大河ドラマ豊臣兄弟第16話で登場した、私が注目の「宮部継潤」。比叡山の僧でもあった彼が、なぜ浅井の家臣から豊臣の家臣へと寝返ったのか? 今まで知りませんでしたが、姉「智(とも)」の子「万丸(よろずまる=後の豊臣秀次)」を人質に差し出すという約束を守った秀長と、比叡山の子女を助けてくれた秀吉を信頼してそうなったという事が、大河ドラマでは描かれていました(なるほど🤔そうだったのか~)。継潤はこの後、秀吉配下となり鳥取城攻めなどで活躍し、秀吉から因幡の地を与えられたようです。そして彼が最も有名になったのは、以前お伝えした「根白坂の戦い」です。秀長軍の先鋒を任された継潤ですが、島津義弘に夜襲を仕掛けられ大苦戦します。しかし、夜明けまで何とか持ちこたえ、そこで藤堂高虎・黒田官兵衛・小早川隆景らの援軍が到着すると形勢が逆転! この継潤のねばりが、根白坂の戦いの勝利へとつながりました。継潤は後に秀吉より一番手柄と褒め称えられたそうです。そして朝鮮出兵を経て彼は高齢を理由に隠居し、歴史の表舞台からは姿を消して行きます。
福岡の糸島にも継潤ゆかりの地がありました。根白坂の数か月前にあった高祖城の戦いです。島津軍の配下となり岩屋城攻めに加わった「原田信種」を、秀吉は攻めるよう命じます。継潤は小早川隆景1万の軍勢とともに、居城である高祖城を取り囲みます。信種は家臣らの反対を押し切り討ち死にする覚悟で戦をしようとしますが、その信種を継潤は粘り強く説得しました。そして信種はついに降伏し、高祖城を明け渡したそうです。その後の継潤は、豊前に上陸した豊臣秀長と合流し、豊後の大友を助けながら根白坂の戦いへと向かいます。
高祖城があった高祖山(標高416m)山頂には、上の城と下の城があり、曲輪や堀切や石積が残っているそうです(写真②④)。登ってみたかったですが、最近400m級の山は体力的に自信がなくなったので、今回も断念しました(すいません)。伊都国歴史博物館には、わずかですがその原田信種と高祖城の説明がありました(写真⑥⑦)。
私は、麓の怡土城や高祖神社からその高祖山を見上げてみました(写真①)。継潤はどんな思いで、同じくここから高祖山を見上げていたのでしょうか? 原田信種をどうやって説得したらいいのか・・・あれこれ考え思案に暮れていたのではないでしょうか?
あとちなみに余談ですが、ドラマで継潤役を演じている「土平ドンペイ」さんは、京都比叡山高校の出身だそうです😱。
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