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にのまる

すてきな散策コースでした。 (2025/03/25 訪問)

塩山駅南口から窪平行きの路線バスで終点下車。城址まではそこから15分の上り坂。
眼下に広がる里山の美しい風景に、上へ上へと上がっていくのがとても楽しかったです。そしてふり向けば雪を頂いた富士山が!

城址はぶどう農園の中。
左手奥の天守台跡に立派な城址碑がありました。

説明板のある八幡神社でゆっくりのんびり富士山を眺めていましたが、それでも帰りのバスまで1時間半あるので恵林寺に行くことにしました。バスは途中、恵林寺バス停を通るので、そこから乗り込む算段です。

恵林寺に向かう道すがら城古寺宝篋印塔に寄ってみました。こちらも地主さんのご厚意だと思うのですが、農地の通路から傍まで行くことができました。足利尊氏、二階堂道薀の供養塔だそうです。近くの公民館にもいくつか石塔が置かれていて地域の皆さんで守っていらっしゃるのだなという印象を受けました。

恵林寺では久しぶりにピカピカ信玄公とご対面し、バスの時間まで境内を散策しました。

またひとつ、お気に入りのお散歩コースができました😊
また行こ!

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ヒロケン

小谷城散策3(続きです) (2026/04/29 訪問)

清水谷から徒歩での攻略を改め、いっきに車で番所跡の駐車スペースへ、門番(ガイドさん?)が2名待機、番所跡はスルーしお馬屋へ、馬洗いの池・三方を土塁で囲まれたお馬屋を攻略後、ふと見ると帯曲輪への案内が(清水谷側)「そいえば行ったことないな」と思い帯曲輪へ、事前調査で竪堀が何本かあるとの事を思い出し探したのですが見つからず"(-""-)"それより、桜馬場、大広間の南斜面に石積みがいくつかに分かれ点在している(*^_^*)、石積を画像・映像に収めながらお局屋敷跡へ、お局屋敷跡を散策後本丸南へ上がって来て中丸へ、3段曲輪で階段状になっている中丸の石積、刀洗池を攻略後京極丸へ。京極丸の桝形虎口・大石垣を攻略後、小丸・山王丸へ。
ここから大嶽が見える( ゚Д゚)今回目的地とした大嶽。山王丸でお会いした方に 自分「大嶽から来られたのですか」出会った方「そうだよ」自分「どのくらいかかりますか?」出会った方「30分はかかるよ」( ゚Д゚)って事で今回も大嶽を諦めました。
次回は必ず、きっと、多分大嶽を攻略し皆様にご報告いたします。

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公開日に訪問 (2026/05/16 訪問)

 和井田家は江戸時代に代々八條村の名主を務め、八條領 35 ヶ村の寄場組合の名主大惣代の一人を出す地域の上層農家の一つでした。現在の主屋・長屋門が国の重要文化財に指定されています。また堀なども残っています。

 公開日は1月、8月、12月を除く毎月第3土曜日 午前10時から午後2時までとなっています。(2026年5月現在)
この日は公開日でご主人には丁寧な説明をしていただき、パンフレットもいただきました。

 草加駅からバスに乗り八潮団地バス停下車。徒歩10分くらいで行くことができます。

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ダイエティシャン

中荒城2️⃣登城道、大杉、鷲原八幡宮、流鏑馬馬場 (2026/05/16 訪問)

自然道の途中に石積み(②)もありました。🏯と関係があるのかは分かりませんでした。大杉(③)
鷲原八幡宮(④)流鏑馬馬場(⑤)の順で、中荒城攻めを終えました。
中荒城入口から鷲原八幡宮まで駆け足で10分程でした。

出陣前夜は太鼓稲荷神社で戦勝祈願をしました。津和野城の、ライトアップ(⑥)も見れました。城攻め後は無事帰れたので太鼓稲荷神社へお礼参りに行きました。狐の絵馬(⑦)を奉納しました。

津和野城から西に10キロほどにある学舎と堀氏庭園です。
長々とお読みいただきありがとうございました。

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ダイエティシャン

中荒城2️⃣東郭、登城道、 (2026/05/16 訪問)

主郭(写真①)からもと来た道を引き返します。空掘•竪堀付近の郭(②~⑥)と入口まで戻り、中国自然道(⑦)を下ります。もう一つ中荒城入口の看板(⑧)があり、そこからも登ろうと試みましたが、途中、道がはっきりとせず(⑨、10)、引き返しました。

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ダイエティシャン

中荒城2️⃣~東郭、空掘•竪堀、主郭、 (2026/05/16 訪問)

津和野城の中世遺構の中荒城に行きました。YouTubeで何本か詳しく案内されているので、参考にしました。
今回は、南門→中荒城→自然道→大杉→鷲原八幡宮のルートで攻めました。
竪堀の前に郭らしき平坦地(写真②)があり、空掘•竪堀(③)を越え更に平坦地(④)を真っ直ぐ進軍すると、看板がある主郭(①⑤⑥)に到着。入口からここまで急ぎで約15分です。石積(⑦)あり。主郭は2段に別れているようで、下段から上段を見た様子(⑨)

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ぴーかる

小山城 (2026/03/14 訪問)

【小山城】
<駐車場他>駐車場はなし。登城口の北側<35.966260,136.524063>に車を寄せて停めました。
<交通手段>車

<見所>堀切・切岸
<感想>日帰り大聖寺城と福井山城旅ラスト4城目。この城も行ってみたかった城跡です。現地説明板を要約すると、小山城は室町時代前期に越前守護の斯波氏が戌山城を本城とし、支城としてこの小山城を築いたとされます。応仁の乱の後1475年に朝倉孝景は戌山城に侵攻して落城し小山城も次いで落城しました。
 城跡は独立した丘陵全体に築造された山城になっていますが、比高はそれほど高くありません。登城口に説明板があり、登り切ると最北の曲輪の南側の堀切に出ます。縄張りは尾根上の高い箇所に曲輪を設けて曲輪の前後に深い堀切があります。尾根は全体的に途中で屈曲していてL字型をしています。尾根筋の途中にも2重堀切や堀切を設けています。各々の曲輪は堀切と高い切岸で独立した感じになっています。前後して、あさんも登城投稿されていて私も同意見で、縄張りL字状の屈曲部分の曲輪が一番広くここが主郭かと感じました。堀切・切岸の高低差があって、とても見応えある城跡でした。これにてこの旅終了。走行距離626㎞無事走破。結局本格的山城攻城もこの旅をもって今シーズンも終了です。

<満足度>◆◆◆

<追記>最近は山城巡りのついでに湧水を汲みにいくのもルーティーンにしていて、こしょうずの湧水というのを以前に前を通って気になったので汲みに行きましたが、3月いっぱいまで冬期通行止めになっていました。残雪が結構ありました。

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金ヶ崎城を見下ろす位置にある支城 (2026/05/02 訪問)

 金ヶ崎城には何度か登城したことがあったのですが、天筒山城には足を伸ばしていませんでした。このところ、福井嶺北の城を巡っていて、滋賀からは敦賀を必ず通るので、未訪問の天筒山城は、とても気になってました。大河ドラマを受け、金崎宮の参道に、豊臣兄弟ののぼりがはためいておりました。GW中の晴天でもあり、散策者もまあまあおられました。
 とある煩悩の登城目録さんの投稿にあった遺構の説明板(写真4)は、頂上から、割と下った分岐にありました。予想よりも小さく、目立ってないです。天筒山頂上付近には、これといった遺構はないですが、説明板のように、東へ続く(中池見方面)、比較的緩やかな尾根を守る堀切、切岸、郭が残っています。説明板に切岸①②が記載されていますが、切岸だけ現場の表示がないですね。
 登りは、金ヶ崎城経由で、下りは、金ヶ崎城との間の深い谷底から、泉地蔵に向かいました。斜面はとても急峻で、要害感がありました。東の尾根が弱点であったのですね。また、天筒山からは金ヶ崎城を見下ろすことができ、金ヶ崎城とセットで守るべき城なんでしょうね。
 福井といえば、越前そば。敦賀市のメインストリート沿いにあった、むぎやに入りました。創業は天保年間ですと。

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todo94

大河ドラマ館に赴く前・奈良ドライブでの攻城⑧ (2026/04/18 訪問)

大和高田城からの転戦です。椿井井戸が登城口となっています。登城路には幟も立っています。縄張図付きの説明板もあってありがたい限りですが、残念ながら北郭群方面は立ち入り禁止となっていました。来訪者が増えているようなので、遺構の保全のためには仕方のない措置かもしれません。

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藍植え王

30mの絶壁!高虎が放つ西向きの殺意 (2022/04/10 訪問)

本丸西面の【30メートルの高石垣】と足元に口を開ける【巨大空堀】のセットに平伏する城。
大坂の陣直前、藤堂高虎が豊臣軍を迎え撃つために築いた迎撃要塞です。打込ハギで垂直に立ち上がる石垣は、見上げるだけで足がすくむ圧倒的な土木量。石垣のラインに施された「屏風折れ(横矢がかり)」の折れも見事で、上から狙撃されるキルゾーンが今なお完璧に残存しています。西側だけに特化された狂気的な高低差に、戦国のリアルな緊張感がビンビンに伝わります!

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朝田 辰兵衛

ごほうびは快晴☀ (2026/05/05 訪問)

todo94さんが攻城されていなければ,ここで長崎県未投稿城を解消の予定でした。なので,プレッシャーから解放され,すっかり観光気分でした。
ここの一番の問題は,的山大島(あづちおおしま)上陸後だと思います。平戸桟橋の観光案内所でレンタサイクルして,自転車とともに乗船するってこともありです。
私はtodo94さんと同様,ケイラインのバスに乗り込みました。なんと,乗客は私ひとり。運転手の方に「城山公園(じょうやまこうえん)に行きたいのですが…」と伝えたら,「ルートは違うけど入口まで行きますよ」とのうれしい一言。「えっ,いいんですか。ありがとうございます」と。さらにうれしいのは,どこまで行っても運賃【100円】という破格値。
通常ルートであれば,支所前(役場前)バス停が最寄りとなります。ここからバスルートと違う道で山登りです。
思いがけず時間に余裕ができたので,神浦(こうのうら)の港を眺めたり,重伝建保存地区の町並みを歩いたりして時間をつぶしました。港では,岩礁ピットがないか探しましたが,やはりありませんでした。あったら大発見でしたが…。
復路は,天降神社バス停からケイラインのバスに乗り込みました。往路と同じ運転手の方でした。どうやらワンオペのようです。時間はピッタリに来ます。
島内の商業施設の運営は,全て本土より移動してきて行われているようでした。GW期間中休業の貼り紙をスーパーで見ました。ここでの生活は自給自足が基本なのかな…。バスの運転手の方は「今の時期はイカが取れるよ」って言っておりました。高齢者には厳しい環境に思いました…。

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100名城ビギナー

青森県城巡りも最後の城です (2026/04/19 訪問)

今や私のライフワークとなった「(続)日本100名城巡り」ですが、今回の青森県シリーズも最後です。
青森3城めとなったのは青森市にあり続日本100名城、国指定の史跡でっもある 中世城館「浪岡城」です。
多数の曲輪から構成され、それぞれが水堀と土塁によって区切られている珍しい形態の城です。
室町時代にこの地を治めた「浪岡氏」の居館として築かれましたが、戦国時代に津軽為信の攻撃で落城し浪岡氏も滅びたということです。

青森を早朝5時半に出発し7時オープンの弘前市役所駐車場に前から7台目で列につくことができ、弘前城を十分堪能して昼前に浪岡城に向けて出発し約30分で到着しました。
案内所や駐車場のある入口に到着しましたが案内所も(日曜日・桜満開日なのに!)隣接トイレも閉まっていました。。。

今回も投稿した写真に沿って浪岡城を簡単に説明していきます。
「続きを読む」と「すべての写真を見る」を両方開いてもらえば分かりやすいかと思いますので、ぜひお付き合いください♪
① まず最初は恒例の御城印(通常版)です。この御城印は「青森市中世の館」という博物館のみでの販売なのですが、私が行った日にまさかの休館日! 調べて行かなかった私も悪いのですが第三日曜日が休みなんて。。。博物館が日曜日が休みなんてビックリ(しかも周辺は桜満開) もう、頭に来て翌週に御城印を買うためだけに新幹線とレンタカーを使い行きましたよっ!
② 浪岡城の入口近くにあった国史跡の看板です。
③ たくさんある木橋も浪岡城の魅力です。橋で堀を渡った正面にある桜の木の後ろに土塁が残っています。
④ 浪岡城は北館・西館・東館・内館などの曲輪がそれぞれ水堀と土塁によって区切られている珍しい形態のお城です。この写真は広大な東館にある遺構です。桜が綺麗でした。
⑤ 種別の違う桜なのでしょうか? 迫力ある白と桜色の美しい桜?を並べて見較べてみます。植物に詳しい友人に見せたら桜ではなく「ベニバスモモ」(スモモの仲間)じゃないかとのことですが、さて真相はどうなんでしょう? 浪岡城址の関係者の方、ご存じの方がいたら、ぜひ教えてください。
⑥ 内館です。ここは調査が行われていないそうなのですが、城の中心部にあることから城主が住んでいた場所なのではとのことです。
⑦ もっとも広く、全域にわたって調査されているそうで、城主の家臣たちが住んでいた場所らしいです。板塀で区切られた屋敷跡の遺構は往時の雰囲気を偲ばせますね。
⑧ 北館から木橋で堀を渡ると西館です。写真が下手なので上手く撮れていませんが、実物の桜は超美しかったです!
⑨ 御城印を販売する「青森市中世の館」が休館だったため!(怒) 翌週、御城印を買うためだけに新幹線往復代金とレンタカー6千円も掛けて行きました(皆さん第3日曜日が休館ですのでくれぐれも注意してください!) ただ、面白いことに御城印の他に「落城追悼」の御城印があるんですよね。しかも「半崩落」(左)と「完全落城」(右)のバージョンがある念の入れよう。これには笑っちゃいました。もちろん、3種類とも購入(全部で¥990) ムカついて意地で無駄に2週続けてやって来ましたが、帰りは笑顔になってました~
⑩ 続日本100名城スタンプは、どこかの遺構のデザインでした。山の位置から見ると隣の写真を元にしてるのかな? 残念ながらこのアングルの写真は撮ってなかったです(残念) そうそう、スタンプは休館の時に押しました。外に出しっぱなしでした。

ということで、まさかの御城印買えず!で、2週間に渡る青森行きでしたが、まあこういう苦い経験も、のちのち役に立つと前向きに考えて、次の秋田県100名城巡りに行って来ようと思います。
ニュース等を見て急遽、Amazonで熊スプレーを購入しました(笑)

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カズサン

驚愕の景観整備-西土塁腰巻石垣編 (2026/03/22 訪問)

 令和7年度植生整備事業が行われて、西側土塁法面も灌木、草類伐採整備、樹木の間引き剪定されて景観整備が整いました。鉢巻石垣を南から北に犬走を歩き探訪の後、北端遊歩道より西側土塁下に降りる、西曲輪の桜は未だ咲いていない。
 土塁下を北から南へ進み、西側法面、腰巻石垣を観察見学、今回初めての体験でしたが、腰巻石垣と鉢巻石垣を上下同時に見える、見る体験をしました。樹木灌木伐採されて大変見易く奇麗です。

 以前から気に成っていた、腰巻石垣の南端、西側土塁南西角下に句碑が有り撮影、富安風生の句碑を昭和42年に天竜観光協会が建てたものです。句碑は「天龍の へりに椅子おく 夕涼み」と刻まれて居ます。調べましたら高浜虚子の弟子に当たる明治の俳人。
 
 今回の探訪で令和7年度植生整備事業が行われて鳥羽山城、二俣城の景観整備された状態を見る事が出来、大変ありがたい、まだまだ景観整備されていく個所も有りますので、今後の動向を見ながら探訪を重ねてまいります。
 
 

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カズサン

驚愕の景観整備-西土塁鉢巻石垣編 (2026/03/22 訪問)

 令和7年度植生整備事業が行われて本丸西側土塁上、西側法面も奇麗に景観整備されていました、西土塁上を歩き、南土塁上の展望台より景観を眺め、樹木選定伐採されて遠くアクトタワーも望む事が出来る。
 展望台を降りて西土塁南西角より犬走に添って在る鉢巻石垣を南から北へ探訪、草、灌木が取り除かれ樹木も間引き伐採されて見通しが大変良い、鉢巻石垣をアップ撮影、見通し良くなった法面も景観整備されて奇麗。
 

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カズサン

驚愕の景観整備-西土塁・南土塁上編 (2026/03/22 訪問)

 令和7年度植生整備業務がなされ奇麗に景観整備された鳥羽山城の大手道編、搦手門周り編を投稿しましたが、春先の桜を廻った城探訪を優先投稿しましたので、鳥羽山城の奇麗に景観整備された後編投稿をさせて頂きます。
 本丸西土塁も北から南まで土塁上、西側法面も灌木の伐採、草取り、樹木選定とされて鳥羽山城に登城して50年は過ぎますが驚愕圧巻の景観整備です。
 西土塁北西側より南西角まで土塁上を歩き実感を体感、スッキリして奇麗に整備されました、西側法面も奇麗に見通せる、南土塁上に展望台が建ち伸びた樹木は剪定伐採、遠く浜松駅近くのアクトタワーが見通せる。
 桜もちらほら咲いていました。
 

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todo94

大河ドラマ館に赴く前・奈良ドライブでの攻城⑦ (2026/04/18 訪問)

越智城からの転戦です。街中の城なので渋滞がありましたし、駐車場所にも難渋しました。城址碑と説明板があるだけでも御の字です。片塩小学校の一角と云ったような角に、小さな公園として整備されていました。

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小城小次郎

総構えが残る貴重なお城 (2025/06/01 訪問)

知らなければ「たかばじょう」とは到底読めない難読城名だが合志(こうし)市内では著名な公園なので地元の方にはお馴染みだろう。中原氏系の竹迫氏と佐々木源氏の合志氏が長く過ごし、総構えの痕跡を残す貴重なお城でもある。

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いんげん丸虫

内田城 高知県安芸郡 (2026/05/04 訪問)

標高120mの山城です。
看板、標識は一切ありません。墓地の裏から
15分位の直登です。
明確な虎口、鋭い堀切、"ひ"の字状空堀等、どの
遺構も良く残ってます。特に圧巻なのは竪堀です。
全日本竪堀選手権なるものがあったら、エントリー
必至の深く長い竪堀があります。見事です。
この城跡には藪や低木が無く、とても良い状態で
遺構が見れます。また土表面には藻、苔がしっかり
付いていて地形を守ってる感じですね。
城跡とは関係無いようですが、北の斜面は畑地の
跡みたいで石垣に区画された段々が数段残っています。ある時代には多くの人が関わってたのだろうと
思うと現状の廃墟が神秘的感じられ、不思議な
雰囲気になります。
とにかくこの城跡はとても楽しめました。
まだ未訪の山城ファンは是非行って下さい。
このGWは四国を巡ったのですが、カンタロウと
呼ばれる巨大ミミズがいるんですね。
シーボルトミミズという30~40cmの日本固有種の
もので、メタリックな青紫色をしてます。3箇所の
山城で遭遇しました。
昨今の5月はもう暑く、羽虫やクモの巣も多いだろう
と思い、ハッカ油スプレーを購入して持って行き
ました。これが素晴らしく、羽虫を寄せ付けないし
シャツの上からスプレーすると数時間ヒンヤリして
快適でした。ハッカの臭いは強烈なので苦手な方には
お薦めできませんが。

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シェル

桜の名所 鶴ヶ岡城 本丸・荘内神社編 (2026/04/08 訪問)

 二の丸を一周して本丸跡へ移動。
本丸は荘内神社の境内となっていますが、城の遺構もかなり残されています。

① 中門跡
 本丸南側の虎口で、かつては桝形となっていました。現在は、大正に建てられた大寶館という洋館が建っています。大寶館の東側に遺構があり、犬走り沿いの道を進んで行くと、鉢巻石垣の遺構が残っています。中門の正面からだと大寶館の陰になっているので、気づきにくいですが、ここはぜひ見学してほしいです!!
 そして中門跡の西側には、本丸御殿玄関跡の標柱が設置されています。

② 渡櫓(金蔵)跡 鶴岡護国神社
 本丸南西側にあった櫓台で、土塁、そして当時のものかは不明ですが、石垣が確認できます。現在は鶴岡護国神社が櫓台に鎮座しています。二の丸側から見ると、水堀と櫓台、そして拝殿が櫓のように見えて、良いですね!!

③ 荘内神社 本丸跡
 本丸の中心部に鎮座している神社。酒井忠次、家次、忠勝(庄内藩初代藩主)、忠徳(九代藩主)を祀っています。参拝後、拝殿北側の社務所で続日本100名城のスタンプを押印しました。押印は9時頃~17時まで可能です。

④ 大手門跡・馬出の石垣
 荘内神社の参道を東に進むと大手門跡に至ります。大手門脇に城址碑と縄張図が設置されています。
 そして令和4年(2022)の道路整備工事の際に発見された大手門前の馬出の石垣が城址碑の北側に展示されています。鶴岡市内の金峯山から採られた花崗岩が使われているようです。矢穴の跡や裏込石なども見やすく展示されていて、嬉しい限りです。
 皆さんの投稿で石垣そばに馬出跡の説明板がある写真を拝見していたのですが、現地に行ってみたら、説明板は無く、石垣の展示のみになっていました。大雪とかの影響なのかな?
詳しい事情はよく分からないですが、ここの説明板は復活してほしいなと個人的には思います。

⑤ 本丸御角櫓台 
 本丸の北西側にあった二重櫓で天守の代わりを担っていたようです。当時は無かった土橋が水堀にかけられるなど、周辺は少し改変されているようですが、櫓台の遺構が明瞭に残っていました。当時の石垣の一部と思われる石も置かれています。

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桜の名所 鶴ヶ岡城 二の丸・三の丸編 (2026/04/08 訪問)

 JR羽越本線 鶴岡駅から徒歩25分。城輪柵を見学後、酒田から列車で向かいました。酒田から鶴岡までは普通列車で30分ほどです。
 鶴ヶ岡城は、古くは大宝寺城と呼ばれ、武藤氏によって築かれた城です。大宝寺氏、上杉氏、最上氏の支配を経て、江戸時代は、庄内藩 酒井氏の居城となりました。庄内藩は戊辰戦争で新政府軍を圧倒したことから、幕末最強の藩としても知られています。
 本丸、二の丸は荘内神社、鶴岡公園として整備されています。また桜の名所としても知られています。今回は、桜の名所の真髄を身をもって堪能することになりました。

①三の丸木戸跡
 駅から内川沿いに進んで行くと、三の丸の木戸があった荒町口、五日町口、三日町口、十日町口の標柱が川沿いの道に建っていました。三の丸には、11箇所の木戸があったとされていて、内川沿い以外の三の丸の木戸跡にも同じように標柱が設置されているようです。いよいよ城内という雰囲気がして、わくわくしてきます。

②致道館(藩校)
 十日町口木戸跡そばの鶴園橋から県道47号線を西に行くと、致道館という庄内藩の藩校がありました。庄内藩九代藩主 酒井忠徳が創設した藩校で、東北では唯一現存する藩校建築物だそうです。ただ訪問日は、休館日・・・ 
 塀を介してですが、満開の桜が出迎えてくれたので、結果オーライとします(泣)

③二の丸角櫓 櫓台
 致道館の道路を挟んだ西側にあります。二の丸の南東端だった場所で、二重の角櫓があったようです。現在は土塁と櫓台の石垣が復元されています。櫓台の周囲には桜が植えられていて、満開に咲き誇っていました。

④百間堀跡
 二の丸の南側には、百間堀という広大な水堀がありました。現在は、ほとんどが埋められていますが、二の丸南西側にある鶴岡タウンキャンパスの南側には、新百間堀として再現されています。こちらでも堀端に桜が植えられています。

⑤二の丸西堀・致道博物館
 二の丸の西側は水堀と土塁が残っていて、堀端は桜並木となっています。満開ということもあり、絶景でした!!
 県道47号線の付近の堀端には、かつては二の丸西門があり、三日月堀も設けられていたようです。二の丸西門跡から堀を渡ると、洋風の建築物が集まる致道博物館があります。もとは庄内藩主の隠居屋敷だった場所です。庄内藩主御隠殿に加え、敷地内に洋式建築の旧西田川郡役所庁舎や旧鶴岡警察署庁舎などの文化財が移築されています。道路沿いにある赤門は、庄内藩の江戸中屋敷の屋敷門を移築したもののようです。

⑥七つ蔵跡(曲輪)
 二の丸北側の県立致道館中学校・高校(旧鶴岡南高校)のそばの歩道沿いに説明板が設置されています。七つ蔵とは、二の丸北側にあった曲輪の名称です。曲輪内には文字通り、中川蔵・山中蔵・京田蔵・御扶持方蔵(二棟)・嶋蔵・櫛蔵の七棟の蔵があり、土塁と堀が巡っていたようです。蔵には、庄内藩の扶持米を保管していたようです。

⑦二の丸北堀 御城稲荷神社
 二の丸西側同様、北側でも水堀と土塁が良好な形で残され、桜並木となっています。
 二の丸の北東側の土塁上には、御城稲荷神社があります。六代藩主酒井忠真が、城内鎮守として社殿を建立したようです。藩政時代には、一年に一回は城下の人々も特別に城内に入って参拝することができたようです。社殿は江戸時代のもので、鶴ヶ岡城唯一の現存建築物といえます。私はてっきり藩政時代の城内の建物は残っていないと思っていたので、この情報には驚きました!!

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