熊本城に行った二日後に人吉城に行きました。
人吉城は、1198年(建久9)地頭として相良長頼が入り、それ以降明治まで35代670年間相良氏がこの地を支配した。城として整備されたのは11代相良長続の時代1448年(文安5)ではないかとされる。その後18代頼房から20代長毎にかけて石垣普請を含めた大改修が行われ、御館と呼ばれる当主の居宅も設けられ、本丸・二の丸・堀・矢倉門が完成。また、日本三大急流の一つといわれる球磨川と、その支流の胸川を天然の堀とし、多くの船着き場を設け水運をうまく活用した。
この説明通り、人吉城を見たとき、貿易のしやすい場所に立っているなと実感しました。
北西の長い石垣ははねだし石垣となっており、このはねだし石垣はおそらく、この人吉城と五稜郭、品川台場でしか見れません。なかなか貴重です。
はねだし石垣を過ぎると水の手門が見えてきます。復元長塀もみることができ、当時の様子が想像されます。水の手門は球磨川に直接続いており、船着き場だったと予想されます。さらに、水の手門を過ぎると、米御蔵跡も見られ、米の貿易もされていたと想像されます。
では次は本丸へと向かっていきます。続く
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