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坂元神社 (2022/09/23 訪問)

 坂元駅から徒歩約15分で、本丸跡の坂元神社に行くことできます。途中、移築された大手門等があります。神社の西側には見事な空堀がありました。土塁も少しですが残っています。

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チューリップガーデン (2022/09/23 訪問)

 チューリップガーデンとなっています。この時期はチューリップは咲いていないので訪問者は自分ひとりでした。主郭周囲に空堀や土塁が残っています。縄張り図を見るとさらに外に空堀があります。散策しようとしましたが、すごい藪で蜘蛛の巣も多く見られたため断念しました。

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いい空堀が残っています。 (2022/09/23 訪問)

 戦国時代は相馬氏と伊達氏の攻防戦があった城址ですが、戊辰戦争でも激戦地となっています。二重空堀などが残り非常に良い城址だと思います。桝形、土橋などもよく残っています。この地方では屈指の城址だと思います。ただ整備が十分ではなく藪になっている所も多く、よく見ることができません。散策するのに苦労しました。

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相馬利胤 (2022/09/23 訪問)

 相馬利胤が築き、明治まで相馬氏の居城であった城です。馬陵公園として整備されているため、あまり期待していなかったのですが、思ったより遺構があり楽しめました。土塁、水堀が多く残っていていい景観ですが、鉢巻石垣、空堀などもあり散策していて飽きません。雨の中、散策しました。予定していた時間を過ぎてしまいました。
JR相馬駅より徒歩15分くらいで行くことができます。途中に北外堀があります。

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相馬義胤 (2022/09/23 訪問)

 相馬氏の代々の居城で、小高神社を周辺に土塁と空堀の一部を見ることができます。
最近、近藤龍春の「奥州戦国に相馬奔る」という小説を読んで相馬氏に興味を持ちこの城に来ました。
JR小高駅から徒歩15分くらいです。

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古川第1小学校 (2022/09/22 訪問)

 古川第1小学校正門の横に案内板があり土塁が残っていたころの写真が表示してあります。近くの瑞川寺には、寺門風に一部改造して移築した搦手門があります。

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キンヤ

末裔の方がお住まいの居館 (2022/09/18 訪問)

この地の土豪の畑氏の居館で、県指定史跡となっています。
伊賀や甲賀の館城でよく見られるような方形の土塁囲みで堀もよく残っていました。

八上城などを巡った際、近くにあり併せて行きましたが、なかなか良かったです。

今も末裔の方がお住まいのようですが、よく整備されており遺構を残して頂き、見学もできて感謝です。

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ヒロケン

史上初の層塔型天守 (2022/08/18 訪問)

今治城は徳川家康公より伊予半国20万石を与えられた藤堂高虎公が新たに建設した、輪郭式平城です。関ヶ原の戦いの2年後に築城を開始し、約6年の歳月を経て完成しました。地の利を生かし、海水を引き入れた堀で大変珍しいお城です。一番の特徴は、海水を引いた三重の堀で囲まれ、軍港があること。城の規模は、3本の堀を含めて、一辺が約900mの正方形で、城下町は東西300m、南北500mの縄張りでした。
今治城のある地は、地盤が弱いため、杭を打ち込み、その上に石を並べるという方法がとられています。軟弱な地盤を補うため、本丸、二の丸の石垣の下に、犬走りを巡らせ城の重量に耐える目的で今治城の犬走りは造られています。
天守は、日本初の層塔型天守で積み上げ形式のため、設計と施行に手間がかからず工期の短縮が図れます。現在の今治城天守は丹波亀山城の古写真、今治城絵図、藤堂家の家譜「宗国史」などの資料を元にして城郭研究の権威者、藤岡通尾夫博士の指示を受けて再建されたそうです。

この日、宇和島を出発し大洲城をスルー(+o+)、松山城をスルー(>_<)し、向かったのが今治城でした(*^▽^*)。この日の日程が今治城、能島城(スタンプ押印のみ)、備中松山城(大松山含む)、岡山城であったことから大洲城・松山城を泣く泣く(T_T)諦めました。何故今治城にしたかというと、次の目的地能島城へのアクセスが良く30分程で能島へ到着できることと、前回今治城に訪問した際、カメラの充電切れでガラ携での撮影となり、カメラの画像と比べ小さく細長く迫力に欠けた画像となり、何時か再訪しようと考えていました。
今治城内堀を一周し、城内をくまなく散策(*^▽^*)天守、御金櫓(郷土美術館)、山里櫓(古美術館)、鉄御門(内部公開)、を一通り見学し、当時天守があったとされる吹揚神社に参拝し、今治城を満腹で後にしました。

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役所跡 (2022/09/22 訪問)

 発掘調査により8世紀前半に築かれた城柵とわかっています。石碑と案内板がありました。築地が崩壊した痕跡である土手状の高まりがどこかにあるとの情報がありましたが、どこにあるかわかりませんでした。

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斯波家兼 (2022/09/22 訪問)

 南北朝時代斯波家兼が築いたとされる城です。跡地である八幡神社に石碑と斯波家兼の像があります。近くに土塁があるとのことでしたが、今回は行っていません。

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伊達政宗 (2022/09/22 訪問)

 伊達政宗が一時期居城としていたことで知られた城ですが、現在は城山公園として整備されています。削平地が多くありますが、どこまでが昔の姿なのかわかりません。空堀や土塁の一部が残っています。有備館側から見ると東側は内川を挟んで断崖となっています。

 若い頃、山岡荘八の「伊達政宗」を読んだときに初めて知った城です。もう少し山奥にある印象でしたが、そうでもありませんでした。とはいっても園内には「出没注意 熊」の看板が多くあります。SL広場から本丸へ上がろうとすると、「土砂災害 通行止」の表示があり引き返そうとしましたが、散歩と思われる地元の方と思われる人たちが、複数上って行かれました。徒歩はいいのかと判断して散策させていただきました。散策した範囲では土砂災害の危険のありそうな場所はありませんでした。崖下で通行止めにして作業をしている方たちがいましたので、あの場所のことかと思います。

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大崎氏の城 (2022/09/22 訪問)

 奥州探題であった大崎氏の城ですが、古代には官衙がありました。両方の案内板が近距離に立っています。浄泉院周囲の北館跡周辺位空堀跡と思われる所がありますが、藪になっています。どこが遺構かどうか判断できませんでした。
東大崎駅から徒歩15分くらいで行くことができます。

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POYO58

長野旅行PART2 南大手門、北櫓、南櫓を見学 (2022/08/16 訪問)

松代城のあと高速道路を使って30分ほどかけて上田城に行きました。
上田城は真田昌幸は徳川家康の協力のもとで建てられた城です。その後、家康は北条家に上田の地を渡すために昌幸に上田を離れるよう求められましたが、当然拒否。怒った家康は上田城に2万の軍勢を送りましたが、真田昌幸のたった4000人の軍に苦しめられ撤退しました。(第一次上田城合戦) その後、昌幸は真田家を存続させたいと考えていたため、幸村を豊臣秀吉に、信之を徳川家康の元に就かせました。1600年、関ヶ原の戦いの時、徳川秀忠は2万の軍勢で上田城に攻めました。しかし、上田城の堅固さに圧倒され、秀忠は関ヶ原の援軍に遅れるという大失敗を犯してしまいました。(第二時上田城合戦)。その数年後、大阪の陣の際、徳川方の真田信之は上田城を攻めますが、幸村は兄のことを思い、砥石城へ撤退しました。信之は弟の幸村の笑顔しか見たことがないとも言っていたそうです。こうして上田城の歴史は幕を閉じました。不落城の城となりました。

まず最初に上田城の復元された南大手門を通りました。そこには真田石がありました。真田石とは、とても大きい岩のことで、信之がその石を動かそうとした時、一切動かなかったとされているものです。真田石を写真に収めたあと、後ろを振り返ると、櫓三基の内の二つ、南櫓と北櫓を見ました。中に入れるそうなので、お金を払って中に入りました。櫓は二つとも二階建てで、発掘調査で発見されたものが展示されていました。ちなみに南櫓と北櫓は明治時代に遊郭として使われていたそうです。その後移築復元の際、少し解体したそうですが、当時のものと変わらない現存建築物です。
その後、本丸にある眞田神社でお参りをしました。その隣に御城印が売ってます。ちなみにスタンプは大手門の近くにありました。
さて、次は西櫓へ行きます。続く

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bono

姫路城と特別公開

久しぶりに来ました。時間帯もよかったのか、比較的空いていて見学しやすかったです。昔来た時より見学に時間がかかってしまうのは、じっくり観る力がついたのか、それとも年齢か(笑)

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walkman

場所が不明だが (2022/07/13 訪問)

場所がイマイチ不明ですが、とりあえず訪れました。

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キンヤ

波々伯部氏の本城 (2022/09/18 訪問)

丹波で有力な豪族 波々伯部氏の本城とされます。
波々伯部氏は戦国期には八上城の波多野氏に従っていましたが、明智光秀の丹波攻めの時には落ちる前に退散したようです。

コンパクトな縄張りで比高は低く楽に登ることでき、主郭・ニ郭周りの竪堀・横堀・切岸・堀切・腰郭など、しっかりした遺構がよく残されていました。
主郭の北下の高い切岸、広い二郭の北下の大堀切が見応えありました。
竪堀が7ヵ所位ありますが、中でも二郭の東下の竪堀は、横堀から折れて竪堀に繋がっており長大で一番の見所だと思いました。

地元の方が案内板や登り道を整備して下さっているお陰で夏でも見学し易く感謝します。

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キンヤ

大規模な波多野氏の居城 (2022/09/18 訪問)

丹波の有力国人波多野氏代々の居城で、明智光秀の兵糧攻めにより落とされた悲劇の城で有名です。

春日神社・主膳屋敷から登ると西尾根は多数の曲輪が配置され堀切もあり堅い守りです。
山頂部は伐採され景色が良いものの夏場は草が生えて遺構を見辛い面もありましたが、右衛門丸と本丸には石垣が見られました。
本丸の南東側下に水ノ手曲輪があり、朝路池を守る池東番所・池西番所の南側の堀切・竪堀が遺構としては1番の見所と思いました。
北東尾根には、いくつかの曲輪が配置され、北側には5ヶ所位で竪堀が見られました。
北東端の西蔵丸の手前から藤ノ木坂口へ下山しました。

トータルで3時間以上かかりましたが、見所が多く素晴らしい山城でした。
黒井城・八木城と共に丹波三大山城といわれますが、八上城は他の二城よりも更に大規模な縄張りだと思いました。

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カズサン

もう本丸御殿の礎石は見れません (2005/05/14 訪問)

 名古屋城の天守閣、本丸御殿、諸建物は先の大戦で昭和20年5月14日米軍の空襲にて焼失しました、戦後復興名古屋の頑張りで天守閣は昭和34年外観復元で再建され現在の状態で63年経ちました。
 本丸御殿は平成21年1月工事着工、第一期公開平成25年5月、第二期公開平成28年6月、第三期全面公開平成30年6月にて木造完全復元が完成しました。素晴らしい出来で創建時のあでやかさを彷彿させます。

 17年前の平成17年5月14日、家内が同年2月に完成開港したセントレア中部国際空港を見たいとの希望で出掛け、セントレアの前に名古屋城に寄りました、後で調べて訪ねた5月14日は名古屋城空襲の日、創建時の建物が焼失した日の見学と成って仕舞いました。
 チョイ寄りでしたので天守閣には登らず、本丸に入り撮影、何かイベントが有ったようですが記憶に現在は有りません。
 本丸御殿の再建工事前の発掘調査の前年に訪ねて、写真でも本丸御殿の礎石が写ってる最後の写真では無いでしょうか?礎石も整然と綺麗に整備されていたころの写真と天守閣を投稿します。
 
 木造復元天守閣が断念された事は残念ですが致し方なし、今後現天守閣の内部見学はどうなるのでしょうか?
 

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ごぶ

越前大野城 (2022/09/05 訪問)

織田信長の家臣、金森長近が築いた平山城(249m)。天守閣は昭和時代に再建されたものです。「野面積み」の石垣が特徴です。そんなに高くなく、麓から登る道も綺麗に整備され、坂道だけの九十九折ルートに途中階段のショートカットが組み合わせれていて、年齢を問わず誰でも登ることができるのが好印象でした。ここなら毎日登りたいですね。
各地にある他の天空のお城と異なり、唯一天守閣と雲海の組み合わせが見られるので有名です。ただ年にほんの数回なのがネックだそうです。
東側結ステーションから天守まで20分弱、往復1時間半ほどです。最悪サンダル履きでも大丈夫です。

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赤い城

駅直結の優良物件。 (2022/08/28 訪問)

佐野駅からすぐ北側に出ると三の丸。
城山公園として整備されています。
駐車場もあります。
三の丸、二の丸、本丸、北出丸と連なりそれぞれ堀切で仕切られています。
二の丸には城山歴史館があり少ないですが資料が展示されています。
本丸には虎口や石畳の石がありました。
唐沢山城の支城でしたが唐沢山城の廃城により佐野氏が居城とした城です。
今回は歩きませんでしたが外郭には総堀があり、一部遺構も残っているようです。

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