みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

ぴーかる

願海寺城 (2026/05/09 訪問)

【願海寺城】
<駐車場他>駐車場はなし。公民館前の通りに停車してダッシュで撮影しました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅10城目。お城の詳細は現地説明版の添付写真をご覧ください。
発掘調査で堀や井戸跡、出土品などが出てきたそうですが、現在は埋められて表面観察では何も見受けられません。公民館の裏の社と城跡碑のある場所に行って撮影しました。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

todo94さんへ

日在城攻城されたんですね。ピンの東北東からですか…ちゃんとパネルが設置されているんですね。土塁も…。ラストのシダ類ビッシリの写真が最高所だと推察します。私もここまで進みましたが,城域とは思えませんでした。
この最高所から南側に一段下がったところが主郭と思われます。主郭東側に登り石垣らしき石積も出現します。
私はピンの南東側から登りました。本来,こちらからアクセスが容易だったのかな…と思います。すぐに土砂崩れで道がふさがれている様子で,左の斜面をよじ登りました。その続きは,私の投稿を参照くださいませ。
私のルートは古城盛衰記さんの攻城ルートを参考にしました。復路は滑落の危険を感じるロッククライム箇所があったので,ほぼほぼ南側に進路を取りました。民家の敷地内に出ました。
たぶん,todo94さんの選択された東北東ルートのほうが安全だと思います。

+ 続きを読む

やま親父

石垣と眺望 (2026/05/29 訪問)

駅前のビジネスホテルから徒歩15分で城下へ、登り20分程度で天守へ、大山と中海の眺望が抜群でこの日もサンセットを狙って老若男女が登城してきた。石垣の保存状態もよく私にとっては全くの穴場城であった。

+ 続きを読む

トク

4【秀長の但馬平定をたどる④】出石城(蕎麦は絶品です!) (2026/05/15 訪問)

豊岡駅前から全但バス「出石」行に乗り30分、終点で降りて5分程歩くと出石城です。秀長時代にも有子山頂は不便なので、麓の出石にも何らかの建物はあったかと思いますが、関ケ原後の1604年に入った小出吉英により正式に築城の届出がなされ、有子山城が一国一城令で廃城となり、現在のような但馬の小京都と言われる街並みが出来たようです。1706年には信州上田より仙石氏が入り、蕎麦が広められたと伝わっています。

まず「いずし観光センター」で続100名城スタンプを押し地図等を入手します(写真⑨)。時を知らせる辰鼓楼などもあり、とてもきれいな街並です。ここも大河ドラマにあやかり、豊臣秀長の旗が多くなびいていました(写真⑧)。そして出石城と有子山城が重なるアングルはいい感じです(写真①)。登城橋(写真②)、二ノ丸にデンと構える東西の隅櫓(写真④は東隅櫓)、そして苔むした高さ13.5mの稲荷曲輪の高石垣や参道もなかなか風情があります(写真⑤⑥)。

最上段の稲荷曲輪からは、出石の街並みがとてもよく見えました(写真⑦)。そしていよいよここから、山頂にある有子山城を目指し、私は登山を開始しました。

その後、有子山から下山し、お腹が空きかつもう足が疲れて歩けなかったので、いちばん近い登城橋の横にある「左京」さんに入り、名物の「出石皿そば」を頂きました。おかみさんから「山に登ってきやはったんですか~?」と気軽に声をかけていただきました。そして恥かしながら食べ方が分からなかったので尋ねると、丁寧に教えて頂きました。(最初は〇×、次は△□、最後に÷※、〆はαβ・・・フムフムなるほど🤔)。するとこの皿そば😱~! むちゃくちゃ美味しかったです😊!(写真⑩)。

次は秀長が攻め落とした、有子山城(山頂)の様子に続きます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

金森氏による城と城下町 (2025/11/15 訪問)

飛騨国の領主となった金森長近が養嗣子の金森可重の居城として築き、高山城の支城として北飛騨統治の拠点となりました。一国一城令により廃城となった後も金森氏の「旅館」として維持されましたが、江戸中期に金森氏が出羽国上山に移封されて天領になると、高山城とともに破却されました。

古川小学校の駐車場から登城開始。本丸は支援学校とグラウンド、二の丸は小学校になり、本丸と二の丸を囲んでいた水堀はほとんどが埋め立てられましたが、本丸櫓台とその周囲の水堀の一部が現存しています。櫓台の石垣は状態よく遺り、櫓台の上には御蔵稲荷神社が祀られていました。

城跡に増島城の建物はありませんが、破却の際に本光寺に書院と城門が、林昌寺と円光寺に城門が移築されたそうで、林昌寺と円光寺の移築城門は山門として現存し、本光寺の書院は火災で失われたものの、城門は浄徳寺に再移築されて山門として現存しています。また、林昌寺は金森氏ゆかりの菩提寺だそうで、墓地には金森家の墓所もありました。

移築門めぐりとあわせて飛騨古川の城下町散策も。城びと編集部の記事でも紹介されていましたが、瀬戸川沿いの白壁土蔵街は外せません(円光寺からすぐです)。瀬戸川に鯉が泳いでいないぞ? と思っていたら、冬場は増島城の水堀に移されているんですね。そういえば水堀には結構な数の鯉がいたような…(4枚目の写真参照)。時間の都合で飛騨古川まつり会館には行ってませんが、岡田屋のしょうゆ味のみだらしだんごを食べ歩きし、味処古川の飛騨地鶏けいちゃん定食で遅めの昼食。ビールが飲みたくなる味ながら、この後も車で城めぐりなのでコーヒーで我慢。けいちゃんがお土産に売っていたので、買って帰って家で心ゆくまで呑みつつ食べました。お土産には味噌煎餅本舗井之廣の味噌煎餅も。お得な割れせんを買いましたが、味噌の香ばしさを感じる上品な甘さの煎餅で、ついつい手が伸びてあっという間に食べ尽くしてしまいました。もっと買っておけばよかった…。

本城にあたる高山城の城下町には及ばないにしても、増島城の城下町も現在に至るまで城下町の風情が伝えられていて、長近だけでなく可重もまちづくりに注力していたんだろうな、と思わされた飛騨古川でした。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑧ (2026/05/05 訪問)

肥前青山城からの転戦です。朝田辰兵衛さんの投稿を参考にさせていただきましたが、登城路を見つけることができませんでした。グーグルマップのマーカーの東北東、構公民館の近くに説明板と土塁遺構を発見しましたのでそこから登城することにしました。かなりハードな登坂です。大岩をいくつも見ながら進むと、説明板にある標高210mを超えて標高226mの山頂に立ってしまいましたが、ここは城域ではないようです。グーグルマップのマーカーを目指して下りましたが、果たして主郭にたどり着けたのかどうか、全く自信はありません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

城跡は墓地に (2026/05/06 訪問)

牟岐八幡神社に駐車場があり、ここを利用しました。
神社から登城路があり、これを登って行きます。
山上部に差し掛かると墓地が続いていました。
主郭部には観音堂が建っていまが説明板などはなさそうです。
遺構も見られません。

墓地は段になっているので曲輪の跡かもしれません。
かろうじて虎口状の部分はありますが当時のものかどうか?
ほとんどが墓地なので写真を撮るのも憚られ撮れ高は少ないです😓
帰りは石段を下り、海藏寺へ降りていきました。

【見どころ】
 ・主郭への虎口状の部分

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

日宮城 (2026/05/09 訪問)

【日宮城】
<駐車場他>薬勝寺公園駐車場を利用しました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅9城目。日宮城の築城年代は不明なようで、神保長職が勢力を拡大した頃にはその支配下の支城としていたようです。その後一向一揆の攻撃を何度か受けて城は姿を消していったようです。
 ここもあとの調べで日宮社に現地説明板があるのが分かってしまい痛恨ミス。城の北側からアプローチして丘上までは行けましたが、そこから私有地の看板が立ち塞がっていたので、ここまでとして引き上げました。城びとポイントが主郭で、日宮社と薬勝寺との間に堀切があるので、社と寺の場所は南郭だったようです。最初薬勝寺に迷い込んでしまい、墓地の背後に土塁があるのが確認できました。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

小城小次郎

香西氏の南の守り (2025/08/10 訪問)

築城城とも表記されるこのお城は香西氏の被官だった築城(つづき)氏のお城だったという。香西の南側を守る要としての役割があったのだろうか、城域はそれなりに広かったらしい・・が、今は案内看板がひとつ立つのみだ。

+ 続きを読む

ヒロケン

金沢城散策2 櫓と櫓門及び多門櫓 (2026/05/04 訪問)

金沢城の櫓と櫓門及び多門櫓の定番画像をアップさせていただきます。金沢城は石垣の宝庫でもありますが、やはり彩を飾る櫓も恰好が良い(。・ω・。)ノ♡金沢城の櫓・櫓門・多門櫓のあちこちで唐破風の出窓が優雅さを醸し出していると思っています。
画像の1と2は2010年に再建された河北門の建築群、河北門のスロープから撮った河北門表門と菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓を撮影できるスポットで最近のお気に入りの場所です。
画像3と4は重要文化財。現存する金沢城搦手桝形の建築群、石川門表門と石川二重櫓・石川門櫓門です。百閒堀から見上げる石川門と二重櫓はなんとも恰好が良い(。・ω・。)ノ♡。画像5と6は2001年に復元された橋爪門続櫓と五十間長屋。二の丸を防衛する巨大な二重多門櫓、高さは約10m、両端の長さは98mに及ぶそうです。金沢城といえばこの画像ではないでしょうか。
画像7はこちらも現存する多門櫓で重要文化財です。三十間長屋の出窓と突出しが恰好が良いと思います。画像8は橋爪門櫓門と五十間長屋。画像9は2020年に復元された鼠多門。黒漆喰で仕上げられていて他の門には見られない特徴です。画像10は菱櫓と五十間長屋。つつじと櫓のコラボ。
正直、どの画像も金沢城に来る度に撮っていますが、毎回撮らずにはいられない衝動にかられます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

HKISD

隈府城散策 (2026/05/29 訪問)

菊池公園、菊池神社を散策しました。
駐車場もあり、公園も広く公園も2つありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

各期の痕跡 (2025/11/15 訪問)

詳細は不明ながら姉小路三家・古川氏の居城と伝わります。戦国期には古川氏を破った三木氏が姉小路(古川)氏の名跡を継いで古川城を支配下におきました。金森長近の飛騨攻めで三木氏が滅ぶと金森可重(長近とも)が入りましたが、増島城を築いて移ったことにより廃城となりました。

県道から吉城コンポへの分岐を進み、登城口を通り過ぎた先に設けられている駐車場(案内表示あり)から登城開始。登城口まで戻って登って行くと、登城道の東側に麓の道を見下ろす出曲輪状の腰曲輪群が連なっています。さらに登城道を進んで主郭部へ。主郭部から北東にのびる支尾根は堀切で断ち切っていました。堀切で引き返して主郭に向かうと、主郭部への入口には石垣造りの内枡形虎口が設けられています。地表面に見られる石垣は金森期のものですが、発掘調査により地中に三木期の石垣が確認されているようです。

主郭部に入ると古川城跡の標柱と説明板が立てられ、覆屋の中には蛤石と呼ばれる球状閃緑岩が安置されています。眺めていると何やらぞわぞわした気分になるからか、蛤石にはうなり声をあげたり、運び出そうとすると重くなったり、日照りの中、川に沈めると大雨が降ったり…といった不思議な伝承が伝わっています。主郭の周囲には帯曲輪をめぐらせ、主郭の切岸は鋭く高くそびえ立っています。帯曲輪からは幾条かの竪堀を落とし、北西尾根は堀切で遮断していました。主郭の西側は櫓台状になっていて、発掘調査により古川期、三木期、金森期それぞれの建物の痕跡が確認されているようです。櫓台の周囲には金森期の石垣もわずかに見られました。

1時間を要せずひとめぐりできる規模ですが、古川、三木、金森の各期の痕跡がよく遺り、鋭く高い切岸といいなかなか見応えがありました。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑦ (2026/05/05 訪問)

ホテルをチェックアウトして、最初に向かったのは、唐津市内の肥前青山城。城郭放浪記さんのページを参考に林道を分け入っていきました。車で進んでいくのに少々不安を感じる林道でしたが、記載されていた林道分岐点奥のチェーンを見つけて一安心。堀切らしき遺構も確認しつつ、三角点にたどり着くことはできました。そこはかとなく土塁も残っているようでこの辺りが主郭になるのかと思います。熊野神社からの登城路は判然としていないようで駐車場所にも難渋しますからお薦めしませんが、縄張図の付いた説明板はこちらにあります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

「ブラタモリ」と「二様の石垣」と「お城EXPO」 (2026/05/31 訪問)

5月30日NHK放送の「ブラタモリ」では熊本城が特集されました。その中で、二様の石垣は右が加藤清正、左が子の加藤忠広が築いたと紹介されました(あれ?左は細川忠利じゃなかったの?😱)。気になったので訪れてみると、確かに説明版も変更されていました(写真②③)。どうやら石垣修復工事をしている最中に、その事が明らかになり変更されたようです。ならば今までの城郭検定試験の正解も誤っていたという事になるのでしょうか?😱~(もう遅いよ🤔)。先生方の講演の中でこの石垣も話題になればいいな。

城びと特集に掲載されている「特別版お城EXPO in熊本2026」に私の投稿写真が掲載されていたので驚きました(ありがとうございます)。会場の「熊本城ホール」は、桜町バスターミナル内にあります(高速バスや空港リムジンでお越しの方は下車してそのままエスカレーターで上がるだけ、熊本駅からは市電やバスで約10分です)。熊本城からは徒歩10分くらいの所にあり、熊本城もそもそも広いので歩きやすい格好がよろしいかと。天守最上階から見た熊本城ホール(写真⑨)と2Fエントランス(写真⑩)の様子です。桜町から通町筋にかけての一帯は、熊本ラーメン・馬刺し・肥後の赤牛・辛子蓮根などのおいしい店もたくさんありますよ!😊。ひまな方は本物のくまモンも探してみて下さいね!
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

100名城ビギナー

今回の秋田県名城巡り、最後はここ! (2026/05/24 訪問)

今や私のライフワークとなった「(続)日本100名城」巡りですが、秋田県名城巡りの最後に訪れたのは、今回唯一の「続」ではない「日本100名城」である「久保田城」です。
この城は天守(厳密には櫓)を備えていて、模擬天守とは言え、やはり天守があるのとないのとでは気持ちの高ぶりが全然違いますね~o(^o^)o ワクワク
城巡りを志してからは、ここで9城目ですが、天守を持つ城は、まだ3つ。
100名城に名を連ねている城の中でも、天守がある城は意外と少ないんですよね。
ここにも何度もクマが出ているとホテルで聞いたのですが、それっぽい危険な雰囲気は感じなかったです(一応、秘密兵器「超強力 熊撃退スプレー」は持っていきましたが)
でも、秋田では駅前を歩いたり、スーパーの店内に居座ったりしてるので、どこも安全とは言えませんけどね。

今回も例によって、アップした写真に沿って簡単な説明を入れていきたいと思います。
「続きを読む」と「すべての写真を見る」の両方を開いてもらえば、写真を見ながら説明を読めるので便利です。
PCだったら画面分割して説明と写真を並べて見較べるとさらに見やすいですよ!

① 最初は恒例の御城印から始まります。扇の家紋は佐竹氏のもの。秋田は佐竹氏一択で今でも皆さん佐竹氏が好き好き感が伝わってきます。公園内にある「佐竹資料館ミュージアムショップ」は今風でカッコいい建物でした。施設は資料館(有料)とショップに分かれていて、御城院はショップで購入することができます。今回は通常版の他に切絵バージョン(後述)もあったので両方購入いたしました。
② 久保田城の天守(御隅櫓)です。模擬天守とは言え、やはり天守があるとテンションが上がります。写真もかなり撮ったのですが、残念ながら多数の大きな松の気に邪魔されて、せっかくの独立式天守なのに全景を松に遮られずに撮ることはできませんでした。その中ではコレが一番マシかなぁ。城が映えるように木々の手入れをして欲しいな~
③ 表門に向かう石段です。いい感じに古びた雰囲気がgood! 構造は木造2階建て瓦葺きの櫓門です。天守の次に久保田城を代表するスポットですね。
④ 表門から中に入り、内側から見ると、③とはまた趣が異なります。私は中から見た表門の方が好きです。2階に上る階段なども忠実に再現されていますね。
⑤ 天守の全景はもちろん素敵ですが、斜め下から仰ぎ見る大迫力のこのアングルが私は一番好きです。屋根の鯱と天守の3分の2が写り込むぐらいのバランスが構図の黄金比と私は勝手に思ってます。
⑥ 天守(有料)の最上階に昇り、秋田の景色を一望しようと思い「廻り縁」に出たところ、それ以上に存在感がある瓦屋根の造形美に目を奪われました! 左右対称に収まるように、そして廻り縁の一部が写り込むように何度も撮り直した自信作です!
⑦ 天守から下りた場所に「胡月池」を取り囲むように造られた美しい庭園があったので思わずパチリ♪ 一周回ってみましたが、ここからのアングルが一番好きです。涼しげな噴水と、どっしりと落ち着いた行燈が地味にいい味を出しています。
⑧ 長坂門口の石段を下から見上げたアングルです。石段を昇って上からも撮ってみたのですが、露光の関係か薄暗くなってしまったので、こちらの写真を採用しました。
⑨ 上述した「佐竹資料館ミュージアムショップ」がすごくオシャレで、建物の写真もアップしたかったのですが、投稿写真は10枚までとなっているので泣く泣くボツにしました。ショップで通常の御城印の他に切絵バージョンがあったので迷わず購入しました。これ実は1枚なんですが、白い紙の上に置いて撮ったのが左側、黒い紙の上に置いたのが右側なんです。全然、雰囲気が違うでしょ? 感動しました~
⑩ 最後は恒例の日本100名城スタンプです。秋田城のスタンプが、まさかの古代の水洗トイレの図柄だったので、久保田城はどうなんだろう?と少し不安に思い押してみたら、やっぱり定番の美しい天守が描かれていて、なぜか安堵しました。

今回の秋田県名城巡りは、クマに遭遇するリスクが最大の懸念でしたが、無事に帰宅することができて良かったです。 ε-(´∀`*)ホッ
6月の城巡りは、娘と二人で宮城県の名城を3つ回る予定です。
マイペースで探訪する一人の城巡りもいいですが、歴史好き(大学も歴史学科)の娘とアレコレと楽しく話しながら城を巡る時間は私にとって至福の時です♪

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

10年経過の復元郭馬出西虎口二階櫓門 (2026/05/30 訪問)

 復元された本丸西虎口門を表側、裏側、木橋を渡って蔵屋敷側からと初対面観察し十分堪能してから二の丸の南側の郭馬出に構えている復元郭馬出西虎口二階櫓門を見学観察へ移行しました。
 復元郭馬出西虎口二階櫓門は平成28年11月公開から10年経過し、真新しい木肌が風雪に耐えて風格を表してきました、裏面、表面からと眺め観察、裏手の大梁の存在感が有ります、左右の続木塀と登り石階段(雁木石垣)も確認、郭馬出への土橋と左右の大堀切も見逃せません、素晴らしい遺構と復元建物です。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

農地の片隅の遺構 (2025/11/15 訪問)

戦国前期に三木直頼が築いたとされ、三木氏代々の居城となっています。三木自綱が松倉城を築いて居城を移すと松倉城の支城となりましたが、冬には雪に閉ざされる松倉城に代えて桜洞城で政務を執ったことから「冬城」と呼ばれました。金森長近の飛騨攻めでは金森可重に攻められて落城。萩原諏訪城の築城にともない廃城となりました。

桜谷公園の駐車場から登城開始。桜洞谷に架かる橋を渡ったところの登城口から急斜面の登城道を登って行くと、台地の上に広がる城跡は耕地整理により遺構のほとんどが失われています…。それでも北辺には内側にも外側にも石積みが施された土塁が続き、土塁は北西隅で南に折れて、西辺の土塁の内側には横堀が南に続いていました。石碑や説明板は見当たりませんが、横堀の東側には桜洞城後の標柱が立てられていて、標柱の脇に車1台分の駐車スペースがあります。ここまで車で来るのが一番早いのはわかっているんですが、若い頃に田んぼに車をはまり込ませて、道が狭すぎてJAFも呼べず、近くの農家さんに泣きついてトラクターで引っ張り上げてもらった情けない過去があるので…。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑥ 唐津城内(三の丸)に宿泊 (2026/05/04 訪問)

佐賀県内での一泊目は、唐津城の三の丸内にあるホテルでした。部屋からライトアップされた唐津城の模擬天守を望むこともできました。入場料を支払っての攻城はしませんでしたが、今年訪れた城としてカウントすることにしました。翌朝は、朝食の為にすき家に向かう途次、模擬天守を遠望し、二の門跡付近なども散策してみました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

元は島 (2026/05/06 訪問)

海部城から北上して加島城へ向かいます。
城の手前が屋敷跡で民家がありますが広くなったスペースに車を置きました。
登城口には「加島の堆積構造群露頭」との説明板があります。
県の天然記念物だそうです。

ここから舗装路を登っていくと削平地があり、城の説明板が立っています。
背後の藪に入ってみましたが遺構らしいものは見られませんでした。

元は離島だったそうですが現在は陸続き、主郭部からは海を見渡せますがこの日は曇天、眺望も今ひとつでした😭

【見どころ】
 ・(晴れてたら)眺望

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

復元本丸西虎口門の詳細 (2026/05/30 訪問)

 先の復元本丸西虎口門の姿を木橋と供に紹介しましたが、細部の写真も撮りましたので詳細編として投稿致します。
 本丸西虎口門は高麗門形式で屋根は発掘調査の結果、瓦の発見が無く板葺としたようです、鏡柱は欅材、控柱と控屋根を両翼に構え控屋根も板葺、上部に冠木を置き中央に屋根押さえ十字に構えてる、扉には金具隠、扉軸押さえの八双金具を道いて各城門の様式に準じていた。
 門周りには排水を考慮して石垣、排水溝などが復元されていた。
 続塀は板塀で矢狭間と鉄砲狭間が狙っている、虎口門表の右に当たる南には折れの横矢掛りの板塀と成っていた。
 門の中心部は欅材が使用されており、屋根の板葺、板塀などは杉材が使用されていました。
 復元本丸西虎口門を本丸側の裏手から表側、木橋を渡って蔵屋敷側からと十分堪能しました。

 終わって郭馬出西虎口二階櫓門も撮影しましたので後程投稿致します。
  

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ2