銚子陣屋跡(陣屋町公園)は、飯沼城跡の飯沼観音より徒歩5分。高崎藩の飛地陣屋で、陣屋碑の玉垣には高崎藩主・大河内松平家の替紋(かえもん)として用いられていた「高崎扇」が刻まれています。石碑の土台の石は、陣屋の掘割に使われていた石だそうです。井戸跡も残っています。御城印は、JR銚子駅で販売されています。
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2026/06/09 09:02
2026/06/09 08:44
2026/06/09 08:09
唯一の現存郡代・代官所 (2025/11/16 訪問)
江戸中期に金森氏を移封させて飛騨を直轄領にした幕府が金森氏の下屋敷跡に構えた陣屋で、明治まで25代の代官・郡代が派遣されて政務にあたりました。明治以降も陣屋の建物は地方官庁として使用されて現存し、昭和以降には失われていた御役所や役宅も復元されて江戸期の姿を今に伝えています。
観光で2度ほど訪れていますが、金森長近には関係なくても高山に来たならやはり高山陣屋にも行きたい、ということで再訪しました。玄関から入ると玄関之間の青海波が目を引きます。建物には真向兎の釘隠が善政の象徴(大きな耳で民衆の声をよく聞く)として150箇所も用いられているそうで、あちこちで見かけました。順路は政庁である御役所の各部屋をめぐって、代官・郡代らの役宅へと続いています。役宅には代官・郡代とその家族の部屋、客人応接の部屋、庭のほか、彼らの身の回りの世話をする用人や女中の部屋、土間や台所、井戸や風呂もありました。まさに生活の場ですね。そして陣屋で最も広い大広間の周囲をめぐり吟味所・御白洲へ。御白洲には時代劇で見かけるような責台と抱石、囚人駕籠などが置かれていますが、あくまで威圧感を与えるためのもので実際には御白洲では拷問はしなかったようです。…って、牢屋ではやってんのかい!
吟味所の横から屋外に出て御蔵へ。御蔵は廃城となった高山城三之丸の米蔵から二棟を移築したもので、現存する一棟は江戸期の米蔵としては国内最古・最大規模なんだとか。失われたもう一棟も跡地に建物礎石が平面表示されています。御蔵には年貢米俵のほか、高山陣屋の模型、地役人の具足、城下町(陣屋町)や飛騨の鉱山、大原騒動の説明パネルや史料などが展示されていました。観光として訪れても充分に見応えがありましたが、高山の歴史をある程度理解した上で訪れるとなお一層興味深く見学できました。
高山陣屋を出た後は、陣屋前朝市をぶらぶらと。店のおばちゃん手作りという朴葉味噌をお土産に買いましたが、これが安価な上に美味しい! 牛肉とネギやキノコと一緒に焼いてご飯のおともに、そのまま焼いてビールのアテにと大いに堪能させてもらいました。おばちゃん、ありがとう!
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2026/06/09 07:16
ゴールデンウイーク肥前の攻城⑬ 城カードゲット (2026/05/05 訪問)
常広城からの転戦です。レンタカーを返却してから徒歩でアプローチしました。かなり歩くことになってしまいました。佐賀城本丸歴史館にて無事、城カードを入手することができました。おつりから500円玉を寄付して歴史館の展示を見学していきます。江藤新平のコーナーでは、しっかりと動画も視聴させていただきました。アームストロング砲、鯱の門、天守台、鍋島直正像と回って、西に向かって歩き続けます。濠端に立つ島義勇像を拝見するのは今回が初めてでした。濠に沿って佐賀駅に向かいましたが、乾方向の佐賀城の濠を見るのは初めてだったのでとても新鮮でした。ホテルチェックインの前に佐賀駅にて晩酌。佐賀の郷土料理のセットと地酒には大満足でありました。ゴールデンウイークの城攻めはこれにて終了。翌日は、ゆとりをもって帰着だけに費やしました。
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2026/06/09 07:01
徳川の忍びも騙す (2026/05/24 訪問)
初めての登城です。
北側の観光情報センターの駐車場を利用しました。
工事中の桑折氏長屋門をくぐりまずは三の丸へ。
山裾に石垣が残ります。
さらに進むと分岐になっていて井戸丸へと登って行きます。
厳重な虎口や石垣で水の手がしっかり守られているのがわかります。
幕末に作り直されたそうで金石文が残っています。
さらに二之丸から本丸へ、本丸石垣は幕末に修理されたものと元からある部分を一度に見ることができます。
現存天守に入り、まずはスタンプを押しました。
100名城はこれで76城目、まだ先は長いですね。
本丸から一旦南側に下っていきました。
代右衛門丸、煙硝矢倉、式部丸と石垣を見ながら南側登城口である上り立ち門に出ました。
ここから五角形を感じながら歩こうと思いましたが追手門跡まで行って引き返しました。
次回は必ず・・・
上り立ち門から再度上り、藤兵衛丸から長門丸を経て駐車場へ戻りました。
江戸時代の宇和島藩主は伊達氏ですが私の故郷の三沢氏の姫、初子が仙台藩に嫁ぎ3代宇和島藩主の伊達宗贇を産んでいます。
昨年の松江EXPOでその話を聞き「行かなきゃ」と思っていたので訪問できて感慨深いです。
また来よう😌
【見どころ】
・井戸丸周辺
・二之丸下の犬走り
・現存天守
・代右衛門丸から煙硝矢倉にかけての石垣
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2026/06/08 22:09
おおがけ城 (2026/05/10 訪問)
【大峪城】
<駐車場他>駐車場はなし。説明板前に停車してダッシュで撮影。
<交通手段>車
<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅12城目。お城の詳細は添付写真の現地説明版をご覧ください。
2日目の1城目、朝7時過ぎに到着しました。現地はスポーツ広場になっているので、柵の外から説明板を撮影して終了しました。
<満足度>◆◇◇
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2026/06/08 21:23
定期 (2026/05/05 訪問)
1年ぶりの浜松城。ちょいよりしました。
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2026/06/08 20:54
2026/06/08 20:39
2026/06/08 18:11
桃太郎鬼のすみか? (2026/06/06 訪問)
2026.6.6攻城
前々から行きたかったお城。
時間的に厳しかったので西ノ門まで攻城。
7世紀後半に築かれたと言われる古いお城。
西の門が復元されていて、駐車場から10分くらい歩きますが、平野にある近世城郭より攻城は楽かもしれません。
但し全体回るとなるとかなり時間がかかりますが、また行ってみたいと思います。
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2026/06/08 18:05
日本三大水城 (2026/06/07 訪問)
2026.6.7攻城
玉藻公園駐車場に車を置いて訪問。
前回は1月11日にも来たばかりで、もう3回か4回訪問したかな?
月見櫓が見どころです。
堀には海水魚(チヌ)が泳いでいます。
すぐ東側にある、香川県立ミュージアムもおすすめです。
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2026/06/08 17:56
水攻めの城 (2026/06/06 訪問)
2026.6.6攻城
水攻めで有名なお城。
田んぼの真ん中にある起伏がないお城で石垣などは見当たりません。
城址は広い公園になってます。
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2026/06/08 17:41
冷房が効いていて過ごしやすかった (2026/06/06 訪問)
2026.6.6攻城
後楽園に行ったついでに訪問。
さすがは最新の復興天守。
外は6月とは思えない暑さだったが、天守内は過ごしやすく、展示品もたくさんあってよかった。
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2026/06/08 16:44
烏川へ南向いた崖城 (2026/05/30 訪問)
倉賀野城へ向かう途中に国宝埴輪を見たくて群馬県立歴史博物館へ立ち寄り、国宝埴輪に満足の大満腹、いよいよ群馬県埼玉県の国道17号線沿いの未踏の城廻り第一城として以前より気に成っていた倉賀野城へ、歴史博物館から西へ約1km、皆さんの投稿で駐車場は無く路駐の様なので、城名石碑の有る雁児童公園(東西に細長い公園です)の東側入り口から攻めて、住宅地の駐車場出口を避けて邪魔に成らない烏川北岸寄りに路駐。
参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。
邪魔に成らない様にと急ぎ足で探訪、写真撮影、倉賀野城趾石碑と説明石板が中央に、住宅と近い位置にある、西のやや中央に雁児童公園の入口北向き、右手に雁児童公園の名盤が入れ込まれている、左右に解説板、左手は「倉賀野城跡」説明看板、右手はやや古く「倉賀野城址」説明板。
雁児童公園は倉賀野城の本丸にあたるのか?南側の烏川崖上に在る崖城と分かり、これでは後ろ堅固の難攻不落のしかも?余湖図コレクションの縄張俯瞰図を見ると、本丸を中心に外へ二の丸、三の丸、外郭と広がる悌郭式城郭と分かる、また先に群馬県立歴史博物館で倉賀野宿のジオラマを見ましたが、その中に倉賀野城も示されて居り良く観ますと、北は旧中山道現県道121号線まで広がり、東は倉賀野河岸、西は東公園の古墳当たり?とかなり広い城域だった様です。(歴史博物館で撮影したジオラマ倉賀野宿アップ倉賀野城を掲載します)
土塁が残って居ると言われてる、井戸八幡宮辺りは路駐も有りパスしました。
歴史は
鎌倉時代初期、武州児玉党の支流、秩父平四郎行高の子孫、三郎高俊がこの地に館を建て倉賀野の地名を氏とした。
戦国時代に成ると関東管領上杉氏に仕え、上杉謙信が上州へ進出すると箕輪城主長野氏と共に上杉方へ、武田信玄が侵攻してくると箕輪城と共に落城し、武田方の城へ、金井秀景が城主となり倉賀野氏を名乗り、武田氏が滅亡すると織田方の滝川一益に従い、本能寺の変の後は北条氏に従う、秀吉の小田原征伐の後は降伏廃城となった、倉賀野氏倉賀野城の400年は終焉した。
この後は信玄が倉賀野城を攻める本陣を置いたと言われる木部城(城びと未登録)へ。
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2026/06/08 09:45
5【秀長の但馬平定をたどる⑤】有子山城(山頂からの眺めは抜群です!) (2026/05/15 訪問)
さあ山頂目指して、出石城の稲荷曲輪から登城を開始します(写真①)。登山口には貸杖が置いてありました。これはぜひ借りて行かれる事オススメします。登る時よりも下る時に役に立ちます(それは何故か?🤔実際に下りてみると解ります)。
先人の方々の言う通り、登城開始してしばらくは、まっすぐな急傾斜が(これでもかー)というほど続きます。健脚でない私は、途中で引き返そうかと心が折れそうになりましたが、休み休み何とか登り続ける事50分、確かに(ここから平坦)の標識を見ると、急に救われた気持ちになりました(笑)(写真②③)。
それから今度は20分程ゆるやかな道を進むと、周りが開け急に青い空が見え始めたと思ったら、目の前にすごい石垣群が現れました。これらの石垣は最近の研究では、藤堂高虎の初期作ではないかと言われているそうです。途中から脇道に入ると石取り場がありました。高虎はここにあった石を割って運び、積み上げていったのですね。また主郭と千畳敷の間には大堀切がありました😯! 山頂部には想像もしていなかったダイナミックな世界が広がっていました!(写真④⑤⑥⑦)。
そして山頂(標高321m)からの眺めは最高でした。眼下に見える出石の街並み、目の前には此隅山、遠くは豊岡まで見えました。鯉が元気に泳ぐ程の涼しい風が吹き、流れる汗が一気に渇き、爽快な気分です。登城口から山頂まで、健脚でない私の足では1時間20分もかかりましたが、最初から最後まで誰にも会わず、有子山城とこの絶景を独り占め! 思わず山頂から勝ちどきを上げました(えい、えい、おー!😱)(写真⑧⑨)。
有子山城は1574年に、但馬国主である山名祐豊によって築かれました。1580年その山名祐豊との戦いに勝利した秀長と高虎は、どんな思いでこの景色を眺めていたのでしょうか? 「但馬平定を成し遂げた秀長様のために、但馬の国主にふさわしい城にしてあげたい!」 高虎はそう思って、石垣で城を築いたのではないでしょうか?
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2026/06/08 08:12
紅葉と城下散策 (2025/11/16 訪問)
1年前にも訪れているので今回は城下散策だけのつもりでしたが、鮎崎城の紅葉が思いのほか綺麗だったことから城山にも登ってみたところ、こちらもちょうど見ごろで東北曲輪や本丸で朝霧に包まれた幻想的な雰囲気の紅葉を見ることができました。
大手門側から下山すると城下を散策します。まずは二之丸北麓の三之丸から。三之丸には米蔵が建ち並んでいたようですが、現在は飛騨護国神社になっていて北東辺に往時の水堀が遺っています。三之丸から外堀代わりの江名子川を渡って法華寺へ。法華寺は熊本藩改易により金森重頼(高山藩三代藩主)にお預けになる中、病没した加藤光正(光広とも。加藤清正の嫡孫)の菩提を弔うために重頼が創建した寺院であり、本堂は高山城二之丸の建物を移築したもので、裏手の墓地には光正の墓所もありました。法華寺の墓地を抜けて少し登ったところにある神明神社の絵馬殿は高山城廃城時に月見殿を移築したもので、金森期に奉納された絵馬が掲げられています。そして素玄寺に下りてきて三之丸評議場を移築した本堂を再確認し、この日の城下散策を終了。高山陣屋に向かいました。
…と、これで城下の移築建物はひと通りめぐったつもりでいましたが、先日の城びと編集部の記事を見て、雲龍寺の鐘楼門(高山城黄雲閣移築)を見落としていたことに気付きました。さらには高山陣屋の後で行くつもりだった「飛騨高山まちの博物館」もすぐ近くを素通りしてしまっていました…。時間切れで行けなかった山城もいくつかあるので、次の機会の楽しみが増えたと考えることにしましょうか。
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2026/06/08 07:05
2026/06/07 19:07
あさん、ありがとうございます。
あさん、藤原 秀郷さんの百足退治の伝説、美しい三上山の写真ありがとうございます。
これからも、ホースで水をジャージャー向けますので、宜しくお願いします。
ムカデー、何だか気持ち悪い話だと思っていましたが、あさんのおかげで、美しいお話に変わりました。
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2026/06/07 18:00
今 ときが 動きだす 美濃守護 土岐氏最後の居館 大桑城 ですと (2026/05/30 訪問)
登城口、林道入り口にパンフレット置き場があり、大桑城跡石垣見学マップ、春風亭昇太師匠と行く大桑城跡などをいただきました。時間の節約のため、はじかみ林道を利用して登城。
「美濃守護 土岐氏最後の居館 大桑城」の幟旗が並んでいます。ミニチュアの模擬天守からは、やや見下ろす方向に、斎藤道三がいた稲葉山城がよく見えました。なんとも切ないです。この地は、やや山間ですが、支援してくれる朝倉氏の越前へ続く街道があり、また、美濃紙の一大産地であったとのことで、守護所としてそれなりの立地だったようです。
稲葉山も含め、この辺りの山は、硬いチャートから成っていることが多いです。大桑城もチャートの山であり、急峻で、石垣の石を現地調達できます。切井戸への道は、とても急です。ロープがなければ、枯葉で滑って往生します。麓でゲットした大桑城跡石垣見学マップを頼りに散策しました。見どころとフォトスポットがわかりやすく紹介されています。が、これには、山頂の北の遺構は書かれておらず、庭園跡や気になる石を見逃しました。がっかり。
チェブさんの舞木城の投稿に、「藤原 秀郷さんを調べると『大百足退治の伝説』が滋賀県にあるようです。」とあり、水を向けられた(?)。瀬田城についての投稿の中で、城びとの皆さんが、俵藤太の大ムカデ退治を紹介されています。瀬田城は、目の前に瀬田の唐橋があり、この重要な橋を監視、防備する位置づけにあります。俵藤太が、瀬田の唐橋から、三上山を7廻り半していたという大ムカデを弓で射て退治したということで、弊宅から見えた、日の出と重なった三上山の写真を添えました。
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2026/06/07 15:11
城びと未登録のお城攻め「須加城」。 (2026/02/21 訪問)
この日の最後のお城攻め「須加城」で、またしても水で悩みます。
前回、投稿した「鶉古城」から東京の端っこに帰る途中に「須加城」を見つけて寄る事にしました。
長光寺の参道入口の右下に、ちょこんと石碑があります。
本日最後の路駐でダッシュ、写真を写し退陣。
近くのコンビニ駐車場で「須加城」の写真を見直すと、左上に「忍城」と小さく記載されていました。
「須加城」は「忍城」の支城のような役割りだったようです。
築城年数は不明ですが、戦国時代には須加氏は「忍城」の成田氏に従っていたそうです。
だとすると、秀吉さんの北条討伐で、水攻めの被害にあったのかもしれません。
早速、水攻め範囲を検索すると、「須加城」は利根川の近くにありました。
次に「石田堤」の場所を検索すると、荒川方面にあります。
利根川は徳川 家康さんの時代に、治水工事が行われた為、現在の場所と流れる所が違います。
まずい、「須加城」も水没しているかも。と、小田原で籠城している城主の如く不安になります。
結局、「須加城」が水攻めの被害にあったかは分かりませんでした。
東京都の水は、利根川と荒川で8割、多摩川で2割でまかなっています。
8割の水が、「忍城」を守り、そして攻められました。
この辺り、大河ドラマ『豊臣兄弟!』で描いてくれないかなー。
水攻めの被害をドラマで確認しようとしている「須加城」攻めでした。
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