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じゅんじん

定期 (2026/05/05 訪問)

1年ぶりの浜松城。ちょいよりしました。

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じゅんじん

3年ぶり (2026/05/06 訪問)

丸石垣のお城です。支所に番所が現存しています。

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じゅんじん

ライトアップ (2026/05/20 訪問)

夜の駿府城です。ライトアップしてます。

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kobuoyaji

桃太郎鬼のすみか? (2026/06/06 訪問)

2026.6.6攻城
前々から行きたかったお城。
時間的に厳しかったので西ノ門まで攻城。
7世紀後半に築かれたと言われる古いお城。
西の門が復元されていて、駐車場から10分くらい歩きますが、平野にある近世城郭より攻城は楽かもしれません。
但し全体回るとなるとかなり時間がかかりますが、また行ってみたいと思います。

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kobuoyaji

日本三大水城 (2026/06/07 訪問)

2026.6.7攻城
玉藻公園駐車場に車を置いて訪問。
前回は1月11日にも来たばかりで、もう3回か4回訪問したかな?
月見櫓が見どころです。
堀には海水魚(チヌ)が泳いでいます。
すぐ東側にある、香川県立ミュージアムもおすすめです。

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kobuoyaji

水攻めの城 (2026/06/06 訪問)

2026.6.6攻城
水攻めで有名なお城。
田んぼの真ん中にある起伏がないお城で石垣などは見当たりません。
城址は広い公園になってます。

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kobuoyaji

冷房が効いていて過ごしやすかった (2026/06/06 訪問)

2026.6.6攻城
後楽園に行ったついでに訪問。
さすがは最新の復興天守。
外は6月とは思えない暑さだったが、天守内は過ごしやすく、展示品もたくさんあってよかった。

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カズサン

烏川へ南向いた崖城 (2026/05/30 訪問)

 倉賀野城へ向かう途中に国宝埴輪を見たくて群馬県立歴史博物館へ立ち寄り、国宝埴輪に満足の大満腹、いよいよ群馬県埼玉県の国道17号線沿いの未踏の城廻り第一城として以前より気に成っていた倉賀野城へ、歴史博物館から西へ約1km、皆さんの投稿で駐車場は無く路駐の様なので、城名石碑の有る雁児童公園(東西に細長い公園です)の東側入り口から攻めて、住宅地の駐車場出口を避けて邪魔に成らない烏川北岸寄りに路駐。
 参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 邪魔に成らない様にと急ぎ足で探訪、写真撮影、倉賀野城趾石碑と説明石板が中央に、住宅と近い位置にある、西のやや中央に雁児童公園の入口北向き、右手に雁児童公園の名盤が入れ込まれている、左右に解説板、左手は「倉賀野城跡」説明看板、右手はやや古く「倉賀野城址」説明板。
 雁児童公園は倉賀野城の本丸にあたるのか?南側の烏川崖上に在る崖城と分かり、これでは後ろ堅固の難攻不落のしかも?余湖図コレクションの縄張俯瞰図を見ると、本丸を中心に外へ二の丸、三の丸、外郭と広がる悌郭式城郭と分かる、また先に群馬県立歴史博物館で倉賀野宿のジオラマを見ましたが、その中に倉賀野城も示されて居り良く観ますと、北は旧中山道現県道121号線まで広がり、東は倉賀野河岸、西は東公園の古墳当たり?とかなり広い城域だった様です。(歴史博物館で撮影したジオラマ倉賀野宿アップ倉賀野城を掲載します)
 土塁が残って居ると言われてる、井戸八幡宮辺りは路駐も有りパスしました。

 歴史は
 鎌倉時代初期、武州児玉党の支流、秩父平四郎行高の子孫、三郎高俊がこの地に館を建て倉賀野の地名を氏とした。 
 戦国時代に成ると関東管領上杉氏に仕え、上杉謙信が上州へ進出すると箕輪城主長野氏と共に上杉方へ、武田信玄が侵攻してくると箕輪城と共に落城し、武田方の城へ、金井秀景が城主となり倉賀野氏を名乗り、武田氏が滅亡すると織田方の滝川一益に従い、本能寺の変の後は北条氏に従う、秀吉の小田原征伐の後は降伏廃城となった、倉賀野氏倉賀野城の400年は終焉した。

 この後は信玄が倉賀野城を攻める本陣を置いたと言われる木部城(城びと未登録)へ。

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トク

5【秀長の但馬平定をたどる⑤】有子山城(山頂からの眺めは抜群です!) (2026/05/15 訪問)

さあ山頂目指して、出石城の稲荷曲輪から登城を開始します(写真①)。登山口には貸杖が置いてありました。これはぜひ借りて行かれる事オススメします。登る時よりも下る時に役に立ちます(それは何故か?🤔実際に下りてみると解ります)。

先人の方々の言う通り、登城開始してしばらくは、まっすぐな急傾斜が(これでもかー)というほど続きます。健脚でない私は、途中で引き返そうかと心が折れそうになりましたが、休み休み何とか登り続ける事50分、確かに(ここから平坦)の標識を見ると、急に救われた気持ちになりました(笑)(写真②③)。

それから今度は20分程ゆるやかな道を進むと、周りが開け急に青い空が見え始めたと思ったら、目の前にすごい石垣群が現れました。これらの石垣は最近の研究では、藤堂高虎の初期作ではないかと言われているそうです。途中から脇道に入ると石取り場がありました。高虎はここにあった石を割って運び、積み上げていったのですね。また主郭と千畳敷の間には大堀切がありました😯! 山頂部には想像もしていなかったダイナミックな世界が広がっていました!(写真④⑤⑥⑦)。

そして山頂(標高321m)からの眺めは最高でした。眼下に見える出石の街並み、目の前には此隅山、遠くは豊岡まで見えました。鯉が元気に泳ぐ程の涼しい風が吹き、流れる汗が一気に渇き、爽快な気分です。登城口から山頂まで、健脚でない私の足では1時間20分もかかりましたが、最初から最後まで誰にも会わず、有子山城とこの絶景を独り占め! 思わず山頂から勝ちどきを上げました(えい、えい、おー!😱)(写真⑧⑨)。

有子山城は1574年に、但馬国主である山名祐豊によって築かれました。1580年その山名祐豊との戦いに勝利した秀長と高虎は、どんな思いでこの景色を眺めていたのでしょうか? 「但馬平定を成し遂げた秀長様のために、但馬の国主にふさわしい城にしてあげたい!」 高虎はそう思って、石垣で城を築いたのではないでしょうか?
 

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イオ

紅葉と城下散策 (2025/11/16 訪問)

1年前にも訪れているので今回は城下散策だけのつもりでしたが、鮎崎城の紅葉が思いのほか綺麗だったことから城山にも登ってみたところ、こちらもちょうど見ごろで東北曲輪や本丸で朝霧に包まれた幻想的な雰囲気の紅葉を見ることができました。

大手門側から下山すると城下を散策します。まずは二之丸北麓の三之丸から。三之丸には米蔵が建ち並んでいたようですが、現在は飛騨護国神社になっていて北東辺に往時の水堀が遺っています。三之丸から外堀代わりの江名子川を渡って法華寺へ。法華寺は熊本藩改易により金森重頼(高山藩三代藩主)にお預けになる中、病没した加藤光正(光広とも。加藤清正の嫡孫)の菩提を弔うために重頼が創建した寺院であり、本堂は高山城二之丸の建物を移築したもので、裏手の墓地には光正の墓所もありました。法華寺の墓地を抜けて少し登ったところにある神明神社の絵馬殿は高山城廃城時に月見殿を移築したもので、金森期に奉納された絵馬が掲げられています。そして素玄寺に下りてきて三之丸評議場を移築した本堂を再確認し、この日の城下散策を終了。高山陣屋に向かいました。

…と、これで城下の移築建物はひと通りめぐったつもりでいましたが、先日の城びと編集部の記事を見て、雲龍寺の鐘楼門(高山城黄雲閣移築)を見落としていたことに気付きました。さらには高山陣屋の後で行くつもりだった「飛騨高山まちの博物館」もすぐ近くを素通りしてしまっていました…。時間切れで行けなかった山城もいくつかあるので、次の機会の楽しみが増えたと考えることにしましょうか。
 

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todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑫ (2026/05/05 訪問)

蟻尾城からの転戦です。現在は鹿島北小学校になっています。ここから、現鹿島高校の鹿島城へと移るので、旧鹿島城云ったところでしょうか。説明板も「旧鹿島城」となっています。用水路は堀跡とのことです。

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チェブ

あさん、ありがとうございます。

あさん、藤原 秀郷さんの百足退治の伝説、美しい三上山の写真ありがとうございます。
これからも、ホースで水をジャージャー向けますので、宜しくお願いします。

ムカデー、何だか気持ち悪い話だと思っていましたが、あさんのおかげで、美しいお話に変わりました。

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今 ときが 動きだす 美濃守護 土岐氏最後の居館 大桑城 ですと (2026/05/30 訪問)

 登城口、林道入り口にパンフレット置き場があり、大桑城跡石垣見学マップ、春風亭昇太師匠と行く大桑城跡などをいただきました。時間の節約のため、はじかみ林道を利用して登城。
 「美濃守護 土岐氏最後の居館 大桑城」の幟旗が並んでいます。ミニチュアの模擬天守からは、やや見下ろす方向に、斎藤道三がいた稲葉山城がよく見えました。なんとも切ないです。この地は、やや山間ですが、支援してくれる朝倉氏の越前へ続く街道があり、また、美濃紙の一大産地であったとのことで、守護所としてそれなりの立地だったようです。
 稲葉山も含め、この辺りの山は、硬いチャートから成っていることが多いです。大桑城もチャートの山であり、急峻で、石垣の石を現地調達できます。切井戸への道は、とても急です。ロープがなければ、枯葉で滑って往生します。麓でゲットした大桑城跡石垣見学マップを頼りに散策しました。見どころとフォトスポットがわかりやすく紹介されています。が、これには、山頂の北の遺構は書かれておらず、庭園跡や気になる石を見逃しました。がっかり。

 チェブさんの舞木城の投稿に、「藤原 秀郷さんを調べると『大百足退治の伝説』が滋賀県にあるようです。」とあり、水を向けられた(?)。瀬田城についての投稿の中で、城びとの皆さんが、俵藤太の大ムカデ退治を紹介されています。瀬田城は、目の前に瀬田の唐橋があり、この重要な橋を監視、防備する位置づけにあります。俵藤太が、瀬田の唐橋から、三上山を7廻り半していたという大ムカデを弓で射て退治したということで、弊宅から見えた、日の出と重なった三上山の写真を添えました。

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「須加城」。 (2026/02/21 訪問)

この日の最後のお城攻め「須加城」で、またしても水で悩みます。

前回、投稿した「鶉古城」から東京の端っこに帰る途中に「須加城」を見つけて寄る事にしました。
長光寺の参道入口の右下に、ちょこんと石碑があります。
本日最後の路駐でダッシュ、写真を写し退陣。
近くのコンビニ駐車場で「須加城」の写真を見直すと、左上に「忍城」と小さく記載されていました。
「須加城」は「忍城」の支城のような役割りだったようです。
築城年数は不明ですが、戦国時代には須加氏は「忍城」の成田氏に従っていたそうです。
だとすると、秀吉さんの北条討伐で、水攻めの被害にあったのかもしれません。
早速、水攻め範囲を検索すると、「須加城」は利根川の近くにありました。
次に「石田堤」の場所を検索すると、荒川方面にあります。
利根川は徳川 家康さんの時代に、治水工事が行われた為、現在の場所と流れる所が違います。
まずい、「須加城」も水没しているかも。と、小田原で籠城している城主の如く不安になります。

結局、「須加城」が水攻めの被害にあったかは分かりませんでした。
東京都の水は、利根川と荒川で8割、多摩川で2割でまかなっています。
8割の水が、「忍城」を守り、そして攻められました。
この辺り、大河ドラマ『豊臣兄弟!』で描いてくれないかなー。
水攻めの被害をドラマで確認しようとしている「須加城」攻めでした。

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小城小次郎

陣城なのかー (2025/08/10 訪問)

国史跡になったおかげか舗装された駐車場が出来ていた。山頂部には方形の大きな空間があって「でっかい武家居館だな」と思ったものだがどうやら織豊期の陣城としての遺構らしい。香西氏はどう使っていたのだろう。

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カズサン

群馬県立歴史博物館の国宝埴輪 (2026/05/30 訪問)

 群馬県立歴史博物館は倉賀野城より東約1km、かみつけの里博物館より南東約12kmに在り国宝埴輪展示で有名。
 住所:群馬県高崎市綿貫町992-1(群馬の森に在る)
 駐車場:群馬の森公園駐車場利用、無料でトイレ完備。

 先に保渡田古墳群かみつけの里博物館、三ツ寺Ⅰ遺跡を探訪見学の後、世話に成ったローソン高崎井出店Pでサンドイッチ、野菜ジュース、お茶を購入し携帯食と共に車内で昼食。

 群馬の森公園の駐車場に駐めて、群馬県立歴史博物館を目指す、隣は近代美術館(休館中)、入場料は金井沢碑企画展を含め800円、常設展示のみ300円をお願いしたのですが、合わせての観覧券との事で800円致し方なし。
 受付を過ぎると国宝展示案内の三人巫女埴輪写真看板が目を惹きます、入った瞬間国宝埴輪群に驚きます、先の東博の国宝はにわ展で展示されていた、三人巫女埴輪、武人大王埴輪、大型馬型埴輪が目に飛び込んできます、この埴輪群は群馬県立歴史博物館北約1kmの綿貫観音山古墳出土、100m弱墳丘を持つ二段前方後円墳との事。
 その他は装飾付太刀、馬具金具が展示されて、期待以上の満足感を得ました、観覧料800円に文句を言ってはいけませんでした。

 国宝埴輪で十分でしたが群馬上野の歴史展示が繋がっていましたので、原始縄文の土器、石器、石鏃など、古代の古墳から上野三碑、国分寺、中世の鎧兜、戦国期の城館跡図、家康関東入封後の配下の城館図、近世はこれから行く倉賀野城、倉賀野宿ジオラマで賑わいを展示、倉賀野城跡も示されていた、近現代の最後はスバル360の展示が大きく目を惹きました。さすが群馬県。
 写真撮影は、NG以外は私用に限りOKでしたので撮影投稿掲載しました。

 時間の関係で特別企画展金井沢碑はパス、次の倉賀野城跡を目指します。
  

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あっくん

遺跡

よかったです。

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イオ

鮎崎城(岐阜県高山市大新町) (2025/11/16 訪問)

鮎崎城(あいさきじょう・城びと未登録)は、詳細は不明ながら鮎崎新兵衛尉の城と伝わり、金森長近の飛騨攻めでは松倉城攻略の本陣が置かれています。

遠征2日目。高山市内のホテルを朝早くに出発し、城跡に通じる車道の道路脇に路駐して登城開始。城跡は公園として整備されていて、南下段の腰曲輪(たぶん)はカフェになっています。西辺の帯曲輪だったかもしれない登城道から階段を上ったところが最高所の主郭で、軍人墓地になっていました。主郭北下段の曲輪には公園の遊具があり、鮎崎城跡の説明板が立てられています。松倉城攻めの本陣らしくここから松倉城が遠望できる…はずですが、朝霧が立ち込めていて全く見通せませんでした。説明板によれば主郭や北下段の曲輪の周囲には帯曲輪がめぐらされていたようですが、公園周囲の遊歩道が帯曲輪跡でしょうか。また、主郭から北東に分岐する支尾根の先端に小さな公園があり、出曲輪だったかもしれません。

土留めの石垣だとか土塁があるとかいう話もありましたが、見付けられませんでした。公園化されていてそのほかに遺構らしきものもなく、唯一 松倉城攻略の本陣を感じられたはずの眺望も朝霧で見えずで何だかなぁ…な感じでした。
 

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todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑪ (2026/05/05 訪問)

湯野田城からの転戦です。有田ばかりでなく、波佐見でも陶器市が開催されていてそれなりの渋滞に巻き込まれてしまいました。城名は「ありお」ですが、山と公園は「ぎびさん」です。蟻尾山公園から伸びる登山道を登っていきました。一気に最高所の主郭迄進み、帯郭を回って下山。登山道から外れた櫓台には祠が二つ並んでいました。そこからそのまま下って展望台へ。展望台は城域の外のようで登山道からも外れています。櫓台も展望台もピクミンブルームのビッグフラワーのスポットになっていたので助かりました。展望台からそのまま下っていくと、説明板や蟻尾山公園案内板の近くに下りてくることができました。

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にのまる

西曲輪整備工事 (2026/05/05 訪問)

湯村山城、法泉寺とまわってまだ時間も体力もあったので、8年前と同じルートで武田神社まで歩きました。当時は2度と歩くことはないだろうと思っていた住宅街ですが、何となく記憶にあって、この辺りで道に迷ったご婦人に声をかけられたなぁとか(ご近所さんとの連携プレーでご自宅まで無事送り届けられました。)とか、ここのカーブが怖かったなぁとか思い出しながらのお散歩でした。

躑躅ヶ崎館跡では西曲輪の整備工事中。土塁の上をぐるりと歩いて現在の姿を見納め(?)しました。そろそろ工事も終わっている頃なのでまた見に行かねば!

北側に抜け出て大手門へ。
写真を振り返ってみると、誰も写っておらず静寂の中のお城散策のようでしたが、武田神社は大行列で大賑わいでした。

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