続日本100名城

きしわだじょう

岸和田城

大阪府岸和田市

別名 : 岸ノ和田城、滕城、蟄亀利城、千亀利城
旧国名 : 和泉

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岸和田城
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岸和田城

岸和田城冬の陣 (2025/02/24 訪問)

2月24日開催「岸和田城冬の陣」
情報がフルオープンになりました。

HPもこれに合わせて更新済みですので既にご確認いただきました方も再度ご覧下さい。
https://kishiwada-castle-70th.jimdosite.com/

お城好き、武将隊ファン、御城印コレクター・・・皆様のお越しをお待ちしております。

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【武者行列参加武将隊】
(ステージもあります)
○名古屋おもてなし武将隊 ○京都・長岡京おもてなし武将隊つつじ
○甲援隊 ○勢州津高虎隊 ○信長隊安土衆 ○雑賀衆甲冑隊

【お城自慢ゾーン】
○大坂城/大阪城 ○国史跡 飯盛城 ○竹田城 ○津山城
○勝龍寺城 ○綾井城址 ○和歌山城 ○岡山城

【ファンゾーン】
○千糸繍院 ○戦国武将隊 ○戦国魂 ○IKUSAワークショップ ○城郭合体オシロボッツ

【グルメゾーン】
きしわだ・先週の美味しいもの、地元食材を取り入れた豊かなグルメをご用意。
現在実施中の「きしわだスイーツコンテスト」参加店舗も登場します。

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*岸和田城武者行列*

会場:蛸地蔵天性寺~紀州街道~岸和田城
時間:13:30~

【協力】
吉本興業株式会社
岸和田観光バス株式会社
公益財団法人大阪観光局

【後援】
NHK大阪放送局

*きしわだ天正楽市*
会場:岸和田市二の丸広場
時間:10:00~16:00

【協力】
株式会社岸和田グランドホール

*岸和田城冬の陣*
【協賛】
公益社団法人日本観光振興協会

【協力】
株式会社テレビ岸和田
株式会社アース
認定NPO法人ラヂオきしわだ
岸和田城下町サミット実行委員会

【後援】
大阪府
公益財団法人大阪観光局
公益社団法人日本観光振興協会

【主催】
岸和田市
(072-423-9486:魅力創造部観光課)
岸和田市観光振興協会
(072-436-0914:事務局・岸和田だんじり会館内)

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イオ

城下町めぐりと岸和田古城 (2024/10/27 訪問)

(続き)

市営駐車場の東側一段上にある展望ポケットパークからは紀州街道の街並みが見渡せます。ここから紀州街道を端緒に城下町(と岸和田古城)をめぐってみるとしましょう。

紀州街道(岸和田市本町)
紀州街道は松平康重期に整備され、後に紀州徳川家の参勤交代道となり、城下町は街道沿いに発展しました。本町地区は岸和田市の歴史的まちなみ保全地区に指定され、古い街並みが遺っています。街道沿いには一里塚跡や吉田松陰の逗留地なども見られます。また、紀州街道の海側には同じく松平康重期に約800mにわたって整備された惣構の防潮石垣がわずかに遺っています。

蛸地蔵天性寺(岸和田市南町)
中村一氏期に岸和田城が紀州勢に攻められ落城の危機となったとき、大蛸に乗った法師と数千の蛸が現れて城を救ったとする蛸地蔵縁起絵巻と、法師に化身した地蔵菩薩像(鉄砲の傷跡が残る)が伝えられています。

松平康重墓(岸和田市南町)
岸和田城を近世城郭として完成させた松平康重の墓所です。心蓮寺跡とのことですが、柵で囲われた空き地に五輪塔と説明板だけが立っています。

岸和田藩薬園跡(岸和田市岸城町)
江戸後期にはあぶみ郭(馬出郭)に薬園が設けられ、様々な薬用植物が栽培されていました。現在は駐車場になっていて、説明板が立てられているのみです。

岸和田古城(岸和田市野田町)
岸和田古城(城びと未登録)は、南北朝期に南朝方として活動した岸和田氏が拠点とした城館で、戦国期に現在の岸和田城の位置に移って廃城となったと考えられます。三つの曲輪群を水堀で囲んだ平地城館で、近年まで本城が遺っていたようですが、宅地化により現在は本城跡に石碑と説明板が見られるのみです。

…というところで城下をひとめぐり。時間の都合で取りこぼしもありますが(だんじり会館とか?)、近場なのでその辺はまたいずれ。
 

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イオ

石垣めぐり (2024/10/27 訪問)

(続き)

本丸と二の丸をひとめぐりすると、岸和田城の石垣めぐりに出発です。

二の丸から反時計回りに内堀沿いを歩くと、本丸西隅の石垣には折れが設けられて横矢掛りになっています。石垣の裾には犬走り、石垣の上には隅櫓と多聞櫓が再興され、奥には天守も覗いていてなかなか絵になる一角です。本丸南西面の石垣は裾に犬走りが続き、修復または改修があったのか、両端が打込接ぎで中央部分が切込接ぎと石垣の新旧がくっきりとしています。本丸南隅から南東面に入ったところには搦手口と思しき本丸から犬走りへと続く石段と門らしき石垣があり、石段を下りた先には昭和に内堀に架けられていた橋の痕跡も見られます。犬走りは西隅から本丸南側を半周して東隅で終了。東隅の石垣は他の箇所より明るい色の石が混じっていますが、平成の豪雨で崩れた箇所を補修する際に、和泉砂岩より耐久性のある花崗岩を用いたことによるものだそうです。本丸北東面の石垣が突き出たあたりには櫓が建てられていたようですが、現在は土塀が復興されています。

内堀を一周して二の丸に戻ると、今度は市役所裏手に下りて行き、反時計回りに百閒堀沿いを歩きます。二の丸北東面は東端の二の丸多聞(トイレ)下の石垣は模擬でしょうが、中央部分には崩落を防ぐための巻き石垣が設けられています。二の丸北隅の伏見櫓跡を見上げながら北西面をたどり、心技館の建つ西隅から南西面に入ったあたりの出隅の石垣に積み足しの痕が見られます。石垣の修復によるものか二の丸の拡張に伴うもののようです。そして市営駐車場奥の階段を上がり二の丸に戻って百閒堀をひとめぐり。

本丸や二の丸をめぐっても、それなりに見どころはあるものの続100名城としては物足りなさも感じていましたが、犬走りあり新旧石垣の境目あり巻き石垣あり積み足しあり…と、石垣めぐりは大変見応えがありました。さらに、復興建物それ自体にはさほど惹かれないにしても、水堀越しに石垣の上に建っている姿は映えるんですよね。たとえ往時の姿と少々違っていても、復興してもらえるに越したことはないなぁ、とも。

さて、本丸周辺を離れ、最後に城下町(と岸和田古城)をめぐります(続く)。
 

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イオ

復興ところにより模擬 (2024/10/27 訪問)

南北朝期に南朝方として活動した岸和田氏が拠点とした城館(岸和田古城)を前身とし、戦国期に現在地に拠点を移して築城したと考えられます。その後は細川氏や三好氏のもとで松浦氏の城となり、織田信長の雑賀攻めの後は津田信張、次いで蜂屋頼隆が城主となりました。本能寺の変の後には羽柴秀吉が中村一氏を城主とし、小牧長久手の戦いの際に攻め寄せた紀州勢(根来衆・雑賀衆ら)を撃退しています。翌年の紀州攻めでは秀吉が岸和田城に入って周辺の紀州勢の城を攻略し、紀州平定後には小出秀政が城主となって五重の天守を建てるなど大改修しました。豊臣氏が滅亡すると、松平康重が入って外郭・防潮石垣・城下町・紀州街道を整備し、伏見櫓を移築して近世城郭として完成させました。そして江戸前期に岡部宣勝が入封すると、岡部氏が13代続いて明治を迎えています。

隣接する市役所には仕事で何度か来ていますが、ようやく登城することができました。近くの駐車場から大手櫓門を抜けてまずは本丸へ。櫓門に打ち付けられた鉄板は程よく錆びていて、復興ながら雰囲気があります。門をくぐった正面には岸和田城址碑があり、大正に立てられたものらしく全文漢字でした。本丸には岸和田城庭園として諸葛孔明(三国志)の八陣法をテーマにした「八陣の庭」が広がっています。諸葛孔明と岸和田城に何の関係が? と思わなくもないですが、八陣の庭越しに眺める天守はなかなか見栄えがしますし、天守にしてからが往時の五重を三重で復興したものなんですから、細かいことを言っても仕方ありませんね。

天守に連結された小天守から天守内に入城(大人300円)。続100名城スタンプを押すと天守1階展示室の常設展「岸和田藩と岡部家」を見学しました。駕籠以外は撮影禁止でしたが、岡部家歴代の藩主像に胴具足や陣羽織、所用の品々、描いた書画などが展示されていました。その他、様々な岸和田城図や積善寺城などをめぐった際に目にした「根来出城図」、「明智光秀公肖像画」に目を惹かれました。明智光秀公肖像画の原本は岸和田城から北東約600mの本徳寺に所蔵されていますが、通常非公開なので複製でも見られて良かったです。2階展示室では企画展「久米田寺と称名寺」が開催されていて、最上階には岸和田城のジオラマが展示され、高欄がめぐる展望台からは眼下に八陣の庭を俯瞰し、その先には城下町と大阪湾を見渡すことができます。天守を出ると、復興された多聞櫓と隅櫓に展示されている岸和田城と蛸地蔵絵巻のパネルを見学して、二の丸へ。

二の丸から内堀越しに本丸を眺めると、櫓門~土塀(背後に天守)~多聞櫓~隅櫓と見える全てが復興建物ですが、これはこれで見応えがありますね。かつて二の丸にあった二の丸御殿と伏見櫓は失われて広場になっています。北隅の伏見櫓跡には説明板が立てられているのみです。広場東隅に二の丸多聞と題した櫓風の建物がありますが、復興櫓ではなく模擬櫓のトイレでした。広場西隅にある なまこ塀の建物は心技館。趣のある武道場ですが、耐震性の問題から廃止が決まっているそうです。そして、南隅の観光交流センターでひと休み。展示されている火縄銃や岸和田藩の鉄砲関係の資料を見学して、石垣めぐりに向かいます(続く)。

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イベント情報

  • 2025年02月24日(月)~2025年02月24日(月)

    岸和田城

    岸和田城天守復興70周年記念 ~ 岸和田城冬の陣『岸和田城武者行列』&『きしわだ天正楽市』

    2024年11月に天守復興から70周年を迎えた記念に、岸和田城冬の陣と題し、天守復興時に行われたといわれる武者行列が復活します。大将役のタレント・田村淳さんが率いるは、各地の武将隊や一般公募の方など総勢100名の武将!紀州街道をにぎやかに練り歩きます。岸和田城二の丸広場では食べる・観る・遊ぶ『きしわだ天正楽市』も開催。開催日時:2月24日(月・祝) 13:30天性寺スタート~14:30岸和田城到着・セレモニー等。天正楽市は10:00~16:00

※ 内容は変更となる可能性があります、予めご了承くださいませ。

城郭情報

城地種類 輪郭式平城
築城年代 応永年間(1394〜1428)
築城者 信濃泰義?
主要城主 小出氏、岡部氏
文化財史跡区分 府史跡(岸和田城跡)
近年の主な復元・整備 三好義賢、小出秀政、岡部宣勝
天守の現況・形態 複合式望楼型[5重5階/1597年築/改築]、複合式層塔型[5重5階/1619年改/焼失(落雷)]、連結式望楼型[3重3階/1954年再/RC造外観復興]
主な関連施設 復興天守、櫓、門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)
住所 大阪府岸和田市岸城町9-1
問い合わせ先 岸和田市商工観光課
問い合わせ先電話番号 072-423-9486