現在の小倉城は、関ヶ原以降、入領した細川忠興(三斎)によって築城されました。
天守閣は層塔型四層の外観ですが、最上層の五階部分が同層の四階部分よりも突出してます。
南蛮造りと呼ばれるものでめずらしい様式です。
石垣は軟弱な地盤の関係でゆるやかな野面積の直線勾配となっています。
加工した切り石を使わずに自然石のみを集めて築いたというところに細川氏の自負があるといわれています。
1866(慶応2)年の第二次長州征伐では小倉城に熊本、久留米、柳川などの九州諸藩の軍勢が集結、長州進攻の準備につきました。
ところが長州側は先手を打って高杉晋作率いる奇兵隊をはじめとする軍を小倉攻略に向けてきました。
戦闘は熊本藩兵の善戦で一進一退を繰り返しましたが、幕軍指揮官(老中)の脱出を境に諸藩の軍勢も小倉は去ってしまいました。
孤軍となってしまった小倉藩は、城に火を放って退去してしまいました。
幕府のご威光を借りながら、農民・町民混成部隊に負け、城を奪われるという失態は日本史の大きな転換点だと私は思います。
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