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HKISD

日向松尾城跡散策 (2026/10/22 訪問)

とても細い道を車で行きお寺の駐車場に停めて歩いて5分で着きました。

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トク

復元工事中の鴻臚館(北館東門が完成) (2026/10/24 訪問)

福岡城東ノ丸(平和台球場跡地)、ここには黒田長政が築城する前のはるか昔、「鴻臚館(こうろかん)」という建物がありました。鴻臚とは「使節の到来を大きな声で伝える」という意味だそうです。

奈良から平安時代中期まで、中国(唐)や朝鮮(新羅)から来た使節の使者たちはここに入り、太宰府(遠の都)に用件を伝え滞在する「迎賓館」的な施設だったようです。また入国だけでなく出国する時にも利用されました。遣唐使や朝鮮使節は出発する際ここに滞在し、盛大な見送りを受けたようです。留学する僧たちもここで見送られ、鑑真などの逆に中国から入国した僧たちもここで歓迎を受けたようです。

しかし平安時代後期に入るとその役目を終え、多くの貿易商人たちの商談が盛んに行われる場所に変わり、その北側は今でも「唐人町」という名前で残っています。しかし鎌倉時代に入ると、唐人町から4km東の「博多」に港を築いて商人たちは移り住み、貿易の中心は博多へ移ったため、完全にその役目を終えたようです。

昭和60年、平和台球場解体工事中にその存在が発見されて、国の重要文化財に指定され、発掘調査が始まりました。中国製の陶磁器や西アジアのガラス器、また建物の一部などが現在まで発見されており、それらは鴻臚館跡展示館で観覧する事ができます(ただし2027年3月まで現在はリニューアル工事中です)。

その東ノ丸では現在、鴻臚館を復現しようとする整備工事が進められています。今月新たに北館東門が完成し、令和8年10月27日まで公開されると地元TVで紹介されていたので行ってきました。しかしなぜか立入禁止で、近くにまで行く事はできませんでした(?残念😩)。しかし、限定数名で瓦に記帳できるイベントが行われていたので、書かせていただきました。これが鴻臚館の一部に使っていただけるようなので・・・という事はもしかして、何百年も先まで自分の名前を書いた瓦が残るのかな🤔? そうなればいいなと思って書きました。全体の完成が待ち遠しいです。
 

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朝田 辰兵衛

🗻見ることができます…👀 (2026/10/11 訪問)

地名が日之城。この地元では日之城のほうがメジャーなのかな…。平成3年製と思しき立派な標柱の表記は「日之城」。これは地元のプライドなのかも…と思いました。
お忘れなく,砦橋から富士山を眺望することができます…🗻

この日は,源太ヶ城,古宮城,若神子城,日ノ出城と電動レンタサイクルで巡りましたが,電チャ足に加え,股関節にまでダメージが…。当然,ツーケー・イターナルで。
バッテリー残量は,一時的に50%にダウンしましたが,55%で返却することができました。ご参考までに。

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ヒロケン

主郭部整備工事 (2026/10/05 訪問)

2024年4月主郭部の整備工事が完了され主郭部の樹木が伐採、石垣や虎口が再現されています。何を今さらとおっしゃる方も大勢おられると思いますが、自分が前回訪れたのが主郭部の整備工事完了以前に訪れていたので今回工事完了後に主郭部を初めて訪れ、驚きと小牧山城を再評価し、感激しています。

歴史館が建つ主郭部が石垣で囲まれ(画像1から4)信長時代の石垣・虎口が再現され「この様になっていたのか」と理解できます。また、大手曲輪地区(画像5)・西側曲輪地区(画像6から9)の曲輪や土塁・堀は、江戸時代小牧山は尾張徳川氏の領地となり、一般人の入山が禁止されたことで遺構が良好に残されています。小牧山山麓北東部に広がる帯曲輪地区の武家屋敷跡や土塁、石垣に囲まれた主郭地区の主郭部。大手曲輪地区の大手道と大規模な堀と土塁。また、遺構が良好に残されている西側曲輪地区の曲輪や土塁と堀、小牧・長久手の合戦を詳しく知ることが出来る小牧市歴史館など見どころ満載のお城です。

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じゅんじん

日本初の陵堡式城郭 (2026/09/10 訪問)

北海道の初城郭。これで47都道府県のお城を制覇です。ここは土塁が残されています。内部は広く蝉が鳴いていました。

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じゅんじん

真夏の駿府城 (2026/08/16 訪問)

暑かったので早々に撤退しました~

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じゅんじん

ライトアップ (2026/08/15 訪問)

到着が遅くなりましたがライトアップ見れました

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じゅんじん

探索後は焼き肉! (2026/08/14 訪問)

日本百名城のひとつ。長篠設楽原の戦いの地です。鳳来牛の焼き肉前に行きました。うまうまです。

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じゅんじん

本丸御殿 (2026/08/13 訪問)

何度来てもここは見ごたえたっぷりです。各部屋の仕様が違います。

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じゅんじん

真夏の名古屋城 (2026/08/13 訪問)

午後から行きました。本丸御殿は30分待ちでした。天守が大きくてかっこよい。このお城が一番好き。

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イオ

とことん松坂城(御城番屋敷) (2026/05/05 訪問)

(続き)

最後に、先ほど二ノ丸から見渡した御城番屋敷へ。御城番屋敷は松坂城の警備に任じられた紀州藩士20名の組屋敷として幕末期に建てられた長屋式武家屋敷で、東棟10戸・西棟10戸(現在は9戸)からなり、現在も藩士の子孫が居住していますが、うち1戸分を松阪市が借り受けて一般公開されています(10時〜16時・無料)。裏門から搦手門(竹御門)を結ぶ石畳が東棟と西棟の間を通り、各戸を槇垣で囲んだ家並みはなかなか風情があり、この日も多くの人が訪れていました。また、屋敷地には隠居丸の米蔵を移築したとされる土蔵や紀州藩祖・徳川頼宣(南龍公)を祀った南龍神社が建てられています。

時間の余裕があれば三ノ丸や城下町も散策したいところでしたが、今回はここまで。御城番屋敷から二ノ丸の高石垣を見上げつつ市役所駐車場に戻りました。

…ということで、私を石垣の魅力に目覚めさせてくれた松坂城の高石垣は、この9年の間に各地の名城をめぐった後に目にしてもなお全く遜色のない素晴らしいものであることを再認識。さらに今回は思いがけず土塁にも出会えましたし、御城番屋敷に本居宣長にと大満足の松坂城でした…と思っていたんですが、先日の赤い城さんの投稿で「向こう側が見える水抜き抗」なんてものがあることを初めて知りました。これはまた三ノ丸や城下町の散策とあわせて再訪しなければなりませんね。
 

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にのまる

関ケ原陣跡制覇ウォーキングの翌日 (2026/09/28 訪問)

続100名城スタンプスタートの年以来、8年ぶりになります。
「れきしるこまき」は初めてでしたが、導入部からコアな部分まで最新研究も取り入れた展示は来訪者が楽しみながら学べるくふうがあり、とても楽しかったです。

前回は自然遊歩道をぐるっとまわった(そして迷子になった)のですが、このたびは雨なのと名古屋行きの高速バスの時間の都合で、大手道を直進、山上の歴史館まで最短で行けるコースにしました。

歴史館内部は、記憶と違うなと思ったら2023年にリニューアルされていました。戦国時代の小牧山城についての展示が詳しくて、とてもよかったです。

現在も歩みを止めない小牧山城。
表面をなぞるくらいしか知らない「小牧・長久手の戦い」についても、もっとしっかり勉強するとお城めぐりをより楽しめるだろうなと思いました。

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にのまる

関ケ原陣跡制覇ウォーキングのあとで② (2026/09/27 訪問)

加納城から新荒田川を渡り、徒歩10分ほどで済美高校に到着。“戦国武将ゆかりの地 岐阜”の幟が目印になりました。
校庭の一角のフェンスで囲われた土盛り(土塁跡?)に城址碑と説明板がありました。岐阜城以前の南北朝時代のお城だったそうです。
鉄棒や滑り台のある、地域に開かれた小さな遊び場のようでもありましたが、正面に祀られたお社に、この地の方々が今日まで長い歴史を守り受け継いできたことを思いました。

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イタさん

新田館跡・岩松氏館跡・台源氏館跡 群馬県太田市 (2026/10/22 訪問)

1.新田館跡

館跡は総持寺が建っている。境内(寺域)は思いのほか狭く、山門の傍らに由緒・梵鐘の説明板がある。諸説あるようだが、新田一族の祖・新田義重の居館説が最初に書かれている。また館は西の早川を背にし、三方を堀で囲む方二丁の広さで、東西に一部堀跡が残るとあるが、西の早川は分かるが、周囲は宅地に変わり全く遺構は分からなかった。なお境内の北側辺りに新田館碑があったようだが、確認しなかった。

2.岩松氏館跡

青蓮寺が建つ場所が館跡になる。こぢんまりしているが、山門(楼門)には金剛力士像が観られる。新田・足利氏の祖、源義国、その子新田義重が居住し・・・との説明板がある。遺構は本堂の背後(北側)に堀と土塁があり、続いているのだが藪になってわずかに確認出来る程度だった。

3.台源氏館跡

住宅地に囲まれた一角に、新田義貞誕生地の碑が建つ。説明板には土塁の一部を整備してと載っている。最初に居を構えた人物など詳しくは書かれていない。遺構として土塁が館のどの辺りか分からない。

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八田政清 (2026/10/22 訪問)

 八田家書院は武田家家臣の八田氏の屋敷です。天正10年(1582)3月、織田軍の兵火により焼失しましたが、徳川幕府より万力(山梨市)や富士裾野の木材の使用許可を得て再建されました。現在遺っているのは茅葺き入母屋造りの書院です。
 この日は観覧日ではなかったので、外から眺めて来ました。

JR石和温泉駅から徒歩約15分で行くことができます。

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穴山伊豆守信懸 (2026/10/22 訪問)

 土塁と空堀がよく残っている単郭の城で城主は穴山氏と伝わっています。先人の写真を見て期待して行きましたが、この時期、空堀の中や土塁の上にはまだ雑草ががんばっていてよく見えません。しかも土塁に登ろうと少し草むらの中に入ると、すぐにくっつき虫(たぶんヌスビトハギ)が衣服に大量についてしまいました。冬に来るべきでしたね。戦意を喪失して早々に退却しました。

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WEST

水戸城探訪 (2026/10/14 訪問)

水戸城を訪問しました。前回から一年半ぶりの再訪となります。観光案内所でいただいた散策マップを片手に水戸駅を出発し、広大な城域を巡りました。
水戸城は、深く掘り込まれた空堀や土塁が良好に残る城で、復元された大手門や二の丸角櫓など見どころも多くあります。再訪でしたが、何度訪れても飽きることのない城だと感じました。
今回三の丸にある弘道館周辺の種梅記碑や八卦堂、学生警鐘、孔子廟を初めて見学しました。これらの史跡からは、藩校教育に力を注いだ徳川斉昭の理念の一端をうかがうことができます。
なお、二の丸角櫓は内部見学できますが、閉館が16:00ですので、訪問の際には注意が必要ですよ。

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yoda 1253

石垣がすごい (2026/10/22 訪問)

火山灰でできた石のため加工がしやすいらしく切込みはぎを中心に隙間なく積み上げられていました

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小城小次郎

不思議なツンデレ感 (2026/02/11 訪問)

20年来このお城を眺めているが観光廃墟となった城跡には城址碑も案内看板もひとつもないのに訪ねる度に少しずつ見やすくなっていて不思議なツンデレ感がある。この時も今まで見られなかった二重堀切にロープを見つけた。

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シェル

来年の主役 小栗忠順ゆかりの地 横須賀 (2026/06/19 訪問)

 衣笠エリアを巡ったあと、横須賀中央駅へ移動。駅から徒歩20分ほどにあるヴェルニー公園を散策してきました。
 公園には、2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公 小栗忠順の胸像が設置されています。小栗忠順は、フランスの協力を得て、日本初の近代造船所の横須賀製鉄所(のちの横須賀海軍工廠)の建設を推進した人物です。日本の近代化、そして今の軍港 横須賀の礎を築いた人物といえます。『鎌倉殿の13人』でも話題になっていましたが、来年もまた大河ドラマで横須賀が盛り上がりそうですね!!
 お隣には、公園の名前にもなっているフランソワ・レオンス・ヴェルニーの胸像があります。フランス人の造船技師で、江戸幕府の要請で横須賀製鉄所建設の責任者となった人物です。明治維新後も建設と運営を行い、観音埼灯台の建設にも携わったようです。大河に登場しそうな人物なので楽しみです!!
 現在は、在日米軍基地となっていますがヴェルニー公園から横須賀製鉄所のドッグを望むことができます。ヴェルニー公園には、横須賀製鉄所の副首長の官舎のティボディエ邸や連合艦隊の旗艦を務めたこともある戦艦陸奥の41㎝主砲の砲身なども設置されていて見ごたえたっぷりです!!
 ヴェルニー公園近くのドブ板通りに移動して、横須賀ネイビーバーガーのお店TSUNAMIさんで、アボカドチーズバーガーをいただきました!!ビーフパティはもちろんのこと、バンズの焼き加減が絶妙でめちゃくちゃ美味しかったです!!
 横須賀に来たら、海軍カレーも捨てがたいですが、ハンバーガーもおすすめです!!

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