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カズサン

鳥取城石垣-7/8 中ノ御門枡形石垣編 (2025/10/25 訪問)

 鳥取城中ノ御門は昨年4月末に渡櫓御門が完成し、擬宝珠橋、表門、枡形石垣積、枡形を取り囲む土塀、表門南北の続き土塀も順次完成し中ノ御門桝形が形作られました。幕末登城路の復元を目指してる鳥取城復元計画の第一期は残すところ三の丸、二の丸を守る登城門である太鼓御門渡櫓門の完成が待たれる処です。
 中ノ御門桝形は明治の初め三階櫓を始め建物群が取壊し売却されました、中ノ御門桝形石垣は枡形の北側と南側西部分のみ残されて通行を妨げてる東側、西表門南北の石垣は取り払われていました、擬宝珠橋はコンクリート橋と成り鳥西高校の正門でした。
 今回の復元で石垣も昔の姿に甦り、特に東側の枡形石垣は裏手に雁木石垣と成って枡形の特徴見所です。写真は前回投稿した中ノ御門作事部分に注目して投稿して居ますが、今回は石垣に注目し投稿、写真がダブって居ましたらご容赦ください。
 
 (続きます)
  

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イオ

とことん名古屋城(三之丸・巾下御門〜本町御門) (2025/07/13 訪問)

(続き)

重臣の屋敷や名古屋東照宮など寺社が建てられていた三之丸は、土塁と外堀で囲まれ城外に通じる5つの門が設けられていました。正門から少し西に進んで、巾下御門から外堀沿いに三之丸をめぐります。

巾下御門は三之丸から西に開いた枡形門で、枡形の形状は失われているものの石垣と土塁が遺っています。巾下門を出たところを流れる堀川は、名古屋城築城時の物資運搬のために福島正則により開削された運河で、外堀としての役割も果たしました。往時の堀川は巾下門のあたりで堀留となり、堀川堀留跡の碑が立てられています。堀川の西岸には藩校・明倫館の前身となる巾下学問所があり、跡地に説明板が立てられていたようですが、訪れた時は見当たりませんでした。

幅下橋を渡って三之丸に戻ると、堀川に沿って土塁が続いているのが見えます(時季的に草に覆われていましたが)。土塁を南にたどる…その前に名古屋能楽堂に寄り道。能楽堂の前庭には加藤清正像と名古屋城築城時に清正が採石したと伝わる篠島の矢穴石が展示されています。

堀川と土塁の間を南へ。高速道路の高架の手前から東に三之丸南外堀が続いています。南外堀西端のこの地がかつての名鉄瀬戸線堀川駅で、瀬戸で作られた陶磁器を堀底を走る電車から堀川の船に積み替える流通の結節点だったようです。ここから南外堀を東にたどり、愛知県図書館への橋で外堀を渡ったところに御園御門があります。枡形の形状は失われていますが、門の両側に石垣が遺っています。御園御門内は重臣の屋敷地だったようで、図書館敷地には大原幽学や横井也有出生地の説明板が立てられていました。横井也有は隠居前後にこの地から今朝訪れた城下町の屋敷に移ったようです。

御園御門から南外堀沿いに東に進んで行くと本町御門に至ります。本町御門は三之丸の大手門にあたり、枡形の石垣が一部遺っています。本町御門から南にのびる本町通は城下町の幹線道であり、今朝訪れた札の辻も本町通沿いに設けられています。

それにしても、三之丸の外堀は「お堀電車」と呼び親しまれた名鉄瀬戸線が通っていただけあって堀幅も深さもある見事なものですが、廃線になって以降、草木が綺麗に刈られているところもあれば茂り放題になっているところもあり、規模が大きいだけに綺麗に維持していくのも大変そうです…(続く)。
 

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todo94

北近江長浜大河ドラマ館推参後の攻城~連続講座「近江の城郭~北近江の戦国史2」その① (2026/02/14 訪問)

長浜で大河ドラマ館3館共通券を購入し、大河ドラマ館、大通寺拝観、そして昼食の後、米原駅の駐車場(24時間600円)に車を入れ、12:30米原発の普通列車で柏原駅へと向かいました。連続講座「近江の城郭~北近江の戦国史2」は、定員60名で、柏原駅から徒歩で出発です。因みに連続口座の1回目・朽木城は降雪のため中止になったとのこと。天候に恵まれてありがたい限りです。普段の自分の歩行ペースよりは遅めのスピードでしたが、イライラするほどゆっくりではなく、快適に長比城の西郭に到着しました。こじんまりとした郭ですが、きちっと土塁に囲まれており、見栄えの良い城だと感じました。

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たぬぬ

登城口 (2026/02/16 訪問)

天浜線敷地駅から、徒歩25分で登城口に至ります。

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カズサン

鳥取城石垣-6/8 二の丸裏御門と拡張郭編 (2025/10/25 訪問)

 二の丸の三階櫓台から北側、右膳の丸上部は幕末嘉永2年(1849年)に拡張されて北端には珍しく鳥取城での唯一の登り石垣で北を護っています。拡張二の丸の北西角に平櫓跡の礎石が残って居ます。しかし幕末に登り石垣を構える必要があったのかと思ってしまいます。
 裏御門は三階櫓台北に隣接した御門で礎石も残って居り櫓門だった規模なのでしょう、三階櫓台の下にL字型に腰曲輪石垣で構えて御門と三階櫓を護っています。

 (続きます)
 

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ぴーかる

八代城 (2026/01/11 訪問)

【続百名城83城目】
<駐車場他>八代城跡公園駐車場
<交通手段>車

<見所>大・小天守台石垣・虎口石垣
<感想>1泊2日お人吉旅ラスト5城目。先にお祭りでんでん館にてスタンプ押印と館内の見学⇒上記駐車場に駐車し反時計回りに内堀を回り、南側の橋から八代宮を参拝、城壁に登り上部散策⇒天守跡石垣に登り終了した。最後に市役所内の八代亜紀想い出ギャラリーを見学しました。遺構はほぼ本丸跡しか残っていない続百名城の平城によくある感じですが、最大の魅力は転落危険ですが、本丸石垣の上をほぼ1周歩ける事でした。櫓跡の礎石を探しながら散策して楽しかった。所々にある、くまもんもかわいい。
 これにてこの旅終了。1泊で長距離往復はあまり沢山のお城が巡れなかった旅でした。走行距離1693㎞無事走破。

<満足度>★★☆

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朝田 辰兵衛

2025年はここで〆となりました… (2025/12/23 訪問)

大量出血前日。越後帰還日でしたが,天気が良かったので「相模湾を眺望」目的でやってきました。JR網代駅から,徒歩約15分。トンネル手前の網代交差点より右折です。
碑は読みづらく,法面のゴツゴツした岩肌は当時のものなのか疑問に…。チェブさんの投稿にも気になったような画像が2枚ほどありました。

ふがいなく,ここが2025年の〆。2026年,遅ればせながら,2/21(土)より始動する予定です。エリアは北関東。漠然としておりスミマセン。調子によって何パターンかシミュレーションしているためです。天気はいいようですが,夜間の冷え込みはハンパないですねぇ…。みなさん,お身体にはくれぐれもご注意くださいませ。

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ダイエティシャン

境台場 (2026/02/18 訪問)

土塁に囲まれた公園です。市民の憩いの場所となっているようです。

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半布里コミッティ

にっぽん城まつり2026に出展します!

っぽん城まつり2026 に加治田城ブース出展します!(28日・1日両日共)

新たな御城印を2種類ご用意いたしました!
全貌は会場にて。
前回の可児市にて開催された山城に行こう!にて初お披露目しました
畳縁をつかった小物の新作も「ご協力金返礼品」としてお持ちします!

また、28日は日頃一緒に活動している関高等学校の地域研究部の生徒さんたちも
加治田城ブースを盛り上げてくれます!

当日はお城のスペシャリストによるお城話や武将隊による演武など
盛り沢山のイベントが予定されています。

開催日時 : 令和8年2月28日(土)・3月1日(日) 10:00~17:00

会場   : 名古屋市中小企業振興会館 吹上ホール

多くの方のご来場をお待ちしております。

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カズサン

鳥取城石垣-5/8 二の丸三階櫓台編 (2025/10/25 訪問)

 二の丸三階櫓台は二の丸拡張前は北西角に聳えて存在価値のある櫓台で、拡張後は二の丸の中央部やや北寄りに成っています、内濠外から眺めても仁風閣裏にひときわ目立って見ごたえの有る櫓台です。
 山上の丸に天守閣が聳えていましたが、三階天守閣、2階天守閣と改修され落雷焼失後は山上天守は無くなり、二の丸三階櫓が天守閣の代わりとして威厳を誇っていました、幕末明治期の古写真に姿が残って居ます。
 二の丸三階櫓台も昭和18年の鳥取大震災で崩落して昭和30~40年代に修復復元されて現在の奇麗な姿に甦りました、三階櫓台下の腰曲輪周りも同じく崩落して折り昭和の終り頃には修復復元しております、その下から三階櫓台を見上げると二段に聳える威厳ある天守台のようにも見えるものです。
 三階櫓も30年復元計画に在り第三期で後の10年に当たります、平成18年(2006年)策定されて、幕末の登城路復元で、擬宝珠橋、中ノ御門(枡形石垣、表門、渡櫓門、囲い土塀、続き土塀)が竣工しました、残り太鼓御門で第一期復元工事が終わりですが既に10年もの期間が延び延びになって居り、三階櫓復元迄には20年以上の時間が掛かりそうです。見ることは叶わないでしょう。

 (続きます)
  

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イオ

とことん名古屋城(二之丸外周) (2025/07/13 訪問)

(続き)

二之丸東門の一之門は失われ、二之門は本丸東門の二之門跡に移築されていますが、枡形の石垣が遺り雁木も見られます。東門を出て三之丸に続く土橋から見渡すと、二之丸東辺の空堀が南北に続いています。金シャチ横丁・宗春ゾーンに沿って空堀を眺めながら南に進み、南東隅で折れて西へ。二之丸南辺の石垣の折れが設けられた部分が二之丸太鼓櫓跡で、南西隅で北に折れたところに二之丸大手門があります。一之門は失われていますが二之門は現存し、枡形の石垣には巨大な鏡石も見られます。

金シャチ横丁・義直ゾーンの北側を西之丸南辺の空堀を眺めつつ西に進み、正門前に駐めていた自転車を回収。ここからは自転車で三之丸外堀をめぐります(続く)。

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todo94

北近江長浜大河ドラマ館推参前の攻城④ (2026/02/14 訪問)

目加田城からの転戦です。案内板に1時間30分~2時間の所要との記載がありましたが、自分の脚ならその半分で済むだろうと、長浜に赴く前の攻城に踏み切りました。獣除けフェンス内に入って、石仏群、経塚、狐塚とたどり、上臈落としまでの道は案内表示も出ていてまず迷うことはないでしょう。狐塚の手前には巨大な佐々木氏の家紋があり、名神高速からも望むことができます。上臈落しからの眺望はなかなかのものでした。来た道を戻って主郭へと向かいます。主郭の先、見張り台にはピンクテープがあったので、テープを辿ってどんどん進んでみました。かなりの急斜面を下っていくと獣除けフェンスに達してしまいました。途中でフェンスの外に出て、フェンス沿いに進み、出発地点に戻ることはできました。所要時間は45分ほどでしたが、肝心の石垣遺構を見逃してしまいました。既に9:30になっていたので、ここから長浜の大通寺、大河ドラマ館へと向かいました。佐々木道誉の墓も拝んでいないことですし、再訪を期したいと思います。

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赤い城

フェンス越しに (2026/01/15 訪問)

新横浜駅から徒歩で10分弱、この日の朝駆け3城目です。
正覚院の裏手が城址、周囲は住宅地となっています。
入口まで行く途中の道、斜面にピンクリボンが付いています。
藪でわかりにくいですが竪堀のようです。

城址は立入禁止で入れません。
フェンス越しに横堀と土塁を見学できる程度ですが遺構保存のためにはやむ無しですね。

この日は有給消化で相方と東京に来てました。
城はこれで切り上げ一旦ホテルへ戻りました。
お昼は久しぶりに人形町の玉ひでさんの親子丼を🐓
平日だったので入店もスムーズでした😊

【見どころ】
 ・フェンス越しに見る横堀の一部

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定点観測 (2026/02/06 訪問)

 斎宮城は遺構はなく、標柱、石碑があるだけです。城びと先人の投稿写真を見ていると、標柱脇にあった説明板が、2023年3月のしんちゃんさん訪問と、2024年6月のぴーかるさん訪問の間になくなっているのに気づきました。先人の写真によると、説明板には、「室町時代 斎宮の住人 野呂三郎がここに城砦を築き、勝手に徳政を敷き、狼藉を働いた。国司北畠材親(きちか)は之を討伐した」と書いてありました。どこか具合いが悪い表現があったのでしょうか。期せずして、定点観測になり、面白く思いました。
 斎宮歴史博物館をはじめ、斎宮関係の展示は、なかなか力が入っています。
 しんちゃんさんの消息を気にしています。

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カズサン

鳥取城石垣-4/8 二の丸表御門跡辺り編 (2025/10/25 訪問)

 二の丸表御門跡辺りの石垣は昭和の終り頃修復復原です、御門北側の石垣、御門南側の石垣、二の丸南端に続く多門櫓台、菱櫓台が修復復元されました、菱櫓台は二の丸南西角に在り、往時は二階の菱形櫓が建って睨みを効かせていた事でしょう。
 南側の菱櫓台、多門櫓台には登れる事が出来き、表御門の先まで行け上から覗き込む事が出来ます、当日は朝も早かったことで西方向に伯耆富士大山をうっすらと見る事が出来ました、写真投稿しますが分かるかどうか?の写真です。
 菱櫓台からは今回復元した中ノ御門枡形を良く観る事が出来ます。
 
 (続きます)
   

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カズサン

鳥取城石垣-3/8 天球丸編 (2025/10/25 訪問)

 天球丸は二の丸南東久松山の麓東隅に有り山下の丸最高所標高51mに当たります、豊臣期宮部継潤が石垣改修し、関ケ原後池田長吉(池田輝政の弟)が6万石で入封し石垣改修、山頂の丸には三階天守閣が建ち、天球丸は池田長吉の姉天球院が住んだ事に由来する。
 天球丸も昭和18年の鳥取大震災で石垣崩落して、昭和30年代ごろから崩落石垣の修復が始まり、三階櫓台、二の丸走り櫓台、菱櫓台、表御門石垣台、平成に入って天球丸石垣、太鼓御門石垣、楯蔵跡石垣と進み現在は楯蔵跡石垣下の腰曲輪の整備修復工事中です。
 今回天球丸には登りませんでしたが、楯蔵跡石垣台から天球丸の西面、南端面、鳥取城の看板と成った巻石垣をじっくりと眺め撮影しました。天球丸の南端には鳥取城での高層建物二の丸三階櫓に次ぐ三階櫓が建て居たそうです、現在は地表に平面表示されています。

 (続きます)

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イオ

とことん名古屋城(二之丸) (2025/07/13 訪問)

(続き)

本丸御殿が将軍上洛時の御成御殿に改修されたことにより、藩主の住居と尾張藩政庁の機能は二之丸御殿に移り、二之丸が藩政の中心地になりました。二之丸御殿の建物は残っていませんが、北東部の御殿の庭園が二之丸庭園として整備されています。

大手馬出から二之丸に入ったところに、天守台石垣を築いた加藤清正の「清正公石曳きの像」が立てられています。御殿跡の二之丸広場には青松葉事件之遺跡碑や藩訓秘伝の碑が立ち、東南隅櫓と樹々の上に天守が覗いているのが見えます。搦手馬出には工事中で入れず、馬出外周の空堀沿いに進んだ先に、藩主の緊急時の脱出路として設けられた埋門がある…にはあるんですが、草木が茂っていてよくわかりませんでした。埋門の先は立入禁止だったので、その先の南蛮練塀は遠目に見ることができたのみです。北東隅には二之丸東北隅櫓の櫓台が遺っていました。

二之丸の庭園は当初の中国風から、江戸後期に栄螺山や権現山などの築山、南池、6つの茶屋などを配した回遊式の大名庭園に改修されています。明治には陸軍の練兵場や兵舎に改変されましたが、発掘調査により確認された南池や暗渠が公開され、御茶屋「霜傑」は平面復元、「余芳」は保管されていた部材を用いて元の位置に再建されています(2026年公開予定とのこと)。

二之丸の南半分には御殿のほか馬場や弓道場が設けられていたようですが、現在は愛知県体育館が建っていて遺構はなさそうなので、東門を出るとそのまま二之丸東門に向かいました(続く)。

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赤い城

旧城寺 (2026/01/15 訪問)

茅ケ崎(城)に背を向けて榎下城に向かいました。
中山駅から徒歩で15分。
城跡には旧城寺が建っています。

本堂が建つところは二郭、山門のあたりが喰違い虎口で土塁が残っています。
本堂の背後に墓地があり、少し高くなっていて弓道場があります。
その脇に戦国時代の城主である山田右京之進城跡碑が立っています。
横浜市の緑区遺産だそうです。

周辺は住宅地、平日の出勤・通学時間でもあったのでうろつくのも良くないかな?と思い早めに撤退しました。

【見どころ】
 ・喰違い虎口の土塁

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todo94

北近江長浜大河ドラマ館推参前の攻城③ (2026/02/14 訪問)

近江和田山城からの転戦です。住宅街の中に埋もれている感じで、少しだけ見つけにくくは感じましたが、案内表示は出ています。目加田公民館を目指していくのが良いかと思います。城址公園として整備されていて、存在感のある立派な土塁が残っていました。

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カズサン

鳥取城石垣-2/8 楯蔵曲輪辺り編 (2025/10/25 訪問)

 楯蔵跡の石垣は南面西面復元されて奇麗に整備されました、楯蔵曲輪西下の腰曲輪が未整備で修復工事中に成っており、今回修復の工事は進んで居るのかなとの期待もお合ったのですが工事中で規制のロープが張って有り進入禁止の様子でしたので外から眺めましたが、通路の近い雨で崩れていた北西角の石垣は修復完成して居ました、この腰曲輪は三の丸紅葉庭園の東上に当たります、南端角には鳥取城最古の石垣と言われる宮部氏時代の石垣が残って居ます。(写真無)
 この曲輪の北端側、通路側に昇り雁木石垣が残って居ますが、なぜ此処に雁木石垣なのか?二の丸登城路の防御なのか?部分的で不思議な感が有ります。
 城好きには城郭の構造パーツとして少しでも残って居る事にはありがたい遺構です。
 
 (続きます)

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