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ぴーかる

辛川城 (2026/01/31 訪問)

【辛川城】
<駐車場他>ごみステーションの空きスペース<34.687793,133.859603>に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>辛川城の築城年代・築城主とも定かではなく、城びと情報によると主な城主に虫明市内、戸川達安がいます。
駐車ポイントからアスファルト道を登って行き、袋小路から山を登っていきます。やがて南の堀切に出ます。城郭は単郭の小さい城跡で、東西南北の四方向(城郭放浪記さんの縄張り図には3方向でしたが西方向の尾根にも堀切あります)に堀切があります。主郭はだいぶ山に埋もれていて郭の削平地は無くなっていました。堀切以外はちょっと分かりにくい状態でした。

<満足度>◆◆◇

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シェル

小国御役屋(山形県小国町) マタギの町の城 (2026/04/06 訪問)

 米沢から米坂線の代行バスで小国駅へ移動!!小国駅までの道中はアトラクションレベルの渓谷と山道でした。
 小国駅から小国御役屋跡まで徒歩10分弱。
 小国御役屋は、羽越の国境の要衝にある米沢藩の支城で、一国一城令以降も「御役屋」と呼称することで存続していた城郭になります。
 城は明沢川の断崖に築かれています。4月上旬の訪問でしたが、明沢川は雪解け水が大量に流れて、迫力が凄かったです。関東在住な者で、雪解け水は初めて見ましたが、ものすごい水の勢いなのだと実感しました。
 そして肝心の遺構ですが、土塁と空堀跡が残されています。土塁は規模が大きく、なかなか見ごたえがありました。土塁の手前には、かつては堀があったようですが、現在は埋められ、雪が積もっていました。
 
 ここからはおまけですが、小国駅舎内の待合室には、“クマ駅長”のおぐたんがいらっしゃいます。ネコ駅長とかは聞いたことがありますが、小国の駅長は、まさかの“クマ”!? (剥製なので安全です)
 衝撃的でしたが、小国町は古くからマタギ文化が残る町で、毎年、「熊祭り」も行われるようです。昨今、熊の出没がよくニュースになりますが、町おこしにクマが活躍している町もあるのかと感心しました。ちなみに「熊祭り」は、毎年ゴールデンウィークに開催するみたいです。興味がある方はぜひ行ってみてください。

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シェル

近世の上杉氏の居城 (2026/04/06 訪問)

 山形県初上陸~!!ということで、最初に向かったの米沢城です。福島駅から普通列車で向かいました。(普通列車は本数に注意です)
 米沢駅からは徒歩25分ほどで本丸跡(上杉神社)に到着します。
 直接、本丸を目指したいですが、まずは三の丸の遺構を見学するため、市街地の北側の方へ。

① 米沢城三の丸
 三の丸は市街地となっていますが、遺構が一部残存しています。
 まず、西條天満公園。
 ここが最も三の丸の遺構が色濃く残る場所で、水堀と三の丸の土塁がきれいに残り、説明板も設置されています。公園として整備され、駐車場とトイレも設置されているので、見学しやすいのでおすすめです!!
 次に粡町公園。ここにも土塁が残り、説明板と石碑が設置されています。
そして粡町公園の近くには、長命寺というお寺があります。
このお寺の本堂は、米沢城の本丸の南東にあった上杉謙信祠堂を移築したもので、現存する唯一の米沢城の建築物とのことです。

② 本丸・二の丸
 三の丸の見学を終え、二の丸へ
 二の丸は、上杉鷹山を祀る松岬神社、上杉博物館、上杉伯爵邸になっています。水堀の一部は上杉伯爵邸の南側にわずかに残されています。
 そしていよいよ本丸へ
 本丸は上杉謙信を祀る上杉神社となっていますが、土塁、櫓台、水堀は良好な形で残存しています。舞鶴橋を渡ると、参道北側に上杉謙信像、そして上杉景勝・直江兼続像が鎮座しています。これは上杉が好きな方は堪らないでしょうね~!!
 そして上杉家の銅像と参道を挟んだ反対側の上杉謙信祠堂跡の土壇のそばには、伊達政宗公生誕の地の碑があります!!
正確には、政宗は舘山城で生まれた説が有力になっているみたいですが、この上杉と伊達が向かい合って設置されているのには、胸が熱くなります!!
上杉神社参拝後、景勝・兼続像の裏にある観光案内所で続日本100名城のスタンプを押印。御城印もここで販売されています。
 そして本丸の南側の菱門跡は、菱門橋の土台の石積みが崩落の危険性があるということで立ち入り禁止になっていました。ガードフェンスには、上杉家の家紋が描かれていて、すごく格好良かったです。(ガードフェンスで感動したのは、人生初かも・・・)
 時間があれば、上杉博物館も寄りたかったのですが、今回はスケジュールの兼ね合いでスルー。次に来る際は、博物館は絶対見学したいと思います!!

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カズサン

見所丸馬出二重三日月堀に桜満開 (2026/04/12 訪問)

 桜を訪ねて南信州伊那谷へ飯田城樹齢400年超のエドヒガン桜は葉桜で残念でしたが、伊那谷全体は花盛り、昨年10月に松川町の未踏城廻り(城びと未登録)をしましたが、近くの大島城には寄って居ませんでしたので気に成り、飯田城より北に約10km大島城へ桜も期待しながら登城しました。
 残念ながら大島城は桜に覆われてると言う状態では有りませんが、見所の一つである、西入口側に在る丸馬出二重三日月堀は見事な造り、丁度時期は良し二重三日月堀の中間土塁上に満開の桜が咲いて見所に更に華を添えていました、暫し桜と新緑に覆われてる二重三日月堀を鑑賞、素晴らしい眺めでした、更に西に振り向けば中央アルプス山稜に雪を被る残雪景観が青空にスッキリとうかんでいる、絵に成る景観で南信州に赴いた意義があります。
 台城公園(大島城跡)の登城口に、案内解説板群、その中に亡くなられた香川元太郎氏の大島城想像復元図イラストが掲載されて居ましたので写真投稿、縄張図も有り、トイレと広い駐車場、県外県内から6台程登城されていました。
 家内は初めての登城でしたので無理なく遊歩道での鑑賞としました。
 (続きます)

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todo94

年度末山陰の攻城・鳥取編①の1 2年続けて鳥取城へ~城カード (2026/03/30 訪問)

朝田辰兵衛さん、ぴーかるさん、御祝辞、ありがとうございます。今回の尼子十砦制覇はぴーかるさんのチャレンジに触発されてのものでした。改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。尼子十砦は公共交通機関によるアプローチが困難である以上に登城路が整備されていない城が多いので、朝田さん、くれぐれも無理はされませんように。整備されていて駅近という点では十神山城はお薦めできます。

尼子十砦のコンプリートを達成して、一段落。昼食は米子駅にて吾左衛門弁当を購入しました。お土産に米吾の鯖鮓も購入しました。山陰道で事故渋滞巻き込まれたので、道の駅に立ち寄って弁当を食べました。その後は、順調に鳥取市に入ることができ、15時前には吉川経家像近くの県庁駐車場に駐車することができました。1年足らずで鳥取城を再訪したのは、城カードを購入するためです。仁風閣は工事中ですが、仁風閣展示館にて城カード購入と100名城スタンプ捺印はできます。石垣修理や擬宝珠橋、中ノ御門など数々のリーフレットをいただけるので立ち寄ることをお薦めします。仁風閣展示館から二の丸、そして天球丸へ。そして2年続けて山上ノ丸にも足を伸ばします。

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赤い城

一夜城 (2026/03/22 訪問)

今回の遠征ラストは墨俣城です。
長良川西岸に位置し、交通の要所でした。
豊臣兄弟での描き方は印象的でしたね。

立派な模擬天守が建ちますが遺構はありません。
川筋も変更されているので地形も含めて旧状はとどめていないと思われます。
城跡は公園になっていて模擬天守の裏手には豊国神社がありました。

せっかくなので模擬天守に登ってみました。
展望台からの眺望はよく、岐阜城(稲葉山城)も見えます。
ドラマでは「すぐ近く」と言ってますが結構な距離があると思いました。
当時とは時間の感覚が違うのでしょう。

犀川には800本の桜並木が続いています。
訪問時は咲き始め、見頃にはもう少しでした。
1週後のとある煩悩の登城目録さんが登城された頃が見頃だったようですね🌸

【見どころ】
 ・模擬天守からの眺望

※todo94さん、尼子十砦コンプおめでとうございます。
地元なのにひとつも行けてないのが痛恨です。
登城の際にレポート参考にしますね🤩

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小城小次郎

くりくりの堀切 (2025/05/24 訪問)

大井田氏は新田氏か里見氏の一門で源氏の血統という。山の斜面に段々に曲輪を設けた後で虎口や畝状竪堀やらのパーツを後付けしてバージョンアップして使い続けたような雰囲気が漂う。主郭背後の堀切がくりくりでかわいい。

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トク

【大友宗麟】(11)耳川の戦いと無鹿(大友宗麟本陣跡) (2026/01/25 訪問)

大友宗麟、高城からの続き(11)です。

大友軍が大敗を喫した「耳川」と、宗麟の本陣「無鹿」を訪れました。

高城川で敗れた大友軍は豊後へ逃げ帰ろうと北へ敗走します。しかし翌日、耳川まで来た所で、川は前日の雨で増水し渡る事ができません。そこで追いついた島津軍に挟まれ大損害を出してしまいます。これが決定的な敗北の要因となりました。この耳川で討ち取られた首の数は5千とも1万とも言われています。(高城川と合わせると大友軍の戦死者は1万5千とも)。

私はJR美々津駅(写真⑥)で降り、30分かけ耳川まで歩いてみました(写真①②③)。またJRの車窓からも耳川の中州に合戦場の地碑が見えました(写真④⑤)。この日は前日から晴天だったので、川の水は穏やかでした。しかし当時は雨上がりで水かさがあって渡れず、ある者は討たれ、ある者は溺死し、この川は血で真っ赤に染まり、水面が見えない程のおびただしい数の死体で埋め尽くされていたものと思われます。想像しただけで足が震えました😱。

さらに耳川から北へ30km、宗麟がキリストの理想郷の建設に没頭していた場所を訪れてみました。JR延岡駅から北へバスで20分「無鹿」のバス停(写真⑦)で降りました。この一帯がそうだったようです(写真⑧)。ここは北川の河口で、当時は良好な港で商業も栄えた場所でした。無鹿はポルトガル語のMUSICA(英語のMUSIC)からとったようで、南蛮の管弦楽器の音色に魅せられた宗麟は、この名を理想郷のシンボルにしたかったのでしょう。本陣跡は、現在は妻耶神社になっていました(写真⑨⑩)。当時この付近にあった神社仏閣は全て破壊され、その資材で教会を建てたそうです。しかし今はその教会は無く、宗麟の本陣跡が神社になっていたのには、何故か皮肉に感じられました。

そして耳川の敗北の翌日(高城川の敗北から2日後)、宗麟は初めてここで、大友軍が大惨敗を喫し、島津軍がもうそこまで迫っているという現実を知ります。とても驚き、取るものもとりあえず着のみ着のままで船に乗り、臼杵城へ急いで逃げ帰ったそうです。宗麟はこの時、どんな思いで敗走して行ったのでしょうか? 数の上では有利であったはずの大友軍がなぜ敗れてしまったのか? 牽制するだけで戦はするなと命じていたはずなのに、家臣らはなぜ勝手に暴走し戦をしたのか? 宗麟は信じられない気持ちでいっぱいだったのではないでしょうか?

次は、大友宗麟最後の戦い(臼杵城の戦い)に続きます。
 

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ぴーかる

todo94さん 尼子十砦コンプリートおめでとうございます。

todo94さん 尼子十砦コンプリートおめでとうございます🎉
貴殿の今年の目標、早くも達成されたようで凄いことです。また私の情報がお役にたてたようで、感謝のお言葉ありがとうございます。私が島根県のこの地方を巡った時は、曇り予報に反して雨ばかりの天候で雨やみ待ちや、登城途中で降ってきたりで結構苦労しました。雪が溶けて新緑前の絶好の時期に攻城されたのもいいタイミングだったと思います。投稿を読ませていただき、お城攻めのモチベーションがまた上がりました。

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朝田 辰兵衛

todo94さん,尼子十砦コンプおめでとうございます! (2026/04/14 訪問)

todo94さん,尼子十砦コンプリートおめでとうございます!
私も尼子十砦をチャレンジする気持ちはありますが,いまだにひとつもクリアしておりません…<泣>。公共交通機関のみではキツそうで,プランニングに苦慮しそうなところで後回しにしているというのが実情です。

というわけで,恒例の「おめでとうクイズ」ではありません。恐れ多いので…。
越後の桜は散り始め,代わりに昨日からチューリップフェスティバルが開催されております。萬代橋を歩いて渡り,まだ咲き始めのチューリップのプランターを撮影しました。山城では色味がなかなかないので,チューリップで癒やされれば幸いです。
今日は新潟駅周辺を撮ろうと思っていましたが,午後から雨となり,断念しました…。

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織田信長も織田氏発祥の地として、劒神社を大切にしていた (2026/04/12 訪問)

 下調べで見つけた、福井新聞オンライン 2018年11月8日の「織田城跡 竪堀群で防御性高く ふくいの山城へいざ!(32)(若越城の会・南氏)」が、縄張り図もあり、参考になります。昌官忠さんの2022年7月訪問の投稿が唯一の投稿ですが、城域に入っておられなかったので、登ってきました。ふれあいの森の入り口から廃林道を行きました。廃というだけあって、オフロードバイクの達人ならなんとか、という感じ。ふれあいの森も「廃」をつけたい状況。1.5kmほどの林道の突き当りが尾根なのでまっすぐ進むと、鞍部を経て、堀切が現れます。道中に見える、冠雪の白山連峰が美しいです。
 長さ100mほどの痩せ尾根に主郭と北の郭、それらのまわりの腰曲輪や北西の尾根の段曲輪からなります。主郭から東~南に放射状に作られた竪堀群が特徴的です。ふもとから見ると、このあたりで一番高く、尖った山容がわかります(写真10)。一向一揆の大軍に攻められ、なかなか落城しなかったということですが、こじんまりした城であり、守り通せず、城主が、兵を残して、逃亡したんだと。
 昌官忠さんのレポートで織田文化歴史館開館は10時と知ったので、まず、織田城に登城し、次いで、劒神社、そして10時過ぎに文化歴史館と巡りました。地名、城名の織田は「おた」と読むんですね。古代朝鮮半島から渡来してきた機織り技術を持った一団が、この地に来て、糸を作り機織りしたことから、かつては織田は「おりた」と読んだのだと。また、尾張織田氏は、越前守護の斯波氏が尾張守護も兼ねたことから、この地から尾張に出張り、藤原姓であったものを織田姓にしたことも知りました。
 昌官忠さんの中国地方~兵庫の城巡り予告。1年前にも増して激しそうですね。投稿を楽しみにしています。

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todo94

年度末山陰の攻城・尼子十砦編⑧ 尼子十砦コンプリート (2026/03/29 訪問)

出雲高尾城からの転戦です。十神山城は11年前、寺山城は5年前に攻城済みですので、これが最後の尼子十砦の城になります。攻城にかなり時間がかかると覚悟していましたが、尼子十砦の中では最も登城路がきっちりと整備されていてとても快適な攻城でした。麓の長台寺の駐車場がほぼ埋まっており、人気のあるスポットとお見受けしました。きれいに整備されている山頂からの眺望は素晴らしい限りです。なお、城びとのフリガナが「しんやまじょう」になっていますが、これは、米子側の呼び名です。所在地を島根県安来市とし、尼子十砦として尊重するならば、フリガナも「やすだようがいさんじょう」にしてほしいものです。菊池十八外城の台(うてな)城のふりがなが、誤った「うなて」のまま、放置されているので、修正の見込みはまずないかと思いますけれども。

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赤い城

信長居館跡 (2026/03/22 訪問)

金華山から下山して麓の居館跡を少しだけ散策しました。
江戸時代の資料を基に復興された冠木門をくぐり入っていきます。
両側には鉢巻土塁、さらに虎口へと続きます。
信長以前、斎藤氏時代の石積も残っていて稲葉山城をめぐる戦いを想うことも出来るかと。
クランク状に折れる石垣など居館跡だけでも見どころは充分にありました。
三連休でもありここにも多くの人、映り込みのない写真に苦労しました🥹

【見どころ】
 ・虎口
 ・斎藤氏時代の石積
 ・折れのある石積

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宗春

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその42 佐貫城 (2026/04/11 訪問)

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその42

「海城サミット2026」の企画の一つ、『地元保存会との佐貫城ウォーキング&ミニ講演会』に参加し、関連する遺構を含めて歩いてきました。
佐貫城は想像以上に大きく複雑な城郭で、垂直に切り取られた切岸が聳えていました。
地元保存会の皆さんが竹薮を伐採するなど整備をして頂いてはいますが、全貌を現すにはまだ何年もかかりそうなほど広いです。垂直切岸が全て姿を見せたら、凄い城だという事がバレてしまいますね。
地元保存会の皆さんありがとう😭

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ぴーかる

福山城 (2026/01/31 訪問)

【福山城】
<駐車場他>清音ふるさとふれあい広場 数十台分あり
<交通手段>車

<見所>城門跡・空堀・石垣跡
<感想>福山城の前身は奈良時代から平安時代にかけてここに山岳寺院がありました。1335年に荘兼祐がこの山岳寺院を改造し城郭化しました。1336年に東上してきた足利尊氏軍と後醍醐天皇方の新田義貞軍が激突した福山合戦の舞台となります。
 幸山城からの延長戦で登城しました。幸山城からのルートには毘沙門天磨崖仏や八畳岩という巨石群があって道すがら楽しめるポイントがあります。城跡の主要部は山頂部にあり南北に大きく3つの曲輪が連なっています。中心に主郭があり、北側に石垣造りの城門跡があります。西側に空堀がはしっています。主郭南側には土塁と石列が残ります。南北にある一の壇と三の壇は藪化しているので藪化を払うとなかなかの広さのある城跡になるようです。眺望も良いですが、かなり麓からの比高が高い為に見える町並みは小さいです。南北朝時代特有の高い山の山頂に築かれた山城という印象でした。ハイキングコースになっているので、初夏くらいの季節でも水分を持って十分登城できます。

<満足度>◆◆◇

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昌官忠

中央線&京王線沿線⑦:関戸城 (2026/04/13 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)7城目は関戸城です。
聖蹟桜ケ丘駅より徒歩20分弱で、標柱前(35.644256、139.445393)に着きました。

築城時期や築城者については不明のようですが、和田義盛の乱が鎮圧されると鎌倉幕府は関戸に関所を設けました。
内乱が起きた場合の備えとして設けられた関所ですが、当時は交通の要衝だったこともあり鎌倉時代末期に関戸では幾度か戦いが繰り広げられているようです。
室町時代になると関銭徴収が主な役割となり軍事的な機能はやや薄れたらしいですが、山内上杉氏が関戸城を構えたとされます。
1494年(明応3年)扇谷上杉氏の上杉定正が、山内上杉氏の上杉顕実の「関戸塁」を陥落させたという記録が残っていますが、この関戸城のことを指しているのかはわからないそうです。
戦国時代の関戸城は北条氏の家臣、佐伯一助道永の居城でした。

いろは坂の坂道頂上に標柱があります。このあたりは、ジブリアニメ「耳をすませば」で有名らしいです。
多摩川迄見下ろせたとの事ですが、今は木や建物で川までは見えませんでした。
攻城時間は5分くらいでした。日帰り中央線&京王線沿線城巡りはここがラストです。千葉の自宅に帰ります。
歩行歩数=36264歩、歩行距離=25.4Kmです。帰った日の夜は足がつりまくりでした。

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昌官忠

中央線&京王線沿線⑥:高幡城 (2026/04/13 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)6城目は高幡城です。
高幡不動駅より徒歩5分弱で、高幡不動尊仁王門前(35.662051、139.411141)に着きました。

1455年(享徳4年)関東公方足利成氏と関東管領山内上杉氏・扇谷上杉氏とが争った立河原合戦で敗れた上杉憲秋は、ここ高幡不動まで逃れて自刃しました。
また高幡不動の境内には上杉憲秋(憲顕)の墓所もあります。
その後、戦国期には北条氏に属する城となったようです。
1590年(天正18年)豊臣秀吉による「小田原征伐」の際には八王子城主・北条氏照の家臣、高幡十右衛門が居城して、北国軍の前田利家や上杉景勝の軍勢と戦ったと伝わっています。
また氏照の時代には高幡之郷は平山大学助が知行していた記録があるため、檜原城を本拠としていた平山氏が城主であったという説もあります。

城址は新選組のひしかた(不適切表現につき、ひらがな標記)歳三の菩提寺としても知られる高幡不動尊金剛寺の裏山に位置し、一部は「八十八ヶ所巡礼のお遍路コース」になっています。
比較的整備されていますが、階段と坂道が続く軽いハイキングコースになってます。
曲輪跡のほか、竪堀らしき遺構を確認することができます。
金剛寺の五重塔も大きくて迫力があるので周辺スポットとしてオススメします。
鐘楼も立派でしたが、全体像を抑える撮影スポットがなく投稿はしません。ひしかた(不適切表現につき、ひらがな標記)歳三像もあります。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=関戸城に向かう為、高幡不動駅から聖蹟桜ケ丘駅に向かいます。

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昌官忠

中央線&京王線沿線⑤:平山季重居館と平山城 (2026/04/13 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)5城目は平山季重居館と平山城です。
京王線・平山城址公園駅の前のロータリーの場所が居館跡です。
高幡不動尊仁王門前(35.662051、139.411141)に向かいました。

源平合戦の際、一の谷合戦で熊谷直実と武勇を競った源氏方の侍大将平山武者所季重の居城跡といわれています。
季重は、西党日奉氏の一族である平山直季の子といわれ、西党平山氏がこの周辺を本拠地にしていたと思われます。
戦国期になると平山氏は北条氏の配下となったようで、その一族は檜原城主となり、小田原の役で籠城戦を行って自害している。
平山城がいつまで存続していたかは不明ですが、遅くとも北条氏の滅亡とともに廃城になったと考えられています。
          
平山季重居館の遺構はなく、平山城址公園駅のロータリーの南側に平山季重館を示す石碑と案内板があるだけです。
平山城へは駅ロータリーの石碑と案内板を見てから平山城址公園に登りました。
山頂部には城をイメージしたと思われる白亜の塀や石垣が設置され、そこに城の案内板も立てられています。
台地の先端部に城主であったと思われる平山季重を祭った神社が建てられています。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=高幡城に向かう為、平山城址公園駅から高幡不動駅に向かいます。

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昌官忠

中央線&京王線沿線④:横山党館 (2026/04/13 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)4城目は横山党館です。
八王子駅より徒歩10分くらいで八幡八雲神社鳥居前(35.661151、139.335820)に着きました。

JR八王子駅の北側にある八幡八雲神社付近が居館跡とされます。
平安時代から室町時代にかけて、この地方で勢力を伸ばしていた武士団。通称「武蔵七党」の一派にて、最大規模を誇ったとされる横山党の本拠地と伝わっています。
この横山党ははるか昔、飛鳥時代に遣隋使で有名な小野妹子の子孫とされる小野篁の後裔と伝わっています。
平安時代末期の「保元の乱」「平治の乱」ではいずれも平清盛らと激突した源義朝(頼朝の父)に横山党は就き活躍。
後に平家の時代が終わり源頼朝が鎌倉幕府を開くと、時の横山党の横山時広はこれまでの武功を讃えられ、領土を安泰とされるも、後に幕府執権の北条氏と対立、開戦に至った和田義盛の「和田合戦(1213年)」に和田方で横山党は就き敗北。横山党も滅亡したとされます。

陣屋としての遺構はありませんが、八幡八雲神社の唐門は見事!
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=平山季重居館と平山城に向かう為、京王八王子駅から平山城址公園駅に向かいます。

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昌官忠

中央線&京王線沿線③:初沢城 (2026/04/13 訪問)

2026年5月11日~6月11日まで中国地方と兵庫県のお城を攻城する予定です。
1年ぶりの遠征に向け、事前の足ならし攻城(中央線&京王線沿線城巡り)3城目は初沢城です。
高尾駅より徒歩10分弱で、高尾天神社の入り口(35.638625、139.281488)に着きました。

初沢城は鎌倉時代にこの地を支配した武蔵七党の横山党庶流の椚田氏の築城とも、大江広元の子孫といわれる片倉城主・大江氏(長井氏)の築城ともいわれますが詳細は不明のようです。
長井氏は鎌倉幕府初期の重臣・大江広元を祖先に持ち、横山党が1213年(建暦3年)和田合戦で滅亡すると、同地は大江氏に与えられ、長井氏は扇谷上杉氏の傘下となります。
1504年(永正元年)扇谷上杉軍が山内上杉軍を破った立河原の戦いの際、落城した扇谷上杉方の椚田塁に比定されます。
後北条時代、八王子城の出城の一つとされ、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による八王子城攻め、落城とともに初沢城も落城、廃城となりました。
現在はハイキングコースとして整備されています。
なお、東麓の初沢川沿いにある高乗寺は、長井氏によって寄進された寺で、豊臣勢が八王子城を攻めたとき本陣を置いたとされています。

高尾天神社の階段を登り菅原道真公と天神社は既に城域。
高尾天神から山頂への案内板に沿って、6郭➡5郭➡主郭と進み攻城。2郭と3郭はパスしました。
縄張り図で郭や土塁、堀切を確認しながら回りましたが、よくわからないというのが実感です。
ハイキングコースになっているので、散歩するにはちょうど良い感じですが、久しぶりの長距離移動でちょっと足が。。。。
ちなみに、麓にある豊臣軍の本陣になった高乗寺には、忌野清志郎のお墓があるそうです。(自分は行っていません)
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=横山党館に向かう為、高尾駅から八王子駅に向かいます。

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