いわくらじょう

岩倉城

愛知県岩倉市


旧国名 : 尾張

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橋吉

織田伊勢守系の城 (2011/05/27 訪問)

岩倉城は、1479(文明11)年、織田敏広によって築城されました 。
当時の尾張は対立する2つの織田家によって分割して統治されていました。
敏広は北部を治める織田伊勢守系の当主です。

もう一方は、清洲城を居城し南部を治めていた織田大和守系でした。
こちらでは織田信秀が死去、信長が家督を継いだものの評判が悪く、弟の信勝を推挙する動きが発生します。
内部分裂と判断した伊勢守系は信勝を支援しますが、逆に信長に攻められてしまいます。

こうして1558(永禄元)年の浮野合戦で伊勢守系は敗北、翌1559(永禄2)年、岩倉城は落城し伊勢守系織田氏は滅亡しました。

城址は市街化されてしまっており、記念碑が残されているのにすぎません。

岩倉駅東あたりには鍵形の道のあとが見られます。

近くの神明生田神社の境内には、山内一豊生誕記念碑がありました。
なお、一豊生誕に関しては、黒田城(一宮市木曽川町黒田)とする説もあります。

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昌官忠

東海北陸遠征 (2020/03/05 訪問)

城跡休憩所の駐車場(35.275687、136.877254)に駐車して攻城。
県道166号線の一角に碑と説明板があります。攻城時間は10分位でした。

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カズサン

近くのアピタに停めて初探訪 (2019/12/14 訪問)

 北尾張城廻り楽田城を終えて南西に約10km程の岩倉城に初登城、県道25号線上で駐車場が無く25号線沿いのアピタ駐車場を利用させて頂いた、其処より徒歩2、300m程東の県道25号線の南側に小公園的に石碑、案内板、庵が在る。
 石碑が在るだけでも感激しますが案内解説板も有り発掘の状況、想定図、道より一段高い敷地に施設されて居り地元の方々に大切にされてる事が分かります。
 信長より以前の織田宗家守護代の城で小口城、清洲城でも防御の堀としてる活用されてる五条川が東に200m程に在る、市街化された城跡の仕方なさか、石碑、案内板だけでも感謝感謝です、近くにアピタが有って良かった買い物にご協力を!

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カルビン

駅近物件ですが、遺構は無し (2015/06/08 訪問)

お城があると聞けば手あたり次第訪問していたこの頃。
丁度名古屋駅を拠点に周辺のお城巡りした際に岩倉城に訪問しました。

最寄りの岩倉駅(特急も止まるので便利)から歩いて10分もかからない場所に岩倉城はあります。。。と言ってもちょっとした高台の上に小さいお堂があるだけで、その周りに岩倉城碑・解説版・織田伊勢守城碑が並ぶだけ・・・の感じです。

お城見学と言うよりは、スタンプラリー的に城1ヶ所制覇した・・・くらいの感覚かも。。。


ここから北へ500m弱の場所にある白鬚大明神に、山内一豊誕生地碑があります。

大河ドラマ「功名が辻」も終わってちょっと時間経っていたので、見学客は皆無でしたが・・・

ちなみに山内一豊の父・盛豊は岩倉城城主の織田信安の家老で、信長に滅ぼされた訳ですが。。。
父の敵と信長に近づいた一豊は信長に惚れてしまい、家臣になってしまう訳でw

千代の他に側室を持たなかったとされる山内一豊、悪く言えば乱暴者で猪野武者だったものの、良く言えば一図だったんでしょうなぁ。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 織田敏広(織田信安?)
築城年 文明11年(1479)頃
主な城主 織田敏広、寛広、信安、信賢
廃城年 永禄2年(1559)
遺構
指定文化財 市史跡(岩倉城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県岩倉市下本町城跡124、121
問い合わせ先 岩倉市生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0587-38-5818