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しんちゃん

伊東氏48城の一つ (2025/05/06 訪問)

曽井城は野崎病院のある丘陵上に築かれていて、東西約400m、南北約300mの城域を持っていました。南西部に主郭があったとされ、南側の一段高い場所は櫓台のような雰囲気です。北側の一段低い場所は二の丸とされ、それぞれの郭跡に病院の施設や駐車場などが築かれているようです。北側の道路から病院の駐車場まで到達でき、駐車場の脇に新しい案内板が設置されていました。
おかげで普請者扱いされずに済みますが、病院の敷地内なので、散策などはせずに戻りました。
見落としましたが、病院の北東に位置する曽井公民館の脇に登城路の一部が残っているようです。
曽井城は南北朝時代(1375~81)頃に伊東氏の一族(曽井氏か)によって築かれ、戦国期は伊東氏48城の一つとなり、伊東義祐没落後の島津氏による支配を経た天正15年(1587)豊臣秀吉の九州平定の後、伊東祐兵に与えられました。その際の改修工事では黒田官兵衛が総指揮を取ったと伊東家の家請に記されているそうです。その後、江戸幕府の一国一城令によって廃城になっています。

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑳ (2025/04/28 訪問)

陸前小野城からの転戦です。三陸道も利用してのアプローチです。館山公園として整備されていて、本当に公園と化してしまっているような南側の城域は、今回は割愛いたしました。城址碑のある北側のみ簡単に散策して、いよいよ、このゴールデンウイーク前半で一番の目的地へと向かいます。

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にのまる

全問正解❗️瞬殺ありがとうございます‼️

朝田さん、おめでとうクイズご返答ありがとうございます。
私のお気に入りの【赤くない橋】は徳島城。
これぞ神奈川県の奥牧野城は2度目はないかなと思うだけに思い出深いです。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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しんちゃん

サボテンパーク閉館により立ち入り禁止 → 烏帽子嶺砦を攻略【直登注意+熊】 (2025/05/07 訪問)

瀬平ノ城は元弘年間(1331~34)に矢野義元により築かれました。戦国時代は伊東氏の家臣・上別府氏が守将を務め、1543年に伊東義祐はこの城から島津軍との戦いに出陣し、南方の鵜戸神宮の近くの烏帽子嶺砦を攻め落としています。

瀬平ノ城はサボテンハーブ園から道が続いていますが、園の近くから早々に「通行止」になっています。ネットを検索するとこの先にもゲートがあり鍵がかかっているようです。到着早々に「不発弾」確定ですが、ここまでは昨日の段階で解っていました。伊東義祐がここから烏帽子嶺砦を攻めたという情報も得ていたので、まっすぐ烏帽子嶺砦を目指します。
近くの空き地に車を留め、烏帽子嶺砦へ。ここは鵜戸神宮の西側に位地し、近くを新鵜戸トンネルが通っています。鵜戸街道の難所の一つ「烏帽子峠」を押える砦で、1541年に飫肥城主・島津忠広が伊東義祐に備えて築きました。
それなりに名のある城だとは思うのですが、案内板も登城道も整備されていません。宮崎県ですね・・。
脇道から分け入って行くと、途中から直登で城域に取りつくことになります。登りやすい場所が見当たらないので崩れの場所から登って行くと、途中から勾配が急になって来ます。勾配の途中から脇の森に取りつき、樹木を利用して上によじ登って行きます。
勾配をよじ登ったあたりからマジモードに入っています。ここの急斜面はなかなかにヤバいですよ。
烏帽子嶺砦は砦と称しながらも、山城と呼んでも遜色のない規模を持っています。城址の最高所に主郭を設け、下方に多数の郭を配しています。もっと注目されても良い城址だとは思いますが、安全な登城道の整備が必要になると思います。
あと、成獣のものと思われる、大きな熊のフンらしきものがありました。しかも新鮮なやつです。日南市の他の城址でも大量の熊のフンを見ています。九州には熊はほとんどいないはずですが、日南市限定・しかも人里近くで繁殖しています。これは怪しいですね。捕獲した熊を勝手に他の地域に放獣する人たちがいるのなら、重い刑罰を課しても良いと思います。

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しんちゃん

【藪注意】詳細不詳の城 (2025/05/06 訪問)

那珂城は伊東氏の城とされ、天文年間(1532~1555)に築かれたとされていますが、ネットで調べても殆ど詳細が出てきません。地元のガイドさんや、城びとさんも嘆いていましたが、宮崎県(教育委員会まど)はあまり城址の調査に熱心ではないようです。坪谷城の稿でも述べましたが、調査が困難だと放置しているケースが多いですね。これは熊本県や鹿児島県など南九州全般に言えることですが、危ない縄張りを持ったネイティブな城がそのまま残っている場合があるので、注意が必要だということです。
なんとなく予想はしていましたが、逆に私としては来た甲斐があるというものです。
那珂城は宮崎県総合農業試験場に隣接していて、東の郭と見られる部分は試験場の敷地に含まれるようです。各所にゲートが設置してあるので、東側や林道側からは入ることは出来ません。試験場であるので外来の植物の種なども持ち込みはNGだと思われるので、そこも考慮しなくてはいけません。九州はヘタをすると「不発弾」だらけになってしまいそうな案件が多いので、それも最小で済ませたい所です。
北側の林道を西手から歩いて城址に近づくと、畑地の脇から入れそうな感じがします。畑地に入らないように気を付けて近づいてみると劇藪の向こうから城址に取りつくことが出来そうです。ここから入れと「城址の声」が聞こえてくるようです。
朝から小雨が降っていますが、ちょっと藪の中に入って見ます。試験場の件は気になりますが、注意書きもフェンスも全くなく、完全放置の藪山状態です。地元ガイドさんも攻略して藪で撤退したと言っていたので、藪をくぐり潜り抜けながら先に進みます。
この日は試験場は休みだったので、連絡は取れませんでしたが、城址の状態から試験場の範疇外と判断しました。翌日、確認したところ城址の部分はフェンスの外になるので試験場とは関係ないとのことです。

先に進むと土塁が見えてきました。このあたりも主郭を守る郭になるのでしょうか。土塁に沿って進んでいくと周囲に堀を巡らした小高い郭が見えてきます。どうやら、ここが主郭のようですが切岸が急なのと、雨で足元が滑りやすくなっているので、比較的登りやすい箇所を探します。

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しんちゃん

福岡藩六端城(出城)の一つ。 (2025/05/04 訪問)

黒崎城は現在は感じの良い城址公園になっていて、城址近くまで車で行くことが出来ます。普通車でも十分登ることが出来ますが、坂道の途中にも住宅があり、住民の生活の場となっているので配慮して登る必要があります。駐車場にも十分な広さがあるのでゆっくり見学できます。頂部が本丸で、北に伸びた尾根上に二の丸、三の丸も配されていたとされますが、案内板に有る黒崎城図とはイメージが少し異なります。周囲の地形も昔とはだいぶ変わっているようです。北に郭が伸びていたのであれば、駐車場も郭跡ということになりますか(三の丸かな)。本丸南西部に展望台があり、周囲を眺望することが出来ます。

黒崎場のある城山はまたの名を道伯山と言い、かつては福岡藩の端城(出城)の一つとされ、他にも若松城・大隈城・鷹取城・小石原城・左右(まてら)城があり六端城と呼ばれました。
城代には黒田二十四騎の一人、井上周防之房が据えられ、道伯山の名は彼の号・道柏に由来するそうです。黒崎城はその後、元和元年(1615)の一国一城令により破却されました。

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カズサン

日本唯一螺旋通路付すり鉢状井戸 (2025/05/13 訪問)

 4、5年前に城郭放浪記さんで紹介され、城びと投稿も有り是非訪ねたいと思っておりましたが、中々単独で城郭探訪は叶わず、今回家内の要望拾年越しに「大塚国際美術館」「祖谷のかずら橋」を訪ねる事に成り、空いた時間に探訪しました。
 駐車場:芝原八幡神社南通路路側帯(34°05'32"N 134°27'49"E h=20m)2台程可。
 参考資料:城郭放浪記さん城びと投稿者グーグルマップに依る

 阿波芝原城は日本唯一の螺旋状の通路を付けたすり鉢状の井戸です、蔵珠院境内に在り、門前通路土塀沿いの案内板には「蔵珠院の心水の泉」とあり、グーグルマップ史跡では「蔵珠院まい込み泉」と表示されています。
 長年の願いが叶い螺旋状通路付すり鉢井戸を見学確認する事が出来ました、日本唯一の井戸を見学出来て感激です。その間蔵珠院の大型犬に吠えられており(犬小屋鎖付)長居は出来ませんでした、本堂に参拝し山門、通路側土塀沿いの案内板心水の泉、江戸期末の吉野川洪水の氾濫水位痕跡標柱と案内石盤を確認。
 同じく芝原城域だった蔵珠院の東隣の芝原八幡神社を参拝し見学確認、石盤の芝原八幡神社由緒には芝原城主久米安芸守義弘の名前が刻まれ知ました。
 また久米氏が合戦で討死した鑓場古戦場跡が芝原城・蔵珠院北東約2kmの吉野川南側堤防県道15線南下に石碑と案内板が設置されていました。前を通りましたが写真撮影無し。
 周りは田園地帯で当時は田植え前の農業機械が通路、田園で動いていました。
   

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ぴーかる

唐津城 (2025/03/21 訪問)

【続百名城76城目】
<駐車場他>東城内駐車場(有料)に駐車。
<交通手段>車

<見所>本丸石垣
<感想>2泊3日西九州旅2日目3城目。現在は登るルートが1つのようなので、南の大手道を登っていきました。エレベーター100円で本丸まで上がれるのもあります。大手道はよく整備され石段や門跡遺構が残っています。二の丸から本丸を見上げる眺めは迫力があります。模擬天守内にスタンプ設置場所があるのですが、車にスタンプ帳を忘れて取りに戻って往復したらさすがにキツイ、息があがりました。本丸石垣の南面と西面は、はらみの修復や積直しが行われたりして良く整備されていますが、東面は結構荒れていました。北面は見ていません。また海側の石垣遺構も散策するのを忘れ、なんともビギナーな城跡攻めになってしましました。訪城後に曳山展示場⇒虹の松原を訪れ(後日別途投稿)ました。周辺散策・周辺観光が楽しい町でした。これにて佐賀県の百・続百名城制覇です。

<満足度>★★☆

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チェブ

チバリーヒルズでリッツパーティ。 (2025/05/01 訪問)

本日も脱線予報が出ております。
と、その前に、遅くなりましたが朝田 辰兵衛さん、神奈川県コンプリートおめでとうございます。この前、東京都を制覇したと思ったら今度は神奈川県。『すごっ!』と、声が出てしまいました(^_^)

さてさて、「大椎城」。
1つでも『行った』をポチッとする為に向かいました。
写真①の所で『目的地に到着しました』とナビが言うので、信じます。竹藪と藪の向こうに「大椎城」があるのてしょう。ポチッ。退陣。
こんな山奥な写真ですが、ほんの少し車を走らせると高級住宅街に出ます。
その名も『ワンハンドレッドヒルズ』こと、『チバリーヒルズ』です。バブルの時は、たびたびテレビで紹介されてました。
この時は『チバリーヒルズ』だと分からなく、
相方、『リッツパーティしそうな住宅ばっかだな。』
私、『リッツパーティって沢口靖子の?リッツパーティなんて、やった事も呼ばれた事もないな。』
と、この後、次のお城までリッツパーティの話題ばかりでしたとさ。

こんなんで、お城好きと言って良いのか分からなくなった「大椎城」攻めでした。

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朝田 辰兵衛

亀田城佐藤八十八美術館が主郭跡です🏰 (2025/05/10 訪問)

亀田城佐藤八十八美術館が主郭跡とのことなので,入館料【210円】を支払い,内部を散策しました。茶室「天鷺庵」,休憩処「惣助亭」,「深山軒」が庭園内にあり,趣がありました。この主郭エリア一帯のエントランスとして模擬櫓門があり,ちょっと離れた集落内に模擬天守があります。

こんな時に雨男ぶり発揮です…<泣>。双六館を断念してここに来ました。
5/17(土)~5/18(日)で再び秋田県入りし,双六館を落としたいと思います。天気予報を確認すると,5/18(日)になるかと思います。書き込みはお休みします。

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シェル

大宰府の出入り口の長塁 (2025/02/28 訪問)

 スタンプ押印の兼ね合いで西鉄春日原駅から徒歩で向かいました。最寄り駅は、JR水城駅または西鉄下大利駅です。
 まず春日原駅から徒歩10分ほどの大野城心のふるさと館で、大野城と水城の100名城スタンプを押印。
 大野城心のふるさと館から、水城の東門跡までは、徒歩30分ほどで行くことができます。
 東門跡の付近に展望台や水城館などの施設があります。東門は大宰府へ向かう古代官道が通っていた場所の一つだったみたいです。今も道路が東門跡を通っていて、周辺には国道3号もあるなど交通の要衝になっていることが感じられます。
 水城館そばには展望台があり、水城の全体の様子を見学することができました。とにかく規模が大きく、外国からの防衛の要の一つだったことが伺えました。

 ここからお城とはあまり関係ない蛇足ですが、飛行機までの時間を利用して、水城から博多の間にある ららぽーと福岡 のνガンダムを見てきました。そして、ランチは福岡城からも近い天神の節ちゃんラーメン本店で、ラーメン定食(ラーメン・半チャーハン・餃子3個)をいただきました。豚骨スープですが、そこまで濃くなくて非常に食べやすかったです。お値段もチャーハンと餃子付で780円と非常にお買い得ですので、おすすめです!!
 初の九州旅行もあっという間に終わりましたが、まだまだ巡りきれていないので、再度九州は訪れたいと思います!!

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シェル

素晴らしい高石垣&JR久留米駅そばの移築門 (2025/02/28 訪問)

 JR久留米駅から本丸まで徒歩15分ほどです。
 本丸まで直接行きたいところでしたが、いったん、JR久留米駅の西口に出て、日輪寺へ向かいました。日輪寺には久留米城二の丸乾門が移築されています。駅から5分ほどの好立地ですので、新幹線や電車待ちの際にも気軽に巡れると思います。門の所からJR久留米駅舎が丸見えでした。
 移築門を見学して、ブリヂストンの工場沿いに進んでいくと、歩道脇に三の丸跡、二の丸跡の石碑が立っていました。
 工場を抜けると、いよいよ本丸跡に到着。本丸には、かつて7基の櫓がそびえていたという とんでもない城郭だったようです。現在は、櫓はありませんが、高石垣と水堀の一部が残存しています。冠木御門跡の桝形を通り、本丸内部へ。本丸跡にある篠山神社を参拝。篠山神社の社務所で、続日本100名城のスタンプを押印しました。篠山神社社務所の営業時間は8:00~17:00までとのことですので、押印に向かわれる際はご注意ください。
 本丸をぐるっと見学し、帰路は大宰府方面へ向かうため、本丸から南に8分ほど歩いた「築島」というバス停で西鉄バスに乗車し、西鉄久留米駅へ向かいました。バス停まで道中には「三ノ丸濠跡」の石碑がありました。堀跡は遊歩道になっており、堀の名残と思われる高低差がありました。

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シェル

石碑の見学注意!! (2025/02/27 訪問)

佐賀城の水堀の南東側の“中の館児童遊園”という公園が城跡になります。公園に城の遺構はありませんでしたが、龍造寺隆信の生誕の地ということで、大きな「龍造寺隆信公碑」が立っています。石碑の周りには、「立ち入り禁止」のキープアウトテープが引かれていました。何ごとだ?と思い、よくよく見てみると石碑の周囲の玉垣の一部が倒れている状態でした。
 これから見学される際は、崩落の可能性もありますので、十分注意してください。

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dougen

2020/2/1登城 (2020/02/01 訪問)

小川町高見地区の四津山神社がある四津山が高見城址となります。

主郭に神社があるので、登城道は整備されています。

また、県の史跡に指定されていますので、城址としても整備されていて、郭や堀切などの遺構散策が容易に楽しめます。

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トク

【春の長崎天草を巡る⑰】長崎観光(3/4)亀山社中と坂本龍馬 (2025/04/05 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、長崎観光編(3/4)です。

長崎駅前に連泊した翌朝、今度は亀山社中へ行くために、まず長崎駅南口のバス停から[55]風頭山行のバスに乗り、終点の風頭山(山頂)で下車しました。このルートの選択は大正解でした。亀山社中は風頭山の中腹にあり、市電で行くと電停のある大工町やめがね橋付近からは、急坂や長い階段を登らなければならず、すれ違う人々は結構きつそうな表情でした(写真④)。でも山頂から行けばあとは下るだけ!(楽勝です😊)。しかも山頂の公園にはいい表情をした龍馬の銅像もありました(写真①②)。その先にある展望台からは、龍馬像越しにグラバー園も見えるすばらしい光景でした(写真③)。

亀山社中は、坂本龍馬が起こした日本で最初の商社だったと言われています。されど実態は、龍馬が薩長同盟を実現させ、またさらに薩長を勝たせ討幕を成功させるために、武器の輸入などを主に扱うという会社でした。その亀山社中があった場所に、現在は記念館として当時の建物が再現されています(写真⑤)。中には龍馬実筆の手紙なども展示されていました(写真⑥⑦⑧)。「亀山社中」はその後「海援隊」と名前を変え、船の購入と船による運送業務も行うようになりますが、龍馬が暗殺されたのを機に縮小し解散してしまいます。そしてその後は、三菱という商社を起こした同郷土佐の岩崎弥太郎が、その役割を担って行ったようです。

次はその貿易相手、トーマスグラバーの邸宅(グラバー園)を訪れます。(4/4)に続きます。
 

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イオ

椿尾上城(2/2) (2025/01/05 訪問)

(続き)

西尾根曲輪群の西端からは北東に大きな竪堀を落としています。竪堀を過ぎて尾根沿いに進んだ先にもいくつかの小曲輪がありますが、削平は甘く自然地形に近い感じでした。竪堀の反対側にあたる西尾根西裾には竪堀群を設け、南西裾にも上下二段に分かれた十数条に及ぶ大規模な畝状空堀群が整然と並んでいます。浅くなっていたり倒木に覆われていたりで写真では伝わりづらいですが、こちらもなかなかの見どころです。

西尾根の竪堀群から西尾根曲輪群南下段の帯曲輪を経て、主郭部南裾へ。真ん中を林道で分断されている上に南側は木立の中で見づらいものの、こちらにも畝状空堀群が設けられています。竪堀だけでなく横堀も東西に走っていて複雑…というより雑多な感じですが、南側に対する厳重な警戒は感じられます。そして横堀を越えたところの南端の堀切を確認して椿尾上城をひとめぐり。

登城道も城内もよく整備されていて歩きやすく、説明板や案内表示は無いものの、横堀に土塁に石垣に堀切に畝状空堀群にと見どころも多く、大和三大山城に数えられるのも頷ける見事な城でした。この日は豊田城(笹藪)、窪之庄城(竹藪)、椿尾下城(激藪)と藪まみれの城ばかりでしたが、最後にやっと快適な城めぐりができました。
 

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑳ (2025/04/28 訪問)

大衡城から、支倉常長メモリアルパークを経ての転戦です。本当は、連休初日の最後に狙っていたのですが、時間が足りなくなってしまって3日目の攻城となってしまいました。梅ヶ森館は、お館山公園として整備されており、小野館跡の城址碑が建っています。傾いていましたが舊小野城の城址碑もありました。今回は公園周りを攻めただけです。成瀬川方面に下っていけば堀切もあるようです。桜ヶ森館は余り遺構がはっきりしていないようなので、さほど、そそられるものはありませんが、機会があったら再訪してみたいと思います。

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赤い城

水濠はほぼ当時のまま (2025/04/28 訪問)

GW2日目、朝駆けの後はメインの目的である砺波のチューリップを見に行きます。
カレンダーでは平日のこの日は思ったより混雑も少なく、また天気も良かったので満喫。
相方も満足してました。良かったです😊

お昼は氷見うどん、旅行先でもうどん?と突っ込まれそうですがやはり地のものは食べておきたい、と。
美味しかったです。

で、高岡城。初めての登城です。
この頃から雨が降り出したので駆け足での見学になります。
まずは高岡市立博物館でスタンプ。
月曜日で休館でしたがスタンプは押せました。
護国神社の脇を通り二の丸と本丸を繋ぐ土橋、ここには築城当時の石垣が残っています。

本丸には射水神社、越中一宮として知られます。
本丸広場には石垣の石が展示されている他前田利長の像も立っています。
周囲は水濠で囲まれ、これもほぼ当時のまま残されているとのこと。

本丸から朝暘橋(赤い)を渡り中の島から外濠の周りを歩きました。
南側にも赤い橋がかかっています。
大手口には高山右近像、東側に回ると枡形濠になっていました。
搦手口より再入城、スポーツセンターが建つ三の丸から小竹藪を見学して駐車場に戻りました。

前田利長が築き、縄張は高山右近の高岡城は利長の死後、一国一城令で廃城となりました。
城跡はそのまま残り、今は市民の憩いの場となっているようです。

【見どころ】
 ・二の丸と本丸の間の土橋と石垣
 ・周囲を周る広い水濠
 ・東側の枡形濠


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しんちゃん

若戸大橋 (2025/05/04 訪問)

若松城は黒田家の筑前六支城の一つで豊前の細川家に備えるために中ノ島に築かれました。幕末には藩により砲台が設けられますが、明治維新により民間に払下げられ明治10年の洞海湾修築工事の一環で島は削平され姿を消しました。伊能忠敬の計測では外周が約700ほどあったようです。現在若松城のあった場所の上に若戸大橋がかかっているので、上を走って見ました。船での移動に比べると味気ないですが、一応頭上を通過したということで・・。昼ごはんは資さんうどん、夜はとんこつラーメン。福岡と言うとラーメンのイメージがありますが、うどんの店もたくさんあります。個人的には資さんうどんのお世話になることが多いですね。ここで「肉ごぼ天うどん」に海老天を付けてエネルギーを補充してから大三岳城攻略に向かいました。

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しんちゃん

三角城D・三角城(主郭)・三角城B (2025/05/04 訪問)

三角城Eを訪問した後は三角城主郭を目指します。三角城Eから三角城主郭へは三角城Dを介して尾根上を移動することが出来ます。三角城DはEに比べるといささか地味で、尾根上に数段の扁平地が有るのみです。主郭と最前線であるEを繋ぐための砦というイメージです。Dを尾根沿いに下ってから主郭を目指します。例によって中段に腰郭らしきものがありますが、途中から直登で登って行きます。上まで登りきると主郭が広がっていて三角点も有ります。ここが大三ヶ岳城攻めの攻略の中心になるわけですか。
周囲はなかなか急峻ですが、北側の尾根は緩やかで複数の腰郭が有るようです。そのまま北に向かっていくと三角城Bに行くことが出来ます。地形図を見ると主郭からCにも行けそうに見えますが実際は別ルートになります。一度下まで下って行くと、Bへたどり着くには比高10数mの丘陵を登る必要があるようです。周囲を見渡せるポイントを随所にしっかり押さえているようです。三角城Bの頂部には扁平地が広がり三角点も有りました。東側にも腰郭が有ったような気がしますが、少し記憶が薄れて来ています。Bから下って谷道に降り三角城Cを俯瞰で眺めます。三角城Bは先ほどCの上から眺めているので、ここで戻ることにします。
地形図を見ながら谷道を東に向かって進んでいくと、程なくして最初の分岐に戻ることが出来ました。すでに4時半ぐらいになっているので吉川城を見るには少し時間が足りません。いずれ再訪した際には小三岳城も見てみたいと思います。小三岳城から下に降りる安全な道が有れがだいぶ楽が出来そうなのですが。

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