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しろりん

城壁美 (2026/02/15 訪問)

世界遺産の一つです。三山時代、中山を支配した中城按司数代とその後の座喜味城からやって来た護佐丸によって14世紀の終わり頃までにグスクの形が完成しました。300ほどあると言われるグスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られています。入り口の管理事務所で入場料を払うと、カートでグスクの正門まで乗せて貰えます。ぐるっと見て回り、裏門を経て入り口に戻ってくるような順路になっています。城壁から臨む中城村の湾が一望できます。
とにかく城壁の石積みがとても美しく、二の郭の曲線の美しさに感嘆しました。城壁の石積み方法には古い時代から3種類あり、違いを意識しながら見るのも良き。個人的に、最も美しいグスクの一つだと思っています。平日で天気もあまり良くなかったので殆ど人がおらず落ち着いてゆっくり見て回れました。

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チケット先行発売情報

2026年12月19日(土)・20日(日)「お城EXPO 2026」のチケット先行販売情報が出ました!
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000053.000120609.html

そうです、
★10/17(土)10:00~⇒ ワンデイ入城券(4種類)、サタデーナイトコンサートチケット、入城券
★11/14 (土)10:00~⇒ 厳選プログラム指定券(単体)

【ローソンチケットのみの取り扱い】
すべての厳選プログラムチケット(ワンデイは10/17~・単体は11/14~)、サタデーナイトコンサートチケット(10/17~)

【ローソンチケット以外のプレイガイド】
11/14~入城券

そして、肝心の厳選プログラムの概要は!?
なんと、城びとで先行情報公開中です!! ⇒https://shirobito.jp/article/2144

年末のご挨拶、いつもの地で皆さまとお会いできるのを楽しみにしております!
どうぞよろしくお願い申し上げます。

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しろりん

琉球寒緋桜の名所 (2026/02/14 訪問)

世界遺産の一つ。三山時代、北山の王がここを拠点として北部地域を支配しました。
2月のこの時期は何と言ってもリュウキュウカンヒザクラ(琉球寒緋桜)が満開でとても綺麗です。昭和40年代に地元の人たちによって植栽されたそうですが、今ではすっかり桜の名所として知られています🌸。世界遺産に登録される前に訪れた時より遊歩道も周辺施設も整備されています。

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赤い城

安土城に似ていた? (2026/08/15 訪問)

松阪城は初めての登城でした。
隣接する駐車場に車を置き、表門へ。
ですが、まずはいつものように周囲を歩きます。

二の丸の石垣を見上げながら進み、さらに行くと裏門です。
裏門の外には御城番屋敷と土蔵があります。
サッと見学した後、本居宣長記念館でスタンプをゲット。
100名城77個めです。

そこから石垣に沿って歩き、表門から二の丸へ。
中御門から本丸下段、さらに本丸上段へ進みました。
天守台もあり、ここからの見晴らしも良く気持ちいい😍
本丸石垣の北側には向こう側が見える珍しい構造の水抜き抗があります。
きたい丸から見上げました。
その後、多聞跡の上を歩いたりして十分に楽しんで表門から下山しました。

帰ってから調べると蒲生氏郷が安土城を参考にして築いたともいわれているようです。
なかなか来る機会がなかったのですがようやく登城、石垣が素敵な良い城でした。

【見どころ】
 ・各所の石垣
 ・水抜き抗
 ・天守台

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todo94

スポーツの日三連休の大分の攻城① (2026/10/10 訪問)

当初は高知あたりをターゲットにロングドライブを計画していたのですが、急遽、行先を大分に変更してしまいました。幸い、中津の東横インの予約をとることができました。何故、大分をターゲットにしたかというと、「VIVANT」公式ツアー 名シーンの舞台を巡る聖地巡礼・東京都内編 参加の前日に赴いた江戸東京博物館の大河ドラマ特別展にて、この三連休に日田豆田町の草野本家にて、豊臣秀長所用と伝わる甲冑が公開されることを知ってしまったからなのです。金曜の勤務を終えてから西下し、広島にて前泊。朝一番のさくらに乗って中津には8時半過ぎに到着しました。レンタカーを借り受けて日田に向かう途中で攻城した次第です。忠霊塔が建つ南台は公園として整備されていますが、黒田時代の石垣なんかも残っています。獣除けフェンスを開けて入る北台はあまり整備の手が入っていませんが、戦国の城の趣は感じることができました。現地での表記は平田城一色です。そりゃ、白米城と書いて「まつたけじょう」なんて読めませんからね。帰ってきてから中津駅前に耶馬渓橋の後背に平田城を写した写真を発見してしまいました。また、機会があったらそんな写真も撮ってみたいと思います。長岩城再訪の折などに。

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長町ツインズパパ

宮城県亘理町の城下町の風情が残る街並みを散策してきました。 (2026/10/11 訪問)

東北歴史博物館友の会が主催する「歴史探訪会 in 亘理」に参加しました。ガイドの案内で亘理要害跡に鎮座している亘理神社を訪問しました。
亘理伊達家が明治維新後、北海道に移住した後に、渡りの人々が初代領主伊達成実を祭神として祀り、建立したそうです。江戸時代には亘理伊達家の居館があったようです。

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マッサン

安全第一です (2026/10/10 訪問)

石積櫓や弓型砲座が「危険」なことで有名な長岩城ですが、本丸は比較的安全で道中の石積を見るだけでも十分満足できます。
入口の記帳所から本丸まで往復2時間程度でした。登りがきつく足元も悪いので緊張の連続ですが、普通に山城好きなら登城が難しいわけではありません。
足元は石がゴロゴロしているので底の硬いトレッキングシューズ~登山靴が必要です。登山用のポールも必須ですが、1本だけ持って片手はフリーにしておくことをお勧めします。
梯子より先の石積櫓等は見てません(還暦越えですので無理はしません 笑)。

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「徳川家康と豊臣政権」静岡市歴史博物館 (2026/10/12 訪問)

 慶長12(1607)年、徳川家康は輪郭式で3重の堀を持ち、本丸には5重(または6重)7階の天守を配置した城を全国の大名に命じて築城させました。現在は巽櫓、東御門、坤櫓が再建され、本丸、二の丸跡は駿府城公園として親しまれています。近くまで来たので寄ってきました。今年2回目の登城です。駿府城跡天守台発掘調査現場及び「発掘情報館きゃっしる」が2025年12月26日に閉館し発掘現場は見ることができないと思っていました。散策していると発掘現場の周囲を囲む塀にアクリル板の窓が設置されていて一部ですが見ることができました。少しでも見ることができるのはちょっとうれしい。時間の関係で駿府城公園を中心にさらりと散策しました。
 お隣の静岡市歴史博物館では「徳川家康と豊臣政権」という企画展が開催されています。徳川家康や豊臣秀吉などの朱印状や書状など文献が多く展示されていました。当時の朱印状など文献はさっぱり読めませんが、それなりに楽しむことができました。

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ちぼる

清州城 (2026/03/22 訪問)

千と千尋の神隠しのような感じでした。

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カズサン

【遠江国分寺】静岡県磐田市 令和7年度復元遅れ工事現場の様子 (2026/10/02 訪問)

 静岡県磐田市では遠江国分寺跡の復元整備計画が進んでおります。今年2月7日と4月3日訪ねました。令和7年度の復元整備工事の期間が3月末から9月25日へと変更して居ました。
 今回9月末を過ぎましたので遠江国分寺跡の復元整備工事の進捗は如何にと探訪しました。

 住所:静岡県磐田市中泉3365(遠江国分寺史跡公園)
 駐車場:磐田市役所北側の駐車場利用、公園の南側。
 参考資料:磐田市HP、グーグルマップに依ります。

 令和7年度遅れ復元整備工事は中門と東回廊ですが、訪ねた当日工事用囲いフェンス、ネットは取り払われて工事外地点より観える様に成って居ましたが、工事用エリアを示す虎ロープが張られて進入禁止状態でした。
 もう少し近くで観たいと思い、東側の現在の国分寺に廻って国分寺裏から観察へ、国分寺側からの進入には虎ロープが張って無く復元金堂跡には入れる、金堂の西東から、復元されて中門、東回廊を良く観る事が出来ました、東回廊は歩けそうでしたので中門の東まで行き観察撮影、ベンガラのモルタル舗装が目に輝かしい、勿論木装基壇での復元です。
 正式公開でもなくそそくさと退散しました。
 遠目で令和8年度復元整備計画工事期間は令和9年2月26日までと工事案内板に記載されていました。
 令和8年度の復元整備工事は、中門跡南前と講堂跡僧房跡周りのサイン等整備工事と案内。

 まだ西回廊は一部出来上がって居ますが金堂との続き西回廊半分が残って居り、金堂前の工事の為に空けてあるのか? 金堂前の灯ろうもまだ残って居ます、東屋、トイレ、ガイダンス施設、散策路も待たれる整備工事です。

 遠江国分寺投稿履歴
 2024年4月11日投稿、訪問2024年4月7日
 2025年4月19日投稿、訪問2025年4月5日
 2026年2月11日投稿、訪問2026年2月7日
 もご参照ください。

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ダイエティシャン

10月18日(日)三の丸広場オープンイベント (2026/10/10 訪問)

10月18日(日)三の丸広場オープンイベントが開催。10月17日(土)前夜祭で、二の丸高石垣のライトアップも開催。詳細は米子城公式サイトへ。
整備で、内堀跡(写真②)建物跡(③)が分かるように。

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天守無しがアツい

北条氏直により築城⛰️ (2026/10/11 訪問)

車で麓の駐車場に停める🅿️
トイレ横の展示パネルをひと通り眺めてから
階段を上って城跡へ🚶‍♂️

第四曲輪…虎口…第三曲輪…

第三曲輪は小さな神社となっており…ここまで来られた事への感謝を告げながら祈る🙏

三代目氏康の頃には関東西半分伊豆半島の一帯が北条氏の勢力範囲

武田氏が駿河に侵攻して三枚橋城を設けたのに対抗して🏯五代目当主氏直もここ長浜城を設けた

ちなみに武田氏と北条氏は…略史によると駿河湾などで合戦を繰り広げたそう🌊⛴️時の武田の主人は勝頼👨‍🦰

先代の信玄に比べると…地味というか劣ってる印象のある勝頼だが…武田氏三代目として恥じないくらいの…戦国武将として及第点の能力は備えていたのかもしれない

長篠の戦いの惨敗も…勝頼率いる武田軍の不甲斐なさというよりは…織田徳川連合軍という相手が悪かった…だって火縄銃を大量に用意して効率よく撃ってくるんだから🔫🔫⚠️

長篠で多くの有能な家臣と兵を失いつつも…駿河湾では北条軍相手に何年も戦いを繰り広げて…信玄の息子に恥じぬ奮闘を見せた勝頼…しかし最後は織田信長に滅ぼされてしまう

その8年後には…豊臣秀吉に対する最後の相手として…勝頼と同じく奮闘して籠城して粘るも…北条氏も降伏🏳️五代でその夢は潰えた

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ヒロケン

なんて日だ‼ (2026/10/05 訪問)

織田信長公が尾張を統一した頃の清州城は守護の城館と同じくらいだったと考えられ、桶狭間の戦いに勝利した信長公はこの清州城から天下統一の第一歩を踏み出しました。
本能寺の変の後、織田家の跡目を決める清州会議後に城主となった信長公の次男、信雄公によって改修された清州城の城郭は、天守を備え東西1.6km、南北2.8kmにも及ぶ巨大な城塞都市であったといわれています。
名古屋城築城時に清州城は廃城となりましたが、清州城の資材が名古屋城築城に使用され、名古屋城西北櫓は清州櫓とも言われており、清州城天守の古材で作られたといわれております。

この日、久しぶりの訪問で清州城天守最上階より見る景色を画像に収めるべく訪れました。清州古城址公園駐車場に車を停め(無料でトイレ完備)古城址を散策、信長社や顕彰碑を堪能後、東海道本線に分断されている清州公園へ、濃姫と信長公像を画像に収め、いよいよ模擬天守に朱色の橋を渡り、目にしたものは「本日休館日」( ノД`)シクシク…おまけにしとしとと雨が( ノД`)シクシク…予報では晴れ、雨具を用意していなかったのでこれまでで退散。小峠さんの「なんて日だ」をつぶやきながら帰宅( ノД`)シクシク…

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トク

大友に仕え龍造寺に滅ぼされた蒲池氏の城(ですが・・😮!) (2026/10/10 訪問)

春色の汽車に乗って ♪
海に連れて行ってよ~♬
煙草の匂いのシャツに ♪
そっと寄り添うから~♬

西鉄「蒲池駅」(写真⑥)で電車を降り、懐かしい昭和のアイドル 松田聖子(本名:蒲池法子)さんの歌を口ずさみながら、駅から歩く事30分、「蒲池城」が建っていたとされる場所に到着しました。国道385線の蒲池城跡交差点のあたりに城が建っていたようです(写真②)。城跡碑(写真①)がひっそりと民家の裏にありました。

さらにその100m南東には、蒲池氏の菩提寺である「崇久寺」がありました(写真③④)。そこには大友に従い耳川の戦いで討死した「蒲池鑑盛」とその一族の墓がありました(写真⑤)。

蒲池氏は平安時代から続く、南筑後地方を治めて一時は20万石も領した名門の国衆でした。そして戦国時代になると、本城を蒲池城から支城であった柳川城に移し、本城と支城を入れ替えたようです。しかし豊後大友氏が筑後を支配するようになると大友に仕え、龍造寺を攻めた今山の戦いに大友軍として加わります。今山の戦いで大友が敗れると、今度は龍造寺に寝返り、沖田畷の戦いに龍造寺軍として加わります。そこで龍造寺隆信が有馬・島津連合軍に敗れ討死するとまたもや大友軍に戻り、今度は耳川の戦いに加わるも、当主鑑盛と三男統安はそこで討死してしまいました。しかし嫡子で次男の鑑蓮は戦わずして裏切り、戦線離脱して柳川に戻って、今度は北上してきた島津氏に寝返ったようです。

それに怒った大友宗麟の重臣筆頭である立花道雪は、何と病を押して立花城から裏切った鑑蓮を討伐しようと出陣しますが、途中の高良山で病死してしまいます。その時「我が死体に鎧兜を着せ、高良山に頭を柳川に向けて埋めよ!」と命じたそうです。よほど大友を裏切った鑑蓮が憎かったのでしょうね。しかしそれでは忍びないと、娘婿養子の宗茂が立花城へ遺体を運び帰ります。

しかし結局は、鑑蓮は龍造寺政家(隆信の嫡子)の騙し討ちで誅殺され、跡を継いだ鑑盛の四男の統春も政家から柳川城を攻められ敗北、蒲池氏は滅ぼされてしまいました。

それから秀吉が九州を平定すると、関ケ原までは立花宗茂の領地となります。そして関ケ原後には田中吉政が柳川城に入りますが、近江の出身である吉政は、蒲池氏の歴史などは知るよしもないため、崇久寺だけを残し、あっさりと蒲池城は取り壊して、この一帯を田畑にしてしまったようです。そして田中氏が二代で断絶すると、再び立花宗茂の領地となります。

ちなみに耳川で亡くなった蒲池鑑盛の三男統安(鑑蓮の弟)の子の応誉は、僧侶となって柳川に良清寺を開き、再度領主となった宗茂の正室で、亡くなった誾千代(道雪の実娘)を弔ったため、その子孫は立花家に召し抱えられ、蒲池の名跡を再興して家老の待遇を受けたそうです。そして松田聖子さんは、その末裔にあたるそうです(😱!)(Wikipediaより)。

赤いスイートピ~♬、のお話でした😊。
 

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肉球

復元三日月堀 (2026/10/09 訪問)

丸馬出しの土塁と三日月堀、外堀の一部が復元され水堀が復活していました。
外構工事が完了してないようで立ち入り禁止になっていますので
柵の外側から撮影してきました。

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諏訪の浮城 (2026/10/08 訪問)

 久しぶりの高島城です。
日根野織部正高吉の築城と伝わっています。当時は城の際まで諏訪湖の水が迫り「諏訪の浮城」と呼ばれていました。本丸、二の丸、三の丸をほぼ一直線に配置した連郭式の城でした。天守の屋根は瓦葺ではなく、檜の薄い板を葺いた杮葺というのは興味深い所です。その後は諏訪氏の居城となり明治まで続きました。湖に浮かぶ当時の姿を見てみたいものです。

 日根野高吉の父親日根野弘就は美濃(岐阜県)出身で最初は斎藤氏に仕え、波乱万丈の人生を送った武将です。岩井三四二の「逆らうて候」という小説で初めて知りました。かなりマイナーな武将ですが、岐阜県出身ということもあり何となく気になっています。あくまでなんとなくですが。その子の高吉は小田原征伐の戦功により、この地を与えられ高島城を築き、城下町を整備しました。

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多田淡路守常昌 (2026/10/08 訪問)

 常昌寺付近が跡地です。
石碑と説明板がありました。日本城郭大系には「遺構は本丸と思われる所、その北側の端に高さ2.5m程の土塁、その他、相当に広い郭を残している」との記載があります。郭は何となくわかりますが、土塁、空堀はよくわかりませんでした。

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朝田 辰兵衛

クモに注意してください…🕷🕸 (2026/09/23 訪問)

JR門司駅から徒歩で向かいましたが,途中からバス路線を歩いていました…。「こんなところにバスは走っていないだろう」という先入観でプランニングしてました。往路は登りなので,往路こそバスが有効です。
しかも,小倉からもある…。
門司駅前からなら,[47]番系統(垣見営業所行き)に乗り,城山霊園前下車。ここから徒歩約15分で登城口到着です。霊園内で迷ったら上空を見上げてください。送電線が空中交差する場所のすぐ近くに登城口があり,パネルがあります。そのワキに,クモの巣払い用として,約120㎝のしなった木の棒を置いておきました。まだ残っていましたらご活用くださいませ。
クモの巣は,何ヶ所か比較的高い位置にあり,クモ自体はデカイです。あまり人が入っていないせいかもしれませんが,途中までは送電鉄塔の巡視路として整備されています。関門連係線との表記があったので,九州が大停電でもしたら,本州から電力を供給するために重要な役割を果たす送電線と考えられます。

猿喰城ですが,登城途中に堀切を通過します。注意していないと見落とします。腰郭は比較的容易に見つけられると思います。
これで,シルバーウィークの九州旅は終わり,越後へと帰還しました…🛫

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dougen

2026.1.10登城 (2026/01/10 訪問)

秩父鉄道永田駅の南側の荒川を渡った先にある畠山重忠公史跡公園が畠山重忠館跡となります。
遺構は残っていませんが、畠山重忠の像や墓があります。
また、近くの浅間神社は物見台の様な地形となっています。

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いんげん丸虫

萩原山の堡 山梨県甲州市 (2026/10/09 訪問)

標高1671m 駐車場から20分位。
甲斐国志によると武田陸奥守信春が
応永20年の乱の後に砦を築いたとされる
場所です。
山頂に50m x 28m の平場があり、段郭
らしき地形も見受けられますが、ほぼ
自然地形です。
現在は[柳沢の頭]と呼ばれ、ハイキング
コースになってますね。
東京都内からは奥多摩湖のわきを通り、
自然の中をドライブして来れますね。

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