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ひろ

一宮城 (2021/02/23 訪問)

さくらがキレイでした。

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ミッピのパパ

コロナ渦 初の登城 (2021/01/04 訪問)

今年も続くコロナ渦、2021年 最初の登城。雪が残り私たち以外に来場者はなく、資料館の中も寒々してスリッパの足がとても冷たかった。城のジオラマが、在りし日の立派な城の姿、規模を想像させてくれた。

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響ちゃん

構造は確認出来なかったぽい (2021/02/23 訪問)

車は倉賀野神社に駐めさせてもらうか1㌔程離れた商業施設の駐車場を利用するしかないっぽい

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イオ

技巧的な虎口も藪の中… (2021/01/31 訪問)

室町期に築かれたと考えられますが、文献等には登場せず、城主や歴史など一切が不明です。

新名神・甲南IC近く、大谷池西岸の丘陵地に築かれた城で、丘陵北側の頂部に主郭を設け、南側の尾根続きには村雨城があります。村雨城を主郭とし、寺前城を副郭とする別城一郭の城とも考えられるようです。

主郭は東辺を除く三方を高土塁がめぐり、北部と北西部に虎口があります。どちらの虎口も主郭北部の横堀を土橋で渡り、進路を屈曲させるなど技巧的な造りになっています。二つの虎口は北西部の櫓台(状の土塁)のあたりで合流して城外に通じていたようです。この北西部が大手口だと思われますが、この日は村雨城から登城しましたので、主郭南下の深い堀切と、主郭南辺土塁外周の堀切の土橋を越えて主郭に至りました。しかし、お隣の村雨城の主郭内は笹がきれいに刈られていましたが、寺前城の主郭は藪に沈んでいました…。虎口などはよく整備されればなかなか見応えがあると思うんですけどね。

それにしても、主郭の東側には土塁がなく、大谷池に面した削平地が広がるだけですが、大谷池は近世に用水池として整備されたもののようですし、やはりその際に改変されたものなんでしょうか。
 

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ひろべえ

有馬氏21万石の居城 (2019/05/03 訪問)

田中氏改易後に入部した有馬氏が70年もの歳月をかけて大改修した城というだけあって、高石垣は素晴らしかったです。筑後川を堀に生かしたという縄張り。本来であればもう少し広大な筈ですが残念ながら遺構が本丸しかないのが勿体ないですね。あと本丸直下に契約駐車場が・・・。もっと遺構を大事にして整備できれば素晴らしい城郭だと思います。

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pascal

実在した忍者で最強! 藤林長門守城➡城びと未登録 三重県伊賀市湯船 (2018/10/15 訪問)

先日youtubeで『実在した最強の忍者5選』という企画がupされていて、意外にも藤林長門守が1位にランクされていました。
こうした類の企画にしては、背景誤認や名前の誤読もなく、up主はよく勉強されてるなと感心しました。

【アクセス(車)】
三重県伊賀市阿山から滋賀県甲賀市甲賀町和田に抜ける県道51号の、ちょうど県境にあるのが藤林長門守城です。
路駐スペースには困りませんが、道沿いに看板等は一切ありませんので、N34.8657 E136.2134 この数値が頼りです。

【城の歴史】
 藤林長門守正保…と伝わりますが、この人は伊賀三上忍で最も資料の無い人で、生涯が謎に包まれています。
その為に、世間の認知度はイマイチですね。
ただ、伊賀と甲賀双方に多くの配下を持つ豪族だったのは間違いない様で、居城とされる城址の周囲には、子孫と思われる“藤林姓”の方がたくさん住まわれています。
 
 天正9年(1581)の第二次天正伊賀の乱では伊賀衆を指揮して、玉滝口から侵攻して来た蒲生氏郷、脇坂安治の軍を雨乞山砦で迎え撃ち、次いで田矢伊予守城に転戦して、ここで戦死した事になっています。
この後の戦いはバトンタッチしたみたいに百地丹波守が指揮を執った事になっているのです。

【見どころ】
 緯度数値の場所に城の石標が建ち、少し離れて供養の祠が有ります。
その背後の丘が城址で、伊賀の城ですから居館ベースの小規模なものですが、藪化が進んでいて、細かい遺構の確認は困難でした。
それでも尾根に沿って三つの郭の存在が確認できます。
 城址近くの見通しの利く高台からは、伊賀盆地一円が見渡せて、地域に大きな影響力の有る上忍だった事を伺わせます。
さらに城址の北側は、道路一本へだててもう滋賀県(甲賀)であり、すぐ間近に甲賀の人々の暮らしが有ります。
伊賀と甲賀…国や流派の違いで切り離せない、密接な人の繋がりを実感する景色です。

【感想】
 藤林長門守と百地丹波守は同一人物説が有りますが、記録を残さない忍者の口伝とは別に、寺の過去帳に根ざした信憑性の高い説なんだそうです。
 伊賀と甲賀の忍者は、江戸時代には共に“同心”として幕府に雇われ、諜報活動に従事した様です。
彼らを指揮したのはご存知“服部半蔵正成”でしたが、正成の子の政就が服部半蔵を継ぎ、同心支配役になると、服部家に対する彼らの忠誠心の低さ、確執が表面化して、政就は罷免されてしまいます。
どうやら、正成の時代には、正成を援け、忍者達を陰で束ねて操っていたフィクサーが居たのかも知れませんね。

 記録を残さない伊賀忍者でも、忍術を書物に残した人が居ます。
延宝年間(1673-81)編纂の『万川集海』著:藤林佐武次保武 がそれで、長門守の子孫(ひ孫?)と言われる人ですね。
それによると、忍者の心得とは
『人の知る事なくして巧者なるを上忍とする也 音も匂いもなく、名を知られる事もなく、勇名もなし、その巧天地造化の如し』
だそうです。

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前ちゃん

高石垣 (2021/02/23 訪問)

高石垣

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前ちゃん

藤堂家支藩久居陣屋 (2021/02/23 訪問)

jcom歴史街道でやってたので、行ってみた。結構駅から、遠いのね(徒歩30分)久居中の一角

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橋吉

丹下砦 (2021/02/20 訪問)

今川方の鳴海城を取り囲む形で、織田軍は丹下砦、善照寺砦、中島砦を築きました。
鳴海城の後、この3つの砦を徒歩で訪れてみました。

丹下砦は鳴海城の400m程北にありました。
信長公記によると桶狭間合戦の時、熱田神宮で戦勝祈願をした信長が最初に入った砦が丹下砦になっています。
光明禅寺の裏側が丹下砦といわれています。

寺の東にある民家のガレージに案内板が設置されていました。

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あるびの

水戸城 (2021/02/23 訪問)

梅の見頃になった偕楽園と水戸城を見学。

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くっしー

平日は入れないのわかったいましたが… (2021/02/22 訪問)

この城びとの投稿を見ながら城攻めやっているので、わかってはいたのですが、

近くまで来て、アプリの「ニッポン城めぐり」で石高と100貫が稼ぎたくてやってきました。

竜泉寺が由来のあって、美しく素晴らしいお寺ですね。

駐車場に周辺の史跡マップの載った看板がありました。また時間があれば行きたいなと思います。

模擬天守は境内の奥にあって資料館(宝物館)になっているみたいですね。

蛇足ですが、猫がたくさんいました。なんか、それ目的で写真を撮りに来てる人がいました。

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くっしー

天守はレストラン (2021/02/22 訪問)

公園になっているので遺構は残っていないのかと思ったのですが、

土塁を伴った曲輪が残っていますね。

その曲輪(本丸)の横に説明看板がありました。

まあ、よく今まで残っていたなあ~という感じですね。それなりに楽しむことができました。

隣に模擬天守がありますが、レストランです。旭城という名前が付けられてるみたいですね。

公園に駐車場があり、8:30~21:00まで駐車できるようです。この情報が城巡りをしていると重要ですね!

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todo94

墓地と化してる (2021/02/11 訪問)

牟岐八幡神社に駐車し、ここから続いている遊歩道のごとき道を進んでいくと、曲輪とおぼしき平地には墓が点在していました。主郭とおぼしき山頂には観音堂と忠魂碑が建ちます。ここから海蔵寺へと下っていきましたが、完全に墓地となっていました。麓には二十三士滞在の生田家がありました。

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昌官忠

利根川沿日帰り攻城②:神崎城➡城びと未登録(千葉県香取郡神崎町) (2019/05/27 訪問)

高岡陣屋から転戦。車5~6で分くらいで着きました。
わくわく西の城(35.894508、140.399265)に路駐して説明板の写真を撮った後、神宮寺へ移動。
神崎町消防団消防機具庫前(35.894560、140.402387)に駐車して神宮寺付近を散策。

神崎城は千葉氏の一族である神崎氏の居城として知られています。
東の城、中の城、西の城で構成された一城別郭の城で、さらに小松城、田向城も出城として機能していたと思われます。
現在城址には遊歩道が整備されており、東の城、中の城では土塁や空堀などの遺構を確認することができるそうです。
また西の城跡には「わくわく西の城」という公共施設が建てられています。

中の城➡東の城付近を散策すれど遺構はわかりませんでした。
攻城時間は25分くらいでした。

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昌官忠

利根川沿日帰り攻城①:高岡陣屋➡城びと未登録(千葉県成田市) (2019/05/27 訪問)

JAかとり駐車場(35.880116、140.357865)に路駐して攻城しました。
三峰神社前のスペースにも駐車可能です。

高岡藩は1638年(寛永15年)の「島原の乱」の鎮圧で功をあげた旗本、井上政重によって1640年(寛永17年)に立藩されましたが、このときは定府大名であったため陣屋は置かれませんでした。
ちなみに政重の江戸屋敷は多くの宗徒が裁かれ処刑されたことから「切支丹屋敷」と呼ばれていました。
政重は1660年(万治3年)に、加齢を理由として家督を井上政清に譲って隠居する。
政清の次男である第3代藩主・井上政蔽(まさあきら)のとき、高岡に陣屋が築かれると(高岡陣屋)、以後明治に至るまで井上氏によって治められました。
現在陣屋跡はJAかとりの敷地となっており遺構は残っていませんが、三峰神社の鳥居脇に 「高岡陣屋之蹟」の石碑が建てられています。
また下総歴史民俗資料館に復元模型が展示されているそうですが、自分は行っていません。

周辺をブラブラしましたが、石碑以外あるとされる堀跡は見つけられませんでした。。
攻城時間は10分くらいでした。

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前ちゃん

前田家の城といえば (2021/02/22 訪問)

前田利家の城。信長に認めてもらい、ここから始まった。銅像は荒子駅前

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前ちゃん

信長降臨 (2021/02/22 訪問)

信長生誕?の地と言われてる

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ふゆづき

蒲生の城 (2021/02/21 訪問)

蒲生氏郷の松阪城を朝早くに訪問しました。
松阪駅からは徒歩約15分くらいの場所にあり、城の周囲には同心町、御城番屋敷など城下町を思わせる地名が残っています。
城の石垣は蒲生氏が城主であった頃に築かれたらしく、天然石が多く使われた野面積みですが、江戸時代に一部修繕したと思われる石垣にはキチンとした算木積みが見られます。
天守台が角にある本丸は比較的高い位置にあるため、石垣の高さは結構なものがあるように思います。
攻城時間は城の周囲の散策を含めて約90分程度。
城内には、本居宣長の神社と記念館が置かれています。
この地域は、江戸時代には、和歌山藩の傘下にあったため、城の近くには和歌山街道が通っていますが、和歌山からの距離を考えると直接統治は難しかったのでは無いかと思わされます。

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AJ

事件は現場で起きている (2015/10/13 訪問)

東京・台場の海浜公園をゆっくり散策。防波堤を渡ると、突如目の前に砲台や弾薬庫跡が表れます。

1853年、ひとまずペリーを浦賀から立ち去らせた幕府は再来航に備え、品川沖合に台場築造を決定。伊豆の韮山に大砲鋳造の反射炉を造った江川太郎左衛門英龍の指揮のもと、1年余りで5基を完成させますが、財政難の折、日米の和親条約も結ばれて計画は中止。今は2基が残っています。

ちなみに、この砲台建設をめぐる会議の様子が埼玉の川越城内に再現展示されています。中心にいるのは藩主・松平“知恵伊豆”信綱。それにしても、江戸前の現場から随分と離れたところで話し合ってますね。

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