日本100名城

なごやじょう

名護屋城

佐賀県唐津市

別名 : -

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名護屋城
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Touch

この規模の城跡、マーベラス。 (2019/06/19 訪問)

噂に聞いたけど、やはり実際行って、その巨大な縄張り、規模の城跡が、そのまま残っているのに感動した。都会にもし築かれたなら、きっとすべて造成して更地にされていたでしょう。やはり、秀吉ね作った城、何もかもマーベラス。

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なべりゅ~

秀吉が大陸出兵をかけた陣城 (2019/04/06 訪問)

なんと言っても敷地が大きく、京をもしのぐと言われていたことを体感させられました。
道はきれいに整備されているけれど丁寧に見ようとすると天守までは
30分以上かかるので楽しむためにも時間に余裕を持ったほうがいいです。
各武将の陣跡までは見れなかったのでもう一度行きたいです。。。

そこかしこに高石垣が積み上げられており、圧巻!
天守台からは絶景が広がっておりおすすめです

桜の季節だったので家族連れも多くきれいな景観でした。

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オイラー

名護屋城登城 (2019/05/01 訪問)

百名城81城目

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くろもり

太閤の野望とある女性の一生 (2014/01/01 訪問)

築城当時は、大坂城に次ぐ巨大城郭だったそうなので、破却するのも大変だったらしく、石垣が多く残っていました。

山里丸跡に広沢寺というお寺が建っているのですが、地元の肥前垣添城主・名護屋経勝の娘で豊臣秀吉の側室となった広沢局に由来するお寺でした。

広沢局は20歳で秀吉の側室となったそうですが、秀吉が名護屋城に滞在したのは1年2ヶ月程で、秀吉は広沢局を名護屋城に残したまま大坂に帰ってしまい戻ってきませんでした。それから5年程して秀吉が亡くなったので、広沢局は26歳の若さで出家したそうです・・・

秀吉の側室になったことで、名護屋氏としては恩恵も多かったのだろうとは思いますが、広沢局の一生を考えるとやるせなくなります。

戦国時代なんだからそんなことは当たり前で、広沢局は恵まれている方だったのかもしれませんが。太閤の夢跡の名護屋城より、広沢局のことの方が心に残ってしまいました。

遺構について全然書いてなく申し訳ないですが、広沢寺には加藤清正が朝鮮から持ち帰ったと伝わる蘇鉄がありました。5枚目の写真です。加藤清正が好きな方は広沢寺に行けば見られますよ。

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概要

豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として、九州大名に命じて約半年で完成させた約17万㎡もの巨大な陣城。高石垣で築かれた曲輪が現存し、諸大名の陣屋跡の石垣も多く残っている。発掘調査によって検出された山里口の石段と櫓門跡、さらに天守台の穴蔵が復元されている。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 天正20年(1592)
築城者 豊臣秀吉
主要城主 豊臣氏
文化財史跡区分 国指定特別史跡(大正15年史跡、昭和30年特別史跡指定)
近年の主な復元・整備 昭和63年から名護屋城跡は石垣(山里口等)、本丸多聞櫓跡、二の丸長屋建物跡、陣跡は堀秀治陣跡(能舞台跡)などを復元整備
天守の現況・形態 徹底的に破壊を受けた天守台石垣のみ残る
主な関連施設 佐賀県立名護屋城博物館
主な遺構 本丸、二ノ丸、三ノ丸、弾正丸、山里丸、陣跡、石垣、水堀
住所 佐賀県唐津市鎮西町名護屋3673
問い合わせ先 唐津市観光案内所
問い合わせ先電話番号 0955-82-5774