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todo94

いつでもウォーク:Pikmin Bloom Tour in 横須賀 参戦前日の攻城① (2026/08/29 訪問)

今回、初めて青春18きっぷの3日用を使ってみました。10000円はかなり割高感があります。同じ3日用の鉄道の日記念きっぷは9000円台でしたから。金曜の午後、大腸内視鏡検査を終えて早い夕飯をとってから、家を出て東京で前泊しました。今回、行先を神奈川に定めたのは、いつでもウォーク:Pikmin Bloom Tour in 横須賀に参戦するためです。ところが土曜日の天気予報が芳しくありません。いつでもウォークは日曜日に回して、雨が降るまで可能な限り攻城を続けることにしました。まず、朝駆けで向かったのは、蒔田城。青春18きっぷ利用ということでJR京浜東北線の根岸駅から徒歩でアプローチしました。現在、横浜英和学院となっており、当然校内に立ち入ることはできません。つば九郎さんの投稿を拝見して勝国寺に足を伸ばしてみました。ここは後北条氏の姻戚の吉良氏の館跡とのことで吉良氏の供養塔もあります。供養塔近辺の墓地は英和学院の体育館脇にあり、切岸様の丘を望むことができました。勝国寺も蒔田城の一部と云って良いような気がします。

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赤い城

吉祥院城 京都市南区 (2026/07/18 訪問)

二条古城の後、お土産にちりめん山椒を買って新大阪に戻りました。
それでもまだ時間があったので西大路駅で下車し未登録の吉祥院城へ。
日本新薬の本社があります。

徒歩で10分くらい、八条通りから少し入ったところが城跡推定地です。
住宅街の中に小さな神社が建っていますが遺構は残りません。
戦国時代には三好長慶が入っていたとの記録もあるようです。

【見どころ】
 ・住宅街の中にある小さな神社

遅くなりましたがPOYO58さん、おかえりなさい。
充実した大学生活を送っていらっしゃるようですね。
国立理系、学業が忙しくなると思いますがたまには城も😉

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つちのこ

観光客超絶少、今行絶好機会! (2026/08/29 訪問)

言わずとしれた天空の城ですが、初めて行ってきました。車を駅近くの駐車場に停め、駅裏登山道から登城。事前に観光案内所の「情報館天空の城」で熊は昨年5月以降目撃情報なしと聞いたので一安心です。
40分ほどで城跡に到着。
いきなり現れる要塞、今まで見てきた山城とは規模が違う様子に、一人で「やば」、「凄すぎる」と連呼!
雨予報でしたが雨は一切降らず、快適に見学できました。
驚いたことに、お客さんが非常に少なく、登山開始から城跡見学、下山まで、なんと3組しか出会いませんでした。ガイドさんも「夏休み最後の週末なのに少なすぎで…」と苦笑いされてて。天候のせいだったかもしれませんが、行くなら今!かもです。
また道の駅但馬のまほろばに併設された「あさご古代館」では大河ドラマに合わせた企画で、秀吉による但馬攻め、付近の山城の攻防について分かりやすい展示がありました。

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T-Shionoya

厳重な虎口を構える田上山砦 (2026/04/05 訪問)

4月初旬に玄蕃尾城に続いて訪れた滋賀県長浜市の田上山砦。

琵琶湖北東の湖北平野の北端、京都と北陸を繋ぐ北国街道東側の比高約200mの田上山山頂部に築かれた陣城。

1573年には織田軍の攻撃を受ける小谷城の浅井氏を救援するため朝倉義景が布陣。
羽柴秀吉と柴田勝家が激突した1583年の賤ヶ岳の戦いでは、羽柴軍の中心的な陣となり羽柴秀長が守備。

現在も堀や土塁が残る整備された土の城跡。

訪問時は桜が満開の南麓の神社から登山道を上り、約20分で南堀切に到着。
西下に通路を有する南郭は、その通路入口部分に隅欠を設けており、西郭は北と南の眺めが良く、横矢桝形と名のついた横矢の掛かる虎口を装備。
主郭の北側は他より大きな堀と土塁が残り、北郭の虎口にはコの字型の土塁による馬出を設置。
広く削平の甘い北外郭の北側も、西側から横矢が掛かる虎口構造を持ち、更にL字型の翳し土塁で防御。

城域滞在時間は約1時間半。
全体的に土塁の高さは低いものの、一時的な陣城としては豪華な、複雑な虎口構造を愉しめる、私の城郭巡りの232城目でした。

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8月の名城巡りは長野県の厳選3城 (2026/08/21 訪問)

毎月、色々な名城を巡って歩く旅も、もう、すっかり私のライフワークとして定着しました。
8月の名城巡りは長野県でした。
いつもは一泊で2~3の城を見て廻るのですが、長野県は名城が多く(100名城が5つ、続100名城が2つ)当然、全部は周りきれないので今回は私と娘が特に好きな城を3つ厳選しました。
やはり、好きな城は時間を気にせずゆっくり見たいので、一日巡る城は一つだけにして心ゆくまで見て歩くことにしました。
なので今回は、城巡りとしては初めての2泊3日の旅となりました。
北海道(居住地)から近い順に回り始めているので、行先もどんどん遠くなっていくのは仕方ない事でしょうね。
さて、今回の長野3城の1日目ですが、仕事を終え東京から来る娘とは上田駅で夜に合流なので、日中は私一人で、国の指定史跡であり日本100名城にもなっている松代城を訪れました。
武田信玄が築いた「海津城」が前身で、真田信之が入封した際に「松代城」と改めたそうです。
近年、城跡の景観が修理・復元され見所も増えてきています。
城の周辺にも、表門、庭園が見事な「旧真田邸」や、真田家に伝わる古文書、武具、甲冑、調度品、書画などを収蔵する「真田宝物館」などもあってワクワクしながら見学しました。
城から城下町界隈も含めてじっくりと歩き回っていたら4時間半も経っていてビックリしました~( ̄□ ̄;)

今回も写真に沿って簡単に説明をさせていただきます。
① 毎回1枚目は恒例の御城印です(見出し代わりにもなる) 何種類かある御城印の中でコレが通常版に一番近いかなぁ? その他の御城印は投稿写真10枚目にまとめて表示してます。中央に真田家の六文銭がアレンジされていて楽しいですね。右上に花押が押してある御城印って私、初めて見ました(もちろん他にもあるんでしょうけどね)
② 松代城と言えば、やはりコレが定番の構図ですよね。100名城スタンプのデザインにもなっている本丸正面の太鼓門と手前の太鼓門前橋です。他の方の写真を見ると橋は木そのものの色だったみたいですが、私が訪れた時は欄干白い欄干に変わっていました(いつからでしょう?) 手前の小さな「橋詰門(高麗門)」と正面奥の大きな太鼓門、石垣で形成する桝形は強固で、なぜか追い込まれた敵軍の気分になってしまう私でした。
③ これも大きな見所のひとつ、本丸の「戌亥隅櫓台」の石垣です。野面積みで積まれたこの石垣は、城内に現存する石垣の中で最も高いそうです。
④ 二の丸を囲む低い土塁にトンネル状の石造りの出入口「埋門(うずみ門)」を外側から撮りました。土塁の雄大さと、門へ真っすぐ伸びる小道と階段、そして青空と左右に広がる芝の緑を表現したくて少し引いた構図にしました。
⑤ 太鼓門と太鼓門前橋を堀越しから斜めに狙いました。幅20mはあろうかという広大な内堀と迫力ある2種類の石垣も一緒に入れたかったので、こんな感じになりました。堀の水面に逆さに写る橋や太鼓門、石垣も美しく、当時を偲ばせてくれます。
⑥ 堀のダイナミックさを表現したくて、太鼓門前橋の手前に戻って来ました。内堀を主役に撮りましたが、青空を背景に石垣の上に存在感をアピールしている木々(たぶん桜?)が文字通り写真に花を添えていますね (^_-)-☆
⑦ 本丸入口へ入る直前に太鼓門を正面から撮りました。松代城の顔とも言うべき最大の櫓門なので、近付いて撮っても絵になりますね。この日は快晴に恵まれて青空と左右の石垣とのコラボ、そして門の奥(本丸)には大きいソメイヨシノが見えるのがイイ感じです。
⑧ 同じ櫓門でも、こちらは本丸北虎口に復元された「北不明門」とその桝形です。太鼓門の反対(北)側にある搦手(裏)門で、千曲川河岸へ通じる門とされています。櫓門だけの単独門ではなく、門と塀(石垣)で防御空間を作る形式として紹介されています。
⑨ 上は北不明門を出て本丸北西側の外周から戌亥隅櫓台の石垣の角を堀越しに撮りました。石垣と水堀を主役に撮ったつもりですが、石垣の角部分に全く動かない尖った異物に気付きました。「なんだろう?」とズームすると何とアオザギが悠然と佇んでいました。主役はアオサギに交代ですね! 偶然写り込んだのですが思い出に残る写真になりました。
⑩ 最後は1枚目の御城印(通常版)以外の御城印をまとめて紹介します。左上は水辺と土塁、その上の櫓門や塀を描いた風景イラスト入りの「松代城 夏版御城印」です。右上は2024年5月1日に発売された「松代城 御城印 アルクマ版」で、かわいいアルクマとあんずをあしらったデザインで太鼓門前橋と門の橋(6枚目の写真のアングル)がしっかり描かれているのが嬉しいです。左下は梅津城(松代の城の旧名)の夏季限定の「梅津城 令和8年 夏版」です。風鈴と朝顔をあしらった図柄が涼し気です。右下がちょっと変わった御城印で、「今あるだけで終わりです」の一言に負けて購入しちゃいました(私「限定」に弱いんです) 名付けて「もう中学生さんコラボの特別御城印」です。信州松代観光協会が長野市出身タレントもう中学生さんの題字とイラストによる記念御城印として発売されました。御城印って限定版や、その時にしか手に入らないのもあって、一期一会じゃないけれど、その時出合った御城印は大体すべて買っちゃう私です。

真田邸や宝物館、城下町を33℃の猛暑&好天の中、熱中症を心配しながら城下町を夢中で見て周っていたらスマホの万歩計が13,000歩になっていて驚きました。
この日の予報は14:00-17:00は降水確率90%だったのに良かったです。
やはり普段の行いは報われるもんですね♪(*´▽`*)
明日行くのが超ド級の名城なので歩き回る予定なので、娘と合流して夕ご飯を食べたら速攻で寝ました。
夕食が少し遅くなって金曜日と言うこともあり、お店はどこも予約で満席。
ビジネスホテル近くで見つけたの遅い時間でも空いていた「バイエルン」という店が入れると言うので良かった。
「とりあえず生」を注文して、メニューを開けてみて驚き!
ソーセージ、ハム、サラミしかないっ!( ̄□ ̄;)ギョッ
かろうじて、それらを使ったサラダや小品はあるのですが…
ところが、どれもこれも美味し過ぎてビックリ!
私、生を受けて60年を越えますが、生涯で一番美味しいソーセージでした!
娘に、「12種類のうち、どれが美味しかった?」と聞かれて黙り込んでしまうぐらい…」
だって、全部がメッチャ美味しかったんだもん!
上田第一ホテルから徒歩2分のところにあるので、ぜひ、行ってみてください!
ココは絶対のオススメですよ~(^^ゞ

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ヒロケン

砲台跡 (2026/08/14 訪問)

丸岡藩砲台跡は1852年、日本近海で外国船が頻繁に現れる事を危惧した幕府が各藩に海岸防衛を指示したことを受け、丸岡藩が自領の海岸防衛のため建造した砲台です。
砲台は海岸側に弓状に長さ33m、高さ1.8mの土塁に4.5m間隔で5台の大砲が設置されるもので、外側は土砂、、大砲が設置される土台部分と側面、土塁の内側を石塁としています。
江戸時代末期に建造された砲台の中では保存状態が良く貴重なことから国指定史跡に指定されています。

この日、越前松島水族館に孫と共に訪れ、13時過ぎに帰宅するため水族館でお別れ( ;∀;)水族館に行く途中で砲台跡の案内版が目にとまっていたことでお別れした後に立ち寄りました。
砲台跡もそれなりに良かったのですが、それより何より砲台跡から見る景色・海岸線が素晴らしく、また、近くに海水浴場、芝政ワールドなどもあり、次回はお孫ちゃんと芝政ワールドに行ってみたいと考えています。

POYO58さん 受験お疲れさまでした、また名古屋工業大学への御入学おめでとうございます。これからも、軽音サークル、お城巡りと体調に気を付けて頑張って下さい。それでは投稿を楽しみにしております。

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チェブ

東京の端っこに「大石遠江守館」あったんだって! (2026/07/19 訪問)

最初から、脱線します。
POYO58さん、受験お疲れ様。でもって入学おめでとうございます。
久しぶりに投稿を見て、人生の節目をジャンプしていたんですね。

ところで、私の住む東京の端っこに『遠江坂』があります。
最近、区画整理が進み、この辺りが通り抜け出来ないと聞き、散歩がてらに散策してみました。『遠江坂』の案内板に『大石遠江守がこの付近に館を構えていたから遠江坂』とあります。
なんと!
近くに小学校もあるし、下には多摩川。そして、旧鎌倉街道沿い。いろんな城跡、館跡の条件が三拍子揃いです。
小学校の方には『埋蔵文化財の発掘調査』とあるではないですか。
後日、この発掘調査では縄文敷石住居跡の調査だと知り、あんなに興奮した事に苦笑してます。

皆さん「大石遠江守館」、行ってみてください。
と、最後はPOYO58さんの初期(?)の締め方を真似てみました。
行ってみてください。に、はいはい行きますよ〜と答えてましたよ。

POYO58さん、たくさん笑って悩んで、心身共に«かっこいい大人»になって下さいね。

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美夢

夏の終わりに駆け込みで (2026/08/30 訪問)

仕事が終わってから新幹線に飛び乗り静岡駅へ
一泊して朝の清々しい駿府城へ行って来ました
東御門でスタンプを押しつつ
はつり仕上げの立派な石垣に流石と感動致しました

プラモの街らしく大御所様の鎧のプラモがあり
思わすクスッと笑ってしまいました

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トク

21【秀吉の九州平定をたどる②】豊前松山城(秀長九州上陸の拠点) (2026/08/18 訪問)

JR苅田駅からコミュニティバス(北ルート)に乗り15分、「松山城登山口」で下車しました(写真①⑩)。登山口に置いてあった杖を借りて(写真②)、そこから標高128mの山頂にある松山城の主郭へ。30分で山頂の主郭に到着しました(写真③)。

豊前松山城は、古くは大内氏・毛利氏・大友氏が争奪戦を繰り広げた城で、1561年には大友に勝利した小早川隆景が入城しています。しかし1569年門司城の戦いの時は、大友宗麟が奪い返し本陣を敷いた場所とされています。現在残る城跡は、秀吉の九州平定後に豊前の地を与えられた黒田官兵衛が、領地の北端を守る城として整備したものが残っているそうで、発掘調査で官兵衛時代の瓦が発見されたそうです。主郭には官兵衛時代の石段や虎口が残っており(写真⑦)、二ノ丸には土塁と空堀などが残っていました(写真⑧)。その下に畝状竪堀や石垣もあるらしいのですが、そこは草に覆われていてよく分かりませんでした。

1586年10月九州平定の先遣隊として毛利勢(毛利輝元・吉川元春・小早川隆景)と黒田官兵衛合わせて2万5千が九州に上陸し、高橋元種や秋月種実の支城である小倉城やこの松山城を攻め落として、本隊上陸への足掛かりを作ります。そして翌年3月、下関から門司へ上陸した秀吉は小倉城へ入り、秀長は毛利・黒田勢がすでに入っていたこの松山城へ入ったとされています。その数合わせ総勢20万! そして小倉で軍議を行い、陣ぶれを決め、秀長軍はこの天然の良港である苅田港を物資・兵站の拠点とし、出陣の準備を整えたようです。

その3カ月前の12月、豊後への先遣隊として入った仙石秀久・長曾我部元親の四国連合軍が、戸次川で島津家久に何と惨敗してしまいます。そしてこの時、家久は大友館を焼き払い、臼杵城に籠城する大友宗麟を攻めていました。

松山城は180°周防灘が見渡せる絶景の場所で、とても眺めがよかったです。門司やその遠くに見える陸地は山口県です(写真④)。平成の人工島(北九州空港)も眼下に見えました(写真⑤)。夏なので草が多かったのがちょっと残念でしたが(笑)。ここだったら確かに関門海峡や周防灘を行き交う船が見渡せ、全軍を監視できる場所だったと思います。

軍議の後、東九州を任された秀長は10万の大軍を率いて出発、豊後大友氏の救援に向かいます。しかし豊臣軍の南下を知った島津軍が豊後から撤退したため豊後での戦は無く、戸次川から高崎山城を経て逃げて来た大友義統と龍王城(宇佐)で合流し、さらに秀長は島津討伐のため日向を目指して南下して行きました。

この時の秀長は、いったいどんな気持ちでいたのでしょうか? 大友氏や四国連合軍を破った戦上手の「島津」は必ずどこかで反撃して来るはず。彼らはどうやって攻めて来るのだろうか、本当は未知との強敵に、震えていたのではないでしょうか?

次は、小倉を出発した秀吉と官兵衛が密談をした地(馬ヶ岳城)を訪れます。
 

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にのまる

大阪・お城フェスの翌日 (2026/08/11 訪問)

天守入館の行列を回避するためホテルを早めにチェックアウトし、9:00前に青屋門に到着しました。しかし、素通りできない石垣が次から次に現れ、天守入口に着いた時にはすでに長い行列が!
15分くらい並んで入れましたが、ものすごく暑かったので行列に並ぶための水分が必要だと思いました。(天守内には自販機あります。)

豊臣石垣館も天守入館券で入館できました。
映像を見てから階段を下りていきます。すると目の前にばーんと現れた算木積み。時代を感じる積み方です。素の秀吉を感じる無骨な野面積みや、ドラマやSNSで流れるあれこれより真実を語る戦火の痕跡をしっかりと目に焼きつけました。(石垣のみ撮影可)

一昨年訪問時に時間切れで入れなかった西の丸庭園は月曜日のため休園でしたのでまたいつか。

10枚目の写真は、梅田駅の地下を彷徨っていた時に遭遇した千貫櫓のミニ石垣です。(もう二度と行けないと思っていたらXで阪神スナックパークの近くだと教えてもらいました。)

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朝田 辰兵衛

POYO58さん,おめでとうございます🎉 (2025/09/15 訪問)

POYO58さん,名古屋工業大学合格,おめでとうございます🎉
最近の軽音サークルは何を志向しているのかな…Mrs. GREEN APPLEかな…?
ま,私の時代はヘビメタブームとパンクブームが並走していたような時代。都内W大学の軽音サークルから「聖飢魔Ⅱ」がインディーズでブレイク(逆立ちして唄う)。その後メジャーデビューを果たすという…。そんな時代でした。
目標を大きく。簡単でもいいから,オリジナル曲を作ってみてください。曲と詞が同時とか,曲が先ってケースが多いかと思います。「恋愛」以外をテーマに据えたほうが,世界観の広がりを表現しやすいかな…?
ということで,軽音サークルの報告もつぶやいていただければ幸いです。

お祝い画像は,昨年「北杜市考古資料館」で鑑賞したシカの剥製です。ここには谷戸城の城址碑があります。

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サムライアスリート(徳川美術館) (2026/08/29 訪問)

 徳川美術館(名古屋市東区)で開催されている夏季特別展「武芸 サムライアスリート」へ行って来ました。
弓術、馬術、剣術、鎗術、炮術、鷹狩など、武士にとって武芸は戦うための技術であるだけではありません。日々鍛錬を積み、心身を磨き、技を競い合う姿はアスリートそのもの、というコンセプトの展示です。尾張徳川家で実際に用いられた武具や武芸各種の伝書などを中心に展示されていました。槍の半蔵といわれた渡辺守綱の大身鎗、加藤清正の片鎌鎗(模作)、金土俵空穂などなど興味深く見て回りました。鷹狩図屏風、関ケ原合戦絵巻、長篠合戦屏風(複製)なども展示してありました。スマホやコンデジなら撮影OKでしたので一部写真を撮ってきましたが、撮影者の腕が悪いことに加えてガラスケースに入っていてうまく撮れませんでした。

 POYO58さん、名工大入学おめでとうございます。しばらく投稿を見ないと思っていたら受験だったのですね。

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ぴーかる

上ノ郷城 (2026/06/14 訪問)

【上ノ郷城】
<駐車場他>赤日子神社駐車場4台程度
<交通手段>車

<見所>曲輪・虎口石垣・石列
<感想>1泊2日東海ちょこ城道中ラスト16城目。上ノ郷城の築城年代は諸説あり詳細は不明。戦国時代には鵜殿氏の居城で鵜殿氏は今川氏に属していました。桶狭間の合戦後に城主の鵜殿長照は今川義元の妹の子であったために今川方に留まり、松平元康によって攻められて落城します。
 赤日子神社から案内があるので難なく行けます。城は丘城で頂上の主郭は広く土居はありません。大手虎口に石垣が残っています。また東側の虎口跡には礎石のような石列も残っています。大きな堀切や空堀は無く、曲輪を広く、通路を狭く取った城だったのではないかと思いました。
 これにてこの旅終了。目的のメインである三保の松原は曇天、深溝松平家の墓所があるあじさい寺は満車で行けずで少し不満足でしたが、豊橋のカレーうどんは美味しかった。今川家の所領は国衆の集まりが多く巡った城のそれぞれがその地の豪族が多かった。義元が討死した後は国衆の連合が一気に瓦解して武田氏や松平氏に攻撃・吸収されていった事が分かった。静岡と愛知の山城がまだ残っているので冬場に行って歴史を学びたい。走行距離837㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇
<追記>これより現在までお城跡には行っておりません。夏休みです。9月から始動しますので投稿は暫く休んで皆様の投稿を拝読します。

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影武者

二本松城 (2026/08/12 訪問)

二本松城攻め

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影武者

米沢城 (2026/08/12 訪問)

米沢城攻め

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影武者

上山城 (2026/08/11 訪問)

上山城攻め

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影武者

長谷堂城 (2026/08/11 訪問)

長谷堂城攻め

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影武者

山形城 (2026/08/10 訪問)

山形城攻め

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影武者

足利氏館 (2026/08/09 訪問)

足利氏館攻め

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影武者

唐沢山城 (2026/08/09 訪問)

唐沢山城攻め

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