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たか

根城攻城のあとに (2026/07/30 訪問)

根城攻城のあとホテルに行くには少し早いので島守館へ行きました。
ナビで行くと館の南東側の自動販売機のところに到着しました。
そこから徒歩で上がるとすぐに「島守四十八社 毘沙門天」とありました。
あとで調べてみると旧しまもり村の特定な祠、神社、お堂の事を指すようです。


道路に沿って登っていくと斜面に急な階段発見。
草も生い茂っていて登るのに躊躇してしまいます(とにかく急勾配)
息を切らしながらもなんとか登ると整備の行き届いた広場があり、展望台と奥に館が見えます。
館の前に城の軽トラックが停まっており、優しそうなおじいちゃんが「中、見学できるよ」と声をかけてくれました。
それは見せてもらわなくてはと思って入りましたが旧家(わたしの昔のおばあちゃんのうちにそっくりww)でした。

部屋を見ていくとなんと壁に懐かしいサインが…
山口百恵さんと片平なぎささん!
ここに来られたのか?若花田さんのサインもありましたがそちらは興味が沸かず(苦笑)

四戸氏が島守性を名乗って居住していて、九戸の乱のときに九戸政実に就いて九戸城に行き、留守の際に八戸勢に攻められて落城。
城主も九戸城で戦死して島守は滅亡したとのことです。

帰りにおじいちゃんにお礼を言って帰ろうとしますがいろいろと話してきて、帰るタイミングがなかなか合わなかった(苦笑)
しかし訛りが凄いのと少し小声でしゃべるのでなかなか話が嚙み合わなかったけどなんだかホンワカとした気持ちになって退散しました。

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イオ

とことん亀山城(本丸) (2026/02/15 訪問)

鎌倉中期に関実忠が若山に築き(古城)、関氏代々の居城となりました。賤ヶ岳の戦いに先立って柴田方として滝川一益が挙兵すると、羽柴方だった関盛信の不在中に亀山城を奪って佐治新助(新介)を城将としましたが、羽柴軍の猛攻を受け落城。その後に城主となった関一政が陸奥国・白河に移封されると岡本良勝(宗憲)が入り、現在位置に天守を擁する城郭として改修しました。岡本良勝が関ケ原の戦いで西軍に与したために改易になると関一政が復帰するも、伯耆国・黒坂に移封された後は譜代大名が次々と入れ替わり、江戸中期に石川氏が入って明治まで11代続きました。明治の廃城令により建造物のほとんどは破却されましたが、多門櫓と石垣、土塁や堀の一部が現存しています。

約8年ぶりの再訪です。前回は本丸と二之丸くらいしか見ておらず、いつか改めてとことんめぐってみたいと思っていました。亀山公園庭球場近くの駐車場に車を駐めて、まずは本丸から。本丸南東隅の高石垣の上にはかつては三重の天守がそびえていたようですが、江戸初期に丹波亀山城の天守の解体を命じられた堀尾忠晴が間違えて伊勢亀山城の天守を取り壊したと伝わります。これまでに幾度となく見聞きしたエピソードながら、あ さんご指摘のとおり本丸にある説明板によれば「真偽のほどは定かではない」んだとか。とはいえ、天守取り壊し後に城主となり、亀山城を現在見られる縄張に改修した本多俊次が本丸北端に天守代用の三重櫓を築造していることからも、丹波亀山城と間違えたかどうかはともかく、本多期の改修までに天守が取り壊されていたと考えて良さそうに思います。元天守台の高石垣の上には本多期の改修時に築造された多門櫓が現存し内部の見学もできますが、この日は早朝のため入口は閉ざされていました。多門櫓から西に続く石垣は途中で土居になっていますが、地震で崩落した石垣を復元する過程で明らかになった石垣と土居の境を復元したもののようです。多門櫓の北下には抜穴伝説のある与助井戸跡など二つの井戸がありました。

本丸跡の中を東西に通る道路の北側はますみ児童公園として整備され、道路沿いに伊勢亀山城の説明板と亀山城楠門跡の標柱が立てられています。楠門は本丸東側の二之丸に通じる枡形門でしたが、門の遺構は消滅しています。本丸北端の天守代用の三重櫓も失われ標柱が見られるのみですが、公園北端の築山は櫓台の名残なのかもしれません。三重櫓北麓の公園池は外堀の一部です。

次は、本多期に本丸の西に拡張された西出丸とその周辺を散策します(続く)。
 

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todo94

北海道のチャシ・陣屋めぐり④【ヲンネモトチャシ】 (2026/08/08 訪問)

ノツカマフ1号、2号チャシからの転戦です。これが5回目となるヲンネモトチャシですが、納沙布岬にほど近いということで本土最東端・納沙布岬とは必ずセットで訪れています。2024年の夏にも訪れているのにまたしても来てしまった理由は、本土四極到達コインを購入することにありました。とりあえず、郭に立ってから、納沙布岬に赴き、無事、四極コインを手に入れることができました。最東端の地に立つ納沙布岬灯台には、霧が迫ってきていました。なお、ヲンネモトチャシのチャシ女子の名前は「温音十萌」です。4枚集めると一つにつながるデザインとなっている到達証明書は、根室駅前にある観光協会で頂きました。帰路は太平洋側の道をとり霧の中を進んだのですが、風蓮湖あたりからは霧が晴れていたので、浜中町の霧多布岬に寄っていくことにしました。2年前は霧で視界0だったので、鮮やかな湯沸岬灯台の写真が撮れて満足です。ラッコを見ることはできませんでしたが、ラッコ目当ての観光客は大勢いました。この日の根室半島の最高気温は26℃くらいだったでしょうか。好天の下、快適なドライブを楽しむことができました。

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つちのこ

大河ドラマのあの人 (2026/08/09 訪問)

今年の大河ドラマで、私の中で話題となった織田信澄さんが築城した城です。実は地元なんですが一度も訪れたことがなく今回初訪問。
織田家が交通の要衝である近江(琵琶湖)を支配するために築いた水城ネットワーク4城の一つです(他の3つは信長の安土城、羽柴秀吉の長浜城、明智光秀の坂本城)。
二ノ丸、三ノ丸は市民病院の駐車場となっており、遺構はなく、道端に「三ノ丸跡」と書かれた石碑があるくらいです。
本丸には、石垣が比較的綺麗に残っていました。天守台跡から北東に階段を下りると、内湖である乙女ヶ池がすぐそばに見え、水城の面影があります。

大溝城跡から徒歩10分弱で大溝陣屋総門があり、そこでは大溝城のパンフレットが設置してあったり、御城印、缶バッジなどグッズが購入できます。復元CG映像も見られますので、合わせて訪問するとより理解が深まると思います。

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姫街道

さすが世界遺産 (2026/08/11 訪問)

念願の姫路城🏯
ここまで全体的に保存・復元出来るなんて驚き‼️
入場料の2500円には少し驚いたが、電子チケットにすれば1000円の買い物券が付いてくるから、納得。

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たか

南部御城印プロジェクト① (2026/07/29 訪問)

タイトルに記載しましたが南部氏にゆかりのあるお城の御城印を販売しているとの事でした。
またそのうえお城同士の縁によってワリインまであるとの事。
これは収集癖の強いわたしには知らない体にはできませんwww
早速まずは100名城でもある根城から攻城開始です。

八戸市博物館の駐車場に車を停めて博物館は改修工事中の為、ガイドセンターにてスタンプを根城の有料地区受付で御城印を購入しました。
あとで知ったのですが博物館の入り口はまだスタンプもご城印もあったようです。
あとAIで検索すると根城のお城カードがあるみたいに書かれていますが無いそうです。

門をくぐると空堀やよく整備された芝地が広がります。
東側からのアクセスで皆さんの投稿されている本殿に向かいます。
あいにくの雨模様でしたが建物に入り、当時の建物内の再現が素晴らしくアナウンスが流れると少しビクッとしてしまいます(笑)

南部御城印プロジェクトで難関である種里城にここで次に向かおうと決心しました。
南部家は九州出身のわたしにとって知らないことだらけでワクワクします。
さあ夜は予習をしてから朝一で向かうとします。

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じゅんじん

2026年お城の日 (2026/04/06 訪問)

意外に4年ぶりでした。桜の花びらが舞ってました。

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じゅんじん

朝駆け (2025/09/15 訪問)

掛川城前に行きました。夏場の森林は蜘蛛の巣だらけ・・・

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じゅんじん

大迷路展 (2025/09/15 訪問)

昨年9月に香川先生の大迷路展を開催していました。久しぶりに天守内部に入りました。

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じゅんじん

春の駿府城 (2026/03/29 訪問)

早朝に行きました。まずまずの開花状況でした。

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じゅんじん

江戸城散策 (2026/03/28 訪問)

乾通りのあとは北の丸公園、皇居東御苑を散策しました。

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じゅんじん

乾通り花見 (2026/03/28 訪問)

春の乾通り花見にいきました。朝早くから混んでました。道灌堀や富士見櫓など見れて満足です。

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トク

九州はひとつ(福岡城の夕陽とファイト九州デー) (2026/08/11 訪問)

ドームから福岡城を通って市内中心部まで、1時間かけて歩いてみました。天守台は発掘調査が再度始まったようで、立ち入り禁止でしたが、しかし夕陽に映える下之橋御門・天守台石垣・多聞櫓・潮見櫓はきれいでした。

今日は、ペイペイドームで行われた、「つながりがチカラになる。がんばろう熊本! ファイト九州デー」の試合を見た帰りです。入口で選手により行われた募金活動に募金をし、入場者全員に配られたユニフォームを着て、九州はひとつ、みんなで熊本を応援しよう! というイベント試合でした。この九州の独特な雰囲気の一体感、私は好きです。4万6千人の超満員のドームに響き渡る声援もすごかったです。その中で、熊本出身の牧原選手のホームランで快勝! この声援は、きっと福岡から熊本に届いたと思います。
 

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todo94

北海道のチャシ・陣屋めぐり③【ノツカマフ1号、2号チャシ】 (2026/08/08 訪問)

赤色立体かるたの詳細レポート、ありがとうございました。私は半年以上前から北海道の予約を入れていたので全く参加できる見込みはなかったのですが、小学生の時、夜な夜な練習させられていた上毛かるたでも苦手意識がありましたので、かるた大会参加は今後も遠慮させていただくことになるかと思います。暑い大阪での熱いバトル、お疲れさまでした。

さて、お供山チャシ跡群の鹿落しのチャシからの転戦です。2024年にも根室半島チャシ跡群には来ていて、これが5回目になります。5回すべてでヲンネモトチャシは外していませんが、前回、時間に追われていてスルーしていたノツカマフ1号、2号チャシは絶対に外せないと思っていました。2号チャシは、空堀がかなり浅くなっていますが、2つの郭が接している1号チャシの空堀は明瞭でこちらの方が見ごたえがあるかと思います。イメージキャラクターとしてチャシ女子があり、このチャシのキャラは「野塚フマ」という名前です。

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ぴーかる

二連木城 (2026/06/14 訪問)

【二連木城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>1泊2日東海ちょこ城道中11城目。現地説明板によると二連木城は1493年に戸田宗光によって築城されました。戸田宗光は高縄城から⇒田原へ進出し⇒田原城を子の憲光に譲り、この二連木城を築きました。その後戸田康長の代の時に徳川家康の関東移封に伴って二連木城は廃城、武蔵国深谷1万石の城主となります。戸田康長はその後出世して松平姓、従四位下、松本藩7万石の大名になります。
 現地は微高地にある平山城で高地全体を大きく平らにして、主郭と副郭の2郭に分けています。主郭は土塁囲みにして、高低差のある南側を高い切岸にしています。副郭には福祉センターが建っていますが、道路になっている堀切跡もちゃんと残っています。副郭から主郭に入る虎口跡のような土塁跡には僅かに石垣が残っています。公園にはなっていましたが遺構がよく残されていました。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

大阪フェス楽しそうでしたネ…🏷 (2026/06/30 訪問)

大阪フェス…
イオさん,あさん,にのまるさん,お疲れさまでした。また,詳細レポートもありがとうございました!
イオさんのホワイトボード画像がとても参考になりました。ありがとうございますm(__)m

にのまるさんは,Makuakeでの発売前プレ問題にも食いついておられたので,イオさんとは拮抗した勝負になるだろうな…と予想しておりました。
私もにのまるさんと似たようなおぼえ方からスタートして,実際に訪れて復習。想像どおりだと感動もひとしおですね。
「イチゴの形」…苗木城。
「鳥がグエッてなってる」…宇和島城。
「毛細血管バリバリ」…高取城。
「広島だけにもみじ饅頭」…高山城。
「パズルのピースの三段重ね」…熊本城。
「焼き芋」…三戸城。
「クネクネとヒラヒラ」…滝山城。
「片方靴下」…花巻城。
「右向きの恐竜」…鳥越城。
「刃が3枚の手裏剣」…新宮城。
かな…?

昨年の横浜にて,一番最初の読み上げは三戸城でした。私は「笹かまの搦手にV字」で記憶しており,イイ距離にいたので読み上げ前からロックオン。「綱御門」で始まる上五の句は「三戸城」のみ。上五の句で「ハイッ」と取って,会場が凍りつきました。気まずい空気になったので,以後は自重しました。完全に販促目的でしたので…。

久々に手持ちの赤色かるたを見ました。仕事以外にも,今年度は福祉関係ボランティア代表職にも就いており,なかなか突発的な予定には対処できません。フツーなら,8月10日に休みを入れて,大阪入りしてたと思います。

さて,三田城ですが,大原城から転戦しました。二の丸の有馬高校の下校タイミングと重なるし,旧九鬼家住宅資料館は休館日で,残念な訪城となりました。それでも,最低限の撮れ高はキープできたと思います。

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にのまる

「大阪・お城フェス」かるた大会

“行けたら行く”とゆる〜く匂わせして、その裏でしっかり特訓を重ね、全力で遊びきったかるた大会、無事終了しました。

当日11時頃に会場入り。溢れかえる人たちを掻き分け目指すはアジア航測さんのブース。
「あさんとかイオさんとか、名札を提げたかるたの人来ませんでしたか?」と展示に関係のない質問をいきなりしてしまいました。
「来てますよ」との返答をいただき、まずはほっと一息。そこから怒涛のリサーチです。一日目(前日)のかるた大会の様子どうだったか、札は50枚全部使うのか?並べ方は?などなど……全く大人げない💦

大会会場となる部屋で千葉室長の講演が始まっていたので最後列に着席して聴講しました。ふと前を見ると青い紐を首に掛けた方お二人の後ろ姿。机の上には「登城しました」のエコバッグ。間違いない、あさんとイオさんだ😊

初めましての挨拶もそこそこに直前練習スタート。
文字なし絵札の上級クラス。絵札を見て城名を答えるだけなら全員100%出来るので、やはりスピード勝負です。
イオさんはご自宅の畳の上に絵札を広げ、本番さながらの実践練習をされたとか。私は本番での札との距離がわからなかったので、近くても遠くてもいいようにコンタクトレンズはやめて遠近両用メガネ(😅)で臨みました。
もう一人の出場者さんも城びとメンバーでXでも相互フォローの方。初めてお会いしましたが、いろいろお話ができてよかったです。

本気で挑んだ戦術ですが、
赤い城さんの新幹線シリーズ
【しんかんせん が】→新高山城
【しんかんせん ふ】→高山城
これはギャラリーの皆さんも大喜びだったと思います。

【けんしんが】→増山城
【けんしんと】→七尾城
は5文字目を聞き逃さないように。

【かいぼうと】→松前城
【かいどうを】→国吉城
は「海防」と「街道」の聞き間違いに注意。

そして、参加者のみなさんはきっと絵札をしっかり縄張図として見ておられたと思いますが、私は「イチゴの形」「鳥がグエッてなってる」「毛細血管バリバリ」「広島だけにもみじ饅頭」「パズルのピースの三段重ね」「焼き芋」「クネクネとヒラヒラ」「片方靴下」「右向きの恐竜」「刃が3枚の手裏剣」など付け刃的な覚え方をしたことを白状します。失礼しました🙇‍♀️
それでもそこをきっかけにして赤色立体図のおもしろさに気づき、現地に行く楽しみや、行ったお城の振り返りができたのはとても嬉しいことでした。帰りに梅田の百貨店の大理石風の壁面の模様が赤色立体地図に見えた時は、自分で吹き出してしまいましたが。

2日間張りつきの城びとスタッフさん、お世話になりました。ありがとうございます。

また、初級クラスで令和生まれと思しきお子様方がかるたに夢中になって真剣勝負している姿はとても微笑ましく、ケータイゲーム全盛時代に昭和遺産のごとき城びとかるたが登場したことは日本の将来にとっても大変意義深いことだと感じました。
中級クラスでも途中からヒントなし絵札に切り替えるなど、参加者皆さん本気で全力で楽しんでいらっしゃり、もうこれは12月の開催もやらざるを得ないのではないかと、そのように思っております。

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ヒロケン

最後の日本式城郭 (2026/07/26 訪問)

松前城は松前港を見下ろす台地上に築かれ、津軽海峡に向けて最上段に本丸を置き、二の丸、三の丸と下がる階段状で築城されています。二の丸の外側を堀が囲み、三の丸の土塁に沿って七基の砲台が並んでいました。今は見る事が出来ませんが、正面に大手門、東側に搦め手門など城内には16の城門があり六つの櫓と本丸に天守の代用とされた三重櫓(再建)がある城郭であったとの事です。
大手門側は異国船の海からの攻撃に備え最新兵器の砲台まで築かれた堅固な城であったが、裏手の北側からの攻撃を想定していない造りで低い石垣と土塀だけであったために、函館戦争のおり旧幕府軍が松前城を攻撃した際、城の北側から攻められ1日ともたず落城しています。

北海道の城というと思いつくのが、西洋式城郭の五稜郭とアイヌ民族が築いたチャシというお粗末な知識で、いずれも自分の好きな和式城郭ではないと思い、下調べもあまりせず日本100名城のスタンプ目的で訪れましが、そのマイナスな期待を見事に裏切ってくれた松前城でした。随所に和式城郭に相応しい石垣、堀、門、櫓などがあり夢中で散策しました。一部で改変?されているところもありましたが(画像4と画像7)、そこがまた恰好が良い!(^^)!1時間ほどの散策であったので、またいつか機会があれば訪れたい城です。

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イオ

大阪・お城フェス2026 (2026/08/09 訪問)

今回の大阪・お城フェス参加は、半ば以上かるた大会のためでしたが、ブース等もひととおりめぐっていますので、その中で個人的に目を惹いたものなどをいくつか…。

会場に入ってすぐに全国・大阪のお城マップとフロアマップがあり、入口脇で本多忠勝・豊臣秀吉・石田三成の甲冑がお出迎えです。その先は「中世における3つの内乱期と河内長野」の企画展示(ジオラマ以外は撮影禁止)、そして河内長野市のブースでは「楠公めし」が目を惹きました。「楠公めしって『この世界の片隅に』ですずさんが炊いていたあれですよね?」と売り子さんに尋ねると、苦笑して「映画では微妙な感じに描かれていますが、これは美味しいですよ」とのこと。ホントに? とも思いましたが、話のタネにと買ってみました。ひとつで良かったんですが、ひとつ350円のところ3つだと900円とお得な上に烏帽子形城の特製御城印も! との売り文句につられて3つ買ってしまいました。御城印は集めてないのに何やってんだか(笑) 早速家で食べてみましたが、玄米にしてはふわふわな食感が不思議な感じで、ずいぶん食べやすくアレンジされてるんだろうな、という印象でした。

大阪でのイベントのため出展ブースも関西周辺が多く、行ったことのある城も多いですが、展示やもらった資料を見ていると再訪したくなりますね。そんな中で「戦国のメインステージ岐阜」では南宮山陣城と玉城、菩提山城の散策マップを発見! 菩提山城はともかく南宮山の陣城や玉城の縄張図は未入手だったので、これでまたいずれ関ケ原に行くことになりそうです(また陣城に行こうとしてる…)。これは遠方ですが肥前名護屋城石垣さんぽという冊子を購入し、ガイドマップももらったので、来年くらいには名護屋城にも行きたいものです。かるたの予習で赤色立体地図も繰り返し眺めていましたしね。

かるた大会の後にもお城クイズラリーの取りこぼし回収のためブースをざっとめぐって、回答を提出して解答&解説をもらい(全問正解でした)、会場を後にしました。かるた大会出場のためステージイベントは全く見られませんでしたが(「秀吉の陣城」が聴きたかった)、かるた大会に加えてブースめぐりでも楽しく過ごさせてもらいました。
 

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お城から八丁なので八丁味噌 (2026/07/24 訪問)

 イオさん、カルタ大会の投稿をありがとうございます。ものすごい人出で、ブースコーナーでは、イオさんを見つけられないと思い、赤色立体地図の特別講演に来られると期待して、お待ちしてました。すぐに、見つけていただき、良かったです。
 イオさん、にのまるさんは、自作の読み札カードを作られたり、地図が上下逆だけでなく、斜めに置いてあっても判読できる練習をされたとか。順位は、練習量の通りで、順当な結果かと。本番前の練習で、何文字目で取るかの争いであることがわかり、予想を越えるレベルでした。赤色立体地図発明者の千葉さんはじめ、スタッフの方々も高レベルさに、喜んでいただけました。中級、初級も大盛り上がりでした。
 さて、岡崎城です。皆さんが推す、青海堀、良いですね。青海堀脇で、武将隊の方に声をかけてもらいました。家康様であったか。天守閣最上階に、パンフレットコーナーがありますが、「岡城城跡 石垣めぐり」は、閲覧用のみでした。1階の売店でお話ししてると、ここで渡してますと、もらえました。三河武士のやかた家康館でも涼んだあと、八丁離れた、八丁味噌蔵に行き、味噌煮込みうどんをいただき、味噌蔵を見学しました。

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