日本100名城

なごやじょう

名護屋城

佐賀県唐津市

別名 : 名護屋御旅館
旧国名 : 肥前

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名護屋城
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名城一人旅

日本100名城 87番 (2023/10/27 訪問)

空撮許可を頂きましたので今回で3度目の
攻城です。
私の投稿は主に景色を主体にしていますが、
天守台から見る玄界灘は遠い昔に戦国大名
達が結集して出陣した時の風景を想像し
感慨深いものが有りました。
入城窓口の観光案内所の方々はとても
親切で丁寧な対応をして頂き有り難かった
です。
下城後は今回も名物の呼子の烏賊の活け造り
を食べました。美味しかったです。

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しんしんちゃん

太閤の 野望潰えし 破城跡 (2020/01/03 訪問)

名護屋城は東松浦半島の北端に豊臣秀吉が築き、文禄・慶長の役の拠点となった城です。
玄界灘に面して大量の船が入港できることからこの地が選ばれたようです。ちょうど今、
大河ドラマで朝鮮出兵のあたりをやっていて、現地を訪れる人も増えているのではないでしょうか。
本丸の北西部に天守台が築かれ玄界灘を見渡すことができます。本丸の東に三の丸が配され
大手がそこに続いています。二の丸は本丸の西にあり、その南に弾正丸が配され南西に搦め手口が
付いています。他にもいくつか入口はありますが本丸までの通路は複雑に折れ曲がり容易には
侵入できないようになっているようです。秀吉の明への進出は諸説あるようですが、アジア各地に
植民地を広げ始めたスペインなどに対抗する意図があったという説もあります。明治時代以降の
大日本帝国の陸軍もほぼ同じことをしていますが、西洋に侵略される前に先に勢力下に
置いてしまおうと考えたのでしょうか? なんにせよ日本の国力では無理があるのでは‥
と思います。

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トク

65【関ケ原の26人】(23)石田三成 (石田三成と名護屋城②) (2023/08/20 訪問)

(23人目)石田三成(名護屋城①)の続きです。
名護屋城から3km南にある「石田三成陣跡」を訪れてきました。

石田三成陣跡は標高103mの山上にありました。県道23号線に標識があり(写真①)、そこから三成の陣跡の近くまで入れますが、現在は私有地(果樹園)になっていて、猪など害獣よけの電線なども張り巡らされていたため中には入れず、外から眺めてきました(写真②)。すぐ近くには結城秀康の陣跡や立花宗茂の陣跡がありましたがいずれも柵があり立ち入りはできませんでした(写真⑤)。

名護屋城の本丸から呼子町の方向を見下ろすと、徳川家康の陣跡が見えました(写真③)。いつかは150以上あるといわれるこれらの陣跡を全て巡ってみたいな~と思いました(MAP写真④)。


【余談1】トークライブショー
私の「石田三成と名護屋城」の投稿が功を奏しNHKを動かしたのか? それともたまたま偶然か?(たぶん偶然だろう🤔)、なな何と! 9月23日この名護屋城博物館で、どうする家康で石田三成を演じる中村七之助さんと平山優先生によるトークライブショーの開催が決定しました!(入場券は抽選なので当たればいいな~😊詳細はNHK佐賀のHPで)。

【余談2】夕陽の見えるキャンプ場(島津義弘陣跡)
この名護屋城から3km北の波戸岬海岸には島津義弘の陣跡があり、そこは今ではキャンプ場になっていて、私は毎年訪れています(写真⑦⑧)。今年も名護屋城を見学した後、そこでテントを張りキャンプをしてきました。夕陽がとてもきれいな所で、陽が沈むと今度は呼子のイカ釣り船の漁火がとてもきれいで幻想的です。名護屋城の前には桃山天下市があり、唐津行バス停や食事処やおみやげ屋もココです!(写真⑥)。私はここで海の幸(さざえなど)を買い、横にある町唯一のスーパーに酒や肉も売っているので、夕陽や漁火を眺めながら海鮮バーベキューをして楽しみました(写真⑩)。夕陽のいい写真が逆光でうまく撮れずHPに同じ場所から撮った写真があったのでそれを掲載させていただきました(すいません)。でも本当にこんな感じです(写真⑨)。当時の武将たちも、この夕陽を眺め、そしてここから決死の覚悟で朝鮮へ渡ったのかと思うと感慨深かったです。三成や義弘にもこの海鮮バーベキュー・・・食べさせてあげたかったな~😊

次は、関ケ原当時の居城(佐和山城)を訪れます。
 

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トク

64【関ケ原の26人】(23)石田三成 (石田三成と名護屋城①) (2023/08/20 訪問)

(23人目)「石田三成」の続きです。
関ケ原の戦いの伏線となった「名護屋城」を訪れてきました。

ここに当時大坂に次ぐ日本第二の都市があり、20万以上の人口で賑わっていたとは、何度訪れても、やはり今のこののどかな風景からは想像がつきません。登城する前に登城口前にある県立名護屋城博物館をまず先に見学してきました(写真①)。ここでは、元寇から秀吉時代の名護屋城や朝鮮出兵の様子が詳しく展示解説されています。また黄金の茶室が昨年は期間限定でしたが、今では常時観覧できるようになっていました(写真②③)。この立派な博物館が何と無料で入れます。しかも複数人いればバーチャルVRを無料で借りる事ができ当時の名護屋城をVR体験する事ができます(身分証要)。名護屋城も入城無料です(気持ちだけ清掃協力金100円お願いしますとの事、代わりにパンフレットもらえます)。佐賀城本丸御殿も無料だったので、佐賀県は実に「がばい!」と改めて思いました。

城の大手門跡(写真④)から本丸まで大きな石垣が多々見えますが、その近くにごろごろところがっている無数の石があます。これは一国一城令で寺沢広高が破却した跡です。それが今でも残っています。あまりに石垣が立派すぎたからか、壊しきれず中途半端な破却で終わっているのがよくわかります。大手門を過ぎると太閤道(写真⑤)と東出丸(写真⑥)を通り、また破却できなかった石がゴロゴロ転がる三の丸を抜けると本丸に着きます(写真⑦)。ここには畳300畳分の大広間を持つ巨大な御殿がありました。そして天守台には五重六階の巨大な天守がそびえていました(写真⑧⑨)。

慶長の役では三成自ら軍目付として渡海、しかし各地で日本軍が敗戦しているのを真の当たりに見て、前線の小西行長に和睦の仲介を託し、戦を止めようと名護屋に戻り状況を秀吉に報告しますが、当然秀吉は納得せず、返って前線で戦っている諸将たち(武断派)の怒りを買う内容になってしまいます。そして秀吉死後、武断派の怒りは収まらず、三成襲撃事件へとつながり、三成は家康の仲介で佐和山に籠り蟄居の身へ・・・

私は天守台に立ち海を眺めて考えてみました。三成も名護屋城の天守からどんな思いでこの海を眺めていたのでしょうか? 家康は憎けれど、同じ秀吉の小姓として仕えた者同士と、この後に関ケ原で戦をする事になるとは、本望ではなかったのではないでしょうか? 結局ここが、今まで順風満帆だった三成の人生のターニングポイントの場所になってしまいました。

次は(名護屋城②)石田三成陣跡と、前回は呼子のイカを紹介しましたが、今回はこの名護屋での私のお気に入りの場所を御紹介します。
 

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概要

豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として、九州大名に命じて約半年で完成させた約17万㎡もの巨大な陣城。高石垣で築かれた曲輪が現存し、諸大名の陣屋跡の石垣も多く残っている。発掘調査によって検出された山里口の石段と櫓門跡、さらに天守台の穴蔵が復元されている。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 天正19年(1591)
築城者 豊臣秀吉
主要城主 豊臣氏
文化財史跡区分 国特別史跡(名護屋城跡並陣跡)
天守の現況・形態 望楼型[5重7階/1592年築/解体(廃城)]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)、井戸跡
住所 佐賀県唐津市鎮西町名護屋3673
問い合わせ先 唐津市観光案内所
問い合わせ先電話番号 0955-82-5774