日本100名城

あいづわかまつじょう

会津若松城

福島県会津若松市

別名 : 鶴ヶ城

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会津若松城
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トーダイ

百名城再訪39城目 (2018/10/18 訪問)

天守閣内売店でスタンプをゲット、大河ドラマ「八重の桜」を思い出しながら
2時間以上楽しむ。現在の天守は昭和40年(1965)に復元されましたが、
さらに平成23年(2011)黒瓦を(当時と同じく)赤瓦に復元しています。

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エグ1394

会津若松城 (2019/06/19 訪問)

会津若松城へ行ってきました。

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ヒロケン

戊辰戦争 (2019/08/12 訪問)

会津若松城(鶴ヶ城)は会津若松市追手町にある平山城で、見所は何と言っても鉄筋コンクリートで外観復興された五重五階の層塔型天守で走長屋で千飯櫓とつながる景観は壮観です。城主は有力大名が歴任しました。伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明、そして最後は将軍徳川家光の異母弟、保科正之が入り松平藩政が幕末まで続きました。
会津若松城天守の特徴は赤瓦で、凍害などに強い寒冷地仕様の瓦です。伊達政宗の後に会津若松に入った、蒲生氏郷が城郭を整備し、加藤嘉明の長男明成が西出丸、北出丸などの造築を行い、地震で傾いた天守を五重の層塔型天守に改築するなど城の大改修を行った。

幕末の戊辰戦争で会津藩は新政府軍と激戦を展開し、あまりにも有名な白虎隊まで投入するも、米沢藩をはじめとする同盟諸藩の降伏が相次ぎ、孤立無援の会津藩は城に籠城、一ヶ月あまり新政府軍の攻撃に耐え抜いたものの降伏。戦闘の砲撃で名城も無残な姿となりました。

2回目の登城で天守閣内にはあまり興味がなかったので、朝4時にホテルを出、三の丸にある福島県立博物館横の駐車場が営業時間外であったので、二の丸東門跡の道路に路駐(・ˇ_ˇ・。乂。・ˇ_ˇ・)。
二の丸から廊下橋、高石垣(扇の勾配)などを見学し本丸へ。色々な角度から天守をカメラに収め、本丸をぐるりと一周。
やっぱ素晴らしい('∀`)スンヴァラッッスィィィィィィィ。どの角度から天守を撮っても絵になる。天守、石垣、堀、城の歴史どれをとっても名城だと言えると思います。

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橋吉

天守閣内は見学コースが一方通行 (2014/08/10 訪問)

天守閣内は見学コースが一方通行になっており、沿って行くとに売店に到着します。スタンプはここのレジにあります。
その後、飯干櫓がコースになっていますが、急ぎの方は売店から退出する出口(階段)があります。私はスタンプを押し忘れたことにあとから気づき、この途中出口から入って押すことができました。

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概要

豊臣秀吉の命令で奥州を支配することになった蒲生氏郷が黒川城を大改修。七重の天守を築き上げ、名称も黒川から若松に改めた。天守は加藤嘉明によって五重に改修され、平成22年には屋根瓦が江戸時代と同じ赤瓦に葺き替えられた。3つの曲輪で囲むようにして本丸を守る、実戦的な縄張が特徴的。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 至徳(元中)元年(1384)、文禄元年(1592)、寛永16年(1639)
築城者 葦名直盛、蒲生氏郷、加藤明成
主要城主 葦名氏、蒲生氏、加藤氏、松平(保科)氏
文化財史跡区分 国指定史跡
近年の主な復元・整備 平成13年に干飯櫓・南走長屋を復元、平成23年に赤瓦に葺き替え
天守の現況・形態 層塔型 五重五階 鉄筋コンクリート造(再建)
主な関連施設 茶室麟閣、若松城天守閣郷土博物館
主な遺構 本丸、二の丸、三の丸の一部、北出丸、西出丸、石垣、堀
住所 福島県会津若松市追手町
問い合わせ先 会津若松観光公社
問い合わせ先電話番号 0242-27-4005