津山市内から国道53号線を北上、奈義町にある城です。
有元集会所に説明板が立っています。
集会所に車を置かせてもらい、裏手の道を墓地方面に進みます。
墓地の裏手に竹藪へ向かう道があり、進むと横堀がありました。
さらに進むともう一つ横堀が走っていました。
が、周辺は竹藪でしかも他に遺構らしきものを見つけることはできませんでした。
説明板によると東側は江戸時代以降の開墾により失われたとのことです。
【見どころ】
・竹藪の中の横堀
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2025/12/02 06:40
竹藪に堀 (2025/11/16 訪問)
津山市内から国道53号線を北上、奈義町にある城です。
有元集会所に説明板が立っています。
集会所に車を置かせてもらい、裏手の道を墓地方面に進みます。
墓地の裏手に竹藪へ向かう道があり、進むと横堀がありました。
さらに進むともう一つ横堀が走っていました。
が、周辺は竹藪でしかも他に遺構らしきものを見つけることはできませんでした。
説明板によると東側は江戸時代以降の開墾により失われたとのことです。
【見どころ】
・竹藪の中の横堀
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2025/12/01 22:58
岸勘解由信周 (2025/11/16 訪問)
堂洞城は織田信長の美濃攻めの際に蜂屋の領主・岸勘解由信周がこもった砦とされています。某アプリのリア攻めがしたくて寄ったのですが入口付近でリア攻めが出来てしまいました。でもせっかく来たので訪問することに。
信周は斎藤氏への忠義を重んじ降伏勧告を退け討死した忠義の士です。でも人質の佐藤氏の姫を殺しちゃいかんなあ・・
もったいな・・いや、気の毒に(汗)。
戦国時代は残酷な時代なので大概のことはまかり通るのですが、その影でどれだけ多くの人質が命を落としてきたことやら・・
堂洞城は本格的な山城とも思えず、堀切も埋まっていて分かりづらい。道沿いについている扁平地は郭の跡でしょうか。それなりの人員を収納できたように見えます。
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2025/12/01 21:27
おつりの出るバス初体験…🚌 (2025/10/12 訪問)
袋井駅南口⇒七軒町まで,秋葉バスサービスの秋葉中遠線・秋葉線を利用。最初は「IC不可か…」と整理券を取り乗車。先に降りる人を確認すると,まず整理券を入れて料金表示後に大きいお金を入れて,自動でおつりを受領している気配が…。
私の料金は【470円】だったので,新500円玉を用意し,ドライバーに確認したところ「おつり出ます」とのこと。おつりの出るバス初体験がかなり衝撃でした。
横須賀城ですが,玉石垣はみなさん良くレポートされておりますのであまり感動はなかったです。どちらかというと三日月池に「おぉっ」となりました。丸子城からの転戦で訪れていたせいもあったのかもしれません。高天神城の三日月池とは比較になりません。
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2025/12/01 20:46
城址とミカンと紅葉と。 (2025/12/01 訪問)
上ノ郷城の築城時期についてははっきりとはしていませんが、この城の歴史において最も有名な出来事は桶狭間の戦いの後に今川方から離反した松平元康が鵜殿長照を攻めた「上ノ郷城の戦い(永禄5年(1562))」だと思います。
皆さん大河ドラマでご存じだと思うので内容は省略。
城址の周辺は「みかん畑」になっていてちょうど今、実をつけだしています。この周辺には蒲郡オレンジロードもあるんですね。
赤日子神社の紅葉はちょうど見ごろを迎えています。主郭周辺のイチョウも良い感じです。豊橋は温暖な気候なので紅葉が少し遅いのですが蒲郡は今がちょうどよい頃合いでしょうか。
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2025/12/01 19:48
2025/12/01 17:51
2025/12/01 17:47
遺構がしっかりと残っている (2025/08/22 訪問)
長命館公園としてしっかりと綺麗に整備されている。
看板を立てて遺構の説明をしているため初心者でもわかりやすい。
今回の仙台行軍で思ったのはどこの城址も公園などにして整備をしている。
これはお城や歴史が好きなものにとってはとてもありがたいことです。
これからも未来へしっかりと残してもらって新たな歴史的発見などが出ることを楽しみにしています。
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2025/12/01 17:41
鶴ヶ城 (2025/08/22 訪問)
松森城に登城してきました。
鶴翼の形をしているから鶴ヶ城と呼ばれているんですね。
今は鶴ヶ城公園となっていました。
駐車場もあり一応整備はされていますが春だけなのかこの時期は草が多くて嫌でした。
春の桜が満開になる頃がいいと思います。
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2025/12/01 17:33
2025/12/01 17:22
2025/12/01 17:19
虹 (2025/11/25 訪問)
綺麗な虹が出ていましたので
皆様にも写真をシェアしたくて
投稿致しました
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2025/12/01 17:15
なにもない… (2025/08/22 訪問)
多賀城から移動してきてナビ通りにくると
皆さんのコメント通り何もない。
それでも何かあるだろうと倉庫群のなかをぐるぐるまわるも何もない
あきらめて帰ることにしました。
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2025/12/01 17:11
2025/12/01 16:59
ちょうど小説を読んでたので (2025/08/21 訪問)
お目当てのアーティストのライブにかこつけて攻城してまいりました。
タイトルの通り火坂雅志さんの「臥竜の天」を読んでいたのでワクワクです。
仙台城は遠目に見ることはあっても仕事の時にしか行かないので今回はゆっくりと見学できました。
まずは仙台駅で腹ごしらえは半田屋さん。
ご飯をしっかりと頂いていざ出陣。
歩くと意外と距離があります。
そうすると見えてきました、立派な石垣が!
広瀬川から見るととても良いですね。
テンションが上がります。
登っていくと遠くから見えていた石垣が圧倒的な迫力で現れました。
天守台に行ってあの有名な像の前で写真を撮りました。
天守台からの眺めは最高で心地良かったです。
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2025/12/01 13:58
2025/12/01 09:49
内牧城(2/2)【牛方馬方騒動-①】加藤正方 (2025/11/26 訪問)
内牧城へやって来ました。八代城を訪れた後に、加藤忠広はなぜ突然改易されたのか? という疑問が(もやもや~)と何故か私の心に残り、調べていくとその発端は、1616年に起きた加藤家の内乱【牛方馬方騒動】にある事がわかりました。そこでその騒動の首謀者である、重臣の「加藤正方」と「加藤正次」の二人の居城を訪れてみたくなりやって来ました。まずは正方の居城(内牧城)から始めます。
阿蘇駅からは内牧温泉行のバスに乗り換え15分、内牧(阿蘇体育館)で下車すると、この体育館の場所が内牧城の本丸だったそうです(写真①②)。内牧城は、戦国時代は阿蘇氏の居城でしたが、1586年に島津氏の侵攻で落城します。秀吉の九州征伐を経て加藤清正が肥後に入国すると、内牧城は重臣の加藤可重に与えられ、可重死後は子の「加藤正方」が後を継ぎます(写真⑨)。この頃に本丸・二ノ丸・三ノ丸を備えた平城に改修されたようです。二ノ丸の現在は、阿蘇中央公園(あそビバ!)になっていて、市民の憩いの場として整備されていました(写真③④⑤⑧)。南側にはわずかですが石垣が残り、矢穴のある石も見つけました(写真⑥)。
本丸の西側にある「明行寺」の門は、内牧城から移築されたものと伝わっています(写真⑦)。勝海舟や坂本龍馬、夏目漱石もここを訪れた事があるようです。
内牧城は阿蘇の地下から沸き出る内牧温泉街にありました。と言う事は🤔・・・ここの殿様は毎日温泉に入っていたのでしょうか? 何ともうらやましい限りです。そこで私も城跡を散策した後は、二ノ丸にあった立ち寄り湯で温泉入浴してきました(写真⑩)。少し硫黄の匂いがするものの、つるつるの肌触りなったので美肌効果があるかも?
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【牛方馬方騒動とは】
1611年に加藤清正が突然死去すると、まだ11才の忠広が家督を継ぎますが、まだ若く何もできないため、ここで重臣同士の権力争い(後見争い)が勃発します。その主役が、「加藤正方(馬方)」と「加藤正次(牛方)」です。二人はお互い相手を蹴落とすように家老筆頭の座を狙って争い、その争いはだんだんとエスカレートしていきました。そしてついに大坂の陣の後の1618年、正方は正次の家臣が大坂の陣の最中に、大坂城に兵糧を運び込み大坂方を支援していた、つまり謀反があった旨を幕府へ密告します。これを聞いた幕府は両者を江戸へ呼び問い正します。そして最後は徳川秀忠が直々に裁決しました。秀忠は正方の訴えを聞き入れ、正次の南関城を召し上げ家臣とともに流罪としました。しかしこれにより、藩主の加藤忠広には騒動を抑える統率力も無いことを露呈してしまい、幕府や家臣からの信頼も失ってしまいます。本来なら喧嘩両成敗でかつ藩主にも沙汰があるのが当然ですが、忠広の正室は家康の養女であったという事情もあり、お咎めが無かったようです。そして同じ時期の1619年、地震により麦島城が倒壊してしまいます。徳川秀忠は、名誉挽回の機会を与えるとばかりに、正方を内牧城主から麦島城主(家老筆頭)にし、忠広には正方とともに麦島城に代わる「八代城」の築城を命じます。両者は加藤家の財力を全て注ぎ込み、必死になって築城しました。そしてやっと八代城が完成した1632年、この後どうなったかは、私の八代城での投稿の中でお伝えした通りです。
次はもう一人の重臣で騒動に敗れた、加藤正次の居城(南関城)に向かいます。
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2025/12/01 07:09
三連休・山口県の攻城① 北水門から東水門、南水門 (2025/11/22 訪問)
時間がない場合は、北水門から駐車場に至るショートコースを利用できます。北門からも駐車場に戻れます。でも、この先の東水門は石城山神籠石の遺構の中で最も見栄えが良いと思われますので、時間があったら足を伸ばすことをお勧めします。東門に関しては城郭放浪記さんと同様に見出だすことができませんでした。日本神社に立ち寄って最後に向かったのが南水門。表示が何もなく、倒竹で荒れ果てていたのでここでよいのか自信がありません。全体を通して、三国志博物館の館長さんが逝去されたことにより、史跡への手入れがなされなくなってしまったのかなあと感じてしまいました。全行程で1時間20分の所要でした。
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2025/12/01 02:05
平城の傑作と言っても差し支えない (2025/09/12 訪問)
佇まいの美しい城ですね。
駐車場も上杉博物館前のわかりやすい位置にあります。
ランチは上杉伯爵邸で。
前田慶次の住んでいた無苦庵跡を訪ねたところ、現在そこにお住まいの方にいろいろなことを教えていただけました。
ほぼ小山一つ分が敷地だそうで、その周りの小川を天然の堀として、ちょっとした砦のようにして住んでいたらしいとのこと。
道を挟んで墓所となったお寺があります。
ここからなら騎馬で登城するのは程よい距離と思えました。(が、イベントの際には参加者の皆さんは徒歩でパレードなさるとか)
夜はミートピアさんで米沢牛をいただきました。
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2025/12/01 01:45
なるほど (2025/09/13 訪問)
この城のつくり、特に水堀を見ることで、最上義光はドラマで見るような暴君でも暗君でもなかったことがよくわかりました。
築城に長けた優れた武将です。(でなければ、あの時代、生き抜けたわけがありません)
城内の車道は入り組んでいますので、時間に余裕があるなら、徒歩で回ることをお勧めします。
夜の食事はもちろん米沢牛と蔵王ワイン。
上ノ山温泉にある茂吉記念館は長年の憧れの大先輩のご夫君の記念館ですので、絶対に外せませんでした。
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2025/11/30 20:27
15年振り再登城本丸編 (2025/10/28 訪問)
15年振りの再登城、復元百間土手石垣白長塀、復元大手門石垣を麓で堪能観察し、二の丸の復元西櫓、復元東櫓、復元長屋・苓北町歴史資料館と初対面観察、15年前と変わらない二の丸修復復元石垣、二の丸の銅像群を改めて充実観察、三河武士の代官鈴木兄弟像をまじまじと眺め、今年3月三河則定陣屋奥の鈴木兄弟像も拝見し、実体の歴史を勉強させて頂いた後でしたので、より身近に感じました。
二の丸より本丸の北櫓を眺め、外の北面は二階櫓、本丸内部では平長屋造り、本丸虎口を登り高麗門と脇平櫓、門前の平櫓を廻って富岡ビジターセンターに成ってる、北櫓、西櫓へしかし、10月27日~31日まで休館で入館できず。
本丸からの有明海、遠く雲仙普賢岳眺める、空の青、海の青、櫓、土塀の白さと合いマッチして素晴らしい景観を醸しております。
15年振りの富岡城探訪でした。
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