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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征5日目:渡川城 (2026/05/15 訪問)

益田駅のコインロッカーに荷物を預ける予定でしたが、益田駅にコインロッカーがありません。
しかたなく宿泊先のホテルに荷物を預け、益田駅からJR山口線を利用して渡川駅に到着しました。
宿泊先のホテル(ホテルルートイン益田)は駅から結構離れているので、本日攻城後の移動(益田駅➡松江駅)に際して乗換時間の再考が必要になりました。
渡川駅から徒歩15分ちょっとで、渡川城登城入口(34.317635、131.596692)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、大内氏によって築かれたと云われています。
1470年(文明2年)応仁の乱で西軍の主力として上洛中であった大内政弘の隙を突いて、東軍方の誘いに応じた大内道頓(教幸)が挙兵しました。
このとき政弘は乱鎮圧のため陶弘護を帰国させ、弘護はこの渡川城で道頓と戦って撃退、道頓は豊前国馬ヶ岳城へ逃れたがここで自害し乱は鎮圧されました。
1557年(弘治3年)津和野三本松城主吉見正頼は、毛利元就と相呼応して山口を挟撃し、この渡川城に立て籠った陶軍の将・野上隠岐守を打ち破り遁走させています。

多重堀切や畝状竪堀群、土塁などが確認できますが、多重堀切や畝状竪堀群は落葉に埋もれてかなり浅くなっています。
北城の城山からJR山口線の線路が見えます。電車が見えていたなら最高の眺望だったのですが。
南城へも行ってみましたが、北城に比べ整備されておらず、下山時に迷子になってしまいました。
攻城時間は45分(迷子時間は含まず)くらいでした。
下山時に迷子になってしまい、計画した電車に間に合わなかったので、当初予定の津和野城攻城を諦め、長門峡に徒歩で行くことにしました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征5日目:三宅御土居 (2026/05/15 訪問)

渡川城攻城前に、七尾城と三宅御土居の攻城をしてきました。
医光寺から徒歩10分ちょっとで、益田氏城館跡(34.677601、131.856901)に到着しました。

三宅御土居は応永年間(1368年~1375年)益田11代兼見によって築かれたのが始まりとされています。
山城で詰城である七尾城に対して、平時の居館として設けられたもので長く益田家の中心的な拠点だったそうです。
この居館は益田氏が、関ヶ原合戦後に須佐に移封されるまで使用されていたそうです。

2019年11月8日に七尾城を攻城した際、近くまで来ていたのに攻城できなかったので、リベンジになります。
見所は東西に残る高い土塁です。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=渡川城を攻城する前に、ホテルに戻って朝食を食べました。

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しほ

お城めぐりスタート! (2026/06/13 訪問)

リニューアルしてから初めて訪れました。天守からの眺めは最高です!

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征5日目:七尾城 (2026/05/15 訪問)

渡川城攻城前に、七尾城と三宅御土居の攻城をしてきました。
宿泊先のホテルから徒歩40分くらいで、医光寺総門前(34.679439、131.865123)に着きました。

七尾城は今回2回目の攻城です。前回は2019年11月8日に来ました。
前回は山城には登りましたが、時間の都合で移築大手門を見学できなかったので、今回は移築大手門を見学する為の攻城です。

医光寺総門が七尾城の移築大手門ですが、医光寺の中門も立派です。
医光寺の庭園は画聖雪舟が作った庭園ですが、朝早かったのではいれませんでした。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=三宅御土居に徒歩で向かいました。

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肉球

仁科氏の居城 (2026/06/11 訪問)

仕事で近くを訪れ現場到着が予定より早く森城址の看板につられて訪れました。
熊出没注意の案内にビビり奥深くまでは散策していませんが
本丸、二の丸はよく遺構が残り分かりやすかったです。
木崎湖の南側の湖畔に造られた仁科氏の居城です。

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ぴーかる

日中城 (2026/05/10 訪問)

【日中城】
<駐車場他>城跡(墓地)前に停めました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅16城目。お城の詳細は添付写真の現地説明版をご覧ください。
現地説明板の通り、河岸段丘上の端に築かれた城で白岩川と攻撃対象の弓庄城方面が良く見渡せます。曲輪を囲む堀もよく残っていました。添付写真はちょうど林の中心の奥が弓庄城の主郭に当たります。

<満足度>◆◇◇

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イオ

皮張東城・皮張西城(和歌山県伊都郡かつらぎ町宮本) (2025/11/30 訪問)

皮張東城・皮張西城(城びと未登録)は、織田信長の高野山攻めに備えて天野盆地に至る二つの峠を押さえるべく高野山勢により築かれたとされますが、詳細は不明です。

宮本峠の登城口(1台駐車可)から登城開始。登城道はすぐに無くなり直登することになるものの、5分も要せずに皮張東城に到着。東城は主郭を二重の帯曲輪が囲み、南下段の帯曲輪は南辺を低い土塁がめぐり横堀状になっています。虎口は東側と西側に設けられ、それぞれ直進できないように土塁で折れを設けている…んですが、土塁が低いため言われてみれば、という程度です。土塁にはところどころ石積みが見られました。

東城をひとめぐりすると、自然地形の尾根を西に100mほど進んで皮張西城へ。西城は渋田峠を押さえる城で、主郭の南半分を二重の横堀と土塁が取り巻いています。虎口は東側と西側に開口し、それぞれ土塁で導線を屈曲させているのは東城と同じですが、東虎口は土塁が低くてよくわからないのに対して西虎口の土塁は明瞭に遺っています。

それぞれ単郭の小さな城ながら、書籍では技巧的な虎口の城として紹介されていたので大いに期待していたんですが、土塁や堀は全体的に低かったり浅かったりで、技巧的かもしれないけどこの状態ではなぁ…と少々肩透かしでした。
 

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todo94

ゴールデンウイーク翌週・献血ルームに赴く前に (2026/05/10 訪問)

早島陣屋からの転戦です。献血の予約時刻9:00まで、まだ時間はたっぷりとあったので7:30に開園となる岡山後楽園にも立ち寄っていくことにしました。個人的には、三名園の中で最も好きな庭園です。岡山城天守を借景とするなど、最高の庭園だと思います。大河ドラマ「豊臣兄弟!」に宇喜田直家も登場しましたね。宇喜田秀家もこの先、登場するのでしょうか。今回は、城はパスしましたが、そのうち岡山城にも行けたらいいなと思っています。

後楽園近くの献血ルームももたろうではなく献血ルームうららに予約を入れたので、たっぷりと歩くこともできました。無事、血漿成分献血を終え、岡山駅のさんすてにて、ちょっと高めのバラずしを昼食として購入し、自由席が多いひかりを利用して帰路につきました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征4日目:鰐坊山城 (2026/05/14 訪問)

江崎駅から徒歩25分ちょっとで、階段入口(34.652269、131.664120)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、三本松城主(現・津和野城)の吉見氏の出城で、臼井左京亮あるいは秋山筑後守広道が城主だったようです。
天正年間(1573年~1592年)に石見国人領主の益田氏によって攻められ落城、その家臣大谷与三左衛門が守将となったそうです。

道路奥に付いている簡易水道タンクに登るコンクリート階段を登ります。
鬱蒼とした竹やぶで先が見通せず、歩行困難な為、攻城を諦めました。
攻城時間は50分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
歩行歩数=42875歩、歩行距離=30.0Kmです。
本日の宿泊先に向かう為、江崎駅からJR山陰本線で益田駅に向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征4日目:櫛山城 (2026/05/14 訪問)

長門大井駅から徒歩20分くらいで、昔あったらしい「吉見正頼・広頼の墓所あり」の看板付近(34.467832、131.436008)に着きました。
そこから「吉見正頼・広頼の墓所」入口付近(34.469134、131.434890)に到着し、宝篋印塔移設を確認しました。
トーダイさんの投稿で櫛山城の情報は何もないとのことでしたので、移設された宝篋印塔を確認する為、周鷹寺に向かいました。
周鷹寺入口(34.468407、131.437897)はここになります。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=鰐坊山城に向かう為、長門大井駅からJR山陰本線を利用して江崎駅に向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征4日目:前大津宰判勘場跡(城びと未登録 山口県長門市) (2026/05/14 訪問)

亀山城から徒歩5分くらいで、前大津宰判勘場跡碑前(34.370914、131.181975)に着きました。

長州藩は、藩内統治のため周防で9区・長門で8区の行政区に分け宰判勘場(代官所)を設置しました。
前大津宰判勘場は、1650年(慶安3年)に大津郡東部と豊浦郡3村を管轄する宰判勘場として三隅下村(長門市三隅下字豊原)に設けられ、1751年(宝暦元年)に深川村正明市に移され明治まで続いたそうです。

前大津宰判勘場は、現在の長門市役所の位置に設置されていたようです。
宰判勘場が深川の地に移されたことが現在の長門市の市街地の基礎となったようです。
現在は、市役所駐車場の一角に石碑が立てられているだけで、宰判勘場の遺構は何も残っていません。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=櫛山城に向かう為、長門市駅からJR山陰本線を利用して長門大井駅に向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征4日目:亀山城 (2026/05/14 訪問)

長門市駅から徒歩10分ちょっとで、法蓮寺入口(34.370392、131.183712)に着き、法蓮寺の墓地の奥から山へ入りました。

築城年代は定かではないようですが、室町時代中期に鷲頭弘忠によって築かれたと云われています。
鷲頭氏は大内氏の庶流で「大内氏庶流鷲頭氏系図」によれば、大内氏十六代盛房の三男盛保が周防国鷲頭庄の地頭となって鷲頭氏を名乗ったことに始まるそうです。
深川城を居城とした鷲頭氏は鷲頭氏三代鷲頭長弘の子盛継より別れた家系で、盛継の孫鷲頭弘忠は長門国守護代を務めていました。
1441年(嘉吉元年)大内氏の第12代当主大内持世が死亡し、大内教弘が跡を継ぎました。
それまでは大内氏と鷲頭氏との仲は良好でしたが、弘忠と教弘は不仲だったと考えられ、1446年(文安3年)4月15日に守護代の任を解かれました。
この間に弘忠と父である鷲頭弘為は本拠である深川城の周辺に支城を築き、教弘の攻撃に備えました。
1448年(文安5年)鷲頭弘忠は大内教弘の大軍に攻められ、深川城は落城、弘忠は一族郎党自刃して果てています。
これに先だって深川城の出城として深川湾に面した丘陵にこの亀山城が築かれました。
その後、亀山城には日置氏が入城しましたが、その後の処遇は不明のようです。

亀山城は長門市役所の東側にある丘陵に築かれていました。
小高い丘陵は亀の形に似ていることから名付けられ、西が首で東が尻だそうです。
立派な堀切が竹林に残っていますが、主郭や西側下段の郭(三郭方面)は竹林の中にあり進むこともできず、よくわかりませんでした。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=前大津宰判勘場跡に徒歩で向かいました。

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赤い城

台場公園 (2026/05/28 訪問)

牛骨ラーメンでお腹を満たし所用前にもう一つリア。
境港の台場公園を目指しました。
公園の駐車場を利用して散策します。
中海から日本海に抜ける境水道の入口に設置されました。

全面の砲台跡には高さのある土塁が残っていて灯台も建ちます。
土塁の内側はかなり広くなっていて南側から西側には後背土塁も築かれています。
時間があれば水木しげるロードにも行きたかったのですがまた機会があれば、ということでここで終了。
今回の本目的に取り掛かることとしました。

【見どころ】
 ・公園を取り巻く土塁

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征4日目:萩城下町(PART2) (2026/05/14 訪問)

萩城詰丸跡から指月公園に下りてきました。萩城下町は以下の順番で観光しました。

①:馬來杢旧宅地(34.411354、131.388095)
②:旧児玉家長屋門(34.410402、131.387921)
③:旧祖式家長屋(34.410982、131.386587)
④:堀内鍵曲(34.410626、131.384818)
⑤:旧萩藩江戸藩邸移築門(34.410909、131.383654)
⑥:旧口羽家住宅(34.410827、131.383408)
⑦:古明倫館跡(34.410100、131.386142)
⑧:久坂玄瑞誕生地(34.406153、131.390708)

計画した萩観光時間が45分も早く終わり、玉江駅で50分の電車待ちとなってしまった。
観光時間は40分(移動時間を含む)くらいでした。次の攻城先=亀山城を攻城する為、玉江駅からJR山陰本線で長門市駅へ向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征4日目:萩城 (2026/05/14 訪問)

旧厚狭毛利家萩屋敷長屋から徒歩5分弱で、萩城石碑前(34.416975、131.383694)に着きました。
そこから登山口に向かい、登山口から徒歩15分くらいで、萩城詰丸跡(34.421270、131.381593)に到着しました。

萩城は今回2回目の攻城です。1回目は2019年3月14日に来ました。
前回は時間の都合で詰丸に行くことが出来なかったので、今回は詰丸に登ることを目的に攻城しました。

本丸背後にある指月山山頂に詰丸があります。
土塀や石垣、無数の矢穴があいた岩などが残されていました。眺望はいいです。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=亀山城を攻城する前に、萩観光をする為、城下町へ向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征4日目:萩城下町(PART1) (2026/05/14 訪問)

聚楽第(移築裏門)から徒歩15分くらいで、高杉晋作誕生地(34.411686、131.393066)に着きました。萩城下町1は以下の順番で観光しました。

①:高杉晋作誕生地(34.411686、131.393066)
②:萩城城下町(34.413045、131.393787)
③:萩城外堀(北の総門周辺)(34.414474、131.392145)
④:萩城北の総門(34.414619、131.391960)
⑤:旧益田家物見櫓(34.415007、131.391554)
⑥:旧繁沢家長屋門(34.415027、131.391047)
⑦:旧周布家長屋門(34.415165、131.390120)
⑧:旧問田益田邸土塀(34.413927、131.387095)
⑨:旧毛利家別邸表門(34.414730、131.386005)
⑩:旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(34.415176、131.382128)
途中、天樹院墓所にもよりました。

萩城からの帰りも観光しました。
観光時間は50分(移動時間を含む)くらいでした。次の攻城先=萩城へ徒歩で向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征4日目:聚楽第(移築裏門) (2026/05/14 訪問)

東萩駅から徒歩15分くらいで、常念寺裏門(34.414207、131.402146)に着きました。
京都の聚楽第跡は2019年2月8日に攻城しましたが、石碑や説明板しかなく、今回は萩に移築された城門目当てに来ました。
萩城は今回2回目の攻城です。1回目は2019年3月14日に行ました。

毛利輝元が萩城の築城時に宿舎にした寺です。
表門は、もともと京都の聚楽第の裏門として建てられたものを輝元が豊臣秀吉から拝領し、1633年(寛永10年)に寄進、移築しました。
写真を撮りましたが、どの角度から撮ろうとしても太陽の光が入ってしまいました。申訳ありません。
国指定重要文化財になっています。
聚楽第(移築裏門)に行く途中に、吉田松陰が収容された野山獄跡がありました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=萩城へ向かう途中、萩観光をしました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征4日目:高津城(城びと未登録 島根県益田市) (2026/05/14 訪問)

ホテルの朝食を抜いて、高津城(城びと未登録 島根県益田市)を攻城しました。
ホテルから徒歩25分ちょっとで、高津柿本神社楼門前(34.678070、131.821399)に到着しました。

建武年間(1334年〜1338年)高津長幸によって築かれました。
1336年(建武3年・延元元年)益田兼弘・吉川経明の連合軍によって落城しました。
その後、長幸は城を回復しましたが1340年(暦応3年・興国元年)石見守護上野頼兼が率いる北朝方に攻められ落城しました。
1471年(文明3年)益田貞兼が高津城を攻めた記録が伝えられているようですが、その時の城主など詳細なことは定かではないようです。
高津柿本神社はかつて高津松崎(同市高津5丁目)にあったが1608年(慶長13年)に徳川秀忠の命で大久保長安が造営し、1681年(延宝9年)に津和野藩主・亀井滋政により現在地に移築されました。

高津城は現在、柿本神社境内と万葉公園となっている小高い丘陵に築かれた城です。
柿本神社の社務所がある辺りが三の丸、拝殿と本殿がある辺りが二の丸、本殿上の益田第二配水池・稲荷神社辺りが本丸のようです。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=聚楽第(移築裏門)を攻城する為、益田駅からJR山陰本線を利用して東萩駅に向かいました。

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肉球

博物館は解体されました (2026/06/11 訪問)

仕事で大町市方面に行くことになりまだ見学していなかった安曇野市へ移築されている大手門に立ち寄り午後から松本城へ。

二の丸にあった市立博物館は解体撤去され更地になっていました。そのおかげで外堀沿の歩道より天守閣、太鼓門がよく見えるようになっていました。埋め立てられ住宅が立ち並んでいた外堀の南側と西側の建物撤去は終了しており水堀復活ではなく平面復元のようです。三の丸にくたびれた姿で残されていた新井家の屋敷門は修繕されたようです。😊
天守閣内もじっくり見学したかったのですが並ばずに入場出来たものの内部はかなり混雑。寒い時期に再訪かな

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送りバント

20260531須崎台場(福岡県福岡市中央区) (2026/05/31 訪問)

九州一の繁華街・天神の中心部からすぐ、須崎公園内に石積みが残る

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