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土の構造のボリューム感が素敵 (2026/01/10 訪問)

 北畠氏の本拠地である多気に通じる中村川流域を守る城の一つです。比高はないですが、重厚な土の作りで、また、城びと先人の指摘のように、縄張りにくふうがあり興味をひかれます。北側の登城口から少し登ると、比較的緩やかな傾斜で東側に向けて斜面を斜めに登らせます。この道はずっと郭から見降ろされているのですね。
 ちとわけがあって、南側からアプローチしたのですが、南側からⅠ郭に入る、堀を渡る橋とその先の平虎口が「三重の山城 ベスト50を歩く」の縄張りに見られず、縄張りと現地が合わなくて、どこにいるのかしばしうろうろしてしまいました。

 ぴーかるさん、滋賀県&鳥取県コンプリートをおめでとうございます。最近の投稿に「ラスト*城目」とありましたね。滋賀県のラストは打下城にされたのですね。打下城は湖西線から見えます。他にも湖西線から見える城がいくつかあります。コンプリートへのプレゼントに、今朝、湖西線から撮った山城の写真を貼り付けました(写真10枚目)。

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朝田 辰兵衛

ぴーかるさん,滋賀県&鳥取県コンプリートおめでとうございます!

ぴーかるさん,滋賀県&鳥取県コンプリートおめでとうございます!
滋賀県については以前から予告があったように思います。まさか,鳥取県もセットとは…😱
滋賀県も鳥取県もネタがありませんので,2026年に話題となりそうなお城を出題します。
おめでとうクイズは,ズバリお城の名前をお答えください。
行ったことなくても瞬殺できると思います。

私のアトは,にのまるさん大丈夫でしょうか…?

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ぴーかる

桐山城 (2025/12/06 訪問)

【桐山城】
<駐車場他>浦富海岸駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>日帰り鳥取県制覇旅ラスト3城目。桐山城は南北朝時代以前に塩冶高貞によって築城されたとあります。尼子氏時代には山中鹿之助、豊臣政権下では垣屋光成、関ヶ原後は鳥取城主の池田氏、江戸時代は城下に陣屋を築いて家老の鵜殿氏を入れました。
 登城口は<35.590916,134.318930>にありますが、山に入り込むとすぐに「桐山城跡には行けません」の看板があります。登城道はあっているはずと思いつつ一応すすむと、添付写真の大堀切のところで木板の階段が倒壊した場所があり進入禁止となっていましたので、ここで引き返しました。登城道も私有地となっているようで、道も地権者の厚意で整備されていたようです。おそらく暫く再整備される感じはしなかったので不本意ながら行ったポチとします。
 これにて先日投稿した滋賀県打下城で城びと滋賀県制覇、この桐山城で城びと鳥取県制覇です。後日滋賀県と鳥取県の百・続百名城以外のマイベスト投稿します。走行距離402㎞無事走破。

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朝田 辰兵衛

赤い城さん,瞬殺ありがとうございます🎊 (2025/04/26 訪問)

「山下公園」大正解です。赤い城さん,瞬殺ありがとうございます🎊
城びとスタッフがよろこぶかな…と思ったのは,「お城EXPO城」をクイズに出すなどということ。フツーなら出さないと思います。
撮影したのは先日のEXPOではなく,神奈川県コンプリートの直前に立ち寄ってみたくなって行きました。

氷川丸なんて,シブイところついたりしませんョ…<笑>。

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山見老人会による案内道標は (2025/01/10 訪問)

 昨年に、阿坂城に登城し、附けたりとして史跡指定された高城と枳城にも行くつもりが、高城を訪問した時点で日没。およそ1年を経て枳城へ。
 城びと先達投稿に「北見老人会道標に従えば迷うことはない」とあり、イオさんは、枳城から遠ざかっていく道に不安を覚えて道を違え、直登になった旨のレポートがあり、しんちゃんさんは、「上の方まで林道がある」と。これらの情報がないまぜになり、結局、登りでは、北見老人会の道標を見ることなく、林道の最高点から、城域に続く尾根(疎林)を西に進んで城に到達。帰りは、老人会設置の道標を見つつ反省。1枚目の写真に、山を登っていく道のガードレールが見えます。これが、しんちゃんさんの言う、林道だろうと(違うんですよ)、そこに取りつくべく、9枚目の写真の右手のミカン畑の間の道を選択。難なくこの林道に進めたので、楽勝と思って登っていきましたが、最高点に至っても、道標がでてきませんでした。素直にまっすぐ行かんといかんよ。
 

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カズサン

【小和田哲男先生の「遠州における豊臣兄弟の足跡」講演】受講しました (2026/01/18 訪問)

 今年も浜松市細江町気賀みをつくし文化センター主催の歴史講座第14弾、「遠州における豊臣兄弟の足跡」と題して講演会が有りましたので受講してきました。
 昨年も受講しておりもう14回を数える程に成りました、小和田先生が静岡にいらっしゃるお陰で身近に講演を聞ける事が出来ます、小和田先生は静岡大学名誉教授、文学博士、日本城郭協会理事長、関ヶ原古戦場記念館館長でもあり日本中世史、戦国史の専門家でも有られます、我ら城好きには日本城郭協会理事長としてお城の各種イベント、城びとに寄稿されて大変馴染みも有り身近な存在です。静岡県浜松市在住者としては大変ありがたい限りです。

 開催場所:静岡県浜松市浜名区細江町気賀369 みをつくし文化センターホール
 講演講師:静岡大学名誉教授・文学博士 小和田哲男氏
 講演日時:令和8年1月18日(日)13時30分から15時20分内質疑応答20分

 今年の大河ドラマが豊臣兄弟で大変タイムリーな講演でした、会場450名の満席老若男女で先生の人気がすごい処でしょう。
 今年の大河ドラマ時代考証「柴裕之編著」の「豊臣秀長」に記されている羽柴家系図がスライドで写しされて講演が始まりました、秀吉秀長の両親が法名で系図で示されたことは柴裕之氏の功績とおっしゃっていました。
 秀吉と秀長は父が違うのではないか?と巷間言われていましたが最近の研究では姉のともさん、秀吉、秀長、妹の旭姫は同じ父の兄弟であるとの事。
 遠州での秀吉は15歳から18歳を針売り行商の後、松下加兵衛に仕えていたのは有名な話です、松下屋敷の近くに秀吉の鎌研池も有名です、秀吉が鎌の研ぎ具合を確かめるために葦の葉を切った事で遠州七不思議に数えられてる片葉の葦伝説も披露、現在池は公園整備で分からにかも?(太閤素生記より解説も有り)
 松下屋敷を出奔した後、信長に仕え、小者から足軽、足軽組頭へねねとの結婚、この頃には秀長も呼ばれている一緒に働き始めた模様、秀吉の妻ねねの名称は、以前おねと時代考証で呼びましたが、ねね呼称が史料で「ね」としか発見されて無く、昔の女性の名には頭に「お」付けて居たので「おね」としたと、この度「ねね」の呼称なる史料が出て「ねね」としたとの先生の話。兄秀吉の出世により永禄4、5年頃には呼ばれたようです。
 美濃斎藤家家臣の調略には秀吉の名が出て来る、墨俣一夜城、清須城百間石垣の話は史実か否か、一夜城は木曽川川並衆等の付き合いなども有り、何らかの働きはあった、清須城には当時石垣は無かった、発掘でもまだ見つかっていない。秀長も一緒に働いている。
 秀吉の北近江支配、伊勢長島一向一揆との戦い従軍、手取川の戦いで蟄居中の秀吉の代わりに秀長播磨へ、山陰地方は秀長、山陽地方は秀吉と分かれて毛利勢と戦う。
 秀吉の天下統一の戦いを共に戦う。賤ケ岳の戦い、小牧・長久手の戦い、紀州攻め、四国攻め。
 浜松城主時代の家康と秀長、家康を臣従させる秀長は妹旭と母のなかを説得か?、聚楽第内に家康の屋敷を建てさせた秀長、作事は藤堂高虎、小田原攻めと秀長、秀長は病床にて出陣してないが、秀忠を人質とするように家康に勧めた秀長。
 永禄4年(1561年)秀吉25歳、秀長22歳頃から天正18年(1590年)秀長がナンバー2として支えていたと。
 
 質疑応答も約20分程、小学生の質問から声の大きい高齢者まで楽しい会話でした。質問の一つに元気な秘訣を問われて、山城に登るためにとジムでのトレーニング、各種のお仕事、毎日の晩酌と登る応答にはなごみましたが?
 先生と同県で在住して身近な環境が有り難い事です。
 
 気賀関所が西隣ですので関所の写真、近くの満開白梅の写真も投稿します。
 

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赤い城

朝田さんクイズの回答

朝田さん、メッセージありがとうございます。
クイズが来るのは想定外でした😅

横浜なのはもちろんわかりますがどこからでしょう?
大桟橋かな、と思いましたが右に写る建物がその辺りなのでもっと南側。
山下公園から、と思いました。
が、クイズなのでもう一捻りして氷川丸
城びとスタッフがよろこぶ、の部分が謎です😊
マリーンルージュから、ならば私が泣いて喜びますが・・

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朝田 辰兵衛

赤い城さん,900城踏破おめでとうございます!

大変遅くなり恐縮ですが,赤い城さん,900城踏破おめでとうございます!
にのまるさんから勝手に受け継いで,おめでとうクイズいきます。
にのまるさんが「どこからの眺望か…?」という出題でしたので,私も「どこからの眺望か…?」で出題します。
どこを眺望しているかは一目瞭然。城びとスタッフはよろこぶかな…?
ということで,瞬殺願います。

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駿府城

駿府城跡天守台発掘調査現場の公開終了と今後について

駿府城跡天守台発掘調査現場の公開が2025年12月26日(金)をもちまして終了しました。
公開最終日は平日にもかかわらず、県内外から多くの方にお越しいただき、発掘調査現場は最後までにぎわいを見せていました。長年親しまれてきた発掘調査現場の公開終了を惜しむ声が聞かれる一方で、2027年のリニューアルオープンに向けた期待の声も多く寄せられました。

駿府城跡天守台発掘調査現場は、平成28年度に開館して以来、約110万人もの方にご来場いただき、本当にありがとうございました。
この10年間で、徳川家康公が築いた2つの天守台や金箔瓦など、重要な発見が相次ぎ、天下人・徳川家康公の生涯や駿府城の歴史を現地で体感できる、唯一無二の場所として高く評価されてきました。また、静岡市歴史博物館や東御門・巽櫓など、周辺の歴史施設にも足を運んでくださる方が多く、駿府城跡周辺エリア一帯が歴史文化を学び、楽しむ拠点として親しまれてきたことがうかがえます。
現在、2027年のリニューアルオープンに向けて準備が進められています。今後の進捗状況や整備の様子については、引き続きこちらで発信してまいりますので、ぜひ楽しみにお待ちください。

また、静岡市公式ホームページ(https://www.city.shizuoka.lg.jp/6725/s013130.html)では、「駿府城跡天守台野外展示プロジェクト」の内容について詳しく紹介しています。あわせてご覧いただき、これから新たな姿へ歩みを進める駿府城跡に、今後もぜひご注目ください!

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滝之川城 三重県松阪市(城びと未登録) (2025/01/10 訪問)

 昨年11月に登城された、いんげん丸虫さんに続き、行って参りました。「三重の山城ベスト50を歩く」に取り上げられています。北畠氏の本拠地である多気へと通じる中村川流域を守る配置であると。
 中村川の支流を渡り、階段を登ると寺院跡の広い平坦地があります。道標に沿って登っていくと、正面に堀切と切岸、左手になだらかなピークが現れます。このピークの頂上の削平地は差し渡し20mほどで本郭域とは独立的な郭Ⅴです。丘陵の二つの山頂にそれぞれ独立的な郭を設ける縄張りは、北畠氏の城のいくつかに見られる特徴と「三重の山城ベスト50を歩く」に書かれていました。本郭の方は、周囲に切岸とその下に帯郭を配置して、帯郭間を堀切で遮断しており、これまた、北畠氏の縄張りの特徴と。帯郭間の堀切や連続竪堀は高低差が残っており、ボリューム感が素敵でした。

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カズサン

【上野 天幕城】群馬県伊勢崎市 小菊の里に隣接の天幕城址 (2025/11/10 訪問)

 長年の念願が叶った女淵城(女渕城)探訪を終えて、北関東道のICへ向かう途中、女淵城より南東に約3㎞程の天幕城がヒットし、余湖図コレクションさんの俯瞰縄張図をも確認し、あかほり小菊の里の駐車場があり宇都宮への帰路寄ってみました。

 住所:群馬県伊勢崎市磯田町301
 駐車場:赤堀磯沼公園駐車場、小菊の里駐車場。トイレ有。
 参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 当日は月曜日、前日の雨上がりで空気もスッキリ、あかほり小菊の里は幟も立って祭りの最中、多くの観光客が見えて居りました、グーグルマップを見ると周辺には古墳が多く散見されます。
 
 駐車場から西へ約100mで南に折れて約30m程で川を渡り天幕城域へ橋の手前に天幕城の標柱、橋をは立って天幕城跡の案内板が有る。南折れての30m程は厩舎が在り牛か?豚か?刺激臭が漂っています。
 比高は約20m程?の丘城です、本丸の北に曲輪、その間に堀切、本丸は北と西に土塁が鍵状に繋がり高さ4~5m程、二の丸は本丸東の北から南に構えてる、当日は背の低いひまわり畑で未だ咲いていました、本丸南側と南の三の丸は耕地されて土はふかふかで入り込めず、北土塁北側下の堀切を西へ進むと土塁折れの辺りに土塁への坂道が在り、北、西の土塁に上がりました、結構広い土塁で建物が建てられるくらいです。西側下は腰曲輪、その下は蕨沢川が南北に流れている、北にも蕨沢川に注ぐ川が流れている、東は旧蕨沢川の低地で城外と距てられている。城域は南北約400m、東西約120mの自然地形利用。

 歴史は、天幕城は那波氏、桐生氏の城となり、ある時は由良氏の攻略されるなど、戦国時代の動乱期を経た後、天正18年、北条氏滅亡と共に廃城と成った。
 (天幕城の城域概要と歴史は、天幕城案内板による)

 この後下城し北の赤城山を見上げると分厚い笠雲を被っている、あかほり小菊の里の小菊園を観光の方々と散策鑑賞しました。

 本日は上野の国、箕輪城、初登城の宿阿内城(阿内城)、今村城、那波城、城びと未登録初登城の女淵城(女渕城)、天幕城を廻りました。城廻には良い季節でした。
   

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赤い城

郭内はミカン畑 (2025/12/26 訪問)

皆さんのレポートなどで郭内が果樹園となっていることは承知だったので怪しまれない?この時季に登城しました。
説明板の前のスペースに車を置き土塁上へ。
方形単郭の城で土塁が四方を囲み、その外側に水堀が施されています。

とりあえず土塁上を一周、高さもあります。
この日は四国でも寒い日で、郭内は薄っすらと雪化粧。
郭内を見下ろしながら歩きます。
西側には開口部があり、かつては木橋が架かっていたものと思われます。

土塁上を一周したあとは水堀のほとりを少し歩いて撤収。
鴨がゆったりと浮かんでいました🦆

にのまるさんクイズ、正解でほっとしました。
指月山にも行かれたのですね。
レポートを楽しみにお待ちしてます😊

【見どころ】
 ・郭を囲む土塁

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にのまる

お返事ありがとうございます。

赤い城さん、萩城🏯正解です!
仰るとおり指月山⛰️へはこれまで登ったことがなく、100名城制覇と言いながらこれでいいのか⁈と気になっていたのですが、昨年末ようやく登ることができました。(レポートはまた改めて。)

では!1,000城到達へ、I wish you good luck!

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BUGTI

楠木七城のひとつに数えられる古い城 (2026/01/18 訪問)

南北朝時代から戦国時代まで戦いの舞台となった城だけに、やはり迫力がある。多くの横堀によって区画が区切られており、主郭へ攻め上るのは容易ではない。特に大手と思われる北側の道は谷底となっているため、主郭への土塁の切岸を見上げるだけでも戦意喪失となることはまちがいない。神社の神域として守られてきたおかげで、遺構がよく残っているのも素晴らしい。
城下には高野街道が通っており、地域住民の歴史的景観へ配慮した取り組みで整備が行われていることで、三日市町の街道はいまでも当時の面影が残っていた。

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電車の本数が少ないのでスケジュールには余裕を持って😅 (2026/01/17 訪問)

徳島で半日で3城も回ったので最後の勝瑞城は時間がなくて資料館に行って帰って来ちゃいました😅さらに御城印は資料館には売ってなく、近くのガソリンスタンドに置いてるとかで帰りの電車に間に合わないので買わずに帰って来ました😢 次回は徳島の最後のお城引田城と合わせて回りたいです。お城を見る時間はなかったけど、お疲れさん会をやる時間はありました😅

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赤い城

実家最寄りの登録城 (2025/12/21 訪問)

以前、夏に帰省した際に一度チャレンジしましたが藪で撤退、今回は冬枯れを期待して再度のアタックです。
三沢城の支城で三沢城から谷を挟んだ東側にあります。
登城口に説明板があり、近くに道路が広くなった場所がありここに車を置きました。

登城口から道が付いていますがすぐに無くなります。
左手に高い切岸があり、この上が主郭のようです。
さすがにこれを直登するのは・・と奥に進みます。
ようやく登れそうな場所を発見、しかし粘土質の土壌に雨、当然滑ります。
泥だらけになりながらようやく削平地に、案の定藪ですが季節が良いので何とか歩くことはできます。

主郭の先端には案内板がありました。
案内板があるくらいならもう少し整備してもよさそうなものですが・・
北側には空堀があり、これは良好に残っていました。

お昼は出雲そば、割子そばと呼ばれる三段重ねの器で提供されるものが有名ですがこの日は十割のお蕎麦をいただきました。
黒い田舎そばですがやっぱり美味しいです😊

【見どころ】
 ・主郭の高い切岸
 ・空堀

チェブさん、メッセージありがとうございます。
未登録城でもいい城たくさんありますね。
これからも行けるところは行ってみたいです😊

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イタさん

鹿田山砦群 群馬県みどり市笠懸町 (2026/01/14 訪問)

一帯は「鹿田山フットパス散歩コース」と名が付いた場所になっている。道路地図に兎山(兎山城跡)・八王子山(雷電山砦跡)・御嶽山(御嶽山城跡)・弥右衛門山(弥右衛門山砦跡)が載り、北1㎞ほどに二つ砦が見られる。西の麓には清泉寺があり、遺構は無いようだが泉沢城跡と言われる。

1. 兎山城跡  砦群の西端に位置する。兎山と八王子山間の鞍部は道路が走り、車で来られるが散歩コースの駐車場利用する。八王子山などの標識を頼りに左回りに行けば鞍部に出る。鹿田山散歩コースからは外れ、入口は兎も角、奥は笹藪になるが踏み跡は分かる。ここだけ城と名があるが、木々の生い茂る狭い頂部で、周囲を含め遺構らしきものは分からず。

2. 雷電山砦跡  鞍部から東が散歩コースになり、車両も通れる道が整備されている。ここから尾根歩きに近くなる。すぐに八王子山に着くのだが、単なる尾根の通過点で、砦跡・山頂には思えない。周囲を見回すが遺構らしきものは見当たらない。この南下に雷電様と言われる社があるようで、別名を雷電山と呼ばれる。

3. 御嶽山城跡  緩やかに下り、上り返せば御嶽山に着く。八王子山より山頂らしくはある。遺構らしきものは分からない。

4. 弥右衛門山砦跡  御嶽山の北寄りに位置する。北に下り鞍部に着き左に下れば駐車場に向かう。直進すれば同じような広さの山頂にでる。遺構らしきものは分からない。東から北の市外地の眺めが良く、砦・狼煙台には適していると感じる。

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T-Shionoya

横武城 整備されたクリークの公園 (2025/10/25 訪問)

前回投稿した姉川城に続き訪れた、佐賀県神埼市の横武城。

九州最大の平野である筑紫平野の北エリア、姉川城の北東約1kmのクリーク地帯を城郭とした城。
網目状の水路に囲まれた小さな島々から成り、中には主郭と思われる"館屋敷"のシコ名が残る島も存在するらしい。

築城者や築城時期は定かでないが、西島城を居城とした横岳氏による築城との説もある。
発掘調査では1400年頃からの生活跡が確認されており、1600年頃までの拡張・発達が見られるとのこと。

現在は横武クリーク公園として公園化され、この地域の江戸期の民家を復元した建物も立つ。

実際に訪れると、よく整備された公園で、期待通りのザ・佐賀のクリークという光景。
しかし個人的には公園色が強く、要塞感が薄い印象。
姉川城とは異なり全ての島が小さく、"館屋敷"の位置が理解できずに城郭中枢部へのルートが見えなかったためでしょうか。

滞在時間1時間半弱の横武城が、私の城郭巡りの215城目となりました。

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カズサン

【上野 女淵城】群馬県前橋市 沼濠が要の城郭 (2025/11/10 訪問)

 女淵城(女渕城)は赤城山南麓上毛電鉄沿いの山上城、膳城と大胡城との中間に位置した城郭で城びと未登録ですが、沼濠を中心に構え、西曲輪、北曲輪、本丸、帯曲輪、二の丸、三の丸、龍光寺曲輪を南北(東西200m、南北450m)に連れた連郭式城郭です。
 8年前の平成29年4月桜咲く頃、上山城、膳城、大胡城と訪ね、女淵城は外しており、以来いつかは何時かはと思い願って居た城郭でした。今回孫の運動会で宇都宮を訪ねた空の日に、箕輪城本丸西虎口門の復元工事現場進捗確認して、令和8年3月末以降まで待てねばと再訪を期して、城びと未踏の城、阿内城(宿阿内城)、今村城、那波城を探訪初登城後、北へ約14km程の女淵城、女渕城址公園を目指す。

 住所:群馬県前橋市粕川町女渕1230-1(女渕城址公園)
 駐車場:女渕城址公園駐車場を利用、トイレ有。奥に進んで二の丸に駐車場有り。
 参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 女渕城址公園駐車場より北に大きな濠が在り自然の沼池を活用した城郭、沼濠の存在感が圧倒的です、現在は護岸工事されてコンクリブロック城塁です、土橋もコンクリ橋に成って居ますが脳内は土橋と認識して描きます、本丸は東西40m、南北30mで周囲は濠で私有地の畑です、北東側に城名碑と説明板が在り、こちらの名称は「女渕城址」で称されていた。北曲輪は私有地民家が立っています、周囲は堀と濠、北曲輪の北は上毛電鉄が走って居り電車が通り過ぎましたが写真を撮り忘れました、西に堀を挟んで西曲輪が在り現在は公園整備されて芝原です、トイレ有。
 戻って本丸東には帯曲輪ですが私有地民家、その東に外堀としての自然の渓谷の様な川が南北に流れいます、二の丸は現在、公園、御霊神社の駐車場に成って居る、御霊神社が三の丸に当たる、その南に在る龍光寺も曲輪に当たります。

 歴史は、案内説明板によると、女渕城は、いつ、だれが城を築いたか詳しくわかっていないが、戦国時代から歴史上に出て来る、赤城山南麓地方の他の城と同じように、越後の上杉氏、甲斐の武田氏、小田原の北条氏などの戦国大名の侵攻を受け、城主の変遷が多かった。
 天正18年(1590年)小田原の北条方の城だったので、豊臣秀吉方の軍勢に攻められ、小田和城落城と同じく、落城し廃城となった。

 8年振りに願いが叶って初登城と成りました、沼濠の存在感が在る女淵城(女渕城)でした。
   

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天守無しがアツい

堀田正睦 (2026/01/18 訪問)

JR佐倉駅からバスで国立歴史民俗博物館へ🚌
そこのレストランで腹ごしらえしてから本丸へ

空堀や礎石を目にしながらを進み🚶門跡を過ぎて本丸に入る…そこでは芝生の上で笑顔で遊ぶファミリーの姿が👨👩👦

天守跡に続く階段の側に生えている木には「昭和十八年十月 砲隊」と彫られていた🌲

天守跡には三層の建物🏯親子が戯れる芝生には御殿…角櫓という建物もかつてはあったらしい🏠本丸の近くには病院も(これは明治以降に建てられたもの)🏥

しかしそのいずれも…現存しない

堀田正睦像とハリス像が本丸跡を出て少し歩いた先に
堀田は佐倉城の主をかつて務めており、そこから江戸幕府の老中に昇進してハリスと日米修好通商条約を結んだ🇯🇵🇺🇸

堀田は日本を開国させた偉人…として像の横にある案内板に紹介されていた

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