説明板にあるように、九頭竜川、日野川の合流点にあり、北は九頭竜川、西は日野川、東南は深田に守られた立地です。九頭竜川は、暴れ川として有名ですが、日野川も大きな川です。新田義貞が督戦に行く途中に打ち取られたという藤島城方面を見ると白山に雪が残っていました。日野川堤の桜並木が満開でした。
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2026/04/11 13:06
2026/04/11 11:57
【遠江 天方本城】静岡県森町 天方氏最初の居城 (2026/04/06 訪問)
以前から気に成ており遠州路桜と城廻り2日3日の後雨となり雨上がりの6日、太田川沿いの桜も見頃でしょうと、出掛けました。
天方本城は天方城(新城)の前に拠点としていた居城です。
住所:静岡県周智郡森町間詰、大鳥居、旧天方小学校の西から北、東の山稜部に在ります。
駐車場:無し、短時間路駐、周辺は狭い農道です。
天方城址案内板は元天方小学校南、八幡神社南の間の土塁土手前に在ります。(グーグルマップの史跡マークに記載あり)
登城口は八幡神社直の西隣に舗装されていますが狭い農道(軽トラ利用か?)が有り山の上に御茶畑が有りそこまで続いているようです。神社前、旧天方小学校南に車を駐めるとこ無し、路駐して急いで案内板、八幡人神社、天方本城山稜部を撮り、別駐車場を探して登る気力もなく撤退。
案内板から東へ700~800mの所に、天方城主3代の墓の在る蔵雲院が在り蔵雲院門前の桜と、案内板、東から見る天方本城山稜部を撮り、太田川の支流吉川沿いの桜並木を堪能撮影、吉川西東堤防、太田川東堤防合わせて約2~3kmの桜並木堤防が続いています。
蔵雲院から山手の方に道が続いていますがグーグルマップを確認すると天方城(新城)へ繋がって居り、森町太田川天森橋へ抜けるようです。
天方本城は北から東は太田川の支流吉川が守り、北から西、南は太田川の支流三倉川が守るベストポジションです、南で吉川、三倉川は合流して太田川と成り太平洋に注ぎます、河川水運も成り立っていた事でしょう。
歴史と概要は天方本城址案内板をご覧ください。
満開の桜、萌黄の新芽新緑、一部山手にはミツバツツジの赤紫がぽつりぽつりを彩りを添えて居りました。
帰路に山筋が一つ西に在る遠江一宮小國神社を初詣参拝、家康の立ち上がり石も桜の下で光っている。
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2026/04/11 11:50
しんちゃんさんのレポートに従って、東側からアプローチ (2026/04/03 訪問)
一乗谷に近いだけあってこの辺りの城は朝倉氏一族絡みが多いです。
しんちゃんさんのレポートに従って、東側からアプローチ。住宅の間から白いガードレールが見え、そこに行けば五位山山頂への道がわかります。しんちゃんさんは、東側からの道を発見する前に、五位山北西から直登されているので、私は、山頂の主郭から、南西の正寿寺まで竹藪の中を直降してみました。平地を挟んで、丘の上にかつて三留屋敷があり、正寿寺になっています。正寿寺のあたりが昔からの村落のようです。家々の石垣、溝の橋など、なんでもないようなところがほぼ笏谷石で作られていて、感心しました。一乗谷や福井城には大量に笏谷石が使われていますが、1999年に採掘が終了して、現在は、既存の石の再利用(アップサイクル)が図られています。
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2026/04/10 19:35
2026/04/10 19:21
京都はんなりポチめぐり⑧ (2026/03/22 訪問)
勝竜寺城は,阪急京都線の長岡天神駅から,約2㎞の距離です。この日の天候は,晴れのち曇りでした。私は越後帰還日ということもあり,9:00頃には到着しておりました。同じ日に,Toshi☆さんが攻城されていますが,その空模様からして私のずいぶん後だろう…と思います。歴史的な場所なので,光秀の思いだったり,ガラシャの心情だったりを回想できるスポットだと思います。
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2026/04/10 18:13
岡山・鳥取の城巡り⑩ (2026/03/30 訪問)
岡山・鳥取の城巡り、最終日の4日目。
3日目の夜に三朝温泉に移動。道行く人から丸見えで有名な河原風呂に勇気を持って入ってみた('Д')
地元民と思われるおじいちゃん達がいて、入ってしまえば解放感たっぷりで思ったより羞恥心はなかった。
朝はまず日本一危険な国宝として有名な三佛寺投入堂へ。噂通り、落ちたら死にそうな山道を進んでいった先に現れる投入堂の姿に感動!
その後、羽衣石城へ移動。投入堂の後できつかったけど、整備された登山道で登りやすい。
天守は模擬天守で個人所有らしく中に入ることはできないけど、城跡としては曲輪がしっかり残っており、展望台からの景色も抜群で来て良かった!
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2026/04/10 17:50
岡山・鳥取の城巡り⑨ (2026/03/29 訪問)
鳥取城から車で約40分移動。
こちらの城跡も規模は小さいけど、鳥取城と同じ様に平地と山の上に2つの城跡がある。
石垣はかなり取り除かれてしまったそうだけど、内堀・外堀の水堀がしっかり残っていて、二重の鬼門など見ていて面白い。
また、城下町も昔ながらの通りが残っており、L字型の通りや牛を繋いでいた石が残っていて興味深い。
山城の方も登山道がきれいに整備されていて、ちょっとしたハイキングにちょうどいい(鳥取城~太閤ヶ平を踏破した後ではかなりきつかったけど(^^;)。
山頂にある天守跡には石垣や礎石が残されていて、予想以上に見どころが多かった!
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2026/04/10 17:16
岡山・鳥取の城巡り⑧ (2026/03/29 訪問)
鳥取城山上ノ丸から山道を歩いて太閤ヶ平へ。
山上ノ丸に登るのにかなり体力を使って、太閤ヶ平まで行くかどうか迷ったけどやっぱり来て大正解!!
高く盛られた土塁や空堀、2つの虎口などがしっかり残っていて見どころ満載。空堀の中も歩くことができて楽しい。
下り道もちゃんと道が整備されていて歩きやすい。ゴールは国指定重要文化財の鳥取東照宮。こちらも森の中に佇む本殿は厳かな雰囲気が醸し出されている。
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2026/04/10 15:15
岡山・鳥取の城巡り⑦ (2026/03/29 訪問)
山下ノ丸を堪能した後、山上ノ丸へ。
登山道はかなり急な石段となっており、山上ノ丸に着いた頃は息も絶え絶え・・・
でも本丸の石垣や天守台からの景色を見ると疲れも吹き飛んだ!
山の上に連なる石垣は迫力がすごい!天守台からは鳥取砂丘や日本海が見えて絶景!逆側は中ノ御門をはじめ山下ノ丸の全容も見ることができる。
鳥取城に来たら絶対山上ノ丸にも来るべき!
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2026/04/10 14:49
2026/04/10 11:32
玉石垣に桜の横須賀城 (2026/04/03 訪問)
小山城の桜に覆われた本丸、展望台小山城の廻縁より富士山発見し遠望を久しぶりに体験し満足の小山城を終えて、帰路方向の横須賀城へ、御前崎経由の国道150号線約40~50km走行。車は西の丸西下のトイレ付駐車場へ駐める。既に満車状態でやっと1台駐車出来ました。
登城ルートはに西の丸中段より南に廻って桜ビューポイントの西の丸南東下で本丸下段櫓門枡形跡丸石垣と桜を入れて撮影、本丸櫓門枡形下に降りて本丸東虎口周りの桜を入れて撮影、北の丸へ回り、本丸東土塁の崩落は以前のままでしたが少し雨による崩落が進んで居る様です。北の丸の一本大桜と松尾山登城坂階段を入れて撮影、本丸裏手の北側土塁と白い大島桜を入れて撮影、北の丸から本丸東虎口より本丸へ、天守台、裏手の大島桜は表から撮影すると順光で奇麗に撮れる。本丸、西の丸、西の丸は桜は若いが植栽が多いので花見広場に成っている、しかし時間が遅くなって花見客無し。
探訪撮影中、金土日曜日が横須賀祭に当たり御囃子の音が賑やかく聞こえてくる、昨年と同タイミングでの桜城廻でした。
今回の遠州路桜と城廻りは4/2浜松城、4/3久野城、掛川城、小山城、横須賀城を雨降りを避けて探訪、桜と城、青空が毎年毎年の楽しみでウキウキした高揚感が湧いてきます。長々の投稿ご覧頂きありがとうございました。
この後は磐田市役所北隣の遠江国分寺整備中現場を確認見学して帰りました。
期限は3月末から9月末へ伸びて居ました。
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2026/04/10 07:32
年度末山陰の攻城・尼子十砦を攻めるための城 (2026/03/29 訪問)
残り4城の尼子十砦、この日でのコンプリートを目指します。朝一で向かったのは、尼子十砦の亀遊山城を攻めるために毛利が築いた出雲豊岡城です。ぴーかるさんの投稿を拝見して城の西側の木橋から突入です。井川城の板の橋より遥かに怖い橋ですので、にのまるさんにはお薦めしません。足元がぬかるんでいて間違って踏み込んでしまおうものなら、靴が泥まみれになる事必定ですので早々に急斜面の竹林に入っていきました。倒竹もありましたが、さほど荒れた感じはありませんでした。空堀や堀切をいくつも確認することができましたが、光量不足で手ブレになってしまった写真が多数ありました。残念。来た道を引き返すのはかなり気が重かったので、藪漕ぎ覚悟で尾根を下っていきます。いくつもの堀切を越えて最後の写真の部分に降りてくることができました。蛇喰川を渡ってすぐの場所です。
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2026/04/10 06:56
松葉城 愛知県海部郡大治町 (2026/03/22 訪問)
城びと未登録、周囲は宅地化され遺構はおろか説明板や石碑もありません。
戦国時代は織田伊賀守の居城で信長と坂井大膳との戦いである萱津の戦の舞台となりました。
【見どころ】
・心眼で見る城跡
あまりに撮れ高が乏しいのでここからは名古屋めしのレポートになります。
初日はあつた蓬莱軒のひつまぶし。
朝9:30に到着したもののすでに行列。
幸い駐車場には入ることが出ました。
整理券をもらい11:10の入店、待ち時間は熱田神宮を散策、信長塀も確認できました。
ひつまぶしはやっぱり美味しい、ちょっと贅沢しちゃいました。
夜はこちらも王道の風来坊で手羽先。
少し甘めですがビールが進みました🍺
翌朝はコンパルでモーニング☕
あんこが苦手なので小倉トーストは選びません😓
ハムエッグトーストのモーニング、相方はエビフライサンド。
ボリューミーで美味しかったです。
腹ごしらえもできたのでこの後岐阜城へと向かいました。
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2026/04/09 18:53
中世城郭の最高峰と近世城郭が混在する名城 (2025/05/03 訪問)
後北条氏の発達した中世城郭(総構)と江戸時代の近世城郭(現小田原城址公園)が共に残る城跡。中世城郭と近世城郭が共に残る城跡は全国的に見ても決して多くはないのではないだろうか。
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2026/04/09 18:48
横浜市内にしっかりとした遺構が残る貴重な城跡 (2026/02/26 訪問)
開発により分かりづらくなってしまったものの、よく見れば周辺の地形や旧城時の敷地内に遺構が残る。土塁や虎口跡は見れば分かる程度には残っている。開発されまくっている横浜市内では、かなり遺構の残りが良い方だと思う。
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2026/04/09 17:34
甲賀ゆれ (2026/04/09 訪問)
城主は甲賀衆の佐治氏とされ、織田信長の近江侵攻に伴い配下となりました。天正13年(1585年)の「甲賀ゆれ」に際しては籠城して抵抗し堀秀政、中村一氏に攻められ落城しています。
遺構は開墾等によりかなり破壊されていますが、堀の一部といわれている「枡形池」が北側にあり、その南側には曲輪跡と思われる広い場所があります。ほかにも土塁や空堀などを観ることができます。愛宕山には櫓でもあったのでしょうか。愛宕山の南側にも堀跡のような地形がありました。倒竹が多く侵入は断念しています。西へ歩いて行くとやはり堀のような地形がありましたが、後世のものかもしれません。
さらに西側に堀らしき地形を隔てて2つの曲輪ありますが、今回は入口がわかりにくかったことと時間の制約があり散策していません。
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2026/04/09 11:47
小山城はやっぱし三重三日月堀 (2026/04/03 訪問)
先に小山城の桜と富士山、展望台小山城で写真投稿しましたが、小山城の特徴は西に構えた三重の三日月堀は有名です。以前からの樹木、灌木の伐採整備が進み三重の三日月堀がよく観える様に成っていますので昨年と同様ですが写真投稿致します。
灌木、草などは伐採、刈り取られて居ますが大きく成った常緑樹木はそのままですので、もう少し間引き伐採して貰えると更によく三重三日月堀が観察出来る事でしょう。台風大風で大木が倒壊して遺構の損傷に成らない内にお願いしたい?
素晴らしい遺構が残って居ります。
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2026/04/09 11:20
桜満開の小山城に富士山発見 (2026/04/03 訪問)
遠州路桜と城廻り掛川城に続き遠州東部大井川近くの小山城へ、掛川から国道1号線バイパス経由、最近繋がった金谷御前崎連絡道菊川JCT経由同道を通り、昨年できた道の駅そらっと牧之原に寄って、お気に入りの「ちりめん山椒」をゲットして小山城南山麓のジャリ駐車場に駐める、舗装駐車場は満車の盛況ぶり。
道の駅そらっと牧之原は近場の焼津、大井漁港、御前崎から水揚げされた魚を使った海鮮丼ぶり料理が人気です、又大井漁港で揚がったシラスを使った「ちりめん山椒」は私のお気に入り、ご飯のお供、酒の肴にぴったりです。
昨年の同時期にも訪ねて居りますが、今年も探訪、桜と城に青空のロケーションはウキウキの探訪です、本丸桜は満開、大勢の花見客、小山城の天守閣は「吉田町展望台小山城」と称しております。展望台に200円入場料を払い、1階2階の展示を閲覧、展望階の廻縁で桜に覆われた本丸二の丸を見下ろす、見事な咲振り、目を東に向けると富士山を発見、「富士山が見える」と声を発してしまいました、昨年は見えなかったのに、感激です富士山を見ると何か胸躍る気持ちと得をした気持ちと何とも言えないありがたさも沸き上がって来ます。ありがたやありがたや! 南に廻ると太平洋と突出た御前崎を遠望。
展望階廻縁、本丸、二の丸より桜と小山城展望台天守閣風建物を入れて撮影。
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2026/04/09 09:36
【大友宗麟】(10)高城川の戦い(決戦!大友VS島津) (2026/01/24 訪問)
大友宗麟、大友館からの続き(10)です。
大友家没落の原因となった地「高城」、ここはかつて、大友全軍と島津全軍が激突した場所でした。
1578年、島津に追われた日向の伊東義祐が宗麟に助けを求めに来ると、宗麟は娘が嫁ぐ伊東氏を助け日向の国(宮崎県)を奪還するため、臼杵から豊後全軍5万をもって出陣します。しかし宗麟は延岡まで来たところで、何故か日向の国を(ヒムカ)と名付け、全国からキリシタンを集めたキリストの理想郷(ムジカ)の国をこの地に作ろうと、進軍を止め神社仏閣を壊し、その建設に没頭し始めたのです(それが宗麟の真の目的だったのでしょうか?)。
しかし主力軍4万はそのまま南下し、山田有信と島津家久が籠る高城を取り囲みます(写真①②③)。ここで3カ月経っても宗麟からの攻撃命令は出ません。それどころか宗麟はムジカの建設にますます没頭して行きました。宗麟は理想郷が完成するまで島津に邪魔されないよう牽制するだけで、本気で戦をする気はなかったのかもしれません。そんな主君に家臣たちはいらだち、総大将を任された田原紹忍(宗麟の正妻奈多夫人の兄)と、血気に逸る田北鎮周や佐伯宗天などの重臣との間で、口論が陣中で始まってしまいました。もはや大友軍はまとまりがなくなったようです。
その時です! 有信を助けるべく当主の島津義久を総大将とする島津主力軍3万が根白坂に到着します。そして島津軍は坂を下りこの高城川の近くまで攻めて来ました。ここで大友軍が応戦するため松山之陣を下りると(写真⑥)、島津軍はなぜかUターン、一斉に逃げるように引いて行きます。「島津軍など恐れるに足らず!」。そしてこの時、田北鎮周や佐伯宗天らは、薩摩の当主義久の旗印を発見します。その旗印を見たとたん「敵の総大将じゃ~! 今が義久の首を獲る千載一遇のチャンス!」とばかりに暴走、島津軍を追撃し深追いしました(これが罠です!)。すると両側に潜んでいた島津義弘と島津以久に取り囲まれます。危ないと思った後詰の田原紹忍は彼らを助けに行きますが、今度は高城にいた山田有信と島津家久が城を出て、紹忍の背後を囲みました。これが島津得意の「釣り野伏せ」です。四方を完全に囲まれ、見事に罠にかかった大友軍は大敗。田北鎮周や佐伯宗天はこの切原川の河原で戦死したそうです(写真④⑤)。
戦が終わると、松山之陣の後方の丘に、山田有信により大友軍と島津軍の戦死者を供養したとされる供養塔が立てられました。そしてその地は、「宗麟原」と名付けられていました(写真⑦⑧⑨⑩)。
この後、大友軍は豊後に逃げ帰ろうと北へ敗走します。対する島津軍は耳川で追いつきます。そこで大友軍は、さらに大量の戦死者を出してしまいます。次は、大友軍がとどめを刺された耳川と、宗麟の本陣があった無鹿を訪れます。
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2026/04/09 08:09
山頂部周辺の曲輪群 (2025/11/02 訪問)
(続き)
本丸から二の丸まで戻って搦手側へ。本丸西面は破城によるものか石垣が崩れています。搦手の虎口を横目に西裾の腰曲輪に向かうと、こちらも破城によるものか南端部に石垣の崩れた枡形虎口がありました。虎口を出た先の登城道沿いには本丸とホオヅキ段の石垣が続いています。こちらは状態良く遺っていました。途中で石垣を登ってホオヅキ段へ。北側の天守台の石垣は崩れて石材が散乱しています。かつてはホオヅキ段から本丸の東裾を通って三の丸の大手枡形虎口に至るルートがあったようですが、藪化していたのであきらめて馬場に向かいます。馬場への尾根沿いには竪堀や櫓台、堀切があり、馬場には説明板が立てられて山麓からの車道の駐車場所になっていました。
馬場で折り返して今度は搦手口から六角石垣へ。搦手口も枡形虎口になっています。腰曲輪西面の石垣を眺めつつ西にのびる支尾根を進むと、尾根沿いの曲輪にも石垣が見られます。物見台と考えられる支尾根西端の曲輪は周囲を鈍角の石垣で囲んでいて、六角石垣と呼ばれています。破城を免れたようで石垣は状態よく遺っていて、周囲をたどって角を数えてみましたが、六角までは確認できませんでした。そして古城手前の分岐で来た道に合流して下山しました。
山腹の石切り場や山麓の居館などもあるようですが、今回はこんなところで。古城もそれなりに遺構はあるものの、この城の見どころは何といっても山頂部の石垣(と眺望)なので、車で登城されるなら山頂まで行ってしまってもいいかな、とも思います。ともあれ、中世の土の城と近世の石垣の城が並存する見応えのある城でした。
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