10月の佐賀県観光で訪れた、佐賀県唐津市の名護屋城。
壱岐島に最も近い九州本土のポイントである、東松浦半島最先端の波戸岬に繋がる海抜約90mの丘陵に築かれた城。
豊臣秀吉が大陸への出兵拠点として1591年に築城し、縄張は黒田官兵衛が担当。周囲一帯には全国から集結した武将が陣を構築。
1598年に秀吉が亡くなると全兵撤退となり、関ヶ原の戦いの後には建材が唐津城でリサイクルされた模様。更に一揆での再利用を防ぐため、江戸初期に石垣を破却したと考えられている。
現在は、その破城の姿を残す代表的な城跡で、農地や民家が建つ一部を省きほぼ全域を巡ることが可能。
堀秀治などの陣跡も整備され、博物館も併設する。
訪問時はまだ草に隠れた石垣も多かったが、遺跡感は期待通り。
大手口や東出丸、三ノ丸などの虎口は櫓台を備え、本丸や搦手の虎口は折れと坂を伴う枡形タイプ。特に本丸大手は厳かな雰囲気があり、5層の天守を持った城はただの陣城ではなく、大陸からの使者を圧倒するための道具であったと個人的には解釈。
他にも遊撃丸と二ノ丸西側の石塁や、折れを繰り返す山里口は見逃せないポイント。
堀秀治の陣跡はヤブ化していたが、陣跡でも石垣の枡形虎口を構えていたことに驚かされた、私の城郭巡りの212城目でした。
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