続日本100名城

こくらじょう

小倉城

福岡県北九州市

別名 : 勝山城、指月城、勝野城、湧金城、鯉ノ城
旧国名 : 豊前

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小倉城
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橋吉

小倉城 (2013/08/13 訪問)

現在の小倉城は、関ヶ原以降、入領した細川忠興(三斎)によって築城されました。
天守閣は層塔型四層の外観ですが、最上層の五階部分が同層の四階部分よりも突出してます。
南蛮造りと呼ばれるものでめずらしい様式です。


石垣は軟弱な地盤の関係でゆるやかな野面積の直線勾配となっています。
加工した切り石を使わずに自然石のみを集めて築いたというところに細川氏の自負があるといわれています。

1866(慶応2)年の第二次長州征伐では小倉城に熊本、久留米、柳川などの九州諸藩の軍勢が集結、長州進攻の準備につきました。
ところが長州側は先手を打って高杉晋作率いる奇兵隊をはじめとする軍を小倉攻略に向けてきました。
戦闘は熊本藩兵の善戦で一進一退を繰り返しましたが、幕軍指揮官(老中)の脱出を境に諸藩の軍勢も小倉は去ってしまいました。
孤軍となってしまった小倉藩は、城に火を放って退去してしまいました。

幕府のご威光を借りながら、農民・町民混成部隊に負け、城を奪われるという失態は日本史の大きな転換点だと私は思います。

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昌官忠

九州遠征・続100名城制覇 (2019/10/15 訪問)

勝山公園駐車場(33.884308、130.8727)に駐車して攻城。続100名城スタンプは天守受付ではなく、しろテラスにありました。
勝山公園駐車場横の水堀➡西の口門跡➡鉄門跡➡復元記念砲(長州群が小倉城を砲撃した際に使用)➡大手門跡➡槻門跡➡復興天守➡宮本武蔵と佐々木小次郎のモミュメント➡二の丸庭園➡着見櫓➡多門口門跡➡八坂神社山門(立派でした)➡北口門➡猿田神社の門➡八坂神社➡小倉城庭園前➡大手先門跡➡白洲灯台岩松翁記念塔➡勝山公園駐車場のルートで一周して戻りました。
復興天守も立派ですが、石垣、堀、神社の門もいい味出してました。攻城時間は50分くらいでした。

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Yomi

小倉城と桜 (2014/03/28 訪問)

何度行っても飽きません!!

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小倉城

細川忠興 武将印 販売開始 (2020/08/11 訪問)

小倉城を築城した小倉藩初代藩主 細川忠興公の武将印が完成いたしました。

細川忠興公は、関ヶ原の戦いでの論功行賞により、丹後から豊前国に入り、中津城から小倉城に移り小倉藩初代藩主となる。正室は明智光秀の三女・通称細川ガラシャ。

後に肥後熊本へ転封となり、肥後細川家初代。千利休の高弟「利休七哲」の一人としても名高く、文武両道を極めた戦国武将。

武将印のデザインは、細川家の家紋「九曜紋」、細川忠興公の花押を配し、藤色ですっきりと仕上げた一枚となっております。

是非皆様のコレクションに御加えいただけると幸いで御座います。

詳細は此方から御願いいたします。
https://www.kokura-castle.jp/hosokawa/2020/08/

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城郭情報

城地種類 輪郭式平城
築城年代 慶長7年(1602)
築城者 細川忠興
主要城主 細川氏、小笠原氏
近年の主な復元・整備 小笠原氏
天守の現況・形態 連結式層塔型[4重5階/1609年築/焼失(火災)]、連結式望楼型[4重5階/1959年再/RC造外観復元]
主な関連施設 復興天守、模擬櫓、庭園、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)
住所 福岡県北九州市小倉北区城内2-1
問い合わせ先 北九州市小倉北区役所総務企画課広報広聴係
問い合わせ先電話番号 093-582-3339