伊達政宗「ここは将来、伊達市になるので梁川城を返してください」
上杉景勝「いやです!」
直江兼続「お断りします!」
‥慶長5年にそんなやり取りがあったかどうかは知りませんが、梁川城の投稿です。
古くは文治5年(1189)に伊達氏によって築城されたという説があるようですが、伊達氏3代・義広か4代・政依(1227~1301)のころの物と見られる遺物が発見されており、かなり昔から伊達氏の居城として機能していたようです。豊臣秀吉による奥州仕置によって伊達氏が岩出山城(宮城県大崎市)に移ると、梁川城は蒲生氏の持城となり、後に上杉景勝の持城となって城代として須田長義が置かれました。
慶長5年の関ヶ原の合戦の東軍勝利に際して旧領の復活を望んだ伊達政宗が梁川城を攻めましたが、結局落とすことが出来ず、引き上げたとのことです。かつて梁川小学校が有った場所が本丸の跡で、周囲より小高い位置にあります。南西にはうっすら、土塁が残っているようにも見えます。また東側には庭園が整備された状態で残り、背後に土塁らしきものが残されています。
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