日本100名城

なごやじょう

名護屋城

佐賀県唐津市

別名 : 名護屋御旅館
旧国名 : 肥前

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名護屋城
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トク

「長曾我部元親」陣跡(秀長に敗れた元親のその後) (2026/09/22 訪問)

大河ドラマ豊臣兄弟(第36話)では、1585年の四国平定で、秀長軍により一宮城で敗れ降伏する長曾我部元親の姿が描かれました。ではその後の元親はどのような人生を歩んだのでしょうか?

そのヒントを探しに、肥前名護屋城(前田利家陣跡)から、南に10分(500m)程歩いた所にある、「長曾我部元親陣跡」を訪れました。この小高い山(標高50m)に陣は築かれていたようです。標柱から右側に細い道がありますが私有地のようなので、畑仕事をされている方に許可をもらい入りました。畑の先に石垣跡を見つけました。おそらく元親が築いたものと思われます。その先には人工的に削った曲輪か建物の跡らしき場所も多々ありましたが、荒れた竹藪だらけの整備されていない細い道で、蚊の大軍にも襲われたので、ゆっくり見る事ができず早々に撤退しました(整備してほしいなあ~😩かゆい)。しかしあくまで私の推測ですが、元親はここで屈辱に耐える日々を送っていたのではないでしょうか?

秀長に敗れた翌1586年、元親は仙石秀久の配下となり、戸次川の戦いに行きますがそこで敗れ、秀久のせいで最愛の嫡男「信親」を亡くした事は「鶴賀城」でお伝えしました。そして土佐に帰り、居城を「岡豊城」から海に近い「浦戸城」に移し水軍を強化します。この頃から「姫若子」と呼ばれていた元親の女っぽい性格?は変わり、「鬼若子」と呼ばれる怒りっぽい性格になったとか(本当かな🤔?)。小田原征伐→文禄の役→慶長の役と、秀吉から水軍を中心とした海上輸送の裏方(兵站輸送)ばかりをを命じられ、そのイライラからか家臣にも当たりちらし、独断で物事を決めるようになったそうです。後継ぎも二男・三男を通り越し、家臣の反対を押して四男「盛親」と勝手に決めてしまいます。その直後の秀吉が没した翌1599年に、元親も急な病で没したようです。結局、四国統一まであと一歩と迫りながら敗れ、転げ落ちるように人生後半は、屈辱とイライラに耐えた人生だったのかもしれません🤔。

その盛親も、翌1600年の関ケ原で西軍に付くも敗れて京都に幽閉され、長曾我部家は家康より土佐を召し上げられ改易されてしまいます。しかし盛親は1615年大坂の陣にて再び立ち上がりますが、またも敗れ、京都の三条河原で処刑され、長曾我部家は断絶したようです。

この荒れ果てた小高い山を眺めていると、長曾我部家の悲しい結末(栄枯盛衰)を想像せずにはいられませんでした。
 

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todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑤の6 城カードゲットの後に【生駒親正、北条氏盛、島津義弘陣跡】 (2026/05/04 訪問)

この日の最後は、東松浦半島の先端、波戸岬近くの陣跡を攻めました。陣跡めぐりマップにA~Mで示されている見学可能な陣跡が波戸岬付近には4つ、固まっているのです。生駒親正陣は公園として整備されていました。北条氏盛陣はちょっとしょぼいですが説明板はありました。増田長盛陣は国民宿舎の隣でチェーンが張られていて入ることができませんでした。島津義弘陣は、駐車場からの登城ルートが判然としていませんでしたが、石垣も残っており、半島先端部にある4つの陣跡では最も見ごたえがあるのではないかと思います。既に17時を過ぎてしまっていましたので、ここから予約を入れてある唐津のホテルへと向かうことにしました。今回、回ることができなかった陣跡もいつか散策してみたいと思います。

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todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑤の5 城カードゲットの後に【前田利家陣跡】 (2026/05/04 訪問)

かつて協力金を支払ったときにいただいた陣跡マップを片手に陣跡めぐりを続けます。前田利家陣は、道の駅 桃山天下市に隣接しているので訪れやすい陣跡かと思います。ただ、山中に分け入って行ってよいものかどうかわからなかったので、麓の居館部の散策のみにとどめました。16時を回っていてタイムリミットも迫っていましたので。ここから波戸岬に向かう途中、肥前名護屋城山里口には立ち寄っていきました。

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todo94

ゴールデンウイーク肥前の攻城⑤の4 城カードゲットの後の名護屋城散策 (2026/05/04 訪問)

大手口からは多くの観光客が向かう東出丸には向かわず、全く観光客と行き会わない左方向に進み時計回りに、搦手から本丸を目指します。弾正丸、二ノ丸、伝馬場、三ノ丸と非常に快適に遺構を見て回ることができました。駐車場は満車に近かったのでさすがに本丸周辺には大勢の観光客がやってきています。私のお気に入りは、天守台からの遊撃丸の俯瞰。本丸からは多くの観光客と同様に、三ノ丸、東出丸、登城坂、大手口と進んで駐車場に戻りました。

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概要

豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として、九州大名に命じて約半年で完成させた約17万㎡もの巨大な陣城。高石垣で築かれた曲輪が現存し、諸大名の陣屋跡の石垣も多く残っている。発掘調査によって検出された山里口の石段と櫓門跡、さらに天守台の穴蔵が復元されている。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 天正19年(1591)
築城者 豊臣秀吉
主要城主 豊臣氏
文化財史跡区分 国特別史跡(名護屋城跡並陣跡)
天守の現況・形態 望楼型[5重7階/1592年築/解体(廃城)]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)、井戸跡
住所 佐賀県唐津市鎮西町名護屋3673
問い合わせ先 唐津市観光案内所
問い合わせ先電話番号 0955-82-5774