小田原城訪問に合わせて、総構一周のイベントに参加しました。総構は全長約9kmに及ぶ外郭防御線で、現在は宅地化や道路整備により原形をとどめない区間も多いですが、各所に遺構が残ります。連上院土塁、早川口二重戸張、小峰御鐘ノ台大堀切、さらに稲荷森や城下張出の各堀跡などの総構を堪能できました。実際に総構の現存区間を歩くことで、小田原城の広大な防御体系を実感できますね。
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2026/03/15 13:48
小田原城/総構探訪 (2026/03/08 訪問)
小田原城訪問に合わせて、総構一周のイベントに参加しました。総構は全長約9kmに及ぶ外郭防御線で、現在は宅地化や道路整備により原形をとどめない区間も多いですが、各所に遺構が残ります。連上院土塁、早川口二重戸張、小峰御鐘ノ台大堀切、さらに稲荷森や城下張出の各堀跡などの総構を堪能できました。実際に総構の現存区間を歩くことで、小田原城の広大な防御体系を実感できますね。
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2026/03/15 13:33
小田原城探訪 (2026/03/07 訪問)
小田原城を訪問しました。およそ八年ぶりの再訪となります。小田原城は駅から近いため徒歩にてアクセスができます。散策は定番ルートの正面入口である馬出門から入り、銅門、常盤木門と進んで本丸へ向かいました。本丸の天守閣は再建ながら、風格がありますね。その後。前回歩かなかった小峰曲輪、南曲輪、御茶壷曲輪を巡ってみました。南曲輪では関東大震災で崩れた本丸石垣をみることができます。当時の揺れの激しさを物語っているようです。
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2026/03/15 11:00
2026/03/15 07:08
宮崎県の攻城④その2 二の丸・三の丸・西ノ城 (2026/03/07 訪問)
二の丸の土塁は本丸より高さがあります。二の丸から三の丸や西ノ城を望む景観は、この城の白眉ではないでしょうか。二の丸と三の丸の間の空堀もかなりの規模を誇っています。西ノ城、三の丸とめぐって都於郡城を後にしました。高速を使って宮崎空港に向かい、レンタカーを返却して宮崎空港駅から宮崎駅にアクセス。16:15の予約時刻前に献血ルーム入りすることができました。トリマでの血漿成分献血を無事終え、高千穂通りに繰り出します。この日は、第12回まつり宮崎が開催されていて、都於郡城のある宮崎県西都市出身の米良美一さんの「もののけ姫」の生演奏を楽しむことができました。こんな人出の多い日でしたが、空きのある店を紹介していただき、地鶏の炭火焼き、真鯛と日向夏のカルパッチョ、日本酒、焼酎、クラフトビールなど晩酌で宮崎のグルメを楽しむことができたのもラッキーでした。
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2026/03/14 22:19
2026年の城はじめ…🏰 (2026/02/21 訪問)
遅ればせながら,2026年の城はじめをアップします。
ここをチョイスした理由は,高崎駅で上越新幹線から両毛線に乗り換えたのですが,タイミングの関係で「伊勢崎駅終点」だったこと。効率よく散策できれば,小山駅行きにちょうど良く間に合うハズ…と。ま,けっこうギリでしたが,間に合いました。自分自身の回復具合にも「よしよし」と。
チェブさん予想の「群馬県」,正解です!
伊勢崎陣屋ですが,時鐘撮影時に,自分自身の影が入り込まないようなポイント選びが大変でした。しかし,雨男の私の城はじめが晴天に恵まれたワケなので,嬉しい気持ちが勝りました。
さて,2026年の目標ですが…
①長崎県の未投稿城を解消する(5月)
②赤色かるた城の全訪城(9月)
③山梨県城びと登録城コンプリート(10月または11月)
全て,天候によって流れてしまいます。9月は自身2度目の対馬を予定。金田城もしっかり満喫したいです。山梨県も源太ヶ城という標高の高い城を残していますので,天候次第で翌年に持ち越す可能性もあります。
そうそう,3月20~23日は,関西エリアに出没します。天候も悪くなさそうで安堵しております。
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2026/03/14 19:35
2026/03/14 19:16
胡蝶記〜若き信長 (2026/03/14 訪問)
(参考URL)https://rekishi-kanko.pref.aichi.jp/place/place5.html
桶狭間の戦いの際…信長は清洲城→熱田神宮→この地に馬で移動🐎この砦の下に兵を集結させて桶狭間…今川義元の本陣へ攻め込んだ
しかし現在…砦の面影はかけらも無く…ただの公園🛝サッカーをする子供たち⚽️私に向かって吠える犬🐶しかいなかった😅周りは家だらけ
公園の面積からして…おそらくここも…当時の規模をかなり縮小して跡地として残してるパターンだと思う
善照寺砦がどういう建物だったか?イメージを得たい方は「胡蝶記〜若き信長」というアニメをご覧になって下さい…第一話と最終話に出てきますので
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2026/03/14 09:51
2026/03/14 09:15
2026/03/14 09:10
2026/03/14 07:27
宮崎県の攻城④その1 麓から本丸迄 (2026/03/07 訪問)
三納城からの転戦です。せっかく近くまで来てちょうどよい時間も確保できそうだったので、立ち寄っていくことにしました。宮崎県の城の中で私の最も好きな城が都於郡城なのです。これが4回目の都於郡城ですが、伊東氏の本城だけあって非常に見ごたえがあります。初めて来たのは2007年4月下旬でした。3月は4月より緑色が淡いのですが、見栄えがとても良く感じます。桜の花が咲いている時期は、曲輪をきれいに見渡すことができなくなるので、3月上中旬はこの城の魅力をもっともよく感じることのできるベストシーズンなのではないかと思います。都於郡小学校が所在する道の角には、「伊東満所生誕の地」の大きな看板と説明板が立っています。広い駐車場にレンタカーを停めて、トイレの建物の脇に設置されているパンフレットをいただいてから、本丸を攻めていきます。伊東マンショの像、なだらかな土塁などチェックしつつ、二の丸との間の巨大な空堀も本丸から見下ろして二の丸へと進んでいきます。
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2026/03/14 06:50
日本で最も美しい山城 (2026/03/12 訪問)
山頂部にある天守は大垣城の天守をモデルに昭和8年(1933年)に建てられた日本最古の木造模擬天守です。天守台は不整八角形で、模擬天守は天守台よりも一回り小さく建てられています。江戸時代には天守があったとい形跡はないようで、実際にはどのような建築物があったのか興味があります。模擬天守には否定的な考えをもっている自分ですが、この天守は心の風景に溶け込んでいて馴染んでしまいました。司馬遼太郎が「悲しくなるほど美しかった」と絶賛したこの城は今では街のシンボルとなっています。
公共交通を利用して郡上市へ来るのが長良川鉄道が風情もあっていいと思うのですが、本数が減っています。他の交通機関としてはJR岐阜駅より郡上八幡城の登城口である郡上八幡城下町プラザまで高速バスが出ていて1時間10分くらいで行けます。
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2026/03/14 06:29
遠藤盛数 (2026/03/12 訪問)
3年とちょっとぶりの登城です。
1559年(永禄2年)遠藤盛数が東常慶と争った赤谷山城の戦いのときにこの地に陣を構えたのが郡上八幡城の始まりとだれています。
この城は天守台や桜の丸、松の丸などがある山頂部分と、本丸や二の丸がある山麓部分から構成されていました。山麓部に本丸跡があるのは、1759(宝暦9)年よりこの地を治めた青山幸道が旧二の丸を本丸、旧本丸を桜の丸・松の丸と改めたからと伝わります。山麓部の城山公園「山内一豊と妻の像」の近くに本丸跡、その南にある岸剱神社付近に二の郭の説明板が設置してありました。
城の北側、尾根には堀切が2カ所あり搦手からの敵に備えています。最初の堀切は首洗い井戸がある駐車場になっています。北尾根には遊歩道が整備されていて歩いて行くと土橋と堀切と思われる地形を見ることができました。さらに進んで行くと「からめての戦い」の説明板があり、門があったのか石垣を少し見ることができます。
近くには小駄良川と吉田川が流れ天然の堀となっていました。
郡上の街歩きも風情があって楽しいのですが、今回は時間がなく城周辺のみを散策しました。
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2026/03/14 03:57
2026/03/13 21:29
2026/03/13 15:29
20030323杵築城(大分県杵築市) (2003/03/23 訪問)
見栄えのする天守もだが、そこから見た引き潮の海も印象に残った
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2026/03/13 07:57
御殿跡めぐり (2025/08/31 訪問)
養翠園(と湊御殿奥御殿)に続いては、和歌山城の御殿跡と移築建物をめぐります。
湊御殿(和歌山市湊御殿)
紀州藩二代藩主・徳川光貞が造営した別邸で、歴代藩主の隠居所となりました。十一代藩主・徳川斉順は江戸城本丸御殿に倣った壮麗な御殿を新たに造営し、隠居所にとどまらない藩の政庁として機能しましたが、十三代藩主・徳川慶福(後の十四代将軍・家茂)の命により政庁機能は二ノ丸御殿に戻され、湊御殿は廃されたようです。現在、湊御殿跡は宅地化されて正確な位置も不明ですが、大浦街道西側・舟津町バス停のすぐ北に湊御殿跡の標柱が立てられています。また、養翠園に奥御殿が、感応寺(和歌山市鷹匠町)に女中部屋が移築(非公開)されています。
湊御隠殿(和歌山市有田屋町)
初代藩主・徳川頼宣が造営した隠居所で、頼宣はこの地で亡くなりました。頼宣の没後、湊御隠殿は廃されて遺構は見られませんが、跡地には光明寺が入って現在に至ります。
西浜御殿(和歌山市西小二里・和歌山市西浜)
二代藩主・徳川光貞が造営した別邸(西浜中学校西側)と、十代藩主・徳川治宝が造営した隠居所(現・和歌山工業高校)の2か所が西浜御殿と呼ばれています。治宝の西浜御殿は図面が遺っているものの、いずれも遺構は消滅しており、和歌山工業高校の西門脇に西浜御殿跡の標柱が立っているくらいです(その標柱も樹木に隠れて文字も消えかかっていますが…)。
巌出御殿(和歌山県岩出市清水)
初代藩主・徳川頼宣が造営した御殿で、参勤交代の際の宿所とされ、五代藩主・徳川吉宗が幼少期の大半を過ごしたと伝わります。巌出御殿は江戸中期に廃され、御殿跡の御殿山も昭和の河川改修で失われましたが、御殿の一部が横浜市の三渓園に「臨春閣」として移築されています。お城EXPOのついでに見に行きたいと思ってはいるんですが、未だ果たせずです。なお、御殿跡近くにはいわで御殿の名を冠した健康施設があり、敷地内にいわで御殿の由来と沿革の説明板が立てられています。
あわせて和歌山城の移築建物にも。
光恩寺(和歌山市大垣内)
本丸御殿の台所が庫裡として移築されています。棟瓦には三葉葵紋が用いられ、庫裡内には虎や鵞鳥の杉戸絵もあるようですが、内部は非公開のため未確認です。本丸御殿も本堂として移築されるはずでしたが、移築工事中の暴風雨で倒壊してしまったんだとか。何とも惜しいことです…。
宗善寺(和歌山市和歌浦中)
女中門が山門として移築されたと伝わります。鬼瓦に三葉葵紋、屋根の四隅には桃型の留蓋瓦が用いられています。
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2026/03/12 22:39
広大なエリアをてくてくてく (2025/04/26 訪問)
上城戸から下城戸までてくてく歩いて移動。上城戸の大土塁も良いし下城戸の巨石石垣の威圧感もまた良い。広大な空間に広がる戦国の街並みもまた良い。一乗谷駅近くに2022年にオープンした新しい資料館もまた良い。
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2026/03/12 21:29
広島城 閉城 (2026/03/08 訪問)
御城印づくりに参加
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2026/03/12 18:05
散策しました (2026/03/05 訪問)
二条城に訪問した後に聚楽弟の散策をしました。
直江兼続屋敷跡→桂昌院殿御生家菩提寺→聚楽弟南掘鵲橋乃旧蹟→聚楽弟南外堀跡→豊臣秀勝邸跡伝承地→南北方向の堀跡→本丸西堀跡→本丸東堀跡→北の丸北堀石垣跡→上杉景勝屋敷跡→黒田如水屋敷跡→千利休屋敷跡(晴明神社)
というルートで回りました。
ほとんどがもう面影もなくただ碑が建っているだけでしたが、中には土地の高低差によって堀があった様子がうかがえたりする場所もありました。最後の晴明神社は陰陽師安倍晴明公をお祀りする神社という事で多くの人で賑わっていました。
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