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チェブ

城びと未登録のお城攻め「斎藤氏館実盛塚」。 (2026/02/21 訪問)

埼玉県の熊谷市に小さく「斎藤氏館実盛塚」はありました。福川沿いの土手と住宅の畑の一角にあります。
車はUターン出来る位のスペースがありましたので、駐車し写真を写し退陣しました。

私は斎藤 実盛さんを存じ上げてなかったのですが、以外なところで出会います。
写真⑤の本の中に登場します。
この日のお城攻めのテーマが、この前まで読んでいた『足利兄弟』で活躍した新田 義貞さん縁の地巡り。
そして、図書館で『足利兄弟』を返却し、次に借りたのが『採薬使 佐平次』。
江戸時代、徳川 吉宗さんの頃のお話です。採薬使とは諸国を旅して薬草を採取、研究した方。
そして、文中に『実盛蟲』という不名誉な名前で登場しました。
西国では浮塵子(稲の害虫)を『実盛蟲』というんだとか。
源平合戦時、田圃で討死し稲を食い荒らす蟲に化身した、と、、、。
もう、斎藤 実盛さんがバッタにしか思えなくなりそうです。

実盛さんを改めて調べると、大蔵館の戦いで駒王丸(後の木曽 義仲さん)を保護し木曽に送り届けました。
月日が経ち篠原の戦いで、木曽 義仲さんに討たれました。

昨今の異常気象で、令和の米騒動と騒ぎましたが、誰のせいにもしたくないと思った「斎藤氏館実盛塚」攻めでした。

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todo94

長崎県離島の攻城 (2026/02/22 訪問)

陣笠城からの転戦です。朝田辰兵衛さんご推察の通り、肥前大島城の攻城目的で、平戸港を8:25に出港するフェリーで的山大島に渡りました。片道の運賃は660円です。的山(あづち)港から神浦(かんのうら)へはフェリー到着に合わせてマイクロバスが出ています。何の表示もない黒いワンボックスカーでしたが緑ナンバーが目印です。運賃は100円です。歩いてアプローチする予定だったのでだいぶ時間に余裕ができました。重要伝統的建造物群保存地区の神浦の街並みを楽しむことができてラッキーでした。肝心の城は、城山公園として整備されていて頂上に展望台が設けられています。石積は遺構なのですね。一応、写真は撮っておきました。11:20発のフェリーで平戸に戻りましたが、時間に余裕があったので、本土と橋でつながった最西端の地・戸屋久と最西端のみなとまち・宮ノ浦まで足を伸ばしてしまいました。平戸島の大きさ、奥深さをいやというほど味わう事になりました。

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ぴーかる

後山城 (2026/01/24 訪問)

【後山城】
<駐車場他>小山公民館に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>石積み
<感想>1泊2日紀伊半島1周、山城攻略旅2城目。現地説明板によると後山城は13~14世紀頃この地方の一名家である木本盛房が築いたのがはじまりで、のちに豊浦左衛門が屋敷を構えたといわれています。
 城跡は麓屋敷跡で山に入るとすぐに遺構があります。山からの小川に沿って、巨石が沢山あるのでその巨石を積んで石垣が残っています。城跡範囲はそんなに広くなく、防御の遺構も見当たらなかったので、麓居館跡といった感じでした。水門跡見落としました。東側隣の小川焼窯跡の空き地が有料500円もとる駐車場になっていたので、よそ者の駐車に文句言われてトラブルになるのも嫌なので早々に撤収しました。

<満足度>◆◆◇

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天守の風景に誘われて (2026/02/28 訪問)

 今年2回目の登城です。登城予定はなかったのですが、近くまで来て犬山城の天守を遠くから見ていたら、今回も引き寄せられるように登城しました。ヒロケンさんの投稿に2026年3月から拝観料が値上がりすると書いてあったことを思い出し、値上げ前に登城できてよかったと思いました。好きな城なのでもちろん値上げ後も登城するつもりでいます。土曜日はやはり混んでいましたね。

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ヒロケン

未完の城 (2026/01/10 訪問)

伊賀上野城築城当初は、筒井定次公が大阪城を守るための城を築きましたが、関ケ原の合戦後は藤堂高虎公が入城し、大阪包囲網の一つの城として改修しています。ですが未完の状態で大阪の陣を迎え豊臣氏は滅亡。一国一城令後も幕府より伊賀国として城の存続は認められたが、豊臣氏の脅威がなくなった後では、堅固な構えの城は不要となってしまい、江戸期の本丸には建物は一切建てられなかった。
藤堂高虎公は津城を本城とし、伊賀上野城を支城として藤堂氏の一族が城代として明治時代まで支配することになります。城代屋敷は筒井古城の敷地を利用して石垣を築き、御殿建築の屋敷が建てられていたとの事です。

伊賀上野城には5年ぶりの訪問で、大和郡山城、豊田山城攻略後に立ち寄りました。本丸西面の高石垣を南から北への画像を撮りたく参上したしだいです。水堀に映る高石垣を撮っていなかったので機会を窺っていました。

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鵜沼城 (2026/02/28 訪問)

 名鉄新鵜沼駅を出ると目の前にある標高95mの城山が城址です。岐阜県各務原市にある城びとには未登録の城址です。大河ドラマ「豊臣兄弟」で大沢次郎左衛門とこの城が登場していたので、近所に行ったついでに写真を撮ってきました。城びとに鵜沼城を投稿するのは2回目です。犬山城の周辺観光で投稿します。
 日本城郭大系によると「城山の南と東は木曽川の絶壁で、北も急峻である。西側だけがわずかにゆるい傾斜を持ち、山の西麓には土居と堀の一部が残っている」と記載があります。江戸時代には使われていなかったようですが、昭和初期に別荘が建てられたり、戦後は「城山荘」という旅館が営業していました。火災や老朽化で、平成十四年に解体撤去され、現在、城址は立入禁止となっています。
城域には入れませんが、かなり改変され今は遺構はないとの情報もあります。
城主は大沢次郎左衛門で、諸説ありますが『太閤記』には、織田信長による美濃攻略の折、木下藤吉郎秀吉が鵜沼城主・大沢次郎左衛門を調略したことが記載されています。大沢次郎左衛門は鵜沼の虎と呼ばれ身長2m20cm、34人力の怪力無双の勇士と伝わっています。
 この鵜沼城の攻略やその後の大沢次郎左衛門とその一族の行く末などは諸説あり興味深いところです。
犬山城天守からは鵜沼城を見ることができます。

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山名瀬砦 (2026/02/28 訪問)

 愛知県江南市にある砦跡です。城びとには未登録の砦跡です。前野屋敷へ行ったときに近くにあり立ち寄りました。遺構はないと思われますが、石碑がありました。石碑には「天正一二年(1584)小牧長久手戦留守居役前野喜左衛門手兵を以て西軍秀吉方に対し五丁掘砦と共に守る」とあります。織田信雄、徳川家康方の砦であったようです。

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前野屋敷とその周辺 (2026/02/28 訪問)

 愛知県江南市にある前野屋敷跡へ行き、その周辺を散策してきました。城びとには未登録の館跡です。
豊臣秀吉に仕え、蜂須賀小六とともに活躍した前野将右衛門長康をはじめとする前野氏一族の屋敷跡です。江戸時代には庄屋となり現在もその家系は続いています。伊勢湾台風で破損した蔵内を整理していた時に一族の武功を語る「武功夜話」が発見されました。史料的価値等については問題を指摘される「武功夜話」ですが、これを基にした遠藤周作の小説「男の一生」を昔読み前野将右衛門長康という人物を初めて知りました。蜂須賀小六とともに織田信長、豊臣秀吉に仕え但馬出石11万石の大名となるまで出世しますが、豊臣秀次事件に連座して自害しています。マイナーなイメージのある武将ですが、豊臣秀吉の天下統一にはそれなりに活躍した人だと思います。
 周辺には前野氏関連の史跡があり散策してきました。前野氏の菩提寺である観音寺近くに「蜂須賀屋敷跡1100m」の標識があります。蜂須賀氏とはご近所で親しい関係だったのでしょうね。
前野屋敷へ行こうと思ったのは、大河ドラマ「豊臣兄弟」を見ていたときに前野長康が登場していたことがきっかけです。前野長康の屋敷跡には行ったことがなかったので、ふらりと行ってきました。

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朝田 辰兵衛

移築大手門倒壊…❢ (2026/02/28 訪問)

約2週間前に情報をキャッチしていましたが,雪の降りが凄かったのと,北関東遠征により,本日になりました。
今シーズンの雪は水分量が多く,サラサラではありませんでした。その影響により,与板城移築大手門が倒壊。現在はブルーシートがかけられています。場所は,直江兼続像の近く。「兼続お船ミュージアム」の入口ワキです。
与板はようやく住宅街の雪解けが終わったかな…という状況で,とても与板城へは踏み込めないカンジでした。なので,恩行寺にある移築切手門と,与板陣屋を確認して終了しました。

todo94さん,予告段階ではありますが,的山大島行かれたんですね…。当然のことながら,肥前大島城攻城目的と推察いたします。長崎県未投稿城のひとつ。私は5月の5連休で行く計画をしていましたが,雨男ゆえフェリー欠航だと的山大島に渡れないという不安を抱えていました。todo94さんは心強いです。
ま,私の計画はそのままにしておきます。佐世保城のリベンジもありますので。ここも,todo94さんのレポートを参考にさせていただきますm(__)m

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アネ

田沢湖畔 (2022/04/19 訪問)

やっちゃいました。稲庭うどんと生もろこしソフトクリームの写真撮り忘れました。

某2時間ドラマにも登場した貸切露天風呂のある「かたくりの花」に宿泊しました。
お風呂からは湖が見えます。
夕食はボリュームありすぎて困るほど。
朝食も地のものたっぷり。
お昼は町のレトロ喫茶でナポリタンセット。
〆は空港でお蕎麦と山菜天ぷらでした。

なお、秋田は「犬の国」なので、城猫には会えませんでした。

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送りバント

20190413日隈城(大分県日田市) (2019/04/13 訪問)

北麓の亀山(きざん)公園駐車場を利用。水郷・日田の城址らしく、小高い城山の東南二方向を三隈川に守られている。見どころの大手門跡の枡形虎口は見事

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送りバント

20250921府内城(大分県大分市) (2025/09/21 訪問)

マチナカにある大分城址公園に、内堀や現存櫓、天守台や本丸櫓台の石垣などの見どころが多く残る。案内板も充実しているので、それを確認しながらのんびり一回りした

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アネ

枝垂れ桜満開 (2022/04/18 訪問)

前日は蕾だった街なかの枝垂れ桜が、一夜にして満開になってびっくりしました。
(ソメイヨシノは寒い川沿いに植わっているため、咲くのは枝垂れ桜よりも後のようです)
田沢湖畔に取った宿での食事と街での食事は例によって別項立てます。
新潮文庫の記念館兼図書館は必見(JAFの割引あり)パンダのyondaが待ってます。
西木町の「かたくりの丘」や「刺巻湿原」の水芭蕉や座禅草もぜひ。
ただし、熊鈴をお忘れなく。

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張明

なかなかの名城 (2026/02/24 訪問)

たまたま仕事で群馬県に来て、時間が空いたので、せっかくなので長年行くに行けなかった箕輪城に行ってきました。
縄張りといい、堀といい、復元された門といい、戦国のお城🏯を楽しませてもらいました。

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送りバント

20050405小諸城(長野県小諸市) (2005/04/05 訪問)

エキチカ城址なので、乗り換え時間を利用して訪問。現存門や石垣を堪能

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todo94

長崎県離島の攻城前の攻城【城びと未登録】陣笠城(長崎県平戸市) (2026/02/22 訪問)

平戸での宿泊地の近くにあった城です。朝食をいただいてチェックアウトした後、的山大島(あづちおおしま)にわたる前に立ち寄ってみました。駐車場も備えている城山公園として整備されていると言いたいところですが、あまり整備の手が入っているようではなく、訪れる人もあまりいないように感じました。展望台や貯水施設のある主郭をとりかこむ林の中には石塁が潜んでいました。

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ぴーかる

長島城 (2026/01/24 訪問)

【長島城】
<駐車場他>長島神社駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>竪堀・切岸
<感想>1泊2日紀伊半島1周、山城攻略旅1城目。現地説明板によると長島城は南北朝時代の1384年に北畠氏の家臣の加藤氏によって築かれました。加藤氏は織田信長の3男信雄に熊野新宮方面の攻撃を命じられますが、熊野勢の反撃によって、逆に城が包囲され落城しました。
 長島神社に駐車場があるので気兼ねなく駐車できるのでそこに駐車して登城しました。長島公園から長楽寺へも繋がっているのでどこから登っても城跡に行けます。遊歩道の丸太階段が設けられているので、非常に登りやすいです。中腹より上にシダゾーンがありますが、冬場で落ち着いているのかそんなに鬱蒼としていません。階段を探りながら十分に登れます(直登に慣れ基準かもです)。
 城跡は単郭で、ほぼ主郭のみがあります。主郭は南北に2段構造になっていて、東西に堀切を設けて竪堀で落ちています。南西側に帯曲輪があり、東側は堀切1重のあと尾根道になっていますが、以東に堀切はありません。主郭の北側斜面に畝状竪堀が3条ほどあって、ちょっと荒れていますが見応えがあります。また主郭の東側斜面に穴があり、埋められていましたが横穴井戸にも見えました。
 久しぶりに麓からの山城登山でしたので、途中息が切れました。運動不足(; ;)、あと猿出ます。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

屋台はまだでした… (2026/02/27 訪問)

ちゃんみな氏が,「美味しすぎて,6本は食べた」という,「ぽっぽ焼き屋台」がそろそろ出ているかな…と思い,仕事帰りに新潟城へ。
まだ屋台は出ていませんでした…<泣>。
常に本町6番町のアーケード内には出ていますが,咥えたばこで調理しているのをちょくちょく見かけるので,スルーしています。誰に聞いても「ぽっぽ焼きは白山神社だね」という回答です。
屋台が出たころ,ぽっぽ焼きをレポートしたいと思います。4月に入ってからかな…?

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トク

菊池一族 栄枯盛衰の地 (2026/02/21 訪問)

鞠智城からの転戦です。一寸榎のバス停から菊池温泉行のバスに乗り10分、菊池温泉市民広場で下車しました。広場には「菊池武光」の像がドンとあります。彼は地元のヒーローのようです。そして像の背後に見える山が「隈府城」です。菊池氏の時代は「守山城(菊池本城)」と呼ばれていたようです。

菊池氏は元寇でも活躍した事が蒙古襲来絵詞にも残る、鎌倉時代から300年続き室町時代には肥後国守護も務めた名門でした。最も有名になったのは南北朝時代の菊池武光です。武光は九州に逃れてきた南朝方の懐良親王(後醍醐天皇の子)を助けるため、北朝方である大宰府の小弐氏を筑後川の戦いで破り勝利します。その時に血のついた刀を洗ったとされる場所が「太刀洗」という地名で今でも残っています(陸軍航空隊があった場所です)。

菊池氏は戦国時代まで続きますが、子がなく嫡流が途絶えると内乱が発生、これに乗じて侵攻してきた大友義鑑(宗麟の父)に乗っ取られ、菊池氏の家老だった赤星親家に与えられます。しかし大友宗麟が耳川の戦いで島津氏に敗れ衰退すると、同じく家老だった隈部親永が龍造寺氏と手を組み、城を奪い取ります。その後の秀吉の九州征伐では、親永は北上する島津氏と戦ったため、秀吉からは領地を安堵され、従来の守山城を改修し隈府城と改名しました。

九州征伐後は、佐々成正が肥後(隈本城)に入りますが、隈部親永は成正の検地に反発し一揆を起こします(肥後国衆一揆)。小早川秀包(久留米城主)黒田官兵衛(中津城主)らに鎮圧されますが、これにより隈部氏は滅亡し、隈府城は廃城となってしまいました。佐々成正も秀吉から許されず切腹となったようです。その後は肥後に入った加藤清正によって統治され、赤星氏はここで清正から家臣として取り立てられたとか。ちょっとややこしい話ですが、菊池にはこんな歴史があるようです。

菊池温泉市民広場のバス停前には足湯♨があり、熊本駅行のバスまで20分あったので、浸かりながらバスを待ちました。鞠智城から1日中歩き回って足が疲れたので、この温泉はとても効きました!😊。
 

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todo94

本土最西端を経て平戸島、生月島へ (2026/02/21 訪問)

今回の3連休の行き先は、長崎にしました。最大の目的は、本土最西端・神崎鼻の四極コインと証明書を手に入れることです。金曜の仕事を終え広島にて前泊。始発のさくらで博多にアクセスし、博多からは2枚きっぷで佐世保に向かいました。特急みどりの指定席は満席でしたが、自由席には余裕がありました。佐世保駅前でレンタカーを借り受け、本土最西端の神崎鼻を目指します。今回が2度目の神崎鼻ですが、かなりきれいな公園として整備されていてびっくりしました。まあ、本土4極の中では一番マイナーですものね。巨大な日本地図で4極を表示するなど、アピールに余念がありませんでした。余談ですが、最西端といいつつ、西方に陸地が見えています。平戸島だから本土ではないんですけれども、橋で本土とつながっている島ですからね。おさかな広場小佐々店にて無事、神崎鼻の四極コインと証明書を手に入れることができました。ついでに、昼食としてにぎりずしも購入いたしました。この後は、世界遺産の構成資産である安満岳にのぼり、中江ノ島を遠望し、生月島最北端の大バエ灯台まで足を伸ばしてから、一日の締めとして平戸御館を攻城した次第です。松浦史料博物館に入館するのは、2010年8月、大河ドラマ「龍馬伝」の年に、「幕末から明治維新「平戸密会」を成功せよ!~薩長同盟の立役者を捜せ~」に参加して以来、16年ぶりになるでしょうか。

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