※大刀洗平和記念館「震電」編
筑前犬鳴別館を終えて九州道経由大分道築後小郡ICを降りて国道500号線大分方向約3.3km道沿いに大刀洗平和記念館が有ります。先に筑前町立大刀洗平和記念館へ入場して、大東亜戦争末期の試作機「震電」にご対面、映画シンゴジラにて脚光を浴びた実物大模型だそうです、初見で大きい!胴体が太い!と感じました高度1万mまで飛び上がって数分でB29と対峙する海軍局地戦闘機震電ですから、さも強力なエンジンを搭載していたのでしょう!、実際は大東亜戦争末期までに試作機3機造り、試乗テスト中に終戦を迎えてそうです。
今回の10日間城廻主目的でも有りました、見たい訪ねたいと思っていましたので願いが叶いました。
筑前町立大刀洗平和記念館住所:福岡県朝倉郡筑前町高田2561-1、入館時間9時~17時、入館料600円
※赤司城編
震電とお別れして近くの探訪城跡として、南に約6km程の築後の名城「赤司城」(アカジジョウ)を選び訪ねました、城びと会員福岡のトクさんと同じ選択でしょうか?
ひたすら田園の中を走り県道740号線に赤司城跡・赤司八幡宮200mの標識が有り狭い交差点を西に折れて川を渡れば赤司八幡宮へ、駐車場は南の納骨堂前に在りますが、交通量も少なく八幡宮の南前が道幅広く幅寄せして路駐しました。
八幡宮に上がり資料案内板を探す、西側の第二鳥居近くに赤司城跡・赤司八幡宮の解説盤と赤司の歴史案内板が有りました。解説盤の赤司城跡には概略縄張図が有り、寺院風の建物納骨堂辺りが本丸の様です(グーグルマップの史跡マークは納骨堂の東)、その西が二の丸、道筋は堀跡の様です、寺院風納骨堂から畦道、狭い集落道を西に100m程進むと、築後赤司城のメイン写真である「史跡赤司城址」の石碑が曲輪跡微高地の脇に立っています、周囲は微高地土塁の残りの様です、現在は畑に成って居ます。
八幡宮も微高地に立って立っており城郭の一部なのでしょう東側に低い土塁上の高まるが走っています、東の川の名前は判りませんが築後川に注ぎ支流で東から南に流れて外堀の様です。
歴史は、鎌倉時代にさかのぼり、川や堀をめぐらせた平城で赤司氏によって築かれたと伝わる。
戦国時代には、大友氏、赤司氏、筑紫氏、秋月氏などの豪族により、戦国の拠点として争奪がくりかえされた。特に大友氏築後進出に伴い立花道雪などの重臣を城主して統治させた。
慶長6年(1601年)田中吉政が築後領主となり弟清政を赤司城主にした。清政は赤司八幡宮の社地に城を修復整備しました。元和7年(1621年)有馬豊氏が久留米藩主に成ると、一国一城令により廃城になっていた赤司城の石垣を久留米城の修築のために使用された。(赤司八幡宮設置の解説盤に依る)
参考資料:城郭放浪記さん城びと投稿者グーグルマップに依る。
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