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ヒロケン

江戸幕府に於ける出世城 (2026/03/07 訪問)

徳川家康公が浜松城を居城としていた期間は17年で駿府城に移った。その後、徳川氏の城代として菅沼定正公が入り、家康公が関東に移ってからは、豊臣氏の家臣堀尾吉晴公が入った。
延べ26人の浜松城主の中から、後に征夷大将軍となった徳川家康公をはじめ、江戸幕府下で老中5人、大阪城代2人、京都所司代2人、寺社奉行4人という幕府の要職に就く城主を多く輩出したことから浜松城は出世城として広く知られていた。

自分も出世がしたく、何度も浜松城に足を運んだが結局出世することがなく、今に及んでいます"(-""-)"ですが、浜松城の見どころ模擬天守、天守門、本丸周辺の石垣等々仕事でのストレスを発散させてくれます。特に石垣は、粗雑さと荒々しさがあるが、石垣の隅角は算木積みになっており、恰好良くまとまっていて自分の好きな石垣の一つです。

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イオ

指月伏見城と城下 (2025/08/09 訪問)

(続き)

城下をめぐる前に、まず指月伏見城から。巨大な方形城館だったとされますが、史料に乏しく所在地も不明で実在が疑問視されていたところ、発掘調査で南北にのびる内堀と東面の石垣、堀に埋められた多数の金箔瓦が発見されたことにより存在が裏付けられました。観月橋団地内のライオンズマンション前に説明板と発掘された石垣が移設されています。

廃城となった伏見城からは、石垣の石材は新しく築かれる淀城や大改修される大坂城に運ばれ、建物は各地の城や寺社に移築されています。これまでの城めぐりでも「伏見城の移築〇〇」という建物は数多く見かけていますが、城下にもいくつかの移築建物が見られました。

御香宮神社(京都市伏見区御香宮門前町)
神功皇后を主祭神とし、豊臣秀吉により伏見城の鬼門除けとして城内北東隅に移されていたのを徳川家康が元の地(現在地)に戻して本殿を造営。徳川頼房は伏見城の廃城にあたって大手門を表門として寄進し、徳川頼宣は拝殿を建立するなど徳川氏にゆかりの深い神社であり、摂社として東照宮が祀られています(豊国社もあります)。ブラタモリで観ましたが、幕府を開いた当初の家康は伏見にいることが多く、頼宣らは伏見の生まれと考えられるそうで、その縁もあっての寄進なんでしょうね。また、境内には伏見城の石垣石があちこちに見られます。

栄春寺(京都市伏見区桃山町丹下)
曹洞宗の寺院で、総門が伏見城の遺構とされます。観音堂には伏見城の戦いの際の血天井が移築されていると云われますが、栄春寺の説明板には血天井の記述はありませんでした。境内奥の墓地は一段高いところにあり、伏見城の唯一現存する惣構土塁です。

伏見城は天下人の城として、豊臣期にも徳川期にも城下に全国の大名屋敷が構えられました。往時の大名屋敷は現存しませんが、 黒田長政下屋敷跡参考地に石碑と説明板が立てられていたり、御香宮神社の南側、福島正則屋敷付近には「黒田節」誕生の地の説明板があったり、何もないように見えるところでも地名に屋敷の名残が残されていたりします。屋敷ではありませんが、仏国寺には伏見城廃城後に伏見奉行に任じられた小堀遠州の墓所もありました。

…てなところで、この日の本題、金龍紀行です。金森長近の伏見屋敷は御香宮神社西隣の「桃山町金森出雲」にあったとされます(石碑や説明板はありません)。長近は飛騨守なので本来なら「金森飛騨」となるところですが、養嗣子の金森可重の出雲守と混同されて伝わったのでしょうか。なお、栄春寺東隣の「深草大亀谷金森出雲町」が可重の屋敷跡と考えられます。

長近は茶人としても知られ、千利休や古田織部とも親交が深く、伏見屋敷で茶の湯を通じて秀吉とも家康・秀忠父子とも交流していました。後に東本願寺を建てる教如も茶の湯仲間であり、家康と教如を引き合わせたのも長近だったようです。家督を可重に譲って上有知に隠居してからも伏見屋敷に滞在することが多かったのも、茶の湯を通じた長近の人脈を家康が手放そうとしなかったからかもしれませんね。そして長近は伏見屋敷で息を引き取っています。
 

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ぴーかる

下里城 (2026/01/26 訪問)

【下里城】
<駐車場他>下里神社駐車場を利用
<交通手段>車

<感想>1泊2日紀伊半島1周、山城攻略旅5城目。城びと情報によると下里城は1462年に土井佐渡守によって築かれたとされます。先に述べておきますと、私有地なのか勝手に入っていい場所なのか分かりませんので、三重県制覇を目指さないのならば遠慮した方がいいです。<33.585615, 135.918515>にゲートがありますので、横から入って登っていきます。人が全くいなかったので、声かけできずに山頂まで10分程度、山頂の主郭と思われる場所はショベルカーで完全に改変されて公園のようになっていました。背後に岩盤を削った深い堀切があり、ここはなかなかの見応えです。主郭の中心に池がありそのまま残されています。段の境目に石垣があり、積み方が荒く遺構かとも見えました。

<満足度>◆◇◇

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todo94

宮崎県山間地の攻城① (2026/03/07 訪問)

朝田辰兵衛さん、返事がこんなに遅くなってしまい申し訳ありません。私は、日本人で最も多いA型のRh+です。もし、マレ血だったらこんなに自由に献血することはできません。もっともありふれた血液型は需要もまた多いということで自由に献血している次第です。献血は、献血解禁の16歳の時に初めてやって以来、はまっています。平成になってからは時間がかかる成分献血にシフトして、献血中に読書に勤しむようになりました。幼少のころからの私のもっとも歴史ある趣味が読書なのです。そして歴史小説中に出てきた場所に旅することが、今の城めぐりにつながっているという次第です。なお、タバコは今年の10月31日で禁煙が丸31年となります。ということは以前は吸っていたんですね。そしてアルコールは未だに断つに至っていません。

今回の行き先・宮崎は献血を4回しかしていない3県の中からチョイスしたわけですが、2025年2月に椎葉から西米良村の小川城にアクセスしようとして通行止めに阻まれたリベンジも大きな目的となっています。宿泊地の小林市に向かうのに高千穂まで来た道を引き返して八代経由というとんでもない大回りをさせられることとなり大変でした。1年越しでようやく攻城達成です。グーグルマップの小川城のマーカーは廃校についており、校舎の左手に城址碑があります。城郭建築風テイストの民俗資料館周辺は小川城址公園となっていて石垣を見ることができます。民俗資料館は展示リニューアルのため休館でした。こんな山奥まではなかなか来れないので何とも残念です。

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にのまる

駅鯱 (2025/09/29 訪問)

仙台から東北本線で移動。
船岡城は船岡駅から1kmくらい。大手門近くの公園登り口を利用しました。

桜の季節はたいへん賑わうそうですが、私が訪れたときは彼岸花が盛りで、真っ赤に埋め尽くされた沿道がとても美しかったです。

さらに「おーっ!」と思ったのは船岡駅舎の金鯱です。(船岡城に天守は……は置いておいて)お城をイメージした駅舎なのだと思いますが、この金鯱発見👀も大収穫でした🙌

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送りバント

20190413玖珠城(大分県玖珠郡玖珠町) (2019/04/13 訪問)

城址の伐株山頂までは車で行くことができる。整備された広い公園といった体裁だが、あちこちに残る土塁や、パラグライダーの方々が準備されている付近に残る畝状竪堀を確認。遮るものがない見事な眺望も満喫

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ジェイド

模擬天守は立派だけれど外からの見学のみ (2026/03/03 訪問)

京都駅より近鉄電車にて丹波橋駅で降りて、歩いて伏見城に向かいました。途中福島太夫段差と呼ばれている石垣が続いているところも見学しました。ずっと緩やかな上り坂です。
伏見桃山城は運動公園の中にあり、よって広い有料駐車場も完備された所にありましたが、訪問した際は誰もいなくて寂しい感じがしました。城の内部には入れないために外からの見学のみでした。
帰りに治部池をちょっと見て御香宮神社にて御城印を入手して伏見桃山駅より京阪本線にて大阪に向かいました。約1時間強の行程でした。
模擬天守は想像していたものよりずっと立派でした。

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ジェイド

模擬天守は立派だけれど外からの見学のみ (2026/03/03 訪問)

京都駅より近鉄電車にて丹波橋駅で降りて、歩いて伏見城に向かいました。途中福島太夫段差と呼ばれている石垣が続いているところも見学しました。ずっと緩やかな上り坂です。
伏見桃山城は運動公園の中にあり、よって広い有料駐車場も完備された所にありましたが、訪問した際は誰もいなくて寂しい感じがしました。城の内部には入れないために外からの見学のみでした。
帰りに治部池をちょっと見て御香宮神社にて御城印を入手して伏見桃山駅より京阪本線にて大阪に向かいました。約1時間強の行程でした。
模擬天守は想像していたものよりずっと立派でした。

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ジェイド

1時間半強の訪問でした (2026/03/04 訪問)

JR比叡山坂本駅より歩いて回りました。ルートは、坂本駅→聖衆来迎寺→坂本城本丸跡石垣→坂本城址公園→明智塚→東南寺→坂本城址の石碑→びわこ楽園ホテル井筒→JR唐崎駅でした。約1時間半強かかりました。
湖中の石垣が見れなかったのは残念でしたが、聖衆来迎寺では坂本城から移築した門を、城址公園では光秀の石像を見ることができました。東南寺は坂本城の跡地で、びわこ楽園ホテル井筒では御城印を購入しました。

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北近江豊臣博覧会 (2026/03/07 訪問)

 近くまで来たので寄ってきました。羽柴秀吉が築城した城ですが、大坂夏の陣の後廃城となり石垣、資材は彦根城に運ばれ昔の姿を見ることができません。現在の天守は1983年(昭和58年)に、東京工業大学名誉教授・藤岡通夫工学博士の設計指導により建てられた模擬天守です。犬山城や伏見城がモデルのようです。今では長浜市のシンボル的存在となっています。

 長浜市では大河ドラマ「豊臣兄弟」にあわせて北近江豊臣博覧会が開催されています。ついでに「豊臣兄弟!北近江長浜 大河ドラマ館」にも行って来ました。大河ドラマあると地元は盛り上がります。

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熊谷氏の城 (2026/03/07 訪問)

 熊谷氏の居城と伝えられますが、詳細はわかっていないようです。琵琶湖では古くから湖上交通が盛んで湖北三湊といわれた塩津・大浦・海津の湊が発達していました。また塩津と敦賀を 結ぶ深坂越えの塩津道が古くから陸路であり、この地は水陸交通の要所の地でした。
 堀切跡といわれている道路沿いの壊れて下がっているフェンスより登城しています。この日は晴れているかと思うと急に雨が降り出したり止んだりと不安定な天候でした。登城を開始したときには雨が降っていて傘を持っての散策開始でしたが、途中で雨は止み晴れ間が見えるようになりました。また帰りには少し雨が降っているという状況です。曲輪跡はよく残っていて、それなりに楽しめますが、上下の曲輪に移動する時に地面が雨の影響で水分を含んでいて、しかも粘土質の土で滑ってしまい苦労しました。

 JR木ノ本駅よりバスに乗り「道の駅あぢかまの里」バス停下車。徒歩約10で城址に行くことができます。バスの本数は少なく帰りは近江塩津駅まで歩きました。

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シェル

長倉城(茨城県常陸大宮市) 野口城に行ったら長倉城も!! (2026/03/02 訪問)

 城びと未登録ですが、個人的に野口城の周辺で、おすすめのお城なのでご紹介します。
 JR水戸駅北口7番のりば 御前山車庫行のバスに乗車し、野口城の最寄りの「那珂川大橋」のさらに先、「長倉宿」で下車。バス停から登城口まで、北に徒歩10分ほどです。
 長倉城は戦国時代の佐竹氏の山城で、その山麓に近世の水戸藩の陣屋である長倉陣屋跡もあります。野口城同様、市指定史跡となっています。
 登城口は蒼泉寺の東側にあります。看板が設置されているので分かりやすいと思います。
登城口を進むと、すぐに道の分岐があり、分岐点のところに説明板が設置されています。標柱もあったようですが、どうも折れてしまったのか?説明板の裏に立てかけてありました。
この分岐点の左の道が長倉城へ続く道、右の道が長倉陣屋跡に続く道となっています。

① 長倉城(山城)
 長倉城の本郭までの登城路は、木材のチップが敷かれていて、迷うことなく、本郭にたどり着くことができました。(説明板から本郭までは、大体15分くらいです。)
 野口城が堀切なら、長倉城の見どころは竪堀です。本郭の周囲に六本の竪堀が残っています。多くが藪になっていますが、本郭南側の竪堀は見学しやすいです。とても高低差があり迫力満点です。本郭周辺の切岸もかなりの高さになっています。
 本郭北東側には、横堀の遺構も残されています。ここは若干、藪になっており、斜面も急なので、山城装備万全の方のみ推奨です。

② 長倉陣屋跡(山麓)
 長倉城から下山し、説明板の分岐点を今度は陣屋跡の方面へ。説明板のすぐ東側の一帯が陣屋跡です。陣屋と言いつつも、けっこうな広さです。長倉陣屋は水戸藩の水戸徳川家の分枝の長倉松平家が入った陣屋になります。
 けっこう藪が多い状況で、一部は畑ですが、櫓台と桝形虎口の遺構がきれいに残されていて、一見の価値ありです!!

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刻印ツアー最高!

城郭協会主催の大坂城刻印ツアーに参加。刻印って気になってけど重要視はしてなかったけど、面白い。刻印を明確に刻んでる前田家のような武将もいれば、明確に刻まない武将もいる、関ヶ原以降の“現代のサラリーマン的社会”に似た組織においての生き様が現れてるようで楽しかった。

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シェル

二重堀切 (2026/01/15 訪問)

JR水戸駅北口7番のりばから野口車庫または御前山車庫行のバスに乗り「那珂川大橋」のバス停で下車。そこから徒歩10分弱です。
 お饅頭屋さんの隣のツルハの第一駐車場と第二駐車場の間の路地を入り、右に進んで坂を登っていくと、野口城跡の看板があります。
 看板の道を登っていくと、主郭跡に至り、標柱と説明板が設置されています。説明板手前の西側を見ると、5m弱の切岸があります。主郭は太陽光パネルと畑、北側奥が竹林となっています。

 見どころは、①主郭北側の二重堀切と②主郭西側の切岸と横堀、そして③北郭の3つです。

①主郭北側二重堀切
主郭の北側に二重堀切が残されています。
1条目の堀切は、説明板の道を北に進み、主郭奥の竹林を入った先から見学することができます。倒竹が多く、見学は大変でしたが、深さもけっこうあり、見ごたえがありました。主郭の土塁も竹林の中に確認できました。
そして、2条目の堀切は1条目の堀切よりも深く、約10mの深さがある大規模なもので、野口城の最大の見どころだと思います。ただ1条目の堀切から直接行くのは、高低差が激しく危険でしたので、回り道をして見学しました。後述の②主郭西側の横堀を抜けていくと、2条目の堀切の底にたどり着くことができます。

②主郭西側の切岸と横堀
説明板と太陽光パネルの南側に小道があり、そこから道なりに行くと主郭西側の横堀の堀底まで下ることができます。主郭西側の切岸は、なかなか迫力があります。横堀を北に進んで行くと、①の2条目の堀切を見学することができます。

③北郭
②の横堀を進むと、二重堀切の北に行く道につながっています。二重堀切の北側にも曲輪があり、一部は墓地になっていますが、道なりに進んで行くと虎口の遺構が残されています。さらに虎口の先に進んで行くと、道の左側に堀切が残されています。主郭の二重堀切と比べると規模は劣りますが、かなり良好な状態で残されていました。

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ホリタカ

内部は撮影禁止です (2026/02/23 訪問)

大政奉還で有名な、二の丸御殿の大広間は撮影禁止でした。一口城主になると缶バッジがもらえるのですが、その中に大広間がありました!

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Kappa0924

水口岡山城 (2021/04/10 訪問)

登城路、掘割、等よく整備されています

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Kappa0924

垂井城址 (2024/09/17 訪問)

専精寺の一角に案内板、等があります

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送りバント

20171117光岡城(大分県宇佐市) (2017/11/17 訪問)

専用駐車場が城址直下にあり。きれいに整備・復元されていて、単郭を二重土塁・空堀が取り囲む姿を確認できる

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送りバント

20250921上原館(大分県大分市) (2025/09/21 訪問)

大友館から転戦。館敷地の大半は宅地化されているものの、天満社に城址碑・案内板があり、土塁の一部が残る

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チェブ

赤城神社から御殿山城の巻。 (2026/02/28 訪問)

神楽坂で友達と散歩していたら偶然「御殿山城」に着きました。
以前と同様『御殿坂』の標柱を写し、散歩の続きをしました。

この日のメインは、神楽坂でカナルカフェでランチと赤城神社でお参りすること。
カナルカフェは「江戸城」の外堀の水辺にあるお店です。オープン前から行列ができていてテラス席を希望してましたが、私も友達2人も花粉症で辞退しました。

で、次に『赤城神社』。飯田橋駅からそんなに遠くないです。
赤城神社は1300年に群馬県の赤城山麓の豪族、大胡氏が移住して赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりです。
その後、1460年に太田 道灌さんが神威を尊んで、神楽坂に遷したそうです。(元は早稲田田島村)
たしか「御殿山城」は太田 道灌さんの館だったので合点。
そして、現在は隈研吾氏デザインのかっこいい社殿になってます。
木とガラス。写真を写そうとすると、たくさんの人と自分が写り込みます。
それから、狛犬がオカッパ頭で可愛いです。
お守りは女子が好きそうなモダンなデザイン。ゲゲゲの鬼太郎のちゃんちゃんこデザインのもありました。

『赤城神社』は女子の願いを叶えてくれるらしい。

こんな、勘違いから神楽坂散歩を計画しましたが、今と昔を行ったり来たりした「御殿山城」攻め(?)でした。

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