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todo94

赤い城さんのクイズの答え (2024/09/21 訪問)

赤い城さん、こんなに石樋、排水口の写真を撮りためていたとは恐れ入ります。瞬殺できたのは最初の高知城のみです。三枚目の松阪城も多分大丈夫かと。あとはもう、何が何だかわかりません。今年見てきた大阪城にも沢山排水口はありましたが、今回出題された写真の中にはなさそうですしね。六枚目なんか見ていれば記憶に残ると思いますので、きっとまだ目にしたことがないのだと思います。

あまり回答を引き延ばしても申し訳ありませんので、玉砕覚悟で答えさせていただきます。100名城の中から選んでみました。

①高知城
②丸亀城
③松阪城
④高取城
⑤岡山城
⑥和歌山城
⑦二条城
⑧名古屋城
⑨広島城
⑩首里城

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小城小次郎

大口町の小口城 (2026/11/24 訪問)

大口(おおぐち)町にある小口(おぐち)城とは洒落が効いている。沢山ある織田家のうち後に岩倉織田家と呼ばれる伊勢守系の織田広近によって築かれたという。不自然に一段高い主郭からは井戸跡や須恵器等も検出されたのだとか。

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トク

25【秀吉の九州平定をたどる⑥】島津歳久(豊臣秀吉暗殺未遂事件) (2026/07/16 訪問)

虎居城は薩摩郡さつま町にある、島津四兄弟の三男「島津歳久」の居城で、別名(宮之城)とも呼ばれています。

出水(いずみ)駅前から鹿児島空港行の南国交通バスに乗り40分、「宮之城駅(鉄道記念館前)」で下車しました(写真⑨)。ここには昭和60年まで国鉄宮之城駅があったそうでうす。そこから川内川(せんだいかわ)の川沿いを30分程歩いた、虎居城を眺める場所にある「宮之城歴史資料センター」に立ち寄りました(写真①②③)。ここでは、虎居城の模型や宮之城島津家の歴史などが、詳しく解説されています(写真④⑧)。また井伊直政が島津義久に宛てた、「早く上洛し家康殿に謁見するように」と催促した手紙など、貴重な資料も保存されており見る事ができました。

虎居城は蛇行する川内川が三方を囲んで、まるで島のようになっています(写真⑤)。この城はいったいどこから攻めたらいいのだろう🤔? 落とすのは相当難しいと感じました。歴史資料センターからさらに10分程歩いた「のびのび公園」からは全体が一望でき、新たに赤い橋が架かっていたので、渡れるかと思いましたが、まだ工事中で渡れないようです(令和9年3月頃から渡れるようになるそうです)。宮之城中学校側からも渡れないので、虎居城へは結局今は入る事はできません。よって川の対岸の公園から眺める事しかできず、橋が開通したら再度リベンジに来ようと思いました(写真⑥⑦)。

薩摩は島津四兄弟(義久・義弘・歳久・家久)が固い絆で守っていました。しかし、九州の東から南下する豊臣秀長を、義久・義弘・家久の三人で、根白坂で迎え撃つも大敗してしまいます。この時、歳久は病のため根白坂には行けず、代わりに九州の西から南下する豊臣秀吉を、自分の居城である虎居城で迎え撃つ準備をしていました。しかしここで、根白坂で兄弟たちが大敗したとの報が届きます。

敗戦から20日後、川内の泰平寺に滞在していた秀吉に、義久は剃髪して訪れ、降伏を申し入れました(写真⑩)。佐土原城に籠るも藤堂高虎に囲まれていた家久も降伏し、これに続きます。飯野城に籠った義弘は徹底抗戦を唱えますが、義久に説得されその3日後に降伏します。最後に残ったのが歳久です。養嗣子の忠隣を根白坂で失ったせいもあり、秀吉を恨む歳久は、絶対に降伏するつもりはありません。

ならば秀吉は川内から大坂へ戻る途中に虎居城に立ち寄り、自らの大軍を見せつけ降伏の機会を与えようとします。しかし歳久は降伏どころか、乗っていた秀吉の籠めがけて何と矢を射かけ、暗殺しようとしました。矢はすべて籠に当たったようですが、秀吉は事前に察知し籠を乗り換えていたため無事で、暗殺は失敗に終わったようです。それでも秀吉は歳久を許し大坂へ戻りました。

しかし5年後の1592年、島津歳久の家臣「梅北国兼」が、肥後加藤領の佐敷城にて、朝鮮(文禄の役)へ出兵しようとしていた島津義弘の船団を襲って出兵を妨害するという事件が発生し、島津軍は朝鮮に遅参するという大失態を演じてしまいます。これに秀吉は大激怒! 裏で糸を引くのは歳久と決めつけ、当主義久に弟の歳久を討つよう命じます。実は国兼の背後には別の黒幕(伊集院忠棟)がいたようですが、歳久は弁明せず、兄義久の家臣に素直に討たれ亡くなりました。

歳久は自分のせいで島津家が危ない事を察知していたのですね。泣く泣く弟を殺した義久の気持ちは、いかばかりだったのでしょうか?

さらにその8年後の1600年、関ケ原の戦いで家康の首を狙うも失敗し、命からがら薩摩へ戻ってきた弟の義弘を、義久は命をかけて家康から守ろうとします。これは同じく弟だった歳久を秀吉から守れなかった兄としてのくやしさが、そうさせたのではないでしょうか?

話がまた兄弟話に脱線して長くなってしまい、申し訳ありませんでした。次からは、豊臣秀長が九州平定を終えてから亡くなるまでの、(最後の3年間)をたどって行こうと思います。次は大坂城に続きます。
 

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イオ

雁金をどり

> 名城マイスター8級さん

上田城の投稿10枚目の写真、中段右側の御城印の登城記念の文字の下の図柄は「結び雁金紋」で、戦時の「六文銭紋」に対して平時(日用調度品など)に用いられた真田家の家紋のひとつです。祝い事などでは「州浜紋」も用いられていたようです。

ところで、大河ドラマ「真田丸」では、お梅との祝言や九度山脱出の際にこの結び雁金紋にちなんだ「雁金をどり」が印象的に用いられていますが、この雁金をどり、地元に古くから伝わる踊りかと思いきや真田丸オリジナルのものだそうで、劇中で披露されたのは1番のみですが、州浜紋にちなんだ2番、六文銭紋にちなんだ3番の歌詞まであるんだとか。真田丸、芸が細かいなぁ。


> todo94さん

和歌山県(特に南部)は「行く!」と覚悟を決めないと行きづらいところですからね(笑) その上、行きたい! と思える名の通った城も数えるほどしかありませんが、城びと登録の山城なら手取城とか安宅八幡山城とかが見応えあったなぁ…と思ったら、どちらもとうに登城済みでしたね。さすがです。
 

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トベシュン

北陸続日本100名城巡り「富山城」「増山城」「鳥越城」 (2026/09/06 訪問)

北陸続日本100名城巡り「富山城」「増山城」「鳥越城」に行ってきました。

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トベシュン

北陸続日本100名城巡り「富山城」「増山城」「鳥越城」と「安田城」に行ってきました。 (2026/09/06 訪問)

北陸続日本100名城巡り「富山城」「増山城」「鳥越城」+「安田城」に行ってきました。

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トベシュン

北陸続日本100名城巡り「富山城」「増山城」「鳥越城」 (2026/09/06 訪問)

北陸続日本100名城巡り「富山城」「増山城」「鳥越城」に行ってきました。

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トベシュン

北陸続日本100名城巡り「富山城」「増山城」「鳥越城」  (2026/09/05 訪問)

北陸続日本100名城巡り「富山城」「増山城」「鳥越城」に行ってきました。

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イオ

橡谷山砦(長浜市余呉町池原・小谷) (2026/03/28 訪問)

橡谷山砦(とちたにやまとりで・城びと未登録)は、賤ケ岳の戦いにおいて柴田方の金森長近が築いた陣城ですが、長近は前田利家らとともに羽柴方と戦うことなく戦線離脱しています。

中谷山砦から10分弱で橡谷山砦に到達。橡谷山砦は大きく分けて北の曲輪と南の曲輪からなり、北の曲輪の東側には駐屯地と思しきほぼ自然地形の曲輪群が尾根沿いに続いています。東尾根の曲輪群を抜けて東側の虎口から北の曲輪へ。北の曲輪は西辺、北辺、東辺を土塁がめぐり、東と北に虎口が設けられています。曲輪内には「中之谷山 原彦次郎長頼砦」の標柱が立てられていて、この地が中之谷山砦、林谷山砦への分岐の地が橡谷山砦(金森長近砦)とする説に基づくもののようです。北側の虎口から出て北に回り込むと北の曲輪北辺の土塁の向こうには自然地形の尾根が続いていました。北の曲輪南西辺の堀切を越えて南の曲輪へ。途中、ほぼ自然地形の平坦地が続いていますが、このあたりも駐屯地だったのでしょうか。南の曲輪は北東辺と南西辺に土塁、北西辺に横堀をめぐらせていますが、北の曲輪よりも藪化していて遺構が確認しづらい状態でした。

この地が橡谷山砦だったのか中之谷山砦だったのかはわかりませんが、南東は中谷山砦、北東は柏谷山砦から大谷山砦、南西は別所山砦に通じる柴田方の陣城群の要となる位置であり、多くの兵を収容できる広さがあることから、原長頼(大野郡の3分の1)よりも石高(=動員力)がある金森長近(同3分の2)の陣と考えるのが妥当なのかな、とも。

橡谷山砦に続いては、同じく戦線離脱組の前田利家の陣城・別所山砦に向かいます。
 

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赤い城

おめでとうクイズ🥳

改めましてtodo94さん、2000城到達おめでとうございます!
まだ通過点かと思いますがこれからも素敵なレポートお待ちしております。
にのまるさんの橋シリーズのオマージュです。
toq94さんにとっては瞬殺案件かと思いますがこちら、それぞれどこのお城でしょうか。

クイズが気になり、最近変な巡り方になっています🥹

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todo94

シルクフェア (2026/04/29 訪問)

>イオさん ご祝辞ありがとうございます。イオさんはたしか和歌山県の方ですよね。現時点で私の攻城数が最も少ない県が和歌山県なのです。山城シーズンに突入したら年内に和歌山に足を伸ばしたいと思っております。よろしくお願いいたします。

>にのまるさん 岡谷にいらしてたのですね。林家住宅と蚕糸博物館を結ぶ途中に拙宅がありますので、うちの前をにのまるさんが歩かれたかと思うと感慨深いものがあります。毎年、4月29日にシルクフェアが開かれていて今年は30回の節目を迎えていました。林家住宅、蚕糸博物館が無料のほか、通常非公開のスポットもめぐるスタンプラリーが開催されます。スタンプラリーのためのバスも運行されますので機会がありましたらまた、お越しください。投稿写真は今年のシルクフェアの際に撮影したものです。(花岡城は全く関係ないので恐縮の限りです。)

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にのまる

岡谷駅から一日散歩 (2026/09/04 訪問)

todo94さん、早速のお返事ありがとうございます。
花岡城、もちろん正解です(*´꒳`*)

先日久しぶりに行ってきました。
最近飯田線にハマっていて、その日は下伊那郡の大島城を予定していたのですが、雨予報のためお城抜きで岡谷の蚕糸博物館、美術考古館、旧林家住宅に行くことにしました。

最初に蚕糸博物館へ。富岡製糸場のような規模ではありませんが展示品も多く、シルク産業の歴史や工女さんたちの日常を知ることができました。実際の作業風景を見学させていただいたり、桑の葉をハムハムする蚕ちゃんたちのかわいい姿に釘付けになったり。気づけば2時間近く滞在していました。

見学を終えて外に出てみると、あれ?晴れてる☀️
それならばと、歩いて花岡城へ向かいました。帯曲輪、主郭、土塁、三角点をチェックします。天竜川に諏訪湖。少し登っただけで視界がひらけ、眺めも抜群。もしかしたら高島城が見えるかも?と思ったのですが無理でした。帯曲輪で見かけたのが岡谷市鳥瞰図。昭和初期の製糸工場が並んだ姿を現在の様子と見比べられるという絵図でした。

下山後、市立美術考古館へ。企画展「四大城址ー戦乱の信濃を望むー」開催中ということで行ってみたのですが、手作りの模型や謎解きパンフレットなどもある楽しい展示でした。武田信玄狼煙リレーに合わせた企画だったかも。向山伊保江七宝展も、常設の縄文土器展示もとてもよかったです。

最後に重文の旧林家住宅へ。こちらの受付で初めて2館・3館・5館共通入館券があることを教えてもらい、最初にここに来ていればー(>_<)と思ったりもしましたが、気儘な旅をしていればこんなこともあります。
そして、この住宅が本当に素晴らしかったです。古民家めぐりも長年の趣味なのですが、ここまで丁寧に一対一で解説していただたことはあまりなく、建物の普請や家具、仏壇、調度品のすばらしさもさることながら、解説員の方のお人柄がとても温かく、岡谷散歩の締めくくりにとてもいい時間が過ごせました。


ということで、赤い城さんにおめでとうクイズ、バトンタッチします!

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カズサン

「道の駅かわはら」より遠望撮影 (2026/09/06 訪問)

 兄の49日法要で帰省した折、中国道佐用JCTより鳥取道(無料区間)通行、蛇行した千代川(センダイカワ)を渡り、高津原トンネルを抜けると模擬天守成る河原城(丸山城)が眼前に迫って来ます、永年帰省の度に目にする素晴らしい光景です。
 トンネルを抜けて直ぐの「道の駅清流茶屋かわはら」に寄って、最近手に入れたコンデジで光学16倍デジタル30倍の力を試してみようと道の駅に寄り、直線距離約1.3㎞で撮影、丸山城、地元では河原城が有名かも、平成6年のふるさと創生事業で丸山城山頂に模擬天守を作り、展望台/資料館を造り鳥取市街に入る隘路の千代川沿いに古城丸山城跡跡城郭風模擬天守閣が景観として30数年経っても目を楽しませてくれています。
 道の駅では丁度時期の二十世紀ナシと最近評判な新甘泉(シンカンセン)瑞々しく二十世紀梨より若干甘くややブラウン色を販売して居ました。
 試し遠望写真を投稿します。
  

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長野県の城巡り 最後はここ (2026/08/23 訪問)

原則、私の名城巡りは1つの城を1~2時間で見学し、スタンプを押し御城印と(あれば)城カードを購入して次の城へという感じですが、今回巡る城は私と娘にとって特に思い入れのある松本城と上田城だったので、時間は気にせずに思う存分見て歩こうと、1日1つの城に絞って2泊3日で計画を立てました。
そんなわけで最終日ですが、「真田好き」がハンパない娘が何カ月も前から楽しみにしていた上田城です!
徳川軍を撃破した真田一族の城として有名ですよね♪

当日は朝食後そのままホテルをチェックアウトして上田城に着いたのが朝の8時。御城印や真田グッズが買える「上田市観光会館」は9時オープン(上田市立博物館も)なので後回しにして、さっそく二の丸橋を渡り、内堀の外周をぐるりと一周してみました。
その後、東虎口櫓門を通り、真田神社でお参りした後に直書きの御朱印を頂きました(通常版の他に見開き2ページを使ったスペシャル版がめっちゃ綺麗で感動しました!)
その後、西櫓を見て本丸の広場に入りました。
土塁に上がれる場所があったので登って、隅欠や本丸堀を見下ろしながら歩きました。
そうこうしているうちに博物館がオープンしていたので入館しました。
真田氏関係は別館の方に通常展示としてまとめているので別館だけを見学する予定でしたが、何と本館で「上田城・歴代藩主」という特別企画が開催中で、真田好きの娘は大喜びで、じっくり時間を掛けて見学しました。
櫓門手前右に(探していた)真田石を見つけ、その大きさにビックリ!
東虎口櫓門の左右にある南櫓と北櫓の内部を見学できるというので、もちろん見学しました(有料)
その後、西櫓の裏側にある階段を下りて尼ヶ淵に降りました。
尼ヶ淵からは石垣(野面積み、打込み、切込みと色々)や古い地層(段丘崖)が露出しているのを確認できました。
特に西櫓を石垣に近付いて見上げるアングルはもう迫力満点です。
また、けやき並木遊歩道方面に少し歩いて離れた場所から見渡すと虎口門の北櫓を手前に奥に西櫓を一望できました。
この構図は東虎口櫓門と並んで上田城の定番写真としてでネットでも良く見かけるので私も真似をして撮ってみました (^o^)
帰りは、かつて空堀であり、後に鉄道が敷設されたと言う「けやき並木遊歩道」を通って駅があったと言うコンクリートのアーチの辺りを登ると、正面にお目当ての「上田市観光会館」がありました。
館内には真田幸村の銅像があり、一階の売店には10数種類の御城印を始め、武将印など目が泳ぐほど(特に真田好きには堪りません)多くのグッズが並んでいて、ついつい財布の紐も緩んでしまい欲しいものは全部レジに持って行って総額1万円の買い物でした!(^O^)/

この後は例によって投稿した写真に沿って説明をさせていただきます。
① 毎回1枚目は、私の勝手なこだわりで御城印と決めています。ただ今回の上田城、今まで巡った城の中で御城印の種類が飛び抜けて多かったです(最多)「上田市観光会館」の売店になんと12種類もの御城印がありました。正式な御城印(写真左)は2Fの上田市観光案内所で先に購入して1Fの売店に降りると、もう、あるわあるわ、武将印、御城印、真田グッズや真田のお土産、お菓子が一杯! 私は縁を大切にする人間なので売店に並ぶ12種類の御城印を全て購入しました その中で残り数枚と書かれた限定版の御城印が2種類ありました。真田好きの娘は熟考の末に選んだ数枚と見本 (残り僅かの2種は見本を持って行きレジ渡し)を持って会計しようとしたところ、見本2種のうち片方が、私が買った分で完売だったそうで、私のをプレゼントしました。真田好きな娘が持つのが相応しいと思います♪ そんなわけで私の手元にある御城印は合計11枚。もちろん全部を写真投稿するつもりで11枚をどう配置しようか悩んだた結果、1枚目に正式版ともう1枚を並べて、10枚目に3列3段で9枚を一挙公開ということにしました。正式版の隣に配置する1枚はどれに?と頭を悩ました結果、(残り僅かの限定版で私の手元にある)1枚を右隣にと考えました。家に帰って整理する時にネットで調べたところ「攻城団の御城印コレクション」に説明があり「上田城御城印(刺繍版)\1,000」で200枚限定。2024上田城紅葉まつりの際、3日間だけ発売されたレア物と解りました(つまり売れ残り) でも、貴重な和紙を使い城名は刺繍で描かれているこの御城印は二度と手に入らないと思われ私にとって宝物の御城印になりました。
② 2枚目はいつも「この城を代表する景色」に決めています。まあ普通なら正面の顔とも言える再建された東虎口櫓門なんでしょうけど(御城印のイラストも全てがこちら)あえて私はこの写真を選びました。なぜなら城巡りの際は「日本100名城と続日本100名城に行こう」をスタンプ帳として携帯しているのですが、上田城の紹介ページに載っている3枚の写真の中で断トツに大きく写っているメインの写真がこの景色だったからです。尼ヶ淵から見た東虎口門の南櫓(手前)と奥に見える西櫓をフレームに捉えた構図ですが西櫓は現存ですからね。代表的な2つの櫓を主役にイイ感じの雲が青空に入る美しい空を広めに入れて開放感を表現した自信作です! 石垣も楽しめますし、木々で連なる櫓と櫓とと空の対比も気に入っています。
③ そして惜しくも私の2枚目(城を代表する景色)に漏れた東虎口櫓門が3枚目(銀メダル)です。この門を載せるにあたっても、ズームして門を大きく撮った写真と、左右の櫓も写るように引いた写真の方が良いのか、散々悩みましたが、悩んだ時の100名城スタンプ帳! 上田城のページを見ると引いた構図の写真たったのでこちらにしました(バイブルかよヾ( ̄o ̄)) 向かって左が南櫓、右が北櫓です(平成6年再建) この時、人がいなかったのもラッキーでした。狙ったわけではないですが門の奥に真田神社の鳥居が見えていましたね。
④ そして3枚目ですが、これもバイブルの3枚目最後の写真「真田石」に決めました。本丸東虎口の手前右にある城内最大の巨石が石垣の石として普通に使われているのがなんか不思議です。ところが私が撮った石垣の真田石、う~ん、こんなに大きいのに大きさが伝わってこないなぁ。。。と言うことで娘にお願いして横に立ってもらいました。娘は身長160cm代後半なのですが、横に立つと真田石の巨大さが一挙に伝わって大爆笑。見え方の違いを見てもらいたくて両方の写真を上下に結合しました。上が真田石だけ、下が真田石と娘。この見え方のギャップが最高です!
⑤ 上田城にある3つ(以前は七つあったらしい)の櫓の中で、この西櫓だけが江戸時代から現存する唯一の建物です。白い壁、黒い下見板と石垣との組み合わせが上田城の重厚な雰囲気にマッチしています。2枚目の写真の奥に写ってるのが西櫓です。
⑥ その西櫓を下にある尼ヶ淵から見上げた写真も続けて貼っておきます。様々な積み方の石垣と古い地層の上に建つ黒板張りの二重櫓は素晴らしいの一言。青空に湧く躍動感溢れる雲を背景にすると、そのコントラストで西櫓が浮き上がってくるような気がします。
⑦ やはりお城ですから堀の写真も1枚入れておきたいと思いコレを選びました。急な土の法面と水面が細長く続く景観が城の堀らしい風景です。
⑧ 東虎口櫓門を抜けるとすぐ正面に真田神社が鎮座します。左側の写真は参道正面から鳥居を撮ったもので鳥居に架けられた房が五つ下がる太いしめ縄が迫力ありました。右側の写真は境内の回廊の様子で、天井から吊り下げられた風鈴飾りや、左右に並ぶ青や緑の風車の装飾が涼しげで、少しだけですが暑さが和らぎました。( ´Д`)=3 フゥ
⑨ 左側の写真は、けやき並木遊歩道です。実は元々二の丸の堀だったところで、資料によると昭和2年に真田方面行きの電車の線路(上田温泉電軌(株)北東線)が敷設されたそうです。正面のコンクリートのアーチ型トンネルの下が、公会堂下駅(昭和23年に公園前駅と改称)だったとあります。私達が訪れた時もプラットホームの名残りがありました。電車は昭和47年に廃止となり、昭和56年にケヤキ並木遊歩道が完成したそうです。そして、このアーチトンネルの上が二の丸橋だったとは驚きました。二の丸橋と言えば、右側の写真、橋を渡ってすぐのところに、ゆるキャラみたいな変な顔の石柱行燈がありました。気になったので撮っておきましたが娘が調べてくれて謎が解けました! 二の丸橋を表しているそうで。上の横並びの円が二つ(ニの丸)、中涙のようなハが(橋のハ)、口のような三日月の上に鼻のように円が二つ縦に連なっているのが合わせてカタカナの「シ」(橋のシ)を表していて、「二の丸橋」ということらしいです。ちょっと見ただけでは分からないですよね~ 知らなかった方もいるのでは?(^-^)
⑩ 最後は1枚目で紹介しきれなかった9種類の御城印を一挙にご覧いただこうと思います。まず上段の左側は城主だった仙石家版で東虎口櫓門を斜めから捉えたイラストが描かれています。何故か「永楽通宝」の朱印が押されていますが何故かと思い調べたところ、織田信長か平楽通宝のデザインを織田家の旗印として用いており、上田藩主になった仙石忠政の父・秀久が織田家臣時代に信長から拝領した家紋と言うことです。上段の中央は仙石氏と領地を交換する形で上田に入封した藤井松平家版で家紋「五三の桐」を中央に下には仙石版と同じく東虎口櫓門が描かれています。ただしこちらは少し離れて真正面からの構図です(偶然ですが私の3枚目と同じですね) 上段の右側は朱印が無く城名が金文字のバージョンです。東虎口櫓門を少し斜めから捉えたイラスト(写真?)が描かれています。中段の左側は下部に東虎口櫓門のイラスト、右上に真田の六文銭、その下に仙石家の永楽通宝、左下に藤井松平家の五三の桐と、それぞれの家紋が描かれて左上には朝顔という賑やかな御城印です。中段の中央は東虎口櫓門が幻影的に描かれていて私が一番好きな御城印です。中央の大きな意匠は真田家を象徴する六文銭で、六つの丸に四角い穴がある形が正式でハッキリと見てとれますね。中段の左側は珍しい夜の東虎口櫓門が描かれて右上に六文銭、左上に巨大な満月が映っている配置が印象的です。それより「登城記念」の文字の下にある、鳥が丸まってるような意匠?は何なのでしょう? 気になって仕方ありません。ご存じの方がいたら、ぜひ教えて下さい。下段は3枚とも売れ残りと思われますが、せっかくココに来たのですから購入しました。左は「七七七記念バージョン(令和七年七月七日)」です。中央は昨年9月に限定発売された「神無月バージョン」で下の彼岸花が季節を感じさせます。右は昨年開催された「上田城紅葉まつり」の限定版御城印で、なぜ上モミジが紅葉してなく緑のままなのか不思議です(「紅葉まつり」なのに)

今回の長野県城巡りは娘が付き合ってくれたのもあって、最高に楽しい時間を過ごすことができました。
名城中の名城「国宝・松本城」を始め、真田マニアにはたまらない「松代城」「上田城」とどれも名城ばかりで今までの城巡りの中で一番お気に入りの旅になりました♪\(^o^)/

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イオ

中谷山砦(長浜市余呉町池原) (2026/03/28 訪問)

中谷山砦(城びと未登録)は、賤ケ岳の戦いにおいて柴田方が築いた陣城で、原長頼が守将ともいわれますが詳細は不明です。

林谷山砦への分岐(金森長近砦跡)から5分あまりで中谷山砦に到着。主郭東辺の土塁と横堀が登山道に立ちふさがり、北側には喰い違い状に設けられた土塁が北斜面に竪土塁となって続いています。主郭はあまり削平されておらず南側に緩やかに傾斜していて、東辺から南辺にかけて土塁で囲んでいます。主郭の南東側からは切通道が南に下っていて、北側の竪土塁と同じく東側からの侵攻に備えたものでしょうか。主郭の南西から南にのびる支尾根には、ほぼ自然地形の小曲輪群が設けられ、土塁も見られました。

中谷山砦を過ぎると、「滋賀県中世城館分布調査報告書」にいう橡谷山砦に至ります。


> todo94さん
城びと2000城達成おめでとうございます! その4分の1にも満たない身には想像もできない数ですが、今後とも全国各地のレポートを楽しみにしております。
 

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todo94

にのまるさんのクイズの答え (2018/08/26 訪問)

>にのまるさん ご祝辞ありがとうございます。昨日は、にのまるさんの投稿を拝見する前に自分の投稿をしてしまい、失礼いたしました。

実は私、かなりいい加減な城めぐりをしています。ずさんな下調べで見逃しポイントをたくさん作ってしまっています。それを2度、3度と訪れるきっかけにしてしまっているんですよね。この先、どこまで攻城数を伸ばせるかわかりませんが、まだまだ勤労意欲もありますので、土日祝日中心の城めぐりは継続していきたいと思います。来年の誕生日には、大人の休日俱楽部ジパングに加入できる歳になるのですけれども。

さて、クイズの方ですが、かなり忖度をしていただいたように思います。絵図は諏訪湖だとお見受けしました。絵図の実物はまだ見ていないのですが、諏訪湖の北側を俯瞰する構図になっているので、私の自宅に至近の花岡城を回答とさせていただきます。

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赤い城

芝生城 徳島県三好市 (2026/08/09 訪問)

城びと未登録です。
川北街道から案内板に沿って少し北側に入った場所にあります。
周囲は農耕地と民家で遺構はありません。

それでも大きな説明板と立派な石碑が設置され、地元の方の熱意が感じられます。
三好氏発祥の地とされ、三好長慶の生誕地でもあります。
遺構は残らないものの吉野川を望む立地からはそれらしさを感じることはできるかと思います。

【見どころ】
 ・石碑
 ・眺望

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dougen

2025.11.8登城 (2025/11/08 訪問)

京成線東中山駅の西側にある小栗原稲荷神社~多聞寺の背後の高台付近が城ノ台城址となります。
鉄道の敷設や宅地化により、城址であった台地は改変されており、遺構は残っておらず、解説板等の設置も特にありません。

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dougen

2025.11.8登城 (2025/11/08 訪問)

JR市川大野駅の南東にある市川市立第五中学校が大野城址となります。
宅地開発により遺構らしい遺構も残っておらず、辛うじて西側の民家と境のブロック塀の下に土塁の痕跡が残っています。
なお、解説板が設置されています。

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ダイエティシャン

南総里見八犬伝【里見忠義公】ゆかりの地 (2026/09/06 訪問)

打吹山城のある倉吉市は南総里見八犬伝のモデルの【里見忠義公】ゆかりの地。

里見忠義の住居は【山郷神社】周辺にあったと云われる。
里見安房守忠義 主従之びょう】(写真①)は、【山郷神社】(②③)の西方、シイの大木の根元に建立。
山郷神社入口(②)東に駐車場あり。階段を上り、
山郷神社の直ぐ西側に駐車スペースあり(④)(④)から西に伸びるアスファルト道をすすみ、屋根に鯱がある空家を過ぎ(⑤)、田?畑?を直進(⑥)突き当たりに(①)があり。
他経路は、(④)ガードレール付きの下道で、駐車場(⑨)に到着。また(①)の右奥に階段付きの歩道(⑦⑧)を下りると(⑨)に到着。(⑨)の付近に案内板(⑩)
この日は、道路も草等が刈ってある様子で歩きやすかった。

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