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筑紫虎党

暑いなかの感動 (2025/07/12 訪問)

7月11日、12日に訪れました。
復興天守、小天守に感動しました。
宇土櫓も早く復興してほしい

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ぴーかる

江戸城内部編 (2025/05/18 訪問)

【江戸城内部編】
2日目。朝、川崎のホテルから作延城跡に行ってから、東急に乗って大手町駅で下車し1日目始めの和田倉門跡からスタート、午前中に内濠の外側を時計回りで1周し、午後から内部観察する予定でオール徒歩、1日頑張るぞー。
 桔梗壕・巽櫓外観⇒桔梗門⇒坂下門、知らなかったのですが、それぞれ門に警察が立っていて本丸に入れない、皇居警察があるからなんですネ。この時「下調べでは本丸天守台行けたのに今日は入れない、」残念だと思ってました。⇒皇居前広場から正門・二重橋・伏見櫓外観を撮影⇒桜田門を抜けて⇒桜田壕を北上、日曜日もあって、皇居ランの人々がマラソン大会か!というくらい多くの人が、桜田門の皇居前広場(スタート地点のよう)に集まっていました。変な疑問で、マラソン経験者からすると、この人達って東京ど真ん中の皇居から走って自宅に帰るのか、わざわざお金かけて地下鉄等で帰るのか、と思いました。横道逸れました。⇒半蔵門前・半蔵壕⇒代官町通りから北の丸へ。北の丸公園・日本武道館・田安門・清水門(内枡形の石垣・門からの石段の遺構がよく残っていて門の中では1番良かった)⇒清水門から外に出て清水壕⇒竹橋御門跡⇒本丸に入れるが分かり、やったー、北桔橋門から本丸へ。
 天守台⇒富士見多聞⇒富士見櫓⇒中朱雀門跡・大番所⇒中之門跡・百人番所⇒同心番所・三之門跡⇒戻って白鳥壕⇒二の丸庭園⇒汐見坂・梅林坂⇒平川門から出ました。⇒和気清麻呂像のある内濠通りから大手壕⇒大手門前で終了しました。
 
 日本最大の巨城、全部の遺構を2日間で見るのはとても無理なのですが、ある程度の見所は計画通り見ることができました。見附跡を巡ることによって、江戸城周辺の有名な地名、どこがどの辺か少し覚える事もできたし、自分なりに十分満喫できました。1日目は大雨、この2日目はかなり蒸し暑かったのですが、昼食に丸の内のタンメンを調べていて行ったのですが、ビルごと停電中で休業、食事は2日間ともついていなかった。
 13時頃見終えて、19時の新幹線の予定でしたので、選択枝として、①東京競馬場と城びと6城 ②渋谷スクランブル交差点と城びと3城 ③百名城千葉県佐倉城の3択で、①は競馬場は行けてももう歩けない。②はすぐ見終えて時間余す。で③をチョイス。京成電車に飛び乗る。これにて東京の百・続百名城制覇。

<満足度>★★★★★

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ぴーかる

ありがとうございます🐤

朝田辰兵衛さん、祝辞ありがとうございます。着々と未登城のお城攻略されておりますネ。楽しく拝読させて頂いています。怪我・事故無くあることを祈っています。私は9月頃まで休養かもしれません。

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にのまる

登呂遺跡のあとで。 (2025/06/19 訪問)

静岡市にある登呂遺跡に行ってみたくて小田急線と東海道本線をちょこちょこと5本乗り継いで出かけてきました。

登呂遺跡は第二次世界大戦中、軍需工場建設の際に発見されたのだそうです。登呂公園自体はそこまで広くはありませんが、弥生時代の建物がここまで復元されて暮らしがわかるなんてすごいなぁ!と思いながら見学しました。

行きは静岡駅からバスに乗りましたが、この距離なら歩けるなと思ったので、登呂遺跡から駿府城までは歩いてみました。

『どうする松潤』以来2年ぶりの駿府城です。
まずは歴史博物館へ。「蔦重と一九展」は開催前でした。

東御門橋を渡り駿府城公園へ。
久しぶりに東御門と巽櫓内を見学しました。ジオラマに金箔瓦に竹千代手習いの間など、惹きつけられるものがたくさんで楽しかったです。

続いて駿府城天守台発掘調査現場へ。
ここを見るのは2度目ですが、ものすごくすすんでいてびっくりでした。暑い中作業をされている方々がお体壊されませんように。
きゃっしるのスタッフさんと金箔瓦のナゾ談義などお話ができたのも楽しかったです。
発掘によってできた大きな土の山は、発掘現場を上から見られる展望台のようなものを造る案もあるそうで、すごくいい!と思ったのですが、実現には予算とかいろいろ……あるみたいです。

園内をぐるっとまわって坤櫓、家康像、お手植えの蜜柑の木、二の丸水路、紅葉山庭園と見学しました。庭園の池の水が水路を循環していることなども教えていただき、駿府城について少し詳しくなれて、来てよかったなと思いました。

帰りはJR東海の優待券を使って小田原までこだまで帰りました。新幹線、やっぱり速い!

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村殿の城館 (2025/06/17 訪問)

 昌官忠さんの連続25日間の(東海&関西)遠征は、城びと史上の偉業ですなあ。綿密な計画作りもさることながら、そのとおりにならぬときの踏ん張りにも感服いたしました。
 佐渡ヶ島の新穂城です。説明板の地図に掲載されている多くの城館に驚きました。城主の村殿は、小さな村長さん。本間一族を中心とした、島内の争いが激しかったのでしょうか。

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イオ

技巧的な遺構 (2025/04/26 訪問)

戦国期に畠山氏に仕えた保田友宗が築いたと伝わり、羽柴秀吉の紀州攻めの後に廃城となったようです。

大きく蛇行する有田川に三方を囲まれた尾根突端の山城と南麓の居館からなる根小屋式城郭で、居館跡は小学校になっていて遺構は見られません。小学校奥の駐車場に駐めさせてもらって登場開始。駐車場から奥へ続く道をしばらく進むと、右手の斜面に竪堀らしきものが見えてきます。そこから山に取り付いて堀底を登って行くと、果たして主郭から北に続く尾根に設けられた堀切に到達。北尾根には二条の堀切があり、内側の堀切は両端から土塁をはさんでそれぞれ二条の竪堀を落としています。北尾根をもう少し進んだ先では外側の堀切が細尾根を断ち切っていました。

北尾根から戻ると主郭の西面に回り込みます。西面北部には堀切が設けられ、両端がU字状に竪堀となって落ちています。その南には(浅くなってはいるものの)畝状空堀群が斜面を埋め尽くし、うち南端の竪堀は深さも長さもあって明瞭に遺っていました。西面南端の竪堀から主郭に向かうと、あちこちに後世のものと思われる石積が見られました。戦時中、主郭には陸軍の防空監視所が置かれていたようで、その際に改変されたものと思われます。そして主郭北下の曲輪群をひとめぐりし、南麓の八幡神社に下りて行くと、水道施設跡の先に南端の堀切があり、西側では折れを設けて横矢掛りになっていました。

ひとめぐりしても1時間弱の小さな丘城ながら、堀切といい竪堀といい随所に技巧的な遺構が見られ、なかなか見応えがありました。周辺観光の定番(?)、あらぎ島とあわせて、こちらに来る機会には清水城もせひ。
 

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赤い城

松江EXPOに合わせての特別公開 (2025/06/28 訪問)

普段私有地で立入禁止の本丸と二の丸が特別公開されているとの情報を基に登城しました。
EXPOに合わせて3日間だけ公開されるとのことです。
駐車場もあり、よく整備されています。

橋を渡り南大首廓へ、土塁も整備されています。
奥のほうには櫓台跡の高まりもありました。
その先は中の丸との間の深い堀が横たわります。

方形館跡を経て先ほどの堀を横から、やはり深い。
さらに大首郭から中の丸へと進みます。
中の丸は尼子回復戦の際に山中鹿之介が捕らわれていたところと云われています。

その先、いよいよ本丸へ、ボランティアの方の説明を受けながらの見学でした。
本丸と二の丸を発掘調査し、ほとんど埋め戻されていますが一部見学可能、これもいずれは埋め戻されるそうです。
本丸と二の丸の間には堀跡がありますが、これは池だったのではないかとのこと。
縁に石積も残っています。
本丸の斜面からは石垣の築石や裏込め層の粟石が崩壊している部分が出てきており、堀跡には深い穴を見ることができます。
何かしらの建物があったと思われます。

本丸の土塁は高く、外側は崖で攻め込むのは困難。
この土塁部分も発掘の跡が公開されています。
この辺りはローム層で当時の土塁の形が明確に残っていることに感動☺️
さらに本丸に残る石列と石塁も見ることが出来ました。
築地塀と虎口、門の基礎とされていて漆喰と思われる白いものも出ています。

貴重なものを見ることが出来て感激!
関係者の皆さんに感謝し余韻に浸りながらEXPOに向かいました。
EXPOにも尾高城のブースが出ていたので感謝の気持ちをお伝えしました。

【見どころ(本丸と二の丸を除く)】
 ・中の丸を囲む深い堀
 ・中の丸の土塁

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todo94

日帰り静岡ドライブの締め (2025/07/12 訪問)

穴山梅雪の墓がある霊泉寺は小島陣屋のほど近くに位置します。当初、この日帰りドライブ最大のターゲットは小島陣屋でした。恋川春町が小島藩に仕えていたということで、べらぼう紀行に取り上げられたばかりでしたし、昨年のお城EXPOの厳選プログラムで春風亭昇太師匠が2025年のテーマは「陣屋」と予告していましたので、小島陣屋の移築復元された御殿書院はぜひ拝んでおきたかったのです。午前中に恋川春町の作品の現物を見ることができたのは、実にタイムリーだったと感じています。順路が明示されていて手入れもきちんとされていますので、夏場の攻城も暑さにさえ気を付ければ、全く問題はないかと思います。まだまだ整備の途上のようですので、何年かしたらまた訪れたいと思います。

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朝田 辰兵衛

日在城散策2/2(主郭部他) (2025/07/12 訪問)

主郭部は広くてわかりやすいですが,魅力はゴツゴツとした石垣です。当初の目的は法面保護のように思えますが,登り石垣を意識していると感じられるところもありました。尾根北側最高所は城域とは考えづらかったです。シダ類が群生しており,突き進むとマダニの餌食になるだろうと思ったため,適当なところで引き返しました。
足腰に不安のある方は,下山がかなり大変だと思います。しかし,国土地理院の地形図を見ると,ほぼほぼ山の周囲にしっかりとした道があり,そこのどこかに出れば,最悪山の周囲を1周近く廻れば来た道に出ることがわかります。とにかく,自分のフィーリングに合った下山を推奨します。ま,南側尾根を進んで行けば,大きくそれることはないでしょう。

これにて,佐賀県の城びと登録城の未投稿城を解消しました。
九州地方は,しんちゃんさんの頑張りで,福岡県と長崎県に未投稿城があるのみとなっております。

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しんちゃん

奥州藤原氏四代の祖 (2025/01/05 訪問)

豊田館は国道と県道の交差する北東側の丘陵に築かれていました。館跡には江刺市の文化財に指定されている豊田城趾碑があり、
「昔 亘理権太夫(藤原)経清の城であった、経清 平泉の役(厨川柵)で戦死し、其の子権田郎清衡、勤王の勲功があったので奥の六郡の領主としてここに居た。其の当時、北上川は豊田城のあたりを流れていて、浮梁(舟橋)と言う地名が今も残っている(中略・・・)
年を経るに従い土地の人でさえ忘れられるので、この碑を建て、後の世まで伝えるものである。」
といったことが記載されているようです。この碑が立てられたのが安永三年で関わった人物の名も記載されています。
やがて、清衡は藤原姓に戻って、平泉に戻り奥州藤原氏四代の祖となった・・と考えると「おおっ」となりますね。

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朝田 辰兵衛

日在城散策1/2(登城ルート案内) (2025/07/12 訪問)

しりとりの時から,有子山城のアプローチ手札としてロックオンしておりました。ようやく攻城機会に恵まれました。しりとりでは,城びと未登録の千葉の日在城で凌ぎましたが,スッキリはしなかったです。
いざ攻城ですが,登城口付近の「古城」と称される六角堂はありませんでした。しかし,登城口はわかります。コンクリート舗装の林道はやがて埋没状態となり,行き止まり地点から左斜面をよじ登ります。すると,本来なら続いていただろうと思われる林道に出ます。道なりに進んで行くと,砂防擁壁に突き当ります。その右側に切り立った岩場があるので,その隙間を登ると岩棚に出ます。岩棚の排水路を伝って上に出ます。そして,左へ登り続けると南側尾根に出ます。
さらに進むと,進路が間違っていないかどうかを確認できるポイントにさしかかります。岩屋のような,祈りの場か監視場かと思われる特徴的な場所が現れます。ここでかなり安堵すると思います。次は,2つの巨岩をクリアすれば城域に入ります。
定期的に登っている方や,整備されている方もいない感触です。さびしい限りです…。

ところで,ぴーかるさん,城びと登録城1000城クリア,おめでとうございます!
健康に留意して,さらなる高みを目指してください。

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しんちゃん

花巻城 (2025/01/05 訪問)

また季節感の無い写真ですみません、言わずと知れた花巻城の写真です。冬場の東北は正直、城攻めに向いているとは言えないのですが、この時期ならではの雪模様は、独特の美しさです。
本丸は鳥谷ヶ崎公園となっていて、西の入口には西御門が再建されており、御堀には石垣で固めた橋がかかっています。その先はカギ状に折れ南に曲輪が広がり、これらの空間が枡形の役目を果たしているようにも見えます。
城址南西にある大手門跡には鐘楼が建っています。ここにある鐘は盛岡城の鐘楼として正保3年(1646)に鋳造されましたが、少々小振りであったため大型の鐘に代えられ、延宝2年(1674)に盛岡藩主南部重直の許可を得て、花巻城二の丸の四角山と呼ばれる土台に設置されました。明治8年に大手門跡地に移され今に至るようです。

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しんちゃん

昌官忠さんに敬礼 (2025/01/04 訪問)

昌官忠さん、お疲れ様でした。総歩行数79万歩、歩行距離553.2km、一日一万歩歩いても79日分ですね。まるで、江戸時代の人のような歩行距離に素直に脱帽です。皆さん、着実に偉業を達成していますね。
私もそのうち、城攻めに出発できるかな? 先行きはまだ不明です。
厨川柵の投稿になりますが、天昌寺と安倍館稲荷神社の投稿になります。申し訳ないが定番の厨川八幡宮の写真は無いんですね。でも安倍館稲荷神社って面白い社名だと思います。周囲には堀が良く残っていて城館の雰囲気が良く出てます。この辺りだと本丸の南の中館あたりになるようです。フェンスの向こうに堀を挟んで「あべたて保育園」が見えますね。
天昌寺は里館(さたて)跡とされ、安倍氏の厨川柵の一部とされていて、グーグルマップで厨川柵を検索するとここが出てきます。
前九年の役で安倍氏が滅んだ後、空白の時期が続きますが、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした後、工藤行光が地頭職として定着します。工藤氏ははじめ里館を拠点にしていましたが、安倍館遺跡である厨川城へ拠点を移し、戦国時代には厨川氏の居城だったようです。

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小城小次郎

由来不詳の群郭式のお城 (2024/11/30 訪問)

いわゆる群郭式のお城と解釈でき、立地的には大崎氏一族に関連するお城なのだろうと推察しているのだがその歴史ははっきりしない。公園化されているのは四館分だがそれでも十分な広さを堪能できる。

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ぴーかる

ありがとうございます🐤

あさん、赤い城さん祝辞ありがとうございます。未だ投稿しておりませんが、6月に鳥取県の船上山城に行った時、一昨年のあさんの投稿を頼りに攻略しました。あさんの登った登山道の探勝道(健脚向けコース)を私も負けじと選択して、大石ゴロゴロの場所は私はだいぶ苦戦してやっと登り切りきりました。「あさん、ここを直登したのかーすごいな!」と途中一息いれながらつぶやいたのを覚えています。今となっては楽しかった登山でしたが。皆様今の時期の城巡り熱中症など気を付けて下さい。

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駿府城

「寺子屋駿府城 夏休み特別企画!~楽しく学ぶ歴史~」を開催します!

駿府城公園巽櫓では、小学生の皆さんを対象にした歴史の勉強会「寺子屋駿府城 夏休み特別企画!~楽しく学ぶ歴史~」を開催します!
駿府城、徳川家康、今川義元…静岡の歴史には、興味深い物語が数多く存在します。
「寺子屋駿府城」では、そんな駿府(静岡)に関する歴史の「ハテナ」に、専門家がわかりやすくお答えします。歴史の学習はもちろん、夏休みの自由研究のテーマ探しにも役立つヒントが満載です!

寺子屋駿府城 夏休み特別企画!~楽しく学ぶ歴史~
◆開催日:令和7年8月6日(水)~8月11日(月)
◆時間:10:00~12:00
◆料金:無料 (※別途入館料:大人200円、小中学生50円)
◆対象:小学生 ※同行の中学生や大人からの質問にも対応します
◆申込方法:申込不要!当日直接会場へお越しください
※詳細は駿府城公園公式ホームページをご覧ください。(https://sumpu-castlepark.com/info/archives/3063)

夏休みの思い出に巽櫓で歴史を学んでみませんか?
ぜひお越しください♪

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隠しても痕跡が残る(ブラタモリふう) (2025/07/13 訪問)

 ぴーかるさん城びと登録城1000城登城をおめでとうございます。
 濃尾平野の平城をちょこちょこ巡って、数を稼いできました。平城巡り=石碑巡りとなる中、岩倉城は比較的痕跡が残っています。尾張上四郡の守護代の城館(規模あり)&微高地だからでしようか。
 「愛知の山城ベスト50を歩く」におまけで平城編があり、岩倉城の説明もあります。東の堀跡や南西の堀跡は分かりやすいですが、南東の大手土橋跡は渋いです(写真6)。
 近くの溝口城は、石碑もない。マップでは石碑があるように出てきますが、城びと先人の報告どおり、石碑があるはずの場所は更地になっています。

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岸和田城

青い翼 (2025/07/12 訪問)

7月12日13日、ブルーインパルスの展示飛行では岸和田城空も通過。
ただただ、感動の瞬間でした。

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イオ

あ さんのルートを推奨 (2025/04/26 訪問)

詳細は不明ながら、南北朝期に玉置直虎が増賀山の頂部に築いたと伝わり、山地玉置氏代々の居城となりました。羽柴秀吉の紀州攻めに徹底抗戦するも落城し、廃城となったようです。

上山路小学校前の駐車場から登城開始。あ さんの投稿で案内されている登城口に向かうも、4月下旬ともなるとずいぶん草が伸び盛っていたため、少し北にあるもうひとつの登城口に行ってみました。沢を越えたところから沢沿いに山に入るルートで、最初は道(らしきもの)があったんですが、やがて消え失せ、やむなく沢を渡って急斜面を直登…。しばらく直登すると尾根に出る手前で登城道に合流し、あとは登城道をたどって行きました。

登城口から約20分(直登含む)で馬場と呼ばれる帯曲輪に到達。山頂の主郭からは少し離れていますが、南北に細長く続いています。馬場からも登城道は続いている…はずですが、一帯に杉の落葉が堆積していて道を見失い、ほとんど直登のようになりました。そして主郭西下の帯曲輪に取り付いて主郭へ。主郭の西側には虎口があったようですが、よくわかりません。主郭の東下にも細い帯曲輪があり、南面は急峻な崖になっていました。主郭北下には主郭との間に付曲輪を備えた曲輪が配されています。北にのびる尾根には二重の堀切が設けられ、内側の堀切の両端は竪堀となって落ちていました。

北尾根で引き返して下山する際に登城道をそのまま戻っていくと、特に迷うことも困難な箇所もなく最初に見た登城口に出てきました。最初から素直にあ さんのご案内に従っていれば無駄に直登せずに済んだのに…とも思いますが、あ さんのルートがベストであることを身をもって確認できた、ということにしておきましょう(笑)

さて、鶴ヶ城に続いて田尻城(投稿済)でごっつぁんゴールを決めると、あらぎ島を経由して清水城に向かいました。
 

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todo94

日帰り静岡ドライブ 静岡市清水区・ファンタジー大河ゆかりの人物の墓参り (2025/07/12 訪問)

静岡市清水区の江浄寺に徳川家康の長男・松平信康の墓があると知り、さわやかで昼食をとった後、赴きました。「どうする家康」の信康は心優しすぎるように感じたものです。江浄寺は江尻城内と言ってよい位置にある寺ですので、江尻城主だった穴山梅雪の墓にも足を伸ばすことにしました。霊泉寺はちょっとわかりにくい場所に位置しています。「真田丸」と「どうする家康」での穴山梅雪の描かれ方はあまりに対照的なものでした。「どうする家康」のような善人だったとはとても思えません。武田勝頼が悪者になってしまっていてかわいそうでした。まあ、明智光秀の描かれ方も「麒麟がくる」とは対照的なひどい描かれ方でしたから、私の「どうする家康」に対する評価はどうしても低くなってしまいます。

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