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アネ

人生、楽ありゃ苦もあるさ (2023/05/01 訪問)

復元された大手門の材の凄さに目を見張りました。
今は道路になっているお堀跡の深さにも。
周囲には幼稚園から高校まで、学校が沢山。
特に藩校前の無料駐車場は幼稚園の送迎タイムにはすぐ塞がってしまうので、その辺りの見極めが大切です。
三大庭園とされる偕楽園の広いこと!また、梅は早咲きから遅咲きまで色々な種類が植えられているので、長い期間楽しめます。
園内の茶室からの展望がまた素晴らしい。
JRの臨時乗降場「偕楽園」駅はホームの構造上、上りは停まらないため、お帰りの際はお隣の「水戸駅」へ。
茨城といえば、紫峰牛ですが、筑波山の山腹の某レストランが文句なしに美味しい。

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シャンシャン

山口~福岡のお城巡り④ (2025/11/30 訪問)

山口の続100名城のひとつである大内氏館跡。
現在は龍福寺が建っていて、立派な山門と本堂がある。参道から山門に続く紅葉はすごくきれい!
館の周囲は土塁が復元されている。
大内氏館跡とセットで続100名城になっている高嶺城は、今回残念ながら時間がなくて登城できず。

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アネ

何度目だ (2024/03/21 訪問)

子供の頃は春と秋に薔薇園に、夏は花火と、数えきれないほど来ていましたが、大人になってからはすっかりご無沙汰。
門や櫓が復元されていたのも知りませんでした。
「武士の一分」のロケにも使われたことも。
庭園であり、日本最初の公園とされる南湖は地元では桜の名所ですが、本来の役割は「農業用の溜池」。
関東と東北の境とされた小さな峠「境の明神」は、市街からは少し離れていますし、白河の関跡は人気がなく薄暗いので、一人歩きはお勧めしません。
ランチには本町の「藤駒」で蕎麦が定番。(子供の頃は「白河ラーメン?」というくらい、知られていませんでしたし、まさかあの「とらそば」に行列なんてとびっくりしました。お気に入りだった鍋ラーメンの佐川が閉店したのはいつのことだったか)
肉食派は「万世」で白河牛を。

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シャンシャン

山口~福岡のお城巡り③ (2025/11/29 訪問)

福岡城から小倉城へ移動。
秋の青空に天守が映える!石垣には巨石が使われていて見応え抜群。

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シャンシャン

山口~福岡のお城巡り② (2025/11/28 訪問)

山口から福岡に移動。
まずは復元された潮見櫓へ。内部ではボランティアの方が丁寧に説明してくれた。復元は元々の材木と新しいものが使われていて興味深い。
夜はFukuoka Lights Festival2025~光の城郭まつり~が開催されていて、潮見櫓のプロジェクションマッピングや本丸跡のデジタルアートで城内が彩られていた!

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シャンシャン

山口~福岡のお城巡り① (2025/11/28 訪問)

山口県にある古代山城のひとつ。国の指定史跡にもなっている。
石城山の8合目付近に約2,600mに渡り巨石の列が取り巻いているとのこと。
一番の見どころは東水門の石垣。レンガ状の石が整然と積み上げられている。西水門も3段の石垣が連なっていてこちらも古代の技術の高さに驚かされる。でも南水門は藪の中にあって痕跡はよくわからなかった。
基本的に遊歩道は整備されていて歩きやすいけど、所々藪道になっていたり倒木もあって散策には用心が必要。
その他、幕末の第二奇兵隊が駐屯していた跡地である本陣跡や随身門、国指定史跡の石城神社など見どころ多し。岩国名物のいろり山賊で食べるご飯もサイコー!

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カズサン

朝明けの御楼門 (2025/10/29 訪問)

 鹿児島城御楼門の探訪は、今回の鳥取城スタート九州一周城旅企画には入って居なかったのですが、泊まったホテルが5年前のホテルでしたので鹿児島城と近く、朝も早く起きましたので朝食前にぶらっと訪ねました。
 朝焼けの桜島と御楼門の写真ツーショットが気に留まりましたので一番にして御楼門石垣周り、十番目に御隅櫓跡の写真を投稿して、復元も囁かれていた御隅櫓の復元は何時に成るのでしょう?と希望願望を入れて投稿します。
 朝駆けで良い運動と目覚めよく本日の薩摩、大隅の城旅に出掛けられます。
 

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カズサン

御楼門の復元 (2025/10/29 訪問)

 前日天草島の久玉城を終えて三和フェリーで鹿児島県長島町へ鹿児島市内のホテルで1泊、朝食前に約500m程と近いので鹿児島城を朝日の明ける頃探訪、5年前の御楼門復元時登城と同じホテルでした。
 復元された御楼門とは5年振りの再会、朝明け過ぎでしたので採光は良くありませんが写真投稿させて頂きます。
 今年は焼失してから152年目、復元から5年目に当たります、復元御楼門も風雪に耐えて木肌の色もそれらしくなって来ましたが裏側は木の地肌が新しいまま。
 御楼門は二階建て高さ幅とも約20mで日本最大の城門だそうです。
 

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トク

【とことん名護屋城-②】徳川家康と前田利家 (2025/11/23 訪問)

ここからは先生方の講演の中から、興味のある内容をピックアップし、その場所を訪れて行きます。まずは「平山優」先生の講演の中に出た、徳川家康と前田利家の対立からです。

天守の北東部、山里丸から600m程の離れた場所に、「徳川家康陣跡」があります。最初その隣には、前田利家が陣を張る予定だったそうです。しかしいざ造ろうとすると水がない! それで井戸の取り合いになったとか? 名護屋の地は良好の港に恵まれていますが、最大の欠点は水が無い事です。確かにこれだけ海に近ければ掘っても海水が多く、真水が出る場所は貴重ですよね。

よってその時は伊達政宗が仲介し、利家の方が名護屋城の南東部(現在の道の駅桃山天下市の場所)に移りました。この頃から徳川家康と前田利家は対立するようになったのかもしれません。

まずその移った「前田利家陣跡」へ行きました。ここでは発掘調査が最近行われ、そこでわかった事ですが、ここは13ヘクタールの規模で豊臣秀保に次ぐ2番目の大きさの陣だったそうです。そして8千人の兵を収容していたとか。入口には石垣をともなった桝形門と大きな水堀に囲まれ(現在の道路)、その外と内は土橋でつながれ、さらに玉砂利や庭園もあった事も分かったそうです。これはもう陣というより立派な城ですね。大変多くの方が説明会に参加されていました。

次は「徳川家康陣跡」に行き、そこに立ってみました。今では防風の木々でふさがれていますが、当時はここから海がよく見えたと思います。そして後ろを振り返ると「ハッ!」としました。ここからは名護屋城の天守が、見上げるように実によく見える場所である事がわかりました。逆に言えば、秀吉からも家康の行動を逐一監視でき、睨みをきかせる事ができる場所だったという事です。きっと家康はその屈辱から、「いつかは豊臣秀吉と前田利家を倒し、絶対に自分が天下を取ってやる!」と、毎日ここから天守を見上げ、密かに野望を抱いていたのかもしれませんね! 徳川家康の陣から見上げた様子を、唐津城の天守を合成して作ってみました。こんな感じに家康の目には、写っていたのではないでしょうか?(合成写真⑤)。

次は(秀吉と茶々)の話に続きます。
 

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赤い城

大国木城、天王の森陣屋 香川県さぬき市 (2025/11/22 訪問)

いずれも城びと未登録の城で、長宗我部元親が雨滝城を攻めた際に陣を置いた城です。
茶臼山公園の駐車場から徒歩で行軍しました。

大国木城
白蓮寺の東にある丘が城跡のようです。
少し東側にある大師堂の裏手から登っていきます。
少し登ると平坦な場所、公園になっています。
遺構はありませんが眼下に長尾街道を見下ろす立地と成ります。
眺望はよく、ちょうど山々も色づいていました🍁

【見どころ】
・城跡からの眺望

天王の森陣屋
大国木城からさらに東へ歩きます。
跡地には豊田神社が建っています。
神社が建つ部分は二段になり、曲輪であったことがうかがえます。
曲輪から東に竪堀状の地形がありますが遺構なのかは不明です。

【見どころ】
 ・二段になった曲輪

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アネ

念願の (2024/06/18 訪問)

鶴ヶ城に対する亀ヶ城として知られる猪苗代城登城は小学生以来の念願でした。
遺構らしきものは石垣しか見当たりませんでしたが、それでも満足でした。
各種ドラマのロケ地として知られる天鏡閣はクマ避け音が常に流れていますので、動画を撮る方はお気をつけて。

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アネ

赤瓦 (2024/06/17 訪問)

小学生の時以来の登城で「あれ?こんなだっけ?」と首を傾げつつ歩きました。
御薬園(庭園)が見事です。
飯盛山の二重螺旋が不思議な「さざえ堂」は、足元を固めてからどうぞ。
夕食はワシントンホテルのガスライトで、会津牛のステーキ。お城の赤い屋根を目の高さで眺めながらいただきました。

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アネ

広い! (2024/06/18 訪問)

ここもクルマで駆けずり回りました。
新しくできた資料館が綺麗で見やすいので、ぜひ。

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アネ

とにかくデカい (2024/12/11 訪問)

あの有名な政宗騎馬像の足元に行くだけで、大変でした。
夕食は駅ビル内のステーキハウスで仙台牛。リーズナブルでした。
(牛タン、実は苦手でして……)

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アネ

続々復元中 (2024/12/11 訪問)

色鮮やかな門をはじめとして、各種建物が次々に復元されています。
一体どれほどの規模だったのか…….
管理事務所への道はちょっとわかりにくいので、焦らずに。

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しんちゃん

森忠政 (2025/10/12 訪問)

津山城は慶長8年(1603)に森忠政が18万6千石で入封したころから築城が行われ13年の工期を経て完成に至りました。古写真を見ると五重(忠政本人は四重と主張)の天守を始め多数の櫓が石垣の上にひしめき合っていて実に勇壮です。残念ながら明治の廃城令によって城の建物は破却されてしまいましたが平成17年に備中櫓が木造で再建されました。
備中櫓以外は本丸の太鼓塀ぐらいしかありませんが、石垣は健在です。石垣だけでも十分に凄い城ですね。

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しんちゃん

豊臣兄弟ゆかりの地 (2026/10/12 訪問)

鳥取城といえば「餓え殺し」で有名ですが、秀吉びいきの私としては秀吉が鳥取の人に恨まれていないか気になる所です。ガイドさんに聞いてみたところ、それほど嫌われてもいないようです。先日も大河ドラマに先立って秀吉役の池松壮亮さんのステージトークが行われ、好評だったようです。なるほど・・鳥取県の皆さんは寛大でいらっしゃる。
話が弾んだので御城印を三枚まとめてゲットです。ガイドさんの詰所には二の丸三階櫓の段ボールの模型があります。シンプルな構造だけど、そこが潔くて良い。今のご時世だと再建は難しいかな・・元々その場所に建っていたいたものだし、当時の技術で再建してほしいものだが。

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カズサン

植生整備業務中一部奇麗に成って居ます (2025/11/26 訪問)

 二俣城と鳥羽山城が令和8年1月23日まで植生整備業務継続中で、景観整備の為、灌木、藪の伐採草刈り、樹木の剪定などの作業を実施居ています、土日は休みでの様ですが普段は何処かで作業中。
 11月26日に今年の紅葉は如何かなと訪ねた折り、伐採、草刈されて二俣城本丸北土塁の北側の法面、腰曲輪?が奇麗に地肌を出し良く観る事が出来ました、本丸北土塁の北側法面に曲輪が在るとは思いもよりませんでした。北側の第4堀切側からと本丸北土塁上から見える範囲を眺めてきました、上から、横から腰曲輪?に降りたい衝動にかられましたが道も無く、誘導ロープも無く危険ですので無謀な事はしません。
 撮りました写真を投稿します。
 来年の1月24日以降であれば奇麗に景観整備、植生整備された二俣城を見る事が出来るでしょう。鳥羽山城も同じく。
      

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朝田 辰兵衛

続・おつりの出るバス初体験…🚌 (2025/10/12 訪問)

横須賀城の復路でバスを途中下車。馬伏塚城に立ち寄りました。おつりの出るバスは紙幣でも大丈夫なのか,疑問にかられました。おそるおそる「北里柴三郎氏」を手に取り,確認しました。バッチリOKでした。
ここで疑問が…。新500円玉や新紙幣に対応できるなら,なぜICに対応させないんだろう?

馬伏塚城ですが,しりとりを思い出します。「ま」の連鎖をクリアする貴重な手札。それまでは,存在すら知りませんでした。地味に佇んでいるところが,なんともシブイ味を出しています。

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イタさん

良く整備された大きな公園 (2025/12/02 訪問)

大磯城山公園は広く、国道を挟んで、旧吉田茂邸地区と城址があったとされる旧三井別邸地区に分かれる。ちなみに「しろやま」と読んでいたが、「じょうやま」でした。関東が上杉氏・長尾氏などの争乱時期に城としてあったようだが、吉田茂邸側も捨てきれない意見がある。公園内は紅葉が見頃で多くの人が散策をしている。

管理事務所から階段を上がれば、狭い尾根で如何にも堀切を思わせる。右先には尾根下に木橋が架かり、渡ればこんもりとした地形がある。戻り登れば正面に展望台見える。ここが本郭ともあったようだ。展望は良いが画像がほぼピンぼで使えない。奥にひかり広場と言われる広い平坦地があり、郭跡ではと言われる。端は一段高くなって眺めはよい。見過ごしかも知れないが、事務所そばの堀切状の辺りが城跡の雰囲気があった。

旧吉田茂邸跡に寄ってみました。入口から兜門を潜れば手入れされた庭園が広がる。池(中池・心字池)を中心とした庭ではないようだが。管理休憩棟の前には葉巻を咥え、羽織袴姿で杖を持つ、吉田茂像のイメージ看板が立っている。邸宅は庭園より高い場所に建つ。休館日で見学できず。

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