日本100名城

なごやじょう

名護屋城

佐賀県唐津市

別名 : 名護屋御旅館
旧国名 : 肥前

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名護屋城
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にのまる

念願の陣跡めぐりも。 (2025/03/03 訪問)

前回できなかった陣跡めぐりにチャレンジしたくて再訪しました。
月曜日だったため博物館は休館でしたが、鎮西町観光案内所と名護屋城観光案内所が開館しており、リアルタイムの現地情報をいただけありがたかったです。(荒天だったので歩くの大丈夫か心配で……。)
また、重いリュックをロッカーに入れさせていただけたので身軽に動けたのもとても助かりました。

まずは城址散策です。
一歩踏み込んだ途端にその威容と迫力に圧倒されそうになりました。しかし、呼吸を整え耳を傾けると破却の痕跡から聞こえてくるのは華やかな宴のあとの脱力と安堵の混じった静かな吐息。城と人とが一体となり一つの大きなうねりとなった時代の記憶がここにあるのだと感じました。
春の嵐の中を天守台に向かっていると、降雪と凍える寒さの中で立っているのもやっとだった前回のことを思い出しました。二度も悪天候に見舞われたのですが、「ついてない」という感情は不思議と湧かず、“京をも凌ぐ賑わい”の中にもこの荒天のように人間模様が複雑に渦巻いていたのではないかしら、など思いながら散策しました。

陣跡めぐりのことを考え城址散策は軽めにしようと思っていたのですが、そんなことできるわけもなく、気づけば2時間近く経ってしまっていました。
そして相変わらずの強風でしたが、ようやく陣跡めぐりへと繰り出しました。
スタートは前田利家陣跡。広くてびっくり!さすがです!いきなりKOされました。

見学できる陣跡は限られているということと、あまり遠くまでは行けそうにないので、【歴史探訪の道】も織り交ぜながら歩ける範囲をじっくり見学することにしました。のどかで人の気配は全くないのですが、まさに歴史の風を感じる散歩道。ひとつひとつの陣跡を遠望し、学びながら歩いた記憶はこの先きっと役に立つと確信しました。

堀秀治陣跡に着きました。
東曲輪からです。かっこよすぎ、広すぎ。能舞台まである!
秀吉の野望に取り込まれた人たちの夢の世界。
つわものどもが夢のあと。。。目の前のこの場所がそうなのか!と感慨と共に浸り尽くしました。

豊臣秀保陣跡。
寂しげな山道を辿って……というのはよくあるのですが、その先にこれほどまでに開けた陣屋が現れるとは!さすがの一言に尽きます。枡形から入って、こちらが書院でございますぅ💁など、ひとり遊びを堪能してきました。

もう一度、今度は搦手から堀秀治陣跡へ行ってから古田織部陣跡へ。茶会の雅が目に浮かぶ美しい石積みや配置。静かさの中、おこもり感の心地よさを深く記憶に刻み込みました。

名護屋城に戻り、山里口、上山里丸を経て徳川家康陣跡(本陣・竹ノ丸陣阯)へ。今回は別陣の方へは渡れませんでしたが、信頼と実力の家康の陣まで行けたのは感慨深かったです。

大野治長陣跡。
家康本陣から向かっていると墓地の角に案内が立っていました。【歴史探訪の道】によると名護屋小学校が跡地だそうです。

冨田信則陣跡。
大野治長陣跡から少し進んだところの天神宮。それっぽい石積みがありましたが鳥居のそばの旗竿石が当時のものだそうです。

まだまだ行きたいところはありますが、そろそろタイムリミットが近づいてきたのでここで終了です。
今回行けなかったところはいつか自転車でまわりたいです。

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じゅんじん

前田利家陣 (2025/01/25 訪問)

道の駅からいけます。陣じゃなくお城ですね。

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じゅんじん

夢のあと (2025/01/25 訪問)

広大です。天下の巨城でした。

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ぴーかる

織豊期石垣の最高峰 (2025/03/21 訪問)

【百名城77城目】
<駐車場他>名護屋城駐車場無料あり。
<交通手段>車

<見所>織豊期の高石垣群
<感想>2泊3日西九州旅2日目2城目。大手口跡から東出丸跡⇒三の丸⇒馬場跡⇒二の丸跡⇒遊撃丸跡⇒水手曲輪跡⇒本丸跡・天守台⇒本丸大手門跡⇒弾正丸跡⇒ため池の脇を通り戻って、博物館にてスタンプ押印と御城印購入、木下延俊陣跡の順で巡りました。城跡あるあるで、櫓台や危険箇所等は立入り禁止になっている場所がある城跡が多い中で名護屋城は立入り禁止ゾーンがほぼ無く、また柵が無いのがすごい。大手門櫓台や三の丸櫓台、遊撃丸の石垣の上に登り、曲輪の縁から下の石垣を見たりして堪能しました。北側にある山里丸周辺を痛恨の見落としてしまい、時間の関係で大名の陣城跡が行けなかった(陣城跡を巡ると1日では足りない)のが残念だったが、随一の織豊期石垣の壮大さに圧倒されました。

<満足度>★★★★★
<グルメ>海中魚処 萬坊にて、いか三昧コースを食べました。後日別途投稿します。予約を11時に予約していたので、名護屋城に8時に行ったのですが、城跡の巨大さに駆け足ぎみの散策となってしまいました。

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概要

豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として、九州大名に命じて約半年で完成させた約17万㎡もの巨大な陣城。高石垣で築かれた曲輪が現存し、諸大名の陣屋跡の石垣も多く残っている。発掘調査によって検出された山里口の石段と櫓門跡、さらに天守台の穴蔵が復元されている。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 天正19年(1591)
築城者 豊臣秀吉
主要城主 豊臣氏
文化財史跡区分 国特別史跡(名護屋城跡並陣跡)
天守の現況・形態 望楼型[5重7階/1592年築/解体(廃城)]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)、井戸跡
住所 佐賀県唐津市鎮西町名護屋3673
問い合わせ先 唐津市観光案内所
問い合わせ先電話番号 0955-82-5774