日本100名城

くまもとじょう

熊本城

熊本県熊本市

別名 : 隈本城、銀杏城、(千葉城、古城)
旧国名 : 肥後

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熊本城
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にのまる

todo94さんおめでとうございます🎊 (2025/01/18 訪問)

香川県の城びと登録城コンプリートおめでとうございます。
todo94さんと言えば熊本城🏯
ちょうど今日、熊本城へ行ってきたので、おめでとうクイズの前に、撮れたてホヤホヤの熊本城をお届けします!!

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まにまに

復興はまだまだ (2024/10/21 訪問)

「熊本城へ行ってきた」というと『あー、もう入れるんだね。元に戻ったんだ』と言われることがほとんどなんだけど、実際にはまだ瓦が落ちたままの建物があったり、ようやく修復の手が入り始めた櫓があったりとまだまだ道半ば。
もちろん大天守・小天守は綺麗に直され、中の展示も素晴らしかったけど、そこから一歩出れば入れない建物や区域だらけ。震災前に城内を歩き回った時の記憶を蘇らせながら、今の姿を見てきました。
まだ数年後経って少しずつ変わっていく姿を見に行こうと思ってます。

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熊本城見学 (2024/10/02 訪問)

天守と小天守が震災から復旧されたので見学。天守と小天守以外の復旧はまだまだで、全体が元の状態になるのは、2050年以降との説明であった。

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ヒロケン

42年振り (2024/08/14 訪問)

日本三名城の一つといわれる熊本城へは、修学旅行以来42年振りの訪問となります。当時は、思春期で女子の気を引くことばかりで熊本城の様子など目に入らず、ほぼほぼ記憶にないのが現状ですが、熊本城天守の大きさと恰好良さ、迷路に入り込んだような石垣群が少し記憶に残っている程度でした。
平成28年の熊本地震の前に訪れる計画はありましたが、熊本地震が発生し計画倒れになっておりました。今回、トクさんの投稿を拝見し、どうしても自身の目で熊本城が見たく再訪(再訪といえるかどうか?)を決めました。

熊本城の中で一番見たかったのは宇土櫓でしたが、トクさん情報で解体保存工事が始まっているとの事で諦めてはいました。宇土櫓は現存する櫓で、国指定重要文化財。現存天守・現存櫓の中では4番目の高さを誇り3層5階地下1階、地上約19mの櫓です。完成は8年後の令和14年の予定です。
本丸御殿にも「昭君之間」の床の沈下、各広間の壁が剥がれ落ちるなどの被害があり入ることはできません。飯田丸5階櫓も石垣が一部崩落し「奇跡の一本石垣」と呼ばれていましたが、櫓は解体、石垣は復旧されておりました。重要文化財の長塀も80m程倒壊する被害がありましたが、復旧が完了しています。その他、櫓門等も被害を受け解体されております。熊本地震から8年経った今でも、愕然とするほどの被害状況が目の当たりにすることができ、地震の怖さを実感できます。

現在は、見学する箇所がかなり制限されていますが、特別見学通路が設置され、安全に見学することができます。また、大天守内も見学ができます。
トクさんが、「元気をもらいに熊本城へ」とありますが、少しづつ復旧が進み熊本城のパワーが感じられます(*^▽^*) 私も何があっても頑張るぞ!!という元気をいただくことが出来ました。

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概要

織豊系城郭の到達点ともいわれる、加藤清正が築いた名城。本丸に大天守と小天守を建て、各曲輪には5棟の五階櫓が並んでいた。大小天守は再建されたものだが、清正流と称された高石垣と櫓12棟はほぼ完全な姿で現存。なかでも三重五階の宇土櫓は「第3の天守」と呼ばれるほど立派。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 文明年間(1469〜1487)
築城者 出田秀信(千葉城)、鹿子木親員(隈本城)
主要城主 加藤氏、細川氏
文化財史跡区分 国重要文化財(櫓11棟、門1棟、塀1棟)、国特別史跡(熊本城跡)
近年の主な復元・整備 加藤清正
天守の現況・形態 連結式望楼型[3重6階地下1階/1600年築/焼失(火災)]、連結式望楼型[3重6階地下1階/1960年再/RC造外観復元]
主な関連施設 外観復元:大小天守、平櫓、馬具櫓、木造復元:西大手門、数奇屋丸二階広間、南大手門、西出丸戌亥櫓、未申櫓、元太鼓櫓、飯田丸五階櫓、本丸御殿大広間、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓、門、塀、石垣、横堀
住所 熊本県熊本市中央区本丸、二の丸
問い合わせ先 熊本市教育委員会生涯学習部文化財課
問い合わせ先電話番号 096-328-2111