みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

カズサン

桜満開の小山城に富士山発見 (2026/04/03 訪問)

 遠州路桜と城廻り掛川城に続き遠州東部大井川近くの小山城へ、掛川から国道1号線バイパス経由、最近繋がった金谷御前崎連絡道菊川JCT経由同道を通り、昨年できた道の駅そらっと牧之原に寄って、お気に入りの「ちりめん山椒」をゲットして小山城南山麓のジャリ駐車場に駐める、舗装駐車場は満車の盛況ぶり。
 道の駅そらっと牧之原は近場の焼津、大井漁港、御前崎から水揚げされた魚を使った海鮮丼ぶり料理が人気です、又大井漁港で揚がったシラスを使った「ちりめん山椒」は私のお気に入り、ご飯のお供、酒の肴にぴったりです。

 昨年の同時期にも訪ねて居りますが、今年も探訪、桜と城に青空のロケーションはウキウキの探訪です、本丸桜は満開、大勢の花見客、小山城の天守閣は「吉田町展望台小山城」と称しております。展望台に200円入場料を払い、1階2階の展示を閲覧、展望階の廻縁で桜に覆われた本丸二の丸を見下ろす、見事な咲振り、目を東に向けると富士山を発見、「富士山が見える」と声を発してしまいました、昨年は見えなかったのに、感激です富士山を見ると何か胸躍る気持ちと得をした気持ちと何とも言えないありがたさも沸き上がって来ます。ありがたやありがたや! 南に廻ると太平洋と突出た御前崎を遠望。
 展望階廻縁、本丸、二の丸より桜と小山城展望台天守閣風建物を入れて撮影。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

【大友宗麟】(10)高城川の戦い(決戦!大友VS島津) (2026/01/24 訪問)

大友宗麟、大友館からの続き(10)です。

大友家没落の原因となった地「高城」、ここはかつて、大友全軍と島津全軍が激突した場所でした。

1578年、島津に追われた日向の伊東義祐が宗麟に助けを求めに来ると、宗麟は娘が嫁ぐ伊東氏を助け日向の国(宮崎県)を奪還するため、臼杵から豊後全軍5万をもって出陣します。しかし宗麟は延岡まで来たところで、何故か日向の国を(ヒムカ)と名付け、全国からキリシタンを集めたキリストの理想郷(ムジカ)の国をこの地に作ろうと、進軍を止め神社仏閣を壊し、その建設に没頭し始めたのです(それが宗麟の真の目的だったのでしょうか?)。

しかし主力軍4万はそのまま南下し、山田有信と島津家久が籠る高城を取り囲みます(写真①②③)。ここで3カ月経っても宗麟からの攻撃命令は出ません。それどころか宗麟はムジカの建設にますます没頭して行きました。宗麟は理想郷が完成するまで島津に邪魔されないよう牽制するだけで、本気で戦をする気はなかったのかもしれません。そんな主君に家臣たちはいらだち、総大将を任された田原紹忍(宗麟の正妻奈多夫人の兄)と、血気に逸る田北鎮周や佐伯宗天などの重臣との間で、口論が陣中で始まってしまいました。もはや大友軍はまとまりがなくなったようです。

その時です! 有信を助けるべく当主の島津義久を総大将とする島津主力軍3万が根白坂に到着します。そして島津軍は坂を下りこの高城川の近くまで攻めて来ました。ここで大友軍が応戦するため松山之陣を下りると(写真⑥)、島津軍はなぜかUターン、一斉に逃げるように引いて行きます。「島津軍など恐れるに足らず!」。そしてこの時、田北鎮周や佐伯宗天らは、薩摩の当主義久の旗印を発見します。その旗印を見たとたん「敵の総大将じゃ~! 今が義久の首を獲る千載一遇のチャンス!」とばかりに暴走、島津軍を追撃し深追いしました(これが罠です!)。すると両側に潜んでいた島津義弘と島津以久に取り囲まれます。危ないと思った後詰の田原紹忍は彼らを助けに行きますが、今度は高城にいた山田有信と島津家久が城を出て、紹忍の背後を囲みました。これが島津得意の「釣り野伏せ」です。四方を完全に囲まれ、見事に罠にかかった大友軍は大敗。田北鎮周や佐伯宗天はこの切原川の河原で戦死したそうです(写真④⑤)。

戦が終わると、松山之陣の後方の丘に、山田有信により大友軍と島津軍の戦死者を供養したとされる供養塔が立てられました。そしてその地は、「宗麟原」と名付けられていました(写真⑦⑧⑨⑩)。

この後、大友軍は豊後に逃げ帰ろうと北へ敗走します。対する島津軍は耳川で追いつきます。そこで大友軍は、さらに大量の戦死者を出してしまいます。次は、大友軍がとどめを刺された耳川と、宗麟の本陣があった無鹿を訪れます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

山頂部周辺の曲輪群 (2025/11/02 訪問)

(続き)

本丸から二の丸まで戻って搦手側へ。本丸西面は破城によるものか石垣が崩れています。搦手の虎口を横目に西裾の腰曲輪に向かうと、こちらも破城によるものか南端部に石垣の崩れた枡形虎口がありました。虎口を出た先の登城道沿いには本丸とホオヅキ段の石垣が続いています。こちらは状態良く遺っていました。途中で石垣を登ってホオヅキ段へ。北側の天守台の石垣は崩れて石材が散乱しています。かつてはホオヅキ段から本丸の東裾を通って三の丸の大手枡形虎口に至るルートがあったようですが、藪化していたのであきらめて馬場に向かいます。馬場への尾根沿いには竪堀や櫓台、堀切があり、馬場には説明板が立てられて山麓からの車道の駐車場所になっていました。

馬場で折り返して今度は搦手口から六角石垣へ。搦手口も枡形虎口になっています。腰曲輪西面の石垣を眺めつつ西にのびる支尾根を進むと、尾根沿いの曲輪にも石垣が見られます。物見台と考えられる支尾根西端の曲輪は周囲を鈍角の石垣で囲んでいて、六角石垣と呼ばれています。破城を免れたようで石垣は状態よく遺っていて、周囲をたどって角を数えてみましたが、六角までは確認できませんでした。そして古城手前の分岐で来た道に合流して下山しました。

山腹の石切り場や山麓の居館などもあるようですが、今回はこんなところで。古城もそれなりに遺構はあるものの、この城の見どころは何といっても山頂部の石垣(と眺望)なので、車で登城されるなら山頂まで行ってしまってもいいかな、とも思います。ともあれ、中世の土の城と近世の石垣の城が並存する見応えのある城でした。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

年度末山陰の攻城・尼子十砦編④ (2026/03/28 訪問)

神庭横山城からの転戦です。麓に加茂神社が建っています。案内板が倒れていて登城路を見つけるのにしばらく時間がかかってしまいました。ぴーかるさん投稿の写真を見ていれば悩まずに済んだのに。その登城路、倒竹が結構あり、下りも続いたりして進むことに不安を覚えてしまいますが、山頂の三角点にたどり着くことはできました。公園として整備され四阿もありますが、今は人手が入っている様子がありません。この日はここで攻城を切り上げます。まだ時間があったので、安来市の和銅博物館にも足を伸ばして玉鋼や天秤ふいごを拝んできました。鬼滅やもののけ姫につながりをもつスポットかと。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

蜂須賀正勝の居城 (2026/03/22 訪問)

蓮華寺というお寺が城跡で駐車場もあります。
お寺の前には説明板がありますが城についての記載はありません。
少し入っていくと蜂須賀正勝の顕彰碑がありました。
結構立派な石碑です。
山門から入っていくと建物がありますが少し西側に建っています。
これは大師堂だそうで本来正面にあった本堂は再建されなかったとのことです。

境内にはミニ四国八十八ヶ所もありました。
蜂須賀氏のゆかりなんですかね。

遺構は無いとのことですが本堂裏手ではそれっぽい雰囲気も感じられます。
土塁もあるのですがこれはお寺を建てた際のものかもしれませんね。
周囲は水田になっていました。

【見どころ】
 ・大きな顕彰碑

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

「ぽっぽ焼き屋台」出ました! (2026/04/08 訪問)

ちゃんみな氏が,「美味しすぎて,6本は食べた」という,「ぽっぽ焼き屋台」が出ております。イメージ的には黒砂糖系の蒸しパンかな…?
15本で600円でした。
個人的には,菜菓亭の河川蒸気をおすすめします。ぽっぽ焼き生地に小豆クリームが挟んであり,越後土産に喜ばれると思います。季節限定クリームも登場したりしています。新潟駅ビルCoCoLoで販売しておりますが,ちょっと割高設定に感じます。250円台です。万代シティのイオンでは220円台。
桜満開画像とともにアップします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

どえらいお城だ (2025/05/18 訪問)

整備されているところだけでもどえらいお城だがこのお城は未整備エリアが破格に広く、有名な主郭南斜面だけでなく北斜面にも無数の竪堀が入っているらしい。見学できるようになったらさらにどえらさが伝わるのだろう。

+ 続きを読む

にのまる

ぽかぽか🌸 (2026/03/19 訪問)

今回も平日だったため書院内には入れませんでしたが、移築された陣屋門や美しく設えられた春のお庭を散策しました。

永青文庫は熊本城展ですね!
今週末は東京にいないので……。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り⑤:久喜陣屋 (2026/04/08 訪問)

日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り5城目は久喜陣屋です。花崎城からの転戦です。

久喜陣屋は別名米津(よねきつ)氏陣屋と呼ぶそうです。
米津氏は徳川家譜代の家臣で、愛知県西尾市に本貫地があるそうです。
1604年(慶長9年)米津勘兵衛田政は5,000石を与えられ、のち江戸町奉行となったそうです。
その子田盛は久喜郷2,091石を領し、1666年(寛文6年)には15,000石の大名となり、大坂定番になっています。その子政武は1684年(貞享元年)久喜に陣屋を構えました。
その後、通政の代、1798年(寛政10年)出羽国長瀞に6,4000石を移され、陣屋を長瀞に移したそうです。


御陣山児童公園が久喜陣屋跡のようです。公園内には特に目立った遺構もなく、説明板もありません。
脇に祠の建つ古墳状のものがありますが、これが遺構といえば遺構かな?
この祠の説明にかってここに首塚があり、そのお祓いするようなことが書いてありました。
攻城時間は10分くらいでした。日帰り東武伊勢崎線沿線城巡りはここがラストです。千葉の自宅に帰ります。
歩行歩数=22618歩、歩行距離=15.8Kmです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り④:花崎城 (2026/04/08 訪問)

日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り4城目は花崎城です。羽生陣屋(城びと未登録 埼玉県羽生市)からの転戦です。
花崎駅から徒歩10分弱で、花崎城山公園入口(36.111147、139.627568)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、粟原城の支城で鷲宮神社神官大内氏の重臣細萱民部少輔光仲が城主だったそうです。
1561年(永禄4年)上杉謙信が関東へ進出した際、上杉方の羽生城主木戸宮内少輔によって粟原城とともに落城したそうです。

花崎城は花崎城山公園付近に築かれていたようです。 公園内に水堀と空堀が残っています。
公園の名は花崎城山公園ですが説明板は見つけられませんでしたが、花崎遺跡の説明板はありました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=久喜陣屋に向かう為、花崎駅から久喜駅に向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り③:羽生陣屋(城びと未登録 埼玉県羽生市) (2026/04/08 訪問)

日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り3城目は羽生陣屋(城びと未登録 埼玉県羽生市)です。羽生城からの転戦です。
羽生城から徒歩10分くらいで、高山神社入口(36.175159、139.544088)に着きました。

1867年(慶応3年)江戸幕府によって築かれました。
羽生領十八ヶ村を管理する代官所として築かれたもので、岩鼻代官木村飛騨守勝教の支配下だったようです。
1868年(明治元年)官軍によって襲撃され焼き払われました。

羽生陣屋は羽生城跡を利用して築かれたようですが、現在は宅地や田畑となって遺構はありません。
高山稲荷神社の辺りが陣屋跡です。高山神社の説明板に羽生陣屋の記載がありました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=花崎城に向かう為、羽生駅から花崎駅に向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り②:羽生城 (2026/04/08 訪問)

日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り2城目は羽生城です。館林城からの転戦です。
羽生駅から徒歩20分ちょっとで、古城天満宮入口(36.175422、139.549907)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、天文年間(1532年〜1555年)はじめ頃に広田式部大輔直繋によって築かれたと云われています。
古河公方に従っていた広田直繁、木戸忠朝らが守っていましたが、永禄年間(1558年〜1570年)に上杉謙信が関東に入るとそれに従いました。
謙信が越後に戻ると小田原北条氏と戦いましたが、1574年(天正2年)に落城し、木戸忠朝らは上野国膳城に引き上げたそうです。
その後、北条氏の家臣となっていた忍城の成田氏長が羽生城を管理し、成田長親が城代となります。
1590年(天正18年)豊臣秀吉による小田原征伐で、羽生城は破棄され忍城に籠城してこれを迎え撃ったそうです。
1590年(天正18年)徳川家康が関東に入部すると重臣大久保忠隣が20,000石で羽生城主となり、父忠世が没すると家督を継いで小田原城主となりますが、羽生の領地も維持されたそうです。
しかし、1614年(慶長19年)大久保忠隣は改易となり、羽生城は破棄されました。

古城天満宮のあるところが天神郭のようです。
遺構は残っていないようですが、古城天満宮の入口に石碑と説明板があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=羽生陣屋(城びと未登録 埼玉県羽生市)に徒歩で向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り①:館林城 (2026/04/08 訪問)

日帰り東武伊勢崎線沿線城巡り1城目は館林城です。
館林駅から徒歩20分くらいで本丸土塁入口(36.244181、139.545440)に着きました。
本丸跡の土塁を確認し、千貫門跡(36.246013、139.541706)➡三の丸復元土橋門(36.246160、139.540521)➡大手門石碑(36.248278、139.536798)の順番で巡りました。

1556年(弘治2年)赤井照康によって、築かれたと云われていますが定かではないようです。
越後上杉氏が関東に進出すると足利長尾氏が城主となりますが、後に北条氏の支配するところとなり北条氏規が城主となります。
小田原の役では落城せず後に開城となります。北条氏滅亡後は榊原康政が100,000石で入封しました。
榊原氏が3代続いた後、陸奥国小峰に転封となり替わって大給松平氏が入封しました。
1661年(寛文元年)3代将軍徳川家光の四男綱吉が250,000石で入封しました。 綱吉が将軍となるとその子徳松が城主となりましたが、徳松の死によって館林城は破却されました。
1707年(宝永4年)6代将軍家宣の弟松平清武が24,000石で入封し築城し直し、 のち太田氏、松平氏、井上氏、秋元氏と入れ替わり明治を迎えたようです。

攻城時間は徒歩移動時間を含め、50分くらいでした。次の攻城先=羽生城に向かう為、館林駅から羽生駅に向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

平杢之助

大開城跡巡りに参加を!

日時 令和8年4月18日(土)午前9時から11時
集合場所 今別町大開「熊谷建材」前駐車場 午前8時45分
その他 今回だけ、私有地の通行許可を得ることができました。
    参加希望者は、いまべつを語り継ぐ会事務局(090-8780-4737斎藤)へ、連絡をお願いします。
    沢を渡るので、長靴必須です。よろしくお願いします。

+ 続きを読む

岩崎城

岩崎城戦国丹羽まつり 開催のお知らせ

戦国時代、日進市域を治めたのは「丹羽」という一族でした。
一族のうち、小牧・長久手の戦いの時、岩崎城主であった丹羽氏次とその弟氏重は
兄弟それぞれが活躍し、長久手の戦いにおける徳川家康の勝利へとつなげたという歴史があります。
全5回、様々なイベントを通して、丹羽氏次・氏重兄弟の活躍、日進の戦国時代を体感してみませんか?
多くの方のご参加をお待ちしております!

【第1弾】
さくらゆきライブ&トークショー
日時:6月6日(土)14:00~17:30(予定)
場所:道の駅マチテラス日進
第1部 ライブ 14:00~15:00
第2部 さくらゆき×内貴健太 
コラボトーク 「丹羽兄弟に思いを馳せる」 15:15~16:15
さくらゆき 岩崎城コラボグッズ販売 ~17:30
詳細はこちら→ http://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/hibi.html#26niwamaturisakurayuki

【第2弾】
出版記念トークショー
日時:7月5日(日)14:00~16:30(予定)
場所:プライムツリー赤池 プライムホール
トークショー 14:00~15:00 書籍販売・サイン会:15:00~16:30
事前申し込みなし 無料・対象:どなたでも
出演者:当館学芸員 内貴健太

【第3弾】
「本から学ぶ小牧・長久手の戦い」
日時:7月26日(日)14:00~15:00(予定)
場所:日進市立図書館
定員:100名(抽選) 参加費:無料 対象:どなたでも
申込方法:詳細は後日お知らせします。
出演者:当館学芸員 内貴健太

★戦国時代 岩崎城 関連図書特設コーナー★
7月25日(土)~9月2日(水)

【第4弾】
岩崎城刀劇隊&グレート家康公「葵」武将隊&伊達武将隊 演武!
日時:8月30日(日)11:00~16:00(予定)
場所:プライムツリー赤池
参加費:無料 対象:どなたでも
事前申し込み不要

【第5弾】
講談 岩崎城の戦い 旭堂鱗林
日時:10月24日(土)14:00~15:30
場所:岩崎城歴史記念館2階
第1部 講談 14:00~14:45
第2部 旭堂鱗林×内貴健太 コラボトーク「城兵たちへのララバイ」 14:50~15:30
定員:60名(抽選)入場料:1000円 対象:どなたでも
申込方法:詳細は後日お知らせします。


お問い合わせ 岩崎城歴史記念館
〒470-0131 日進市岩崎町市場67番地
Tel 0561-73-8825

+ 続きを読む

カズサン

掛川城-2/2 桜と掛川城編 (2026/04/03 訪問)

 先に木造復元天守閣と桜をメインに投稿させて頂きましたので、天守以外の遺構、景観を投稿させて頂きます。
 外堀代わりの逆川沿いの河津桜、掛川桜は葉桜で新緑が青空に映えて眩しい、残り掛川桜がひっそりと愛おしい、太鼓櫓は平屋部の屋根の落ち込み補強柱で屋根が修復されました。本丸登城石段と脇の白土塀、四脚門周りの桜も絵に成ります、二の丸御殿、登り階段脇のミツバツツジは咲き始めで色付いています。三日月堀と桜、十露盤と太鼓櫓越しの桜、本丸へ、天守曲輪への登城階段と天守閣を見上げて、登城ルートは終了、三の丸広場で持参お握りを食べて掛川城は終了です。良いお日柄でした。

 続いて遠州東端、桜の小山城を目指します。
 
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

岩崎城

岩崎城検定

岩崎城検定

今年も岩崎城検定を行います!

受験資格:どなたでも受験できます。

初級
出題範囲:岩崎城の戦いや丹羽家の歴史、岩崎城址公園内にある遺構、岩崎城刀劇隊、岩崎城のマスコットキャラクター、岩崎城のイベントなど。岩崎に関わる歴史じゃない問題も出たりします。
出題形式:岩崎城公式ウェブサイトや公式X、配布パンフレット、岩崎城歴史記念館や展望塔岩崎城の展示などから主に出題(パンフレットや配布資料、関連書籍、勉強ノートなどは持ち込み可。スマートフォン不可)
選択式(4択)50問 試験時間:50分

中級
出題範囲:岩崎城の戦いや丹羽家の歴史、岩崎城址公園内にある遺構、岩崎城の縄張り、岩崎城発掘調査、小牧・長久手の戦い、城の基本的な知識など
出題形式:岩崎城公式ウェブサイトや公式X、配布パンフレット、岩崎城歴史記念館や展望塔岩崎城の展示、岩崎城や丹羽家、小牧・長久手の戦いに関係する書籍全般などから主に出題(持ち込み、スマートフォン不可)
選択式(4択)50問 試験時間:50分

上級
出題範囲:丹羽家、岩崎城、小牧・長久手の戦いに関することすべて。丹羽家に関しては氏信以降、岩村藩主、三草藩主など、小牧・長久手の戦いに関しては蟹江合戦などより深い知識を問う形となります。
出題形式:岩崎城公式ウェブサイトや公式X、配布パンフレット、岩崎城歴史記念館や展望塔岩崎城の展示、歴史講座、岩崎城や丹羽家、小牧・長久手の戦いに関係する書籍全般などから主に出題(持ち込み不可。スマートフォン不可)
選択式(4択)50問 試験時間:50分
※上級に関しては段位制を導入予定です。

合格基準:初級・中級・上級とも100点満点中70点以上
結果発表:7月以降、合格者には認定証や段位カードなどを郵送、岩崎城公式ウェブサイトでも受験番号を掲載
検定料金:【初級】 500円 【中級】 800円 【上級】 1000円(認定証発行料、送料など) 当日現金支払い
日時定員:6月20日(土) :【初級】10:00~11:00(30名) / 【中級】14:00~15:00(30名)
6月21日(日) :【初級】10:00~11:00(30名) / 【上級】14:00~15:00(30名)
申込方法:電話かメール、直接窓口にてお申し込みください。申込期間:5月1日(金)~6月7日(日)
※初級・中級・上級の併願も可能です。(初級を合格していなくても中級の受験は可能です。)
受験票:申込が完了した方から順次郵送予定。

問い合わせ 岩崎城歴史記念館
〒470-0131 日進市岩崎町市場67番地
Tel 0561-73-8825 Fax 0561-74-0046
公式ホームページ http://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/

+ 続きを読む

カズサン

掛川城-1/2 桜と木造復元天守閣編 (2026/04/03 訪問)

 久野城を終えて国道1号線経由掛川城大手門駐車場へ、丁度パーキングメーター交換工事中で駐車料金は無料対応ラッキー。
 復元大手門経由、ビューポイントの大手橋、逆川、川沿いを歩き、掛川桜は葉桜新緑しかしわずかに掛川桜が残って居ました、今年は河津桜、掛川桜の時期には訪れて居ませんでしたので残り掛川桜を観れただけでもラッキーです。
 掛川駅からまっすぐに伸びる通りから逆川に架かる緑橋、その橋の南手前より樹木が伐採剪定されて天守閣が覗けるエリアが有り撮影、三の丸広場に登って、天守閣、太鼓櫓、四脚門、登城石段と脇白土塀を桜とのツーショット写真撮影、二の丸御殿玄関と石段、脇のミツバツツジは赤紫の花を付け咲き始め、二の丸御殿に登り桜越の天守閣、三日月堀、十露盤堀わきを通り本丸へ、天守閣には登らす下より桜越の天守閣を眺めて撮影、何時もながら桜と白い天守閣、青空は城写真の絶景です。満足の時間でした。
 丁度お昼のチャイムが鳴り響きましたので、三の丸広場のベンチで家内の握ってくれたお結びとお茶で昼食、周りにはお孫さんと祖父母の方、園児がシートに大勢座りランチ中、結婚式前の事前撮影中で花嫁花婿衣装が桜と天守、青空で眩しい。
 桜と城に囲まれた広場でのおにぎりは大変おいしい、良い天気でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

山頂部の曲輪群 (2025/11/02 訪問)

(続き)

木下・山崎期に拡張された山頂部の曲輪群は、頂部の本丸から北に二の丸と三の丸、南にホオヅキ段、西に搦手の腰曲輪を配しています。北端の三の丸は周囲に石垣を施し、南東隅に大手口にあたる枡形虎口を設けていますが、破城によるものか枡形内には石垣石が散乱しています。

三の丸から坂虎口状のスロープを上って二の丸へ。二の丸には城跡石碑と小屋が建てられていて、小屋には説明板と続100名城スタンプが設置されていました。二の丸からは北に三の丸の枡形虎口を見下ろし、南には本丸の石垣が連なっています。

石垣で囲まれた坂虎口を上って本丸へ。本丸の南端には天守台がありますが、高さも広さもあまりないので、あったとしても二重の天守くらいでしょうか。それでも天守台からの眺望は素晴らしく、播磨と但馬からの街道が交わる要衝を押さえるべく築かれた城であることが一目瞭然です。

天守台を下りると、山頂部周辺の曲輪群をめぐります(続く)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

年度末山陰の攻城・尼子十砦編③ (2026/03/28 訪問)

出雲勝山城からの転戦です。出雲勝山城でかなり消耗してしまいましたが、この城はさほどのエネルギーを必要とはしませんでした。麓にお住いのお年寄りに声を掛けられ、昔話など拝聴でき、進む方向などもご教示いただきました。ありがたいことです。登城口の表示にもある通り、丁字路を左に進むと京羅木山に至ります。教えていただいたとおり、右手に進むと、木野山社古墳群が残る地に木野山神社が建つ主郭にたどり着きます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ5