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いんげん丸虫

谷小屋城 福井県小浜市 (2025/11/23 訪問)

標高240mの山城です。
妙祐寺の背後の尾根から直登します。
看板等はありません。かなりの急斜面
で幹につかまっては反動つけて5、6歩
登るといった感じです。健脚の方でも
主郭までは1時間近くかかるのでは。
100mくらい離れて2箇所に遺構があり
尾根を中心として4ヶ所の曲輪があり
要所に堀切があります。全部で12ヶ所
堀切がありますね。整備等されてない
自然のまんまで良かったです。

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ヒロケン

伝三国丸・伝楢崎丸・伝沢田丸・御屋形の石垣 (2025/12/06 訪問)

観音寺城の伝三国丸・伝楢崎丸・伝沢田丸・御屋形の石垣を投稿いたします。

伝三国丸は繖山東尾根登山ルートのピークにあたり、ここから繖山山頂まではなだらかなルートが続いています。伝三国丸の郭はさほど広くはありませんが、東側と北側に1.5m程の高さで割と大きな石の石垣が残っています。(画像1と2)

伝楢崎丸は伝沢田丸?を伝本丸に行くルートで降りて行くとあり、伝楢崎丸の石垣は高さ3m程の石垣が30m程(目測)続いています。東尾根ルート・繖山山頂付近にある郭には藪藪で入って行くことが困難で、この楢崎丸の郭も同様で入って行くことが出来ませんでした。(画像3と4)

伝沢田丸?には観音正寺から本丸に行く途中に繖山三角点に向かう案内があり、このルートを登り切った先を右に曲がれば三角点ですが、左に下れば伝沢田丸?の北側に石垣と虎口と思われる遺構があります。(画像5と6と7 この虎口を下って行った先に伝本丸虎口があります)

御屋形の石垣は高さ・長さ・石の大きさは観音寺城の中でも最大級です。(画像8と9)この御屋形の石垣を横切るように大手道と言われる登山ルートが続いています。

今回投稿した〇〇丸という郭には案内がなく、観音寺城縄張り図と見比べたもので自信がありません。特に伝沢田丸?は自信がありません。違っておりましたら教えていただければ幸いです。そもそも各郭に”伝”と記載されているということは、「確かではなく多分?」ということであろうと思います。他の山城では山頂に本丸を置き、各尾根筋に郭を配するものと思っていますが、この観音寺城は、繖山の西尾根に中核をなす郭を配しているのは何故だろうと疑問に思ったりもします。

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トク

【とことん名護屋城-③】秀吉と茶々が暮らした山里丸 (2025/11/23 訪問)

気になる平山優先生のもう一つの話題は、秀吉と茶々の話です。

茶々が名護屋に来た事は一度だけあるようですが、それがいつだったのかははっきりと分かっていないそうです。茶々は、名護屋城の天守は風がとても強いので、天守を嫌って山里丸へ移ったとか。それで秀吉も山里丸で暮らすようになったそうです。山里丸は巨大な石垣をともなった門跡が、破却されずに今でも大部分が残っていました(写真①②③④)。この石垣の上の広沢寺(写真⑦⑧)の横に、秀吉の居館(写真⑤⑥)がありました。確かにここなら本丸が風よけとなってくれそうです。そしてその横には、茶室や月見櫓や船遊びをする場所(写真⑨⑩)も建てられ、兵士たちが朝鮮で戦っている最中も、秀吉はここで優雅に過ごしていたものと思われます。そして茶々がいない間は側室の広子(広沢局)がここにいたそうです。

平山先生は、秀頼が生まれた日(文禄2年8月29日)から280日前に逆算すると、秀吉は母(なか)危篤の知らせを受けた7月に名護屋をいったん離れますが、葬儀が終わって大坂から名護屋に戻ったのが(11月4日)。その直後の11月中旬がちょうど280日前となるので、この頃に茶々は名護屋に居てそして懐妊したのでは、もしそうなら秀頼は秀吉の子に間違えないだろうという見解でした。さあ真実はどうなのでしょうか?

次は小和田哲男先生の講演、(黒田官兵衛の縄張りを読み解く)の中からに続きます。

(P.S)
と言う事は🤔? もしかして11月中旬に茶々が名護屋でなく大坂にいたとしたら、秀頼は秀吉の子ではないと言う事になるのですか?(😱~!)。
 

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todo94

三連休・山口県の攻城⑤ 【城びと未登録・旧藩台場跡】(山口県周南市) (2025/11/23 訪問)

徳山陣屋に比べるとだいぶ徳山駅に近いところにあります。徳山駅近くのホテルに泊をとりましたので、コンビニでの朝食調達の早朝散歩の折にチェックしてみました。標石と説明板がありました。古い標石は新幹線工事の際に破損したそうです。

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アネ

ライトアップ (2015/04/02 訪問)

姫路城はイベント毎に様々な色にライトアップされることで知られていますが、
「世界自閉症啓発デー」は「青」です。
夕方に駅前を出るお城までのパレードに参加し、ライトアップを見届けてから帰宅となると宿泊必須です。
しかも、知人からのお誘いで、初めて出かけた時は桜の季節と週末がこのイベントと重なり、ホテルが取れませんでした。
「少し移動して」とも思ったのですが、桜の季節の週末はきっとどこもホテルは取れないと諦めました。
夜行バスは安いけれど、ちょっと怖いし……「そうだ!同じ夜行なら、あれがあるじゃないか」と思いついたのは
「サンライズ出雲・瀬戸」です。
ごろ寝シートでもいいやと思ったのですが、ダメ元でみどりの窓口で個室の空きを探してもらうと、「取れますよ」とのこと。どうやら週末でも「上り」、特に出雲と瀬戸が連結される岡山以東にはゆとりがあるようです。
とはいえ、夜の11時過ぎまで、どこにいたものやらと悩み、駅前のファミレスの閉店まで粘り、その後は駅のホームの椅子からお城を眺めておりました。
駅近くのコンビニで食料とアルコールを買い込んで、2階席から夜景を肴に一人酒です。
花冷えの季節でもあり、競争率も高いので、揺れる車内でシャワーを浴びるのは見送りました。
気がつけば、列車は横浜を過ぎていました。
東京駅で車庫に向かう前の姿をあれこれ撮影してニンマリ。
こういうのを「災い転じて福となす」というのでしょうか?

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たか

今は病院 (2025/12/06 訪問)

タイトル通り今は大きな野崎病院となっている。
ただ裏側の公民館や民家あたりには遺構らしきものがある。

ここも伊東氏48城の一つ。
島津にやられたとはいえ大きな勢力として当時は力を持っていたのだろうと思った。

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たか

離合できない (2025/12/06 訪問)

車で行かれる方は用心をお願いします。
わたしは途中で右折を間違えてしまい先に進んでしまったら後ろから地元の方の車が…
Uターンもできずにやり過ごすスペースも無くて大変でした。

伊東氏48城巡りの一つになります。
民家なのか作業場所なのかというところに寄せて停めさせてもらいいざ攻城。
そこからだとあまり距離も無く意外と楽に登城できました。
途中地元の方が以前に使っていたような小屋があったりしました。

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しんちゃん

石垣の山城では別格な感じ (2025/11/15 訪問)

岐阜のオシロフェス(山城に行こう)に向かう途中で、いくつか山城を攻めていきましたが、このあたりは実に良い山城が多い。
武節・岩村・明知・妻木・高山・・どれも良かった・・いや高山城は・・いや、高山城も素晴らしかった。オシロフェスに高山城のブースもあったし、褒めておかないと後が怖い。
実は小里城も良い城なのだが、時間と体力の関係で今回はパスした。先の五城はアクセスがとても良いのだ、「車」が必要になるが。

やはりこの日の一番は岩村城だ。岩村城の石垣は戦国からの最高の贈り物(ギフト)だ・・ギフだけに(・・・)。
岩村城の本丸は駐車場から歩いてすぐだ。親子連れが結構来ているな。

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アネ

遠い、高い、キツい、でも美しい。 (2025/05/13 訪問)

羽田から福岡乗り継ぎで対馬に飛びました。
梅雨どきなので、2泊3日の日程です(これなら、何とか雨に降られずに城に登れるだろうという考えです)
初日は「つしにゃんキッチン」で蕎麦のランチ。と同時にスタンプと城・島情報をget。
先般ようやく韓国から帰国した仏様は残念ながらまだ拝めないとのことで、少々ガッカリ。
ひとまず博物館へ行き、島についてお勉強。
お船場跡を遠くから眺めて、1日目は終了。
2日目、いよいよ登城。が、街から城の駐車場までだけでも結構あります。
ここにある仮設トイレを逃すともう先にトイレはありません。
登り始めてすぐスズメバチに出会しました。
いつもなら、「帰る!」というところですが、
この天気、今日を逃したら次はないと自らに言い聞かせて登り続けました。
途中にある東屋や、擁壁跡などに励まされながら、頂上へ。
ここから見下ろす浅茅湾の美しいこと。
絶対に後悔はしないと思います。
そして、その後は強行スケジュール大好き野郎の提案で、上島へ山猫に会いに行くことに。
更に韓国展望所から釜山の街を眺め、オメガ公園へ。
そうガメラファンの聖地、オメガ塔跡がある所です。
さすがに胃もくたびれたので、夜は美津島のラーメン屋さんへ。
対馬グランドホテルの大浴場でゆっくりしたら、翌日は万松院や朝鮮通信使資料館へ。
滞在中何度も渡った真っ赤な万関橋を通って、和多都美神社へ。
不思議な三つ足鳥居や海に立つ鳥居など、とても清々しい景色の神社なのに、インバウンドに荒らされ、あまつさえ暴力沙汰などもあったため、制服警官の方がパトカーで警戒中でした。
なお、厳原に宿泊した場合、上島にある野生動物保護センターや韓国展望所までの日帰りは公共交通機関ではかなりタイトです。
夏秋は台風、冬は大陸からの低気圧で海も空も荒れ、欠航が増えます。日程に余裕を持つか、春や初夏などの気候の安定している時期を選びましょう。

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しんちゃん

親子連れがピクニックしていた😄 (2025/11/16 訪問)

妻木城の主郭には石垣が良く残されています。登城口の駐車場には「クマ注意」の看板が立っていたのに親子連れがピクニックに来ていました。この辺はクマはあまり出ないようだ・・なんとも呑気な感じだが、とにかく気を遣わせては悪いので、距離を取りながら石垣を楽しんで帰ることにした。山城に石垣があると、ちょっとうれしい。
もちろん土塁や堀切などが主体の山城もすばらしいのだけど。

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アネ

負けるな! (2020/11/15 訪問)

何度も熊本城は訪れていますが、
一口城主になってすぐにあの地震に見舞われました。
瓦がほとんど落ちてしまった無惨なあの姿は今も忘れることはできません。
それが、よくぞここまでというところまで復興されました。
空中回廊から目の高さで石垣上部を見ることができるのは、修復中の今だけ。
桜馬場側からだと、登りが続きますので、体力に自信がない向きには、ここから二の丸駐車場側までシャトルバスを利用して、大天守から下ってくることをお勧めします。
こちら側には県立美術館があり、細川家由来の美術品も収蔵されています。
また、明るく広いカフェがありますので、桜馬場城彩苑界隈が混雑している時のランチや休憩にも便利です。
市内に宿を取って、夜の街に繰り出すもよし、菊池温泉でのんびり疲れを癒すもよし、海を渡って島原温泉というのも乙ですよ。

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アネ

古代城開眼 (2020/11/16 訪問)

思えば、このお城によって古代城への眼を開かれた気がします。
山道をクルマで登ると、目に入るのは異国風の塔。
鼠返しのついた高床式倉庫や、校倉作りの建物など、ここに「都市」があったのだと実感させられます。

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アネ

広い (2023/05/07 訪問)

駐車場の広さ、木の多さに圧倒されました。

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アネ

体力だけではダメな城 (2023/05/08 訪問)

まず、「やまぶき庵」と名付けられたトイレ近くの駐車場にクルマを停めて、歩き始めました。
初めは野中の小径という感じですが、途中からすれ違いも困難なほどの湿った細い道になります。
厩跡でスタンプを押したら、更に上を目指したいところですが、木製の階段がかなり傷んでいたため、これにて断念。
同じ道を下りますが、つかまりどころも手すりやガイドロープもなく、足元は固めてあったものの、トレッキングポールも手袋もなしなので、地面やのり面に素手をつきながらという格好になりました。
下についてから、「今だから言うけど、あの坂道、マムシ出そうで怖くなかったか?」と言われて、ゾッとしました。
これから行く方は、手袋や杖、トレッキングポールをお忘れなく。
なお、連れによれば、やまぶき庵はクラシックなタイプのトイレなので、小さい子には無理かもしれませんとのこと。ハエのお子様方もおいでになったそうで……近くのコンビニのトイレをお借りした方が良さそうです。

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朝田 辰兵衛

JR清水駅にて途中下車…🚉 (2025/10/13 訪問)

得意の途中下車で向かいました。平場で距離も短いので,キャリーバッグを引きずりながら…。事前に,todo94さんのレポートを確認させていただき,江浄寺にも立ち寄りました。深みが増したことに感謝申し上げます。

そうそう,todo94さんの命がけの蓮華山城攻城,無事に帰還できたことに胸をなでおろしました。
明日は我が身…の可能性もあるため,神妙な気持ちになりました。クマとの遭遇の可能性もゼロではないし…で。

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「油井ケ島城」。 (2025/11/23 訪問)

「花崎城」の後に「油井ケ島城」に転戦しました。

埼玉県加須市油井ケ島927
ナビに入力し畑道をまっすぐ進んだ先に緑の小山、その前に標柱がありました。
標柱には『鐘撞山』。
側面の説明文には『猪俣 小平太の子孫が居住し、私市(騎西)城とよしみを通じていた。上杉 謙信さんの兵が押し寄せ、私市(騎西)城へ急を知らせる為、鐘を撞き鳴らした。』と、ありました。
小山は柵に囲まれ入る事ができません。
向こうの方には広い所があり、説明板らしき物が見えます。
「油井ケ島城」の記載はありませんが、「騎西城」の支城だったんじゃないかと思います。

そーか「騎西城」の近くなのかと、次のお城攻めが決定した「油井ケ島城」攻めでした。

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アネ

和製テオティワカン (2023/11/20 訪問)

きっかりガッキリ四角い石垣、それが米子城。
空港から大山をほぼ正面に眺めつつ、街を目指して走れば、やがて右前方に重厚な姿を見せてくれます。

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アネ

兵庫からなら氷ノ山の先 (2023/11/21 訪問)

鳥取県にありますが、街道をもう少し進めば、難所として知られた兵庫県との県境。(2019年まで未通区間が4つもあったR482。2023年8月にも豪雨災害で不通区間が発生。今も大型車は通行不能だったり、普通車も冬季通行止だったりで、「酷道」扱い。よってアプローチは鳥取側からがデフォルト)
氷ノ山スキー場もほど近い山深いところで、街寄りには「先生シリーズ」の「ヤギ部」で有名になった鳥取環境大学があります。
テツの皆さんの間では人気の若桜鉄道の終点でもあり、寝台車が静態保存されていますので、週末には賑わっています。
(この列車はそのうち、ホテルに改造される予定とか)
観光案内所でスタンプを押すと、ふと目に入ったのが「クマ鈴お貸しします」の文字。
「あの〜、もしかして出るんですか?」「はい」
それ早く言ってください!
駅前広場から持参の双眼鏡で石垣を眺めて、帰ってきました。
道の駅の食事はどれも美味。お土産にはジビエなどいかがでしょうか?

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ヒロケン

佐々木城址碑及び伝布施淡路丸周辺の遺構 (2025/12/06 訪問)

観音寺城は近江守護佐々木六角氏が戦国時代に居城とした、標高433mの繖山山頂から南山麓にかけて郭が広がる大城郭で、中世五大山城の一つとして数えられています。
観音寺城の特徴は石垣を多用している事です。石垣の本格的な導入は安土城以後のこととされており、安土城より古い観音寺城の石垣の多用は例外的で、戦国時代としては唯一の城とのことです。

観音寺城には、6度目の訪問で山頂から南西に延びる伝本丸・伝平井丸・伝池田丸・大石垣を見学し、満足していましたが、前回訪問した折、安土城考古博物館の学芸員の方から、繖山山頂から東に延びる尾根筋にも見どころがたくさんある事をお聞きし、今回訪問してきました。

今回、朝7時登頂者用駐車場に駐車(無料)、徒歩で伝布施淡路丸・繖山東尾根筋をへて山頂へ、山頂から南西に延びる尾根筋の伝本丸・伝平井丸・伝池田丸をへて大石垣へ、帰りは伝平井丸から伝本丸に入り、本丸虎口から山頂に延びる尾根筋を通過し、来た道を引き返し、伝目加田丸から結神社へ、結神社から登頂者用駐車場へ。その後、石の寺 教林坊で庭園を鑑賞し、教林坊から徒歩で御屋形跡へ(天満宮)14時過ぎに帰路へ着きました。
たっぷり観音寺城を堪能しましたが、まだまだ繖山には遺構が眠っていると思われるので、また訪問したいと考えています。

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アネ

ヘルズキッチン? (2023/12/13 訪問)

高速道路を降りて、目印らしい建物がまるでない道を走っていくと、突然開ける城跡、それが興国寺城跡です。
この三方を山に囲まれ、南側の海に向かって開けた「ミニミニ鎌倉」のようなつくりをどこかで見たようなと考えるうちに思い出したのは、「ハーメルンの笛吹き男」の最後に、子どもたちを飲み込んで行った場所として登場する「ヘルズキッチン」でした。
小さいながらも地元の皆さんによる手入れが行き届いた端正なお城です。
スタンプは神社の手前の事務机の中に。

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