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トク

【大友宗麟】(5)立花城(博多湾を望む絶景の山城) (2026/01/06 訪問)

大友宗麟、門司城からの続き(5)です。

大友と毛利の決戦の話をする前に、その争奪戦となった、私の憧れの道雪・宗茂様の居城「立花城」へ行って来ました。立花城は立花山の山頂にありました。今回はその登山の様子から先にお伝えします。

JR福工大前駅よりコミュニティバスに乗り、立花小学校前で下車しました(写真⑩)。そこから県道に沿って10分程歩き、「梅岳寺」から右折し坂を登ります。歩いている途中の六所神社にきれいな公衆トイレがありました(その先山頂までトイレはありません)。

梅岳寺には立花道雪の墓があります(写真②③)。まず道雪様に手を合わせ、登山の無事を祈ります。ふと見上げると、立花山の頂上がここから見えました(写真①)。いよいよ目標が見えて気合が入ります😠。

舗装された心臓破りの急斜面を登る事10分、パンフレットの置いてある場所に着きました(写真④)。ここから先は自然遊歩道になります。立花山の標高は367mですが、登山道はほとんどがとても急な坂で、いちおう整備はされていますが、岩場や滑りやすい場所も多く、60過ぎのおじさんにはかなり堪えました。しかし地元の人の足は軽やかで早いです(😱~!)。延べ10人くらいの人に追い越されました(笑)。雨上がりの日は特に滑ると思うので、十分注意して登って下さい。

途中から滝ルート(ややゆる傾斜)と石垣ルート(急傾斜)に分かれますが、城びとの私は迷わず(気合を入れて!😠)石垣ルートを選びました。確かに三の曲輪・二の曲輪・本曲輪と思われるような段々の場所に、三つの石垣と曲輪がとてもよく残っています(写真⑥⑦)。このあたりの石は自然に割れている岩が多いので、自然に割れた石を野面積で積み上げたものと推測します。おそらく立花道雪か宗茂の頃に積まれたものではないでしょうか。石垣の上は平たんな曲輪になっているので、ここに兵が待機する何らかの建物があったと想像します。また石垣の横は深い切岸や竪堀になっていて、攻め手の気持ちで登ると、確かにこれを攻め落とすのは、容易ではないと感じました。立花宗茂が島津軍1万5千の猛攻にも耐え抜く事が出来た理由がよく解りました。

そしてやっと山頂本丸(標高367m)に到着です! バスを降りてから山頂まで、私の足で1時間30分かかりました(みなさんの足なら1時間くらいかな?)。でもとてもすばらしい、感動の眺めです! 疲れも吹っ飛び、がんばって登った甲斐があったと感じる瞬間です! 西は福岡市内と眼下には博多湾と名島城、北は志賀島と能古島、東は宗像まで見えました(写真⑧)。「立花山を制する者は博多を制す! 博多を制する者は九州の富をも制す!」 という言葉がありますが、まさにその意味が分かるような気がしました。ここで雄大な景色を眺めながら「おにぎりタイム!」😊。山城の楽しみはコレですよね! 山頂で40分過ごし、下りはバス停まで50分、全行程3時間の登山でした。

次は麓の名島城から、この立花城の争奪戦(多々良川の戦い)の話に続きます。
 

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BUGTI

海賊伝承の城 (2026/03/15 訪問)

詳細なことがわからない城ですが、海を見下ろせる山の上に複数の郭と帯曲輪を持っており、小さいがしっかりした造りの城という感想です。麓には海賊屋敷と呼ばれている石積の屋敷跡もあり、海を見下ろすには絶好の場所にあることからも、海賊か阿波の三好衆の関連性は高いのでは。登城路は舗装されているが結構急な道で、大回りした道を進んで登ったところで堀切に達します。よく見ると岩盤を削って作られています。城址は帯曲輪の周りの石垣がよく残っていて、かつては全周を石垣で覆っていたと思わせる小石が散らばっていました。帯曲輪北の堀切の土塁が特に高く、主郭の周囲にも僅かな土塁の痕跡が残っている。城としての規模は小さいのに石垣・土塁・堀切と山城の要素が詰まっていて気に入りました。

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岸和田城

🌸御城印 (2026/03/25 訪問)

🌸開花はもうすぐ・・・

春の岸和田城を記念した御城印を、3月25日より観光交流センターにて発売します。
限定300枚。

ご訪問いただいた記念として、ぜひお求めください。
数量限定のため、なくなり次第終了となります。

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本陣宿 今庄 (2026/03/15 訪問)

 麓にも雪が残る中を登城してまいりました。敦賀方面から越前への玄関口にあたるだけあって、燧城および今庄は、源平合戦、南北朝 新田義貞、織田信長と長い歴史があります。遺構は、峻険な地形に加えて、石垣を多用し、升形、横堀も備えた、堅固な造りでした。
 脇本陣が無料開放されており、下山後、立ち寄りました。ボランティアのおじさんが丁寧に説明してくれました。今庄は、本陣、脇本陣がある、街道沿いのにぎわった町で、険しい木の芽峠を超えて敦賀に出る前に、今庄で一泊するのが通常であったのですと。また、かつては、今城と書いていたのを今庄にしたとのこと。そして、江戸初期には、町内の街道の端の方に、クランクになった桝形が作られ、実際に、城砦的な役割を持たしたと。脇本陣には、12月の雪中を行進してきた水戸天狗党が遅れてきた隊員を収容するため二日間宿泊したそうで、その際の刀傷が残っていました。江戸期のうだつが上がる街並みが残り、素敵なところでもありました。

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イオ

城郭遺構と思いたい (2025/09/13 訪問)

戦国期に細川高国の命により瓦林正頼が築いた城で、山麓の芦屋城と山上の鷹尾山城からなり、芦屋河原の合戦では赤松義村の攻撃により落城。船岡山合戦の敗報を受けて赤松義村が兵を退くと、瓦林正頼は越水城を新たに築き、鷹尾城には鈴木与次郎を置いて越水城の支城としました。その後、越水城とともに廃城となったようです。

阪急・芦屋川駅から登城開始。高座の滝道をたどって、城山(鷹尾城跡)の説明板のある分岐を城山側へ進んだ先に登城口があります。駐車場はありませんが、登城口脇に2台ほど駐められそうです。東六甲のあたりは徳川期大坂城の石垣の石切場だったようで、登城道沿いにも矢穴のある残念石がいくつか見られました。登城口から約10分で中腹の展望所、さらに10分ほど登ると主郭にたどり着きます。

主郭にはTV中継所が建てられるなど改変されていますが、ベンチからは神戸側を見渡すことができます。主郭から北に続く尾根筋からは東側に三条の竪堀を落とし、土橋も見られます。土橋の石積は後世の土留めでしょうか? 主郭より高い位置にある北郭には送電鉄塔が建てられていますが、草木が生い茂っていて郭の形状はよくわかりませんでした。北郭で引き返して今度は尾根筋の西側に入ると、尾根沿いに二条の横堀が走っています。二重横堀の西側斜面には帯曲輪らしき平坦地も見られました。

尾根沿いに二重横堀を設けるというのも不自然に思えますし、戦時中には高射砲観測塔の塹壕が掘られたそうですが、これはこれでなかなか見応えがあるので、とある煩悩の登城目録さんに倣って私も城郭遺構だと思うことにします。
 

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T-Shionoya

謎の虎口構造が想像力を膨らませる久々利城 (2025/12/07 訪問)

先週投稿した今城に続き昨年12月に訪れた岐阜県可児市の久々利城。
以前から技巧的と聞いており、11月の「山城に行こう!」でも下見を行った城。

可児盆地南の丘陵地帯東部、久々利川が流れる谷底平野の最奥部において、南西へ伸びる2本の丘を城郭とした城で、その最上部までの比高は約70m。
麓を通る五斗蒔街道は、可児盆地と陶器の生産地である土岐盆地を繋ぐ道。

土岐氏の一族である久々利氏代々の拠点で、築城年代は不明。
1583年に森長可の手により落城し、江戸期は麓に千村氏の陣屋が構えられたとのこと。

現在は、整備された土の城跡で、麓には郷土歴史館が建つ。

東側の丘の先端から入城し最初の空間に辿り着くと、現れるのが3つの土塁。各土塁の間が虎口のように見えるが、縄張図によると向かって右以外は奥で塞がれている謎の構造。勝手な想像ではあるが、その塞がれた箇所にも偽の門を設け、攻め手に破壊されても侵入できないトラップだったならおもしろい。
その後も枡形とクランク状の通路が連続し、三の丸からは横矢が掛かる二重三重の防御網。
山側では複数の堀切が見どころとなる、私の城郭巡りの219城目でした。

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べっち

松代城 (2026/01/12 訪問)

松代城

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べっち

上田城 (2026/01/12 訪問)

真田石

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べっち

三の門 (2026/01/12 訪問)

三の門

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べっち

太鼓櫓 (2026/01/11 訪問)

太鼓櫓

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べっち

大手門 (2026/01/11 訪問)

大手門

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べっち

障子堀 (2026/01/10 訪問)

障子堀

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べっち

天守 (2026/01/10 訪問)

天守

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べっち

天守 (2026/02/14 訪問)

天守

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べっち

備中櫓 (2026/02/14 訪問)

備中櫓

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べっち

坤櫓、巽櫓 (2026/02/12 訪問)

坤櫓、巽櫓

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べっち

大天守 (2026/02/12 訪問)

大天守

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べっち

追手門 (2026/03/15 訪問)

追手門

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ぴーかる

南紀随一の高低差のある遺構 (2026/01/25 訪問)

【八幡山城】
<駐車場他>八幡神社駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>横堀・堀切・切岸
<感想>1泊2日紀伊半島1周、山城攻略旅8城目。現地説明板によると八幡山城は南にある安宅氏居館の詰めの城であり、根小屋式山城であるとあります。
 城跡は主郭を中心に半円状の形をしていて、東側半分は崖になっています。主郭の南北の腰曲輪から深い堀切を幾重にも配しています。主郭の西側は南北に弓状の広い二郭があります。二郭の曲輪壁は鉢巻き石垣だったようで、二郭の土居と虎口や二郭西側の長大な横堀に礫石が沢山落ちています。主郭は土塁囲みの広い曲輪で一部石列が残っています。城跡全部の遺構の横堀、堀切の凸凹と切岸の高低差が凄くて圧巻です。国指定史跡だけあって、ここは凄い!マイベストに入る、百・続百名城に負けていない城跡でかなり見応えありました。和歌山県制覇していないけど、№1かと。

<満足度>◆◆◆

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つね

諏訪郭周辺(諏訪神社) (2026/03/14 訪問)

本丸の郷土博物館の道を挟んだ北側には、諏訪郭跡の諏訪神社があります。東・北・西側外周に土塁が残ります。

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