壇之浦古戦場跡から徒歩20分弱で、石碑説明板付近(33.973908、130.970434)に着きました。
前田台場は、1863年(文久3年)に長州藩によって築かれました。1863年(文久3年)長州藩は攘夷を決行して外国船への砲撃を行ったが、フランス軍艦に報復攻撃され前田台場は占領されました。
米仏の報復攻撃を受けた長州藩は、高杉晋作に下関の防衛をまかせ、高杉は志願兵による奇兵隊を結成します。長州藩は前田砲台を修復するなどして、さらなる攘夷実行に向けて体制を整えました。
翌1864年(元治元年)駐日イギリス公使オールコックは、日本の開国の障害となっている長州を武力攻撃することを決意。
フランス、オランダ、アメリカもこれに同調し、前田台場は1864年(元治元年)英・仏・蘭・米四国連合艦隊による攻撃を受け、再度占拠されました。
連合艦隊の旗艦ユーライアラス号の艦上で講和談判が行われ、長州側からは高杉が使節として交渉に臨んだ。その結果、賠償金300万ドルの支払いなどを条件として講和が成立した。
以上の一連の経過を下関戦争といいます。また、1863年(文久3年)の事件を下関事件、1864年(元治元年)の事件を四国艦隊下関砲撃事件と区別して呼ぶ場合もあるそうです。
前田台場は、長州藩が築いた十数か所の砲台の一つで、茶臼山の南西麓、関門海峡に面する位置にあります。
この場所にはかつて長府毛利家の御茶屋があり、古くは奈良時代の古瓦も出土しているそうです。
現在は史跡公園となり、低台場に石碑と案内板が立てられています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=櫛崎城を攻城する為、前田バス停からサンデン交通バスを利用して市立美術館・関門医療センター前バス停へ向かいました。
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