7【秀吉の播磨平定をたどる②】上月城(亡霊たちの声が・・😱)
(2026/06/11 訪問)
姫路11:25発のJR姫新線の昼間唯一直通の上月行に乗り70分、終点上月で下車しました。駅から上月城歴史資料館(登城口)までは徒歩で15分程でしたが、資料館は平日だったので休館でした😯(土日祝のみ開館)。気を取り直し登城開始します。主郭までは、20分程の軽い登りで到着しました。
主郭からその先の二郭へ行くと利神城までかすかに見えました。そしてさらにその先の日高集落へ下りる道には、大堀切があり何段もの曲輪があちこちにあります。こじんまりした城ながら、かなりの防御が施された城だと感じました。にもかかわらず・・・🤔。
1577年、赤松氏が守る上月城を難なく落とした秀吉は、尼子家再興を夢見る尼子勝久と山中幸盛を入れます。しかし翌年、三木城の別所長治が離反すると、呼応するように毛利軍3万が押し寄せて来ました。尼子軍を助けに行こうと高倉山に布陣した秀吉ですが、すでに毛利の大軍に囲まれているのを見て、手も足も出せません。そして4カ月後、信長の命で秀吉は上月城を見捨て、三木城に向かいます。
秀吉は勝久に城から逃げるよう再三に渡って手紙を書いたそうです。しかし勝久と幸盛は、秀吉の援軍がここまで来るのを信じて、あくまで籠城を続け死守しようとしたようです。それは何故だったのでしょうか?
今日も最初から最後まで誰にも会わなかったので、再び主郭に戻りポツンと一人でベンチに座って考えていると、急に風で木々がざわつき始め、気温30度にもかかわらずひんやりとした冷たい風が吹き、何やら木々のざわつく音が、嘆き苦しむ亡霊たちの声のように聞こえて、背筋がぞっとしてしまいました(😱~!)。そういえばここは、何百人もの人々が磔(はりつけ)や串刺しにされ、尼子勝久とその家臣たちが切腹し亡くなった場所だったのですね。
主郭からわずかに見えた木々の隙間から、秀吉が布陣した高倉山が見えました。大河ドラマでは、秀吉があそこから土下座をして詫びていたシーンがありました。その秀吉軍が去り、尼子家再興の夢が破れた勝久は、どんな思いでここからあの高倉山を見つめていたのでしょうか?
帰りは姫新線の姫路行直通がなかったので、15:25発の作用行に乗り、作用で智頭急行に乗り換え、上郡・相生・山陽線経由で姫路へ戻りました。接続が意外とよく80分で戻れました。姫新線は本数が少ないのでこのルートもありかもしれません。
次は官兵衛ゆかりの地、小寺氏の御着城へ向かいます。
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