琴石山城からの転戦です。独立した小丘陵でグーグルマップでは冷泉社及び冷泉家墓所(屋敷跡)となっています。冷泉社と思しきお宮と墓地は慥かにありました。入口を示す標柱の表記は「冷泉屋敷跡入口」でした。
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2025/12/03 07:15
2025/12/03 07:12
津山市内を一望 (2025/11/16 訪問)
神楽尾公園まで車で行けます。
駐車場があり、ここから小原ルートを登っていきます。
ハイキングコースとして整備され、歩きやすい登城路です。
案内板もあるので迷うことも無いと思います。
案内板に沿って進むと土橋道の標柱があります。
確かに土橋状の細い道ですが両サイドは藪です。
さらに進んでいくと堀切があり、この辺りが二の丸です。
土塁も付いていました。
さらに進むと広い平坦な場所があり、三の丸と馬場。
特徴的な武者溜の脇から本丸を目指します。
神楽尾山の山頂部が主郭でここから津山市内を一望出来ます。
この日は晴れていて眺望も素敵でした😊
東屋でカップ麺を食べてるハイカーさんも、美味しいだろうな〜
一通り景色を楽しんで下山は井戸跡を見学後に三の丸から総社ルートで、こちら側には竪堀もあります。
大きく3つの曲輪群からなる城ですが二の丸がやや離れていて一城別郭ともいえる構造です。
この日はこれで終了、ホルモンうどんを食べて帰ろうと思ってましたが営業時間が終わっており断念。
また来ます。
【見どころ】
・二の丸の堀切
・本丸下の武者溜
・本丸からの眺望
・三の丸下の竪堀
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2025/12/02 22:58
いつ来ても楽しい鶴岡市② 加藤忠広改易後の居館 (2025/11/23 訪問)
晩秋の鶴岡市への旅、午前中は羽黒三山神社と五重の塔、手向町でかつての門前町の通りを観て、芭蕉のおくのほそ道の出羽三山滞在中にならい蕎麦切りの昼食をとりました。その後湯田川温泉へ向かう途中に、どこか城館跡訪問をと思い丸岡城跡を目指しました。熊の出没が相次いでいることから、集落に近い平城をと考えたからです。
丸岡城は旧櫛引町にあります。城は、村上、置賜へ向かう六十里超街道など交通の要衝に立地し、かつては赤川が縦横に流れ、沼地を形成した要害の地であったといいます。戦国時代に築かれ、この地を治めた押切氏、武藤氏、本庄氏、最上氏が重要拠点として利用しますが、江戸期に入り廃城となります。その後庄内には酒井氏が入部するのですが、寛永九年(1632)に肥後52万石を改易となった加藤忠広が預けられ、この地に居館を置きました。
現在は史跡公園として整備されており、かつては四方を囲んでいたと思われる堀が北側と西側に、土塁跡が北側に、大手門跡や堀跡などを観ることができます。また北側に接する天澤寺には加藤清正の遺骨を納めたという五輪塔もありますが、訪問時には冬に備えた雪囲いが施され、詳しく観ることができませんでした。
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2025/12/02 22:35
マトリョーシカ土塁 (2025/11/23 訪問)
高梨氏館は北信濃の有力豪族高梨氏の館です。戦国時代には上杉氏に従いますが、豊臣秀吉の天下統一後、上杉景勝が会津に移封になると、共に従って会津に移ったため高梨氏館は廃城になりました。
「高梨館跡公園」として土塁や堀などが良く整備されており、庭園や門、礎石建物や掘立柱建物の跡が確認されています。土塁の調査で、三段階の構造を経て築造され、基部に漆喰で固めた築地塀が有ることが分かりました(現地案内板による)。
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2025/12/02 20:34
山上と麓の矢穴石 (2025/12/02 訪問)
箱柳城は桓武平氏の流れを汲む中根平右衛門盛清によって築かれたとされています。おそらく丘陵の頂部も城址の範囲だったと思うのですが、中腹に幾段にも石垣で固められた郭があり、麓から続いています。途中から郭が無くなるので、どこが主郭か分かりにくいですが、山上に続く道に沿って築かれているようにも見えます。この日は途中で引き返しましたが登城口の麓に矢穴石がありました。
山の上の草むらの中にも矢穴石があります。
戦国のころにも使われていたのであれば、ちょっと変わった構造の城址だと思います。
遺構の周辺はなぜかスマホの圏外だったのでリア攻めには苦労しました。グーピクに変えてから人工衛星「みちびき」ともリンクできるようになったはずなのになぜ? と思いましたが辛抱強く試していたら上の方でリア攻め出来ました。
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2025/12/02 20:18
肩の力が抜ける (2025/12/02 訪問)
井田城は松平親氏の子の酒井広親の子・酒井氏忠から続く酒井氏五代の居城でした。酒井忠次は大永7年(1527)井田城内で生まれています。現状は公園で城山稲荷が立っています。ここにある賽銭泥棒へのメッセージが面白く、良い感じで肩の力が抜けます。
今でも賽銭泥棒はやってくるのでしょうか? メッセージが増えている気がします。
今後も楽しいやり取り期待しています(ボカッ!)。
今日のお昼は岡崎名物「もろこしうどん」の別バージョンの「チーズもろこし」です。腹もちが良く力が湧いてきますよ。
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2025/12/02 19:34
江戸氏と佐竹氏の境目の城 (2025/01/16 訪問)
JR常磐線 赤塚駅から徒歩40分。JR水戸駅北口7番のりば 渡里ゴルフセンター行のバスで「新谷」のバス停で下車し、徒歩5分。
一盛長者伝説地の碑から続く砂利道がお城の入口です。最近の城あるあるで、城跡の広範囲に太陽光パネルが設置されていました。砂利道を進むと、西側の太陽光パネルが敷かれたエリアに土塁があるのが見えます。パネル越しだからなのか、かなり高さのある土塁のように感じられました。砂利道の奥まで進んで行くと主郭跡に至ります。現在は民家になっていて主郭跡の内部には入れませんが、民家の手前には、みごとな空堀と土塁が残されていました。
長者山城は、中世に江戸氏(水戸城主)の家臣 春秋氏が築城したと考えられています。北側には那珂西城(城里町)、戸村城(那珂市)という佐竹氏の城があることから、江戸領と佐竹領との「境目の城」だったと考えられているようです。
周辺の八幡神社の南側には台渡里官衙遺跡群の説明板が設置されています。説明板によると、この地域は、奈良・平安時代の常陸国那賀郡の中心地で官衙(役所)と台渡里廃寺があったようです。台渡里廃寺は飛鳥時代に建てられた寺院みたいです。歴史の古さに驚きましたが、説明板の地図をよくみると、長者山城の主郭もしれっと載っています。これは長者山城の見学者としては嬉しかったですね!!
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2025/12/02 18:25
何と❗️道の両側に見事な土塁が‼️ (2025/10/13 訪問)
国道7号線を、弘前から山に向かって大館方面へ走っていると。。。油断してはいけません。見事な土塁が道の両側に広がっています。
城内から町の方を望むと良い高さに家々が見渡せて、平城の屋敷からこんな風に景色を眺めていたのかなぁ〜、なんて、お殿様気分に✌️
近接する旧石戸谷家住宅の中には、堀越城主 津軽為信の出自などを紹介しているブースもあり、津軽平野の歴史を知るには必見です❗️
少し走ると「道の駅ひろさき」があり、隣接した天然温泉 花の湯で湯ったりほっこりしました😁
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2025/12/02 12:58
静岡に残る貴重な大名陣屋―国指定史跡「小島陣屋跡」
「お城EXPO2025」では、お城のスペシャリストたちが登壇する特別ステージが開催されます。なかでも注目は、お城好きで知られる落語家・春風亭昇太さんによる「様々な城の魅力を語る~陣屋の魅力~」です。皆さんは“陣屋”と聞いて、どのような建物を思い浮かべるでしょうか?
陣屋とは、城を持つことが許されなかった大名が住んだ場所を指します。実は静岡市にも、その貴重な陣屋が残されています。それが、国指定史跡「小島陣屋跡」です。
そして最大のみどころは、堂々とそびえる“高石垣”。城を構えることが許されなかった大名の陣屋でありながら、城郭のような迫力のある構造を持つ極めて珍しい史跡です。
江戸時代中期の大名陣屋の姿を知るうえで極めて貴重であるとして、平成18年に国の史跡に指定されました。
さらに、NHK大河ドラマ「べらぼう」に登場する黄表紙作家・恋川春町(こいかわはるまち)は、実は小島藩士。今まさに注目が集まる小島藩ゆかりの地として、歴史ファンの方にぜひ訪れていただきたいスポットです。ぜひ現地に足を運んで、その雰囲気をご体感ください。
◆国指定史跡「小島陣屋跡」
住所:静岡県清水区小島本町・小島町地内
書院開館日:土日祝日(平日・年末年始は休館)
11月から2月:9時30分から15時
3月から10月:9時30分から15時30分
利用料:無料
アクセス:【バス】JR興津駅「三保山の手」線「小島南」で下車し、徒歩約7分
詳細は静岡市公式HP(https://www.city.shizuoka.lg.jp/s6725/s005186.html)をご覧ください。
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2025/12/02 11:49
マンション建設へ (2025/12/01 訪問)
石碑や土塁がなくなりました。マンションが建ちます。
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2025/12/02 10:09
南関城【牛方馬方騒動-②】加藤正次 (2025/11/21 訪問)
内牧城からの続きです。今度は(牛方馬方騒動)で敗れた清正の重臣「加藤正次」の居城「南関城(鷹ノ原城)」を訪れました。
清正の肥後入国後、肥後の北の守りを任された正次は大津山城に入りますが、1600年清正に進言して新たにここに城を築き1604年に完成します。縄張りは、清正が実際ここに来て自ら考えたとされています。しかし正次は1618年に騒動に敗れ、幕府の命で家臣ともども流罪となり、一国一城令で南関城は破却されました。正次の謀反は本当だったのでしょうか? それとも正方のでっち上げだったのでしょうか? 尾張の時代から清正に仕えた正次にとっては、さぞかし無念だったであろうと思いました。
大牟田駅から南関行のバスに乗り50分、終点の南関町役場で下車すると、南関城が見えてきます(写真①)。ここから麓の「御茶屋跡」まで徒歩10分、そこから山頂本丸まで10分の軽い登りで行く事ができました。山は扁平に削られ、そこに本丸・二ノ丸・三ノ丸があり、4つの堀切でこれらは分断されていた、難攻不落の城だったようです。しかも築城当時は、肥前名護屋城に匹敵するほどの巨大な城だったとされています。御茶屋は江戸時代に入り建てられた、参勤交代のための宿だそうです(写真②)。
この茶屋の横から登城開始します(写真③)。官軍墓地(写真④)に着いたらその背後が本丸です(写真⑤)。墓地には西南戦争で亡くなった官軍兵士77名が眠っているそうです。南関城の最大の見どころは、その先にある「本丸西虎口」です(写真⑥)。高石垣跡とその下には、二重三重にも折れをともなった堀跡が残っていて、これは必見です!(写真⑦)
南関城は築城からわずか14年後の1618年に一国一城令で破却が行われ、さらに島原の乱の翌年1638年には二回目の破却が大規模に行われています。ここでの破却はとても特異な形で行われています。その様子をこの西虎口で見る事ができます。この写真⑧⑨を見て下さい。真ん中に7m21段の石垣が残っていますが、ここは一番上の本丸までかつて石垣があったようです。つまり推定約15mの石垣が、本丸までを覆っていたと言う事になり、その石垣の石を下まで破却して、それを何と登城路を兼ねた堀の中に落とし、その上から土をかぶせて埋めてしまったのです。
よって堀(登城路)も相当深かった事になります。さらにこの両側には塀があり櫓門や隅櫓があったので、元々はかなりの鉄壁な防御が施された城だったと推測されます。それをここまで壊したのは、島原の乱では先陣を切って戦った細川忠利です。
忠利は従兄弟の三宅藤兵衛や多くの家臣を島原の乱で失いました。ゆえに一揆軍をかなり憎んでいたと思います。私は西虎口から破却跡を眺めていると、原城のようにキリシタンに利用されてなるものか! という忠利の強い意志が伝わってくるような気がしました。
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2025/12/02 07:02
三連休・山口県の攻城② (2025/11/22 訪問)
石城山神籠石からの転戦です。石城山神籠石と同様、駐車場まで延々と細い道を運転していかなくてはなりません。駐車場にある説明板の表記は山の名前と同じ琴石山城でした。山頂では高齢者の集団が集っていました。駐車場にはほかに車が停まっていなかったので麓から登って来たのでしょうね。大したものです。眺望も素晴らしく、絶好のハイキングスポットと云えそうです。駐車場からの登城路側の鞍部、堀切で隔てられた側が二の丸だそうです。山頂を越えて急峻な販路を下った西側にも堀切があります。登城にさほどの困難がないこの城がこれまで未投稿だったのは、アクセスのしにくさによるものなのでしょうか。とりあえず、未投稿物件を一つクリアです。
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2025/12/02 06:40
竹藪に堀 (2025/11/16 訪問)
津山市内から国道53号線を北上、奈義町にある城です。
有元集会所に説明板が立っています。
集会所に車を置かせてもらい、裏手の道を墓地方面に進みます。
墓地の裏手に竹藪へ向かう道があり、進むと横堀がありました。
さらに進むともう一つ横堀が走っていました。
が、周辺は竹藪でしかも他に遺構らしきものを見つけることはできませんでした。
説明板によると東側は江戸時代以降の開墾により失われたとのことです。
【見どころ】
・竹藪の中の横堀
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2025/12/01 22:58
岸勘解由信周 (2025/11/16 訪問)
堂洞城は織田信長の美濃攻めの際に蜂屋の領主・岸勘解由信周がこもった砦とされています。某アプリのリア攻めがしたくて寄ったのですが入口付近でリア攻めが出来てしまいました。でもせっかく来たので訪問することに。
信周は斎藤氏への忠義を重んじ降伏勧告を退け討死した忠義の士です。でも人質の佐藤氏の姫を殺しちゃいかんなあ・・
もったいな・・いや、気の毒に(汗)。
戦国時代は残酷な時代なので大概のことはまかり通るのですが、その影でどれだけ多くの人質が命を落としてきたことやら・・
堂洞城は本格的な山城とも思えず、堀切も埋まっていて分かりづらい。道沿いについている扁平地は郭の跡でしょうか。それなりの人員を収納できたように見えます。
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2025/12/01 21:27
おつりの出るバス初体験…🚌 (2025/10/12 訪問)
袋井駅南口⇒七軒町まで,秋葉バスサービスの秋葉中遠線・秋葉線を利用。最初は「IC不可か…」と整理券を取り乗車。先に降りる人を確認すると,まず整理券を入れて料金表示後に大きいお金を入れて,自動でおつりを受領している気配が…。
私の料金は【470円】だったので,新500円玉を用意し,ドライバーに確認したところ「おつり出ます」とのこと。おつりの出るバス初体験がかなり衝撃でした。
横須賀城ですが,玉石垣はみなさん良くレポートされておりますのであまり感動はなかったです。どちらかというと三日月池に「おぉっ」となりました。丸子城からの転戦で訪れていたせいもあったのかもしれません。高天神城の三日月池とは比較になりません。
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2025/12/01 20:46
城址とミカンと紅葉と。 (2025/12/01 訪問)
上ノ郷城の築城時期についてははっきりとはしていませんが、この城の歴史において最も有名な出来事は桶狭間の戦いの後に今川方から離反した松平元康が鵜殿長照を攻めた「上ノ郷城の戦い(永禄5年(1562))」だと思います。
皆さん大河ドラマでご存じだと思うので内容は省略。
城址の周辺は「みかん畑」になっていてちょうど今、実をつけだしています。この周辺には蒲郡オレンジロードもあるんですね。
赤日子神社の紅葉はちょうど見ごろを迎えています。主郭周辺のイチョウも良い感じです。豊橋は温暖な気候なので紅葉が少し遅いのですが蒲郡は今がちょうどよい頃合いでしょうか。
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2025/12/01 19:48
2025/12/01 17:51
2025/12/01 17:47
遺構がしっかりと残っている (2025/08/22 訪問)
長命館公園としてしっかりと綺麗に整備されている。
看板を立てて遺構の説明をしているため初心者でもわかりやすい。
今回の仙台行軍で思ったのはどこの城址も公園などにして整備をしている。
これはお城や歴史が好きなものにとってはとてもありがたいことです。
これからも未来へしっかりと残してもらって新たな歴史的発見などが出ることを楽しみにしています。
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