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ダイエティシャン

4月4日(土)5日(日)さくら祭り (2026/03/31 訪問)

周辺で4月4日(土)5日(日)さくら祭り開催。
3月31日は5~8部咲きでした。
2週間後には、三刀屋城の郭跡で、緑の桜【御衣黄】が咲きます。

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のぶ

安土城 (2025/11/20 訪問)

天守発掘現場見てきました

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関西の桜は明日が見納め予報 (2026/03/27 訪問)

 近鉄でお堀端を通ることは多かったのですが、大和郡山に所用あり、ついでに、数十年ぶりの大和郡山城訪問。桜が咲き始め、お城まつりが始まってました。DGM MORIやまと郡山城ホールで開催中の大河ドラマ館は、この日、休館であることは知っていましたが(おそらく、DGM MORI株主総会日のため)、追手東隅櫓続きの多門櫓の展覧会も休館で残念。
 極楽橋、天守台発掘調査展示、郡山城情報館など、以前はなかったものを見られました。緑曲輪の馬場跡の地味な展示がよいですなあ。比較的時間があったので、外堀の一部や城域外も散策しました。城びと先人があまり投稿してない箇所の写真を投稿します。観光案内に「荒木又右衛門屋敷跡」とあったのが気になり、城の南西、移築門がある永慶寺の前を進み、説明板と石碑に到着。以前は、立派な門があったそうですが、今は、小さな石碑と民家の塀に説明板が掲げてあるだけです。説明板を読んでいると、民家の方が声を掛けてくれ、お話をうかがうことができました。若い人は荒木又右衛門を知らないと、嘆いておられました。私も伊賀上野鍵屋の辻の仇討ちをおぼろげに覚えていただけ...。
 その後、大納言塚、金魚資料館、稗田環濠集落、下ツ道、番条環濠集落と歩きました。
 追手門の外に、陣甫曲輪という細長い馬出し的な郭があるのですが、その東縁、石垣沿いに民家が一列、並んでいます。一番追手門に近いお宅が、インド料理店をやっておられます。前回訪問時は、若くて一人ではよう入らんかったのですが、大人(年寄り)になった今回は、一人で入り、数十年ぶりの宿題を果たした感じ。近鉄で郡山城脇を通るたびに思い出していたもので。お店の方に聞くと40年やっていると。そうすると前回行ったときは、開店したあたり。

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イオ

山下ノ丸めぐり(二ノ丸~吉川経家公像) (2025/11/01 訪問)

(続き)

二ノ丸北東の久松山に面するあたりには、鳥取城の石垣石を切り出した石切場が遺っています。また、鳥取城には桂蔵防(慶蔵坊)と呼ばれるキツネがヌシとして伝わり、桂蔵坊を祀った稲荷神社が久松山の中腹に建てられていて二ノ丸には稲荷神社の鳥居がありました。幕末に拡張された二ノ丸北端部からは久松山に向けて登石垣が続いていました。北端から二ノ丸を出ると角櫓跡の石垣を見上げながら右膳ノ丸を抜けて西坂下御門へ。唯一の現存門でしたが、昭和に大風で倒壊し、現在見られる門は復元されたものとされています。でも、福井地震で倒壊して再建された丸岡城も現存天守に数えられているんだから、形状が変わっているのでなければ「現存」としてもいいんじゃないでしょうか。

鳥取城跡・仁風閣展示館の展示を見学し100名城スタンプを押して、北ノ御門から出て内堀沿いを南にたどります。日もずいぶん傾いてきたので、この日は山下ノ丸だけで終了です。内堀南端の吉川経家公像越しに久松山を見上げつつ、次こそは山上ノ丸に行くぞ! との思いを強くしました。

今回は山下ノ丸だけでしたが、さすがは鳥取池田家32万石の居城、見事な高石垣が連なる城でした。その上に擬宝珠橋や中ノ御門など復元整備も進められていて、これからも注目ですね。

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todo94

年度末山陰の攻城・石見銀山編②の2 (2026/03/27 訪問)

石垣周りは藪化していて残念な状態だったものの、その先の郭や主郭はきれいに整備されています。特に眺望の説明板はありがたい限りです。矢滝城と石見矢筈城をセットで拝むことができました。15年前にくっきりと見えた三瓶山は山頂が雲に隠れていました。しんちゃんさんが言及されている畝状竪堀を探してみたのですが、よくわかりませんでした。空堀も熊笹が茂っていたので、おそらく熊笹の中に埋没してしまっているのではないかと思います。下城した後は、下河原吹屋跡に立ち寄り、重要伝統的建造物群保存地区にも足を伸ばしましたが、大久保間歩一般公開限定ツアー10:30の集合時刻に余裕をもって石見銀山世界遺産センターに戻ることができました。今回登城を見送った石見矢筈城と石見城は、60代のうちにチャレンジしたいと思います。

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赤い城

弾丸帰省の前に (2026/03/08 訪問)

3月になり暖かくなったので日帰りでの帰省をしてきました。
その前に尼子十旗の城へ行こうかな、と。
が、峠部分がまさかの冬用タイヤ規制😯
予報では気温も上がりそうだったので三次市の比叡尾山城で時間をつぶすことにしました。

熊野神社に車を置き、少し東側に進んだところの登城口から登ります。
登城路は綺麗に整備されており、急坂部分はあるものの歩きやすかったです。
途中、竪堀を見ながら登ると曲輪部分に到着。
まずは下に向けて段になった曲輪を降りてみます。
先端部から竪堀が落ちていました。

引き返し、虎口から広い曲輪を経て堀切に、深い堀切でした。
さらに進み、三の丸、二の丸を経てようやく本丸に着きました。
本丸には石積も残っています。
本丸背後、北の丸は広く、主郭を見上げると朝日が射していて綺麗でした。

もう少し散策、北の丸から北側に降りると北側の登城口に。
この辺りにも石積が見られます。
西側にも進んでみました。
こちら側は何条かの竪堀が守っています。
深さもあり見応え充分でした。

ちょっと寄るつもりでしたが意外な大きさ、三吉氏の巨大な山城、結構な時間を費やしました。
冬用タイヤ規制が解除されるには充分過ぎる時間、無事に日帰り帰省をしてきました。
お土産はかまぼこ、出雲名物の「あごの焼き」です😊

【見どころ】
 ・西側の竪堀群
 ・南尾根、曲輪を隔てる堀切
 ・主郭の石積

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宗春

新しく発行された続日本百名城カードを頂きに行こう② (2026/03/29 訪問)

続日本百名城カードの第4弾が発売になったので、近場の2城を日帰りで巡ってきました。
後半戦は忍城。

こちらも過去に何度も訪れた事がありますが、駅から遠いのが難点ですね。丁度良い時間のバスも無いため持田駅から歩きました。過去に訪れた際に気付いていなかった高麗門を拝み、桜の切り絵御城印を入手しました。
こちらの桜も満開には程遠い感じでしたが、御三階櫓と桜を撮影してきました。

帰り道、羽生駅近くの食事処で昼食を取るつもりでいたのですが、準備中の札が。以前忍城に来た時にふらっと入ったその店で食べた唐揚げをまた食べたかったのですが、残念。仕方なく近くの喫茶店で普通(以下)のカレーを食べて帰りました。まあ、山盛りのサラダとドリンク付きで900円ならまーいーか。アイスティー薄っすかったけど、まーいーか。

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宗春

新しく発行された続日本百名城カードを頂きに行こう① (2026/03/29 訪問)

続日本百名城カードの第4弾が発売になったので、近場の2城を日帰りで巡ってきました。
前半戦は菅谷館。

過去に2度ほど訪れているので、駅からのルートは記憶していました。今回は急ぐ必要があったので、武蔵嵐山駅からレンタサイクルを利用しました。電動アシスト付きが4時間で500円。ならば杉山城にも足を伸ばしたいところでしたが、時間が無く断念。小川和紙を使用した、春の御城印と墨絵調の御城印を入手しました。各200円、安くて助かります。売店の方が桜も綺麗ですよと言っていましたが、桜にはまだ少し早くて残念でした。

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朝田 辰兵衛

京都はんなりポチめぐり④ (2026/03/20 訪問)

小泉城のマーカー位置は,阪急京都線の西院駅から,約500mの距離です。スーパーフレスコ西院店となっており,遺構は消滅しています。Googleマップで検索をかけると,裏通りの住宅地を示していましたが,どうも撮影するには状況がマズかったので自重しました。
とりあえず,西院春日神社と西院小学校を撮影しましたが,撮れ高不足が否めないので,大山崎駅で撮影した阪急電車を加えます。

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駿府城

20260331 第70回静岡まつりを開催します!

春の訪れとともに、静岡市の一大イベント「静岡まつり」の季節がやってきました。
今年の「静岡まつり」は、4月3日(金)から4月5日(日)までの3日間、駿府城公園を中心に、華やかな催しが繰り広げられます。圧巻の「大御所花見行列」や、幻想的な「夜桜乱舞」など、見どころ満載で、街中が活気に包まれます。
そんな賑わいの中、ひと足踏み入れると“時代をさかのぼる体験”ができる特別な場所があるのをご存じでしょうか。駿府城公園内・大演舞場では、『幻の駿府城復活』と題し、駿府城VRの予告編を本イベントで初公開いたします。
現在整備を進めている駿府城跡天守台野外展示のガイダンス施設内での上映を予定しているもので、6月より制作を開始し、3月中旬に完成したばかりの“できたて”の最新映像です。
※上映スケジュールは添付写真をご覧ください。
静岡まつりにお越しの際は、ぜひ大演舞場へお立ち寄りいただき、“幻の駿府城”を体感してください。

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イオ

山下ノ丸めぐり(天球丸~二ノ丸) (2025/11/01 訪問)

(続き)

天球丸に行く前に案内表示に従って天球丸下段の曲輪へ。鳥取城の定番スポット、天球丸の巻石垣です。写真では何度も目にしていましたが、実際に目にする球面の石垣はやはり目を惹きますね。この曲輪は庭園だったようで石組みの水路が縦横に走っており、南東隅には楯蔵と呼ばれる平櫓があって南東辺は一段高くなっていました。

そして天球丸へ。翌日に登城予定の若桜鬼ヶ城城主・山崎家盛の正室だった池田長吉の姉・天球院が山崎家を去って移り住んだ屋敷があったことから天球丸と呼ばれているようです。広大な曲輪ながら建物は遺っていませんが、南東隅に光政期に建てられた三階櫓の礎石と、焼失した三階櫓跡に江戸後期に建てられた武具蔵が発掘調査により確認されていて、出土状況が平面復元されています。天球丸は山下ノ丸の最高所に位置するため城内・城下を見渡す眺望が開けており、巻石垣の上面も見ることができました。

続いては二ノ丸へ。表御門を抜けて二ノ丸に入ると左手に菱櫓の石垣が続いています。かつての二ノ丸は南東隅に菱櫓(と走櫓)、南西隅に三階櫓が威容を誇っていて、現在はそれぞれ櫓台が遺るのみながら、二ノ丸三階櫓には木造復元計画があるそうなので、こちらも楽しみなことです。三階櫓北側の裏御門には門の礎石が遺っていますが、まだ裏御門からは出ずにもう少し二ノ丸をめぐってみましょう(続く)。

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todo94

年度末山陰の攻城・石見銀山編②の1 (2026/03/27 訪問)

矢滝城からの転戦です。当初は矢滝城から石見矢筈城を攻略する予定でしたが、中国自然歩道の石見銀山街道が通行止めになっているなど、攻略がかなり困難な様子でした。あれこれネット検索をしていて大久保間歩の一般公開限定ツアーを発見してしまい、催行2日前に電話にて電撃予約を完了できましたので、矢筈城攻略は今回は見送ることにしました。ツアー集合時刻10:30の前に山吹城を再訪した次第です。集合場所の石見銀山世界遺産センターに駐車しましたが、3箇所の駐車場の中では、最も山吹城から遠い駐車場です。時間にはゆとりがあったので、2km超の道のりも全く問題になりません。矢滝城同様、国の史跡で世界遺産の構成資産に指定されている城ですが、15年前に登城した時は、長い階段のコンクリート板がぐらついていてかなり厳しい登城でした。今回、再訪してみると、コンクリート柱とコンクリート板の基礎が盤石なものになっており、その上にプラスチックというかラバー製のような階段が延々と設置されていてびっくりしました。ただ、石垣周りは藪化してしまっていて、15年前の方が石垣は見やすい状態でした。因みに西本寺の門は山吹城の遺構ではないようですね。一応、今回も写真は撮ってしまいましたが。

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にのまる

城友様と。 (2026/03/01 訪問)

一度やってみたかった“天守台のベンチで待ち合わせ”。
城びと冥利に尽きる、城友様と江戸城散歩のスタートです。

まずは見どころ盛りだくさんの東御苑内を散策。
そして昼食後に内堀一周。(こんなこと親しい友人とでもなかなかできません。)
鉢巻石垣を辿り、目を凝らしてみると葉陰に櫓台が!見えていないものを見つける視点。さすが眼力が培われていらっしゃいます。
話は尽きず、ほかのお城の情報もいただけ、楽しく有意義な時間が過ごせました。

初対面なのにそんな感じがしなかったのは普段からの城びと投稿欄の居心地のよさ故だと思います。
そして“江戸城のここが好き”を遠慮も忖度もなく喋れる気持ちよさ!
あっという間に時間が過ぎてしまいましたが、ほんとに楽しかったです。ありがとうございました。

✳︎10枚目の写真は2年前、一ツ橋門の下に落ちていた自転車です。

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dougen

2025.4.26登城 (2025/04/26 訪問)

JR下溝駅から少し南下すると相模川沿いの遊歩道に降りることができます。
遊歩道を歩いていくと「上磯部の土塁」の解説板があり、土塁が確認できます。
ただし、磯部城址はさらに南下した能徳寺や御嶽神社とされています。
なので、土塁は城址の土塁というより、外郭を守る防塁だったのかと思います。
磯部城址は、宅地化され遺構は残っていませんが、御嶽神社の由緒書きに城址の解説が記載されています。

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たか

ここもまた良い石積み (2026/03/23 訪問)

皆さんも書かれている通りここはミーグスク(新城)とクーグスク(古城)で構成されています。
ミーグスクは切り石積み、クーグスクは野面積みとなっています。

城への入り口前に駐車場もあり非常に攻城しやすいところだと思いました。
ずっと進んで行くと畑があり、そのわき道を進むと知念按司の墓があります。
となりにウファカクの説明がありここは水に恵まれて沖縄の稲作発祥の地だと記されていました。

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たか

火災後は初めて (2026/03/23 訪問)

本当にお久しぶりの首里城です。
思い返せば火災になってから行ってませんでした。
今年に復旧工事が終わるとのことで…
地元の方々や工事に携わっている関係者の方々の熱意や思いに胸が熱くなります。

東のアザナは以前から行ってるので今回は西のアザナへ。
こちらもなかなかの絶景です。
しかし平日なのに観光客の多いこと。
駐車場も停めるところがありません。
離れたところ(民間の空き地?)に誘導されてそこから向かいました。

残念なことに世界登録25周年記念の沖縄グスク巡り御城印が首里城売り切れ…
他のところは買えたのに…
仕方なく他の御城印と100名城のスタンプを押して終了。
再度修復したら御城印を求めてまた攻城しようと思います。

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たか

重要な関所的なグスク (2026/03/23 訪問)

南北に首里城と中城を結ぶ道の高台にあります。
説明の通りで行きますと現在、祠のある場所が周辺観察のための櫓台だったとのこと。

民家のある西側から車で登ったところ夜中に降った雨で下がぬかるんでおり途中でスタック。
しょうがなく惰性で降りてそこから攻城しました。
実際には説明板の前が広く駐車場になっているため晴れていたらよかった。
大きなノッポの一本木がとても印象的でした。

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たか

これは見事!感動モノの石積み! (2026/03/22 訪問)

伊波グスクの後に時間的にどうかなと思いつつ向かいました。
手前が公園になっており見ると駐車場のところに鎖が…
時間を見ると17時をまわっておりあきらめかけたところ公園に家族で遊んでいる外国の方々が!
よく見ると公園に向かって右端に駐車場がありました。
早速駐車して攻城開始!

最初は公園側から登るとあまり感動がわかなかったのですが上り詰めると巨大な岩と石積みで形成されたトンネルがあり、そこを抜けると断崖の岩場と石積みが琉球ならではの曲線美を描いています。
その下を覗くと闘牛場があります。
時間もだんだんたってきましたがこれは闘牛場から見たいと思い、戻ってぐるりと公園をまわりました。
そうすると立派な石積みが目の前に!
これは素晴らしい!
先程の芝生の公園からのギャップに萌える攻城でした!

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駿府城

「駿府城跡天守台野外展示VR映像完成試写会」を開催しました!  

3月24日(火)に、コミュニティホール七間町にて「駿府城跡天守台野外展示VR映像完成試写会」を開催しました。
静岡市では、駿府城という文化遺産を未来に受け継ぐため、徳川家康公が築いた天守台の保存・修復をはじめとする野外展示事業を進めています。2024年度にVR 映像制作に係る寄附を募ったところ、多くの皆さまからご寄附をいただきました。
このたび、皆さまのご協力によりVR映像が完成し、感謝の意を込めて寄附者の方々を招き、試写会を開催しました。本映像は、現在整備を進めている駿府城跡天守台野外展示のガイダンス施設内で上映を予定しているものです。昨年6月より制作を開始し、今月中旬に完成したばかりです。試写会当日は、映像の見どころや制作背景、注目してほしいポイント、史料・考証で苦労した点などについて紹介を行いながら、完成したばかりのVR映像を一足早くご覧いただきました。
今後、ガイダンス施設内のVRシアターでは、映像に加え音響や空間演出が組み合わさることで、より一層の臨場感を体感していただける予定です。施設のオープンは令和9年度を予定しております。完成の際には、ぜひ現地に足を運び、新たな駿府城の魅力をご体感ください。

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トク

【大友宗麟】(8)毘沙門岳城(龍造寺VS大友の戦い) (2026/01/31 訪問)

大友宗麟、高良大社からの続き(8)です。

高良大社の社殿の背後には「杉ノ城」がありました。そして、さらにそこから30分程歩いた山頂にある「毘沙門岳城」(標高312m)まで登って来ました。

高良山は、元々は南北朝時代に、南朝方の懐良親王が入ったのが始まりとされ、その後は代々の座主が治めていたようす。そして戦国時代に入り、大友氏は4度ここで陣を敷いています。

1度目は、1534年に宗麟の父である大友義鑑が、ここを拠点に菊池氏を攻め菊池本城(守山城)を奪い取り、肥後を平定しています。それ以降、大友氏は座主を保護し、良好な関係にあったようです。

2度目は前々回お話しした、1565年の多々良川の戦いの時です。立花道雪率いる主力軍は、多々良川で毛利軍と対峙します。宗麟は後詰として、ここ高良山に陣を敷いています。

3度目は、1570年の龍造寺攻めです。大友宗麟は、台頭してきた龍造寺隆信を抑えるため再びこの高良山に本陣を敷き、村中城(=佐賀城)を5万の大軍で取り囲みます。対する龍造寺軍はわずか5千、数の上では10倍、圧倒的に大友軍有利です。それに油断したのか、先鋒を任された大友親貞は、今山の戦場で前祝の酒宴を開きます。それを見た龍造寺家老の鍋島直茂が何と大友軍を深夜に奇襲! 大友軍は予期せぬ大惨敗を喫してしまいます。

4度目は、耳川で大友氏が島津氏に敗れた直後の1584年、柳川城の蒲池氏は弱体した大友氏を見限って龍造寺氏に寝返り、大友領に侵攻します。これを知った立花道雪は、病を押して立花山から出陣、高良山に陣を敷きますが、何とここで病が悪化し、亡くなってしまいました。道雪はよほど蒲池氏が憎かったのか「我が死体に鎧兜を着せ、頭を柳川に向け高良山に埋めよ!」と言い残しますが、宗茂がそれでは首が敵に奪われてしまうため忍びないと、遺体を立花山に持ち帰ったそうです。おそらく道雪は写真①②の場所に埋めてほしかったのだろうと思います。

大友の後は、1586年に北上する島津忠長(義久の叔父)4万の軍勢が同じくここに陣を敷き、勝尾城に籠る筑紫広門を攻めます。勝尾城を攻め落とすと、次に忠長は岩屋城に籠る高橋紹運を攻め、岩屋城を攻め落としますが、頑強な抵抗に会って大損害を出してしまいます。その後、立花城を攻めますが宗茂の抵抗に会い、秀吉の援軍がきたため断念し撤退しました(写真⑩)。

そして1587年には、豊臣秀吉が九州征伐の途中に中腹の吉見岳城に入り、龍造寺家政(隆信の嫡男)と謁見したとの記録もあるようです(写真⑨)。神宿る高良山は見晴らしだけでなく、武将にとっても縁起を担いで陣を敷いた場所なのかもしれませんね。

毘沙門岳城は、Y字型に曲輪が築かれ、その下には数本の竪堀と、大きな横堀が残っていました(写真③④⑤)。また杉ノ城とは多くの切堀で遮断されており、攻めるには難しい城だと感じました(写真⑥⑦⑧)。

私は展望台から、龍造寺領であった西の佐賀平野や、大友領であった北の立花山を眺めてみました。くやしさをにじませ撤退した大友宗麟や、ここで未練を残して亡くなった立花道雪は、さぞかし無念であったろうと思いました。

次は、大友家の全盛期を支えた(大友館)に続きます。
 

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