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小城小次郎

伝承も遺構も呼称すらも定まらないカオス感 (2025/08/10 訪問)

車で登れる朝日山森林公園のてっぺんに模擬天守を擁する朝日山城は麻口城と同一の城とも別個の城とも言われ伝承不詳、遺構不詳でただ模擬天守だけがそこに立っている。何とも言えないカオス感が味わえるお城?だ。

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ぴーかる

小出城 (2026/05/10 訪問)

【小出城】
<駐車場他>鳥居横に停めました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅14城目。小出城の築城年は定かではないが1545年頃にこの地域一帯の国人領主である唐人兵庫によって築城されました。唐人(かろうど)氏は長尾氏の従属関係にあった松倉城主の椎名氏に仕えていました。小出城は西の神保氏の進出に対する前線地であったようです。
 小出神社の北側に堀が発見されたそうですが、現在は埋め戻されて表面観察出来る遺構はありません。神社内を撮影して終了しました。

<満足度>◆◇◇

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)1日目:出雲大社 (2026/05/11 訪問)

出雲市駅で荷物をコインロッカーに預け、電鉄出雲市駅から一畑電車北松江線/大社線を利用して、出雲大社前駅に到着。
出雲大社前駅から徒歩15分くらいで、銅の鳥居/四の鳥居(35.400786、132.685679)に着きました。
出雲大社を参拝した時間が遅かった?為、開いてる付近のお店は少なかった。 
観光時間は25分くらいでした。本日の城巡り&観光はここがラストです。
歩行歩数=17760歩、歩行距離=12.4Kmです。
本日の宿泊先に向かう為、電鉄出雲市駅から出雲市駅に向かい荷物をコインロッカーより取り出した後、ホテルに向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征1日目:出雲市駅と出雲大社前駅 (2026/05/11 訪問)

出雲市駅に向かう途中に米子駅で乗り換えがありますが、そこで米子駅0番線ねずみ男駅を見学しました。
出雲大社前駅へ向かうのに電車の待ち時間がありましたので、出雲市駅周辺散策と出雲そばと出雲ぜんざいを食しました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征1日目:「水木しげるの世界」 (2026/05/11 訪問)

境台場から徒歩15分くらいで、水木しげる記念館入口&妖怪庭園(35.546170、133.231211)に着きました。
記念館の見学はパスして、水木しげるロードを歩き、たくさんの妖怪像を見ながら境港駅に向かいました。
観光時間は60分くらいでした。次の見学先=出雲大社に向かう為、JR境港駅で荷物をコインロッカーより取り出した後、JR境線とJR山陰本線を利用して出雲市駅に向かいました。
ちなみに、JR境線の各駅には鬼太郎関連の呼称がついていました。
 米子空港駅=べとべとさん駅、高松町駅=すねこすり駅、余子駅=こなきじじい駅、上道駅=一反木綿駅、境港駅=鬼太郎駅など

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征1日目:境台場 (2026/05/11 訪問)

羽田空港からANAで米子空港に到着。JR境線の接続が悪くタクシーで境港駅に向かいました。
境港駅で荷物をコインロッカーに預け、徒歩20分ちょっとで台場公園駐車場入口付近(35.547236、133.242102)に着きました。

江戸末期、鳥取藩内に築かれた台場名所の内のひとつ。現在6ヶ所(由良台場跡 境台場跡 淀江台場跡 橋津台場跡 浦富台場跡 赤崎台場跡)が残っています。
農民等が積極的に協力して築造し、西洋式の城塞プランが採用されるなど、藩築造の台場としては極めて特徴的で、幕末史の理解に欠くことのできない重要な遺構のようです。
境台場は、中海に通じる境水道の入口に、松波宏元の設計に基づき1864年(文久4年)に完成しました。
高さ約6m、幅約25mの土塁が3つの鈍角コーナーを持ちつつ、250連続していました。
台場には六尾反射炉で製造された18斤砲2門、6斤砲1門、5寸径砲5門の計8門が配備され、農兵隊が守備にあたったそうです。

現在は公園として整備されています。
北側に土塁が築かれていますが、公園の土手といった感じであまり台場跡であるような雰囲気はありません。この土塁の上に灯台が建っています。
攻城時間は10分くらいでした。
せっかく境港市にきたので、「水木しげるの世界」を味合うべく、水木しげるロードに向かいました。

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イオ

牧戸城(岐阜県高山市荘川町牛丸) (2025/11/16 訪問)

牧戸城(城びと未登録)は主郭と西曲輪・南曲輪の3つの曲輪からなり、ほぼ全周を横堀がめぐっています。金森長近が飛騨攻めで向牧戸城攻略のために築いた陣城とも、川尻氏が築き荘川対岸の向牧戸城と一体になって金森軍に対抗した一城別郭の城ともいわれますが、詳細は不明です。

登城口近くの国道の広い路側帯に駐車して登城開始。お地蔵さんと牧戸城址の案内表示がある登城口から整備された登城道を進むこと約5分で西曲輪の虎口に到達。虎口脇の土塁には内側にも外側にもところどころ石積が見られ、西曲輪内を区画するように(あるいは蔀土塁的に)石塁が設けられています。西曲輪から虎口を抜けて主郭へ向かうと、主郭の全周は土塁と横堀がめぐり、西側と南側に虎口が開口しています。牧戸城址の標柱も立てられていました。南側の虎口から土橋を渡ったところが南曲輪。主郭側を除く三方を土塁と横堀で囲み、南東隅に虎口がある…にはありますが、ずいぶんと浅くなっていました。南曲輪の南斜面は樹木が大規模に伐採されていて、荘川をはさんですぐそこに向牧戸城を見渡すことができます。なるほど、川をはさんでにらみ合う陣城とも、川の両岸を抑えて対抗する一城別郭の城とも、どちらとも考えられる眺めでした。

牧戸城も10分あまりでひとめぐりできる小さな城ですが、綺麗に整備され、虎口や土塁や横堀が状態良く遺っていて期待以上に見応えがありました。城郭放浪記さんで縄張図も公開されていますので、向牧戸城とあわせてぜひ。

…と、ここまでで今回の飛騨遠征(金龍紀行)は終了。広瀬城、高堂城、帰雲城など金森長近が攻略した城ももっとめぐりたかったところですが、おおむね目的は果たせたので残りはまたの機会の楽しみに、ということにしておきましょう。
 

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todo94

ゴールデンウイーク翌週・岡山の攻城②の2 登城口から一の郭を含めた各郭をめぐる (2026/05/09 訪問)

城びとでは高越山城となっていますが、グーグルマップ及び現地の案内板や説明板、城址碑などはすべて高越城となっています。急坂登はなく、困難なく攻城できる城でした。各郭がとてもきれいに整備されていますし、山頂の一の郭には鮮やかな幟が翻っていて、眺望も素晴らしく、心地よいひと時を過ごすことができました。竪堀、堀切などの遺構も残っていました。最後に往路では見つけられなかった路傍の城址碑を拝んで高越城攻めを終えました。

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城山公園 (2026/06/11 訪問)

 城山公園に説明板があり、その裏手が城址です。土塁らしきところを上り登城しようとしましたが、藪がひどく散策は断念しました。空堀や土塁などが遺されているようで期待して来ましたが、冬に来るべきでした。

 JR桶川駅よりバスに乗り川田谷支所バス停下車。すぐ近くに城山公園があります。

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一夜堤 (2026/06/11 訪問)

 扇谷上杉家の家人藤田八右衛門によって築かれた城と伝わっています。この城の見どころのひとつは「一夜堤」でしょうか。永禄5(1562)年、北条氏邦は毛利丹後守が守る石戸城を攻めますがなかなか落とせません。そこで氏邦一夜にして沼地に堤を築き、城を攻め勝利したと伝えられています。

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小城小次郎

高くないけど長いのだろう (2025/08/10 訪問)

かつては島だったともいう標高40mちょっとの小山は高くない割に結構歩いた気分になる。要するに高くないけど長いのだろう。香西氏家臣の渡辺氏が海上監視のためにこの城に詰めていたそうだ。お城からは勝賀城も良く見える。

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鴻巣七騎 (2026/06/11 訪問)

 岩槻城主の太田氏の家臣で、鴻巣七騎と言われた土豪の一人である本木氏が城主であったと推定されています。石碑と説明板があり、土塁と堀の一部が遺っています。

 JR桶川駅よりバスに乗り宮の脇バス停下車。徒歩約3分で城址碑のある場所へ行くことができます。

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菖蒲城趾あやめ園 (2026/06/11 訪問)

 古河公方足利成氏の家臣、金田式部則綱築いた城で、城址は「菖蒲城趾あやめ園」になっています。遺構はありませんが、城址碑が建っていました。旗本内藤氏の栢間陣屋の裏門が移築されています。

 JR桶川駅よりバスに乗り城址あやめ園バス停下車。目の前が城址です。

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つね

小田原城 (2025/11/28 訪問)

何度も来ていますが、本丸売店裏にある「鉄門跡」を今回は初めて見ました。

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ゆーり

多分人生初の1人旅 (2025/05/31 訪問)

明石市立天文科学館と明石城を目的に明石市に行きました。
私の初の1人での旅行です。
宿泊するのはちょっとお金も大変だし、部活もあるので日帰りで行きました。

私はお城とかに行くととにかく一度ぐるっと一周回ってから天守閣跡に行き、また場内をぐるっと回るタイプです。
もちろん友達は行こうといえばついてきてくれると思いますが、やはり城好きでないと少しこちらが遠慮してしまいます。
ちょうどその日は屋台などが出ており私は田舎出身だったので、街の屋台はこんなにおしゃれなんだと感じました。
たくさんの明石焼を食べました。おいしかったです。

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カズサン

城址は国済寺で裏手に土塁残存 (2026/05/30 訪問)

 神流川合戦激震地に在る金窪城を終えて、群馬県埼玉県国道17号線沿いの未踏の城廻り四城目深谷市の庁鼻和城(コバナワジョウ)を目指す、進行道中には本庄城、岡部陣屋、深谷城を探訪した折の懐かしい市街地が甦って来る。
 駐車場:国済寺山門東横の参拝駐車場を利用。
 参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 国道17号沿いで立派なお寺です、重文の黒門を潜り、立派な楼門である重文三門を潜り、本堂を参拝、まだ新しい様な本堂、本堂西横に建て替えた折りの古い本堂鬼瓦が飾ってある、上杉の紋が大きくアップされている、上杉憲英公墓所も有り参拝、その裏手に廻ると皆さんが写真投稿されている土塁が竹林に覆われて残って居る結構大きい。
 以前から名前は認知していた庁鼻和城ですが、国道17号線を何回も行き来して居りながら今回初の登城です。
 歴史は庁鼻和城址と国済寺深谷新八景立看板と国済寺案内板を並列に写した案内板をご覧ください。
 
 次に中条氏館へ向かいます。
 

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つね

小田原城 (2025/11/28 訪問)

11月で紅葉が綺麗でした。遺構、再建物の解説が充実していてます。

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つね

小田原城 (2025/11/28 訪問)

学橋にある案内図が分かりやすく、役立ちました。

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イオ

向牧戸城(岐阜県高山市荘川町牧戸) (2025/11/16 訪問)

向牧戸城(城びと未登録)は、室町中期に内ヶ島為氏が荘川と御手洗川の合流点に白川郷攻略の拠点として築いた城で、白川郷を攻略して帰雲城を築くと、向牧戸城は家臣の川尻氏信を城主として郡上方面や高山方面からの侵攻に備える出城としました。金森長近の飛騨攻めでは最初の戦場となり、一度は金森軍を撃退しましたが、郡上の遠藤氏が加わった金森軍の再攻撃により落城。川尻氏は長近に仕え、向牧戸城は廃城となったようです。

登城口前の駐車スペースから登城開始。登城口には向牧戸城址の説明板や標柱が立てられています。登り始めてすぐに主郭と南の出曲輪を隔てる堀切に到達。出曲輪は藪に覆われていましたが、主郭側は「荘川であいの森」として整備され、主郭南下の腰曲輪(城門広場)には代々城主を務めた川尻家の墓が移設されています。主郭には模擬望楼が建てられていますが、立ち入れる状態ではありませんでした。そして主郭から帯曲輪を抜けて北側の曲輪(未整備)を確認して、向牧戸城をひとめぐり。

現状では10分あればひとめぐりできる小さな城ですが、南側を除く三方を川に囲まれ(南側は堀切)、かつては金森長近が苦戦するほどの堅城だったんだろうな、と感じた向牧戸城でした。雪に閉ざされて撤退を余儀なくされたニッポン城めぐりのツアーから約1年。ようやくリベンジを果たすことができました。

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赤い城

愛媛の端っこ (2026/05/24 訪問)

宇和島まで来たのでさらに足を伸ばし未投稿物件をひとつクリアすることにしました。
久良の集落から天儀鼻方面への県道がありますがこれが厳しい😨
細くて離合スペースはほとんど無く、カーブ多くガードレール無し、下は崖と。
なんとか対向車なく説明板前の駐車スペースまでたどり着きました。

道がついていて少し入っていくと土塁が残っています。
幕末に高野長英が築いた砲台跡です。
10発中9発が標的近くに命中したという優れた砲台だったそうです。
下に降りていくと海岸に出ました。
漁船が行っていました。
右手に進むと石垣が施されています。
砲台の番人などが暮らしていた屋敷跡だそうです。
引き返し、墓石があるところから奥に進んでいくとここにも石垣がありました。
屋敷も結構な広さがあったようです。
苦労して来た甲斐はあったかな。

ここからまた先ほどの道を戻るのですが幸い対向車はありませんでした、ほっ。

久良湾は戦闘機の紫電改が見つかった場所で、引揚げられ近くに展示されています(行ってません)。
この後は途中で40番札所の自在寺に立ち寄り宇和島に戻りました。
目的はもちろん名物の鯛めし、生の鯛をタレに浸けご飯にのせるというもの。
元は船上で火を使えない漁師が食べていたものだそうです。
美味しかった😍

【見どころ】
 ・砲台跡
 ・屋敷跡の石垣

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