日本100名城

たがじょう

多賀城

宮城県多賀城市

別名 : 多賀柵
旧国名 : 陸奥

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多賀城
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天守無しがアツい

あえて復元しない (2016/06/29 訪問)

仙台駅から電車で15分程度の場所に国府多賀城駅があります。そこから少し歩くと見えてくるのが多賀城跡です。

奈良時代あたりに、ここ多賀城は国の重要拠点であり、大宰府と並ぶ日本の中心地でした。塀でぐるりと囲まれた中に本殿があり、そこで公務が行われていたという様子が案内板の想像図に描かれていました。

貴族、城の入口を警備する守衛、そして本殿の前にいる庶民。『羅生門』の世界もこんな感じなのかなと連想しました。

といってもそれはあくまで1000年以上前の様子を誰かがイメージしたもの。今ある多賀城は、柱の跡があるだけの空地。多賀城址とも言えました。

瑞鳳殿、つまり江戸期に建立された建物は関連資料が多いのか復元されることが多いと思います。

しかし多賀城のような奈良時代、1000年以上前のものは資料が少ないのか、復元されず跡地を公開し、想像図を案内板に掲載することが多いようです。下手に復元すると実際あったであろう建物とかなり異なってしまい、その史跡の価値を下げてしまう恐れがあるからかもしれません…。

今回の多賀城を見て、「ここって大宰府に似ているな」と思えました。あそこも柱の跡があるだけの城跡。1000年以上も前の史跡なので。

柱の跡があるだけの空地なので、そんなに面白くありませんでした…。本殿跡まで見てから駅方向に引き返し、駅前で「あやめ祭り」がおこなわれていて、数多くのあやめが植えられていたのでそれも見物して過ごしました

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カズサン

2度目の多賀城ダイジェスト版 (2023/09/18 訪問)

 7年振りに多賀城探訪、今回は外郭復元南門が主目的の訪問ですが、写真を百枚近く撮りましたので7編に分けて投稿させて頂きましたが、何か訴えるものがぼやけたようで、再投稿の写真を含めて10枚に絞った気に入りの写真を投稿します。
 長々の投稿ご覧いただき感謝申し上げます。ありがとうございました。
 この後は本来の目的、宮沢遺跡探訪と城びと未踏城郭の探訪へ、宮城県福島県栃木県を訪ねます。
 

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カズサン

展示案内解説板諸々(7/7) (2023/09/18 訪問)

 2度目の多賀城訪問、政庁跡南門から1段降りた処に、政庁復元模型、多賀城の変遷、多賀城の概要が解説盤として設置されています、しばし勉強の時間と読み眺めていました、特に東北城柵の配置、変遷時期が目を引きました1300年の歴史が刻まれています。
 目に付いた案内板、解説板を投稿します。
 

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カズサン

政庁東殿跡周辺(6/7) (2023/09/18 訪問)

 7年振りの多賀城再訪、桜の時期の初登城、2度目は秋の彼岸前彼岸花が若干咲いてる時期の残暑厳しい日。
 政庁跡を北殿・後殿・正殿・正殿前石畳、南門・両翼廊跡をサラッと見学し、今回目的の外郭復元南門、工事中の両翼版築塀の現場に向かいましたので、西殿跡、東殿跡は遠目で追うだけ、南門から政庁跡へ上がって、東殿跡、正殿を南から観察撮影しましたので投稿させて頂きます。
 南門が竣工したら政庁正殿の復元が待たれますね?
 

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概要

律令国家の奈良時代には行政・軍事の拠点として国府と鎮守府が置かれ、約900m四方に築地が巡らされていた。平安時代には道路によって区画された街並みが城外に形成され、国司の邸宅などが発見された。建物の規模が分かるよう、政庁正殿跡には基壇が復元整備されている。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 神亀元年(724)
築城者 大和朝廷
主要城主 大野東人
文化財史跡区分 国特別史跡(多賀城跡附寺跡)
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 政庁跡、築地跡、門跡、土塁、横堀(空堀)
住所 宮城県多賀城市市川字城前
問い合わせ先 多賀城市埋蔵文化財調査センター(文化センター内)
問い合わせ先電話番号 022-368-0134