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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征2日目:矢筈城 (2026/05/12 訪問)

石見城から車で15分くらいで、矢筈城説明板付近(35.106009、132.414392)に着きました。

築城年代は定かではないようです。
1557年(弘治3年)頃、毛利氏が銀山の山吹城を押さえて尼子氏を攻撃し、この城をはじめ周囲 3 箇所の城から撤退させたとの記録が残されているそうです。

説明板付近で地元の方から、今から矢筈城に登るのは時間的にやめたほうがいいとの助言もあり、説明板の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=櫛島城へ車で向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征2日目:石見城 (2026/05/12 訪問)

矢滝城から車で40分くらいで、説明板付近(35.140402、132.419088)に着き、道路反対側の広い路肩に駐車しました。
本来は車で40分もかからないと思いますが、矢滝城でインターネットが途切れ経路がわからず遠回りしたかもしれません。
説明板を確認した後、そこから徒歩2~3分で細道の進入口(35.139436、132.420302)に入り、少し歩いて登城口付近に着きました。
登城口付近には何の表示もありませんが、3~4分登ると民家跡?の石垣があり、その先に石見城跡の標識あります。
登城口から15分~20分くらいだと思います。赤いテープが案内してくれます。

詳細は不明のようですが、1565年(永禄8年)頃に温泉津や石見銀山の権益を持った近隣地域の領主温泉(ゆし)氏が軍事的拠点としていたと見られています。
温泉(ゆし)氏は石見国温泉郷の国人領主で、当初は周防大内氏に属していましたが、同氏衰退後は出雲尼子氏に属しました。
弘治年間(1555年~1558年)から尼子方として毛利氏と戦い、補給基地でもある温泉津をおさえて、尼子氏の石見銀山支配を支えました。
1562年(永禄5年)温泉氏(ゆし)は毛利氏に追われ、その後、月山富田城(安来市)に籠城した後、尼子氏とともに滅亡しました。

国指定史跡として石見銀山遺跡に登録された城館(山吹城・石見城・矢筈城・矢滝城)のうちの一つです。
主郭東の堀切や東郭の土塁が確認できます。眺望はいまいちかな。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=矢筈城へ車で向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征2日目:矢滝城 (2026/05/12 訪問)

「レンタサイクル河村さん」から車で20分くらいで、登城口付近(35.079887、132.422658)に着きました。
登城口までの道は狭く、軽自動車でないと無理だと思います。

築城年代は定かではないようですが、1528年(享録元年)大内義隆によって築かれたとも云われています。
大内氏は石見銀山から産出した銀を矢滝城下を越えて温泉津港へ運び込んでおり、その街道を相対する矢筈城とともに防衛する拠点として用いられたそうです。

トンネルの手前入口が登城口で説明板があります。
トンネルの上を越して所々張られたロープを頼りに、急な山坂道を落葉に足を取られながら登ると、矢滝山頂上に着くはずです。
しかし、いつ辿り着くかわからない登山道に心が折れ、途中で断念しました。
攻城時間は50分くらいでした。次の攻城先=石見城へ車で向かいました。
ちなみに、石見城のGPSを入力しようとしましたが、インターネットが途切れ経路がわかりません。
来た道の狭い道は通りたくなかったので、逆のトンネル方向に進み、インターネットが繋がるところまで下山しました。

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朝田 辰兵衛

クマの出没エリアを回避して…🐻 (2026/06/13 訪問)

ここ最近のクマの出没エリアを回避して,比較的安全な場所をチョイスしました。ホントは効率的に2~3城廻れればな…と思っていましたが,なかなかイイ場所が見当たりません…。

湯原館ですが,国道113号線からのアクセスが良いです。昨年,上山城とセットを考えていましたが,今日になってしまいました…。
二の丸は「街道ホステルおたて」で,旧湯原小学校。パネルがあります。ここから「街道ホステルおたて」の建物ウラへ回り込むと登城口があります。井川城を思い出させる木橋を渡ります。すると,どうやら竪堀の中を歩いて本丸へと向かって行ってるようです。この入口は本丸西側になりますが,散策したら虎口は東側にありました。たぶん,小学校建設時に改変されたものと思います。
なお,パネルに移築門は,山形県赤湯の「ホテル瀧波」に現存とのこと。今回は時間の関係で行けませんでした…<泣>。

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送りバント

20260510猫城(福岡県中間市) (2026/05/10 訪問)

高さ20メートルほどの独立した小さな丘にあり、諸説ある城名の由来のとおり、遠くから眺めれば猫が背を丸めた姿に見えなくもない。現在は月瀬八幡宮が建ち、二段ある削平地の上段に社殿、下段に地元出身・高倉健さん奉納の立派な城址碑がある

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小城小次郎

土居屋敷が城下から離れている意味 (2025/08/10 訪問)

牧野富太郎にちなんだ牧野公園とその奥に近世城郭に改築された城が眠っているがこの日は雨で半分も見学できず。麓の土居屋敷が城下から離れている意味をずっと考えていたが何かわかったような気がする。

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カズサン

常光院が館趾 (2026/05/30 訪問)

 庁鼻和城を終えて東へ約10km、国道17号線沿いの未踏の城廻り五城目、中条氏館を探訪、館址である常光院駐車場を利用、駐車場は通用門より東行約50m、北行約50mに在る。
 参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 中条氏館跡である常光院正門は枡形の様な造り、東右手に「史跡中條氏舘跡」の背の高い立派な石碑が在る、西左手には
 常光院沿革が屋敷地地図付き碑文石板が立っている、その後ろに白板立看板で「中条氏館」がある。
 南側は水堀、土塁、土塁上に白土塀で構えてる、中世館感がムンムンにしてきます、南中央に正面の山門、やや東に通用門が在る、正面山門より入り、参道脇に西側に居は池が有り土塁で囲まれている、本堂は茅葺屋根で古の風情がある、玄関は唐破風の瓦屋根、本堂の西横、北側に土塁が残って居た。説明板によると、中条氏館跡は18000坪ほどの長方形敷地で現在1/3が常光院の境内に成っている。

 歴史は
 長承元年(1132)藤原常光は武蔵国守に任命され、この地に館を構え中条氏を名乗った、常光の死後、孫の家長が菩提を弔うために館を寺にして常光院と名付けた。また家長は文武に秀で、鎌倉幕府の評定衆となり、貞永式目の制定に加わった。(説明板、沿革抜粋加筆)

 次は成田氏館に向かいます。

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todo94

ゴールデンウイーク翌週・岡山の攻城③ (2026/05/09 訪問)

高越城からの転戦です。井原鉄道完乗を果たし、清音駅から徒歩にてアプローチしました。高越城以上に歩きでがあります。清音ふるさとふれあい広場の上、グラウンドのバックネットの上の方に説明板や遊歩道案内図がありました。幸福の小径の遊歩道案内図によると幸山城迄1km、福山城迄2kmの道のりです。最初に幸山城に行く予定でしたが、案内表示が見つけられず、幸山城を遥かに通り過ぎてしまって、福山城に直行することになってしまいました。案内図から三角点迄ぴったり30分の所要でした。猿田彦神社など山頂周辺をくまなく見て回ってから幸山城に向かうことにしました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征2日目:山吹城 (2026/05/12 訪問)

自転車で龍源寺間歩入口停車場傍の登山口(35.100293、132.429561)に着きました。

山吹城は2回目の攻城(前回 2019年11月8日)になります。
前回の攻城では、少し手前の登山口(35.105799、132.436457)からの登りましたが、急な階段が延々と続くため、それなりにきつかった記憶があります。
また早朝で真っ暗で何も見えず、投稿写真もピンボケだった為、今回はリベンジです。。
今回は龍源寺間歩の見学を兼ねていますので、龍源寺間歩入口停車場傍の登山口から攻城しました。

1309年(延慶2年)大内弘幸によって築かれたと云われています。
銀山争奪のため、大内・尼子・毛利氏によって激しく争奪戦が行われたが最終的には毛利氏の所有となっり、江戸時代には天領となって廃城となりました。

こちらの登山口からの攻城も、急な階段が延々と続き、前回よりもきつかった。
畝状竪堀群や土塁、空堀、石垣などの遺構を確認しました。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=矢滝城を攻城する前に、羅漢寺五百羅漢と世界遺産モニュメントを見学した後、「レンタサイクル河村さん」で自転車を返却し、車で向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征2日目:石見銀山関連施設 (2026/05/12 訪問)

大森代官所(城びと未登録 島根県大田市)から徒歩2~3分で、レンタサイクル河村(35.120611、132.448022)に到着しました。
「レンタサイクル河村さん」で電動自転車(2時間1000円)を借りました。
「レンタサイクル河村さん」から自転車で15分くらいで、龍源寺間歩入口停車場傍の登山口(35.100293、132.429561)に着きました。
龍源寺間歩見学後、山吹城の攻城➡五百羅漢拝観受付所➡世界遺産モニュメントの順番で廻りました。
①:龍源寺間歩入口付近(35.099499、132.428916)
  採掘の跡が見学できます。トンネルの中は涼しい。見学料は500円でした。
  間歩内は低いので、気負付けないと頭をぶつけます。ちなみに自分は2回ぶつけました。
②:山吹城の攻城
③:羅漢寺五百羅漢拝観受付所(35.113338、132.446520)
  五百羅漢はかって石見銀山で亡くなった人達の霊を供養する為に造られたそうです。羅漢寺本堂と五百羅漢両方の拝観料は500円です。
  ちなみに、羅漢寺の五百羅漢の中は撮影禁止です。
④:世界遺産モニュメント(35.113805、132.445202)
観光時間はトータルで45分くらいでした。次の攻城先=山吹城を攻城する為、自転車で登山口に向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征2日目:大森代官所(城びと未登録 島根県大田市) (2026/05/12 訪問)

出雲市駅でレンタカーを借り、そこから車で50分弱で大森代官所前駐車場(35.121741、132.448240)に着きました。
石見銀山資料館(いも代官ミュージアム)(35.121878、132.447970)はすぐ近くです。

大森代官所は、1601年(慶長6年)に幕府代官大久保長安によって築かれました。
1600年(慶長5年)に関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康が、毛利輝元の領国であった大森銀山を天領としました。
翌年に大森代官所を設けて、石見一国(後に石見東部三郡)と大森銀山を支配させました。
石見銀山は幕府直轄地で、江戸時代の当初から代官が派遣された。初代代官は大久保石見守で、幕末の代官・鍋田三郎右衛門まで59代が務めました。
幕末の1863年(文久3年)尊攘過激派が五條代官所、生野代官所を襲撃し、1866年(慶応2年)第二奇兵隊が倉敷代官所を焼き討ちしました。
各地の代官所が尊攘派の標的になっていた折、幕長戦争で浜田藩が敗走したため鍋田三郎右衛門は代官所から逃げ出しました。
そのため、長州藩は労せずして石見国を掌中に治め、この長州藩による石見支配は1871年(明治4年)の廃藩置県まで続きました。

大飢饉の際、サツマイモ(芋)を普及させて人々を救った代官=井戸平左衛門の功績から、いも代官と云われているようです。
攻城時間は10分くらいでした。次の観光先=石見銀山関連施設を見学する為、レンタサイクルを借り、まずは龍源寺間歩へ自転車で向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征2日目:ホテル周辺散策 (2026/05/12 訪問)

大森代官所(城びと未登録 島根県大田市)攻城前に、古墳巡りと半分城の攻城、ホテル周辺散策をしてきました。
半分城から徒歩40分くらいで、八岐のオロチ像(35.365534、132.758319)に着きました。
ホテル周辺の見学対象は以下の2つです。
①:八岐のオロチ像(35.365534、132.758319)
  カッコよく映えるヤマタノオロチ像です。
②:八雲神社(35.365066、132.756721)
  狛犬でなく狛龍がいます。
攻城時間は25分(移動時間を含む)くらいでした。次の攻城先=大森代官所(城びと未登録 島根県大田市)を攻城する前に、ホテルに戻って朝食を食べました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征2日目:半分城 (2026/05/12 訪問)

大森代官所(城びと未登録 島根県大田市)攻城前に、古墳巡りと半分城の攻城、ホテル周辺散策をしてきました。
塩治地蔵山古墳から徒歩10分くらいで、登城口前(35.342946、132.761314)に着きました。

詳細は不明のようですが、戦国時代に築城され、近くに塩冶八幡宮や高貞社があるので、城主は代々の塩冶氏であったと考えられています。
出雲国守護としての塩冶氏は約60年、高貞の弟時綱からの後、塩冶氏は尼子経久に滅ぼされるまで約190年続き、さらに尼子興久が塩冶氏を名乗っていますからこの城郭も幾度か改修されたと考えられています。

縄張図によると中央の主郭部の周りを帯郭、その外側に郭を配置しているようですが、よくわかりません。
主郭の北側を下った所に連続竪堀がありました。
攻城時間は30分くらいでした。次の観光先=ホテル周辺散策に徒歩で向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征2日目:上塩治築山古墳 (2026/05/12 訪問)

大森代官所(城びと未登録 島根県大田市)攻城前に、上塩治築山古墳と半分城の攻城、ホテル周辺散策をしてきました。
宿泊先のホテルから徒歩20分ちょっとで、上塩治築山古墳駐車場に着きました。半分城へ行く途中にあります。
①:上塩治築山古墳駐車場(35.349627、132.760471)
  入口に鍵はかかっていません。内部は石棺のみです。
②:上塩治地蔵山古墳案内標識前(35.346215、132.759179)
  石棺内に地蔵が祀られていました。
観光時間は10分くらいでした。次の攻城先=半分城に徒歩で向かいました。

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小城小次郎

伝承も遺構も呼称すらも定まらないカオス感 (2025/08/10 訪問)

車で登れる朝日山森林公園のてっぺんに模擬天守を擁する朝日山城は麻口城と同一の城とも別個の城とも言われ伝承不詳、遺構不詳でただ模擬天守だけがそこに立っている。何とも言えないカオス感が味わえるお城?だ。

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ぴーかる

小出城 (2026/05/10 訪問)

【小出城】
<駐車場他>鳥居横に停めました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅14城目。小出城の築城年は定かではないが1545年頃にこの地域一帯の国人領主である唐人兵庫によって築城されました。唐人(かろうど)氏は長尾氏の従属関係にあった松倉城主の椎名氏に仕えていました。小出城は西の神保氏の進出に対する前線地であったようです。
 小出神社の北側に堀が発見されたそうですが、現在は埋め戻されて表面観察出来る遺構はありません。神社内を撮影して終了しました。

<満足度>◆◇◇

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)1日目:出雲大社 (2026/05/11 訪問)

出雲市駅で荷物をコインロッカーに預け、電鉄出雲市駅から一畑電車北松江線/大社線を利用して、出雲大社前駅に到着。
出雲大社前駅から徒歩15分くらいで、銅の鳥居/四の鳥居(35.400786、132.685679)に着きました。
出雲大社を参拝した時間が遅かった?為、開いてる付近のお店は少なかった。 
観光時間は25分くらいでした。本日の城巡り&観光はここがラストです。
歩行歩数=17760歩、歩行距離=12.4Kmです。
本日の宿泊先に向かう為、電鉄出雲市駅から出雲市駅に向かい荷物をコインロッカーより取り出した後、ホテルに向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征1日目:出雲市駅と出雲大社前駅 (2026/05/11 訪問)

出雲市駅に向かう途中に米子駅で乗り換えがありますが、そこで米子駅0番線ねずみ男駅を見学しました。
出雲大社前駅へ向かうのに電車の待ち時間がありましたので、出雲市駅周辺散策と出雲そばと出雲ぜんざいを食しました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征1日目:「水木しげるの世界」 (2026/05/11 訪問)

境台場から徒歩15分くらいで、水木しげる記念館入口&妖怪庭園(35.546170、133.231211)に着きました。
記念館の見学はパスして、水木しげるロードを歩き、たくさんの妖怪像を見ながら境港駅に向かいました。
観光時間は60分くらいでした。次の見学先=出雲大社に向かう為、JR境港駅で荷物をコインロッカーより取り出した後、JR境線とJR山陰本線を利用して出雲市駅に向かいました。
ちなみに、JR境線の各駅には鬼太郎関連の呼称がついていました。
 米子空港駅=べとべとさん駅、高松町駅=すねこすり駅、余子駅=こなきじじい駅、上道駅=一反木綿駅、境港駅=鬼太郎駅など

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征1日目:境台場 (2026/05/11 訪問)

羽田空港からANAで米子空港に到着。JR境線の接続が悪くタクシーで境港駅に向かいました。
境港駅で荷物をコインロッカーに預け、徒歩20分ちょっとで台場公園駐車場入口付近(35.547236、133.242102)に着きました。

江戸末期、鳥取藩内に築かれた台場名所の内のひとつ。現在6ヶ所(由良台場跡 境台場跡 淀江台場跡 橋津台場跡 浦富台場跡 赤崎台場跡)が残っています。
農民等が積極的に協力して築造し、西洋式の城塞プランが採用されるなど、藩築造の台場としては極めて特徴的で、幕末史の理解に欠くことのできない重要な遺構のようです。
境台場は、中海に通じる境水道の入口に、松波宏元の設計に基づき1864年(文久4年)に完成しました。
高さ約6m、幅約25mの土塁が3つの鈍角コーナーを持ちつつ、250連続していました。
台場には六尾反射炉で製造された18斤砲2門、6斤砲1門、5寸径砲5門の計8門が配備され、農兵隊が守備にあたったそうです。

現在は公園として整備されています。
北側に土塁が築かれていますが、公園の土手といった感じであまり台場跡であるような雰囲気はありません。この土塁の上に灯台が建っています。
攻城時間は10分くらいでした。
せっかく境港市にきたので、「水木しげるの世界」を味合うべく、水木しげるロードに向かいました。

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