名張藤堂家の陣屋建物の一部を残す。名張藤堂家初代の藤堂高吉は丹羽長秀の実子にして豊臣秀長の養子となった後に藤堂高虎の養子になったが、どの家の跡継ぎにもなれなかったというなかなかレアな人生を辿った人物だ。
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2025/12/11 22:17
どこの家の跡継ぎにもなれなかった (2025/03/30 訪問)
名張藤堂家の陣屋建物の一部を残す。名張藤堂家初代の藤堂高吉は丹羽長秀の実子にして豊臣秀長の養子となった後に藤堂高虎の養子になったが、どの家の跡継ぎにもなれなかったというなかなかレアな人生を辿った人物だ。
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2025/12/11 21:24
長篠450年記念 医王寺山① (2025/12/07 訪問)
「めぐらー」の皆さん、特集だけじゃなくて「みんなの投稿」も見ておくれやす。
今年は長篠の合戦450年ということで「お城EXPO」の二の丸会場でもいろいろ特集が組まれているようです。城めぐりを長くやっていると地形図を見ればどこに何がありそうかだいたい分かるようになってくる。築城者の気持ちになって考えてみると良いですな。
私の地元は愛知なので長篠・設楽ヶ原の古戦場周辺はけっこう周っています。武田勝頼本陣があったとされる医王寺ですが地形図を見ると周囲を丘陵に囲まれているのがわかる。西側から北側にかけて尾根と沢を天然の土塁・掘とし、北側を周回して標高172mのピークに至る。武田勝頼本陣跡とされる丘陵より比高が51m高いこの場所に物見やぐらを築けばより遠くの敵を早く発見することが出来る。
西側には豊川が流れ敵の信仰を妨げてくれている。
北側の尾根を利用すれば退路を確保できる。
地形から見ると武田勝頼はここを三河侵攻の拠点にしようと考えていたのではないかと思います。長篠城と医王寺陣を有効に活用出来たら、史実より有利に織田・徳川の軍勢と戦えたのではないだろうか。
退路を確保したうえで撤退戦に持ち込めたら、あれほど多くの将兵をいたずらに失うことは無かったと思う・・すねえもんの活躍で長篠城を落とせなかったばかりか、まんまと織田信長に不利な戦場に釣りだされてしまったのではないか・・と思う。
地形図から読んで想像が出来るのはこの程度・・あとは実際に周って見るだけです。
実際に周って見ると、天神山陣所の北側に続く尾根は敵を防ぐ格好の防塁だ。伝勝頼本陣との間は深い谷になっていて、下から見上げると圧巻だ。尾根の上は内側を削って扁平地にしてある、つまり郭だ。
各所にある堀らしきものは林業の人が作った道かも知れないのでカウントはしない。扁平地も植樹の為にならしたと考えることも出来るが、遺構の可能性も考えたい。林業による扁平に見えても昔から存在していたり、城郭大系に郭として記載があることも有るからだ。
実をいうと尾根全体に渡ってこのような扁平地が多く見られた。守備にあたる兵士たちの駐屯する場所も兼ねているのかもしれない。
尾根上を周遊して戻って来るのに2~3時間くらいかかった。全体でみると山城に近い構造をしていると思う。
医王寺は克補契嶷(こくほかいぎょく)という僧によって永正11年(1514)に開かれたとされているが、事実上の開基は二代目の琴室契音(きつしつかいおん)とされている。この人物、長篠城の菅沼氏と何かしらの関わりがあるのだろうか?
位置的に長篠城の詰城の位地にあるが、最初からここを城として築かなかった理由も不明だ。だが実際に歩いてみて周囲の地形を城塞として活用したならば、医王寺の守りは非常に固いと思えた。
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2025/12/11 18:25
2025/12/11 14:54
やっと行けました🙌 (2025/08/13 訪問)
18きっぷ5日目。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎行き✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
【名松線】
松阪07:32発
↓
〈家城で乗り継ぎ〉
↓
伊勢奥津08:59着
↓
【路線バス】
伊勢奥津9:14発(月水金運行の美杉東ルート)
↓
北畠神社前09:22着
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎帰り✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
【路線バス】
上多気交差点南11:03発(水のみ運行の美杉南ルート)
↓
伊勢奥津11:10着
↓
【名松線】
伊勢奥津11:30発(松阪行き)
↓
このあと伊賀上野城へ行ったので一志で近鉄線に乗り換え。
というルートで行きました。
レンタサイクルは“怖い”という投稿やブログを読んでいたのでアクセス方法がなかなか決められなかったのですが、ちょうどいいバス便のある水曜日の訪問となったので助かりました。お城めぐりでコミュニティバスを使わせていただくことも少なくなく、ありがたいです。
ということで無事北畠城館跡に到着。95個目の続100名城スタンプをいただきました。
北畠顕家公、享年21。
花と散った花将軍。凛々しい立ち姿の銅像がありました。
三大武将庭園のひとつ、北畠氏館跡庭園。
500年を経た今日でも緑に包まれ心安らぐ設えにこの国の伝統美を感じました。
実は同じ列車&バスで来られた方がいらして、彼女もきっと城メグラーさんにちがいない!と思ったのでお声がけして一緒に見学させていただきました。
霧山城は元より、詰城も無理だろうなぁと思っていたのだけれど、その方に勇気をいただき、詰城まで一緒に行ってみることにしました。
北畠氏庭園の裏手の霧山城登山口から九十九折りの山道を10分ほど登りました。どなたかが説明板を読みやすいようにきれいに拭いてくださっていました。ありがとうございます。
真夏の山城に踏み込む予定はなかったのでワンピにナマ足サンダルでしたが、詰城までならこれでも大丈夫でした。
霧山城はまたいつか、気候のいいときに登ってみたいです。
帰りのバス停(「上多気交差点南」)までは少し歩きますが途中に「美杉ふるさと資料館」があるので寄って見学させていただきました。
また、ありがたいことに水曜日は休館のはずの駅前の観光案内所「ひだまり」が臨時開館中で、冷たいお茶のサービスをいただき、名松線キーホルダーを購入することもできました。
線路そばにあった年季の入った給水塔は昭和10年に蒸気機関車への給水のために建てられたもので、昨年、国の登録有形文化財に登録されたそうです。
さまざまな出会いのある思い出に残る時を過ごせました。
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2025/12/11 14:21
石垣探検ツアーに参加してきました (2025/12/06 訪問)
彦根観光協会による彦根城の石垣探検ツアーに参加してきました。参加したのはプレミアコースで登り石垣5つすべてを通常立ち入り制限されている場所からも含めて上から下から見学できるコースでした、石垣好きの方にはお勧めです
今まで何度か彦根城は訪れているのですが、登り石垣にスポットを当てて観たことはなく、もちろんそばで見たのも初めてでとても面白い経験ができました
ただ観るだけでなく、ガイドさんがところどころ彦根城ミステリーも紹介してくれ、その謎解き談義がガイドさんや随行の協会の方とできたこともいい経験でした。気になったミステリーは、「黒門近くの登り石垣に沿った竪堀下にある低く小さく石垣で囲うのは何のため?」「彦根城最大の高石垣のある井戸曲輪は大坂夏の陣後の平和になった時期になぜ防御や攻撃のために作る必要があったのか?」でした。もちろん答えはなく私の私見ですが、前者は、未完成で放棄した登り石垣であることがかかわっていると推測するし、後者はそもそも攻撃や防御のためでなく井戸や塩櫓を作ったことを考えると生活に必要な井戸や貯蔵庫の整備する土地確保のために作られたと推測してます
このように内堀内をくまなく歩き(コースのルートは添付画像参照)特別の場所から観たり、いろんなミステリーの謎解き談義をしていたら3時間コースを大幅に超えてしまいましたが、あっという間の楽しい時間でした
なお、ツアーは天守や西の丸櫓には入らず石垣中心で、ツアー後は玄宮園紅葉(ツアーにチケットついてました)と琵琶湖の夕陽観て充実した彦根登城でした
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2025/12/11 12:59
日本100名城カード (2025/12/11 訪問)
正門横の売店にて日本100名城カードを購入
(御殿・御深井丸戌亥櫓の2枚)
歩兵第六◯隊之由来碑も見学。戦前はこの辺りに日本陸軍の施設があったと思われる
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2025/12/11 12:56
石垣と破城跡 (2025/11/23 訪問)
織田家重臣の森氏の居城として有名でやっと訪れることができました。
駐車場になっている出丸の石垣も綺麗で見応えありましたが、本丸の枡形虎口や石垣、破城となって崩れた石垣の跡と見所満載でした。
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2025/12/11 12:47
大手道 (2025/11/23 訪問)
夕方の訪問で暗くなりそうだったので、大手道の散策のみでしたが、訪問した記念に。
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2025/12/11 12:42
圧巻の切岸 (2025/11/23 訪問)
中規模ながらしっかり整備されていて、枡形虎口から三の丸、二の丸、本丸と、ザ・切岸といえるかなりの高低差の切岸が素晴らしい。
麓からも城域までも比較的近く、行きやすいお城でした。
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2025/12/11 12:38
こじんまりしてるが整備が素晴らしい (2025/11/23 訪問)
曲輪、切岸、空堀としっかり整備されていて見学しやすい。
地元の方のお城愛が感じられます。
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2025/12/11 12:35
大森神社 (2025/11/23 訪問)
時間の関係で麓の神社に訪問しただけですが記念に。
駐車場スペースや石碑もあり訪れやすい。
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2025/12/11 12:30
曽根城本丸 (2025/11/22 訪問)
現在はお寺になっていますが、内堀が金色の稲穂で囲われて良かったです。
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2025/12/11 07:17
2025/12/11 06:47
鳥取藩の台場のひとつ (2025/11/25 訪問)
幕末に築かれた鳥取藩の台場のひとつ。
9カ所築かれたうち残るのは6カ所、その中でも最も保存状態が良いとされています。
公園になっていて駐車場もあります。
周囲を囲む土塁が残り、北側の砲台部は御胸壁、砲台、往来の三段になっています。
土塁の外側は道路が走りますがその先は海岸、冬の日本海でもこの日は穏やか、鉛色の雲も趣があるんですけどね。
南側には虎口があり、外側にも土塁があって目隠しとなっていました。
所用の時間も迫っていましたが充分見学することができました。
【見どころ】
・土塁
・南側の虎口
・日本海を望む眺望
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2025/12/10 23:40
2025/12/10 21:57
安土城 摠見寺跡 (2025/11/08 訪問)
天守台を訪問した後は本丸周辺を散策しますが、先に進めそうな場所が無いので戻ることにしました。摠見寺跡に進んで行くと裏門跡の石垣と本堂跡の石垣が見えてきます。摠見寺は織田信長によって安土城の中に創建され、百々橋口道と天守の間にあるため安土城を訪れる多くの人が摠見寺の境内を通っていったようです。
本能寺の変の跡も存続していましたが、江戸時代の嘉永7年(1854)に火災で焼失し、伝徳川家康邸の跡地に寺地を移して今に至ります。
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2025/12/10 21:55
2025/12/10 21:09
安土城 発掘調査・天守台 (2026/11/08 訪問)
安土城は昭和から平成にかけ、何度も調査や復元が行われてきています。現在も令和5年度から「特別史跡安土城令和の大調査」が行われていて「伝本丸取付台」周辺で発掘が行われ、移動が制限されています。
三の丸方向にも進むことが出来ないので、城址東側の遺構にも進めません。けっこう広い城域があるので調査が終了するのが楽しみです。
天守台には登ることが出来ますが、上の方はけっこうジャングル化が進んでいます。石垣に影響が出ないのか心配だ。
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2025/12/10 16:59
2020.8.7登城 (2020/08/07 訪問)
JR武蔵野線北朝霞・東武東上線朝霞台駅から徒歩で20分ぐらいのところにある城山公園が岡城址となります。
ごく普通の市民公園に見えますが、意外と空堀や土塁などの遺構が残っており、楽しめます。
物見台の解説板が設置されていますが、城址や空堀の解説も設置すると、より城山公園としての
意義があると思うのですが、少し残念な城址です。
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