愛知、岐阜の東海の城めぐり 吉田城・古宮城・亀山城・苗木城・美濃金山城・郡上八幡城・大垣城・小牧山城を巡ってきました。
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2025/04/02 18:06
2025/04/02 18:03
2025/04/02 17:59
2025/04/02 17:54
2025/04/02 17:51
2025/04/02 16:27
松( ・᷄ㅂ・᷅ )前城 (2017/11/17 訪問)
福山城登場( ・᷄ㅂ・᷅ )
中は、コンクリで博物館、アイヌの文化を学べて中々面白い
街も観光地化で、白黒の雰囲気だが、
函館から結構走るなぁ
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2025/04/02 16:12
2025/04/02 15:11
尾張国西部北部未踏の城探訪-番外清洲城2/2 (2025/03/29 訪問)
尾張国西部北部未踏の城探訪-番外清洲城1/2の続です。
清洲公園南傍の清洲古城跡公園にある、古城跡に在る信長公お社を参拝、清洲城概要を確認認視して撮影、新幹線、東海道線高架下を潜って清洲公園の信長像と濃姫像を見学、見学者も多く人の少なく成ったタイミングで撮影。
像の見学は清洲城を訪ねながらこの年に成るまで初めての体験でした。
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2025/04/02 14:51
尾張国西部北部未踏の城探訪-番外清洲城1/2 (2025/03/29 訪問)
愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内7城目九之坪城を終えて清洲城が南西3.9km程と近く、十数年振りに桜も気に成りチョイ寄りしました。
駐車場:清洲公園駐車場利用、満車状態でしたが空き数台を係員に誘導されてラッキー駐車。
参考資料:グーグルマップに依る。
当日は土曜日、春休み中でお子様連れ、カップル、団体の花見客、五条川沿いには屋台も出て大賑わい、海外観光客も多し、天守閣には登らず1階受付でパンフレットを頂く、同じくふるさとのやかたでも資料を頂く。
五条川西から天守閣を眺めて、桜とのツーショットを狙うが桜がまだ満開状態ではないのでビューポイントが見つからない、大手橋を渡り大手門、熱田神宮信長奉納塀のレプリカを確認して天守閣を西、南、東の広場から眺めて良しとする。
番外清洲城2/2に続く。
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2025/04/02 14:26
謙信・信玄はどこから攻めて、どこまで攻めた? (2025/03/09 訪問)
小田原城は謙信・信玄の城攻めに耐えているが(それが秀吉にも通用すると勘違い?)、2人がどのあたりから、どこまで攻め込んだのかは諸説ある。弁財天曲輪周辺が有力なようで、堀の遺構や高低差が確認できる。現在は広場となっており地元民の憩いの場だが、本丸からは結構近いので、ギリギリまで攻め込んだのがわかる。他方で、地元の案内板ではもうちょっと遠い幸田門跡周辺をアピールしている。こっちの方が三の丸土塁跡も残っているし、観光客の目に付きやすいからか。まあ、幸田門突破して弁財天曲輪周辺まで攻め込んだと考えれば矛盾はないのだが。
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2025/04/02 13:35
2025/04/02 13:22
尾張国西部北部未踏の城探訪7/17九之坪城 (2025/03/29 訪問)
愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内7城目九之坪城へ下津城跡から南東に約5.1km程に在り、グーグルマップ史跡マーク九之坪城址碑の在る北名古屋市健康ドーム南西を目指して走行。
駐車場:健康ドーム第一駐車場(35°14'18"N 136°52'25"E h=10m)を利用。トイレは健康ドーム利用。
参考資料:城びと、グーグルマップに依る。
車を駐めた健康ドーム第一駐車場の東隣がふれあいの家、その南通り沿いに九之坪城址石碑、隣に九之坪城由来看板が立っている。
九之坪城由来によると。
何と、桶狭間合戦勝利一番の功績と信長から称えられた梁田政綱の名が記されて居るではないか! 戦功によりこの九之坪城を与えられてこの地を治めたと有る。
ほとんどの人は健康ドームの方に吸い込まれていく、利用客が多いようです、北名古屋市は立派な施設を建てられて市民の有効活用が素晴らしい。
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2025/04/02 10:00
【対馬4城を巡る】(3)桟原城 (2025/03/22 訪問)
(3城目)は桟原城です。
1661年に金石城が大火で焼失したのを機に、対馬藩3代藩主「宗義真」は港から3km内陸の桟原に、藩主館・行政機関・接待施設・家臣屋敷などを大規模に移転した「桟原城」を築城しました。その搦手門が、現在幼稚園に移築保存されています(写真①②)。藩主館跡は、現在は自衛隊基地になっているので、私は近づいて写真は撮らずに遠くから眺めるだけにしました。
義真は、港から直線に道を整備し(現在の国道)、朝鮮通信使の500名およそ2kmにわたる行列ができるようにと、この地を選んだようです。参勤交代の大名行列もそうですが、朝鮮通信使の行列も朝鮮国の威厳を見せるショーだったわけですね(写真③)。ならば義真はその道の両側に家臣の家を配置し、対馬藩の威厳も見せつけてやろうとしたそうです。確かに国道沿いには、家老屋敷(写真④⑤)や藩校日新館(写真⑥)などが現在も残っていました。
歩き回った後は「観光情報館ふれあい処つしま」に戻り、対馬の郷土料理「ろくべえ」をいただきました。サツマイモで作った麺とすまし汁で作られているようですが、ぷりぷりとした食感にさっぱりとした味で美味しかったです(写真⑦)。
今夜は東横インに宿泊、明日は早朝出発し(金田城)を目指します。
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2025/04/02 08:33
山上に連なる石垣 (2024/12/01 訪問)
織豊期に三木頼綱が松倉山頂に築いた城で、桜洞城から移って居城としています。金森長近の飛騨攻めで落城した後に改修されましたが、高山城の完成により廃城となりました。
ニッポン城めぐりのオフィシャルツアーで訪れましたが、てっきり山頂付近まで車で行くものと思っていたら山麓から歩いての登城でした。林道が通じているといっても普通車ならともかくバスで上って行くのはそりゃ無理ですよね。山頂手前の松倉シンボル広場(駐車場あり)の登城口からは5分弱で西尾根の堀切に到達。堀切はクマザサに覆われてよく見えませんが、堀切の先には城内最大規模の石材を用いた西南隅櫓の石垣が聳え立っていました。
西南隅櫓北麓を進み、三の丸に上がったところには破却された埋門が発掘調査により確認されています。普段は遺構保護のためブルーシートが掛けられているようですが、この日は特別にシートが外され、調査に携わっておられる加藤理文先生直々に、これが立石、これが天井石と指し示しながら解説いただきました。埋門は本丸外曲輪南西下に位置し本丸外曲輪の石垣が北と東に続いています。西南隅櫓の石垣といい、比高360mの山上だというのに見事な石垣だなぁ…と見とれていると、加藤先生曰く、明智光秀と並んで金森長近の石垣技術は高く、天正期のものとは思えない(慶長期にしか見えない)ほどに綺麗なんだとか。
三の丸と東下の南中間櫓と呼ばれる曲輪の間には出枡形虎口が設けられていましたが、破城により石垣を崩して塞がれています。発掘調査の際、山麓からこの虎口へと至る道をずいぶん探すも見つからなかったそうで、搦手と考えられる埋門との関係も含め、松倉城の登城ルートはまだ不明のようです。
続いて本丸外曲輪の南東隅から本丸へ。本丸からは高山盆地を一望する眺望が開けている…はずながら、この日は朝霧に覆われていて全く見えませんでした。本丸の周囲は石垣で囲まれていて天守台のようにも見えますが、発掘調査では礎石や柱穴は確認されていないようです。そして二の丸から井戸跡を左に見ながら腰曲輪に下りて、二の丸の石垣や旗立台と呼ばれる巨岩を眺めつつ三の丸に戻り、松倉城を後にしました。
山上に見事な石垣が連なる素晴らしい城でした。ツアーで訪れているため、北尾根や西尾根の堀切まで見に行くことはできませんでしたが、その辺はまたの機会にするとして、埋門のみならず加藤先生に解説いただいたおかげで自分一人でめぐるより遥かに理解を深められました。
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2025/04/02 00:10
大手門跡と堀の痕跡 (2025/03/09 訪問)
裁判所のあたりが大手門跡で、大手門石垣の上になぜか鐘がある。国道1号が堀跡でやや凹の高低差があるのがわかる。
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2025/04/01 23:38
DIYリカバリー ドアミラーカバー交換 (2025/04/01 訪問)
ドアミラーカバーを破損してから3ヶ月、応急処置で済ましているものの、さすがに恥ずかしい。以前、ドアミラーのモータが不調でユニットごと交換したことがありますが(無償)、その時に外したユニットを受け取っていました。
たしか不調なのはモータだけだったので、カバーなどはそのまま使えるはず・・ドゥ・イット・ユアセルフ! やってみようか。
古いユニットを分解してみようとすると、いい所までいくけど外れない。ネットで調べると隠れている箇所で、皿ビスで二枚のカバーを固定しているらしい。なるほど・・道理で外れないわけだ、ユニットをひねって皿ビスを外すと・・カバーが外れた!
カバーの外しかたが分かったので、実際に交換してみました。うん、うまくいった。多少色がくすんでいますが、点灯用のランプも一緒に交換、ヒビが入っているよりはいいかも。
部品代、交換費用がタダで済みました。整備工場に頼んでも良かったんだけど、自分で出来る事は自分でやっておきたい。自分は車と一心同体で城めぐりをしているので、現地で自分で応急修理をすることは良くあります。
バンパーなんかも外れても、その場で自分で取りつけます。今は車にスペアタイアがない時代なので、山奥から自力で生還できるようにタイヤやトルクレンチも積んであります。交換用の枕木や油圧ジャッキもありますよ。枕木が無いと、サスペンションがどんどん下がって来て怖いです、下ってきたサスは人力では持ち上がらないんですよ。
車で城めぐりをしている人は、人も車もちゃんと戻ってこないといけないので、タフじゃないとやっていけません。まあ・・それでもJAFの御世話になることはあるんですけど。
以前イオさんとのやりとりであった、電気柵用のテスターですが、別に無くても大丈夫だとは思います。通常の電気柵は害獣を殺すことが目的ではないので、10000ボルト以上の超高電圧が超低電流で一瞬だけ流れます。「ものすごく痛い」けど電流値が低ければ死なないんですよ。怖いのはシロウトがDIYで作った100ボルトを高電流でだだ流しにしている違法電気柵です。これは作業現場などで使っている検電器があれば十分だと思います。テスタを使うよりはハードルが低いと思います。田舎だと何があるかわかりませんからね。
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2025/04/01 22:40
大遠征のしょっぱなから、やっちまったよぉ~~~ (2024/12/29 訪問)
この城を訪問するちょっと前からニッポン城めぐりを始めています。そういえば「お城EXPO」もありましたね。う~ん、姫武将ガシャやっておけば良かった。「女将隊(おかみたい)」のメンバーが足りません。「おつやの方」「井伊直虎さん」欲しいなあ・・・
本日「万年君」の異名を頂きました。なんでも登録100日目に頂ける異名だとか・・「金龍権現」を外して、この超ショボイ異名をプロフィールに張ってあります(現在1546城(アプリ))。
年末年始に関東から東北を回って、120城ほど攻めてきました。もちろん「リア攻め」ですよ(リア攻めって言うな!)。
その第一城目が、この土肥城です。峠の方からアクセスしようと思ったら、旧車の団体が何十台も集まっていて、城攻めの空気じゃない・・しょーがないので南の林道からアクセス。某サイトに車で行けると書いてあるので、そのまま車で行きましたが、やめた方が良いです。やはり「しとどの窟」のある峠側か、徒歩でハイキングコースを行った方が良いですね。急な方の坂道を行こうとしたらパワーが足りなくて、登りきれず車が坂を勝手に降って行きます。コントロールしきれず左のドアミラーのカバーを破損。やってしまいました・・トホホホ。
土肥城を築いたのは平安時代末期の御家人・土肥氏とされますが、現在の遺構は小田原北条氏の勢力によるものとされています。
尾根沿いに道を進んでいくと最初に土塁が出迎えてくれますが、堀切らしきものは判別できない。その先に堀切があり、さらに行くと二重の堀切があります。腰郭が幾つかついていて、登り切った山頂部に主郭が付いていました。某アプリのボーナス100貫の「リア攻め」は忘れていました。達成感が高かったり、良い城だとアプリの「城攻め」ボタンを押すのを忘れてしまうんですね(あるあるでしょ)。
それともドアミラーを破損して心がヘタっていたのかな・・? 主郭から見る景色は良かったんだけどねえ。
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2025/04/01 21:20
すごくよかったー! (2025/01/25 訪問)
九州城めぐり終盤でいちばん楽しみにしていたお城です。
角牟礼城といえばコロナ禍のしりとり序盤で連方屋敷に繋いで朝田さんに褒められた(^_^;)のと、todo94 さんが早々と出された札なのできっとすごいお城なんだろうなと、そんな印象でした。
宿泊地の大分から久大本線特急利用で豊後森。駅からは城下町の風情を感じながら歩きました。(まちなか循環バスは時間が合いませんでした。)
山麓の豊後森藩資料館でスタンプを押しつつ現況を伺い、手書きの徒歩登城地図をいただきました。手書きの地図は登城の“お守り”。とてもありがたく心強いです。
御長坂を登り、久留島陣屋址を左手に見ながら登城口へ。
お守り地図に〈ロープの道〉が書かれているのが心配でしたが岩盤登りなどではなくて、道迷い防止のロープで、30分かからないくらいで搦手に到着しました。
そして始まる石垣パラダイス🪨
山上に取り残された人工物でありながら数100年の時をかけて自然と融合、一体化しています。苔むした石垣群を見上げながら、未来永劫歴史遺産として、また何者にも容喙されない史料として在り続けてほしいと思いました。
本丸は石垣の解体修理作業中で立入禁止でした。
最近こんなふうに立入禁止に遭うことがよくあるのですが、“廃城後も修復が続けられてきたから名城としての姿を見ることができるのだよ”というメッセージを送られている気がします。
展望所へ続く遊歩道の途中の角牟礼神社は鎮西八郎こと源為朝を祭っているとのことでした。東京都コンプのために渡った伊豆大島で為朝館を訪問した記憶が蘇ってきました。
もう一度大手と搦手、井戸跡、穴生積み石垣を見に行ってから最後に(伝)三の丸へ。途中に竪堀もあり、大満足の見学となりました。
そして来た道を下山し……豊後森駅へ急ぎます。
急ぐならタクシーを使えばいいのですがドケチなので走ります💨
大分に戻る特急の時間まで20分くらいしかなかったのですが豊後森機関庫公園へ行きました🚂
機関庫も転車台も機関車も眼福で大変勉強になりました🫡
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2025/04/01 21:15
尾張国西部北部未踏の城探訪6/17下津城 (2025/03/29 訪問)
愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内6城目下津城へ片原一色城跡から東に約7.2km程に在り、グーグルマップ史跡マーク下津城址の碑の在る稲沢市立下津小学校南西角を目指して走行。
駐車場:無し、近くに在るJA愛知西産直広場下津店の駐車場を利用。
参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
車を駐めさせて頂いたJAさんから県道155号線を渡って30m程で石碑の在る下津小学校の南西角へグラウンドの角に貝塚伊吹と金網フェンスに囲まれて石碑が立っている、表の上部には下津城址、下部には碑文が刻まれている。
石碑碑文によると、尾張守護代織田敏廣の居城であって永享四年には将軍足利義教も宿泊したという、文明八年(1476年)敏廣は弟俊定に敗れ城も焼かれて滅んだ。とあります。
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2025/04/01 20:30
尾張国西部北部未踏の城探訪5/17片原一色城 (2025/03/29 訪問)
愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内5城目片原一色城へ中島城跡から南南西に約3.3km程に在りグーグルマップ史跡マーク片原一色城跡を目指して走行。
駐車場:無し、片原一色城跡の南光堂川に架かる西竹橋南側東の空きスペースに一時駐車。西竹橋南北は尾張水道みちに成っており車通行不可、西竹橋は車通行不可には成って居ないが不安の為に南手前で車を駐めた。
参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
車を駐めた西竹橋南より橋を渡り約20m程の植木畑の水道みち側に石碑がある、表の上に一色城址と刻み、下部に碑文が刻まれてる。
碑文によると、応永の頃より橋本加賀守の居城で八代に及んだ、中でも道求は信長に道一は秀吉に鉄砲をもつて仕えた勇将であった。元和元年1615年に廃城と成る。と成って居ます。
周りは植木畑、畑に水田に成っており、石碑の北西に神明社が鎮座している、ここも旧城跡の一部内なのでしょう。神明社境内には大きな楠が聳えて存在感がある。
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