日本100名城

あいづわかまつじょう

会津若松城

福島県会津若松市

別名 : 若松城、鶴ヶ城、黒川城
旧国名 : 陸奥

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会津若松城
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yoda 1253

赤瓦が桜のピンクとベストマッチング (2024/04/18 訪問)

色々な角度から眺めて愛でることができますぐるぐるまわりましょう

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しんちゃん

見守ることにしました。 (2024/09/17 訪問)

朝田さんも私も、城びとのことを思ってのことだと考えたので、私は中立の立場で見守ることにしました。朝田さん、私もパーティー出るんで宜しくお願いします(城びと主催ですよね)。
実は皆さんも私も怪我がないようにと伊勢神宮にはお願いしてあります(外宮とばし)。ただし「みなさんも私もけがないよう」と三回唱えたので、ひょっとしたら毛が抜けてくるかもしれません。私も今朝三本抜けました(ハゲちゃう?)
会津若松城は見所も多いし、写真も多い。どれをのせようか迷います。表門の近くには上杉謙信公仮廟所跡があります。ここに居たのね。
名曲「荒城の月」の作詞家、土井晩翠氏ともゆかりがあり、城内には荒城の月碑が立っています。今の整備された姿からは想像も出来ないけど昔は荒れていたのね。

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しんちゃん

お願いいたします。 (2024/09/17 訪問)

会津若松城の投稿です。以前関ヶ原を旅した時に感じた、関ヶ原と東山道、会津若松の関わりを調べたくてやって来ました。鉄筋コンクリートで再建されているとはいえ、層塔型の天守はいつ見ても美しい。大手から本丸に至るまでに目にする石垣も見事なものです。
ストックが溜り過ぎて今さら去年の夏の写真を持ってきていますがご容赦を。神指城の投稿は少し、面白いものにしたいと思います。

朝田さんへ・・城びとの皆さんをリスペクトする気持ちは当然あります。ただ、何の危険も無い山城は無いです。
「安全」を強調されますが、今は何処の山にでも熊が闊歩しています。島根でも富山でも住宅地のすぐそばに熊のフンが落ちています。「安全」な城はありません。「安全前提」と言われるなら入れる城は無いので、破綻してしまいます。
私はすべて自己責任で回っています。私がフリーを公言するのも誰も巻き込まないためです。
「かるた」や「しりとり」と「城攻め」を一緒に考えない方が良いと思います。皆で仲良く楽しくは大事なのですが、城攻めは遊びではなくて「危険なレジャー」です。
車のアドバイスはありがたく拝領いたしますが、朝田さんからは少し危険な匂いがします。
企画が危ない方向に行ったら必ずブレーキをお願いします。企画に参加した誰も大きなケガが無いように配慮をお願いします。
当然、私は私で自分の身はしっかり護るように努力いたします。
それと「城びと」全体でパーティーをするのであれば、全員がわだかまりなく参加できる方式でお願いしたいです。
3000城コンプが「城びと全員」で楽しく盛り上がって、パーティーも大成功に終わり、本当に誰一人大きなけがも無ければ、私の思い過ごしであったと素直に心から謝罪いたします。

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亀ヶ頭

雪の会津若松城 (2025/02/03 訪問)

先日、会津に行って会津若松城を見て来ました。雪の会津若松城はなかなか見られません、近くには元祖煮込みカツ丼のお店「なかじま」があり結構美味しかったです。

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概要

豊臣秀吉の命令で奥州を支配することになった蒲生氏郷が黒川城を大改修。七重の天守を築き上げ、名称も黒川から若松に改めた。天守は加藤嘉明によって五重に改修され、平成22年には屋根瓦が江戸時代と同じ赤瓦に葺き替えられた。3つの曲輪で囲むようにして本丸を守る、実戦的な縄張が特徴的。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 至徳元年(1384)
築城者 蘆名直盛
主要城主 蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、松平氏、保科氏
文化財史跡区分 国史跡(若松城跡(鶴ヶ城))
近年の主な復元・整備 蒲生氏郷、加藤明成
天守の現況・形態 望楼型[7重/1593年築/倒壊(地震)]、複合式層塔型[5重5階/1611年改/破却]、複合式層塔型[5重5階/1965年再/RC造外観復興]
主な関連施設 天守、門、櫓、長屋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀
住所 福島県会津若松市追手町
問い合わせ先 会津若松観光公社
問い合わせ先電話番号 0242-27-4005