日本100名城

あいづわかまつじょう

会津若松城

福島県会津若松市

別名 : 若松城、鶴ヶ城、黒川城
旧国名 : 陸奥

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会津若松城
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にのまる

何度でも!短時間でも!! (2024/06/21 訪問)

今回はは只見線と磐越西線完乗旅の途中での訪問でした。
地元駅を始発で出発し、最大限の滞在時間を確保したものの、次に控える只見線が座席争奪戦必至のため会津若松城見学時間は駅との往復を含めて2時間程度。そのため鶴ヶ城城址公園内のみの見学となりましたが、天守内も空いていてじっくり展示を見られたし、公園内のお気に入りのポイントをまわることもできました。また新たな気づきもあり、短時間でも行けてよかったです。

昨年大雨の中でしたが、一日かけて甲賀町口門や阿弥陀寺の移築櫓、天寧寺口土塁の方まで足を伸ばしていたのも今回の気持ちの余裕に繋がったかと思います。やはり“行ける時に行っておく”。これすごく大事なことだなぁと思いました。

会津若松城はこれで7回目。
100名城の中では江戸城(数えていない)、八王子城(8回)に次いで多く訪れています。食べはぐれたソースカツ丼は新潟に持ち越しとなりました。

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チェブ

朝田 辰兵衛さん、ありがとうございます。 「日新館」の巻き。 (2015/05/05 訪問)

カルタの悔しい思いを『中野 竹子殉節地』になぞりました。
『中野竹子殉節地』から車で15分位で「日新館」に到着します。こちらで、今の気持ちを表します。
「日新館」は会津の藩校です。

朝田 辰兵衛さん、ありがとうございます。
まさしく私も、上総のお城攻めで6時間以上歩きました。
以前【私の兵糧丸】で投稿したトレッキングシューズでです。
私は車ばかりで、皆さんのように公共交通機関でお城攻めをしたく、張り切ってしまいました。
体力がなく、筋力をつけようと、いきなり歩いたのと、歩き方が爪先から着いて親指で地を掴むように歩いているのが原因です。
取れた爪の下には、新しい爪が、、、。
孵化したカブトムシみたいな丸まっている爪でした。
今は無理せずに籠城してます。

『ならぬことは ならぬものです』
掟にあります。
膝は相変わらず少し痛いです。慣れてきたのかもしれません。
『ならぬことは ならぬものです』
ならぬと言われても、これくらいならなー。

会津藩の掟にそむいても、お城攻めをしたいのです。

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チェブ

中野 竹子殉節之地の巻き。 (2015/05/04 訪問)

戊辰戦争の時、娘子隊の先頭に立ち薙刀を振るって戦った、会津藩の中野 竹子さん。戦いむなしく銃弾に散りました。
世辞の句は
『武士の 猛き心にくらぶれば 数にも入らぬ 我が身ながらも』
悔しいですね。

悔しい、、、。カルタ、悔しいです。
ちょっと強引な投稿ですが、城びと事務局の方々の努力を感じていたので残念でなりません。
落胆しないで、また楽しい企画や情報を発信して下さいね。
ありがとうございました。

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ぎりょう

会津三城目はやっぱり鶴ヶ城! (2024/05/13 訪問)

会津の旅、三城目は鶴ヶ城に。これまでに何度か攻城しているのですが、雨天でもあり、天守閣内の歴史博物館でゆっくりと会津の歴史を学ぼうと立ち寄りました。
戊辰戦争時の砲撃によって傷ついた天守は明治7年(1874)に政府の命により取り壊されます。往時の傷ついた天守の姿も写真に残されており見ることができます。その後天守は昭和40年(1965)に再建されるのですが、私が小学生の時に初めて目にし、深い感動を覚えた白亜の五層天守は再建後の間もない頃だったのでしょう。暇さえあれば天守の姿を落書きしている私を観て父親は、人物往来社発行、大類伸監修の「名城名鑑」全三巻を買い与えてくれました。私の城好きは以来50数年に及びます。
平成12年(2000)には干飯櫓と南走長屋が復元され、平成23年(2011)には天守の屋根瓦が赤瓦に葺き替えられ、ますます美しい姿になりました。
この城に初めて天守を築いたのは蒲生氏郷で文禄2年(1593)に今より高い七層だったとのこと。その後領主の変遷により、寛永4年(1627)に入部した加藤氏によって五層天守に改められたということです。
天守のあとは、三の丸跡の福島県立博物館で、新設された会津若松城下のジオラマを観覧。旧城下町の成り立ちや戊辰戦争の籠城戦の歴史を知ることができました。
歴史ある寺社や街並み、温泉と地の食材と酒、どれもが旅の愉しみなのですが、やはり私にとってはその地の城館探訪が欠かせないと改めて感じました。

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概要

豊臣秀吉の命令で奥州を支配することになった蒲生氏郷が黒川城を大改修。七重の天守を築き上げ、名称も黒川から若松に改めた。天守は加藤嘉明によって五重に改修され、平成22年には屋根瓦が江戸時代と同じ赤瓦に葺き替えられた。3つの曲輪で囲むようにして本丸を守る、実戦的な縄張が特徴的。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 至徳元年(1384)
築城者 蘆名直盛
主要城主 蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、松平氏、保科氏
文化財史跡区分 国史跡(若松城跡(鶴ヶ城))
近年の主な復元・整備 蒲生氏郷、加藤明成
天守の現況・形態 望楼型[7重/1593年築/倒壊(地震)]、複合式層塔型[5重5階/1611年改/破却]、複合式層塔型[5重5階/1965年再/RC造外観復興]
主な関連施設 天守、門、櫓、長屋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀
住所 福島県会津若松市追手町
問い合わせ先 会津若松観光公社
問い合わせ先電話番号 0242-27-4005