武田軍陣地めぐり(大通寺山陣地・天神山陣地)
(2025/06/21 訪問)
(続き)
武田軍は長篠城の周囲に多くの陣地・砦を構えて包囲していますが、まずは長篠城北側に展開する陣地へ。
大通寺山陣地(新城市長篠大通寺山)
大通寺背後の大通寺山には、武田信豊、馬場信房、小山田昌行らが2千の兵で布陣しました。草木が茂っていて遺構は確認できませんでしたが、頂部の広大な平坦地には多くの兵を収容できそうでした。麓の大通寺には、医王寺山本陣での軍議で武田勝頼に撤退を進言するも容れられなかった馬場信房、内藤昌豊、山県昌景、土屋昌次らが訣別の水盃を交わしたと伝わる井戸(大通禅寺杯井)があります。また、境内には文化財保存のため長篠城から移転した城藪稲荷社も祀られています。それにしても、瓢郭から大通寺山陣地までは直線距離でわずか250m、まさに目と鼻の先です。実際に現地に立ってみて、こんなところに鬼美濃に布陣されて落城しなかったというのが信じられない思いでした。
天神山陣地(新城市長篠碁石)
長篠荏柄天神社の鎮座する天神山には、一条信龍、真田信綱、真田昌輝、土屋昌次らが2千の兵で布陣しました。下調べでは明瞭な遺構はないとのことなので、天神社の前の天神山陣地の説明板を確認したところで満足して引き返してしまいましたが、まだまだ先があったんですね。しんちゃんさんのように北尾根とまでは言わないとしても、せめて山頂までは行くべきでした。丸テーブルと椅子のある曲輪跡とか「展望」の案内板くらいは見ておきたかった…。
武田軍陣地めぐり、天神山陣地の次は医王寺山本陣に向かいます(続く)。
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