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カズサン

14年振りの再登城 (2025/10/27 訪問)

 竹崎城を終えて肥前鹿島城へ、14年前に登城した折りのDVD保存写真が再生不可能(読み取りできず)となり、いつかタイミングを見て写真保存のために訪ねたいと思っておりましたが、今回の鳥取城復元中ノ御門桝形渡櫓、福岡城三の丸復元潮見櫓、軍機震電、二式大艇探訪見学の10日間の探訪企画に島原半島経由で肥前鹿島城を入れて企画しました。
 国道206号線を佐賀県鹿島市方向へ約直線で20km程、経路で25km程で目的の駐車場に到着、諫早湾干拓堤防道路でショートカット出来たお陰かまだ陽も残り写真撮影は大丈夫、急ぎ足で探訪撮影。

 駐車場:鹿島城跡本丸東下段下の城内公園駐車場を利用。
 参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 ルートは、駐車場城内公園➡本丸東下段郭の北東虎口櫓台石垣➡東下段郭北側、内堀を北から南に眺めて➡本丸北側内濠、赤門、表裏観察➡北東の陣屋跡➡下段東下郭北東虎口に戻り➡下段下の東側高石垣を下の通りより北から南へ、南東角の石垣を観察➡武家屋敷通りを探訪して➡本丸東下段郭の南側途中階段から郭内へ➡松陰神社参拝、三の鳥居、二の鳥居、一の鳥居を通って駐車場へ、暗くなり車で➡北側の大手門を観察探訪、暗くなりフラッシュ撮影。

 取り敢えず肥前鹿島城の写真を50枚保存管理する事が出来ました。
 
 この後は明日の肥後と天草島未踏の城、再登城の為に予約した宇土のホテルへ直行。
 

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カズサン

竹崎かにで有名な竹崎城 (2025/10/27 訪問)

 肥前釜蓋城址を終えて島原半島未踏の城再登城の城廻り第8弾の竹崎城を目指す、直線では18km程ですが、諫早市を廻り込んでの道だと相当掛かるかなと思っていたのですが、ナビは諫早湾干拓堤防道路経由を指示で約36km程、初めて社会問題されて居た諫早湾、その干拓道路を初通過、結構風が強い印象でした、海沿いは景色も気分も良く、竹崎島に在る竹崎城址へ到着初登城、その後竹崎城址展望台へ車は展望台専用駐車場を利用、トイレ有、駐車場前に有名な渡りかにの一種である竹崎かにの料理店が有りましたが、時間は過ぎて営業終了。

 竹崎城址は展望台駐車場から70m程戻り、道沿いに土塁、石垣、標柱、説明板が設置されてる、入り込みませんでしたがサラッと見て終了、竹崎城址展望台へコスモスが奇麗に咲いているが午後に少し入り逆光気味の写真に成りました、展望台から有明海越しに雲仙普賢岳を眺める雄大な景色。時間がマッチしたら有名な「竹崎かに」料理でも頂けたのですが看板を見て終了。

 歴史は、戦国時代、肥前の龍造寺氏と島原の有馬氏の国境境目の城で争っていた、沖田畷の戦いの頃は龍造寺氏の城、戦が終わって島津氏によって攻め落とされる。その後も龍造寺氏鍋島氏の城として改修維持されていたが、島原の乱後に取り壊された。
 

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カズサン

城郭風の展望台が目を惹きます (2025/10/27 訪問)

 チョイ寄りの島原城景観ビューポイントを訪ねて、島原半島未踏の城再登城の城廻り第7弾釜蓋城を目指し、ナビは山越、百花台公園までは道は良いのですが峠を越える辺りから道が狭く曲がりくねった山道、直線では14~15km程、経路では約30km程でしたが対向車も無く釜蓋城跡のグランド下駐車場へ到着、トイレ有。

 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 釜蓋城は初登城、駐車場から階段を登って行くと広いグラウンドに上がります、野球用のバックフェンスも有り、野球場、多目的運動場の様です、グラウンド東側の高台に城郭風の展望台が有り目を惹きました、展望台へは南下から階段が有りよく整備されています。展望台に昇り下界を見下ろすとこれまた有明海の反対側、東シナ海が見下ろせます。
 城郭風展望台の北郭には、釜蓋城由来記板、ドン・ミゲルの立派な石碑が立っています。所謂、天正遣欧少年使節であったドン・ミゲルはこの釜蓋城主の子息だったそうです。
 城郭風展望台を鑑賞して、展望台からの眺望、東シナ海の眺望を楽しんでサラッと終えました。
 

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トク

(2/2)加藤清正が島津への備えとした城 (2025/11/15 訪問)

佐敷城の続き(2/2)、今度はお城の様子です。

豊臣の九州征伐の後の1588年、肥後の北半分(隈本)は加藤清正に、南半分(宇土)と天草は小西行長に与えられます。さらに宇土の南(芦北)は清正に飛地として与えられました。そして家臣の「加藤重次」が清正の命でここ芦北に佐敷城を築城します。清正と行長は犬猿の仲だったので、どちらかと言うとこの時は、行長を背後から牽制するための城だったのではないかと私は推測しています。

しかし清正と重次が朝鮮へ出兵(文禄の役)で留守中の1592年、島津軍の「梅北国兼」は朝鮮へ出兵する船が到着するまでの間、兵2,000をここで待たせてくれと称して油断させて滞在し、だまし討ちで佐敷城を攻めるという事件が起きてしまいます(梅北の乱)。留守居役が何とか守り切ったようですが、清正はこれでだました島津を警戒するようになります。

九州の関ケ原の後、肥後全土を与えられた加藤清正は、1607年重次に命じて佐敷城を大規模に、今度は対島津の城として総石垣の城に改修させました。現在残っている縄張りや石垣は、この時のものと思われます。確かに本丸から南の薩摩に向かって二ノ丸・三ノ丸・南出丸と段々に連郭式に構築され、いかにも南の島津を睨みつけるような縄張りになっています。四方を壁に囲まれた要塞堅固の山頂には、東側の薩摩街道から攻め登ってくる事を想定していたのでしょうか、東側に追手門・二ノ丸東門・本丸東門と三つの桝形虎口が連続して配置され、その下を東出丸と南出丸で固めるという強固な造りとなっていました。しかし結局、関ケ原後の島津は、義弘の件で謹慎中の身となってしまったので、攻めてくる事はありませんでした。追手門には「天下泰平国土安穏」と刻まれた瓦も出土されました。加藤重次は改修しながらも、実は島津との戦を望んでいなかった、関ケ原も終わり、このまま戦もなく日本と肥後と加藤家が安泰となる事を願っていたのでは、という当時の心境が推測されます。

城はわずか8年後の1615年には一国一城令で破却され、天草島原の乱の翌年1638年、後に肥後に入った細川忠利により、再度徹底的に破却されたようです。石垣は1997年に復元され、今では総石垣の1607年当時の雰囲気がよみがえっています。そして確かに石垣の上半分(隅部と天端部)は石が落とされ塀や建物が建てられないようになっているので、そこに少しだけ破却の跡を感じる事ができました。

私は山頂の本丸から、眼下の八代海や薩摩街道を眺めてみました。「加藤と島津、強者どもが夢の跡」という光景が目に浮かんでしまいました。

この先は、ではなぜその加藤家は滅びてしまったのか? 八代城からわいた疑問をもう少し追って行きたいと思います。
 

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todo94

滋賀ドライブでの攻城⑧ 山城編 (2025/11/08 訪問)

山屋敷からの登城路は途中鎖場もある急峻なものでしたが、比高は150mほどで、思いのほかあっさりと373.8mの山頂を極めることができました。その奥にも郭や遺構が続いています。とりあえず、井戸跡迄チェックして引き返すことにいたしました。未踏の部分をかなり残してしまっているので、いつか再訪できたらと思います。この日の攻城は此処で切り上げ、水口のホテルへと向かいました。

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赤い城

街道を見下ろす (2025/10/26 訪問)

以前から行きたいと思っていた若桜鬼ヶ城、ようやく登城することができました。
通常であれば徒歩で登るのですが時間もあまり無かったので馬場跡でもある駐車場まで車で行きます。

入口にはクマ注意の看板があります。
鳥取東部や岡山北部の東中国地域ではブナなどが豊作で目撃情報は例年より少ないそうですがやはり気を引き締めて・・

駐車場からすぐに綺麗な堀切があります。
この先に期待しながら進むと石垣が見えてきました。
枡形虎口を通り、まずは下段にある六角石垣を見に行きます。
西側の尾根にある出丸で下から見上げると六角形の砦に見えるそうです。

引き返し二の丸へ。
49個目の続100名城スタンプを押し、登城ノートに足跡を記します。
さらに三の丸まで見学し、本丸へ。
本丸には天守台も残っています。
ここから見ると下に街道が走り、交通の要衝であったことがよくわかります。
晴れてたらもっと良かったのですが。

【見どころ】
 ・駐車場からすぐの堀切
 ・六角石垣
 ・三の丸の枡形
 ・街道を見下ろす眺望

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渡邊

雨に濡れた紅葉🍁 (2025/11/03 訪問)

花巻駅の東に約1km弱にあり、北上川と瀬川による段丘の北東端に築かれており、段丘の北東端に本丸を配し、西と南に内堀を設け、その外側に二の丸、さらに外に三の丸を配していた。
本丸跡を鳥谷ヶ崎公園として整備され、西御門が復元されています。

前九年の役の安倍頼時の城柵と伝えられている。その後、南部氏以前の領主である稗貫氏の居城(鳥谷崎城)でしたが、豊臣秀吉の奥州仕置によって天正19年(1591)に稗貫氏が滅ぶと、盛岡藩南部氏がこの地を領有し、花巻城となりました。

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しんちゃん

個人宅 (2025/11/23 訪問)

内堀館跡は個人宅となっていて堀と土塁が残っています。江戸時代後期には飯山藩の本陣として利用されていたとのこと。
とりあえず近くまで寄ったらアプリの「リア攻め」が出来たのでヨシにしました。

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しんちゃん

信州なかの (2025/11/23 訪問)

元和2年(1616)に松平忠輝が改易になると北信濃が天領となり中野陣屋が築かれました。享保9年(1724)に北信濃の天領陣屋が中野陣屋に統合されています。現在は中野陣屋・県庁記念館になっているので入って見ることに。
中に入るとご当地キャラっぽい萌えキャラのパネルがありました。中野市公認Vtuberの「信州なかの」と「よるナカノ」さんらしいです。

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つば九郎

神奈川県の城巡り 岡崎城 (2024/03/13 訪問)

車で攻城しました。近くのコインパーキングを利用しました。城址は無量寺という寺院になっております。攻城時間は15分でした。

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つば九郎

神奈川県の城巡り 真田城 (2024/03/06 訪問)

車で攻城しました。城址とされる天徳寺には無料駐車場があり使わせていただきました。住宅地にある静かな寺院です。真田氏発祥の地と言われており、石碑があります。攻城時間は20分でした。

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つば九郎

神奈川県の城巡り 小磯城 (2024/03/07 訪問)

車で攻城しました。城址となっている大磯城山公園には、平日は無料になる駐車場があります。城山公園内には、旧吉田茂邸もありますので、カーナビ等の設定は、そちらの方が良いかもです。公園内はきれいに整備されており、全体的に高台になっており、城址らしさはあります。攻城時間は、自分は吉田茂邸には行かずで30分でした。

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朝田 辰兵衛

大宮駅西口からバスがあった…🚌 (2025/11/03 訪問)

JR指扇駅から,徒歩約20分。馬宮コミュニティセンターの向かい側のエリアになります。ここでとあることに気づいてしまい,愕然としました。大宮駅西口と指扇駅を結ぶバス路線[大31]系統が存在しました。本数もかなりあります。最寄りは,馬宮コミュニティセンターバス停となります。復路はこのバスを利用しました。みなさん,参考になさってください。

さて,永田陣屋ですが,保全がしっかりなされていると感じました。子孫の方のようですが,代々受け継ぐということも容易ではありません。永田医院,儲かっていればいいのですが…。

にのまるさんクイズは,まさかの駅地下?
行って確かめるワケにはいかないし…。

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いんげん丸虫

砕導山城 (さいちやま) 福井県高浜町 (2025/11/22 訪問)

佐伎治神社の裏山全体が城跡です。
約7ヶ所のピークが砦となっています。
神社の左手に看板があり、迷うこと無く
全体を巡れます。南西砦とされる所にも
やや遺構があるのですがそこへの案内は
無かったかな。
無数の段曲輪、巨大な堀切、見晴らしの
良い場所もあります。
神社の休憩所には城巡りガイドブックも
置かれていて、申し出れば御城印も貰え
るようですね。

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カズサン

濠と石垣のビュースポット (2025/10/27 訪問)

 島原城のビュースポットは南東角の濠越しより眺める島原城大きな濠、高石垣、白土塀、層塔型復興天守、復興三階櫓群です。初めて島原城に登城した時は道から濠下まで降りて撮影出来ましたが現在は出来ないようです。
 10月27日ですから蓮は時期を過ぎましたが、蓮が咲き晴天で若干雲が有る時は白壁の建物群と青空、蓮の花がマッチして素晴らしい景観で良い写真が取れる事でしょう。
 本丸駐車場から西の車道から出て南の濠を東角まで移動し撮影、南東角からの眺めは島原城最高のビューポイントです。
 今回も9年前の原城、日野江城(今回は寄ってませんが)を終えての同じチョイ寄り撮影と成りました、まだ肥前に3城残ってましたので急ぎ足で終えました。
  

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WEST

松本城探訪 (2025/11/14 訪問)

国宝松本城を訪問しました。6年ぶり3回目の訪問です。前回は二の丸跡に松本市立博物館がありましたが、移転し、現在は広場となっています。松本城天守は、2028年度以降に耐震補強工事が予定されており、工事中は内部公開が制限される可能性があるため、その前に訪問したいと考えていました。訪問当日は国内外から多くの観光客が訪れており、人気の高さを実感しました。改めて見ると国宝としての価値と風格を感じますね。工事前にまた訪れたいと思います。

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カズサン

層塔型復興天守閣と復興三階櫓 (2025/10/27 訪問)

 9年振り登城は4、5回目かな?、雨天リベンジ9年振り再登城の原城を終えて、島原半島未踏再登城城廻り第6弾はここまで来たら島原城に寄らなくては!と国道251号線を島原市方向へ戻る、走行中に往路にも車窓見学の日野江城をまたまた眺め車窓見学し、島原城の本丸南東角濠越しにビューポイントを眺めてと、車を一時路駐して撮影しようと思ったのですが、9年前の体験と違い、道は一方通行、路駐できない側歩道に変わって居り、本丸有料駐車場(500円)を利用しました。

 島原城は今年令和7年3月に国指定史跡に制定されていました、祝意の看板が大きく展示され取り祝っていました。又西三重櫓は現在改修工事中で素屋根を被っております、工事は令和8年1月30日まで。
 天守閣を四方、三重櫓を内、濠越しから撮影、天守閣にはチョイ寄りでしたので登城せず、天守閣受付ガイドの武者姿お姉さんに声掛けして少し会話しパンフレットも頂きました。ありがとうございます。
 復興天守閣も今年で61年経つのですね、層塔型復興天守閣でも文化財級に成って来ました。
 

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駿府城

「お城EXPO2025」に静岡市が出展します!

令和7年12月20日(土)・21日(日)にパシフィコ横浜ノースで開催される「お城EXPO」に今年も静岡市が出展します。「お城EXPO」は、城郭文化の振興と発展、お城ファンの皆さまとの交流を目的に開催される、日本最大級のお城の祭典です。当日は、全国のお城を有する自治体や城郭関連団体のブースをはじめ、専門家による貴重なトークショー、イベントステージなど、多彩な企画を実施予定です。なかでも注目は、全国の城めぐり情報が一堂に集まる「城めぐり観光情報ゾーン」です。各地の自治体や城郭関連団体の方々と直接交流しながら、お城にまつわる歴史や文化を楽しむことができます。静岡市ブースでは、徳川家康公ゆかりの駿府城を中心として、静岡の歴史・文化の魅力をPRします!
歴史やお城が好きな方々必見です!ぜひお越しください♪

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トベシュン

京都・兵庫の続百名城巡り (2025/11/22 訪問)

京都・兵庫の続百名城巡り:福知山城・黒井城・出石城・有子山城・洲本城・尼崎城の六城を巡りました。

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トベシュン

京都・兵庫の続百名城巡り (2025/11/22 訪問)

京都・兵庫の続百名城巡り:福知山城・黒井城・出石城・有子山城・洲本城・尼崎城の六城を巡りました。

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