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赤い城

土佐統一 元親果たす (2026/02/23 訪問)

この日のラストは続100名城の岡豊城。
歴史民俗資料館で50個目のスタンプを押し城跡へ。
まずは二ノ段へ。
二ノ段には堀切と井戸があります。
そこから主郭である詰ノ段まではすぐ、礎石がありました。

詰ノ段から三ノ段、四ノ段と進みます。
三ノ段には石積が残り、四ノ段の虎口も素敵😊
さらに下に降りていくと笹藪の中に薄っすらと竪堀とわかる地形も。
何条にも落ちているはずですが笹藪で確認は困難でした。

堀切を経て伝厩跡曲輪へ、ここは展望台になっていました。
この曲輪の先にも畝状竪堀があるはずなのですが笹藪。

長宗我部氏は土佐七雄の中では最も弱く一時滅亡しますが国親により再興。
その子、元親により土佐統一を果たすことになります。

年初に立てた目標、四国内の200名城クリアをやっとひとつ進めることができました。

【見どころ】
 ・二ノ段の堀切
 ・いたるところの竪堀
 ・三ノ段の石積
 ・四ノ段の虎口

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100名城ビギナー

ビギナーが訪れた2つめの城は(2026/3/21) (2026/03/21 訪問)

最初に訪れた城が「国宝」犬山城。
それに続いて2番目に訪れたのが「続日本100名城」九戸城。
私がイメージしている城とは正直かなり乖離していて、起伏の多い荒れた山野という感じでした。
国宝の次がココというのも何かの縁と思って、じっくり歩いて隈なく見て周ることにしました。
それにしても、約一時間の散策中、人っ子一人いませんでした (・o・)
最初はテンション下がりましたが、歩いているうちに、なんか楽しくなってきて「こういうのもありかぁ」などと思いながら、一見何もない場所に、それらしき痕跡を見つけては「昔はこうだったのかなぁ?」と思いを巡らせていると不思議なことに、だんだんワクワクして来て、城(跡)には、こういう楽しみ方もあるんだなぁと思いました。
御城印やスタンプは事前の調べで九戸城から1kmちょっとの場所にある「二戸市埋蔵文化財センター」でと知っていたのですが、電話番号を入れてもNAVIが反応せず、直接電話を掛けてみたところ、住所を入れてみて下さいと言われても町名がなく、何度も電話をして担当の女性にご迷惑を掛けてしまいました(ゴメンナサイ)
結局、総合福祉センターや税務署がある集合庁舎みたいなレンガ色の建物の3階にありました(分かりにくい)
御城印は通常版が300円、別名(浄法寺城)版と二戸と浄法寺町の合併20周年を記念して作った御城印がセットで1000円。
購入金額は合わせて1300円でした(「残りあともう少しです」という言葉に負けて購入(^_^.))
写真でも紹介していますが色鮮やかな目を引く御城印で買って良かったと思いました。
また、100名城スタンプの存在も犬山城の時は知らず、九戸城から集めることにしました。
押してみたところ実に美しいスタンプで少し感動してしまいました(これも写真で紹介)
今回は岩手県で2つの100名城を巡る旅の初日でした。
城巡りって素晴らしいなぁ(*´∀`).。o○ポワ~ン

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小城小次郎

さてどこにあったのか (2025/05/18 訪問)

城山と呼ばれた山があって血洗川という物騒な川が流れ、小磯城に籠った越後五郎四郎を太田道灌が攻めるという歴史もあるのに小磯城が城山公園にあったという確証はないのだそう。遺構と呼ばれる堀切がぽつんと残るがさてさて。

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織田信長生誕の城 (2026/03/26 訪問)

 何となく信長ゆかりの地に行きたくなって行って来ました。久しぶりの登城です。織田信長生誕の城で、永正年中(1504~1521)織田弾正忠信定(信長の祖父)によって築かれたと伝えられています。二重の堀に囲まれた館城でしたが、遺構はありません。石碑が日光川沿いに2カ所にあり織田弾正忠平朝臣信定古城蹟、勝幡城址とそれぞれ刻まれています。勝幡城祉の石碑の近くの説明板は新しくなっていました。また、この地は元々「塩畑(しおばた)」と呼ばれていました。縁起が悪いという理由で織田信定もしくは信秀が「勝ち旗」の意で「勝幡」と改名したといわれています。

 近くにある津島は伊勢と尾張をつなぐ湊として、また津島神社(津島牛頭天王社)の門前町として繁栄し「尾張の金銀はすべて津島を通る」と言われていました。織田氏はこの地を支配するようになり経済力をつけ、後に津島は「信長の台所」ともいわれるようになります。その後、地形も変わり今は湊としての機能はありませんが、説明板などで当時を知ることができます。津島神社は約1450年もの長い歴史を誇り、人々から疫病や厄除けの神様として親しまれてきました。「西の八坂神社、東の津島神社」と並び称され、全国に3000余あるといわれる天王社の総本社です。戦国時代には織田氏は当社を氏神と仰いで経済的援助を行い、豊臣氏も織田氏に続いて社領を寄進したりしていました。現在の重要文化財指定の楼門は天正19年(1591年)豊臣秀吉公が寄進したもので、また南門は慶長3年(1598年)秀吉の病気平癒を祈願して秀頼より寄進されたものです。現在の御本殿は慶長10年(1605年)清洲城主であった松平忠吉公(家康の四男)の病弱を憂えた妻女政子の方が寄進しました。
 津島という商業都市が近くあったことが、織田信長の経済感覚を育てたのだと思います。

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にのまる

ようやく指月山。 (2025/12/28 訪問)

100名城制覇したと言いながら思い残しのあるところがいくつかあり、萩城の詰丸、指月山もそのひとつでした。

新山口から高速バスで萩バスセンターへ。そこから徒歩で女台場を見学しつつ菊ケ浜へ向かいました。砂浜から指月山がまるっと見渡せます。とてもいい眺めですが、今から登るのだと思うとちょっとドキドキ。

泳いでは渡れないので引き返し、二の丸のお気に入りスポットを少し見て指月山登山口へ。杖が置かれていたので躊躇なくお借りしました。
15分程で山頂に到着。登山装備ではなく普段着にモコモコムートンブーツでしたが大丈夫でした。

そしてついに憧れのキリトリセン🪨と対面!見て、触って存分に楽しみました。お天気も良く空気も澄んでいて、眺めもとてもよかったです。

下山途中、おひとり登山の女性数人とすれ違いました。勝手に親しみを覚え、私もまだまだがんばるぞ٩( 'ω' )وっという気持ちになりました。

帰りは接続のいい列車があったので玉江から山陰本線に乗りました。

ここが昨年の城おさめでした。新規・再登城含めて80城と少なめでしたが、北海道や沖縄、九州一周も果たせ、いい思い出がたくさんできました。
✳︎✳︎お城抜きも含めて新潟県には5回行きました。

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朝田 辰兵衛

京都はんなりポチめぐり① (2026/03/20 訪問)

上洛目的は,山崎城&周山城だったので,ここからはバーター城を…。
阪急京都線の東向日駅から約700mの寺戸城。お城だったということから勝手に「大きな公園」をイメージしていましたが,例慶公園は見事に期待を裏切ってくれました…。目印は,セブンイレブンとしたほうがいいかもしれません。2枚目の写真に写り込んでいます。

そうそう,昨年9月末に,にのまるさんとイオさんがご来県されてましたネ。ようこそいらっしゃいませ。
日程はビミョーにすれ違っていたのかな…?
個人的には,万代シティではカレー屋さんのとなりの「寿屋」のおにぎりのほうがスキです。撮影不可の看板が自己主張していますので,ここで披露することは叶いませんが…<泣>。
京都に行く前にも「寿屋」のおにぎりを購入。バスで新潟空港に行き,空港で外を眺めながら食べました。冷めてもおいしいのが特徴です。

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イオ

一番堀は堀の名残? (2025/09/27 訪問)

御館の乱の論功行賞に不満を抱いて反乱を起こした新発田重家が新潟津を奪って築いた城で、上杉景勝の攻撃を一度はしのぐも二度目は計略により落城し、廃城となったようです。

蒲原津城から徒歩で登城。白山公園と白山神社のあたりが城跡とされますが、遺構は消滅しており、新潟城としての石碑や説明板もありません。せいぜい白山公園内のひょうたん池やはす池、白山神社参道の太鼓橋が架かる水路(?)が堀の名残だったらな…と思えるくらいです。ただ、白山神社東側外周には昭和に埋め立てられた江戸期以降の一番堀が復元されていて、これは新潟城の堀の名残かもしれません。

さて、白山公園を後にして向かうは万代シティバスセンター。お目当てはもちろんバスセンターのカレーです。かなり遅めの昼食となりお腹も空いていたので大盛+メンチカツで注文してしまいましたが、提供されたのを見て絶句。そうだ、ここは普通で大盛サイズなんだった…。黄色いカレーは典型的なそば屋のカレーながら意外にスパイシーで評判になるのも頷ける味。さすがに満腹にはなりましたがペロッと完食してしまいました。お土産に買ったレトルトカレーも家族に好評でした。
 

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赤い城

土佐七雄のひとり吉良氏の居城 (2026/02/23 訪問)

春野弘岡上保育所南側の大谷公民館に車を置かせてもらい、少し北に行くと登城口があります。
進むと説明板があり、ここから登るようです、がほぼ崖。
説明板の下には「この奥100m先登りやすい登山口あり」の表示があったので迷わず100m進みます。

登りやすいとはいえそこは山城、そこそこはきついです😊
が、まずは畝状竪堀群が出迎えてくれます。
さらに二郭へ、二郭には大きな穴がありますが遺構なのかは不明です。

三郭と主郭の間には深い堀切があります。
これはかなり深く、降りるにも注意が必要です。
さらに主郭へ、縁には石積も見ることができます。
主郭は広く、南側には土塁が付いています。

主郭の先、急な崖を降りると見頃な四重堀切。
北側を守ります。
もちろん両サイドに竪堀となります。
規模はそう大きく無いですが見どころ充分の山城でした。

【見どころ】 
 ・三郭と主郭の間の堀切
 ・主郭北側の四重堀切
 ・畝状竪堀群

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小城小次郎

潮見櫓がふたつになった? (2025/05/06 訪問)

解体保存されていた櫓の古材を最大限活用し2025年に原位置に再移築された。それはめでたいがこちらが真の潮見櫓とわかったことでこれまで潮見櫓と呼ばれてきた櫓の立場がなくなり(伝)潮見櫓と改称された。あれまあ。

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つね

星野町公園 (2026/03/24 訪問)

神奈川台場公園より徒歩約10分。公園北側に隣接するパーキングとマンションの脇にも石垣が露出しています。砂場脇のベンチの奥の植え込みを左に入ったところにも石垣がありますが、分かりづらので見逃し注意です。

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イタさん

八幡平陣城跡 群馬県安中市簗瀬 (2026/03/22 訪問)

簗瀬城址の西4~500メートルに位置する。周囲に簗瀬二子塚古墳、八幡平の首塚がある。説明板に拠れば、永禄4年(1561)に武田信玄が一帯に築き、安中城と松井田城を分断したとある。首塚は円墳だったようにとれ、ここから150体の頭骨が出土したとも記されている。下顎のない頭骨に加え、四肢骨が発見されておらず、他からここへ仮葬したらしい。信玄時代のものだったのだろうか。首塚の西側一帯が主郭のようだが入る場所が分からず。南の道路の民家の間に中腹の墓地へ上がる道があり、登れば墓地、さらに上に平坦地が広がる。広い荒れた農地を思わせる。遺構は分からないが、台地上は民家などが建ち、奥までと思うが立入を遠慮する。先人さんの資料では東端の二子塚古墳まで取り込んだ範囲だったようだ。

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つね

神奈川台場公園 (2026/03/24 訪問)

権現山城跡より徒歩約15分。当時、台場と陸を繋いでいた西取渡り道の辺りが公園になっており、解説板などがあります。すぐ側の台場石碑と石垣、星野町公園とセットで散策しました。

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イタさん

簗瀬城址 群馬県安中市簗瀬 (2026/03/22 訪問)

築城者・時期は不明らしく情報が見当たらない。北側に駐車スペースがあるので利用する。北には本来の虎口か分からないが、如何にも虎口らしく土塁も高く残る。右手は空堀が西端まで続く。内部は城山稲荷大明神が建ち、北・西に土塁が残っている。主郭の東と西は郭があったようだが、民家が建ち並び面影はない。東は数段の平場があるようだが、確認しなかった。

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つね

神奈川台場石碑(台場公園近く) (2026/03/24 訪問)

権現山城跡より徒歩約15分。石碑の後ろに石垣が露出しています。近くの神奈川台場公園と、星野町公園もセットで散策しました。

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イタさん

天王山城跡 群馬県安中市上間仁田 (2026/03/22 訪問)

築城については詳しい情報はないらしい。駐車場はふるさと学習館を利用できる。南の山(山林)が結婚の森と名称が付けられている。学習館から階段を上がれば、通常の整備された山道に変わる。振り返れば西から北にかけて眺めが良い。磯部周辺・奥の後閑城周辺だろうか。結婚の森の南端が主郭になる。手前に空堀があるが幅も狭く、浅くなっている。主郭は最近木々を伐採したらしく、丸太などが散乱する多少の起伏がある空間になっている。南に下ると、これも北の堀と同じような空堀が確認出来る。堀を西に回り込むと主郭西下は帯郭風になっている。南に旧天王山城跡と地図にあり、尾根を50メートル程行くと、手前主郭と変わらないこんもりした地形がある。設置されたロープを頼りに登ると、木々の生い茂る単なるピークにすぎない場所で、遺構は分からなかった。。

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イタさん

立派な模擬天守が建つ (2026/03/22 訪問)

一説には多比良氏が多比良城(新堀城)とともに永禄年間に築くとある。近くには八束山(八束山城)・朝日岳(天引城)があり、同時期の築城らしい。吉井町辺りからは模擬天守が見えて位置が分かる。もとは一郷山と呼ばれていたようだが、牛伏山と山名が載り、ハイキングコースになっている。由来が案内板にあり、天狗が住み、天狗が居た松が天狗松と言われ、天狗が村娘に恋をし、牛に乗って会いに行くが成就せず、諦められない天狗は娘を山の姿に変えてしまう。これが朝日岳と言われる。時は移り天狗も牛も見えなくなったが、山の姿が臥牛の姿に変わり、牛伏山と呼ばれるようになった。城跡と山頂の鞍部に牛象と天狗松がある。牛像は牛伏山山頂の露頭岩から彫られたと書かれている。

主郭に模擬天守が建っている。展望台の為だけと思ったが、資料館の役目をしている。先人さんの情報には土塁・空堀があったようだが、主郭下あたりから車道が上がり、西の牛伏山山頂手前まで通り、遺構らしきものは無くなっている。主郭の東は尾根が下り、数段の小規模な郭が唯一の遺構に思える。

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dougen

2025.4.26登城 (2025/04/26 訪問)

河岸段丘上の田名氏館を相模川方面に下りると水郷田名があり、高田橋を渡ったところに小沢渡船城跡があり、渡船城を見下ろす丘の先端に小沢城址がありました。
登城口となる城坂道の入口に解説板が設置されており、坂道を登り切ったところが小沢城址となります。
現在は、農地となっており、遺構らしい遺構はありませんが、相模川の要衝を監視できる立地は、往時を偲ばれます。

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つね

幸ケ谷公園 (2026/03/24 訪問)

京急神奈川駅のすぐ横の幸ケ谷公園が城跡です。南東麓にある洲崎大神からも分かるように、当時は神奈川湊が目前にある城でした。山を切り崩して造った神奈川台場跡(神奈川台場公園・星野町公園)も徒歩圏内です。

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つね

本覚寺 (2026/03/24 訪問)

本覚寺境内西側の高台が、本郭とも云われています。境内の1番の高台まで登ると、ベイブリッジまで見え絶景です。京急神奈川駅より徒歩5分以内です。

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イオ

何の痕跡も無し (2025/09/27 訪問)

南北朝期に小国政光が南朝方の拠点として築いた城で、6年後に北朝方に攻められて落城し廃城となりました。戦国期には上杉謙信が蒲原津に代官を置くなど交通の要衝に築かれた城だったようです。

JR越後線・白山駅から徒歩約30分の金宝寺が城跡とされますが、このあたりは信濃川の氾濫で被害を受けており遺構は消滅しています。石碑や説明板も見当たらず、なんで城びとに登録されているんだろう? と思うくらい何の痕跡も感じられませんでした…。
 

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