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ジェイド

模擬天守は立派だけれど外からの見学のみ (2026/03/03 訪問)

京都駅より近鉄電車にて丹波橋駅で降りて、歩いて伏見城に向かいました。途中福島太夫段差と呼ばれている石垣が続いているところも見学しました。ずっと緩やかな上り坂です。
伏見桃山城は運動公園の中にあり、よって広い有料駐車場も完備された所にありましたが、訪問した際は誰もいなくて寂しい感じがしました。城の内部には入れないために外からの見学のみでした。
帰りに治部池をちょっと見て御香宮神社にて御城印を入手して伏見桃山駅より京阪本線にて大阪に向かいました。約1時間強の行程でした。
模擬天守は想像していたものよりずっと立派でした。

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ジェイド

1時間半強の訪問でした (2026/03/04 訪問)

JR比叡山坂本駅より歩いて回りました。ルートは、坂本駅→聖衆来迎寺→坂本城本丸跡石垣→坂本城址公園→明智塚→東南寺→坂本城址の石碑→びわこ楽園ホテル井筒→JR唐崎駅でした。約1時間半強かかりました。
湖中の石垣が見れなかったのは残念でしたが、聖衆来迎寺では坂本城から移築した門を、城址公園では光秀の石像を見ることができました。東南寺は坂本城の跡地で、びわこ楽園ホテル井筒では御城印を購入しました。

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北近江豊臣博覧会 (2026/03/07 訪問)

 近くまで来たので寄ってきました。羽柴秀吉が築城した城ですが、大坂夏の陣の後廃城となり石垣、資材は彦根城に運ばれ昔の姿を見ることができません。現在の天守は1983年(昭和58年)に、東京工業大学名誉教授・藤岡通夫工学博士の設計指導により建てられた模擬天守です。犬山城や伏見城がモデルのようです。今では長浜市のシンボル的存在となっています。

 長浜市では大河ドラマ「豊臣兄弟」にあわせて北近江豊臣博覧会が開催されています。ついでに「豊臣兄弟!北近江長浜 大河ドラマ館」にも行って来ました。大河ドラマあると地元は盛り上がります。

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熊谷氏の城 (2026/03/07 訪問)

 熊谷氏の居城と伝えられますが、詳細はわかっていないようです。琵琶湖では古くから湖上交通が盛んで湖北三湊といわれた塩津・大浦・海津の湊が発達していました。また塩津と敦賀を 結ぶ深坂越えの塩津道が古くから陸路であり、この地は水陸交通の要所の地でした。
 堀切跡といわれている道路沿いの壊れて下がっているフェンスより登城しています。この日は晴れているかと思うと急に雨が降り出したり止んだりと不安定な天候でした。登城を開始したときには雨が降っていて傘を持っての散策開始でしたが、途中で雨は止み晴れ間が見えるようになりました。また帰りには少し雨が降っているという状況です。曲輪跡はよく残っていて、それなりに楽しめますが、上下の曲輪に移動する時に地面が雨の影響で水分を含んでいて、しかも粘土質の土で滑ってしまい苦労しました。

 JR木ノ本駅よりバスに乗り「道の駅あぢかまの里」バス停下車。徒歩約10で城址に行くことができます。バスの本数は少なく帰りは近江塩津駅まで歩きました。

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シェル

長倉城(茨城県常陸大宮市) 野口城に行ったら長倉城も!! (2026/03/02 訪問)

 城びと未登録ですが、個人的に野口城の周辺で、おすすめのお城なのでご紹介します。
 JR水戸駅北口7番のりば 御前山車庫行のバスに乗車し、野口城の最寄りの「那珂川大橋」のさらに先、「長倉宿」で下車。バス停から登城口まで、北に徒歩10分ほどです。
 長倉城は戦国時代の佐竹氏の山城で、その山麓に近世の水戸藩の陣屋である長倉陣屋跡もあります。野口城同様、市指定史跡となっています。
 登城口は蒼泉寺の東側にあります。看板が設置されているので分かりやすいと思います。
登城口を進むと、すぐに道の分岐があり、分岐点のところに説明板が設置されています。標柱もあったようですが、どうも折れてしまったのか?説明板の裏に立てかけてありました。
この分岐点の左の道が長倉城へ続く道、右の道が長倉陣屋跡に続く道となっています。

① 長倉城(山城)
 長倉城の本郭までの登城路は、木材のチップが敷かれていて、迷うことなく、本郭にたどり着くことができました。(説明板から本郭までは、大体15分くらいです。)
 野口城が堀切なら、長倉城の見どころは竪堀です。本郭の周囲に六本の竪堀が残っています。多くが藪になっていますが、本郭南側の竪堀は見学しやすいです。とても高低差があり迫力満点です。本郭周辺の切岸もかなりの高さになっています。
 本郭北東側には、横堀の遺構も残されています。ここは若干、藪になっており、斜面も急なので、山城装備万全の方のみ推奨です。

② 長倉陣屋跡(山麓)
 長倉城から下山し、説明板の分岐点を今度は陣屋跡の方面へ。説明板のすぐ東側の一帯が陣屋跡です。陣屋と言いつつも、けっこうな広さです。長倉陣屋は水戸藩の水戸徳川家の分枝の長倉松平家が入った陣屋になります。
 けっこう藪が多い状況で、一部は畑ですが、櫓台と桝形虎口の遺構がきれいに残されていて、一見の価値ありです!!

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刻印ツアー最高!

城郭協会主催の大坂城刻印ツアーに参加。刻印って気になってけど重要視はしてなかったけど、面白い。刻印を明確に刻んでる前田家のような武将もいれば、明確に刻まない武将もいる、関ヶ原以降の“現代のサラリーマン的社会”に似た組織においての生き様が現れてるようで楽しかった。

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シェル

二重堀切 (2026/01/15 訪問)

JR水戸駅北口7番のりばから野口車庫または御前山車庫行のバスに乗り「那珂川大橋」のバス停で下車。そこから徒歩10分弱です。
 お饅頭屋さんの隣のツルハの第一駐車場と第二駐車場の間の路地を入り、右に進んで坂を登っていくと、野口城跡の看板があります。
 看板の道を登っていくと、主郭跡に至り、標柱と説明板が設置されています。説明板手前の西側を見ると、5m弱の切岸があります。主郭は太陽光パネルと畑、北側奥が竹林となっています。

 見どころは、①主郭北側の二重堀切と②主郭西側の切岸と横堀、そして③北郭の3つです。

①主郭北側二重堀切
主郭の北側に二重堀切が残されています。
1条目の堀切は、説明板の道を北に進み、主郭奥の竹林を入った先から見学することができます。倒竹が多く、見学は大変でしたが、深さもけっこうあり、見ごたえがありました。主郭の土塁も竹林の中に確認できました。
そして、2条目の堀切は1条目の堀切よりも深く、約10mの深さがある大規模なもので、野口城の最大の見どころだと思います。ただ1条目の堀切から直接行くのは、高低差が激しく危険でしたので、回り道をして見学しました。後述の②主郭西側の横堀を抜けていくと、2条目の堀切の底にたどり着くことができます。

②主郭西側の切岸と横堀
説明板と太陽光パネルの南側に小道があり、そこから道なりに行くと主郭西側の横堀の堀底まで下ることができます。主郭西側の切岸は、なかなか迫力があります。横堀を北に進んで行くと、①の2条目の堀切を見学することができます。

③北郭
②の横堀を進むと、二重堀切の北に行く道につながっています。二重堀切の北側にも曲輪があり、一部は墓地になっていますが、道なりに進んで行くと虎口の遺構が残されています。さらに虎口の先に進んで行くと、道の左側に堀切が残されています。主郭の二重堀切と比べると規模は劣りますが、かなり良好な状態で残されていました。

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ホリタカ

内部は撮影禁止です (2026/02/23 訪問)

大政奉還で有名な、二の丸御殿の大広間は撮影禁止でした。一口城主になると缶バッジがもらえるのですが、その中に大広間がありました!

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Kappa0924

水口岡山城 (2021/04/10 訪問)

登城路、掘割、等よく整備されています

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Kappa0924

垂井城址 (2024/09/17 訪問)

専精寺の一角に案内板、等があります

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送りバント

20171117光岡城(大分県宇佐市) (2017/11/17 訪問)

専用駐車場が城址直下にあり。きれいに整備・復元されていて、単郭を二重土塁・空堀が取り囲む姿を確認できる

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送りバント

20250921上原館(大分県大分市) (2025/09/21 訪問)

大友館から転戦。館敷地の大半は宅地化されているものの、天満社に城址碑・案内板があり、土塁の一部が残る

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チェブ

赤城神社から御殿山城の巻。 (2026/02/28 訪問)

神楽坂で友達と散歩していたら偶然「御殿山城」に着きました。
以前と同様『御殿坂』の標柱を写し、散歩の続きをしました。

この日のメインは、神楽坂でカナルカフェでランチと赤城神社でお参りすること。
カナルカフェは「江戸城」の外堀の水辺にあるお店です。オープン前から行列ができていてテラス席を希望してましたが、私も友達2人も花粉症で辞退しました。

で、次に『赤城神社』。飯田橋駅からそんなに遠くないです。
赤城神社は1300年に群馬県の赤城山麓の豪族、大胡氏が移住して赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりです。
その後、1460年に太田 道灌さんが神威を尊んで、神楽坂に遷したそうです。(元は早稲田田島村)
たしか「御殿山城」は太田 道灌さんの館だったので合点。
そして、現在は隈研吾氏デザインのかっこいい社殿になってます。
木とガラス。写真を写そうとすると、たくさんの人と自分が写り込みます。
それから、狛犬がオカッパ頭で可愛いです。
お守りは女子が好きそうなモダンなデザイン。ゲゲゲの鬼太郎のちゃんちゃんこデザインのもありました。

『赤城神社』は女子の願いを叶えてくれるらしい。

こんな、勘違いから神楽坂散歩を計画しましたが、今と昔を行ったり来たりした「御殿山城」攻め(?)でした。

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カズサン

小・中天守台と本丸編 (2025/10/26 訪問)

 大天守台編の続です。

 大天守台の南側武具櫓曲輪側より大天守台を眺めて東に続く中・小天守台へ、小天守台南東面水の手に落ち込む高石垣を下に覗き込むが高さで足がすくむ、小天守台上にそのまま進行し、小天守台内部、西に向いて中天守台の石垣を見学、北の石段を降りて本丸内部へ、太陽の逆光で小・中天守台の撮影はしずらい。
 福岡城の天守構造は西に大天守閣、中天守閣、小天守閣と東に連なる構えで日本城郭で唯一の形に成っています。福岡城の城郭建物は白壁に黒下見板張りで黒を基調にした建物だったのでしょう。甦った天守閣群を想像すると頭と胸がいっぱいに成ります。
 本丸内部は時期的に桜は紅葉前の葉桜で鬱蒼としており、天守台の発掘調査の関係か人のでは少な目、日曜日ですが閑散としていました、三の丸の陸上競技場側は何かイベントでもあるのか賑わっていました。
 この後は、前から訪ねたかった、幕末福岡藩築城の犬鳴別館へと移動しました。

 福岡城復元潮見櫓探訪撮影投稿し残した写真を4編に渡り長々との投稿をご覧頂きありがとうございます。
 スギ花粉飛散が酷く城探訪を控えて居り、皆さんの投稿を楽しみに見て居ります。
   

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イオ

木幡山伏見城 (2025/08/09 訪問)

関白職を豊臣秀次に譲り太閤となった豊臣秀吉が隠居所として指月の丘に築いた城館を始まりとし、拾(後の豊臣秀頼)が生まれると、大坂城を秀頼に与えて、京と大坂を結ぶ交通の要衝を掌握するために伏見城を大規模に改修、自らの居城としました(指月伏見城)。慶長伏見地震で指月伏見城が全壊すると、直ちに指月の北東に位置する木幡山に再建され(木幡山伏見城)、秀吉は没するまで伏見城を居城としました。秀吉が没すると秀頼は大坂城に移り徳川家康が留守居役を務めましたが、家康が会津攻めに向かうと蜂起した宇喜多秀家や小早川秀秋らに攻められ、守将の鳥居元忠らが勇戦するも落城。関ケ原の戦いの後、焼亡した天守をはじめとする建物を再建した家康は伏見城で征夷大将軍の宣下を受けています。家康が駿府城に移ると松平定勝が城代を務めましたが、大坂の陣で豊臣氏が滅亡したことで徳川氏の畿内の拠点としての役割を終え、徳川家光の将軍宣下を最後に廃城となりました。

木幡山伏見城のほとんどが桃山陵墓地として宮内庁管理になっているため、目にすることができる遺構は限られますが、あちこちにわずかに遺る痕跡をたどって歩いてみました。桃山陵墓地南側の駐車場から大階段を上ったところが四の丸(増田右衛門尉郭)、明治天皇伏見桃山陵の奥が本丸、昭憲皇太后伏見桃山東陵の奥が名護屋丸で、立入調査では本丸中心部に徳川期のものと思しき天守台が確認されているようですが、一般人には一生目にすることはかなわないんでしょうね…。二の丸(西の丸)と三の丸の南裾を通る西参道沿いには伏見城石垣と思われる石材が集められています。廃城の際に淀城や大坂城に運び出されたという石垣石の残りでしょうか。治部少丸の西裾を通る北参道沿いにも石垣の石材が点在し、参道からは治部池と呼ばれる内堀の一部も覗いていました。

治部池を過ぎたところで北参道から東に入ったところが御花畑山荘です。駐車場からかつての伏見桃山城キャッスルランドの大手門を抜けると、五重六階と三重四階の連結式天守がそびえ立っています。キャッスルランドのシンボルとして建てられた模擬天守で、耐震性の問題から内部非公開どころか周囲も立入禁止ですが、外観だけでもこれはこれでかっこいいよなぁ、と。御花畑山荘東隣の徳善丸は野球場、その東の大蔵丸は多目的グラウンド、空堀はテニスコートやフットサルグラウンドになっていて遺構は見当たりません。さらに東の弾正丸は住宅地になっていますが、東端に土塁(たぶん)がありました。弾正丸から北側に下りていくと、北側の外堀が伏見北堀公園として整備されています。深さも幅も相当なものがあり驚かされました。

伏見城の南側は河道を付け替えた宇治川が外堀代わりで、山科川との合流点には舟入が設けられていました。説明板によれば、豊臣秀頼に輿入れする千姫はこの舟入から大坂城に向かったそうです。また、舟入跡の北東約250mの桃山東小学校正門内には近くで造成中に発見された伏見城の石垣が移設されています。夏休み中の休日でもあり構内には入れませんでしたが、門越しに見ることができました。

さて、木幡山に続いては指月伏見城と城下をめぐるとしましょう(続く)。

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送りバント

20250921大友館(大分県大分市) (2025/09/21 訪問)

南蛮BVNGO交流館の方に親切にレクチャーいただいた後、復元された庭園や、発掘調査が進む周辺敷地を見て回る

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ぴーかる

堀内新宮城 (2026/01/24 訪問)

【堀内新宮城】
<駐車場他>南側に全龍寺駐車場を利用
<交通手段>車

<感想>1泊2日紀伊半島1周、山城攻略旅4城目。堀内新宮城の説明は添付写真をご覧ください。全龍寺と西側にある堀跡を撮影して終了しました。

<満足度>◆◇◇

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イオ

蓮如上人故地 (2025/08/09 訪問)

山科本願寺は本願寺中興の祖とも呼ばれる蓮如にとって縁の深い地のようで、周辺のゆかりの地をいくつかめぐってみました。

山科本願寺南殿(京都市山科区音羽伊勢宿町)
本願寺の寺務を実如に譲った蓮如の隠居所ながら山科本願寺に劣らぬ城郭的な構えだったようで、東辺の長大な土塁が遺っています。また南殿から西に約200mの蓮如上人御指図の井は、蓮如が杖で指し示した地を掘ってみると清水が湧き出てきたと伝わります。

西宗寺(京都市山科区西野広見町)
蓮如は隠居所を南殿から石山に建てた大坂御坊に移していましたが、死を前に山科に戻り、この地で往生したとされます。山門前には蓮如上人往生之地の石碑と西宗寺の説明板が立てられていました。

蓮如上人御廟所(京都市山科区西野大手先町)
山科で示寂した蓮如の遺骨が埋葬された地に御廟所が建てられています。明治には一時官地とされましたが、後に本願寺東西両派に下賜され、現在も両派が共同で護持しているそうです。
 

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赤い城

高野城 香川県三豊市 (2026/02/14 訪問)

城びと未登録の城です。
香川右馬助の居城で陣山が城跡のようです。
この日は出城とされる延命院に。
周囲は農耕地でその中に位置します。
延命院の駐車場からの道には蝋梅が咲き、よい香りが漂っていました。
遺構は見える範囲ではなさそう、お寺背後の山には何かありそうですがここは自重。

帰りに陣山の麓を通ってみました。
登る道は付いていますがこの日はゴルフ後、疲れたのでやめておきました。

【見どころ】
 ・延命院の蝋梅

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金輪寺 (2026/03/05 訪問)

 明智光秀が八上城攻めの重要拠点となった城です。標高約450mの神尾山頂部から金輪寺の背後の尾根に南北約500mの範囲で広がっています。金輪寺本堂の背後から登城路が整備されています。説明板がある曲輪まではいいのですが、それより北側の曲輪は藪になっている所もありました。ただ登城路はわかりやすく縄張り図の一番北側の曲輪まで行くことができます。畝状空堀群らしき場所を確認して引き返してきました。天狗岩方面に行くと水の手らしい場所もあります。ぼーとしていて石積みなどを見逃してしまいまいた。

 登城口である金輪寺まで車で行かれる方が多いと思いますが、下から歩いて登城しました。宮川神社の横にある神尾山城(半国山ハイキングコース)入口の獣除け扉を開けて(もちろん閉めて)登って行きます。急坂はなく道幅も確保されていて多少石がごろごろした場所もありましたが比較的歩きやすい道です。金輪寺旧寺道であったようで仁王門趾などあり、城は関係ありませんが石垣などあり、思ったより楽しめました。30分かからずに金輪寺まで行くことができました。帰りは舗装された道を歩いて下山しました。

 JR亀岡駅からバスに乗り宮川バス停下車。徒歩約5分で登城口である宮川神社に行くことができます。

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