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2026/01/09 15:00
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2026/01/09 14:40
126【関ケ原の26人】(26)井伊直政 (島津の退き口(2/3))
(26人目)井伊直政の続き㉘です。
琳光寺にて長寿院盛淳の捨て奸に時間をかせがれてしまい、直政は義弘を見失ってしまいます。しかし直政はまだまだ諦めません。義弘は牧田の交差点を東の伊勢東街道へ逃げ去りました。一方の烏頭坂で盾となった豊久は、盛淳が時間稼ぎをしている間、伊勢西街道へ逃げ去ろうとします(写真①)。しかし深傷を負っているため、もはや自力では歩けず、家臣らに担がれて逃げているようです。直政は豊久の後ろ姿をかすかに見つけ、「おのれ義弘!」と豊久を義弘だと勘違いし追いました。しかし牧田川に差しかかると(写真②)、この日は前日の雨で水量が増しており、渡るのに時間がかかってしまい、またも見失なってしまいます。
この時直政の家臣らも、ある者は傷を負い、ある者はもはやもう走れず、誰も直政についていける者はいませんでした。つまり直政は完全に単騎駆けの状態になっていたようです。もう回りがまったく見えていなかったのではないでしょうか。そして私も川を渡り、さらにチャリをこぎ続け、やっと勝地峠の入口(現:上石津中学校)までたどり着きました。
島津軍に残された弾はあと一発。この一発の銃弾で直政を討ち取るべく、最後に渾身の捨て奸を敢行します。しかしその場所が一体どこだったのか? 未だその場所は特定されていません。薩摩に残っているかすかな記録によれば、勝地峠の入口ではなく、かつ頂上でもなかったようです。分かっているのはただそれだけです。
ならば私は、ここから島津軍の気持ちになり、もし自分なら最後の捨て奸(最後の一発)をいったいどこで使うか? ゆっくりと実際に坂を登りながら自分の目で見て考えてみる事にしました。
ではここから、勝地峠に向かってゆっくりと坂を登ります。
勝地峠の入口である上石津中学校前(写真③)から今も残る林道を登り始めます。ここが当時の伊勢西街道です。ここを5分程登ると、多仁林道に入りだんだんと狭くなってきました(写真④)。少しずつ人家や人気も無くなり、うっそうとした杉林に囲まれて気味の悪い雰囲気です。そしてここなら、島津軍にとっても隠れやすい場所が増えてきました。
そしてカーブに差しかかりました(写真⑤)。このカーブなら直政の馬もスピードが落ちるでしょう。鉄砲で狙いやすくなるかもしれません。しかし直政からも相手が待ち構えているのがよく見えてしまいます。よって私は、島津軍が待ち構えたのは、まだここではないと思いました。
ここで突然、私の頭上でガサガサという音が・・。何と野生の猿が木から下りてきました! 1匹2匹・・4匹もいます! その距離30m! 何かじっーと私を見ています。ここの猿たちは、えらくデカイです😯。これはもう・・・恐怖です(襲ってきたらどうしよう😱~)。写真を撮りたかったですが、もうそんな余裕はなく自分の命の方が大切! 落ち着いて高崎山で学んだ事を思い出し、とにかく襲われないように(まず目を合わせないように)、背を向け知らん顔しながら、恐る恐る・・・一歩ずつ少しずつ前へ進み、何とか脱出に成功しました!(😥助かった~)。
さらに5分程登りました。すると両側を杉の木で完全に囲まれ狭くてうっそうとした場所がありました。またそこはまっすぐな登坂になっていました。しかもその坂の向こうは全く見えません(写真⑥)。私は「ここだ! 絶対にここだ!!」となぜか直感的にそう思いました。直政も同じく坂の向こうは見えなかったと思います。脇道もなく両側は杉林なので、ここは馬でまっすぐ進むしかありません。私が島津軍なら絶対この坂の向こう(写真⑦)で鉄砲を構えて待ち伏せます! でもこれはあくまでも私の直感です。証拠は何もありません。
隠れて鉄砲を構える「柏木源藤」、その指揮をするのは家康の陣に入り、御前で奏上したあの「川上四郎兵衛」です! 直政の馬のひずめの音がだんだんと聞こえてきました。そして直政の姿が見えた瞬間、「松井三郎兵衛」が突然と現れ、道をふさぎ立ちはだかります。行く手を塞がれた直政の馬は驚き(ヒヒ~ン)、急に立ち止まりました・・・
その時です!!・・・😱!
次は、島津の退き口(3/3)に続きます。
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2026/01/09 07:11
2026/01/09 06:34
不二見城 香川県観音寺市 (2025/12/14 訪問)
城びと未登録城です。
県道242号線沿い、柞田川の北側にあります。
広くなったスペースに車を置き、登りました。
主郭部には神社が建っています。
参道部分はおそらく竪堀?参道を登った反対側にも竪堀が落ちています。
県道を挟んだ向かい側も城域だったようです。
(ここには古墳があるようです)
神社なので綺麗に整備されていて西側は一段低くなっていました。
虎口のような凹みがありますがおそらく後世のものかと。
斎藤氏の家臣である大西氏の居城で藤目城の支城であったとされます。
【見どころ】
・東側に落ちる竪堀
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2026/01/08 22:55
箱根関所 (2026/01/01 訪問)
箱根の山は~天下の険♪♪ 函谷関も物ならず♪
箱根関所に行ってきました。リア攻めがしたくてジリジリ近寄ったのですが、このままではレッドラインを越えそうです。
「すみません大人一枚」 結局また入ることになりました。
面白いのが、ここの建物の石垣と接する木材が石垣の形に併せて削られている。まるで石垣に木材が吸いつけられるようにピッタリとはまっています。「ひかりつけ」という技法らしい。江戸時代ヒマだったんだなあ・・
関所の内部は大番所や足軽番所などが再現されており、初見であれば十分楽しむことができます。
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2026/01/08 22:27
富士山チラ見愛🗻😍 (2026/01/01 訪問)
今年の城始めは興国寺城です。興国寺・・良い名だ・・ついでに穂見神社で初詣も済ませました。伊豆に進出する前の伊勢新九郎盛時(宗瑞)が本拠としており、盛時はその後 韮山城に移りました。
富士山が見える城としても地味に知名度を伸ばしていると思います。
そこに愛はあるんか?・・逆に多すぎて難しい。土塁、空堀もすごいし・・おまけに神社に石垣まである、でもやはりここは・・
「富士山チラ見愛」でしょう。チラリズムにロマンを感じる・・そんな年齢です🥹
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2026/01/08 22:13
えっさえっさと堀を掘り (2025/03/30 訪問)
「堀もない城の主に嫁には出せん」と言われて領民総出でえっさえっさと堀を掘り、「櫓もない城の主に嫁は出せん」と言われてもないのにえっさえっさと櫓を作った菰野藩。一見無駄にも見えるこういう一所懸命さは嫌いじゃない。
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2026/01/08 22:10
2026/01/08 22:07
鶴姫 (2026/01/08 訪問)
標高307mの常山山頂に本丸を配し、そこから北と北東に延びる2つの尾根筋に曲輪を展開している連郭式の山城です。児島はかって瀬戸内海に浮かぶ島でした。その中心部にある常山、通称児島富士の山頂を中心に築かれています。上野氏の居城でしたが、毛利氏に滅ぼされました。常山合戦として伝わっています。落城を前にして奮戦した城主上野隆徳の妻鶴姫(三村家親の娘)達「常山女軍」の供養塔が北二の丸跡にあります。
JR常山駅近くの登山口より底無井戸を経由して北東の尾根にある惣門丸から惣門二の丸などの曲輪を通り本丸まで散策し、北側の尾根にある北二の丸、北三の丸などを経て栂尾丸まで行き下山してきました。石垣が各所に残っています。落ち葉等や立地的に見づらい石垣もありましたが、本丸、兵庫丸の石垣は容易に見学できます。本丸に展望台がありましたが、「危険 立入禁止」の表示がありましたので登っていません。展望台に上らなくても眺望はすばらしく瀬戸内海がよく見えました。晴れていたのに本丸に着く頃は曇りはじめ雪もちらつくようになり足早に散策しました。説明板の縄張り図を見ると底無井戸の下の方に馬洗池とあります。行ってみましたが、藪になっていて大きな水たまりのような感じでした。
登城路はよく手入れされていて坂もきつくなくJR常山駅から約30分で底無井戸付近まで行くことができました。栂尾二の丸が駐車場になっていて、そこまで車で行くことができます。
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2026/01/08 20:10
細川城 (2025/11/29 訪問)
【細川城】
<駐車場他>細川休憩所に5台程度停めれます。
<交通手段>車
<見所>石垣
<感想>日帰り滋賀県制覇旅1城目。細川城の詳細は築城年・築城主・主な城主も不明で謎に満ちた城跡です。龍松寺の横の道を南に登って行くと、遊歩道の両サイドに石垣群が現れますので、ここら辺が城跡だとすぐ分かります。城跡はひな壇状の曲輪が斜面に配されていて、曲輪壁が石垣になっています。南側の麓には磐座と思われる巨石が残されています。遊歩道の北側は広い曲輪と良好な石垣が残されています。南側の曲輪群の方は中段辺りにモルタルの側溝が縦断しているので改変されているかもしれません。防御遺構が残されていなく、全くの居館跡といった感じで、山の方に詰め城が無いのが不思議な感じがします。また龍松寺の石垣も添付しますが、算木積み前期の角の無い古い積み方のように見えたので城跡の一部を利用したものかとも思いました。
<満足度>◆◆◇
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2026/01/08 17:54
2026/01/08 08:27
「甦る岸和田城」ギャラリートークのお知らせ (2026/01/10 訪問)
🏯✨現在開催中「甦る岸和田城」✨🏯
1/10・11(SUN)は栢木隆先生のギャラリートーク✨
展示解説はもちろん、「ここが知りたい!」という質問にも先生が直接答えてくれます!
新年は岸和田城へ!
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2026/01/07 23:32
2026/01/07 23:08
20230514二条城(京都府京都市中京区) (2023/05/14 訪問)
4年ぶりの再訪で、初めての天守台を含め城内全域を細かく見て回る
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2026/01/07 22:57
20190127二条城(京都府京都市中京区) (2019/01/27 訪問)
中学の修学旅行以来、三十数年ぶりの訪問。団体旅行での駆け足訪問のため二の丸御殿のみの見学だったが、重厚な雰囲気に圧倒される
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2026/01/07 22:50
20190127二条古城(京都府京都市上京区) (2019/01/27 訪問)
近隣の旧二条城、妙顕寺城とセットで城址碑を確認
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2026/01/07 22:19
浜川砲台 大砲愛😍 (2026/01/01 訪問)
品川区東大井に有った浜川砲台は幕末の嘉永7年(1854)1月、土佐藩によって築かれました。現地案内板に寄れば土佐藩はこの地に鮫洲抱屋敷を持っていたので幕府に砲台を作ることを願い出たとのことです。
浜川砲台には六貫目ホーイッスル砲・・一門 一貫目ホーイッスル砲・・二門 鉄製五貫目砲・・五門
の計八門の大砲を装備していたようです。
当時の土佐藩の大砲製造の技術は天下一品で、土佐藩で製造された大砲は射程2.5kmはあったとか。
ペリーがホーイッスル砲を日本にプレゼントして、一年もたたずに江川太郎左衛門英龍がそれをコピーしたという話があります。
ペリーにしてみれば大して脅威にはならないと考えたのかもしれませんが・・甘いですぞ。
夜闇に乗じてホーイッスル砲を積んだ大量の小舟で黒船に肉薄攻撃をかければ、ペリーたちを海の藻屑に・・むむむ
ホーイッスル砲はカッター船に積み込める小型の大砲なので、機動力を持って敵の大砲の射程を相殺することが可能です。
失敗すれば敵は沖合に移動して攻撃してくるので逃がしてはいけませんぞ! 脳内仮想シミュレーションが止まりません。
大砲を作る大量の銅はどうするって? 奈良と鎌倉の〇〇を溶かして(ボカッ!!)
そこに愛はあるんか?・・あるじゃないですか、地元有志の努力によって形となった「大砲愛」が!!
近くには坂本龍馬の銅像があります。案内板によれば嘉永6年(1853)ペリーが黒船4隻で来航した際に、若き日の龍馬が土佐藩品川下屋敷近くの浜川砲台の警護にあたったとのことです。ここにも有志による「龍馬愛」があふれています。
まさに「幕末愛」でござんすね
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2026/01/07 21:09
日比谷見附 (2026/01/01 訪問)
現地の案内板によれば、日比谷門の名の由来は中世のこの地域に日比谷村があったことに由来するようです。慶長19年(1614)に熊本藩主加藤忠広によって石垣が築かれ、寛永5年(1628)に仙台藩主伊達政宗によって門の石垣が築かれたようです。
現在は日比谷公園の心字池近くに石垣が残っており、心字池はかつての堀の名残のようです。
江戸城には外堀と内堀に沿って36の見附(城門)が有ったとされ、この日比谷御門だけが橋の無い枡形門であったようです。
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2026/01/07 20:57
豊臣神社 (2025/12/30 訪問)
愛知県名古屋市の中村公園の中に豊国神社はあります。豊国神社と言えば京都や大阪城にあるものが有名ですが、中村区中村町の豊国神社もなかなかですよ。ここ中村町は豊臣秀吉の生まれた場所でもあります。
人気のある武将ですが、実はけっこうアンチも多かったりします。でも平民(足軽)の身分から天下を統一した天下人にまで上り詰めた人物なので私は天才中の天才だと思っています・・ただの「たらし」じゃありませんぞ。
大河だと、おっちょこちょい&お調子者な感じで、それをしっかり者の秀長が支えていくといった展開になるのでしょうか。
秀長の新たなヒーロー像にも期待しています。
大河ドラマ館も楽しみです、もうじき会館するのかな。加藤清正公の生誕地の近くでもあり、中村公園の中には秀吉清正記念館が建てられています。
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