比高約100mの山城です。麓に遊歩道がある
のですが城郭の案内はなかったかな。
明確な道、看板はありませんが、藪漕ぎをする
こともないです。主郭が細長い三日月型になって
るのが特徴的です。楕円形に土塁が残ってます。
段曲輪が続き麓には広い平坦地があり、天然の
巨大土塁で防御してます。
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検索結果・・・「」を含む投稿
2026/01/10 17:22
2026/01/10 12:02
20030927岩国城(山口県岩国市) (2003/09/27 訪問)
錦帯橋から見上げる天守、天守から見下ろす錦帯橋と錦川、どちらも絵になる
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2026/01/10 11:57
20180131櫛崎城(山口県下関市) (2018/01/31 訪問)
北麓の城址碑付近に立派な石垣が残っている
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2026/01/10 11:38
20190430ヲシャマンベ陣屋(北海道山越郡長万部町) (2019/04/30 訪問)
平成最後の日に訪問。飯生神社裏手に明確に残る土塁と空堀は見事の一言
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2026/01/10 11:31
20190429五稜郭(北海道函館市) (2019/04/29 訪問)
GWで激混みの中、40分待って登った五稜郭タワーから満開の桜が取り囲む全景と青空を楽しむ。花見客で賑わう中見た石垣と水堀と桜のコラボも素晴らしかった
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2026/01/10 10:43
城トラップに出口を間違える? (2025/11/23 訪問)
2回目の「守谷城」攻めです。
2022年の春、守谷小学校近くの土塁と石碑と説明板を写真に写し、すっかり「守谷城」に行った気でいました。
帰って皆さんの投稿を見てビックリ、『守谷城址公園』にて再登城してきました。
北側の大きい駐車場に車を止めて「守谷城」攻め開始です。
『守谷城址公園案内図』を見上げ、左手に『かわうそ弁天』がありました。
カワウソ?イタチ科のカワウソ?これだけで、左方面に歩いてしまいました。
私は小学生の頃、テレビアニメ
『冒険者たち ガンバと7人の仲間』
を観るのが好きで、毎回白イタチのノロイとの戦いにハラハラしてました。
それから、最近行った新江ノ島水族館のコツメカワウソが可愛いくて、、、と、こんな理由でかわうそ弁天へ。
かつて、「守谷城」を守る水掘の役割だったのでしょうか?沼があり、かわうそが生息していたそうです。
かわうそはいません。
写真②を随分と歩き、何しに来たんだろう?と思う頃、ようやく「守谷城」攻め開始しました。
皆さんが絶賛する「守谷城」。私は縄張り等、よく分からずに歩いていますが、イラストと説明板があるので分かりやすく歩けます。
散々、土塁上や堀底を楽しみ、土橋を渡り、虎口を見て戻ってきたつもりが、南側の駐車場でした。
また、入城したら、どこへ歩いて行ってしまうか心配だったので住宅と公園の間の道をぐるっと周りました。
再登城しても、まだまだ歩き足りない「守谷城」攻めでした。
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2026/01/10 07:30
2026年始・元日の両毛の攻城④ (2026/01/01 訪問)
勧農城からの転戦です。国の重要文化財に指定されている物件です。基本的に土日祝日のみの公開で平日に見学したい場合は、事前に電話にて予約する必要があります。元日は祝日ではあるけれどもちょっと非常識でありました。「午前中はお年始で留守にしていたので午後で良かったけれども、事前に予約をしておいてほしかった。」と言われてしまいました。申し訳ありませんでした。それなのに、館長さんに非常に丁寧にご案内していただいてしまって恐縮です。とても勉強になりました。ありがとうございました。次に向かった桐生城は駐車場の先の入り口部分が倒木でふさがれてしまっていて、登城がかないませんでしたので、元日の攻城は彦部屋敷が最終となりました。
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2026/01/09 23:06
2026/01/09 22:55
本多忠高 (2025/12/30 訪問)
安祥城の跡地は大乗寺(主郭)と八幡社(二郭)の境内になっています。北には歴史博物館と駐車場があり、周辺を安祥文化のさと(郷)と呼ぶようです。天文18年(1549)徳川家康の父・松平広忠が死に、同年 今川・松平軍は太原雪斎を総大将として織田信長の兄・織田信広が城代を務める安祥城を攻めました。先鋒を務めた本多忠高(忠勝の父)は信広に追い迫るも深入りしすぎて敵の矢で射られて戦死してしまいました(案内板参照)。
大乗寺の境内には忠高の墓碑があり、徳川家に対して功績のあった者だけが許される大亀の墓碑を以て築かれています。
境内には堀平十郎宗正の墓もありました。安城古城の近くにも宗正の塚があるとされ、安城合戦で討死した将士ではないかと考えられています。主郭跡とされる大乗寺は周囲より高い位置に有り城址の雰囲気を残しています。
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2026/01/09 15:00
テスト投稿
沼田城跡の情報について紹介するアカウントです。
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2026/01/09 14:40
126【関ケ原の26人】(26)井伊直政 (島津の退き口(2/3))
(26人目)井伊直政の続き㉘です。
琳光寺にて長寿院盛淳の捨て奸に時間をかせがれてしまい、直政は義弘を見失ってしまいます。しかし直政はまだまだ諦めません。義弘は牧田の交差点を東の伊勢東街道へ逃げ去りました。一方の烏頭坂で盾となった豊久は、盛淳が時間稼ぎをしている間、伊勢西街道へ逃げ去ろうとします(写真①)。しかし深傷を負っているため、もはや自力では歩けず、家臣らに担がれて逃げているようです。直政は豊久の後ろ姿をかすかに見つけ、「おのれ義弘!」と豊久を義弘だと勘違いし追いました。しかし牧田川に差しかかると(写真②)、この日は前日の雨で水量が増しており、渡るのに時間がかかってしまい、またも見失なってしまいます。
この時直政の家臣らも、ある者は傷を負い、ある者はもはやもう走れず、誰も直政についていける者はいませんでした。つまり直政は完全に単騎駆けの状態になっていたようです。もう回りがまったく見えていなかったのではないでしょうか。そして私も川を渡り、さらにチャリをこぎ続け、やっと勝地峠の入口(現:上石津中学校)までたどり着きました。
島津軍に残された弾はあと一発。この一発の銃弾で直政を討ち取るべく、最後に渾身の捨て奸を敢行します。しかしその場所が一体どこだったのか? 未だその場所は特定されていません。薩摩に残っているかすかな記録によれば、勝地峠の入口ではなく、かつ頂上でもなかったようです。分かっているのはただそれだけです。
ならば私は、ここから島津軍の気持ちになり、もし自分なら最後の捨て奸(最後の一発)をいったいどこで使うか? ゆっくりと実際に坂を登りながら自分の目で見て考えてみる事にしました。
ではここから、勝地峠に向かってゆっくりと坂を登ります。
勝地峠の入口である上石津中学校前(写真③)から今も残る林道を登り始めます。ここが当時の伊勢西街道です。ここを5分程登ると、多仁林道に入りだんだんと狭くなってきました(写真④)。少しずつ人家や人気も無くなり、うっそうとした杉林に囲まれて気味の悪い雰囲気です。そしてここなら、島津軍にとっても隠れやすい場所が増えてきました。
そしてカーブに差しかかりました(写真⑤)。このカーブなら直政の馬もスピードが落ちるでしょう。鉄砲で狙いやすくなるかもしれません。しかし直政からも相手が待ち構えているのがよく見えてしまいます。よって私は、島津軍が待ち構えたのは、まだここではないと思いました。
ここで突然、私の頭上でガサガサという音が・・。何と野生の猿が木から下りてきました! 1匹2匹・・4匹もいます! その距離30m! 何かじっーと私を見ています。ここの猿たちは、えらくデカイです😯。これはもう・・・恐怖です(襲ってきたらどうしよう😱~)。写真を撮りたかったですが、もうそんな余裕はなく自分の命の方が大切! 落ち着いて高崎山で学んだ事を思い出し、とにかく襲われないように(まず目を合わせないように)、背を向け知らん顔しながら、恐る恐る・・・一歩ずつ少しずつ前へ進み、何とか脱出に成功しました!(😥助かった~)。
さらに5分程登りました。すると両側を杉の木で完全に囲まれ狭くてうっそうとした場所がありました。またそこはまっすぐな登坂になっていました。しかもその坂の向こうは全く見えません(写真⑥)。私は「ここだ! 絶対にここだ!!」となぜか直感的にそう思いました。直政も同じく坂の向こうは見えなかったと思います。脇道もなく両側は杉林なので、ここは馬でまっすぐ進むしかありません。私が島津軍なら絶対この坂の向こう(写真⑦)で鉄砲を構えて待ち伏せます! でもこれはあくまでも私の直感です。証拠は何もありません。
隠れて鉄砲を構える「柏木源藤」、その指揮をするのは家康の陣に入り、御前で奏上したあの「川上四郎兵衛」です! 直政の馬のひずめの音がだんだんと聞こえてきました。そして直政の姿が見えた瞬間、「松井三郎兵衛」が突然と現れ、道をふさぎ立ちはだかります。行く手を塞がれた直政の馬は驚き(ヒヒ~ン)、急に立ち止まりました・・・
その時です!!・・・😱!
次は、島津の退き口(3/3)に続きます。
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2026/01/09 07:11
2026/01/09 06:34
不二見城 香川県観音寺市 (2025/12/14 訪問)
城びと未登録城です。
県道242号線沿い、柞田川の北側にあります。
広くなったスペースに車を置き、登りました。
主郭部には神社が建っています。
参道部分はおそらく竪堀?参道を登った反対側にも竪堀が落ちています。
県道を挟んだ向かい側も城域だったようです。
(ここには古墳があるようです)
神社なので綺麗に整備されていて西側は一段低くなっていました。
虎口のような凹みがありますがおそらく後世のものかと。
斎藤氏の家臣である大西氏の居城で藤目城の支城であったとされます。
【見どころ】
・東側に落ちる竪堀
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2026/01/08 22:55
箱根関所 (2026/01/01 訪問)
箱根の山は~天下の険♪♪ 函谷関も物ならず♪
箱根関所に行ってきました。リア攻めがしたくてジリジリ近寄ったのですが、このままではレッドラインを越えそうです。
「すみません大人一枚」 結局また入ることになりました。
面白いのが、ここの建物の石垣と接する木材が石垣の形に併せて削られている。まるで石垣に木材が吸いつけられるようにピッタリとはまっています。「ひかりつけ」という技法らしい。江戸時代ヒマだったんだなあ・・
関所の内部は大番所や足軽番所などが再現されており、初見であれば十分楽しむことができます。
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2026/01/08 22:27
富士山チラ見愛🗻😍 (2026/01/01 訪問)
今年の城始めは興国寺城です。興国寺・・良い名だ・・ついでに穂見神社で初詣も済ませました。伊豆に進出する前の伊勢新九郎盛時(宗瑞)が本拠としており、盛時はその後 韮山城に移りました。
富士山が見える城としても地味に知名度を伸ばしていると思います。
そこに愛はあるんか?・・逆に多すぎて難しい。土塁、空堀もすごいし・・おまけに神社に石垣まである、でもやはりここは・・
「富士山チラ見愛」でしょう。チラリズムにロマンを感じる・・そんな年齢です🥹
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2026/01/08 22:13
えっさえっさと堀を掘り (2025/03/30 訪問)
「堀もない城の主に嫁には出せん」と言われて領民総出でえっさえっさと堀を掘り、「櫓もない城の主に嫁は出せん」と言われてもないのにえっさえっさと櫓を作った菰野藩。一見無駄にも見えるこういう一所懸命さは嫌いじゃない。
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2026/01/08 22:10
2026/01/08 22:07
鶴姫 (2026/01/08 訪問)
標高307mの常山山頂に本丸を配し、そこから北と北東に延びる2つの尾根筋に曲輪を展開している連郭式の山城です。児島はかって瀬戸内海に浮かぶ島でした。その中心部にある常山、通称児島富士の山頂を中心に築かれています。上野氏の居城でしたが、毛利氏に滅ぼされました。常山合戦として伝わっています。落城を前にして奮戦した城主上野隆徳の妻鶴姫(三村家親の娘)達「常山女軍」の供養塔が北二の丸跡にあります。
JR常山駅近くの登山口より底無井戸を経由して北東の尾根にある惣門丸から惣門二の丸などの曲輪を通り本丸まで散策し、北側の尾根にある北二の丸、北三の丸などを経て栂尾丸まで行き下山してきました。石垣が各所に残っています。落ち葉等や立地的に見づらい石垣もありましたが、本丸、兵庫丸の石垣は容易に見学できます。本丸に展望台がありましたが、「危険 立入禁止」の表示がありましたので登っていません。展望台に上らなくても眺望はすばらしく瀬戸内海がよく見えました。晴れていたのに本丸に着く頃は曇りはじめ雪もちらつくようになり足早に散策しました。説明板の縄張り図を見ると底無井戸の下の方に馬洗池とあります。行ってみましたが、藪になっていて大きな水たまりのような感じでした。
登城路はよく手入れされていて坂もきつくなくJR常山駅から約30分で底無井戸付近まで行くことができました。栂尾二の丸が駐車場になっていて、そこまで車で行くことができます。
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2026/01/08 20:10
細川城 (2025/11/29 訪問)
【細川城】
<駐車場他>細川休憩所に5台程度停めれます。
<交通手段>車
<見所>石垣
<感想>日帰り滋賀県制覇旅1城目。細川城の詳細は築城年・築城主・主な城主も不明で謎に満ちた城跡です。龍松寺の横の道を南に登って行くと、遊歩道の両サイドに石垣群が現れますので、ここら辺が城跡だとすぐ分かります。城跡はひな壇状の曲輪が斜面に配されていて、曲輪壁が石垣になっています。南側の麓には磐座と思われる巨石が残されています。遊歩道の北側は広い曲輪と良好な石垣が残されています。南側の曲輪群の方は中段辺りにモルタルの側溝が縦断しているので改変されているかもしれません。防御遺構が残されていなく、全くの居館跡といった感じで、山の方に詰め城が無いのが不思議な感じがします。また龍松寺の石垣も添付しますが、算木積み前期の角の無い古い積み方のように見えたので城跡の一部を利用したものかとも思いました。
<満足度>◆◆◇
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