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イタさん

榎下城跡  群馬県安中市原市 (2026/06/06 訪問)

榎下(えげ)城は安中氏が安中城を築くまでの居城と云われる。
境内に入ると本堂の左後方に土塁が確認出来る。土塁は短かいが、堀は浅いが東方向に少し続いている。さらに北に土塁と堀跡が見られる。先の北から東一帯は梅林(見た目)になっており、遺構を感じられない。
西に道路が通り、如何にも切通跡に思えるが単に道路を造成したらしい。内側の土塁・堀は道路を越え西に続いているが、寺域に比べ遺構が分かりづらく、民家・墓地になっている。

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たか

初めての障子掘! (2026/05/31 訪問)

中川城のあとは河村城へ行きました。
わたし自身初めての障子堀でワクワクします。
あとで知ったのですがわたしはカーナビ通りに向かって西側の方から登城しましたが道がめちゃくちゃ狭くて大変です。

河村城址歴史公園として整備されていて山道を抜けたら突然ひらけて本城郭。
石碑もあり説明板もあってとても綺麗です。
そこから東に向かい蔵郭との間に…ありました!障子堀が!
とても深くてこれは攻めても登れずに間違いなくやられてしまいます。

そこからさらに東に行くと近藤廓、大庭郭など綺麗に整備されていて展望台もありとても素敵です。
ぐるりとまわって今度は本城郭の北側にあるお姫井戸へ。
ここも小郭と茶臼郭の間に障子堀があるという事ですが…見えません…
残念だと思っていたら茶臼郭に登ると草が繁っているとはいえ、障子堀が確認できます。
めちゃくちゃ興奮します!

ここでかなり時間を使い今回の旅は終了です。
今度は山中城かな。

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イタさん

滝山城跡  群馬県安中市簗瀬 (2026/06/06 訪問)

安中氏に関連すること位の情報しか分からず。
北から狭い道を突き当たりまで行くと聖明寺入口で、右上一帯が城跡になる。東に石段があり山門を潜れば、東西に細長い平地で本堂等が建っている。西は墓地で更に西隣に続き、境に土壇状の高まりがある。奥は竹藪が濃く足を踏み入れなかったので、西の虎口・堀跡は確認していない。北には低い土塁があったらしいが、こちらも確認していない。山門手前の石段右に道が付けてあるが、当時は虎口だったかと想像するが、その他目立った遺構は分からない。

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たか

トンネルがビビりにはしんどい (2026/05/31 訪問)

中川橋を渡り突き当りを左に行こうと見ると車両通行止めの看板が…
中川橋のたもとに駐車場がありそこに止めて徒歩で向かいました。
中川隧道…ひんやりしていてあかりは無くなんとも薄気味悪い感じです…

あとで確認しましたがそのまま車両で行ってバンガロー跡までは行けるようです(ここでUターンしてくださいとあった)
資材置き場のようですがここがおそらく主郭のようです(土塁があります)
案内板はむかしあったようになっていますが見当たりませんでした。
(バンガローのところに入れればあったのかも)

これは個人的な見かたですが、途中左側の川へ降りるところを門で封鎖していました。
道を整備してありましたがその奥の方に石垣らしきものがありました。
近寄れないので確認できませんが周りのものとは違うのでもしかしたら物見櫓とかの石垣かなっと思いました。

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イタさん

菅沼城 群馬県安中市郷原 (2026/06/06 訪問)

詳細は分からず、関東に徳川家康が入った時期に、菅沼氏の居城と云われるくらい。
南下にある郷原緑地公園から訪問してみました。階段は数回折れながら、やや古い情報の西門(西門が見当たらない)と墓地境に出る。公園からの階段はかつての堀(竪堀)を利用したように思える。南側には土塁が良く残る。
さらに西に外側の堀があり、階段と同じで南に竪堀となって落ちている。本堂前に門が建っているのは見ない形式だが、以前の西門の形に似ている。南の眺めが良いのだが、危険防止のため崖手前数メートルは立入禁止になっている。東門側に大きな土塁と堀跡が残り、堀の外側にも土塁が見られる。今は道路になっているが、堀であったようで墓地の西側まで続いている。
東門の南辺りにも草に覆われているが、堀状の地形が確認出来る。堀だか確証はないが。

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たか

帰りは美しい夕映えで感動 (2026/05/30 訪問)

石垣城から小田原城へ攻守交代です。
ここでわたしの天邪鬼な一面が出てしまい小田原城東側の交差点でみんなが南の方向へ行っているにもかかわらずわたしは北側へ。
御用米曲輪の横を通り本丸に向かう裏門進入ですw

御用米曲輪は立入禁止の為よく見えなかったけれど土塁が勾配がきつくて高さがありました。

本丸へ着くと青空に白い城がよく映えます。
展示物を見ながらいつものように時間をかけていると…やばい!時間がない!
急いで最上階まで行って先程行った石垣城を探します。
うーん…あそこらへんかなって感じで降ります。
スタンプを押していなかったのでギリギリセーフ。
御城印は入館の時に買ってて良かったです。

それから二の丸へ向かいました。
本丸側の紫陽花が綺麗で花菖蒲が育成中でポツポツ花が付いてました。
銅門をくぐり、馬出曲輪へ向かい馬出門から脱出。

帰り道、夕暮れをバックにしている櫓や門を見て、これはまた来てじっくりと見て回らなければと思いました。
帰路の途中ふと堀の向こうにある隅櫓を見ると一羽の鳥が夕暮れをバックにたたずんでいました。
また来いよとでも言ってくれてるのかなww

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カズサン

【上野 木部城】群馬県高崎市 倉賀野城攻め信玄の陣城! (2026/05/30 訪問)

 倉賀野城から南南東約1.5kmの烏川と鏑川合流洪積台地上に在り、グーグルマップで倉賀野城を探査中に気に成り、また以前の山名城を探査中にも気に成っていた木部城でした。群馬県埼玉県の国道17号線沿いの未踏の城廻り二城目として城びと未登録ですが探訪しました。
 住所:群馬県高崎市木部町220-7(心洞寺)、駐車場は心洞寺の参拝者駐車場利用。
 参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
 木部城跡グーグルマップ史跡マーク地は群馬県高崎市木部町堀之内。

 心洞寺駐車場から徒歩で南へ約100m、西に曲がって約100m程に「堀之内組氏子中」と刻まれて石碑が在る、ここ辺りが木部城の本丸辺りか?グーグルマップの地割を見て行くと本丸の囲み、外郭の囲み、堀跡の様な囲みが見えて来る、現地は住宅と畑、水田で遺構らしきものは良く分からない。
 心洞寺は木部駿河守範虎開基の菩提寺、同説明板によると山門左右の土塁、石垣は木部氏館跡土塁と記されていた。また心洞寺西土塁の西端欅の大木下に木部駿河守範虎廟所が鎮座、墓標も有る。心洞寺は南向きで山門、楼門、本堂が南北に並んでいます。

 歴史は墓標にて。
 木部駿河守範虎は清和源氏源範頼の後裔にして、箕輪城主長野業政の姫を娶り長野氏の武将として活躍せしが、武田信玄の侵攻で永禄9年箕輪城落城長野氏滅亡。(武田との戦で奥方は榛名湖に身を投じて龍になったという伝説は有名) 長野氏滅亡後武田氏に降伏し、武田方として木部50騎を率いて各地の戦で武勇を示す、後織田信長の長篠の合戦にて敗れ、天正10年3月11日武田勝頼に殉じ家来諸共、天目山にて散る、享年72歳。合掌。
 武田信玄が侵攻した時には木部城を離れて木部父子箕輪城籠城戦へ、木部城は信玄の本陣と成り、倉賀野城を永禄8年、箕輪城を永禄9年に落城させている。

 次に金窪城へ向かいます。
 

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つね

小見川城と小見川陣屋(橋向城)③ (2026/05/26 訪問)

小見川陣屋跡は、戦国時代は里見軍が小見川城を攻めるために築城した「橋向城」があったそうです。解説板が正門(小学校北西側)に、校庭内には石碑があります。北側にある妙劍神社は由緒書きによると、陣屋時代は剣術の稽古場だったそうです。黒部川を渡った場所に御城印が購入出来る「寺嶋陶苑」があります。

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たか

石垣と鎧塚さんに感動 (2026/05/30 訪問)

誕生日を一人祝うべく小田原へ。
まずはあの有名な一夜城を攻城です。

到着すると駐車場が満車で凄いことに。
天気も良かったせいか鎧塚ファームは大盛況です。
わたしはガイドのおじ様に声をかけて南曲輪の石垣前に駐車スペースがあることを教えてもらい駐車しました。

鎧塚ファーム側に行きトイレ前にあるスタンプを押して、御城印を購入しさあ行こうかと思いましたが相模湾への展望が素敵で少し散策。
するとすこし下ったところに川島なお美さんの慰愛碑がありました。
景色の良さ、天候の良さ、愛情のある言葉に思わずウルウルしてしまいました。

さて気持ちを切り替えて攻城開始です。
道路を渡って看板を見ると東国最初の総石垣の城と書かれてあります。
南曲輪の石垣もそうですが野面積みの立派な石垣に惚れ惚れします。
近江の穴太衆が築いたとされています。凄い!

それから何と言っても井戸曲輪の石垣は圧巻!
途中で「さざゑの井戸」と書かれていたので説明板を読むと中心部に向かってらせん状に降りてることから呼ばれているとのこと。
この石垣はたまりません。

馬屋曲輪から相模湾が展望できる場所があり小田原城を探します。
…なかなか見つからなかったですがなんとか発見!
近いようでなかなか遠いw

そういえば伊達政宗が遅れて駆け付けたことも有名ですがこの一夜城の白壁が紙だと見破ったという逸話は初めて知りました。
今回の旅は最初から素晴らしく良い旅になりそうな予感です。

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つね

小見川城と小見川陣屋② (2026/05/26 訪問)

城山公園の北、東、南に川が流れ、周囲の低地はたんぼが広がり当時も要害であったと思われます。

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つね

小見川城と小見川陣屋① (2026/05/26 訪問)

小見川城山公園が城跡です。浄水場と公園整備で、遺構が分かりにくくなっていますが、1郭と2郭の間の土橋と両脇の空堀、1郭内部西側の土塁、2郭西側の土塁と虎口等の見所があります。小見川駅➡︎徒歩3分「小見川陣屋・小見川中央小学校」➡︎徒歩3分「寺嶋陶苑」で御城印購入➡︎徒歩25分「小見川城山公園」と訪問しました。

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つね

飯沼城跡と銚子陣屋跡② (2026/05/27 訪問)

銚子陣屋跡(陣屋町公園)は、飯沼城跡の飯沼観音より徒歩5分。高崎藩の飛地陣屋で、陣屋碑の玉垣には高崎藩主・大河内松平家の替紋(かえもん)として用いられていた「高崎扇」が刻まれています。石碑の土台の石は、陣屋の掘割に使われていた石だそうです。井戸跡も残っています。御城印は、JR銚子駅で販売されています。

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つね

飯沼城跡と銚子陣屋跡① (2026/05/27 訪問)

銚子電鉄・観音駅より徒歩5分。現在は「飯沼観音」であり、遺構、城跡らしさは全く感じられませんでしたが、山門、本堂、大仏、五重塔や、歴代領主の祈願社の「銚港神社」等観光スポットとしての見所は多くありました。南西に徒歩5分くらいの、銚子陣屋跡である「陣屋町公園」とセットで訪問。

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イオ

唯一の現存郡代・代官所 (2025/11/16 訪問)

江戸中期に金森氏を移封させて飛騨を直轄領にした幕府が金森氏の下屋敷跡に構えた陣屋で、明治まで25代の代官・郡代が派遣されて政務にあたりました。明治以降も陣屋の建物は地方官庁として使用されて現存し、昭和以降には失われていた御役所や役宅も復元されて江戸期の姿を今に伝えています。

観光で2度ほど訪れていますが、金森長近には関係なくても高山に来たならやはり高山陣屋にも行きたい、ということで再訪しました。玄関から入ると玄関之間の青海波が目を引きます。建物には真向兎の釘隠が善政の象徴(大きな耳で民衆の声をよく聞く)として150箇所も用いられているそうで、あちこちで見かけました。順路は政庁である御役所の各部屋をめぐって、代官・郡代らの役宅へと続いています。役宅には代官・郡代とその家族の部屋、客人応接の部屋、庭のほか、彼らの身の回りの世話をする用人や女中の部屋、土間や台所、井戸や風呂もありました。まさに生活の場ですね。そして陣屋で最も広い大広間の周囲をめぐり吟味所・御白洲へ。御白洲には時代劇で見かけるような責台と抱石、囚人駕籠などが置かれていますが、あくまで威圧感を与えるためのもので実際には御白洲では拷問はしなかったようです。…って、牢屋ではやってんのかい!

吟味所の横から屋外に出て御蔵へ。御蔵は廃城となった高山城三之丸の米蔵から二棟を移築したもので、現存する一棟は江戸期の米蔵としては国内最古・最大規模なんだとか。失われたもう一棟も跡地に建物礎石が平面表示されています。御蔵には年貢米俵のほか、高山陣屋の模型、地役人の具足、城下町(陣屋町)や飛騨の鉱山、大原騒動の説明パネルや史料などが展示されていました。観光として訪れても充分に見応えがありましたが、高山の歴史をある程度理解した上で訪れるとなお一層興味深く見学できました。

高山陣屋を出た後は、陣屋前朝市をぶらぶらと。店のおばちゃん手作りという朴葉味噌をお土産に買いましたが、これが安価な上に美味しい! 牛肉とネギやキノコと一緒に焼いてご飯のおともに、そのまま焼いてビールのアテにと大いに堪能させてもらいました。おばちゃん、ありがとう!
 

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todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑬ 城カードゲット (2026/05/05 訪問)

常広城からの転戦です。レンタカーを返却してから徒歩でアプローチしました。かなり歩くことになってしまいました。佐賀城本丸歴史館にて無事、城カードを入手することができました。おつりから500円玉を寄付して歴史館の展示を見学していきます。江藤新平のコーナーでは、しっかりと動画も視聴させていただきました。アームストロング砲、鯱の門、天守台、鍋島直正像と回って、西に向かって歩き続けます。濠端に立つ島義勇像を拝見するのは今回が初めてでした。濠に沿って佐賀駅に向かいましたが、乾方向の佐賀城の濠を見るのは初めてだったのでとても新鮮でした。ホテルチェックインの前に佐賀駅にて晩酌。佐賀の郷土料理のセットと地酒には大満足でありました。ゴールデンウイークの城攻めはこれにて終了。翌日は、ゆとりをもって帰着だけに費やしました。

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赤い城

徳川の忍びも騙す (2026/05/24 訪問)

初めての登城です。
北側の観光情報センターの駐車場を利用しました。

工事中の桑折氏長屋門をくぐりまずは三の丸へ。
山裾に石垣が残ります。
さらに進むと分岐になっていて井戸丸へと登って行きます。
厳重な虎口や石垣で水の手がしっかり守られているのがわかります。
幕末に作り直されたそうで金石文が残っています。

さらに二之丸から本丸へ、本丸石垣は幕末に修理されたものと元からある部分を一度に見ることができます。
現存天守に入り、まずはスタンプを押しました。
100名城はこれで76城目、まだ先は長いですね。

本丸から一旦南側に下っていきました。
代右衛門丸、煙硝矢倉、式部丸と石垣を見ながら南側登城口である上り立ち門に出ました。

ここから五角形を感じながら歩こうと思いましたが追手門跡まで行って引き返しました。
次回は必ず・・・
上り立ち門から再度上り、藤兵衛丸から長門丸を経て駐車場へ戻りました。

江戸時代の宇和島藩主は伊達氏ですが私の故郷の三沢氏の姫、初子が仙台藩に嫁ぎ3代宇和島藩主の伊達宗贇を産んでいます。
昨年の松江EXPOでその話を聞き「行かなきゃ」と思っていたので訪問できて感慨深いです。
また来よう😌

【見どころ】
 ・井戸丸周辺
 ・二之丸下の犬走り
 ・現存天守
 ・代右衛門丸から煙硝矢倉にかけての石垣

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ぴーかる

おおがけ城 (2026/05/10 訪問)

【大峪城】
<駐車場他>駐車場はなし。説明板前に停車してダッシュで撮影。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅12城目。お城の詳細は添付写真の現地説明版をご覧ください。
2日目の1城目、朝7時過ぎに到着しました。現地はスポーツ広場になっているので、柵の外から説明板を撮影して終了しました。

<満足度>◆◇◇

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じゅんじん

定期 (2026/05/05 訪問)

1年ぶりの浜松城。ちょいよりしました。

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じゅんじん

3年ぶり (2026/05/06 訪問)

丸石垣のお城です。支所に番所が現存しています。

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じゅんじん

ライトアップ (2026/05/20 訪問)

夜の駿府城です。ライトアップしてます。

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