日本100名城

くまもとじょう

熊本城

熊本県熊本市

別名 : 隈本城、銀杏城、(千葉城、古城)
旧国名 : 肥後

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熊本城
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熊本城見学 (2024/10/02 訪問)

天守と小天守が震災から復旧されたので見学。天守と小天守以外の復旧はまだまだで、全体が元の状態になるのは、2050年以降との説明であった。

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ヒロケン

42年振り (2024/08/14 訪問)

日本三名城の一つといわれる熊本城へは、修学旅行以来42年振りの訪問となります。当時は、思春期で女子の気を引くことばかりで熊本城の様子など目に入らず、ほぼほぼ記憶にないのが現状ですが、熊本城天守の大きさと恰好良さ、迷路に入り込んだような石垣群が少し記憶に残っている程度でした。
平成28年の熊本地震の前に訪れる計画はありましたが、熊本地震が発生し計画倒れになっておりました。今回、トクさんの投稿を拝見し、どうしても自身の目で熊本城が見たく再訪(再訪といえるかどうか?)を決めました。

熊本城の中で一番見たかったのは宇土櫓でしたが、トクさん情報で解体保存工事が始まっているとの事で諦めてはいました。宇土櫓は現存する櫓で、国指定重要文化財。現存天守・現存櫓の中では4番目の高さを誇り3層5階地下1階、地上約19mの櫓です。完成は8年後の令和14年の予定です。
本丸御殿にも「昭君之間」の床の沈下、各広間の壁が剥がれ落ちるなどの被害があり入ることはできません。飯田丸5階櫓も石垣が一部崩落し「奇跡の一本石垣」と呼ばれていましたが、櫓は解体、石垣は復旧されておりました。重要文化財の長塀も80m程倒壊する被害がありましたが、復旧が完了しています。その他、櫓門等も被害を受け解体されております。熊本地震から8年経った今でも、愕然とするほどの被害状況が目の当たりにすることができ、地震の怖さを実感できます。

現在は、見学する箇所がかなり制限されていますが、特別見学通路が設置され、安全に見学することができます。また、大天守内も見学ができます。
トクさんが、「元気をもらいに熊本城へ」とありますが、少しづつ復旧が進み熊本城のパワーが感じられます(*^▽^*) 私も何があっても頑張るぞ!!という元気をいただくことが出来ました。

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トク

元気をもらいに熊本へGO! (2024/07/31 訪問)

あまりにも暑い日が続き、もう夏バテ気味だったので、ここは元気をもらおうと熊本城へ行ってきました。

まずは私の好きな加藤神社からのアングルです(写真①)。そしてそこから間近に見える「宇土櫓」です。素屋根がおしゃれになっていました(写真②)。中の様子はわかりませんが、この余裕から工事は順調に進んでいると思われます。そして、この工事中に新たな事実が! 宇土櫓下の石垣の高さは堀底から21mとされてきましたが、さらに堀底の下には土が堆積されていて実際は25mある事が新たに分かったそうです(写真③)。

奇跡の一本足「飯田丸五階櫓」は、石垣の積み直しも終わり、足場や重機も撤去されていました(写真④)。そして気になっていたビスのような金属は、やはり積み直した石垣の隙間にセメントが注入され、固まるまでの補強に使われているようです。最終的に撤去するのかどうかはわかりませんが、この後いよいよこの上に、解体保存されている櫓の建物を組み上げていく作業に入ると思うので、引き続き注目して行こうと思います。

そしてまた、くまモンスクエアへ寄ってきました。夏休みなので子供達がとても多かったです。でもこんな事くらいで・・・トクおじさんは負けません! たとえ火の中ガキの中、あえてその輪の中へ突入し、そしてハイタッチに成功! これで元気をもらいました~!(写真⑤⑥⑦)。

最後に、スクエア横の「味千」で熊本ラーメン食べて帰りました。こってりとした黒胡麻入りにんにく醤油とんこつでさらに元気をつけ、路面電車で熊本駅へ向かい帰りました(写真⑨⑩)。


ここでくまモンからの伝言を、お伝えします。

熊本城へお越しの際は
くまモンスクエアへもぜひ
「遊びにきてはいよ~!」
「待っとるけんね~!」

との事です (え!それ本当ですか😱?)
 

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たか

熱い思いについ感涙 (2024/07/17 訪問)

なかなか行けなかった熊本城へ行ってきました。
震災の傷跡は未だに残っており、それを多くの工事関係者が着実に復旧作業を続けていました。
わたしの会社関係にこの復興に携わっている方がいます。
その方の言葉が重く、いかに熊本城が象徴であるのかを教えてもらいました。
そうしてひとつひとつ見学していると込み上げてくる思いがあり思わず感涙してしまいました。

安全には留意してもらい、一刻も早く象徴の復旧をできるべく祈っております。
宇土櫓が現在見れなくなっており残念ではありましたが、いずれ公開された際には再度訪問したいと思います。

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概要

織豊系城郭の到達点ともいわれる、加藤清正が築いた名城。本丸に大天守と小天守を建て、各曲輪には5棟の五階櫓が並んでいた。大小天守は再建されたものだが、清正流と称された高石垣と櫓12棟はほぼ完全な姿で現存。なかでも三重五階の宇土櫓は「第3の天守」と呼ばれるほど立派。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 文明年間(1469〜1487)
築城者 出田秀信(千葉城)、鹿子木親員(隈本城)
主要城主 加藤氏、細川氏
文化財史跡区分 国重要文化財(櫓11棟、門1棟、塀1棟)、国特別史跡(熊本城跡)
近年の主な復元・整備 加藤清正
天守の現況・形態 連結式望楼型[3重6階地下1階/1600年築/焼失(火災)]、連結式望楼型[3重6階地下1階/1960年再/RC造外観復元]
主な関連施設 外観復元:大小天守、平櫓、馬具櫓、木造復元:西大手門、数奇屋丸二階広間、南大手門、西出丸戌亥櫓、未申櫓、元太鼓櫓、飯田丸五階櫓、本丸御殿大広間、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓、門、塀、石垣、横堀
住所 熊本県熊本市中央区本丸、二の丸
問い合わせ先 熊本市教育委員会生涯学習部文化財課
問い合わせ先電話番号 096-328-2111