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曲輪など散策 (2025/02/11 訪問)

 各曲輪は藪も少なく見学しやすくなっています。猿掛城跡へ登る会実行委員会の縄張り図を参考に散策しました。

 大手道平林口から登城される方が多いと思いますが、自分は真備町方面の猿掛口から登城しました。案内標識もあり登城路は整備されていています。このルートだと寺丸は経由せずに大夫丸に出ます。帰りは大手道を寺丸経由で下りて来ました。他の方も経験されているように犬が吠える道に出てきます。

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毛利元清 (2025/02/11 訪問)

 鎌倉時代に庄氏によって築かれたとされている城です。戦国時代には三村氏の所有となりました。三村氏が毛利氏に滅ぼされてからは毛利元就の四男の毛利(穂井田)元清が城主となっています。高松城水攻めのときには毛利輝元の本陣が置かれたことでも知られています。
 本丸から六の丸の6つの郭からなる主要部と、中腹に築かれた寺丸、大夫丸の2ヶ所の郭によって構成されています。最大の見どころは本丸南側にある大堀切だと思います。ただ写真にすると今一つ迫力が伝わりません。急峻なため大堀切へはロープが2本垂れていて、それを利用して昇降することになります。自分は堀底から帰るときにはその場所を登ることなく巽の出丸へ廻ろうとしましたが、道もなく難渋しました。結果として竪堀を下から見ることができたのはよかった。
 
井原鉄道三谷駅から徒歩20分くらいで登城口に行くことができます。

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しんちゃん

里見北条古戦場 (2025/02/08 訪問)

久留里城は室町時代に上総武田氏の武田信長によって築かれたとされます。戦国時代は信長の子孫である真里谷氏の城でしたが、やがて里見氏の支配する城となり天文23年(1554)に北条綱成の攻撃を受けています。
薬師曲輪からの眺望は良く、三の丸跡や里見・北条古戦場跡を眺めることができます。この先の、二の丸跡は資料館になっていて新井白石の像が有りました。山肌はとにかく急峻で、竪堀なども複数存在します。

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しんちゃん

雪の日の彦根城。 (2025/02/09 訪問)

彦根に雪が降りました。9日の朝に高速の通行規制が解除。というわけで雪の彦根城を見に行ってきました。彦根の街は一面真っ白です。新潟や白川村に比べるとそれほどでもないようですが、思ったより雪が積もっていて、皆さん雪かきに忙しそうでした。
登山用の靴を履いていますが、すぐに足が水浸しになります。長靴を持ってくるべきでしたね。暖かい博物館でゆっくりしたかったのですが、この日は休みでした。雪の中のひこにゃんを見たかったのですが、博物館のシャッターの周辺からでてきません。まあ着ぐるみ・・もとい猫だから仕方がないかな。雪で濡れるのはNGということで。

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ぴーかる

天神山城・裏天神山城 (2024/12/28 訪問)

【天神山城・裏天神山城】(岐阜県瑞浪市)
<駐車場他><35.390969, 137.270798>の場所が城跡駐車場になっています。そこから北の道を奥まで進むと登城口があります。
<交通手段>車

<見所>堀切・尾根曲輪
<感想>日帰り小里城攻め旅2城目。城びと未登録の天神山城・裏天神山城は瑞浪市観光協会のホームページによると、2012年に発見された城跡で1582年に鶴ヶ城に入城した織田軍が武田攻めの際、北東の守りを固める支城として築城されたと考えられているそうです。
 天神山城のさらに北側背後の上方、山のピークに裏天神山城がありますが両城とも山のピークといった感じで主郭を含めて広い曲輪は備えていません。天神山城の主郭南西部の堀切は大きく、また切岸が急峻なので人の手が加わった事が良く分かります。天神山城の主郭背後の2重堀切もなかなかの見応え、裏天神山城の南側登城路の導入部も人手で削った感じが分かり、虎口曲輪であったろうと思われます。
 鶴ヶ城からハイキングコースで迂回したから分かったのですが、裏天神山城の西側一帯が広い平坦地が広がっていて、武者だまりの表示版があります。もし大軍が詰めていたとすれば、この高原に詰めて東部から南にかけての尾根に防御の設備を構築していたと納得はできますが、信長は武田攻めの時は東にある岩村城で待機していて、瓦解した武田家臣団のバタバタで一気に侵攻したので自国領の山城にわざわざ駐屯するとは考えにくい。この城跡の次に行った小里城の現地説明板に「1572年に岩村城が武田方に属してしまい、1574年武田勝頼が明智城を攻撃すると、織田信長は小里城と神篦城(鶴ヶ城)の改修を命じ‥‥」とあります。私的な考えとしては鶴ヶ城は比較的小さな城跡なので、天神山城・裏天神山城を含めての、ここら一帯を構築して小里城とともに岩村城攻めの拠点城としたのではないかと思います。
 登城口の東側に土岐頼兼公の墓碑があります。途中で柴犬にめちゃ吠えられます。

<満足度>◆◆◇

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とばつびしゃもん

ハート形の城門のある城 (2024/12/30 訪問)

知念城から車で15分、城址正面の駐車スペースから登城開始。
三の郭から二の郭へ後付けで設置された階段で進むと、見どころであるハート型の一の郭の城門前へ到達。自然の岩をくりぬいた城門は、東北東を向いていて夏至の日の出は城門からまっすぐ朝日が差し込むらしい。
一の郭は布積みっぽい石垣で囲われていて内部には御嶽がある。20分の攻城。

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Ninja

国史跡 横地城 (2025/02/11 訪問)

遺構がよく残っていて見ごたえがありました。冬の山城は、草が少なく歩きやすいです。バイクで二の丸まで行きましたが…。本丸からは、雪山が見えました。金の玉を崖で取り合う訓練というのが面白かったです。

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todo94

インパクトのある外観 (2025/02/09 訪問)

攻城にあたっていつも拝見させていただいてお世話になっている城郭放浪記さんも驚かれたようですが、なかなかインパクトのある岩山です。こんなの登れるのだろうかと不安にもなりますが、裏手には狭いけれども舗装された車道が通じていてさほどの困難もなく主郭にたどり着くことができました。

と思っていたのですが、標柱の建つ主郭に私はたどり着けていませんでした。いつかリベンジを果たさなければならないですね。

この城は日之影町に所在していますので、市区町村訪問ポイント・7ポイントは獲得することができました。

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you

碧海を 望み岩屋を 直歩く 凪ぐ朝どこか 蕭条たりし (2025/02/08 訪問)

現地に着くまで知りませんでした。
名作アニメの聖地だったとは、、

当初は熊野市の名城 赤木城跡も訪れる予定でしたが、時間がなかったため断念。

長い年月をかけ、自然の力によって造られた巨大な岩壁は
“鬼ヶ城”の名称で世界遺産として大衆に知られていますが、
もともと“鬼の岩屋”と呼ばれていた山上に城が築かれたことからその名がついたそう。
城の遺構はわずかで、その存在は岩壁の陰に隠れてしまったといえますが、
史実はしっかりと残っているようです。

一碧万頃を望みつつ、約1km続く順路を歩いたのちにメインの城跡へ。
登城路の要所に遺構と思しき石垣(石積)が見られますが
いろいろ調べた感じ、往時のものではなさそうですね、、
山頂には土塁で構成された郭(連郭式)が良好な状態で残っています。
鬼の見晴らし台からの眺めは絶景。

近くの宿泊施設で1泊し、翌早朝に外に出て、朝日射す凪いだ海を眺めているときに
幻想的で美しいとともに、森閑としていてどこかもの寂しくも感じました。

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トク

②【護佐丸と沖縄6城】:(1)山田城(2/2) (2025/02/04 訪問)

山田城の続き(2/2)です。石積の前に着きました。
1390年護佐丸は山田城按司の三男としてここで生まれます(写真①②③④)。そして幼少の頃を、ここで過ごしました。ちょうど京都では足利義満が権勢を振るっている頃でした。

後に護佐丸は、ここ恩納村から西へ8km程の読谷村の座喜味の丘に城を移しますが、その時にこの山田城の石を座喜味へ運んだそうです。そのせいか遺構はわずかで、あまり残っていませんでした。本丸の西側崖地には、先祖代々の墓が埋め込まれる形でありました(写真⑤⑥⑦)。

曾祖父は今帰仁城の按司でしたが、「怕尼芝」(はねじ)に滅ぼされ、怕尼芝は北山王を名乗るようになります。曾祖父の子(=護佐丸の祖父)は中山王尚氏の家臣となり、恩納村の地が与えられ、標高90mの山田に平山城を築きました(写真⑧山田城全景)。よって護佐丸はこの山田城の三代目という事になります。

ここで1416年、護佐丸26才になった時、ついに彼に大きな転機が訪れます。当時の主君、中山王の「尚巴志」(しょうはし)は、敵対する当時の北山王「攀安知」(はんあんち)を滅ぼすため討伐の兵を上げたのです。これは琉球を統一するための戦いでした。そこで護佐丸は、「これは念願の曾祖父の仇を討つ絶好のチャンスだ!」と討伐軍に加わります。

山田城の石積の場所からは、恩納の海岸越しに北山(名護・本部半島)が見えました(写真⑨と前回写真②)。護佐丸はどんな思いで尚巴志とともに、ここから今帰仁城を目指して北上したのでしょうか?

次は、その今帰仁城を訪れます。
 

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赤い城

足代城 徳島県三好郡東みよし町 (2025/01/26 訪問)

この日は山城3本で程よい疲労感。
少し早めに大返しとすることにしました。
粟井城から下道で、途中大歩危の道の駅で休憩しているとアナウンスが。
対岸の土讃線を観光列車、四国まんなか千年ものがたりが通過するとのこと。
これを見てから帰路につくことに。
紅葉シーズンはほぼ満席になる結構人気の観光列車です。

休憩をとったので少し復活、城びと未登録ですが足代城に寄って帰ることに。
県道12号線に案内板があり、そこを曲がります。
城跡まで車でいけますが折角なので古道を登ります。
古道は整備されているものの倒竹を越えながら進みます。
しばらく登ると神社があり、そこからは通常の道路を登りました。
城址前には説明板が立っています。
主郭部は畑になっていてかなり改変されているようです。
道路を挟んだところの民家が建つところにも郭があり、当時は同じくらいの高さがあったそうです。
城主は三好備前守でしたが長宗我部氏に攻められ落城しました。

帰りは神社までの古道を降ります。
途中切通っぽいところもありますが遺構なのかな?

【見どころ】
 ・主郭からの眺望
 ・麓から城跡までの古道

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朝田 辰兵衛

股関節と腰への負担がエグッ❢ (2025/01/12 訪問)

土質は岩殿山城に近いです。そこに大量の落ち葉が…。股関節と腰への負担がハンパないです。todo94さんも苦労されたご様子ですね…。
登城口ゲートは複数ありますが,普門寺墓地奥から目指しました。まさにこれから登城というタイミングで,下山されてきた管理人の方と遭遇しました。70代後半かな…という印象。手入れが行き届かないのを憂いておられました。下山時は,脚力低下でお尻で滑っているとも…。
塩山駅南口から窪平まで路線バス。窪平バス停から徒歩約45分で登城口到着。このウォーミングアップがなければ,股関節か腰に異変が生じていたかもしれません。
天然石を利用した防御施設はかなり有効だったのではないかと思います。
この城の登城者数が少ない理由がわかりました…。

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楓景斎泰山

雪城 (2025/02/08 訪問)

珍しく冬将軍が来た京都。
伏見桃山城の雪城写真はめったに撮れませんよ。

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しんちゃん

チバババン (2025/02/08 訪問)

千葉城で目を引くのは、天守閣を模した郷土博物館ですね。かなりの存在感があります。それ以外にも遺構が残っていて北西の本丸跡とされる公園には周囲に土塁が残っています。その北に神明社がありますが、間の通路は明確に堀切の跡ですね。
鎌倉時代以降、千葉氏の城とされ戦国時代には千葉氏の有力家臣・原氏によって整備されたと考えられています。毛並みの良い猫が三匹散歩していました。飼い猫のようですが、二匹が仲が良くて一匹は少し離れています。どういう関係でしょうかね?

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しんちゃん

クルリン クルリン クルクルリン (2025/02/08 訪問)

千葉に出張にいったついでに久留里城に寄って来ました。現在は林間の遊歩道と天守閣は立入が出来ません。割切った構造の展望台天守ですが雰囲気は有るんですね。この城の主役はやはり周囲に残された堀切です。麓に駐車場が有って、そこから舗装された道を登りますが、比高が90mほどあるので、けっこう登ります。途中から旧登城道に入ることができて、竪堀などの遺構を見ながら二の丸に登ることが出来ます。周囲は急峻で、かなり難攻不落のイメージがあります。これは攻め手は大変だと思いますよ。正直、竪堀を掘るのも命がけだと思います。

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ぴーかる

鶴ヶ城 (2024/12/28 訪問)

【鶴ヶ城】
<駐車場他>鶴ヶ城跡駐車場
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>日帰り小里城攻め旅1城目。現地説明板によると鶴ヶ城は鎌倉時代に美濃国守護となった土岐光衡が築城しここを本拠としたとされます。その曽孫で室町時代の初代に任ぜられた土岐頼貞もこれに倣い、ここを美濃府城としたそうです。1582年に織田信長が武田攻めの際にここに入城しているそうです。
 城跡は扇状の谷部を削平した感じで伸びた尾根部の上部を長く削平しています。西の出丸と東の出丸が外向きに長く伸びていることから鶴が翼を伸ばしているような形でそう名付けられたと思います。西の出丸はその下段の馬場は南から登って来る敵を叩く最前線の曲輪であったようです。中心の最上段が主郭となっていますが比較的小さな曲輪でその下段の曲輪が御殿場跡の表記があり、大井戸や穴の開いた柱石?等が落ちていて主要部だったと思われます。主郭の西側背後に大堀切がありなかなかの見応えがあります。西の出丸の下段の馬場にカモシカちゃんとまた遭遇して近づいても逃げない(罠にかかってる?)ので馬場見れず。
 鶴ヶ城跡の大堀切から裏天神山城・天神山城(城びと未登録)へ到るルートがあり(結局麓の天神山城登城口から登った方が近い)山中を大きく迂回して行きましたので次の投稿は天神山城・裏天神山城(城びと未登録)です。

<満足度>◆◆◇
 

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チェブ

チンチロ チンチロ チンチロリン (2025/01/04 訪問)

童謡の『虫の声』を連想させる「松虫城」。
皆さんの投稿を参考に『松虫寺』の駐車場を目指しました。
この駐車場までの道が狭く、ナビを使用しているのに、なかなか到着できませんでした。
『松虫寺』の駐車場に写真④の案内板がありました。
駐車場から少し歩いた所に「松虫城」があるようです。
写真③が「松虫城」辺りでしょうか?
『松虫寺』周辺も雰囲気がありました。

秋になり、松虫や他の虫達が鳴き出したら、ちょっと怖いかもと、名前で戦意喪失させられた「松虫城」攻めでした。

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トク

①【護佐丸と沖縄6城】:(1)山田城(1/2) (2025/02/04 訪問)

まず1城目は、護佐丸生誕の地「山田城」です。
県庁北口から沖縄バス[120]名護BT行に乗り100分(含遅着20分)、恩納ビーチのルネサンスホテル前で下車しました(写真①)。私はここから、歴史の道を歩いて山田城を巡り、山田のバス停へ抜けて行くルートを選択しました(逆も行けます)。バス停から国道58号線沿いに5分程歩いて戻った所に、歴史の道入口の案内標識がありました(写真②③④⑤)。ここが登城口と思われ、西海道とも書かれていました。という事は、山田城は北山と中山を結ぶ海道の境界に位置する場所なので、重要な関所の役割も担っていたという事ですね。

山田城には山田側からは車で登って行けますが駐車場が無いので(路駐になる)、車の方はお時間あればルネサンスホテルの広大な無料駐車場に停めて、私のように歴史の道をゆっくり歩かれて行くのもいいかと思います(往復60分くらいで山道なので歩きやすい靴で)。

歴史の道は整備された遊歩道で森林浴を楽しめました。途中に山田谷川(ヤ―ガ)の石橋(写真⑥⑦⑧)がありました。このあたりは水汲みや水風呂の場所だったようです。そこから少し登ると小さな文化庁の建物と案内図があります(写真⑨)。その横から先の山田按司(久良波大主)の墓の標識に沿って行かずに、気づきにくいですがその右に下る細い道があり(写真⑩の右側)、そこを下った場所に石積がありました。おそらくこのあたりが山田城の中心で、護佐丸の居館もこのあたりにあったのではないかと思われます。当時の面影に少しだけ浸る事ができました(その写真は次回)。

(2/2)へ続きます。
 

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赤い城

粟井城 高知県長岡郡大豊町 (2025/01/26 訪問)

城びと未登録城です。
JR豊永駅南の豊永山頂にあります。
小笠原氏が豊永氏を名乗り居城とし、豊永城と改称したとも言われます。
豊永氏は本山氏に従っていましたが後に長宗我部氏に降り、長宗我部氏衰退後は浪人となります。
その後は土佐に入った山内氏の家臣となり、長くこの地を治めたとのこと。

南側麓の定福寺から登りました。
車道はついているので小型車ならOKですが嫌な予感しかなかったので徒歩にしました。

しばらく登ると左手に登っていくコンクリートの坂道に、ここをさらに登ります。
さらに進むと分岐があり、右手の坂を登ると電波塔に到達。
城郭放浪記さんのサイトに沿って電波塔の裏側から進むとピンクリボンを発見、直登すると堀切に出会えました。

ここから城域、単郭で三方を横堀と土塁が囲んでいます。
浅いですが久々の堀底周回、栄養補給です。
南側に虎口があり、郭内は広く土塁の内側には石積も施されていました。
帰りは先ほどのピンクリボンに沿って降りるとコンクリートの道路に。
登城時の分岐から少し左に進んだところでした。
こっちのほうが楽かもしれません、直登ですが。

【見どころ】
 ・主郭を廻る横堀
 ・内側に石積が残る土塁

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー79城目 (2025/02/09 訪問)

2月10日に休みを取って4連休とし、2021年以来の宮崎県にやってきました。連休初日は移動のみとして日向市に泊をとりました。6時にホテルの無料朝食をいただき、まだ暗いうちに出発。延岡城には7:20に到着。三の丸、二の丸、本丸、天守台と一通りめぐって、駐車場に戻ってみると、なんと駐車場が満車になっていました。城内にやけに早朝ランナーが走っているなと思ったのですが、なんとこの日は延岡西日本マラソンの当日だったのです。24時間、スタンプを押せる城で助かりました。でなければ交通規制に引っかかっていたところです。西の丸に建つ内藤記念博物館はまたの楽しみに取っておきたいと思います。

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