光明城は539mの光明山山頂部にあり、もともとは高僧行基が開いた山岳寺院光明寺を今川氏が接収して山城に改修したのが始まりいわれています。今川氏没落後は武田氏に支配されていましたが、二股城奪還作戦に於いて、本多忠勝、榊原康政らによって攻め落とされ、二俣城主となった大久保忠世に預けられていましたが、武田氏が滅亡すると城としての利用価値がなくなり、廃城になったと考えられています。
城跡は江戸時代に入ると光明寺が再建され昭和6年まで存続しましたが、火災に見舞われ周辺の森林と共に焼け落ちています。現在城跡に残る石垣は昭和6年まで在った光明寺(現在は移転されています)の石垣ですが、折れのある石垣(画像8)などがあり横矢がけられるようになっており、そのまま城として利用できそうです。また、本丸部の石垣は3m程の高さがあり見応えがあります。
今回は行きませんでしたが、画像7を奥に進んで行くと曲輪跡(石垣はなし)と堀切、5人塚があります。
この城への訪問は10年ぶり2度目の訪問で、国道362号線を北上すると光明山遺跡の看板があり、国道から離れ案内のとおり林道を6kmほど進んだ先に城跡はあります。
10台程停められる駐車場もあり、利用しませんでしたが古いトイレもありました。林道は舗装されていましたが、落石や倒木などが目立ち、十分注意して行かれるとよいでしょう。
光明城は10年前に訪問させていただいた時よりも整備されており、綺麗になっておりました。光明山遺跡保存会の皆様に感謝です。
あっ書き忘れてしまうところでしたが、本丸からの眺望は(画像10)本当に絶景です。無料の望遠鏡で眺めることもできます。この絶景は一見の見る価値ありです。
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