「クラブツーリズム「宮城・山形・福島の日本100名城制覇」の旅」の3城目は会津若松城です。二本松城からの転戦です。
100名城スタンプは「天守閣内売店」で押しました。
会津若松城は、1384年の南北朝時代に蘆名直盛(あしな なおもり)に居城として創営されたことからはじまりました。当時はその名を黒川城といいました。
1589年には蘆名氏を滅ぼした伊達政宗が黒川城に入城します。翌年、豊臣秀吉は、奥州仕置によって政宗から城を取り上げ、築城の名人と称され、秀吉の信頼が厚かった蒲生氏郷が入城しました。
黒川城に入城した蒲生氏郷は、城を5層から7層へ近世城郭へと改造し、城の名前を「黒川城」から蒲生家の家紋の舞鶴にちなみ「鶴ヶ城」と改名しました。
蒲生氏郷の死後、上杉景勝が入城しますが、関ケ原の戦いで徳川家康に敗れ米沢に追い出されてしまいました。
その後、蒲生氏や加藤氏が入り、1643年に徳川秀忠の子、保科正之が入り、保科家の三代目正容の代に松平の姓が許され、幕末まで松平氏が領主として君臨することとなりました。
鶴ヶ城の最期の城主、松平氏が藩主を務める際に、鶴ヶ城で最も有名な出来事である会津戦争が起きました。
現在の天守は1965年(昭和40年)に外観復元されたものですが、さらに2011年(平成23年)に黒瓦を当時と同じ赤瓦に復元したようです。
また、天守にあるシャチホコは瞳には2カラットのダイヤモンドが埋め込まれているそうですが、見てみたいですね。
見事な赤瓦を備えた五層天守、水堀、石垣のすべてが圧倒的な存在感を出している素晴らしい城址でした。特に二の丸から見る本丸の高石垣は圧巻です。
攻城時間は60分くらいでした。
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