日本100名城

なごやじょう

名護屋城

佐賀県唐津市

別名 : 名護屋御旅館
旧国名 : 肥前

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名護屋城
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トク

名護屋城 ぼっちキャンプ(島津義弘陣跡) (2024/09/30 訪問)

やっと朝晩少し涼しくなったので、またキャンプをしてきました。本日泊まるのは、波戸岬キャンプ場(島津義弘陣跡)です。前回訪れた時は、夕陽がうまく撮れなかったのでリベンジです。ここは私の一番好きなキャンプ場です。

その前に、まず波戸岬入口にある名護屋城へ。入口で100円(清掃協力金)を払い登城します。いきなり大手口から三ノ丸にかけては石がゴロゴロ。一国一城令により唐津藩主の寺沢広高が大規模に破却した跡がいまだによく残っています。でもよほど丈夫な石垣だったのでしょうか? 壊し切れてない(途中であきらめた)のがよく分かります(写真①)。そして伊達政宗が仙台へ持ち帰ったという二ノ丸から本丸への大手御門跡を抜けると広い本丸があります。ここには300畳の大御殿があったとか。全国の諸大名が皆ここに並び、秀吉にひれ伏していたのでしょう。さらにその先が天守跡です。ここに五層の大天守がありました。歌碑も立っていました。「太閤が 睨みし海の 霞かな(月斗)」。

その天守跡に立つと玄界灘が一望できます(写真②)。いつ見てもいい眺めです。今日もかすかに壱岐対馬まで見えました。波戸岬(はどみさき)もすぐ眼下に見え、その先端に本日泊まるキャンプ場があります。

名護屋城の駐車場から見た写真です(写真③)。この前にはスーパーとコンビニがあるので、ここで必要なものを買いそろえて行きました。他にもバス停や桃山天下市場があります。市場の中には、お土産屋や食事処(イカ生き造りや海鮮定食)もありますよ!

フリーサイトにテントを張り、まだ日没までちょっと時間があったので、島津義弘陣跡を見学してきました。少しだけ石垣が残っていました(写真④)。彼らはどんな思いでここから海を渡って行ったのでしょうか?

今日は平日のせいか宿泊者は私一人だけ。聞こえてくるのは、波の音、風の音、鳥の声だけです。それ以外の余分な雑音は一切ありません(いい感じです)。だんだんと夕陽が水平線に沈んでいきます(写真⑤→⑥→⑦→⑧→⑨→⑩)。真っ暗になると呼子のイカ釣りの漁火がぼんやり見えてきました。星空もよかったです。一眼レフならもっと綺麗に撮れるのかな~🤔、スマホだとこれが限界かな?(笑)
 

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/05/18 訪問)

福岡・佐賀城廻 第二日目その2
唐津から等や城へ移動の途中、呼子を通ったが、できれば途中下車してイカの姿造でも食べたかったが断念。以前食べたことがあるが絶品、時間がある鷹はお勧めです。
まず博物館でスタンプをゲットし展示内容を見ながら事前勉強。名護屋城のジオラマや歴史のほか秀吉の黄金の茶室の展示されていた(ど派手でした・・)。
城跡はじっくり回ると2時間は必要、山里口の二重虎口などを見るならさらに時間が必要です。
石垣はところどころ崩れているが、これは江戸期の破却の跡かもしれません。広大な城域からは秀吉の権威を感じる。天守などの復元されると壮観だろうなという感想。

本日の行程は以下の通り
※唐津城と共に登城
※博多に前泊
7:22西鉄天神高速バスT(高速バス)、8:40唐津城入口
 (徒歩2分)唐津城(9:00-16:40)

11:50(徒歩16分)大手口(路線バス)、12:36名護屋城博物館入口
 (徒歩6分)名護屋城博物館(9:00-16:30月休)

16:19名護屋城博物館入口(路線バス)、16:49,17:01西唐津(JR,地下鉄)、18:13天神
 泊:博多

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名城一人旅

日本100名城 87番 (2023/10/27 訪問)

空撮許可を頂きましたので今回で3度目の
攻城です。
私の投稿は主に景色を主体にしていますが、
天守台から見る玄界灘は遠い昔に戦国大名
達が結集して出陣した時の風景を想像し
感慨深いものが有りました。
入城窓口の観光案内所の方々はとても
親切で丁寧な対応をして頂き有り難かった
です。
下城後は今回も名物の呼子の烏賊の活け造り
を食べました。美味しかったです。

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しんちゃん

太閤の 野望潰えし 破城跡 (2020/01/03 訪問)

名護屋城は東松浦半島の北端に豊臣秀吉が築き、文禄・慶長の役の拠点となった城です。
玄界灘に面して大量の船が入港できることからこの地が選ばれたようです。ちょうど今、
大河ドラマで朝鮮出兵のあたりをやっていて、現地を訪れる人も増えているのではないでしょうか。
本丸の北西部に天守台が築かれ玄界灘を見渡すことができます。本丸の東に三の丸が配され
大手がそこに続いています。二の丸は本丸の西にあり、その南に弾正丸が配され南西に搦め手口が
付いています。他にもいくつか入口はありますが本丸までの通路は複雑に折れ曲がり容易には
侵入できないようになっているようです。秀吉の明への進出は諸説あるようですが、アジア各地に
植民地を広げ始めたスペインなどに対抗する意図があったという説もあります。明治時代以降の
大日本帝国の陸軍もほぼ同じことをしていますが、西洋に侵略される前に先に勢力下に
置いてしまおうと考えたのでしょうか? なんにせよ日本の国力では無理があるのでは‥
と思います。

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概要

豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として、九州大名に命じて約半年で完成させた約17万㎡もの巨大な陣城。高石垣で築かれた曲輪が現存し、諸大名の陣屋跡の石垣も多く残っている。発掘調査によって検出された山里口の石段と櫓門跡、さらに天守台の穴蔵が復元されている。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 天正19年(1591)
築城者 豊臣秀吉
主要城主 豊臣氏
文化財史跡区分 国特別史跡(名護屋城跡並陣跡)
天守の現況・形態 望楼型[5重7階/1592年築/解体(廃城)]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)、井戸跡
住所 佐賀県唐津市鎮西町名護屋3673
問い合わせ先 唐津市観光案内所
問い合わせ先電話番号 0955-82-5774