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今川義元が桶狭間に向けて出立した城 (2026/08/13 訪問)

 以前に、桶狭間周辺の城塞を巡った際に、今川義元が発った沓掛城に行けてませんでした。現地は良く手入れされてました。堀を挟んで本丸西の慈光寺の長い白壁が城のよう。
 置かれていた資料に、西に少し離れた正福寺にも土塁と堀跡があるとあったので、見に行きました。本丸から100mほど離れており、沓掛城が大きかったことがわかります。
 SNSは避けていたのですが、大阪お城フェスのカルタ大会で、にのまるさんと肥後の城好きさんの会話を聞いて、Xに参入しました。

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イオ

敗者が再起を図る城 (2026/03/01 訪問)

平安後期に湯浅党他門の宮原氏が岩室山頂部に築いた城で、屋島の戦いから逃れ湯浅宗重を頼った平忠房が籠城したとされます。室町中期には守護・畠山氏の城となり、畠山政国は岩室城で没し、畠山高政も高屋城から岩室城に逃れてきています。その後、羽柴秀吉の紀州攻めで落城し廃城となったようです。

山頂近くまで舗装道が通じていますが、みかん山の作業道で道幅は狭そうなので、大事をとって南麓の公民館の駐車場から歩いて登城しました。作業道を進み防獣ゲートを抜けて、駐車場から約35分で山頂近くの登城口に到着。確かに道幅は狭く急カーブの連続でしたが、コンパクトカーまでなら問題なかったようにも思います。登城口前には6台分ほどの駐車スペースがあり、文字の消えかかった説明板が立てられていました。そして登城口のゲートを開閉して城内へ。

主郭部は東西4段の曲輪からなり、有田川流域から紀伊水道までを見渡す眺望が開けています。最高所の主郭は北辺に土塁をめぐらせ、どういう謂れのものか墓石が建てられていました。南東へ下る尾根筋には幾段かの曲輪が連なり、防獣柵で囲まれたみかん畑の中に城趾石碑が立てられています。南東尾根の先端には竪堀や石積があるようですが、防獣柵越しには確認できませんでした。主郭部まで戻って今度は南西尾根へ。主郭部と南西尾根の間には大きな堀切が設けられ、尾根を進むと岩盤を削り残した西端の曲輪があります。西端の曲輪の先は両端が喰い違い状の竪堀となった堀切で城域を区切り、西端の曲輪西面には堀切を掘り抜いた際の石材を用いた石積が施されていました。

堀切を越えて尾根筋をさらに南西に進むと、江戸後期の徳本上人練行の遺跡があり、眼下を見渡すと登ってくる時に見上げた山頂付近の岩盤の上に立っていることがわかります。岩室城は眺望に優れ、南面は断崖絶壁、なるほど平安末期の昔から戦いに敗れた者たちが再起を図った要害堅固な城であることを実感しました。
 

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赤い城

本能寺 京都市中京区 (2026/07/18 訪問)

出張の後、後泊して京都をぶらぶらしました。
新大阪のホテルに宿泊、荷物はコインロッカーに預けて朝イチで京都に向かいます。
まずは腹ごしらえ、京都駅近くの第一旭へ向かいました。
朝6時開店で着いた時にはすでに開店後、この時間でも行列ができていました。

満たされて城びと未登録の本能寺へ。
まずは現在の本能寺を訪問しました。
本能寺の変の後、秀吉の都市計画により移転しています。
現在の本堂は昭和初期に建てられたものですが雰囲気のあるお寺です。
境内には信長の供養塔もあります。

本能寺の跡地はここから南西に徒歩で25分。
高齢者福祉施設本能や堀川高等学校本能学舎の周辺で石碑が立っています。
今回の大河ドラマでも存在感のあった信長、その最期の地ということを想像すると感慨深いものがありました。

【見どころ】
 ・石碑

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六文銭

しんど〜〜💦💦 (2026/08/24 訪問)

四條畷神社から城攻70分 山頂314m33℃ 下山50分

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たか

盛岡城から近いので (2026/08/10 訪問)

盛岡城のあとに近いので厨川柵に行きました。
最初はナビ設定したのですがよくわからず通り過ぎてしまいました。
一旦戻って車から降りて徒歩で行くと案内板がありました。
よく見ると空堀がしっかりとあります。

そこから安倍館稲荷神社の方へ歩き北上川沿いのところを少し降りると自然を利用した水堀です。

現在は民家や保育園などがあり少しわかりずらいところもありますが遺構はしっかりと残っており来てよかったと思いました。

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たか

南部御城印プロジェクト⑥ (2026/08/10 訪問)

本日はお休みを頂いて昨日に引き続き南部家の旅です。
朝イチで盛岡城へ北上から出陣です。
車を岩手公園地下駐車場に停めて「もりおか歴史文化館」が開館するまで先に攻城スタートです。

ホタルの里で故郷を思い出して綺麗な小川を見ていました。
ホタルについての説明書きがあり、むかし教わったヘイケボタルとゲンジボタルの違いを思い出しました。
ちなみに梅雨時期にゆっくりと長く光るのがゲンジボタルで梅雨明け時期くらいにチカチカ光るのがヘイケボタル。
ゲンジボタルが大きくてヘイケボタルが小さいのと、光の明るさを踏まえて平家を滅ぼしたからゲンジボタルと名付けたと小学校の先生だったかな…

盛岡城はやはり立派な石垣!
腰郭をまわりながら石垣を観察。
しっかりとクサビ跡もあってかっこいい!

本丸跡で台座しかない像?を発見。
調べてみると戦争の際に金属供出で無くなったことがわかりました。
これはこれで歴史を考える際にインパクトになります。

その後まだ涼しい時間二の丸、三の丸と見てまわり歴史文化会館が開館したのでスタンプと御城印をGET!
再度公園内を見ながら駐車場に戻り終了としました。

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朝田 辰兵衛

かるた大会動画,拝見しました…

かるた大会動画,拝見しました。
バッチリ,イオさんの凛々しいお姿を確認いたしました。対面がにのまるさんですネ。あさんは面識がないですが,おそらくイオさんの右隣りではないでしょうか…?
もう少し長めの動画が欲しかったナ…。

にのまるさんへ…
岸岳城,強力なガイドを擁すれば,登城可能ではないかと思います。水分量は【2L】あれば充分かと。
私は夏場の登城&比較的軽く見積もっていたことが,反省要因です。
ただし,姫落とし岩によじ登ることは,あきらめてください。急に突風が吹いてくることも考えられますので,責任が持てません…。
また,鬼子嶽末孫の碑も,片側が崖なので,風の強い日はスルーしたほうが宜しいかと思います。
どちらかというと,投稿準備中の「鷹取城」のほうが,にのまるさん的には苦手と推察します。
沢を渡る木橋などが連発します。いちおう,全ポイント撮影しており,失敗画像がないことも確認済。
あとは,何部構成にしようかな…と考えていたところです。もう少々お待ちください…。

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T-Shionoya

信長・秀吉の付城・陣城!! (2026/08/23 訪問)

陣城の最新情報をまとめて入手できる良い機会でしたので、本日は兵庫県の三木市へ。

最もおもしろかったのは、備中高松城攻めの陣城群。織田方と毛利方の陣城築城戦が行われていたとは全く知りませんでした。
そして織田方は小型で単純・近距離間隔で多数、毛利方は大型で複雑・遠距離間隔で少数、という対照的な築き方。これには立場の違いもあったようですが...

大変勉強になった1日でした。

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にのまる

真夏の城散歩 (2026/07/07 訪問)

先月、実家滞在中に隙を見て行ってきました。

はじめに南部小学校に現存している奥平中津藩家老生田家の門を見学し、中津城の復元された“東側の石垣”へ。写真つきの石垣解説がとても理解しやすかったです。

水御門、中津神社から川沿いの石垣見学へと進みました。
古代山城の石垣と鉄門跡。石垣で塞がれてしまった現在の姿が最終形態のようです。二度と通ることのできない開かずの門を脳内で鉄扉に変換してみました。

黒田と細川の境目の石垣、官兵衛とてるさんの真っ白な像ははずせないチェックポイントです。天守内(奥平家歴史資料館)は前回見学して写真もたくさん撮ったので今回はスタンプだけにしました。
今回じっくり見たのは扇型の石垣があったという椎木門です。刻印や矢穴跡、扉跡に当時の石工さんたちを感じることができました。

大手門から退場したあと、徒歩で福沢諭吉旧居・福沢記念館へ向かいました。町並みの美しさ、統一感が素晴らしかったです。歩きながら、中津城下を大切に思う人たちの気持ちがこの美しい景観を作り上げたのだろうなと感じました。
福沢記念館を見学後は「学問のすゝめ」を読みたくなり青空文庫を開いていますが、深すぎて理解するのに時間がかかり、スラスラとは読めていないです。

そろそろ帰ろうかと中津駅に向かって歩いていると【中津城おかこい山→】の案内板が目に入りました。
導かれるままに行ってみると少し奥まったところに小さな土塁がありました(鷹匠町の土塁)。2.4kmに及ぶ外堀の土塁の一部で、現在僅かに残る他の土塁とも一続きだったことが絵図から確認できるそうです。現存土塁の上に復元したと書かれていました。
中堀の土塁も三ノ丁に残っているそうですがそちらは気づきませんでした。

この日は中津城のみで終了としましたが、往復ソニックにも乗ったし、いい一日でした😊


朝田さん、
“幻のかるた札”の存在をすっかり忘れていました。ご投稿を読む限り私には登城は無理っぽいです。
リュックの外ポケットに入れたペットボトルを落とした経験は私もあります。よりによって一宮城(徳島)。あの時のショックと言ったら……。
意外と気づかないものなのでしょうか?以来ホルダーでがっしり固定しています。
別の某城で湧水を飲もうとしたときはカラスが水浴びを始めたので諦めました。
おかげさまでいろいろ思い出しました😊

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天守無しがアツい

幸せの鈴 (2026/08/16 訪問)

願いが叶ったら、是非おしゃれ横丁内の北條氏政、氏照公の墓所に納めに来て、お参りして下さい。
更なる御利益がある事でしょう。

1年前におしゃれ横丁内の靴屋で購入🛎️
願いが叶ったので…墓所の鈴がたくさん結んであるところに私もそうして…再度墓参りをした🪦

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チェブ

青い植木鉢が夏休みを待ってました。 (2026/07/04 訪問)

「御前城」は『氏家小学校』に土塁があります。
との皆さんの投稿に、今日は土曜日だけど大丈夫かな?と、心配しながら進軍しました。
「御前城」の駐車場はもちろん、ありません。
近くの『今宮神社』の駐車場をお借りしました。
『今宮神社』には後でお礼を゙するととして、まずは「御前城」の土塁と目指します。
『今宮神社』から真っ直ぐ歩いて右折すれば、小学校なのに、違う道を曲がってしまいました。
遠くからでも、土塁は見えます。
振り出しに戻り、小学校に到着。
高い建物がなく、『せいきん』という、石造りの酒造の蔵がありました。その先を右です。
、、、氏家小学校入口という信号機があります。はい。

恐る恐る小学校の敷地内に入ると、車両進入禁止の下に「御前城」の案内板がありましたので、右折し土塁へと到着できました。
土塁はロープが巡ってました。子供達が登らない用か、お城好きが登らない用か、保全用か。
そして土塁前には、青いプラスチック製の植木鉢がたくさん並んでました。◯年◯組 ◯◯◯◯◯◯と、幼い文字で書いてあり、写真は控えました。
植木鉢の植物はアサガオではなく、ナスでした。観察したら食べられます。いいなーナス。

ほっこりした気分で、『今宮神社』にお礼に行きました。
神社から「御前城」まで、どなたとも会いませんでしたが、『今宮神社』にはお参りされている方々が、4組いらっしゃいました。
こちらの『今宮神社』は鎌倉時代後期に氏家氏により遷宮と大造営が行われたそうです。
「御前城」は氏家 公頼さんが築城しましたので、関係が深いです。

暑くて、キッチンでガスをなるべく使わないでいたら、夏バテ気味になりました。ご飯は大事を暑さのせいで忘れたふりをしてました。
昨日今日と東京の端っこは、30度に届きません。
今更ながら夏野菜を買い込み、栄養補給をしようと奮闘しました。

あの、ナス達はどんな料理になったんだろう?
子供達の学習を見守る「御前城」でした。

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ぴーかる

刑原城 (2026/06/14 訪問)

【刑原城】
<駐車場他>城跡の所まで車で行けるが、車体の長い車は無理そう。
<交通手段>車

<感想>1泊2日東海ちょこ城道中15城目。形原城の詳細は添付写真の現地説明板をご覧下さい。現地は神社になっていて、駐車した下段の腰曲輪を散策して頂上に登ろうとしたら奥の山の方の道から野犬と鉢合わせしてビックリ、むこうから逃げてくれたのでよかったのですが、仲間を連れ戻ってきたら嫌なので周囲を散策できずでした。後で見直してあまり遺構は残っていないようなので良かった。本光寺あじさい寺に行けなかったのですが、ここの鳥居の横に綺麗にあじさいがあったので充分でした。山頂の主郭は切り開いた部分は小さく、あまり城跡感は無かったです。

<満足度>◆◇◇

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松平元康 (2026/08/22 訪問)

 久しぶりの登城です。
桶狭間の戦いの前哨戦として今川義元の配下であった松平元康が兵糧入れを行ったことで知られている城で、現在は大高城址公園として整備されています。曲輪跡や空堀などの遺構を見ることができ、見どころは二の丸と三の丸の間にある土橋の両側にある空堀で深さ7mくらいあり見応えがあります。西北にのびる空堀は北側の曲輪から下りて行けるのですが、南東にある空堀は下りていく場所が見つけられませんでした。海岸寺周辺の墓地付近から入る道があるのかもしれませんが、今回は行っていません。

 夏の古戦場散歩と称して桶狭間周辺を歩いて来ました。といってもこの城と丸根砦、鷲津砦だけです。名古屋の夏も暑いので無理しないで歩いています。

 JR大高駅より徒歩約10分で登城口に行くことができます。

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佐久間盛重 (2026/08/22 訪問)

 夏の古戦場散歩。久しぶりの丸根砦です。
永禄二年(1559)織田信長が、今川義元の尾張侵攻に備えて築いた砦のひとつです。砦の規模は、東西36メートル、南北28メートルの単郭で周囲に外堀をめぐらしていました。単郭ですが、名称のように円形を呈していました。
 永禄三年桶狭間の戦いのとき、佐久間盛重ら織田方が立てこもりましたが、松平元康の軍と激戦の末、全滅したと伝わっています。

 鷲津砦から徒歩10分くらい、JR大高駅からは15分くらいで行くことができます。

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飯尾定宗 (2026/08/22 訪問)

 夏の古戦場散歩。久しぶりの鷲津砦です。
織田信長が今川氏の尾張侵攻に対抗するために築いた砦です。今川方の大高城を牽制するため、永禄二年(1559)に織田方により築かれました。永禄三年(1560) 桶狭間の戦いでは飯尾定宗らが立て籠り、今川氏の重い臣朝比奈泰能の軍勢に攻められ落とされました。単郭の砦で馬出もあったようですが、現在、遺構はありません。遺構を思わせる地形もありますが、当時のものではないようです。
 飯尾定宗という人物は織田敏定の子で織田信秀の叔父、または敏定の孫で信秀の従兄弟という説がありますが、年代からは後者のほうが有力とされています。奥田城主となり、尾張守護である斯波氏の一族とされる土豪飯尾氏の養子となったと伝わります。

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本日の大河ドラマの舞台 行市山砦(佐久間盛政陣) (2026/08/22 訪問)

 前田利家、利長の陣・別所山砦(標高444m)から、さらに奥の高い行市山を目指します。山頂まで1200mの表示があります。
ちょうど中間地点に行市山南砦があります。北側の食い違い堀切が秀逸ですが、堀と土塁もしっかり作られています。その他にも道沿いに人工的っぽい構造が散見されます。道中に展望が効くところがありました。羽柴側の陣城を見下ろすことができます。
 行市山砦の主体は、頂上の手前に展開しており、写真5の頂上まで200m表示場所がⅠ郭虎口前の郭にあたります。登山道の延長線上に土塁を登る階段が作られていますが、本来の虎口はこれでなく、左手に回り込み、堀が途切れたところです。城域は、比較的狭く、44.16m×17.3mと。Ⅰ郭の北に堀切があり、その先にはげ山となった頂上があります。頂上は比較的平坦で、駐屯地にしていたものと思います。また、その先は、柴田勝家がいた玄蕃尾城に続く幅3間、距離1里半の軍道があったとのこと。
 佐久間盛政の軍勢は、5000~6000人、もしくは1万人とされますが、行市山砦は比較的狭く、行市山南砦のように、山の要所要所に出丸、駐屯地があったと考えられています。同じ道を下って行ったのですが、一時、道を見失いひやっとしました。

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本日の大河ドラマの舞台 別所山砦(前田利家、利長陣) (2026/08/22 訪問)

 オリジナルストーリー(明智光秀役の要潤の表現)満載の豊臣兄弟。困ったものですが毎回見てます。2021年に、城びと登録の東野山城、田上山城を巡った後、賤ヶ岳の合戦の城びと未登録の他の砦にも興味はあったのですが、薮化しているのではないかと勝手に想像して行ってませんでした。長浜の大河ドラマ館訪問時に、近くの喫茶店・本屋で、地元情報誌「み~な」の近江城郭発見伝号を目にして購入したところ、「賤ヶ岳合戦 両軍前線の山城をゆく」記事がありました。羽柴側の堂木山砦、神明山砦、柴田側の別所山砦、行市山砦の紹介があり、登城道も載ってました。大河ドラマの進展に合わせたわけではないですが、昨日、それらの砦を訪問しました。まず、365号線沿いの長浜市余呉支所敷地内の賤ヶ岳戦国ステーションを訪問(無料)。ボランティアの方々が頑張っておられます。次々と客も来られてました。
 行市山砦は、毛受兄弟の墓から2時間ほどの登山になるそうですが、小谷バス停すぐ北側の橋を渡ったところが起点の林道で行くと、残り1600m(別所山砦まで400m)のところまで車で行くことができると「み~な」にありました。普通乗用車ではちと厳しい荒れ方ですが、軽やバイクならOKなレベルかと。
 堀と土塁がしっかり残っています。柴田側の砦は土塁囲みの単郭が基調だが、壮大な連珠陣地を構築していると説明板にあります。別所山砦は、34.77m×36.6mの四角形が基本ながら、南東角、南西角の土塁が凹み、横矢掛かりになっています。東側には、兵の駐屯地であった削平地の段々があります。郭外南西に行市山砦まで1200mの表示があり、次に行市山砦を目指します。

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じゅんじん

多賀サービスエリア (2026/05/03 訪問)

ドッグランや休憩所になっております。

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じゅんじん

鐘の丸売店 (2026/05/03 訪問)

鐘の丸売店が閉店なので行きました。11年ぶりぐらいです。天守から降りたら80分待ちでした・・・

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じゅんじん

御殿内部 (2026/04/29 訪問)

加藤先生が1万石ぐらいの小藩の御殿が残るのは大変貴重と話されていました。やっと訪れました。春町の展示もありました。

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