今回は高良山神籠石が目的ではなく、その中腹にある吉見岳城を訪れました。吉見岳城はかつて1570年、大友宗麟が龍造寺を攻めた時にここに在陣し、大友によって現在のような縄張りが造られたとされています。そして秀吉が九州に上陸した翌月の1587年4月、秋月種実は益富城で秀吉軍に敗北し降伏します。その直前には、立花宗茂が岩屋城・宝満城をも奪還し筑前・筑後から島津忠長軍を一掃、秀吉はここ筑後高良山の中腹にある吉見岳城へ入り、肥前へ睨みをきかせました。
すると何と、秀吉10万の大軍を見て恐れをなした肥前の龍造寺家政(隆信の子)と家老の鍋島直茂は、吉見岳城を訪れ秀吉に戦わずして降伏し臣下に入ったそうです。これで秀吉は、肥前をも平定する事ができました。
高良大社への登山口石段の100m手前に吉見岳への登山道があります。御井町のバス停から整備された道の軽い登りを登る事40分、標高160mの吉見岳城に到着しました。
現在の主郭には琴平神社があり(写真①)、その周辺には空堀や切岸や竪堀など、大部分が人工的に造ったと思われる段々に削った跡が、とても多く残っていました(写真②③)。また三ノ曲輪(写真④)からは、西側には肥前(佐賀平野)(写真⑤)北東側には筑後(筑後平野)(写真⑥)、また北を見ると筑前の立花山や宝満山(写真⑦)までよく見えました。南を見上げると高良山(高良大社)がそびえています(写真⑧)。
秀吉もこの展望台の場所(写真⑨の場所)に座り、この景色を眺めたと伝わっています。順調にここまできた秀吉は、どんな思いでこの筑後平野や佐賀平野の景色を眺めていたのでしょうか? 大きな戦らしい戦もなく順調に来た半面、「秀長は大丈夫だろうか?」と、逆に弟の事の方が、心配になってきたのではないでしょうか?
帰りにバスから電車に乗り換える途中、西鉄久留米駅構内の店で、久留米ラーメンを食べて帰りました。さすが豚骨ラーメン発祥の地、これが久留米の味です😋(写真⑩)。
次は、九州最大の決戦(豊臣秀長VS島津全軍)「根白坂の戦い」に続きます。
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