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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征16日目:倉敷散策(笠岡城を攻城する前の観光) (2026/05/26 訪問)

次の攻城先=笠岡城を攻城する前に、倉敷を観光しました。
倉敷駅から徒歩10分くらいで、国指定重要文化財大橋家住宅(34.697216、133.768279)に着きました。
倉敷は今回2回目の観光です。1回目は2018年6月16日に次男と来ました。今回は、以下の順番で観光しました。

①:国指定重要文化財大橋家住宅(34.697216、133.768279) 9:00~17:00
②:倉敷物語館(34.596882、133.770193) 9:00~19:00
③:倉敷美観地区(34.595739、133.771766) ①より徒歩3分190m
④:きびそばと郷土料理(34.594903、133.772418) ②より徒歩3分190m
 ➡冨来屋本舗本館(11:00~15:30 注文終了19:00) きびそばとたこめし
  月曜休み土日は11:00~15:00のみ 夜:16:30~20:00
 ➡通りの横に倉敷プリンの店あり(10:00~17:30)
 ➡店の前に桃太郎からくり博物館 10:00~17:00
⑤その他、大原美術館(9:00~17:00)2000円  などあり  

リュックに熊よけ鈴をつけていたので、大原美術館で音がでないようにしてほしいと云われました。
冨来屋本舗本館で、きびそばとたこめし&地ビールをいただき、通りの横の店で倉敷プリンを食べました。
まだまだ行きたい所はありましたが、電車の出発時間が迫っており、ここで断念です。
観光時間は100分くらいでした。次の攻城先=笠岡城を攻城する為、倉敷駅からJR山陽本線で笠岡駅へ向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征16日目:備中福山城 (2026/05/26 訪問)

幸山城から備中福山城に向かう際、備中福山城に登る山道がわからずウロウロしました。
ここでもまた登山者に助けられ進入口を教えてもらいました。登っていったらベンチがあったので一応登山道だと思うので案内板がほしい。
あとでわかりましたが、自分は福山山頂直登コースに向かいましたが途中で引き返してました。登山者に教えてもらった進入口は、そこに向かう途中に山に入る道でした。
結果的に、このルートは長い階段を登ることはなかったので5/24に痛めた左足首に負担をかけずに山頂まで行くことが出来ました。
結果、20分近くウロウロしましたが、幸山城から徒歩40分弱で備中福山城に着きました。

築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代末期に真壁小六是久によって築かれたと云われています。
1335年(建武2年)足利尊氏に味方する佐々木信胤らが福山城に籠もったため、後醍醐天皇側の軍勢が攻撃を仕掛けましたが、撃退されました。
1336年(建武3年)九州に敗走した足利尊氏を追撃する新田義貞の軍が福山城に立て籠もり、九州から東上する足利尊氏軍を迎え撃ったが敗れた福山城合戦の舞台となりました。
1571年(元亀2年)の尼子再興軍の備中侵攻の際、幸山城の留守を預かっていた日幡六郎兵衛らは農民を率いて福山城に出て、南の浅原峠を守った。
1582年(天正10年)毛利輝元の家臣・門司親宗が在城しました。

山頂からの眺望がすごく良く、土塁や列石等の遺構も見られます。
帰りは1234段の階段を下りて福山登山道歴史広場口(34.645759、133.752807)方面に向かいました。
攻城時間は55分(進入口~福山登山道歴史広場口のまで時間)くらいでした。次の攻城先=笠岡城を攻城する前に、倉敷を観光する為、清音駅からJR伯備線を利用して倉敷駅に向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征16日目:幸山城 (2026/05/26 訪問)

清音駅から徒歩40分くらいで、福山登山道ふれあい広場口(34.652848、133.755353)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、延慶年間(1308年〜1311年)前後に庄資房によって築城されたと云われています。
資房は1333年(正慶2・元弘3年)六波羅が攻められた時に死亡し資氏が継いで在城したが、資政の時に猿掛城を築き拠点を移した為、その後は備中守護代の石川氏へと城主が替わっています。
1567年(永禄10年)の明禅寺合戦において石川久智も戦傷がもとで没しました。
1571年(元亀2年)尼子氏が備中に南下備中北部を制圧し勢いを付けて幸山城に攻め寄せた。
このとき、石川久智の子久式は毛利軍に加わって九州へ出陣していたため落城してしまいますが、毛利氏の援軍を得て幸山城を奪還しました。
1582年(天正2年)毛利氏が宇喜多氏と同盟したことによって、三村氏が毛利氏から離反した(備中兵乱)。
城主石川久式は三村元親と義兄弟の関係から三村方となり、幸山城には重臣友野石見守らを入れて守らせ、自身は兵を率いて松山城へ籠城した。
しかし、幸山城は毛利方に降伏、松山城も毛利氏によって攻め落とされ三村元親は切腹、久式も逃亡したが討死、あるいは岡谷城で自刃した。
毛利氏の領国支配のもとで清水宗治が一時居城しますが、備中高松城の役ののちは宇喜多領となり、庭瀬城主となった岡氏の家臣が在番しますが、関ヶ原合戦ののちに廃城となりました。

方向音痴の自分は登り口がわからずウロウロしましたが、登山客のご夫婦?に助けられ登り口発見。
現在は登山道が整備されています。
周囲は切り立った岩山になっており、滑落しないように気をつけて下さい。
福山城とともに攻城すると「幸」「福」セットになるようです。
攻城時間は40分(登り口がわからずウロウロした時間を含む)くらいでした。次の攻城先=備中福山城に徒歩で向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征16日目:神辺城 (2026/05/26 訪問)

福山駅のコインロッカーに荷物を預けた後、始発電車で福山駅からJR福塩線を利用して神辺駅に到着しました。
神辺駅から徒歩30分くらいとで、神辺歴史民俗資料館登城口(34.537537、133.385804)に着きました。

1335年(建武2年)元弘の乱(南北朝争乱)で戦功をあげた朝山次郎左衛門景連によって築かれたと伝えられています。
以来神辺城は備後国の守護職の居城として使われ、仁木義長・細川頼春・高師康・上杉顕能・渋川義兼・山名時義が守護となり一時期を除いて山名氏の備後支配がつづきそれぞれ守護代が居城しています。
1538年(天文7年)出雲国尼子方となった山名氏に対して、大内氏は銀山城主杉原理興に命じて神辺城を攻略させます。これによって神辺城は杉原氏に与えられ、山名理興と名乗りました。
1542年(天文11年)大内氏は尼子氏の居城出雲富田城を攻めましたが国人衆の離反もあって敗走し、このとき理興も大内方から尼子方につきました。
翌1543年(天文12年)大内氏は神辺城に押し寄せますが容易に落城せず持久戦となり、1549年(天文18年)ようやく神辺城を攻略。神辺城には大内義隆の家臣青景隆著を置ました。
大内氏が滅亡した後は杉原盛重が城主となり毛利氏に属しました。盛重は毛利氏に従って各地を転戦し、伯耆国尾高城主も兼ねるなど勢力を拡大します。
しかし、1582年(天正10年)神辺城を任されていた盛重の子元盛と景盛の間で争いが起こり、神辺城は毛利氏の直轄となり、1591年(天正19年)には毛利元就の子毛利元康が城主となりました。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦の後、毛利氏が防長二カ国に減封となると安芸国広島城主として入封した福島正則の家老福島丹波守正澄が神辺城主となりました。
しかし福島氏は1619年(元和5年)改易となり、替わって備後国100,000石として入封した水野勝成が福山城を築くまで一時在城し、1622年(元和8年)廃城となりました。
1619年(元和5年)の水野氏が福山城築城の際には、神辺城の櫓楼や門などが取り壊され移築されたといわれています。

神辺駅から徒歩で攻城しました。
現在山頂は吉野山公園として整備され、東側には福山市神辺歴史民俗資料館が建てられています。
登城口からすぐの毛抜堀切は見事、また主郭の南側面には石垣が露出しています。
櫓跡や本丸からの眺望は素晴らしい。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=幸山城を攻城する為、神辺駅から井原鉄道を利用して清音駅に向かいました。
井原鉄道はICカードは利用できません。券売機もお札は1000円札のみです。

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にのまる

函館遠征初日 (2026/06/22 訪問)

プロフィールは年齢非公開にしてありますが、どうせバレていると思いますので……。私、JR東日本「おときゅうパス」のヘビーユーザーで、今回の函館遠征も大変お世話になりました🫡
(todo94 さんもパスを使ってよくお出かけのご様子。一旦東京に戻るとかがサクッとできるのがこのパスのすごいところで、以前いなほが運休になった時に新潟→大宮→秋田と移動し当初予定のスーパーつがるに間に合ったことがありました。)

今回は(今回も)、前日にえきねっとで東日本・北海道パスを予約、1泊目の宿泊先(東横INN新函館北斗南口)だけ確保してリュックひとつで出発しました。こんな調子ですから同行者はいません😅

初日は移動だけで終わるかと思ったのですが、移動中に東横INNの2泊目も確保したし、せっかくなので新函館北斗到着後そのまま五稜郭に向かいました。前回時間切れで箱館奉行所に入れなかったリベンジでもあります。

函館から市電で五稜郭公園前下車、そこから歩きです。
雨で傘を差しつつだったので外周ウォーキングは断念しましたが、奉行所内見学ができてよかったです。「天守無しがアツい」さんも書いていらっしゃるように太鼓櫓へは上がれませんでしたので階段の下からしっかり見上げてきました。幅の狭い急階段で、自由に上り下りするのは難しそうでした。

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T-Shionoya

山城の醍醐味充分な塞之神城 (2026/02/14 訪問)

2月中旬、文殊山城に続いて訪れた愛知県新城市の塞之神城。

作手高原にて西から中央部へと伸びた丘陵の、比高約80mの本城山山頂部に築かれた城。
700mほど西の文殊山城とは尾根で繋がり、街道を挟んで500m東には古宮城が存在するポジション。

城主と築城時期は定かでないが、一説では文殊山城と同じく奥平氏が武田氏へ属する際の1570年頃に築城されたとのこと。

現在はハイキングコースのポイントの1つとなる土の城跡。

訪問時、文殊山城から尾根上の山道を15分ほど歩くと、高さのある二の曲輪と堀切が出現し、城域に到達したことを実感。その二の曲輪角部は少々高くなっており、櫓でも建てられていたのでしょうか?
主郭は三方に腰曲輪を擁し、南西と南東の2つの腰曲輪には薄っすらと土塁と虎口が存在。
更に主郭へ上がると高さ2mはあるだろう土塁が残り、城郭南側には1本の竪堀が通る。

マイナーな城跡かもしれないが、山城の醍醐味を充分備えた、私の城郭巡りの228城目でした。

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yoda 1253

世界遺産です (2025/10/18 訪問)

明治維新の産業革命遺産の意味合いでの世界遺産ですが城下町も含め見所たくさんです

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ボン

龍岡城:2025年9月21日:続100名城-48 (2025/09/21 訪問)

別名:龍岡五稜郭、桔梗城
であいの館にスタンプや模型がある。

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ボン

岩櫃城:2025年9月20日:続100名城-47 (2025/09/20 訪問)

岩櫃山平沢登山口観光案内所にシタンプがある。
駐車無料。

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ボン

名胡桃城:2025年9月20日:続100名城-46 (2025/09/20 訪問)

名胡桃城址案内所に無料駐車場。
案内所には模型やぱんふレット、ビデオ上映など。

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ボン

沼田城:2025年9月20日:続100名城-45 (2025/09/20 訪問)

別名:倉内城
城域内になる沼田観光案内所で無料駐車。
お城の簡単な説明もある。

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ボン

足利氏館:2025年9月18日:100名城-49 (2025/09/18 訪問)

別名:鑁阿寺(ばんなじ)
駐車場は無料。
寺内は立派な大銀杏がある。
寺内から出て少しのところに足利尊氏公の像がある。
また、近くに足利学校がある。

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ボン

金山城:2025年9月18日:100名城-48 (2025/09/18 訪問)

別名:太田金山城、新田金山城
駐車場は無料。
100名城スタンプは実登城しないと押せないので真面目に登城。
石垣や馬場下通路、日ノ池、堀切、大手虎口など見ごたえが凄い。
麓には史跡金山城跡ガイダンス施設がある。

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ボン

箕輪城:2025年9月18日:100名城-47 (2025/09/18 訪問)

駐車場は無料。
堀や土塁はよく残っており、きれいに整備されている。

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ボン

江戸城:2025年2月20日:100名城-46 (2025/02/20 訪問)

別名:千代田城、江城
スタンプのみ。

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ボン

品川台場:2024年9月19日:続100名城-44 (2024/09/19 訪問)

別名:御台場、品川砲台
ゆりかもめで攻略。

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ボン

小諸城:2024年9月6日:100名城-45 (2024/09/06 訪問)

別名:酔月城、穴城、乙女城、白鶴城
駐車場は駅前で2H。
大手門、三の丸門(懐古園入り口)、石垣を見た。
奥に動物園もある模様だが立ち寄らず。

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ボン

上田城:2024年9月6日:100名城-44 (2024/09/06 訪問)

別名:尼ケ淵城、松尾城、伊勢崎城
駐車場無料。櫓は有料。
門は見事。城下町は散策せず。
再訪して、美味だれ焼き鳥とあんかけ焼きそばを食べたい。

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ボン

松代城:2024年9月6日:100名城-43 (2024/09/06 訪問)

別名:海津城、貝津城、茅津城、長野城、待城、松城
駐車場無料。門と石垣は見事。街並みも小学校など風景に気を使っている。
真田亭や宝物館は寄らず。

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チェブ

『小手指古戦場』の巻。 (2026/06/20 訪問)

東京の端っこから、前回投稿した「難波田城」に登城する途中にコンビニに寄りました。
駐車場から『小手指古戦場→』の看板を見て、「難波田城」は後回しにしました。

矢印方向に進み、多分間違えて行き過ぎた場所は『誓詞橋』。何だか、歴史を紐解きたくなる地名です。

『小手指古戦場』は近くに小学校、中学校があります。
車通りの多い道が近くにある割りに、こんなに広い所があるんだーが感想です。
駐車場はありません。石碑の前に路駐して写真を写します。
『小手指古戦場』は新田 義貞さんが群馬県で挙兵し鎌倉攻めの際、戦場になりました。
説明板には戦仲間が150騎が20万騎に膨れ上がったんだとか。そして、30回ほど打ち合ったが勝敗がつかないとの事です。
どちらも、なかなか強いです。
説明板には、向こうに『白旗塚』があるとあり、車で直進しました。
ちなみに、舗装されてなく大きな水たまりがありますので、注意が必要です。
私も某場所で、ぬかるみに車のタイヤがはまり、スリップして出られなくなった過去があります。
*車でお城攻めあるあるですよね、イオさん。

小高い場所があります。写真では低くく写ってますが、雨で傘を持ってじゃ危ないかもと思うくらい、高かったはずなのに。
写真ではお伝えできませんが、もうちょっと急な階段です。すいません。

『小手指古戦場』は『こてさし』と読みます。
武具の篭手から名付けられたとか、日本武尊さんが小手をかざして前方を見たとかが由来の1つです。
ちなみに、さっきの『誓詞橋』は戦勝を誓う詞を交わした場所なんだとか。
『小手指古戦場』は狭山湖近くです。難攻不落の「根古屋城」の後いかがでしょうか?

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