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しんちゃん

「山家三方衆」田峯宗家菅沼氏の居城 (2020/03/29 訪問)

作手の奥平、長篠の菅沼、田峯の菅沼をして「山家三方衆」と呼ばれていた。東三河で戸田氏と並んでよく出てくる菅沼氏。どうやら田峯菅沼氏が宗家のようだ。彼らは奥三河の土着豪族で、徳川家康から対武田の重要な役割を担わされていたようだが、信玄公全盛期には早々と武田方に揃って寝返り三河遠江を転戦した。ただ、何と言っても信玄亡き後は、揺れに揺れて下克上を繰り返した。長篠の合戦後には、家臣の離反を受けて入城出来ず、甲斐まで一旦逃げて、夜襲して自らの城を取り戻した事件は有名だ。
縄張りは、さすが菅沼宗家だけあって立派な連郭曲輪群だ。本丸は休止中で立ち入れなかっが、曲輪一つ一つの呼び名に対しての解説柱が立ち楽しめる。特に井戸曲輪は面白かった。普通井戸があるが、ここには井戸跡がなく、掘っても水の出る地形でないため、天水を蓄える機能があったと考えられるとの事。何となくそれらしく掘ってあって面白い。

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ぴちょまる

千鳥ヶ淵 (2020/03/27 訪問)

自粛直前に寄ってみた。
九段下周辺は満開、半蔵門付近は散り始め。

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しんちゃん

鎌倉時代初期の山城 (2020/03/29 訪問)

鎌倉時代初期に築城され、戦国時代には既に廃城になっていたとある。居城主の設楽氏が岩広城にうつったと云われているが、三方を大千瀬川に囲まれた要塞で、二俣城に立地が似ている。本丸・二の丸・堀切・土塁・竪堀シンプルな縄張りだが、十分な規模と構造を有する。これだけ遺構がはっきりわかるようだと、最近になって十分な整備があったのだろうと感じるし、武田方が入ってないかなぁとも思う。本丸にそびえ立つ大黒杉は城郭があった頃からあったといわれており、趣きを感じる。以前、近くの別所城に行ったが、別所城は学校が建ってしまった事もあり、遺構がほとんど見たらなかったので設楽地域における貴重な文化遺産だ。
麓の集落には、市場跡など城にまつわる地名が残る。これだけ良い立地、鎌倉以降も何らかの使われ方はしてきたのではなかろうかと思う。

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🏯城好きのメガネ

「一宮城」 (2020/03/19 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
真清田神社の神職であった関成重が築城したとされる。関共成(成重の子)は、小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉に与力するも戦死する。その後、織田信雄の家臣である不破広綱が入城する。1590年頃に廃城となった。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR尾張一宮駅 徒歩10分

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🏯城好きのメガネ

「黒田城」 (2020/03/19 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
織田伊勢守信安の家老であった山内但馬守盛豊の居城である。1545年に山内一豊が生誕する。1557年、織田信長に攻められ黒田城は落城した。小田原征伐の功績により、一柳直盛が3万石で入り改修が行われた。関ヶ原の戦い後、一柳直盛は伊勢神戸に5万石で転封、黒田城は尾張を所領とした松平忠吉の支城となり、家臣の富田忠繁が入るが、廃城となった。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR木曽川駅 徒歩10分

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ヨコちゃん

日本三大山城 (2020/03/29 訪問)

日本三大山城の高取城へ。さすが「日本最強の城」と謳っているだけあって、圧巻の石垣群でした。天気がよければもっとよかったかもと思うとちょっと残念。。。

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じゅんじん

果樹園 (2020/02/23 訪問)

代車でしろめぐり。ここは近くのJAを利用させていただきました。途中お城への案内があり小高い丘ですが城址碑しかありません。

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じゅんじん

神社 (2020/01/25 訪問)

高台でした。神社となっており遺構は見当たりません。

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じゅんじん

駅前 (2020/01/25 訪問)

平山城址公園駅の駅前に城址碑と説明板があります。山の公園が見張り台だったとか。

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小城小次郎

平戸城

現存・再建入り混じって沢山の建物が建っているが、このお城のすごさはむしろ分不相応なほど幅広な大手門の石垣と大砲発射も可能な大きな石狭間などにあるのではないか。

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あかし

石垣山城とセットで! (2020/03/22 訪問)

2回訪れたことのある小田原城。
今回は石垣山城とセットで訪れました。
中は博物館のようになっており、小田原城の歴史を十分に楽しめます。

お昼ご飯は、小田原駅近くのRyoという海鮮料理屋で美味しい刺身定食をいただきました。

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🏯城好きのメガネ

「加納城」 (2020/03/19 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
加納城は、美濃守護代・斎藤利永が築城したとされる。長井利政(後の斎藤道三)が稲葉山城に居城を移すと廃城になった。関ヶ原の戦い後、徳川家康は、西国への押さえとして、天下普請で旧加納城を大改修した。本丸・二の丸・三の丸・南の丸等から成り、河川を利用して外堀とし、総構えの大手門を設けている。現在、堀・石垣・土塁が遺されている。

<アクセス>
JR岐阜駅 徒歩30分

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じゅんじん

難攻不落 (2020/01/25 訪問)

主郭は立ち入り禁止。下手すると死にます。やめましょう。見た目も怖かったです。

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じゅんじん

神社奥宮 (2020/01/25 訪問)

車は五日市駅駅前コインパーキングに駐車。細い踏切を渡って神社へ。奥宮前の階段が古城って感じでした。眺めはそこそこです。

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ヒロケン

難攻不落の城 (2017/05/01 訪問)

矢筈城は、1532年に尼子氏の武将草苅氏が築城した城です。1559年に草苅景継は尼子氏を離れ毛利氏についたが、1574年織田信長の勢力を恐れ、密かに織田方につきました。このことが、小早川隆景の知るところになり、景継は自刃し、弟重継が跡を継ぎ毛利氏に忠誠を誓いました。このことで、矢筈城は度々、羽柴秀吉や宇喜多直家に攻められましたが、その都度撃退し、一度も落城しませんでした。

矢筈城は郭、土塁、石垣、櫓台、竪堀、堀切が残り往時の様子を現在に残しています。

登城口は千磐神社からの登り口と美作河井駅からの二か所あり、いづれも駐車場は完備されています。自分は、千磐神社から登城しました。矢筈城は東西1600m、南北500mの壮大な山城で岡山県内でも最大の中世山城で非常に険しい要害の地にあり、登城口から本丸山頂まで2時間程掛かりました。矢筈城は西郭群(新城)と東郭群(古城)で構成され千磐神社から登ると西郭群に到達することになります。兎に角険しい登城路で行かれる方はそれなりの装備で行かれると良いかと思います。

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朝田 辰兵衛

五泉城(新潟県五泉市) (2020/03/28 訪問)

現在は,五泉八幡宮となっています。平城。社務所の前に「甘粕備後守城跡」の石碑があります。錦鯉が泳ぐ池があり,その周囲が土塁跡かもしれませんが,私には判断できません。しかし,一部の外側に当時のモノかな…という石積も見られました。積みなおしている感もありますが…。
そうそう,ここがパパイヤ鈴木氏の居城でした。

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井伊氏の支城 (2020/03/28 訪問)

 東曲輪から井戸曲輪、二の曲輪、本曲輪、西曲輪、南曲輪と散策しました。堀切、竪堀、土塁、切岸などを見ることができます。二の曲輪は本曲輪の東と西に表示があり2ヶ所あるのかと思いましたが、歩いてみると本曲輪の北側で一段低い所を挟んでつながっていました。
天竜浜名湖鉄道より徒歩にて約30分で登城口に着きます。城址は比較的整備されていて、曲輪の標識もあり概ね散策しやすい城址です。ただ所々倒木があり歩きにくかったり、シダ類が多く遺構が見にくい所もあります。

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しんちゃん

戸田宗光公最後の居城 (2020/03/28 訪問)

戸田宗光公を追って、高縄城→田原城→二連木城と連続でまわった。二連木城もまた立派な平城で戸田宗光公が力があった武将であった事がわかる。城は朝倉川沿いにあり、本丸跡は現在は大口公園に二の丸は老人福祉施設になっているが、外周を土塁と堀に囲まれていた事が公園内に残る遺構からよくわかる。
のちに、二連木戸田家を宗家とし、田原戸田家を分家として名乗っていく事になる。
あの有名な、竹千代誘拐事件を起こした戸田康光は戸田宗光を曽祖父に持つ宗家方のようだ。それでも後に一族は家康に仕え、生き残っていくのだから、戦国時代とは凄い時代だ。

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しんちゃん

田原戸田氏発祥の地 (2020/03/28 訪問)

戸田氏は氏族で各所で活躍していて勉強は難しいのだが、戸田氏中興の祖と言われる戸田宗光公がこの地に入って初めて築いた城と言われ、のちに渥美半島統一の拠点として田原城を築いて移った後も支城としておさめていたようだ。今は学校になってしまっており、今は工事中のために構内にある石碑も遠くからしか眺める事は出来なかった。学校の裏手には土塁が残っており、学校周辺との高低差を見ると、十分な城の機能があった事がイメージ出来る。城の南東にある大平寺はかなりの立派な寺で、瓦が葵の御門であった事から、戸田氏との関係も深いのではないかと想像する。

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🏯城好きのメガネ

「川手城」 (2020/03/19 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
美濃守護・土岐頼康が築いた代々の居城。応仁の乱により京が荒れ果てると、多くの公家が土岐氏を頼り寄宿した。そのため詩歌、蹴鞠、能楽など都文化の花を咲かせた。川手城は「革手府」と呼ばれ、土岐源氏の名声と実力は最高に至った。1494年、船田の乱で川手城は灰塵となった。その後、斎藤道三により土岐氏が追放されると廃城となった。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR岐阜駅 徒歩25分

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