多賀城は外郭部分の南門と築地塀が再現されており、その内側に配されていた官衙の主屋が構造復元されています。政庁南大路の脇には排水用の暗渠も設けられていたようです。多賀城には鎮守府が置かれていた時期が有りましたが、主要な機能は胆沢城に移り、宝亀11年(780)の伊治公呰麻呂の乱で政庁や官衙の建物はほぼ全焼したと見られます。
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2025/01/24 19:46
2025/01/21 19:39
復元南門 (2025/01/02 訪問)
多賀城は国の特別史跡である古代城柵で、神亀元年(724)按察使・大野東人によって築造されたと伝わります。中央政権が蝦夷を支配するために築かれ、南の太宰府と並んで東北を支配するための一大拠点であったようです。
中心である、政庁跡は建物跡や築地跡などが整備され、南へ大路を進んでいくと復元された南門と築地塀があり、近くには多賀城碑があります。位置的に復元南門は外郭のもののようです。古代の城柵や国府、国分寺などは建物跡・礎石・柱跡ぐらいしか見る物が無いので、門を再現してあるとビジュアル的に映えますね。
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2024/11/09 00:21
創建1300年おめでとうございます。 (2024/09/29 訪問)
2016年・2021年に続いて3度目の訪問です。
2021年はまだすっぽりとベールに包まれ、完成時を想像するだけだった南門。
みなさま方のご投稿で南門と築地塀復元の様子を時系列に拝見できるのが楽しくて、来春の一般公開を待ちきれずに行ってきました。
どのあたりまで近づけるのか?
果たして全容を見られるのか?
もしかしたらこっそり覗いて見るだけかも…?と、フライング訪問の不安を抱きつつだったのですが、そんな心配を払拭して余りあるかっこよさでした!
行ってよかった!!
被写体が素晴らしいので拘りのないiPhoneカメラでも、ものすごくかっこよく写ります。
立ち入り禁止なので私自身も入れなかったけれどまわりの皆さんも入れないので“人が入り込まない写真”が撮れたのもよかったです(笑)
ひっそりと佇んでいて初訪問時になかなか見つけられなかった多賀城碑が南門とリンクしたのも驚きでした。
終始ドキドキしっぱなし、ソワソワも止まらない感覚を存分に楽しみました。
前回訪問時に外郭西門~奈良時代の外郭東門跡まで3時間かけて見て歩いた感動と満足感が残っているので南門と政庁跡周辺を見たら今回こそ東北歴史博物館に寄ろうと考えていたのですが、久しぶりに仙山線に乗りたいという気持ちが抑えられず、またしても博物館はパスしてしまいました。
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2024/11/04 14:36
美しさに感動! (2024/11/03 訪問)
外郭南門に続く築地塀ができ、門の周囲が開放されるとのニュースをみて多賀城を訪問しました。令和5年3月の南門復元工事完了後、何度か訪問しているのですが、築地塀や周囲の設備工事が続いており、これまで近くで見ることができませんでした。今回も創建1300年の記念行事の開催にあわせた期間限定の開放で、11月5日以降は、令和7年3月の工事完成までは部分的な開放に戻るようです。
連休の中日、前日の雨も止んだ秋晴れの下、美しい南門を目にし、門を潜ると右手には、この8月に国宝に指定された多賀城碑、正面には政庁跡の景観が広がります。正殿の礎石、復元された城前地区をゆっくりと見ることができました。
午前中の早い時間でしたが、駐車場はすでにいっぱい、南門や多賀城碑、政庁跡には多数のボランテイアガイドさんが控えており、訪問客への説明を行っていました。ありがたいことです。
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律令国家の奈良時代には行政・軍事の拠点として国府と鎮守府が置かれ、約900m四方に築地が巡らされていた。平安時代には道路によって区画された街並みが城外に形成され、国司の邸宅などが発見された。建物の規模が分かるよう、政庁正殿跡には基壇が復元整備されている。
城地種類 | 平山城 |
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築城年代 | 神亀元年(724) |
築城者 | 大和朝廷 |
主要城主 | 大野東人 |
文化財史跡区分 | 国特別史跡(多賀城跡附寺跡) |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 政庁跡、築地跡、門跡、土塁、横堀(空堀) |
住所 | 宮城県多賀城市市川字城前 |
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問い合わせ先 | 多賀城市埋蔵文化財調査センター(文化センター内) |
問い合わせ先電話番号 | 022-368-0134 |