函館からレンタカーで行きました。途中無料高速に気づくのが遅かったこともあり、約3時間、想定以上に時間かかりました。大雨だったので、城郭散策はできませんでしたが、再建天守閣の中で元は福山城であったこと、松前氏の歴史を学べました
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2026/07/12 18:42
大雨の登城 (2026/06/26 訪問)
函館からレンタカーで行きました。途中無料高速に気づくのが遅かったこともあり、約3時間、想定以上に時間かかりました。大雨だったので、城郭散策はできませんでしたが、再建天守閣の中で元は福山城であったこと、松前氏の歴史を学べました
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2026/07/12 18:29
ジョイじょぐら (2026/06/26 訪問)
大雨のため、城趾散策はできなかったけど上ノ国町ジョイじょぐらにてスタンプゲットしました。
松前城から車で約1時間。雨じゃなかったら絶景ドライブだったと思いました。
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2026/07/12 08:36
見応えある石垣の出城 (2026/01/04 訪問)
繖山から北にのびる尾根の突端に位置し、織田信長の上洛に際して観音寺城の出城として築かれた城で、後藤但馬守が城主を務めました。
北向岩屋十一面観音の駐車場から登城開始。参道を車で尾根筋まで登ったのであとは尾根沿いに下るだけ…と思っていたら、下るだけは下るだけながら思ったより距離がありました。比高はわずか65mですし、山麓の登城口から歩いて登ったほうが早かったかもしれません。
駐車場から尾根沿いに東に進み、北側に藪化した堀が続くあたりを通り過ぎると石垣に行き当たります。佐生日吉城は主郭と東下段の曲輪からなり、主郭の南西面から南面にかけて約50mに及ぶ石垣が続いていますが、南西隅部を突出させて横矢掛りになっています。南面の土塁を眺めつつ進み、東下段の曲輪から主郭へ。喰い違い状になった東虎口から主郭に入ると、周囲は高さはないものの幅広い土塁で囲まれていて、奥には後藤但馬守城址の石碑が立てられていました。北尾根へと続く虎口の脇にも石垣が見られ、北尾根を進んだ先では両側に竪堀が落ちている…はずですが、藪に覆われていてよくわかりませんでした。そして主郭に戻って西虎口を出たところで佐生日吉城をひとめぐり。
ほぼ単郭の城ながら、南面に続く長大な石垣は大いに見応えがありました。六角氏の山城は出城に至るまで石垣が多用されていて嬉しくなってきますね。
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2026/07/12 05:08
(中国地方と兵庫県)遠征20日目:冷泉氏館 (2026/05/30 訪問)
岩国城から車で30分ちょっとで、標柱付近(34.064480、132.130574)に着き、路駐しました。
その後、冷泉社(34.064663、132.132694)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、大内氏の家臣冷泉判官隆豊の館のようです。
冷泉氏は大内氏の庶流で、興豊の時にその妻が冷泉氏にゆかりがあるということで冷泉氏を称したようです。
隆豊は興豊の嫡男で、1551年(天文20年)陶晴賢謀反の際、大内義隆を討った大寧寺の変で奮闘するも及ばす義隆に殉じました。
隆豊の子元豊は、大内氏滅亡後は毛利氏に従い、1558年(弘治4年)に毛利隆元より所領祖生郷を安堵されたが、1562年(永禄5年)に豊前門司城代を務めていた際、豊後の大内氏に攻められ討死しました。
現在は小高い丘にの上に冷泉神社が建ち社殿の脇には古い五輪塔が在ります。
攻城時間は20分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
当初予定より、ずいぶん早く終わったので、近辺の城跡(伊賀道城、岩城山金綱石)の攻城も考えましたが、両城とも攻城するとなると90分以上はかかりそうなので諦めました。
本日の宿泊先に向かう為、徳山駅でレンタカーを返却し徳山駅からJR山陽本線を利用して新山口駅に向かいました。
歩行歩数=18733歩、歩行距離=13.1Kmです。
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2026/07/12 05:01
(中国地方と兵庫県)遠征20日目:岩国城 (2026/05/30 訪問)
高森城から車で40分くらいで、錦帯橋下河原駐車場入口(34.164579、132.178432)に着きました。
岩国城は今回2回目の攻城です。1回目は2019年3月13日に来ました。
錦帯橋・ロープウェイ・岩国城の大人セット券は970円です。(+岩国シロヘビの館は40円割引されて160円で入館できます)
前回は時間の都合で茶臼台(岩国城出城跡)に行くことが出来なかったので、今回は茶臼台(岩国城出城跡)を攻城することを目的にきました。
~岩国城下町は以下の順番で廻りました。~
①:やり倒し松(34.168104、132.177375)
②:旧岩国藩家老吉川氏屋敷跡(34.168839、132.177057)24時間
③:香川家長屋門(34.169115、132.176676)
④:吉川家墓所(34.169273、132.174175)
⑤:吉川広家公像(34.170314、132.176064)
⑥:岩国シロヘビの館(34.170912、132.175533)9:00~17:00
⑦旧目加田家住宅(34.170918、132.175291)
⑧:岩国城ロープウェイ(34.171267、132.175314)
➡護館神(34.165936、132.166262) ロープウェイ山頂駅から15分1.0Kmくらい
護館神(岩国城の石切場)の背後周辺に茶臼台(岩国城出城跡)あり
⑨:御土居跡(34.171668、132.176836)
⑩:旧吉川家厩門(34.171530、132.177170)
⑪:吉川資料館(34.170348、132.177286)9:00~17:00 500円(展示物を考えると割高です)
⑫:剣豪佐佐木小次郎の像(34.169613、132.177954)
⑬:吉川経家弔魂碑(34.168796、132.1777689)
攻城時間は140分(移動時間を含む)くらいでした。次の攻城先=冷泉氏館に向かいました。
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2026/07/12 04:54
(中国地方と兵庫県)遠征20日目:高森城 (2026/05/30 訪問)
岐志氏館(城びと未登録 山口県岩国市)から車で2~3分くらいで、案内板付近(34.266812、132.084573)に着き、ここから駐車場入口まで車で1Kmくらい走ります。
築城年代は定かではないようですが、1449年(宝徳元年)頃に岐志四郎左衛門通明によって築かれたと云われています。
1551年(天文20年)大内氏の重臣・陶晴賢の挙兵により大内義隆が自害したのち、岐志氏は陶氏に従ったものと考えられています。
1554年(天文23年)陶晴賢の部将宮川房長が率いる軍勢と毛利元就が戦った折敷畑合戦で、岐志通明の孫の岐志甲斐守が陶方として戦い討死しました。
陶晴賢を下した毛利元就は坂新五左衛門元祐を主将として山代方面の平定に乗り出います。
元祐は高森城を拠点として改修し、成君寺山城に籠もる山代一揆軍を攻略、以降、高森城を居城として山代地方を統治しました。
1575年(天正3年)元祐が没すると嫡子宮千代が継いだが、宮千代も夭折し、弟が継ぐも幼少であったことから山代の統治からは外されました。
現在は市指定史跡としてよく整備されています。
主郭は山頂の曲輪にお堂が祀られており、この主郭を中心に南北に伸びた尾根に段々と曲輪を連ねています。
遺構として、石積、畝状竪堀群、土塁などが確認できます。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=岩国城に向かいました。
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2026/07/12 04:49
(中国地方と兵庫県)遠征20日目:高森城周辺 岐志氏館(城びと未登録 山口県岩国市) (2026/05/30 訪問)
次の攻城先=高森城に行く前に、岐志氏館(城びと未登録 山口県岩国市)を攻城しました。
源氏武田氏屋敷(城びと未登録 山口県岩国市)から車で40分くらいで、墓地入口(34.265488、132.081327)に着き、本覚寺(墓地)前に駐車しました。
高森城主岐氏の居館です。
岐志氏の居館は二つあり、岐志四郎左衛門通明の居館は「田屋敷」、岐志左馬之介通之の居館は「土居」という所にあったそうです。
岐志氏の後で高森城主となった坂新五左衛門元祐の菩提寺である本覚寺は、小さな御堂になり墓地に岐志氏と坂氏の一族の墓が残されています。
高森城の北西麓に集会所があり、そこに案内板があります。そこから少し奥へ入ると右上に墓地があり、ここが本覚寺です。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=高森城に向かいました。
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2026/07/12 04:46
(中国地方と兵庫県)遠征20日目:蓮華山城周辺 源氏武田氏屋敷(城びと未登録 山口県岩国市) (2026/05/30 訪問)
蓮華山城から車で15分くらいで、欽明路バス停付近空スペース(34.108490、132.109409)に着き路駐しました。
そこから、武田氏屋敷跡付近(34.108893、132.109510)に向かいました。
天文年間(1532年〜1555年)頃に武田刑部少輔宗慶によって築かれました。
周防源氏武田氏の祖である武田宗慶は安芸国銀山城主武田光和の庶子で、1540年(天文9年)武田小三郎が毛利元就の支援を受けて欽明路へ移り、後に武田刑部少輔宗慶と称しました。
銀山城主の安芸武田氏は1541年(天文10年)毛利元就によって滅ぼされますが、この武田宗慶は毛利氏に従って代々続き、1818年(文政元年)武田宗左衛門のとき、稽古屋敷をこの地に設けました。
この文武両道の稽古屋敷は、のちの呉武田学園(呉港高等学校・武田中学校・武田高等学校)と言う学校法人へと発展しています。
周防源氏武田氏屋敷は旧山陽道に面した地に築かれている。欽明路バス停のすぐ北にあり、道標に従って奥へ進んでいくと案内板と土塀に囲まれた屋敷跡があります。
また、屋敷内の西部及び北側山地に、武田氏代々の宝篋印塔や五輪塔をはじめとする墓石が設置されている墓所があります。
屋敷跡には「稽古屋敷創設地碑」や武田光和公、信宗公の墓などが残されています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=高森城に行く前に、岐志氏館(城びと未登録 山口県岩国市)を攻城しました。
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2026/07/12 04:41
(中国地方と兵庫県)遠征20日目:蓮華山城 (2026/05/30 訪問)
宿泊先のホテルから車で10分くらいで、比叡神社付近空スペース付近(34.108553、132.078526)に着きました。
そこから、本コース(室ヶ迫)と市の滝観音コースの登山口分岐点(34.112389、132.073452)に向かいました。
自分は市の滝観音コース(直進)を選択しました。蓮華山まで2Kmくらいだと思います。
築城年代は定かではないようですが、関東管領・上杉憲実に従って周防国に下向した太田時直の頃(享徳年間以降)と、大内氏、後に毛利氏に従った椙杜(すぎもり)隆康の時代(天文年間(1532年~1555年))の築城説があるようです。
1555年(弘治元年)陶晴賢が厳島合戦で敗れると、毛利の軍勢は周防・長門国への侵攻を開始しました。
蓮華山城椙杜隆康、鞍掛山城主杉隆泰、瀬田城主小方元康も毛利氏に降ったが、杉隆泰は大内義長に内通していたことから、毛利氏に攻められ鞍掛山合戦となり、毛利軍は鞍掛山城の搦め手側である蓮華山城から攻め落としました。
椙杜隆康は嗣子に恵まれなかったことから、毛利元就の五男元秋を養子に迎えますが、元秋は出雲国富田城督として迎えられた為に椙杜家から去り、代わりに元就の八男元康を養子に迎えました。
しかし、この元康も元秋の死後出雲国富田城督となって去った為、志道元保の二男元縁を養子に迎えて家督を譲ります。
1588年(天正16年)椙杜元縁は長門国且山城主を命ぜられ蓮華山城は廃城となりました。
比叡神社入り口を少し北側に行った所に登山道入口の道標があります。
遊歩道ははっきりとしているので迷うことはありません。それにしても高い。
攻城時間は110分くらいでした。次の攻城先=源氏武田氏屋敷(城びと未登録 山口県岩国市)に向かいました。
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2026/07/11 16:51
もうひとつの五稜郭 (2026/06/26 訪問)
上ノ国勝山館(大留)からバスに1時間20分揺られて14:30に木古内着。道の駅「みそぎの郷きこない」でいさりび鉄道グッズを自分へのお土産に購入し、15:19発の列車で函館に向かいました。(五稜郭まではおときゅう範囲外)
函館から市電函館どつく行きに乗り終点で下車。
電停目の前の公園が弁天岬台場跡で、説明板がありました。現在はその面影はありませんが、函館五稜郭と同じ武田斐三郎設計の不等辺六角形の台場で、新選組終焉の地でもあるそうです。
台場の転用石があるという防波堤……行っていません😭時間はたっぷりあったのに全く何を見に行ったのやら。やはりブラタモリでの事前学習は必須です。いや、事前学習なしでも某アプリのリア攻めマップを見れば親切な方が記録してくださっているのに😢(赤い城さんに教えていただいていつもとても重宝しているのですがこの時は失念していました😢)
なのでかなり消化不良ですが、圡方歳三と新選組隊士の供養碑のある称名寺に行ったり、周辺を気持ちよくお散歩したりできてよかったです。
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2026/07/11 09:10
能島城 (2026/07/05 訪問)
クラブツーリズムの福山ガイド同行ツアーで行った
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2026/07/11 09:08
高虎PR館 歴史講演会 「在りし日の津城」講師:三浦正幸氏
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で大活躍している築城の名手藤堂高虎公
その藤堂高虎公が手がけた集大成の城「津城」
この度、津城に深く関わっていただいている 三浦正幸先生をお招きして、城の理想的形態を備えた天下の名城「津城」の魅力に迫っていただきます。
三浦先生は、大河ドラマ「豊臣兄弟!」を始め、たくさんの大河ドラマの建築考証をされておられます。
また、全国各地の城の整備委員をされておられます。
歴史講演会にご参加いただき、津城の魅力を皆様の目で確かめていただきたいと思います。
ただいま津センターパレス1階では、「高虎PR館」(入場無料)がオープンしており、津城模型や高虎公と豊臣秀長公の関係資料も展示し、ガイドも常駐しております
この機会にぜひともご来場ください
【歴史講演会の概要】
日時 9月4日(金) 15:00~16:30(開場14:30)
場所 津リージョンプラザ3階 お城ホール
(三重県津市西丸ノ内23-1)
入場無料(先着500名 定員になり次第受付を終了)
申し込みはチラシのQRコードよりお願いいたします。
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2026/07/11 09:05
徳島城 (2026/07/04 訪問)
自分でツアーのついでに行った
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2026/07/11 09:00
河後森城 (2026/07/05 訪問)
クラブツーリズムの福山ガイド同行ツアーで行った
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2026/07/11 08:54
岡豊城 (2026/07/04 訪問)
クラブツーリズムの福山ガイド同行ツアーで行った
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2026/07/11 08:48
一宮城 (2026/07/04 訪問)
クラブツーリズムの福山ガイド同行ツアーで行った
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2026/07/11 08:44
勝瑞城 (2026/07/04 訪問)
クラブツーリズムの関本ガイド同行ツアーで行った
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2026/07/11 08:39
松江城 (2026/06/22 訪問)
クラブツーリズムの関本ガイド同行ツアーで行った
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2026/07/11 08:37
引田城 (2026/07/03 訪問)
クラブツーリズムの福山ガイド同行ツアーで行った
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2026/07/11 08:28
月山富田城 (2026/06/22 訪問)
クラブツーリズムの関本ガイド同行ツアーで行った
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