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姉川古戦場散歩 (2026/08/20 訪問)

 三田村城は姉川の戦いの際には浅井氏の援軍として遠征してきた朝倉景健が陣を置いたとも伝わっています。
姉川の古戦場は一部しか行ったことがなかったので、ぶらぶらと散策してきました。浅井長政、徳川家康、織田信長の陣の跡など回って来ました。それぞれの場所に設置してある姉川の戦いの説明板には番号があります。説明板が設置してある全部に行けたわけではありませんが、回れる範囲で見て来ました。説明板を投稿しています。
 暑い日でしたが、雲も多く日を隠してくれました。また風が気持ちよかったです。

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翡翠

スタンプを押しに (2026/08/16 訪問)

今回は、途中まで車で行ける道を歩いて登城しました。綺麗に整備されていました。でも結構キツかったです。

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翡翠

スタンプを (2026/08/16 訪問)

2月から、続いた咳も治り、今回はスタンプを押しに。22時くらいにホテルについて宍道湖を見ながら松江城まで歩いて行ってみました。片道約2キロ往復4キロ。朝いちで松江城の周りを歩いて裏から登城。ゆっくり見たかったのですが、駆け足で次の月山富田城まで。

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カズサン

本丸御玄関前御門跡説明板を新発見 (2026/08/12 訪問)

 静岡に用事が有り、用事前に30分程チョイ寄り、車は市民文化会館修復中で地下駐車場が利用できず南接のタイムズ静岡市民文化会館修景広場有料駐車場を利用。
 
 駐車場より東御門より入り発掘出土した内濠本丸濠を過ぎると静岡おでんを売ってる公園内売店辺り通りの北側に「本丸御玄関前御門跡の屋根付き説明板」を発見、あれ今まで見ていなかったなぁ~と認知し、早速撮影熟読、最近新設されたのでしょうか?見落としていたのでしょうか?とにかく初対面でした。昨年は8月に登城して1年振りでしたが昨年にはこの説明板は記憶にない、隣にある天守台活用の公園化計画の説明板3枚は記憶に有るのですが御玄関前御門の説明板は無かった。
 此処は東仕切石垣と西仕切石垣に囲まれた桝形構造に成っており、現在は静岡おでん公園内売店と児童公園と成っており、仕切石垣は東西とも一部が残って居り、内濠本丸濠は当然埋められております。私自身新発見でしたのでタイトルに記して投稿させて頂きました。
 
 復元坤櫓を二の丸側から中濠沿いから眺め、二の丸御門跡桝形外石垣と中濠を眺め、現二の丸橋を渡って二の丸内、静岡おでん前、復元東御門、復元巽櫓を中濠沿いから、隣は新しく出来た静岡歴史博物館。
 東御門を眺めると三の丸に現在の天守、静岡県警本部タワービルが聳えてる。
 結構人出も有った、30分程真夏日の蝉しぐれで暑さも誘うチョイ寄りでした。
         

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トク

19【秀長の四国平定をたどる】一宮城(豊臣秀長VS長曾我部元親) (2026/05/08 訪問)

徳島駅前から[18]のバスに乗り40分、「一ノ宮札所前」で下車するとそこが登城口です(写真⑩)。帰りのバスは3時間後の便にターゲットをしぼって、ゆっくりと回る事にしました。続100スタンプを押し、一宮神社で安全を祈願し、さあ登城開始します!(写真①)。でも「おさるさん」もスタンプを押しに来るって書いてあるけど、本当なの??😱!(写真②)。

途中には、明神丸や才蔵丸という二つの出丸がありその間は堀切で遮断されていました。ここが本丸を守る防御の要のようです。そして登城開始から30分、健脚でない私でも意外と軽く山頂の本丸までたどり着く事ができました。そしてそこには野面積の見事な天守台と石垣があります(写真③④⑤)。この石垣は秀長の四国攻めの後に、その功で入った蜂須賀家政(正勝の子)が築いたとされています。

本丸から北を眺めると辰ヶ山が、東を眺めると遠く徳島市街や淡路島までかすかに見えました(写真⑧⑨)。天気もよくて、とても気持ちがよかったです。この後は、小倉丸や水ノ手丸や陰滝を通り、ぐるりと一周して戻りました。特に小倉丸周辺は、空堀や竪堀や土塁のパラダイスでした(写真⑥⑦)。石つぶての跡や、鎖をつたって降りる場所もスリルがあり、どの方向からも攻めるのは難しい、要塞堅固な城だと感じました。

1585年、体調を崩した秀吉に代わり、秀長は四国攻めの総大将を任されます。毛利軍は伊予に上陸、宇喜多軍は讃岐、そして秀長軍は阿波に上陸、3方向から攻めます。秀長は木津城を難なく攻め落とした後、5万の軍勢で長曾我部元親の家臣「谷忠兵衛」5千が籠城する「一宮城」を取り囲みました。長曾我部軍が最も頑強に抵抗したのがこの一宮城です。秀長軍の連日の攻撃にも屈せず、なかなか落ちる気配がありません。

そこで秀吉は、体調が回復したため自ら大坂城を出陣し、膠着状態を打開しようとしますが、秀長はそれを制止したそうです。ここまで来たからには、自分で最後まで決着をつけたかったのかもしれません。兄者は大坂に留まるようにと書状を送ったようです。

しかしこの後、戦いは予想外の方向に進みました。籠城する事1カ月、秀長の軍勢に囲まれ、兵糧や水の手も断たれ、兵力や鉄砲の数など全てに圧倒された忠兵衛は、戦う事をあきらめて戦場を抜け出し、長曾我部元親が陣を敷く白地城に行き、降伏するよう求めたそうです。元親は「おめおめと戻り、降伏せよとは何事か! 忠兵衛、腹を切れ!」と叱咤しますが、他の家臣も忠兵衛に同調したため、元親はここでやむなく降伏する道を選んだようです。

本丸からは、秀長の本陣があった辰ケ山が目の前に見えました(写真⑨)。当時あそこには豊臣の旗が無数になびき、眼下には5万の軍勢でぎっしり埋まっていたと思います。秀長軍に取り囲まれた谷忠兵衛は、この本丸でどれだけの恐怖におびえていたのでしょうか?

また逆に元親が降伏した時、秀長はどんな思いであの辰ケ山から、この一宮城を見つめていたのでしょうか? 「やったぞ!兄者~!」、総大将の役目を果たした秀長は、思わずそう叫んだのではないでしょうか・・・🤔。

次からは、秀長の(九州平定)をたどって行こうと思います。
 

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イオ

織田一門の城の規模感 (2026/02/15 訪問)

織田信長の南伊勢侵攻に備えて北畠具教が三渡川・百々川の河口部に築いた細頸城を前身とし、北畠氏の養子となった北畠信意(織田信雄)が田丸城に代わる居城として改修しました。清須会議の結果、信雄が清須城に移ると家老の津川義冬に預けられましたが、信雄と羽柴秀吉が不和となると秀吉の流した流言を信じた信雄に謀殺された義冬に代わって滝川雄利が入り、小牧長久手の戦いでは蒲生氏郷、羽柴秀長らの包囲を受けて開城。戦後は氏郷が城主となるも、松坂城を築いて居城としたことにより廃城となりました。

松ヶ崎公園の駐車場から登城開始。城跡は宅地や田畑になっていて、明瞭な遺構としては本丸跡に天守台が遺るくらいです。天守台の前には城跡石碑と説明板、案内板が立てられ、天守台の北側には田んぼが広がっていますが、往時は本丸の北側は海に面していたとされます。そのほか甚太川は南西辺の外堀、百々川は北西から西辺の外堀の名残で、百々川沿いには船入が設けられていたようです。

天守台くらいしか見るところがないと思っていましたが(実際その通りですが)、外堀の名残の川沿いにひとめぐりすると、壮麗な金箔瓦葺きの五重天守を擁したという織田一門の城の規模感くらいは感じられました。
 

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todo94

お盆帰省時・埼玉県の攻城② (2026/08/14 訪問)

忍城からの転戦です。ここでも目的は、城カードの購入です。博物館には入館しませんでしたが、城址は軽く一巡りしました。夏は草が伸びていて土塁・空堀の見栄えはあまり良くないですので、無理をする必要はありませんよね。いつもの夏よりは気温は低いものの、日差しは強く、汗ばむ程度には汗もかきました。

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土塁が高い (2026/08/13 訪問)

 城びと先達に倣い、於大公園に駐車して徒歩でアプローチ。
 近づくと、残存土塁が厚みの割にものすごく高いです。こんなのが周囲を取り巻いていたのかとびっくり。しかし、愛知の山城ベスト50を歩く、を見ると、「絵図を見ると、土塁の高さは、約4.5mとなっており、現存土塁Aと主郭Ⅰの高低差が6~7mほどあるので、主郭Ⅰは今よりも高かったのではなかろうか」と。
 現地説明板によると、「三方が山地形で、東側が急な崖」と。東側は崖地形でしたが、山地形ってどんなでしょう。こんもり高台ですかね。
 イオさんのカルタ必勝法に付け加えると、現場での、カード位置の記憶ですね。先日のカルタ大会で、にのまるさんにやられた、一番の差だと思います。

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カズサン

賀茂真淵記念館主催-加藤理文氏夏期講座受講 (2026/08/05 訪問)

 毎年恒例の賀茂真淵記念館主催夏期講座が浜松市地域情報センターホールで有り今年も加藤理文氏夏2講座を受講しました。今年はNHK大河ドラマ豊臣兄弟に因んで加藤理文氏夏2講座は、7月下旬に「大坂城と聚楽第」8月上旬に「伏見城と豊臣新城」と題した講座各2時間。
 
 大坂城は最近公開されている豊臣石垣館を始め発掘調査結果、豊臣大坂城の絵図、屏風絵、復元大坂城縄張図を基に解説、スライド説明でより実態を体感。
 
 聚楽第も最近の発掘調査を踏まえ、聚楽第復元縄張図を基に解説、遺構趾、石碑標柱のスライドで現状を説明解説、古絵図、屏風絵による説明も有り実感想像を膨らます。
 
 伏見城は指月の城と木幡山の城を現状地図上で位置を示し、伏見城古絵図、木幡山伏見城現状図と木幡山伏見城赤色立体図、加藤図伏見城をスライドで映しながらの解説。
 慶長の大地震を挟んで4度建て替えられたと、4度目は関ケ原の後の徳川伏見城との事。伏見城は現在明治天皇御陵と成っており立入禁止、周辺を覗き伺う程度との事。

 豊臣新城/京都新城は最近京都御所内裏に隣接した地で発掘調査により石垣根石が発見され新聞紙上で賑わいました、古文書、各日記などで存在を窺うことが記されていたがはっきりとした事が判っていなかったと。石垣の発見で豊臣の内裏に隣接した城の痕跡が確実に成ったとの事。今回の発掘調査もごく一部でまた仙洞御所内と言う事も有り今後の調査も難しいのでは。
 築城1年程で秀吉が亡くなって居るので正式な名前が残って居ないとの事、加藤氏の言では「京都新城」と統一したとの事。
 発掘調査現場の石垣写真スライドで解説も有りました。

 静岡県では浜松市水窪出身の日本城郭協会常務理事加藤理文氏、静岡に静岡大学名誉教授/日本城郭協会理事長小和田哲男氏がいらっしゃり、事ある毎に加藤先生、小和田先生の講座を聴く事が出来て大変ありがたい事です。
   

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イオ

古城(三重県亀山市川崎町) (2026/02/15 訪問)

古城(ふるしろ・城びと未登録)は、八島川東岸の河岸段丘上に位置し、築城時期等は不明ながら対岸の峯城の古城または峯氏の居館と考えられるようです。現在みられる遺構は、賤ヶ岳の戦い・小牧長久手の戦いにおいて羽柴軍が峯城を攻めた際に改修されたものとみられますが、羽柴軍の陣城とも峯城の支城ともいわれ、詳細は不明です。

峯城から徒歩で登城しました。柴崎公民館を過ぎて進むと八島川の向こうに古城が見えてきます。橋を渡り坂道を上ったところに古城跡の説明板が立てられていました。説明板の縄張図を参考に、坂道を少し戻ったところの登城口(土塁の切れ目)から城内へ。登城口から北に東辺の土塁が続いています。竹と倒竹をかいくぐって進むと竹藪の中に土塁と横堀が複雑にめぐらされています。北辺の土塁で西に折れると三重の横堀と土塁が! 土塁上を歩いたり堀に下りたりしばし土の城を堪能した後、主郭へ。主郭の外周は分厚い土塁で囲まれ、東辺の虎口南脇の土塁は櫓台状になっています。北西辺の開口部から西側に出ると、八島川に面する斜面沿いに横堀が設けられていました(草木が生い茂り見づらいですが)。

竹藪の中の小さな城ながら、縦横にめぐらされた土塁と横堀は大いに見応えがありました。15分程度でひとめぐりできますので、峯城とあわせてどうぞ。ただ、ほぼ未整備であり城内ではサルに遭遇しています。その点はご注意を。
 

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にのまる

ぶどう園の景色と共に。 (2026/06/29 訪問)

勝沼ぶどう郷は車窓からの眺めが中央東線随一と言っていいほど素晴らしく、この景色を見るために電車に乗りに行ったこともありますが、下車して勝沼氏館へ行くのは久しぶりです。

広大なぶどう園を眺めながら坂道を30分くらい下って到着しました。(帰りはずっと上り坂なので曇天でよかったです。)

最初に内郭を見学しました。
居館だけでなく工房や庭園もあり、発掘物の数々がこの場所に濃密な暮らしがあったことを物語っています。石組みなどで再現された建物跡が想像の助けとなりました。

続いて東郭へ向かったのですが、一旦旧甲州街道に出てぐるっとまわって行くと、東郭のさらに東側の「館外屋敷地」に『家臣屋敷』なる建物が。
この建物は記憶がないので前回見逃しています。内郭の説明板に「東郭の建物は礎石を持たない掘立柱建物で(内郭とは)明確な格差があった」と書かれていたので、ここも本来はそのような建物群だったようです。

大きな土塁で阻まれた向こうに外郭帯のひとつである東郭。この場所は主に工房群だったそうで、職人居住棟もあり、館の規模が徐々に拡大していったことが理解できました。

発見されたのがのが1974年と最近で(1981年国史跡指定)、明らかになっていない真実がまだまだ眠っていそうです。

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赤い城

木津城 大阪市西成区 (2026/07/17 訪問)

岡山砦の後、次の所用までもう少し時間があったので訪問しました。
城びと未登録です。

新今宮駅から徒歩で10分くらい。
ニトリの横にある出城公園が城跡です。
名前が残るものの遺構は残りません。

石山本願寺の支城のひとつ、毛利氏が本願寺に兵糧を搬入する際に機能したとされています。

この後天王寺でたこ焼き食べようと思っていましたが次の予定が迫っており断念しました。


【見どころ】
 ・心眼を鍛えるしかない

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todo94

お盆帰省時・埼玉県の攻城① (2026/08/14 訪問)

週間予報では、8月14日は1日雨の予報でした。雨だったら実家でおとなしくしているつもりでしたが、雨が降る様子はなかったので、墓参りを済ませた後、ドライブに出発しました。まずは、忍城に向かいます。行田市郷土博物館にて城カードを購入しましたが、入館はせず城の周囲を一巡りしました。雨どころか、御三階櫓のバックには青空が広がっていました。

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イオ

赤色立体地図お城かるた必勝法!

……はい、タイトル詐欺です(笑) そんなものを知っていたら完敗してませんよね。ただ、必勝法ではなくても、これから赤色立体地図お城かるたに本気で挑戦してみよう! という方の何がしかの参考になればと、私のかるた対策をいくつか挙げてみますと…。

1.まず絵札を覚える
上級クラスにおいては大前提です。最初は一枚ずつ「これは〇〇城」と覚えていくことになると思いますが、かるた大会では一定の向きで整然と並べられるわけではないので、慣れてくれば上下を逆にしたり横にしたりして、どんな方向から見ても判別できるようになるのが理想です。部屋やテーブルの上にならべて実際にやってみるのも良いですね。最初は「こんなの覚えられるのか?」と思いましたが、繰り返していればほどなく覚えられますので、ご安心を。

2.おおまかなイメージを掴む
絵札を全て覚えられたとしても、かるた大会ではひとつひとつじっくり見て探す余裕はありません。最大50枚の絵札の中からいち早くお目当ての札を見つけるには、「この城はこんな感じ」というおおまかなイメージを掴むのがまずは良いかと思います。例えば、花巻城は「白っぽい札」と思って見渡せば、50分の1を10分の1以下に絞り込むことができるはず。さらに進めて、にのまるさんのように具体的なイメージに置き換えて特定できればなお良いでしょう(私はおおまかなイメージ止まりでした)。

3.読み札の句と絵札を対応させる
にのまるさんが読み札カードを自作していたように、読み札の句の最初の五文字までで何城か特定できるようになるのも重要です。さらに読み札の句を聞いてから絵札を探すのではなく、あらかじめ場の絵札を見て「この城の読み札の句は…」と頭の中で思い描いておくと、その句が読まれた瞬間に反応できると思います(ある程度、場の絵札が減ってからでないと難しいでしょうけど)。私は残り数枚にならないとできませんでしたが、にのまるさんはこれを実践しておられました…たぶん。

4.決まり字を意識する
城びと公式のレポートにもあるように、かるた対策の究極は「決まり字」ですよね。今回は「新幹線」と「謙信」の次の字くらいしか意識していませんでしたが、いずれ50城全ての決まり字を意識した上で競われるレベル(もはや競技かるた)にまで達するんでしょうか。いくらかるた好きの私でも、そこまでとなるとついていく自信はないかなぁ。

5.あとは練習用動画も活用して練習あるのみ!
アジア航測さんが公開しておられる赤色立体地図お城かるたの練習用動画での読み手の音声は、かるた大会で用いられているものですので、練習用としてももちろんながら、音声を耳になじませておく意味でも有効かと思います。あとは練習あるのみ!

…といったところでしょうか。これら(4はともかく)を実践できれば、あなたが次代のかるた名人orクイーン!……かも。

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ぴーかる

田原城 (2026/06/14 訪問)

【田原城】
<駐車場他>田原市博物館駐車場
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>1泊2日東海ちょこ城道中13城目。田原城は1480年ごろに戸田宗光によって築城されました。1590年徳川家康の関東移封後は池田輝政の領地となり、輝政は吉田城を築城し、田原城は重臣の伊木忠次が城主となり改修をします。現在残る石垣はこの時の遺構が多いようです。江戸時代には1万石の譜代大名が置かれて田原戸田氏⇒三宅氏が約200年統治して明治に至ります。
 博物館の駐車場から博物館を見学して周囲の散策をしました。復元の二の丸櫓や桜門はだいぶ当時とは違うものとなっていますが、水堀の石垣や二の丸櫓の石垣は野面積みのいい石垣が残っています。本丸跡も神社となっていて少し残念だ。本丸跡と二の丸跡との間には大堀切があり、片側の方は面を揃えた石垣になっているので博物館建設の際の後世のものかとも思われます。当時は海に接した城だったらしいので、渥美半島と湾を抑える重要地としていたことが分かる城でした。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

うふふ… (2026/07/10 訪問)

長崎県では雨が多いのに,隣の佐賀県では猛暑に見舞われることが多いです。この日の気温は37℃でした。暑熱順化と佐賀県の空気感に順応するため,JR牛津駅から徒歩。約30分で到着。とくに迷うこともありません。ウォーミングアップに最適です。

撮れ高が少ないので,ここ3年連続で食事をしている「うふふ」の和風ハンバーグ定食を。JR佐賀駅舎内にあります。
佐賀で驚いたのが,新潟県の岩塚製菓が販売している「味しらべ チーズあじ」が【315円】だったこと。新潟市内のスーパーではだいたい【178円】が相場です。ほぼ倍近くて…😨

そうそう,トクさんの八代情報ありがとうございました。
先日,九州新幹線復旧と書き込みましたが,まだだったんですね…。たしか,臨時便に殺到したと記憶しておりましたが…。
引き続き,情報いただけると助かります。

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イオ

北側の登城道を推奨 (2026/02/15 訪問)

南北朝期に関氏一族の峯政実が築いたとされ、峯盛祐が長島一向一揆との戦いで討死して峯氏が滅亡すると岡本良勝が城主となりました。賤ヶ岳の戦いの前哨戦では滝川益重の攻撃を受けて落城し、大軍で奪還に押し寄せた羽柴秀吉軍に頑強に抵抗するも兵糧が尽きて開城。織田信雄の城として家臣の佐久間正勝が入りました。秀吉と信雄が不和となると秀吉の命を受けた蒲生氏郷らに攻められて落城。その後、廃城となったようです。

峯城に続いて古城に行くこともあり、ぴーかるさんご案内の柴崎公民館の駐車場に駐めさせてもらって、北側の登城口から登城開始。ソーラーパネルを横目に進んだ先の墓地から案内表示に従って山中に入ると、かんざし井戸と呼ばれる石組の井戸があります。手書きの説明板によれば、峯城の落城時に城主の奥方が金のかんざしを付けて入水したと伝わるのだとか。かんざし井戸から登城道を進んだ先に枡形虎口があり、虎口を抜けると北尾根の曲輪群が東西に連なっています。曲輪群の西端で折り返して本丸へ。

案内表示に従って南に進み、虎口を抜けたところが本丸北の曲輪群で、西辺の土塁にもうひとつの虎口が開口していました。北曲輪群と本丸との間は堀切が尾根を遮断し、堀切の先には本丸西辺の土塁が続いています。本丸西側に広がる帯曲輪から見上げる土塁はかなりの高さで、北西隅には堀切を見下ろす櫓台があり、西辺中央部の幅広くなったあたりは天守台と伝わります。(伝)天守台の周囲にはわずかに石垣が遺り、瓦片が散乱していました。本丸の東側に虎口があるようなので土塁を下りてみましたが、笹と倒木の激ヤブ状態だったため探索を断念…。土塁沿いに南から東に折れて進んだ先に南東隅の虎口があり、虎口脇の土塁突端には櫓台が設けられていました。

本丸南の曲輪群を見た後、来た道を戻るかこのまま南の登城口に向かうか迷いましたが、南の登城口脇にある説明板を見ておきたかったのでそのまま進みました。しかし、概ねよく整備されていた北側の登城道に比べて南側の登城道は藪化していて、藪を避けようと谷側に下りていくと今度は泥濘にはまり込んでにっちもさっちも…。結局、登城道に戻って藪を突破することで登城口にたどり着き、説明板も確認できましたが、この後に行くつもりの古城へは遠回りになった上に、藪漕ぎをし足もとをドロドロにしてまで説明板を見なければならなかったのかというと…。登下城には北側の登城道からの往復をおすすめいたします。2月でこの状態ですからね。

…と、本丸や南登城道など整備が追いつかない箇所もありつつも、それ以外はおおむね良く整備され、高く急峻な土塁、虎口と虎口脇の櫓台など見応えのある城でした。
 

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todo94

北海道のチャシ・陣屋めぐり⑦ (2026/08/11 訪問)

北海道4日目は、旭川からレンタカーでチャシをめぐります。旭川から80km以上離れている上名寄チャシを目指しました。開発局の表示は6/14。零汰さんの投稿にある4/14より2大きい数字ですね。横堀のある方まで踏み込まずに帰ってきてしまったということです。あまり未練はありませんけれども。ちなみにこのチャシは名寄市ではなく下川町にあります。市町村訪問ポイントを稼ぐことができました。グーグルマップに載っているモニュメントもチェックしました。名寄市では北国博物館に寄っていきました。除雪の編成・キマロキの屋外展示に萌えました。士別市、剣淵町では道の駅、和寒町では三浦綾子の旧宅を移築した塩狩峠記念館、比布(ぴっぷ)町では、比布神社に立ち寄って、市町村訪問ポイントを荒稼ぎしてしまいました。

今回利用したのは、7日間有効の北海道東日本パスです。自宅と羽田空港の往復にも使いました。特定特急券を購入すれば、新青森-新函館北斗間は新幹線にも乗れますし、IGR岩手銀河鉄道、青い森鉄道にも乗れるので、片道は鉄道、片道は航空機という旅程も考えられます。北海道普通列車の旅には青春18きっぷより安くて使い勝手の良い北海道東日本パスが断然、お薦めです。1週間のまとまった休みをとれるかどうかが問題かもしれませんが、7日間使い切らなくても青春18きっぷより安いので購入する価値はあると思います。私も8月8日は根室半島をレンタカーで回ったので鉄道は全く利用しませんでした。

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赤い城

秀忠の陣城 (2026/07/16 訪問)

夏休みが終わったのでレポートを再開します😊
大阪出張中の城めぐりです。
午前中の仕事を終え、午後の予定まで時間があったので立ち寄りました。
この日は鶴橋駅から徒歩で20分。
鶴橋駅前の商店街は西のコリアンタウンで美味しそうなキムチが並んでいました。

岡山砦ですが現在は御勝山公園になっています。
大坂の陣で徳川秀忠が陣を置いた場所です。
元は古墳ですが前方後円墳の前方部分は道路の造成で消滅、後円部分のみが残ります。
ただし柵で囲まれているので中には入れません。
歩道橋から見おろすことはできますが城の遺構は見られませんでした。
徳川方の勝利にちなんで地名が岡山から御勝山に変わったそうです。

帰りは最寄りの桃谷駅まで徒歩で15分くらいでした。

【見どころ】
 ・古墳

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つちのこ

ハイキングツアー参加 (2026/08/15 訪問)

賤ヶ岳周辺の山城は初訪問のため、今回奥びわ湖観光ボランティアガイド協会さん主催のツアーに参加し登城しました。
ガイドさんからは、各曲輪に残る虎口や堀切について、また山頂から見える柴田軍の砦、佐久間信盛の攻めてきたルート等について分かりやすく説明していただきました。
田上山城では実際に戦闘の舞台ではなかったとのことですが、400年以上経っても綺麗に残っている馬出や横矢桝形から顔を出し、横矢をかけてみる真似などして、当時の兵士の気分も味わえました。

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