みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

todo94

ゴールデンウイーク翌週・岡山の攻城②の1 早雲の里荏原駅から登城口まで (2026/05/09 訪問)

笠岡城からの転戦です。福山から福塩線で神辺にアクセス。井原鉄道完乗を狙いました。高越城の最寄り駅は早雲の里荏原駅。伊勢新九郎(北条早雲)が此処の城主の子だったことは、すでに読了している富樫倫太郎著の「北条早雲」にしっかりと記されているというのに現地に赴くまで気づかないという体たらくでした。大河ドラマ押しの活動も展開されているようですし、荏原公民館にミツウロコの北条氏家紋があるなど、北条早雲一色の里でした。駅からかなり歩きますが、丁寧に道しるべが設置されており、徒歩と車に分けての表示も親切設計だと思います。全く迷うことなく、登城口にたどり着くことができました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

北九州空港の近く。 (2026/05/29 訪問)

諸々の用事を済ませに実家に滞在中、隙を見て出かけてきました。

駅から登城口までは約2km。
「松山城登城口」に停車するコミュニティバス(ゆめシャトル)がありますが時間が合わなかったため徒歩で向かいました。

登城口で作業をしていらした方にご挨拶したところ「ゆっくりー」と見送ってくださいました。
登城路は案内板、杖、階段、ロープと至れり尽くせりです。苅田町作成のPDF版ハイキングマップで土塁、石段、虎口、主郭などを確認しながら、15分ほどで山頂に到着しました。立入禁止区域も多かったですが、大切な遺構の保全と登山者の安全のため。守る会の方々に感謝です。

久しぶりの山梨県外の🏯でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

何でまたわざわざ弱い城へと越してきたのか (2025/08/10 訪問)

香西氏がここに本拠を移した天正5年は播磨三木城攻めの前年で、土佐の長宗我部氏が阿波への侵攻を始めた頃にあたる。世の中が大きく動き出した時代に香西氏は今までより小さくて防備も弱いお城へと移転している。なんでだろう。

+ 続きを読む

ぴーかる

大村城 (2026/05/10 訪問)

【大村城】
<駐車場他>瑞円寺駐車場に停めました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅13城目。お城の詳細は添付写真の現地説明版をご覧ください。
朝8時前に到着、朝早かったので瑞円寺内に入るのは遠慮しました。城主であった轡田豊後守の墓である精霊塚にも立ち寄りました。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

石碑には金窪館と刻まれている (2026/05/30 訪問)

 信玄が本陣を張ったと言われてる木部城を後に国道17号線沿い群馬県埼玉県未踏の城廻り三城目の金窪城へ、北北東約8kmの進行、ナビに金窪城駐車場を合わせたのですが、グーグルマップとナビの地図精度の差なのか、道が狭くぐるっと回って御陣場川を渡って黛神社川沿いに駐めて神社隣の方にお聞きしてたら、次の橋を渡って直ぐに公園の駐車場が在ると聞き、砂利駐車場に到着。
 駐車場:埼玉県児玉郡上里町1626-4他金窪城址公園東約70mジャリ駐車場、(36°16'05"N 139°08'23"E h=60m)収容10台は軽い。
 参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 駐車場より集落の道を西に約70m、コンクリート塀の金窪城址公園入口がある、入口の南に一段高い基壇上に石碑、案内板が設置されている、土塁跡なのか石碑の東民家敷地に土塁の痕跡あり、立派な石板碑には史蹟金窪館趾と刻まれている昭和13年建立、手前の石柱碑には史蹟金窪館とよく読める、南に面した説明板は金窪城跡と有り周辺地図と写真、解説文がある、東に面して地に落ちた金窪城跡説明板、同じく東に面し神流川合戦古戦場址の解説板がある。

 歴史は
 烏川と神流川の合流する東洪積地で微高地に築城されている、もう少し東に行くと利根川に合流、金窪城は一辺約200m方形の平城、武蔵国の最北端に当たって上野国との国境の城として重要な位置を占めていた。
 治承年間(1177~80)に加治家季が築城、元弘年間(1331~33)に新田義貞の武将畑時能や長浜六郎左衛門が居城、大永の頃(1521~27)斉藤実盛の子孫摂津守盛光が居城していましたが、天正10年(1582)定利の時、神流川合戦で織田信長の家臣滝川一益に攻められて落城。
 その後徳川家康関東入封によって武田信玄の甥である川窪信俊の所領となり陣屋が置かれたが元禄11年(1689)に川窪氏が丹波へ転封となり廃城と成る。
 関東での大合戦と言われている神流川合戦が金窪城を巻き込んで大激戦地に成っていたのですね、本能寺の変で事変急を告げて滝川一益と北条氏との対決が変の有った6月2日から16日経った6月18日19日に合戦が行われて滝川一益は敗戦、尾張へ逃げ帰る事に、山崎の合戦は終わって居り、清須会議にも間に合わず。一益は北条氏とうまく調整がつかなかったのでしょうか?(解説板抜粋し加筆)

 グーグルマップを見ると金窪城址公園を御陣場川を北端にして方形200mで囲むと集落が入り集落の道筋が方形に見えたりしますので城域だった様に感じられます。

 次に庁鼻和城(コバナワ)、国済寺へ向かいます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

「鉈一丁で何千騎にても防ぎ申す」ので、七尾山→鉈尾山城 (2026/05/30 訪問)

 城びと先人(イオさん、とある煩悩の登城目録さん)の投稿を見て、小倉山城から、鉈尾山城(城びと未登録)に行って参りました。
 またもやチャートの急峻な山です。登城道から、巨岩やシマシマチャートが迎えてくれます。南北の尾根に郭が並んでおり、東西はとても急峻です。南端の虎口に石垣が良好に残っています。主郭東側などにも石垣の痕跡が見られます。
 運動公園東の毛鹿洞池脇からの大手道と運動公園北の弓道場脇からの搦手道があります。後者は、体育館建て替え工事(?)の塀に阻まれてますが、毛鹿洞池から山に入ってしまえば、林道を含め、いくつかの道が交差しているので、どちらからもアプローチできます。大手道は、ふれあいの散歩道と名付けられて、整備されています。誰にも会わず、触れあえんかったけど。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

dougen

2025.8.2登城 (2025/08/02 訪問)

八王子駅の北側にある八幡八雲神社が横山党館跡となります。
遺構はありませんが、都の旧跡に指定されており、解説板が設置されています。
また、近くの妙薬寺には横山秀綱供養塔がありますので、セットで散策することをオススメします。

+ 続きを読む

イオ

詰城としてならば… (2025/11/16 訪問)

鍋山城は大鍋山の本丸、小鍋山の二之丸、下鍋山の出丸からなる城で、戦国期に平野安室が築いて入り、鍋山氏を称しました。三木氏が勢力を伸ばすと養子を迎えて従うも、鍋山城を追放されて三木氏に城を奪われています。金森長近の飛騨攻めでは長近に協力して案内役を務め、鍋山城を三木氏から奪還しましたが、処遇に不満をいだいて離反し金森可重に鎮圧されました。長近は当初、鍋山城を居城とすべく城下の整備を始めましたが、やがて高山城を築いて移り、鍋山城は廃城となりました。

四天王神社脇の登城口から登城開始。神社の前まで車で行けますが、道は少々狭いのでご注意を。防獣柵を開閉して進むと藪の中に「大手」の標柱が立てられています。林道に合流して少し行ったところの開けた空間には屋敷跡の標柱が。標柱の脇を上った先にも屋敷跡らしき削平地があり、さらに行くと本丸と出丸の分岐の案内表示があったので、まずは出丸に向かいます。尾根沿いに下って行くと鞍部の手前に土塁があり、西麓からの侵攻に備えています。その先の堀切を越えて下鍋山の険しい斜面を登りきったところが出丸で、周囲に帯曲輪をめぐらせていますが広さはさほどありません。

分岐に戻り、つづら折れの登城道を登って大鍋山頂部の本丸へ。本丸は東西に細長く、東部には東面から北面にかけて石垣が積まれています。鍋山城で一番の見どころでしょうか。中央部には説明板、西部には本丸の標柱が立てられていました。本丸から西に下って小鍋山の二之丸にも。高山市の解説には「巨岩のそびえ立つ自然の要害で、西南隅に石垣が残存する」とありますが、二之丸の標柱と南辺に削り残しの土塁が見られるくらいで巨岩も石垣も見付けられませんでした。

実際に訪れてみて、山がちで麓にも平地が少なく交通の結節点とも言い難いことから、詰城としてならともかく長近が飛騨一国を統治するための城としては、やはり高山城のほうが相応しいだろうことを実感しました。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

ゴールデンウイーク翌週・岡山の攻城① (2026/05/09 訪問)

ゴールデンウイークの翌週は、結構、人出が減ってねらい目なので意図的に遠出をするようにしています。のぞみの自由席も復活しているので、新幹線を使うことにしました。今回、岡山を行先に選んだのは、47都道府県の中で最も攻城数が少ない県だったからです。岡山に前泊して、駅近物件を回ります。山陽本線で最初に向かったのは、笠岡駅。笠岡城は遺構は残っていないようですが、古城山公園として整備されていて展望台が設けられており、素晴らしい眺望を楽しむことができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

張陳

現在進行系で整備が進む土の城!本丸の石垣も見応えあり! (2025/05/03 訪問)

二戸駅からは少し距離がありますので、レンタサイクルで回りました。

二ノ丸については、大手、搦手と順次、虎口が復元されています。
土嚢を積み、人工芝を敷いて、、と整備がされていて、地元の方から大切にされているのだと感じられました。

また、二ノ丸南東部には、土塁に関する展示がされています。
土塁内がどのような地層なのかがわかるような展示です。

そして、本丸虎口付近の石垣は、蒲生期のもので、本丸側と二ノ丸側とで積み方の精度の差がある点が特徴のようです。


付近のガイドハウスでは映像の展示を見ることが出来ますが、二戸市埋蔵文化財センターも展示が充実していますので、ぜひそちらも行っていただきたいと思います。

また、呑香稲荷神社は、とてもきれいな御朱印を授けてくださいました。
境内裏は九戸城の松ノ丸でもありますので、そちらも合わせてお立ち寄りください。

昼食はボヌールという洋食屋さんがおすすめです。
野菜にこだわっているお店で、食べたことのない、名前のわからない、でもすごく美味しい野菜をたくさん食べることが出来ました。
メインとしては、私は地元の鳥を使ったコンフィを(塩味と脂の旨味がすごかった)、妻は短角牛のステーキを(すごく柔らかで、ソースも美味しかった)いただきました。
いずれも絶品です。

+ 続きを読む

張陳

復元がすごい!中世感が味わえる城跡 (2025/05/02 訪問)

主殿の建物だけではなく、馬屋や竪穴式の蔵、鍛冶場、塀や門など様々な建造物が復元されています。
とにかく没入感があって良いです。

平野部の、八戸南部氏の根拠城において、どのような生活が当時行われていたのかを考えるのにとても参考になると思います。
中世の城跡の中では、お子様でも楽しめるのではないかと思います。

また、整備に携わられている方もとても親切で、たくさん話しかけていろいろなことを教えてくれました。
実際に行くことは出来ませんでしたが、その方おすすめのグルメは「むつ食品ストア」でした。
「グラタンフライ」などの変わり種のフライが買えるそうで、私も寄り道したかったです。
皆様は是非行ってみてください。

付近には櫛引八幡宮もあり、そちらでは国宝の大鎧を2つ見ることが出来ます。
城好きもそれ以外の方も必見です。

+ 続きを読む

張陳

平泉観光に行くなら (2025/05/05 訪問)

せっかく平泉に行くなら、中尊寺や毛越寺だけではなくこちらもどうぞ。
こちらに隣接する形で、平泉世界遺産ガイダンスセンターや道の駅平泉があります。

柳之御所自体は、建物の跡地がわかるように整備されていますし、義経の屋敷があった高館も臨めます。
また、跡地から見る山並みはとても綺麗でした。

平泉駅から徒歩でも行けなくはない距離ですし、道中には無量光院跡もあります。
私は、平泉駅から無量光院跡、柳之御所、ガイダンスセンターと回って旅を始めました。

せっかく古の、ゆったりした時間が流れている場所だと思うので、急いでスポットを巡るよりは、付近に一泊してゆっくりと巡る方が良いと思います。

私の場合はガイダンスセンターの後、宿(平泉ホテル武蔵坊)に荷物を置き、毛越寺、観自在王院跡に行きました。
2日目には、中尊寺、高館と巡って帰路に着きました。

おすすめの飲食店は夢乃風というお店です。
餅料理や蕎麦、名物のホルモンをいただけます。

+ 続きを読む

イタさん

榎下城跡  群馬県安中市原市 (2026/06/06 訪問)

榎下(えげ)城は安中氏が安中城を築くまでの居城と云われる。
境内に入ると本堂の左後方に土塁が確認出来る。土塁は短かいが、堀は浅いが東方向に少し続いている。さらに北に土塁と堀跡が見られる。先の北から東一帯は梅林(見た目)になっており、遺構を感じられない。
西に道路が通り、如何にも切通跡に思えるが単に道路を造成したらしい。内側の土塁・堀は道路を越え西に続いているが、寺域に比べ遺構が分かりづらく、民家・墓地になっている。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

たか

初めての障子掘! (2026/05/31 訪問)

中川城のあとは河村城へ行きました。
わたし自身初めての障子堀でワクワクします。
あとで知ったのですがわたしはカーナビ通りに向かって西側の方から登城しましたが道がめちゃくちゃ狭くて大変です。

河村城址歴史公園として整備されていて山道を抜けたら突然ひらけて本城郭。
石碑もあり説明板もあってとても綺麗です。
そこから東に向かい蔵郭との間に…ありました!障子堀が!
とても深くてこれは攻めても登れずに間違いなくやられてしまいます。

そこからさらに東に行くと近藤廓、大庭郭など綺麗に整備されていて展望台もありとても素敵です。
ぐるりとまわって今度は本城郭の北側にあるお姫井戸へ。
ここも小郭と茶臼郭の間に障子堀があるという事ですが…見えません…
残念だと思っていたら茶臼郭に登ると草が繁っているとはいえ、障子堀が確認できます。
めちゃくちゃ興奮します!

ここでかなり時間を使い今回の旅は終了です。
今度は山中城かな。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イタさん

滝山城跡  群馬県安中市簗瀬 (2026/06/06 訪問)

安中氏に関連すること位の情報しか分からず。
北から狭い道を突き当たりまで行くと聖明寺入口で、右上一帯が城跡になる。東に石段があり山門を潜れば、東西に細長い平地で本堂等が建っている。西は墓地で更に西隣に続き、境に土壇状の高まりがある。奥は竹藪が濃く足を踏み入れなかったので、西の虎口・堀跡は確認していない。北には低い土塁があったらしいが、こちらも確認していない。山門手前の石段右に道が付けてあるが、当時は虎口だったかと想像するが、その他目立った遺構は分からない。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

たか

トンネルがビビりにはしんどい (2026/05/31 訪問)

中川橋を渡り突き当りを左に行こうと見ると車両通行止めの看板が…
中川橋のたもとに駐車場がありそこに止めて徒歩で向かいました。
中川隧道…ひんやりしていてあかりは無くなんとも薄気味悪い感じです…

あとで確認しましたがそのまま車両で行ってバンガロー跡までは行けるようです(ここでUターンしてくださいとあった)
資材置き場のようですがここがおそらく主郭のようです(土塁があります)
案内板はむかしあったようになっていますが見当たりませんでした。
(バンガローのところに入れればあったのかも)

これは個人的な見かたですが、途中左側の川へ降りるところを門で封鎖していました。
道を整備してありましたがその奥の方に石垣らしきものがありました。
近寄れないので確認できませんが周りのものとは違うのでもしかしたら物見櫓とかの石垣かなっと思いました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イタさん

菅沼城 群馬県安中市郷原 (2026/06/06 訪問)

詳細は分からず、関東に徳川家康が入った時期に、菅沼氏の居城と云われるくらい。
南下にある郷原緑地公園から訪問してみました。階段は数回折れながら、やや古い情報の西門(西門が見当たらない)と墓地境に出る。公園からの階段はかつての堀(竪堀)を利用したように思える。南側には土塁が良く残る。
さらに西に外側の堀があり、階段と同じで南に竪堀となって落ちている。本堂前に門が建っているのは見ない形式だが、以前の西門の形に似ている。南の眺めが良いのだが、危険防止のため崖手前数メートルは立入禁止になっている。東門側に大きな土塁と堀跡が残り、堀の外側にも土塁が見られる。今は道路になっているが、堀であったようで墓地の西側まで続いている。
東門の南辺りにも草に覆われているが、堀状の地形が確認出来る。堀だか確証はないが。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

たか

帰りは美しい夕映えで感動 (2026/05/30 訪問)

石垣城から小田原城へ攻守交代です。
ここでわたしの天邪鬼な一面が出てしまい小田原城東側の交差点でみんなが南の方向へ行っているにもかかわらずわたしは北側へ。
御用米曲輪の横を通り本丸に向かう裏門進入ですw

御用米曲輪は立入禁止の為よく見えなかったけれど土塁が勾配がきつくて高さがありました。

本丸へ着くと青空に白い城がよく映えます。
展示物を見ながらいつものように時間をかけていると…やばい!時間がない!
急いで最上階まで行って先程行った石垣城を探します。
うーん…あそこらへんかなって感じで降ります。
スタンプを押していなかったのでギリギリセーフ。
御城印は入館の時に買ってて良かったです。

それから二の丸へ向かいました。
本丸側の紫陽花が綺麗で花菖蒲が育成中でポツポツ花が付いてました。
銅門をくぐり、馬出曲輪へ向かい馬出門から脱出。

帰り道、夕暮れをバックにしている櫓や門を見て、これはまた来てじっくりと見て回らなければと思いました。
帰路の途中ふと堀の向こうにある隅櫓を見ると一羽の鳥が夕暮れをバックにたたずんでいました。
また来いよとでも言ってくれてるのかなww

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

【上野 木部城】群馬県高崎市 倉賀野城攻め信玄の陣城! (2026/05/30 訪問)

 倉賀野城から南南東約1.5kmの烏川と鏑川合流洪積台地上に在り、グーグルマップで倉賀野城を探査中に気に成り、また以前の山名城を探査中にも気に成っていた木部城でした。群馬県埼玉県の国道17号線沿いの未踏の城廻り二城目として城びと未登録ですが探訪しました。
 住所:群馬県高崎市木部町220-7(心洞寺)、駐車場は心洞寺の参拝者駐車場利用。
 参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
 木部城跡グーグルマップ史跡マーク地は群馬県高崎市木部町堀之内。

 心洞寺駐車場から徒歩で南へ約100m、西に曲がって約100m程に「堀之内組氏子中」と刻まれて石碑が在る、ここ辺りが木部城の本丸辺りか?グーグルマップの地割を見て行くと本丸の囲み、外郭の囲み、堀跡の様な囲みが見えて来る、現地は住宅と畑、水田で遺構らしきものは良く分からない。
 心洞寺は木部駿河守範虎開基の菩提寺、同説明板によると山門左右の土塁、石垣は木部氏館跡土塁と記されていた。また心洞寺西土塁の西端欅の大木下に木部駿河守範虎廟所が鎮座、墓標も有る。心洞寺は南向きで山門、楼門、本堂が南北に並んでいます。

 歴史は墓標にて。
 木部駿河守範虎は清和源氏源範頼の後裔にして、箕輪城主長野業政の姫を娶り長野氏の武将として活躍せしが、武田信玄の侵攻で永禄9年箕輪城落城長野氏滅亡。(武田との戦で奥方は榛名湖に身を投じて龍になったという伝説は有名) 長野氏滅亡後武田氏に降伏し、武田方として木部50騎を率いて各地の戦で武勇を示す、後織田信長の長篠の合戦にて敗れ、天正10年3月11日武田勝頼に殉じ家来諸共、天目山にて散る、享年72歳。合掌。
 武田信玄が侵攻した時には木部城を離れて木部父子箕輪城籠城戦へ、木部城は信玄の本陣と成り、倉賀野城を永禄8年、箕輪城を永禄9年に落城させている。

 次に金窪城へ向かいます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

つね

小見川城と小見川陣屋(橋向城)③ (2026/05/26 訪問)

小見川陣屋跡は、戦国時代は里見軍が小見川城を攻めるために築城した「橋向城」があったそうです。解説板が正門(小学校北西側)に、校庭内には石碑があります。北側にある妙劍神社は由緒書きによると、陣屋時代は剣術の稽古場だったそうです。黒部川を渡った場所に御城印が購入出来る「寺嶋陶苑」があります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ2