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ニコ・ロビン

100名城の14(ㅂ・᷅ )水戸城🏯 (2023/01/25 訪問)

結構広いな( ・᷄ㅂ・᷅)さすが御三家の城🏯
まだ雪の残る季節に行くとまだ空気は冷たく、より一層静謐で厳かな雰囲気で、ここにサムライが通ってたんだろうなぁと思うと感慨深いな( ・᷄ㅂ・᷅)シミジミ
現存する薬医門は高校の中とは行くのに気が引ける。
こんな貴重な物、高校生くらいだと落書きしそうな門だが…
大きな堀には今や電車が走り、現代に城が溶け込んでいる感じ。ブラタモリでも出てたなココ。
弘道館跡や大手門跡も趣があり、直線を強く感じる道が多くて、真っ直ぐな心を持った侍がここを歩いたんだろうなぁ

畳の縁を踏んではいけないが、葵の御紋だと、より踏めないな、
ワザとそうしたのかな?( ・᷄ㅂ・᷅)…

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イオ

新宮城跡散策マップ(本丸腰曲輪周辺) (2026/04/25 訪問)

関ケ原の戦いの功により紀州藩主となった浅野幸長の重臣・浅野忠吉が熊野川南岸の丹鶴山に築いた城で、一国一城令によりいったん廃城となるも後に再築が認められ、浅野氏が安芸国に移封になり、代わって徳川頼宣の附家老・水野重仲が入った後も築城は継続されて、水野重良(重仲の子)の代に完成をみました。そのまま水野氏代々の居城として明治を迎えています。

赤色立体地図お城かるたの読み札採用のお礼参りを兼ねて約7年ぶりに再訪しました。今回も丹鶴城公園駐車場から登城開始。ヒロケンさんの投稿にある駐車場脇の新宮城跡散策マップを手に取ってみると、7年前の散策マップから刷新されていました(2022年に刷新されたようです)。一応、前回の散策マップも持参していましたが、せっかくなので今回は新しいほうの散策マップに基づいてめぐってみようと思います。なお、この散策マップは新宮市観光協会(https://www.shinguu.jp/pdfmap)でも公開されていますので、興味があればどうぞ。

駐車場から本丸への石段を登って行くと、目の前にそびえる鐘ノ丸南面と本丸腰曲輪南西面の石垣。そのそれぞれに排水樋が見られます。多雨地方の切込接石垣には必須の設備のようです。赤い城さん、新宮城には8基の排水樋があるそうですよ〜。日本一短いケーブルカー軌道跡を横目に本丸腰曲輪に到達。眼前には本丸の石垣がそびえ立ち、本丸南西面の石垣には⦿の刻印が、天守台西隅の石垣には矢穴が見られました。天守台石垣は北西面が崩落していますが、南隅には綺麗な算木積石垣が遺っていて、天守台から北東に続く本丸南東面の石垣は、屏風折れと呼ばれる三か所の折れを設けた横矢掛りになっています。本丸腰曲輪南部の櫓跡には休憩所が設けられ、その南下段には配水池が設けられていました。

本丸腰曲輪の東端で折り返して本丸に向かうと、腰曲輪北端からは眼下に水ノ手曲輪と熊野川を一望できます。本丸側に目を転じると、本丸北西面の石垣が上下二段になって続いています。腰曲輪と同じ高さの野面積石垣(下段)が浅野期、その上に積まれた切込接石垣が水野期の石垣と考えられるようです。そして本丸虎口の高麗門から渡櫓門を抜けた正面には精緻な亀甲積石垣が設けられていました。鏡石として巨石を配する代わりに最高水準の石垣技術を見せつける、ということでしょうか。

さて、本丸虎口を抜けるといよいよ本丸に入ります(続く)。
 

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todo94

日帰りツアー中の攻城② 赤坂御門跡 (2026/09/27 訪問)

「VIVANT」公式ツアー 名シーンの舞台を巡る聖地巡礼・東京都内編の後半戦です。昼食場所の深大寺の次のスポットは、VIVANTのドラマの中でまんじゅうが置かれるスポット・神田明神で、次が赤坂サカスでした。ここも時間にゆとりがあったので、1kmほど離れていましたが、36見附の赤坂御門跡まで足を伸ばしてしまいました。

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ニコ・ロビン

100名城の13( ・᷄ㅂ)白河小峰城🏯 (2023/04/25 訪問)

んー中々縁が無い城だな( ・᷄ㅂ・᷅)、
いつも時間が中途半端、閉館の時間
外回りの広大な広場から見る三階櫓はカッコいいなぁ
もう天守だね( ・᷄ㅂ)コリャ
貴重な木造復元。大洲や掛川みたいな感じ
石垣はごっついな、

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小城小次郎

究極のハイブリッド境目の城 (2025/11/24 訪問)

小牧長久手の戦い当時は尾張国だった竹ヶ鼻城が羽柴方の攻撃対象となり、関ヶ原の戦い当時は美濃国だった竹ヶ鼻城が福島正則の攻撃対象になったという究極の境目の城(大変だぁ)。羽島市民俗資料館のあたりが城域という。

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ぴーかる

イオさんありがとうございます。

 イオさん、虎城山城跡での私のストックをわざわざ探して頂きありがとうございました。紛失した場所も明確に分からなかったもので、回収する体力が本当に残っておらず、藪の中や城跡に物を置きっぱなしにする事が気になっていたので、城びと様方にお任せするしかなかった次第です。すみませんでした<(_ _)>。もし発見された方は回収して申し訳ないですが廃棄していただけたら助かります。
 またイオさんの虎城山城跡やそのあとの下里城跡での城巡りの私の案内がお役に立ったので嬉しかったです。

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イオ

登城しやすいルートがあれば… (2026/04/25 訪問)

室町中期に土井佐渡守が南麓(下里神社周辺)にあった居館の詰城として築いたとされ、織豊期には南進する堀内氏善に抵抗して戦場となったようです。

下里神社の駐車場から登城開始。先達方にならって国道から東に入ってゲートを抜け、舗装道を登って行こうとしましたが、明らかに私有地っぽい様子にひるんでしまい、東側にまわって東隣の尾根にある水道施設を経由するルートに変更。しかし、水道施設へ続くと思われる階段は城とは反対方向にのびていて、この階段を行くのが正しいのだとしても反対方向に遠回りするより城側の斜面を直登するほうが早いと考えたのが運の尽き、途中からは背丈以上のシダの藪に阻まれ、何とか進めそうな堀底道(竪堀?)をシダをかき分けて強行突破! やれやれ、ひどい目にあった…(自業自得)。

シダの藪を突破してたどり着いたのは城跡の南端部。テーブルとベンチが設置されるなど整備された展望台からは城下の向こうに熊野灘が広がっています。城跡は大幅に改変されていると思われますが、展望台北側の城池や東辺の土塁、西辺の土塁南端の櫓台などは城郭遺構でしょうか。最高所が主郭で、主郭北側の櫓台の向こうは二重堀切が北尾根を断ち切っていました。堀切はどちらも岩盤を掘り抜いたもので、堀切内面にはその際の石材を用いた土留めの石積が見られます。堀切の両端は竪堀となって続いていました。

さて、北端の二重堀切で折り返して下城するにあたり、もう一度シダの藪を突破する根性はないので、やむなく舗装道を下りて行きましたが、民家なのか管理棟なのか、家のすぐそばを通り抜け、キャンプ場のような広場や建物の入口を通り過ぎて、誰にも会うことなく登城口のゲートに到着。こんなことなら最初からこちらのルートで行っていれば…とはやはり思えない微妙な感じでした。岩盤を掘り抜いた二重堀切は見応えがあるものの、ぴーかるさんの言われるように県内の城びと登録城コンプリートを目指すのでなければ、無理に行くこともないのかなぁ、というところ。もっと良いルートがあればいいんですけどね(シダ藪突破は論外)。
 

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にのまる

夏の18きっぷ2日目 (2026/09/01 訪問)

18きっぷ2日目も飯田線です。
上諏訪から24駅、約2時間で飯島着。飯島陣屋まで駅から徒歩10分くらいでした。

幕末の姿が再現された陣屋をガイドさんの解説を伺いながら見学しました。撮影も備品に触れることも自由で、資料も豊富。前日行った箕輪城の木下陣屋も展示資料に記載があり、地域の歴史を点ではなく線や面で学ぶことができました。
以前、中野市の高梨氏館を訪れた際に「中野陣屋」や「中野県」について知る機会がありましたが、全く理解できておらず、中野県に濁点をつけて長野県になったのか……などととんでもない解釈をしていたので、今回18きっぷと飯田線のおかげでひとつ賢くなれました😊

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ニコ・ロビン

100名城の12( ・᷄ㅂ・᷅)会津若松城🏯 (2023/05/25 訪問)

やって来ました( ・᷄ㅂ・᷅)鶴ヶ城!
んー瓦赤い!
赤茶と城のコントラストが綺麗な層塔型天守が美しい✨でもこの赤い瓦は2011年までは黒瓦だったんだ、知らなかった。
戦国時代の蘆名の名城黒川城!
蒲生から加藤へ、江戸時代は保科正之、松平へと奥州を束ねて見張る大事なお城🏯幕末の松平容保、白虎隊へと繋がる深い歴史があるお城🏯
曇ってなければもっと瓦赤いんだろうなぁ( ・᷄ㅂ・᷅)写真だと少し暗めに写るな、残念
大手門から、砲弾や銃撃を受けた石垣が見られて、歴史を感じられるお城🏯
門を超えて中に入ると、赤ベコと天守がお迎え✨
天守は外観復元天守で、中は博物館だね( ・᷄ㅂ・᷅)、
プロジェクターで豪華な映像が流れて、改装しただけあって、かなり綺麗( ・᷄ㅂ・᷅)まぁ木造復元が流行るこの時代にコンクリ天守を見ると、雰囲気が足りないから残念だけど、綺麗に展示されてるからまぁまぁ…
外観が美しくて、外から見てるだけで、満足出来るからいいや

✨今の世にも受け継がせていきたい名言✨
ならぬものはならぬのです!

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小城小次郎

間違いなく大名がいた近世城郭なのだが (2025/11/24 訪問)

木曽川駅からほど近い小学校の一角に冠木門と石碑群が並ぶが、ここに近世城郭があったと言ってもにわかには信じられないのではなかろうか。黒田城に一柳直盛がいた頃は3万5千石だったので紛れもなく大名のお城だったのだが。山内一豊の父が守り切れず、一豊が流浪の日々を過ごすきっかけとなったお城としても知られている。

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カズサン

【信濃 鍋蓋城】長野県小諸市 最初の小諸城 (2026/09/22 訪問)

 城郭放浪記さんで紹介されていた信濃 鍋蓋城が小諸城大手門の近くでしたので寄ってみました。
 住所:長野県小諸市本町1丁目2
 駐車場:三の丸大手門公園の有料駐車場がベター。

 小諸城大手門から浄斎坂を登って国道141号線を北へ本町交差点を西に降りると石垣面に「大井伊賀守居城鍋蓋城址」と横長の表示板が掲載されています。
 大手門よりは経路で約180m程です。
 現在は私有地で建物が建てられており公開はされて居ません、通路面の門の横に解説板「小諸藩城代家老屋敷/鍋蓋城跡」が掲載されてました。
 解説板によると。
 ここは、戦国時代の初め1487年に、大井伊賀守光忠により小諸の町にはじめてつくられた鍋蓋城の跡です。その後、小諸が武田氏の支配下になったときに、この鍋蓋城を取り込むように街道がつくら町が形成されました。江戸時代この場所は小諸城鍋蓋曲輪として城代家老屋敷が在り石垣で固められていた。北国街道が通り賑わい栄えました。(解説板抜粋)
  

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イオ

水軍の城 (2026/04/25 訪問)

織豊期に高河原貞盛が古座川河口部の上野山に居城として築いた城で、堀内氏善の古座侵攻に対抗しました。関ケ原の戦いでは高河原家盛(貞盛の子)が西軍に与したことにより改易され、廃城となったようです。

北西麓の古座青年会館脇の登城口から登城開始。登城口には古城山の説明板が立てられています。説明板の左右両側に山上への階段が続いていますが、ぴーかるさん投稿の道案内(右側が正解)のおかげで迷うことなく青源寺に到着。青源寺は古城山城が廃城となった際、城の部材を用いて居館跡に家盛が創建したと伝わります。境内には高河原氏の墓所があるようですが、見付けられませんでした。青源寺からさらに登って行くと山頂の本丸に到着。

本丸には虎城山公園の石碑が立てられていますが、木々に覆われてしまっています。本丸の三方は急峻な崖で囲まれ、北東に続く尾根の付け根には堀切が設けられていました(かなり浅くなっていますが)。本丸の北西部は一段高くなっていて、眼下に古座川河口部を見渡すことができる…はずですが、木々が茂っていてよく見えませんでした。本丸の南側には一段下に腰曲輪が、その下段に二の丸があり、南端からは熊野灘の眺望が広がっていました。古座川と熊野灘に睨みをきかせる水軍を率いた高河原氏の居城であることがよくわかります。

ところで、ぴーかるさんが紛失されたストックを回収しようと、藪の中なども意識して見て回ったんですが、見付けられませんでした。道案内に助けられていながら、お役に立てず申し訳ありません。
 

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カズサン

現存移築門廻り編 (2026/09/23 訪問)

 小諸城の現存してる移築門は小諸市内に二ヶ所に在ります。小諸城大手門櫓部の資料室掲示「小諸城の門」小諸城縄張図に城門を示し各城門の説明文とイラストを記した解説図に、黒門と足柄門がお寺に移築現存と示されて居り、早速スマホのグーグルマップで調べて小諸城16年振りの登城翌日訪ねました。
 
 足柄門・・荒町の光岳寺山門として現存(小諸市荒町1丁目3-4)
 駐車場は近くの小諸市役所地下駐車場を利用、徒歩350m程です。
 足柄門は二の丸と三の丸間の堀切の三の門北に位置し、小諸藩士の通用門、背の高い高麗門形式板葺でしたが、現在は瓦葺きに成っています。
 山門は当日秋の彼岸に当たり国旗掲揚、楼門を潜り本殿参拝。敷地の広い立派なお寺です。

 黒門・・八満の正眼院山門として現存(小諸市八満624)
 駐車場は正眼院の山門と本殿の間の駐車場を利用。
 黒門は本丸を護る紅葉谷橋の西付根、本丸の格調高い医薬門で一の門とも呼ばれた、大手門と黒門のみ瓦葺きでした。
 雨が降ってきた中、山門を見学、山門内側には白象が左右に並び本殿は石段を登った上段に有り、下段寄り参拝。敷地が広い丘陵地に在りますが通用路は狭い道で通行注意。

 小諸城現存城門2件見学出来て感謝です。
 
 帰路国道141号線を南下し龍岡城へ向かいました。
   

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todo94

日帰りツアー中の攻城① (2026/09/27 訪問)

一昨日の日曜日、都内の日帰りバスツアー・「VIVANT」公式ツアー 名シーンの舞台を巡る聖地巡礼・東京都内編に参加して参りました。VIVANTのロケ地となった寺社をめぐるツアーです。調布の布田天神社に続く二つ目の目的地が深大寺。早めの昼食で深大寺そばをいただきました。滞在時間がたっぷりとあったので神代水生植物園にある深大寺城に足を伸ばすことができました。ここは、にのまるさんの庭なんですよね。15年ぶりの再訪となりました。

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赤い城

九鬼水軍の海城 (2026/08/14 訪問)

田城城の後は鳥羽城、九鬼嘉隆が築いた城です。
海に面し、当時陸側には堀が巡らされ島のような海城でした。
市役所裏手の駐車場を利用、すぐに家老屋敷の石垣があります。
野面積みで迫力がありました。

石段を登り城山公園へ。
さらに本丸へと進みます。
本丸には石垣が現存しています。
石垣の説明板には「石垣には排水のための水抜き抗もあります」と記載されていました。
探す必要があります😌がまずは本丸へ。

広く眺望も良いですが小学校のグラウンドとして利用されていたためかなり改変されています。
かつては三重の天守と本丸御殿がありました。

本丸から降りて再度石垣を見学、南側の石垣に水抜き抗がありました。
この時季なので草で見えにくいですがなんとか撮影できました。
下に案内板も設置されています。

一旦下山し相橋へ。
鳥羽城と武家屋敷を繋ぐ橋で江戸時代の石積が残っています。
しばし海沿いを散歩し三の丸広場へ。
海側に大手があるまさに水軍の城、十分に楽しめました。

【見どころ】
 ・家老屋敷の石垣
 ・本丸の石垣
 ・眺望

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天守無しがアツい

小さすぎる😂 (2026/09/28 訪問)

桶狭間の戦いの際に信長軍の居城だった中島砦🏯

現在の様子を生で見に行ったら…人んちの庭😳
所有者のご好意で門を開けて見学可能とのこと

ま…まあ当時はこの辺り一帯が砦の敷地…だったんだろうね😅でもそれから450年ほどの時が流れて🕙家が建ち並ぶようになり🏠🏡🏠現在はこの姿に😂

まあでも…例えば某貝塚の遺跡なんかは…そこに工場が建っちゃって🏭壁に遺跡の案内板一枚しかない🐚というのも見たことあるから…狭いけど空き地に砦跡の石碑があるだけ…マシなのかもしれない😓

ちなみに…石碑には「第三師団長…一書」とあった🪨私の推測だが戦前の日本軍の関係者(師団長クラスの人間)が文字を彫ったのではないだろうか…なのでこの石碑の建立もおそらくその頃

御城印は…桶狭間古戦場観光案内所で発売中…善照寺砦・鳴海城・丹下砦のと併せて4枚1000円

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カズサン

大手門初登閣と現存城門編 (2026/09/22 訪問)

 三の丸に在る大手門は瓦門、四の門とも呼ばれており平成20年には明治に成って払い下げられていた料亭などから寄贈されて元の三の丸大手門跡に修復保全一部復原で江戸期の大手門に甦ったものです。16年前の復元されて2年目の平成22年9月に初対面見学しました。
 今回は旗日祝日と言う事で大手門の櫓部分が公開されて居り、初登閣する事が出来ました、入場料は無料、二階部の部屋は「居館式」と呼ばれる形態で二室で天井が有り書院風です、床板には手斧の削り痕がしっかりと残って居り歴史を感じます。(小諸城大手門リフレットを入手)
 何時も見ている渡櫓の櫓部とは違っていました。
 部屋には資料が展示されて居り特に「小諸城の門」なる縄張図に各門が示されて、門の形態がイラストと写真で示されて各コメントが有り、江戸期の門の形態姿を確認する事が出来ました。又黒門と足柄門は移築されて現存してる情報が有り、スマホで調べて翌日訪ねる事としました。大変ラッキーな情報でした。
 大手門の在る三の丸大手門公園には駐車場が併設されております。当日探訪時間には満車でした。

 二の丸に在る三の門は扁額に懐古園と刻まれて居り、小諸城のシンボル写真の扱いを受けて居ります。渡櫓門形式で江戸期からの現存建物です、今回16年振りに見学体験しましたが、南側の渡櫓支えの石垣と登り虎口石垣が新しく修復されていたように思われます。

 大手門櫓資料室に掲示されていた小諸城の門には7門の紹介有りました。
 不明門(あかずのもん)、黒門、中仕切門、二の門、足柄門、三の門、大手門のコメント、イラスト及び写真付きです。(写真添付)
 移築門として足柄門(荒町の光岳寺)、黒門(八満の正眼院)がコメント欄に有りグーグルマップで確認しました。

 現存移築門廻り編に続く。
   

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朝田 辰兵衛

対馬藩お船江跡も…🚲 (2026/09/20 訪問)

対馬藩お船江跡の入口は狭いです。ハラを擦る可能性があるので,レンタカーでの進入は躊躇すると思います。入口近くでアップダウンが激しく,舗装もされていないので,まさに電動レンタサイクルの見せ場だと思います。
厳原から向かうと,エネオスのGSから右折して登り,T字路を左折。コスモのGSから下りとなり,下り切らないうちに左折。案内板が左側に設置されています。ここから舗装されていませんが,道なりに進むとあります。
桟原館跡での石垣撮影は苦慮しました。ここは駐車場となっており,ほぼ満車状態…<泣>。比較的バックに余裕がある車両の,後方スペースを撮りました📸
高麗門の撮影も,シルバーウィークということなのか,自動車の往来が激しく,車道まで下がって撮影することはかないませんでした…<泣>。

対馬博物館での画像も,周辺観光ということで。ここは,翌9月21日に行きました。
宋氏が朝鮮との戦争を回避するため,公文書偽造した際に使用した偽造印の偽造印(?)押印体験がありました。館内はフラッシュを使用しなければ撮影OKでしたが,ガラスケースに自分が写り込んでしまうため断念しました。

今回,対馬のおみやげは「對馬醤油 焦がし醤油パイ」を購入しました。なかなかいけます。

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カズさん

四国一の街にそびえる名城 (2026/01/02 訪問)

スケールの大きな山城。松山市内が一望できる立派な天守閣がより荘厳さを引き立てる。お城マニアにはたまらない魅力が一杯詰まった名城である。松山に行ったら是非寄りたい観光名所。

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赤い城

九鬼岩倉神社 (2026/08/14 訪問)

伊勢路2日目は内宮参拝予定、例によって朝駆けで鳥羽へ。
まずはこちらに登城しました。
九鬼泰隆が築いた城で嘉隆が鳥羽城に移るまで九鬼氏の本拠となっていました。

城跡には九鬼岩倉神社が建っており、境内には土塁の一部が残ります。
神社の裏手を歩いてみると竪堀状の地形がありますが遺構なのかはわかりません🤷

【見どころ】
 ・一部残る土塁

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