日本100名城

あいづわかまつじょう

会津若松城

福島県会津若松市

別名 : 若松城、鶴ヶ城、黒川城
旧国名 : 陸奥

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会津若松城
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鶴ヶ城で朝活 ③本丸・北出丸・西出丸編 (2025/06/19 訪問)

 普段でしたら、観光客の方で賑わっていますが、早朝ということもあり、人通りはまばらで、落ち着いて見学できました。二の丸廊下橋→帯曲輪→太鼓門→北出丸→西出丸→鉄門→本丸の順で見学。何度も来ていますが、復元された天守・走長屋・鉄門・干飯櫓の美しさには見惚れてしまいました。天守内の博物館はリニューアル後、はじめて見学しましたが、だいぶ映像の展示も増えていて驚きました。白虎隊士の肖像画のスペースが少しコンパクトになったのはちょっと意外に感じました。南走長屋と干飯櫓内も忘れずに見学し、まちなか周遊バス あかべぇで会津若松駅に戻り、帰路に着きました。

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鶴ヶ城で朝活 ②三の丸・二の丸編 (2025/06/19 訪問)

 外郭と城下を見学後、内郭を訪問。三の丸の南側から散策。
何度も見学に来てはいますが、三の丸側はゆっくり見学したことがなかったので、まずは三の丸南門跡へ。三の丸や二の丸は本丸などとは異なり、虎口は石垣が用いられていますが、土塁がメインとなっていて、会津若松城のもう一つの顔が見れる場所だと個人的に思います。
三の丸南門跡も虎口は石垣ですが、周囲は土塁になっていました。ですが虎口から空堀を見ると、城外側には石垣が積まれていました。ここは初めて見学しましたが、面白いポイントだと個人的に思いました。三の丸不明門跡には、土塁が残され、会津藩の家老佐川官兵衛顕彰碑があります。三の丸北側の福島県立博物館そばには、大河ドラマにもなった新島八重の銅像が建てられています。
 二の丸は、個人的にテニスコートのイメージが強かったですが、伏兵郭以外のテニスコートはなくなったようです。本丸の高石垣側には、以前は無かった撮影用の標柱ができていました。来ない間にだいぶ様変わりしていて、ちょっと驚きました。

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鶴ヶ城で朝活 ①外郭・城下編 (2025/06/19 訪問)

 会津に来たら、鶴ヶ城は外せないということで見学してきました!!
 何度も訪れていますが、外郭の遺構は未訪問だったので、まずは外郭と城下を見学してきました。
 最初に七日町駅そばの阿弥陀寺の移築されている御三階を見学。会津若松城で唯一現存する建築物で、一階の玄関部分は、本丸御殿の唐破風の屋根が用いられているようです。周囲の建物の中で、ひと際、威風を備えているように感じ、とても感動しました。
 その後、神指城を見学し、鶴ヶ城の近くの宿で一泊。翌日は猛暑になる予報だったので、気温が落ち着いている早朝に外郭や城下のスポットの散策を開始。
 天寧寺町口の土塁は、民家や店舗が周囲にありますが、道路の歩道上から見学でき、説明板も設置されています。甲賀町口の石垣は、同じく外郭の大手にあたり、立派な石垣が残されています。甲賀町口の石垣の西側の興徳寺には、蒲生氏郷の墓や蒲生時代につくられた七層の天守の石像がありました。その後、神明通り沿いの飯沼貞吉の生家跡、直江兼続の屋敷跡、会津藩校日新館跡・天文台を見学してきました。

※阿弥陀寺の御三階のみ前日の6月18日に訪問しました。

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じゅんじん

朝の部 (2025/03/11 訪問)

開城前に行きました。

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概要

豊臣秀吉の命令で奥州を支配することになった蒲生氏郷が黒川城を大改修。七重の天守を築き上げ、名称も黒川から若松に改めた。天守は加藤嘉明によって五重に改修され、平成22年には屋根瓦が江戸時代と同じ赤瓦に葺き替えられた。3つの曲輪で囲むようにして本丸を守る、実戦的な縄張が特徴的。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 至徳元年(1384)
築城者 蘆名直盛
主要城主 蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、松平氏、保科氏
文化財史跡区分 国史跡(若松城跡(鶴ヶ城))
近年の主な復元・整備 蒲生氏郷、加藤明成
天守の現況・形態 望楼型[7重/1593年築/倒壊(地震)]、複合式層塔型[5重5階/1611年改/破却]、複合式層塔型[5重5階/1965年再/RC造外観復興]
主な関連施設 天守、門、櫓、長屋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀
住所 福島県会津若松市追手町
問い合わせ先 会津若松観光公社
問い合わせ先電話番号 0242-27-4005