みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

にのまる

todo94さん、おめでとうございます🎊

2,000城到達おめでとうございます🍾
青ヶ台城が記念のお城となったのはお城の選り好みをされず、一城一城丁寧に歩かれた証だと思いました。そしてその後墓所に行き着いたのはきっと導かれたのだろうと。極みまで到達された方にしか味わえない感覚や達成感、語り尽くせない思い出があるかと存じますが、おそらくはゴールではなく通過点。お気持ちは既に次のお城へ向かっていることと思います。
長年この場のみでの交流ですが、今後ともよろしくお願いいたします。

ではおめでとうクイズです。
どこでしょう?
↓↓↓

+ 続きを読む

赤い城

花駒屋敷 徳島県三好市 (2026/08/09 訪問)

白地城の出城で城びと未登録の城です。
吉野川と馬路川の合流点に位置しています。
近くの道路が広くなったところに車を置きました。
城跡には住吉神社と天満宮、また忠魂碑が建っています。

入口には土塁があり、恐らく虎口だったと思われます。
西側の土塁からは竪堀が落ちますが藪で不明瞭でした。
曲輪は二段になっています。
先端部からは下に伸びる通路があり、石垣もありますが後世のものでしょう。

単純な造りの城ですが白地城と各支城の連携に重要な役割を持っていたと思われます。

todo94さん、2000城到達おめでとうございます🎉
後を追いたいですがなかなか・・
私もにのまるさんの後にクイズ出させて下さいね。

【見どころ】
 ・虎口の土塁

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ヒロケン

二の丸に天守を配する城 (2026/07/10 訪問)

西尾城の城郭構造は梯郭式の平城です。碧海台地の端に築かれており、北から西を流れる矢作川の水利を利用して、水堀りを巡らせ築城されています。特徴は天守が本丸ではなく二の丸にある事です。二の丸の北隅に三重天守が置かれ、城主の住まいとなった御殿も二の丸に置かれました。
本丸には八幡社が祀られ、四隅には三重櫓の丑寅櫓(復元されています)と、今は見る事が出来ませんが、二重櫓の未申櫓、辰巳櫓、戌亥櫓が建てられていたそうです。さらに二の丸には三重の天守の他に二重の丑寅櫓(復元されています)があったとの事です。また、天守台から丑寅櫓へ続く土塀は2カ所に折れを持つ屏風折れの構造で全国的にも珍しい土塀となっています。(復元されています)

城内に建てられている西尾市資料館横にトイレもあり、鍮石門横に駐車場も完備されています。築城当時のものと見られる石垣や土塁、堀などが無料で見学できます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ジェイド

巨大な土塁と空堀 (2026/09/05 訪問)

なんといっても興国寺城跡ですばらしいのは、天守台が巨大な土塁の上に備わっているところと、その伝天守台の裏は巨大な空堀になっている点で、今でもその姿を見ることができます。必見です。
ただ残念だったのは、発掘調査で見つかった本丸虎口門跡や三の丸柱穴群等の遺構が、季節の関係もあるかとおもいますが草で埋もれて見えなかった事です。次回は冬に訪れたいと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

いつでもウォーク:Pikmin Bloom Tour in 横須賀 参戦前日・献血前の観光 (2026/08/29 訪問)

>朝田辰兵衛さん クイズの答え、長崎駅でしたか。参りました。西九州新幹線には2度ほど乗っているので今の長崎駅には行っているのですけれども、旧駅の方はノーチェックでした。最近は市電も使わず、大波止方面に徒歩で直行したりしてしまうのでなかなか旧駅の方に足が向かなかったのです。

さて、節目となった青ヶ台城からは、徒歩にて金沢文庫に行ってみました。金沢文庫を作った北条実時は大河ドラマ「北条時宗」では池畑慎之介さんが演じていましたね。金沢文庫の展示も存分に楽しみましたが、隣接する金沢北条家の菩提寺・称名寺で実時、顕時、貞顕3代の墓を拝むことができたのは大きな収穫です。ちなみに顕時、貞顕の墓は並んでいるのですが、石柱に彫られている名は逆になっています。発掘された遺物によって逆であることが判明したそうです。なお、北条顕時は大河ドラマでは、北ノ庄城天守から飛び降りた山口馬木也さんが演じていました。(あさんがおっしゃる豊臣兄弟!の暴走場面ですよね。)

この後は15:30に予約を入れてあるクロスウェーブ湘南藤沢献血ルームに向かって、無事、血漿成分献血を完遂することができました。雨は献血ルームに向かう時になって漸く降り始めました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

石田三成 (2026/09/05 訪問)

 天正18年(1590年)豊臣秀吉の関東平定のとき、忍城を水攻めにするため石田三成によって築かれた堤です。全長28キロメートルに及ぶ堤をわずか一週間で作り上げたと伝わります。ただこの水攻めは堤が決壊し、水攻めは失敗に終わります。
石田堤史跡公園付近を散策してきました。

JR北鴻巣駅より徒歩で30分くらい行くことができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

クイズの答え… (2026/05/04 訪問)

todo94さんがわからなかった場合,わかりそうなのはトクさんとにのまるさんぐらいしか思い浮かびません。トクさんの場合は地の利ということで。にのまるさんは鉄オタにプラスして,たしか長崎駅前の東横インに宿泊されていたという記憶があります。
トクさんからわかりそうな気配を感じたら振ろうかと思いましたが,「いいね」がなかったので即解答といたします。
答えは…JR長崎駅
です。

数年前に訪れた時は工事中で,「随分と離れた場所に造るんだな…」ぐらいしか考えていませんでした。
今年のGWで訪れたら「何,レール残置…?!」と驚きました。
今年,私よりちょっと先に長崎に来られていたtodo94さんは,伊万里ルートで平戸へ行き,的山大島に渡られたと記憶しております。
「もしかして長崎駅には行ってないかも…」
と思い,出題してみました。
新長崎駅の不便な点をひとつ…
「ポストが遠い」という点です。
旧長崎駅前の歩道橋ワキのポストまで,数100m歩かなければなりません。
観光案内所で確認しても,同様の回答です。

私は,琴尾山烽火台へ攻城時,長崎駅から本川内駅まで,JR長崎本線を利用しました。
路線バスで行ってたら気づかなかったと思います。

ということで,次はにのまるさん,お願いします。

+ 続きを読む

トク

24【秀吉の九州平定をたどる⑤】根白坂の戦い(豊臣秀長VS島津全軍) (2023/11/05 訪問)

根白坂は3年前に訪れました。最寄りのバス停は高城(木城温泉ゆらら)で、その時私は高城から根白坂まで往復5時間かけて歩いて行きました。根白坂は県道が走っているので車だと難なく行けますが、戦った諸将の気持ちを感じたいがために、高城から諸将がたどった道を歩いて行きました。でも後悔したので皆さんは車で行った方がいいと思います(笑)。実際に行ってみると、そこは坂というより標高200mくらいの急斜面の山(峠)で、歩くと思ったよりきつかったです。それだけでなく、ほとんどが私有地で入れず、柵や堀の跡などを探索したくても、できなかったなどの理由もあったので、今回再訪は断念して3年前の写真をまた使わせて頂く事にします(内容もダブリますが御容赦下さい😔)。

1587年、秀長10万の軍勢は東九州から豊後を通過し薩摩を目指して南下、日向へ入ります。そして山田有信1,300が籠城する「高城」を囲みました。島津軍は高城の山田有信を必ず助けに来るであろう、その時必ずここを通るであろう根白坂に、秀長は宮部継潤1万に砦を築かせます。ここで迎え撃つ後詰決戦を考えていたようです。

予想通り薩摩当主の島津義久は自ら出陣。弟の義弘・家久の精鋭3万5千を引き連れて、根白坂の南の山に陣を敷き、有信を助けるため秀長の軍勢と対峙しました(写真⑦)。高城川一帯(写真⑧⑨)は以前にも大友軍を破った地の利がある場所だったので、ここを選んだのかもしれません。

説明板によれば、継潤は地中に深さ1.8mも埋もれた高さ3.6m柵と、幅5.5m深さ3.6mの堀を何重にもめぐらし、島津軍と川を挟んで対峙したとあります(写真③)。どうやらこれを発案したのは、黒田官兵衛のようです。さすがは官兵衛! そしてこの策が勝敗を分ける事になりました。

島津義弘は地の利を生かし、継潤の砦に夜襲を仕掛けます。戸次川での仙石久秀の時と同じ、宮部継潤の砦など簡単に突破できるだろうと甘く考えていたようです。そして夜明けまでに高城まで進んで秀長の陣(松山)を襲い、敵が出てきたところで高城川まで引いて、両側から義久・家久、背後から山田有信の軍勢で囲むという得意の「釣り野伏せ」を仕掛ける作戦だったようです(写真⑧)。

鉄砲で撃ちかけ、その隙に夜陰にまぎれ柵にロープをかけ倒そうとします。しかし倒れません! それもそのはず、地中に深く埋もれているからです。今度は宮部軍が鉄砲を撃ちかけて反撃してきました。島津軍は多くの死傷者を出し空堀は死体で埋まります。しかし死を恐れぬ勇猛果敢な島津軍はひるみません。そのうち弾薬が尽きるであろうと、繰り返し執拗に柵を倒そうと次々に攻めてきます。しかし宮部軍の弾薬は豊富で撃ち続けてきます。深い柵と豊富な弾薬、これらは島津軍にとって想定外でした。空堀は死体の山となります。それでも夜明けが近づき、ついにあと少しで突破できると義弘が思ったその時! 「危ない! 継潤を死なせてはならぬ~!」と、陣営の反対を押し切って出てきた藤堂高虎が加わり、再び膠着状態になります。そして夜が明け、さらに黒田官兵衛・戸川達安(宇喜多)・小早川隆景(毛利)の援軍も到着。重臣島津忠隣(歳久の養嗣子)が討死し、これは不利と見た総大将の島津義久は全軍に撤退を指示しました。

20日後、義久は剃髪して秀吉のいる川内の泰平寺に出向き降伏しました。そして秀吉は、宮部継潤を戦功の第一と賞賛したそうです。こうして九州平定が終わり、残るは小田原の北条のみとなります。

私は秀長の陣があった松山から根白坂を眺めてみました(写真⑨)。戦いが終わった秀長は、どんな思いで根白坂を眺めていたのでしょうか? 実は撤退した数日後、島津家を潰したくない義久は秀長に、自分の命と引き換えに島津家が生き残れるよう、秀吉との間を取り持ってほしいという密書を送ったそうです。秀長は薩摩・大隅の旧領のみ安堵で許す事を秀吉に提案しますが、逆鱗に触れたとか? しかし結局、先の朝鮮出兵まで見据えて考え直し、義久が打首覚悟で剃髪してひれ伏したのを見て、島津を許したそうです。

これで「やっと終わった~!」とほっとしたのもつかの間、この頃から秀長の体調に異変が起きるようになります。

大河ドラマ豊臣兄弟では、これらがどう描かれるのでしょうか? 今から楽しみです。次は、島津歳久による「秀吉暗殺未遂事件」を追いたいと思います。(虎居城)に続きます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

天守無しがアツい

小学校の中に石碑と案内文 (2026/09/04 訪問)

板橋城址は東急東上線のときわ台から歩いて10分ほどの場所にある🚶‍♂️

上板橋小学校🏫校門を入ってすぐの場所に石碑と案内文がある…当時のものではないが…城の痕跡を示すものはそれくらい😅

その小学校の裏手に長命寺…そこも城に関係する施設だったと案内文に示されていた🏠境内にお墓があるだけの平均的なお寺だったが…参拝したからにはという事で100円を賽銭箱に入れてお詣り

+ 続きを読む

にのまる

気になる石碑。 (2026/08/10 訪問)

蛍池駅西口直結ビルの真裏に、見上げるほどに大きな〈麻田藩旧蹟〉の石碑がありました。

石碑自体は年代物のようですが台座やフェンス、説明板が新しかったので、以前はどうだったのかな?とみなさんのお写真を順に見ていくと……。

【石碑は公民館建て替えのために一旦撤去され、建物解体・整地後、現在の場所に戻された。その後しばらくは仮の台座だったが、最近になって以前と同じく自然石の台座(積み方は若干違う)が完成した。この時台座に敷かれた芝生は剥がされたが、読みにくくなっていた説明板は新しくなり、より詳細な絵図や移築建物を記した説明板も追加され、フェンスの囲いもできて、公民館新築工事が始まった。】
という流れが見えてきました。

2012年のじゅんじんさんの写真を見て、“この場所こそが麻田藩の中枢。ここに千五百坪の陣屋があった”ことを示し、公民館の入口のシンボルでもあったからこんなに大きな石碑なのかなと思いました。

毎日見ている地元の人でもないのに、全国各地からやってくる「石碑だけでも見たい城好き」さんたちの写真のリレーによって石碑の歴史がわかるだなんて、〈城びと投稿欄〉すごい!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

クイズの答え

朝田辰兵衛さん、ご祝辞ありがとうございます。神奈川コンプはまだずっと先になりそうです。多分、東京より後になるかと。

クイズの方は、まったくわかりません。線路が埋め込まれたプロムナードの記憶は、横浜の汽車道と大分くらいしかありません。
不正解だと思いますが、回答は桜木町駅ということでお願いします。

+ 続きを読む

朝田 辰兵衛

todo94さん,『2,000城達成』おめでとうございます🎉

todo94さん,『2,000城達成』おめでとうございます🎉
しかも,神奈川県コンプリートも視野に入っていそうな雰囲気を感じます…。
この恐れ多き攻城数,「登城したお城しりとり」ではとてもお世話になりました。あらためて御礼申し上げますm(__)m

さて,『2,000城達成』おめでとうクイズを出題します。とある駅のプロムナードを撮影したものです。よく見ると,不要線路のレール残置で…。ズバリ,駅名をお答えください。今回のクイズは鉄分を多くしました…<笑>。

私のアトは,にのまるさん,大丈夫でしょうか…?

+ 続きを読む

飛騨市

10/4(日)ガイドツアー&講演会開催!

飛騨の山城まるごと体感!ガイドツアー&講演会
10/4(日)飛騨の山城を丸ごと体感できる特別イベントが開催!

午前は山城ガイドと歩く古川城・小島城ツアーを開催!
山城を巡りながらその魅力や歴史を間近で感じられます。

午後からは、中井均氏による講演が行われます。

現地を歩き、専門家の話を聞くことで、飛騨の山城の奥深さと楽しさを一日で体感できる内容です。ぜひお越しください。


日時
2026年10月4日(日)
9:30~11:30 山城ガイドツアー(小島城ツアー・古川城ツアー)
13:00~15:00 講演会(中井均氏)

※いずれも参加無料、事前申込が必要です。
詳しくは、https://www.city.hida.gifu.jp/soshiki/15/75510.html をご覧ください。

+ 続きを読む

todo94

いつでもウォーク:Pikmin Bloom Tour in 横須賀 参戦前日の攻城⑤ (2026/08/29 訪問)

六浦陣屋からの転戦です。金沢文庫駅から2km以上の道のりでしたが、徒歩にてアプローチしました。グーグルマップの青ヶ台貝塚のポイントも、城びとの青ヶ台城のポイントも住宅街の真っただ中です。先人の皆様方が足を伸ばされている阿王ヶ台公園、釜利谷赤坂公園にも行ってみました。遺構も説明板も城址碑もないトリプルゼロの城郭が私の2000城目の城びと登録城となりました。あまりにも悲しい2000城目でしたので、このあと、徒歩にて金沢文庫に向かうことにしました。金沢文庫に隣接する称名寺で青ヶ台城を築城したという鎌倉幕府15代執権・金沢貞顕の墓を拝むことができようとは、思ってもいませんでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

23【秀吉の九州平定をたどる④】吉見岳城(秀吉:筑後肥前平定の場所) (2026/08/26 訪問)

今回は高良山神籠石が目的ではなく、その中腹にある吉見岳城を訪れました。吉見岳城はかつて1570年、大友宗麟が龍造寺を攻めた時にここに在陣し、大友によって現在のような縄張りが造られたとされています。そして秀吉が九州に上陸した翌月の1587年4月、秋月種実は益富城で秀吉軍に敗北し降伏します。その直前には、立花宗茂が岩屋城・宝満城をも奪還し筑前・筑後から島津忠長軍を一掃、秀吉はここ筑後高良山の中腹にある吉見岳城へ入り、肥前へ睨みをきかせました。

すると何と、秀吉10万の大軍を見て恐れをなした肥前の龍造寺家政(隆信の子)と家老の鍋島直茂は、吉見岳城を訪れ秀吉に戦わずして降伏し臣下に入ったそうです。これで秀吉は、肥前をも平定する事ができました。

高良大社への登山口石段の100m手前に吉見岳への登山道があります。御井町のバス停から整備された道の軽い登りを登る事40分、標高160mの吉見岳城に到着しました。

現在の主郭には琴平神社があり(写真①)、その周辺には空堀や切岸や竪堀など、大部分が人工的に造ったと思われる段々に削った跡が、とても多く残っていました(写真②③)。また三ノ曲輪(写真④)からは、西側には肥前(佐賀平野)(写真⑤)北東側には筑後(筑後平野)(写真⑥)、また北を見ると筑前の立花山や宝満山(写真⑦)までよく見えました。南を見上げると高良山(高良大社)がそびえています(写真⑧)。

秀吉もこの展望台の場所(写真⑨の場所)に座り、この景色を眺めたと伝わっています。順調にここまできた秀吉は、どんな思いでこの筑後平野や佐賀平野の景色を眺めていたのでしょうか? 大きな戦らしい戦もなく順調に来た半面、「秀長は大丈夫だろうか?」と、逆に弟の事の方が、心配になってきたのではないでしょうか?

帰りにバスから電車に乗り換える途中、西鉄久留米駅構内の店で、久留米ラーメンを食べて帰りました。さすが豚骨ラーメン発祥の地、これが久留米の味です😋(写真⑩)。

次は、九州最大の決戦(豊臣秀長VS島津全軍)「根白坂の戦い」に続きます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

張陳

どの角度から見ても映える海の城 (2026/08/17 訪問)

松浦史料博物館(展示が豪華で見応えあり。歴史好きは必見)や平戸オランダ商館、最教寺などを見学し、旗松亭(地物の料理が絶品)に宿泊した2日目、平戸城を訪れました。

宿からタクシーをお願いしたところ、城の北側から東側に回り(ここはもともと断崖で城の守りを担っていたそう)、亀岡神社まで連れて行ってくれました。

そこから徒歩で北虎口門と狸櫓に向かい、順路に従って本丸へと向かいました。
この狸櫓から本丸に向かう道中の石垣(進行方向左手)には石垣で狭間が作られています。
珍しい形状だと思いますが、見逃しがちなのでお忘れなく。

本丸は資料館となっていまして、最上階では、近くの櫓から写真を撮ってもらい、自分のスマホでダウンロードできるようなサービスが実施されています。
天守に自分が立っている姿を外から撮ってもらえますので、ぜひやってみてください。

その後、見奏櫓、懐柔櫓を見てから亀岡神社に戻り、二ノ丸大手門跡、一ノ大手門跡と通って帰路に着きました。
門跡はそれぞれ立派な石垣が残っていますので、そこまで回るのをおすすめします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

張陳

大ボリュームの松浦史料博物館 (2026/08/16 訪問)

かなり充実した展示を見ることができます。
メインは唐獅子の金屏風と、重要文化財に指定されている松浦鎮信が大友宗麟から拝領した鎧兜、それと同年代の鎧ですが、その他にも足利将軍から拝領した鎧や天皇家ゆかりの品など数多く見ることができます。
平戸を訪れた城好き、歴史好きは必見の内容と思います。
なお、受付で確認しましたところ、写真も撮って構わないそうでした。

また、周辺には平戸オランダ商館が復元されており、内部の展示も見ることができますが、共通券もありますのでそちらを利用するとお得です。

私は、旗松亭に宿泊したのですが、そちらで割引券をいただくことができましたので、更にお得に見学させてもらいました。
また、こちらの旗松亭は、料理もとても美味しかったです。
名物であるヒラメの刺身はもとより、タイの天ぷら(オランダ風?の味付きの衣だそうでそれが特に絶品)など、どれもとても美味しかったです。

+ 続きを読む

dougen

2025.11.3登城 (2025/11/03 訪問)

JR柏駅の南にある増尾地区に増尾城址公園があります。
北側は公園として整備されており、増尾城址は、南側に整備されています。
北側にも空堀っぽい地形はありますが、縄張り図を見る限りでは違う様です。
史跡指定はされていませんが、土塁や空堀の遺構が良好に残っており、整備されていて安心して城址散策が楽しめる城址です。

+ 続きを読む

イオ

男良台場・男良谷砲台(和歌山市深山) (2026/03/14 訪問)

男良台場(おとこらだいば・城びと未登録)は、外国船に備えて水野丹後守が紀州藩から築造・守備を命じられた台場で、海岸沿いに数門の大砲を備えていましたが、明治期に台場跡に男良谷砲台が築かれたため、遺構は消滅しています。

深山第一砲台跡への入口広場駐車場から深山第一砲台経由で男良台場へ(直行することもできます)。男良谷砲台が台場敷地、その内側の平地が陣屋敷地と考えられますが、遺構はもとより台場の存在を示すもの(石碑や説明板等)は何もありません。それでも台場跡から海岸に下りていくと目の前に友ヶ島、その奥に淡路島を望み、台場がこの地に築かれた理由は実感できました。

なお、男良谷砲台は明治期に築造された由良要塞を構成する砲台のひとつで、2つの砲座にカノン砲各2門(計4門)が設置されていました。草木に覆われてはいるものの、2つの砲座と2つの弾薬庫が現存し、海岸には水雷発射施設も見られます。また砲台内部の排水用と思われる小さなトンネルが砲台から海岸まで続いていました。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

いつでもウォーク:Pikmin Bloom Tour in 横須賀 参戦前日の攻城④ (2026/08/29 訪問)

野庭関城からの転戦です。港南台駅まで歩いて新杉田駅までは京浜東北線、杉田駅から金沢八景駅までは京急を利用して徒歩にてアプローチしました。子孫が現在でもお住まいとのことですので、ばしばし写真撮影するわけにはいきません。早々に退散いたしました。

+ 続きを読む

ページ2