(中国地方と兵庫県)遠征21日目:勝山城
(2026/05/31 訪問)
御殿町バス停から徒歩15分くらいで、勝山御殿跡(34.021909、130.973233)に着きました。
築城年代は不明だが、1378年(永和4年)に大内氏家臣の永富嗣光が築城したとも言われています。続いて1408年(応永15年)に相良民部少輔が在城したそうです。
1527年(大永7年)には九州に対する備えとして守護大名大内氏の重臣内藤興盛の居城となりました。
この興盛の時に近接する青山城の青山城主高森内膳之助と「青山くずれ」と呼ばれる争いが起こりました。
高森氏は津原膳勝や津田興輝らの加勢を得て12,000の軍勢で勝山城を取り囲むも、内藤氏には大内氏が加勢して35,000の大軍となり、逆襲に転じた内藤勢は、青山を攻め落としました。
1555年(天文24年)厳島の戦いで勝利した毛利元就による周防・長門への侵攻(防長経略)により、1557年(弘治3年)大内義長は本拠地である山口を脱出し、内藤隆世と共にこの城に籠城して毛利軍と戦いました。
勝山城を包囲した元就が矢文によって降伏を促したところ、開城して、義長の助命を嘆願する隆世は自害しました。
その後義長は、勝山城を出て兄である大友義鎮を頼って九州を目指しましたが、叶わず長福寺(功山寺)で、攻め寄せた毛利軍に追い詰められて自害しました。
その後は南条宗勝、山田重直が在城したそうです。
勝山城は勝山山頂に築かれていおり、山頂まで登山道が整備されているそうです。
時間の都合上、勝山城には向かわず勝山御殿の攻城で勝山城攻城とさせて頂きます。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=松屋城を攻城する為、御殿町バス停からサンデン交通バスを乗り換えて小月営業所バス停へ向かいました。
+ 続きを読む