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しんちゃん

本丸茶屋 (2025/10/26 訪問)

岡崎城に行ってきました。岡崎周辺もぶらぶらしようかと思っていたのですが、一名おまけでくっついてきました。最近涼しくなってきたので結構元気になって来たようです。仕方が無いので、今回は岡崎城をゆる~く回りました。
岡崎城近辺では「もろこしうどん」がオススメですがボリュームがあるので、しばらくデザートが食べれなくなります。昼食にもろこしうどんを食べて、広い岡崎城を十分に堪能してから「本丸茶屋」でデザートを食べたり「桜茶屋」や「ひょうたんや」で五平餅や八丁味噌を使ったグルメをいただくのが黄金パターンかな?
岡崎周辺は美味しいモノがいっぱいです。なんかまたステマっぽくなって来ましたね。私には一円も入って来ませんけどね・・。

本当は本多忠勝が幼少期を過ごした欠城跡も訪問する予定だったのだけど次回にします。西三河には欠城が二つありますが、岡崎の欠城は忠勝の叔父・忠真の居城です。現在は岡崎東公園となっており片隅に本多忠次邸が移設されているので、ファンは必見ですよ。
忠真さんは大河では酔いどれ武将みたいな扱いになっていましたね。実際はどうだったのかな? 忠勝の育ての親です。

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T-Shionoya

躑躅ヶ崎館訪問 (2006/10/09 訪問)

過去の城郭巡りの振り返り第28弾は、甲府城に続いて訪れた山梨県甲府市の躑躅ヶ崎館。

甲府盆地北側の三方を山に囲まれた相川扇状地、地形図を見ると個人的には甲府盆地の玉座ポジションと呼びたくなる地に築かれた城館。
扇状地の最奥には要害山城、右手には湯村山城、左手には一条小山の砦を配置し城砦網を形成。

1519年に武田信玄の父・信虎が石和から移転して以来、武田氏3代62年間の居館。
武田氏滅亡後も、徳川家臣の平岩親吉、豊臣家臣の加藤光泰により甲斐国の統治拠点として整備され、甲府城が完成するまで使用されたと考えられている。

1919年に主郭と西曲輪が武田神社となり、現在はその周辺エリアを含めて発掘調査や復元が進行中。
最初に訪れたのは2006年で、主郭の深い空堀や西曲輪北側の枡形虎口を見て、意外と"城"であることを感じたと記憶。
その後、大手門前が史跡公園化されたこともあり2021年に再訪問。大手門前だけでなく西曲輪南と北の枡形虎口もキレイに整備されており、主郭では改めて土塁の高さを実感。

元々が武田氏の城でありながら丸馬出が見られないのは残念だが、調査中の北側エリアが復元されれば、ますます城郭らしくなりそうな躑躅ヶ崎館です。

※写真は21年11月の撮影

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キンヤ

珍しい円郭式縄張りの城 (2025/09/07 訪問)

武田信玄が馬場信春に命じて作らせたともされる珍しい同心円状の円郭式縄張りと徳川家康が死因とされる鯛の天ぷらを食べたとされる有名な城です。

下屋敷公園には、江戸時代には本丸南東隅の石垣上に建っていた櫓などが移築されてます。
本丸櫓は「御亭(おちん)」と呼ばれる2階建の建物で、藩主が休息したり観月などの際に利用したらしく、窓が多く風流な櫓でなかなか良かったです。

城跡は、学校が建ち住宅街となっており遺構は一部しか残っていないとのことでしたが、散策すると思っていたより土塁や堀が見られて良かったです。
かつては丸馬出が6箇所も設けられていましたが、1箇所だけ丸馬出の三日月堀が残されており、丸馬出好きにとっては嬉しく感謝です。
同心円状に三重の堀を巡らす円郭式縄張りは、二の丸・四の丸では分かり辛いですが、三の丸の堀沿いの道をたどって行くと、丸い縄張りがよく分かり、土塁が5ヶ所で残されてました。

近くにある旭傳院には、田中城の不浄門の移築とされる山門があり(その規模から城門でなく城内にあった屋敷門とも)、袖壁が風流な門でした。

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関ケ原古戦場散歩(岐阜関ケ原古戦場記念館) (2025/10/25 訪問)

 関ケ原古戦場記念館へ久しぶりに立ち寄りました。5階の展望室からは関ケ原古戦場を見渡すことができ、各陣地の配置が把握できます。
10月7日から秋季企画展「世界三大古戦場展-ワーテルロー・ゲティスバーグと関ケ原のつながり」が開催されています。ゲティスバーグ・ワーテルロー両古戦場の現在の姿を示したパネルや資料展示などがありました。ゲティスバーグの戦いはアメリカ南北戦争の決戦地、ワーテルローの戦いはフランス皇帝ナポレオン一世の最後の戦いの地です。3つとも歴史の転換点となった戦いです。

 城巡りを始めた頃は、周辺の城跡は登城しても古戦場はあまり興味なくスルーしていた時期がありました。この三年くらいは岐阜県に越してきたこともあり、関ケ原、桶狭間、小牧長久手など周囲の城、砦を含めて散策しています。また遠出したときも著名な古戦場があれば寄るようになりました。最近、イオさんとしんちゃんさんの長篠周辺の投稿を見て久しぶりに長篠城と設楽原古戦場付近を散策したくなりました。

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todo94

富山ドライブでの攻城① (2025/10/25 訪問)

この週末の行き先も、既献血回数が4回の県からチョイスして富山県としました。10月下旬になったので山城シーズンの開幕ということで最初に向かったのは横尾城です。午前3時に家を出て国道148号で糸魚川に出て朝日ICで北陸道を下りてアプローチしました。素直に上横尾公民館脇から中部北陸自然歩道を進めば全く問題がなかったのに、長願寺の上の獣除けフェンスを開けて進んでしまったために過酷な直登、ぬかるんだ沢登り、そして大回りをしてしまうことになってしまいました。(朝田辰兵衛さんが「間違って行っちゃいました…」と投稿されているにもかかわらず。)また、生まれて初めて、攻城時に目の前を猪が横切っていくという経験もすることができました。

説明板が設置されている虎口と思しき遺構の先の郭内は倒木や灌木、下草であまりよい状態ではなく遺構の視認も難しかったので写真は撮らずじまいです。馬鬛山(ばりょうざん)の説明板がある展望所からの眺望を楽しんでから下山しました。

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トク

新説唐津城築城パネル展と金箔瓦 (2025/10/24 訪問)

唐津城には、青い空と青い海がとてもよく映えます。唐津藩初代藩主の「寺沢広高」も、本当はこんな天守を夢見ていたのではないかと、ふと思ってしまいました。

ところで、天守下の石垣がはらんできたため、16年をかけて発掘調査を兼ねた積み直し工事が行われていましたが、昨年に終了し現在はきれいな直線的な石垣がよみがえっています。その時の発掘調査では、何と天守石垣下の二ノ丸から、地面の中に埋もれていた野面積の石垣と金箔瓦が発見され、さらに本丸北東側の石垣からも金箔瓦が出土したそうです。という事は・・・🤔?

その様子を伝えるパネル展が唐津城内で行われていました。残されている文献から、豊臣秀吉から朝鮮出兵の兵站(物資や兵員の輸送)の責任者に任ぜられた寺沢広高は、唐津【唐(=中国)へ渡るための津(=港)】と名付けられたこの地を与えられ、1594~98年にかけて満島山に築城して(唐津古城)ここに港を整備し、その役目を果たしました。そして秀吉死後は家康から本領安堵され、1602~08年に名護屋城を解体してその資材を使って唐津城を建て替えたとされてきました(唐津新城)。その時に天守台は築きましたが天守は建てられず、本丸に御殿が建てられたようです(正保絵図より)。

今までは、その古城の存在を示す物が見つかっていなかったため、その文献の古城の内容に疑問が持たれていましたが、今回の発掘調査で発見された石垣は、その古城の存在を示す証拠となり、文献の記述は正しかったという事が証明されました。それだけでなく、広高は古城の天守または御殿のあった場所と石垣の上に、何と土を盛ってそれらを埋めてしまい、さらにその上に石垣を積み上げてかさ上げした場所を本丸とし、その本丸に新たな天守台と御殿を建てて唐津新城を完成させたという事になります。

ならば、この発見された金箔瓦は、秀吉時代に建てた広高の唐津古城の瓦なのでしょうか? 広高は秀吉からの信頼はかなり厚かったと思います。金箔瓦の使用を許されていたとしてもおかしくありません。それとも関ケ原後に、名護屋城を解体した資材で唐津新城を築城する時に、名護屋城の金箔瓦をそのまま使ったものが埋もれていたのでしょうか? または二ノ丸で見つかった金箔瓦は前者で、本丸で見つかったのは後者なのでしょうか?

私は天守最上階から名護屋城の方向を眺めていると、何やらロマンを掻き立てられてしまいました😊。
 

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しんちゃん

宮吉城 鳥取市気高町 (2025/10/12 訪問)

久々に県外に遠征です。時間の制約もあって一泊二日で1200km走破の強行スケジュールでした。うう・・きっつい。
二日目の朝、手始めに宮吉城を攻略しました。ニッポン城めぐりでリア攻めをしながら「城びと」の城を攻略・・したつもりだったんだけど、城びとの城じゃなかった・・。かぶっているようで微妙にちがうんだよな。
ちなみに良い城ほど夢中になって「リア攻め」取得を忘れてしまう、あるあるではないでしょうか? 私も最近「めぐり」に慣れてきたのでリア攻めを意識するようにしていますが、松江城や姫路城は夢中になり過ぎて「リア攻め」を取るのを忘れています。

宮吉城ですが母木神社の南の丘陵が城址とされています。直登に近いかんじで登りましたが、足元が滑るので攻めづらい。廃屋のような建物の裏手から道が続いていて、そのまま進むと最初の郭があります。道をスイッチバックのように切り替えして登って行くと腰郭があり、その上に主郭らしき郭があります。さらに南の丘陵の上にも郭があるかもしれませんが、そこまでは攻略していません。
田公新介高家の城とされ、羽柴秀吉に内通したとされ天正9年(1581)吉川勢に攻められ落城するも高家は逃れ、後に毛利輝元に仕えたそうですわ。

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ぴーかる

母坪城 (2025/10/18 訪問)

【母坪城(穂壺城)】兵庫県丹波市柏原町
<駐車場他>駐車場はなし。登城口に歩道に掛かるが1台停めれる。ストック要。
<交通手段>車

<見所>2重堀切・竪堀
<感想>丹波の黒枝豆購入旅。久しぶりの攻め城と投稿でご無沙汰です。恒例の黒枝豆の収穫時期なので購入がてら城攻略をしました。朝に丹波篠山市の鍔市自然公園にて湧水を汲んで、黒枝豆を購入、JAひかみに行きました。丹波市・丹波篠山市の城びと登録城はほぼ攻略してしまっているので、城びと未登録で遺構の良さそうな母坪城を選んで攻略しました。
 母坪城の築城年代は定かではないようで、南北朝時代に仁木氏の高見城の支城として築かれたようです。戦国時代、細川晴元の家臣赤沢景盛が城主の時に波多野氏に攻められ落城したそうです。その後は稲継壱岐守という者が城主であったそうですが、1579年に明智光秀によって攻められ落城しました。
 城郭は独立丘陵の山城で、北側が柏原川・加古川が流れていて後ろ堅固となっています。城跡の南西端は急崖で大手は南東端になるようですが柵があって行けませんでした。
 登城口は北側の尾根終わりの<35.152657,135.040921>にあります。城郭構造は主郭を中心に南北に連なる連郭式で主郭から北側は3段舌状曲輪が連なってその北に見事な2重堀切があります。2重堀切の北側にも3段程の曲輪が連なります。主郭から南側は2段舌状曲輪があり、そこから高い切岸となっていてガクッと下がります。切岸は高低差があり見応えがあります。高切岸から南側の曲輪群は緩やかな広い段曲輪になっています。主要部入り口の兵を多く置く武者溜まりのような感じと見ました。残念ながら主郭は雑草で鬱蒼としていました。
 とりわけ見応えがあるのは竪堀で、城跡東面に3条、南面に1条あります。東面の2条はハの字になっていて、ハの字の間に段曲輪が配されています。南側の竪堀が特徴的で、主要部から南北に山の稜線に沿って掘り込んでいます。一見切り通しみたいだけれども、主要部高切岸の手前でぷっつり切れているので、誘い込むようないい竪堀です。全部で4条ある竪堀も横幅が広く見応えがありました。西面は加古川が流れているので、竪堀は必要なかったと思われます。
 戦国期の良好な遺構を残した見応えあるいい城跡でした。城びと登録していないのが不思議。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

二川宿本陣資料館 (2025/10/18 訪問)

豊橋市二川宿本陣資料館は二川町の旧東海道沿いにあります。車で来られる場合は1号線沿いにあるので途中までのアクセスは良いですが、周辺は道が狭く、すれ違いも多いので気を遣うと思います。私は慣れているのでスイスイスーですが。
資料館には大名が宿泊した本陣と旅篭屋の「清明屋」が隣接しています。江戸時代の本陣が現存しているのは二川宿と草津宿とされているので、なかなか貴重な代物みたいです。商家の「駒屋」も見学することが出来るので、併せて見学されると良いでしょう。
文化4年(1807)から明治までの間、馬場信春の子孫とされる馬場彦十郎が二川宿の本陣職を務めたとされています。本陣は江戸時代末期の状態に再現されていて市の史跡に指定されています。清明屋も市の有形文化財に指定されています。
「駒屋」ではカフェや雑貨屋も営業しており「東駒屋」「西駒屋」などの分家もあるようです。

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関ケ原古戦場散歩(黒田長政・竹中重門陣跡) (2025/10/25 訪問)

 黒田長政が竹中重門と共に布陣し、東軍諸将に烽火を上げた場所です。この場所は今は木が茂っていて見にくい所もありますが、笹尾山、松尾山、東山道等が一望でき、戦況を一番把握できた場所だと思います。竹中重門は竹中半兵衛重治の子で、関ヶ原の戦いでは、当初西軍に属していましたが、井伊直政、黒田長政の仲介で徳川方に寝返り、関ヶ原では黒田長政とこの地に布陣していました。

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関ケ原古戦場散歩(細川忠興陣跡) (2025/10/25 訪問)

 岐阜県関ケ原古戦場記念館より徒歩5分くらいの場所にあります。
この戦いの前に忠興の妻たま(ガラシャ)は石田三成の軍勢に細川邸を囲まれると、家臣に命じて自分の命を絶つように命じました。もともと仲は悪かったということもありますが、忠興にとって石田三成は許せない存在だったのでしょうね。

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しんちゃん

形原松平氏 (2025/10/24 訪問)

カピバラを見に行っただけでは何なので形原城も訪問しました。「城めぐり」のアプリでリア攻めを1000城こなすと「千軍万馬」の異名がもらえるのかな? 2023年からやってればたぶん、そろそろゲット出来ていたとは思うけどぼちぼちやりますか。
東古城・南古城・北古城があり稲荷社のある東古城が最も古いとされています。「形原松平氏」の時代に城が拡張され、広い城域を誇っていたようです。現在地形は改変がなされ、かつての姿を伺うことは出来ませんが、東古城の周辺に城址の雰囲気が残っています。

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makkin

安土桃山時代の再現 (2022/09/27 訪問)

広島城は、安芸国佐東郡広島にあった安土桃山時代から江戸時代の城。国の史跡に指定されている。1945年(昭和20年)まで天守を始めとする城郭建築が現存していたが、太平洋戦争末期にアメリカ軍の原子爆弾投下によって倒壊し、現在見られる城内の天守以下城郭建築はすべて1958年以降に再建されたものである。

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もりちゃん

現存天守❗️ でも実は天守では無い⁉️ (2025/10/12 訪問)

弘前城の天守は一度焼失したそうです。天守の再建が禁じられていた時代に、櫓という名目で再建されたものが現在の天守。だから、見事な破風のある面と、すっきりさっぱりとした面があるのだそう❗️
現在は耐震工事のため、天守は岩木山を背景に拝める場所に移設中。間もなく本来の位置に戻すそうなので、ある意味今がチャンス。タイミングが合えば、天守の曳屋体験ができるかも‼️ 戦災を免れているので、城郭が昔のまま残っているのも必見❗️
近くには、ねぷた関連の施設や岩木山もあり、見どころも充実。もちろん神社もあるので、御朱印好きの方も楽しめます。
煮干結社というラーメン屋さんも、是非行ってみて❗️

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守谷城址公園 (2025/10/23 訪問)

 守谷城は相馬氏の居城で、北に筑波山を望む沼地に突き出した舌状台地に築かれた城です。守谷城址公園として整備されています。曲輪の跡が残っていて本丸、二の丸、妙見曲輪、御馬家台、船着場などを散策しました。楯形曲輪は興味深い縄張りです。迫力のある空堀が残っています。障子堀があったようですが、今は平坦になっていました。空堀を歩いているだけで楽しく過ごせます。土塁、矢倉台なども残っています。
 整備されていて散策しやすい城址ですが、イノシシ注意、スズメバチの巣があります、マムシがいるかも、などの看板がありました。
守谷市立守谷小学校近くにも守谷城址の石碑と説明板があります。

 守谷駅から徒歩15分くらいで行くことができます。

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高井城址公園 (2025/10/23 訪問)

 下総相馬氏の城で、守谷城の支城でした。現在、高井城址公園として整備されています。主郭と周囲の土塁を見ることができます。

 関東鉄道常総線ゆめみ野駅から徒歩15分くらいで行くことができます。

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興津良次 (2025/10/18 訪問)

 関東郡代伊奈忠次の家臣、興津良次の陣屋跡です。西袋陣屋公園となっています。公園には堀跡、土塁のような地形がありましたが、遺構か否かよくわかりません。説明板は劣化していますが、何とか読むことができました。

 草加駅からバスに乗り手代町南バス停下車、徒歩5分で跡地である公園に行くことができます。

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アルテミ〜ス執事

約400年前の石垣を観に行ってきました (2025/10/11 訪問)

秀吉が小田原北条氏攻めの際に築城した石垣山一夜城へ行ってきました。関東では珍しい約400年前の野面積みの石垣が残る貴重な城址ですね。

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しんちゃん

カピバラベイビー (2025/09/24 訪問)

愛知県蒲郡市の竹島水族館に行ってきました。去年の10月12日に新館が完成しリニューアルされています。入場料もリニューアルされて900円→1200円となっておりますのでご留意を。ちなみに2023年までは500円(ワンコイン)で入れました・・あまり気楽に行けなくなったけど適切な価格とは思います。ご存じの方も多いとは思いますが、この水族館にはカピバラがいます。
リニューアルからちょうど1年後の10月12日にカピバラの赤ちゃんが5匹誕生しました。凄い偶然、間違いじゃないよね? まさしく竹島の申し子たちです。赤ちゃんが誕生した関係でカピバラのショーはしばらく中断ですが14時から16時までカピバラ親子の姿を見ることが出来ます。生まれてそれほど経っていないのにベイビーたちは元気いっぱいに走り回っています。
というかカピバラって走るんだ? プールにも興味津々で浅瀬を行ったり来たりしています。ベイビーたちは好奇心いっぱいのキラキラした目をしているのに、親御さんの方は悟りきったような目をしています。まるでブッダのようだ・・何を考えているのかさっぱりわからない。水辺で親子で戯れているように見えますが親は水を飲みに来ているだけです。
それ以外は餌を食べたりぼーっとしているだけです。親はいつものカピバラですが子供たちはせわしなく食べたり走ったり水辺にトライしたり・・カピバラはすぐに大きくなるので見に行くなら今がチャンスじゃないでしょうか。

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朝田 辰兵衛

深草館からの転戦です…🐾 (2025/09/15 訪問)

谷戸城は深草館とは違い,しっかり整備されています。すぐ向かいに北杜市考古資料館があるからかもしれませんが…。北杜市考古資料館の2Fには,クマとシカのはく製がありました。エレベーターの扉が開くとビックリするかもしれません。他にも見どころがありましたが,実際に訪れて発見してみてください。楽しみやワクワク感を奪いたくないので。

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