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イオ

鉱山奉行の屋敷 (2025/11/15 訪問)

越前大野から飛騨に入封した金森長近は越前から茂住宗貞を招いて鉱山開発にあたらせました。宗貞は茂住銀山や和佐保銀山、森部金山等を開発した功績により金森姓を与えられ、四方に高塀をかけた石塁をめぐらせ、四隅に隅櫓、東・北・南の三方に櫓門を設けた屋敷を構えましたが、長近が没すると自ら屋敷に火を放ち越前(越中から能登とも)に退去したと伝わります。

金龍寺の駐車場から登城開始。屋敷跡は金龍寺の境内になっていて、金森宗貞邸跡の標柱と説明板、宗貞金森翁之碑が立てられています。四方にあったとされる石塁のうち北東部は国道改修により失われましたが、南辺と北辺の石塁が遺り、隅櫓台には鐘楼や茂住神明神社の社殿が建てられていました。西側は高原川の断崖になっていて、なかなか堅固な城館だったようです。

当初は一門衆の屋敷かと思っていましたが、功績を挙げた鉱山奉行に金森姓を与えているあたり、山がちで農業収入が期待できない飛騨にあって鉱山開発にかける長近の強い思いを感じた屋敷跡でした。
 

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カズサン

【上野 三ツ寺Ⅰ遺跡】群馬県高崎市 古墳時代城館-城郭の初期か? (2026/05/30 訪問)

 保渡田古墳群の三ツ寺Ⅰ遺跡は、かみつけの里博物館より南東に約800m、経路約1100m、かみつけの里博物館駐車場から県道123号線秋葉交差点を南下、県道10号線と交差する井出交差点を東進約200m、県道10号線と上越新幹線が交差する辺りが「三ツ寺Ⅰ遺跡」です、が発掘調査後埋め戻されて居ます。
 案内板は県道10号線と上越新幹線が交差した高架橋下の東側に案内指示板と少し文字と画像が剥落しかけた案内板揃って在ります。
 車は西隣のコンビニ「ローソン高崎井出店」(36°22'26"N 138°59'32"N h=130m)を利用。
 資料がローソン高崎井出店に用意されて居り、お話して資料を頂き、駐車場を利用させて頂く。
 住所:群馬県高崎市井手町192-3(遺跡住所が未定なのでローソン高崎井出店の住所を代用)

 かみつけの里博物館の展示で「三ツ寺Ⅰ遺跡」を知り是非見たいとガイドの方受付の方に情報、周辺地図を頂いて、ローソン高崎井出店で資料リフレット取り扱いし駐車場利用も可能との情報も得ました。
 
 三ツ寺Ⅰ遺跡は昭和56年から58年の上越新幹線建設工事中の発掘調査で発見された、その後埋め戻されて中心部は上越新幹線架橋した、県道10号線下に残されています、往時を見る事は出来ませんが、三ツ寺Ⅰ遺跡の復元ジオラマ、説明がかみつけの里博物館に在ります。
 三ツ寺Ⅰ遺跡のジオラマを初めてみた時は古墳時代の王の館、日本の城の初めの城館?と感激しました、その後脳裏に何か見た記憶が戻ってきて、どこの資料、本なのか分かりませんが甦ってきました。
 1500年前の古墳時代榛名山東南麓を拠点に栄えた豪族首長の居館と首長を祀った前方後円墳大型3基が榛名山の大噴火火砕流の土砂に埋まり、1500年振りに甦り復元され、博物館で資料を見る事が出来ます。大変感謝です。
 資料とジオラマによると、館の規模は約86m四方で、北と南に馬出状の出曲輪、出構が4基、濠に囲まれて濠幅30m、深さ4m、土塁で囲み板柵列の囲み、土塁斜面には葺石、主郭内部は首長の館と従者の建物に二分されている。

 大変貴重な体験をさせて頂きました、城好きとしては日本城郭の初めを体験確認した思いです。ありがとうございました。
 帰って調べたら千田先生の城郭考古学の冒険に原始・古代の城館として写真と説明が有りました、それと日本の城に亡き香川元太郎画伯のイラストが有る様です。
 

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todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑩ (2026/05/05 訪問)

唐船城からの転戦です。途中、有田の陶器市が開催されていて、ヘボいカーナビがバイパスではなく、街中の道を案内したため、大渋滞に巻き込まれてしまいました。ここでの時間ロスは大きく、今回の城めぐりで長崎県境近くの竹崎城に足を伸ばすことは断念せざるを得ませんでした。と云う訳で、朝田辰兵衛さん、私の佐賀コンプはまだまだ先になりそうです。

嬉野市内に到着した時には正午となっていたため、近くのリンガーハットにて昼食をとってから登城しました。嬉野公園、西公園として整備されていて、広い副郭はなかなか快適でした。主郭には権現社が建ち、水道施設もあります。谷を越えた曲輪上段、下段も公園としての佇まいを保っています。

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あっくん

丸岡城 (2026/05/23 訪問)

工事中でした。

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カズサン

保渡田古墳群3/3-かみつけの里博物館 (2026/05/30 訪問)

 二子山古墳の続です。

 かみつけの里博物館は上毛野(カミツケノ)はにわの里公園の中心施設で八幡塚古墳と二子山古墳の中間に位置し二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳、三ツ寺Ⅰ遺跡、太子塚古墳の発掘遺物、埴輪などの展示、古墳群、遺跡の復元ジオラマで分かり易く説明解説されています。
 目に付いた展示物は、馬形埴輪、短甲武人埴輪、盾持ち埴輪、保渡田古墳群はじめとした榛名山南東麓ジオラマ、八幡塚古墳ジオラマ、三ツ寺Ⅰ遺跡ジオラマは感嘆興奮し観察見学しました。
 特に三ツ寺Ⅰ遺跡は城好きの私としては大変興味深く観察し、1500年前の古墳時代に中世、戦国期にも匹敵する四方に濠を回らし、南方と北方に出郭馬出を設けて、出構を西方北方に2基づつ設けてる、本郭は二分割し西に首長の館、東に従者の建屋、周囲は土塁と板塀、板柵で囲んでいる。
 ガイドの方と受付の方に三ツ寺Ⅰ遺跡の場所を聞きこの後訪ねました。

 長年の願いが叶い東国の栄えた時代の古墳、遺物を初体験見学堪能しました、感謝です。
 65歳以上は無料で見学出来ました、ガイドさん受付の女性の方々お世話に成りありがとうございました。

 次は別城扱いで三ツ寺Ⅰ遺跡を投稿します。
   

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天守無しがアツい

朝7時の甲府城 (2026/06/01 訪問)

ホテルをチェックアウトしてから特急に乗るまでの合間に…甲府城を軽く訪問🏯

朝から城内を散歩されてる方もいた🚶‍♂️

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朝田 辰兵衛

todo94さん,返信ありがとうございます…

todo94さん,返信ありがとうございます。「ご教示」なんてめっそうもない…。
たしかに日在城は予想以上に疲弊し,私も「もう行かなくてもいいや…」と思いました…<苦笑>。
主郭到着まで気が抜けず,さらに主郭と最高所はかなりの比高差があるため,心を折られるのも無理ないと思います。
境目にうっすらと堀切がありましたが,撮影失敗しました。
todo94さんのレポートを読むと,東北東ルートもかなりのハードワークを強いられそうですね…。
しかも,距離が長そう…。

以前「唐津線沿いでアップデートしなきゃならない城を見つけました…」と書き込みましたが,その城は「肥前青山城」でした。先日,todo94さんが投稿されていたので「おぉっ」と思いました。
7月に岸岳城とセット攻城か…と思っていたので,天候や体力がヤバければスルーしたいと思います。

そうそう,todo94さんは佐賀県コンプリートも見えてきたのではないでしょうか…?

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イオ

枡形虎口と算木積み石垣 (2025/11/15 訪問)

南北朝期に飛騨国司に任じられた姉小路家綱が築いた城で、三家に分かれた姉小路氏の小島氏が居城としました。戦国期には南飛騨から台頭してきた三木氏に従って存続しましたが、金森長近の飛騨攻めにより落城し、小島氏も滅亡しました。

主郭部まで車で行けるようですが、古城跡の西端まで行くつもりなので、そこからまた主郭部まで引き返すくらいなら山麓から歩いて行こう、ということで、太江農業センター前の小島城跡駐車場から登城開始。案内表示に従って進み、太江川を渡ったところが太江口の登城口で、登ること10分あまりで尾根筋の林道に到達。林道南側には幾条かの竪堀があるようですが、草木に覆われていてよくわかりません。沼町口からの登城道との合流を過ぎると、林道から見上げる尾根筋に二条の堀切がかすかに見えますが、これも藪化していてはっきりしません。さらに進んだ先の林道終点に駐車場が設けられています。駐車場から主郭部に向かう前に北尾根へ。深さのある堀切で尾根筋を断ち切っていました。

主郭部の東端には櫓台がそびえ立っています。櫓台からは木々の合間に南麓の沼町と宮川を見渡すことができました。櫓台の南東部には東尾根に続く内枡形虎口がある…はずですが、ここなんだろうけど…と藪の凹凸から推測できる程度です。東西にのびる主郭部の中央には一段高くに主郭があり、休憩所に説明板が設置されていました。主郭部の西端にも内枡形虎口が開口し、虎口の脇には未発達ながら算木積みの石垣が見られ、西辺から北にかけて石垣が積まれています。枡形虎口も算木積み石垣も飛騨の山城には見られないもので、新たな統治者としての金森氏の権威を示すための改修と考えられるんだとか。

主郭部から尾根沿いに階段状に設けられた小曲輪群を下りて行くと古城跡に至ります。当初は古城跡周辺のみだったのが東側へと拡張されて現在見られる縄張になったようです。古城跡の防御施設は切岸や土塁、西端に堀切が見られるくらいで、なるほど確かに主郭部に比べると古い縄張のように思えます。そしてそのまま西麓の杉崎口に下山しました。

草木に覆われて竪堀や堀切、枡形虎口が分かりづらくなっているのは残念でしたが、思いのほかしっかり遺った金森氏改修の石垣はなかなか見応えがありました。
 

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カズサン

保渡田古墳群2/3-二子山古墳 (2026/05/30 訪問)

 八幡塚古墳の続です。

 保渡田古墳群の二子山古墳は「かみつけの里博物館」の西隣に在ります。古墳群3基の前方後円墳の中で最大です。
 全長213m、全幅108m、墳丘長108m、墳丘高9~10m、三段墳丘で斜面は石葺ですがコクマ笹で保護の為に植栽されている、周りは内堀外堀と内堤外堤で囲まれている、内堀には円墳部四方に陪塚の様な中島が付随して居ます。
 平成15年から17年に史跡整備調査の上復元整備されました。昭和60年9月3日に保渡田古墳群は国史指定されています。
 円墳部北東部からの板階段で円墳頂上に登り、頂上部には発掘調査状態の石棺写真パネルが原寸大で展示されて、周囲に説明盤設置されている、説明文ではパネル下1m下に実物舟形石棺が保存されていると、円墳部と方墳部とは道で繋がり墳丘からの眺めがよく、大噴火の有った榛名山を眺望出来る。
 榛名山東南麓には東日本でも有数の勢力を誇った豪族首長(王族)の本拠地が有り、三ツ寺遺跡Ⅰ王の館(城館)と王族を祀った大型の前方後円墳が残って居ます。
 二子山古墳東、かみつけの里博物館の南に紺色の矢車草と麦秋が混ざり植わって奇麗でしたので10番目に写真を載せます。

 次に「かみつけの里博物館」に続く。
   

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todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑨ (2026/05/05 訪問)

日在城からの転戦です。有田川が大きく蛇行している地点に所在する城です。城の北側には山田神社、南側には唐船城公園があってどちらにも駐車場と説明板がありました。私は、山田神社から登城し展望台に上ってから公園側に下りました。展望台のあたりは狼煙台であったようで、公園の方は中世の居館跡とのことです。最後は道路となっている堀切跡を通って山田神社駐車場に戻るというルートをたどりました。

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todo94

朝田さん、ありがとうございました

朝田辰兵衛さん、ご教示ありがとうございました。やはり、もう少し下らなくてはならなかったのですね。山中で迷うのが怖くて引き返してしまいました。リベンジを志す気はほとんどないのですが、その気になったときには主郭にチャレンジしてみたいと思います。

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にのまる

烽火台を見に。 (2026/05/05 訪問)

駅から少し距離があるため甲府を訪れてもなかなか行くチャンスがなく約8年ぶりの再訪となりました。

甲府駅から歩き、緑ヶ丘スポーツセンターの登城口から登りました。装備は🐻熊鈴と🦟虫除けの日傘。
舗装路なので足元の危険はありません。ひたすら上を目指します。

前回撤去中だった烽火台に着いたら山頂は目前。
天気は快晴☀️
最高の富士山🗻を拝めました。
遺構をしっかり確認して下山。行き帰りで8人の方とすれ違いましたが、みなさん登山を日課にしていらっしゃるご近所さんかな?という印象でした。

下山したらそのまま近くの法泉寺へ。武田信武公と武田勝頼公墓所、勝頼軍団戦歿将士供養塔にお参りしました。

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赤い城

ウミガメの町に (2026/05/06 訪問)

旧日和佐町はウミガメが産卵に訪れる砂浜がある町です。
海沿いの小高い山の上に模擬天守が建っていて車で登ることができます。
皆さんのレポートにあるように耐震のため中に入ることはできません🥹

模擬天守の前には城山神社が祀られています。
神社の由来記に日和佐城の説明も記載されていました。
周囲を散策してみましたが遺構らしいものは見当たりません。
遊歩道があり、眺望もよさそうでしたが雨も降っていたので散策はやめておきました。

美波町役場には日和佐陣屋跡もあり、石碑を見学してこの日の城めぐりは終了、徳島県のコンプリートも見えて来ました。

【見どころ】
 ・麓からの遠景

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カズサン

保渡田古墳群1/3-八幡塚古墳 (2026/05/30 訪問)

 箕輪城の南東4km程に東国古代上毛野国が栄え保渡田古墳群が有り、数拾年前以前より箕輪城探訪の序で空き時間に訪ねたいいと思っていましたが、城探訪の次がついつい気に成り急がれて今回まで訪ねる事が出来ませんでした。
 今回の箕輪城本丸復元西虎口門を初体験探訪観察の後に、上毛野(カミツケノ)はにわの里公園に在る保渡田古墳群を訪ねました、保渡田古墳群は復元整備された八幡塚古墳、二子山古墳、未整備の薬師塚古墳の大型前方後円墳3基と十数の古墳で構成されて居り5世紀後半から6世紀初期にかけて築造、その後約1500年前の榛名山の大爆発と火砕流で埋まり、わずかに3段目の古墳部が姿を残した状態だったようです。
 昭和5年の発掘調査で埴輪片の発見、上越新幹線建設に伴う昭和56年からの発掘調査で三ツ寺Ⅰ遺跡の発見、平成15年~17年より史跡整備調査、復元整備と進み、今日見られる様な復元古墳が姿を現しました。
 住所:群馬県高崎市井手町1514(中心の、かみつけの里博物館住所)
 駐車場:同博物館駐車場利用、大型バス、小型車多数あり、外部トイレ、博物館トイレ有

 八幡塚古墳
 八幡塚古墳は博物館の北側に在り前方後円墳は石葺です、二重の堀と堤で囲まれて全長190m全幅140mで3段丘、墳丘長96m、墳丘高8m、円筒埴輪(6000本)が各段に並べられています、又内堤南東側に人物・動物埴輪を並べた区画が有ります。円墳部の内部下に石棺展示室が有り階段を降りて大きな舟形石棺を見学が出来ます。
 土日祭日だけでしょうかガイドの方がいらっしゃいました。
 奈良大阪の古墳群に比べれば小振りですが全長約200m墳丘長約100mも有り斜面を石で葺く復元、埴輪の復元で墳丘全段に並べるスケール感は壮大で大変見応えがあります。
 大勢の方が見学に来られていました
 長年の希望を叶え八幡塚古墳を見学探訪できて満足でした。

 次に二子山古墳に続く。
 

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宇喜多直家 (2026/06/04 訪問)

 昨年も来ましたが、近くへ来たので寄ってきました。今回はさらりと散策しています。

 

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一の木戸(水門跡) (2026/06/04 訪問)

 一の木戸と呼ばれる水門跡へ行って来ました。一の木戸のほか、二の木戸、三の木戸と呼ばれる水門跡が発見されているようですが、今回はここで引き返しています。水門までの道は整備されていますが、新しい猪出没の痕跡やワナがあり少しビビりながら登城しました。

 岡山駅よりバスに乗り新道穂崎バス停下車。徒歩25分くらいで登城口である獣害対策フェンスの扉に行くことができます。獣害対策フェンスの扉は最初開け方がわからず少し時間をロスしました。

 

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ぴーかる

願海寺城 (2026/05/09 訪問)

【願海寺城】
<駐車場他>駐車場はなし。公民館前の通りに停車してダッシュで撮影しました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅10城目。お城の詳細は現地説明版の添付写真をご覧ください。
発掘調査で堀や井戸跡、出土品などが出てきたそうですが、現在は埋められて表面観察では何も見受けられません。公民館の裏の社と城跡碑のある場所に行って撮影しました。

<満足度>◆◇◇

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朝田 辰兵衛

todo94さんへ

日在城攻城されたんですね。ピンの東北東からですか…ちゃんとパネルが設置されているんですね。土塁も…。ラストのシダ類ビッシリの写真が最高所だと推察します。私もここまで進みましたが,城域とは思えませんでした。
この最高所から南側に一段下がったところが主郭と思われます。主郭東側に登り石垣らしき石積も出現します。
私はピンの南東側から登りました。本来,こちらからアクセスが容易だったのかな…と思います。すぐに土砂崩れで道がふさがれている様子で,左の斜面をよじ登りました。その続きは,私の投稿を参照くださいませ。
私のルートは古城盛衰記さんの攻城ルートを参考にしました。復路は滑落の危険を感じるロッククライム箇所があったので,ほぼほぼ南側に進路を取りました。民家の敷地内に出ました。
たぶん,todo94さんの選択された東北東ルートのほうが安全だと思います。

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やま親父

石垣と眺望 (2026/05/29 訪問)

駅前のビジネスホテルから徒歩15分で城下へ、登り20分程度で天守へ、大山と中海の眺望が抜群でこの日もサンセットを狙って老若男女が登城してきた。石垣の保存状態もよく私にとっては全くの穴場城であった。

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トク

4【秀長の但馬平定をたどる④】出石城(蕎麦は絶品です!) (2026/05/15 訪問)

豊岡駅前から全但バス「出石」行に乗り30分、終点で降りて5分程歩くと出石城です。秀長時代にも有子山頂は不便なので、麓の出石にも何らかの建物はあったかと思いますが、関ケ原後の1604年に入った小出吉英により正式に築城の届出がなされ、有子山城が一国一城令で廃城となり、現在のような但馬の小京都と言われる街並みが出来たようです。1706年には信州上田より仙石氏が入り、蕎麦が広められたと伝わっています。

まず「いずし観光センター」で続100名城スタンプを押し地図等を入手します(写真⑨)。時を知らせる辰鼓楼などもあり、とてもきれいな街並です。ここも大河ドラマにあやかり、豊臣秀長の旗が多くなびいていました(写真⑧)。そして出石城と有子山城が重なるアングルはいい感じです(写真①)。登城橋(写真②)、二ノ丸にデンと構える東西の隅櫓(写真④は東隅櫓)、そして苔むした高さ13.5mの稲荷曲輪の高石垣や参道もなかなか風情があります(写真⑤⑥)。

最上段の稲荷曲輪からは、出石の街並みがとてもよく見えました(写真⑦)。そしていよいよここから、山頂にある有子山城を目指し、私は登山を開始しました。

その後、有子山から下山し、お腹が空きかつもう足が疲れて歩けなかったので、いちばん近い登城橋の横にある「左京」さんに入り、名物の「出石皿そば」を頂きました。おかみさんから「山に登ってきやはったんですか~?」と気軽に声をかけていただきました。そして恥かしながら食べ方が分からなかったので尋ねると、丁寧に教えて頂きました。(最初は〇×、次は△□、最後に÷※、〆はαβ・・・フムフムなるほど🤔)。するとこの皿そば😱~! むちゃくちゃ美味しかったです😊!(写真⑩)。

次は秀長が攻め落とした、有子山城(山頂)の様子に続きます。
 

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