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ひで

案内板のみが残る (2021/09/12 訪問)

仙川駅から徒歩20分程度、島屋敷通り沿いを歩いて
たどりつきました。団地の中の案内板のみが遺構ですが、
団地の敷地が広いので探すのに苦労しました。
団地の広場に青いフレームの案内板があります。
柴田勝重の屋敷跡という伝承が案内にありますが、
仙川駅くら島屋敷通りを歩いている途中にある春清寺
には柴田勝重の墓所も残っています。

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キンヤ

溝口秀勝の生誕の城 (2021/09/05 訪問)

城主は織田氏に仕えた溝口勝政で、長男の溝口秀勝の生誕地とされます。
秀勝は、丹羽長秀、織田信長、豊臣秀吉などに仕え、関ヶ原の戦いでは東軍に属して越後新発田藩の初代藩主になっています。

民家のようで寺には見えない成願寺に石碑があります。

実際の城跡は成願寺から南西へ150m位の辺りであったようで、今は空き地や田んぼになっていました。

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キンヤ

蜂須賀小六の生誕の城 (2021/09/05 訪問)

木曽川の川並衆であった蜂須賀氏の城で、蜂須賀小六(正勝)の生誕地と云われます。
小六は、織田信長や豊臣秀吉に仕え、最後は阿波徳島藩の藩祖になっています。

城跡には立派な蜂須賀小六公顕彰碑と城址碑があり、南西側の圓龍院には蜂須賀小六公旧宅跡碑があります。
北側にある蓮華寺は小六の菩提寺で、奥の院には小六と息子の家政の墓碑があり、水堀や土塁が見られ城のような雰囲気もありました。

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T-Shionoya

初めての古河城跡地巡り (2021/08/28 訪問)

先月は茨城県古河市にある古河城に寄ってきました。

古河城があったのは渡良瀬川の東岸で、沼地に囲まれた半島状の微高地。
下河辺荘の北部に位置し、2代足利義満の時代からは鎌倉公方領となった場所。
元々江戸湾に注いでいた渡良瀬川(太日川)は古くから流通があったでしょうし、陸路は鎌倉期に鎌倉街道中道、江戸期には日光街道が整備され、関東の中心地と東北を結ぶ中継地点でした。

主な城主は、まず鎌倉を奪われ1455年に古河公方を設立する足利氏。
足利成氏は城の整備終了後、古河鴻巣館から移転。
江戸期は小笠原氏らが城を拡張し、長く城主を務めたのは土井氏。
土井利勝により御三階櫓や本丸御殿が建てられました。

現在の古河城は、中核部が渡良瀬川の堤防と河川敷の下。
遺構は住宅地に点在する丸ノ内、観音寺曲輪、諏訪曲輪(古河歴史博物館)の土塁と、公園になっている古河公方鴻巣館跡ぐらい。

個人的に縁ある古河ですが、初めて城郭を巡ると、その広さと諏訪曲輪の立派な土塁に徳川将軍の宿泊地であったことを納得。
カメラトラブルや落し物のタイムロスがあり、クルマと徒歩で滞在時間は3時間。
古河のイメージが少し変わった、私のお城巡りの110城目でした。

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Nabeppu

ターニングポイントになった城

重要な城ではあるが、目立つ遺構は本丸の内堀くらい。

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Nabeppu

北条の拠点のはずなのに何故か真田推し

1つ1つの堀がとても深い、堆積物の関係で一見分からないが、角度が鋭いので、薬研堀の堀なのかも。

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Nabeppu

小振りながらも堅固な防御施設

本郭後ろのささ郭下は崖になっており、敵の侵入は不可能、反対側の本郭と二郭の間の屈折した空堀は広くそして深い。小さいながらも守りに固い城であることがわかる。

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Nabeppu

典型的な連郭式の山城

各郭ごとに横堀がキッチリ掘り込まれている。二郭の北と南の虎口はどちらも横矢掛しまくりという感じ。

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Nabeppu

勝頼を迎えるはずだった御殿

大河ドラマ真田丸のオープニングで、お馴染みの岩櫃山の麓にある潜龍院跡。短期間で建設されたと伝わっていますが、石垣は見事です。

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Nabeppu

シッカリとした石垣の城

群馬県内にあって、ここまでシッカリとした石垣の城も珍しい、見応え十分。

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カズサン

北馬出薬医門復元続板塀の板張り進捗確認と大手外馬出確認 (2021/09/11 訪問)

 静岡県も武漢コロナウイルス緊急事態宣言延長で9月12日から9月30日まで自粛対応、県境を越えての往来自粛が今月いっぱい続きます、県内で動ける所をと諏訪原城を訪ねました、山城探訪の慣らし、車の移動の慣らしバッテリー上がらない様に、諏訪原城の復元続板塀(二の曲輪北馬出薬医門復元板塀)の赤くさび止めが剝き出しのままの状態進捗確認の探訪です。
 
 今年の1月から3月6月と復元板塀の進捗確認をしてますが本日も鉄柱剥き出しのまま本年度末には何とか成るのでしょうか?
 
 そんな訳で探訪はビジターセンターから二の曲輪中馬出、北馬出、薬医門、復元途中の板塀間の往復、探訪時間も有るので今までの探訪して無かった大手外馬出跡、全て茶畑に成ってますが復元石畳の東海道菊川坂沿いに三日月型に周辺が段差をもって遺構が残ってますが案内板説明板は有りません、ビジターセンターで頂いたパンフレットの案内図を頼りに探訪。
 
 自宅から1時間程の移動で到着、10時の開館前でしたが既に車は2台駐車、10分前に開館していただいて資料ゲット、帰りにはビジターセンター前の駐車場は満車で全て県内車、広いので見学者と接触する事は有りません感染対応は問題有りません。

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ひで

渋谷駅からすぐ (2021/09/11 訪問)

井の頭線渋谷駅から徒歩10分程度の距離にありました。
金王八幡宮という神社で、渋谷のビル群の中に思ったより
広い敷地の立派な神社が遺構としてありました。
宝物殿には中世の城の模型や書物もあり、由緒書も沢山あって、想像以上に城址の雰囲気を感じれました。

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どーの

えっぐい土木をすぐに楽しめちゃうお城です。

蘆名氏に絡むお城を点々と歩いています。まずは、猪苗代城へ行きました。縄張り図から想像していた規模とは全然違って、土木ぶりが凄まじくて驚きました。

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ふゆづき

早雲の見た風景 (2021/09/08 訪問)

北条早雲の旗揚げで有名な興国寺城を訪問。
東海道線原駅から、コミュニティバス(ジャンボタクシー)の時間が合えば、これに乗車して東根古屋で下車(予め運転手さんに興国寺城を訪問する旨をお伝えしておいた方が良いと思います)。徒歩の場合には、原駅前から続く「興国寺城通」を突き当たりまで一直線に歩くと、登城口に到着します(徒歩約25~30分)。

城の入り口には、 興国寺城跡を中心にした整備を行っている旨の看板が立っていますが、正直城内の整備状況が進んでいる訳ではありません。
遺構は本丸を囲むような土塁、天守台のための石垣の一部と本丸の後背を守る大空堀のように見受けられましたが、 城の規模としてはそれほど大きいものでは無く、今川時代には支城の一つという扱いであったことが理解できます。

しかしながら、本丸跡(または天守台跡)に立つと、目の前に駿河湾と伊豆半島が良く見えることに気づきました。
ここの城主になって以降、早雲は毎日伊豆半島を見ながら、伊豆を自分の手に入れる日のことを指折り数えていたと妄想するのは、それほどおかしなことでは無いように思います。今川家が早雲をここに配したことが、後北条家興隆のきっかけなのでしょうが、歴史のいたずらの一つであったことがわかるように感じました。

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sakappa

港から篠島城趾は歩いて10~15分ほど。 (2021/09/10 訪問)

知多半島の先っぽの師崎から、船に乗って行ってきました。
行きは5分ほどで篠島に着きます。
主郭みたいなところは、そこそこ広く平らになっています。
土塁もなさそうだったので、柵だけで囲んでいたのかなと。
いくつかの民家の敷地内みたいな道を登っていくのですが、それが、段郭だったところに家を建てたのか、家を建てるから平らにしてみたのかはよく分かりません。
東海道も伊勢湾は海の道ですし、篠島は、位置的に渥美半島の先っぽや志摩にも近く、戦略上にも交通上にも要衝だったことが行くとよく分かります。

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トベシュン

久しぶりの山城めぐり (2021/09/10 訪問)

天気が良さそうだったので久しぶりの山城巡りに行ってきました。

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ぴーかる

小浜城 (2021/07/17 訪問)

【小浜城】
<駐車場他>南門跡北側にコインPあり。
<交通手段>バイク

<見所>堀・堀切・資料館・町並
<感想>小浜(こはま)城は永禄年間(1558〜1570)に寺内町として亳摂寺を中心として発達しました。小浜の地は西宮街道・京伏見街道・有馬街道の合流地点街道の要で寺内町は台地状に北東側から流れ込む大堀川を利用し、東に堀溜池を造り、北~西側にかけて人口の堀川を廻らしている。信長の本願寺攻めの際には信長方に付きその難を逃れている。豊臣時代亳摂寺の娘が豊臣秀次の側室となっていたために秀次事件の後この小浜は焼き討ちにあっている。焼き討ち前後どちらかは分からないが、秀吉が秀次事件のあと有馬に湯治に行っているので間違いなくこの地を通っている。そこまでするか、すごい神経しているな、晩年の秀吉は。焼き討ち後江戸時代は小浜は宿場町として再発展し酒造り等も盛んになりました。

 まず資料館を見学し小浜の見所ビデオ、寺内町のジオラマと館員の方の説明はとてもいいです。資料館横に山中家(山中鹿之助の子孫宅)住宅庭に秀吉・千利休が茶の湯に利用した「玉の井」という井戸が残されています。資料館内からしか行けません。そのご資料館前にバイクを駐輪させてもらい散策、亳摂寺、南・東・北の木戸跡、首地蔵、大へんふるい道標(石柱)、江戸時代の高札、寺内町北の大堀切と大堀川等見所多いところ、2時間以上たっぷり楽しめます。

<満足度>◆◆◇

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赤い城

直線連郭で郭には畑や牛舎が (2021/09/05 訪問)

再訪、今回も説明板のある星宮大神の脇の搦手から登城。
搦手の登城路は結構急、藪蚊の攻撃にも遭います。
奥仲城は広い畑になっていますがそのまま進むことができます。
奥仲城と仲々城の間のあたりが見どころ。
土塁や空堀が整備されて残っています。
土橋は横矢がかかっていてカーブを描くようになっています。
脇に馬出もあり。
仲々城はかなりの広さでここも畑、さらには牛舎もありました。
明らかに私有地なのに見学できるのは有難いことです。
大手側にも空堀や土塁がありますがここはこの時季籔状態でした。
千葉常胤の子である東胤頼が築城、戦国期には千葉氏が北条氏の傘下に入ったため、北条氏が里見氏に備えるための拠点となりました。
広く、見応えのある城でした。

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エレクトラ

9月の大阪城 (2021/09/09 訪問)

久し振りの大阪城

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ふゆづき

武田家の土木技術と馬場美濃守の戦術眼に感服 (2021/09/08 訪問)

丸馬出で有名な諏訪原城を訪問。
アクセスは、東海道線金谷駅から、平成の町おこしで再興された石畳東海道(金谷坂)を通って徒歩約20分のところにある小高い丘の上に城は位置しています。
先ずは諏訪原城ビジターセンターを訪問します。
私が訪問した際には、係の方に城の見所(馬出や三日月堀の様子)を詳しく解説頂きました(車の場合にはビジターセンター前に6台程度、少し離れた場所(旧東海道沿)に10台程度の駐車スペースがあります)。
城には、茶畑が広がる大手曲輪から入城し、外堀を横目に見ながら、この城の最大の見所である二の曲輪中馬出に向かいます。

この馬出の保存状況は非常に良く、武田家の土木技術の高さがうかがえますが、敢えて言えば、これに代表される諏訪原城の多数の馬出は、防御力の誇示もさることながら、この馬出の様子が城外(旧東海道)からも見ることができることを勘案すると、この城が武田氏の城であること(すなわち、遠江の一角に武田の旗が立っていること)を認識させるためのものであったのではないかと思わされました。

また、本曲輪からは駿河方面の眼下に大井川と東海道を見ることができるため、東海道を監視・官制することが可能であり、この地に城郭を築いた馬場美濃守の戦術眼に感服する思いでした。
各種の馬出の様子も含め、城内をゆっくりみて所要時間は1時間程度。
深い空堀や土橋の形成など、武田家の最前線基地に投入された土木技術に改めて感服しました。

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