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にのまる

キリトリセンどこ? (2025/02/15 訪問)

3年前の訪問時に樹木剪定のため立入禁止だったため再訪しました。
前回は長崎街道から坂を登って時計回りに左に行ったのですが今回は右に歩いて住吉神社から。
もしかしたら前回もこちらからなら行けたのかな?と感じたのですが……過ぎたことなのでまぁいいです。

坂を登ったというだけで充分にお城を体感できますが、素晴らしい眺望で城主気分も味わえました。

城址案内板に載っていた魅惑的な矢穴の石を探したのですがどこにあるのかわかりません。YouTubeに動画があったので見ながらさらに探したのですがどうしても見つけられませんでした。気になる……。

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赤い城

多くの戦いがあった城 (2026/03/01 訪問)

東京出張を後泊、この日は城友様と江戸城散歩です。
気になっていた城友様に思い切ってお声掛け、初めての対面です。
待ち合わせまで時間があるので椎津城へ行ってみました。

姉ヶ崎駅から徒歩で10分くらい、近くまで行くと案内板があるので迷うことはありません。
南側の登城口にパンフレットが置いてありました。
すぐに主郭があり、遊歩道が整備されています。
東側の曲輪には綺麗に土塁も残ります。
虎口から降りていくと大手口、こちらからも入城出来るようになっていました。

戦国時代には多くの戦いがあった城でしたが秀吉の小田原攻めで落城。
現在は静かな住宅地となっています。

2回目の登城だったのでサッと見る程度にしようと思っていましたが少し予定を超過、急いで城友様との待ち合わせ場所の江戸城へ向かいました。

【見どころ】
 ・主郭の土塁
 ・虎口

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天守無しがアツい

スタンプラリー版御城印 (2026/03/29 訪問)

日本100名城カードを買い損ねていたので再訪問🏯
御殿入口の売店で…御殿verと天守verの2種類買う

ここの御城印は6種類あり…前回の訪問にて通常盤のみ購入(一番安い)…その6種類以外にスタンプラリー版が200円で売られてる事を知り、通常盤より安いという事もあり購入…

5箇所のチェックポイントでそれぞれスタンプを押印…ただ御城印をいただくよりも、自ら御城印を作ってる過程を味わえる分…こっちの方がやり甲斐を感じた😂

日本各地の城を木造で復元したミニチュアもあり…その中で(城じゃないけど)新居関所も…浜名湖の側にある関所跡と聞いた事ある🏠箱根関所くらいしか関所跡は行った事ないので…チャンスがあれば行ってみたい

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T-Shionoya

美濃金山城 崩された石垣と枡形虎口 (2025/12/28 訪問)

昨年12月の最終週に訪れた1つ目の城が岐阜県可児市の美濃金山城。
11月のイベント「山城に行こう!」の際に中井均先生や加藤理文先生の解説を聴きながら歩いた城を、今回はじっくり探索。

可児盆地北東の比高約170mの山上に築かれた城で、北西麓を流れる木曽川には兼山湊を有し、南には東山道が通る要衝。

可児・加茂地域で権力を持った斎藤正義が1537年に烏峰城を築城し、1565年に織田信長家臣の森可成が金山城に改称。その後、長可、蘭丸、忠政に引き継がれ、改修も行われたことかと。1600年に森氏が信濃へ移り、金山が犬山城主石川氏の領地となると、天守などは犬山城の増改築に使用されたと伝わる。

現在は、左近屋敷跡が立入禁止だが、国指定史跡であり続100名城である城跡。

訪問時は中腹の蘭丸広場からスタートし、出丸を経て三の丸や二の丸の周囲をよく見れば、石垣跡と思われる石列を多々確認可能。堀の類はないが、通路の所々は斜面を横断する細いもので、敵の侵入を防ぎやすくしているのでしょう。

「山城に行こう!」での解説によれば、南腰曲輪への枡形虎口西側の石垣は、近代に積み直されているのだとか。また本丸虎口の枡形は正面の石垣直下に礎石があり、懸け造りの建物があったと推定されるとのこと。

戦国山城ミュージアムは休館日だったものの、入口前には金山城のものと伝わる城門を展示。
名護屋城ほどではないが、破城による石垣崩しの姿を残す、私の城郭巡りの220城目でした。

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はたけ

甲府城 (2027/03/25 訪問)

天守閣はないですが、いいです

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翡翠

20年ぶりくらいに (2026/03/27 訪問)

二条城久しぶりに行きました。姫路から京都までは新快速で出発。いつも車なので新鮮でした。初の地下鉄に乗って二条城前まで、唐門とても綺麗でした。二の丸御殿も見学して本丸御殿まで、本丸御殿は予約をしてなかったので中は見てないですが、天守台には行けました。

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100名城ビギナー

岩手県城巡り2つ目は (2026/03/22 訪問)

ライフワークにする!と決めた城巡りですが、今回の盛岡城で3城目ということで、まだまだとヒヨッコと言ったところですが、逆に言えば、これから、楽しむべき名城との出会いがたくさん待っているとも言えます。
前日、訪れた九戸城と違い、盛岡城は色々なタイプの石垣や朱色の橋が架かった空堀など、立派に城郭の体をなしていて、さすが「日本100名城」見どころも満載でした。
明治の廃城令ではそのまま残されることになったものの老朽化が著しく、殆どの建物は解体されてしまったそうです。
しかし、空濠や石垣、土塁はそのまま残され、現在は岩手公園として市民の憩いの場として愛されています。
また、高台の石垣の上から眺める名峰「岩手山」の雄大さには圧倒されました。
御城印(\300)や100名城スタンプは川(堀?)を挟んで隣接する「盛岡歴史文化館」で9:00-17:00に入手可能です。
また、戦時中の金属供出により台座のみが残されている南部利祥中尉騎馬像跡は案内版に詳細な説明が記されており往時の台座も含めた騎馬像全体を案内板に記載されてる当時の新聞で見ることができ、とても感動しました。
史跡であり、堂々たる雰囲気を備えるこの連郭式平山城は日本100名城の名に相応しいと、実際に訪れて見て感じました。

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november

3月最後の日曜日、桜満開🌸 (2026/03/29 訪問)

3月最後の日曜日に訪れました。神戸公園の桜は満開でした。シートを広げてお花見する人たち、池の鯉に餌をやる人たち、城跡の写真を撮る人たちなどで賑わっていました。

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ヒロケン

城館 (2026/03/15 訪問)

後山城は、銚子川の河口南側の山腹に東西60m、南北約60mの規模で築かれた平山城(城館)です。築城年代は不明ですが、鎌倉時代に伊勢神宮の荘園を治めていた息長氏の子孫が築いたとされています。
遺構としては、城域の東側にあり巨石を積み上げた水門跡と城の周囲に残る、こちらも巨石を積み上げた石積みが残っています。

この日、新宮城、京城に訪問後、「行ってみたい」城にしていた後山城を訪れました。(京城、後山城訪問目的でした)長泉寺と小山浦集会所の間の小道を上がっていくと、すぐに木橋があり木橋を渡った先に城址碑があります。城址碑の横を小道が通じていて、この先に城跡があるものと思い小道の先に向かって行きましたが、155号線に出てしまい「あれっ」て感じで城址碑まで引き返し、城址碑裏の雑木の中を目を凝らして見ると巨石を積み上げた石積みが。その石積みを辿って先に行くと水門があります。

ナヴィを小山浦集会所にセットし訪問したのですが、案内されたのが小山浦の集落の中を通るルートで小型車が通るには非常に狭い道が続いており引き返そうかとも思ったが、引き返すこともできず進んだ先に長泉寺があり、向かって左側に小山浦集会所がありました。
小山浦集会所の駐車スぺースに駐車し、事前調査しておいた駐車料金の箱を探しましたが、見当たらずそのまま城を訪れました。
訪問後、狭い道を通るのは気が引けたので、やや広い道を海側にに向かって200m程進んだところ、小山焼窯跡があり500円の料金箱とトイレがありました。

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戸田氏鉄 (2026/03/28 訪問)

 近くへ来たので寄ってきました。天守は四層四階の総塗り込め形式の白亜の天守であったと伝わりますが、昭和20年の空襲で焼失しました。現在の天守は実測図や写真をもとに昭和34年に建てられた鉄筋コンクリート造りの外観復元天守です。
 大垣駅からも近く気軽に行ける城址です。

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すのまた桜まつり (2026/03/28 訪問)

 木下藤吉郎が一夜にして築いたという城です。墨俣一夜城伝説は、現在では江戸時代に創作された物語という説が有力のようです。
ただ墨俣は古くから交通や軍事上の要衝の地であったのは確かで、秀吉の一夜城の伝説の真偽はともかく城か砦はあったようです。天正14年(1586年)6月の木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の大氾濫により城は流されました。その後の河川改修などもあり城の痕跡は全くありません。
現在見ることができる4層6階高さ約23mの模擬天守は約30年前、竹下内閣の「ふるさと創世事業」による1億円を元手に総工費約6億6千万円で「墨俣歴史資料館」として建てられました。大垣城の天守がモデルとなっています。
 この日は「大垣市すのまた桜まつり」が開催されていて多くの人が川沿いにある桜を楽しんでみえました。模擬天守には否定的な考えを持っていますが、桜には天守は映えますね。遺構もなく2度と来ることはないだろうと思っていましたが、桜がきれいだという評判に誘われて行ってきました。

 JR岐阜駅もしくはJR大垣駅からバスに乗り墨俣バス停下車。徒歩約5分で模擬天守に行くことができます。

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朝田 辰兵衛

京都はんなりポチめぐり② (2026/03/20 訪問)

物集女城は,阪急京都線の洛西口駅から,約900mの距離です。物集女城公園では先客がおりまして撮影できませんでした。また,物集女公民館は日祝閉館日。そもそも,ここは私有地につき立入禁止なので,撮れ高が不安になりました…。
しかしながら,物集女公民館近くに,「物集女町中条」という標柱を発見。そこには『戦国時代までこの地に物集女城があった。城を中心に,その周りに集落が形成され「城の中央大通り」という意味で地名になった』と。色あせており,写真では読みづらいのでここに明記します。6枚目の写真になります。

にのまるさん,昨年は5回も来県されたんですか…。私の上京回数が6回なので,とても驚きです。酒の陣,食の陣かな…?
イオさん,0泊3日は無茶すぎます…。そうそう,新潟から高田駅前までは,予約不要の県内高速バスが有効です。高田駅からは,えちごトキメキ鉄道を利用するのが,春日山城,鮫ヶ尾城にはいいのではないかと…。高田で1泊したほうがゆっくりできると思います。新潟から新発田,村上方面はJRを利用するのがいいと思います。

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ヒロケン

山城の機能満載 (2026/03/15 訪問)

京城は三重県紀宝町の中央を流れる相野谷川に支流の相野川が合流する相野谷川流域の要とも言える場所に築城された平山城です。築城された時代は、室町時代後半に新宮の支配から独立した地域の有力者によって築城されたと考えられています。(室町時代以前は熊野三山の荘園だったとのこと)戦国時代末期に新宮を拠点に紀伊長島付近を領した堀内氏善公で北山一揆が起きた際の対策として築城されたとも考えられていますが、詳細は不明との事です。

京城は、コンパクトながら東、北、西面に堀切、切岸、竪堀を配し、北側には30mくらいの長さで1mから2m程の高さの石積みが認められます。また、西曲輪群の西側にも堀切、竪堀があり、さらに東側斜面には二重の石積みがあります。中央曲輪群の北側には桝形虎口もあり小さいながら防御機能がすべて揃った城といえます。

先人達の投稿を拝見しても、感動、素晴らしい、見どころ一杯と高評価されており自分も「行ってみたい」城にしており、機会を窺っていましたが今回やっと行くことが出来、先人の皆様方の投稿通り素晴らしい遺構で満足しています。

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カズサン

驚愕の景観整備-搦手門周り編 (2026/03/22 訪問)

 令和7年度植生整備業務で景観整備された大手道を過ぎて本丸へ、本丸に入ると西土塁辺りがスッキリしてる、北に位置する搦手門の西側土塁側も大手道同様に樹木植生伐採去られスッキリ、西側土塁の北端櫓台?があたのかもと思させる土塁の幅も広い、土塁上に登り南北左右確認して、搦手門辺りの西側土塁北端部を南、東、北、西と観察、奇麗にスッキリしてよく法面が観察できます。
 50数年来初めての体験です。文化財課よく環境整備してくれました感謝です。

 本丸西側土塁の西側法面の鉢巻石垣、腰巻石垣、南西角土塁法面と植生整備景観整備完了していましたので後程頃合いをみて投稿させて頂きます。

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カズサン

驚愕の景観整備-大手道編 (2026/03/22 訪問)

鳥羽山城も二俣城と合わせて浜松市文化財課による令和7年度植生整備業務が昨秋より1月23日までなされ完了しております。鳥羽山城の景観整備は如何にと期待して登城、南の丸Ⅰ駐車場に入る時には、本丸、東の丸南切岸法面の樹木が程よく伐採されて法面がよく見えスッキリしてる。
 期待は膨らみ大手道へ一直線、大手道入口に入りドッキリ驚愕の植生整備、樹木草植栽が奇麗に刈られ伐採されて、築城当時はこの様だったのかとドキドキの体験、50数年前浜松に来て友達のオートバイに乗せてもらい鳥羽山城登城以来初めての体験です、びっくりです。
 奇麗ににスッキリした大手道、左右の東の丸Ⅰ、Ⅱ内部法面もスッキリして見通し良好、下から上から、左右と観察させて頂きました。
 東の丸Ⅰ東先端の土塁切岸が迫ってきて圧巻です、驚きの初体験。
 

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カズサン

令和7年度植生整備業務完了後観察スッキリしてます (2026/03/21 訪問)

 令和7年度の植生整備業務が1月23日ごろ完了予定と案内板に示されていましたので、スギ花粉が飛散する時期は城探訪を控えて居り1ヶ月も城探訪を休んでいると出掛ける機運、近場で二俣城へ、植生整備、景観整備で奇麗に成った二俣城に期待し登城。
 本丸搦手虎口辺りがスッキリしてる、本丸東側の土塁・石垣南北の樹木、竹林が伐採されてすっきりし奇麗に成っており、土塁・石垣がよく観察できる、大手道から土塁・石垣を見上げて残存石垣が良く分かる、まだ一部竹林は残って居ますがそれでも満足です。
 又二の丸と本丸間の境界石垣辺りと内部の樹木も伐採されて二の丸より本丸、天守台が良く見通せるようになっている、更に二の丸南土塁上も樹木伐採、南西の角も奇麗に伐採整備されていました。
 草木は伸びる前が見頃時でしょうか?

 その後期待をして、南の丸Ⅰ、西の丸Ⅰ、Ⅱを廻りましたがまだまだ樹木草木が茂り伸びたままでしたが、西の丸Ⅲの曲輪稜線が見上げると少しスッキリしたようにも感じました。この辺りは頃合いをみて投稿させて頂きます。
   
 

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Pylori

城の大きさと街並の素晴らしさに感激 (2025/04/28 訪問)

大きな水堀に囲われた彦根城 美しい石垣 城下町の風情
全てが素晴らしい さすが国宝!

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にのまる

名前のインパクトが! (2026/02/15 訪問)

福北ゆたか線筑前垣生駅から徒歩。
城主っぽい猫🐈さんはいらっしゃいませんでした。

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Pylori

石垣とお堀が整備された富山城 (2019/07/19 訪問)

さすが官庁街にある城址公園で整備されていました。

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トク

【大友宗麟】(7)高良山神籠石(高良大社登山道) (2026/01/31 訪問)

大友宗麟、名島城・多々良川の戦いからの続き(7)です。

筑後高良山は何度も大友軍が陣を敷いた場所です。その痕跡を探しに高良山へ登ってきました。でも大友の話は後日お伝えする事として、今回はまたちょっと脱線して、高良山と言えばやはり神籠石が有名なので、その様子から先にお伝えしようと思います。

「高良山神籠石」は、位置から考えた私の推測ですが、668年天智天皇が大宰府政庁に築いた「大野城・水城・基肄城」の防衛ラインと兵站の補給基地である「鞠智城」とのちょうど中間地点にあるので、補給路を守る役割と大宰府の背後の詰城的な役割も担っていたのではないかと思います。

しかし他の神籠石と異なるのは、一段で横一列にずらりと並べて置かれているという点です。大野城や基肄城などでは防御のための石垣的な役割があったと思いますが(山城説)、ここ高良山では、この囲まれた区域が神域である事を示すだけでなく、神聖な登山道が風雨で崩れないように道を守り、また登山者が道に迷わないように、石列に沿って登れば高良大社まで無事に辿り着きますよという、道標的な役割もあったのではないかと私は推測しています(神域説+道標)。

JR久留米大学駅から歩いてもいいですが、私は西鉄久留米駅から「竹の子」行のバスに乗り「御井(みい)町」で下車しました(写真⑩)。こちらの方が1km程近く、一ノ鳥居のすぐ前です。車の方は、一ノ鳥居からさらに高良大社まで直接行ける車道もありますが、あまり楽をして登ると御利益はないかも?(笑)。よって、二ノ鳥居の手前には、いちおう広い登山者用駐車場もある事をお伝えしておきます。

一ノ鳥居から10分程歩くと二ノ鳥居に着きます(写真①)。鳥居をくぐって、ここから400段の石段を登るのが、おそらく江戸時代に出来た正規の参詣ルートです。多くの登山者がそこから登っていました。しかし神籠石が見たい私は、二ノ鳥居の右側から細い道に入り、水門跡をぬけて神籠石に沿って大社まで登って行く自然遊歩道のルートを選択しました(写真②③④)。そして帰りは石段ルートで下山しました。

この1.6kmも神籠石が並ぶ道をずっと歩く遊歩道(登山道)は、とても壮観です。1350年前の大和時代から戦国時代までは、この道が正規の登山ルートだったのではと推測します。この神籠石の列は、山をぐるりと囲むように4kmにも渡って築かれているそうで、全部で1300個もの石が並べられていると書いてありました(いったい誰が数えたのだろう🤔?)。よくまあ大昔に、こんなにたくさんの大きな石を運んで、四角に削ってずらりと並べたものだと思います(写真⑤⑥⑦)。

そして石に沿って登る事60分、高良大社の社殿にたどり着く事ができました(標高約300m付近)。このような立派な社殿を整備したのは、江戸時代の久留米藩三代藩主の有馬頼利だそうです(写真⑧⑨)。

この先は、大友氏の痕跡を探しに、さらに高良山の山頂にある「毘沙門岳城」まで登ってみようと思います。
 

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