皆さんは宮本武蔵という人物をどこまで御存知でしょうか? 巌流島の決闘や二刀流で有名な人物である事は少なくとも御存知と思います。
武蔵は謎多き人物ですが、最近新しく発見された資料などにより、今までの我々の知識とは異なった、その真実が徐々に明らかになっているようです。例えば、巌流島で武蔵は遅刻していないとか、武蔵の一撃で小次郎は死んでいないとか、そもそも佐々木小次郎という名前の人物は存在していないとか、宇喜多軍(西軍)に属し岐阜の関ケ原にいたというのは誤りで実は九州の関ケ原で黒田軍(東軍)に属していたとか、大坂の陣では徳川方として水野軍にいたとか、島原の乱では幕府方として小笠原軍にいたとか・・・などなど。
武蔵の事を知るために、まず1級資料の「小倉碑文」が現在も残る、手向山(たむけやま)へ行ってきました。JR小倉駅入口(または小倉城前)からバス[70]に乗り(手向山)バス停で下車(写真⑧)、そこから15分程の坂を登った頂上の手向山公園に碑文はありました。小倉碑文は、子の宮本伊織が父の武蔵から実際に聞いた話を、武蔵が没して9年後に、伊織本人が菩提を弔い武蔵の言葉を後世に残すために建てた、最も信頼できる資料です(写真①②)。武蔵の1級資料としてはこの他にも「五輪の書」や「沼田家記」、2級資料としては「二天記」などがありますが、各々についてはまたおいおい、お話して行きたいと思います。
展望台からは巌流島や関門橋が見えました。とてもいい眺めでした(写真③)。また公園には、その宮本伊織(小倉小笠原藩筆頭家老)の墓や(写真④⑤)、昭和になって建てられた佐々木小次郎の碑もありました(写真⑥⑦)。
次は、武蔵の資料が数多く残る、熊本の「島田美術館」を訪れます。
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