正83城目。
郡山駅から高速バスで直で会津若松城に行きました。駅からはちょっと離れていますね。
平日月曜日でありましたがなかなかの人出で賑わっておりました。やはり東北を代表する名城なのでしょう。桜も少し散っていましたがまだまだ綺麗でした。
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2026/10/26 19:35
2026/10/26 19:31
2026/10/26 19:28
2026/10/26 19:22
2026/10/26 14:38
二俣城の残存石垣群 (2026/10/17 訪問)
令和7年度8年度の植生整備事業の樹木竹林伐採され、また以前の発掘調査出土により二俣城の石垣群がよりハッキリと分かるようになりました。
本年3月21日、10月17日登城探訪の写真を踏まえて二俣城の残存石垣群を写真投稿致します。
①天守台付櫓台石階段 ②北虎口搦手石垣群 ③本丸中仕切門石垣群 ④本丸東石垣 ⑤二の丸北壁石垣 ⑥二の丸大手門石垣群 ⑦南の丸Ⅰ南腰巻石垣 ⑧南の丸Ⅰ西石垣 ⑨西の丸Ⅰ西石垣 ⑩西の丸Ⅰ南石垣 以上です。
二俣城の植生整備事業が上がり、本丸の芝刈りが上がる年末から来年桜の3月末ごろが探訪に最適かと思います、ご都合が付きましたら奇麗に成った二俣城を訪ねて見ては如何でしょうか?
紅葉は11月末から12月頃でしょうか?
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2026/10/26 13:52
本丸東石垣景観整備される (2026/10/17 訪問)
先に本丸・二の丸西側植生整備事業で樹木伐採されて、西の丸Ⅲ郭の初対面、天守台底辺部分柘植栽伐採されて天守台基底部周り石垣の再発見を投稿致しましたが、本丸東土塁石塁側の崖法面も令和8年度植生整備事業がなされて、樹間竹林間で見えにくかった本丸東石垣が眼前に曝られていました、南北に伸びた本丸東側の石垣をスッキリとした形で目撃出来ましたのも初対面でした。
ひょっとして南の丸Ⅱ郭も令和8年度植生整備事業がなされて居るかなと訪ねましたが3月21日に訪ねた時と同じでした、南の丸Ⅱは荒れていますが畑で私有地?なので植生整備事業ができないかも?
植生整備事業で景観が奇麗に成りました。浜松市文化財課、公園課にも感謝です。
ヒロケンさん最近の投稿に感謝です。近くに居ても変化に付いて行けません。
続いて、植生整備事業の景観整備、発掘調査による石垣の発見による、二俣城の残存石垣群を投稿します。
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2026/10/26 08:14
電気柵突破! (2026/05/05 訪問)
まさかの電気柵に阻まれてから2年。あ さんの投稿で「暗くなると自動通電」の表示の追加と「絶縁された取っ手で柵を取り外せる」ことを知り、今度こそはと再挑戦しました(あ さん、毎度ありがとうございます)。朝一番や夕方では通電の不安があるので、真っ昼間(午後2時台)の登城です(笑) 登城道の防獣柵の「夜間通電」の掲示を確認した上で、絶縁された取っ手を付け外しして電気柵を突破。あとは登城道を進むこと10分少々で拍子抜けするほどあっさりと主郭に到着です。
主郭には阪内城遺蹟の石碑が立てられ、石碑の背後に東屋があります。城郭遺構かどうかわかりませんが石碑の南東にわずかに石積があり、主郭東面にも土留めの石積が施されていました。主郭から北東にのびる尾根の付け根には堀切を設け、南尾根と西尾根は小規模な曲輪の先に堀切を設けている…ようですが、浅くなっているのか南尾根と西尾値の堀切はよくわかりませんでした。
阪内城をひとめぐりして下城してもまだ時間があったので、阪内川支流の不動川をさかのぼったところにある歴代坂内城主の墓を訪れました。舗装されてはいるものの、ところどころ路面に土砂が堆積した山道を進んだ先の阪内不動堂の境内に初代・坂内雅俊から七代・具義までの墓石が祀られています。境内には松阪一の大滝とされる不動滝も見られました。
…ということで、松坂城の再訪と阪内城のリベンジを果たしたことで松坂市内の城びと登録城は(ついでにニッポン城めぐり登録城も)全て登城しましたので、これで一昨年の一年の計「松阪市内の城めぐり」を一区切りといたします。「松阪の城50選」に掲載されている未訪の城はまだまだありますが、その辺はまたの機会に。
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2026/10/26 07:04
瀬戸内海を望む (2026/08/29 訪問)
伊予鉄港山駅の踏み切りを渡り、湊三嶋大明神社の駐車場をお借りしました。
少し引き返したところに登城口があります。
整備された登城路で案内板も設置されています。
少し登ると削平地があり、さらに登ると本丸に到着。
なんと言っても眺望が素敵です。
瀬戸内海を見渡せ、麓には港。
これらを監視する役割であったことが良くわかります。
この辺りでは三津浜焼きというお好み焼きに似た名物があります。
地元では台付きと呼ばれています。
写真はこの日のものではありませんがビールが欲しくなる美味しいグルメです🍺
【見どころ】
・主郭からの眺望
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2026/10/26 06:28
甲斐上野城(城びと未登録だが城びと公認の模擬天守) (2026/10/10 訪問)
「秋の乗り放題パス」を使って行ってきました。
身延線の甲斐上野駅で下車。『歌舞伎文化公園→』の案内に従って進みます。
10分ほどで真白に聳える天守「ふるさと会館」が見えてきました。
その手前にある蹴裂神社に「史蹟上野城趾」碑と「一条氏塁跡」の説明板、「一条右衛門大夫信竜の祠」がありました。
信玄公の異母弟で、武田二十四将のひとりである一条信龍が築いた砦があった場所だそうです。
歌舞伎の初代市川團十郎発祥の地でもあるそうで公園の遊具も隈取模様つきの櫓風でした。
城びとの記事の中の『全国で90以上も!天守があるお城一覧リスト』には模擬天守があるお城が55城掲載されています。
そのうち城びと未登録は
・甲斐上野城(山梨県)
・因島水軍城(広島県)
の2城。
近場の甲斐上野城に行ってみたら推しに関係するお城で、武田氏滅亡までの足跡も辿れ、じーんときました。
模擬天守さん、ありがとう!
城びとさん、リストアップありがとう!
JR各社さん、乗り放題パスありがとう!
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2026/10/26 00:41
返り咲きの国宝 (2026/10/21 訪問)
江戸時代以前からの現存天守12城の一つで、2015年(平成27年)に国宝に指定されました。鳥が羽を広げたような美しい屋根の形から、別名「千鳥城(ちどりじょう)」とも呼ばれています。黒い雨覆板(下見板張り)で覆われた威風堂々とした外観が特徴で、外壁が黒いのは戦う城しての特徴です。最上階の望楼からは松江の街並みや美しい宍道湖を360度一望することができます。
✦明治の廃城令の際に一度取り壊しの危機を迎えましたが、地元の有志によって買い戻され(当時の値段で180円…現在の価値では約150万円ほど)、奇跡的に天守が保存されました。1935年に一度国宝に指定されたものの、法改正で重要文化財へと変更、その後市民の熱意と調査によって築城時期を証明する2枚の「祈祷札」が発見され、2015年に再び国宝へと返り咲きました。その2枚の祈祷札のレプリカは地下一階(城に入った所が地下一階)の井戸のそばの通し柱に当時と同じように打ち付けられています。本物は松江城横の松江歴史館で国宝指定の際の重要な証拠で国宝と同等の扱い(国宝附けたりと言う)として展示されています。
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2026/10/25 23:12
2026/10/25 21:53
2026/10/25 21:34
2026/10/25 21:28
2026/10/25 19:04
復元工事中の鴻臚館(北館東門が完成) (2026/10/24 訪問)
福岡城東ノ丸(平和台球場跡地)、ここには黒田長政が築城する前のはるか昔、「鴻臚館(こうろかん)」という建物がありました。鴻臚とは「使節の到来を大きな声で伝える」という意味だそうです。
奈良から平安時代中期まで、中国(唐)や朝鮮(新羅)から来た使節の使者たちはここに入り、太宰府(遠の都)に用件を伝え滞在する「迎賓館」的な施設だったようです。また入国だけでなく出国する時にも利用されました。遣唐使や朝鮮使節は出発する際ここに滞在し、盛大な見送りを受けたようです。留学する僧たちもここで見送られ、鑑真などの逆に中国から入国した僧たちもここで歓迎を受けたようです。
しかし平安時代後期に入るとその役目を終え、多くの貿易商人たちの商談が盛んに行われる場所に変わり、その北側は今でも「唐人町」という名前で残っています。しかし鎌倉時代に入ると、唐人町から4km東の「博多」に港を築いて商人たちは移り住み、貿易の中心は博多へ移ったため、完全にその役目を終えたようです。
昭和60年、平和台球場解体工事中にその存在が発見されて、国の重要文化財に指定され、発掘調査が始まりました。中国製の陶磁器や西アジアのガラス器、また建物の一部などが現在まで発見されており、それらは鴻臚館跡展示館で観覧する事ができます(ただし2027年3月まで現在はリニューアル工事中です)。
その東ノ丸では現在、鴻臚館を復現しようとする整備工事が進められています。今月新たに北館東門が完成し、令和8年10月27日まで公開されると地元TVで紹介されていたので行ってきました。しかしなぜか立入禁止で、近くにまで行く事はできませんでした(?残念😩)。しかし、限定数名で瓦に記帳できるイベントが行われていたので、書かせていただきました。これが鴻臚館の一部に使っていただけるようなので・・・という事はもしかして、何百年も先まで自分の名前を書いた瓦が残るのかな🤔? そうなればいいなと思って書きました。全体の完成が待ち遠しいです。
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2026/10/25 18:52
🗻見ることができます…👀 (2026/10/11 訪問)
地名が日之城。この地元では日之城のほうがメジャーなのかな…。平成3年製と思しき立派な標柱の表記は「日之城」。これは地元のプライドなのかも…と思いました。
お忘れなく,砦橋から富士山を眺望することができます…🗻
この日は,源太ヶ城,古宮城,若神子城,日ノ出城と電動レンタサイクルで巡りましたが,電チャ足に加え,股関節にまでダメージが…。当然,ツーケー・イターナルで。
バッテリー残量は,一時的に50%にダウンしましたが,55%で返却することができました。ご参考までに。
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2026/10/25 15:50
主郭部整備工事 (2026/10/05 訪問)
2024年4月主郭部の整備工事が完了され主郭部の樹木が伐採、石垣や虎口が再現されています。何を今さらとおっしゃる方も大勢おられると思いますが、自分が前回訪れたのが主郭部の整備工事完了以前に訪れていたので今回工事完了後に主郭部を初めて訪れ、驚きと小牧山城を再評価し、感激しています。
歴史館が建つ主郭部が石垣で囲まれ(画像1から4)信長時代の石垣・虎口が再現され「この様になっていたのか」と理解できます。また、大手曲輪地区(画像5)・西側曲輪地区(画像6から9)の曲輪や土塁・堀は、江戸時代小牧山は尾張徳川氏の領地となり、一般人の入山が禁止されたことで遺構が良好に残されています。小牧山山麓北東部に広がる帯曲輪地区の武家屋敷跡や土塁、石垣に囲まれた主郭地区の主郭部。大手曲輪地区の大手道と大規模な堀と土塁。また、遺構が良好に残されている西側曲輪地区の曲輪や土塁と堀、小牧・長久手の合戦を詳しく知ることが出来る小牧市歴史館など見どころ満載のお城です。
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2026/10/25 12:23
2026/10/25 11:49
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