尾高城の本丸・二の丸には土塁が残り、石垣も使用されているようです。ちょうど発掘作業をしている所で、土の中から石塁と石列が顔を出しています。これもいずれ埋め戻されてしまうのだろうか。貴重な体験というやつですな。
天正10年(1582)10月26日毛利氏家臣・杉原景盛は羽柴氏と繋がっているとして兄の元盛と子供二人を尾高城の二の丸で殺害したとされています。その二年後の天正12年8月に、今度は景盛自身が南条氏(羽柴氏)と繋がっているとして吉川元長に佐陀城を攻められ自刃しています。
結局ミイラ取りがミイラになったというやつですか。その元長もすぐに秀吉に従い伊予や九州へ出陣しているのですが。
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