向羽黒山城から見た雲海の底に沈んでいる鶴ヶ城は、淡く霧に包まれていました。初めて訪れた1984年3月、大学4年になる前の春休みと似た感じでしたが、その時は残雪がかなりありました。リニューアル工事中の天守はパスして城カードをゲットし、紅葉がきれいに色づいていた北出丸を散策して福島遠征の〆としました。
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2022/12/16 07:10
2022/12/06 03:49
鶴ヶ城 (2022/10/29 訪問)
飯盛山のさざえ堂からの帰りに、寄ってみた。
天守閣はしばらく工事で入れず、走り長屋、干飯櫓でネイキッドのCG動画を上映中。
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2022/12/05 16:38
2022/09/30 11:38
聖地を探せ (2022/09/14 訪問)
春高楼の花の宴--の歌い出しで知られる「荒城の月」。あ〜、滝廉太郎だっけ?という会話は半分正解。たしかに作曲は滝ですね。では作詞は?
会津若松城の本丸東南隅にこの歌の詩碑が建てられたのは1947年。中学教師だった土井晩翠が東京音楽学校(現・東京芸大音楽学部)から作詞を依頼されてからすでに半世紀が過ぎていました。つまり、長い間知らなかったわけですね。「荒城」の作詞素材がこの城であることを。それを明らかにしたのは晩年の土井その人。講演を聞いていた会津市民は
(゚Д゚)
そこから急ピッチで募金活動が進み、わずか1年足らずで落成式が行われています。どこか微笑ましいエピソード。
仙台の高校生だった土井は昔、会津を訪れていたようです。あれ、仙台?じゃあ青葉城は?という疑問は真っ当です。こちらの印象も素材になっているようで、1952年に建碑されました。ただ、戊辰でも戦場にならなかった仙台が「荒城」とどう結びつくのか詳しく知りたいところです。
そして滝廉太郎。城郭検定受験者の中には「荒城の月=岡城(大分県竹田市)」とインプットされている方が多いかも知れません。滝の故郷ですね。もちろん、ここにも建碑されています。ところで岡城といえばもう1人。志賀親次。18歳で三千の兵を率い、10倍の島津軍を撃退したと伝えられています。滝の「荒城」イメージはこの辺にありそうです。
というわけで、少なくとも3つの「聖地」が名を連ねています。それぞれで月を愛でてみてはいかがでしょうか。
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豊臣秀吉の命令で奥州を支配することになった蒲生氏郷が黒川城を大改修。七重の天守を築き上げ、名称も黒川から若松に改めた。天守は加藤嘉明によって五重に改修され、平成22年には屋根瓦が江戸時代と同じ赤瓦に葺き替えられた。3つの曲輪で囲むようにして本丸を守る、実戦的な縄張が特徴的。
城地種類 | 梯郭式平山城 |
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築城年代 | 至徳元年(1384) |
築城者 | 蘆名直盛 |
主要城主 | 蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、松平氏、保科氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(若松城跡(鶴ヶ城)) |
近年の主な復元・整備 | 蒲生氏郷、加藤明成 |
天守の現況・形態 | 望楼型[7重/1593年築/倒壊(地震)]、複合式層塔型[5重5階/1611年改/破却]、複合式層塔型[5重5階/1965年再/RC造外観復興] |
主な関連施設 | 天守、門、櫓、長屋、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀 |
住所 | 福島県会津若松市追手町 |
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問い合わせ先 | 会津若松観光公社 |
問い合わせ先電話番号 | 0242-27-4005 |