続日本100名城

こくらじょう

小倉城

福岡県北九州市

別名 : 勝山城、指月城、勝野城、湧金城、鯉ノ城
旧国名 : 豊前

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小倉城
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トク

【宮本武蔵】(1)小倉碑文(手向山) (2025/08/25 訪問)

皆さんは宮本武蔵という人物をどこまで御存知でしょうか? 巌流島の決闘や二刀流で有名な人物である事は少なくとも御存知と思います。

武蔵は謎多き人物ですが、最近新しく発見された資料などにより、今までの我々の知識とは異なった、その真実が徐々に明らかになっているようです。例えば、巌流島で武蔵は遅刻していないとか、武蔵の一撃で小次郎は死んでいないとか、そもそも佐々木小次郎という名前の人物は存在していないとか、宇喜多軍(西軍)に属し岐阜の関ケ原にいたというのは誤りで実は九州の関ケ原で黒田軍(東軍)に属していたとか、大坂の陣では徳川方として水野軍にいたとか、島原の乱では幕府方として小笠原軍にいたとか・・・などなど。

武蔵の事を知るために、まず1級資料の「小倉碑文」が現在も残る、手向山(たむけやま)へ行ってきました。JR小倉駅入口(または小倉城前)からバス[70]に乗り(手向山)バス停で下車(写真⑧)、そこから15分程の坂を登った頂上の手向山公園に碑文はありました。小倉碑文は、子の宮本伊織が父の武蔵から実際に聞いた話を、武蔵が没して9年後に、伊織本人が菩提を弔い武蔵の言葉を後世に残すために建てた、最も信頼できる資料です(写真①②)。武蔵の1級資料としてはこの他にも「五輪の書」や「沼田家記」、2級資料としては「二天記」などがありますが、各々についてはまたおいおい、お話して行きたいと思います。

展望台からは巌流島や関門橋が見えました。とてもいい眺めでした(写真③)。また公園には、その宮本伊織(小倉小笠原藩筆頭家老)の墓や(写真④⑤)、昭和になって建てられた佐々木小次郎の碑もありました(写真⑥⑦)。

次は、武蔵の資料が数多く残る、熊本の「島田美術館」を訪れます。
 

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ACRO

20250529小倉城 (2025/05/29 訪問)

短時間しか滞在できませんでしたが、登城。
御城印が豊富で驚きました。
残念ながらライトアップは見られませんでしたが、
機会があれば見てみたいところです。

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スティクラ

朝一に小倉城へ (2025/03/28 訪問)

朝早くに小倉城へ。
天守はどの角度からみてもかっこよく見どころあり。

今は小倉城さくら祭りの期間だったようで、夜は露店で賑わっているみたい。食べ物も美味しそうでリーズナブルだった。
次回は夜来てみたいが、朝来たおかげでゆっくりまわりながら写真を撮ることができた。
桜は7〜8分咲き。

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dougen

2017.11.28登城 (2017/11/28 訪問)

北九州市の中心部にあり、現在は勝山公園として整備されています。
天守は唐造りが再現されているものの、本来は層塔型で破風が無いシンプルな造りだった様です。
もし建て替えを行うことがあれば、本来の外観を再現して欲しいところです。
近世の城郭らしい、立派な石垣や大きな水濠が堪能できる城址です。

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城郭情報

城地種類 輪郭式平城
築城年代 慶長7年(1602)
築城者 細川忠興
主要城主 細川氏、小笠原氏
近年の主な復元・整備 小笠原氏
天守の現況・形態 連結式層塔型[4重5階/1609年築/焼失(火災)]、連結式望楼型[4重5階/1959年再/RC造外観復元]
主な関連施設 復興天守、模擬櫓、庭園、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)
住所 福岡県北九州市小倉北区城内2-1
問い合わせ先 北九州市小倉北区役所総務企画課広報広聴係
問い合わせ先電話番号 093-582-3339