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にのまる

校舎はそのままでした。 (2026/06/30 訪問)

JR小海線利用。龍岡城駅から枡形跡を通って向かいました。

今年4月に増築、リニューアルしたガイダンスセンター「であいの館」で新しい展示や映像をゆっくりと見ることができました。龍岡城は捉え方によってイメージや感想、評価が大きく変わる印象があるので、断片ではなく時系列に沿ってじっくり追えてよかったです。

田口小学校が閉校してから3年余り。校舎もこのお城の歴史の一部だなぁと思ったりしますが、史跡公園としての今後の整備方針なども伺うことができました。
また、展望台(田口城)へは今回も行けなかったのですが、山中の様子や所要時間、熊出没情報なども教えていただけたのでいつか登ってみたいです。

ひと通り見学したあと、御台所裏手にある五稜郭公園へ。星型の広場があると聞いていたのですが、行ってみると立派な石組みの枡形もあってびっくりを通り越して感動してしまいました🥹
水堀もあったし、お城感たっぷりで、滑り台が物見櫓に見えたりもして、このアイデアと柔軟性と地元愛がある地域なら龍岡城もきっと素晴らしい史跡公園になるだろうなと思いました。

お土産に購入した五稜郭せんべいはたくさんの種類があるなかから“あおばつ”を選びました。青大豆の香りがしっかり感じられて美味しかったです!

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イオ

黒田城(三重県松阪市大黒田町) (2026/02/15 訪問)

黒田城(城びと未登録)は、詳細は不明ながら北畠氏に仕えた中頭下総守の城です。遺構は消滅していて、善覚寺から法寿寺にかけてが比定地とされます。

法寿寺には楠木正成と中頭氏にまつわる伝承があり、湊川の戦いに赴く前に楠公から念持仏を託された宝蔵坊は、同じく南朝の臣である 中頭氏に頼み込み、中頭氏は一宇を建てて懇ろに祀って現在に至る、とのこと。法寿寺の境内には忠臣 楠木正成公との仏縁の説明板と楠公父子決別之像が設けられています。
 

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todo94

お盆帰省時・埼玉県の攻城④ (2026/08/14 訪問)

大堀山館からの転戦です。川越城奪還のために上杉憲政がここに陣を敷いたということで、上杉砦とも呼ばれているそうです。郭内には櫓台様の高みがあり、空堀は深く、コンパクトながらなかなか見ごたえのある砦でした。

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ぴーかる

深溝城 (2026/06/14 訪問)

【深溝城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>1泊2日東海ちょこ城道中14城目。深溝城の詳細は添付写真の現地説明板をご覧下さい。車を停める場所がなかったので、石碑前に停めて撮影しました。土塁が残っているようですが無理せずにしました。
 深溝松平家の墓所がある本光寺はあじさい寺として有名で楽しみに行きましたが、駐車待ちの車の大行列でとても無理なので飛ばしました。朝一に行くべきでした、ミスりました。

<満足度>◆◇◇

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シャンシャン

絶景が望める海城 (2026/08/04 訪問)

三方を海に囲まれた小高い丘に建つ唐津城。
復元天守だけど、周囲から見る姿は青空に映えてカッコいい!
石垣はよく残っており、特に天守台の(扇の勾配ではなく)一直線にそびえたつ石垣は特徴的。
天守からの景色は市街地や虹の松原、玄界灘などが一望でき絶景!
海沿いにも石垣が連なっているので、ぜひ今度は船に乗って海から見てみたい。
記念メダルもGETして大満足!

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シャンシャン

元寇を防いだ石塁 (2026/08/04 訪問)

鎌倉武士が元の侵攻を防い石塁跡。
一応、城びとで検索してみたら登録されてた(^^;)
文永の役の後に元の再襲来に備えて、わずか6ヶ月で20㎞も築かれたそう。
砂浜からの景色は絶景だけど、往時はこの海に何百艘もの元の船が並んでおり、鎌倉武士が迎え撃ったと考えると歴史のロマンを感じる。

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シャンシャン

幕末の城跡 (2026/08/03 訪問)

下関にある勝山御殿跡(城びと未登録)。
幕末に外国船の脅威に対抗するため、海沿いの拠点から山あいに移された藩主の居所。
「御殿跡」となっているものの、わずか7ヶ月で築かれたとは思えないほど立派な石垣と曲輪が残されており、城跡と言っても差し支えない規模。
石垣は基本的に落とし積みで築かれており、角も算木積みではない。ここまで落とし積みの石垣は初めて見たので新鮮だった!
所々、鏡石のような大きな石が埋め込まれており、間詰石もなく隙間なく積まれており、見応えがある石垣だった。
国指定史跡公園としてきれいに整備されていたが、下から狭い住宅街の道を進む必要があるにも関わらず、看板も一切ないため不親切(^^;)

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イオ

船江城(三重県松阪市船江町) (2026/02/15 訪問)

船江城(城びと未登録)は、築城時期等は不明ながら織田信長の伊勢侵攻に備えて北畠家臣の本田左京亮らが籠った城で、夜討ちにより織田軍に頑強に抵抗しました。その後、北畠氏の養子となった茶筅丸(織田信雄)は北畠具教の四女・千代御前(雪姫)と船江城で婚儀を挙げたと伝わります。本田氏は信雄、次いで蒲生氏郷に仕えましたが、氏郷が松ヶ島城から松坂城に移った際に、松ヶ島城とともに船江城も廃城になったようです。

船江城跡は本田氏菩提寺の浄泉寺になっていて、明瞭な遺構はありませんが、境内裏手の墓地奥の水路は堀の名残、草木が茂るあたりが土塁の痕跡と思われるんだとか。
 

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todo94

お盆帰省時・埼玉県の攻城③ (2026/08/14 訪問)

菅谷館からの転戦です。大堀山城は、ここ数年、ターゲットにし続けていたのですが、時間が足りずに、先送りにし続けていたのです。川越は高崎からは結構遠いです。蜘蛛の巣にはかなり悩まされましたし、蚊にも刺されましたが、想定以上の空堀を拝むことができました。真夏なのに雑草の繁茂がなかったのも良かったです。

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赤い城

仕事終わりに (2026/07/17 訪問)

この日最後の所用を終えもう一1城、JR千里丘駅に向かいました。
学生時代に住んでいた場所で懐かしさも感じながら降り立ちます。
徒歩で10くらい、蔵垣内公園周辺が城跡推定地です。

途中の子育て支援センターの前に防風庵跡の説明板があります。
三宅城が攻められた際に城主の長女らが出家した際の庵だそうです。
三宅城ですが遺構は残っていません。
公園の隅に石碑と説明板が設置されています。
登城時は夕暮れ時だったので遊んでいた子供達が帰るところでした。
皆さんのレポートにもあるように他の場所にも碑があるようですが確認はしていません。

【見どころ】
 ・公園の石碑

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HKISD

糸田城跡散策 (2026/08/15 訪問)

駐車場がありません。道路の脇に停めて散策でした。

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HKISD

古賀城跡散策 (2026/07/28 訪問)

細い道を車1台ギリ通れるくらいの道路で上り神社の駐車場に停めて散策
とても歩きやすく石垣もあり見ごたえありました。

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三田村左衛門 姉川古戦場 (2026/08/20 訪問)

 姉川古戦場巡りをしていましたので、朝倉景健の陣として使用されたと伝わる三田村城跡にも寄ってきました。2回目の投稿となります。
 長浜平野を流れる姉川と草野川に挟まれた地域にあり伝正寺が主郭跡で周囲に土塁が遺っています。約4年前に来た時は4月だったので雑草もそれほどでもなく土塁などが比較的よく見えましたが、この季節は少しわかりにくいですね。他の場所にも土塁が残っているようですが、今回は行っていません。三田村氏は、元々京極氏の家臣でしたが、戦国時代には浅井氏に従うようになりました。天正元年(1573)には浅井氏に従って小谷城に籠り、その後降伏しましたが織田信長により一族を含め処刑されたと伝わっています。

 近くにあった姉川の合戦の石碑等も投稿しました。

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姉川古戦場散歩 (2026/08/20 訪問)

 三田村城は姉川の戦いの際には浅井氏の援軍として遠征してきた朝倉景健が陣を置いたとも伝わっています。
姉川の古戦場は一部しか行ったことがなかったので、ぶらぶらと散策してきました。浅井長政、徳川家康、織田信長の陣の跡など回って来ました。それぞれの場所に設置してある姉川の戦いの説明板には番号があります。説明板が設置してある全部に行けたわけではありませんが、回れる範囲で見て来ました。説明板を投稿しています。
 暑い日でしたが、雲も多く日を隠してくれました。また風が気持ちよかったです。

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翡翠

スタンプを押しに (2026/08/16 訪問)

今回は、途中まで車で行ける道を歩いて登城しました。綺麗に整備されていました。でも結構キツかったです。

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翡翠

スタンプを (2026/08/16 訪問)

2月から、続いた咳も治り、今回はスタンプを押しに。22時くらいにホテルについて宍道湖を見ながら松江城まで歩いて行ってみました。片道約2キロ往復4キロ。朝いちで松江城の周りを歩いて裏から登城。ゆっくり見たかったのですが、駆け足で次の月山富田城まで。

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カズサン

本丸御玄関前御門跡説明板を新発見 (2026/08/12 訪問)

 静岡に用事が有り、用事前に30分程チョイ寄り、車は市民文化会館修復中で地下駐車場が利用できず南接のタイムズ静岡市民文化会館修景広場有料駐車場を利用。
 
 駐車場より東御門より入り発掘出土した内濠本丸濠を過ぎると静岡おでんを売ってる公園内売店辺り通りの北側に「本丸御玄関前御門跡の屋根付き説明板」を発見、あれ今まで見ていなかったなぁ~と認知し、早速撮影熟読、最近新設されたのでしょうか?見落としていたのでしょうか?とにかく初対面でした。昨年は8月に登城して1年振りでしたが昨年にはこの説明板は記憶にない、隣にある天守台活用の公園化計画の説明板3枚は記憶に有るのですが御玄関前御門の説明板は無かった。
 此処は東仕切石垣と西仕切石垣に囲まれた桝形構造に成っており、現在は静岡おでん公園内売店と児童公園と成っており、仕切石垣は東西とも一部が残って居り、内濠本丸濠は当然埋められております。私自身新発見でしたのでタイトルに記して投稿させて頂きました。
 
 復元坤櫓を二の丸側から中濠沿いから眺め、二の丸御門跡桝形外石垣と中濠を眺め、現二の丸橋を渡って二の丸内、静岡おでん前、復元東御門、復元巽櫓を中濠沿いから、隣は新しく出来た静岡歴史博物館。
 東御門を眺めると三の丸に現在の天守、静岡県警本部タワービルが聳えてる。
 結構人出も有った、30分程真夏日の蝉しぐれで暑さも誘うチョイ寄りでした。
         

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トク

19【秀長の四国平定をたどる】一宮城(豊臣秀長VS長曾我部元親) (2026/05/08 訪問)

徳島駅前から[18]のバスに乗り40分、「一ノ宮札所前」で下車するとそこが登城口です(写真⑩)。帰りのバスは3時間後の便にターゲットをしぼって、ゆっくりと回る事にしました。続100スタンプを押し、一宮神社で安全を祈願し、さあ登城開始します!(写真①)。でも「おさるさん」もスタンプを押しに来るって書いてあるけど、本当なの??😱!(写真②)。

途中には、明神丸や才蔵丸という二つの出丸がありその間は堀切で遮断されていました。ここが本丸を守る防御の要のようです。そして登城開始から30分、健脚でない私でも意外と軽く山頂の本丸までたどり着く事ができました。そしてそこには野面積の見事な天守台と石垣があります(写真③④⑤)。この石垣は秀長の四国攻めの後に、その功で入った蜂須賀家政(正勝の子)が築いたとされています。

本丸から北を眺めると辰ヶ山が、東を眺めると遠く徳島市街や淡路島までかすかに見えました(写真⑧⑨)。天気もよくて、とても気持ちがよかったです。この後は、小倉丸や水ノ手丸や陰滝を通り、ぐるりと一周して戻りました。特に小倉丸周辺は、空堀や竪堀や土塁のパラダイスでした(写真⑥⑦)。石つぶての跡や、鎖をつたって降りる場所もスリルがあり、どの方向からも攻めるのは難しい、要塞堅固な城だと感じました。

1585年、体調を崩した秀吉に代わり、秀長は四国攻めの総大将を任されます。毛利軍は伊予に上陸、宇喜多軍は讃岐、そして秀長軍は阿波に上陸、3方向から攻めます。秀長は木津城を難なく攻め落とした後、5万の軍勢で長曾我部元親の家臣「谷忠兵衛」5千が籠城する「一宮城」を取り囲みました。長曾我部軍が最も頑強に抵抗したのがこの一宮城です。秀長軍の連日の攻撃にも屈せず、なかなか落ちる気配がありません。

そこで秀吉は、体調が回復したため自ら大坂城を出陣し、膠着状態を打開しようとしますが、秀長はそれを制止したそうです。ここまで来たからには、自分で最後まで決着をつけたかったのかもしれません。兄者は大坂に留まるようにと書状を送ったようです。

しかしこの後、戦いは予想外の方向に進みました。籠城する事1カ月、秀長の軍勢に囲まれ、兵糧や水の手も断たれ、兵力や鉄砲の数など全てに圧倒された忠兵衛は、戦う事をあきらめて戦場を抜け出し、長曾我部元親が陣を敷く白地城に行き、降伏するよう求めたそうです。元親は「おめおめと戻り、降伏せよとは何事か! 忠兵衛、腹を切れ!」と叱咤しますが、他の家臣も忠兵衛に同調したため、元親はここでやむなく降伏する道を選んだようです。

本丸からは、秀長の本陣があった辰ケ山が目の前に見えました(写真⑨)。当時あそこには豊臣の旗が無数になびき、眼下には5万の軍勢でぎっしり埋まっていたと思います。秀長軍に取り囲まれた谷忠兵衛は、この本丸でどれだけの恐怖におびえていたのでしょうか?

また逆に元親が降伏した時、秀長はどんな思いであの辰ケ山から、この一宮城を見つめていたのでしょうか? 「やったぞ!兄者~!」、総大将の役目を果たした秀長は、思わずそう叫んだのではないでしょうか・・・🤔。

次からは、秀長の(九州平定)をたどって行こうと思います。
 

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イオ

織田一門の城の規模感 (2026/02/15 訪問)

織田信長の南伊勢侵攻に備えて北畠具教が三渡川・百々川の河口部に築いた細頸城を前身とし、北畠氏の養子となった北畠信意(織田信雄)が田丸城に代わる居城として改修しました。清須会議の結果、信雄が清須城に移ると家老の津川義冬に預けられましたが、信雄と羽柴秀吉が不和となると秀吉の流した流言を信じた信雄に謀殺された義冬に代わって滝川雄利が入り、小牧長久手の戦いでは蒲生氏郷、羽柴秀長らの包囲を受けて開城。戦後は氏郷が城主となるも、松坂城を築いて居城としたことにより廃城となりました。

松ヶ崎公園の駐車場から登城開始。城跡は宅地や田畑になっていて、明瞭な遺構としては本丸跡に天守台が遺るくらいです。天守台の前には城跡石碑と説明板、案内板が立てられ、天守台の北側には田んぼが広がっていますが、往時は本丸の北側は海に面していたとされます。そのほか甚太川は南西辺の外堀、百々川は北西から西辺の外堀の名残で、百々川沿いには船入が設けられていたようです。

天守台くらいしか見るところがないと思っていましたが(実際その通りですが)、外堀の名残の川沿いにひとめぐりすると、壮麗な金箔瓦葺きの五重天守を擁したという織田一門の城の規模感くらいは感じられました。
 

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todo94

お盆帰省時・埼玉県の攻城② (2026/08/14 訪問)

忍城からの転戦です。ここでも目的は、城カードの購入です。博物館には入館しませんでしたが、城址は軽く一巡りしました。夏は草が伸びていて土塁・空堀の見栄えはあまり良くないですので、無理をする必要はありませんよね。いつもの夏よりは気温は低いものの、日差しは強く、汗ばむ程度には汗もかきました。

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