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todo94

長浜大河ドラマ館推参前の攻城② (2026/02/14 訪問)

肥田城からの転戦です。昌官忠さん同様、和田神社の鳥居脇に駐車させていただきましたが、3ナンバーのプリウスにはかなり厳しいスペースでした。三角点のある北山が城跡で案内表示も出ているので迷う事はないかと思います。南山方面にも足を伸ばしてみました。削平地、段郭のように見えなくもありませんでした。

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赤い城

早島陣屋と早島城 (2026/01/12 訪問)

江戸時代の旗本、戸川氏の陣屋です。
戸川氏はもとは宇喜多氏の家臣でしたが後に家康に預けられ、関ヶ原の戦いでは東軍で参戦しています。

駐車場もあり、近くに説明板があります。
ほとんど遺構は残りませんが駐車場そばに堀と石橋が残っています。
近くには戸川家記念館がありますが立ち寄らず背後の早島城を散策することに。
坂道を登ると公園があり、ここが城跡です。
遺構は残りませんが見晴らしが良く、城跡であることは実感できました。
城主の竹井将監は冠山城の戦いで加藤清正との一騎打ちで戦死したと言われています。

【見どころ】
 ・石橋と堀跡

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イオ

とことん名古屋城(本丸) (2025/07/13 訪問)

(続き)

湯殿書院を出ると、まずは先ほど素通りした本丸表門(南門)から。大手にあたる本丸表門は二之門(高麗門)と一之門(櫓門)により枡形を構成しており、二之門は現存しているものの、一之門は空襲により焼失し門柱の礎石が見られるくらいです。

本丸東門も表門と同じく一之門と二之門からなる枡形門でしたが、いずれも空襲により焼失し、一之門跡には門柱の礎石が遺り、二之門跡には二之丸東門の二之門が移築されています。枡形石垣の巨大な鏡石は清正石と呼ばれていますが、この石垣を築いたのは黒田長政であり、加藤清正は無関係のようです。旧二之丸東二之門を出た先の搦手馬出には工事中のため進めなかったので、本丸東辺の空堀を眺めて引き返し天守へ。

大天守は五重五階・地下一階の層塔型で、二重二階・地下一階の小天守と橋台でつながる連結式です。金鯱と銅瓦が目立ちますが、大天守に近づいていくと改めて「でっかいな〜」と実感。木造復元できるに越したことはないけど、いつまでも解決しないのなら現状に耐震補強でいいから中に入りたいな(最上階からの眺望が見たい)、とも。そして天守台の下から見上げると、大天守だけでなく小天守も充分に大きいことに気付きました。大天守がでか過ぎるので並ぶと大きく見えないんでしょうね。天守台の石垣石には矢穴や刻印だけでなく、空襲の影響と思しき焼け跡も見られます。

本丸御殿の上台所(の一部)を改装したミュージアムショップでお土産を買って、本丸御殿南庭の焼け跡から移植された御殿椿を眺めつつ、常に施錠されていたという不明門から本丸を出て御深井丸に向かいます(続く)。
 

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チェブ

河越夜戦跡の巻。 (2026/01/17 訪問)

「川越城」から少し北に『東明寺』があり、『河越夜戦跡』の石碑があります。
『河越夜戦』とは北条VS山内上杉氏・扇谷上杉氏・足利氏連合軍の戦いで、絶体絶命の北条家が奇襲により勝利した戦いです。
日本三大奇襲にも数えられてます。
日本三大奇襲は『厳島の戦い』『桶狭間の戦い』そして『河越夜戦』です。
地味ーーー。『河越夜戦』、知らない人の方が多い気がします。他の2つの戦いは教科書にも載っているのに。

とはいえ、時代が違えばお手本にしたい戦法で、時代が違えば卑怯な戦法なのかもしれません。

写真を写し退陣しようと車へ。
自宅に向かうようナビに入力すると、川越市の蔵通りを通させました。人人人人人人で大賑わい。小さい車は更に小さくなって、ユルユルと進みました。
帰って来て図書館で『河越夜戦』が登場する本を探していたら『足利兄弟』があり、こちらに変更。後ろの本の著者は大森兄弟。
とりあえず、2冊とも大河ドラマ『豊臣兄弟!』に対抗して借りてみました。

琵琶湖の水位が低くなり「坂本城」の幻の石垣が姿を見せました。
東京の端っこは奥多摩にあるダム湖に水を頼ってます。ドライブがてら見に行くと、47%と見たことのない水位になってました。
誰かの館跡とかあるかな?なんて思った自分を反省しました。

河越夜戦では、両上杉氏・足利連合軍の飲料水不足、周りの湿地帯やたくさんの川が勝敗を決めたという説もあります。
いつの時代も『水』は大切だと再確認した『河越夜戦跡』攻めでした。

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ぴーかる

宇土城 (2026/01/11 訪問)

【宇土城】
<駐車場他>宇土城(近世)駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>石垣
<感想>1泊2日お人吉旅3城目。現地説明板によると宇土城は1588年に肥後南半国の領主となった小西行長が翌年に築城を開始した城です。小西行長は関ヶ原で西軍についたため、合戦後は加藤清正の領地となります。1612年加藤清正の没後に幕府の命で城は破却されます。また島原の乱ののちにも城は徹底的に破却されました。現在残る石垣は加藤清正時代の石垣だそうです。
 現地は公園になっています。主郭は広くて小西・加藤時代も広い主郭を中心にした城郭だったことをうかがわせます。周囲は主郭壁面と堀跡に加藤時代と思われる面を平らにしたいい石垣が現存しており、僅かしか残っていないが十分に見応えあります。
 ここは行ってみたかった城跡で、熊本城の宇土櫓は現存天守を差し置いても私の一番好きな現存建造物です。地震でも耐え残ってよかった。地震前のお気に入りの写真を添付します。

<満足度>◆◆◇

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november

待ち時間あり!じっくりお城を眺めて過ごします (2026/02/14 訪問)

土曜日昼間に訪問しましたが、犬山駅で表示された待ち時間が20分、城入口では40分でした。天守閣の下でじっくり眺めながら楽しく待ちましょう。最古の国宝城ということもあり、階段は狭く、階上からはギシギシと軋む音が…。そんな所も含めて、犬山城の魅力だと思います。登城後は、国宝茶室如庵、神社、ミュージアム、からくり人形、街歩きを楽しみました。

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november

どの角度から見ても素敵な姫路城 (2026/01/10 訪問)

姫路城は2度目の訪問ですが、周辺も含めてゆっくりと散策したのは今回が初めてです。姫路城、好古園、美術館、歴史博物館、文芸館と回りましたが、姫路城はどの角度から見ても素敵でした。街も城を中心に賑わっているように感じ、観光客だけでなく、地元の方々も城を誇りに思っておられる様子が伝わってきました。

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影武者

本佐倉城 (2026/02/14 訪問)

本佐倉城攻め

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影武者

佐倉城 (2026/02/14 訪問)

佐倉城攻め

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にのまる

難攻不落のお蕎麦屋さんからスタート。千曲川まで下りてみた。 (2025/09/27 訪問)

毎年のように訪れている小諸城でずっと攻めあぐねていた信州蕎麦の「草笛」さん。
今回こそはと気合を入れて早めに出立し、開店40分前に着到。既に10人くらい並んでおられましたが、無事第1ターンで入店することができました🙌
当初の狙いはくるみ蕎麦でしたがメニューを見て蕎麦定食を注文しました。とってもおいしかったです!ごちそうさまでした😋

お腹いっぱいになったところで懐古園へ。
以前から、三の門だけでなく、北側(鹿嶋神社の方)からも入れるのでは⁉︎と気になっていたので確かめに行ってみました。すると、ありました!穴城を感じるアプローチに、天然の要害であったことがダイレクトに伝わってくる深い堀。感動しかないです🥹次からも多分こちらから入ると思います。(入園料は帰りに正面入口で支払います。)

水の手展望台で当時の不明門を想像。嗚呼絶景哉。
城内を散策していると、桜の馬場の案内板に「千曲川まで往復30分」とありました。千曲川が私を呼んでいる!もう、行かずにはいられません。ナマ足サンダルで蚊の襲撃に遭ったりもしましたが、途中に四阿もあり、“小諸城でこんな体験するとは思わなかった”なハイキングとなりました。
先ほど展望台から遠くに見下ろした千曲川。西浦ダムまで下り、振り返って見上げた山容に、お城って“部分”ではなくて“全体”なんだなぁと教えられた思いでした。

同じ道を戻って、ようやく見覚えのある天守台や石垣に出ました。
ひとまわりして最後に大手門へ。(この日は開館日でした。)
2時間半かけて城内を上ったり下ったりぐるぐるとまわった後だったので、展示資料の説明図が自分の足跡と重なってよく理解でき、それがとてもおもしろく、またうれしかったです。

小諸駅周辺は訪れるたびにどんどんすてきになっています。駅前のビルがなくなって、大手門がよく見えたのがびっくりでした。もう、“大手門見逃した!”なんてことは1,000パーセントないのではないかと思います。

充分に楽しんだところで、帰りは、“HIGH RAIL1375”で小淵沢へ。小海線、大好きです!

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todo94

長浜大河ドラマ館推参前の攻城① (2026/02/14 訪問)

2月1日に北近江長浜大河ドラマ館がオープンするということで2月の行き先は滋賀県に定めていました。衆議院議員選挙が入ってきてしまったため、バレンタインデー及びふんどしの日に訪れた次第です。選挙の日だったら極寒と降雪に見舞われていたところでした。

彦根のすき家で朝食をとった後、まだ薄暗く冷え込んでいた早朝に肥田城にたどり着くことができました。江戸初期の新田開墾で遺構は失われてしまったようですね。立派な城址碑と説明板があるだけでもありがたい限りです。

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イタさん

多胡館跡・新堀城跡(多比良城) 群馬県高崎市吉井町 (2026/02/12 訪問)

多胡館跡
 説明板には、木曽義仲の父・源義賢が居た館とある。義賢は武蔵国、大蔵館で甥に殺されているので、それ以前に移っていたらしい。現在でも館跡の北側と東南角に土塁と堀を見ることができると記されているが、跡地一帯は民家・竹藪になっており、北側の東三分の一位しか確認しなかった。

新堀城跡(多比良城)
 説明板に、上杉の本拠・平井城を本城とし、一郷山城と共に西の守りを固める一城別郭をなしていた、とあり、出城として機能したいたのか。主郭・北郭・南郭・東郭・帯郭・腰郭等がある、と書かれている。一帯は畑地、山林でよく分からない。標柱のある入口の北先は北に回り込む道が東郭との境だろうが、東一帯も畑になっている。位置的に南郭なのか、主郭との堀跡なのか分からないが、ソーラーパネルが設置され、大分改変されているようだ。余談だが南に普賢寺があり、駐車させてもらうが、住職の奥様が、何もないと言われた。またその辺りは地元では、たぬき山と呼び、実際に生息しており、お寺にも出没するとも言っておられた。

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イタさん

意外とこぢんまりとした城跡 (2026/02/12 訪問)

 奥平氏の発祥の地とあり、奥平を名乗ってから三河国へ移るまで200年間ほど居たらしい。北500メートルに奥平家発祥之地の石碑が建っているが、訪問はしていない。。
 城跡入口には標柱・説明板が立っている。北斜面はコンクリートで補強された城塁、東は一面畑地になっている。入口を登れば、右手が主郭の城塁、先で土塁の切れ目を思わせる所に出る。上がれば右手が主郭と言われるが、土塁などは見受けられない。左手は西へ続く台地になるが竹藪で覆われている。主郭との境は幾分低く、堀でもあったのだろうか。北端と南端に奥へ行く踏み跡があり、どちらも行ける場所までいくが、先は竹藪で断念。台地続きなので堀切でもと期待したのだが、行けた場所までには見当たらなかった。南端の途中斜面下に腰郭に見えた地形があったが、そう思い込んで見ていたのかも知れない。

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ダイエティシャン

ばけばけ 松江藩士の娘小泉セツの物語2️⃣ (2026/02/14 訪問)

松江城下の【カラコロ工房】では朝ドラ【ばけばけ】展開催中。撮影衣装、小道具の展示です。
【カラコロ工房】は元日本銀行松江支店のたてものです。【ばけばけ】展は地下の金庫跡で開催中。金庫の内装も楽しめると思います。

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ダイエティシャン

ばけばけ 松江藩士の娘、小泉セツの物語1️⃣ (2026/02/14 訪問)

朝ドラ【ばけばけ】の舞台である松江城周辺では、関連するイベントを開催中。
【松江歴史館】企画展示【ばけばけの世界と小泉セツと八雲の時代】松江大橋のセット、松江藩士らの明治時代の暮らしとはは生活が歴史資料や発掘物から知ることが出来、とても興味深かったです。
【小泉旧居】は小泉八雲夫婦が実際に住んでいた元武家屋敷。撮影、投稿許可が出たので載せます。(③~⑥)
塩見縄手(写真⑦)の由来の【塩見家】は小泉セツの実母の実家だそうです。

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ダイエティシャン

2月21日(土)米子城ダイヤモンド大山 (2026/02/14 訪問)

2月21日(土)6:40~米子城天守にてダイヤモンド大山観測会があるそうです。
詳細は、米子城等の公式HPにて。

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ダイエティシャン

米子城「鯛石」 (2026/02/14 訪問)

米子城天守台の石垣に、鯛に見える石垣(写真①)【鯛石】があるそうです。鯛に見えますでしょうか?パンフレットが三ノ丸番所(9時~17時)にあるので、確認して是非【鯛石】を探すのも楽しいかと思います。
升形虎口から登城。今日は残雪もあり、登城道はぬかるんで(②~④)いましたが、晴天で、本丸では中海や大山も臨めました。(⑤⑥)登り石垣もくっきり見えました。(⑦⑧)内膳丸も行きました。(⑨)

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トク

福岡城 梅まつり (2025/02/15 訪問)

福岡城の二ノ丸では梅まつりが行われていました。「紅・桃・白」三色の梅の花が咲き、訪れた人は梅の香を楽しんでいました。今年は、福岡市も平野部では一回も雪は降らず、冬も短かかったような、もう春が来たという感じです。

天守台に登ると、穴蔵にはブルーシートがかけられていました。結局発掘調査の結果はいったいどうなったのか? それともまだ引き続き行う予定なのか、発表がないのでよく分かりません。でも気になったのは、また天守台に登れるように階段が新たに架け替えられていたのですが、その土台がコンクリートで、それが天守礎石の所に埋められていた事です。国指定の史跡の場所に、こんな事をしていいのだろうか🤔? ふと疑問に思ってしまいました。
 

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犬返し、犬走り (2026/02/12 訪問)

 香川氏の城として知られています。標高382mの天霧山の山頂に本丸を設けて北側に曲輪が展開しています。弥谷寺から登城するのが一般的なコースですが、位置関係を考えると搦手側からの登城となります。弥谷寺から進んで行くと隠砦を経由して城址に行くことができます。多少石がゴロゴロしている場所もありますが、登城路は整備されていて概ね歩きやすく犬返しの険までは急坂もありません。犬返しの険と古井戸方面に向かう犬走りの分岐点があります。どちらの道も厳しい道で犬返しは犬も登るのに、はね返されるほど急坂でトラロープを頼りに上ることになります。犬走りは崖っぷちの細い道です。古井戸が見たかったので犬走りを選択しました。崖っぷちの細い道を進みますが、崩れているような所があり道がわかりにくい所もありましたが、幸いトラロープが張ってありそれを頼りに進みました。トラロープは新しかったので最近設置されたのでしょうか。助かりました。井戸には水が満たされていました。さらに崖っぷちの道を進むと空堀に出られますが、古井戸から上に上がれば三の丸付近に出られるようなので踏み跡を辿って上がっていきました。すぐに小さな曲輪に到達します。そこらは直登で三の丸下の曲輪に出ました。北東端の方形郭まで行き、引き返して本丸方面を散策しました。北東端の方形郭より東と北の尾根に曲輪が展開していたようですが、東側は採石により大きく削られて遺構もかなり破壊されたようです。北側の尾根は下りて行けそうでしたが、今回は時間の都合もあり行っていません。主な城域は雑草も少なく整備されています。石積みが少し残っていました。帰りは犬返しから下りました。弥谷寺の登城口に「天霧城の白米流し」の説明板がありました。弥谷寺の下の駐車近くに説明板がもうひとつあり天霧城のことが書かれています。
 四国では気になっていた山城でした。

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イタさん

長沼氏館跡・勅使河原氏館跡・金窪南城跡 埼玉県上里町 (2026/01/15 訪問)

1. 長沼氏館跡
 武蔵七党・丹党の安保氏三男が居住して、長浜氏を名乗ると言われる。興国寺の南西にある民家一帯が館跡らしい。道路脇に立派な館跡の碑が建っているが、畑・民家となり面影はない。民家の北側の畑地との境に、何回も曲がりながら水路が続く。水路が堀跡ではないかと、先人さん達の書き込みがある。

2. 勅使河原氏館跡
 勅使河原氏は武蔵七党・丹党一族と言われる。館跡はJR高崎線が神流川に架かる手前の南にあり、現在は大光寺の境内になっている。駐車場の前に大きな土塁がL字型に残っており、西数メートルは石垣風に補強されている。隅まで観たわけではないが、遺構らしいものは土塁だけらしい。

3. 金窪南城跡
 諸先人さんの記載を簡略にすると、築城は1420年代に大畠氏が築城、城主は北にある金窪城と重複する名が多いが、畑氏・斉藤氏など。跡地には陽雲寺が建っている。神流川の戦い(1582年)で灰燼にかす。陽雲寺は1591年に武田信玄の甥・川窪信俊が義母の信玄夫人と入り、没後夫人の陽雲院から陽雲寺と改称したとある。前の寺名が崇栄寺、その前が満願寺とあり、満願寺は違う場所で、出水のため移ったらしいが、詳細は分からない。境内の東から北に掛けて、低いが土塁・浅い幅広な堀が確認出来る。北には50m以上の土塁が観られ、わずかだが堀の一部と思えるものもある。

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