到着が遅くなりましたがライトアップ見れました
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2026/10/25 11:42
2026/10/25 11:34
2026/10/25 11:23
2026/10/25 11:15
2026/10/25 07:13
とことん松坂城(御城番屋敷) (2026/05/05 訪問)
(続き)
最後に、先ほど二ノ丸から見渡した御城番屋敷へ。御城番屋敷は松坂城の警備に任じられた紀州藩士20名の組屋敷として幕末期に建てられた長屋式武家屋敷で、東棟10戸・西棟10戸(現在は9戸)からなり、現在も藩士の子孫が居住していますが、うち1戸分を松阪市が借り受けて一般公開されています(10時〜16時・無料)。裏門から搦手門(竹御門)を結ぶ石畳が東棟と西棟の間を通り、各戸を槇垣で囲んだ家並みはなかなか風情があり、この日も多くの人が訪れていました。また、屋敷地には隠居丸の米蔵を移築したとされる土蔵や紀州藩祖・徳川頼宣(南龍公)を祀った南龍神社が建てられています。
時間の余裕があれば三ノ丸や城下町も散策したいところでしたが、今回はここまで。御城番屋敷から二ノ丸の高石垣を見上げつつ市役所駐車場に戻りました。
…ということで、私を石垣の魅力に目覚めさせてくれた松坂城の高石垣は、この9年の間に各地の名城をめぐった後に目にしてもなお全く遜色のない素晴らしいものであることを再認識。さらに今回は思いがけず土塁にも出会えましたし、御城番屋敷に本居宣長にと大満足の松坂城でした…と思っていたんですが、先日の赤い城さんの投稿で「向こう側が見える水抜き抗」なんてものがあることを初めて知りました。これはまた三ノ丸や城下町の散策とあわせて再訪しなければなりませんね。
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2026/10/25 06:13
関ケ原陣跡制覇ウォーキングの翌日 (2026/09/28 訪問)
続100名城スタンプスタートの年以来、8年ぶりになります。
「れきしるこまき」は初めてでしたが、導入部からコアな部分まで最新研究も取り入れた展示は来訪者が楽しみながら学べるくふうがあり、とても楽しかったです。
前回は自然遊歩道をぐるっとまわった(そして迷子になった)のですが、このたびは雨なのと名古屋行きの高速バスの時間の都合で、大手道を直進、山上の歴史館まで最短で行けるコースにしました。
歴史館内部は、記憶と違うなと思ったら2023年にリニューアルされていました。戦国時代の小牧山城についての展示が詳しくて、とてもよかったです。
現在も歩みを止めない小牧山城。
表面をなぞるくらいしか知らない「小牧・長久手の戦い」についても、もっとしっかり勉強するとお城めぐりをより楽しめるだろうなと思いました。
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2026/10/25 05:38
関ケ原陣跡制覇ウォーキングのあとで② (2026/09/27 訪問)
加納城から新荒田川を渡り、徒歩10分ほどで済美高校に到着。“戦国武将ゆかりの地 岐阜”の幟が目印になりました。
校庭の一角のフェンスで囲われた土盛り(土塁跡?)に城址碑と説明板がありました。岐阜城以前の南北朝時代のお城だったそうです。
鉄棒や滑り台のある、地域に開かれた小さな遊び場のようでもありましたが、正面に祀られたお社に、この地の方々が今日まで長い歴史を守り受け継いできたことを思いました。
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2026/10/25 02:46
新田館跡・岩松氏館跡・台源氏館跡 群馬県太田市 (2026/10/22 訪問)
1.新田館跡
館跡は総持寺が建っている。境内(寺域)は思いのほか狭く、山門の傍らに由緒・梵鐘の説明板がある。諸説あるようだが、新田一族の祖・新田義重の居館説が最初に書かれている。また館は西の早川を背にし、三方を堀で囲む方二丁の広さで、東西に一部堀跡が残るとあるが、西の早川は分かるが、周囲は宅地に変わり全く遺構は分からなかった。なお境内の北側辺りに新田館碑があったようだが、確認しなかった。
2.岩松氏館跡
青蓮寺が建つ場所が館跡になる。こぢんまりしているが、山門(楼門)には金剛力士像が観られる。新田・足利氏の祖、源義国、その子新田義重が居住し・・・との説明板がある。遺構は本堂の背後(北側)に堀と土塁があり、続いているのだが藪になってわずかに確認出来る程度だった。
3.台源氏館跡
住宅地に囲まれた一角に、新田義貞誕生地の碑が建つ。説明板には土塁の一部を整備してと載っている。最初に居を構えた人物など詳しくは書かれていない。遺構として土塁が館のどの辺りか分からない。
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2026/10/24 16:45
2026/10/24 16:25
2026/10/24 15:59
水戸城探訪 (2026/10/14 訪問)
水戸城を訪問しました。前回から一年半ぶりの再訪となります。観光案内所でいただいた散策マップを片手に水戸駅を出発し、広大な城域を巡りました。
水戸城は、深く掘り込まれた空堀や土塁が良好に残る城で、復元された大手門や二の丸角櫓など見どころも多くあります。再訪でしたが、何度訪れても飽きることのない城だと感じました。
今回三の丸にある弘道館周辺の種梅記碑や八卦堂、学生警鐘、孔子廟を初めて見学しました。これらの史跡からは、藩校教育に力を注いだ徳川斉昭の理念の一端をうかがうことができます。
なお、二の丸角櫓は内部見学できますが、閉館が16:00ですので、訪問の際には注意が必要ですよ。
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2026/10/24 13:18
石垣がすごい (2026/10/22 訪問)
火山灰でできた石のため加工がしやすいらしく切込みはぎを中心に隙間なく積み上げられていました
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2026/10/24 10:55
不思議なツンデレ感 (2026/02/11 訪問)
20年来このお城を眺めているが観光廃墟となった城跡には城址碑も案内看板もひとつもないのに訪ねる度に少しずつ見やすくなっていて不思議なツンデレ感がある。この時も今まで見られなかった二重堀切にロープを見つけた。
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2026/10/24 10:26
来年の主役 小栗忠順ゆかりの地 横須賀 (2026/06/19 訪問)
衣笠エリアを巡ったあと、横須賀中央駅へ移動。駅から徒歩20分ほどにあるヴェルニー公園を散策してきました。
公園には、2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公 小栗忠順の胸像が設置されています。小栗忠順は、フランスの協力を得て、日本初の近代造船所の横須賀製鉄所(のちの横須賀海軍工廠)の建設を推進した人物です。日本の近代化、そして今の軍港 横須賀の礎を築いた人物といえます。『鎌倉殿の13人』でも話題になっていましたが、来年もまた大河ドラマで横須賀が盛り上がりそうですね!!
お隣には、公園の名前にもなっているフランソワ・レオンス・ヴェルニーの胸像があります。フランス人の造船技師で、江戸幕府の要請で横須賀製鉄所建設の責任者となった人物です。明治維新後も建設と運営を行い、観音埼灯台の建設にも携わったようです。大河に登場しそうな人物なので楽しみです!!
現在は、在日米軍基地となっていますがヴェルニー公園から横須賀製鉄所のドッグを望むことができます。ヴェルニー公園には、横須賀製鉄所の副首長の官舎のティボディエ邸や連合艦隊の旗艦を務めたこともある戦艦陸奥の41㎝主砲の砲身なども設置されていて見ごたえたっぷりです!!
ヴェルニー公園近くのドブ板通りに移動して、横須賀ネイビーバーガーのお店TSUNAMIさんで、アボカドチーズバーガーをいただきました!!ビーフパティはもちろんのこと、バンズの焼き加減が絶妙でめちゃくちゃ美味しかったです!!
横須賀に来たら、海軍カレーも捨てがたいですが、ハンバーガーもおすすめです!!
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2026/10/24 10:12
怒田城(神奈川県横須賀市) 三浦氏の房総への脱出の舞台 (2026/06/20 訪問)
京急久里浜駅から徒歩15分ほどで到着。城の西側に公園へ登る入口があります。道中の住宅地は迷いやすいので注意してください。(私は恥ずかしながら道を間違えて、かなり時間ロスしました。)
私は最初「おこったじょう?」と読んでいましたが、「ぬたじょう」と読むようです。三浦氏によって築かれた城で、『源平盛衰記』によると衣笠合戦の際は、当初、和田義盛は怒田城での迎撃を主張していましたが、三浦義明によって退けられ、衣笠城での籠城が行われたようです。衣笠城が陥落した際、三浦一族は怒田城まで逃れ、麓の「舟倉」から房総半島へ脱出したようです。
現在は史跡公園として整備されています。ただ県指定史跡の吉井貝塚だった場所に城が築かれていたようで、城址の説明というより、貝塚の説明板が多めといった感じです。それでも発掘調査で空堀跡や土橋が確認され、遺構の部分には案内板が設置されています。土橋跡に怒田城の詳しい説明板が置かれています。先端部分からは久里浜や衣笠方面を望むことができ、崖下に京急線が通る様子を見ることができました。
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2026/10/24 09:58
衣笠城の支城&三浦氏の史跡めぐり~大矢部地区~ (2026/06/19 訪問)
衣笠城から徒歩で佐原城跡へ移動。徒歩で40分くらいです。
三浦義明の末子 佐原義連の居城で、衣笠城の大手を守る支城だったようです。佐原氏は文治5年(1189)の奥州合戦で会津を与えられ、佐原氏の庶流はのちに会津蘆名氏として戦国大名へと成長していきます。横須賀が蘆名氏の発祥の地だったとは、驚きです!!
皆さんの投稿にもある通り、案内板が各地に置かれていて、そこまで迷わずに石碑に到着。石碑そばの木に説明板がつけられている写真を拝見していたのですが、木から降ろされ、石碑の所に立てかけてありました。
ここからは衣笠城からの道中で寄り道した史跡をご紹介したいと思います。衣笠城と佐原城の間に広がる大矢部地区には、三浦氏ゆかりの史跡が多数残されています。
① 満昌寺
衣笠合戦で討死した三浦義明の菩提を弔うため、源頼朝が創建した寺院です。三浦義明廟所と本堂前に頼朝お手植えのツツジがあります。
② 近殿神社
三浦義村(三浦義明の孫)を御祭神として祀る神社で大矢部地区の総鎮守となっている神社です。三浦義村は『鎌倉殿の13人』では、権力闘争のキーパーソンになってましたね。
③ 薬王寺旧跡
薬王寺は和田義盛が父の杉本義宗と叔父の三浦義澄(三浦義明の子・義村の父)の菩提寺として創建した寺院で、明治9年(1876)に廃寺となったようです。現在は住宅地に囲まれていますが、石塔群が残されており、中央の石塔は三浦義澄の墓所と伝えられているようです。
④ 腹切り松公園
なかなか物騒な名前の公園ですが、三浦義明が衣笠合戦の時に、この場所にあった松の木の下で自刃したと伝わっているようです。見た感じは遊具のある公園という感じですが、公園の東側に「三浦大介戰死之處」の石碑があり、そばには松の木が植えられています。
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2026/10/24 09:20
三浦氏の本拠地 (2026/06/19 訪問)
JR横須賀線 衣笠駅から徒歩で京急バスの「衣笠十字路」バス停へ移動してバスに乗車し「衣笠城址」バス停で下車。そこから徒歩16分ほどです。
衣笠城は源平合戦や鎌倉時代に活躍した三浦氏の本拠地で、治承4年(1180)の衣笠合戦では平氏方の攻撃に遭い、源頼朝方の三浦義明が討死したことで知られています。衣笠駅そばで、早速「三浦一党」と書かれたマンホールが出迎えてくれました!!
バス停から県道27号線を進むと太田和街道入口の交差点に、衣笠城追手口の石碑が置かれていました。ちょっと小さめなので、気づきにくいかもしれません。交差点から西に進みお地蔵様のところに衣笠城址、大善寺の看板があり、上り坂を道なりに進んで行くと、大善寺に到着。
大善寺の駐車場近くの階段(本堂側ではない方)が主郭に近い入口です。(本堂側の階段からも主郭へ行くことは可能です。)
階段を登ると、説明板が設置されています。説明板の先の階段を登ると主郭跡に到着します。これぞ遺構みたいなものは少ない印象でしたが、主郭の北側に土塁跡、主郭の奥には物見岩という大岩があります。また物見岩の背後に堀切と思われる遺構が残っていました。
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2026/10/24 08:10
とことん松坂城(本居宣長記念館〜隠居丸~三ノ丸) (2026/05/05 訪問)
(続き)
隠居丸に向かう前に、まず本居宣長記念館へ。本居宣長については、古事記や源氏物語の注釈書を記した江戸期を代表する国学者…程度の認識でしたが、記念館の展示を見学して、本業は医者、活字のような字を書く、和歌と桜と鈴が大好き…など業績だけでなく人となりにも触れることができました。知れば知るほどすごい人だなぁ、と。
本居宣長記念館を出て、埋門から隠居丸に入ってすぐのところに城下から本居宣長旧宅が移築されています。宣長が12歳から亡くなるまで住んでいた家で、医者としての診察は「店の間」、古典の講義は「奥の間」、二階に増築した書斎「鈴屋」は古典研究の場で、研究や執筆に煮詰まると床の間に架けられた鈴を鳴らして気分転換したのだとか。だから鈴屋なんですね。二階の鈴屋には上がれませんが、箱階段の下から見上げるか、埋門から南東に続く石垣の上から覗くことができました。
本居宣長旧宅を出ると、隠居丸を散策します。隠居丸は本丸の南下段に位置し、南隅に櫓があったほか、道具蔵が2棟、米蔵、宝蔵が各1棟建てられていましたが、米蔵が御城番屋敷に土蔵として移築されているほかは現存せず、遺構としては隠居丸跡の石碑の脇に井戸が見られるくらいです。
隠居丸を東側から出て、裏門を抜けて三ノ丸に向かうと、裏門から中御門に続く搦手道は枡形を連続させた構えで、裏門の内側には番所の位置が平面表示されています。三ノ丸から隠居丸の高石垣を見上げて歩いていると、南隅の櫓の石垣下部には石垣修復工事の際に発見された捨石状遺構が見られました。盛土のために脆弱な地盤を補強するためのもののようです。本居宣長記念館に続く坂道の途中で引き返して、最後に御城番屋敷に向かいます(続く)。
なお、石垣修理工事に伴い、埋門は令和11年度まで通行止めの予定で、現在はこの日のように本居宣長記念館から埋門を抜けて本居宣長旧宅へ向かうことはできなくなっています(迂回路あり)。
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2026/10/24 07:36
関ケ原陣跡制覇ウォーキングのあとで① (2026/09/27 訪問)
岐阜駅から徒歩で行けそうだったので宿泊先(東横イン岐阜)にチェックインする前に行きました。
最初に見かけたのが「加納城南大手門跡」の標柱です。住宅街の中にありました。
そしてほどなく長大な石垣と広場が見えてきました。
かつての本丸がまるごと整備され公開されている加納公園。(夜間は閉鎖されます。)
土塁に囲まれた芝生広場に、昔のままの石垣。街なかでこれほどの野面の石垣が見られるとはさすが美濃国。
浮城の面影を探すのは知識も土地鑑もなく困難でしたが、落城した岐阜城の石が運ばれたという伝聞があるとの解説に、目の前にあるのは豊臣から徳川へ、時代を繋ぐ石垣なのだと深く感じ入りました。
一部ぎりぎり住宅に接しながらもかつての姿を留めている大手の出枡形もとても印象に残りました。
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2026/10/24 01:51
温湯城 寺屋敷 (2026/10/23 訪問)
温湯城 寺屋敷に攻城。主郭には到着出来ず。
登城口は【田水】方面の看板から、林道を約500m、数分登った所にあり。
寺屋敷は、登城口から約10分程で到着。道標はあるが、葛籠折で、慣れていないと迷いそうな山道と感じる。
木の川が剥がされていた。(写真②)いつ剥がされていたのかは不明。周辺を確認しながら、慎重に進軍。寺屋敷入口は倒木(③④)もあり。切岸(⑩)もあり。
今日も500m離れた道路と川で工事中。音が寺屋敷迄は響いていたので、野生動物の出没の危険性は多少低いと判断し、攻城。
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