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イチ

銀山を守る山城 (2021/12/05 訪問)

石見銀山のそばにある山城。曲輪や畝状竪堀群が魅力であるが藪化で見ることが出来ませんでした。
しかし、主郭からの三瓶山は雄大でした。

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赤い城

富士山を望める (2022/01/15 訪問)

搦手側に駐車場があり、すぐに説明板が立っています。
説明板の背後には大空堀がありますがこの時季でも藪、でも何とか降りることはできました。
登城路に戻り少し登ると曲輪があり、石垣もありました。
どの時期に出来たのかは不明です。
善福寺曲輪は公園のようになっていて展望台や模擬逆茂木が設置してありました。
善福寺曲輪と主郭の間には大堀切、岩盤を削った感じです。
主郭には神社が建っていて善福寺曲輪越しに富士山を望むことができました。
やっぱり富士山には癒やされます。
主郭南西の藪を抜けたところに二の郭がありますがここも藪。
敢えて行くことも無いと思います。
北条氏に備える今川氏の前線基地でしたがその後北条氏、武田氏が領有しました。
富士山だけでなく駿河湾も綺麗に望むことができる良い城でした。

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イチ

毛利氏の海城 (2021/12/05 訪問)

沖泊港の北側に築かれた海城。尼子方の温泉氏が在城するも、毛利氏の支配下へ。主郭を目指すも藪化に阻まれ断念。荒波の日本海を感じられる場所です。

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2018年7月16日の浮城だった高島城 (2018/07/16 訪問)

高島城は、諏訪の浮城と言われておりますね。
城郭形式は、連郭式平城で有ります。
かつては、諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城」とよばれていたが、江戸時代の初めに諏訪湖の開拓が行われ、水城の面影は失われた。
かつての天守は、独立式望楼型3重5階で、明治初期の古写真でその姿をうかがっています。
しかしながら、現在の復興天守は窓の大きさや位置などの細部に異なり、屋根には銅板が葺かれており、内部は資料館になっております。
高島城主の諏訪頼忠は、徳川家康に敵対していたが降伏して諏訪郡の本領を安堵された。
その後、1590年に、諏訪頼忠は豊臣秀吉の命により
関東転封になった徳川家康に従って、武蔵国に移った。
代わりに豊臣秀吉の家臣、日根野織部正高吉が諏訪領主となり、1598年に現在の位置に城を完成させた。 
1601年に、関ヶ原の戦いで徳川軍に属した諏訪頼水は徳川家康の恩恵により、旧領の諏訪に帰り藩主になりました。
以降、10代藩主の諏訪忠礼至るまでの270年間、諏訪氏ととに高島城は諏訪湖を見続けて来ました。

にのまるさん、松本城クイズは2問とも正解でした。

天守群に登られたと思いますが、次の事に答えて下さい。

① 大天守の最上階にぐるーと一周する狭い廊下があったと思うのですが、確認されましたか?
それが回り縁の痕跡で有ります。

② 辰巳附櫓には花頭窓があるのですが、確認されましたか?

③ 月見櫓には朱色の回り縁がありますが見られましたか?

長野の善光寺に将軍家光公が公式参拝されるとき、
松本城に寄る事を当時の藩主松平直政に伝えました。
そこで、急遽月見櫓を造ってもてなしに使おうとしたのです。
しかし、将軍家光公は予定が変更になり松本城には寄ることはなかったのでした。
だから、月見櫓は松平直政が造ったと考えられますね。

最後に、もう1問だけ松本城に関わる問題を出しときます。
それは、深志城の頃のお話です。
武田信玄が何故甲府から深志城を目指したのですか?

ヒントは、当時の歴史的背景と断層に関わっております!

また、考えて下さいね。

私は、現存天守の中で松本城が一番好きですね。



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備中の覇者三村氏所縁の城を巡る (2021/01/09 訪問)

備中松山城から高梁川を遡ること30kmあまり、もう少し行くと鳥取県に至る位置にあります。三村氏の同盟であった児島の常山城から楪城まで、備中の国全体を勢力下にし、まさに備中の覇者と言えるでしょう。
楪城は、新見市の平野部から、高梁川沿いに少し山あいに入ります。180号線沿いに道案内板があったので、城の南から西側に回り込む道を行きました。細道に恐れず道標に沿って最後まで行くと、登城口前の駐車場に着きます。ここから登ると本丸の北側に至ります。大手道は、180号線をもう少し進み、城の東側から登る道です。
楪城は、本丸、二ノ丸、三ノ丸からなりますが、それぞれの間は開いており、特に二ノ丸と三ノ丸の間は距離があるとともに、間の尾根に大手道がとりついています。従って、二ノ丸の大手側、三ノ丸の大手側に、大きな堀切が設けられています。三ノ丸は、三村氏が新設しました。本丸、二ノ丸からは、新見方面は眺望できませんが、尾根先の三ノ丸からは、新見を望むことができると。
楪城の斜面は急ですが、特に高梁川側は、とても急峻で、崖かと見えるほどです。そんな要害ですが、三村氏が毛利氏に滅ぼされた備中兵乱では、二ノ丸、三ノ丸の守将が、寝返り、本丸だけの戦いをしいられました。二ノ丸と本丸の間は平坦でかつ比較的広幅(11m)の80mの帯郭で繋がっており、長期に耐えられるものではありません。
三ノ丸には井戸跡があります。吉備高原は、準平原を河川が激しく浸食した地形ですので、山並みの頂上が揃っています。サイホン効果で比較的高い場所にも水が湧くのだと思います。

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いち

タクシー利用と軽ハイキング (2017/02/07 訪問)

 初の、山城来訪。岩盤の上に石垣すごいです。
駅からはタクシーを利用しました。ロータリーは小さいですが、平日なら1.2台は停まってるようでした。
 地方のタクシーのドライバーさんも気さくな方も多いです。蘊蓄を色々教えてもらいました。
山城でしたが、山道は舗装されている感じなので、スニーカーでも大丈夫でした。

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いち

お城と桜 (2017/01/17 訪問)

  冬に来訪。
天守閣全体が撮れてよかったです。
桜の季節も素晴らしいけど、どうしても付櫓が隠れちゃうので、冬もおすすめです。

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いち

好みの場所 (2016/05/31 訪問)

 どこから撮っても素敵な姫路城ですが、 
個人的には、西の丸からのアングルが一番好きです。

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todo94

麟鳳閣 (2021/12/11 訪問)

新谷小学校校門に城址碑と説明板がありますが、グラウンドをぐるっとまわる舗装路を進んでいくと現存建築物の麟鳳閣にたどり着けます。公道のように見える舗装路も体育倉庫の前を通りますので学校の敷地内かもしれませんが、麟鳳閣は校舎に接していますので、登校日には訪れにくいかと思います。

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ばばよ

広い広い (2021/06/26 訪問)

東京駅丸の内口からスタート。
桜田巽櫓を見てから東御苑に入り本丸見学。ここで寛永期天守復元模型も見られます。
東御苑には初めて入りましたが、石垣の完成度の高さとスケールの大きさに圧倒されました。
さすが天下の江戸城といったところでしょうか。
桜田門・二重橋・伏見櫓・富士見櫓を見て回る。
富士見櫓は外苑側からあまりうまく見えず。季節柄緑が多すぎたか。
そこから反時計回りに半周しながら現存の清水門や田安門を見てから飯田橋駅方面から帰宅。
3時間弱かかりました。広い広い。

富士見櫓や富士見多聞櫓を近くから、全景で見たい場合は一般参賀か皇居乾通り一般公開を利用するといいのかもしれません。
そのうち再チャレンジしたいです。

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いち

はじめてのお城めぐり

 お城に興味が出て、初めて行ったお城です。
天守閣って小さいのもあるんや…
天守も裏側を写真撮ってしまいました…
こっちもいいけど、やっぱり表側から撮った方が
天守閣の良さがわかりますね。

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AJ

保存と開発と (2021/10/16 訪問)

天守台の真上に新幹線を通そうとして石垣をいじった城があるぐらいですから、もはや国道が縄張を分断してる程度では驚かない自分もいます。良いか悪いかはべつにして。

小机城(横浜市)。JR横浜線と第三京浜に挟まれた姿を地図で見たときはガッカリしましたが、いざ現地に来てみると鬱蒼とした木々に囲まれた遺構はかなり整っており、当時の様子を想像するのは難しくありません。

正確な築城時期は不明。一方で1478年、長尾景春の乱の際に太田道灌によって攻め落とされたという記録があるようです。その後は後北条の支城。2代・氏綱は小机を足がかりに当時扇谷上杉の居城だった江戸城を攻略しました。秀吉の小田原攻めでは戦闘の記録はなく、家康の関東入りで廃城となりました。

遠目には堅牢とは言いがたい印象ですが、登城口の登りは急。進むと最大の魅力である大空堀が西曲輪手前で待ち構えています。傾斜角は最大約50度。どう見ても城全体のサイズ感とは不釣り合いですが、逆にそれが軍事施設としての重要性を物語っているのかもしれません。中央西と東にある曲輪の周囲にもそれぞれ空堀があり、難攻不落ぶりを感じさせます。“経済成長とともに破壊された小さな城”という印象は正しくありませんでした。小ささには小ささの意味があるようです。現場に来たことで、それがよくわかりました。

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にのまる

いつまでもそのままでいてほしい。 (2022/01/15 訪問)

新宿7:00発のあずさ1号でびゅーんっと行ってきました。
只々美しい天守と景色を眺めるためです。
天守の急階段と寒さは試練でしたが、空いていて待ち時間もゼロ。周囲に気を遣う必要もなく国宝天守満喫できました。


[松本城もんだい]
(1)深志城
(2)・石川康長・寛永期

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やま

萌える山城④ (2022/01/17 訪問)

武田信玄公・勝頼公と徳川家康公が激しい争奪戦を繰り広げた難航不落の高天神城へ登城。前回は大手門から登城したが、今回は満を持して搦手門側から登城。激戦が繰り広げられた古戦場とは思えない凛とした静けさのある空気が立ち込める中、当時に思いを馳せながら登城路を上がり約5分ほどで三日月井戸へ到着。以前は6匹?ほどいた金魚が寂しげに1匹だけとなっていました(でもかなり大きく成長してましたね)。三日月井戸からはすぐに井戸曲輪に到着。搦手門からの登城はこのお城の防御力の高さを感じることができる切岸をみることができます。西の丸で高天神社に参拝したあと、馬場平へと移動。途中に切割があり、ここでも防御性を高さを感じました。馬場平からの眺望は素晴らしく、監視に優れていることがわかります。その後二ノ丸跡から大堀切を見学し、本丸跡を見学しました。やはり西の城の防御のための遺構は見ごたえ満点でした。

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小城小次郎

畠山政長、ここに散る。 (2021/09/20 訪問)

かつて七堂伽藍が聳えた正覚寺の一角に足利義材と畠山政長が拠ったのが正覚寺城だが思わぬ逆襲にあって政長はここに散った。このとき正覚寺は悉くが灰燼に帰したという。そんな歴史を石碑ひとつで思い浮かべるのもまたよし。

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やま

掛川三大城跡 (2022/01/17 訪問)

全国的にも珍しい玉石垣を一目見たいと前から思っていましたが、この度チャンスがあり登城。駐車スペースもしっかり準備されており、 案内板で、縄張りの解説や、発掘調査の結果も丁寧に説明されており好印象でした。 また城跡全体が非常にきれいに整備され、城の規模も思ったより大きく、見どころ十分でした。また不開門を移築した山門や、城主の大須賀氏歴代の墓がある撰要寺や、外堀跡・西櫓跡・西大手門跡がある西側エリアなど見どころも多く、掛川エリアを訪れる際には一見する価値ありです。続々百名城間違いなし!

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やま

萌える山城③ (2022/01/09 訪問)

前回の登城は山頂部の城跡しか見学できず、今回満を持して麓から徒歩で登城。登城路は登城口の石碑から約2キロの道のりでしたが、道中のいたるところに石垣、堀切などの跡が残っておりテンションマックス状態。更に7合目付近にある猿石から先は二の門跡から次々に城門跡が出現。途中高石垣などもあり、当時の様子がとてもよくわかる状態でした。また国見櫓跡からの眺望は今までの山城で見たこともないような素晴らしい眺望で感激しました。山頂の遺構はこれらを凌駕するほどの石垣の高さ、美しさがあり、所々苔むした感じがなんとも言えない古城の風合いを出しており、これぞ日本一の山城であると思わされました。整備も行き届いており、関係者の方々のご尽力に只々感謝の思い一杯となりました。本当に「素晴らしい」の一語に尽きる城跡でした。

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じゅんじん

前新宮城 (2022/01/06 訪問)

新宮城築城前に堀内氏が築城した平城の新宮城になります。

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じゅんじん

13年ぶり (2022/01/06 訪問)

今年初の総石垣&続100名城でした。川の眺めが好きです。

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イチ

古代朝鮮式山城・戦国山城 (2021/12/28 訪問)

赤松氏・尼子氏が拠点とした山城。主郭まで伺うまでかなり疲れます。曲輪の遺構は残っており、個人的には土塁がおすすめ。古代朝鮮式山城は石垣が見事です。下山の際には、お気をつけてください!

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