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T-Shionoya

巨岩を中心とした海ノ口城 (2026/04/19 訪問)

毎年この周辺を通るたびに気になっていた城の1つ、前回投稿した海尻城に続き訪れた長野県南佐久郡南牧村の海ノ口城。

海尻城から千曲川を挟んで東へ約2km、山地地形の比高約200mの尾根上に築かれた城。
佐久郡の南端エリアで海尻城と共に甲斐国との国境を警備した支城と考えられる。

築城時期は不明だが、武田信虎による佐久侵攻の際には、佐久平賀城の平賀源心が守備。
攻めあぐねた武田軍は甲斐への帰陣を始めるが、それに気を緩めた源心の隙を突き、初陣の信玄が奇襲を仕掛けて攻略。
このエピソードの真偽は定かでないものの、武田信玄初陣の地として伝わっている。

現在は村の指定史跡となっており、南麓から登るルートには標識が設置され、主郭部には東屋が建つ。

訪問時、標識に従い進んで行くと鳥居峠に到着し、そこから登る急な尾根の途中には、土橋を持つ堀切のような地形が2本存在。
登り切ると3段の曲輪で構成されており、最上段が屏風岩のある主郭。そして主郭の背後、東側の巨大な堀切(東堀)は海ノ口城の1番の見どころ。磐座信仰の場所に置かれた城のようで、鳥居峠には鳥居が立っていたのでしょうか?
東堀から更に東へ進むと、未削平の尾根上に堀切AとBがあるが、Aは明確であるもののBは不鮮明。

城郭構造に海尻城との共通性も感じた、私の城郭巡りの235城目でした。

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張陳

西の京の中心地 (2026/09/20 訪問)

大内氏館跡は、大内義隆の菩提を弔うために建てられた龍福寺となっています。
敷地内には庭園や資料館もあります。
また、周囲は土塁や西門、石組溝など復元された遺構がありますので、お見逃しなく。

私は、この日、「瓦そば柳屋」さんで瓦そばをいただきました。
ただこのお店、大変な人気店で、開店30分後でも40組以上が並んでいました。
私が行った26年9月の時点では、順番が近づくとラインかメールで通知が来るように設定できましたので、まずは柳屋さんで受付を済ませた状態で周辺を見て回ることをおすすめします。
この間に、今八幡宮、八坂神社と築山神社、大内氏館の外周を見て戻ってくるくらいの余裕はありました。

宿はせっかくならば湯田温泉で。
私はホテル喜良久でお世話になりましたが、とてもきれいな宿でした。
どうしても「春来館」でバリそばを食べたかったので素泊まりとしましたが、大満足でした。

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張陳

瑠璃光寺に来たのなら。。 (2026/09/21 訪問)

山口市内で一番の観光スポットは瑠璃光寺でしょう。

山口城はそこから徒歩圏内にありますので、その帰りにでも寄ってみてください。
瑠璃光寺から洞春寺側に進んでいくと、まずはネットで補強された石垣を見ることが出来ます。
石垣に沿って進むと、山口県庁の東側の入口に至ります。
そこから中に入れば、土塁や砲台跡(Googleマップでは東稜堡の砲台跡となっています)を見ることが出来ます。
もう一度、敷地外に出れば堀や石垣を見ることが出来ます。
そのまま進むと藩庁門に至りますので、そちらの見学もお忘れなく。

周辺グルメとしては、「長州そば 東京庵」をおすすめします。
こちらでは蕎麦寿司をいただくことが出来まして、私は妻とそれぞれ蕎麦を頼み、蕎麦寿司を分けたのですが、これはこれで美味しかったです。

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「北海道の名城巡り」3城目、ココは訪れた人が少ないんじゃないかなぁ? (2026/09/20 訪問)

国指定史跡、「続日本100名城」で、松前藩の祖・武田信広が15世紀後半に築いた山城です。
上ノ国では「ノブちゃん」の愛称でキャラクターグッズも色々ありました(^_^)/
中世の北方交易や和人とアイヌの関りを考える上で重要な遺跡です。
建物は一切無く、復元整備された主郭部の空堀や土塁、建物跡、柵、橋、墳墓群、井戸などが見所となります。
ここは、巡るルートが色々あり、どのように見学しようか頭を悩ませていましたが、さらにヒグマが頻繁に出没すると聞き、事前に有料ボランティア(¥2,000/1時間)にお願いしました(―_―)!!
ガイドさんは若い男性で、アイヌとの闘いや共生の様子(上ノ国では和人とアイヌが城内で仲良く暮らしていた)を教えてもらいながら郭内を効率良く巡ることができました。
その後(延長サービスで?)隣接している「夷王山(いおうざん)」も登り(脚力に自信のない人は止めた方がいい)頂上にある「夷王山神社」に参拝してきました。
頂上から眺める日本海や上ノ国の町並みの景色は素晴らしかったです。
今回も写真に沿って説明させていただきますね♪

① 私の勝手なこだわりで毎回1枚目の写真は、(入手できれば)御城印と決めています。右側に「続日本百名城」と味のある書体で書かれた「勝山館跡」の御城印です。左上に勝山館の初代城主だった武田信広の家紋(武田菱)が描かれています。
② 2枚目は毎回「城を代表する景色」を貼ることにしているのですが、定番的な構図がなく悩んだ末、主郭の高い部分から海を見下ろしたこの写真に決めました。海に向かって真っすぐに伸びる主道、左右の建物跡の平面表示、奥には柵が写り、一番「勝山館」らしい景色だと思います。
③ 「本曲輪最上部の土塁」を攻める側から見上げて撮りました。主郭の南端(攻められる側)に位置し、土塁の右側、低く落ちた帯状の部分は「大手空堀」で土塁上には柵が一面貼り廻られています。海から攻め上がって来たアイヌの軍勢は、この二重堀と大迫力の土塁を見上げて心が折れた事でしょう。
④ 大きな土塁を下ると大手空堀(二重堀)に架かる木橋(復元)があり、天の川と町が見える角度で撮りました。
⑤ 4枚目と同じ木橋ですが大手空堀の雰囲気が伝わり難いので、堀底まで降りて、木橋と大土塁を見上げる感じで狙ってみました。
⑥ 主郭内で人が暮らした建物や区画の跡です。一番奥の白い部分(区画)が城主の館と説明を受けました。ずらりと木柵が並んでいますが4、5枚目の土塁を上ってすぐの場所です。なぜ、城主は安全な奥(高台)に館を構えず、大土塁、大手堀切のすぐ手前、敵が最初に攻めて来る場所に館を構えたのか不思議に思いガイドさんに尋ねたところ「客人も多く一番眺めが良い場所に館を建てたのではないか?」とのことでした。アイヌと平穏な関係を築いていた上ノ国ならではですね。
⑦ 搦手の虎口を主郭側から撮りました。この虎口から入ってアップダウンした先には主郭を防御する先ほどの大手堀切や大きな土塁が待ち構えているというわけです。多くの軍勢が一度に進めないように、橋を渡った後しぼられた道などよく考えた縄張りですね。
⑧ 主郭内の斜面にそって整備された墳墓群(アイヌ墓や和人墓の杭が並ぶエリア)から夷王山山頂の鳥居を見上げたアングルです。
⑨ ひと通り説明を受けた後、ガイドさんが「写真が好きなら景色が綺麗なので夷王山(いおうざん)に登ってみますか?」と声を掛けてくれたmpで、娘も私も二つ返事でお願いしました(標高159mですがメッチャ急な坂で、かなりきつかったぁ(^-^;) なんとか無事に山頂に辿り着いて「夷王山神社」にて参拝しました。この鳥居越しに見下ろす景色は、天の川の河口、日本海へと続く海岸線が一望できる、まさに息を呑むような絶景スポットです。この日は雲で見えませんでしたが、条件の良い日には奥尻島まで見渡せるそうですよ(^◇^)
⑩ 最後はお世話になった「勝山館跡ガイダンス施設」の外観です。勝山館を訪れた際は必ず立ち寄りたい重要なスポットです。スロープやレンガ調のアプローチ、特徴的な和風の木目を取り入れた平屋建ての建物が周囲の豊かな緑とよく調和しています。続100名城スタンプや御城印もここで揃います。館内も見所満載で1/200スケールの館跡復元模型は、館跡の全貌が驚くほど精巧に再現されています。施設の地下には、発掘された和人やアイヌの墓がそのままの型取りでリアルに再現されていました。他にも貴重な出土品の展示があり見学していたら30分も経っていました。また、施設から望む勝山館の館跡や墳墓群が広がる斜面を見下ろし海に続く景色は絶品ですよ~

函館に住む私ですが、上ノ国町に来たのは初めてで、時間的余裕があれば、重要文化財「旧笹浪家住宅土蔵」や同じく重文「上國寺本堂」、「上ノ國八幡宮本殿」などにも寄ってみたかったのですが、この後に行く城が本日のメインだったので、未練を残しつつ松前に向かいました。

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張陳

竹田城にも負けてない!天空の石垣の城!! (2026/09/19 訪問)

連休を利用し、1泊2日で津和野を訪れました。
私の場合は、新山口駅まで新幹線で向かい、そこから特急で津和野に、、向かう予定でしたが、生憎と車両トラブルで運休。
鈍行で向かうことになりましたが、その鈍行も雨の影響で速度を落として運行と出鼻を挫かれてしまいました。
もっとも、鈍行でもトイレ付きの車両ですから安心ですし、行けないことはありません。
そのような暗雲立ち込めるなかでも、車窓から山頂に石垣が見えると、気分は非常に晴れやかとなりました。
津和野駅が近づきましたら、窓の外にも目をやってみてください。

その日は城跡以外を見て回り、翌日、津和野城に向かいました。
津和野では、駅前の観光協会で電動自転車を借りることが出来ます。
城跡の入口までは少し距離がありますし、坂道ですので、徒歩よりは電動自転車をおすすめします。


城跡の入口から、スキー場にあるような観光リフト(有料)に乗れば、城跡はすぐそこです。
津和野城は一城別郭の城ですので、まずは手前の出丸(織部丸)から見学しましょう。
こちらも石垣がよく残っていて、眺望もいいですから必見です。

その後、本城の方に向かいます。
26年夏当時は改修工事中でしたので、足場を辿って内部に入っていきます。
ルートに従って進めば、台所櫓付近に出ます。
そこから天守台方向に向かうと、東門、西門と内側から見学できます。

その後、天守台方面と南門方面との分かれ道に出ますが、私のオススメは先に天守台方面に進むことです。
そうすると、天守台、一段上がって本丸・三十間台と城跡の最高所に至ります。
三十間台から北方に進むと太鼓丸という郭にたどり着きますが、ここの虎口はきれいですのでお見逃しなく。
また、三十間台の南方からの眺めは、人質櫓、三ノ丸越しに城下を臨め、一番良い景色だと思います。

その後、分かれ道まで戻り、南門方面に向かいましょう。
津和野城の石垣としては、人質櫓の石垣が最も迫力があり、きれいに見ることが出来ますから、そこを最後の楽しみに。
もっとも、南門も石垣がきれいに残っていますので、お見逃しなく。


長々と話してしまいましたが、津和野城は魅力たっぷりの城跡です。
私は石垣が残っている山城が好みなのですが、津和野城は最高評価でした。



最後の周辺観光を。
リフト乗り場から直ぐの場所にある太鼓谷稲成神社では、御城印も購入できますし、お立ち寄りください。
また、津和野高校近くにある物見櫓と馬場先櫓は津和野城関連の遺構ですし、永明寺には移築門もありますのでお見逃しなく。

夕食は福寿しさんでいただきました。
津和野で魚?と思われるかもしれませんが、大きな生け簀もあり、お寿司はもちろん、鰻や高津川産の鮎など、どれも美味しかったです。

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シャンシャン

海山城跡(愛媛県今治市) (2026/09/22 訪問)

今治市にある城びと未登録の砦跡。
かつては8世紀頃に海を監視する砦が築かれ、その後村上水軍も利用していたとのこと。残念ながら遺構はほぼ残っておらず、天守っぽい展望台があり公園として整備されている。
ただ、観光地になっている付近の展望台と違い、こちらは人が全然おらず隠れた名所だと思う。360°見渡せる絶景と特に瀬戸内海に架かる来島海峡大橋がすごい!

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シャンシャン

村上水軍の海城 (2026/09/22 訪問)

村上水軍が住処にしていた来島城。
渡し船で5分で到着。帰りの船が約30分程で来るため、島の中を駆け足で訪問!
ここの見どころは何と言っても、無数に残る岩礁ピットと岩をくり抜いた階段跡。海賊たちがここに船を泊めて、この階段から本丸に上がっていたと考えるとロマンを感じる。ただ、満潮の時は岩礁が海に沈んでしまうため、訪問前の干潮時間は要確認。
石垣や曲輪跡もあり小さいながらも見応えのある城跡だった!
また、渡し船から造船中の大型船を間近に見ることができ、こちらも男心をくすぐる風景!

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シャンシャン

奇麗な神門が残る城跡 (2026/09/01 訪問)

高槻市街地にある高槻城。
残念ながらあまり目立った遺構はないけど、すぐ近くの神社に高槻城から移築された神門(唐門)が現存している。もちろん二条城の唐門などと比べると見劣りしてしまうが、奇麗に整備されており見応えがある。
また、少し離れたお寺にも移築された高麗門が残っており、貴重な現存遺構が残っている。
高槻市立しろあと歴史館では、高槻城の歴史やかつての姿を再現したジオラマを見ることができる。

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シャンシャン

堂々たる木造復元天守 (2026/08/29 訪問)

いつか行きたいと思っていた紫電改展示館が8月末で一時閉館となるため、その前に滑り込みで訪問。
その帰りに大洲城を外観だけ見学。肱川橋は城の全景が見られる絶好ポイント。

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シャンシャン

2度目の宇和島城 (2026/08/29 訪問)

愛媛の南端にある紫電改展示館に行く前に、宇和島で宿泊した際に訪問。
現存天守ももちろんいいけど、様々な時代の石垣が良好に残っていて見応え抜群!
個人的には特に長門丸の50mにも及ぶ石垣の連なりや、櫛門跡から見る天守がオススメ!

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シャンシャン

高梁市の陣屋跡 (2026/08/22 訪問)

岡山県高梁市にある成羽陣屋跡(城びと未登録)。
本来の目的地に向かう途中でたまたま大きな石垣が目に入り、なんだこれ!?と思って車を止めて訪問。
城びと未登録だったけど、江戸時代にこの地を治めていた山崎氏の御殿跡とのこと。巨石が積み上げられた石垣は見応え抜群!
こんな片田舎(失礼!)にこれだけの規模の御殿を築いた山崎氏の力が大きかったことが窺い知れる。本当に偶然通りかかっただけだったけど、見ることができて良かった!
現在は跡地にすごくモダンな美術館が建っている。

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シャンシャン

現存櫓が残る大分の100名城 (2026/08/08 訪問)

空襲で被害を受けたものの、現存の人質櫓と宗門櫓が残っている府内城。
城跡自体はそんなに広くはないものの、立派な水堀と石垣に囲まれており、復元された櫓や廊下橋もあり見所多し。
皇居ランに比べると遥かに規模は小さいけど、城跡をぐるっと回るのはいい散歩コースになりそう。

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シャンシャン

大友宗麟の館跡 (2026/08/08 訪問)

南蛮貿易で名を馳せた大友宗麟の館跡。
隣接されている南蛮BVNGO交流館は入場無料で、大友氏や南蛮貿易の歴史を知ることができる。
1595年にポルトガル人のルイス・ティセラという人物が制作した、ヨーロッパ初の日本地図にもBVNGO(豊後)という記載があり、当時大友宗麟がヨーロッパまで名が知られていたことが窺い知れる。
日本庭園は復元されていたが、館跡はまだまだ発掘中のようなので、これから整備されたらまた来たい!

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シャンシャン

眼鏡橋のある城跡 (2026/08/06 訪問)

長崎にある眼鏡橋と言えば長崎市内のものが有名だけど、諫早にも眼鏡橋があった!(城の成り立ちとは関係なし)
この城は小高い丘に造られていて、虎口や武者走り、曲輪などがコンパクトに収まっていて手軽に回ることができた。
日本の歴史公園100選に選ばれていることもあり、登城路も整備されており、随所に説明版もあってわかりやすい。
眼鏡橋も立派な石造りで、歩いて渡ることもでき歴史を感じることができた!

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ゆいひろ

ひこにゃんに会いに(笑) (2026/09/05 訪問)

2泊3日の彦根・関ケ原旅。国宝・彦根城では現存天守の迫力に圧倒され、名勝・玄宮園からの美しい景色も堪能しました。関ケ原では記念館で合戦の熱気を体感し、陣跡巡りは次回の楽しみに。歴史を深く味わった充実の3日間でした。

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南宮山 (2026/10/03 訪問)

 関ケ原の戦いのときに毛利秀元が布陣した南宮山へ行って来ました。城びとには未登録の陣城で、松尾山城の周辺観光として投稿します。
 南宮山の頂上ではなく少し下がった東尾根に陣城は築かれています。登城路は南宮大社の奥にある安国寺恵瓊の陣跡がスタートで南宮山ハイキングコースとして整備されていて宝珠院趾までは木段になっていますが、その後は比較的緩やかな坂を登ります。歩きにくい場所もありますが、山城に慣れた方なら許容範囲でしょう。堀切、竪堀、土塁、櫓台などが残っています。主郭には石碑、説明板がありました。主郭から大垣城方面は見ることができますが、関ケ原古戦場方面は見えません。説明板には「ここからは、大垣序は望めても、関ケ原を望むことはできない。大垣城を取り囲む東軍を牽制するための布陣と推測される。」と書いてありました。縄張り図を見ると主郭の西側にも曲輪が展開し堀切などあるようですが、「これより先はハイキングコースではありません。立入をご遠慮下さい 垂井町」の標識があり見学は断念しています。主郭からの眺望はいいのですが、この日はもやがかかっていました。「宰相殿の空弁当」というエピソードがありますが、毛利秀元はここで弁当をたべたのか食べなかったのか。この日は朝早かったので自分はすぐに下山しましたが、昼頃なら景色を眺めながら本当に弁当を食べてもいいかなと思いました。

 山城シーズンも近くどこかで足慣らしようと思い南宮山を選択しました。以前に登った時に歩きやすかった記憶があり選択したのですが、主郭まで1時間近くかかりそれなりにしんどかったですね。ハイキングコースになっていて、この日も多くの方がハイキングを楽しんでみえました。日差しの多くは木々に阻まれてそれほど暑くもなく風もあって歩きやすかった。

 JR垂井駅から徒歩約15分で南宮大社に行くことができます。その奥にある南宮稲荷神社を経由して登城口である安国寺恵瓊陣跡まで5分くらいでした。南宮大社近くには吉川広家陣跡もあります。

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橋吉

大溝陣屋総門もお薦め (2026/10/02 訪問)

大溝城の築城は1578(天正6)年とも1581(天正9)年ともいわれています。
織田信長が、甥(弟・織田信行の長男)の織田(津田)信澄に作らせました。
城の縄張は明智光秀によるといわれています。
大溝城の築城により、信長の安土城のほか、明智光秀による坂本城、羽柴秀吉による長浜城とともに琵琶湖の四方に城を配置することで、近江の水運、琵琶湖の制海権を掌握しました。

本丸の石垣、天守台が残されています。
老人施設の脇の細い通路を進んで行きます。

三の丸、二の丸は高島市民病院の駐車場になっています。

大溝城は1585(天正13)年廃城となり、部材は水口岡山城へ移されました。

1619(元和5)年、伊勢上野より分部光信が入封し、大溝藩が立藩しました。
大溝城三の丸付近に陣屋を構え、織田信澄がつくった街割を元に城下町を整備しました。
陣屋前には武家屋敷を集め、その入り口に立てられたのが総門が残っています。

総門の隣に2台分駐車スペースがあります。
また、自転車やバイクは黒塀に沿ってとめることができます。

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ぴーかる

笠置寺 (2026/09/20 訪問)

【笠置城】
<駐車場他>駐車場あり500円
<交通手段>車

<見所>巨石
<感想>日帰り近隣の行っていない城 穴埋め旅ラスト3城目。京都府教育委員会のサイトによると1331年に後醍醐天皇が2度目の倒幕計画がばれて御所からこの笠置山に移り、倒幕の挙兵を起こします。元弘の変の始まりの地です。笠置山の寺院は奈良時代からあったのでここを城塞化したようです。幕府軍が攻めてきて全山焼亡し後醍醐天皇は捕縛されて隠岐の島に配流されます。戦国時代には山城守護の細川晴元の守護代木沢長政が当城に入城しています。
 参拝料500円かかります。受付の右手に転載禁止だが撮影OKの収蔵館があり奈良時代の物もあり見応えあります。進行ルートに沿って散策します。巨石が多数あって、巨石に磨崖仏を彫った遺構があり楽しめます。山頂が後醍醐天皇の御在所跡だったようで、その下段にもみじ公園となっている宝蔵坊跡があります。僅かに石列が残ります。二の丸跡や貝吹き岩のある曲輪など多数曲輪が残っていますが国史跡なので柵を越えて散策するのはやめておきました。隠岐から脱出した後醍醐天皇が身を置いた鳥取県の船上山城もそうでしたが、鎌倉時代の城なので、あまり技巧的な遺構は見受けられなかった。散策は眺望も良く、私の好きな巨石も沢山あって楽しかった。
 これにてこの旅終了。朝6時に出立して笠置寺を見終えたのが夕方4時、結局1日楽しみました。西へ東へ移動して176㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇
<グルメ>道の駅みなみやましろ村を紹介したいところですが、道の駅って最近超混雑して駐車するのに大渋滞となるのでお勧めしません。私が城巡り始めた頃はよく立ち寄ったこの道の駅も空いていたのに・・・。南山城村はお茶の産地で美味しいです。「南山城村農林産物直売所」にも同じお茶が販売されているのでこちらが空いています。道の駅にも売っている産直の卵もあります。

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カズサン

11年振りの上田城-2/3石垣編 (2026/09/23 訪問)

 上田城の石垣は二の丸東虎口、北虎口、本丸東虎口、西虎口、尼ヶ淵の崖補強石垣、本丸東虎口前の土橋両端面の虎口が中心で本丸の北上段境目に低い石垣で上段下段と分けている。
 上田城は天正11年(1583年)真田昌幸に依って築城されるが土の城の様です、徳川氏の与力大名と組みされて居ましたが、徳川氏との攻防戦を2回行い徳川軍を退けています。
 関ケ原後真田昌幸の長男信之は東軍に与し、戦功により上田城9万5千石を与えれれましたが、上田城は幕府に徹底的に破壊されて居り本丸二の丸は使用せず三の丸の水堀を巡らした方形御屋形屋敷で政務生活をこなし、元和8年(1622年)仙谷氏が入封し破壊されていた上田城は修復が始まり堀の掘り起こし、石垣造りが行われて、現在の石垣は仙谷秀久の息子忠政により行われた。
 本丸東虎口門前の真田石成る鏡石は真田氏築城の時の鏡石なのか?時代の流れを読むと仙谷忠正修築時の鏡石の様に思えるが、上田城は真田推し、真田熱が多く鏡石も真田石と成ったのかも?
 仙谷忠政が寛永5年(1626年)に死去すると修復普請は中断され5年間の普請で未完成の状態で終わった模様。

 11年振りの上田城-/3/3土塁と堀編に続く。
 

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HKISD

山中城散策 (2026/09/27 訪問)

見事に整備されていてきれいな緑が一面でした。堀のきれいな形は見事でした。

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