【鶴城】
<駐車場他>登城口前のごみステーション広場<35.553707,134.826417>に駐車。
<交通手段>車
<見所>切岸・竪堀
<感想>縁起祈願、鶴亀楽々旅2城目。現地説明板によると鶴城は山名四天王のひとりに数えられた国人・田結庄氏の居城であり、伝承では永享年間(1429~1449年)に山名宗全が築城したとされます。1575年の野田合戦において垣屋豊継らに城を攻められ田結庄是義は自害して以降1580年まで垣屋豊継の城となったようです。
縄張りは南の円山川を天然の堀として、西側に向かって鶴が翼を広げたような形になっています。北側は山続き、東の背後は崖になっています。攻め口はやはり西側から登っていくことになるのでしょう。
城跡は河岸整備された登城口から登っていくと、愛宕妙見堂跡に入ります。かつての曲輪跡に建てられた御堂跡で側面に古い石垣が残ります。広い尾根上曲輪を通り、Ⅳ郭南の虎口に隅角部の残る石垣がありますが現地説明板にある1619年に建てられた宝城寺のものかと思われます。Ⅳ郭が城跡の中で一番広く、最高部のⅠ郭が物見程度の広さなので、私はⅣ郭が主郭とみました。Ⅳ郭の東側の腰曲輪との側面にも古い崩れた石垣が残っていて城跡遺構と思いたい雰囲気のある石垣跡があります。Ⅰ郭の北側は高低差のある堀切があり、その北側から小さな段曲輪が連なっています。主要部の東側の畝状竪堀群ですが、私が見たときには落ち葉の堆積が多いせいか、大竪堀が1条確認できましたが、畝と群は表面観察では見受けられませんでした。
<満足度>◆◆◇
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