まむしづかじょう

馬伏塚城

静岡県袋井市

別名 : 爬塚城
旧国名 : 遠江

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

くうくう

深田に浮かぶ平山城まむしづかじょう

遠州小笠原氏ゆかりの平山城。湿地に突き出た標高5m舌状台地先端にあり、主郭東の大土塁に諏訪神社が祀られ虎口に石碑がある。南北600mの規模があり、案内板を参考に歩くと集落の区切りとなる部分で遺構は失われたが堀切があったのがわかる。天正2年(1574)武田勝頼が高天神城を押さえると、徳川家康反攻の最前線となり兵の駐屯地として利用されたそうだ。

+ 続きを読む

todo94

2022年度最後の一日⑥ (2023/03/31 訪問)

「まむしづか」は知らなければまず読めないでしょうし、IMEの変換でも出てくるものではありませんでした。めぼしい遺構はないのかなと思いましたが、説明板の中の図の現在地を確認してみると、後背の茂みは馬出の土塁にあたる感じになりますかね。ちょっとあっさりとしすぎていますが、これが2022年度最後の攻城となりました。

+ 続きを読む

カズサン

立派な見学案内パンフレット片手に再探訪 (2023/03/10 訪問)

 袋井市には市史跡の城郭が久野城と馬伏塚城と二城在ります、3月29日桜と久野城で探訪し、久野城駐車場トイレ横のパンフレットボックスに立派な久野城見学案内パンフレットが有り、これを片手に久野城探訪しました、気に成り袋井市のHPを覘くと馬伏塚城も同様の立派な見学案内パンフレットが有りHPの馬伏塚城見学案内パンフレットPDFをプリントアウトして見学探訪へ出かけました。
 久野城の未確認北東眺望と景観整備伐採進行を確認し、本丸東側の圧巻崖切岸を発見見学、ニホンカモシカ遭遇と感激興奮さめぬ中、南に6~7kmの馬伏塚城を目指す。
 以前初探訪では駐車場に困りましたがパンフレットにはPのマークが有り安心して車で行く事が出来ます。

 駐車場:岡山公会堂(袋井市浅名1272)(34°42'48"N 137°55'58")5~6台可能

 探訪ルート:パンフレットのルート矢印に従い、見所を訪ねる。 
 了教寺は伝居屋敷の南西角に有り数メートルの高台で見晴らしが効く、また小笠原氏清の墓供養塔が有る、北曲輪と伝居屋敷間の堀切を通り集落の東を通ってる道へ、堀切は埋まられて堀切間は有りませんが南側の北曲輪の北土塁が高く堀切だっただろうと推測できる、東側道路を北に小笠丘陵が張り出した尾根筋を東西に堀切、尾根を遮断してるが埋まられて堀切らしさはないが高見で眺めると西の田圃から東の田圃にかけて切られて様に見受けられる。
 北の堀切から南に集落通路を通り南の堀切、北曲輪は集落住宅に成っており入れないが北曲輪は1郭2郭3郭に分かれて掲載されている、1郭の北土塁を住宅地の坂道を若干上がり遠望するが高土塁が現存してる、2郭3郭は通路より見学、南に進み県道403号線が馬伏塚城を南北に分断、南側に舟入、神曲輪、本曲輪、馬出、本曲輪南東を囲む微高地の羽城。
 田圃に水が入り、さも馬伏塚城が水堀、潟湖に囲まれていた往時に甦る様を見る事が出来るでしょう。

 歴史的には馬伏塚城は徳川氏と武田氏の高天神城攻防戦で徳川氏の物資後方支援基地の役目を持った城として、西の磐田見付、馬伏塚城、岡崎城、横須賀城の拠点を船等で今之浦川、太田川、間の潟湖、沼、遠州灘などと使って物資輸送、兵士駐屯支援を行っていたようです。戦国の時代は横須賀城下まで遠州灘が入り込んでいた様です。

 近くに袋井市浅羽支所が有り(約500m南)、駐車場、浅羽支所2階に袋井市歴史文化館が有りパンフレット、袋井市の城跡の案内も可能です、近くの南に浅羽記念公園と隣接して袋井市郷土資料館(月曜日休み)も有り、ここに車を駐めて歩きながら北を目指し城跡全体を見ながら探訪するのも良いかもしれません。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り5日目:馬伏塚城 (2021/07/01 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り5日目の13城目は馬伏塚城です。
久野城から転戦。案内板前(34.710779、137.933494)に路駐しました。

築城年は不明。初代城主は小笠原信濃守長高とされます。
長高は信濃から尾張を経て、三河国幡豆郡の吉良義堯を頼り、後に今川氏親に属しました。
遠江国山名郡浅羽荘を領して馬伏塚城主となり、1544年(天文13年)城内で没する。
長高の子春義は、福島上総介正成が今川氏に叛いて北条氏に属すと、代わって高天神城主となり、馬伏塚城主も兼ねました。
その子氏清も今川氏に属し、馬伏塚城・高天神城両城主を務めるが、1568年(永禄11年)今川氏に叛き、徳川家康に転仕、1569年(永禄12年)に没しました。
1574年(天正2年)6月高天神城が武田氏の攻撃で落城すると、家康は馬伏塚城を修復し、大須賀康高を城主として入れ、武田氏に備えます。
1578年(天正6年)家康は康高に命じて横須賀城を築城、城主とさせ、1580年(天正8年)9月高力清長を馬伏塚城主としました。
1581年(天正9年)に家康が高天神城を攻略して遠江を勢力下に置くと、その翌年に廃城となりました。
また袋井市郷土資料館には馬伏塚城の模型が展示されているようです。

現在は諏訪神社・住宅・畑に変わり、曲輪、土塁、堀切などが残っているようですが、雨が降っている為、説明板付近をウロチョロしただけです。
攻城時間は5分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 小笠原氏、大須賀康高、高力氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、虎口
指定文化財 市史跡(馬伏塚城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 静岡県袋井市浅名
問い合わせ先 袋井市生涯学習課文化財係
問い合わせ先電話番号 0538-44-3198