日本100名城

あいづわかまつじょう

会津若松城

福島県会津若松市

別名 : 若松城、鶴ヶ城、黒川城
旧国名 : 陸奥

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会津若松城
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2020年7月23日初夏の鶴ヶ城 (2020/07/23 訪問)

2020年初夏の鶴ヶ城です。
素晴らしい美しく堅固なお城ですね。
地元会津では鶴ヶ城としか呼びません。
いかに、自分達の会津に誇りを持っているかが伺えます。
会津魂ですね。 
私は、会津に敬意を込めて鶴ヶ城と呼びます。
鶴ヶ城は、梯郭式の平山城で、本丸を中心に北出丸、西出丸、二の丸、三の丸が周囲に配置されていました。
現在の天守閣は、鉄筋コンクリート造で外観復元され、内部は博物館になっています。
明治7年撮影の古写真を見ると、5重5階の層塔型天守で、回り縁と高欄が見えます。
飾り破風のない単調さではあるが、東面の1階と3階に突出部を設けていた。
戊辰戦争で被弾して、特に東面は破損が酷かった。
鶴ヶ城の前身の黒川城に入った蒲生氏郷は、1592年より近世城郭に大改修して城下町も整備しました。
蒲生氏郷が黒川から若松に地名を改めたとされています。
1593年に、望楼型7重天守を竣工し、名を鶴ヶ城と改めました。
1611年に会津地震により倒壊した天守を今日見られる層塔型天守に組み換えています。
縄張りは、台地の西側に主郭の本丸、内濠を隔てて東側に二の丸、三の丸と続き、台地の下の北側に北出丸、西側に西出丸である。
三の丸以外の各門は、枡形石垣門となっていました。

にのまるさん、

松本城の大天守の最上階の回り縁の痕跡の廊下、辰巳附櫓の花頭窓、月見櫓の朱色の回り縁を写真で確認して頂きありがとうございました。
月見櫓の朱色の回り縁なのですが、塗替えられていると思われます。
もし、家光公がお泊りでしたらこの月見櫓で月見をされたかもしれませんね。

最後の松本城の問題ですが、少しややこしく分かりにくかったのかもしれませんね。
何故、武田信玄が深志城を目指したのか?
考えて見ましょう。
その当時の歴史的背景、即ち1550年に武田信玄は深志城を奪い取っています。
1550年頃の他の戦国武将の動きを見てみましょう。
南には、今川氏がまだ健在でしたし、関東の後北条氏も勢力を保っておりました。
だから、南下政策は取りにくいですね。
そしたら、有力武将のいない地域は何処でしょうか?
それは、信濃しか有りません。
信濃には、諏訪氏や小笠原氏などがいましたが信濃一国を収めることは出来ていませんでした。
そこで、武田信玄は信濃の何処に行けばいいのかを考えました。
武田信玄が北に向かい攻める武将は二人しかいません。
上杉謙信と織田信長です。
深志城(今の松本盆地)には2つの街道がありました。
北に行く善光寺街道と西に行く野麦街道です。
善光寺街道を北に行けば、川中島そして越後になります。
野麦街道を西に行けば、野麦峠を越えて高山で出て岐阜に行けます。
そこは、正しくふたりを攻める拠点になり得たのです。
また、断層なのですが
これは、糸魚川静岡構造線という断層帯が糸魚川から松本盆地を経て甲府盆地を通って静岡まで続いております。
土木工事に詳しい武田信玄ならば、この断層があるのを知っていたと思われます。
この断層に導かれて松本にやって来たのでしょう。
また、松本は水が豊富なのですね。

それでは、会津若松城の質問を致します。
質問1

会津若松城の東側の石垣は20mも有ります。
何故東側の石垣が高いのですか?


質問2

東北最大級の天守が出来た理由は?


質問3

何故天守の瓦は赤いのか?


最後にもう一つ有ります。
 
会津と言えば白虎隊が有名ですが、会津では6歳から9歳までの藩士の子供は、十人ぐらいの集まりを作っていました。
この集まりのことを会津藩では什と呼び、年長者が座長となっていました。
そこには、什の掟で罰則もありました。

その什の掟を3つ答えて下さい。
宜しくお願い致します。


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やなぎぶそん

2回目の登城 (2021/11/13 訪問)

前回の登城した際は、天気が悪かったのですが、今回は晴れ間も見せてくれて良かったです。イチョウもきれいに紅葉しており、天守とイチョウのコラボレーションはとても美しかったです。

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まっぴー

東北随一の名城 会津若松城🏯 (2021/10/31 訪問)

遺構度 ★★★★☆ 復元度 ★★★★★
施設充実度 ★★★★★ お勧め度 ★★★★★

会津若松城(鶴ヶ城)は5重5階の天守が赤瓦葺きで復元されており、観光名所ともなっている、東北屈指の名城です。
期待を裏切らない名城でした!福島に行くときは必ず立ち寄ることをお勧めします!

【歴史】
会津若松城は、南北朝時代に東黒川館として蘆名氏によって築城されたのが初めとされ、戦国時代中期までは黒川城として蘆名氏の居城でしたが、伊達政宗が蘆名氏を滅亡させ、一時城主になるも、豊臣秀吉によって没収され、蒲生氏郷が城の基盤をつくり、上杉氏、蒲生氏、そして加藤嘉明が展塔型の天守に作り替え、保科氏に渡り、明治まで会津松平氏の居城となった。
戊辰戦争では会津戦争が起こり、白虎隊などの多くの人々が奮戦するも、開城し、明治政府に明け渡され、その後天守は解体された。

【遺構】
遺構は主に堀や土塁、石垣、武者走、枡形などが残っており、天守や櫓、櫓門などが主に復元されています。
堀は水堀が残っていますが、幅が広く攻めにくい構造で当時は何重にも堀があったと想像できます。
土塁はもちろん単体の部分もありましたが、高い石垣の上にさらに土塁をつくるなどの腰巻石垣の発展版のような作りもありました。
石垣は至るところに残されており、高石垣が至るところで見られます。石垣は基本的には打ち込みはぎでしたが、天守台は野面積に近い積みかたなど、場所により様々です。
また、全国的に珍しい武者走(石垣の城内側)や多くの枡形があり、とても構造を知るには良いと思います。武者走の石垣の中にハートの石垣があるので、是非探してみてくださいね! 縁結びの効果があるのだとか...
たくさんの城主により、改修されたことでたくさんの人や時代の技術が結集しています。だからこその遺構が数多く見られ、素晴らしいです!

【施設】
天守の中は博物館になっており、会津若松城の歴史はもちろん、会津若松ゆかりの人々などを学ぶことも出来ます。
観光スポットと言うだけあり、天守内のお土産屋や、出店なども充実しているので、初心者でも楽しみやすいです。

【インフォメーション】
100名城スタンプ:鶴ヶ城観光案内所
御城印販売場所:鶴ヶ城観光案内所
※御城印帳は天守内のお土産屋で販売
駐車場:普通車360台(有料 2時間300円)
※鶴ヶ城西出丸駐車場、鶴ヶ城南口駐車場、鶴ヶ城東口駐車場の3箇所
所要時間:約2時間
トイレ:あり
《天守》
営業時間:8:30~17:00
入場料:大人410円(天守閣・麟閣共通券 大人520円) 小中学生150円

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TMN97

鶴ヶ城 (2021/10/22 訪問)

鶴ヶ城

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概要

豊臣秀吉の命令で奥州を支配することになった蒲生氏郷が黒川城を大改修。七重の天守を築き上げ、名称も黒川から若松に改めた。天守は加藤嘉明によって五重に改修され、平成22年には屋根瓦が江戸時代と同じ赤瓦に葺き替えられた。3つの曲輪で囲むようにして本丸を守る、実戦的な縄張が特徴的。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 至徳元年(1384)
築城者 蘆名直盛
主要城主 蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、松平氏、保科氏
文化財史跡区分 国史跡(若松城跡(鶴ヶ城))
近年の主な復元・整備 蒲生氏郷、加藤明成
天守の現況・形態 望楼型[7重/1593年築/倒壊(地震)]、複合式層塔型[5重5階/1611年改/破却]、複合式層塔型[5重5階/1965年再/RC造外観復興]
主な関連施設 天守、門、櫓、長屋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀
住所 福島県会津若松市追手町
問い合わせ先 会津若松観光公社
問い合わせ先電話番号 0242-27-4005