日本100名城

あいづわかまつじょう

会津若松城

福島県会津若松市

別名 : 若松城、鶴ヶ城、黒川城
旧国名 : 陸奥

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会津若松城
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にのまる

④ 移築櫓 (2023/06/30 訪問)

最後に向かったのが七日町の阿弥陀寺です。
七日町通りを歩くのは3度目で、すぐ近くの絵ろうそくのお店は行くたびに寄っていたのですが、阿弥陀寺は初めてです。
阿弥陀寺にあるのは
・会津若松城から移築された御三階櫓
・会津東軍墓地
・新選組斎藤一の墓
・黒河内伝五郎の墓
などです。
今回は城友さんに抑えどころを教えてもらってから来たのですが、いちばん心拍数が上がったのはこの御三階櫓です。現存建物が放つオーラとパワーは降りしきる雨にもまったく負けていません。不釣り合いなほど立派な一階の唐破風は本丸御殿の玄関の一部を配したとのこと。葵の御紋が堂々と輝いて見えます。
東軍墓地にも葵の御紋。幕府軍兵士の御遺体1281体が埋葬されているそうです。

戊辰戦争のその後の会津には斗南への移住、開拓という苦難が待ち受けています。
・『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著 中公新書)
・『斗南藩-「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起』(星亮一著 中公新書)
・『会津藩落城・流転-会津から斗南に移った二少女の体験記に寄せてー』(葛西富夫 津軽書房)
は出会えてよかった三冊です。

今回行けなかったところ、もう一度行きたいところ、新たに行きたくなったところ(小田山)もあり、会津には通い続けたいと思いました。
雨のため、またすっかり夕方になってしまったため向羽黒山城や神指城には行けませんでしたが、この数日後に熊出没のため向羽黒山城は全面封鎖となり、😱😱😱となりました。

じゅんじんさん、現存天守と現存三重櫓コンプリートおめでとうございます🎊
弘前は遠いですよねー!

<おわり>

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にのまる

③ 本丸東高石垣・天寧寺口門土塁 (2023/06/30 訪問)

本丸から廊下橋を渡ったあたりまでは行ったことがあるのですがそこで引き返してしまっていたので、今回はじっくり見学しました。二の丸広場(以前はテニスコートでした)から見る高石垣は独り占めするのが申しわけないほどの良き眺めでした。
二の丸広場から土塁と虎口石垣につられて歩いていくと南口駐車場に出て、こんなルートがあったんだ!とびっくりでした。

そこから少し離れていますが【天寧寺土塁】に行きました。
県道側から見ると建物と駐車場の奥。側面にまわると建築中のお家の奥でしたが、裏の道路(会津中街道?)からはしっかりと見ることができました。説明板は両側にあります。
感動的な残り方ですが、「お城=天守」と思っていた頃に見ていたらまちなかに突然現れた土盛りに「????」しか浮かばなかっただろうなぁ。

<つづく>

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にのまる

② 北出丸大手門~椿坂~太鼓門を通って城内へ。 (2023/06/30 訪問)

太鼓門の鏡石にある矢穴を見ると、初めて来た時のことを思い出します。
「お城=天守」と思っていただけではなく「天守閣=天守最上階」とも思っていた頃のことで(お仲間もきっといらっしゃる……かしら!?)、石垣の矢穴も誰かがいたずらで彫ったのではないかと思っていました。“何なの!?いちばん目立つところにこんなの彫って!!”っていう感じで^^;
無知なエピソードを白状すればきりがないのですが、「趣味はお城めぐりです。」と言えるようになったきっかけをくれた会津若松城。
雨に打たれながらしみじみと歩き、4月にリニューアルされたばかりの天守内を見学。再建天守シリーズ城カードをゲットして、南走長屋(会津戦争・白虎隊)、武器庫、鉄砲狭間、干飯櫓(デジタルアート)を見学し、土塁の上を歩いて月見櫓へ。荒城の月碑まで行って、大広間越しに美しい天守を存分に堪能しました。

<つづく>

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にのまる

① 戊辰戦役西軍墓地・甲賀町口門跡 (2023/06/30 訪問)

学生時代に合宿や旅行で訪れたのを含めて6回目の会津若松です。
12年前、花巻の次に“みちのくひとり旅~♪”を決行したのも会津若松で(思い出の地めぐりをしました)、その時に100名城スタンプの存在を知りました。
実際にスタンプラリーを始めたのはそのあとの名古屋城からだったので、当時は、“スタンプを押しにまた行かなくては……”と思ったものですが、最近は見逃していたところを中心に100名城の行き直しに勤しんでいるので、再訪が楽しみになっています。

当日は大雨の予報でしたが日程をずらす余裕はないので、7:12東京発のやまびこ123号で郡山へ。磐越西線に乗り換えて10:30に会津若松に到着しました。やっぱり大雨☔です。

最初に向かったのは【戊辰戦役西軍墓地】です。
大町の東明寺墓地にあります。入口に「西軍墳墓」の大きな碑。
新しくされたばかりと思しき墓誌には「戊辰戦役に従軍し此の會津の地に散華した西軍十余藩150柱の精霊が眠る」とあります。
施錠はされていませんでしたが門扉の閂を開けて墓地内へ入っていいのかわからず、また雨で足元が悪かったため外から覗かせていただくにとどめました。「薩藩戦死者墓」「長藩戦死十五人墓」「大垣戦死二十人墓」「敬弔 薩摩 越前 長州 備州 土佐 大垣 肥州 館林 岡山」と刻まれた墓標や小さな墓石が並んでいました。実際に最前線で戦ったのは「軍」でも「藩」でもなく「人」だったということ、そしてその人と人同士は決して恨みあってはいなかったのだということに思いを致しました。

続いて、若松城に向かう途中にある【甲賀町口門跡】へ行きました。郭内・郭外の境界であり、大手門として厳重な構えであったと記されています。遺構は石垣のほんの一部ですが、重要な門だったということが伝わってくる威厳があり、近くの路地にあった外堀跡の清水通りの解説と合わせてイメージを膨らませることができました。

ここから旧會津藩家老内藤邸跡、西郷頼母邸跡、会津戊辰戦争終結の地などのある北出丸大通りを通ってお城へと向かいました。

<つづく>

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概要

豊臣秀吉の命令で奥州を支配することになった蒲生氏郷が黒川城を大改修。七重の天守を築き上げ、名称も黒川から若松に改めた。天守は加藤嘉明によって五重に改修され、平成22年には屋根瓦が江戸時代と同じ赤瓦に葺き替えられた。3つの曲輪で囲むようにして本丸を守る、実戦的な縄張が特徴的。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 至徳元年(1384)
築城者 蘆名直盛
主要城主 蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、松平氏、保科氏
文化財史跡区分 国史跡(若松城跡(鶴ヶ城))
近年の主な復元・整備 蒲生氏郷、加藤明成
天守の現況・形態 望楼型[7重/1593年築/倒壊(地震)]、複合式層塔型[5重5階/1611年改/破却]、複合式層塔型[5重5階/1965年再/RC造外観復興]
主な関連施設 天守、門、櫓、長屋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀
住所 福島県会津若松市追手町
問い合わせ先 会津若松観光公社
問い合わせ先電話番号 0242-27-4005