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昌官忠

(東海&関西)遠征20日目:虎城山城 (2025/06/03 訪問)

古座駅に着きましたが、朝からの強雨と汗で体温が下がり、風邪をひいたようです。
持参している薬を飲み、しばらくの間、古座駅で様子を見ました。薬を飲んだとはいえ速攻で効くわけもありません。
今回の遠征はあと5日間ある為、大事をとって古座駅で撤退することにしました。
当初の計画では、古座駅➡稲荷山城(城びと未登録 和歌山県串本町)➡虎城山城➡小山城(城びと未登録 和歌山県串本町)➡小山屋敷(城びと未登録 和歌山県那串本町)を巡る予定でした。

1581年(天正9年)高川原貞盛によって築かれたと云われています。
青原寺は貞盛の子家盛が慶長年間(1596-1615)に開基した高川原氏の菩提寺です。
高川原氏は伊勢国司北畠具教に仕え、その後織田信長の家臣滝川一益に従いましたが、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで家盛が西軍に属したため、改易となり城も廃城となりました。
しかし、家盛の子孫が城跡に代々住居を構えていたそうです。

方向音痴の自分が、虎城山城方面の写真をとりましたが、後で調べたらもっと南西方向でした。
攻城時間は25分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストになりました。
本日の宿泊先に行く為、新宮駅に戻り荷物をコインロッカーより取り出し後、新宮駅から電車で伊勢市駅に向かいました。
歩行歩数=12242歩、歩行距離=8.6Kmです。

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昌官忠

(東海&関西)遠征20日目:下里城 (2025/06/03 訪問)

下里駅から徒歩10分くらいで、山に向かう道付近(33.585619、135.918575)に着きました。

1462年(寛正3年)土井佐渡守によって築かれたと云われています。
その後も下里城には土井氏が居住していましたが、1572年(天正9年)新宮城の堀内氏善は、「土井の城」を攻撃して蹴散らしたそうです。
この「土井の城」が下里城であった可能性が高いと考えられています。

土井氏の菩提寺である竜蔵寺が南側にあり、下里駅に戻る途中で寄ってみました。
墓地には五輪の塔が4基祀られていましたが、土井氏の墓なのかは不明です。
眺望の写真を撮りましたが、雨の為、レンズが曇ってしまい投稿できません。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=虎城山城を目指す為、下里駅から電車で古座駅に向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征20日目:熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町) (2025/06/03 訪問)

那智の滝から徒歩20分くらいで、熊野那智大社二の鳥居(33.668503、135.890447)に着きました。
熊野本宮大社は城跡ではありませんが、熊野に来たら世界遺産である熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を訪問しようと思っていました。
今回の訪問で熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)コンプリートです。
大雨の中の階段は、少し疲れましたし、写真もちょっとピンボケ気味ですが、ご容赦ください。
大雨で全身びっしょり濡れています。着替えることもできず、風邪をひくのは確定です。

①御本殿 ②礼殿 ③御縣彦社・八咫烏 ④烏石(見落としました) ⑤樟霊社(大樟胎内くぐりはしていません) などを見学しました。
観光時間は60分くらいでした。次の攻城先=下里城を目指す為、那智山バス停からバス➡電車を乗り継ぎ、下里駅に向かいました。
当初の計画では、那智駅周辺の勝山城南出城(城びと未登録 和歌山県那智勝浦町)➡紀伊勝山城(城びと未登録 和歌山県那智勝浦町)➡勝山城東出城(城びと未登録 和歌山県那智勝浦町)➡補陀洛山寺(城びと未登録 和歌山県那智勝浦町)を巡る予定でした。
しかし、大雨の為、断念しました。電車の待ち時間に那智駅隣の「道の駅 なち」のトイレで、服を着替えましたが、悪寒がします。風邪確定です。

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昌官忠

(東海&関西)遠征20日目:那智の滝(和歌山県那智勝浦町) (2025/06/03 訪問)

ホテル最寄りの新宮駅から電車➡バスを乗り継いで、那智の滝の前バス停に着きました。
そこから徒歩5分くらいで、御瀧本祈願所(33.674276、135.887640)に着きました。

世界遺産である熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)社と那智の滝は自分としてはセットなので、訪問しました。
今回の訪問で日本三名瀑(那智の滝、華厳滝、袋田の滝)コンプリートです。
雨の中の写真で、ちょっとピンボケ気味なのはご容赦ください。
観光時間は10分くらいでした。次の観光先=熊野那智大社に徒歩で向かいました。

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朝田 辰兵衛

桶狭間古戦場(愛知県豊明市) (2025/03/21 訪問)

沓掛城に来たらここは外せないということで,やって来ました。中京競馬場前駅を出るとすぐに桶狭間古戦場伝承地。徒歩約15分で桶狭間古戦場公園。何気に今川義元推しに思えました。
伝承地のほうに「今川義元戦死所碑」。公園のほうに「今川義元戦死地碑」。どう違いがあるのかわからないけど,こんな近距離だったらどっちでもいい気分です。

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しんちゃん

大予言 (2025/06/29 訪問)

7月5日の予言がちょっとだけ気になったので今週の城攻めはお休みです。津波が来たら親を連れて丘の上まで逃げますか。
まあ、よっぽど当たることはないだろうと思っていたら、またオカンが体調を崩してダウンです。結果的に家に居て良かった、オレ的には例の予言は役に立ちましたよ。サンキューです。
小波城は、山陰自動車道の西側の丘陵に築かれていたとされ、すぐ近くを車道が通っているので、アクセスはそれほど悪くは無い。
全体的に酷い藪に覆われていて、遺構の判別はほぼ不可能です。東側からアクセスを試みましたが、チェーンに阻まれて引き返します。逆にこの酷い藪から解放されて少し、ホッとしている。できればもっと気持ちよく散策したいものだ。

後醍醐天皇が隠岐島を脱出して、船上山に立てこもった際に、隠岐国守護の佐々木清高は天皇を追って小波城に入り、船上山を攻撃したとされます。しかし船上山を落とすことは出来ず、逆に天皇方の攻撃を受けますが小波城の抵抗も激しく双方に多大な被害が出たようです。夜中になって、名和長年が松明を投げ入れるなどして火攻めを行ってきたので、佐々木清高は隠岐国に退いたようです。

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ぴーかる

社山城 (2025/05/04 訪問)

【社山城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.817355,137.854148>の茶畑横に2台程停めれる。
<交通手段>車

<見所>横堀・竪堀・堀切・土塁
<感想>日帰り今シーズン山城ラスト旅3城目。現地説明板によると社山城の築城者・築城年代とも定かではないようです。文亀年代(1501~1503年)のころ今川氏と斯波氏との間に抗争の舞台になったという記録があります。その後今川氏の支配下に置かれ、今川氏衰退の後は徳川家康の支配下に置かれます。1572年に武田信玄の遠江侵攻、二俣城攻めで一旦落城したと考えられますが、1573年に徳川家康が修理したという記録を最後に記録が途絶えています。
 登城口は上記駐車ポイントと東側から通っている道路からと2箇所あるようです。登城道は整備され、足場も組まれているので楽に登城できます。上記駐車ポイントからだと登り始めてすぐに北の曲輪の横堀が右手に見られるます。横堀の上部に堡塁があり、礫石が多くあります。石組壇の櫓があったように思います。進むと細い土橋の大堀切があり、主郭に至ります。主郭は東西に広い長方形で西面と南面に横堀、北側は2郭と隔てる大堀切、東面は崖になっています。南面の横堀は長大で土塁上には多くの礫石があります。この横堀はすごい見応えがあり、武田流の横堀といわれる構造ですが、武田信玄の手は加わえられていないようなので私的な考えではこういう長大な横堀構造は駿河・遠江・甲斐に元々あった造りだったようにも感じた。
 文書が逸れましたが、戻って、主郭南側の横堀のさらに南側は竪堀と小曲輪とが入り組んでいる防御構造となっています。一帯の散策がすごく楽しいです。主郭から北側に2郭があり、主郭程の広さがあります。2郭北側に切岸の高い大堀切があります。2郭の北側にも尾根上の曲輪が伸びていて、数ヵ所堀切で仕切っています。現地説明板には主郭と2郭の東側にも腰曲輪が連なっているのでチャレンジしましたが、道が無くて断念しました。横堀・堀切がダイナミックで堡塁などに礫石が残っていて、かなり見応えがあり、散策が楽しい城跡でした。お勧め山城です。

<満足度>◆◆◆

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ヒロケン

飛騨の城 (2025/07/05 訪問)

鍋山城は3つの山によって構築され、大鍋山山頂に本丸、小鍋山山頂に二の丸、下鍋山に出丸は配されています。本丸は標高752mの山上にあり、東側と西側に石垣が現存しています。鍋山城の築城については、飛騨の小領主鍋山氏が築城したが、飛騨南部で勢力を増していた三木氏にくだり、鍋山城は三木氏のものとなっています。
その後、本能寺の変を経て、羽柴秀吉公が天下を平定しようとしていたが、三木自綱公はこれに従わず、佐々成政公と組んだ為、秀吉公から命を受けた金森長近公の攻撃を受け三木氏は滅んでいます。秀吉公から飛騨を与えられた金森氏は最初この鍋山城を本拠としましたが、広い土地が無く、交通の便も悪かった為、高山城を築城し、鍋山城は廃城となっています。

この日、webで大地震が起こると予言されており、信じてはいなかったが取り合えず山の方へ行ってみるかと思い、前から「行ってみたい」としていた鍋山城へGO。東海北陸道を飛騨高山を目指し北進、高山市漆垣内の四天王神社をナヴィにセットし、迷わず登城口へ。
登城口から中々の急坂を登ること20分程で主郭部に到達できます。

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チェブ

消しゴムマジック。 (2025/06/28 訪問)

33度の東京の端っこから、30度の茨城県石岡市に4時間かけて逃げて来ました。←高速道路を使った方が利口なのは理解しています。
今日はもっと暑いので、冬眠ならぬ夏眠です。

『柿岡小学校』周辺が「柿岡城」です。小高くなっていますので、目指しやすかったです。
路駐して「柿岡城」の説明板をパチッ。
奥にお墓があったので、駐車場を借りようと思いましたが草刈り中で、またしても路駐。
説明板にある城趾路図を見ながら足早にぐるっと歩きました。
「柿岡城」は八田 知家さんの子、時家さんが築きました。
八田 知家さんは2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で市原 隼人さんが演じてました。一匹狼風で上半身裸で力仕事をしているイメージしか思い出せません、、、。
説明板の後半には、梶原 政景さんのお名前がありました。こちらは、鎌倉殿での梶原 景時さんとつながるかと思いましたが関係なさそうです。

写真の確認していたら、車や人が写り込んでしまいました。消しゴムマジック発動。
なぜだろ、5枚ほど写真が消えてしまいました。

久々の城びと企画『赤色立体地図お城カルタ』楽しみです。
携帯も使いこなせず、お城の縄張りも今一つピンとこない、地図だって読めていないのに『赤色立体地図』に立ち向えるのであろーか。
でも、楽しみてす。

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あみりん

タクシーで登城 (2025/07/06 訪問)

豊後竹田からタクシーで岡城まで。
暑いので諦めていたが、タクシーなら行けることがわかりお願いしちゃいました。昔の人は凄いなあ。楽して御免なさい。素晴らしい石垣、素晴らしい景色でした。

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しんちゃん

白河小峰城 (2025/09/15 訪問)

白河小峰城の投稿が止まらないので、無印で投稿。三重櫓の脇には人柱となった「おとめ」を憐れんで植えられた「おとめ桜」が立っています。あくまで伝説とは思いますが、実際の所はどうなんだろ? 郡上八幡城の人柱キャラクター「およし」ちゃん(非公認)がシンパシーを感じていたようだけど。
帯曲輪門跡を抜けて富士見櫓台から雪見櫓台までの本丸西面の石垣を見に行きます。しかし「月見」「富士見」「雪見」と櫓の名前がみな、オシャーですな。某アプリで私の放った忍びは某所で〇〇〇見ばかりしているようですが、えらい違いだぜ。
本丸西面から北面にかけて、案内板で修復箇所の説明をしてくれているので解りやすい。西面と雪見櫓の境目はわずかに外開きになっているのだが、接合部の石をその形に合わせて加工している。
「変態」だっ!

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しんちゃん

造形美の極み (2024/09/15 訪問)

周囲の石垣を見に行く前に、まずは再建された三重櫓を見に行きます。櫓とはいえ実質天守と言って良い建物です。三層目をあえて小さく造っていることで、逆に高くそびえ立っているように見えます。遠近法を利用しているのだと思うけど、何度見ても素晴らしい「天守」です。内部がエレベータでギチギチの鉄筋コンクリートの天守も素晴らしいと思いますが、俺はこっちの方がずっと好きだな~。
本丸御殿が無い分、前御門と三重櫓の組み合わせを、あらゆる角度から十分堪能できる。黒塗の板を張った「下見板張」となっていて、黒と白、そして青い空とのコントラストがまた素晴らしい。

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しんちゃん

震災からの復旧 (2025/09/15 訪問)

平成23年3月11日の地震(東日本大震災・現地震度6)により白河小峰城の石垣が9か所にわたって崩落してしまいました。さらに余震で1か所が崩れ、その後14年もの歳月をかけて今の状況まで復旧が進んでいます。まさに血のにじむような努力ですね.・・

グッジョブです!! (一言で済ますな)

グッジョブと言っても、最上級のグッジョブです。本丸南面の崩落はかなりの物だったようですが、特徴的な逆アーチの石垣を含めて見事に復旧しています。大きなダメージを受けた月見櫓台や本丸北・西面の石垣も復旧がされていました。大手についている清水門は復元工事中なので通行は出来ませんが、復元が成された際には必ず見に行きますよ。
石垣だけの城も素晴らしいと思いますが、イチゴの乗っていないショートケーキみたいで、何かが足りない気がする。これは言ってはいけないやつだったか・・・・・

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しんちゃん

太鼓やぐら (2024/09/15 訪問)

そういえば、白河小峰城は「だるまバーガー」の投稿しかしてなかった。二ノ丸茶屋で売っている「武将だるま」は絶対買いですぜ。
太鼓櫓は元は二の丸の南側入り口にあたる太鼓門西側に立てられていたそうです。明治7年より民間に払下げられ、幾度かの移築・改修を受け現在に至ります。定期公開もされているようなので、入れた人はラッキーかも。

城内の案内板を参照にすると、興国・正平年間(1340~69ごろ)白河庄の領主・結城宗広の嫡男・親朝(小峰家)により築かれたのが始まりのようです。やがて内紛で小峰家が力をつけ白河結城家を代表するようになりますが、豊臣秀吉の奥州仕置によって白河結城家は改易され、白河小峰城には城代が置かれました。
寛永4年(1627)白河藩が立藩し、幕命を受け、4年の歳月をかけ梯郭式平山城の近世城郭として大改修を受けました。
戊辰戦争の際に奥羽越列藩同盟軍と新政府軍の戦いに巻き込まれ、城内の多くの建物は消失しましたが、平成3年に三重櫓・6年に前御門が木造で忠実に再現されました。

本丸の石垣はところどころ逆アーチの積み方をしている箇所があります。面白い積み方だけど意味があるのかな? 


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うさ

滝山城 (2025/06/14 訪問)

八王子駅からバスで登城。入り口わかりやすかったです。
案内板がたくさんあり、整備された平山城です。
雨でもギリ楽しめます。

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うさ

鉢形城 (2025/06/14 訪問)

駅から近いので徒歩で行けます。
が、電車の本数が少ない時があるので確認した方が良いと思います。

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昌官忠

(東海&関西)遠征19日目:神倉神社(和歌山県新宮市) (2025/06/02 訪問)

神倉神社前バス停から徒歩2~3分で、神倉神社第1駐車場(33.724345、135.984619)に着きました。
神倉神社は城跡ではありませんが、世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産のひとつ、熊野速玉神社(熊野三山)の飛び地摂社にあたります。
神倉神社第1駐車場から500段以上(538段らしいですが、数えていません)の急峻な石段を登り社殿を目指しました。

御神体はゴトビキ岩で、ゴトビキはヒキガエルの方言。ゴトビキ岩を袈裟岩が支える構造になっています。
ゴトビキ岩は天に向かった男根を祀っているようです。
社殿下の広場は新宮市と海を見晴らすビュースポットです。
小雨が降る中、暗くなり始めた石段を下りるのは本当に怖かったです。石段に手を添えて這って下りる感じで、登りより下りの方が時間がかかりました。
観光時間は30分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先へは、ここから徒歩で向かいました。
歩行歩数=38676歩、歩行距離=27.1Kmです。

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昌官忠

(東海&関西)遠征19日目:熊野本宮大社(和歌山県田辺市) (2025/06/02 訪問)

熊野御坊南海バスの「悠遊フリー1日乗車券」を購入し、熊野本宮大社に来ました。帰りのバスもこの乗車券で帰ります。
計算しましたが、翌日に那智の滝&熊野那智大社を行くことを考えたら「悠遊フリー2日乗車券」=3500円を購入した方が割安でした。
本宮大社前バス停から徒歩2~3分で、熊野本宮大社大鳥居(33.838722、135.774630)に着きました。
熊野本宮大社は城跡ではありませんが、熊野に来たら世界遺産である熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を訪問しようと思っていました。

以下の順番で巡りました。
 ①:熊野本宮大社
   ・大鳥居(表鳥居) ・瑞鳳殿 ・宝物殿 ・多羅葉のご神木と黒い八咫烏ポスト(見逃しました) ・亀石 ・黎明殿 ・神門 ・拝殿 などを見学
 ②:祓殿石塚遺跡(33.843911、135.772179)
 ③:熊野古道中辺路石畳道(33.845430、135.770897)
 ④:ちょっとよりみち大斎原展望台(33.847651、135.769630)➡歩いても展望台は見つかりませんでした。
 ⑤:大斎原の鳥居と産田社
観光時間は90分くらいでした。次の観光先=神倉神社を目指す為、本宮大社前バス停からバスで神倉神社前バス停に向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征19日目:徐福公園(和歌山県新宮市) (2025/06/02 訪問)

浮島の森から徒歩10分弱とで、正門前(33.725648、135.995471)に着きました。

古代中国の始皇帝の命により不老伏の薬を捜しに来た徐福が祀られている公園です。
立派な正門や裏門、不老不死の池があります。
徐福のお墓ほや徐福の重臣たち7人を祀った七塚の碑もあります。
観光時間は20分くらいでした。次の観光先=熊野本宮大社へ向かう為、新宮駅バス停からバスで本宮大社前バス停に向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征19日目:浮島の森(和歌山県新宮市) (2025/06/02 訪問)

越路城(城びと未登録 和歌山県新宮市)から徒歩20分くらいで、浮島の森入場口(33.725903、135.990506)に着きました。

泥炭層の沼が分離して浮いた部分が島になっているそうです。
ちなみにいたる所が沼化しているので、桟橋から下りると危ないらしいです。
入館料は110円で、9:00~17:00まで開いています。
観光時間は15分くらいでした。次の観光先=徐福公園に徒歩で向かいました。

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