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稲垣氏の城 (2026/02/07 訪問)

 稲垣氏の城と伝わっています。登城口の目の前に三の郭があり、大手口、二の郭を経由して本郭へ行くことができます。本郭は見事な土塁で囲まれていました。本郭の西側には二カ所の堀切と西の郭があり尾根筋を防御しています。本郭を囲む土塁と一の堀切が見どころだと思います。空堀のある北側に行きました。空堀はそれなりに残っていましたが、浅くなっていておまけに藪になっていました。写真ではほとんどわかりません。また空堀石柱付近で武者隠し遺構という石柱をみつけました。やはり藪になっていてどこが武者隠しなのかわかりません。空堀周辺を除けば曲輪や土塁などが各所に残っていて楽しく散策できました。
 整備されていない所もありますが、標識もあり概ね見学しやすい城址です。

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送りバント

20171220基肄城(佐賀県三養基郡基山町) (2017/12/20 訪問)

古代山城特有の壮大な水門石垣は必見

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20200224岸岳城(佐賀県唐津市) (2020/02/24 訪問)

岸岳の山頂尾根全体に弓状に築かれ、西端の旗竿石から東端の姫落しまで延々1キロにわたって見事な遺構が残る。石垣造りの堀切、曲輪下に残る折れの付いた高石垣、城域両端からの眺望など、とにかく見所の多い名城

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廃墟となった別荘分譲地を抜けてアプローチ (2026/02/06 訪問)

 ぴーかるさんの前例に倣って、廃墟となった別荘が点在する西側からアプローチして楽しました。ただし、道路はけっこう荒れてきていたので、城域の1kmほど手前に車を置いて、歩いていきました。
 舗装道から、緩斜面を行くと、主郭西の二郭に入るのですが、城びと先人指摘のように土塁や堀切がなく、郭の内側に、郭内を削平した結果の段差だけがあります。一方、主郭の切岸はしっかり作りこまれています。主郭南の枡形虎口も良いですね。
 国道165号線から分岐する進入道に青山高校の門柱が立っており、また、その先の道の脇にも高校の施設があり、気になりましたが、城に向かって分岐するところの先にゲートがあり、そこから先が関係者以外立ち入り禁止のようでした。
 しんちゃんさん、消息を気にしています。

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ヒロケン

空堀の遺構がよく残る山城 (2026/01/10 訪問)

豊田城は奈良県天理市にある山城で、室町時代中期に興福寺の衆徒として布留郷に勢力を誇っていた豪族、豊田氏の居城です。標高180mの丘陵上にあり、郭と空堀、土塁がよく残っています。頂部に本丸を配し、その本丸と各郭を囲む空堀は圧巻で見応えが十分にあります。
ですが、整備などされておらず、空堀には倒木(画像6)、各郭には笹が生い茂り背丈ほどのところもあり(画像10)、とても入って行ける様にはありませんでした。

イオさんの2025年5月11日投稿の画像1の竪堀を見て、「行ってみたい」城として機会を伺っていました、どの方の投稿を拝見しても倒木と藪が酷いとのこと、冬期に行かれることをお勧めとのことでしたので、2026年1月10日大和郡山城訪問後に豊田城に行ってきました。
倒木と藪が酷い状態でしたが、それを差し引いても、この竪堀、空堀群は素晴らしく行って良かったと思っています。駐車場等を含め、整備されることを願っています。

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送りバント

20191223おつぼ山神籠石(佐賀県武雄市) (2019/12/23 訪問)

第二水門から時計回りに列石に沿ってのんびり一周。「史跡 おつぼ山神籠石 道標」という石碑が至る所に建っているので、迷うことはない。見どころは、各所にかなり残る列石と第一水門

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20050404小丸山城(石川県七尾市) (2005/04/04 訪問)

七尾駅から歩いて訪問。桜の開花を待ちわびる公園…そんな印象

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20181019金沢城(石川県金沢市) (2018/10/19 訪問)

8ヶ月振りの訪問。色紙短冊積石垣など、以前訪問時に見ていなかった城址南側を中心にのんびり早朝散策

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20180211金沢城(石川県金沢市) (2018/02/11 訪問)

団体旅行中に短時間の単独行動。白い雪に映えるカラフルな石垣が見事

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小城小次郎

とことん佐竹氏とともに (2025/04/13 訪問)

藤原秀郷の流れを汲み佐竹氏より古くから常陸国にいて「太田太夫」を名乗っていた一族が佐竹氏に太田を譲って(取られて)小野崎に移ったのが小野崎氏の始まりだとか。よく最後まで佐竹氏に従ったものだ。

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送りバント

20031108広島城(広島県広島市中区) (2003/11/08 訪問)

夜行バスで早朝到着し、バスセンターから歩いて直行。時間が早すぎて外から眺めるだけとなったが、落ち着いた雰囲気の復元天守が良い感じ

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ぴーかる

笠間城 (2025/12/28 訪問)

【続百名城82城目】
<駐車場他>千人溜駐車場数十台分あり。
<交通手段>車

<見所>土塁・石垣跡
<感想>1泊2日東関東旅第2弾ラスト3城目。かさま歴史交流館が年末で閉館していたので御城印が買えずスタンプ押印し城跡へ。駐車場から大手門跡⇒主郭⇒主郭西端曲輪と虎口⇒天守台へ。天守台は地震の影響で手前から閉鎖中で残念。⇒主郭土塁上へ⇒北西側の段曲輪群⇒二の丸跡を見落としていたので戻り(二の丸跡は藪化)、主郭虎口も見落としていてヤバイとこだった。⇒正福寺跡を見て終了。大手門跡の石積みと大空堀は見事、また主郭虎口の石積み枡形遺構も良く残っていて見応えありました。天守跡には登れませんでしたが、周辺の石垣は自然石との組み合わせになっていて、ミニ備中松山城のような感じで良かった。
 これにて茨城県の百・続百名城制覇。また関東地方も制覇し、残る百・続百名城の北の場所は東北地方から北となりました。走行距離1543㎞無事走破。

<満足度>★★☆
<グルメ>道の駅かさまに寄りました。笠間栗が有名で道の駅のワゴンカー販売のモンブランは盛り塩程度の小ささで、えらく値段が高かったので、店内で別の種類の冷凍したやつを購入し、帰りの高速道で運転疲れの時に自然解凍していたので食べました。

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カズサン

鳥羽山城-7/7 本丸大手枡形大手門跡編 (2025/02/25 訪問)

 鳥羽山城-6/7 本丸大手枡形一の門虎口編の続です。

 鳥羽山城大手道、大手枡形一の門虎口を経て大手門枡形大手門跡に着きます、春の桜、夏のみどり楓、秋の楓の紅葉と四季折々の見所が有ります、大手門跡は本丸東城塁石垣南端塁台?と本丸南城塁石垣東端塁台?に挟まれた本丸南東エリアが枡形を構築しています、大手門跡は枡形の北に位置し周囲は石垣で構えられて居ます。 
 
 鳥羽山城を7編に分けて投稿しました、冬枯れ、草刈り、灌木伐採剪定されていて石垣、土塁、堀切など大変見易く成って居た時期の探訪でした。長々との投稿ご覧頂きありがとうございました。
 
 昨年秋ごろより二俣城、鳥羽山城の景観整備の樹木伐採、選定がされて居ましたが今年1月末には作業が終わって居ますので、少し温かく成った2月末から3月初め頃に二俣城。鳥羽山城を訪れて探訪報告投稿をさせて頂きます。
    

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カズサン

鳥羽山城-6/7 本丸大手枡形一の門虎口編 (2025/02/25 訪問)

 鳥羽山城-5/7 大手道と堀切編の続です。

 大手道を本丸東側土塁石垣の城塁に突当り、南へ折れると大手門枡形を構築する一の門虎口に当たります、本丸東城塁石垣の南へ突き出した城塁石垣と南側の石垣塁との間に虎口があり一の門に当たる?のでしょうか、門跡が在ったかどうかは分かりませんが虎口です。
 その虎口周りと東の丸Ⅰ、東の丸Ⅱの内部写真も投稿します。

 鳥羽山城-7/7 本丸大手枡形大手門跡編に続きます。
 

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カズサン

鳥羽山城-5/7 大手道と堀切編 (2025/02/25 訪問)

 鳥羽山城-4/7 搦手門と西の丸Ⅰ編の続です。

 鳥羽山城の大手道は規模は違えど小牧山城の大手道階段、安土城の大手道石段と同じ直線大手道です、掘尾氏が改修した鳥羽山城は掘尾氏が体験した、小牧山城、安土城の影響は受けていたのでしょう。
 発掘調査で従来からあった大手道石畳道の幅より広く6mを超えるほどの大手道が発見、同左右の根石部が出土しています、大手道の左右は北側に東の丸Ⅰ、南側に東の丸Ⅱが構えて横矢掛り、大手道奥は本丸東土塁石垣が正面に構えて一つの枡形虎口を構成しています、優雅な中にも厳しい防御構造です。大手道奥に一本の桜が有りましたが老木と成り朽ちて数年前に伐採されてしまいました、そのお陰で大手道を進み本丸東土塁石垣が正面に防御する本来の姿がよく体現できます。
 大手道の手前には北側尾根筋東に向かって二本の堀切が残って居ます、更に東には登城道路に成って居る大堀切道?が有り見事なものです、往時に堀切が有り登城道路に利用活用したものなのか?は判りませんが大堀切です。
 
 鳥羽山城-6/7 本丸大手枡形一の門虎口編に続く。
  

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送りバント

20170821飫肥城(宮崎県日南市) (2017/08/21 訪問)

小雨降る中だったが、城内に広がる緑の苔とマッチしていい感じ。旧本丸に乱立する飫肥杉は圧巻

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20220720都於郡城(宮崎県西都市) (2022/07/20 訪問)

あいにく雨天の訪問だったが、それを帳消しにするほど圧倒的で豪快な城址。深く大きな堀、高くそびえ立つ切岸、存在感ある各曲輪の土塁…とにかく素晴らしい

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本多忠政 (2026/02/05 訪問)

 特別公開されている小天守等を見るために登城しましたが、もちろん城内の他の場所も見学しています。天守閣、櫓等の他にも石垣、堀など魅力的な所も多い城ですが、時間の都合もありさらりと見学しました。

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冬の特別公開(全小天守特別公開) (2026/02/05 訪問)

 冬の特別公開に行って来ました。普段は公開されていない全小天守(東小天守・乾小天守・西小天守)とイ・ロ・ハの渡櫓の6棟が公開されています。西小天守以外は入るのは初めてです。
いろいろと写真は撮ったのですが、人気の城で見学者も多く、内部の見学では撮影すると人が、かなり写りこんでいたため投稿しずらいものもありました。
 最近は2月の特別公開の時期には3年続けて登城しています。こういう企画はうれしいですね。

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トク

130【関ケ原の26人】(26人目)井伊直政(最終回) (長松院と彦根城博物館)

彦根城そばにある「長松院」を訪れてきました。ここは今では彦根商店街の中心に位置していますが、当時は芹川の三角州だった場所で、直政の遺言により遺体はこの河原で荼毘に伏されたそうです。そしてその地に現在は長松院が建てられています(写真①②③)。

最後に、「彦根城博物館」を訪れました。そして井伊の鎧兜の前に立ち、この赤備えを身につけて駆け回る直政の姿を想像してみました(写真④⑤⑥⑦)。そして天守最上階から佐和山を眺めながら考えてみました(写真⑧)。直政は死の直前、自分の人生をいったいどのように振り返っていたのでしょうか?

家康に15才で仕え、そして武田との戦いから関ケ原まで25年間、常に家康の傍を離れず、家康のために戦い続け、その家康が天下を取ったのを最後に見届ける事ができました。わずか42才の若さでこの世を去る事になろうとも、「我が人生に悔いなし」と、あの佐和山で家康との25年間を思い浮かべながら、息を引き取ったたのではないでしょうか?

家康が生前に語った言葉として、【徳川実記】にはこう書かれているそうです。

  幕府を開くにあたっての
  一番の功労者は
  井伊直政である

私はこの井伊直政に、関ケ原のMVP(最高殊勲武将賞)を贈り、この話を終わらせて頂こうと思います。【関ケ原の26人】全130話、3年間にわたり長々と読んで頂き、大変ありがとうございました。また私の意見を不快に思われた方もいらっしゃるかとも思います。また事実と異なる内容もあるかもしれませんが、そこはあくまで個人的な視点での見解でありますので何卒御容赦願いたいと思います。


【関ケ原の26人:最終結果発表】です。
これもあくまで独断と偏見で決めた結果なのでお許し下さい。

(1人目)小早川秀秋
(2人目)吉川広家
(3人目)福島正則(敢闘賞)
(4人目)織田秀信
(5人目)島左近
(6人目)京極高次(殊勲賞)
(7人目)細川忠興
(8人目)小西行長
(9人目)宇喜多秀家
(10人目)竹中重門
(11人目)鳥居元忠(敢闘賞)
(12人目)田中吉政(好プレー賞)
(13人目)平塚為広
(14人目)池田輝政
(15人目)加藤嘉明
(16人目)黒田長政(殊勲賞)
(17人目)本多忠勝
(18人目)大谷吉継(敢闘賞)
(19人目)藤堂高虎(好プレー賞)
(20人目)山内一豊
(21人目)徳川家康
(22人目)毛利輝元
(23人目)石田三成(敢闘賞)
(24人目)島津義弘(敢闘賞)
(25人目)島津豊久(トク別賞)
(26人目)井伊直政(MVP最高殊勲武将賞)

以上でこのシリーズを終わらせていただきます。
長々と、大変ありがとうございました。
【完】

次は、大友宗麟の生涯をたどる旅へ出かけます。
 

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