南北朝期に斯波義種が大野盆地を見渡す犬山頂部に築いた城で、室町中期には朝倉氏の大野郡支配の拠点となりました。朝倉氏の滅亡後、土橋信鏡(朝倉景鏡)が越前一向一揆に討たれると、一揆鎮圧の功により大野郡の3分の2を与えられた金森長近が入りましたが、翌年に越前大野城を築いて移ったことにより廃城となりました。
みくら清水近くの駐車場(無料・6台ほど)から登城開始。みくら清水は戌山城の水源として一日に三度(三くら)水を汲みに下りてきたことから、その名がついたんだとか。説明板のある登城口から10分弱で北西尾根の最初の堀切に到達。少し先に2条目の堀切、さらに進むと巨大な堀切と両端の竪堀で北西尾根からの侵攻に備えています。ロープをたよりに堀切を越えたところからが城域で、土橋のある堀切をはさんでいくつかの小曲輪が設けられています。北端の曲輪の東面と西面には畝状空堀群があるようですが、藪でよくわかりませんでした。小曲輪群の先は城内最大の大堀切と両端の竪堀が主郭部への侵入を阻んでいます。主郭部へと上がる前に北東尾根に行こうと主郭部の東側へと回り込むと、主郭部北面には幅も深さもある畝状空堀群が展開していました(続く)。
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