道の駅に行ったところ、展望台があり、遠望しました。道の駅の中にも、展示がありました。
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2026/09/21 23:14
道の駅から、眺めました。 (2026/09/21 訪問)
道の駅に行ったところ、展望台があり、遠望しました。道の駅の中にも、展示がありました。
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2026/09/21 21:33
本丸近! (2026/09/21 訪問)
お城の写真たくさん溜まってるんですが、先に今日七尾城行ってきたんで、忘れないうちに投稿します♪
七尾城は畠山氏によって170年間支配されていましたが、後に上杉謙信によって落城し、後に前田利家が城主となりました。
車で上まで上がったおかげか、入り口から本丸まではすぐに辿り着きました。入り口には早速堀切があり、調度丸に入ると早速あの定番の石垣に出会えます。一部能登半島地震で崩れたようですが、ほとんどが綺麗に残っていました。
その後遊佐氏館跡を過ぎて、本丸に向かうと本丸3段石垣が見られます。これがほんとに綺麗でした。
本丸には神社が建っており、本丸からの眺めは上杉謙信から聞いてはおりましたがほんとに綺麗ですね!
その後本丸外枡形石垣を見ました。野面積みの石垣が昔のま
ま残っていました。
別の投稿で本丸以外の魅力を紹介します。続く
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2026/09/21 21:06
高安山城 (2018/12/29 訪問)
松永久秀の河内進出の拠点であり信貴山城の出城。
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2026/09/21 19:32
歴史あるトイレ‼️ (2026/05/30 訪問)
本丸御殿をじっくりと巡り、廊下でつながっている家老詰所へ。と、その奥には、、、何と昔のトイレが‼️ こんな風になってたんですね〜😱
富士見櫓や中ノ門堀跡・土塁は少し分かりにくい場所にありますが、そこは見どころ食べどころ満載の川越の城下町を堪能しながら巡ってみてください。もちろん神社もたくさんあり、御朱印好きにもたまりません。
富士見櫓跡の看板にあるQRコードから、ぜひ歴史の変遷を体験してみて❗️
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2026/09/21 19:10
2026/09/21 16:58
2026/09/21 16:30
2026/09/21 16:28
15年振りの登城 (2026/09/07 訪問)
鳥取帰省の帰路、今話題のNHK大河ドラマ豊臣兄弟放映中でも有り通常は草津JCTより新名神に入るのですが、名神、北陸道経由で長浜城へ寄りました。出来たら売店で「ぶらり豊臣秀吉・秀長ゆかりの城めぐり、御城印情報付き」ぶらり戦国武将の城シリーズ著者佐藤強志氏が有ったら買い求めたいと思って居ましたが、天守閣展望の長浜城歴史博物館は月曜日休館! 大変がっかり。
車は長浜市豊公園駐車場を利用、2,3時間は小型車無料でした。
駐車場より、長浜城御殿跡碑、樹間より天守閣が覗いてる、本丸跡碑、天守閣南東角、天守閣南面、石垣虎口から天守閣の眺めて上段へ、人が少ないなと思いながら長浜城歴史博物館に近づく閉まってる、月曜日は休館でした。有名どころですから開いてると思って居たのですが、よく調べていませんでした。裏側の琵琶湖沿いに廻って太閤井戸跡碑を確認、所々豊臣博覧会の幟も懸っている。ブラっと回って昔泊まった長浜グランドホテルへ行って見たら、様子が変わってリゾート&スパに代ってリーズナブルなリゾートホテルに変わって、夕刻からのお客さんで時間待ち大勢の人で混んで居ました。奥に豊臣博覧会の大パネルが鎧兜と大河ドラマパネル一緒に飾って有りましたので撮影。
1時間半ぶらついて帰路浜松へ。
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2026/09/21 16:27
2026/09/21 08:25
とことん一乗谷(小見放城) (2026/04/12 訪問)
小見放城(こみはなちじょう・福井市城戸ノ内町・城びと未登録)は、一乗谷城の大手口を守る出城として朝倉氏によって築かれたと考えられますが、築城時期など詳細は不明です。
一乗谷史跡公園センターの駐車場から登城開始。一乗谷城への馬出ルートをたどり、砂防ダムを過ぎたあたりの登城道沿いに小見放城の案内表示と説明板が立てられていて、そこから右手の斜面を登って行くと巨大な堀切に行き当たります。倒木で見づらくなっていますが、幅も深さもある見事なもの。さらに東端の土塁で堀底を分岐させて主郭の櫓台から横矢が掛かる造りになっています。主郭からは西に三段の曲輪を連ね、各曲輪間は斜面を活かした切岸により防御しています。西最下段の曲輪には苔むした礎石群が見られ、宗教施設の存在が想定されるようです。最下段の曲輪の南面には竪堀を落としていました。ほぼ未整備の小さな出城ながら、尾根を完全に断ち切る堀切と高さのある切岸は見応えありです。
最下段の曲輪から北側に下っていくと馬出ルートの登城道に出るので、馬出地区まで戻って今度は分岐を南へ。一乗谷の屋敷地と思われる馬出地区、上殿地区を抜けて小城に向かいます。
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2026/09/21 07:00
和歌山県 (2026/08/14 訪問)
中はホテルだったので残念です。
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2026/09/21 06:57
三重県 (2026/08/14 訪問)
人が結構多かったです。
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2026/09/20 20:04
台風の影響ありましたが,無事上陸…🌀 (2026/09/19 訪問)
台風の影響で寸前まで🛫運行を検討。出発が遅れましたが,無事に対馬上陸。玄界灘の気流とやらが厄介だったようです。オカゲで,対馬空港着陸時にはなかなかのアクティビティ感がありました…<苦笑>。
厳原までバス移動。まだIC化されておりません。【710円】です。ジビエの食べれる食事処は15:30閉店に変わっておりました…<泣>。
よく考えてみたら,清水山城の登城口は,厳原の東横インからは目の前。1時間ちょっとで帰って来れそうだったので,小雨でしたが決行しました。
厳原港の監視は,山頂部よりも三の丸からのほうが切迫感がありました。不審な船が入ってきたら…と想像すると,着岸して数10分で敵兵来襲をリアルに想像できます。
三の丸虎口は平虎口。二の丸虎口は枡形構造でしたが,一の丸の虎口は前と後ろの二重構造という面白さがアリ。
今回は,PCを持参して遠征中。
昨日の分は整理がついたので,厳原の東横インから投稿します。本日は晴天に恵まれ,金田城のリベンジも果たしました。よって,長岩城クリアで,赤色かるた54城の攻城達成です。来年2月計画中。12月の横浜EXPOで,長岩城の有効な資料を入手しようと思ってます。とりあえず,現状でも資料をそろえておりますが…。
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2026/09/20 16:29
城びと未登録の城 光明城 (2026/09/19 訪問)
光明城は539mの光明山山頂部にあり、もともとは高僧行基が開いた山岳寺院光明寺を今川氏が接収して山城に改修したのが始まりいわれています。今川氏没落後は武田氏に支配されていましたが、二股城奪還作戦に於いて、本多忠勝、榊原康政らによって攻め落とされ、二俣城主となった大久保忠世に預けられていましたが、武田氏が滅亡すると城としての利用価値がなくなり、廃城になったと考えられています。
城跡は江戸時代に入ると光明寺が再建され昭和6年まで存続しましたが、火災に見舞われ周辺の森林と共に焼け落ちています。現在城跡に残る石垣は昭和6年まで在った光明寺(現在は移転されています)の石垣ですが、折れのある石垣(画像8)などがあり横矢がけられるようになっており、そのまま城として利用できそうです。また、本丸部の石垣は3m程の高さがあり見応えがあります。
今回は行きませんでしたが、画像7を奥に進んで行くと曲輪跡(石垣はなし)と堀切、5人塚があります。
この城への訪問は10年ぶり2度目の訪問で、国道362号線を北上すると光明山遺跡の看板があり、国道から離れ案内のとおり林道を6kmほど進んだ先に城跡はあります。
10台程停められる駐車場もあり、利用しませんでしたが古いトイレもありました。林道は舗装されていましたが、落石や倒木などが目立ち、十分注意して行かれるとよいでしょう。
光明城は10年前に訪問させていただいた時よりも整備されており、綺麗になっておりました。光明山遺跡保存会の皆様に感謝です。
あっ書き忘れてしまうところでしたが、本丸からの眺望は(画像10)本当に絶景です。無料の望遠鏡で眺めることもできます。この絶景は一見の見る価値ありです。
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2026/09/20 16:29
惚れ惚れする重層石垣群 (2026/09/07 訪問)
復元された中ノ御門枡形裏より太鼓櫓石垣台、二の丸走り櫓石垣台、菱櫓石垣台、天球丸石垣を望むと重層した石垣群が聳えて眺望でき、いつもながら惚れ惚れ見とれてしまいます。
この石垣群は昭和18年の鳥取大震災で崩落し戦後昭和30~40年代頃シンボルの二の丸三階櫓台、その後二の丸大菱櫓台、走り櫓周り、表御門石垣台周りが復元されて、平成に成って天球丸石垣周り、太鼓櫓台石垣、天球丸巻石垣、天球丸下楯蔵台石垣周りが復元修復され、鳥取大震災から60年掛かりの修復復元の成果を見て居ります。
20年前の平成18年に幕末の姿を甦らせる鳥取城復元30年計画が作られて、現在復元した擬宝珠橋、中ノ御門枡形が遅れていますが初期10年計画の成果です、残り太鼓櫓が完成すると10年計画の完成です。
後に11~20年計画で二の丸走り櫓、菱櫓、21~30年計画で二の丸三階櫓の完成でファイナルです。
北御門を抜けて駐車場へ、途中の二の丸三階櫓台、城代屋敷元野球場現博物館西側の内濠石垣が草刈整備されて居ましたので掲載、内堀南側、内濠から見上げる久松山も掲載。
最後に家内の要求で、50数年帰省したが鳥取砂丘の駱駝に乗ってないと言われ砂丘へ、家内の駱駝騎乗の写真は掲載できませんので、鳥取砂丘馬の背写真を最後に掲載します。
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2026/09/20 15:19
城びと未登録のお城攻め「礼羽氏館」。 (2026/07/04 訪問)
「騎西城」のある加須市に『礼羽』という地名がありました。
『らいは』と読みます。最近のキラキラネームみたいです。
グーグルを広げると「礼羽氏館跡」「礼羽館跡」「礼羽陣屋跡」と道沿いに3カ所、興味深い館跡。
礼羽氏って誰?という理由で、この道を通り抜ける事とし、車をスタートさせます。
住宅とまばらに畑がある道沿いに「礼羽氏館」はありました。アパートの館名板と同じ角度で標柱があった為に通り越してしまいました。
和田 義盛さんの三男、義秀さんと戦い討たれた御家人の中に、礼羽 連乗さんのお名前があるそうです。
どーしても、アパートにしか見えません。
礼羽氏ってどんな方だったのかな?
この先にも、標柱がありました。
手入れのされた松があるお宅に、『礼羽誌略』という標柱。このお宅の中に、誌略として礼羽氏の事も記載されているかもしれませんね。
最近、市町村の合併にともない、変わってしまった地名が多いです。
素敵な由来が多いので、なるべく残してもらいたいと思った「礼羽氏館」通り抜けドライブでした。
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2026/09/20 10:03
真夏の高遠城は。 (2026/08/31 訪問)
高遠城といえば桜のイメージだったので、行くなら春(または遺構が見やすい晩秋)がいいと思い込んでいたのですが、ふと、夏の高遠城ってどんな感じなんだろう?という思いが湧き、そうなると行ってみたくてたまらなくなったので、18きっぷ(5日間用)の1日目に出かけてきました。
飯田線の伊那北駅からJRバスで高遠駅で下車。
初めて高遠城に行った8年前、この「高遠駅」が鉄道の駅ではなくバスターミナルだということになかなか気づけず、なぜ鉄道路線図に載っていないの?乗換案内に出ないの?と疑問だらけだったことを思い出しました。
高遠駅から高遠城に向かう道はとてもすてきな城下町です。町並みも落ち着いていてきれいだし、景色も素晴らしくて心が豊かに暮らせそうな城下町だなと感じました。
そして桜も紅葉もない真夏の高遠城がどうだったかというと、大手坂石垣も目を凝らせば見えたし、園内通路も歩きやすくて、思っていた以上に快適でした。見どころの二の丸の空堀も夏真っ盛りで緑がもさもさなのに埋もれていなくてはっきりとわかるのがびっくりでした。
南曲輪では発掘調査をしていらっしゃいました。現在のような公園になる前の、江戸時代末期の庭園の痕跡を調査し、かつての高遠城の姿を目指して整備事業に取り組んでいるそうです。
この日は月曜日で歴史博物館や絵島囲み屋敷は休館でしたので、帰りのバスまでの時間に「高遠なつかし館」と「旧馬島家住宅」を見学しました。
「高遠なつかし館」は調律済みの足踏みオルガンを弾いたり展示物に触れたりできます。昔の農機具などとともに、私が子供の頃に使っていたものや実家にまだあるものが資料として展示されているのを見ると複雑な気持ちになったりもしますが、昭和遺産も個人で保管し続けるのは大変なので、誰もが見て触れることができる施設は日本の未来のために必要なのだろうなと思いました。
「旧馬島家住宅」は高遠藩の御殿医、馬島家の屋敷です。他に誰もいないのをいいことに上座敷でくつろいだりなど、自由に過ごさせていただきました。
ということで、高遠城は真夏でも楽しめるお城でした。
最後に余談?ではありますが城内のトイレ🚻の数がすごく多かったです。数えてはいませんが、ここにもそこにもあっちにもこっちにも。トイレの多さも印象に残っています😊
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2026/09/20 08:15
本丸と城下 (2026/04/12 訪問)
(続き)
金森長近公像から東に向かうと本丸石垣の上に越前大野城の石碑が立てられています。本丸東端には麻木櫓という二重櫓があったようですが、現在は休憩所の前に説明板があるのみです。休憩所の裏手に下りて行った先にある金龍院なる仏堂は、やはり金森長近に関係するものなんでしょうか? 金龍院の前の道を折り返して下っていくと本丸東面に麓まで続く竪堀があります。越前大野城には金森期のものと思われる竪堀が北面に2条、東面にも2条あるようですが、他の3条は藪に沈んでいて確認できませんでした。
越前大野城の石碑まで戻って、本丸城門跡(小さな石碑あり)を抜けて百間坂から下城します。百間坂は往時の唯一の登城道で、明治期に整備された際に堀の石材が用いられているそうですが…どこにどう用いられているのかよくわかりませんでした。南登り口近くの柳廼社には土井利忠が祀られています。境内にある池は堀の一部が残ったもので、南側に馬場と厩舎があったことからお馬屋池と呼ばれています。そして最後に城下から天守を遠望。大手門広場に「野」の字のオブジェが2つ設置されているのは何だろう? と思っていましたが、どうやら両手両足を横に広げて「大」の字を作って「野」の字の左側に立ち、天守を背景として写真を撮る映えスポットのようです。
そして、前回の城下散策で見落としていた七間清水をチェックして、家族に好評だった伊藤順和堂のいもきんつばをお土産に買って(そのために保冷バッグ持参)、亀山西駐車場に戻りました。亀山の反対側になるので、城下町に行くのであれば亀山西駐車場はおすすめできません。歩きでは遠かった…。
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2026/09/19 23:17
2026/09/19 22:49
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