市立美術館・関門医療センター前バス停から徒歩5分くらいで、階段付近(33.989624、130.993278)に着きました。
そこから、石垣前(33.991740、130.994401)に向かいました。
940年(天慶3年)に藤原純友の配下稲村平六景家が在城していたと伝わるが定かではないようです。
関ヶ原合戦後、毛利輝元は防長二カ国に減封となり萩城を居城としました。
これによって毛利秀元は60,000石を分知されて櫛崎城を居城とし長府藩となりました。
毛利秀元は毛利元就の四男穗井田元清の長子で、長らく嫡男に恵まれなかった毛利輝元の養子となった人物で、後に輝元に嫡男秀就が誕生したことから別家をたてました。
1615年(元和元年)幕府による一国一城令によって廃城となり、長府藩は現在の豊浦高校の敷地に居館(長府陣屋)を構えて藩庁としました。
1864年(元治元年)13代毛利元周のとき勝山御殿を築いて居城を移しています。
石垣への登り口を捜す為、石垣の周りをウロウロ。鯨館側にありました。
現在城址は「関見台公園」として、石垣・天守台が復元整備されています。
少し離れていますが、移設整備された長府藩侍屋敷長屋も見所です。この後、見学しに行きました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=長府毛利藩ゆかりの地へ徒歩で向かいました。
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