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赤い城

織田信雄が改修 (2026/08/13 訪問)

夏休みは相方の伊勢神宮要望に応えて伊勢路を訪れました。
初日は外宮を参拝したあと田丸城へ。
北畠氏の本城として伊勢の中心となった城、戦国時代には信長が支配し、信雄によって改修されました。

まずはスタンプ、村山龍平記念館で押印しました。
続100名城は51城目です。
ここでパンフレットもいただきました。
午後の登城でしたが内堀の大賀ハスもまだ咲いていました。

大手門から登っていき、移築現存の富士見門から本丸虎口へ。
さらに城山稲荷神社が建つ北の丸を見学して本丸へと向かいました。
途中の空堀には「後で降りてみよう」と思いながら進みます。
本丸虎口から天守台へ。
石段がついていて穴蔵がある古い形式のものです。
登ると田園風景を望み気持ち良かったです😊

しばし風景を楽しんで二の丸へ。
間には堀切が切られ土橋がかかります。
二の丸の先には搦手、外枡形となっていてここでは中世の香りを感じることができます。

二の丸の虎口を見学し、もう一度大手門に戻り北の丸の空堀を見に行きました。
北の丸は堀に囲まれ、土塁も高く見応えありました。
本丸との間まで行って見学終了。
三の丸も散策したかったですが夕刻となっていたので退却しました。

【見どころ】
 ・本丸虎口
 ・天守台
 ・搦手の外枡形
 ・二の丸虎口
 ・北の丸の空堀

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三浦の晃ちゃん

転用石 (2026/09/22 訪問)

約三十年振りの訪問でした。前回は、気にしなかった転用石が、たくさん見つかりました。天守閣脇に咲いていた桔梗の花が綺麗でした。明智光秀の家紋だったような気がして、意味深だなと思いました。

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朝田 辰兵衛

金田城散策2/2(一ノ城戸~南西角石塁~城山山頂) (2026/09/20 訪問)

ブラタモリでタモリさん一行が一ノ城戸をロケしたとき,大吉戸神社の船着場にボートを着岸させています。せっかくなので一ノ城戸から下がって確認を…。二ノ城戸で遭遇したご夫婦が,実はガイドを伴いカヤックでこの船着場に来ていたことが判明。
そういえば,石塁ルートを進んでいるとき,カヤックが入って行くところが見えました。
チャンスと思い,私のほうがガイドさんにいろいろと質問しました…<笑>。
一ノ城戸の水門の場所,ここから山頂まで険しいルートで行くべきか,来た道をビングシ山まで戻るべきか…とか。結果,ビングシ山まで戻る判断をしました。前日まで雨が降っていたので,正解でした。
そうそう,一ノ城戸から大吉戸神社の間に木橋があります。ちょっと揺れます。苦手な方にはおすすめできません。
南西角石塁や城山山頂に向かわれる方はとても少ないです。私の他に,そもそも登山目的のご夫婦しかいませんでした。カヤックのご夫婦とは違う方です。
城山山頂自体が石塁で,少し下ってから離れて撮りたかったのですが,足元の岩がひとつでも崩れたら200mは滑落するような危険な場所でしたので,断念しました。登山上級者の方は試してみてください。

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朝田 辰兵衛

金田城散策1/2(東南角石塁~三ノ城戸~二ノ城戸) (2026/09/20 訪問)

ようやく金田城のリベンジです。ほとんどの攻城者がレンタカー使用です。若い女性おひとりさまと東南角石塁で遭遇しましたが,タクシーのようでした。タクシーの場合,時間を決めて迎えに来てもらったほうが宜しいかと思います。
私はこの日のために,厳原港近くの「対馬へKONNE」に電動レンタサイクル予約。日曜日が定休日ということで,上陸した土曜日から月曜日までの3日間の予約をしました。1日1,500円でしたが,事情を説明したところ借用する土曜日と返却する月曜日は,それぞれ1,000円。別途料金の充電器は,ホテルで充電できないため借用しませんでした。ということで,合計【3,500円】。ホテルでの駐車料金はナシ。高いか安いかの判断は,みなさんにおまかせします。
厳原から登城口まで,登り坂のみパワーオンにして約90分で到着。城内散策は約240分。そして,厳原まで約90分で戻るというハードワーク。胸を張って推奨はできません。

東南角石塁~三ノ城戸~二ノ城戸で,だいたい城内散策分の体力の3分の1を消耗するかと思います。ここで満足してしまって帰ってはもったいないです。ゆっくりでもいいので,マイペースを心がけてください。
なお,リベンジ攻城につき,登城口までの画像は割愛します。
二ノ城戸の城壁は,左右で造りが異なります。画像の9枚目と10枚目を比較してみてください。城戸の外側に注意を向けないと,見落としてしまいがちです。

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翡翠

今回も姫路に (2026/09/22 訪問)

何回姫路城に登城出来るかなぁと、22日には朝から大阪城に、帰ってから姫路城やっぱり、入城制限が23日は朝一に多過ぎて、ゆっくり見れず。駆け足でした。23日は手話言語の国際デーでブルーでした。25日は観月会に行って見ようかなぁと思います。

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Ayatte

名古屋犬山の旅、3つ目の城 (2026/07/12 訪問)

この夏の旅行についてだ。

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イオ

「扇の芝」定点観測 (2026/08/29 訪問)

和歌山城南西部の砂の丸は、その名の通り砂丘に造成された曲輪であることから外周には水堀に代えて高石垣をめぐらせ、見通しをきかせるために南西隅部には芝を植えた三角地を設けていました。三角地は扇に見立てて「扇の芝」と呼ばれ、城下の人々にとって馬場(西側)や射場(南側)での武術練習を見物できる憩いの地だったようですが、廃城により扇の芝が払い下げられると建物が建ち並び往時の姿は失われていました。和歌山市では10年前に整備計画を改訂し、扇の芝の復元に向けて土地の公有化を進めてきましたが、昨年度に建物の撤去が完了し、今年7月4日には市民参加で芝張りイベントが開催され、127年ぶりに扇の芝が往時の姿を取り戻しました。

扇の芝の復元の話は以前から耳にしていましたが、和歌山ローカルのニュースでついに芝が張られたことを知り、他の用事のついでに見に行ってきました。まず県庁前交差点の歩道橋から扇の芝の全景を。建ち並んでいた建物が撤去され、植栽された芝の奥には砂の丸高石垣、そして木々の上には連立式天守群がそびえています。電柱と電線がちょっと邪魔ですが、天守群がよく見えるように木々を刈り揃えれば和歌山城の新たなビュースポットになる予感! 歩道橋を北に渡り、さらに北側の歩道橋を東に渡って扇の芝へ。芝は養生中のためまだ立ち入りできませんが、芝の向こうに屏風折れの高石垣、木々の合間には天守が覗いています。芝だけでなく建物に隠れていた砂の丸高石垣も草木が刈られて綺麗になっていました。扇の芝北西角部の歩道沿いには扇の芝の標柱が立てられています。かつては扇の芝の存在を示すものがこの標柱しかなかったことを思うと感慨深いものがありますね。

そういえば、以前に復元整備途中の扇の芝あたりを撮った写真があったはず、と思って探してみていくつか見付けましたので、ついでに載せておきます。3年ほど前(2023/10/28)に撮影したもので、更地になっているところもあれば建物も残っている状態の扇の芝(写真8)と、建物が無くなって道から見えるようになっているけれど、草木が茂った状態の石垣(写真9)です。これも定点観測といえるでしょうか。扇の芝が公開されたら(令和9年度予定)またレポートしたいと思います。


> トクさん

【豊臣秀長をたどる旅】、興味深く拝見しました。大河ドラマに先行して晩年までたどってしまわれる行動力(あるいは計画性)はさすがですね。及ばずながら確かにバトンタッチされました…と言いたいところですが、私のほうは年内どころか来年中には何とか…という体たらくなので、気長にお待ちいただければ(笑)
 

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ダイエティシャン

水鏡最終日 (2026/09/23 訪問)

松江城水鏡のため訪城。幻想的で美しい松江城。

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トク

「長曾我部元親」陣跡(秀長に敗れた元親のその後) (2026/09/22 訪問)

大河ドラマ豊臣兄弟(第36話)では、1585年の四国平定で、秀長軍により一宮城で敗れ降伏する長曾我部元親の姿が描かれました。ではその後の元親はどのような人生を歩んだのでしょうか?

そのヒントを探しに、肥前名護屋城(前田利家陣跡)から、南に10分(500m)程歩いた所にある、「長曾我部元親陣跡」を訪れました。この小高い山(標高50m)に陣は築かれていたようです。標柱から右側に細い道がありますが私有地のようなので、畑仕事をされている方に許可をもらい入りました。畑の先に石垣跡を見つけました。おそらく元親が築いたものと思われます。その先には人工的に削った曲輪か建物の跡らしき場所も多々ありましたが、荒れた竹藪だらけの整備されていない細い道で、蚊の大軍にも襲われたので、ゆっくり見る事ができず早々に撤退しました(整備してほしいなあ~😩かゆい)。しかしあくまで私の推測ですが、元親はここで屈辱に耐える日々を送っていたのではないでしょうか?

秀長に敗れた翌1586年、元親は仙石秀久の配下となり、戸次川の戦いに行きますがそこで敗れ、秀久のせいで最愛の嫡男「信親」を亡くした事は「鶴賀城」でお伝えしました。そして土佐に帰り、居城を「岡豊城」から海に近い「浦戸城」に移し水軍を強化します。この頃から「姫若子」と呼ばれていた元親の女っぽい性格?は変わり、「鬼若子」と呼ばれる怒りっぽい性格になったとか(本当かな🤔?)。小田原征伐→文禄の役→慶長の役と、秀吉から水軍を中心とした海上輸送の裏方(兵站輸送)ばかりをを命じられ、そのイライラからか家臣にも当たりちらし、独断で物事を決めるようになったそうです。後継ぎも二男・三男を通り越し、家臣の反対を押して四男「盛親」と勝手に決めてしまいます。その直後の秀吉が没した翌1599年に、元親も急な病で没したようです。結局、四国統一まであと一歩と迫りながら敗れ、転げ落ちるように人生後半は、屈辱とイライラに耐えた人生だったのかもしれません🤔。

その盛親も、翌1600年の関ケ原で西軍に付くも敗れて京都に幽閉され、長曾我部家は家康より土佐を召し上げられ改易されてしまいます。しかし盛親は1615年大坂の陣にて再び立ち上がりますが、またも敗れ、京都の三条河原で処刑され、長曾我部家は断絶したようです。

この荒れ果てた小高い山を眺めていると、長曾我部家の悲しい結末(栄枯盛衰)を想像せずにはいられませんでした。
 

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POYO58

地震と豪雨の被害もあって

本丸の後は遊佐氏館跡に戻り、石垣を観察しました。残っている石垣は低石垣であり、城内ではここだけかと。
その後温井屋敷跡を通って二の丸へ向かうと、二の丸石垣が見られますが、一部シートがかかっています。また九尺石も同じくシートがかかっており、見えませんでした泣。
二の丸から三の丸へ向かうところでは標高差が大きいおかげで、急な階段でした。その証に、二の丸と三の丸には大きな堀切が残っています。

山城といっても、駐車場から見所はすぐ見ることができ、探訪しなすいお城でした。

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小城小次郎

長森城の跡地に建った切通陣屋は長森騒動を誘発した (2025/11/24 訪問)

南北朝期に土岐氏の本拠にもなっていた長森城の故地に19世紀になって磐城平藩の飛地管理のために切通陣屋が作られた。飛地時代は飛地ならではの苦労もあったようで長森騒動という大きな騒動もあったそうだ。

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チェブ

脱線注意報発令。勝山城内、遺構以外に注目の巻。 (2026/07/04 訪問)

暑くなる前にと7月に攻めた「勝山城」。

無料の駐車場がありました。何かイベントがあるのか交通整理をしている方々が駐車場の案内をしてくれました。

勝山城址公園、さくら市ミュージアム、氏家ゆうゆうパークと、いろんな目的の方々が目指す方向に歩いて行きます。
まずはと、奥に旧森家の長屋門がありました。写真は写してませんが蔵もあります。蟻地獄の巣(?)があり、子供達が大騒ぎでした。私も小さい頃は残酷な遊びをしたものです。
あと、地蜘蛛もいました。もう、地蜘蛛の袋は触れません。
下の虫ばかり気を取られ、鬼怒川方面に進みました。
桜の見本園があり、花の季節はいろんな種類の桜が見られるのかもしれません。そちらから本来の目的、「勝山城」攻めです。
ビ~ンビ~ンと、草刈機で散策しやすいようにしている最中です。ありがとうございます、と伝えたかったのですが、草刈機をこちらに向けないように堀中腹で待ってくださいましたので、お背中に会釈して足早に通過しました。

川側に写真⑤⑥、雪姫と紅葉姫、乙姫のお話。「勝山城」の遺構も立派だったので、戦も多かったはず。姫達のお話が昔話風に書かれてました。

さくら市ミュージアムに到着。(写真が多いので遺構は次回の投稿で紹介します。)
この日は妖怪のイベントがあるようで、家族連れが多かったです。外には縄文時代の住居跡が移築してありました。説明板には、勝山城内から型どりして移築した、とあります。氏家氏、使ってたのかなー?と、どうでも良い事に疑問。その他、明治時代の鉄道の橋脚等々展示してありました。

東京の端っこは、平均30度位の8月でした。
と、言っても急に暑く急に涼しい、蒸し蒸しの夏でした。でもって、雨と台風です。

私は図書館で本を借りた際、少し募金をするようにしています。昨今、たくさんの自然災害があり、その数だけ募金箱が増えてます。
城びとの『行った』をポチッとする為に通った地域を、今では他人事とは思えなくなっている今日この頃です。

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じゅんじん

武田氏一族 (2026/07/26 訪問)

信虎公弟の信友が勝沼氏を起こしましたが次の代で信玄公に滅ぼされました。

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じゅんじん

富士見で仕事 (2026/07/20 訪問)

仕事帰りに寄りました。武田氏の諏訪侵攻の拠点だったそうです。

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シェル

坤櫓&西側土塀の復元 始動!! (2025/08/20 訪問)

 約1年半ぶりの福井訪問。前回来た時は、雨模様で消化不良に終わったので、今回はリベンジマッチです。
 まずは本丸跡に建つ福井県庁へ。県庁で行われている福井城坤櫓復元募金に微力ながら寄付させていただきました。県のエントランスで案内を受けて、担当部署の方へ。めったに他県の県庁を訪れることは無いので、少し緊張しました。募金の記念として、限定の御城印をいただきました。御城印には、坤櫓の復元図がデザインされていてめちゃくちゃカッコいいです!!
 完成は令和11年度を予定しているようです。福井に三重櫓がよみがえるのは楽しみです!!
 その後、福井に滞在している間、涼しくなっている朝と夕方を見計らって、福井城周辺を散策しました。
坤櫓の工事が開始され、本丸の水堀はだいぶ水が抜かれていました。水位が下がり、普段は水の中の石垣も露出して見ることができたのですが、個人的に注目したのが、福井城内堀公園の西側の石垣です。福井城の本丸は全体的に布積みの石垣が多いと思っていたのですが、ここは谷積み(落し積み)で積まれていたので、けっこう驚きましたね!!
 本丸周辺を散策したあと、南側の北ノ庄城跡、下馬御門跡、北側の舎人門遺構とその隣にある福井藩主の別邸の養浩館も見学。養浩館の庭園は想像越えてきましたね。陽の光が池の水に反射して、天井をキラキラ照らしているのが、とても素敵な庭園でした。養浩館は夕日のコントラストが非常に良いので、夕方に行かれるのがオススメです。

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じゅんじん

石垣修理完成 (2026/07/16 訪問)

さくっと城巡り。石垣がよきです。

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じゅんじん

武田神社 (2026/07/15 訪問)

強い日差しでしたがお参りしてきました。

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じゅんじん

甲斐お城めぐり (2026/01/10 訪問)

武田神社で初詣。

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じゅんじん

真夏のお城 (2026/07/15 訪問)

水分持参で城巡り。発掘調査してました。成果が楽しみです。

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影武者

忍城 (2026/09/22 訪問)

忍城攻め

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