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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪7/17九之坪城 (2025/03/29 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内7城目九之坪城へ下津城跡から南東に約5.1km程に在り、グーグルマップ史跡マーク九之坪城址碑の在る北名古屋市健康ドーム南西を目指して走行。

 駐車場:健康ドーム第一駐車場(35°14'18"N 136°52'25"E h=10m)を利用。トイレは健康ドーム利用。
 参考資料:城びと、グーグルマップに依る。

 車を駐めた健康ドーム第一駐車場の東隣がふれあいの家、その南通り沿いに九之坪城址石碑、隣に九之坪城由来看板が立っている。
 九之坪城由来によると。
 何と、桶狭間合戦勝利一番の功績と信長から称えられた梁田政綱の名が記されて居るではないか! 戦功によりこの九之坪城を与えられてこの地を治めたと有る。

 ほとんどの人は健康ドームの方に吸い込まれていく、利用客が多いようです、北名古屋市は立派な施設を建てられて市民の有効活用が素晴らしい。
 

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トク

【対馬4城を巡る】(3)桟原城 (2025/03/22 訪問)

(3城目)は桟原城です。

1661年に金石城が大火で焼失したのを機に、対馬藩3代藩主「宗義真」は港から3km内陸の桟原に、藩主館・行政機関・接待施設・家臣屋敷などを大規模に移転した「桟原城」を築城しました。その搦手門が、現在幼稚園に移築保存されています(写真①②)。藩主館跡は、現在は自衛隊基地になっているので、私は近づいて写真は撮らずに遠くから眺めるだけにしました。

義真は、港から直線に道を整備し(現在の国道)、朝鮮通信使の500名およそ2kmにわたる行列ができるようにと、この地を選んだようです。参勤交代の大名行列もそうですが、朝鮮通信使の行列も朝鮮国の威厳を見せるショーだったわけですね(写真③)。ならば義真はその道の両側に家臣の家を配置し、対馬藩の威厳も見せつけてやろうとしたそうです。確かに国道沿いには、家老屋敷(写真④⑤)や藩校日新館(写真⑥)などが現在も残っていました。

歩き回った後は「観光情報館ふれあい処つしま」に戻り、対馬の郷土料理「ろくべえ」をいただきました。サツマイモで作った麺とすまし汁で作られているようですが、ぷりぷりとした食感にさっぱりとした味で美味しかったです(写真⑦)。

今夜は東横インに宿泊、明日は早朝出発し(金田城)を目指します。
 

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イオ

山上に連なる石垣 (2024/12/01 訪問)

織豊期に三木頼綱が松倉山頂に築いた城で、桜洞城から移って居城としています。金森長近の飛騨攻めで落城した後に改修されましたが、高山城の完成により廃城となりました。

ニッポン城めぐりのオフィシャルツアーで訪れましたが、てっきり山頂付近まで車で行くものと思っていたら山麓から歩いての登城でした。林道が通じているといっても普通車ならともかくバスで上って行くのはそりゃ無理ですよね。山頂手前の松倉シンボル広場(駐車場あり)の登城口からは5分弱で西尾根の堀切に到達。堀切はクマザサに覆われてよく見えませんが、堀切の先には城内最大規模の石材を用いた西南隅櫓の石垣が聳え立っていました。

西南隅櫓北麓を進み、三の丸に上がったところには破却された埋門が発掘調査により確認されています。普段は遺構保護のためブルーシートが掛けられているようですが、この日は特別にシートが外され、調査に携わっておられる加藤理文先生直々に、これが立石、これが天井石と指し示しながら解説いただきました。埋門は本丸外曲輪南西下に位置し本丸外曲輪の石垣が北と東に続いています。西南隅櫓の石垣といい、比高360mの山上だというのに見事な石垣だなぁ…と見とれていると、加藤先生曰く、明智光秀と並んで金森長近の石垣技術は高く、天正期のものとは思えない(慶長期にしか見えない)ほどに綺麗なんだとか。

三の丸と東下の南中間櫓と呼ばれる曲輪の間には出枡形虎口が設けられていましたが、破城により石垣を崩して塞がれています。発掘調査の際、山麓からこの虎口へと至る道をずいぶん探すも見つからなかったそうで、搦手と考えられる埋門との関係も含め、松倉城の登城ルートはまだ不明のようです。

続いて本丸外曲輪の南東隅から本丸へ。本丸からは高山盆地を一望する眺望が開けている…はずながら、この日は朝霧に覆われていて全く見えませんでした。本丸の周囲は石垣で囲まれていて天守台のようにも見えますが、発掘調査では礎石や柱穴は確認されていないようです。そして二の丸から井戸跡を左に見ながら腰曲輪に下りて、二の丸の石垣や旗立台と呼ばれる巨岩を眺めつつ三の丸に戻り、松倉城を後にしました。

山上に見事な石垣が連なる素晴らしい城でした。ツアーで訪れているため、北尾根や西尾根の堀切まで見に行くことはできませんでしたが、その辺はまたの機会にするとして、埋門のみならず加藤先生に解説いただいたおかげで自分一人でめぐるより遥かに理解を深められました。
 

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Tokyobay

大手門跡と堀の痕跡 (2025/03/09 訪問)

裁判所のあたりが大手門跡で、大手門石垣の上になぜか鐘がある。国道1号が堀跡でやや凹の高低差があるのがわかる。

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しんちゃん

DIYリカバリー ドアミラーカバー交換 (2025/04/01 訪問)

ドアミラーカバーを破損してから3ヶ月、応急処置で済ましているものの、さすがに恥ずかしい。以前、ドアミラーのモータが不調でユニットごと交換したことがありますが(無償)、その時に外したユニットを受け取っていました。
たしか不調なのはモータだけだったので、カバーなどはそのまま使えるはず・・ドゥ・イット・ユアセルフ! やってみようか。
古いユニットを分解してみようとすると、いい所までいくけど外れない。ネットで調べると隠れている箇所で、皿ビスで二枚のカバーを固定しているらしい。なるほど・・道理で外れないわけだ、ユニットをひねって皿ビスを外すと・・カバーが外れた!
カバーの外しかたが分かったので、実際に交換してみました。うん、うまくいった。多少色がくすんでいますが、点灯用のランプも一緒に交換、ヒビが入っているよりはいいかも。
部品代、交換費用がタダで済みました。整備工場に頼んでも良かったんだけど、自分で出来る事は自分でやっておきたい。自分は車と一心同体で城めぐりをしているので、現地で自分で応急修理をすることは良くあります。
バンパーなんかも外れても、その場で自分で取りつけます。今は車にスペアタイアがない時代なので、山奥から自力で生還できるようにタイヤやトルクレンチも積んであります。交換用の枕木や油圧ジャッキもありますよ。枕木が無いと、サスペンションがどんどん下がって来て怖いです、下ってきたサスは人力では持ち上がらないんですよ。
車で城めぐりをしている人は、人も車もちゃんと戻ってこないといけないので、タフじゃないとやっていけません。まあ・・それでもJAFの御世話になることはあるんですけど。

以前イオさんとのやりとりであった、電気柵用のテスターですが、別に無くても大丈夫だとは思います。通常の電気柵は害獣を殺すことが目的ではないので、10000ボルト以上の超高電圧が超低電流で一瞬だけ流れます。「ものすごく痛い」けど電流値が低ければ死なないんですよ。怖いのはシロウトがDIYで作った100ボルトを高電流でだだ流しにしている違法電気柵です。これは作業現場などで使っている検電器があれば十分だと思います。テスタを使うよりはハードルが低いと思います。田舎だと何があるかわかりませんからね。

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しんちゃん

大遠征のしょっぱなから、やっちまったよぉ~~~ (2024/12/29 訪問)

この城を訪問するちょっと前からニッポン城めぐりを始めています。そういえば「お城EXPO」もありましたね。う~ん、姫武将ガシャやっておけば良かった。「女将隊(おかみたい)」のメンバーが足りません。「おつやの方」「井伊直虎さん」欲しいなあ・・・
本日「万年君」の異名を頂きました。なんでも登録100日目に頂ける異名だとか・・「金龍権現」を外して、この超ショボイ異名をプロフィールに張ってあります(現在1546城(アプリ))。
年末年始に関東から東北を回って、120城ほど攻めてきました。もちろん「リア攻め」ですよ(リア攻めって言うな!)。
その第一城目が、この土肥城です。峠の方からアクセスしようと思ったら、旧車の団体が何十台も集まっていて、城攻めの空気じゃない・・しょーがないので南の林道からアクセス。某サイトに車で行けると書いてあるので、そのまま車で行きましたが、やめた方が良いです。やはり「しとどの窟」のある峠側か、徒歩でハイキングコースを行った方が良いですね。急な方の坂道を行こうとしたらパワーが足りなくて、登りきれず車が坂を勝手に降って行きます。コントロールしきれず左のドアミラーのカバーを破損。やってしまいました・・トホホホ。
土肥城を築いたのは平安時代末期の御家人・土肥氏とされますが、現在の遺構は小田原北条氏の勢力によるものとされています。
尾根沿いに道を進んでいくと最初に土塁が出迎えてくれますが、堀切らしきものは判別できない。その先に堀切があり、さらに行くと二重の堀切があります。腰郭が幾つかついていて、登り切った山頂部に主郭が付いていました。某アプリのボーナス100貫の「リア攻め」は忘れていました。達成感が高かったり、良い城だとアプリの「城攻め」ボタンを押すのを忘れてしまうんですね(あるあるでしょ)。
それともドアミラーを破損して心がヘタっていたのかな・・? 主郭から見る景色は良かったんだけどねえ。

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にのまる

すごくよかったー! (2025/01/25 訪問)

九州城めぐり終盤でいちばん楽しみにしていたお城です。
角牟礼城といえばコロナ禍のしりとり序盤で連方屋敷に繋いで朝田さんに褒められた(^_^;)のと、todo94 さんが早々と出された札なのできっとすごいお城なんだろうなと、そんな印象でした。

宿泊地の大分から久大本線特急利用で豊後森。駅からは城下町の風情を感じながら歩きました。(まちなか循環バスは時間が合いませんでした。)
山麓の豊後森藩資料館でスタンプを押しつつ現況を伺い、手書きの徒歩登城地図をいただきました。手書きの地図は登城の“お守り”。とてもありがたく心強いです。

御長坂を登り、久留島陣屋址を左手に見ながら登城口へ。
お守り地図に〈ロープの道〉が書かれているのが心配でしたが岩盤登りなどではなくて、道迷い防止のロープで、30分かからないくらいで搦手に到着しました。

そして始まる石垣パラダイス🪨
山上に取り残された人工物でありながら数100年の時をかけて自然と融合、一体化しています。苔むした石垣群を見上げながら、未来永劫歴史遺産として、また何者にも容喙されない史料として在り続けてほしいと思いました。

本丸は石垣の解体修理作業中で立入禁止でした。
最近こんなふうに立入禁止に遭うことがよくあるのですが、“廃城後も修復が続けられてきたから名城としての姿を見ることができるのだよ”というメッセージを送られている気がします。

展望所へ続く遊歩道の途中の角牟礼神社は鎮西八郎こと源為朝を祭っているとのことでした。東京都コンプのために渡った伊豆大島で為朝館を訪問した記憶が蘇ってきました。

もう一度大手と搦手、井戸跡、穴生積み石垣を見に行ってから最後に(伝)三の丸へ。途中に竪堀もあり、大満足の見学となりました。


そして来た道を下山し……豊後森駅へ急ぎます。
急ぐならタクシーを使えばいいのですがドケチなので走ります💨
大分に戻る特急の時間まで20分くらいしかなかったのですが豊後森機関庫公園へ行きました🚂
機関庫も転車台も機関車も眼福で大変勉強になりました🫡

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪6/17下津城 (2025/03/29 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内6城目下津城へ片原一色城跡から東に約7.2km程に在り、グーグルマップ史跡マーク下津城址の碑の在る稲沢市立下津小学校南西角を目指して走行。

 駐車場:無し、近くに在るJA愛知西産直広場下津店の駐車場を利用。
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 車を駐めさせて頂いたJAさんから県道155号線を渡って30m程で石碑の在る下津小学校の南西角へグラウンドの角に貝塚伊吹と金網フェンスに囲まれて石碑が立っている、表の上部には下津城址、下部には碑文が刻まれている。

 石碑碑文によると、尾張守護代織田敏廣の居城であって永享四年には将軍足利義教も宿泊したという、文明八年(1476年)敏廣は弟俊定に敗れ城も焼かれて滅んだ。とあります。
   

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪5/17片原一色城 (2025/03/29 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内5城目片原一色城へ中島城跡から南南西に約3.3km程に在りグーグルマップ史跡マーク片原一色城跡を目指して走行。

 駐車場:無し、片原一色城跡の南光堂川に架かる西竹橋南側東の空きスペースに一時駐車。西竹橋南北は尾張水道みちに成っており車通行不可、西竹橋は車通行不可には成って居ないが不安の為に南手前で車を駐めた。
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 車を駐めた西竹橋南より橋を渡り約20m程の植木畑の水道みち側に石碑がある、表の上に一色城址と刻み、下部に碑文が刻まれてる。
 碑文によると、応永の頃より橋本加賀守の居城で八代に及んだ、中でも道求は信長に道一は秀吉に鉄砲をもつて仕えた勇将であった。元和元年1615年に廃城と成る。と成って居ます。
 
 周りは植木畑、畑に水田に成っており、石碑の北西に神明社が鎮座している、ここも旧城跡の一部内なのでしょう。神明社境内には大きな楠が聳えて存在感がある。

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ぴーかる

杉山城 (2025/02/08 訪問)

【続百名城74城目】
<駐車場他>杉山城跡駐車場
<交通手段>車

<見所>堀・土塁・土橋・食い違い虎口・曲輪
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画第2弾、2城目。嵐山町観光協会にて御城印購入⇒嵐山町役場にてスタンプ押印後に登城しました。整備された城跡なので、正規ルートの大手虎口から散策を開始し、全体を巡りながら上方の主郭まで見て⇒主郭北側の郭群⇒北の搦手口まで行って、戻るルートで最後に東二・三の郭を見ました。独立した小山全体を城塞化しており、細やかな堀・土塁・土橋は私には陣城跡のようにも見えました。また狭い通路や袋小路の郭は迷路の様にも感じました。技巧的な遺構の数々に思わず「ほう!ほう!」と声が漏れつつ楽しく散策できました。

<満足度>★★★

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪4/17中島城 (2025/03/29 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内4城目中島城へ苅安賀城址から南に約2km程に在りグーグルマップ史跡マーク中島城跡を目指して走行。

 駐車場:無し、中島城跡石碑の裏側が石油ガス営業所の砂利駐車場に成っており一時駐車。当日土曜日で車なしでした。
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 民有地の石油ガス営業所砂利駐車場に成ってる南西角に桜の木と柘植植樹に囲まれて平板石碑が立っている、表には中嶋城址 一宮市と刻まれて裏には碑文が刻まれているが経年変化で黒ずんで良く読めない。
 石碑が立ってるのみ、桜の木にはちらほら咲きでもう少したったら見事な花を咲かすでしょう。
 
 西に100m程の所に中島廃寺史跡マークが有り徒歩で確認に寄りました、円柱の石碑に中島廃寺と側面に昭和43年3月建立とある。奈良・平安時代の寺跡で発掘調査の結果、軒丸瓦、鬼瓦が大量発掘、円柱石碑の前に在る石は一堂跡より発見されたようです。
 その途中に桜が植林畑に栽培されて丁度満開でした、桜の数も多く見事でした。
 周りは畑と住宅がちらほら北に光堂川を挟んで100m程に中島小学校が有ります。
   

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しんちゃん

まだ三つありますよ。

あさん、コメントありがとうございます。和歌山の未踏の城はまだ三つ残ってますよ。
未踏の城以外にもいろいろ回っております。ニッポン城めぐりで和歌山周辺の城を攻略して、真田大介くんを連れ帰ったので次は何処に行こうかと考えています。
赤松城もなかなか手強い城で、残りの未踏の城にもっと危ないところが有るのかな、と少し心配になりますが、皆さん百戦錬磨なので杞憂に過ぎないことを願っております。
最近アプリをやり込んでいる影響で、何処にでも湧いて出る神出鬼没のイメージがありますが、アプリでも半数を越えました。もうじき2024年度の区切りがつきますので、ようやく城びとに集中出来ます。
ちなみに和歌山県は私の父の故郷で、家系のルーツでもあります。実は私にとっても第三の故郷なんですよ。

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駿府城

静岡まつり開催&駿府城跡天守台発掘調査現場へ行こう!

春の訪れとともに、静岡市の一大イベント「静岡まつり」の季節がやってきました!
今年の「静岡まつり」は、4月4日(金)から4月6日(日)までの3日間、駿府城公園を中心に、華やかな催しが繰り広げられます。圧巻の「大御所花見行列」や、幻想的な「夜桜乱舞」など、見どころ満載のイベントで街中が活気に包まれます。
そして、「静岡まつり」に訪れた際には、ぜひ駿府城跡天守台発掘調査現場にも足を運んでみてください。当時のままの大迫力の天守台を間近で見ることができ、当時の建築技術の高さを実感できます。さらに、桜と城跡の美しいコントラストは、この季節ならではの特別な魅力です。
なお、「駿府鉄砲隊火縄銃演武」の実施に伴い、4月5日(土)・6日(日)は、駿府城跡天守台発掘調査現場(見学ゾーン・発掘情報館「きゃっしる」)の開館時間が変更となります。
【変更前】9時〜16時30分
【変更後】9時〜14時30分(最終入場14時)
ご来場の皆さまにはご不便をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。

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玉ねぎ石 (2025/03/23 訪問)

 中の城と東の城との間の谷を国道から入っていきます。谷は、西の城の下まで続きます。谷は、中の城までは、良いのですが、そこから先は藪になっています。城びと先人のレポートにあるように、西の城は集落奥の墓地からのアクセスが容易です。谷全体は狭いながら開墾された形跡があり、藪化している部分にもお茶の木があったりします。今の時期は、藪を突破できます。藪の途中、左手に尾根に上がれそうな箇所がありました。後でわかったのですが、西の城の西出郭の竪堀でした。
 先人のレポートを見ると、主郭は、腰までの笹であったり、それほど茂ってないともあります。この度は、遺構がよく見えました。とある煩悩の登城目録さんが、見つけられなかった、西の出郭もこの時期なら、藪を越えて行けます。尾根の二重堀切も良いですが、掘り残しの土塁も凄いです。堀切から登った箇所では分厚過ぎて土塁と認識できず。
 山体は砂岩です。東の城主郭に砂岩が露頭してるのですが、玉ねぎを剥くように風化が進んでいる、玉ねぎ石を見つけました。地下深部から地表近くに上がってきて、圧力が解放され、規則的な割れができるのが、成因なんですね。
 しんちゃんさん、タイミングよく、赤松城のレポートをありがとうございます。機動力高いですねぇ。お昼に主郭まで至ったとのことで、その後、さらに、和歌山県未投稿の城に転戦されるかと見てましたが。実は既に制覇済み?

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪3/17苅安賀城 (2025/03/29 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内3城目苅安賀城へ一宮城跡から南西に約2.6km程に在りグーグルマップ史跡マークの苅安賀自動車学校南西角を目指して走行。

 駐車場:無し、交通量は少なく石碑南側に路駐。
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 苅安賀城址の石碑の在る苅安賀自動車学校の南西角へ学校の南西ゲートは開いている、白く塗られたブロック塀の傍に「苅安賀城址愛知県碑文」の石碑がポツンと立っている、脇には丁度河津桜が満開で色を添えている。
 碑文は良く判明できない、浅井政高城を築くと読めるが?
 数分写真撮影し探訪終了。

 グーグルマップを見ると北約300m程の正福寺に史跡マーク「名古屋城移築城門」と有り寄りました。
 【正福寺「名古屋城移築城門」】
 住所:愛知県一宮市苅安賀西北出3017
 駐車場:正福寺南側に路地参拝者駐車場が有ります。
 正福寺は浄土真宗大谷派の寺院、南向きの山門が名古屋城移築城門と成って居ます、門前に山門の案内解説板が有ります、四脚門で主柱が円柱、脚柱が面取りの在る角柱、一宮市の文化財指定を受けている。
 本堂を参拝して移築門、鐘突き堂、本堂横の桜はちらほら咲き状態もう直ぐです、その間お寺の犬に吠えられ状態、綱に繋がっていましたので安心して急ぎ足で見学。
 山門前の東参道前の門柱横に正福寺掲示板が有り「明日死ぬかのように生きよ 永遠に生きるかのように学べ」マハトマーガンジー と黒々と墨書。・・肝に銘じます。ありがたい。
 

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪2/17一宮城 (2025/03/29 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内2城目一宮城へ野府城跡から南に約3,4km程に在りJR一宮駅名鉄一宮駅の西側の駐車場を目指して走行。

 駐車場:一宮駅西裏の有料駐車場、今回はABホテル一宮西裏の名鉄協商パーキング一宮第三利用30分100円。
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 最初に狙いを定めた駐車場には駐められず、一方通行の細い道を彷徨って上記表記の駐車場に駐める。駐車場から一宮駅は100m程南口の通りを東に進攻、途中一宮トイレを借り、200m程東進し通りの北側に三菱UFJ銀行一宮支店の南西角に一宮城跡の石碑と案内パネルが有る。
 一宮城の認識は数拾年前から有りましたが仕事、プライベートで近くまで来ていても寄る機会と探訪の意欲も無く今回の流れとなりました、認知してから数拾年振りの探訪に感慨深いものが有ります。
 三菱UFJ銀行の東隣に小振りな秋葉神社が有り由緒と一緒に写真投稿します。
 
 案内板によると、この一宮城は関氏の居城、関氏は平重盛の子孫で、伊勢関氏の一族である。関長安は、はじめ織田信長に、のちに秀吉に仕え、天守12年(1584年)、小牧山の戦いで長久手で戦い討死した。とあります。
 

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イオ

素玄寺(高山市天性寺町) (2024/11/30 訪問)

素玄寺は金森長近の菩提を弔うために二代・可重が高山城下に建てた寺院で、長近の法号「金龍院殿前兵部尚書法印要仲素玄大居士」にちなんで素玄寺と称しています。本堂は高山城三ノ丸の評議場を移築したもので、素玄寺では長近の肖像画や所用の采配・軍扇などゆかりの品を所蔵しています(通常非公開)。その他、本堂の釘隠しが金森氏の梅鉢紋だったり、長近の像(高山城の銅像と同じデザイン)や在りし日の高山城を描いた絵画が飾られていました。

本堂裏手の墓地には金森家累代供養塔と金森家殉死者の墓があります。また、大原彦四郎の墓もあってちょっとびっくり。大原彦四郎紹正は江戸中期に幕府領となっていた高山に補任した飛騨代官(後に郡代)で、幕府の方針を苛烈なまでに遂行したことにより大原騒動と呼ばれる百姓一揆を引き起こしていますので、こうして今なお高山に墓があるのは意外な感じでした(幾度か倒されて破損しているそうですが)。

さて、この日はニッポン城めぐりのツアーで訪れたため、通常非公開の金森長近ゆかりの品々を見学できただけでなく、住職さんと「金森長近と城下町文化による地域の活性化推進委員会」の会長さんから素玄寺や金森長近についてのお話を伺うことができ、金森長近というと、三英傑に仕えて越前大野と高山の町を開いたまちづくり名人…くらいの予備知識しかありませんでしたが、がぜん興味が湧いてきましたので、細々と続けてきた明智光秀の「麒麟がくる紀行」もひと区切りしたことでもあり、今度は金森長近ゆかりの地をめぐってみようと思い立ち、ここ素玄寺から「金龍がゆく紀行」を始めたいと思います。
 

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todo94

献血後の攻城 (2025/03/15 訪問)

茨城県での5回目の献血を無事済ませ、遅めの昼食をとり終わるとすでに午後2時近くになっていました。高速を使って土浦にアクセスし城カードだけはゲット。土浦城はパスして、この日最後の攻城として赴いたのが、小坂城です。こんなに素晴らしい城が茨城県にはあったのですね。杉山城を彷彿とさせる空堀の折れ。城がコンパクトにまとまっていますので、土の城の魅力を短時間で存分に味わうことができるこれ以上の物件はないかもしれません。ぽつぽつと雨が落ちだしてきたので後ろ髪をひかれつつそそくさと撤収いたしました。翌日は朝から雨が降っていたのですべての城攻め計画を反故にしてホテルの無料朝食をいただいてから帰路に着きました。

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赤い城

羽床上城 香川県綾歌郡綾川町 (2025/03/15 訪問)

城びと未登録城です。
八坂神社が城跡ですが駐車場は無く、少し離れた場所に車を置きます。
城跡の下には民家があり、その手前の道を登ります。
登ったところが主郭で八坂神社が鎮座します。

神社の下に鞍部があり、南東側も小高くなり、曲輪の跡と思われます。
この曲輪跡の先に鳥居が建っています。
3つの曲輪で成る館跡であったと思われます。
帰りは鞍部から下り、民家の前を通らせて頂きました。
城主は羽床氏家臣の今滝氏とされています。

近くには釜玉発祥の有名店山越うどんさんがあります。
この日も早くから行列ができてました。
美味しいですよ。

【見どころ】
 ・3つの曲輪跡

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Tokyobay

「丸の内」は江戸城内? (2025/03/31 訪問)

「丸の内」は桜が満開だが、「丸の内」の「丸」って、本丸、西の丸、北の丸の「丸」であり、「丸の内」は江戸城内という意味であるということをこの度初めて知って、ちょっと驚いた次第。城ファンなら常識???数寄屋橋や鍛冶橋門や呉服橋あたりの外濠までが「城内」だったとすると、JRの先までは城内ということになり、言われてみれば当たり前なんだが、「丸の内」という地名に何ら疑問を持たずにこれまで生きてきたことが、なんだか変な気持ちになる。

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