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トク

平和について考える旅2026(1/3)【戦艦大和沈没地点を忍ぶ】 (2026/07/28 訪問)

また今年も終戦の日前の恒例、トクの平和について考える旅を始めます。今年もよろしくお願いします。実は熊本地震があった日、私はこんな所に来ておりました(おさわがせしました)。

ここは本土最南端「枕崎市」です。鹿児島中央駅前から鹿児島交通の枕崎行きのバスに乗り1時間30分、「枕崎駅」に到着しました。何と枕崎へは、JRより路線バスの方が、早くて安いです。バスを降りると現在の気温は37度(実際の地面は40度超)、日差しが痛いです。

駅前の観光案内所でレンタサイクルを借り(電動4時間1,000円)、まず駅から北2kmの所にある「桜之城」を訪れました。加世田に本拠を置く薩州島津氏の支城です。桜山小学校の横の高台に鐘桜があり、ここが城の本郭であったとされています。説明をよく読むと、あの岩屋城や立花城攻めの総大将であった島津忠長が、若き頃ここの城主であったようです。

それから今度は駅から南に4kmの所を目指し、海岸沿いに爽快にチャリを走らせました。潮風を浴びると、少し涼しくなり心地いい感じです。そして突端にある岬の「火之神公園」に着きました。ここは映画「男たちの大和」のロケ地にもなった場所です。そしてそこには、大和の慰霊碑が建てられています。

ここから見えるこの海のこの方向200km先、北緯30度43分・東経128度04分・水深370mの海底に、戦艦大和は乗員3,056名を乗せたまま、今も眠っています。昭和20年4月6日、沖縄に上陸した米軍を攻撃するため、片道分の燃料だけで海の特攻として、大和は徳山沖を出港しました。そして翌7日、この枕崎沖を通過した後、米軍機約1,000機の猛攻を受け沈没しました。ここ火之神公園には、その犠牲になった乗組員を忍び慰霊碑が建てられ、そして毎年その沈没した4月7日に慰霊祭が行われているそうです。

帰りに、枕崎お魚センターに立ち寄り、名物「枕崎ぶえん鰹丼」を食べました。そう言えば枕崎は(かつお)で有名な所でしたね。ぶえんとは新鮮という意味だそうです。「削り節は食べ放題ですよ~!」と言われましたが・・(笑)。

(2/3)に続きます。
 

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赤い城

花塚山古墳 (2026/07/17 訪問)

仕事で大阪出張があり、空き時間でいくつか攻城してきました。
いずれも遺構には期待出来ないのですが・・・

ホテルは日本橋、夜は新世界を散歩しました。
外国人の方で賑やかでした。
翌朝、まずは朝駆けでこちらへ。
地下鉄谷町線の出戸駅から徒歩で10分くらい。
瓜破東小学校周辺が城跡です。
学校のほかも住宅地で遺構は残りません。
皆さんのレポートにもあるようにここから南東にある花塚山古墳へ移動しました。
この周辺は大きな霊園になっています。
古墳は円墳で石碑が立っています。
城の何かに使われていたのかな〜

【見どころ】
 ・花塚山古墳

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HKISD

山鹿城散策 (2026/07/28 訪問)

駐車場、左側から登り登った後、横長の城跡で全て散策しました。
非常に歩きやすかった。

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HKISD

岡城散策 (2026/07/28 訪問)

お寺の駐車場に停めて出発。本丸迄の道のりはあっという間につきました。
とにかく暑かった。ハチもいるので注意ですね。

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にのまる

河岸段丘 (2026/06/27 訪問)

道南城めぐり旅の帰路、
新青森→(はやぶさ)→八戸
八戸→(青い森鉄道)→三戸
三戸駅前→(南部バス)→三戸町役場前
で行きました。

バス停から10分足らずで門住稲荷。そこから上り坂を数分で最初の城址碑。その先に物見櫓跡。
色づき始めた紫陽花に夏の訪れを感じながら石段を上ると、鮮やかな緑の葉陰に古色蒼然とした石垣を発見👀視線を上に向けると白漆喰が眩しい綱御門。ときめかずにはいられません。
大手を守る強くて美しい綱御門は江戸時代の絵図から復元されたそうで、今でも全然ウェルカムではない向きで建っています。突入できない……。
現地説明板を読むと、解体された門の部材が龍川寺の山門に転用されているとのこと。これは!あとで行こう_φ(・_・

曲輪や屋敷跡が整然と並んだ地形復元図を見ながら歩を進めます。現地にも標柱が建てられていて、今このあたりにいるのだなということがわかって楽しかったです。
段差や景色や位置情報でリアル河岸段丘を感じられたのもよかったです。いい経験ができました。

糠部神社を過ぎると温故館と歴史民俗資料館。温故館は模擬天守ですが、場所は違えど絵図で確認できる隅櫓を模して建てられたそうで、当時を思う縁になるなぁと思いました。

そしてようやく本丸へ。大門跡や搦手門跡の他にもマップに載っていない標柱がひょっこりこんにちは😀していて、一見広い駐車場なのですが、宝探しをしているような気分になりました。

搦手門から出ると次のポイントは繭子像、亀池、鶴池です。水の手チェックはしておきたいところですが、元気いっぱいの下草に怯んでしまいました。夏場はがんばって草刈りをしてもすぐにモサモサになるので(絶賛体験中)近づけなくても残念とかはありませんでした。

奥瀬与七郎邸に向かいます。四阿が見えました。きっと素晴らしい眺望が待っているに違いありません。まっすぐなアプローチを突き進むと「望岳亭」と書かれた四阿の横に外を向く大きな四角い看板が3枚ありました。これは一体何?と覗き込むと【三】【戸】【城】。おぉーっ😮
その看板が向いている方角にあるのは聖寿寺館(本三戸城)。三戸城に移る前の南部氏の居城です。粋な計らいとはこのようなことを言うのだなと感動しきりでした。

続いて鍛冶屋門です。
草むらの中から僅かに顔をのぞかせている石垣。道も隠れているので、ここで合ってる?と少々不安になりましたが間違いなさそうです。説明板もありました。
門の部材が法泉寺山門に移築されているとのこと。先ほどの綱御門移築の龍川寺と共にこれはぜひ見に行きたい。。。
行こう!と決めた時点で、このあと予定している聖寿寺館(まで徒歩20分くらいのバス停🚏)まで行くバス🚌に乗るのは諦めました。まぁ何とかなるだろう。

このまま下って行けば城下に出られるはずなのですが、通行止めの看板が立っています。ここよりずっと手前から車両通行止めだったし、“車両”と書いていなかったのでこの先は歩行者も行ってはいけないのだろうと判断して元の道を戻ることにしました。

淡路丸に行っていなかったので行ってから再び城内を噛み締めながら戻り、行きに見なかった綱御門側面の石垣を確認して、予定通り法泉寺と龍川寺へ行きました。両寺とも聖寿寺館への道筋から外れなかったのが幸いでした。

以前から行きたいと思いつつ、東京出発で三戸城と聖寿寺館を一日でまわる自信がなくて思いきれていませんでした。赤色立体地図かるたに背中を押されて今回行くことができました。ありがとうございますm(__)m

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T-Shionoya

明知城 別カテゴリーの畝状竪堀群 (2026/03/01 訪問)

3月に訪れた城は岐阜県恵那市の明知城。

木曽川や東山道の南に広がる丘陵地帯、その中の小さな盆地に東側の山地から張り出した比高約60mの小山一帯を城塞化した城。
西麓には矢作川の支流・明智川が流れ、東山道と岡崎を結ぶ街道と、信濃と尾張を結ぶ街道がクロスする地。

1247年に遠山景重が築城したとも伝わるが、最近の発掘調査では1500年代中期の築城と考えられている明知遠山氏の居城。
1574年に武田勝頼の攻撃を受け落城し、更に小牧長久手の戦いで遠山利景が森長可に逐われるが、関ヶ原の戦いで利景が奪還。ここで利景が改修し、出丸や本丸には石垣が用いられたと見られているが、1678年から遠山氏が江戸に常住となると、代官の村上氏が陣屋を管理したとのこと。

現在は、日本大正村の観光スポットの1つである県指定史跡の城跡。

訪問時は、陣屋跡からその北側の土塁に沿って進み山城エリアへ入城。
1番の見どころである畝状竪堀群へたどり着くと、私がこれまで見てきたものは全くの別種で、とにかく巨大。
他にも本丸西側の堀切周辺の防御施設や、貯水池、隠しアイテム的な出丸の「くつ石」もしくは「旗立石」などと呼ばれる石など見どころは豊富。
滞在時間は3時間を越えた明知城が、私の城郭巡りの230城目となりました。

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ぴーかる

米津台場 (2026/06/13 訪問)

【米津台場】
<駐車場他>駐車場はなし。説明板前に停めました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日東海ちょこ城道中7城目。米津台場の詳細は添付写真の説明板をご覧下さい。現地の説明板のある奥から土塁の一部には登れますが奥が完全に藪化して形状がよく分かりませんでした。土塁は砂盛りのようにも感じましたが、こんなに木々が生えるものなのですね。蚊の襲撃もあって退散しました。

<満足度>◆◇◇
<グルメ>1日目終了、米津台場からは距離が離れていますが、ホテルは愛知県豊川駅前、夕食は豊橋駅から近いカレーうどんの店「玉川 豊橋広小路本店」に行きました。カレーうどんのうどんを大盛りにしました。カレーうどんとまぐろ丼や天丼のセットがメニューにあるのですが、豊橋のカレーうどんの特徴は底にご飯があるし、丼とのセットは、ご飯ご飯になる(関西人のお好み焼きとご飯のセットより炭水化物炭水化物やん!)のでこれは避けました。5時だったので空いていました。

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安芸国50万石福島正則 (2026/06/17 訪問)

 トクさん、無事のご帰還、よかったです。鹿児島から東回り北上は大分でもう一泊する長旅なのですね。10年しか経っていないのに、再びの熊本震災。被災者の皆さん、熊本城関係者の皆さんに、お見舞い申し上げます。6月に熊本城を訪問したばかりで、石垣の崩落動画がとても痛々しく感じられます。
 そして、昌官忠さん、中国地方と兵庫県遠征32日の投稿が完了しましたね。最後は、楯岩城になりましたか。高校生まで日々見上げていた山です。昌官忠さんの長い道中、何度、ズボンが泥だらけになったことか。毎日、はらはらしつつ投稿を読ませてもらいました。
 さて、亀居城です。城びと先人の投稿を見て、行きたい城にノミネート。江戸時代に入ってからの大大名の城は、規模も大きく、石垣も大きな石を多用し、完成度が高いです。この後に、岩国城に行きましたが、亀居城から10kmほどしかなく、亀居城は、対毛利の構えなのを実感しました。福島正則って、武力や城づくりの実力はぴかいちなんでしょうね。

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ヒロケン

初登城 (2026/07/25 訪問)

日米和親条約により函館は開港され幕府は函館奉行所を設置し、函館奉行所防衛のため五稜郭築城が決められました。日米和親条約締結の10年後に五稜郭が完成しましたが、完成から4年後(明治1年)の10月に榎本武揚ら旧幕府軍が五稜郭を占領し、7カ月後の翌年5月に旧幕府軍が降伏するまで函館戦争の舞台となりました。

五稜郭は西洋式築城法により築城された城で五つの防塁が鋭角状に突き出しているので、平面形状は星形に見えますが、地上からは分からない様になっています。石垣も5~7m程で高くはありませんが、跳ね出し石垣や見隠し土塁などがあり随所に日本の優れた築城技術が施されています。

北海道は2度目の観光となりますが、北海道の城へは行ったことがなく今回が初登城となります(((o(*゚▽゚*)o)))北海道の城へはあまり興味が持てず、日本100名城スタンプ集めも後回しとなっていましたが、今回五稜郭を訪れ162年も前にこれほどの築城技術があったのかと驚かされました。
函館奉行所も忠実に再現され、ここに榎本武揚らが立て籠ったかと思うと感慨深い思いで散策しました。

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長久手古戦場記念館(夏の古戦場めぐり 小牧長久手の戦い) (2026/08/01 訪問)

 今年の4月に愛知県長久手市の古戦場公園内に長久手古戦場記念館がオープンしましたので行って来ました。「長久手合戦図屏風(六曲一隻)」復元模写の展示や長久手の戦いに関する史跡地の距離感、臨場感を体感できるデジタルコンテンツなどがあり楽しませてくれます。その後は長久手古戦場の関連場所をぶらぶらと散策して帰って来ました。長久手古戦場は2回目の投稿となります。
長久手古戦場記念館および古戦場公園はリニモ(東部丘陵線)長久手古戦場駅を下りて徒歩1~2分の場所にあります。

 愛知県も岐阜県も今はとても暑いので、午前中早めにさらりと歩いて来ました。

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六実駅より (2026/07/30 訪問)

 遺構はそれなりに残っているようですが、城域は私有地で立ち入りはご遠慮くださいの表示があり説明板を確認して退散しました。

 六実駅より徒歩約10分で説明板まで行くことができます。

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安房神社 光明寺 (2026/07/30 訪問)

 安房神社と光明寺付近が跡地です。安房神社の境内や光明寺本堂の裏にも土塁がありました。当時のものか否かは自分では判断できません。

 北総線小室駅から徒歩15分くらいでした。

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栗林義長 (2026/07/30 訪問)

 土塁や堀が残っているという情報がありましたが、城域は私有地で立ち入り禁止のようです。登城口と思われる所と松虫寺に寄って退散しました。

 印旛日本医大駅から徒歩15分くらいで行くことができます。

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朝田 辰兵衛

トクさん,ご無事で何よりです。

トクさん,ご無事で何よりです。無事のご帰還レポート,感謝申し上げます。
大分⇒天神・福岡空港の高速バスは,乗車歴があります。鳥栖ジャンクションまで西へと向かい,鳥栖ジャンクションからは北上。このルートが使えないと,最悪で大分から小倉へと迂回せざるを得ません。JR久大線が使えるなら,「命をつなぐ東西ルート」になると思います。
心配は台風等で大雨になった場合です。筑後川の久留米側がたびたび氾濫しているので,そうなるとJR久大線は運休。鳥栖ジャンクションは大渋滞…。宮崎から小倉に抜けざるを得ないケースが現実のものとなるでしょう。
鹿児島が陸の孤島になるかも…と心配していましたので,最悪のケースは避けれました。
宮崎から八代まで抜ける道が健全なら,なおイイですね。どこまで進めるだろうか…?

トクさんはかなり疲労困憊されたことと思います。まずはゆっくりとお休みください。
そして,あらたな情報をキャッチしましたら,情報発信いただければ幸いです。

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トク

無事帰り着きました

辰兵衛さん・にのまるさん・シェルさん・赤い城さんを始め、皆さんに御心配して頂きありがとう御座いました。新幹線なら1時間50分で福岡まで帰れる所を、反対側の熊本を通らない東九州ルートを、混雑をさけ1日待って出発したのが少し功を奏したのか、JRで鹿児島→宮崎→延岡→大分(1泊)、高速バスで大分→福岡(桜島号の代替切符)で大きなトラブルもなく、何とか無事に福岡へ戻る事ができました。しかしその反面、ニュースで改めて被害の大きさを聞くたびに心が痛む思いです。

また今朝のニュースで、熊本城では新たな石垣の崩落などが40ヶ所くらい見つかったと聞きました。現在は、安全が確認されるまで臨時閉園されているようです。開園され落ち着いたら、見に行ってみようと思います。8月に開催予定だったイベントも全て中止になったとか。2052年に完全復旧を目指す予定だった計画も見直されるかもしれないとの事です。今まで復興に携わってきた方々には、水を差された感じで本当にショックだろうと思います。10月の「特別版 お城EXPO in 熊本」は予定通り開催される事を祈っております。

また八代城の被害も甚大なようです。本丸にある八代宮は完全に倒壊、国名勝の松濱軒も全壊、石垣も延べ200mにわたって崩落したとニュースでありました。気になりますが、JRやバスが熊本市から南は動いていなく復旧の目途も立っていないので、見に行きたくてもいつ行けるのかわかりません。写真は昨年11月に訪れた時のものです。これらがどうなっているのか? こちらも心配です。
 

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todo94

日本海の離島の攻城後の散策(新潟県粟島浦村) (2026/07/19 訪問)

釜谷の集落、漁港は釜谷城から2km近く離れています。港の防波堤に壁画が描かれています。ここからは峠越えの厳しい県道を歩いてフェリー乗り場に向かいましたが、途中に灯台入口がありましたので、立ち寄っていくことにしました。国内3番目に標高が高い灯台とのことです。灯台に向かう長い遊歩道の途中には、粟島港を俯瞰するスポットもありました。本当は内浦城も攻略したいところでしたが、登城口に関する詳らかな情報を入手することができなかったので今回は断念しました。内浦城の麓で「城の沢」の看板を見つけることができただけで満足です。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征32日目(最終日):楯岩城 (2026/06/11 訪問)

朝のラッシュ時で西坂バス停(坂本城近辺バス停)から姫路駅の到着が20分近く遅れ、姫路駅から太田バス停へ向かうバスの乗り継ぎに間に合わず50分待ちになってしまいました。
太田バス停から徒歩25分弱で、若王寺神社(34.841834、134.601499)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、建武年間(1334年~1338年)頃に赤松則弘によって築かれたようです。
1441年(嘉吉元年)赤松満祐が室町幕府6代将軍足利義教を暗殺し、領国播磨で幕府方討伐軍に敗れ討たれた「嘉吉の乱」で落城したとあります。
やがて、赤松伊豆守貞村が居城し、その後5代続き、天正年間(1573~1592)まで栄えましたが、天正の始めに羽柴秀吉によって攻められ廃城となりました。

登山道入口は西麓の若王寺神社からついており、境内に説明板や駐車場、トイレがあります。
登山道も綺麗に整備されており、赤いテープと案内標識でテレビ塔のある主郭まで迷うことなく行けます。
ちなみに楯岩城は巨岩が文字どおり楯のように立ち並んでいるところから、名がつけられたといわれています。たしかに巨石がいくつか確認できました。
バイク等の進入禁止の標識がいくつかありましたが、そんな人がいるんですね。
バスの時間が迫っていた為、慌てて下山しました。乗り遅れると1時間待ち。これにも遅れるとさらに2時間待ちになります。
攻城時間は70分くらいでした。今回の(中国地方と兵庫県)遠征の31泊32日はここがラストです。
年齢的にも長期間の遠征もこれが最後になります。妻にも長期間の一人での遠征はこれを最後にしてほしいと云われました。
攻城=2000城達成に向けては、地元付近を中心に少しずつ攻城します。
ちなみに当初の予定では、このあと中道子山城をリベンジで攻城する予定でしたが、バスの遅延等による大幅な予定遅れ(1時間20分くらいの遅れ)により断念しました。
千葉の自宅に帰る為、太田バス停から神姫バスで姫路駅に向かい、コインロッカーより荷物を取り出して新幹線で帰りました。
歩行歩数=14521歩、歩行距離=10.1Kmです。
(中国地方と兵庫県)遠征の32日間の歩行歩数=867、642歩(1日平均27、114歩)、歩行距離=605.9Km(1日平均18.9Km)でした。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征32日目(最終日):坂本城 (2026/06/11 訪問)

姫路駅から神姫バスを利用して西坂バス停に向かいました。朝のラッシュ時でバスの到着時間が10分ちょっと遅れました。
西坂バス停から徒歩5分くらいで、土塁前(34.873542、134.652596)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、 室町幕府の初代播磨守護・赤松円心則村によって14世紀初めに築かれたと云われています。
坂本城は播磨国守護赤松氏が室町時代に守護所を置いて本拠とした城です。
1441年(嘉吉元年)赤松満祐は室町将軍足利義教を京の赤松邸で暗殺し、嘉吉の乱が起こります。
満祐は播磨の坂本城に下向して幕府方の討伐軍と戦いますが、要害ではない坂本城を破棄して城山城に籠もって防戦。しかし幕府方の攻撃を防ぐことができず、満祐は城山城で自刃して果てました。
その後、播磨は山名宗全の分国となり、宗全は坂本城に入って播磨を統治します。
しかし、応仁の乱勃発後、赤松政則が山名氏を播磨から追い出し、赤松氏が播磨を再び平定します。
その間の1469年(文明元年)政則は新たに置塩城を築いてそこを本拠としたため、その後、坂本城は廃城となったようです。

城跡碑が歩道上に設置してあり、その前の壁に説明板があります。
城址は宅地化され、かろうじて土塁と堀跡が残存していました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=楯岩城を攻城する為、西坂バス停から神姫バスを利用して姫路駅でバスを乗換、太田バス停に向かいました。
ちなみに現地での西坂バス停の時刻表が、攻城計画時より若干ですが変更されていました。

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つちのこ

登城会 (2026/07/26 訪問)

周山城を築城した明智光秀に関する講演会があり、それに合わせて登城会も催されるとのことで、両方参加してきました。
数日前に、付近で熊による人的被害が出たとのこと。ソロ登城だったら諦めていた…。
本丸まで500m地点、眼下を見れば日本海へ抜ける鯖街道、近江びわ湖方面に抜ける道がよく見渡せ、この地に築城した理由が分かります。
本丸まで300m地点、ここで初めて石垣が見えてきました。
二ノ丸跡まで行くと、王手門跡や正方形の鏡石が見えます。破城のためか自然災害か、石垣の隅はだいぶ崩れており、土のうで修復されています。
本丸へと続くゆるやかな坂道には、石垣だったであろう石がゴロゴロと散乱しており、破城の跡が伺え、趣があります。
本丸から西側に伸びる曲輪には石垣が綺麗に残っていて圧巻でした。苔むし具合も素晴らしい。
ガイドさんからの説明を受けながら、下山までトータル2時間半でした。
今回、回りきれない曲輪、堀切があったので、また今度見に行ってみたいです。

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にのまる

道南城めぐり旅のラスト (2026/06/26 訪問)

「お城を探す」を見ていて、松前城の近くにもう一つお城があるのを発見。
情報も時間もあまりなかったのですが、せっかくここまで来たのだからと行ってみることにしました。今回の遠征初バーターです。

郷土資料館に隣接する徳山大神宮へは迷うことなく行けました。城址は神社後背の山のようです。しかしそこは動物たちのの生息域。思いつきで来たよそ者には不可侵領域なのでは?という思いが頭をよぎります。
ほんとうは熊が怖かっただけなのですが、鳥居をくぐるのが精一杯でした。郷土資料館に行った方が楽しかったかもしれません。


5日間の道南城めぐり旅はこちらがラストでした。新規・再訪合わせて12城。道内移動だけで一日がかりだった昨年の根室を思うとなかなか濃い5日間でした。

ここで終わりにしてもよかったのですが、今年の目標のひとつ、『赤色立体地図かるた未訪のお城に全部行く』もまだ全然クリアできていないので延長戦に突入することにしました。翌日からの「おときゅうパス東日本」と「東横イン新青森駅東口」(当日から2泊)をポチポチッと予約し、木古内から新幹線で新青森に向かいました。


トクさん、福岡へは戻られましたでしょうか。
落ち着くまでしばらくかかるかと思いますがこれ以上の被害がありませんように。
日本中が今回の災害に心を痛めているときに平常投稿を続けていいのかと自問していますが、為すべきことが見つかったら行動しようと思います。

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