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小城小次郎

不思議なツンデレ感 (2026/02/11 訪問)

20年来このお城を眺めているが観光廃墟となった城跡には城址碑も案内看板もひとつもないのに訪ねる度に少しずつ見やすくなっていて不思議なツンデレ感がある。この時も今まで見られなかった二重堀切にロープを見つけた。

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来年の主役 小栗忠順ゆかりの地 横須賀 (2026/06/19 訪問)

 衣笠エリアを巡ったあと、横須賀中央駅へ移動。駅から徒歩20分ほどにあるヴェルニー公園を散策してきました。
 公園には、2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公 小栗忠順の胸像が設置されています。小栗忠順は、フランスの協力を得て、日本初の近代造船所の横須賀製鉄所(のちの横須賀海軍工廠)の建設を推進した人物です。日本の近代化、そして今の軍港 横須賀の礎を築いた人物といえます。『鎌倉殿の13人』でも話題になっていましたが、来年もまた大河ドラマで横須賀が盛り上がりそうですね!!
 お隣には、公園の名前にもなっているフランソワ・レオンス・ヴェルニーの胸像があります。フランス人の造船技師で、江戸幕府の要請で横須賀製鉄所建設の責任者となった人物です。明治維新後も建設と運営を行い、観音埼灯台の建設にも携わったようです。大河に登場しそうな人物なので楽しみです!!
 現在は、在日米軍基地となっていますがヴェルニー公園から横須賀製鉄所のドッグを望むことができます。ヴェルニー公園には、横須賀製鉄所の副首長の官舎のティボディエ邸や連合艦隊の旗艦を務めたこともある戦艦陸奥の41㎝主砲の砲身なども設置されていて見ごたえたっぷりです!!
 ヴェルニー公園近くのドブ板通りに移動して、横須賀ネイビーバーガーのお店TSUNAMIさんで、アボカドチーズバーガーをいただきました!!ビーフパティはもちろんのこと、バンズの焼き加減が絶妙でめちゃくちゃ美味しかったです!!
 横須賀に来たら、海軍カレーも捨てがたいですが、ハンバーガーもおすすめです!!

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怒田城(神奈川県横須賀市) 三浦氏の房総への脱出の舞台 (2026/06/20 訪問)

 京急久里浜駅から徒歩15分ほどで到着。城の西側に公園へ登る入口があります。道中の住宅地は迷いやすいので注意してください。(私は恥ずかしながら道を間違えて、かなり時間ロスしました。)
 私は最初「おこったじょう?」と読んでいましたが、「ぬたじょう」と読むようです。三浦氏によって築かれた城で、『源平盛衰記』によると衣笠合戦の際は、当初、和田義盛は怒田城での迎撃を主張していましたが、三浦義明によって退けられ、衣笠城での籠城が行われたようです。衣笠城が陥落した際、三浦一族は怒田城まで逃れ、麓の「舟倉」から房総半島へ脱出したようです。

 現在は史跡公園として整備されています。ただ県指定史跡の吉井貝塚だった場所に城が築かれていたようで、城址の説明というより、貝塚の説明板が多めといった感じです。それでも発掘調査で空堀跡や土橋が確認され、遺構の部分には案内板が設置されています。土橋跡に怒田城の詳しい説明板が置かれています。先端部分からは久里浜や衣笠方面を望むことができ、崖下に京急線が通る様子を見ることができました。

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衣笠城の支城&三浦氏の史跡めぐり~大矢部地区~ (2026/06/19 訪問)

 衣笠城から徒歩で佐原城跡へ移動。徒歩で40分くらいです。
 三浦義明の末子 佐原義連の居城で、衣笠城の大手を守る支城だったようです。佐原氏は文治5年(1189)の奥州合戦で会津を与えられ、佐原氏の庶流はのちに会津蘆名氏として戦国大名へと成長していきます。横須賀が蘆名氏の発祥の地だったとは、驚きです!!
 皆さんの投稿にもある通り、案内板が各地に置かれていて、そこまで迷わずに石碑に到着。石碑そばの木に説明板がつけられている写真を拝見していたのですが、木から降ろされ、石碑の所に立てかけてありました。

 ここからは衣笠城からの道中で寄り道した史跡をご紹介したいと思います。衣笠城と佐原城の間に広がる大矢部地区には、三浦氏ゆかりの史跡が多数残されています。

① 満昌寺 
衣笠合戦で討死した三浦義明の菩提を弔うため、源頼朝が創建した寺院です。三浦義明廟所と本堂前に頼朝お手植えのツツジがあります。

② 近殿神社
三浦義村(三浦義明の孫)を御祭神として祀る神社で大矢部地区の総鎮守となっている神社です。三浦義村は『鎌倉殿の13人』では、権力闘争のキーパーソンになってましたね。

③ 薬王寺旧跡 
薬王寺は和田義盛が父の杉本義宗と叔父の三浦義澄(三浦義明の子・義村の父)の菩提寺として創建した寺院で、明治9年(1876)に廃寺となったようです。現在は住宅地に囲まれていますが、石塔群が残されており、中央の石塔は三浦義澄の墓所と伝えられているようです。

④ 腹切り松公園
なかなか物騒な名前の公園ですが、三浦義明が衣笠合戦の時に、この場所にあった松の木の下で自刃したと伝わっているようです。見た感じは遊具のある公園という感じですが、公園の東側に「三浦大介戰死之處」の石碑があり、そばには松の木が植えられています。

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三浦氏の本拠地 (2026/06/19 訪問)

 JR横須賀線 衣笠駅から徒歩で京急バスの「衣笠十字路」バス停へ移動してバスに乗車し「衣笠城址」バス停で下車。そこから徒歩16分ほどです。
 衣笠城は源平合戦や鎌倉時代に活躍した三浦氏の本拠地で、治承4年(1180)の衣笠合戦では平氏方の攻撃に遭い、源頼朝方の三浦義明が討死したことで知られています。衣笠駅そばで、早速「三浦一党」と書かれたマンホールが出迎えてくれました!!
 バス停から県道27号線を進むと太田和街道入口の交差点に、衣笠城追手口の石碑が置かれていました。ちょっと小さめなので、気づきにくいかもしれません。交差点から西に進みお地蔵様のところに衣笠城址、大善寺の看板があり、上り坂を道なりに進んで行くと、大善寺に到着。
 大善寺の駐車場近くの階段(本堂側ではない方)が主郭に近い入口です。(本堂側の階段からも主郭へ行くことは可能です。)
 階段を登ると、説明板が設置されています。説明板の先の階段を登ると主郭跡に到着します。これぞ遺構みたいなものは少ない印象でしたが、主郭の北側に土塁跡、主郭の奥には物見岩という大岩があります。また物見岩の背後に堀切と思われる遺構が残っていました。

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イオ

とことん松坂城(本居宣長記念館〜隠居丸~三ノ丸) (2026/05/05 訪問)

(続き)

隠居丸に向かう前に、まず本居宣長記念館へ。本居宣長については、古事記や源氏物語の注釈書を記した江戸期を代表する国学者…程度の認識でしたが、記念館の展示を見学して、本業は医者、活字のような字を書く、和歌と桜と鈴が大好き…など業績だけでなく人となりにも触れることができました。知れば知るほどすごい人だなぁ、と。

本居宣長記念館を出て、埋門から隠居丸に入ってすぐのところに城下から本居宣長旧宅が移築されています。宣長が12歳から亡くなるまで住んでいた家で、医者としての診察は「店の間」、古典の講義は「奥の間」、二階に増築した書斎「鈴屋」は古典研究の場で、研究や執筆に煮詰まると床の間に架けられた鈴を鳴らして気分転換したのだとか。だから鈴屋なんですね。二階の鈴屋には上がれませんが、箱階段の下から見上げるか、埋門から南東に続く石垣の上から覗くことができました。

本居宣長旧宅を出ると、隠居丸を散策します。隠居丸は本丸の南下段に位置し、南隅に櫓があったほか、道具蔵が2棟、米蔵、宝蔵が各1棟建てられていましたが、米蔵が御城番屋敷に土蔵として移築されているほかは現存せず、遺構としては隠居丸跡の石碑の脇に井戸が見られるくらいです。

隠居丸を東側から出て、裏門を抜けて三ノ丸に向かうと、裏門から中御門に続く搦手道は枡形を連続させた構えで、裏門の内側には番所の位置が平面表示されています。三ノ丸から隠居丸の高石垣を見上げて歩いていると、南隅の櫓の石垣下部には石垣修復工事の際に発見された捨石状遺構が見られました。盛土のために脆弱な地盤を補強するためのもののようです。本居宣長記念館に続く坂道の途中で引き返して、最後に御城番屋敷に向かいます(続く)。

なお、石垣修理工事に伴い、埋門は令和11年度まで通行止めの予定で、現在はこの日のように本居宣長記念館から埋門を抜けて本居宣長旧宅へ向かうことはできなくなっています(迂回路あり)。
 

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にのまる

関ケ原陣跡制覇ウォーキングのあとで① (2026/09/27 訪問)

岐阜駅から徒歩で行けそうだったので宿泊先(東横イン岐阜)にチェックインする前に行きました。
最初に見かけたのが「加納城南大手門跡」の標柱です。住宅街の中にありました。
そしてほどなく長大な石垣と広場が見えてきました。

かつての本丸がまるごと整備され公開されている加納公園。(夜間は閉鎖されます。)
土塁に囲まれた芝生広場に、昔のままの石垣。街なかでこれほどの野面の石垣が見られるとはさすが美濃国。
浮城の面影を探すのは知識も土地鑑もなく困難でしたが、落城した岐阜城の石が運ばれたという伝聞があるとの解説に、目の前にあるのは豊臣から徳川へ、時代を繋ぐ石垣なのだと深く感じ入りました。
一部ぎりぎり住宅に接しながらもかつての姿を留めている大手の出枡形もとても印象に残りました。

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ダイエティシャン

温湯城 寺屋敷 (2026/10/23 訪問)

温湯城 寺屋敷に攻城。主郭には到着出来ず。
登城口は【田水】方面の看板から、林道を約500m、数分登った所にあり。
寺屋敷は、登城口から約10分程で到着。道標はあるが、葛籠折で、慣れていないと迷いそうな山道と感じる。
木の川が剥がされていた。(写真②)いつ剥がされていたのかは不明。周辺を確認しながら、慎重に進軍。寺屋敷入口は倒木(③④)もあり。切岸(⑩)もあり。
今日も500m離れた道路と川で工事中。音が寺屋敷迄は響いていたので、野生動物の出没の危険性は多少低いと判断し、攻城。



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サーバーメンテナンスのお知らせ

いつも城びとをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。

本日サーバーメンテナンスを実施いたしますので、ご案内申し上げます。
メンテナンス中は、Webサイトの閲覧、投稿ができません。
ご不便をおかけして誠に申し訳ございません。
サイトを再開しましたら、SNS等でお知らせいたします。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

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イオ

とことん松坂城(きたい丸〜二ノ丸〜きたい丸西下段) (2026/05/05 訪問)

(続き)

敵見櫓石垣を見上げつつ、きたい丸外周の多聞跡をたどって藤見櫓へ。藤見櫓跡には礎石列が遺り、小さな石碑が立てられています。きたい丸外周の多聞は助左衛門御門を見下ろす鐘ノ櫓まで続いていますが、石段はあるものの鐘ノ櫓跡へは立ち入りできませんでした。

本丸下段を通り抜け、裏二ノ門にあたる中御門を出て二ノ丸へ。中御門への搦手道を見下ろす位置には太鼓櫓の石垣がそびえ立っています。本丸の東下段に位置する二ノ丸には二ノ丸御殿(徳川陣屋)が建てられていましたが、現在は公園として整備され、二の丸跡や徳川陣屋跡など様々な石碑、東屋、野外劇場、藤棚が見られるくらいです。二ノ丸南隅の櫓跡からは御城番屋敷が一望できますが、御城番屋敷に行くのは後にして、月見櫓から遠見櫓まで続く本丸下段の高石垣を見上げながら進み、さらに鐘ノ櫓〜藤見櫓〜角櫓ときたい丸の高石垣をたどって行くと、こんなもの凄い高石垣を延々と見せつけられたら、そりゃ石垣の魅力に目覚めるよなぁ…と改めて実感。満足して高石垣からふと視線を移すと、きたい丸西下段の西辺に土塁らしき土盛りが。高石垣だけでなく土塁まで!? と嬉しくなりましたが、すぐそばの本居宣長記念館を建てた際の残土かも? と思って調べてみたところ、やはり土塁でした。ノーチェックだっただけに嬉しい遭遇でした。存分に高石垣と土塁を堪能したら、きたい丸の石垣と本居宣長記念館の間を抜けて隠居丸に向かいます(続く)。

なお、石垣修理工事に伴い、きたい丸西下段のあたりは11月末(予定)まで通行止めになっているようです。となると、しばらくは此処の高石垣も土塁も見られない…ってコト!? ご注意ください。
 

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赤い城

新谷小学校 (2026/08/29 訪問)

大洲城の後、大洲まちの駅あさもやで大洲コロッケを食べました。
里芋を使った「いもたき」をコロッケにしたもので揚げたてでアツアツ🫠美味しかったです。
結果的にコレがお昼ごはんとなりました。

新谷陣屋の跡地には新谷小学校が建っています。
校門前に碑があります。
裏手に歩いて行くと麟鳳閣、現存する建物です。
新谷藩は大洲藩主が弟に分け与えてできた藩でその拠点となっていました。

あっ、昌官忠さんのレポートにある「上に時計台がある陣屋風の建物」って5枚目の写真の保育園ですかね?
とりあえず撮影しておきました。

【見どころ】
 ・麟鳳閣

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todo94

スポーツの日三連休の大分の攻城⑨ (2026/10/11 訪問)

吉弘氏居館跡からの転戦です。居館跡とは別に吉弘城の入り口の案内も県道脇にあります。林道を延々と進んで駐車場に乗り付けることができたので攻城はとても楽でした。主郭を取り囲む横堀はなかなか明瞭です。主郭から、麓の居館跡に向けて登城路が伸びていていくつもの遺構が残っているようです。機会があったらこれもチェックしてみたいと思います。今回の攻城はここまで。大分県の城びと登録城は岐部城を残すのみとなりました。とはいっても、用来城は説明板しかチェックしていませんし、長岩城の再訪も期したいところです。吉川弘文館の「九州の名城を歩く~熊本・大分編」所収の城では城びと未登録ながら魅力たっぷりの妙見岳城も攻めたいところ。次回の大分行きの計画立案が楽しみでなりません。

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朝田 辰兵衛

R141からのアクセスルートは,鬼神子… (2026/10/11 訪問)

当初,若神子城は昨年,JR長坂駅から徒歩でプランニングしてました。しかし,ちょっとヤバそうなアクセスルートのカーブ…と感じ,今回の電チャ計画にシフト。結果的に,この判断は正解でした。R141からのアクセスルートは,鬼神子です。しかも,北城,大城,南城とも,一度下りて登り直すという非効率で…。電動レンタサイクルは下りで充電される仕様ですが,バッテリー残量は55%にダウンしました。
撮影画像は失敗が多く,ショボい結果となっておりますが,ご容赦くださいませ。
大城の奥に散策路があり,南へ進んで行くとヤブの中に土塁を発見することができました。そのポイントにパネルが(意図的に…?)設置されておりました。眺望は「富士を眺める」なんて悠長なものではなく,天正壬午の戦いで北条氏直が古城に籠り,徳川勢と対峙するための監視目的。薬研堀も北条氏の作品。鬼気迫るモノを感じます。鬼神子やんけ…。
なお,南城に当たる法徳寺は,なにやら寺のイベントを催しているようでして,不審者と思われると面倒なのでスルーしました。

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イオ

とことん松坂城(本丸上段〜きたい丸) (2026/05/05 訪問)

(続き)

本丸上段は西隅に三重の天守が建っていた天守台、天守台に北接して敵見櫓、東隅に金の間櫓を配し、北西辺から北東辺を多聞で結んでいます。天守台石垣の天板には石棺の蓋が転用されていて、敵見櫓跡から多聞跡をたどっていくと、金の間櫓跡には松阪開府之碑が立てられていました。本丸上段北部の広場は兵部屋敷跡で、廃城後は配水池が設けられていたようです。本丸上段南部の本丸の石碑の背後には井戸が現存しています。本丸上段をひとめぐりすると、天守台石垣を見上げながらきたい丸へ。

本丸の西下段に広がるきたい丸は、古田重勝の子・希代丸にちなんで名付けられたもので、西隅に角櫓、その南に2基の櫓を配し、外周に多聞をめぐらせています。現在は南部は梅林となっていますが、南隅の櫓跡には石列が見られ(櫓の礎石列?)、角櫓跡からは城下の向こうに阿坂城を遠望することができました。外周の多聞跡をたどって北東へ進みます(続く)。

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赤い城

肘川が天然の堀 (2026/08/29 訪問)

初めての登城です。
大洲市民会館の有料駐車場に車を置き、二の丸大手門から入城します。
まずは下台所、現存する建物です。
この裏から肘川の方向に進みました。
芋綿櫓を望みます。

石段があったのでここから登っていきました。
石垣を見上げながら水の手を歩き、北の丸から井戸曲輪を経て本丸へ。
復元された四重天守とそれに連結する台所櫓、高欄櫓から成る連結式天守です。

中に入り100名城スタンプを押印、78個目でした。
天守内部を一通り見学して内堀菖蒲園へ降ります。
少し歩いて三の丸西隅櫓跡の石垣が残っています。
引き返して再度本丸下まで戻り、石垣を見ながら大手を降りていきました。

さらに見ておきたいのが現存する三の丸南隅櫓です。
南側に少し歩いた大洲市埋蔵文化財センターの隣にありました。
近くには外堀の痕跡も見られます。

年初に立てた目標のひとつに「四国内の100・続100名城をクリアする」を挙げましたがまだ今治城、能島城、河後森城が残っています。
まだ2ヶ月残っていますがこれは未達で終わりそうです😓

【見どころ】
 ・下台所
 ・芋綿櫓
 ・北側の石垣
 ・三の丸西隅櫓跡、三の丸南隅櫓
 ・復元天守と現存の高欄櫓、台所櫓
 ・肘川を望む眺望

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todo94

スポーツの日三連休の大分の攻城⑧ 【城びと未登録】吉弘氏居館跡(大分県国東市) (2026/10/11 訪問)

献血ルームわったんでの献血を無事終え、昼食をとってから向かったのが吉弘氏居館跡。献血ルームから70km以上離れていますが、高速をフルに使えば、1時間ほどの所要で済みます。県道から見える位置に案内表示があるので迷わずたどり着くことができました。私有地のようでしたので、中に入り込むことは遠慮し、石垣の写真だけ撮影して撤収しました。

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にのまる

関ケ原陣跡ウォーキング2026 (2026/09/27 訪問)

毎年9月になるとさまざまなイベントで盛り上がる関ケ原。
そのひとつである『関ケ原陣跡制覇ウォーキング』に4年ぶりに参加してきました。
前回と同じく松尾山登頂を含む制覇コースです。
昨年から距離が16km→18kmになっていましたが、これはチェックポイント以外の立ち寄り先も全て含めた距離のようで、コース自体も所要時間(目安)も変わりありませんでした。

初参加の前回は、前半ゆっくりしすぎたり、終盤でコースを間違えたりで、ゴールするまで7時間かかってしまいました。制覇コースの所要時間は6時間なので、情けないというか、“歩くこと”には自信があっただけに、この結果にかなり気落ちしてしまいました。

そして今年。何とか6時間を切りたいという、ただそれだけでチャレンジしました。

スタンプシートを出し入れしやすいようにカラビナつきクリアケースに入れてリュックにセット、トレッキングポールも持参しました。ただ、2泊分の荷物を背負っていたので背中は重いです。

前回の記憶があるので、“この道は一体どこまで続くんじゃー!”という不安や焦りはなく、順調にチェックポイントをまわり、ウォーキング開始から1時間50分で松尾山登山口に到着。
ここからきつい登山となりますが、きついだけで、特に危険な箇所はありませんし、寝返りのタイミングをうかがう必要もありません。右足と左足を交互に出し続けていたら30分で山頂に着きました。

10分ほど休憩して聖蓮寺方面へ下り、後半は西軍陣跡を制覇していきます。大谷吉継陣跡もゴールの笹尾山もそれなりに登りましたが無事ゴール。
かかった時間は5時間15分。目標をクリアできて一安心でした。

16万の兵が集結したという関ケ原。
今回のコースは桃配山以外はほぼ網羅しているそうですが、陣跡を巡り全体の広さを実感するいい機会でした。イベントに感謝🙏

しかしここで終わりではありません。
電車の本数が少ないのでゴールの余韻に浸る暇もなく、笹尾山から関ケ原駅までラストウォーキング1.7km!!

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イオ

とことん松坂城(表門~本丸下段) (2026/05/05 訪問)

小牧長久手の戦いの功により伊勢国・松ヶ島城に入った蒲生氏郷が居城として築いた城で、氏郷が会津に移封となった後は服部一忠、次いで古田重勝、古田重治が城主となり、徳川頼宣が紀伊国・和歌山城に入ると紀州藩領に組み込まれて、明治まで城代が置かれました。

約9年ぶりの再訪です。100名城スタンプラリーを始めたばかりの頃、天守や櫓(再建含む)こそが「城」であって、石垣しか遺らない「城跡」なんかに行ってもなぁ…などと思っていた私に「石垣もなかなか良いかも?」と気付かせてくれたのが松坂城だったので、前々から再訪したいと願っていましたが、ようやく果たすことができました。今日は松坂城をとことんめぐってみようと思います。

市役所駐車場から登城開始。駐車場前の大手門跡から大手通を表門に向かうと、折り重なる石垣群に気分が高まります。往時は櫓門だった表門跡を抜けると、眼前に本丸下段の高石垣がそびえ立ち、松坂城跡の石碑が立てられていました。右に折れて坂を登って行くと右手に井戸が現存し、突き当りは歴史民俗資料館です。歴史民俗資料館は前回見学しているのでスルーして、遠見櫓を回り込むように表二ノ門にあたる助左衛門御門跡を抜けて本丸下段へ。

本丸下段は北隅に遠見櫓、東隅に月見櫓、南隅に太鼓櫓を配し、各櫓の間を多聞で結んでいます。月見櫓跡には梶井基次郎文学碑が立てられていました。太鼓櫓跡から中御門跡を見下ろし、金の間櫓の石垣を見上げると、連続枡形を抜けて本丸上段に向かいます(続く)。
 

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todo94

スポーツの日三連休の大分の攻城⑦その2 (2026/10/11 訪問)

堀切、横堀などの遺構を楽しみつつ、先へと進みます。タイムリミット前に何とか土塁で囲まれた主郭に到達することができました。頂上はそのちょっと先です。主郭周りの横堀をたどっていたらピンクリボンから外れた曲輪に達してしまいました。ここで山中をさまようことになったら、献血の予約時刻に間に合いません。後ろ髪をひかれつつ、城を後にしました。正味50分の攻城でした。かなり広範囲に城域が広がっていて、未踏の場所がかなり残ってしまいました。機会があったら再訪してみたいと思えるとても良い城でした。

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にのまる

関ケ原ウォークの前乗りで② (2026/09/26 訪問)

大垣城から墨俣城へは揖斐川を渡り長良川の河畔へ美濃路を一直線。
ありがたいことにそのルートを走ってくれる路線バスがあったので大垣城見学後に行ってきました。

墨俣バス停で下車。墨俣宿の本陣・脇本陣前を歩いて15分ほどで到着です。

模擬天守なのは先刻承知。たった今見てきた大垣城天守のそっくりさん。
ですが、これからの時代、もう模擬天守が建てられることはないだろうと考えると、今あるその姿をしっかり見ておき、造られた経緯なども知っておきたいと思いました。

内部は歴史資料館になっていて、実際の墨俣城(砦)の姿や、秀吉がどのように出世していったか、墨俣城築城について現代までどのように伝わってきたかが丁寧にわかりやすく展示されていました。

また、園内には豊国神社、太閤秀吉出世の泉、藤吉郎の馬柵、複数の城址碑とともに洲股築城犠牲者の墓がありました。実際に現場作業を担った人たちにとって城づくりは時に命がけとなることもあっただろうことも覚えておきたいです。

長雨で水害の多かった今夏。すぐそばを流れる長良川を眺めながら、治水のありがたさを思いました。

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