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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征6日目:加賀城 (2026/05/16 訪問)

宿泊先のホテルから、松江駅前のレンタカー会社に行く途中に、松江駅前の「はじめ人間ギャートルズブロンズ像」と「時計台」の写真を撮りました。
レンタカー会社から車で30分弱で、應海寺駐車場入口(35.562082、133.064203)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、加賀氏によって築かれたと云われています。
1562年(永禄5年)尼子義久が加賀城を攻めましたが、城主加賀喜兵ヱ尉正利は奮戦し城を守りました。その後、毛利の勢力がこのあたりに及ぶと毛利氏に属しました。

現在は主郭に金毘羅堂があり登山道が整備されています。
遺構として石垣があるみたいですが、確認できませんでした。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=新山城に向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征6日目:荒隈城 (2026/05/16 訪問)

宿泊先のホテルの朝食前に、松江城と荒隈城を攻城しました。
松江城から徒歩25分くらいで、天倫寺入口(35.466147、133.038383)に着きました。

1562年(永禄5年)中国平定を目指す毛利元就は荒隈城を築き、月山富田城攻めの前線拠点としました。
元就は、宍道湖北岸を東進して鳶ヶ巣城から本拠を移しました。
前面に宍道湖を眺められるこの地は見通しがきき、兵や物資の輸送に便利、中海と宍道湖を結ぶ水道をおさえられ、尼子氏の支城・白鹿城を攻めるのにも絶好であるといった理由からだったそうです。

天倫寺は城域の東端となり、主郭は天倫寺から北西へ400m付近のようですが、住宅街となり遺構はないようです。
お墓の上まで登ってみましたが、何も確認できませんでした。
雲ってましたが宍道湖が思ったより近かった。天倫寺の鐘楼も良かったです。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=加賀城を攻城する前に、ホテルに戻って朝食を食べました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征6日目:松江城 (2026/05/16 訪問)

宿泊先のホテルの朝食前に、松江城と荒隈城を攻城しました。
宿泊先のホテルから徒歩20分ちょっとで、松江城千鳥橋(35.472919、133.050685)に着きました。

松江城は今回2回目の攻城です。前回は7年半前の2019年3月15日に来ました。
前回は大手門前から進入しましたが、今回は三之丸(鳥取県庁)から千鳥橋を渡り、内濠沿いを土塁を確認しながら亀田橋➡松江護国神社➡本丸➡大手前の順番で廻りました。
朝早いので天守には入れませんが、松江護国神社、城山稲荷神社や馬洗池を見学しました。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=荒隈城へ徒歩で向かいました。

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小城小次郎

鉄壁の守りでも守り切れないもの (2025/08/11 訪問)

前日にとんでもない豪雨にやられたが雨さえ上がれば登城に苦労はないお城だった。支城群を含めて鉄壁の防御態勢を敷いた西園寺氏だったが長宗我部氏に屈し小早川氏に屈し最後は戸田勝隆に謀殺されるという悲しい運命を辿る。

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三木合戦 (2026/06/18 訪問)

 淡河氏の居城と伝わっています。本丸付近が残っていて模擬櫓が建っています。櫓台や堀と土塁の一部が遺っています。南東部の堀跡は比較的見やすいのですが、南西部は藪になっていました。西北部にも堀と思われる地形がありますが、竹藪となっています。

 神姫バス神戸三ノ宮バスターミナルからバスに乗り淡河バス停下車。徒歩2~3分くらいで登城口に行くことができます。バスの本数はかなり少ないので要注意です。

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dougen

2025.8.16登城 (2025/08/16 訪問)

JR岡部駅の東側の国道17号と高崎線の線路の間に岡部藩陣屋跡があります。
遺構らしい遺構はありませんが、解説板が設置されています。

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張陳

石垣が高い、広い、美しい! 南部藩の本拠城 (2026/05/04 訪問)

盛岡城の一番の見所は石垣の美しさだと思います。
建物がそれほど残っているわけではありませんが、本丸だけなく、二ノ丸や三ノ丸など広範囲に、非常に立派な石垣が残っています。
本丸だけでなく、外周を一周するなどして、隅々まで見ていくことをおすすめします。

私の場合は、朝一番に報恩寺(移築門があります)、三ツ石神社(岩手の名前の由来となった鬼の手形岩があります)を回った後、じゃじゃ麺発祥の店である白龍で昼食をとりました。
その後、櫻山神社を参拝し、盛岡歴史文化館(黒田官兵衛の兜や南部利直が徳川秀忠から拝領した鉄砲などが見られます)を見学した後、城跡を見て回りました。
まずは櫻山神社方面から三ノ丸、二ノ丸、本丸と周り、そこから一段降りて腰郭を一周、最後に外周をもう一周と回っています。
また、見逃しそうな立地ですが、城跡南西部にある彦御蔵は現存建物ですので、ぜひお見逃しなく。


周辺のおすすめグルメは食道園の焼肉と冷麺です。
観光客目線では冷麺に目が行きがちですが、お肉自体もサシが入って絶品でしたので、焼肉を楽しんだうえで、シメで冷麺を頼むのが超オススメです。

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イオ

志賀城(和歌山県伊都郡かつらぎ町志賀) (2025/11/30 訪問)

志賀城(城びと未登録)は、文献資料に登場せず築城者も築城時期も不明ですが、高野山領内に築かれていることから高野山に従う在地土豪の城と考えられます。

国道の広い路側帯(34°13'17.3"N 135°30'32.2"E)に路駐して登城開始。大日寺への道を進み、山手の民家(廃屋?)を過ぎたあたりで山に入ります。明瞭な登城道はないので5分あまり直登して主郭部の南下をめぐる帯曲輪に到達。主郭部へと登る前にまず南尾根の曲輪群に向かいましたが、削平が甘い上に藪化していました。南端の曲輪で引き返して主郭部へ。主郭南西下段の曲輪を経て主郭に取りつくと、主郭南面にはわずかに石積みが見られました。主郭の周囲にも土塁や竪堀などは見当たらず、主郭から北に続く尾根を堀切で遮断しているくらいでした。

高野山勢の城には珍しく複数の曲輪を連ねた山城ですが、堀切が一条あるのみで土塁も竪堀もなく、防御の意識があまり感じられませんでした。古い時代の城、あるいは外部からの侵攻をあまり考える必要のない高野山領内の城だからでしょうか。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征5日目:向横田城 (2026/05/15 訪問)

石見横田駅から徒歩15分ちょっとで、向横田城登城口(34.620589、131.793214)に着きました。

1185年(文治元年)源義家を祖とする石川治部少輔頼恒は、源頼朝の命により、この峯に首旁(くびき)城を築いて居城としました。七尾城よりも8年早い石見最古の築城といわれています。
1221年(承久3年)承久の乱の戦功で吉見義世が鹿足郡を与えられると横田氏を代官として派遣し、当城に入って石川氏の娘を妻にしたと伝わっています。横田氏がのちに能美山城に移ると領家氏が入りました。
1471年(文明3年)領家氏が大内道頓の反乱に加担したため益田貞兼に攻められ降伏し、249年続いた領家氏の時代は終わりました。
楠木正成から5代目に当たり、領家氏と祖を同じくする益田氏の家臣・城市勘助正雄が、1478年(文明10年)この峯に頸ヶ滝城を築いて居城としました。
1551年(天文20年)年の正雄死後も一族の者が領していたようですが、1577年(天正5年)に移封されたため廃城になったようです。
徳川時代は、津和野藩の治下に入り廃城のまま明治維新を迎えました。

城は南の山頂に本丸、北の愛宕山の山頂に出丸があり、その二つの間を尾根が通っているようです。
今回は時間の都合上、出丸には行っていません。
本丸と二の丸には土塁が残っています。本丸には忠魂碑が建っています。
攻城時間は30分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
歩行歩数=33296歩、歩行距離=23.3Kmです。
本日の宿泊先に向かう為、石見横田駅前のバス停から労働会館前までバスで向かい、ホテルで荷物を引き取った後、益田駅に向かいました。
益田前から時間短縮の為、特急を利用して、松江駅に向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征5日目:長門峡(山口県) (2026/05/15 訪問)

渡川城の下山場所から徒歩45分弱で、長門峡入口に着きました。

訪問時は長門峡の水量が少なく、迫力不足でした。平日なので観光客もいませんでした。
次の攻城先=向横田城へ向かう電車の時間の都合上、15分くらいしか見学できませんでした。
観光時間は15分くらいでした。次の攻城先=向横田城を攻城する為、長門峡駅からJR山口線を利用して石見横田駅へ向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征5日目:渡川城 (2026/05/15 訪問)

益田駅のコインロッカーに荷物を預ける予定でしたが、益田駅にコインロッカーがありません。
しかたなく宿泊先のホテルに荷物を預け、益田駅からJR山口線を利用して渡川駅に到着しました。
宿泊先のホテル(ホテルルートイン益田)は駅から結構離れているので、本日攻城後の移動(益田駅➡松江駅)に際して乗換時間の再考が必要になりました。
渡川駅から徒歩15分ちょっとで、渡川城登城入口(34.317635、131.596692)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、大内氏によって築かれたと云われています。
1470年(文明2年)応仁の乱で西軍の主力として上洛中であった大内政弘の隙を突いて、東軍方の誘いに応じた大内道頓(教幸)が挙兵しました。
このとき政弘は乱鎮圧のため陶弘護を帰国させ、弘護はこの渡川城で道頓と戦って撃退、道頓は豊前国馬ヶ岳城へ逃れたがここで自害し乱は鎮圧されました。
1557年(弘治3年)津和野三本松城主吉見正頼は、毛利元就と相呼応して山口を挟撃し、この渡川城に立て籠った陶軍の将・野上隠岐守を打ち破り遁走させています。

多重堀切や畝状竪堀群、土塁などが確認できますが、多重堀切や畝状竪堀群は落葉に埋もれてかなり浅くなっています。
北城の城山からJR山口線の線路が見えます。電車が見えていたなら最高の眺望だったのですが。
南城へも行ってみましたが、北城に比べ整備されておらず、下山時に迷子になってしまいました。
攻城時間は45分(迷子時間は含まず)くらいでした。
下山時に迷子になってしまい、計画した電車に間に合わなかったので、当初予定の津和野城攻城を諦め、長門峡に徒歩で行くことにしました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征5日目:三宅御土居 (2026/05/15 訪問)

渡川城攻城前に、七尾城と三宅御土居の攻城をしてきました。
医光寺から徒歩10分ちょっとで、益田氏城館跡(34.677601、131.856901)に到着しました。

三宅御土居は応永年間(1368年~1375年)益田11代兼見によって築かれたのが始まりとされています。
山城で詰城である七尾城に対して、平時の居館として設けられたもので長く益田家の中心的な拠点だったそうです。
この居館は益田氏が、関ヶ原合戦後に須佐に移封されるまで使用されていたそうです。

2019年11月8日に七尾城を攻城した際、近くまで来ていたのに攻城できなかったので、リベンジになります。
見所は東西に残る高い土塁です。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=渡川城を攻城する前に、ホテルに戻って朝食を食べました。

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しほ

お城めぐりスタート! (2026/06/13 訪問)

リニューアルしてから初めて訪れました。天守からの眺めは最高です!

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征5日目:七尾城 (2026/05/15 訪問)

渡川城攻城前に、七尾城と三宅御土居の攻城をしてきました。
宿泊先のホテルから徒歩40分くらいで、医光寺総門前(34.679439、131.865123)に着きました。

七尾城は今回2回目の攻城です。前回は2019年11月8日に来ました。
前回は山城には登りましたが、時間の都合で移築大手門を見学できなかったので、今回は移築大手門を見学する為の攻城です。

医光寺総門が七尾城の移築大手門ですが、医光寺の中門も立派です。
医光寺の庭園は画聖雪舟が作った庭園ですが、朝早かったのではいれませんでした。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=三宅御土居に徒歩で向かいました。

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肉球

仁科氏の居城 (2026/06/11 訪問)

仕事で近くを訪れ現場到着が予定より早く森城址の看板につられて訪れました。
熊出没注意の案内にビビり奥深くまでは散策していませんが
本丸、二の丸はよく遺構が残り分かりやすかったです。
木崎湖の南側の湖畔に造られた仁科氏の居城です。

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ぴーかる

日中城 (2026/05/10 訪問)

【日中城】
<駐車場他>城跡(墓地)前に停めました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅16城目。お城の詳細は添付写真の現地説明版をご覧ください。
現地説明板の通り、河岸段丘上の端に築かれた城で白岩川と攻撃対象の弓庄城方面が良く見渡せます。曲輪を囲む堀もよく残っていました。添付写真はちょうど林の中心の奥が弓庄城の主郭に当たります。

<満足度>◆◇◇

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イオ

皮張東城・皮張西城(和歌山県伊都郡かつらぎ町宮本) (2025/11/30 訪問)

皮張東城・皮張西城(城びと未登録)は、織田信長の高野山攻めに備えて天野盆地に至る二つの峠を押さえるべく高野山勢により築かれたとされますが、詳細は不明です。

宮本峠の登城口(1台駐車可)から登城開始。登城道はすぐに無くなり直登することになるものの、5分も要せずに皮張東城に到着。東城は主郭を二重の帯曲輪が囲み、南下段の帯曲輪は南辺を低い土塁がめぐり横堀状になっています。虎口は東側と西側に設けられ、それぞれ直進できないように土塁で折れを設けている…んですが、土塁が低いため言われてみれば、という程度です。土塁にはところどころ石積みが見られました。

東城をひとめぐりすると、自然地形の尾根を西に100mほど進んで皮張西城へ。西城は渋田峠を押さえる城で、主郭の南半分を二重の横堀と土塁が取り巻いています。虎口は東側と西側に開口し、それぞれ土塁で導線を屈曲させているのは東城と同じですが、東虎口は土塁が低くてよくわからないのに対して西虎口の土塁は明瞭に遺っています。

それぞれ単郭の小さな城ながら、書籍では技巧的な虎口の城として紹介されていたので大いに期待していたんですが、土塁や堀は全体的に低かったり浅かったりで、技巧的かもしれないけどこの状態ではなぁ…と少々肩透かしでした。
 

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todo94

ゴールデンウイーク翌週・献血ルームに赴く前に (2026/05/10 訪問)

早島陣屋からの転戦です。献血の予約時刻9:00まで、まだ時間はたっぷりとあったので7:30に開園となる岡山後楽園にも立ち寄っていくことにしました。個人的には、三名園の中で最も好きな庭園です。岡山城天守を借景とするなど、最高の庭園だと思います。大河ドラマ「豊臣兄弟!」に宇喜田直家も登場しましたね。宇喜田秀家もこの先、登場するのでしょうか。今回は、城はパスしましたが、そのうち岡山城にも行けたらいいなと思っています。

後楽園近くの献血ルームももたろうではなく献血ルームうららに予約を入れたので、たっぷりと歩くこともできました。無事、血漿成分献血を終え、岡山駅のさんすてにて、ちょっと高めのバラずしを昼食として購入し、自由席が多いひかりを利用して帰路につきました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征4日目:鰐坊山城 (2026/05/14 訪問)

江崎駅から徒歩25分ちょっとで、階段入口(34.652269、131.664120)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、三本松城主(現・津和野城)の吉見氏の出城で、臼井左京亮あるいは秋山筑後守広道が城主だったようです。
天正年間(1573年~1592年)に石見国人領主の益田氏によって攻められ落城、その家臣大谷与三左衛門が守将となったそうです。

道路奥に付いている簡易水道タンクに登るコンクリート階段を登ります。
鬱蒼とした竹やぶで先が見通せず、歩行困難な為、攻城を諦めました。
攻城時間は50分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
歩行歩数=42875歩、歩行距離=30.0Kmです。
本日の宿泊先に向かう為、江崎駅からJR山陰本線で益田駅に向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征4日目:櫛山城 (2026/05/14 訪問)

長門大井駅から徒歩20分くらいで、昔あったらしい「吉見正頼・広頼の墓所あり」の看板付近(34.467832、131.436008)に着きました。
そこから「吉見正頼・広頼の墓所」入口付近(34.469134、131.434890)に到着し、宝篋印塔移設を確認しました。
トーダイさんの投稿で櫛山城の情報は何もないとのことでしたので、移設された宝篋印塔を確認する為、周鷹寺に向かいました。
周鷹寺入口(34.468407、131.437897)はここになります。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=鰐坊山城に向かう為、長門大井駅からJR山陰本線を利用して江崎駅に向かいました。

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