大友宗麟、名島城・多々良川の戦いからの続き(7)です。
筑後高良山は何度も大友軍が陣を敷いた場所です。その痕跡を探しに高良山へ登ってきました。でも大友の話は後日お伝えする事として、今回はまたちょっと脱線して、高良山と言えばやはり神籠石が有名なので、その様子から先にお伝えしようと思います。
「高良山神籠石」は、位置から考えた私の推測ですが、668年天智天皇が大宰府政庁に築いた「大野城・水城・基肄城」の防衛ラインと兵站の補給基地である「鞠智城」とのちょうど中間地点にあるので、補給路を守る役割と大宰府の背後の詰城的な役割も担っていたのではないかと思います。
しかし他の神籠石と異なるのは、一段で横一列にずらりと並べて置かれているという点です。大野城や基肄城などでは防御のための石垣的な役割があったと思いますが(山城説)、ここ高良山では、この囲まれた区域が神域である事を示すだけでなく、神聖な登山道が風雨で崩れないように道を守り、また登山者が道に迷わないように、石列に沿って登れば高良大社まで無事に辿り着きますよという、道標的な役割もあったのではないかと私は推測しています(神域説+道標)。
JR久留米大学駅から歩いてもいいですが、私は西鉄久留米駅から「竹の子」行のバスに乗り「御井(みい)町」で下車しました(写真⑩)。こちらの方が1km程近く、一ノ鳥居のすぐ前です。車の方は、一ノ鳥居からさらに高良大社まで直接行ける車道もありますが、あまり楽をして登ると御利益はないかも?(笑)。よって、二ノ鳥居の手前には、いちおう広い登山者用駐車場もある事をお伝えしておきます。
一ノ鳥居から10分程歩くと二ノ鳥居に着きます(写真①)。鳥居をくぐって、ここから400段の石段を登るのが、おそらく江戸時代に出来た正規の参詣ルートです。多くの登山者がそこから登っていました。しかし神籠石が見たい私は、二ノ鳥居の右側から細い道に入り、水門跡をぬけて神籠石に沿って大社まで登って行く自然遊歩道のルートを選択しました(写真②③④)。そして帰りは石段ルートで下山しました。
この1.6kmも神籠石が並ぶ道をずっと歩く遊歩道(登山道)は、とても壮観です。1350年前の大和時代から戦国時代までは、この道が正規の登山ルートだったのではと推測します。この神籠石の列は、山をぐるりと囲むように4kmにも渡って築かれているそうで、全部で1300個もの石が並べられていると書いてありました(いったい誰が数えたのだろう🤔?)。よくまあ大昔に、こんなにたくさんの大きな石を運んで、四角に削ってずらりと並べたものだと思います(写真⑤⑥⑦)。
そして石に沿って登る事60分、高良大社の社殿にたどり着く事ができました(標高約300m付近)。このような立派な社殿を整備したのは、江戸時代の久留米藩三代藩主の有馬頼利だそうです(写真⑧⑨)。
この先は、大友氏の痕跡を探しに、さらに高良山の山頂にある「毘沙門岳城」まで登ってみようと思います。
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