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火ノ島豊後守正宗

赤木城 (2021/11/26 訪問)

続57城目。
JR阿田和駅前から公共バスで1時間程度で「道の駅 熊野・板屋九郎兵衛の里」に到着。
ここでレンタサイクルを借りて山道を30分程度走り抜けると城跡にたどり着けます。
城跡自体はそこまでの規模はありませんが、ここまで来るのに大変苦労します。
頂上の本丸跡の景観は最高でした。山頂で道の駅で購入した【めはり寿司】が大変美味しかったです。

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白うさぎ

記念‼️100名城スタンプ初押印✨ (2021/07/03 訪問)

どうしてもスタンプはここから始めたく😌
コロナが少し治まってきたので、100名城スタンプ開始🏯

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くっしー

【発掘調査の一般公開】古城山の山上にも庭園を確認!! (2021/11/28 訪問)

この城は美濃国守護・土岐氏の城で古城山(標高408m)にあります。築城は鎌倉時代で土岐頼芸が斎藤道三に追放されて焼かれるまで存在していたとされています。

2020年から山県市が発掘調査を行っており、昨年の調査では巨石を用いた城門などが見つかっています。今年の調査では、伝台所の発掘が行われ、今回一般公開されたのですが、庭園らしき遺構が発見されました。その最大の根拠は“玉石”が敷き詰められた遺構が見つかったということです。玉石は二か所から見つかっているのですが、黒い玉石が敷き詰められた場所と白い玉石が敷き詰められた場所に分かれています。要するに、建物から眺めた時にその色彩を意識しているのです。

今回の調査では多くの遺物も見つかっています。主なものを挙げると中国製の青磁・白磁、天目茶碗、土師器皿(かわらけ)、燈明皿、花器、銅銭、玉石などです。時期は16世紀前半のもばかりです。なので土岐頼芸の時代にはここに人々が居住していたんでしょうね。

現在発掘中の岐阜県郡上市の篠脇城からも山上に庭園や大桑城と同様の遺物が見つかっており、戦国期の山城は戦時に立て籠るのではなく常に居住している人がいた可能性が出てきましたね。

しかし、この城も解明されていない謎がたくさんあります。例えば、主郭が小さすぎます。せいぜい櫓が一つ建つぐらいの広さしかありません。それから、谷部にある曲輪群。なぜ谷部に曲輪が並ぶのでしょうか。城ではなく寺ならその立地でもわかりますが、城なら普通そんなところに建物並べないですよね。そして、16世紀前半の遺物しか出ていないこと。鎌倉時代に築城されたなら、もっと古い時代の遺物が出てもよさそうなものですが、どうしてなんでしょう。
いづれにしても今後の調査に期待しています。

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カズサン

伊達成実の菩提寺、東の土塁が見所 (2021/11/15 訪問)

 鵜ヶ埼城を終えて国道6号線を南下、直線で約9km程に大堤城が在る大雄寺門前をナビに定め走行、門前に参拝者用駐車場、トイレ完備、大変ありがたい。
 探訪参拝ルートは、大雄寺山門を仰ぎ、横に在る小堤城標柱で内容を確認、山門を潜り本堂前で参拝、小堤城の見所の土塁を東側、南東角と確認し、戻り登れる所から土塁上に上がる、南東角から南の土塁上に亘理伊達家の霊屋、墓石が祀られている、一番立派なお霊屋が亘理伊達家初代伊達成実、大雄寺が亘理伊達家の菩提寺と成って居る。
 小堤城は現在の寺院敷地全体で土塁に囲まれてた、土塁は東側と南側に残ってる。

 小堤城は千葉氏の流れ亘理氏の城、伊達氏の養子を迎え伊達氏との繋がりも深まり、小堤城から亘理城に移る、以後に亘理氏は涌谷城へ移り片倉小十郎景綱が入り関ヶ原後伊達成実が入り以後亘理伊達氏が明治まで代々治める。
 大雄寺を伊達成実が小堤城に移し菩提寺を新しく整える。

 近くの亘理城へは平成28年4月に登城してるのですが小堤城はパスしており今回5、6年振りに訪ねる事が出来ましたお霊屋を見れば伊達成実の凄さが分かります伊達政宗の重臣で従兄弟の伊達成実、片倉小十郎景綱が両腕、大河ドラマのシーンが甦って来ます。

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カズサン

JR岩沼駅近の岩沼要害 (2021/11/15 訪問)

 大鳥城、桑折西山城を含む城廻りの2日目、宮城県亘理郡辺りから福島県相馬郡の浜通りに未踏の城が在り小堤城からと思って居りましたが北側の近くに未踏の鵜ヶ埼城が有りそこを目指す事に、白石のホテルを朝早く出発し国道4号線を北上。
 情報源:古城盛衰記さん、グーグルマップ拡大し航空写真と周辺地図に由る。
 車は鵜ヶ埼城の在る公園のドン詰りにナビをセットし岩沼駅西側から進行周りは住宅街狭い道、若干行き来はしましたが鵜ヶ埼公園のドン詰まり本曲輪下に路駐、(ここはUターン出来ませんのでバックしT時点でバックで曲がって帰路へ)、駐車場は有りません。
 
 鵜ヶ埼城は江戸期仙台藩21要害の一つ岩沼要害として機能して居ました、最上部が本丸か?下に二の丸、土塁が見られ、二の丸南、西下に帯曲輪らしき平地で更に西側は落ち込んでおり空堀、沼地跡なのか?しかし小公園鵜ヶ埼公園の周りは市街化、住宅地に成ってる、約150m東にはJR岩沼駅で旧岩沼要害はJR、市街化で埋没したようです。

 歴史:鵜ヶ埼城は古くは「武隈館」と呼ばれ、平安中期の歌人・源重之が奥州に下向した時築城したのが始まりと伝えられてる、戦国期は城として機能したが江戸期一国一城令後は仙台藩内に21箇所ある要害の一つと位置付けられ岩沼要害と呼称、寛文元年(1661年)岩沼藩3万石として仙台藩の内分大名田村宗良の居城となった、延宝9年(1681年)田村氏が一関へ転封となると、以降古内氏が拝領し居館としていた。
 明治維新後は廃館と成り明治20年東北本線が施設された際に要害の一部が駅と成るなど大きく姿をかえていった。(案内板/標柱による)

 路駐も気に成りサラッと巡って撮影し10分ほどで次の小堤城を目指しました。

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赤い城

別名は高館城 (2021/11/21 訪問)

西明寺から登城路がありますが脇の道路で登城口まで行けます。
車を停めるスペースもありました。
登城口に説明板があり、そこから少し登ると主郭へ着きます。
三方に延びる尾根筋に曲輪が配置されています。西側のキャンプ場へ向う尾根には深い堀切も。また、道路を挟んで西明寺方面に降りていくと竪堀や堀切もありました。
権現平が旧主郭とされています。
城域はかなり広く、全部見るにはかなり時間が要りそう。
麓の西明寺では閻魔様の御朱印が有名ですが頂ける時間帯と枚数が限られています。
興味のある方は事前に確認されるのが良さそうです。

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にのまる

その8・鼠多門 (2021/10/31 訪問)

 金谷出丸(尾山神社)からの出入口として機能していた櫓門。復元から一年余りでお目もじ叶いました(^^♪
 城内唯一、黒漆喰仕上げの目地の海鼠壁。黒色の引き締め効果は絶大!白目地の海鼠壁と印象が全く異なります。雪の玉泉院丸庭園とのコラボ、ステキだろうなぁ。。。
 内部も見学しましたが、釘を使わない伝統的な木組みで、使用された木材はすべて国内産、そのうち75%は石川県産なのだそうです。外観と異なり、あたたかくてやわらかい雰囲気です。
 通路の石垣の復元にあたっては、転用された石の再利用や損傷した石材の修理など旧材を積極的に利用した、と説明書きにあったので探してみると、それらしい石がたくさんありました。(写真⑦~⑩)現代の石工さんの作品も“石垣の博物館”金沢城の見どころのひとつです。

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守山崩れ (2021/11/27 訪問)

 「守山崩れ」の舞台となった城です。
名鉄瀬戸線「矢田駅」から徒歩10分くらいの場所にあります。案内板と石碑の他に空堀がありますが、他の方も指摘されているように竹藪になっていました。

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カズサン

復元大櫓風雪26年目の晩秋夕暮探訪 (2021/11/14 訪問)

 伊達市大枝の大枝城を終えて陽が傾き沈む前に探訪したいと白石城に向かう、大枝城に入った県道320号線を西行し国道4号線を白石へ、車は白石城専用駐車場、白石市役所北側に大型の駐車場です。駐車場は結構混んでいました人気が有るんですね❣
 
 駐車場から案内指示板に従て水の綺麗な水堀、遊水路を通り旧白石高校へ登る坂を上がれがミュージアム、白漆喰の大櫓が目に入って来ます。
 白石城には大櫓(三階櫓)が木造復元されてから家内と、仕事で、城廻りで3回訪れて居ります、今回訪ねた時間が4時を回って居ましたので本丸中心に大櫓を撮影、平成7年に木造復元してから26年目大櫓を探訪です、復元石垣も風雪に耐えながら風格が出て来ました、夕陽が沈み頃でしたから撮影的には逆光タイミングで写真自体が黒っぽい仕上がりです、唯一本丸に茂ってる楓が夕陽に当たり紅葉が綺麗に輝いていました、大櫓、大手二の門、大手一の門、大櫓下の石垣、土塁を眺めてミュージアムに入り資料をゲット、一部残ってる本丸の石垣を観察して日は沈みホテルへ。

 白石城は一国一城令でも伊達藩は仙台城と白石城は許され存続、伊達氏家臣片倉小十郎景綱の居城で代々片倉家が継承し明治を迎える、今回ミュージアムには入館しませんでしたがシアター、白石城の立体模型で予習して廻れば効果抜群です。
 

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朝田 辰兵衛

完成してたら,こっちが100名城!? (2021/11/27 訪問)

完成してたら,こっちを「会津若松城」と名乗っていたんだろうな…と,想像が膨らみます。現在の会津若松城は,鶴ヶ城でいいわけで…。江戸城,大坂城を別格扱いと考えれば,ナンバー3を競う城郭となっていただろうなと思います。散策範囲がめちゃくちゃ広かったです。公共交通利用で散策するなら,神指小学校を起点とすれば効率がいいのかな…と感じました。

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くっしー

【現地説明会】山上の主郭から庭園の遺構見つかる!! (2021/11/27 訪問)

篠脇城は元々山麓から東氏の庭園が見つかって、名勝に指定されているのですが、今回の発掘調査では、山上(標高486m)の主郭から庭園の遺構が見つかりました。

昨年度の調査では礎石建物、石垣などの遺構が見つかっているのですが、性格不明の遺構も見つかっており、この不明遺構の性格を確定するために今年度の発掘が行われたそうです。その結果、大きな景石や青みのある川原石などが見つかり、庭園としての意匠を備えた遺構である可能性が出てきたということです。

遺物としては、天目茶碗、擂鉢、土師器皿(かわらけ)、青磁や白磁の中国産磁器などが見つかっているそうです。

これらの調査成果を踏まえると、詰城としての性格が強いと考えられていた篠脇城が、実は居館としての性格を多分に持っていた可能性が高いということです。山上のお城が戦いのときに立てこもるだけの場所ではなく、日ごろから人々が住み、時には宴会なんかもここでやっていたんだろうなということが想像されます。

地表面の観察だけではわからないことが発掘調査では明らかになってくるので面白いですよね!!

でも、今回の調査でよくわからなかったこともあるみたいです。
昨年の段階で、主郭の端に立石が二つ並んで見つかっていました。おそらく虎口であろうということで、その間を掘ったところ、石臼の破片が見つかっています。すなわち、虎口として使われていたけど、のちに埋められてしまったということです。とすると、この主郭では途中改修などが行われていた可能性もあるわけで、どの様な変遷がそこになったのかということを検討していく必要があると思います。また、庭園、虎口、礎石建物の存在は明らかになりましたが、その全体像(主郭の中の構成)ははっきりしていません。
今後の調査に期待です。

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武田信玄初陣の城 (2021/11/26 訪問)

 武田信玄初陣の城として甲陽軍鑑に記載されている城です。主郭背後の大堀切がみどころです。案内板に水の手があるようなことが書かれていましたので散策しましたがよくわかりませんでした。
JR佐久海ノ口駅より徒歩にて登城しました。主郭まで50分弱で着きました。道は整備されていて標識もあり概ね歩きやすいのですが、この時期、落ち葉が堆積していて地面が見えない所があるため歩行に注意が必要です。

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王城公園 (2021/11/25 訪問)

王城公園となっていて案内板があります。遺構はわかりません。

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正法寺 (2021/11/25 訪問)

正法寺に案内板などがあります。遺構はないと思われます。

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城山公園 (2021/11/25 訪問)

城山公園として整備されています。土塁が残っています。

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正安寺上より (2021/11/25 訪問)

 この城の特徴は、南側に展開する雛壇状の曲輪でしょう。石積みも所々残っていて楽しむことができます。
下から登って行くルートもあるようですが、私は正安寺の上の墓地(佐久宝寿霊園)からアプローチしました。墓地に駐車スペースがあり、少し下のカーブミラーの左側に堀切があります。カーブミラーの背後は出丸で右側に城域へ入って行く道があります。道は概ね整備されています。

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にのまる

その7・玉泉院丸庭園 (2021/10/31 訪問)

外周部の石垣最上段までの高低差が印象的です。遺構保存のため盛土をした上に史料などに基づいた整備がされたとのことで、甦った美しい庭園を堪能させていただきました。
色紙短冊積石垣と段落ちの滝は、私がいつか築城するときには是非模倣させていただきたいと思います。

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生首3千 (2021/11/25 訪問)

 雲興寺より登城路が整備されています。崖っぷちの道を歩きますが、概ね迷うことなく城址に行くことができます。Todo94さんが述べておられたように落ち葉が積もっていて滑り落ちそうになるところもありますので要注意です。登って行くと岩壁が姿を現します。所々、石積みが残っていて楽しませてくれました。尾根の上に築かれた城址ですが南側は断崖となっています。東端は岩盤の堀切となっています。城址としては結構楽しむことができました。
新田次郎の「武田信玄」を読んだ時から行きたいと思っていた城址です。この攻城戦のエピソードは印象的で援軍に来た上杉勢の首級3千を並べて、戦意を喪失させ落城させたことや、落城後は籠城していた非戦闘員の男女を含め過酷な処置をしたことなど、中学生のころ読んだと思いますがずっと覚えていました。
昨年登城する予定でしたが新型コロナウィルスの影響で今年となりましたが行くことができたよかったです。

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赤い城

観音山梅の里梅園 (2021/11/21 訪問)

梅園の下の駐車場に停めましたが永徳寺の下にも駐車場があります。
永徳寺下の墓地のところの紅葉が見事でした。
永徳寺横に登城口があり、説明板が立っています。
主郭には枡形があり、その先は梅園になっていました。
主郭の周りには空堀が走り、堀底道を一周できます。
この時季だからなのか草も刈ってあり楽に一周できました。
南側には折れのある部分も見られます。
城域は広く、観音堂の東にも堀がありますが藪でした。
益子氏一族の村上氏の居城。
梅の時季には多くの人で賑わいそうです。

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カズサン

【陸奥・大枝城】福島県伊達市 サンドイッチマン伊達君先祖の城 (2021/11/14 訪問)

 以前TVバラエティー番組で漫才コンビサンドイッチマンの伊達君の先祖の城として紹介が有り大枝城を調べ何時か登城をと思い行って見たい城にエントリー、今回の第28回全国山城サミット桑折大会の折には廻ろうとスタンバイして居ました、結果山城サミット桑折大会はリモート開催と成り当日の探訪は出来ませんでしたが二週間遅れで城廻り企画を立て、大鳥城、桑折西山城、梁川城探訪の次に大枝城を初登城致しました。

 所在地:福島県伊達市梁川町東大枝館(37°52'16.9"N 140°36'15.2")
 情報源:古城盛衰記さん、余湖図コレクションさん

 大枝城へは梁川城からは約2km程国道349号線を北上、阿武隈大橋で阿武隈川を渡り県道320号線を西に入り300m程の所に大枝城の指示板が有る、集落、農地の道を進み100m程の所に大枝城への指示板が有り農地、果樹園の道を道なりに登ると本丸駐車場2台可、道駐車場は非舗装土の道です。
 先客軽4が駐って居り声掛けしたらもう済んだのでと手前で待って回転Uターンし帰られ私1台駐車、狭い駐車場なので小型車を回転Uターンさせるのは難渋しました。

 阿武隈川を南に小高い丘陵に大枝城を構えてる南端が高く天守台と成り北側に本丸が構える、二の丸、三の丸と連郭式に低く成ってる、天守台以外は果樹園、農地に成って居る、遺構は有る様ですが私有地果樹園でもあり本丸、天守台跡、眺望を確かめ下城、戻って県道320号線の路駐出来る所に駐車して阿武隈大橋の所まで歩き大枝城全景を撮る。

 歴史:8代伊達宗遠の3男大條孫三郎宗行が大枝を領地した室町時代の初めに築かれた。その後7代の居城となった。天正19年(1591年)伊達政宗の国替えによって7代宗直は伊具郡大蔵村に移り、のち8代宗綱は坂本城主に成った。(内容は天守台の説明板に由る)
 坂元城へは翌15日登城しました。

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