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シャンシャン

続日本100名城の山城 (2023/04/19 訪問)

同じ広島県内にある100名城である郡山城にちょっと似た雰囲気の山城。
ただ、郡山城より規模は小さいので割と手軽に登ることができる。
頂上の景色は絶景!
沼田川を挟んで向かいにある高山城や遠くにはかすかに因島大橋も見ることができた!
眼下にはトンネルから出てくる新幹線を見ることができ、広島空港に向かう飛行機もまあまあ近くを通るので乗り物好きな人にはけっこういいポイントかもしれない。

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小城小次郎

上杉景勝は、この城から魚津城を見つめていた。 (2023/10/28 訪問)

上杉謙信の越中侵攻時の拠点となり長尾景直(椎名小四郎)が整備したと伝わる。魚津城の戦いの際に後詰を果たせなかった上杉景勝は、この城から大軍に囲まれた魚津城を見つめていたのだそうだ。その心境いかばかりか。

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肉球

私も北側の遺構オススメです (2024/03/27 訪問)

南北朝時代に南朝方に付きお隣の関城とともに落城したようです。
主要部分は大宝八幡宮の敷地のなっていますので駐車場も完備。
遺構は南側の高くて分厚い土塁も感動ものですが
先の投稿されているTokyobayさんが記されているように
北側の遺構必見です。

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シャンシャン

備後桜山城跡 (2024/04/19 訪問)

三原城から歩いて10分程で行ける山城跡。
地元の方が桜を植樹して登山道も整備しているので登りやすい。
上まで登ると三原城天主台や瀬戸内海が見渡せて景色がとてもいい。
頂上の本丸跡には石垣や土塁、井戸の跡も残っていて意外と見どころが多かった!

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肉球

20年ぶりでした (2024/03/27 訪問)

結城氏一族関氏によって鎌倉時代に築かれたようです。
南北朝時代に南朝方に付き北朝方足利軍高師冬に攻められ落城。
当時は東、南、西を大宝池に囲まれていたようですが現在は水田や用水路に囲まれています。

私有地に堀跡土塁がありますが道路から十分見学できます。
そのほか高師冬のよって掘られたという坑道跡と
落城寸前に守永親王と宴を催した所と伝わる大将山公園などがあります。

駐車場も用意されゆっくりと散策できます



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名城一人旅

続・日本100名城 苗木城跡 142番 (2023/04/24 訪問)

3回の攻城をしましたが、
すべて雨の日でした…。
3回目は小雨だったので何とか隙間を
ぬって空撮しました。
晴れの日はもちろん良いのですが、
霧雨の苗木城跡も幻想的で良かった
かなと自己満足しています。
上空から見る苗木城の巨大な石垣の
上の天守台が絶景でした。

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ぴーかる

尼子十砦2城目 (2024/02/23 訪問)

【赤崎山城】
<駐車場他>加茂神社境内に駐車できます。
<交通手段>車

<登城口>加茂神社と東側の住宅の間に<35.415283, 133.239961>山に入る狭い通路(写真添付)があります。1本道なのでそのまま進んでいくと主郭にたどり着けます。
<見所>主郭枡形虎口・横穴井戸跡?
<感想>1泊2日尼子十砦の旅2城目。城びとの初登城投稿になります。赤崎山城、調べましたが情報は少なく、よく分かりません。城びとの城郭情報では築城主・築城年は不明で原民部少輔が主な城主となっています。

 まずは案内から。加茂神社から主郭までは670m程あります。山に入ると竹林があります。竹に赤いビニールテープが巻かれているので、途中に竹の倒木がありますが、踏み跡の道なりに進んで尾根に取り付きます。ここで180℃ターンして雑木林の尾根を、残り300m登ると主郭に着きます。途中尾根上に出て右方向の尾根上を進むと相当藪化していますが削平地が1つあります。
 主郭手前に主郭の曲輪壁を背後、片側尾根を土塁とした枡形の虎口があります。主郭は小さな削平地で斜面側に窪地があります。主郭の南側は堀切・土橋の虎口となっています。主郭の西側斜面に横穴があり、怖くて中に入れませんでしたが横穴井戸跡かとも思われます。山の尾根が北からの登山道と主郭からそのまま南に伸びる尾根、主郭から東に真っすぐ伸びる尾根があり、それぞれ数百mづつすすみましたが、尾根上曲輪になっているようでもあり、無いようでもありました。相変わらず山陰地方の思う特徴、堀切が主郭以外全くありませんでした。

<満足度>◆◆◇

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刑部

城と桜 2024 (2024/04/04 訪問)

桜の咲くこの時期になると桜を見にいろいろな城址へ足を運びます。今年は佐野城、唐沢山城、そして今回は鉢形城の氏邦桜を見に行きました! 眺めてるだけで心が癒されますね、桜を見ながらお酒を飲みたいのですが車で来ているのでダメです!

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トク

彦根城さくらまつり(夜編) (2024/04/10 訪問)

夜に再度登城し、プロジェクションマッピングを見学しました。とてもきれいで幻想的でした。そして天秤櫓に井伊家の家紋「丸橘」が映し出されている姿には、なぜか身が引き締まる思いがしました。

さくらまつり会場で「ひこにゃん弁当」と「ひこどら」を買い、帰りの新幹線の中で食べました。あまりに可愛くよくできていたので、食べるのがもったいなかったです(笑)。
 

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イオ

意外に石垣の山城 (2024/02/11 訪問)

志賀の陣に際して、朝倉・浅井連合軍が比叡山南麓の坂本と京を結ぶ白鳥越えをおさえるべく壺笠山頂部に築いた陣城で、織田信長と和睦して連合軍が撤退した後は、坂本城に入った明智光秀により改修されたと考えられます。

坂本城の発掘調査現地説明会と湖中に残る石垣を見学した後は壺笠山城へ。ダニの巣窟との噂にひるんで秋や春の登城は控えていましたが、行くなら真冬の今しかない! と完全防備で登城しました(その甲斐あってか無事でした)。穴太野添古墳群の駐車場から登城開始。川沿いに20分ほど進んで橋を渡り、5分ほどで分岐を左に折り返し、そして5分弱で登城口です(案内表示を見落とさないよう注意)。

明瞭な分岐はありませんが、登城口から左方向に進むと直登ルート、右方向が尾根ルートで、尾根ルートは西端の堀切(切通道)に続いています。尾根に出ると東側に土橋状の尾根道がのび、その脇の土壇は切通道を見下ろす位置にあります。尾根道を進むと南麓に小曲輪群が見えてきます。兵の駐屯地でしょうか。さらに進むと石段と石垣の虎口があり、その先は主郭を取り巻く帯曲輪になっています。主郭の切岸は高く鋭く、切岸や帯曲輪、腰曲輪の裾には明智期の改修と思しき石垣もあちこちに見られました。帯曲輪を一周して主郭へ。説明板が立てられているほか、北東部と北西部に浅くなった虎口が開口していますが、周囲には土塁はめぐらされていません。

零汰さんの投稿を参考に、壺笠山城に続いては白鳥山(御輿山)砦と青山城にも行くつもりが、白鳥山砦へは西端の堀切から尾根道を西に進むべきところを登城口まで下りてきてしまい、あまりの凡ミスにもう一度堀切まで登って行く気力が失せたため断念…。青山城には行けなくはないものの、これで青山城に行ってしまうと白鳥山砦のためだけに再訪する気にはならないかも、と考えてあえて行きませんでした。このままでは終われないので、壺笠山城の再訪とあわせていつかリベンジしたいと思っています。
 

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todo94

近江の城めぐり⑧ (2024/03/09 訪問)

星ヶ崎城からバリケードに南京錠がかかっていて引き返した小堤城山城を経ての攻城です。日吉神社のお向かいに位置し、現在も末裔の方がお住いの城です。水濠と土塁が残っていました。

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しんしんちゃん

なんだかんだで人が多い (2024/03/30 訪問)

清州城の写真が残っていたので掲載させていただきます。この時期は清洲城公園の桜も咲いてきていたので多くの人で賑わっていました。二の丸跡にどこかで見たような模擬天守が建っていますが、そこに向かう橋の灯りが提灯を模したような造りでなかなか趣があります。しかし、どうしても人が入ってしまうので失礼ですが写真を加工させていただきました。
編集ソフトを使わなくもパソコンに普通に入っているアクセサリのペイントでモザイクをかけることが出来ます。ホームのタグ内に含まれている「選択」で修正したい箇所を矩形で選択し「サイズ変更」で数値を水平方向に20で入力します。その際に「縦横比を維持する」にチェックが入っていることを確認します。
再度サイズ変更で数値を500で入力すれば解像度が1/5になりモザイクがかかっているような状態になります。もっとモザイクを荒くしたい場合は最初に10で入力し、そのあと500、200と二回入力してやれば荒めのモザイクがかかっているような状態になります。
やっぱり、ある物を使ってタダですませるのが一番です。

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武田信玄終焉の地 (2024/04/18 訪問)

 駒場は武田信玄終焉の地ということで武田信玄火葬塚まで行って来ました。思ったより高いところにあり時間がかかりました。長岳寺には供養塔があり、今回は見ていませんが武田信玄の兜の前立てがあります。
 駒場は東山道、中馬(三州)街道、下条街道が合流する交通の要衝で重要な拠点であったと思われます。

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阿智公園 (2024/04/18 訪問)

 駒場は交通の要衝であり、また武田信玄終焉の地(諸説あり)と伝わっています。城は応永年間頃に林氏が築いたというとされています。戦国時代には武田氏が治めていました。城跡は阿智公園として整備されています。阿知川を天然の堀として、尾根に曲輪が展開している山城です。主要な曲輪を歩いて下を見ると腰曲輪と思われる削平地が存在します。ただ公園化するときに当時の状況とは変わっている可能性があります。見どころは主郭西側にある5条の堀切で主郭から2つの堀切は深さもあり楽しむことができます。説明板には東側にも4条の堀切があると記載されていますが、公園としたときの埋めたのか土橋となっていました。

 公共交通で行くには名古屋駅隣にある名鉄バスセンターから高速バスに乗り駒場バス停で下車すると阿智公園の案内表示のある場所まで約15分で行くことができます。
歩いて行くと全面通行止の看板がありました。その先正面の道に地区外者入山禁止の表示あり引き返そうかと思いました。しかし振り返ると折り返しの道が一本あり何の表示もありません。こちらが阿智公園(城址)への道で登城させていただきました。
 

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赤い城

羽床城 香川県綾歌郡綾川町 (2024/03/31 訪問)

民家の庭先に本丸への案内板が立っています。
案内板に沿って進むと腰曲輪があり、上に行くと主郭になります。
ですがまずは腰曲輪を進んでいきます。
主郭切岸はいい感じ、奥に行くと二郭の虎口。
その先にも曲輪と櫓台がありました。
腰曲輪の奥は墓地となっていて羽床城阯の石碑と説明板も立っています。
石碑の裏手の竹藪が空堀かな?
登っていく道があり二郭へ。
土塁が囲んでいます。
西側にも虎口があり、降りていくとこちらにも空堀跡、ここも竹藪です。
二郭と主郭の間の虎口も綺麗に残っていました。
主郭、二郭は草も刈られ見やすくなっていました。
羽床氏の居城、ここも長宗我部氏に攻められますが香川氏の調停により開城しました。
やっぱり四国では長宗我部、強大です。

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しんしんちゃん

焼き味噌の湯づけ 戦国時代のファーストフード (2024/04/18 訪問)

またしても湯づけの投稿です。いい加減にしなさい!と怒られそうですがご容赦を。今回は信長公や家康公も大好きだった焼き味噌を乗せてみました。誰かのお陰でいまいちイメージの良くない焼き味噌ですが(三方ヶ原)、おかずとしては今でも十分通用します。
信長公や家康公も焼き味噌の湯づけを召し上がっていたようなので、さっそく試してみました。
まずは焼き味噌の製作からです。ごま油でネギや薬味を炒めると、さっそく香ばしい匂いがしてきました。味噌を加え好みで砂糖などを加えます。出来上がった焼き味噌を冷や飯の上にのっけて、お湯を注げば出来上がりです。さすが戦国のファーストフード、あっという間ですね。お湯を注いだ状態で何口か食べてみます。その後で味噌を全部とかして食します。う~ん‥このあいだ食べた汁かけ飯を薄味にしたような感じ。薄味猫まんまだ。
味噌が足りなかったかな? 戦国のファーストフードも奥が深いです。ちなみに干しシイタケや昆布でダシをとった湯づけは足利義政公の好物だったらしいですよ。京風の雅なかんじですかね。

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ぴーかる

尼子十砦1城目 (2024/02/23 訪問)

【十神山城】
<駐車場他>十神山入口<35.431911, 133.262462>駐車場8台分程あり。トイレあり。
<交通手段>車

<まえがき>今回の旅は前回取りこぼした尼子十基の夕景城攻略と尼子十砦を攻める目的で来ました。朝一番に城びと未投稿の豊岡城に行きました。城郭放浪記さんのサイトを頼りに東側無線基地<35.357495,133.280618>から奥へ入り込もうとしましたが、現在は笹薮がひどくて進入出来ませんでした。南側の畑からも進入は厳しく断念しました。
 次に安田要害山城の登城口に行きました。雨が降ってきて、雨雲レーダーを見つつ1時間ちょっと待ちましたが雨やむ気配ないので雨雲レーダーで降っていない十神山城に移動してやっと1城目。

<感想>1泊2日尼子十砦の旅1城目。城びとの城郭情報では十神山城は室町時代に松田氏によって築城されたとあります。現地説明板によると1532年頃に尼子経久が月山富田城の守りを固め、中海の制海権を得るためにここに支城を築き松尾遠江守を配属したとあります。毛利氏の侵攻の時、家臣児玉就中の水軍によって中海が制圧され、1566年城も落城したとあります。十神山は山頂に十柱の神を祀ったことに由来するらしく、現在は陸続きだが当時は島だったそうです。
 十神山入口から山頂まで遊歩道階段が付けられていて登り易いです。登城途中も削平地は全く表面観察では見受けられず、山頂の主要部も小さな削平地が残るのみです。山頂から西方向に中十神山頂も小さな曲輪で手前70m手前の尾根曲輪も削平された遺構かとも見えました。中海の海岸の方には行きませんでした。

<満足度>◆◇◇

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sorato

石垣と雪 (2022/12/22 訪問)

2022年の12月の写真です
天守台の穴蔵、見ごたえあります!

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sorato

石垣と雪 (2022/12/22 訪問)

2022年の12月の写真です

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さといも

駅からすぐ (2024/03/13 訪問)

 駅の構内から天守台に登れます。駅の高架下にも石垣がありますし、駅前から徒歩でほどなく舟入櫓の石垣や舟入の跡があります。

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