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しんちゃん

本丸石垣 (2025/11/15 訪問)

金山城は毎年オシロフェスのたびに行くことになると思います。もはやルーティンというやつですわ。大手枡形虎口と本丸枡形虎口は石造りで見ごたえが有ります。破城を受けたり、修復されたり時代によって形を変えていきますが、この先もできるだけ多く訪問したい。
しかし、あまり遠出が出来ない関係からか「いった」城が増えないな・・。とりあえず「めぐり」のリア攻めでも増やしていこうかな・・。

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じゅんじん

紅葉の駿府城 (2025/11/29 訪問)

iPhoneを替えたので旅行前に試し撮りを兼ねて駿府城へ。

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じゅんじん

ワッフル (2025/11/23 訪問)

山中城でワッフルと撮影でしました。

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じゅんじん

福島正則築城 (2025/12/05 訪問)

毛利への抑えとして福島正則が築きましたがすぐに廃城となりました😢 石垣が残り本丸からは工場地帯が見渡せます。

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いんげん丸虫

小村城 福井県小浜市 (2025/11/23 訪問)

標高220mの山城です。
主郭には愛宕神社として社がたっているので
登り道は整備されてます。案内看板があり、
そこに駐車可能です。獣避け柵を開け、つづら
折りに20分くらいです。
主郭から派生する尾根にきっちりと堀切が穿た
れてます。特徴的なのは西の曲輪のような緩い
斜面に尾根と平行するように畝状竪堀が3条
あるところですが、縄張り図と照らし合わせて
やっと確認出来るくらい薄くなってますね。

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イタさん

高麗山城 神奈川県中郡大磯町 (2025/12/08 訪問)

色々なHPに伊勢宗瑞(北条早雲)が、扇ヶ谷上杉氏と対立した際に取り立てたとある。その前にも戦のたびに陣を敷いたとも載っている。陣をおくには格好の要害のようだ。

周辺は幾つものコースがあり、特に湘南平から高麗山はハイカーが多い。湘南平から浅間山を通り、八俵山に着く。以前はここにもお堂が建っていたらしい。すぐ東に大きな堀切があり、少し先にやや小振りな堀切が現れる。やや登って高麗山山頂に着く。城の主郭とあり以前はお堂が建ち、大堂(上宮)と今も名が付いている。主郭の西の土塁状の上が最高点になる。土塁に見えるのはお堂を建てる際に削平した残りとも言われる。東寄りの石段を下れば東天照(とうてんしょう)の分岐がある。位置的には主郭から北東に下り、登り返せば尾根をやや削平した二郭(?)に出る。明確ではないが東側に堀切と言われる場所がある。少し下に東天照の案内板があり、東の展望台の役目を果たしていた。鎌倉時代は白山社があったとも。先は急坂で下っている。

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イタさん

山下長者屋敷 神奈川県平塚市 (2025/12/08 訪問)

住吉要害とも呼ぶらしい。説明板によれば、人物は特定しない。東西110m・南北110mの単郭方形で、屋敷址と土塁・空堀を残している。多くの伝説の一つに、仇討ちの曾我兄弟の兄・十郎祐成を助けた虎御前は、この屋敷の生まれとある。

案内板の立つ土塁跡しか分からない。西に50mの道路脇に水路を伴った藪(竹)があり、諸先人さんによれば土塁跡と載る。北に50mに東光寺・八幡神社があり、東光寺横に虎女住庵の跡と石柱が建っている。説明板に蘇我兄弟亡き後、出家し尼となりこの地に閑居したと伝わる。曽我物語には高麗寺の奥に籠もると書かれており、この地も高麗寺山下となっている。物語で言う地はここではないかと推定される、と載る。

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駿府城

駿府城跡天守台発掘調査現場最後の“休日公開”&限定ツアーを開催します!

駿府城跡天守台発掘調査現場では、野外展示施設の整備に伴い、令和7年9月末で土日祝の公開が終了し、12月26日(金)をもって平日の公開も完全終了します。そこで12月13日(土)に”最後の休日公開日”を特別に設けます。
今回、このラストチャンスに合わせて、限定ツアーも同時に開催します!普段耳にすることのできない、「発掘の裏側」や「最新の調査成果」を、現地で直接聞くことができます。

◆今回の限定ツアーの見どころ
※限定ツアーにご参加いただいた方のみでご覧いただけます。
・天正期の本丸石垣を新たに発見!
駿府城では天守台の調査以外で”初”となる歴史的発見です。
・慶長期本丸石垣の姿も明らかに!
徳川家康の居城・駿府城の新たな一面が見られる貴重なチャンスです。

◆開催日時: 12月13日(土)9:00~16:30(最終入場16:00)
限定ツアー(当日受付・無料)【先着順・各回20人/全8回/各回約30分】
10:00~/10:30~/11:00~/11:30~/14:00~/14:30~/15:00~/15:30~
※当日の状況により時間・回数が変更になる場合があります。
◆開催場所:駿府城公園(静岡市葵区駿府城公園1-1)駿府城跡天守台発掘調査現場
◆開催可否:少雨決行
※荒天等で中止の場合は12月12日(金)17時までに静岡市HPにてお知らせします。
◆対象者:どなたでも参加できます
◆料金:無料
◆申し込みの有無:不要 ※限定ツアーの参加者のみ、当日の受付が必要です。
現場説明会に参加される方は、当日、現場内の「発掘調査現場きゃっしる」前にて、各回1時間前から受付を行います。
これまでの調査成果が一気に見られる“特別な一日”。最後の休日公開となるこの日に、ぜひお越しください。

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赤い城

駅近物件 (2025/11/25 訪問)

倉吉に所用があり、少し早めに着いたので足を伸ばしました。
山陰本線の八橋駅に車を置き、すぐ近くにある説明板のところから登っていきます。
すぐに2つの曲輪に到着、東側の郭には石垣も見えます。
2つの曲輪の間は高くなっていて神社が鎮座します。
櫓台でしょうか?
この北側が窪んでいて虎口だったとされます。
西側の曲輪には僅かに石積が残り、酒井片桐飛行殉難碑が立っています。
城は山陰本線の南側まで広がっていましたが鉄道により分断、南側には遺構は無さそうです。

ここで見学終了しましたがどうやら曲輪の北側にも石垣があるようです。
事前確認が漏れてました😅

【見どころ】
 ・(一部見てないが)石垣

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todo94

三連休・山口県の攻城⑥ 山口駅から登城口まで (2025/11/23 訪問)

前日の蓮華山城でのダメージはありましたが、この日予定していた攻城をあきらめる気はさらさらありません。三連休の中日、献血の予約が取れるまでレンタカーの予約を入れずにいたら、徳山界隈のレンタカーはすべて満車となってしまいました。やむなく、JRで山口駅に向かいます。レンタカーが借りられなかった時点でこの日のターゲットは古城ヶ岳城のみに絞りました。県庁所在地の駅とは思えないほどさびれた山口駅のコインロッカーに荷物を預け、一の坂ダムを徒歩にて目指します。折角ですので、道すがら、洞春寺と瑠璃光寺には立ち寄っていきます。青空をバックにした国宝・五重塔は本当に絵になります。そして瑠璃光寺から40分ほどで一の坂ダムに到着。その先に進んだところにある登城口は、雑草が繁茂していて先に進んでいくことに不安を覚えます。

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しんちゃん

天守台と破城の痕跡 (2025/11/08 訪問)

天守台直下の伝本丸取付台は調査中で立ち入ることが出来ず、その先の遺構も確認することが出来ません。調査が進んで、早く安土城を自由に散策できるようになればと思います。荒々しい野面積みの石垣ですが当時の天下人に相応しい巨大な天守台です。
個人的には真に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉こそが最初の天下人と思っているのですが、日本の大半を支配下に治め天下統一に最も近かった織田信長も天下人と呼ばれているようです。三好長慶もそれ以前の天下人とされる場合もありますね。
天正13年(1585)に八幡山城が築かれ羽柴秀次が入城すると、安土城は廃城になり豊臣秀吉の命で石垣も崩されました。安土城は元々は観音寺城の支城が有った場所に築かれていて、戦略的にそれほど重要な位置に有るわけでもなく、天下人が秀吉に代替わりしたことを世に示す意味合いが大きかったようです。まさに破城もいろいろです。
家康ほどじゃないにしろ、秀吉も元主君の城に対して容赦無いですな。

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しんちゃん

本丸へ (2025/11/08 訪問)

織田信忠邸から本丸に続く石段をしばらく登って行き、伝・黒金門を越えて右折した先に伝・二ノ丸の石垣が見えてきます。
この二ノ丸跡が信長廟になっています。天守台の石垣の上は木々が鬱蒼と生え茂っていて、まるで密林の中の遺跡のようです。
う~ん、こんなんだったかな? 本丸周辺は立入出来る場所が限られていて三の丸や八角平方面には進むことが出来ません。天守台の上には登ることが出来ます。

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BUGTI

湯浅党本拠の城 (2025/12/07 訪問)

普段は非公開の湯浅城が一般公開されたので訪問してきました。城内は藪や竹林が多くて視界や足場が悪いところも多くありましたが、逆に開発の手が入っていないだけに昔の姿がそのままに残っている感があります。特に主郭東下の土橋は、主郭から土橋を渡る敵をちょうど狙える位置にありました。曲輪の切岸も急な角度になっていて、下から攻めるのは難しそうです。今後とも手を入れない状態で保存されることを願います。令和8年2月28日と3月1日にも一般公開がある予定です。

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小城小次郎

城までの道 (2025/03/29 訪問)

道が傷んでいなければ城跡のすぐ近くまで車で行けるが傷んでいないかどうかは行ってみないとわからない(私は歩いた)。一段低い所にある城址碑までよりもむしろその先の曲輪群の方がお城っぽさを色濃く湛えているように見えた。

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しんちゃん

石垣の迫力に圧倒される。 (2025/10/12 訪問)

久々の津山城です。イベントでも無ければ、なかなかこの辺りまで来る機会はありません。森忠政の以前の居城美濃金山城(7万石)も良い城ですが、津山城(18万6500石)の石垣の進化っぷりは凄い。18万6500石といったらけっこうな大身だけど、この城の石垣の凄さはそれ以上に見える。天守や櫓も凄い数だったようだし、地元の人達は大変だったろうな。
これだけの居城も廃城令であっさり破却されてしまったわけで、実に勿体ない話だと思う。残っていたなら残っていたで維持費が大変なことになると思うけど、小倉城を模したとされる天守は残しておいて欲しかったな。

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ヒロケン

石の寺 教林坊 (2025/12/06 訪問)

石の寺 教林坊 伝小堀遠州作の名勝庭園

300本の紅葉と竹林 少しピークは過ぎていると思われる紅葉が癒してくれる。ご夫婦・恋人・友人といった方々が大勢訪れておりました。観音寺城攻略後、自分は一人で訪れ少し浮いていたかの様に感じましたが十分に癒され行って良かったと思います。

教林坊は最盛期には70を超える坊舎・子院があったとされる観音正寺の子院の一つであったとされています。皆さんも観音寺城に行かれた際は行かれてみればと思います。

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いんげん丸虫

谷小屋城 福井県小浜市 (2025/11/23 訪問)

標高240mの山城です。
妙祐寺の背後の尾根から直登します。
看板等はありません。かなりの急斜面
で幹につかまっては反動つけて5、6歩
登るといった感じです。健脚の方でも
主郭までは1時間近くかかるのでは。
100mくらい離れて2箇所に遺構があり
尾根を中心として4ヶ所の曲輪があり
要所に堀切があります。全部で12ヶ所
堀切がありますね。整備等されてない
自然のまんまで良かったです。

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ヒロケン

伝三国丸・伝楢崎丸・伝沢田丸・御屋形の石垣 (2025/12/06 訪問)

観音寺城の伝三国丸・伝楢崎丸・伝沢田丸・御屋形の石垣を投稿いたします。

伝三国丸は繖山東尾根登山ルートのピークにあたり、ここから繖山山頂まではなだらかなルートが続いています。伝三国丸の郭はさほど広くはありませんが、東側と北側に1.5m程の高さで割と大きな石の石垣が残っています。(画像1と2)

伝楢崎丸は伝沢田丸?を伝本丸に行くルートで降りて行くとあり、伝楢崎丸の石垣は高さ3m程の石垣が30m程(目測)続いています。東尾根ルート・繖山山頂付近にある郭には藪藪で入って行くことが困難で、この楢崎丸の郭も同様で入って行くことが出来ませんでした。(画像3と4)

伝沢田丸?には観音正寺から本丸に行く途中に繖山三角点に向かう案内があり、このルートを登り切った先を右に曲がれば三角点ですが、左に下れば伝沢田丸?の北側に石垣と虎口と思われる遺構があります。(画像5と6と7 この虎口を下って行った先に伝本丸虎口があります)

御屋形の石垣は高さ・長さ・石の大きさは観音寺城の中でも最大級です。(画像8と9)この御屋形の石垣を横切るように大手道と言われる登山ルートが続いています。

今回投稿した〇〇丸という郭には案内がなく、観音寺城縄張り図と見比べたもので自信がありません。特に伝沢田丸?は自信がありません。違っておりましたら教えていただければ幸いです。そもそも各郭に”伝”と記載されているということは、「確かではなく多分?」ということであろうと思います。他の山城では山頂に本丸を置き、各尾根筋に郭を配するものと思っていますが、この観音寺城は、繖山の西尾根に中核をなす郭を配しているのは何故だろうと疑問に思ったりもします。

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トク

【とことん名護屋城-③】秀吉と茶々が暮らした山里丸 (2025/11/23 訪問)

気になる平山優先生のもう一つの話題は、秀吉と茶々の話です。

茶々が名護屋に来た事は一度だけあるようですが、それがいつだったのかははっきりと分かっていないそうです。茶々は、名護屋城の天守は風がとても強いので、天守を嫌って山里丸へ移ったとか。それで秀吉も山里丸で暮らすようになったそうです。山里丸は巨大な石垣をともなった門跡が、破却されずに今でも大部分が残っていました(写真①②③④)。この石垣の上の広沢寺(写真⑦⑧)の横に、秀吉の居館(写真⑤⑥)がありました。確かにここなら本丸が風よけとなってくれそうです。そしてその横には、茶室や月見櫓や船遊びをする場所(写真⑨⑩)も建てられ、兵士たちが朝鮮で戦っている最中も、秀吉はここで優雅に過ごしていたものと思われます。そして茶々がいない間は側室の広子(広沢局)がここにいたそうです。

平山先生は、秀頼が生まれた日(文禄2年8月29日)から280日前に逆算すると、秀吉は母(なか)危篤の知らせを受けた7月に名護屋をいったん離れますが、葬儀が終わって大坂から名護屋に戻ったのが(11月4日)。その直後の11月中旬がちょうど280日前となるので、この頃に茶々は名護屋に居てそして懐妊したのでは、もしそうなら秀頼は秀吉の子に間違えないだろうという見解でした。さあ真実はどうなのでしょうか?

次は小和田哲男先生の講演、(黒田官兵衛の縄張りを読み解く)の中からに続きます。

(P.S)
と言う事は🤔? もしかして11月中旬に茶々が名護屋でなく大坂にいたとしたら、秀頼は秀吉の子ではないと言う事になるのですか?(😱~!)。
 

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todo94

三連休・山口県の攻城⑤ 【城びと未登録・旧藩台場跡】(山口県周南市) (2025/11/23 訪問)

徳山陣屋に比べるとだいぶ徳山駅に近いところにあります。徳山駅近くのホテルに泊をとりましたので、コンビニでの朝食調達の早朝散歩の折にチェックしてみました。標石と説明板がありました。古い標石は新幹線工事の際に破損したそうです。

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