1枚目右が水戸城の御城印…3種類販売されてましたが、「スタンダードタイプだけ買えばいいかな」と思ったのでそれにしました。北澤売店という土産店で…それ以外に城カードと徳川光圀のマンガも買いました
(Wikipedia)https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B0%E8%80%83%E9%A4%A8
徳川光圀が「大日本史」の編纂を始めたのは30歳(数え歳)の時…兄と弟がお互いに家督を譲り合って…しまいには2人とも国を出るという兄弟愛の物語などが描かれた史記(司馬遷が書いた中国の歴史書)に感銘を受けて「もっと書に触れて人としての道を極めよう」「史記のような国の歴史を1つにまとめた壮大な歴史書を私も作りたい」と考えたのがきっかけだそう
その編纂施設は彰考館と名づけられ、館員の佐々十竹(助さんのモデル)に史料収集のため諸国を調査させ、貴重な古記録や文書を写して江戸へ持ち帰らせた…一方で安積澹泊(格さんのモデル)には佐々および他の館員が全国から持ち帰った多くの収集史料をさばいてもらい、編纂に貢献してもらったわけです
大日本史はその膨大なる量のため、光圀の生存時までに完成することはなく、過程の途中にて彼は病没👼 そもそも「大日本史」というタイトル名が決まったのも彼の死後(1715年)
彰考館(2枚目、なお正確に言うなら跡地。現在ここは市立第二中学校の敷地となってる🏫)は当初…江戸の小石川にあったものを光圀の晩年に、水戸城内に移転。大日本史は本紀と列伝の主に二つから構成されており、光圀の存命中に本紀は「百王本紀」として完成📖…彼の死後…50年もの中断期間も経て事業は継続され、1906年に本紀73巻…列伝(后、皇子、皇女、群臣などについて記録したもの)170巻…その他154巻…全397巻226冊が完成
明暦の大火をきっかけに編纂施設を設けて事業を開始したのが1657年…完成が1906年…巻数は397巻…連載年数および巻数を意識するとワンピースやこち亀を軽く超えるハードボリュームと言えましょう😂
3枚目は弘道館にて撮影した大日本史の原本。これがこの藩校にてテキストとして使用され、藩士がこれで学んでいった
ざっと見ると…大日本史二の表紙に「仁徳天皇…雄略天皇…」と記載があります。仁徳天皇とは(仁徳天皇陵との説で有名な)大仙古墳に関係すると思われる歴史上の人物…古墳時代…ということは二巻では古墳時代の日本史について記述がなされている?と推測できます
4枚目は3枚目の反対側から撮影したもの。八十一にて「比企能員…北条義時 三浦義村」の記載が表紙にあり、つまりこの巻では鎌倉時代前期についての記載がなされてる🥴
ちなみにこの大日本史…(私自身はそれを1冊も読んだ事ありませんが、聞いた話によると)南北朝の騒乱においては南朝(つまり後醍醐天皇側)を正統と見做し、その中でも天皇に最期まで尽くし殉じていった楠木正成をベタ褒め…尊皇の鏡として扱っているそうです
そう表現された作品を江戸時代に、多くの人間が読み…強く影響された人間が尊王攘夷志士となり…彼らからリスペクトされ理想とされていた存在が正成…そして明治維新からしばらくして、明治政府の役人(その多くが元尊王攘夷志士)によって皇居の側に正成像が造られたと…(過去記事URL)http://tsukimushi.blog.jp/archives/24056840.html
余談として大日本史に対する個人的見解を盛り込ませていただくと…
良く捉えれば尊王攘夷思想を作り上げて維新志士に大きな影響を与えて明治維新の礎となった日本が世界に誇る歴史長編物語📖
悪く捉えれば多くの若者を尊王攘夷思想に染め上げて幕末の日本をカオスに陥れた悪魔の本👿…その一例が天狗党👺
と言った具合かな?😅
(館内で放映されているアニメ)
https://youtu.be/LvtlE7Pu1NA?si=Xss3s2ygCaKGXb8i
彰考館の隣に「二の丸展示館」という無料で入れる施設があり、入ってみるとテレビが置かれており、アニメが繰り返し放映されてました。それが↑URLの動画
小学5年の男子(水戸光)と女子(千波葵)が剣道の試合中ぶつかった際にタイムスリップ…七郎麿(後の徳川慶喜)と徳川斉昭(葵からは烈公様と呼ばれてる)と出会い、出来たばかりの藩校…弘道館で「弘道館の名の由来」を斉昭が問い、七郎麿が「人よく道を広む、道人を広めるにあらず(人が道を広めるのであって道が人を広めるのでは無い…事を行うのは人、弘道館は道を広める人を育てる)孔子の論語の言葉です😏」と模範解答…
葵のスマホ見て「印籠か?」と不思議がる斉昭と七郎麿…「気を張るのが弘道館なら気を休めるのが偕楽園」と一張一弛を語る斉昭。スマホで記念撮影(撮影した時に葵の腕先が太くなってる…ちょっと作画崩壊?😅)…それから現代に戻るも、撮影画像にはきちんと4人の姿が写っており「夢じゃないみたい…😆」と不思議な体験をする…内容
館内には展示スペースもあり、(弘道館と同じく)大日本史の展示がここにもありました。あと水戸城のジオラマ(5枚目)も🏯…それを見るとこの城には弘道館だけでなく、他にも二の丸に大きな屋敷(屋形)があったりと、城としての政治的機能が備わっていたようですが、今は別の建物…二の丸には水戸第三高等学校…本丸には水戸第一高等学校🏫…が存在
年表(6枚目)…水戸城に関連する出来事がここに紹介されており、この右下に数行だけ…天狗党および諸生党の騒乱が記載されてます。けれどあくまでそれだけ…
実は天狗党、浪人や農民を中心として集めた貧民集団…尊攘のヤル気だけあれど金が無いために近隣の住民から略奪や放火などをおこなった犯罪的集団でもあり、それが民衆から嫌われて当事者は皆世を去ってしまった今もなお、その悪評が受け継がれてタブー扱い…「天狗党特集なんてとんでもない」なのかもしれませんね👺
展示館とは直接の関係はありませんが、水戸城からの帰り際に水戸駅前の水戸黄門像(7枚目)を目にしました。黄門様…助さん角さん…全国を旅して、悪党を目にすると「この印籠が目に入らぬか!」というのはかなり有名なセリフですが…所詮それはドラマのフィクション
黄門のモデル(徳川光圀)は全国旅なんかしてないし、助さんのモデルだけが大日本史編纂のための史料集めに全国を巡った…だからこの像もウソと言えばそれまでなのですが、せっかく来たから…ということで解説文を読み撮影したわけです
今回の水戸城訪問…「朝から夕方近くまで時間あるから、城全部巡れるだろう😚」と最初は考えてました。けれど思ったより展示品見物およびスマホ雑務に時間をかけてしまい、二の丸展示館までで終わりました
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