みんなの投稿

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Pylori

最高の石垣 岩村城 (2025/12/01 訪問)

城下からしばらく急な坂を登ると、石垣が現れその規模と美しさに圧倒されました。

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チェブ

花崎城跡公園と花崎城趾公園。 (2025/11/23 訪問)

2回目の「花崎城」です。
前回『花崎城趾公園』を散歩し、退陣。
帰って来て『みんなの投稿』を見て『花崎城山公園』がある事を知りました。
*変わっているかもしれませんが、『うわー、見てないや』と、残念がるのが好きです。

「花崎城」は、東武伊勢崎線に分断されていて、線路のこっちも、あっちも「花崎城」の公園があります。
まずは、写真⑨⑩の『花崎城趾公園』を前回同様、散歩。
次に、『花崎城山公園』に向かいました。
駐車場はありません。入口近くに路駐しました。
あっちの公園より「花崎城」の遺構があります。
線路が近く住宅街で、おまけに自動車学校があるのに、この空間だけ、お城です。
土橋から堀を眺め『みんなの投稿』の答え合わせが出来ました。

もう来ないかもしれないと思っていた「花崎城」。
『うわー見てないや』のおかげで、また攻める事ができました。

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カズサン

加世田麓 (2025/10/29 訪問)

 薩摩藩は江戸藩政期支城群は麓と称して地頭仮屋を中心に領地支配されていました、加世田も加世田麓として治められていました、別府城尼ヶ城公園の西側北側に麓時代の武家屋敷通り、益山用水路沿いに往時を偲ばせる用水路、生垣、石垣、武家屋敷、同門構えが揃って何とも言えないゆったりした空間を醸しております。ゆっくり散策するのがお勧めです。
 
 加世田麓地頭仮屋跡は別府城西石階段を降りて益山用水路、同通りを北に国道266号線を越え約100m程の西側に在ります、石垣と石柱門が立ってるだけです、説明板によると、地頭職は明治5年に廃止され、建物は明治11年頃取り壊られた。その後も加世田村役場や加世田警察署、加世田小学校、法務局出張所、加世田幼稚園などが相次いで置かれた。と記載されています。
 

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Pylori

紅葉の長篠城綺麗でした (2025/11/30 訪問)

戦いを思い描きながら紅葉の長篠城を回ることができました。

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カズサン

別称は別府城と言われてる (2025/10/29 訪問)

 早朝鹿児島城御楼門探訪し朝食後、鳥取城スタート九州一周城探訪6日目は先ず薩摩半島の加世田城を目指す、地道で直線約20km南西方向経路で約38km程、山道成も道は良し。
 加世田には仕事で1回、薩摩半島城廻り観光で3回程訪ねていますが、加世田城は何処かなと頭を回らすが辿り着けず、今回地図とナビに入力して順調に到着。(加世田城は?30年で初登城、目的達成)

 駐車場:尼ヶ城公園(別府城跡)一段下がった北隣、グランドに成って居る。公園南下にトイレ有。
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクショングーグルマップに依る。

 尼ヶ城公園と東の加世田地区公民館、その上の山に別府神社、佐岐比佐神社が鎮座してる辺り一帯が加世田城/別府城跡だった様です。別府城跡説明板には昭和37年別府城を崩し、校門付近は、半分の高さに残した。と記載されています。
 東側の別府神社辺りは余湖図コレクションの俯瞰図では土塁に曲輪が描かれていますが、住宅街で少し踏込ずらく公民館辺りから眺めて終わりにしました。
 公園の南西部に加世田開発の領主「別府五郎忠明顕彰碑」と説明石盤が有ります、一段高い西中央に自然石で「別府城跡」碑が立っている、北西に元加世田小学校の校門石柱、沿革史石盤が立っています。その西側に益山用水路まで降りる石階段があり元小学校正門/元城郭の正門かな?石造りの立派な階段です。

 歴史は、平安末期、平家の一族、別府五郎忠明は別府城を築き加世田開発の拠点とした。
 応永27年(1420年)別府氏は島津氏に降り、薩州家島津氏が加世田の城主となった。その後別府城島津実久は宗家に謀反を起こしたので、日新公は別府城を攻略し、以後加世田は(別府城)は薩摩藩の直轄に成った。
 明治36年から53年間ここに加世田小学校があった。
 (別府城跡の説明板による)
  

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しんちゃん

鹿と紅葉と石垣と (2025/11/16 訪問)

オシロフェス二日目に向かう途中で攻めやすい城を攻めていきます。道沿いに紅葉が見えて走っていて気持ちが良い。ドライブを楽しみながらの攻城です。妻木城は居館跡から登ることも出来ますが、山上の城の南側にも駐車場があります。
途中・・シカがいました。何しに来たってカオをしていますが、何食わぬそぶりで草を食っています。・・ずぶとい。
カモシカのほうがよほど可愛げがある、熊害の原因に鹿が増えすぎたというのもあるようなので、どんどん「肉」にして欲しいものだ。
堀切の上部に矢穴石があるので、そこから太鼓櫓のある郭を目指します。直登だとちょっとキツい。いぜんなら難なく登れたものだが、今は体力が落ちて体重が増えてしまっている。今のオイラだと比高の高い山はけっこうしんどそうだ。
太鼓櫓跡の隅部には石垣が残っています。さりげなくて良い。

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小城小次郎

程よい整備が心地よい (2025/03/29 訪問)

鎌倉時代に采女郷の地頭となった後藤氏が織田氏に攻め滅ぼされるまでこの地を治めていたらしい。広い主郭を中心に求心力のある技巧的な縄張が広がり城主の高い統率力が窺える。程よい整備がなされているのも実に心地よい。

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しんちゃん

イブニング松本 (2025/11/22 訪問)

松本城の入場待ち時間は50分でした。これでも短い方らしいです。内部も渋滞していてゆっくりしか進まない・・時間には十分余裕を見ておいた方が良いです。入るときはピーカンでしたが、出た時にはすっかり暗くなっていて門も閉まっていました。
ナイトモードで天守を撮影しましたが本当はもっと暗いですよ。

しかし良い天守だ。あまりに美しい天守を造ったので幕府の嫉妬を買ったとも言える(石川氏改易)。工事が始まるとしばらくこの外観も見えなくなってしまうのだろう。工事の前にあと二回は来たいものだ。
松本城は五層六階の天守としては日本一古いと言われている。おそらく天守としても日本一古いのではないだろうか。できるだけ労わってやってほしい。

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しんちゃん

今のうちにもう一回。 (2025/11/22 訪問)

久々に松本城に行ってきました。2028年以降に耐震補強工事が始まる予定でしばらく入城ができなくなってしまうらしい。内部に鉄骨が入って、それが見える構造になってしまうので今のうちに見ておかないと。
鉄骨みえちゃうんだ・・できるだけ目立たない方法にしてほしい。他の現存天守には鉄骨を入れて欲しくないな・・正直なところ。
松本城は本来四重天守の構造に五重目を乗っけているから独特の景観が有ると思います。見る角度によって印象が変わるし微妙に四重目と五重目の幅が異なる。頑強さより見栄え重視といえるけど「日本一美しい天守」だと思います。
鉄骨入っちゃうのか・・すぐ傾きそうなところも好きなんだけどな。
現存天守や復元天守をただの建物としかみなさない今の風潮は好きじゃない。とくに「もんか省」
わたしにとって城は「生き物」なんですわ

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いんげん丸虫

大塩城 福井県小浜市 (2025/11/23 訪問)

標高135mの山城です。
麓の大光寺の裏から15分くらいです。
ほぼ直線での登りで、藪漕ぎも無いの
ですが、急斜面ですね。
土塁で囲まれた主郭、2曲輪、少し離れ
て堀切のある出城、その北に見張りを
兼ねた曲輪があります。

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todo94

三連休・山口県の攻城④ 麓から山頂まで (2025/11/22 訪問)

冷泉氏館からの転戦です。城びと未投稿物件で、比高が500m近くあるこの城が今回の最大のターゲットでした。かなりの覚悟を持っての攻城です。三つのピークを持つその姿は因島の青影城を思い起こさせますが、標高はこちらの方が遥かに高く、本当に登れるのだろうかと大きな不安を覚えました。登城路は判然としていないのですが、麓から40分ほどで尾根に出ると歩きやすい道となり案内表示もありました。ピクミンブルームのビッグフラワー及びキノコを目印に頂上目指して安心して進むことができました。登城開始からちょうど1時間で山頂に到着です。鞍掛合戦の際に陣城として大きく改変されたそうで陣城としてはかなりの規模です。山頂には、西峰展望台への案内があったので当然の如く西峰を目指します。

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アネ

ご存知刑務所 (2024/12/11 訪問)

多分核心部には日本一たどり着きにくい城である。
刑務所の周囲の道路を城好きと思われる人々のクルマや自転車がぐるぐると虚しく走っている。
一般人は刑務官になるか、受刑者になるかしかないので、
「ブラタモリ」で見た映像から妄想するしかない。
城内にあるという「臥龍梅」の姿だけでも見てみたいと思う。

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アネ

錦帯橋と宇野千代 (2019/10/06 訪問)

特徴的な竜宮造りの模擬天守へは錦帯橋を渡り、ロープウェイに乗って。
ランチは橋の袂で瓦そば。
宇野千代さんの実家も忘れずに。
岩国観光ホテルは皇室の方も利用された一流ホテルだが、非常にフレンドリーで気の置けない滞在ができる。
露天風呂から眺める城の姿も美しい。
岩国蓮根の入った岩国寿司は夕食に楽しめる宿が多い。
宮島へ向かうなら、広島空港より岩国空港の方が地上移動時間は短い。

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アネ

最北の藩 (2022/10/17 訪問)

松前藩の城で、徳川幕府の下では最も北に領地を持つ藩である。
ロシアへの備えとして築かれた城だが、果たして、どれほどの効果があったやら。
重ね押しスタンプラリーを全うすることができなかったので、いつの日か再チャレンジしたい。
ランチは城下の蕎麦屋で。
道南チャシ群の中には青函トンネルや新幹線工事の際に破壊されたものもあると聞き、大変残念だった。

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アネ

始まりの地 (2022/10/19 訪問)

我々2人で初めて見た城がこの五稜郭で平成元年のこと。
特に城に興味があったわけでもなく、定期観光バスが立ち寄るからというだけの理由だった。
もちろんまだ100名城スタンプラリーは始まっていなかったし、
タワーは以前のタワーで、駐車場から堀を渡るまでが長かった。
何度も函館には行ったが、大沼の今はなき小涌園やゴルフの時は大沼プリンスホテル、
函館山の夜景目当ての時はホテルJALシティ函館と、いろいろ泊まり歩いた。
宇賀浦町の函太郎はいつも混んでいるが、それだけ旨いという証拠だと思って通った。
街中の観光名所は一通り回ったし、大沼では遊覧船を楽しんだ。
今やってみたいことは函館で一番くびれているところを海から海へと歩いて横断してみること。

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アネ

高知三名城 (2023/05/07 訪問)

100名城・続100名城には入っていませんし、あるのは模擬天守ですが、高知三名城に選ばれているので、訪問しました。クルマで登れますが、道幅は狭く復元天守前の駐車場のキャパはとても小さいので、繁忙期には注意が必要です。
新ロイヤルホテル四万十は地元トップのホテル。運が良ければ四万十の天然鰻を味わうこともできます。
また、館内にモンベルの支店が入っていますので、買い忘れ、持参忘れにも対応できます。
中村御所跡は神社になっており、ホテルからは目と鼻の先です。
クルマで移動する場合、高知の町からの高速道路は、車線の増減があったり、一部一般道区間になったりしますので、都市の高速に慣れている人は注意が必要です。
また、これは四国全体に言えることですが、「酷道ヨサク」の弟分R438やR441、険道・死道・弔道・損道が至るところで待ち受けていますので、ロードマップ、カーナビを鵜呑みにせず、必ず地元の方の意見や案内を乞うことをお勧めします。

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アネ

土佐の高知の……. (2023/05/07 訪問)

城下には龍馬がらみの見どころが点在。
城西館の露天風呂から眺める天守も一興。
城の足下にある文学館とはりまや橋、牧野植物園も忘れずに。
桂浜は街からはやや距離があるものの、やはり一度は見ておくべき。昔は舟を仕立てて遊びに行ったものらしい。

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アネ

伊達な城 (2023/05/08 訪問)

現存12天守の一つをいただく伊達分家の城。
ここも石垣をじっくり味わう城。
かつての海岸線=港がどれほど城に近かったか、天守から見下ろして見分。
最上階の屏風もゆっくり楽しみたい。

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アネ

復元真っ最中 (2023/05/08 訪問)

見晴らしがよく、テツの皆さんにも人気の城。
次々と遺構も修復中のため、目が離せない。
今回は泊まりませんでしたが、お城の麓に一棟貸しスタイルの町家ホテルがあって興味があります。

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アネ

元城 (2023/05/08 訪問)

松山城に居を移すまでのこじんまりとした城。
道後温泉からはすぐ。
春は桜の名所として市民に親しまれているそうです。
道後には大きな旅館やホテルが多数ありますが、ここはあえて隠れ家系料理自慢の宿・「夢蔵」を。
個性あふれる部屋が少しだけ。部屋にももちろん浴室はありますが、目の前の道後温泉の利用も可能です。
一六タルトや母恵夢、坊ちゃん団子など甘味も充実している街、それが松山です。
ランチは大街道近くの五色そうめんを。ロープウェイ乗り場近くには幻の大福と言われる「霧の森大福」のお店もあります。

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