日本100名城

あいづわかまつじょう

会津若松城

福島県会津若松市

別名 : 若松城、鶴ヶ城、黒川城
旧国名 : 陸奥

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会津若松城
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昌官忠

クラブツーリズム「宮城・山形・福島の日本100名城制覇」の旅③ (2017/09/30 訪問)

「クラブツーリズム「宮城・山形・福島の日本100名城制覇」の旅」の3城目は会津若松城です。二本松城からの転戦です。
100名城スタンプは「天守閣内売店」で押しました。

会津若松城は、1384年の南北朝時代に蘆名直盛(あしな なおもり)に居城として創営されたことからはじまりました。当時はその名を黒川城といいました。
1589年には蘆名氏を滅ぼした伊達政宗が黒川城に入城します。翌年、豊臣秀吉は、奥州仕置によって政宗から城を取り上げ、築城の名人と称され、秀吉の信頼が厚かった蒲生氏郷が入城しました。
黒川城に入城した蒲生氏郷は、城を5層から7層へ近世城郭へと改造し、城の名前を「黒川城」から蒲生家の家紋の舞鶴にちなみ「鶴ヶ城」と改名しました。
蒲生氏郷の死後、上杉景勝が入城しますが、関ケ原の戦いで徳川家康に敗れ米沢に追い出されてしまいました。
その後、蒲生氏や加藤氏が入り、1643年に徳川秀忠の子、保科正之が入り、保科家の三代目正容の代に松平の姓が許され、幕末まで松平氏が領主として君臨することとなりました。
鶴ヶ城の最期の城主、松平氏が藩主を務める際に、鶴ヶ城で最も有名な出来事である会津戦争が起きました。

現在の天守は1965年(昭和40年)に外観復元されたものですが、さらに2011年(平成23年)に黒瓦を当時と同じ赤瓦に復元したようです。
また、天守にあるシャチホコは瞳には2カラットのダイヤモンドが埋め込まれているそうですが、見てみたいですね。
見事な赤瓦を備えた五層天守、水堀、石垣のすべてが圧倒的な存在感を出している素晴らしい城址でした。特に二の丸から見る本丸の高石垣は圧巻です。
攻城時間は60分くらいでした。

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yoshi

葺き替えられた直後 (2012/07/28 訪問)

10年近く前ですが、赤瓦に葺き替えられた直後に行きました。
ついでに、飯盛山にもいき白虎隊へのお参りも。白虎隊も、飯盛山から炎があがる鶴ヶ城や会津の町を無念の気持ちで眺めてたんだろうな、と思いを馳せてきました。

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ぴちょまる

鶴ヶ城 (2020/11/01 訪問)

春に行こうとしていた、鶴ヶ城へ。
今回はどちらかというと食事が目的。曲輪飯、みそ田楽、そば、ラーメン、饅頭各種と食べたいものがたくさんある。
何を食べても美味しい、という印象しかない。

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和太郎

会津若松城 (2020/08/22 訪問)

歴史展示品勉強になります。
茶室麟閣で抹茶を一服頂きました。

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概要

豊臣秀吉の命令で奥州を支配することになった蒲生氏郷が黒川城を大改修。七重の天守を築き上げ、名称も黒川から若松に改めた。天守は加藤嘉明によって五重に改修され、平成22年には屋根瓦が江戸時代と同じ赤瓦に葺き替えられた。3つの曲輪で囲むようにして本丸を守る、実戦的な縄張が特徴的。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 至徳元年(1384)
築城者 蘆名直盛
主要城主 蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、松平氏、保科氏
文化財史跡区分 国史跡(若松城跡(鶴ヶ城))
近年の主な復元・整備 蒲生氏郷、加藤明成
天守の現況・形態 望楼型[7重/1593年築/倒壊(地震)]、複合式層塔型[5重5階/1611年改/破却]、複合式層塔型[5重5階/1965年再/RC造外観復興]
主な関連施設 天守、門、櫓、長屋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀
住所 福島県会津若松市追手町
問い合わせ先 会津若松観光公社
問い合わせ先電話番号 0242-27-4005