センター南駅から徒歩で10分でした。非常にきれいに整備された城址公園になっており、表示版等も分かりやすくなっております。センター南なんていう大都会の、すぐそばにこんな緑豊かな公園があることも驚きです。御城印が購入できる横浜市歴史博物館が、すぐ近くにあり、一日中、歴史に浸ることができます。自分の攻城時間は1時間でした。
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2025/11/23 19:57
2025/11/23 15:20
2025/11/23 15:16
2025/11/23 15:12
岩櫃城 (2025/11/16 訪問)
続82城目。
JR群馬原町駅から歩いて30分程度で入口の観光案内所に到着できます。
駅内にそこまでの地図がありますので徒歩の方は必ず持っていくことをお勧めします。
この観光案内所から30分程度で目的地に登城できます。熊の心配もありましたが、日曜日だということもありけっこう人出が多くて安心しました。ちなみに他の方々も熊鈴をもっていましたが、けっこう大きくあちらこちらで鈴の音が響き渡っておりました(笑)
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2025/11/23 12:21
2025/11/23 12:07
2025/11/23 11:48
にのまるさんへ、クイズの答え
にのまるさんのクイズの答え・・分かりません降参です。
味噌煮込みうどんは名古屋の名物、三河八丁味噌を使用、このうどんは山本屋のみそ煮込みでは有りません。
大餡巻は、知立の名物で、豊橋にも大餡巻の名店が有りましたが、この店はどの駅かは分かりません。
又、私の城探訪は基本的に車を使用して探訪して居ますので、電車などを活用しなく、駅に寄る事も有りませんので、情報は不案内です。
私以外どなたかに変わって答えて貰った下さい。
2025.11.23.11:48
静岡県のカズサンより
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2025/11/23 10:55
雲仙普賢岳絶景の深江城 (2025/10/27 訪問)
雲仙市山田城、島原市東空閑城を終えて島原半島未踏城廻り第4弾は東空閑城に次いで南島原市の深江城へ、東空閑城から有明海側島原半島を国道251号線を島原方向へ途中島原城を横目でチラッと見て約18km程南下して須ノ崎交差点を山手北側へ県道133号線を進行約600m程の所左手に、深江城跡石碑と説明板が有る。
駐車場:無し、石碑、説明板手前の幅広路側帯に路駐。
参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
眼前北西山手は雲仙普賢岳の雄姿が迫って来る絶景の地、火山積層の地に浸食された先端に立地してる模様、石碑の位置がグーグルマップ史跡深江城跡に当たる、城郭放浪記さんの史跡位置は石碑の西約150m程の民家辺りのポイントを指している、出丸と言われてる熊野神社は石碑より通りを下って50m程、熊野神社を訪ねて、段丘より降りて城郭放浪記さんの深江城本丸?ポイントを訪ねてみる、畑やビニールハウス、民家石垣と成っており遺構は良く分からない、民家側石垣段を登って辺りの様子を見ながら西より石碑位置に帰るが遺構らしきものは見当たらない。
歴史は
深江城は南島原市深江町一帯を治めていた安富氏の居城、鎌倉時代に地頭に着任。
南北朝統一後も島原半島豪族は探題方と宮方に分かれて対立していた、安富氏は探題方に属し、有馬氏とも対立していたが、やがて強大な勢力に成った有馬氏に服属。
天正12年(1584年)の沖田畷の戦いでは、安富氏は有馬氏を離れ龍造寺氏に味方したため、深江城は有馬・島津軍に包囲され、籠城戦になりました。籠城中、沖田畷で龍造寺隆信が戦死すると、安富氏は城を脱出し、現在の佐賀市水ヶ江町に去って行きました。(説明板一部抜粋)
雲仙普賢岳麓にある風光明媚な景勝の地に石碑がひっそりと佇んでいます、有明海も見下ろせゆったりとした心地よい場所でした。
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2025/11/23 08:05
2025/11/23 07:26
かるた読み札♪
遅くなりましたが赤色立体地図かるた、読み札拝見しました😊
2つも選んでいただきありがとうございました✨
皆さんの真面目な作品の中申し訳ない感じです。
また、朝田さん、にのまるさんよりお褒めいただき嬉しく思います。
でもこれ、お二人のお陰でひらめいたものでもあります。
新高山城はにのまるさんのレポートのオマージュ、2つセットにしたのは朝田さんの「たかとりじょう」の作品をヒントにしました。
せっかく選んで頂いたので12月にセットでの登城を考えています。
今年も横浜には行けませんが大会が(あれば)盛り上がることをお祈りします。
本当は前回との連作で小田原城の選出を予想してました・・・
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2025/11/23 05:50
2025/11/23 05:33
文京区立柏学園 (2025/11/22 訪問)
文京区立柏学園の敷地となっていますが、2013年に閉鎖となったため現在は立入禁止です。門の外から土塁を確認することができ、写真を撮って退散しました。
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2025/11/23 05:24
2025/11/23 05:15
2025/11/23 04:32
佐賀城 (2025/11/22 訪問)
クラブツーリズムのツアーで行った
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2025/11/23 04:29
吉野ヶ里 (2025/11/22 訪問)
クラブツーリズムのツアーで行った
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2025/11/23 01:14
会社休暇取って福島県の城を攻めて来ました⑤白河小峰城 (2025/11/12 訪問)
スペーシアX・リバティ会津その他を乗り継いで会津若松入りし、レンタカーで福島県の城(会津若松・向羽黒山・二本松・三春・白河小峰)を攻めて来ました。その⑤白河小峰城
白河小峰城は3度目。前回結構じっくり見たので、もう見なくていいやと思ってましたが、清水門の再建工事が行われていました。さすがにカバー(?)で覆われていて中は見えませんでしたが、今しか見られない光景が見られました。
ただ、御城印や百名城カードを販売している二の丸茶屋が【冬季だけ】水曜日定休となっていて、御城印は白河駅の観光案内所で販売していましたが、秋限定の御城印がもう無いとの事でした。無くなるの早すぎだろ(怒)
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2025/11/22 20:13
カズサンさん,大正解です🎉 (2025/08/10 訪問)
「槍」で正解していただけて,安堵しました。
ヒントですが,「槍」でダメなら「守」「綱」で考えておりました。それでもダメなら「どこかに『の』を挿入して続けて読んで」と…<笑>。
いろいろな方が,槍の半蔵や渡辺守綱を語られているので,私からは割愛させていただきます。
この日は,すぐ近くまで線状降水帯が接近しており,このアングル撮影中に土砂降りとなりました。移築門も含めて周辺の散策は断念しました…。
さて,次はにのまるさん,お願いします。もしかして,名護屋城向かってますか…?
私はすでに福祉関連の予定が入っており,名護屋城欠席です。
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2025/11/22 15:03
(2/2)八代城と松井興長 (2024/11/14 訪問)
八代城の続き(2/2)です。
1632年加藤家改易後は、豊前小倉藩主の「細川忠興」が肥後へ入りますが、その時に家督と熊本城は子の「忠利」に譲り、忠興はこの八代城に入って隠居します。忠興死後は、筆頭家老の「松井興長」が城代として八代城へ入ります。そしてこの頃に、本丸御殿を含めた城全体がほぼ完成したようです。
松井興長と言えば🤔?・・・そうです! あの巌流島で決闘をした宮本武蔵が、小次郎の弟子たちから襲われる所を、鉄砲隊で護衛し自らの領地で匿った・・あの人物です! 興長は忠興の四男立孝を本丸に入れ、自らは忠興が隠居所としていた北ノ丸に入ります。興長死後の北ノ丸は松井神社となり、興長は今もここで祀られているそうです(写真⑥)。
松井神社の西隣には、興長の孫(三代)直之が建てた「松濱軒(松井文庫)」が立派な庭園とともに残されていました(写真①-⑤)。そこには、興長が「小次郎を倒した木刀とはどのような物であったのか?」と問うたので、武蔵は「このような物です」と同じものを自ら削って再現し興長へ渡したと伝わる物や、武蔵が興長に宛てた手紙や、武蔵が書いて送った「戦気」の掛軸など、興長と武蔵の親密な関係を示す資料が展示されていました(撮影は禁止)。
続100名城スタンプは松濱軒の向かいにある「お祭りでんでん館」にありました(写真⑦)。また八代市博物館で復元模型を見たかったのですが、休館中(26年3月まで)で見る事ができず残念でした。
帰りは市役所前から、巡回みなバス(今度は左回り)で新八代駅へ戻りました。帰りのバスまでまだ30分あり、目の前の市役所1階ロビーで八代市が生んだスーパースター「八代亜紀」のギャラリー展があっていたのでちょっと覗いてきました(写真⑧)。それを見たら、晴れているにもかかわらず、帰りのバスの中で「雨雨降れ降れもっと降れ~♪、私のいい人連れてこい~♬」と口ずさんでしまい、隣に座っていたおばあちゃんから笑われてしまいました(😩~)。
今夜は新八代駅前に宿泊し、次は新八代駅から(佐敷城)を目指します。
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2025/11/22 14:25
東空閑城はヒガシコガジョウと呼称します (2025/10/27 訪問)
島原半島未踏城廻り第三弾は山田城に次いで東空閑城へ、雲仙市役所近くの山田城から国道251号線を島原方向へ以前訪ねた神代陣屋前を通り約20km程走行して信号の無い交差点で店仕舞いのパチンコ店の北を西入りし約40m程の所を南へ川を渡って約100m程の所に坂を登って境ノ松公民館が有り西横の公園エリアに駐車可能。私は川辺りが工事用鉄板で覆われて居ましたので手前の店仕舞いパチンコ店西の駐車エリアに一時路駐。
参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
城跡を訪ねたら丁度夏草葛や小竹に覆われた城跡を3人程で草刈中でした。標柱と説明板を確認撮影し、壕切?確認、少し南側住宅地高台に登って城域を眺める、草刈の人と少し話をして20分程で終了しました。
グーグルマップの航空写真を見ると国道251号線、島原鉄道に切断されていますが、城域が有明海に突出てる様子が窺えます。
グーグルマップに史跡マークには「東古閑城説明板」と成って居ます、現地の案内板は「東空閑城跡空壕」です。
歴史は、東空閑城は有馬氏の家臣古賀越後の居城で古賀城とも言う、城之江川(現在の境の松川)沿いの舌状台地の先端に築かれた戦国時代の平城です。
天正7年(1579年)に佐賀の龍造寺氏に攻められ古賀越後は城を枕に先史したと言う。
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