①小山田信茂が「おいでおいで」の岩殿城。登城路復活したそうですがちょっと怖そう。
②木橋が「おいでおいで」の深草館。リベンジしません。
③この景色で“まだ登城途中”ということは御坂城?行ってみたいけれど自信がない。
④県立考古博物館にいたのはイノシシの剥製。県立博物館にいたのは復元された「武田の馬」。なので自然豊かな八ヶ岳、小海線、北杜市方面?
⑤⑥⑦未知の世界!
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2026/11/01 06:21
クイズ返し問題。難しい😖
①小山田信茂が「おいでおいで」の岩殿城。登城路復活したそうですがちょっと怖そう。
②木橋が「おいでおいで」の深草館。リベンジしません。
③この景色で“まだ登城途中”ということは御坂城?行ってみたいけれど自信がない。
④県立考古博物館にいたのはイノシシの剥製。県立博物館にいたのは復元された「武田の馬」。なので自然豊かな八ヶ岳、小海線、北杜市方面?
⑤⑥⑦未知の世界!
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2026/10/31 22:24
相馬氏歴代の居城を訪ねて③牛越城 (2026/10/16 訪問)
この日の三城目は南相馬市の牛越城に登城しました。
小高城からの本拠地移転の計画は、村上城築城中の火災発生で中止となり、それまで城番をおいていた牛越城を改修して、義胤が慶長二年(1597)に小高城からここに移ることとなったわけです。
それまでの小高城から北に12.3kmに位置し、水無川の北岸の東西に延びる丘陵東端に、二ノ丸(西曲輪)、本丸、東舘(三ノ丸)、帯曲輪、腰曲輪、空堀を配した縄張り。本丸は東西300m、南北280mの規模で、標高は73mですが、麓から望むと高さを感じます。
本丸は現在水道施設となっており、全体を眺めることができず、当時の規模をつかむことはできません。本丸以外の遺構はしっかり残っているようなのですが、時節柄草木が繁茂していて確認が困難でした。
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2026/10/31 22:14
高島古城(茶臼山城) 長野県諏訪市 (2026/10/24 訪問)
JR中央本線上諏訪駅から北東に約1km。
手長神社の裏手、県営桜ヶ丘団地周辺に高島古城(茶臼山城)跡の案内板と石碑があります。
文明15年(1483)、諏訪上社大祝家の諏訪継満は下社の金刺興春、高遠継宗らと結託し、反乱を起こします(文明の内訌)。上社惣領家の諏訪政満とその嫡男である宮若丸を殺め、興春は茶臼山城を占領しますが惣領家の反撃にあい戦死。政満の次男頼満は10歳の若さで家督を継ぎ、大祝家を滅ぼして諏訪を統一します。
頼満の孫である頼重の代には諏訪一帯は武田氏の所領となり、重臣の長坂光堅が郡代として入城しますが、天正10年(1582)に信長により武田氏は滅ぼされ、その旧領は河尻秀隆に与えられます。しかし同年に本能寺の変で信長が斃れ、秀隆は武田旧臣の反乱により亡くなります。
その後は家康の家臣である頼忠(頼重の従弟)に諏訪の地が与えられ、新たに金子城を築き本拠としますが、天正18年(1590)の小田原平定後、頼忠は家康とともに関東へ移封となります。
代わって秀吉の家臣であった日根野高吉が入城しますが、諏訪湖畔に新城を築くに伴い茶臼山城はその役割を終え廃城となりました。また、金子城もこのとき廃城となり、石材などが高島城に転用されています。
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2026/10/31 22:11
岩津松平氏の輝き~松平一族飛躍の礎~ (2026/10/31 訪問)
二の丸付近にある三河武士のやかた家康館で開催されている「市制110周年記念[企画展]岩津松平氏の輝き~松平一族飛躍の礎~」を観るために岡崎城へ行って来ました。徳川家康の祖・松平氏は初代親氏に時代には三河山間部松平郷の土豪でしたが、2代泰親、3代信光の頃に岩津に進出し勢力を拡大していきます。信光の時代に岩津を拠点に安城、岡崎という西三河の要地を手に入れ各地に庶子を分立させました。そのことが9代家康まで続く松平氏の存続につながることになります。三河地方の城を散策するようになり松平氏に興味を持つようになりました。文献が中心の企画でしたが、いろいろと勉強になりました。
岡崎城も散策していますが、この日は土曜日で、しかも近くでイベントも解散されていて多く方が登城していました。清海堀のところに行くと「清海堀を探索しよう」の看板がありました。 毎年開催されている普段は入ることができない堀の中に降りて、石垣や土塁を下から楽しむ企画です。11月の土、日、祝日開催とありました。この日は土曜日でしたが、10月31日。三河武士のやかた家康館の企画を見ていて、こちらの企画はノーマークでした。
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2026/10/31 19:14
にのまるさん,赤い城さんにクイズ返し…
赤い城さんのクイズ,⑥は八王子城でしたか…読みが浅かったです。
さて,恒例のクイズ返しにいきたいと思います…<笑>。
山梨県での思い出を回想するカンジで。
赤い城さんから7問出たので,私も7つ厳選しました。
↓ヒントはこちら
①おいでおいで
②おいでおいで
③まだ登城途中
④これで子グマです
⑤まじぎゅんぎゅんぎゅん(一番フィーリングが合わなかった)
⑥最強竪堀(これで天然らしい)
⑦よくトライしたな…
いま,関東地方でリハビリ攻城中。今日は,比較的新しい「東横イン所沢駅西口」で宿泊です。
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2026/10/31 17:54
堀尾宗光 (2026/10/29 訪問)
久しぶりの二俣城です。
天竜川と二俣川の合流点に築かれた城ですが、二俣川河口は改修工事により移動したため、今は天竜川だけが城の下を洗うように流れています。それでも天竜川側を見れば、この城が断崖の上に位置した天然の要害であることは感じることができます。元亀3年(1572)から天正3年(1575)の間、徳川氏と武田氏との攻防戦の舞台となりました。攻めあぐねた武田氏が、籠城軍が天竜川河畔に井戸を築いて水を確保しているのを発見し天竜川に大量のいかだを流して井戸櫓にぶつけて破壊して水の手を断ち落城させた話は有名ですね。井戸櫓が近くの清瀧寺に復元されています。また徳川家康の長男信康が自害した城としても知られていて、清龍寺は信康のお廟があります。
今見ることができる天守台や石垣は、徳川氏の関東移封後この地を治めた堀尾吉晴の弟堀尾宗光によって築かれたものと推定されています。
静岡県に住んできた頃は何回か登城したことがありますが、カズサンの投稿で植生整備事業により城跡が見やすくなっていることを知り行って来ました。ただ西の丸南側石垣を観ることを忘れました。
天竜浜名湖鉄道二俣本町駅より徒歩15分くらいで行くことができます。
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2026/10/31 16:33
富山城 (2026/10/11 訪問)
クラブツーリズムの花谷ガイド案内で行った
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2026/10/31 16:31
増山城 (2026/10/11 訪問)
クラブツーリズムの花谷ガイド案内で行った
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2026/10/31 16:25
鳥越城 (2026/10/11 訪問)
クラブツーリズムの花谷ガイド案内で行った
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2026/10/31 16:18
越前大野城 (2026/10/10 訪問)
クラブツーリズムの花谷ガイド案内で行った
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2026/10/31 16:14
福井城 (2026/10/10 訪問)
クラブツーリズムの花谷ガイド案内で行った
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2026/10/31 15:50
熊川城 (2026/10/17 訪問)
クラブツーリズムの奥平講師案内で行った
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2026/10/31 15:45
金ヶ崎城 (2026/10/17 訪問)
クラブツーリズムの奥平講師案内で行った
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2026/10/31 15:38
長浜城 (2026/10/18 訪問)
クラブツーリズムの奥平講師案内で行った
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2026/10/31 15:31
虎御前山砦 (2026/10/18 訪問)
クラブツーリズムの奥平講師案内で行った
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2026/10/31 15:29
座して待つ 吉事を希う 御神渡り 威し猛しき 諏訪の浮城 (2026/10/24 訪問)
1泊2日の諏訪旅行。
総じて天候は芳しくなかったですが、2日目早朝のわずかな時間に晴れ間が見え、冠木橋のほかに天守からもうひとつの橋が架かっていました(写真2枚目)。
本丸まではJR中央本線上諏訪駅から南西に歩いて約10分。
虎口にあたる柳口門跡から欅の並木道が続いています。かつては「柳なわて」と呼ばれたこの道が、城と城下町をつなぐ唯一の通りでした。
欅並木を右に折れて大手門跡を抜け、衣ノ渡郭に入ります。ここで喰違虎口を形成しているのがよく分かります。
本丸に向かって直線状に配置された衣ノ渡郭、三の丸、二の丸をそれぞれ区画する天然の河川(衣ノ渡川と中門川)にも注目しながら歩いていくと、異彩を放つ緑屋根の天守が見えてきます。寒冷地対策のため、現在は銅板を葺いていますが往時は杮葺です。
昭和45年(1970)に復興された建物は天守、冠木門、北東角櫓のみ(天守以外は推定復興)。
高島城は天守以下8つの櫓、6つの門が構えてあったとされますが、再建にあたって参考資料が天守以外潤沢でなかったため、この程度に留めたと思われます。
天守南面には築城当初(文禄~慶長期)のまま残る小天守台があり、建物こそありませんが見どころです。
また、天守台南西隅にだけ唯一矢穴が認められる石垣が積んであります。
本丸には冠木門のほかに、南に土戸門(搦手)と西に川渡門跡があり、川渡門跡には三の丸御殿の裏門が移築されています。
本丸東側の累線上に持方月櫓と南東隅に富士見櫓跡が確認できます。天守も含め、塁線屈曲部やあるいは隅部に建物を設える豊臣系城郭の特徴を、家臣の日根野も取り入れていることがうかがえます。
家康の六男 松平忠輝などの罪人の幽閉場所としても利用された南の丸は本丸の南東に位置し、現在の城南小学校前の駐車場が推定地です(多分)。
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2026/10/31 15:25
小谷城 (2026/10/18 訪問)
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2026/10/31 12:54
福島県の城巡り2城目は♪ (2026/10/23 訪問)
私のライフワークとなった、月に一度の「名城を巡る旅」
10月は2泊3日で福島県を訪れました。
福島県の2城目は日本100名城で国指定史跡にもなっている「二本松城」です。
別名「霞ヶ城」といい、中世の山城から近世城郭へと発展した、壮大な石垣と悲壮な歴史を持つ城です。
山頂に天守台はありますが天守はありません
娘は夜に到着するので、この城は単独での訪城となりました。
ここからは選んだ写真に沿って説明をさせていただきます。。
① 私の勝手なこだわりで、毎回1枚目は御城印の写真と決めています。「にほんまつ城報館」で購入した4種類です。平安時代から続く「上川崎和紙」が使われていて、藩主であった丹羽氏の家紋「直違紋(ねじがいもん)」の赤い✖印が印象的です。左上が通常版、左下が「箕輪門」のイラストが描かれたバージョンです。右列は左の御城印の秋限定版でそれぞれ金箔風に楓が描かれています。
② 毎回2枚目は「城を代表する景色」を選んでいます。今回は、本丸跡にそびえる高大で見事な本丸の石垣を選びました。面白いのは石垣の積み方が混在していることです。中心部は自然石を加工せずにそのまま積み上げる「野面積み」、下部は接合面を少し加工して隙間に小石を詰めた「打込み接ぎ」、角と上部は石を四角に切って隙間なく規則正しく積み上げる「切込み接ぎ」が確認されます。特に角部分は切り石の長辺と短辺を交互に積み上げる「算木積み」で見事に傾斜がつけられていました。
③ 箕輪門前から二階櫓を望んだアングルです。手前にある像は戊辰戦争の悲劇で知られる「二本松少年隊」の群像です。兵力不足のため、会津藩の白虎隊よりもさらに若いわずか12~13歳の子供達までが戦場へ赴いたそうです。像の周囲には色鮮やかな菊の花が植えられています。ちょうど訪れた日は有名なイベント「二本松の菊人形」の開催期間で、見学できてラッキーでした。
④ 「三の丸石垣」と再建された「多門櫓(附櫓)」「二階櫓」を同じフレームに入れて撮りました。最奥(松の木の後ろ)に「箕輪門」がチラリと見えているの分かりますか? 三の丸の箕輪門と附櫓の周囲にあるこの立派な高石垣は、城づくりの名手として知られる加藤嘉明の時代に建造されたそうです。自然石を加工して表面を平らにし、隙間を少なくして積み上げる「打込接乱積み」の技法が見られ、非常に堅固で美しい反り返りに感動しました。
⑤ 外側から見た 「箕輪門」です。白い垂れ幕に描かれている「×」の印は江戸時代に藩を治めていた丹羽家の家紋「直違(すじちがい)紋」です。戊辰戦争の際に焼失してしまいましたが、1982年に城内にあった藩校「敬学館」の廃材を利用して、当時と同じ姿に木造復元されました。「二本松と言えば菊人形」と言われるほど有名な菊が門の前が植えられ、門の奥には黄色く色付いた木々も美しかったです。
⑥ 同じ「箕輪門」を今度は城内から眺めてみました。外側からると少しいかつい雰囲気ですが、内側から見ると、周囲の美しい松の木や見事な石垣や整然とした植え込みが楼門まで続く様は、十万石の大名であった丹羽氏の威容を現在まで伝えているような気がします。
⑦ これ以降は山頂にある本丸の写真が続きます。徒歩で登ったので30分以上掛かりましたが、その価値は十分ありました。途中で姿を現した本丸石垣を南東側の下から見上げた瞬間、思わず「うわっ!」と感嘆の声が出てしまいました。斜面を鬱蒼と覆う青々とした植物が「熊笹」だったので、慌てて足を速めました(熊怖い) 高い段丘の上に美しく積まれた総石垣の本丸がそびえたつ構図はまさに感動モノでした。
⑧ ようやく本丸に到着しました。広々とした本丸跡に開けた芝生広場の向こうに見えるのが(天守閣は造られませんでしたが)天守台の石垣です。この天守台は1993年に美しい白御影石で復元されました。広場には「霞ヶ城址」の古い石碑が建っていました。碑の上部の文字はハッキリとは読めませんでしたが「奥州街道 畠山氏居城」とでも書いてあるのでしょうか?(゜-゜)?
⑨ 本丸虎口(桝形)へと続く石段に近付いて真正面から撮りました。平成以降の発掘調査に基づき、天守台が本丸の石垣群とともに見事に復元されています。両サイドの石垣は入口だけに切込接ぎ布積みで美しく造られています。この階段を上りきると、周囲を一望できる開放的な本丸跡へと続きます。
⑩ 最後はお気に入りの写真で締めたいと思います。天守台からは360度のパノラマで二本松市街や山の景色を一望できますが、あえて市街地が入らないように、山側の角ぎりぎりに立ち、自然の樹々を撮りました(紅葉のピークにはまだ少し早かった) なんか景色に呑み込まれちゃいそうでチョット怖かったです。徒歩で登ったので予定より時間が掛かった上、山頂本丸の素晴らしさに興奮して石垣や天守台、美しい風景などを撮影しながら歩き回っていたら、いつの間にかすっかり夕方になっていました。でも逆にそれが幻想的な雰囲気になって良かったのかな? 奥に見える美しい稜線が日本百名山の一つ「安達太良山連峰」です。
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2026/10/31 06:14
⑥は。
富士山の写真をいろいろ見せていただきありがとございます。
⑥は八王子城の富士見台からかと!!
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