おだかじょう

尾高城

鳥取県米子市

別名 : 泉山城、小鷹城
旧国名 : 伯耆

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石塁と石列
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しんちゃん

期間限定・主要部 (2025/06/29 訪問)

尾高城の本丸・二の丸には土塁が残り、石垣も使用されているようです。ちょうど発掘作業をしている所で、土の中から石塁と石列が顔を出しています。これもいずれ埋め戻されてしまうのだろうか。貴重な体験というやつですな。
天正10年(1582)10月26日毛利氏家臣・杉原景盛は羽柴氏と繋がっているとして兄の元盛と子供二人を尾高城の二の丸で殺害したとされています。その二年後の天正12年8月に、今度は景盛自身が南条氏(羽柴氏)と繋がっているとして吉川元長に佐陀城を攻められ自刃しています。
結局ミイラ取りがミイラになったというやつですか。その元長もすぐに秀吉に従い伊予や九州へ出陣しているのですが。

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しんちゃん

地主さんに「あざす」 (2025/06/29 訪問)

お城EXPOで松江に行ったら、尾高城の普段公開されていないエリアが公開されているらしい。これはお城EXPOに来ている城好きへの「ごほうび」なのだろうか? 行かない手は150%有りませんな。レッツ尾高城! 行っとけ、行っとけ
本丸と二の丸の間を堀切で区切り、それ以外の郭はそれぞれ独立した状態で間を堀で区切ってあります。鹿児島のシラス台地の城郭を思い出すけど規模はそれに比べると少し小さいかな。
南大首郭の前の堀に橋がかかっていて、そこからルートにそって見学してきます。中の丸から堀切を挟んで本丸を俯瞰。普段見学できるのはここまでなのだろうけど、ここから禁断の本丸エリアへ侵入です・・ありがとう地主殿。ナイス配慮

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赤い城

松江EXPOに合わせての特別公開 (2025/06/28 訪問)

普段私有地で立入禁止の本丸と二の丸が特別公開されているとの情報を基に登城しました。
EXPOに合わせて3日間だけ公開されるとのことです。
駐車場もあり、よく整備されています。

橋を渡り南大首廓へ、土塁も整備されています。
奥のほうには櫓台跡の高まりもありました。
その先は中の丸との間の深い堀が横たわります。

方形館跡を経て先ほどの堀を横から、やはり深い。
さらに大首郭から中の丸へと進みます。
中の丸は尼子回復戦の際に山中鹿之介が捕らわれていたところと云われています。

その先、いよいよ本丸へ、ボランティアの方の説明を受けながらの見学でした。
本丸と二の丸を発掘調査し、ほとんど埋め戻されていますが一部見学可能、これもいずれは埋め戻されるそうです。
本丸と二の丸の間には堀跡がありますが、これは池だったのではないかとのこと。
縁に石積も残っています。
本丸の斜面からは石垣の築石や裏込め層の粟石が崩壊している部分が出てきており、堀跡には深い穴を見ることができます。
何かしらの建物があったと思われます。

本丸の土塁は高く、外側は崖で攻め込むのは困難。
この土塁部分も発掘の跡が公開されています。
この辺りはローム層で当時の土塁の形が明確に残っていることに感動☺️
さらに本丸に残る石列と石塁も見ることが出来ました。
築地塀と虎口、門の基礎とされていて漆喰と思われる白いものも出ています。

貴重なものを見ることが出来て感激!
関係者の皆さんに感謝し余韻に浸りながらEXPOに向かいました。
EXPOにも尾高城のブースが出ていたので感謝の気持ちをお伝えしました。

【見どころ(本丸と二の丸を除く)】
 ・中の丸を囲む深い堀
 ・中の丸の土塁

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小城小次郎

回遊できる範囲は広くなったが (2024/05/06 訪問)

国史跡指定を祝して2024年5月に見に行った時には以前より回遊できる範囲が広がってはいたが石垣等が検出されて盛り上がっていた本丸・二の丸は立入禁止で肩透かしを食った(しょんぼり)。今は改善されているのだろうか。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
築城主 不明
築城年 大永4年(1524)以前
主な城主 行松氏、吉田光倫、杉原氏(毛利氏家臣)、吉田元重、中村一忠
廃城年 慶長6年(1601)
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(尾高城跡)
再建造物 説明板
住所 鳥取県米子市尾高
問い合わせ先 米子市観光協会
問い合わせ先電話番号 0859-37-2311