京都:阿弥陀寺(信長の首はどこへ消えた?)
(2023/12/12 訪問)
イオさんに刺激され、私も少し気になっていた本能寺の話題をさせていただきます(すいません)。確かに織田信澄の黒幕説は、誰もが予想していなかった展開でしたね。NHKにあっぱれです!😊
ところで、本能寺の変で信長の首は見つかりませんでした。ならば信長の首はいったいどこへ消えたのか? もし見つかっていれば、光秀の方が天下を取れていたかも? とネバたらを考える明智ファンは多いのではないかと思います。でも明智軍1万5千の軍勢がぐるりと取り囲んでいたので、信長が本能寺から生きて逃げ出せたとはとても思えません。血眼になって探したにもかかわらず、なぜ遺体は見つからなかったとされているのでしょうか? どうやら調べてみたところ、二つの説があるようです。
【説1】清玉上人説
【説2】日海上人説
【説1】に関してはさらに最近、「明智光秀は実は本能寺にはいなかった」という新たな追加説が浮上し、光秀は6km南の鳥羽で信長が逃げて来るのを待ち構えていた、斎藤利光は2km北の二条御所にて信忠を囲んでいた、よってドラマなどとは異なり、「本能寺を攻めたのは実は明智秀満の軍勢のみだった」とも言われているようです。その時、秀満の家臣が信長の家臣たちが遺体を荼毘に付すところを発見するも、終わるまで見逃してくれと頼まれたため、家臣は秀満に報告します。しかし秀満は見逃す事とし、なぜか光秀には報告しなかったようです。その時駆け付けた織田家ゆかりの清玉上人が、成仏させるのは僧の役目と、その遺骨を引き取り阿弥陀寺に運んだとされています。清玉上人はその後、信忠や家臣らの遺骨も引き取り、墓を建てたようです。しかしそれを後に知った秀吉は、百箇日法要を阿弥陀寺で行いたいと清玉上人に申し出ますが、清玉上人が断ったため、自ら大徳寺で盛大に行い、後継者は自分である事をアピールしたようです。
三年前ですが、私はその京都の阿弥陀寺を訪れました(写真①)。確かに信長と信忠の墓があり(写真④)、森蘭丸ら家臣たちの墓もありました(写真⑤)。これを見ると何やら信憑性がありそうですが、でも本当に信長の遺体を、蟻の這い出る隙間もない程の軍勢に取り囲まれている中、怪しまれずに荼毘に付し、熱く焦げた遺骨をこっそりと運ぶ事などできたのでしょうか? 機会があればもう一つの【説2】も、いつか追ってみたいです。
本能寺の変には、現代人には分からない謎が、本当に多いですよね!🤔
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