夏休みをとって山陰を車で動きました。
8/6は、滋賀県から名神、中国自動車道、米子自動車道、国道9号線経由で松江城へ。
大手前駐車場に車を止め、本丸国宝天守へ。天守の後は、堀川遊覧船でお堀を廻りました。
昼食は、宍道湖七珍が食べたくて市内の和楽へ。
和楽を出発して、玉造温泉で一泊。
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2025/12/21 08:31
2025/12/21 07:47
2025/12/20 23:46
上野城跡(上野蔵屋敷跡) 群馬県甘楽町 (2025/12/18 訪問)
史跡・吉田家の土塁・濠跡と標柱が立っていて、堀は畑になっているが、残る土塁の大きさには驚く。甘楽町のHPに、この土塁・濠跡は、「上野城」と呼ばれた館址の周囲を囲んでいた土塁と濠跡で、鎌倉時代に築かれた館址(土居館)と考えられる。徳川時代には幕府の直轄地として代官がここに居り、その後、旗本の知行所となって明治に至った。四囲の土塁は東西南北に構築され、土塁の外側に濠が巡らされていた痕跡が伺える。一辺70m程の正方形の館址で、西土塁はほぼ良好に残存し、北土塁は約半分、東土塁は一部が顕著に残り、南土塁は全て削平されている・・・と載っているが、東は確認していない。
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2025/12/20 23:30
八幡山砦跡 群馬県甘楽町 (2025/12/18 訪問)
小幡氏関連の砦と載る。西の山麓に八幡神社が建っている。八幡山トレイルコースが設けられ4コースが載っている。どのコースも200m前後の距離で山頂部の夕映えの広場に着く。南のコースで行くと、山頂部へは坂虎口風に入って行く。西側に地面から1m程度の高さの展望台がある。山頂部は40~50m四方の広さで、東・南・北に土塁状の高まりが見られる。北下は腰郭を思わせる雰囲気があり、今は北西隅からコースが階段状に付けられている。このコースは、結婚の森のみちと言い、椿を記念樹として植えているようだ。
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2025/12/20 23:14
宇田城址の半ば 群馬県富岡市 (2025/12/18 訪問)
小幡氏関連の城と言われる。近くの神守寺の駐車場に駐めさせて貰う。挨拶と思ったが無住寺のようであった。寺の入口脇に池があり、その前を道が付けられている。両サイドはご多分に漏れずソーラーパネルが設置されている。
林に入ると何段もの削平地が現れる。一つ一つは低い段差だが、中には虎口を伴ったような高さもある。先は広い郭になり東側には腰郭が幾つも見える。最初に幅・深さの堀切があり、先の郭も広い。最初の堀より小振りだが堀切が現れる。こちらは急斜面で上り下りに足が滑る。枯れ葉の多さにもよるが。上がった先は狭く、頭上に主郭と思う急斜面がある。主郭の先の尾根にも郭・堀切があるらしいのだが。前面は倒木その他が多く踏み入れを躊躇する。5分ほど居たが、この後の予定があり時間的にここで撤退する。機会があれば後日再訪したい。
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2025/12/20 22:55
黒川城址 群馬県富岡市 (2025/12/18 訪問)
近くのに黒川公園駐車場を利用する。公園の一本北の通り、民家の間に道があり、山の中腹に不動堂が建っているのが見える。ご本尊は昭和四十年頃盗難にあっていると、案内に載っている。すぐ下のお堂には十一面千手観音立像が祀られている。案内板に範囲、城主・廃城年月は不詳だが、口碑では渋谷次郎高重の居城と伝わり、東鏡にその名が記されている・・・と載っている。
不動堂の右手から上に深く削れた道を進む。狭い削平された郭が現れる。南東に堀跡らしき窪地があり、上に土塁状の高まりがある。上には御岳社が祀られているようだ。土塁の先が広い郭のようだが、竹林になっている。竹林を含め、北側の狭い郭が位置的に主要部なのだろうか。しかし北東に続く尾根が高く気になり行ってみた。50~60m先の鉄塔が建つ場所に出る。周囲は平らで広い。地形図でも下より20m以上は高いのだが、城址を思わせる遺構など見えず城域ではないようだ。
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2025/12/20 22:38
お城EXPO 2025初参陣 (2025/12/20 訪問)
お城EXPOは今年10周年の記念の年、今だ横浜に参陣して居ませんでしたが、高齢化参陣できる体力気力が有る内にと一大発心し、開催日初日の2日前に決めて新幹線の時間、企画内容を確認し12月20日日帰りで決行。
先ず「城びと」コーナーに一番に駆け付け、情報と城びと会員の参陣情報を確認、これまでの投稿では、朝田辰兵衛さんとしんちゃん、イオさんが参陣来られるとの事でしたので、会えると良いなとの思い、城びと事務局コーナーの女性の方からは、3F-17ワークショップルームで加藤理事の「赤色立体地図の楽しみ方」14時から15時に常連メンバーが来られるのでは?
その間は10時から13時の間は1Fの出店コーナー、001~129まで全て廻り、資料、パンフレット、リフレットを頂き、会話、応答して頂ける方とは、情報を聞く、探るなど会話を楽しみました。
頂いた資料パンフレットが重くなり事前に準備していたジンズ布地の手提げバッグに入れて紙袋が切れない様に、兎に角重くなりました、整理が大変だ。隣のアネックスホール休憩室で持参のおにぎりと城探訪の常備品一口羊羹で糖分補給、14時前に成り予定の3F-17
ワークショップルームへ、程なく加藤理事が来られて「赤色立体地図かるた」の楽しみから講座と実践かるた会を体験してきました。
なかなか楽しいものです、赤色立体地図での城跡の形を頭に叩き込むのが大変、各城跡の赤色立体地図パターンを記憶して置けが問題無く楽しいでしょうが、頭の柔らかい小学生であれば、赤色立体地図城跡博士が現れるかも?
15時過ぎ、資料が重い、入場までの大混雑、1Fのコーナーは芋の子を洗う混雑、人疲れも有り会場を後にしました。
結局城びと常連の方々とは会えずじまい、ニックネームが分かってもどの人なのかは分からない、全員に声掛けするのも憚られて終了。
良い経験でした。
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2025/12/20 17:56
2025/12/20 17:44
長坂越 (2025/12/20 訪問)
京都の北に位置する長坂越という山道近くに位置しています。長坂越は京都七口の一つである長坂口から京見峠を経て丹波周山、さらには若狭方面も結ぶ交通の要衝でした。明智光秀による築城という説もあるようです。周山城とのつなぎの城ということかもしれません。
城址は主郭を中心に横堀が備えられ周囲には帯曲輪と思われる平坦地が展開しています。竪堀や堀切、土橋かと思われる地形もありました。ただ落ち葉など堆積物も多く空堀などは浅くなっていています。
京見峠を北上し氷室神社方面に行く林道を進むと城址に行くことができました。、京都市中川簡易水道 氷室配水池付近と城山雨量観測局付近に登城路があります。前者から登城し後者へ下りて来ました。登城路はわかりやすく、城域も予想していたより藪ではありませんでした。倒木はそれなりに見られましたが許容範囲です。
近くで「熊出没注意」の看板を見つけました。京都の街に近いこの付近でも出るのですね。
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2025/12/20 14:31
堂谷山城 福井県若狭町 (2025/11/24 訪問)
標高134mの山城です。
みどころは北の巨大な堀切ですね。
主郭には土塁が巡り、広い平坦地がある
のですが、石垣に使用されたと思われる
石が散らばってます。破壊の跡でしょうか。
南東に向かった尾根上には200m近く土塁
がついてますね。
その尾根境に獣避けネットが延々と設置
されてます。ポリエステル素材のグリーン
のネットで約15cmの升目です。
獣の視覚では避けられないだろうし、シカ
は角か絡まってしまいます。長野県の山城
で身動き出来なくなったシカを見たことが
あります。ここでも角が絡まりそのまま
となった頭蓋骨がありました。
このネット状のものは良くないですね。
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2025/12/20 13:18
星ヶ崎城主の麓の館 井上館 (2025/12/19 訪問)
びわこビジターズビューローに寄って、「名城 万華鏡」冊子をもらってきました。なかなかの力作です。掲載されている中で訪れていない城や時代物件がいくつかありましたので、さっそく、その一つの井上館(竜王町、城びと未登録)に行きました。
星ヶ崎城(城びと登録)の城主の鏡氏が山城の星ヶ崎城の麓(少し離れてますが)に営んだ平城・館です。星ヶ崎城と同じ山塊に小堤城(城びと登録)があり、その西麓に土塁、堀に囲まれた桜生城(城びと登録)があります。井上館は桜生城よりも少し小さく、また、単郭ですが、四面に土塁がよく残っています。桜生城と同様に現在お住まいの方がおられます。昔ながらの道が狭い村落中にあり、車で村落に進入するのは止めた方がよいです。村落の外に鏡集落センターがあるので、ここに駐車させてもらって徒歩で行くのがよろしいかと。
なお、「名城 万華鏡」はびわこビジターズビューローHPからダウンロードできます。
NHKの歴史探偵で2025年の新発見トップ3 戦国時期で、坂本城三の丸堀と石垣発見がNo.1に挙げられました。そんなにすごいことなんですねえ。
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2025/12/20 08:42
桂公園 (2025/12/03 訪問)
桂公園になっており入口に説明碑があります。
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2025/12/20 07:38
信濃 吉岡城 (2025/11/05 訪問)
吉岡城は北と南の沢川に挟まれた台地上に築かれた城で、出郭、殿郭、主郭、二の郭と西から東に郭が配置された連郭式の縄張りで郭がそれぞれ堀で区切られています。特に殿郭(現在は寺尾神社の社が建つ)と主郭部間の堀切は高さ5m・長さ10m程あり(画像1・10)見ごたえがあります。
主郭部は東西112m、南北43mあり、現在、吉岡城址公園となっており、遊具、ゲートボール場等となっています。二の郭は主郭部より更に広く、東西170m、南北145mもあり、墓地や柿畑が広がっています。(主郭部は国道151号線で分断〈画像8〉されています。)
吉岡城は、下條康氏によって築城され、112年間下條氏の本拠地となっています。下條氏は甲斐源氏小笠原氏の庶流で、下條康氏が深志小笠原政康の子で下條家を継ぎ吉岡城を築城したのが始まりとされています。
吉岡城は、城びと未登録の城ではありますが、見どころも多い城なのでお勧めのお城です
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2025/12/20 07:24
二条城拝観 (2003/08/13 訪問)
2003年8月13日、家族で訪問
二の丸御殿を拝観して、本丸天主台へ
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2025/12/20 05:58
境目七城のひとつ (2025/12/18 訪問)
織田軍の対する毛利方の城で境目七城のひとつで、天正10年の攻防では加藤清正が一番乗りの功名をたて、敵方の竹井将監を討ち取っています。
足守陣屋から徒歩で登城しました。15分くらいで標識のある登城口まで行きことができます。登城路は整備されていて大手門跡、三の丸跡、二の丸跡の標柱を見ながら主郭まで行けます。主郭西側に3条の竪堀がありますが、少し藪になっていて見づらい状況でした。
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2025/12/20 05:49
宮路山城 (2025/12/18 訪問)
冠山城から徒歩約15分の場所にある足守陣屋の裏にある山城で、城びとには未登録の城址です。
毛利氏の織田氏に対する防衛ライン境目七城のひとつで、備中高松城の攻防戦のときには乃美元信が守備していたと伝わっています。冠山城が落城した後、降伏し開城しました。
整備された登城路はないようなので、ネットなどの情報を元に足守陣屋跡から西の池の横を通るルートで切通を経由して登城しました。ただ倒竹等で道が塞がれている場所があり藪漕ぎをしながら迂回したり、道が途中で分かりにくい場所があったりと少し苦労しました。切通からは東側にある尾根を上がって行きます。直登になりますが、踏み跡がありときにピンクリボンもあり迷うことなく城の入口の目安であるお地蔵さんまで行くことができました。切通から10分くらいで行けました。お地蔵さんを過ぎるとすぐに二重の堀切があります。宮路山山頂に曲輪を展開し、各尾根を多重の堀切で遮断した縄張りで一部の斜面は畝状竪堀で防御しています。二重堀切、三重堀切、畝状竪堀などが明確に遺っていました。落ち葉が堆積していて前日に雨が降ったこともあり滑りやすかったので散策に少し苦労しましたが、遺構がすばらしく楽しい時間を過ごせました。
下山したときは降りる尾根を間違えたようで、行きとは違う場所に出てしまいました。
境目七城の中では本格的な山城です。城郭放浪記さんの縄張り図を参考に散策しました。
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2025/12/20 05:12
足守陣屋 (2025/12/18 訪問)
冠山城跡から徒歩約15分の場所にある陣屋跡です。城びとには未登録です。関ヶ原合戦後に木下家定(豊臣秀吉の妻・高台院の兄)が当地に封じられ足守陣屋はその藩庁として築かれました。その後、浅野氏が入りますが、大坂の陣後木下利房(家定の子)が足守藩主となり幕末まで続きます。石垣と水堀が残っています。木下家の庭園である近水園や足守藩侍屋敷など中世の街並みも残っていて周辺を散策しました。
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2025/12/19 22:47
錦秋の大島城 (2025/11/22 訪問)
イベントがらみで長野県に行ったときに幾つか攻めやすい城を攻めて来ました。このあたりには比高も高くなく散策時間も手ごろな良い城が幾つもあります。公園化されている城址が多いのでクマの心配ももぼ無いでしょう。船山城は藪化していてちょっとコワいですが。
今年の秋はあっという間でした。涼しくなって来たなと思ったらジェットコースターのように寒くなっていましたね。
それでも滋賀・岐阜と複数のイベントが有り、イベントがらみで各地を急いで回ったので紅葉を多く楽しめました。大島城は大島氏の城でしたが武田信玄の命を受けた秋山虎繁によって改修を受けました。武田の城の特徴である馬出しが残っていて、二の丸や本丸の堀は実に見ごたえがありました。
明日は手裏剣ブースに向かって一直線ですぞ。ピタッと手裏剣を持ってうろついている普請人物がいたら、きっとそれが私です。
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2025/12/19 20:28
チョイ寄り初冬散歩 (2025/12/19 訪問)
諏訪原城から南東約10km程の所に新しく「道の駅そらっと牧之原」が今年7月中旬にオープンしました。新設早々に訪ねようと思っていた矢先、竜巻に伴う大雨で近くの牧之原市に水害被害が発生し、しばらく様子見して居りましたが納まった様なので訪ねる事にしました。
浜松から1号線バイパスを経由途中に諏訪原城跡が在りますので、8月17日以来にチョイ寄りして、見所の二の曲輪中馬出周辺をブラ散歩しました。また二の曲輪大手馬出の三日月堀の北側が樹木が整理されてすっきりして居ました、外堀の中馬出土橋の北側の草刈中でしたのでこの投降後は奇麗に成って居るでしょう。又中馬出の三日月堀外の園路整備工事がされて居り中馬出南から北馬出薬医門までモルタルたたき舗装が出来上がって居ました、工事は来年1月9日までの予定。
北馬出より富士山を遠望するが雲が多く頭がちょっと見える程度で見えにくい状態でした。
探訪中は3名の方と行き会いました車のナンバーは松本、山梨の方と地元静岡、浜松の方々でした。
昼は道の駅でと思ったのですが、家内が富士山静岡空港を観ていないと言ううことで道沿い約5km程静岡で唯一の空港へ寄り、3階の展望デッキでジェット機の離発着30程かけて眺め、富士山を遠望裾の下が雲を被り頭だけの富士山でした。
昼食は空港の食堂で3Fの海鮮マグロ握り寿司、2Fのショップと食堂を覘いて1時間程ゆっくりしました。
新しく出来た県道73号線バイパスを約5km程で「道の駅そらっと牧之原」へ、食堂と地場産物販売、清水、焼津、大井と漁港が近いので海鮮物産、今盛りの桜エビの生、つくだ煮、シラス、農産物も沢山出品されていました、又今年は牧之原市は元相良町を含めて大きく成って居ますので、田沼意次の領地であったことも有り「大河ドラマべらぼう」のご当地、大いににぎわった事でしょう。
此処の道の駅から見ると北西に諏訪原城、東に小山城、西に横地城、南に相良城が約10km範囲内配置されて道の駅が便利かと思います。
道の駅そらっと牧之原:静岡県牧之原市坂部582-1
富士山静岡空港:静岡県牧之原市坂口3336-4
明日1日、横浜へお城Expo-2025へ初参陣する予定です。会えましたらよろしくお願いいたします。
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2025/12/19 20:07
水戸城 (2025/11/22 訪問)
【百名城82城目】
<駐車場他>三の丸庁舎駐車場に駐車しました。弘道館に入館すると4時間の駐車券がもらえます。
<交通手段>車
<見所>偕楽園・堀切・復元大手門
<感想>1泊2日東関東旅1城目。夜中1時に出立し、先に偕楽園に行きました。東京の中心部を首都高速 車で抜けるのは初めてで、状況を知らずに突込んでしまい、土曜日の朝7時頃にもかかわらず大渋滞にはまって時間ロス、9時到着予定が10時半頃到着しました。
偕楽園⇒弘道館⇒大手門⇒二の丸角櫓⇒見晴らし台⇒杉山門⇒本丸は学校になっているので入れず⇒弘道館北側の梅林・土塁⇒三の丸の大空堀を見て終了しました。
偕楽園は梅の時期ではなかったので、兼六園・後楽園よりは魅力をそれほど感じなかった。城跡の方も最大の欠点は本丸跡に入れない事、また本丸⇔二の丸、二の丸⇔三の丸間の堀切は深いが、幹線道路や線路が通ってしまっている事、曲輪の内部がほぼ学校で埋め尽くされていて散策出来る場所が少なかった。辛口コメントですが、徳川御三家のお城跡ということで百名城に選ばれた感じがした。
1日目は土浦城も予定していましたが、時間が押したので断念し、JA物産店でレンコンと土地の物を買って(レンコンと土地の野菜は家で食べてすごく美味しかった)宿泊は鹿島に泊まった。この日は1城のみとなった。
<満足度>★★☆☆☆
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