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チェブ

キノコの山。 (2019/03/30 訪問)

静岡県の「沼津城」の後に「戸倉城」攻めです。
武田 勝頼さんが北条氏から勝ち取った「戸倉城」を見てみようって感じです。
現在、本城山公園が「戸倉城」です。
駐車場もある整備された公園です。頂上まで10分弱ひたすら階段、階段、階段です。
頂上に着くと「戸倉城址」の看板がありました。
それよりも巨大キノコ展望台があり、違和感。
、、、ここは城型の展望台のがいいんじゃないの?
と少々、突っ込みキノコを見上げました。
キノコに上りました。
北の方向に「興国寺城」「長久保城」「泉頭城」「山中城」がある案内板がありました。
私は見えませんが、かつて ここで戦った武田氏や北条氏は見えたんでしょうね。お城。
「戸倉城」は清水町にあります。間違えて清水市を調べてたら、武田氏の水軍基地になっていたとありました。
武田氏は山に囲まれたイメージ。
またまた武田氏のイメージと違う一面を知りました。

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カズサン

佐原運河経由の小見川城 (2019/04/13 訪問)

 初登城塙城、江戸崎城探訪し香取神宮の気配、利根川の情景、佐原運河を眺め道の駅水郷佐原で昼食し一路桜の城山公園に駐車場は手前トイレの有る処へ1台空いて居てギリギリセーフ、花見客で一杯でした。
 公園化されて居りますが城郭のいろいろのパーツは色濃く残ってます、本曲輪、天守台か?本丸切岸、二の丸土橋虎口、二の丸先は浄水場に割かれ消滅、満開に桜と廻れる良い時期でした。
 案内は城郭放浪記さんサイト、内部案内は余湖図コレクションさんサイトに依ります大変ありがたく活用させて頂いてます。

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イオ

幻の天守 (2019/04/11 訪問)

仕事で近くまで来たので、まだ桜は残っているかも、と大和郡山城に来てみました。駐車場に車を駐めて、追手門から城内に入ります。東隅櫓から多聞櫓、玄武郭跡沿いに歩いて、天守台と本丸の石垣を眺めつつ城址散策道を進み、竹林門から本丸へ。お目当ての桜も、散り始めてはいたもののまだまだ綺麗で、天気も気候もよく、気分が浮き立ってきます。

柳沢文庫に寄り道して続100名城スタンプを押し、極楽橋の再建工事の様子を眺めた後は、いよいよ天守台へ。さかさ地蔵に代表される転用石を探しながら天守台に上ると、展望台からは奈良盆地が一望のもとに! 平山城ながらも、さほど高台にある印象はなかったので少々意外でしたが、大和の国に睨みをきかせる城として絶好の立地であることが納得できました。
天守台には発掘調査の成果である天守の礎石が見られるよう整備されていますが、「大和の城めぐり」と題した千田先生の講演で、この礎石の発見により幻とされていた天守の実在が確認され、慶長期の二条城を経て淀城に移築されたとする史料が裏付けられたとの説明を聞いていましたので、より一層興味深く見学できました。

天守台周辺が舗装されるなど、いささか整備されすぎの感もありますが、発掘調査の成果の見せ方もよく考えられていますし、何より整備前は天守台も石垣も堀も生い茂る草木に覆われていたことを思うと、天守台はもちろん、本丸を取り巻く石垣の高さや堀の深さを実感できる今の状態を維持してほしいものですね。

この日は桜目当ての寄り道のため、本丸周辺を見て回っただけでしたが、今度は二の丸、三の丸、外堀跡を自転車でじっくりとめぐりたいと思っています。

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カズサン

初登城 (2019/04/13 訪問)

 初登城の塙城を終わって初登城の江戸崎城へ車は近くのスーパーさん駐車場へ留めさせて頂く、歩いて直ぐ二の丸と三の丸の間鹿島神社境内北面に土塁が残ってる、二の丸は現在江戸崎小学校、グランドの高みが二の丸の土塁切岸を彷彿される、南に更なる高みが有り本丸曲輪群、登り口が分からず近くの商店の方に伺い登城大変ありがたし。
 丘陵地を活用し直線の連郭式平山城、往時は霞ヶ浦の水も近くまで有ったのでは、沼地、田圃に囲まれて攻め難い城跡のように偲ばれます。

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カズサン

北郭土塁堀群 (2019/04/13 訪問)

 先の本城域曲輪群に続き投稿させて頂きます。
 本城域搦手口? 東門より北に塙城を北側から撮影しようと少し北へ、そこに北郭出入口木標有り、軽自動車が通れる様な草原道を道なりに北、北東へ登と土塁虎口、白い横板の順路板に従い進むと境界石へ、そこを左へ土塁、堀群に進む二重の堀、土塁の中に迷ったように入り込む、堀土塁を堪能、竹林が多く見通しはあまりよく無い順路板に従い登り北郭の別の出入り口に出る、こちらが君原公民館から頂いた本来の北郭出入口です。
 そこを曲輪沿いに下りもう一つの木戸東木戸辺りに出る、時期は春桜満開菜の花が東木戸辺りに綺麗に咲き美しき情景、村落群眺め本城域西側の切岸を眺め元の塙城登城口出入り口にたどり着き君原公民館へ到着、約2時間、公民館スタッフにお礼をする。
 念願かなって桜満開佳き日に登城する事が出来ました皆さんの情報に感謝申し上げます。

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カズサン

本城域曲輪群 (2019/04/13 訪問)

 以前から是非探訪したいと思い続けていた城跡です。
 約8年前に学研の戦国の城を購入し塙城を知りました、西股総生氏の寄稿、香川元太郎氏の復元鳥瞰図を拝見させていただきこんな城が有ったのかと驚き何時か探訪願望が芽生え今回実現しました。
 前夜から車を飛ばし途中PAで仮眠し8時半、君原小学校の隣君原公民館の駐車場に留めさせて頂きました、公民館も開いて居りスタッフの方に塙城の資料、城跡探査案内図、導入路の案内も戴き、館内に在る塙城の資料コーナーも拝見し且つ保存会の方の紹介を打診されたのですが他の城を巡る時間も有り、保存会勉強会、後援会の資料が有ったら送って頂けるとの事で住所、氏名を渡し後日の楽しみとしました。
 君原公民館のスタッフの皆さんありがとうございました。

 投稿は城びとの諸先達の方々にて沢山御座いますので探訪ルートは頂いた順路図に従って歩き順路白看板が大変役に立ちました、歩けるように保全管理され助かります、南東の君原公民館口から入りⅡ曲輪下、Ⅱ曲輪、Ⅰ曲輪、Ⅰ曲輪西下、Ⅰ曲輪北諸曲輪経て搦手?東木戸口へ・・少し北へ北郭曲輪群へ進む。

 竹林、杉林が多く見通し良い写真が撮れませんでしたがご容赦ください北郭合わせ2時間滞在させて貰いました誰もいなくなった一人独占状態に大満足、もう少しポイントポイントに説明文、絵図、写真を合わせた立看板が有っると有難いのですが、兎に角保存会の方々に感謝申し上げます。

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モト

空堀や曲輪などが残っていました。 (2019/02/12 訪問)

表だっては公園として整備された城跡のようでした。
ようでしたというのら最初の印象で、城跡の大きな看板の駐車場に止めると芝生のきれいな公園です。
しかし奥に進んで行きますと、お、これは城跡だってわかる堀であったであろう道が出てきます。
二の丸跡を抜けてさらに進めば本丸にすぐ辿りつきますが、その本丸でも土塁や二の丸との境目の空堀のようなものも確認できます。
さらに周りを見渡すと深い空堀が囲っています。
なかなか迫力がありましたよ。

あまりメジャーではないように感じますが、訪れる価値のある城跡だと思います。

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todo94

【平成21年】土の城の美しさに開眼 (2009/07/19 訪問)

土日の度に所用が入り続け、続日本100名城のスタンプをコンプリートして以来、全く城攻めができていません。仕方ないので過去の攻城の投稿をさせて頂きます。

この日はMixiお城めぐりしようコミュにて2009年7月に開催された第15回全国一斉お城の日で、一日かけて北関東の城を巡っていました。縄張の面白さに着目して選定された日本名城百選に載っていたので訪れてみたのですが、一目で魅了されてしまいました。戦国期城郭の最高傑作、中世城郭の教科書ともいわれている城で、本郭を中心に北、東、南の三方向に郭が連なり、細かく折れが連続する空堀や郭の重なりには何度訪れても萌えてしまいます。土の城の魅力をこの城によって知ることができました。

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勝野武士

地上から小堀城を見てみよう+。 (2019/04/14 訪問)

先日河合城に行ってからというもの、小堀城と堀井城(←『城びと』未登録物件)と河合城との位置関係がどうにも気になってしょうがない。
思い立ったが吉日、行ってきました。
…外は土砂降りですが何かw?

肝心の場所ですが、正直ちょっとわかりにくいです。ナビがないと厳しいかもです。
強いて目印といえば…すっかり廃屋と化したお屋敷があって、その南側に小堀城の土塁が残っています。

土塁は幅約8~10m、高さ約2,5m、南北に約60mに渡って残っています。なかなかデカい!
ちなみにこの土塁は外郭西側の土塁だそうで、西門の虎口跡も横矢っぽい感じで残っています。
なお、この土塁より北東にも土塁が残っています。こちらは主郭なんだとか。

全体の規模は不明ながら、東西250m、南北300mの大規模な平城だったようです。

なお、参考までに外郭を含めた大きさを比較。
小堀城→東西250m、南北300m(推定)
河合城→東西400m、南北300m(推定)
堀井城→東西90m、南北120m
※但し主郭のみの大きさ。外郭の規模は不明。

上記3城がそれぞれに匹敵する規模だったことが想像できます。
驚くべきはこれらがかなりの至近距離に存在していたということ。
河合城から北に約500m地点に小堀城。
小堀城から西に500m地点に堀井城。
これは近い。近過ぎる。
さらにこれらが水路で繋がってて往来出来たというのですから、これまた凄い。
それぞれ違う役割を持っていたということなのでしょうか?
戦国時代当時の東播磨の緊迫した情勢が伝わってきそうです。

ということで、堀井城にも行ってきました。
小堀城同様、場所がわかりにくく迷いながらもなんとか来てみたら、何と史跡公園として整備工事中でした!
ただ残念なことに、石碑も説明板も見あたりませんでした。

外郭を備えたと推定される方形の城館なのですが、整備工事前も堀と土塁がほぼ完全に残っていたそうで、航空写真からもその縄張がハッキリわかるぐらいだったとのこと。
内部は現在工事中につき立入禁止。完成を気長に待ちましょう。

ていうかどうか『城びと』様、是非ともこの堀井城を登録して下さい!本当に貴重な歴史遺産です。宜しくお願いします!

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勝野武士

庭園遺構がステキな陣屋跡。 (2019/04/13 訪問)

朝から小野陣屋→河合城→金つるべ城→豊地城→黒田城(と、黒田官兵衛ゆかりの史跡の数々)と巡ってきて、この日オーラスを飾るのは福本陣屋で御座います。
ちなみに、この陣屋跡は今回で4度目。我ながら結構行ってるw

ここは福本藩一万石の中心地でした。
現在はその敷地が丸々、大歳神社の敷地となっています。
当時の御殿は今の本殿の場所にあたります。

ここの見どころは何といっても見事な池泉回遊式庭園が残っているという点でしょう。
陣屋跡自体が全国的に見ても遺存状況がそんなによろしくない中、ここまで綺麗に陣屋の庭が残るってかなりのレアケースだと思うのですが、如何でしょう?
昔は築山に木が生い茂り、敷地内にも木が生えすぎてかなり鬱蒼としていて暗い雰囲気だったのですが、今回来てみたら見事に伐採されており、築山の形や石組がハッキリわかるようになっておりました。
かなり整備が進んでいるようです。昔とはまるで印象が違いました。かなり明るく開放的に感じます。

庭自体も良いですね。月見灯籠や池の中の飛び石もしっかり残っています。
微妙な起伏も相まって、歩く度に景色が変化してゆく様は、大名庭園らしさを感じます。
欲を言えば、次は池をさらえてほしいところですね。
当時は時々舟を浮かべて遊んでいたといいますから、水面は水鏡の如しだったはずです。
浚渫すれば、もっと築造当時の面影に近づくことでしょう。

そのほか、『福本陣屋御殿図』にも描かれている排水施設の一部も残っています。
今は玉垣が立ち並んでいますが、外郭の土居も御殿図を見る限り当時のままかと思われます。石垣はおそらく明治以降に築かれたものでしょう。

これだけ見事に庭園が跡地とセットで残っているのは素晴らしいと思います。
いつまでも次世代に残していって欲しいですね。

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勝野武士

官兵衛の里探訪、其の弐。 (2019/04/13 訪問)

続きです。
皆様、今暫くお付き合いを…。

さて、姥が懐→黒田城→多田構居と訪れた後、荘厳寺に来てみました。
なぜこのお寺に来たかというと、播州黒田氏の家系図『荘厳寺本黒田家略系図』が所蔵されていて、ありがたいことにその複製を拝観できるのです!

黒田氏の発祥は近江佐々木氏がルーツで官兵衛は姫路城で生まれた、というのが通説なのですが…。
この系譜によると、官兵衛は黒田重隆の次男として生を受け(通説では重隆は祖父)、治隆という兄がいて黒田氏の後継者として黒田城主となっていたのですが、敵襲によって黒田城は落城して治隆は戦死、官兵衛は落ち延びて小寺職隆の猶子となり(通説では職隆は実の父上)やがて姫路城を任されるに至った…ということが系図に記されております。

福岡藩の藩祖たる黒田官兵衛の父である黒田(小寺)職隆が小寺一族でありながら主家を裏切り秀吉に味方したあたりが何か都合が悪かったのでしょうか。
あ、一応職隆の弁護をしておきますと、彼は清廉潔白な性格で秀吉の信頼がとても厚かったそうですよ。

それはさておき、こういう系図を見るのは非常に興味深く面白みがありますね。
荘厳寺、是非黒田城とセットで訪れてみて下さいませ。
拝観料は200円、御朱印も書き置きですが300円にて戴けます。

そしてさらに、車で南へ10分ほどのところに兵主神社があります。
ここにある拝殿は秀吉の命によって官兵衛が戦勝祈願成就の為の奉納金を奉納し、それを使って建てられたものだそうです。
茅葺きの大屋根を持った豪壮かつ素朴な拝殿です。こちらも必見ですよ!

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スミヤキ

竹林の美しい城址跡 (2019/03/25 訪問)

JR 横浜線小机駅の西側住宅街先の丘陵地、鶴見川に接する舌状台地上に東西の曲輪を配置した並郭式平山城です。

1478年、長尾景春の乱に呼応した豊島氏が、小机城に立て籠り、それを苦しみながらも攻め落としたのが、扇谷上杉家宰江戸城主の太田道灌です。その後に廃城となります。

廃城の城を修復、手を加えたのが、北条氏を名乗り始めた二代氏綱さん。今度は、江戸城攻めの拠点として重要な役割を担い、家臣団の小机衆が組織されます。

この後、豊臣秀吉の小田原征伐、徳川家康の関東入府に伴い、再び廃城になり現在に至ります。城址跡は、「小机城址市民の森」として保存、整備されて地域に溶け込んでいます。土塁、空堀等遺構が状態良く残り、美しい竹林になっています。本丸、二の丸跡も広場として子供たちの遊び場になっていました。春秋には、城址でお祭りがあり、市民に親しまれてますね。「続日本100名城」のスタンプは、小机駅前の城郷小机地区センターに設置されています。

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くろもり

下茶屋公園に城の面影あり (2019/04/12 訪問)

城跡碑がある真宗大谷派名古屋別院はあまり城であったことを実感できませんが、その東に隣接する下茶屋公園が「東本願寺 掛所」によれば、「古渡古城天守台」と記入されており、城の堀を利用したとされる池や土塁のような地形が見られ、城であったことを実感できました。

また、真宗大谷派名古屋別院(と下茶屋公園も?)に、名古屋城で使用する為に運ばれて使用されなかった刻印のある石垣の石が29個あるそうで、城跡碑の近くで刻印のある石と矢穴のある石を見ることができました。

時間があれば、真宗大谷派名古屋別院の城跡碑だけではなく、下茶屋公園の東面を外側から見るとより城らしさを実感できるかもしれません。

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朝田 辰兵衛

冬期対策か,城址碑抜かれてます。 (2019/04/14 訪問)

全国的に雨の予報でしたが,この周辺だけはくもりだったのでトライしました。平時は,麓の大蔵神社参道入口に居館を構えていたとのことなので,それらしい削平地も散策してみました。
標高:301m,比高:230m。登城口は,送電鉄塔巡視路と共用しています。胎内川線31という黄色地のアクリルプレートが目印。登城道の途中から分岐し,右が送電鉄塔,左が黒川城。ここさえ押さえておけば,あとは精神力と体力勝負かな…<笑>。

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カルビン

週末は庁舎のインターフォンでお願い (2019/04/13 訪問)

久しぶりの土曜日行軍も体調今一つで、日帰りで行ける目ぼしい場所を考えたところ・・・福井になってましたw
平城なので遠いけど歩き疲れないかな?ということで選びました。
(鎌刃城と2択になったんですが、駅からのアクセスが福井を後押ししましたw)

以前訪問していたので、見学も勝手知ったる・・・と思ってましたが、現地でのボランティアの方の行列や新たに増築されていた山里口御門、中央公園にあった建造物跡等と、思った以上に勝手が違った為に見学に手間取りまして(ーωー;)

再訪と言う事もあり、滞在時間を1時間半しか予定していなかったのが痛かった・・・この次に見学した北ノ庄城再訪後に予定していたその他の神社仏閣巡りがほとんど出来なかったのが痛かったorz
流石に日帰りで東京から福井っていうのは無理あったか。。。


福井城だけを見学するなら1時間もあれば見切れると思いますが、そこからちょっと距離離れた北ノ庄城(柴田神社)、柴田勝家とお市の方のお墓がある西光寺、丹羽長秀のお墓等も見学するなら散策時間は2時間ちょっとは確保したいところです。
(休憩考えればもうちょっとあったほうが・・・)

見所は石垣が沈んでしまっている天守台と、テリーマンにしか見えない結城秀康像でしょうか(笑)
続100名城スタンプは庁舎にて頂きました(週末は警備員のところでインターフォンを押してお願いします・・・押紙でよければ中央公園にあるボランティアの方に言えば頂けます)。

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石垣人

土造りの名城 (2018/09/16 訪問)

北条氏照築城。堀や馬出しが大迫力。

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主郭を囲む郭群と急峻な切岸遺構 (2019/04/15 訪問)

やや荒れてますが、遺構はよく残されています。比高はないが切岸が急峻です。東側の山側に近年の切通があり、元は堀切であったのでしょう。切通の東側に、山側に向かって段々畑状の平削地がありますが、近くの段々畑状の墓地と同じ感じであり、城跡ではないと思われます。城跡近くに道の駅 あぢかまの里があります。猪肉を使ったコロッケを買いました。皆で食べて猪を減らして欲しい。城跡に猪を取る罠がありました。
琵琶湖北端の海津大崎の桜並木を訪れました。湖越しの眺めや並木の花吹雪もとてもよかったです。

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チェブ

ナイスショット! (2019/04/13 訪問)

ダメ元で毛呂氏の「竜ヶ谷城」に行きました。
ダメ元と言うのは「竜ヶ谷城」、ゴルフ場の中にあるからです。
雷電神社がお城跡です。
案内板を見つけたけど駐車していいか分からず民家の方に声を掛けました。車は自宅の敷地に停めて良いと許可をいただきました。ありがとうございました!
いざっ出陣です。
フェンスがあり簡単に開閉できる鍵がかかってます。
一度、民家に戻り入って良いか聞いたら大丈夫との事でした。(鍵はかけて下さいね。)
フェンスの向こうはゴルフ場です。5番ホールです。
昔、ゴルフ関係の仕事をしてましたが、まさか城攻めでゴルフ場に来るなんてっ!
ゴルファーの注目の的でした(笑)
でも「雷電神社」の案内板もあるので迷わず「竜ヶ谷城」に行けますよ。
ナイスショットやナイスインの事が聞こえなくなると静かな「竜ヶ谷城」に着きます。
神社辺りが一の郭で神楽殿のある場所が二の郭です。竪堀は探し忘れました。
民家の方が親切だった事やダメ元だったにも関わらず「竜ヶ谷城」に来れたこと、嬉しくて感無量の城攻めでした。
ありがとうございました。

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勝野武士

官兵衛の里探訪、其の壱。 (2019/04/13 訪問)

先に謝っておきます。
スミマセン、2回に分けます…。

ということで、官兵衛の故郷にやって参りました。
その名も『黒田庄』。
電車ならJR加古川線本黒田駅下車が便利かと。黒田庄駅だと遠いのでお間違え無きよう(後でご紹介する兵主神社の最寄り駅ではありますが)。
マイカーならなお便利です。

で、最初に訪れたのは、もちろん黒田城。
天狗山から南西に続く尾根の先端にあたる小山に築かれた城…だと思ってました。
しかし実際はどうやら、天狗山の尾根づたいに曲輪が築かれていたようで、ちょうど中腹辺りに主郭があったのではと推定されているそうで。
但しあまり調査が進んでいないらしく登山道も全く未整備、私の服装があいにく軽装でもあるため今回はスルーして、頂上に現在お稲荷さんが祀られてるエリアのみの訪問としました。

車が3台ぐらい停められるスペースがあり、その近くに橋がかかっていますので、そこからスタート。
鳥居をくぐりながら登るルートもあるのですが、あえて麓から回り込むルートを個人的にオススメします。
このルート上には、黒田官兵衛生誕地にして黒田氏の日常生活の場だったという『姥が懐』というところがあり、そこから登ると、尾根を分断する堀切を見ることができるのです。

山頂には先述の通りお稲荷さんが祀られていて、そこが主郭といわれています。
土塁も堀切も見あたりません。平坦地のみが残ります。
もしかしたらこのエリア自体が出丸である可能性もあるかなと。詰めの城にしては狭いし標高低過ぎるような気が…。
しかしここからは黒田庄が見渡せます。眺めは以外と良いです(←失礼か)。

ちなみにここから西に500メートル程先に『多田構居』の跡があります。
市営住宅建設に伴った発掘調査で建物跡や遺物が出てきたそうです。ここが黒田氏が代々政務を執った所だといいます。
今は説明板があるだけで何にも残ってません。

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KO

🏯109 (2019/03/30 訪問)

トークショー!

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