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カズサン

シラス台地を掘刻んだ大堀切大空堀が醍醐味な群郭式山城 (2016/10/25 訪問)

 暫くは城郭探訪が途切れてますので平成28年山城サミット竹田大会を挟んで車で九州城廻りした中より投稿致します。
 知覧には何回か尋ねてるのですが知覧麓、知覧特攻機地のみです知覧城にたどり着けませんでしたがこの度やっとの思いで探訪する事が出来ました、シラス台地の築かれ各曲輪を深く広い堀で隔離し群郭式の代表的な山城です、大堀、高い切岸、広い空堀には惚れ惚れ致します。
 あまりにも広い城域なので探訪できる本丸、蔵の城、今城切岸、藪に成ってる西側南に向かってる幅広い大堀を眺めるが藪の中はっきりせず。

 知覧城には南九州市役所(旧知覧役場)から県道232号線を南に約1.5km程に在り県道より案内板に従い知覧城の大型駐車場に行き着く。南九州市役所に寄り知覧城の資料を頂く。

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カルビン

かつてスルーしていた場所 (2020/01/04 訪問)

宍戸陣屋を見学した次には宍戸駅より水戸線で下館駅へ。
ここから徒歩10分ちょいで下館城に到着します。

実は以前ここから北にある久下田城や伊佐城を見学した際、ここも車で通っているんです(5年くらい前)
で、その時もここがお城だっていうのは気付いていたんですが、車を停められる場所が無くて「ま、いっか」と軽い気持ちでスルーしていたんです(ーωー;)

数年の後、公共交通機関で訪問致しましたw

といっても遺構は神社の裏手に土塁が残る程度(しかも冬なのに藪ってて解り辛い)で、城碑や解説はあるものの、お城としての見所は殆ど残っておりませんorz

関東鉄道線・真岡鉄道線それぞれ沿線にお城は多いんですが、本数少なく更に大きなお城はほぼ無いので、出来れば車での訪問の方が数立ち寄れると思います。
(下館城については駐車困難と思われますが)


ここも含め、最近平将門に関する史跡に巡り合う事多いので、ちょっと歴史調べてみようかな?な~んて興味持ってます。

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ぴーかる

端の方は。 (2019/12/28 訪問)

【津山城】
<感想>1度投稿済みなので駐車場・満足度は割愛します。3回目の訪城で今回は御城印購入の為に来た。この日は人が非常に少なくゆっくり堪能できた。今回はちゃんと見てなかった城跡の主に北側にある桜門跡・薬研堀・厩堀・十二番門と裏中門横のあらめ櫓周辺が草刈り整備されていたので新たに見る事が出来た。今まで気付かなかったが、近世城郭なのに 箱掘りの石垣造りではなく、薬研堀で城側は切岸になっていたのですね。何度来ても新たに気付いた事や整備されて見れる遺構があって良かった。石垣を見るなら冬場の方が桜の葉が落ちていて見易いです。神楽尾城と津山城が相互に見えます。

<グルメ>観光案内所横の食事するお店が焼き肉屋さんに変わっていました。ホルモンうどんおいしいです。

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トーダイ

高知城が見えるのが嬉しいです (2018/12/09 訪問)

筆山公園登り口<33.553020,133.536146>右奥にあるガラスケース内の
簡単な概略(縄張)図を撮り、約2km上がり、第2駐車場を利用する。

概略図を手にウロウロ30分、遺構らしきモノを確認するが、公園化で
良く分からない。駐車場から高知城が見えるのが嬉しいです。

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トーダイ

二重堀と土塁跡は美しく保存されています (2017/10/27 訪問)

重清城は、長宗我部元親の阿波侵攻の際、三好氏との間で三度にわたり
争奪が繰り広げられた城跡です。

城跡近くに路駐、主郭には雑草が残っており、城主を祀る小笠原神社の
祠は崩れていましたが、二重堀と土塁跡は美しく保存されています。

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しろちゃん

小規模な城郭 (2019/01/18 訪問)

門川城跡は、国道10号線から388号線へ曲がり、進むと道幅が少し狭まった辺りから、門川城の案内が出るので、案内通りに進むと辿り着きます。

丘陵の先端が盛り上がった所に城が築かれ、西側半分は田んぼですが、昔は沼地だったのでは無いかと思われます。
遺構は、空堀と切岸が良く残っています。

この門川城は、延岡の土持氏と宮崎の伊東氏との間で、奪い合いが繰り返した様です。
戦国時代、伊東氏が都於郡城を本拠を構え、それを支える四十八城あり、その内の一つとなっています。

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トーダイ

整備されて探索し易くなりました (2020/01/14 訪問)

海部城は、永禄年間(1558 - 70)海部友光によって築かれたとされます。
元亀2年(1571)長宗我部元親の弟・島親益の船が突風を避けるために、
海部城下の入江に入ったところを、海部城主・海部友光は親益の船を襲い、
親益を殺します。天正5年(1577)激怒した元親が海部城を攻略しました。
その後、一国一城令により廃城されてます。

再登城したかったので寄ってみる。まず海部小学校裏の城趾碑<33.595613,
134.357631>を確認すると、後方の視野が開けており、城山へ向かう整備中
(?)らしき登城路が見えるが、立入禁止でした。

前回(2017年10月)同様、道標「海部城跡」付近に駐車、登城口に向かうと
城山の風貌が違っている、かりあげクンのように、山肌の木々が少なくなり、
または冬だからか、サッパリしている。今回は余湖さんの概略図を手に登城、
図を元に説明します。

登城口<33.593891,134.358780>(陣屋左横)から津波避難用階段を上がり、
尾根伝いに進むと(6‐4‐1)主郭跡、前回は草むらの中に石積跡を見つけては
大喜びでしたが、今回は主郭内の石積2段分けが、ハッキリ確認できました。
その後、図を見ながら約1時間、秘密基地を探るように隅々まで楽しみました。

8郭(アンテナ)から見下ろすと避難用階段があり、麓は工事現場でした。
ここで気付きました。城跡も整備されましたが、津波避難場所がシッカリと
整備されたのです。海陽町サイトの「緊急地震・津波避難場所一覧 」の
海部地区【城山】には630人収容可能と記されています。小学校裏からも
避難路(登城路)が造られるでしょう。

前回と比べると、城跡は整備されて足跡だらけ、大変探索し易くなりました。

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しろちゃん

延岡市街地、中央にある平山城 (2019/01/14 訪問)

延岡城は、北側を五ヶ瀬川が南側を大瀬川がいずれも西より東へ流れてその間の独立した岡の上に城が構えられています。

大手口は、北側に位置する北大手門だと思われます。
その門を潜ると、目の前に立派な石垣が現れます。これが有名な《千人殺しの石垣》です。
築城期間の短いからなのか、財政が厳しいくもあったからか、北大手門から千人殺しの西側を中心に石垣は使用され、東側、南側は、地形を利用した天然の崖を利用した様に感じます。

北大手門から、西北に城主の居館があり、現在、内藤記念館となっている様で、中には入りませんでしたが、門の入り口は、風格がありました。

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刑部

元祖 奥平氏の城 (2000/01/16 訪問)

案内板のある道を入ると直ぐ城址入口、主郭部は畑と竹藪。 畑仕事していた人にいろいろお話しを伺いました。 小城ですが周りは要害です!

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todo94

2度目の続日本100名城スタンプラリー・7城目 (2020/01/11 訪問)

開城時刻に合わせて、京都駅から山陰本線にてアプローチしました。JAF割で福知山光秀ミュージアムとの共通券560円を購入したのですが、間違ってミュージアムの方の半券を切り取られしょんぼり。しかも、ミュージアム開館初日ということで開館時刻は14時。またの機会のお楽しみとなってしまいました。

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赤い城

ゴルフ場に隣接 (2020/01/11 訪問)

長徳寺の脇に登城口があります。
駐車場もあり、縄張り図の説明板が立っています。
登城口から登ると屈曲した竪堀、さらに登ると堡塁や馬出、空堀を見ることができます。
北の丸から三郭、二郭と進み本丸へ。
この周辺には空堀や桝形虎口、さらに進むと横矢が残っていました。
東の丸まで行く途中には井戸跡も。
全体的に良く整備されていて歩きやすかったです。
とはいえ一部はゴルフ場になっていて消滅しているそうでゴルフ好きとしては複雑な・・・。
私のような素人にも分かりやすいような立看板も立っていておすすめの城跡です。

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天下布武

石垣の残る街道を監視する山城 (2017/06/26 訪問)

北の郡上八幡と結ぶ街道上という要所に築かれた山城です。
登城ルートは二つあります。
登城口1(35.591712,137.021252)
一般的なルートで城址東側を走る県道63号沿いのスーパーマルマン横の小道を奥へ入った稲荷神社(1~2台駐車可)から登ります。しかし2018年の大雨以降倒木等で登城路は荒れています。
登城口2(35.589705,137.016239)
城址南側の岐阜中濃グラウンドから接続する林道より登城できます(駐車可)。広めの林道ですが通行が滅多にないため下草が伸びた部分があります。夏場を外せば全く問題ないと思います。
両ルートとも同じ削平地に辿り着きます、時の状況で選択し登城してみてください。
登りきり削平地を進むと石垣が一部残る約6m四方の櫓台が見えてきます。ヒロケンさんも確認されてますが角部辺りに約1.3m程の竪石が使われています。その先に腰巻石垣が続き主郭虎口を経て祠のある主郭へ辿り着きます。主郭の北側には2条竪堀が確認できます。比較的石垣が良い状態で残っているので、登城路が少し整備されたらと思います。


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小城小次郎

会津若松城

若かりし頃、サークル後輩の女子学生たちに解説をお願いされたのに全く解説できず撃沈した苦い思い出が、今も時々蘇る。

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ヨッシー

スタイリッシュなお城 (2016/05/12 訪問)

単純に惚れ惚れする城です。
当時から、築城センスが高かったんですね。

高虎公をバックに撮る角度がお気に入りです。

天守最上階から見渡すと、
神社の管理をされていっしゃる方なのか、
敷地内に住居があり、畑もあるので、
ギャップが面白いです。



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矢筈は、矢を弓の弦につがえる窪みを指します (2020/01/12 訪問)

鞍部分を挟んで新城と古城がある。古城の方が高い。搦め手側の千磐神社から登城。千磐神社に、パンフレットと訪問記録帳、杖が置いてある。千磐神社から少し登ると新城から続く尾根に至り、堀切がある。そこに本丸まで2300mの表示あり。長い距離、なだらかとは言えない尾根道を行き、気温は2℃ながら少々汗ばむ。最初は、花崗岩。そのうちに堆積岩。
新城は、客殿、城主居館が作れる広さの平削地あり。岩と石垣が一体になった箇所がいくつかあり、先達が写真をアップしておられます。古城二の丸から馬場が下方に見えてましたが、急斜面+厚いくぬぎの落ち葉を見て、滑落必至にて、行くのはやめた。
先達3人が主要な箇所を撮影されているので、おまけ的な写真を貼りました。矢筈の凹を本丸から撮りたかったが、足場が確保できず、添付のような次第です。案内板に岩肌の崖が描かれてますが、一番大きな所は、今は、採石場です。
草刈氏は、美作だけでなく因幡にも領地があったので、因幡に通じる峠の美作側のこんな山奥に大きな城を作ったのでしょう。全体散策に四時間かけたとの書き込みもあり。今回は二時間半でした。

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トーダイ

長さ100m以上の二重竪堀跡が見どころです (2020/01/16 訪問)

片岡城は、応永18年(1411)片岡直弘が上野国片岡郷より土佐に移り、
築城したと言われてます。元亀2年(1571)城主片岡光綱のときに、
長宗我部元親に降ったようです。

天正12年(1585)豊臣秀吉の四国征伐で、片岡光綱は金子備後守元宅の
援軍として伊予へ赴き、小早川隆景軍と野々市原で戦って討死しました。
また、片岡光綱の子光政は、豊臣秀吉の九州征伐で、天正14年(1586)
豊後国戸次川の戦いで島津家久の軍勢と戦って討死してます。

片岡光綱の墓がある妙福寺(数台)に駐車、坂を下った民家脇の登城口
<33.573644,133.284321>から、石垣段・曲輪・石積跡など見ながら
結構荒れた登城路を約15分登ると、社が祀られた主郭跡に着きます。

主郭の背後(北下)に下りると大堀切と(ひとつの竪堀が先割れした)
二重竪堀、サイトに素晴らしい二重竪堀とあるが、どうってことは無い。

下山時、2郭横に人跡あり、追って下りると大きな竪堀跡、数メートル先
には別の竪堀跡が並行して落ちている。これかと思い、登城路で約50m
下りて二重竪堀を見に行くと、両方の落ち先が全く見えない。並行して
100m以上落ちているのではないでしょうか。見どころですが、竪堀の
高低差が3m以上、上手く撮れない。攻め上がるのはナンギです。

登城口に戻り、脇の畑で農作業中の方と話すと「社(主郭跡)のご神体は
5~6年前に麓に移したので(過疎も加わり)人が行かなくなり、城址も
荒れ始めた」とのこと。子供の頃は巨大二重竪堀が遊び場だったようです。

登城口脇のスペース(3台)に駐車しても構わないそうですが、ここまで
来る道は大変狭いです。

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くっしー

ライトアップの大垣城 (2020/01/16 訪問)

出張の帰り道によってきました。
安物のデジカメなのであまり上手く撮れなかったですが、夜のライトアップされた大垣城がきれいでした。

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チェブ

大きな石碑と思いきや。 (2019/12/07 訪問)

神奈川県には川崎と横浜に「寺尾城」があります。
今回は横浜の「寺尾城」です。
北条家の家臣、諏訪氏の居城です。
信濃の支流で、横浜に引っ越してきた(侵略?)諏訪氏は北条 早雲さんと扇谷上杉さんの交渉を任されるほどの人物です。
北条記にも、お名前が記されてます。
武田 信玄さんの小田原攻めで廃城したそうです。
武田さんと、こちらの諏訪さんも相性が悪いんですね。
皆さんの写真を見て「寺尾城址」の石碑は大きいって思っていました。
見つけた時は想像より小さくて笑っちゃいました。
民家の一角に「寺尾城」の石碑と説明板があります。
後ろの民家が入らないように写真を写して納得です。
私もフレームいっぱいの石碑の写真です。
ところで、石碑のある角の土地って横浜市の土地ですかね?民家の方に一角、借りてる?
と、お城とは関係のない疑問が、、。

次に殿山公園に行きました。「寺尾城」の遺構が残っている公園です。
が、雨がひどくなってきたので退陣です。
3枚目の写真の奥にある遺構は晴れた日に再登城し、確認しますね。

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しろちゃん

土持氏、延岡最期の居城 (2019/01/14 訪問)

松尾城は、南側は、五ヶ瀬川が西より東へ流れて、更に西側にも1本川がありますが、その角の山の上に城跡があります。
登城口は、案内板がありません。国道218号線から山裾側の道より、本東寺横の車道を進むと、本東寺の裏に出て、尾根に出ます。そこから道なりに進むと、本丸へ辿り着けます。
途中、左側に曲輪と思われる場所が点在してます。

本丸周辺は切岸で囲まれて本丸西側には段丘に曲輪が配されてます。本丸東側は、堀切があり軽トラが通れる道となってます。

規模は、延岡の土持氏の中の居城では、一番大きく、曲輪の数も多いことを感じました。

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イオ

江口の戦い (2020/01/05 訪問)

築城時期等は不明ながら三好政長が築いたとされ、江口の戦いの舞台となった城で、政長が三好長慶に討たれた後は中川重清が城主となったようですが、その後は不明です。

神崎川と淀川に三方を囲まれた城で、現在の大隅神社周辺にあったものと考えられますが、河川改修で地形は大きく変わっており、遺構はなく、石碑や説明板もありません。ただ、大隅神社にある台座に「江口」と刻まれた狛犬と御神燈は、城内から移築されたと伝わります。

かつて裏切り者の代名詞とされた明智光秀が、大河ドラマの主人公になってゆかりの地が盛り上がっているように、天下人のさきがけとして再評価が進む三好長慶も大河ドラマ化すれば、合戦地の江口城にも説明板くらい建てられるようになるんですかね。実際、徳島や関西では三好長慶をNHK大河ドラマに、との運動もあるようですし…。
 

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