出雲勝山城からの転戦です。出雲勝山城でかなり消耗してしまいましたが、この城はさほどのエネルギーを必要とはしませんでした。麓にお住いのお年寄りに声を掛けられ、昔話など拝聴でき、進む方向などもご教示いただきました。ありがたいことです。登城口の表示にもある通り、丁字路を左に進むと京羅木山に至ります。教えていただいたとおり、右手に進むと、木野山社古墳群が残る地に木野山神社が建つ主郭にたどり着きます。
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2026/04/08 07:15
年度末山陰の攻城・尼子十砦編③ (2026/03/28 訪問)
出雲勝山城からの転戦です。出雲勝山城でかなり消耗してしまいましたが、この城はさほどのエネルギーを必要とはしませんでした。麓にお住いのお年寄りに声を掛けられ、昔話など拝聴でき、進む方向などもご教示いただきました。ありがたいことです。登城口の表示にもある通り、丁字路を左に進むと京羅木山に至ります。教えていただいたとおり、右手に進むと、木野山社古墳群が残る地に木野山神社が建つ主郭にたどり着きます。
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2026/04/08 06:30
天下への出発点 (2026/03/22 訪問)
尾張2日目は朝駆けでまずは清洲城。
模擬天守の駐車場を利用して散策しました。
早朝なので模擬天守には入れません。
また、桜も見頃まではもう少しの時季でした。
模擬天守の前には信長塀が復元されています。
お馴染みの大手橋、赤い橋を渡りまずは石垣を見学。
五条川の護岸工事で発掘され、復元されたものだそうです。
清洲古城跡公園には信長社や石碑があります。
朝から公園を散歩している方も多く、挨拶をしてすれ違います☺️
東海道線の高架を挟んだところに清洲公園があります。
ここも城域で信長と濃姫の像が立っています。
「二人の愛と希望の丘」との説明板がありパワースポットとなっているようです。
復元された石垣の他にはこれといった遺構はありませんが信長がここから桶狭間に出陣、さらには天下へ、と想うとロマンを感じざるを得ません。
【見どころ】
・石垣
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2026/04/07 21:35
朝仰ぐ 鶏の伏せ籠や いつの日か 忘れ廃れて 苔むす古城 (2026/04/05 訪問)
岡城は瀧廉太郎、龍野城は三木露風、そうめんはやっぱり揖保乃糸。
城郭と音楽家の繋がりもまた一興。
前回訪れた際、時間の都合で登れなかった龍野古城(鶏籠山)へ。
後期赤松家の祖 赤松政則、その側室の子である村秀が初代城主とされます。赤松惣領家の義村(置塩城主)と、守護代の浦上村宗との対立において義村についた村秀が、村宗を味方した則貞(那波城主)をこの城で殺めたという史実が残っています。則貞は村秀の祖父にあたります。鶏籠 "ケイロウ" 山なわけですが、"敬老"とはこれ如何に、、
二代城主の政秀は、永禄7年(1564)正月に宿敵である浦上氏の本拠 室山城を攻めますが、のちに毒殺されます。三代城主の広貞、四代城主の広英はいずれも政秀の子であり、天正5年(1577)に始まった羽柴秀吉の播磨平定で、一族存亡の危機を感じた広英は戦わずして秀吉に降伏しました。のちに秀吉の下で功績を挙げた広英は竹田城主となります。
播磨平定後の天正9年(1581)には蜂須賀正勝が5万3千石で入城、その後は福島正則、木下勝俊、小出秀政、山口広貞と城主が変わっていきました。慶長9年(1604)、姫路城主の池田輝政は龍野城も支配していましたが、元和3年(1617)に本多政朝が入封、つづいて小笠原長次、岡部宣勝、京極高和らが藩主となります。
京極氏が丸亀に移ったのちの龍野は江戸幕府の直轄領となり、城や屋敷は放置されて荒廃していたと『播州揖西郡龍野志』に記されています。山麓に復元された近世の龍野城は、寛文12年(1672)に信濃国飯田藩から入った脇坂安政により整備されたといわれており、脇坂家は明治維新まで十代約200年続きました。
鶏籠山に残る龍野古城は、標高218mの本丸と、本丸から南に160mほど離れた標高200mの二の丸からなる連郭式山城です。本丸には北と南に石垣を用いた虎口を設けています。特に南側は櫓台が良好な状態で遺っており、喰違虎口を形成しているのがよく分かります。本丸北西隅の石垣は特に遺構状態がよく、秀吉に従った赤松広英が改修したと推測される織豊系技法が施されています。また、本丸下の八幡宮跡付近では石だたみの一部が確認できます。
龍野古城との出会いは、私が生まれる少し前に上梓された著書に載っていた石垣の写真を見た小学生のときです。あれから20年近く経ち、実際に足を運んでこの目で確かめてきましたが、石垣には緑緑しい化粧が自然の摂理により施されていました。往時から静かに揖保川を望み、時の流れに身をまかせ荒廃の一途を辿った鶏の伏せ籠ですが、そこに姿を晦ます遺構からは中世から近世初期にかけての軍事情勢などを想起することができます。
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2026/04/07 18:51
京都はんなりポチめぐり⑦ (2026/03/22 訪問)
開田城は,阪急京都線の長岡天神駅から,約100mの距離です。先人の方々のオカゲで,マンションロビーの模型展示を見逃すことはありませんでした。感謝申し上げます。
そうそう,長岡京市役所の向かい側(やや東寄り)に,東横イン建設中でした。勝竜寺城,開田城の最寄りでありながら,京都市内を伺うポイントとして有効です。たぶん,京都市内よりは格安になると思われますので。参考までに。
4月11日,今年初の上京です。永青文庫に出没します。たぶんお昼前後になると思います。
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2026/04/07 13:16
小江戸甲府花小路 (2026/03/18 訪問)
「東横イン甲府駅南口1」に宿泊しました。駅から遠い方の東横インですが甲府城至近かつバリュー価格で願ったり叶ったりです。
日没後の甲府城を散歩しました。
柔らかな灯りに包まれた石垣はとても幻想的で、ほころびはじめた桜の花が風に揺られ、濃紺の夜空に鏤められた星々のように瞬いています。
昨春オープンした『小江戸甲府花小路』
初めてなのにどこか懐かしさを感じる通りはゆっくりゆったり歩きたくなる趣があります。駅前の喧騒から逃れ大人の休日を過ごすのに程よい雰囲気でした。
翌日、明るい時間帯にもう一度散策しました。
【甲府城を知り尽くす】
難しそうだけれど挑戦してみたくなりました。
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2026/04/07 11:47
地下の通路に
大阪の4ビルに向かう地下通路にひっそり石垣ありましたw
過去大阪城に使うために切り出していた石を利用して組んだらしい。
最近知ったんやけど、ここの方々は既知なんだろうなぁ、と思いつつ投稿。
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2026/04/07 10:33
桜の久野城-3/3 大土塁・竪堀編 (2026/04/03 訪問)
大手口より東、北に廻り、東の丸下段の櫓台跡が水堀の葦が刈られて良く観える、水路を渡って久野城の北辺を裾野側より眺めると、大土塁、大土塁上の桜並木、東の丸と大土塁間の大竪堀も小竹を刈られて良く観える様になりました、しかし小竹の成長も早い以前刈られていた小竹も竪堀内に残ってる、鷲巣上公民館側から駐車場へ戻る。今回は周辺から眺めるだけで北の丸、三の丸、二の丸、本丸、高見、東の丸、大土塁へは登って居ません。
今回は逆さ桜の久野城を観る事は出来ませんでしたが桜に覆われた久野城を堪能しました。
また到着時駐車場で熱心に写真を撮られてる方が居ましたので声掛けしたら、豊橋から電車、循環バスを乗り継いで来られてたとの事、もしかして豊橋の城びと会員ヒロケンさんかな?と城びとに投稿されていますかと尋ねましたが否との事、そう簡単に城びと会員の方に城跡で会える事は無いのでしょう。
駐車場に有った久野城址周辺マップ、マップ内の保存会が出来た頃のスッキリした久野城址写真、袋井駅から久野城址までの循環バス時刻表も写真アップします。
周辺の寺院に油山寺が久野城の北北東(直線で2km程経路で3km程)に在りますます、ここの山門は掛川城の大手門が移築されて居り見所の一つです。車での探訪がよろしいかと存じます。
久野城の後は桜の掛川城を訪ねました。
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2026/04/07 09:30
桜の久野城-2/3 北の丸・東の丸編 (2026/04/03 訪問)
はやる気持ちで南の丸南側の遊水池に映る逆さ桜の久野城を観たさに急ぎ足で北の丸下から西の丸、南の丸、大手口を通りましたので気に入った処、ポイントの写真を投稿します。
駐車場から北の丸より垂れ下がり覆われてる桜、西の丸へ回り、北の丸、北下段側を見上げると小竹が刈られて見通しが良い桜が良く観える、三の丸が刈り上げられて三の丸と木々に覆われた二の丸の対比も良し、見上げる本丸の白い大島桜と萌黄新緑木立ちの対比が春の時期を醸す、大手口より東の丸を見上げると見所によって1本桜に見える3本桜と刈り上げられた東の丸曲輪丘陵も美しい、東に廻って東の丸を北東側から見上げると水堀跡の葦は刈られて東の丸曲輪の土塁法面も良く観える、美しい景観です。
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2026/04/07 08:28
矢部期の古城 (2025/11/02 訪問)
鎌倉期に矢部暉種が鶴尾山に築いた城で、矢部氏代々の居城となりました。戦国末期に尼子残党が攻め落とすも、吉川元春に攻められ撤退。羽柴秀吉の因幡攻めでは拠点となり、鳥取城が落城すると木下重堅が入りました。関ケ原の戦いで西軍についた重堅が改易されると山崎家盛が入封しましたが、池田光政が鳥取城に入ると若桜は鳥取藩領とされて山崎氏は備中国成羽に移封。若桜鬼ヶ城は一国一城令により廃城となりました。
若桜駅前の町営駐車場(無料)から観光案内所で散策マップをもらい、続100名城スタンプを押して登城開始。山頂部まで車道が通じていますが、山腹の矢部期の遺構も見たいので山麓から歩いて登っていきます。八幡広場から鶴尾山を遠望し、若桜鬼ヶ城跡の説明板の立てられた登山口から約10分で尾根筋に出ました。折り返して尾根の北端に向かうといくつかの小曲輪が連なり、木造のテラスや卒業記念のモニュメントが建てられています。登山道に戻って数分進むと、小さな東屋に山腹遺構の説明板があり、このあたりが古城と呼ばれる矢部期の主郭部のようです。切岸の上に小さな主郭があり、主郭の背後は堀切で断ち切っています。主郭から西にのびる支尾根には幾条かの竪堀を落としていました。
古城を過ぎると尾根をまっすぐ登るルートと六角石垣側に回るルートの分岐があります。六角石垣ルートは帰りに通ることにして、なかなかの急傾斜を登って行くと斜面にいくつかの段曲輪が設けられていました。そして分岐から10数分で山頂部に到着。三の丸からは若桜の城下町が一望のもとです!(続く)。
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2026/04/07 07:06
内堀に沿って (2026/03/21 訪問)
2018年9月以来、2回目の登城です。
名城公園の駐車場を利用しました。
今回はとことん、というわけにはいかず駆け足での見学です😓
東黒鉄門の枡形から入城、二の丸には信長ゆかりの那古屋城跡があります。
清正公石曵きの像、東南隅櫓を見て本丸へ。
本丸御殿は30分待ち、やはり多くの人で賑わっています。
ここはスルーして天守を経て西の丸に出ました。
西南隅櫓から石垣を見たあと引き返し正門から退出、ここから内堀に沿って歩きました。
正門の外には深い堀、ここから北に向かいました。
鵜の首や石垣を見ながら散歩、つい最近の江戸城を思い出します。
清洲櫓とも呼ばれる西北隅櫓、堀の水面に写る姿も綺麗でした。
北側の石垣も綺麗、やっぱり全部見るには1日かかるのかな〜と思いながら駐車場に戻りました。
【見どころ】
・鵜の首
・現存する3つの櫓
・石垣
・本丸表門の枡形 など
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2026/04/07 07:03
年度末山陰の攻城・尼子十砦編② (2026/03/28 訪問)
昼食に割り子蕎麦をいただいた後、月山富田城からの転戦です。ぴーかるさんの投稿にある広厳寺に「お声がけください。」看板がありましたので、お声がけをしてありがたく駐車場をお借りしました。グーグルマップのマーカー「勝山城跡 登山口」の口コミには「登城禁止」の文言がありますが、登城禁止ということはなさそうです。獣よけフェンスの内側の登城路は判然としてなく、尾根伝いに山頂を目指します。何の表示もないですが、畝状竪堀や三重堀切など、素晴らしい遺構が残っています。ただ、下城時は何度も違う谷に下りかけることを繰り返してしまいました。ピクミンブルームの花植えの軌跡に頼り切って何とか無事に下山することができました。
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2026/04/06 22:08
2026/04/06 21:27
高山右近ゆかりの城跡 (2025/12/28 訪問)
箕面の奥座敷の登山のついでにキリシタン大名として有名な高山右近生誕地にある城跡を訪問。大阪近郊とは思えないのどかな場所だが、バスで比較的簡単にアクセス可能。場所は見つけにくいが、探し回るのもまた楽し。
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2026/04/06 20:03
桜の久野城-1/3 水面に映る久野城編 (2026/04/03 訪問)
今年も桜の時期に成り遠州路の城と桜廻り、4月2日に浜松城、3日は久野城から開始、令和5年に久野城の南側水田が遊水池と成り、水面に映る逆さ桜の久野城に感激して此処例年訪ねて逆さ桜の久野城撮影に挑戦しております。今年は如何かなと北側の駐車場からはやる気持ちを抑えながら、西の丸、南の丸、大手口より南側の東名高速道側へ、遊水池の東側農道から撮影、しかし微風有り水面は少しさざ波が立ち鏡面の逆さ桜の久野城を見る事は出来ませんでしたが桜の覆われた久野城は見事な姿を今年も見る事が出来ました。
最後の9番目に2023/03/29撮影の遊水池に映る逆さ桜の久野城を投稿掲載します。
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2026/04/06 18:20
大手道から主郭北西の郭群へ行ってみました。 (2026/04/03 訪問)
朝倉氏の一乗谷へ続く広い谷を向かいの成願寺城と共に守っています。朝倉氏が滅んだ後、豊臣政権下の長谷川氏が整備したとのこと。削平、堀切、土塁の規模は大きいです。天守台の石垣があるというので、主郭切岸か思ったらと、林道まで下ったところなんですね(写真4)。これも切岸と言えば切岸ですが、だいぶん下。早春でもあり、草を透して見ることができました。
城びと先人は、主郭北西の連続郭群は、未訪問であったり、薮化してあきらめておられます。現場の地図を見ると、北西の郭群に、月見櫓跡とあり、そそります。また、いったん麓まで下りて、大手道からアクセスすると到達できそうな感じです。三社神社まで移動して、登ってみました。幅広の整備された道があり、尾根に上ってT字の左に行くと連続郭群へ、右に行くと主郭群に至れました。連続郭群はあまり手が入ってないですが、疎林であり、散策できました。段々の連続郭や急斜面の切岸を認識することができました。T字の右に行くと写真8のところで、林道に合流します。天守台の石垣の近くでした。
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2026/04/06 14:51
今回弾丸琉球攻城最終! (2026/03/24 訪問)
タイトル通り今回最終です。
いやー3日間で15城も行きとても疲れましたが、天気も予想に反してなかなか良く素晴らしい光景を見せてもらえました。
現在改修工事中のようで仮設階段を塗装されている方がいました。
わたしは当時の石積み階段を登り右の方へ。
その先に伊祖神社があります。当時の本丸だそうです。
周りの石積みも大したことなくつまらないなと思いながら神社のさらに奥へ進みました。
そうすると昔は旗立てと言われたグスク内で一番高いところに出ました。
景色最高です!牧港や宜野湾あたりが一望できます。
現在は公園として整備されていながらも拝所としても残していこうとされる気持ちにとても感謝です。
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2026/04/06 07:15
年度末山陰の攻城・尼子氏の本城②~山中御殿から本丸へ (2026/03/28 訪問)
山中御殿には、かつて植栽なんかがありましたが、今はきれいにとりはらわれています。団体客が観光バスで到着していたので、山上へと急ぎます。登城路の整備もさることながら山腹部分の樹木が伐採されていることで、登城路からの俯瞰もとても楽しめます。山上の三ノ丸、二ノ丸、本丸と一番奥まで進んで下山しました。山中御殿平からは大土塁経由で、堀尾吉晴の墓、赤門とたどって月山富田城攻略を終えました。11時を回っていたので道の駅にて割子蕎麦を昼食にいただきました。
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2026/04/06 06:27
桜の季節に (2026/03/21 訪問)
3月の三連休、ニッポン城めぐりのエリ限達成のため相方を調略し名古屋周辺へ出かけてきました。
あつた蓬莱軒でお昼、そのあと犬山城へ向かいました。
2017年9月以来、2回目の登城です。
桜は3〜5分と行ったところですが駐車場は満車。
少し待って車を置き、本丸へ向かいます。
駐車場からの天守遠景を見ながら進みました。
手前には空堀が横たわります。
深く、「降りてみたい」という衝動を抑えて黒門跡へ。
人が途切れることがありません。
この日、天守入城の待ち時間は80分。
それでも本丸には行きたかったので1000円支払い入城、桜越しの国宝天守を暫し見上げ退却しました。
本来の目的もあったので駆け足での登城となりました🥹
【見どころ】
・国宝の現存天守
・深い横堀
・遠景
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2026/04/05 22:37
レジデンシャルスタジアム大宮のすぐ近く (2026/04/05 訪問)
大宮公園駅から徒歩10分ほどの場所…レジデンシャルスタジアム大宮のすぐ側にある🏟️
(参考URL)
https://oomiya.follow-up.co.jp/leisure/omiya-junoupark-w322-20230629/
岩槻城の支城として永禄三年(1560年)に築城…見沼の三方を囲み天然の要塞として存在
岩槻太田氏の太田資正の子である潮田出羽守資忠の居城と言われてるが天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの際にこの城も落城
寿能城公園として住宅地の中にあり…裏口から入って中心部(資忠の墓)に行こうとしたら先客がいたので案内板だけ撮影…
(先客)どういうきっかけでここに来たんすか?
(私)(数秒間どう言おうか悩んでから)ネットの記事を読んで来ました
(先客)おれもそういうの見て来たんすよ😁
(私)あははは…(この人の邪魔になったら悪いから一度出直そう)😅
それから約一時間後…再びここに来たら誰もおらず…階段を上って資忠の墓🪦を間近で見物…小田原北条氏に与してこそいなかったらしいものの…秀吉の小田原攻めで散っていった岩槻氏のその様子を脳裏でイメージしてみました🧠
それから時間の許す限り公園内を見学…ブランコや鉄棒の設置された光景が目に入り「ここもかつては城跡…今はフツーの公園…の一例ね🛝」と感じた私…
入口が反対側にある事を知り…「ああ…自分裏口から来ちゃったのね😝」と思わされました…(先客と会った)1度目の訪問では遊具で子供が遊んでおり…2度目では大人の女性2人がバドミントンらしき打ち合いをしてました🏸
彼らは…ここにかつて戦国時代に建てられた城があり…30年ほど持ちこたえていたが最後は秀吉軍に蹂躙された…という出来事を知ってるのでしょうか?(どちらかと言えばただの公園としか認識してない気がするけど…)
あとここは…調べた限りでは御城印は無いようです
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