現地の案内板によれば、日比谷門の名の由来は中世のこの地域に日比谷村があったことに由来するようです。慶長19年(1614)に熊本藩主加藤忠広によって石垣が築かれ、寛永5年(1628)に仙台藩主伊達政宗によって門の石垣が築かれたようです。
現在は日比谷公園の心字池近くに石垣が残っており、心字池はかつての堀の名残のようです。
江戸城には外堀と内堀に沿って36の見附(城門)が有ったとされ、この日比谷御門だけが橋の無い枡形門であったようです。
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2026/01/07 21:09
日比谷見附 (2026/01/01 訪問)
現地の案内板によれば、日比谷門の名の由来は中世のこの地域に日比谷村があったことに由来するようです。慶長19年(1614)に熊本藩主加藤忠広によって石垣が築かれ、寛永5年(1628)に仙台藩主伊達政宗によって門の石垣が築かれたようです。
現在は日比谷公園の心字池近くに石垣が残っており、心字池はかつての堀の名残のようです。
江戸城には外堀と内堀に沿って36の見附(城門)が有ったとされ、この日比谷御門だけが橋の無い枡形門であったようです。
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2026/01/07 20:57
豊臣神社 (2025/12/30 訪問)
愛知県名古屋市の中村公園の中に豊国神社はあります。豊国神社と言えば京都や大阪城にあるものが有名ですが、中村区中村町の豊国神社もなかなかですよ。ここ中村町は豊臣秀吉の生まれた場所でもあります。
人気のある武将ですが、実はけっこうアンチも多かったりします。でも平民(足軽)の身分から天下を統一した天下人にまで上り詰めた人物なので私は天才中の天才だと思っています・・ただの「たらし」じゃありませんぞ。
大河だと、おっちょこちょい&お調子者な感じで、それをしっかり者の秀長が支えていくといった展開になるのでしょうか。
秀長の新たなヒーロー像にも期待しています。
大河ドラマ館も楽しみです、もうじき会館するのかな。加藤清正公の生誕地の近くでもあり、中村公園の中には秀吉清正記念館が建てられています。
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2026/01/07 13:02
2026/01/07 12:53
2026/01/07 12:43
美術館&亀城公園&歴史博物館 (2025/11/08 訪問)
刈谷市美術館を観覧の後、刈谷城跡である亀城公園を訪問しました。公園には建物は残っていませんが、隣にある歴史博物館で城の歴史や出土品などが観覧できました。
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2026/01/07 12:33
逸翁美術館&池田城跡公園 (2025/09/27 訪問)
逸翁美術館を観覧した後ですぐ隣にある池田城跡公園を訪問しました。建物は残されていませんが公園を見渡せる展望台があり、その下にある池では鯉に餌をあげることができます。
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2026/01/07 12:23
とても暑い日でした💦 (2025/07/29 訪問)
2025年7月、とても暑い日に大阪城とその周辺を訪問しました。まずは大阪歴史博物館で正倉院TheSHOWを観覧し、大阪城公園へ。大阪城はすごい人出で入城するまでにかなり待ちました。お城のあとは豊臣石垣館へ。こちらは人が少なくゆっくりと観覧できました。
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2026/01/07 12:02
人生を変えた障子堀 (2026/01/03 訪問)
山中城は人生二度目の訪問です。
以前は三島駅からバスで向かいましたが、今回は興国寺城と合わせて訪れたので、車で向かいました。
個人的な話になりますが、それまで土の城の魅力に気づいていなかった私が初めて魅せられたのがこの山中城でした。
そこから数々の城を訪れましたが、山中城の魅力は色褪せることはありませんでした。
一番の魅力は障子堀の美しさだと思います。
また、城跡全体も整備がいき届いていて見やすいですし、各所にある立て看板からは、執筆された方の熱意が伝わってきて、とても楽しく読ませてもらいました。
とはいえ、山間の城ですし、億劫に思われる方もいるかもしれません。
そのような方やライト層の方にもおすすめしたいのは富士山の眺めです。
障子堀がきれいに見られる西ノ丸や、本丸側から旧東海道を挟んで南にある岱崎出丸からはきれいな富士山を見ることが出来ます。
岱崎出丸には櫓台のように一段高くなっている場所も複数ありますので、その景色を見るためにも一度訪れてみてはいかがでしょうか。
ちなみに、この日の私のルートは、駐車場から先に岱崎出丸に向かい、そこから本丸側に戻り、西ノ丸→元西櫓→西櫓の帯曲輪→北条丸→本丸→天守台→北条丸に戻って虎口から箱井戸と移動しています。
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2026/01/07 11:45
見どころは景色と大空堀 (2026/01/03 訪問)
三島駅でレンタカーを借り、一路、興国寺城へと向かいました。
最終的に県道22号線を東から西に向けて進んだのですが、かなり道幅の狭い対向車のある道路ですので、不慣れな方は国道1号線から県道165号線を北進する方が良いかもしれません。
公道から一番近い駐車場に車を停め、二の丸、本丸と歩いて向かいました。
全体を覆っているわけではないですが、本丸の土塁は非常に高く、迫力があります。
そこから天守台跡に向かいました。
天守台跡から振り返ると、駿河湾に向けて道がまっすぐに伸びていますし、その奥に見える伊豆半島も相まってとても良い景色でした。
大空堀は非常に深く長さも残っています。
降りることが出来ますので、お見逃しのないように。
個人的には、天守台跡から大空堀に向かう途中で上から見える景色で、本丸東側の土塁越しに見る本丸の景色が気に入っています。
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2026/01/07 11:31
念願の小峯御鐘ノ台大堀切へ (2026/01/01 訪問)
今回の主目的は石垣山城だったのですが、以前、小田原城の見に行った際、時間の関係で行けなかった大堀切にも向かいました。
小田原駅からであれば、県立小田原高校方面に道を進めば辿り着けますが、かなりの坂道ではありますのでご注意を。
地元の方は「空堀」と呼ばれているそうなので、もしタクシーで行かれるならそのようにお伝えになるとスムーズかと思います。
私は石垣山城からでしたので、Googleマップ上は「小峯御鐘ノ台大堀切東堀」となっているスポットまで向かってもらい、そこから堀底を北端まで進みました。
現在でもかなりの高さで、当時はこのような堀が小田原城下を覆っていたのだと思うととてもワクワクしました。
私はその後、北端から小田原駅方面まで徒歩で戻り、駅近くの「天史朗鮨」さんでお寿司をいただきました。
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2026/01/07 11:17
相模湾と小田原城下を臨む景色◎ (2026/01/01 訪問)
小田原駅からタクシーでヨロイヅカファームを目指しました。
駅から石垣山城まではかなりの勾配を登ることになるので、徒歩よりも自動車がおすすめです。
ヨロイヅカファームは石垣山城に隣接したお店で、美味しいケーキやパンなどをいただけますし、駐車場内の公衆トイレ前には続百名城のスタンプも設置されています。
さて、本題の城跡ですが、駐車場から城跡に入って直ぐに南曲輪の石垣がお出迎えしてくれます。
所々崩れていますが、石垣の規模の大きさを感じさせてくれます。
私はそこから道なりに馬屋曲輪の石垣(野面積みの石垣がきれいに残っていてとても良い)→二の丸→南曲輪→本丸と進みました。
本丸には展望台も設置されていて、そこからは小田原城も見下ろせますし、その奥に広がる相模湾の景色も雄大で必見です。
その後、天守台跡→北側の虎口→井戸曲輪と進みました。
井戸曲輪も石垣の残りが非常によく、大満足でした。
なお、帰りのタクシーは迎車をお願いすることになりますから、早めに呼ばれることをおすすめします。
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2026/01/07 10:13
125【関ケ原の26人】(26)井伊直政 (島津の退き口(1/3))
(26人目)井伊直政の続き㉗です。
ここからは、直政がどのようにして島津を追い、そしていったいどこで狙撃されたのか? 島津の退き口は、以前「島津義弘」と「島津豊久」の逃げる側の視点で追って行きました。今度は「井伊直政」の追う側の視点で追って行きたいと思います。まず(家康陣→烏頭坂→琳光寺)です。
戦の大勢がほぼ決まり、気がつくと東軍に囲まれた島津隊ですが、島津義弘と島津豊久は逃げるのではなく、ここで何と家康の首めがけ一直線に徳川家康陣に攻め込みました。そしてあと一歩、家康の首まで50mの所まで迫った義弘ですが、もはやこれまでと井伊直政の前を猛スピードで素通りし伊勢街道の方向へ逃げ去ります。
この時、島津義弘家臣の「川上四郎兵衛」は、大胆にも家康の御前まで行き、こう奏上したそうです。
本来は東軍に加わるべきところ、
伏見城にて鳥居元忠に拒否されたため、
やむなく西軍に加わり申した。
関ケ原で家康様と戦う意思は
全く御座りませぬ。
後で薩摩の当主「義久」より
詫び状を送ります由、
ここは何卒、何卒お許し下され~!
と伝え、義弘の後を追って行きました(この川上四郎兵衛という男、この後も登場しますので名前を憶えておいて下さい)。目の前を猛スピードで横切る島津の軍勢を見た井伊直政と本多忠勝は、
待て~! 逃がすものか~!
とこれを追います。そして烏頭坂へ差しかかった時、ここで島津豊久は義弘に向かい、
島津家の存亡は、
義弘公の一身にかかっておりまする!
必ずや落ち延びて下され~!
と叫び、義弘を逃がすべく何と盾となり、島津究極の戦法「捨て奸(すてがまり)」を敢行します。しかし追う直政と忠勝は、ここで豊久には致命的な重傷を与えましたが、義弘・豊久を共に逃がしてしまいました。また忠勝は愛馬を撃たれ、ここで追うのを諦めてしまいます。しかし直政は諦めず、さらに追い続けます!
次に牧田の琳光寺まで追った所で、今度は義弘の家老「長寿院盛淳」が、義弘の陣羽織を身に着け
我こそは島津義弘なり~!
と叫び二度目の捨て奸を敢行します。そして壮絶な討死を遂げました。これによりかなりの時間をかせがれてしまい、直政は義弘を見失ってしまいました。この二度の恐れを知らぬ島津の捨て奸に、直政軍もかなりの死傷者を出したようです。しかし直政はまだまだ諦めません。思えばこの判断とここからの深追いが、命取りになったのやもしれません。
次は引き続き、直政を追って(勝地峠)へと向かいます。
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2026/01/07 07:16
2026年始・元日の両毛の攻城② (2026/01/01 訪問)
赤見城からの転戦です。織姫公園のもみじ駐車場に駐車しました。駐車時間は2時間以内との表示があります。主郭の北側の堀切まで2km近く歩かなくてはなりませんから、のんびりとはしていられません。堀切は岩を穿ったものでした。両崖山の山頂には木曽御嶽神社が鎮座しています。私にとって2026年の初詣ということになるのかな。元日から大勢の方が登られていました。人気のスポットのようですね。
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2026/01/06 21:55
切岸が圧巻 (2025/03/30 訪問)
織田方の伊勢侵攻、賤ヶ岳の戦い、小牧長久手の戦いといった重要局面で必ず攻め落とされるという苛烈な運命を辿ったお城。切岸は圧巻で伝・天守台から見下ろすと何で落とされるのかが不思議。もう少し整備が進めばなお良いと思う。
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2026/01/06 20:48
土塁愛😍 (2025/12/30 訪問)
久々に本證寺を訪れました。駐車場は地元のスーパーの「すずき」さんが無償で開放してくれているのでありがたく使わせていただきます。周囲を水堀を囲っていて江戸時代に建てられた鼓楼がいい味をだしていますが、やはりここは戦国時代から残る土塁と内堀が素晴らしい。境内の脇から抜けて北側に向かうと、そこに養生された土塁が有りました。大事にされてますね。
土塁は二重になっていて間は空堀になっています。
そこに愛はあるんか?・・有るじゃないですか。まごうことなき「土塁愛」がそこに有ると思います。
その後は「すずき」さんで麻婆豆腐の素(丸美屋)とトマトを買っていきました。
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2026/01/06 20:28
2026/01/06 20:18
気軽に楽しめる三河の山城 (2026/01/06 訪問)
山中城は標高200mの山上に位置する県下最大級の山城です(案内板より)。実際には他にも凄い山城はあると思うけど、比高もそれほど高くなく土塁や堀切などの遺構も残っていて、気軽に楽しめる城です。
正直、まだ耳鳴りが止まりません。ちょうど近くに寄ったのでリハビリがわりに訪問しました。築城は西郷氏、もしくは西郷氏の所領を引き継いだ岡崎松平氏ともされ、大永4年(1524)岡崎松平氏の居城であった山中城を安城松平家の松平清康が夜襲により掌握したとされています。後に今川氏の拠点となり、桶狭間の合戦の後は松平元康が奪い、今川・徳川の時代に改修を受け今の縄張りになったようです。
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2026/01/06 18:14
2026/01/06 17:51
石垣がすごい (2023/02/20 訪問)
天守曲輪の野面積みの石垣が思ったよりも素晴らしく感動しました
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2026/01/06 17:45
鳥居強右衛門にも会いに行きましょう (2023/02/20 訪問)
車で行く方は、近くにある鳥居強右衛門の磔死の磔や設楽原の戦いに用いられた馬防柵も見学する事をお勧めします。
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