早朝鹿児島城御楼門探訪し朝食後、鳥取城スタート九州一周城探訪6日目は先ず薩摩半島の加世田城を目指す、地道で直線約20km南西方向経路で約38km程、山道成も道は良し。
加世田には仕事で1回、薩摩半島城廻り観光で3回程訪ねていますが、加世田城は何処かなと頭を回らすが辿り着けず、今回地図とナビに入力して順調に到着。(加世田城は?30年で初登城、目的達成)
駐車場:尼ヶ城公園(別府城跡)一段下がった北隣、グランドに成って居る。公園南下にトイレ有。
参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクショングーグルマップに依る。
尼ヶ城公園と東の加世田地区公民館、その上の山に別府神社、佐岐比佐神社が鎮座してる辺り一帯が加世田城/別府城跡だった様です。別府城跡説明板には昭和37年別府城を崩し、校門付近は、半分の高さに残した。と記載されています。
東側の別府神社辺りは余湖図コレクションの俯瞰図では土塁に曲輪が描かれていますが、住宅街で少し踏込ずらく公民館辺りから眺めて終わりにしました。
公園の南西部に加世田開発の領主「別府五郎忠明顕彰碑」と説明石盤が有ります、一段高い西中央に自然石で「別府城跡」碑が立っている、北西に元加世田小学校の校門石柱、沿革史石盤が立っています。その西側に益山用水路まで降りる石階段があり元小学校正門/元城郭の正門かな?石造りの立派な階段です。
歴史は、平安末期、平家の一族、別府五郎忠明は別府城を築き加世田開発の拠点とした。
応永27年(1420年)別府氏は島津氏に降り、薩州家島津氏が加世田の城主となった。その後別府城島津実久は宗家に謀反を起こしたので、日新公は別府城を攻略し、以後加世田は(別府城)は薩摩藩の直轄に成った。
明治36年から53年間ここに加世田小学校があった。
(別府城跡の説明板による)
+ 続きを読む










