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昌官忠

中央線&京王線沿線④:横山党館 (2026/04/13 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)4城目は横山党館です。
八王子駅より徒歩10分くらいで八幡八雲神社鳥居前(35.661151、139.335820)に着きました。

JR八王子駅の北側にある八幡八雲神社付近が居館跡とされます。
平安時代から室町時代にかけて、この地方で勢力を伸ばしていた武士団。通称「武蔵七党」の一派にて、最大規模を誇ったとされる横山党の本拠地と伝わっています。
この横山党ははるか昔、飛鳥時代に遣隋使で有名な小野妹子の子孫とされる小野篁の後裔と伝わっています。
平安時代末期の「保元の乱」「平治の乱」ではいずれも平清盛らと激突した源義朝(頼朝の父)に横山党は就き活躍。
後に平家の時代が終わり源頼朝が鎌倉幕府を開くと、時の横山党の横山時広はこれまでの武功を讃えられ、領土を安泰とされるも、後に幕府執権の北条氏と対立、開戦に至った和田義盛の「和田合戦(1213年)」に和田方で横山党は就き敗北。横山党も滅亡したとされます。

陣屋としての遺構はありませんが、八幡八雲神社の唐門は見事!
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=平山季重居館と平山城に向かう為、京王八王子駅から平山城址公園駅に向かいます。

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昌官忠

中央線&京王線沿線③:初沢城 (2026/04/13 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)3城目は初沢城です。
高尾駅より徒歩10分弱で、高尾天神社の入り口(35.638625、139.281488)に着きました。

初沢城は鎌倉時代にこの地を支配した武蔵七党の横山党庶流の椚田氏の築城とも、大江広元の子孫といわれる片倉城主・大江氏(長井氏)の築城ともいわれますが詳細は不明のようです。
長井氏は鎌倉幕府初期の重臣・大江広元を祖先に持ち、横山党が1213年(建暦3年)和田合戦で滅亡すると、同地は大江氏に与えられ、長井氏は扇谷上杉氏の傘下となります。
1504年(永正元年)扇谷上杉軍が山内上杉軍を破った立河原の戦いの際、落城した扇谷上杉方の椚田塁に比定されます。
後北条時代、八王子城の出城の一つとされ、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による八王子城攻め、落城とともに初沢城も落城、廃城となりました。
現在はハイキングコースとして整備されています。
なお、東麓の初沢川沿いにある高乗寺は、長井氏によって寄進された寺で、豊臣勢が八王子城を攻めたとき本陣を置いたとされています。

高尾天神社の階段を登り菅原道真公と天神社は既に城域。
高尾天神から山頂への案内板に沿って、6郭➡5郭➡主郭と進み攻城。2郭と3郭はパスしました。
縄張り図で郭や土塁、堀切を確認しながら回りましたが、よくわからないというのが実感です。
ハイキングコースになっているので、散歩するにはちょうど良い感じですが、久しぶりの長距離移動でちょっと足が。。。。
ちなみに、麓にある豊臣軍の本陣になった高乗寺には、忌野清志郎のお墓があるそうです。(自分は行っていません)
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=横山党館に向かう為、高尾駅から八王子駅に向かいます。

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昌官忠

中央線&京王線沿線②:上野原城 (2026/04/13 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)2城目は上野原城です。
上野原駅より徒歩15分ちょっとで稲荷神社の説明板前(35.623894、139.109132)に着きました。

上野原城は武蔵七党の古郡氏が築いた城である。
横山忠重が康治年間、古郡郷の別当大夫となり、古郡姓を称した。建暦3年(1213年)、古郡保忠の時に、和田合戦で敗れ滅亡した。
その後、武田信玄の時代には、都留郡上野原の国衆で、武田氏の家臣・加藤氏が入城した。
1582年(天正10年)3月、主君である武田勝頼が天目山に向かうと知らせを受けると、加藤景忠と長男の信景は救援に駆けつける途中の箱根ヶ崎で北条氏の大軍に囲まれ討死したとも、武田氏の敗北に不安となって逃げようとしたところを土地の一揆によって滅亡したともいわれています。
現在城址周辺は宅地化されており、また中央自動車道が通っているため遺構はありませんが、説明板が設置されています。

遺構はなく、小さな稲荷と解説板があるのみです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=初沢城に向かう為、上野原駅から高尾駅に向かいます。

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昌官忠

中央線&京王線沿線①:岩殿山城 (2026/04/13 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)1城目は岩殿山城です。
大月駅から徒歩15分強瀬(こわぜ)ルート登山口(35.618167、138.950671)に着きました。

岩殿山城の築城時期は不明ですが、『甲斐国志』では小山田氏の本拠である谷村館(都留市谷村)の詰城説を取っています。
16世紀になって大名の領国支配制が成立すると、郡内地方は甲斐守護・武田や郡内領の国衆・小山田氏の支配を受けるようになりました。
『甲斐国志』に先立つ1783年(天明3年)の萩原元克『甲斐名勝志』でも同様の見解が取られており、江戸後期には小山田氏による要害説が認識されていたと考えられています。
一方で、近年は岩殿山城を谷村館の詰城とするには距離が離れすぎていることから、武田氏による相模との境目の城として築かれたとする説もあるようです。
1582年(天正10年)に織田軍が甲斐に侵攻した際、当時の城主であった小山田信茂は、新府城から岩殿山城へ落ち延びてくる武田勝頼を裏切り、自害に追い込んだことでも知られています。
江戸時代には、幕府の緊急事態のときには甲府へ逃れる計画であったため、岩殿山城は要塞として引きつづき整備されていたようです。

強瀬(こわぜ)登城口からの新ルートが開通しています。大月駅から強瀬登城口まで徒歩15分。
登城口から本丸まで、休み休み登って約1時間です。下りはひたすら降りて35分でした。
新ルートは整備されましたが、狭く滑り易いので注意が必要です。
巣倉の時期は過ぎており桜と富士山のコラボはできませんでしたが、富士山は綺麗でした。
攻城時間は95分くらいでした。次の攻城先=上野原城に向かう為、大月駅から上野原駅に向かいます。

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カズサン

飯田城二の丸長姫エドヒガンサクラは葉桜でした (2026/04/12 訪問)

 信州街道国道151号線を北上して、同桜街道、飯田城の桜、近くの銘木桜を観桜の為、頃は良しと4月12日出掛けました。国道151号線、国道418号線、国道153号線沿いの山桜、枝垂れ桜、八重桜、黄色い山吹、桃の花、梨の花は見事な咲降りでしたが、期待していた飯田城二の丸の長姫エドヒガン桜と桜の丸の夫婦エドヒガンサクラ(共に樹齢400年超)は既に葉桜でした、残念です、後で入館した飯田市美術博物館の受付嬢に聞きましたら、今年は早く3月末には咲き誇っていた様です、10年前の2025年4月の見事なエドヒガン桜を家内に見せたいと言う願いは叶わず。
 二の丸、桜の丸をサラッと見て飯田市美術博物館入館、飯田市の俊才菱田春草常設展示、元代、明代、清代の陶器コレクション、古九谷焼、古伊万里焼コレクション、大森運夫の飯田各地区浄瑠璃人形大型画像とデッサン画像コレクションを閲覧し、博物館ものぞきました、大型恐竜骨格標本のお出迎え、飯田市を太平洋から望んだジオラマ、南アルプス、中央アルプスに囲まれた地形が良く分かります、各時代の展示、飯田城の展示は桜丸赤門と御殿が復元図(平面図と立面図)と共に掲載されていました。
 美術博物館の帰り受付に依頼して飯田城のパンフレット二種(飯田城・城下町旧跡散策マップと飯田城とお練りまつり小冊子)を頂きました。

 飯田城登城前に飯田山本IC近くの杵原学校の大エドヒガン枝垂れ桜を見学と尋ねましたが既に葉桜残念、他の枝垂れ桜、桜は見れましたが樹齢90年の枝ぶり見事なエドヒガン枝垂れ桜を見る事は出来ませんでした。ここは吉永小百合「母べい」の撮影地で有名な旧校舎が使われていました、現在も残って居て見学はイベント時に開放、その他の時間は役場に依頼しての見学可との事。

 今回の探訪ドライブでは一昨日4月10日の前線大雨で国道151号線阿南町辺りでの土砂崩れで通行止め、新野峠を降りた処の道の駅新野千石平交差点で道路閉鎖、国道418号線経由国道153号線の迂回ルートを誘導されてました。お陰で国道418号線国道153号線の車窓観桜と成り見事な景観を楽しみました。標高500m~1200m峠の桜の時期を予想するのは難しい事です。
 

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赤い城

天下布武 (2026/03/22 訪問)

前回は2017年9月、その後麓にはちょい寄りしたものの久しぶりの訪問です。
前回はロープウェイ利用でしたが今回は大手道の七曲りコースを登りました。
こちら、登山の観点ではファミリー向け、家族連れも多かったです。
挨拶を交わしながら登るのは気持ちいいですね😃

40分くらいでロープウェイの山頂駅、多くの人が並んでいました。
一ノ門から上格子門を経て二ノ門、この辺りには信長時代の石垣も見られます。

今回天守は入らずスルー、馬の背コースに少し降りて北側石垣を見上げます。
さらに南側に回り井戸跡から石垣を見上げます。
やっぱり石垣もいいな〜、と思ってしまいました。

帰りは水ノ手で、と思いましたが工事中、百曲り登山道から下山しました。
山頂部の工事は来年(2027年)の9月までとのこと。
次回行くことが出来れば馬の背〜水ノ手で散策したいです😊

【見どころ】
 ・二ノ門周辺の石垣
 ・北側の石垣
 ・南側の石垣

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todo94

年度末山陰の攻城・尼子十砦編⑦ (2026/03/29 訪問)

高守山城からの転戦です。駐車場完備の城福寺本堂左手に登城路がありますが、途中で道が分からなくなってしまいました。竪堀を望みつつ尾根に登って堀切を越えて、最高所、グーグルマップのマーカー地点にはたどり着くことができました。幾つかの社が建っているものの整備の手が入っている様子はありませんでした。

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トク

熊本城の桜(震災から10年目の春) (2026/04/02 訪問)

熊本城を訪れました。ちょうど桜が満開の時期で、とても美しかったです。

10年前の4月2日、私は同じくここで花見をしていました。「大天守」や「宇土櫓」を、同じく満開の桜越しに眺め、完成したばかりの「本丸御殿」に入り、公開されたばかりの「昭君之間」を見て、その美しさには感動しました。しかしそのわずか2週間後の2016年4月14日、悲劇は突然やってきました。あれからちょうど10年になります。これをもう10年経ったと感じるのか、いやまだ10年しか経っていないと感じるのか、人それぞれ思う所があるのではないでしょうか?

しかし復興は着実に前へ進んでいます。完全復興は2052年とまだ26年も先という気の長い話ですが、大小天守はすでに復旧し、2年後(2028年)には奇跡の一本足で有名になった「飯田丸五階櫓」が、6年後(2032年)には「宇土櫓」と「本丸御殿」が復旧する予定となっています。復興に携わっている方々は今でも常時数千人います。いや延べにするともう数万人にもなっているかもしれません。またその技は次世代や次々世代へ、世代を超えて引き継がれ、まだあと26年も続きます。本当に頭が下がる思いです。


(P.S)私事ですが・・・
昨年65才で定年退職し、1年ほどゆっくりしていましたが、宇土櫓や本丸御殿が完成する、少なくともあと6年後の72才まで(できれば75才まで)もう少し働く事に決め、この年齢ですが何とか再就職する事ができました。職場や仕事環境が変わり、とても不安な日々を過ごしていましたが、この熊本城が「大丈夫、がんばれ!」と、背中を押してくれたような気がしました。
 

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たか

なんだかわかりづらい (2026/04/12 訪問)

忍城から続けて攻城してきました。
ナビに従って着いたらちょうど大雷神社の裏側でした。
空き地に寄せて停めさせて頂きました。

遺構はおそらくその裏側のところの土塁的なものかな。
他の方々の見ている城址碑が見当たらない。
ぐるりと回るととなりの皿尾センターのフェンス前にありました。

しかしこの石碑…
もうちょっと設置場所を考えてくれないと裏面の説明文が読めない(苦笑)
なんとなくしか読めなかったけど、「上杉謙信が築城して木戸玄斉に守らせたが成田氏と通じたため怒って燃やした」と書いているような…
まあこういうことがあると意外とずっと記憶に残っているものです。

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たか

のぼうの城 (2026/04/12 訪問)

自宅から車でいつでも行けるじゃんってことからずっと後回ししていた忍城へ。
のぼうの城を見てから一度行っておかなければと思いながら今回やっと攻城です。

実際に遺構は本丸西側の土塁ぐらいしかありませんが歴史的には非常に有名なお城でワクワクします。
郷土博物館に行ってスタンプと御城印を購入。
博物館内を見学していざ出陣!って遺構はほぼ無いので行くところはありません。

しかし良い天気の中、広場で子供たちが遊んでたりそれを見ながらお弁当を食べてる家族。
とても癒されます。
帰ったらまた、のぼうの城見ようかな。

本丸跡は物足りなかったので石田堤を見に行きました。
これも堤はほぼ無いですが地元の方々が少しでも残していこうという心意気に感動しました。
大和田さんの声はなかなかの迫力でした。

このあと皿尾城へ向かう途中おなかがすいて寄ったつけ汁うどんがたまらなく美味かった!
またこのあたりに来るときに寄ってみよう。

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城好きのメガネ

「門司城」 (2026/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
門司城は関門海峡が眼下に広がる交通の要衝。戦国時代には毛利氏・大内氏。・大友氏などが争う。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
関門海峡めかり駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「豊岡城 / 豊岡藩陣屋」 (2026/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
豊岡城は但馬の山名氏が築いたとされる。戦国時代には宮部継潤が改修。江戸時代には豊岡藩陣屋が築かれる。幕末には京極氏が治め、尊王攘夷派が生野の変を起こすが鎮圧。後に新政府軍に参加し、廃藩置県とともに廃城。

<アクセス>
JR 豊岡駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「筒井城」 (2026/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
筒井城は筒井氏の本拠地。筒井順慶の時代に松永久秀に城を奪われるが奪還した。現在、遺構は消滅している

<アクセス>
近鉄 橿原線 筒井駅 徒歩10分

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todo94

年度末山陰の攻城・尼子十砦編⑥ (2026/03/29 訪問)

亀遊山城からの転戦です。ぴーかるさんとしんちゃんさんの投稿のおかげで無事、攻城することができました。ありがとうございました。駐車場所、登城口、攻城のきつさ、すべてお二人の投稿の通りです。急坂登の攻城ですが、谷間の沢を登っていく登城は、帰路に迷うリスクがほとんどないので個人的には安心して城攻めすることができました。城址碑は登城口から離れた場所で、グーグルマップには「高守山城跡 石碑」で載っています。

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T-Shionoya

二重馬出の小長谷城 (2025/12/30 訪問)

昨年12月の最終週に訪れた2つ目の城は、二重の馬出を備えた静岡県川根本町の小長谷城(小長井城)。

山間部を流れる大井川中流域の東岸、川からの比高約60mの丘の縁に築かれた城。
南は深い鳴沢渓谷、北は平地から約50mの崖が自然の要害。

1293年に土岐一族の小長谷則詮が築城したとされ、室町時代には今川氏に従属。今川が衰退すると武田氏に属し、城は改修されたと推測されています。

現在は、北半分にスポーツ施設が建つものの、南半分は神社として遺構が残る城跡。

訪問時は、写真の並びとは逆に鳥居の立つ枡形虎口から入城。今は社殿へ真直ぐ参道が伸びているが、確かに枡形の土塁を貫いたものであることが明白。また土塁に囲まれた境内に入ると、既に只者ではない雰囲気があり、内部の3段の曲輪も土塁で区切られているように見える。
高度に芸術的な東エリアは、諏訪原城ほどではないものの予想以上に堀が大きく、馬出には土塁が残るなど遺構の状態は実に良好。

広くはないが、魅力度の高さに滞在時間は長引き2時間越え。
個人的には2025年に訪れた中でベスト3に入る、私の城郭巡りの221城目でした。

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姫街道

野田城より古い歴史を持つ大野田城 (2026/04/11 訪問)

有名な野田城から北東へ約1キロくらいの所にある連郭式山城だ。
築城が1333年と言うから、野田城や長篠城より170年近く前に造られた城だ。境目の野田城城主菅沼定盈氏が今川対徳川の戦い時に大破した野田城を修復している時に、仮住まいとして入城し改築拡大し、「大野田城」と命名したとの事。
確かに、野田城に似ているところに味があって面白い!
ただ、このお城は見所が満載。
特に虎口。入って右へ折れる内桝形は技巧的。
信玄と戦った堅固な野田城と比べて、比高が低い事もあり、今川期の山城の雰囲気を感じる事が出来る貴重な城だ。しかも整備が非常に良く、地元の方の熱意が伝わってくる良城だ!

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姫街道

織豊期の城!?石田城 (2026/04/11 訪問)

石田城の事は全く知らずに、Googleマップみていたら偶然見つけた。野田城〜長篠城間に点在する砦かと思いきや…行ってみて驚いたのが、長篠城級の土塁の大きさと縄張りの美しさ。
「ここらじゃ見た事ない感じだなぁ」と、違和感を感じたまま帰宅して調べたら、驚いた。
戦国時後期、徳川家康が関東に国替になり池田輝政が吉田城に配置された際、家老の片桐半右衛門一長がこの地に配置され築いたとの事…織豊期の平山城じゃん。。。
また次回、しっかり見て周ります。

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姫街道

設楽ケ原の馬防柵も 楽しむ (2026/04/11 訪問)

野田城〜長篠城までのお城は、ほとんど豊川に突き出た河岸段丘を利用しての平山城で、他の地域に比べて先端が尖った△形状だと感じる。よって、必然的に後堅固な形状で似たような縄張りなのに、築城時期や理由が各々異なって興味深い。長篠城に行くといつも設楽ケ原の馬防柵に寄るが、手前の三段構えだけ見て帰っていたが、今回奥まで歩いて行った、「なるほど、実際の馬防柵はこのようだっただろう」と感じれる復元があった。

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朝田 辰兵衛

永青文庫(東京都文京区) (2026/04/11 訪問)

4月11日~6月7日で「熊本城展~守り継がれた名城400年の軌跡~」が開催されております。初日に馳せ参じました。館外は撮影可能ですが,館内は撮影不可です。巨大な長持ちや甲冑に目を奪われがちですが,正保城絵図の下書きなど,興味深い展示物がありました。熊本地震から10年ということで開催されたようです。
つい先月,勝竜寺城に行ったばかりですが,細川忠興とガラシャから続く細川家の系譜が,現在進行形で感じ取れます。「続いとる。自分自身の散策も続いとる」ってなりました。
隣接の肥後細川庭園も一興アリです。

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Toshi⭐︎

北柏駅からお散歩①松ヶ崎城跡 (2026/04/12 訪問)

柏に用事があったので、ついでに北柏駅から散歩ついでに登城。北口から徒歩約15分、整備された公園で土塁、曲輪、見張り台などの遺構を楽しめた。

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