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にのまる

ぶどう園の景色と共に。 (2026/06/29 訪問)

勝沼ぶどう郷は車窓からの眺めが中央東線随一と言っていいほど素晴らしく、この景色を見るために電車に乗りに行ったこともありますが、下車して勝沼氏館へ行くのは久しぶりです。

広大なぶどう園を眺めながら坂道を30分くらい下って到着しました。(帰りはずっと上り坂なので曇天でよかったです。)

最初に内郭を見学しました。
居館だけでなく工房や庭園もあり、発掘物の数々がこの場所に濃密な暮らしがあったことを物語っています。石組みなどで再現された建物跡が想像の助けとなりました。

続いて東郭へ向かったのですが、一旦旧甲州街道に出てぐるっとまわって行くと、東郭のさらに東側の「館外屋敷地」に『家臣屋敷』なる建物が。
この建物は記憶がないので前回見逃しています。内郭の説明板に「東郭の建物は礎石を持たない掘立柱建物で(内郭とは)明確な格差があった」と書かれていたので、ここも本来はそのような建物群だったようです。

大きな土塁で阻まれた向こうに外郭帯のひとつである東郭。この場所は主に工房群だったそうで、職人居住棟もあり、館の規模が徐々に拡大していったことが理解できました。

発見されたのがのが1974年と最近で(1981年国史跡指定)、明らかになっていない真実がまだまだ眠っていそうです。

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赤い城

木津城 大阪市西成区 (2026/07/17 訪問)

岡山砦の後、次の所用までもう少し時間があったので訪問しました。
城びと未登録です。

新今宮駅から徒歩で10分くらい。
ニトリの横にある出城公園が城跡です。
名前が残るものの遺構は残りません。

石山本願寺の支城のひとつ、毛利氏が本願寺に兵糧を搬入する際に機能したとされています。

この後天王寺でたこ焼き食べようと思っていましたが次の予定が迫っており断念しました。


【見どころ】
 ・心眼を鍛えるしかない

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todo94

お盆帰省時・埼玉県の攻城① (2026/08/14 訪問)

週間予報では、8月14日は1日雨の予報でした。雨だったら実家でおとなしくしているつもりでしたが、雨が降る様子はなかったので、墓参りを済ませた後、ドライブに出発しました。まずは、忍城に向かいます。行田市郷土博物館にて城カードを購入しましたが、入館はせず城の周囲を一巡りしました。雨どころか、御三階櫓のバックには青空が広がっていました。

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イオ

赤色立体地図お城かるた必勝法!

……はい、タイトル詐欺です(笑) そんなものを知っていたら完敗してませんよね。ただ、必勝法ではなくても、これから赤色立体地図お城かるたに本気で挑戦してみよう! という方の何がしかの参考になればと、私のかるた対策をいくつか挙げてみますと…。

1.まず絵札を覚える
上級クラスにおいては大前提です。最初は一枚ずつ「これは〇〇城」と覚えていくことになると思いますが、かるた大会では一定の向きで整然と並べられるわけではないので、慣れてくれば上下を逆にしたり横にしたりして、どんな方向から見ても判別できるようになるのが理想です。部屋やテーブルの上にならべて実際にやってみるのも良いですね。最初は「こんなの覚えられるのか?」と思いましたが、繰り返していればほどなく覚えられますので、ご安心を。

2.おおまかなイメージを掴む
絵札を全て覚えられたとしても、かるた大会ではひとつひとつじっくり見て探す余裕はありません。最大50枚の絵札の中からいち早くお目当ての札を見つけるには、「この城はこんな感じ」というおおまかなイメージを掴むのがまずは良いかと思います。例えば、花巻城は「白っぽい札」と思って見渡せば、50分の1を10分の1以下に絞り込むことができるはず。さらに進めて、にのまるさんのように具体的なイメージに置き換えて特定できればなお良いでしょう(私はおおまかなイメージ止まりでした)。

3.読み札の句と絵札を対応させる
にのまるさんが読み札カードを自作していたように、読み札の句の最初の五文字までで何城か特定できるようになるのも重要です。さらに読み札の句を聞いてから絵札を探すのではなく、あらかじめ場の絵札を見て「この城の読み札の句は…」と頭の中で思い描いておくと、その句が読まれた瞬間に反応できると思います(ある程度、場の絵札が減ってからでないと難しいでしょうけど)。私は残り数枚にならないとできませんでしたが、にのまるさんはこれを実践しておられました…たぶん。

4.決まり字を意識する
城びと公式のレポートにもあるように、かるた対策の究極は「決まり字」ですよね。今回は「新幹線」と「謙信」の次の字くらいしか意識していませんでしたが、いずれ50城全ての決まり字を意識した上で競われるレベル(もはや競技かるた)にまで達するんでしょうか。いくらかるた好きの私でも、そこまでとなるとついていく自信はないかなぁ。

5.あとは練習用動画も活用して練習あるのみ!
アジア航測さんが公開しておられる赤色立体地図お城かるたの練習用動画での読み手の音声は、かるた大会で用いられているものですので、練習用としてももちろんながら、音声を耳になじませておく意味でも有効かと思います。あとは練習あるのみ!

…といったところでしょうか。これら(4はともかく)を実践できれば、あなたが次代のかるた名人orクイーン!……かも。

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ぴーかる

田原城 (2026/06/14 訪問)

【田原城】
<駐車場他>田原市博物館駐車場
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>1泊2日東海ちょこ城道中13城目。田原城は1480年ごろに戸田宗光によって築城されました。1590年徳川家康の関東移封後は池田輝政の領地となり、輝政は吉田城を築城し、田原城は重臣の伊木忠次が城主となり改修をします。現在残る石垣はこの時の遺構が多いようです。江戸時代には1万石の譜代大名が置かれて田原戸田氏⇒三宅氏が約200年統治して明治に至ります。
 博物館の駐車場から博物館を見学して周囲の散策をしました。復元の二の丸櫓や桜門はだいぶ当時とは違うものとなっていますが、水堀の石垣や二の丸櫓の石垣は野面積みのいい石垣が残っています。本丸跡も神社となっていて少し残念だ。本丸跡と二の丸跡との間には大堀切があり、片側の方は面を揃えた石垣になっているので博物館建設の際の後世のものかとも思われます。当時は海に接した城だったらしいので、渥美半島と湾を抑える重要地としていたことが分かる城でした。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

うふふ… (2026/07/10 訪問)

長崎県では雨が多いのに,隣の佐賀県では猛暑に見舞われることが多いです。この日の気温は37℃でした。暑熱順化と佐賀県の空気感に順応するため,JR牛津駅から徒歩。約30分で到着。とくに迷うこともありません。ウォーミングアップに最適です。

撮れ高が少ないので,ここ3年連続で食事をしている「うふふ」の和風ハンバーグ定食を。JR佐賀駅舎内にあります。
佐賀で驚いたのが,新潟県の岩塚製菓が販売している「味しらべ チーズあじ」が【315円】だったこと。新潟市内のスーパーではだいたい【178円】が相場です。ほぼ倍近くて…😨

そうそう,トクさんの八代情報ありがとうございました。
先日,九州新幹線復旧と書き込みましたが,まだだったんですね…。たしか,臨時便に殺到したと記憶しておりましたが…。
引き続き,情報いただけると助かります。

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イオ

北側の登城道を推奨 (2026/02/15 訪問)

南北朝期に関氏一族の峯政実が築いたとされ、峯盛祐が長島一向一揆との戦いで討死して峯氏が滅亡すると岡本良勝が城主となりました。賤ヶ岳の戦いの前哨戦では滝川益重の攻撃を受けて落城し、大軍で奪還に押し寄せた羽柴秀吉軍に頑強に抵抗するも兵糧が尽きて開城。織田信雄の城として家臣の佐久間正勝が入りました。秀吉と信雄が不和となると秀吉の命を受けた蒲生氏郷らに攻められて落城。その後、廃城となったようです。

峯城に続いて古城に行くこともあり、ぴーかるさんご案内の柴崎公民館の駐車場に駐めさせてもらって、北側の登城口から登城開始。ソーラーパネルを横目に進んだ先の墓地から案内表示に従って山中に入ると、かんざし井戸と呼ばれる石組の井戸があります。手書きの説明板によれば、峯城の落城時に城主の奥方が金のかんざしを付けて入水したと伝わるのだとか。かんざし井戸から登城道を進んだ先に枡形虎口があり、虎口を抜けると北尾根の曲輪群が東西に連なっています。曲輪群の西端で折り返して本丸へ。

案内表示に従って南に進み、虎口を抜けたところが本丸北の曲輪群で、西辺の土塁にもうひとつの虎口が開口していました。北曲輪群と本丸との間は堀切が尾根を遮断し、堀切の先には本丸西辺の土塁が続いています。本丸西側に広がる帯曲輪から見上げる土塁はかなりの高さで、北西隅には堀切を見下ろす櫓台があり、西辺中央部の幅広くなったあたりは天守台と伝わります。(伝)天守台の周囲にはわずかに石垣が遺り、瓦片が散乱していました。本丸の東側に虎口があるようなので土塁を下りてみましたが、笹と倒木の激ヤブ状態だったため探索を断念…。土塁沿いに南から東に折れて進んだ先に南東隅の虎口があり、虎口脇の土塁突端には櫓台が設けられていました。

本丸南の曲輪群を見た後、来た道を戻るかこのまま南の登城口に向かうか迷いましたが、南の登城口脇にある説明板を見ておきたかったのでそのまま進みました。しかし、概ねよく整備されていた北側の登城道に比べて南側の登城道は藪化していて、藪を避けようと谷側に下りていくと今度は泥濘にはまり込んでにっちもさっちも…。結局、登城道に戻って藪を突破することで登城口にたどり着き、説明板も確認できましたが、この後に行くつもりの古城へは遠回りになった上に、藪漕ぎをし足もとをドロドロにしてまで説明板を見なければならなかったのかというと…。登下城には北側の登城道からの往復をおすすめいたします。2月でこの状態ですからね。

…と、本丸や南登城道など整備が追いつかない箇所もありつつも、それ以外はおおむね良く整備され、高く急峻な土塁、虎口と虎口脇の櫓台など見応えのある城でした。
 

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todo94

北海道のチャシ・陣屋めぐり⑦ (2026/08/11 訪問)

北海道4日目は、旭川からレンタカーでチャシをめぐります。旭川から80km以上離れている上名寄チャシを目指しました。開発局の表示は6/14。零汰さんの投稿にある4/14より2大きい数字ですね。横堀のある方まで踏み込まずに帰ってきてしまったということです。あまり未練はありませんけれども。ちなみにこのチャシは名寄市ではなく下川町にあります。市町村訪問ポイントを稼ぐことができました。グーグルマップに載っているモニュメントもチェックしました。名寄市では北国博物館に寄っていきました。除雪の編成・キマロキの屋外展示に萌えました。士別市、剣淵町では道の駅、和寒町では三浦綾子の旧宅を移築した塩狩峠記念館、比布(ぴっぷ)町では、比布神社に立ち寄って、市町村訪問ポイントを荒稼ぎしてしまいました。

今回利用したのは、7日間有効の北海道東日本パスです。自宅と羽田空港の往復にも使いました。特定特急券を購入すれば、新青森-新函館北斗間は新幹線にも乗れますし、IGR岩手銀河鉄道、青い森鉄道にも乗れるので、片道は鉄道、片道は航空機という旅程も考えられます。北海道普通列車の旅には青春18きっぷより安くて使い勝手の良い北海道東日本パスが断然、お薦めです。1週間のまとまった休みをとれるかどうかが問題かもしれませんが、7日間使い切らなくても青春18きっぷより安いので購入する価値はあると思います。私も8月8日は根室半島をレンタカーで回ったので鉄道は全く利用しませんでした。

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赤い城

秀忠の陣城 (2026/07/16 訪問)

夏休みが終わったのでレポートを再開します😊
大阪出張中の城めぐりです。
午前中の仕事を終え、午後の予定まで時間があったので立ち寄りました。
この日は鶴橋駅から徒歩で20分。
鶴橋駅前の商店街は西のコリアンタウンで美味しそうなキムチが並んでいました。

岡山砦ですが現在は御勝山公園になっています。
大坂の陣で徳川秀忠が陣を置いた場所です。
元は古墳ですが前方後円墳の前方部分は道路の造成で消滅、後円部分のみが残ります。
ただし柵で囲まれているので中には入れません。
歩道橋から見おろすことはできますが城の遺構は見られませんでした。
徳川方の勝利にちなんで地名が岡山から御勝山に変わったそうです。

帰りは最寄りの桃谷駅まで徒歩で15分くらいでした。

【見どころ】
 ・古墳

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つちのこ

ハイキングツアー参加 (2026/08/15 訪問)

賤ヶ岳周辺の山城は初訪問のため、今回奥びわ湖観光ボランティアガイド協会さん主催のツアーに参加し登城しました。
ガイドさんからは、各曲輪に残る虎口や堀切について、また山頂から見える柴田軍の砦、佐久間信盛の攻めてきたルート等について分かりやすく説明していただきました。
田上山城では実際に戦闘の舞台ではなかったとのことですが、400年以上経っても綺麗に残っている馬出や横矢桝形から顔を出し、横矢をかけてみる真似などして、当時の兵士の気分も味わえました。

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りょ

遺跡 (2026/08/15 訪問)

朝倉氏関連の遺跡

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りょ

工事中 (2026/08/15 訪問)

耐震工事中にいけば、特別な御城印がもらえる

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たか

南部御城印プロジェクト⑤ (2026/08/09 訪問)

明日の月曜日は御城印発売所の休館日が多く本日は大変です。
金沢柵から一気に鍋倉城に向かいます。

遠野市立博物館にてご城印を購入。
そしてワリイン2つ目!

●根城×鍋倉城『八戸弥六郎直義』
根城南部家(遠野南部家)当主は代々、八戸弥六郎を名乗り、藩の筆頭家老を務めた。直義は元和6年(1620)分家新田家から養子に入り家督を継ぐ。寛永4年(1627)藩主の命で八戸から遠野に村替し、藩境警護にあたりながら遠野の礎を築く。

1869年明治時代まで残っていたとは凄い。郭や道なども整備されていてしっかりと堀などの遺構も残っています。
景色が見れる櫓もありますし、散策中のひらけた箇所からも高低差があるため良い景色が広がります。
熊に注意の看板もあるためぐるりと回って退散しました。
ちなみに本丸近く(三の丸)のところまで狭いですが車で上がれて駐車場もあります。

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たか

南部御城印プロジェクト④ (2026/08/09 訪問)

前回は青森方面で活動したので今回は岩手(盛岡周辺)での攻城です。
新幹線で北上駅に行って2泊しながら四方八方攻める作戦としました。

まずはこのプロジェクトでも行き辛い金沢柵です。
後三年合戦金沢資料館へレンタカーを使って向かいます。
目当ての御城印を購入して、ここでこのプロジェクト初ワリインです!
因みに説明はこう書いてあります。

●種里城×金澤城『金澤御先祖津軽』
津軽藩の官撰史書「津軽一統志」附巻によると、種里城主南部光信を始祖とする津軽家の御祖先は、出羽仙北金澤に所領を有していた金澤右京亮だとされている。金澤右京亮の子孫は、下久慈を経て津軽に移ったという。

あと2城ともワリインがあるようなのでこれは相手側に行ったときの楽しみにしよう!

実際の城址にも向かいました。
資料館の女性が地図を使って道を教えて頂きその通りに行ってみました。
駐車場にトイレがあり入り口のところに石碑がありました。
「納豆発祥の地」
確か昔話かなにかで戦の時に兵隊さんが煮豆を持って出陣して、発酵してしまい納豆になった話を思い出しました。
わたしの大好きな納豆の話はここだったのかと感動しました。

本丸や北の丸、二の丸など綺麗に整備されておりとても美しい。
金澤八幡宮に兜杉など見ごたえもあります。

最後に西の丸址にも行ってひらけたところから景色を撮って攻城終了としました。

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姫街道

野面積みに親近感 (2026/08/13 訪問)

天守と大手から天守に続くつずら折りの城道の石垣が、野面積みが多く、地元の浜松城に似ていて親近感を感じた。
堀幅が広く、城がより大きく見えた。

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トク

地震から3週間経った八代城 (2026/08/16 訪問)

令和の熊本地震(7月28日)から、3週間が経った八代城を訪れました。通行止めだった高速道路「松橋~えびの」間が開通したので、車で行きました。あんなに大きくずれた橋桁が、たった17日で修復できるとは、日本の道路技術には驚きです。しかし、九州新幹線と在来線はいずれも「熊本(宇土)~水俣間」で、未だ不通ですので御注意下さい。

八代ICを下りて西へ10分、八代城へ到着しました。しかし・・・そこで見た光景に、私は唖然としました。ここは昨年も訪れたのですが、その時とは全く様相が変わっていました。もう見るに堪えない光景です。石垣は北東隅部から欄干橋(市役所前)までの約200mに渡って崩れ落ちていました(写真②③④)。南側の石垣にも崩落がありました(写真⑤)。また本丸に鎮座する八代宮は、ぐしゃりとつぶれていました(写真①)。幸いにもけが人はいなかったそうです。国の名勝である「松濱軒」も1階はつぶれ半壊状態で、その正門と資料館は、完全に倒壊してがれきの山になっていました(写真⑥⑦)。興長を祀る「松井神社」もつぶれていました(写真⑧)。西側などの残った石垣も遠くから見ると一見無事そうですが、近づいてよく見ると、はらんでいたり石のずれが何カ所もあるので、再び地震がきたら崩落する危険があるように感じました。

八代城は、加藤忠広(清正の子)が家老の加藤正方に命じて築城した城で、細川時代からは家老の松井氏が代々城主を務めた、築城400年を迎えたばかりの続100名城でした。それが400年後の今になってこんな事になるとは・・・、360年間存続し続けた松井家の別邸(松濱軒)も、今になってまさか壊れるとは・・・。復旧には相当な時間(年月)がかかりそうな気がします。

スタンプ場所の「お祭りでんでん館」は休館中で、今訪れてもスタンプは押せないようです。街のあちこちはまだ断水しています。道路は段差や亀裂が多く、また倒壊したままの家も多数ありました(写真⑩)。ブルーシートがかけられた家も多く、避難生活を送られている方がまだ大勢おられるようです。1日も早く復旧され、皆さんが元の生活に戻られる事を願うばかりです。
 

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イオ

とことん亀山城(東三之丸周辺) (2026/02/15 訪問)

(続き)

東三之丸(亀山市東丸町)
東三之丸は本多期に二之丸東側に整備された曲輪で、二之丸側を除く三方を外堀が囲み、東に大手門、北西に江ヶ室門が、南東隅には東大手櫓が設けられていました。県道沿いの駐車場には東三之丸跡の標柱が立てられており、周囲にはいわく有りげな石が並べられています。標柱の裏の説明書きを見てみると、発掘調査で出土した大手門石垣の石材なんだとか。東三之丸は重臣の屋敷地だったようで、標柱の道向いには家老名川大右エ門氏家屋敷跡の石碑も見られました。大手門は大手門櫓と大手脇櫓からなる枡形門でしたが、遺構は失われて説明板と錆びた標柱が立てられているのみです。大手門は東海道に直結し、門を出たところには高札場が設けられていました。高札場ならぬ酒屋さんの広告場の脇に高札場の説明板が立てられています。そのほか、江ヶ室門跡に標柱が立てられていたようですが、見当たりませんでした。

江戸口門(亀山市本町)
板倉期に築かれた惣構東端の城門で、番所を設けて東海道の往来を監視していました。土塁と土塀で区画された3つの枡形と平櫓を擁する厳重な造りだったようですが、遺構は失われ説明板が立てられているのみです。

遍照寺(亀山市西町)
二之丸御殿の式台・書院が本堂として移築されています。鬼瓦に石川氏家紋の笹竜胆紋が、千鳥破風には上り亀、下り亀の装飾瓦が見られます。

…ということで、亀山城をとことんめぐってみましたが、明瞭な遺構は数えるほどながら、主なところにはほとんど標柱や説明板が立てられていて、いくつかの復元整備とあわせて期待以上に見応えがありました。次の機会には今回見られなかった亀山市歴史博物館と加藤家屋敷、そして本丸多門櫓内を見学したいものです。
 

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つちのこ

坂本城周辺 (2026/08/14 訪問)

本丸跡石垣を見ようと、県道脇のあぜ道を進んでびわ湖にたどり着きました。が、水位が高くちょこっとしか見れませんでした。
その県道を歩いて気づいたのは、本丸があったと思われるエリアの県道(歩道部分)は赤く塗装され、桔梗の家紋が施されていたこと。
城址公園の光秀公石像にも桔梗の花が添えられていました。地域に愛される御殿様ですね。
城門が移築されている聖衆来迎寺、西教寺も行きました。西教寺は境内に風鈴が施され、多くの方が参拝される映えスポットでした。
三ノ丸跡にも行ったのですが、今は近づくことができません。一番近付けるであろう道にも「私有地のため通行禁止」との張り紙がありました。

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todo94

ゴールデンカムイの聖地巡礼 (2026/08/10 訪問)

桂ヶ岡砦からは、延々と歩いて、計算通り9時前に博物館網走監獄に到着です。2年前、ゴールデンカムイの聖地巡礼した際には、網走に足を伸ばすことができなかったので、今回は外さないよう、網走のホテルを半年以上前に押さえておきました。第4舎房の天井には、ゴールデンカムイの白石由竹の名前の由来となった脱獄王・白鳥由栄もいらっしゃいます。時間にはゆとりがあったのでじっくりと映像も含めて見学することができました。駅に向かう途中には、本物の網走刑務所がありますのでこちらにも寄っていきます。網走監獄で紹介されていた横須賀刑務所製作の「ブルースティック」を試しに購入しておきました。この日の午後は、石北本線を乗り通し、旭川にアクセスしました。最高気温20℃未満の網走と違って、旭川は普通の暑さでした。

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天守無しがアツい

白旗神社 (2023/02/05 訪問)

藤沢御殿…私も詳しくは知らないのだが…現在の藤沢市民病院あたりに存在したらしい

市民病院を撮影した事はないが…その付近にある伝義経首塚および首洗い井戸

あと白旗神社の境内およびそこで授与した御朱印…ならフォトにたまたま残っていたので…ここに紹介します

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