっている。
 遠望する千曲川の流れは蛇行し、西浦ダムから落ち込む爆流の轟が一帯を、島崎藤村の世界に、素晴らしい景観です、中学時代に国語で教わった千曲川旅情のうた「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・ 暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛・・」が頭をよぎる。
 架橋の手前に藤村碑石柱、丸い自然石に刻まれた千曲川旅情のうたが刻まれているが黒ずんで読みずらいが頭だけは何とか読み込んでいけた。

 水の手不明御門跡は展望台架橋で分かりずらいが、門跡石垣と説明板が有り、架橋脇から少しは見る事が出来る。
 
 二の門辺り~地獄谷編に続く。
 

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じゅんじん

国宝天守 (2026/08/13 訪問)

3年ぶりぐらいでした。国宝天守はすばらしい。9時半到着で30分待ちでした。

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カズサン

天守台と本丸石垣編 (2026/09/22 訪問)

 小諸城へは16年前の大手門が現在位置に修復復原された直後に登城以来です。今回は家内の軽井沢黒柳徹子ミュージアム見学要望に応えて、浜松から新東名中部横断道国道141号線国道18号線で北上。宿を小諸城隣接ホテルに予約し22日23日と小諸城上田城龍岡城の再登城企画。

 先ずは三の門を通り入場料300円を払い、二の丸、黒門、本丸、天守台、樹齢500年の大欅、藤村碑と千曲川旅情のうた碑、水の手不明御門跡の展望台、千曲川遠望、直前の西浦ダム流爆音の轟が藤村詩集に引き込む、戻って三の門、大手門と初東閣を廻りました。

 先ずは小諸城天守台が石垣として一番目を惹き付けますが、武田家臣山本勘助縄張と伝わります。
 天守台は秀吉から讃岐10万石を九州攻め、戸次川の戦いで総崩れ単独敗走し秀吉は激怒、改易されて浪人となり。4年後の小田原征伐で家康の執成しで戦功を挙げ5万石の小諸城主大名に復活した仙谷秀久によるものです。
 小諸城の天守台は本丸石垣の北西にあ有り角々初期の算木積の様でもあります、また天守台には仙谷秀久築城の折り三層の天守聳え秀吉の許しを得て金箔瓦が輝いて居た様です。
 本丸は西奥の千曲川崖端の一番広い曲輪に石垣で囲み虎口は南西の黒門辺りと、南東、北に在ります、現在本丸には懐古神社が鎮座して居ます。石垣にはコケがむし歴史と風情を感じ、傍の大欅は樹齢500年山本勘助も仙谷秀久も見ていた事でしょう。
 グルーと歩き疲れて本丸内に在る山城館で甘味喫茶で一息つきました。
 
 水の手不明御門と藤村碑編に続く。
   

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蜂須賀家政 (2026/09/23 訪問)

 久しぶりの徳島城です。最近も登城したような気になっていましたが、帰ってから確認すると前回登城したのは平成29年(2017年)でした。
 本丸、西二の丸、西三の丸、東二の丸の城郭部分と、山麓の居館部分からなりたっています。東二の丸に天守跡がありますが、当初天守は本丸にあったようです。元和年(1615~24)に取壊され、一段下がった東二の丸に天守代用の御三階櫓が建てられました。石垣は「阿波の青石」と呼ばれる緑色片岩で築かれ、本丸周囲を中心に見事な石垣を観ることができます。林の中に入ると石垣をさらによく見ることができると思いましたが、所々に「はやしの中にはいらないでね!」と書かれた立札があり林の中を彷徨うことは断念しました。

9月23日の夕方と24日早朝に登城しています。投稿した写真は両日に撮影したものが混在しています。
徳島城博物館は9月23日に訪れたときは夕方でしたので閉館後、翌日はシルバーウィーク明けで休館でした。

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桑村隼人亮 (2026/09/24 訪問)

 津田八幡神社裏の津田山に位置していた城です。石取りや公園整備などで破壊され遺構は残っていないようです。
山頂付近にある皆さんが投稿されている石碑まで行って来ました。

 JR徳島駅よりバスに乗り一丁目バス停にて下車。徒歩1分くらいで登城口である津田八幡神社へ行くことができます。

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平島公方 (2026/09/23 訪問)

 天文3年(1534年)室町幕府第10代将軍足利義稙の養子であった義冬が、阿南市那賀川町の平島庄に拠点を構えました。場所の名前から平島(阿波)公方と呼ばれるようになりました。義冬の子である義栄は第14代の室町幕府将軍になっています。阿波公方民俗資料館近くにある標柱のある場所へ行って来ました。玄関書院や門が移築されていることは知っていましたが、今回は行っていません。

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東条紀伊守 (2026/09/23 訪問)

 西方山の東面中腹に築かれた城で、登城路は整備されていて容易に展望台まで行くことができます。ただ下から上までずっと階段です。展望台のある場所は腰曲輪で一段上が主郭ではないかと思います。日亜化学工業株式会社さんによって登城路と展望台付近は整備されたようで「西方山周辺の歴史」というパンフレットも置いてありました。

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牛岐城趾公園 (2026/09/23 訪問)

 蜂須賀氏の阿波九城のひとつです。本丸周辺が牛岐城趾公園として整備されています。道路工事や宅地開発で遺構はほとんど残っていませんが、牛岐城趾館内には発掘調査で発見された石垣が展示されています。普段は鍵が掛けられているため入れません。牛岐城跡公園管理事務所に希望すれば開けていただけるとのことでお願いして開けていただき見学してきました。私ひとりのためにわざわざ階段を上がって開けていただくのは申し訳なく思いましたが、おかげで野面積みの石垣を見学できました。

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日和佐肥前守 (2026/09/23 訪問)

 日和佐肥前守が、長宗我部勢の侵攻を防ぐためにこの地に城を築いたとされています。城址には、昭和53(1978)年に日和佐勤労者野外活動施設として建てられた模擬天守がありますが、耐震上の理由で閉館していました。遺構はなく周囲に石垣がありました。雰囲気はいいのですが、当時のものではないようです。

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牟岐大膳允 (2026/09/23 訪問)

 牟岐大膳允の城で天正3年(1575年)長宗我部元親の軍が阿波に侵攻し海部城が落ちると人質を出して降伏しました。標高約50mの山頂に観音堂があり主郭と思われます。尾根に曲輪が展開していたと考えられますが墓地となっていました。写真は撮りましたが墓石ばかりなので投稿していません。古そうな石垣があり投稿しましたが、当時のものではないでしょう。海蔵寺には幕末に土佐の勤王の志士がこの地で取り調べを受けたという説明板がありました。城についての説明板等はありありません。
 海蔵寺から登城して八幡神社側へ下りて来ました。

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浅川兵庫頭有辰 (2026/09/23 訪問)

 浅川兵庫頭有辰の築城と伝わっています。長宗我部元親の阿波侵攻に伴い落城しました。
石碑と説明板が北尾根先の津波避難所にあります。城址は藪になっていて侵入を試みましたが、すぐに断念しました。

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海部左近将監友光 (2026/09/23 訪問)

 海部氏の城で長宗我部元親の侵攻により落城しました。羽柴秀吉による四国平定に伴い蜂須賀家政が入部すると阿波九城のひとつとなり阿波支配の拠点となっています。
海部小学校近くの登城口より登城しました。城山は南北300m、東西250mの範囲に収まる小丘陵に大小14の曲輪が配置されています。堀切や竪堀もみられますが、切岸が防御の主体となっています。石垣や土塁もあり楽しく散策できました。
登城路は整備されていて概ね歩きやすかった。

JR阿波海南駅より徒歩約15分で海部小学校近くの登城口に行くことができます。

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チェブ

轍とおにおこ。 (2026/07/04 訪問)

前回に引き続き「勝山城」。今回は遺構編です。
薄べったい投稿になりますので、ご注意下さい。

駐車場から整備された道を進み長屋門を見学。更に進むと大きな橋が見えました。その左手に勝山城北限土塁跡の標柱があります。私はこちらから入城しました。
しばし鬼怒川を眺め、日頃の運動不足解消の為、後でこの先の氏家ゆうゆうパークで歩いてこようか考えます。
と、言うくらい歩きやすそうな公園です。
で、先人たちも鬼怒川を眺めていたのかなーと思い出し、出陣しました。

草木が元気な7月でしたが、草刈をしてくれていて梅雨時期でもスニーカーで大丈夫でした。
本当、ありがたいです。

堀が立派で堀底を歩いてみようと、本丸の堀を眺めてみたら車の轍が。
ま、まさか堀底ドライブできるのか?堀がカーブしているけど、、、?
と写真⑨から写真⑩の堀の轍を意識し歩きます。途中、轍はなくなりました。
勝山城関係者の車でしょうね。
それに梅雨でぬかるんだ道ははまりそうです。

ある日、会社で『この雨で、おにおこ川温泉、中止になりました。』と真顔で後輩が言いました。
今の若いのは、鬼怒川も読めんのか!『おにおこ』は『きぬ』、『きぬ川』じゃ!とハラスメントギリギリで教えました。
10年位前、鬼怒川は台風で決壊し栃木県や茨城県の一部に水害が出ました。私の親戚も被害に遭いました。

今回は千葉県で冠水や印旛沼の決壊です。
改めて、お見舞申し上げます。

私も車が泥にはまって、動けなくなった事があります。
、、、某お城で。
積んであったバスタオルを噛ませて脱出しました。
なので堀底には車でドライブなんて、もってのほかだと再確認した「勝山城」攻めでした。

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篠原長秀 (2026/09/22 訪問)

 三善長治の家臣篠原長秀の城と伝わっています。篠原神社と真観寺付近が城址ですが、遺構はありません。

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JR蔵本駅近く (2026/09/22 訪問)

 JR蔵本駅の北西部付近が城址と伝わっています。蔵本駅のすぐ北側に城主を祀った祠と説明板があります。遺構はないと思われます。

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遠くから (2026/09/22 訪問)

 「四国の名城を歩く」(吉川弘文館)を読むと「開墾や急傾斜地保護の工事などで改変を受けているものの全体的によく残っている」と記載してありました。しかし南海病院敷地内にあり立入禁止との情報あり、近くへは行っていません。トリーデなるとから写真撮影しました。

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妙見山公園 (2026/09/22 訪問)

 古くは小笠原氏の居城と伝えられています。戦国時代には三好氏、その後は長宗我部氏の支配となりますが、天正13年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐後は蜂須賀家政がこの地を治めるようになります。居城である徳島城の9支城のひとつとして益田正忠が城番となりました。一国一城令により廃城となっています。
室町幕府の10代将軍足利義稙、14代将軍足利義栄はこの城で亡くなったと伝えられています。現在城址には模擬天守が建ち妙見神社本殿背後の石垣が一部遺っています。他にも石垣が遺っているとの情報がありましたが、確認していません。

 山頂まで車で行けますが、徒歩だとJR鳴門駅から妙見神社登り口まで約15分くらいです。

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9月の城巡りは北海道♪ (2026/09/16 訪問)

毎月、都道府県を決めて、その県にある日本100名城・続100名城を巡るという私のライフワーク「名城を巡る旅」、9月は私の地元、北海道です。
今年の2月から城巡りを始めてからは地元から近い東北(青森・岩手・秋田・山形)を攻めていきましたが、一番近い地元エリアは歴史好きの娘が帰省する時、一緒に巡るために残していました。
9月に予定通り娘が帰省したので函館空港に迎えに行きました
今回訪れた「志苔館」は空港から非常に近く、車で数分の場所にあるので、娘を迎えたその足で直接向かいました。
志海苔館は函館にある、中世の館跡で、海岸段丘の上に築かれた国指定史跡です。
当時、アイヌと和人が激しい戦いを繰り広げた道南(北海道の南エリア)十二館の一つになります。
土塁と空堀の地形がよく残っていて、高台から津軽海峡や函館山を望む眺望が美しいのが特徴です。
続日本100名城スタンプは、志苔館内にある「あずまや」に置いてあります(24時間)
ちなみに、上下が判り難く試し押しの紙もなかったので、娘は横向きに押してしまいました。
それを見て私は慎重にスタンプ面を見て万全の態勢で押したのですが、結果は上下逆さまになっていました。
これから行く方は、くれぐれも気を付けてくださいね(*^-^*)

ここからは例によって選んだ写真に沿って説明をさせていただこうと思います。。
① 毎回1枚目は、私の勝手なこだわりで御城印と決めています。函館市の公式観光サイトや施設ページでは御城印の販売はしていないとのことでした。あきらめきれない私は函館市役所観光課に直接電話をして聞いたところ、正式版(市がやってるもの)ではないものの、何と、長野県青木村にある「道の駅 あおき」にて販売しているらしいと聞き、直接、電話で問い合わせてみたところ販売していました! ただ、郵送する場合、宅急便での配送になるので御城印代2枚(娘の分も)で2000円以上掛かるとのことでしたが、長野に買いに行くことを思えば安いもんです。そんな流れで手に入れた私にとって宝物のような御城印です。先に入手しましたが、ちゃんと訪れてから登城日を記入しましたよ(^o^) それにしても北海道の御城印が長野にしか売ってないとはどういうことなんでしょうね? でも、赤い大きな文字が目立ち、何かよく分かりませんが緑の家紋風の図柄と植物の意匠が使われていて、なかなかカッコいいデザインだと思いました(攻城団のページに同じのがありました)
② 写真の2枚目には「この城を代表する景色」と決めています。今回は「志苔館の入口にある石碑と案内板」にしました。函館市の案内ページでも城の入口として案内されていますし背後の外周の土塁も特徴的で、良い構図だと思います。
③ 「西側の土塁の上から主郭部を見下ろした」写真です。周囲を低い土塁がぐるっと囲み中央に主郭を含む平坦地があります。志苔館は主郭の周囲を土塁と空堀で囲んだ構造ですが、その様子が解かりやすいですね。
④ これは「空堀と木橋」です。薬研状の空堀を降りて底から木橋を見上げて撮りましたが、このアングルかなり気に入っています!(^^)!(自画自賛)
⑤ 前の写真で空堀の底から見上げた橋を今度は土塁の上から少し斜めに撮ってみました。前の写真と合わせると空堀と木橋の造りがイメージしやすいです。海側の眺望(津軽海峡)・土塁・空堀・木橋が一つのフレームに収まった構図です。
⑥ 志苔館の見どころの一つ「二重堀切」です。海岸段丘の縁にある館跡ならではの丸く盛り上がって海に向かってうねるような土塁が印象的です。
⑦ 北東の土塁の上から主郭内部を一望。井戸の跡や建物跡が確認できます。正面に津軽海峡、右奥に函館山と市街地が見えています。
⑧ 左右に盛り上がっている土塁の切れ目は門跡です。門に向かって規則的に並ぶ低い円柱は発掘で確認された建物跡や柵跡の位置を示しています。何より、この写真の気に入ってる部分は土塁の切れ目(門跡)から見える海と函館山です♪
⑨ 主郭北東部から門跡と二重堀切方向を撮った写真で、発掘で確認された建物跡の柱穴や区画の位置が判りやすいです。正面の土塁は内側から見るとそうでもありませんが、郭外から見るとかなりの迫力です。土塁の切れ目から見える海は津軽海峡です。
⑩ 郭内の写真が多かったので最後は門跡を出て土の厚みが伝わる土塁の写真で締めくくりたいと思います。主郭を守る力強い土塁ですが、土塁の下にさらに土塁がある二重構造になっているのでアイヌ軍もさぞかし攻めあぐねたのではないでしょうか?(結局、アイヌに攻め落とされましたが)

娘も函館空港に着いてすぐ歩き周ったのに疲れた様子も見せず楽しんでくれて、楽しい時間を過ごすことができました。。
意外にコンパクトだったので30分ほどで見学できました。

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み。

会津若松城🏯 (2026/09/22 訪問)

戊辰戦争を耐え抜いた歴史の重み、守りの堅さを感じさせる石垣の数々。大好きなお城です🏯

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にのまる

飯田線城めぐり (2026/08/31 訪問)

高遠城見学後、時間の余裕がまだあったので木ノ下で途中下車して箕輪城に行くことにしました。
以前、福与城に行った際に駅の反対側に箕輪城があるのに気がつかず(城めぐアプリの3,000城には登録されていない)、よりによって飯田線でこんなミスをするなんて😢と残念な気持ちになったことがありました。

箕輪城は養泰寺の後背の墓地で、養泰寺の史跡碑には「木下陣屋跡城山」とあります。
墓地の入口に箕輪城の案内が立っていたので入らせていただくと、墓地を囲むように土塁と堀跡がありました。一旦外に出てぐるりとまわると大きな堀に入ることができ、かなり驚きました。現在でも墓地を守るという役割を持った現役の堀と土塁でした。

で、このあと飯田線で帰途についたのですが、辰野〜川岸間で倒木が確認されたため、乗っていた列車が辰野で打ち切りになりました。時間的、情報的に、箕輪城に寄らなかったら乗っていたはずの列車の運転士さんが倒木を発見されたと思われます。(当該列車の運休なし)
この状況、都市部だとちょっとした騒ぎやパニックになるかと思うのですが、乗っていたお客さん、誰一人騒がず、みなさん“仕方ないよね”という雰囲気。辰野はJR東海と東日本の境界駅で(駅管理は東日本)、東海の情報が入らない中でも駅員さんに詰め寄る人はいません。
岡谷行きの代行バスを用意してくださったのですが乗車定員が限られており、駅員さんの「あずさの特急券を持っている方優先にご協力ください」の呼びかけにも、我れ先にという人はおらず譲り合い。飯田線の客層、どれだけいい人たちなんでしょう!
私はというと、1時間ちょっと待てば辰野支線が来るから塩尻まわりで帰ればいいかぁとのんびり。何年か前にわざわざ大八廻りをしに来て以来の辰野支線ぐるりで帰りました。

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