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しんちゃん

森忠政 (2025/10/12 訪問)

津山城は慶長8年(1603)に森忠政が18万6千石で入封したころから築城が行われ13年の工期を経て完成に至りました。古写真を見ると五重(忠政本人は四重と主張)の天守を始め多数の櫓が石垣の上にひしめき合っていて実に勇壮です。残念ながら明治の廃城令によって城の建物は破却されてしまいましたが平成17年に備中櫓が木造で再建されました。
備中櫓以外は本丸の太鼓塀ぐらいしかありませんが、石垣は健在です。石垣だけでも十分に凄い城ですね。

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しんちゃん

豊臣兄弟ゆかりの地 (2026/10/12 訪問)

鳥取城といえば「餓え殺し」で有名ですが、秀吉びいきの私としては秀吉が鳥取の人に恨まれていないか気になる所です。ガイドさんに聞いてみたところ、それほど嫌われてもいないようです。先日も大河ドラマに先立って秀吉役の池松壮亮さんのステージトークが行われ、好評だったようです。なるほど・・鳥取県の皆さんは寛大でいらっしゃる。
話が弾んだので御城印を三枚まとめてゲットです。ガイドさんの詰所には二の丸三階櫓の段ボールの模型があります。シンプルな構造だけど、そこが潔くて良い。今のご時世だと再建は難しいかな・・元々その場所に建っていたいたものだし、当時の技術で再建してほしいものだが。

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カズサン

植生整備業務中一部奇麗に成って居ます (2025/11/26 訪問)

 二俣城と鳥羽山城が令和8年1月23日まで植生整備業務継続中で、景観整備の為、灌木、藪の伐採草刈り、樹木の剪定などの作業を実施居ています、土日は休みでの様ですが普段は何処かで作業中。
 11月26日に今年の紅葉は如何かなと訪ねた折り、伐採、草刈されて二俣城本丸北土塁の北側の法面、腰曲輪?が奇麗に地肌を出し良く観る事が出来ました、本丸北土塁の北側法面に曲輪が在るとは思いもよりませんでした。北側の第4堀切側からと本丸北土塁上から見える範囲を眺めてきました、上から、横から腰曲輪?に降りたい衝動にかられましたが道も無く、誘導ロープも無く危険ですので無謀な事はしません。
 撮りました写真を投稿します。
 来年の1月24日以降であれば奇麗に景観整備、植生整備された二俣城を見る事が出来るでしょう。鳥羽山城も同じく。
      

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朝田 辰兵衛

続・おつりの出るバス初体験…🚌 (2025/10/12 訪問)

横須賀城の復路でバスを途中下車。馬伏塚城に立ち寄りました。おつりの出るバスは紙幣でも大丈夫なのか,疑問にかられました。おそるおそる「北里柴三郎氏」を手に取り,確認しました。バッチリOKでした。
ここで疑問が…。新500円玉や新紙幣に対応できるなら,なぜICに対応させないんだろう?

馬伏塚城ですが,しりとりを思い出します。「ま」の連鎖をクリアする貴重な手札。それまでは,存在すら知りませんでした。地味に佇んでいるところが,なんともシブイ味を出しています。

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イタさん

良く整備された大きな公園 (2025/12/02 訪問)

大磯城山公園は広く、国道を挟んで、旧吉田茂邸地区と城址があったとされる旧三井別邸地区に分かれる。ちなみに「しろやま」と読んでいたが、「じょうやま」でした。関東が上杉氏・長尾氏などの争乱時期に城としてあったようだが、吉田茂邸側も捨てきれない意見がある。公園内は紅葉が見頃で多くの人が散策をしている。

管理事務所から階段を上がれば、狭い尾根で如何にも堀切を思わせる。右先には尾根下に木橋が架かり、渡ればこんもりとした地形がある。戻り登れば正面に展望台見える。ここが本郭ともあったようだ。展望は良いが画像がほぼピンぼで使えない。奥にひかり広場と言われる広い平坦地があり、郭跡ではと言われる。端は一段高くなって眺めはよい。見過ごしかも知れないが、事務所そばの堀切状の辺りが城跡の雰囲気があった。

旧吉田茂邸跡に寄ってみました。入口から兜門を潜れば手入れされた庭園が広がる。池(中池・心字池)を中心とした庭ではないようだが。管理休憩棟の前には葉巻を咥え、羽織袴姿で杖を持つ、吉田茂像のイメージ看板が立っている。邸宅は庭園より高い場所に建つ。休館日で見学できず。

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ダイエティシャン

岩山城遠景 (2025/12/01 訪問)

尼子氏家臣の多胡辰敬の居城。多胡辰敬の兄弟に、尼子国久正室。娘は亀井これのりの母(以上WikiPedeia)
島根県大田市のお城を目指しましたが、お寺の私有地近くを通るためと、地元でも殆ど登る人がいないと聞いたので、攻城出来ず。大田市の極楽寺の辺りの道に登城路があるそうです。

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生誕500年記念 松平広忠―松平家八代 波乱の生涯― (2025/12/04 訪問)

 三河武士のやかた家康館で「生誕500年記念 松平広忠―松平家八代 波乱の生涯―」という企画展が開催されていたので行って来ました。松平広忠は徳川家康の父として知られています。守山崩れで父清康が亡くなったのは10歳の頃でした。その後、一族の覇権争いにより他国へ逃れ、今川氏、吉良氏の後ろ盾で岡崎城へ復帰しますが、三河へ侵攻する織田氏と戦い、17歳のときに生まれた竹千代(徳川家康)は人質に取られ、妻於大の方とは離別するなど24年間の生涯は波乱に満ちたものでした。最後も病死、岩松八弥に殺された、一揆により殺害されたなどいくつかの説があります。以前より家康の父松平広忠、祖父清康には興味があったのでぶらりと訪れてみました。
 もちろん岡崎城も登城しています。夏にも来ましたが、いつ来ても楽しく散策できます。

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つば九郎

神奈川県の城巡り 荻野山中陣屋 (2025/12/03 訪問)

車で攻城しました。城址となっている山中藩陣屋跡史跡公園には無料駐車場があります。それほど大きな公園ではないですが、きれいに整備されておりました。交通量の多い道から出入りすることになりますので、運転は、ご注意ください。攻城時間は20分でした。

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つば九郎

神奈川県の城巡り 七沢城 (2025/12/03 訪問)

車で攻城しました。車は七沢リハビリテーション病院の第4駐車場が1台も停車されていなかったので、停めさせていただきました。見城は、いつか行かせていただき、今回は病院周りだけで、終了しました。攻城時間は20分でした。

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つば九郎

神奈川県の城巡り 糟屋館 (2025/12/03 訪問)

車で攻城しました。車は太田道灌の墓がある洞昌院に停めさせていただき、城址とされる産業能率大学に徒歩20分かけて向かいました。発掘調査が行われている大学の駐車場は、まだ調査が続けられているようでした。太田道灌が殺害された場所として知られている館ですし、ぜひ洞昌院のお墓も訪ねられると良いのではないでしょうか。攻城時間は徒歩込みで1時間でした。

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つば九郎

神奈川県の城巡り 波多野城 (2025/12/03 訪問)

車で攻城しました。車は源実朝公御首塚がある秦野市田原ふるさと公園の駐車場に停めさせていただき、城址までは徒歩20分かけて向かいました。城址までの道のりは、スマホの地図を使い、曲がり角には案内表示もあり、割と迷うことなく到着しました。首塚も、ぜひ併せて訪ねてください。攻城時間は、往復の徒歩込みで1時間でした。

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カズサン

初登城久玉城念願叶う! (2025/10/28 訪問)

 今回の鳥取城スタート九州一周城探訪の5日目、天草島の再登城富岡城、初登城河内浦城を終えて国道266号線を南南西へ直線12.3km程、経路で約15km、久玉城を目指す。
 久玉城は15年前富岡城の後に初登城を狙っていたのですが、鹿児島出張中でも有り行き帰りの三角経由時間を考えると断念(その当時フェリー航路の考え頭に無し)しました、今回は牛深港からのフェリーとしました、がフェリー16時半を考えて棚底城はショートカット断念しました。
 久玉城は城郭放浪記さん歴史読本記事で以前より認知はしており何時かはと考えて居り、今回の肥後探訪では陣ノ内城、富岡城、河内浦城と企画に入れて初登城を叶えました。

 駐車場:特に無し、隣接の無量寺墓場前の国道266号線西側幅広路側帯に路駐、数台可能
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 路側帯路駐場所より南へ20~30m程に石垣上に史跡久玉城跡碑が在り更に南にスロープが有り久玉城跡大手口へ大手口は館跡?井戸、標柱、久玉城跡説明板があるが経年変化で文字写真図が薄く成って居る、奥へ進むと道が分かれて主郭東下段?谷筋奥に進み廻り込んで主郭枡形虎口より主郭へ、広く西端には高石垣が有る様ですが、上から見るだけ、傍まで樹木が茂り高さを実感する事は出来ず、主郭南東下に石垣が残存する馬出の様な虎口、そこを降りず主郭奥の2段3段4段奥へ最上部には北端に土塁、2段3段の間にスロープ土橋と切岸が見える。主郭南東下の馬出?虎口を降りて石垣の残存部を見て置けが良かったと帰って気付く。まぁ~久玉城に初登城した事で満足です。

 歴史は、久玉城はこの地方の領主であった久玉氏によって築かれた城と伝わる。久玉氏は16世紀後半に河内浦を居城とする天草氏の傘下に入ったと考えられる。久玉氏領主のキリスト教導入に関して一族内紛があるも、関ケ原後、天草は唐津藩の寺澤氏の飛地領となり、久玉城は寺澤氏によって大改修されて高石垣などが残って居る、江戸時代初期の絵図「慶長肥後絵図」に描かれた久玉城は天守風の櫓が表現されている。(現地久玉城跡説明板による)

 久玉城初探訪を終えて牛深港へ、ハイヤ節の故郷、日本海の港々にハイヤ節を伝播していった大元がここです、よく祖父も俳句と民謡、ハイヤ節も(メインは貝殻節ですが)唄っていましたし、教えてもらいましたが忘れてしまいました。
 16時40分発のフェリーで鹿児島県長島町蔵之元港へ船上約20~30分程、東シナ海に沈み夕陽が奇麗でした。2時間の地道で鹿児島市内ホテルへ、途中無料高速道も有り割と早く着きました。

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トク

【とことん名護屋城-①】出張お城EXPO(名護屋城大茶会) (2025/11/23 訪問)

九州初開催の「出張お城EXPO名護屋城大茶会」へ行ってきました。九州にもお城好きがこんなにいたとは本当にびっくりです。いつ来ても誰もいなかった天守台や本丸に、今日は大変多くの方々が訪れていました。普段は秀吉も嫌がったという程の強風が吹く名護屋城ですが、この日は風もなく穏やかに晴れ渡り、絶好の天気にも恵まれました。

本丸では、高橋英樹さん・久保井朝美さん・平山優先生による楽しいトークショーや、博物館では小和田哲男先生・平山優先生・宮武正登先生による講演にも全て参加させていただき、新たな発見による名護屋城の魅力を教えていただきました。ありがとうございます。(その内容は後ほど)

私が思うに、横浜などのEXPOと名護屋城出張EXPOとの大きな違いは、入場料はなく無料、博物館も無料、冊子やパンフレットも無料、唐津からの長距離臨時バスも無料、臨時駐車場と会場を結ぶシャトルバスも無料、トークショーの一部を除き全て無料です!(😱~)。大赤字になるのではないかと心配する程ですが、どうやら佐賀県が全面的にバックアップし、大勢の町民や佐賀県民の参加(県知事も参加)による地元ボランティアの方々の協力で、このEXPOは成り立っているように思いました。このように地元と一体になって無料で楽しめるお城イベントは他にないのではと思い、大変すばらしい運営だと感じました。

この後、各先生方の講演を聞いた後は、その中から気になった場所を、とことん探検していきたいと思います。(タイトルがイオさんのパクリですいません)。

次は、平山優先生の講演の中から、気になった場所を訪れます。
 

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赤い城

茶臼山城、六車城 香川県さぬき市 (2025/11/22 訪問)

いずれも城びと未登録城です。
遠征しない時には近場のマイナー城をぶらついてます。
もちろん参考は城郭放浪記さんのサイトです😊

茶臼山城
四国最大の前方後円墳である富田茶臼山古墳を利用した城です。
古墳は国史跡となっています。
隣接する公園に駐車場があり車を置きます。
古墳に沿って走る道路から見上げたあと鳥居をくぐって登城、円の部分の頂上には祠があり、説明板もありますが城の記載はありません。
寒川氏の城ですが陣城などの一時的な利用だったようです。

【見どころ】
 ・古墳

六車城
茶臼山城から徒歩で20分、雨滝城主安富氏の家臣、六車朝満の居城とされます。
天神神社と隣の藪が城跡でその間が堀切のようです。
藪にも突入しようと思いましたが藪が濃いのとおそらく私有地なので自重しました。

【見どころ】
 ・天神神社横の堀切

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カズサン

発掘調査され城跡公園整備 (2025/10/28 訪問)

 城郭放浪記さんの昨日のトップ10を毎日閲覧、未踏の城はページを開いて確認調査し、河内浦城もヒットした城で何時かは訪ねたいと思っておりました、今回の鳥取城をスタートし九州一周10日間の5日目、肥後の陣ノ内城を初登城、天草島の富岡城復元の大手門跡石垣、復元百間土手石垣白長塀を初探訪し山頂の二の丸復元西と東櫓、長屋(資料館)は初対面、本丸などは二度目の再登城して、直線で南へ約23km程、経路で県道山道を約30km程の河内浦城跡を目指し隣接の天草市総合交流施設「愛夢里」へ到着。海沿いの国道389号線経由が無難と思います。

 駐車場:河内浦城跡東麓の河内浦城跡資料展示館隣接の駐車場利用
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 河内浦城は平成元年第一次発掘調査、平成三年第二次発掘調査、平成十二年第三次発掘調査を経て河内浦城跡公園として整備されています、東山麓に案内図、柵列付冠木門が登城入口、山頂主郭まで木道階段で整い大変歩きやすい。
 比高30mの山頂主郭部は発掘調査の結果を櫓跡、各建物跡、東屋、柵列、案内説明板(経年劣化で文字が薄く読みずらい)、主郭部の説明板は経年劣化で文字、絵図が薄く読みずらく写真掲載して居ません、主郭北下には切岸、堀切が良く分かる、南の崇円寺側にも道が見えましたが、来た道を引き返す、尾根道が北に伸びて町道に繋がっている。
 東山麓には河内浦城跡資料展示館が在り黄ばんでいますが資料展示、発掘調査発掘遺物が展示されています。

 歴史:ルイス・フロイス日本史には天草氏の城郭で領内には35の村落と4ヶ所の城郭(本渡城、久玉城、河内浦城、下田城)が在ったと言われる、下田城は町田川を挟んで河内浦城から500m程の山城です。河内浦城と下田城を併せて下田城、河内浦城とも総称される。
 天草国土考によれば天正16年(1588年)に没落廃城したと。(以上は河内浦城跡資料展示館掲示資料による)

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しんちゃん

石垣を上から見れば~

鳥取城を訪問するのは三回目です。8年ぶりくらいになりますか・・月日が経つのは早いものですなあ。
時間の制限があるので山の上までは行けませんでしたが、石垣を堪能することができました。二の丸の登り石垣も良いですが、麓の城の見どころは何と言っても天球丸の巻石垣です。石垣に「はらみ」が出てきたため崩落防止のためにこの形状になったとされていますが、それだけで「こんなん」なる? 「趣味」なのか?
せっかくなので天球丸に登って上から見てみます。う~ん・・Dカップくらい有りますかな?(ボカッ!!)

昨日は暑いくらいだったのに、今日はえらく寒い・・気候変動のせいで頭が少しヘンな感じです。

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小城小次郎

ぽつっと残る土塁 (2025/03/29 訪問)

地元の方ならさらっとよめる「もlちぶく」も意外とさらっと読めない難読地名だと思う。近鉄線路沿いに土塁がぽつっと残っているので探しやすい。ここを北端として周囲の道路と軸線が揃った一辺50mほどの方形主郭があったそうだ。

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いんげん丸虫

稲葉山城 福井県小浜市 (2025/11/23 訪問)

標高140mの山城です。
看板など一切ありません。麓の稲葉観音堂
の右斜め前の谷に入ると左右から竪堀が
伸びてきてます。主に3つの曲輪があり、
要所を堀切で断ち切ってます。北西の長大
な竪堀や北東の20条以上ある畝状竪堀群は
みどころですね。現状は50cm位の凹凸で
写真に撮ってもわかりにくいですが。
好きなタイプの山城でした。

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つば九郎

東京都の城巡り 滝野川城 (2023/09/20 訪問)

王子駅から徒歩15分でした。現在城址は金剛寺となっております。ごくごく普通の寺院となっており、城らしさはあまりないでしょうか。この時は、飛鳥山公園こと飛鳥山城と併せて攻城しました。どうでも良いことですが、滝野川城は自分が生まれた家から一番近い城址であり、小さい頃から良く知っているところではあります。飛鳥山城と併せて攻城時間は1時間半でした。

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つば九郎

東京都の城巡り 渋谷城 (2023/09/06 訪問)

渋谷駅から徒歩15分でした。天下の渋谷駅からも近い場所なのですが、この一画だけ妙にひっそりとしている良い感じのところでした。城址は現在は、金王八幡宮になっております。見どころは、やはり砦の石と言われている石ですかね。
あまりにも、さりげなく置かれているので驚きました。攻城時間は15分でした。

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