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ヒロケン

自然を利用した縄張り (2026/08/10 訪問)

伊勢亀山城は、伊勢平野を望む海抜約80mの台地上に主郭を置いた梯郭式平山城です。本丸を中心に東に二の丸と東三の丸、西に西出丸、南に南三の丸が配置されている縄張りです。城の周囲は約2kmで天然の地形を利用して内堀と外堀を巡らせています。
伊勢亀山城の天守は丹波亀山城の修繕の際、間違えられて解体されたという話が残っている天守です。(天守の解体自体幕府の陰謀説もあるっとの事)本丸北側に取り壊された天守の代用とされた三重櫓跡が残っています(画像6枚目)

この城の見どころは、何と言っても現存する本丸多門櫓と多門櫓を支える高石垣、それと伊勢亀山城保存整備事業の一環で整備された二の丸北埋門と二の丸北帯曲輪ではないでしょうか?(私見です)
この城への訪問は4度目で西出丸跡にある駐車場(無料)に駐車しました。また、トイレも駐車場隅に完備されています。伊勢亀山城には4度訪問していることから、ある程度どこに何があるか分かっているつもりではいましたが、イオさんの「とことん亀山城」を拝見し、まだまだ見てないところがあると気付かされました。イオさんありがとうございます。次回機会があれば東三の丸と南三の丸を中心に散策してみたいと思います。

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ホリタカ

釧路空港から車で3時間くらいかかりました (2026/08/28 訪問)

釧路空港からレンタカーで3時間、根室チャシに着きました!全体像を見るには、ホントはドローンか何かで上から撮影したいところです。

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イオ

柏谷山砦(長浜市余呉町小谷) (2026/03/28 訪問)

柏谷山砦(城びと未登録)は、賤ケ岳の戦いにおいて柴田方の徳山則秀が築いたとされる陣城です。

橡谷山砦から柏谷山砦へは、北東に分岐する尾根筋を進みます。行市山までの登山道はよく整備されていましたが、こちらは道らしきものは無く、草木をかき分けながら尾根沿いに進むのみ。少し行くと尾根の鞍部に土塁が続いています。鞍部からの侵入を阻むためのもののようです。そして鞍部から少し登ると柏谷山砦の主郭に至ります。主郭は周囲を土塁で囲み、西側に虎口を設けています。虎口の手前にはかざし土塁が内部の視界を遮っていました。主郭からは北国街道を見渡すことができます。尾根の鞍部からの侵入に備え、北国街道を監視する目的の砦だったようです。

柏谷山砦から尾根沿いにさらに北東に進んだ先には柴田方の陣城である大谷山砦があり、当然行くつもりで準備もしていたんですが、あろうことか大谷山砦の位置を柏谷山砦の先でなく林谷山砦の先だと勘違いしていたため、柏谷山砦で折り返して橡谷山砦まで戻り、林谷山砦に向かってしまいました…。
 

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朝田 辰兵衛

初見で「ぞやま」は読めない… (2026/07/14 訪問)

JR瀬高駅から徒歩で向かいました。築城当時の姿をとどめているのは,4つの水門のうち「横尾谷水門(粥餅谷水門)」と「長谷水門」のみとのことです。「源吾谷水門」と「産女谷水門」の現在状況の散策は,越後帰還日ということでスルーしました。
列石画像は,山頂部付近の1枚以外は失敗していました…<泣>。
しかしながら,見どころは「横尾谷水門(粥餅谷水門)」と「長谷水門」のほうだと思います。

さて,赤い城さんのクイズですが,1枚目の「高知城」しか瞬殺できませんでした。今後,神籠石で確認することができる,「水門」もバリエーションに加わると面白いかと思います。「姫路城」や「徳島城」が出題されなかったことを踏まえると,まだまだ引き出しに余裕があるのではないでしょうか…?
にのまるさんクイズが「橋」多く,赤い城さんクイズが「石樋」に舵を切ると,日ごろの散策に気が抜けるタイミングが見当たりません…。

1週間後,自身2度目の対馬上陸予定です。いまのところ天気予報はくもり。清水山城も,金田城のリベンジも達成できそうです。電動レンタサイクルも予約済。シルバーウィーク後半は北九州市内。ここでの天気予報は崩れそうです…<泣>。
健脚なうちに攻城したい香春岳城はビミョーです。todo94さんがおっしゃっておられた「山城は早いうちに攻略…」という気持ちは,私も日ごろから思っていることです。来年還暦なので。todo94さんの5つ年下なのかな…。
トクさん,私は今年のGWからかなり継続して九州地方に観光支援しております。九州はクマの心配がいらないから,とても安心です。イノシシに注意が必要かな…とは思いますけど。残念ながら熊本のEXPOには行けませんが,レポート宜しくお願いしますm(__)m

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名古屋には秀吉がおるでよ! (2026/09/12 訪問)

 名古屋市博物館で開催されている特別展「名古屋には秀吉がおるでよ! ―秀吉と尾張の歴史―」に行って来ました。小牧長久手合戦屏風、いろいろな朱印状、太閤記など興味深い展示があり楽しむことができました。
 小牧長久手合戦屏風は複数存在しています。愛知県には他に徳川美術館と犬山城白帝文庫、豊田市博物館が所蔵しているようです。それぞれ少し違った描き方がされていてAIに聞くと名古屋市博物館の屏風は「他の長久手合戦図には見られない「岩作(やざこ)村」という具体的な地名や、敗走する秀吉方の堀秀政隊の姿が右端に描かれているのが大きな特徴です。池田恒興を討ち取った永井直勝がその首を包む場面がある一方、森長可の戦死場面は省略されています。」ということだそうです。比べて見ないとわかりませんね。

 同時開催されていた特別展「リトアニア バルトの森に響く歌」もよかったです。リトアニアといえば岐阜県出身の外交官杉原千畝が領事館勤務していたときにナチスの迫害から多くのユダヤ人を助けるためにビザを発行した国で、どういう国かはよく知らなかったのですが親近感を感じていました。

 

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トク

「豪雨お見舞い」&「熊本県の交通状況・九州復興応援割り」 (2026/09/12 訪問)

今月は千葉に始まり、先週は(北陸→再び関東→名古屋)と日本各地で豪雨が続き、テレビで水没した車などを見ると唖然としました。城びとの皆さんで豪雨被害に会われた方はいらっしゃらないでしょうか?(大丈夫でしょうか?)。また、豪雨被害に会われた地域の方々には、お見舞い申し上げます。また来週も雨予報なので、さらに被害がない事を祈ります。

対照的に九州では、7~8月は35度の猛暑でかつ雨が降らない日々が2カ月間もずっと続きました。地震の被害に会われた方々や、復旧に携わった方々は、暑さとの戦いで大変だったと思います。また9月になってやっと宮崎・大分・鹿児島の東九州では雨が降りましたが、福岡・佐賀・熊本は思ったほどまとまった雨は降らず、福岡のダムの貯水率はいまだ20~40%、このままだと秋以降に給水制限にならないよう、農作物も(猛暑+水不足で)ピンチらしいので雨乞い状態です。日本は本当に広いですね。


【熊本の交通状況と復興割り】九州へ来られる方へ

九州新幹線の(熊本~新八代~新水俣)間は、9月18日から運転を再開するそうです。これで新幹線で鹿児島まで行けるようになります。しかしその区間は徐行運転で遅れるので、震災前の8割の運転本数の特別ダイヤになるそうです。HPなどで18日からダイヤ改正される最新の時刻表を確認して計画されて下さい。また在来線の鹿児島本線と肥薩オレンジ鉄道の(宇土~水俣)間は未だ不通です。復旧は、10月以降までかかりそうです。鹿児島・宮崎方面の高速道路と高速バスはほぼ復旧しています(宇城-八代は速度を落として対面通行、高速バスは一部減便で運行)。熊本市内の交通は全く問題ありません。

「九州復興応援割り」を利用した、10月1日~12月31日の熊本県内の宿泊分は9月15日から予約販売が開始されると発表がありました。割引金額がかなり大きくお得に泊まれるようなので、特別版お城EXPOがある日(10月3-4日)あたりは、販売開始後すぐに売り切れると予測されます。詳細は公式HPで発表され次第(間もなく発表)、利用される方は早めに予約されたらいいかと思います。地震による熊本県の観光業界の経済損失は莫大なようです。九州他県もかなりの損失だったようで、熊本県以外の他県の復興割りも9月中に販売開始されるようです。

以上、情報まで。
 

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城とマスク

去年の12月以来の小峰城 (2026/09/11 訪問)

とら食堂にチャーシューワンタン麺を食べに行った帰りに小峰城寄って来ました。清水門が完成してきましたね。

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イオ

行市山砦(長浜市余呉町池原) (2026/03/28 訪問)

行市山砦(城びと未登録)は、賤ケ岳の戦いにおいて柴田方の佐久間盛政が築いた陣城で、東野行一の城を前身としているとも云われるようです。

行市山南砦から約10分で行市山砦に到達。行市山砦は主郭とその南側の副郭からなり、副郭の南辺から西辺は主郭から続くL字状の土塁が続いています。主郭の四周も土塁で囲まれ、南辺の土塁の外側には横堀が設けられていました。登山道は横堀を越えて土塁に設けられた階段へと続いていますが、これは後世の破壊道。虎口は主郭南西隅に開口しています。虎口について解説した行市山砦跡の説明板も立てられていました。主郭の北部には列石が見られ、礎石建物の存在が推測されます。土塁内側には石積みらしきものも見られました。北辺の土塁を乗り越えると、北辺の土塁の外側には堀切が設けられています。

さすがに登城口から行市山南砦まで残雪を見ることはありませんでしたが、主郭南辺の横堀の片隅にわずかに残る雪を発見。標高650mともなると3月末でもまだ雪があるんですね。やはり昨年末に登城を断念したのは正解だったようです。その頃はどれほどの積雪深だったことか…。一方で、あ さんは8月に登城しておられますが、直下まで林道を車で行ける別所山砦はまだしも、結構な急坂をひたすら登るしかない行市山砦を真夏に攻める根性は私には無いなぁ…。恐れ入りました。

さて、行市山砦で折り返して、橡谷山砦と金森長近砦からの分岐をもう一方へ進んでみようと思います。
 

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ニコ・ロビン

100名城の5!根( ・᷄ㅂ・᷅ )城 (2024/04/24 訪問)

青森といえば、弘前城と根城!( ・᷄ㅂ・᷅)
広い芝生と復元跡
安土桃山らしい平城🏯

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ニコ・ロビン

100名城の29!松( ・᷄ㅂ・᷅ )本 (2018/04/11 訪問)

深志城( ・᷄ㅂ・᷅)🏯国宝
松本は夜に来るのが良い!
無風の夜だけ見られる鏡に映るお城は絶品!
夜はジビエで何度来ても良いなぁ
昼は蕎麦で、お城は南から見ると良い!戦艦の様な異様な迫力

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にのまる

石樋クイズ

挑戦してみました。
①高知城
②江戸城(白鳥濠と汐見坂のところ)
③松阪城
と、ここまではすんなり出てきたのですがあとは全くわからず😑
おそらく岡山を基点とした瀬戸内地方だろうと目星をつけつつ、石の積み方から年代を探ってみようとしたもののギブアップでした。

答えの写真から
①高知城
②江戸城
③松阪城
④津山城
⑤福山城
⑥名古屋城
⑦二条城
⑧岡山城
⑨広島城
⑩鳥羽城
で合っていますでしょうか?

クイズの答えを考えながら、有名なお城でもガイドブックに載っていない見どころや自分だけの密かな楽しみや発見があるんだなーと思いました。
前回クイズの岡山城の[二の丸伊木長門屋敷内櫓跡石垣]も未確認なので、探しに行く楽しみが増えました!

そしてもうひとつ、10枚並んだ個性的な石樋の写真を見ていて思ったことがあります。

↓ ↓ ↓

【石樋かるた】作れるんじゃない?

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トク

26【秀長の晩年をたどる①】大坂城と豊臣石垣館 (2026/03/22 訪問)

根白坂の戦いが終わってから亡くなるまでの3年間、秀長はいったいどこでどのように過ごしていたのだろうか🤔? なぜかそれが気になってしまい、今度は秀長の晩年にスポットを当てる旅に出る事にし、大阪→京都→奈良→郡山を訪れました。

博多から再び新幹線みずほ600号に乗り大阪へ、豊臣兄弟の象徴と言えばやはり大坂城だと思い、最初に立ち寄る事にしました。新大阪駅では何とドクターイエローに遭遇😯! 幸先のいいスタートです(写真⑩)。

JR大阪城公園駅で降り、極楽橋から本丸へ入ります(写真②)。いや~平日で雨にもかかわらず大混雑です! しかも約80%が外国人です。チケット売場に30分も並びました。そして再建された徳川の天守へ上がります(写真①)。天守の3階には、豊臣時代の大坂城の模型がありました(写真③)。

その後、豊臣石垣館へ行ってみました。天守のチケットを見せれば入る事ができます。徳川が埋めてその上に現在の天守を建てたというのは本当だったのですね。ここは豊臣期の本丸(詰ノ丸)の南側の石垣だそうです。大坂の陣で焼けた跡の赤い色が、確かに残っていました(写真④⑤)。411年前の歴史の証人に会う事ができ、とても感動です! しかし反面、この時亡くなった豊臣秀頼の事を思うと、何故か忍ばずにはいられませんでした。秀頼自刃の地は、豊臣天守があった詰ノ丸北側から山里丸へ降りた場所に、ひっそりとありました(写真⑥⑦)。

私は、天守最上階からは西ノ丸を見下ろして見ました。西ノ丸には秀長の屋敷があったとされています(写真⑧)。大坂を訪れた諸大名はまず秀長に要件を伝え、秀長が秀吉との仲介役となって、謁見の段取りをしていたものと思われます。また秀長は謁見ができるまでの間、その大名を接待します。千利休の茶室に招き、夜は西ノ丸の屋敷でもてなしながら、そこで秀吉の真意を伝え、うまく事を運ぶためにはどうしたらいいか、いろいろと両者の間に立って話を聞いていたのではないでしょうか。

秀長の西ノ丸屋敷で最も有名な話は、小牧長久手の戦いの後の1586年10月、徳川家康が大坂城を訪れ、諸大名の前で秀吉との対面を迎える前日、家康は秀長の屋敷に宿泊し接待を受けます。その時その屋敷に秀吉がこっそり訪れ、明日は我の前でひれ伏してくれぬかと、家康に頭を下げるシーンですよね。

次に有名な話は、その半年前の1586年4月の大友宗麟が助けを求めて大坂城へ来た時の事です。秀長は同じくこの西ノ丸で宗麟を接待し「表の事はこの秀長に、裏の事は利休に、何でも相談されるがよい」と声をかけます。そして翌1587年3月、九州平定へ出陣。大坂に戻った頃には聚楽第が完成し、従二位大納言に任じられた秀長は、従一位関白に任じられた秀吉とともに、1588年には京都へ本拠を移しました。

1591年秀長死後の西ノ丸には徳川家康が入り、秀吉死後に家康は伏見城へ移ると前田利家が西ノ丸を預かります。利家死後の1600年、家康が伏見より上杉討伐へ出陣すると、今度は毛利輝元が西ノ丸へ入り、関ケ原を迎えます。よって西ノ丸に入った人物は、秀吉または秀頼の次である、つまり豊臣政権No2の地位に立つ事を意味していたようですね。

次は、京都聚楽第へ向かいます。その前に、新大阪駅で食べた「大阪たこ焼き」が、とても美味しかったです😋(写真⑨)。
 

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べっち

箕輪城 (2026/09/08 訪問)

自分で計画して行った

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べっち

新田金山城 (2026/09/06 訪問)

自分で計画して行った

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べっち

足利氏館 (2026/09/07 訪問)

自分で計画して行った

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べっち

川越城 (2026/09/06 訪問)

自分で計画して行った

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イオ

行市山南砦(長浜市余呉町池原) (2026/03/28 訪問)

行市山南砦(城びと未登録)は、賤ケ岳の戦いにおいて柴田方が築いた陣城で、別所山砦と行市山砦を繋ぐ役割を果たしたと考えられますが詳細は不明です。

別所山砦から約25分で行市山南砦に到達。別所山砦まではいくつかの砦をめぐりながら徐々に登って行く感じでしたが、行市山へはひたすら登りです。かつて陣城間を結んでいた城道(かもしれない登山道)を進むと、城道は行市山南砦の手前で左右に分岐し、横堀状の城道に周囲を囲まれた曲輪が主郭です。主郭は斜面に階段状に設けられていて、城道を登ってきた敵兵を攻撃する造りでしょうか。分岐していた城道は主郭の西端で合流し、その先は喰い違い状の堀切で尾根筋を遮断しています。

行市山南砦を出て行市山砦へ城道をさらに登って行く途中、振り返ると賤ヶ岳の戦いの柴田方・羽柴方双方の砦群を一望に見渡す眺望が広がっていました。

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todo94

いつでもウォーク:Pikmin Bloom Tour in 横須賀 当日の攻城② (2026/08/30 訪問)

>赤い城さん 正解のご教示、ありがとうございました。今後の城めぐりにまた楽しみが増えました。それでも鳥羽城は自力で見つけ出す自信はありません。

さて、8月30日の攻城に戻ります。河崎氏館からの転戦です。江ノ電・極楽寺駅から徒歩にてアプローチしました。神奈川県の管理となっていて立入禁止とのことです。極楽寺坂の切通しは通ってみました。鎌倉の切通しめぐりをしたのは、2005年12月のこと。21年ぶりの再訪となりました。このあとは、横須賀に向かい、今回の旅の目的であるいつでもウォーク:Pikmin Bloom Tour in 横須賀を楽しみました。記念艦三笠もチェックポイントになっていたので2010年以来、16年ぶりに再訪することができました。

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赤い城

クイズの答え

todo94さん、早速のお答えありがとう御座います。
少しマニアックでしたか😓
もう少しヒントが写るようにすれば良かったです。

それでも高知城、松坂城、二条城、広島城は正解です😊
他を含め解答は写真にて。
どこにあるかは次回再訪される機会があればその際のお楽しみにしていただけたら、と。
ちなみに江戸城はにのまるさんと散歩した際にパシャリ。

引き続きよろしくお願いします。

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つちのこ

豊岡城、豊岡陣屋 (2026/09/05 訪問)

此隅山城に続いて訪問。
公園として整備されていますが、天守台跡は草が生い茂っていました(しかしちょうど草刈り作業真っ最中でした)。そこから笠の丸跡へ下りると、ベンチが円状に並んでいて綺麗にされていました。もうちょっと涼しくなったら市民の憩いの場なんでしょうか。

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