日本100名城

とっとりじょう

鳥取城

鳥取県鳥取市

別名 : -

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鳥取城
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勝野武士

【冬とお城】久松山、荒涼の景 (2019/01/26 訪問)

以前投稿させていただいたものを僭越ながらもう一度。
鳥取城山上ノ丸の本丸跡です。

厳しい風雪に耐えて残る石垣を前に、ただただ立ち尽くすばかりでした。
この日は霰と強風が凄かったのですが、そんなことも忘れて夢中でシャッターを切りまくってました。
そんな時に撮った一枚。

…翌日、見事に体調を崩した挙げ句インフルエンザになりました(笑)。

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勝野武士

戦国の面影を残す山上ノ丸へ。 (2019/01/26 訪問)

山上ノ丸は、吉川経家時代までの城郭を、豊臣秀吉の命で宮部継潤が入城して石垣で固めるなどの大改修を経て、関ヶ原の合戦後に池田長吉が入ってからも改修を加え、現在までに残る縄張となったようです。
戦国期から堅城として広く知られていたようで、それが所謂『鳥取城渇え殺し』につながることとなるのですね…。

山下ノ丸からは約20分の登山です。
八幡宮跡を過ぎてからは結構な険しさの山道が続きます。流石は戦国時代から評判の堅城、易しい筈がありません。加えて雪解けで足元は滑りやすく、ぬかるんでるところもあります。今の季節、特に御用心を。
なお、中腹には宮部時代の石垣や戦国期のものと思しき平坦地、江戸から鳥取を三日三晩往復した伝説を持つ狐様を祀る祠などがあります。

山頂の本丸跡と出丸跡の石垣は、荒々しくも想像以上に立派なものでした。やはり山下ノ丸とは全然違って、どことなく戦闘的な雰囲気を色濃く感じます。
ここからは秀吉本陣の太閤ヶ平跡がある本陣山が目の前に。吉川経家、どんな思いで見てたでしょうね。
本丸跡の大井戸跡は池田長吉時代に3年もの歳月をかけて掘られたのだとか。山城の、しかも本丸の水源となると、その重要性は察して知るべし。関ヶ原後も豊臣はまだ健在なので、このあたり微妙な情勢の中で実戦を想定した緊迫感が伝わります。
天守跡からは、市内はもとより、360度パノラマ遠望です。日本海や砂丘もよく見えます。
ちなみに今残る天守台の上には、宮部継潤が築いた三層の天守が建っていたそうですが、後に三階部分の傷みが激しかったのか、池田長吉によって二層に改められました(おそらく望楼型天守?)。こけら葺きか板葺きで、穴蔵があり付櫓から入る形式だったようです。が、それも後に落雷によって焼失してしまい、以降は再建されることはありませんでした。

ここから太閤ヶ平跡に向かうハイキングコースがあるのですが、今回は時間の都合上断念。一泊二日なら絶対行くんやけどなー…

山下ノ丸へ戻り、復元された城門を潜り、仁風閣へ。
ここは元々、江戸時代後期に藩主の未亡人(この時、まだ17歳だったそうです…)となって落飾した宝隆院を慰めるために建てられた扇御殿のあったところ。
今は美しい庭園と宝隆院が特に愛した化粧の間(宝扇亭)が当時の面影を残しています。

仁風閣もオススメです。大正天皇が皇太子時代に宿泊したことと、『仁風閣』の名付け親が東郷平八郎だとかで有名かと思いますが、明治以降の藩主一家はこちらに居を構えたそうで『扇邸』と呼ばれていたそうです。仁風閣の内部そのものも必見ですが、明治以降の池田家の激動のファミリーヒストリーも紹介されています。
なお、鳥取城の詳細がわかるパンフレットも無料で配布されておりますので、是非ゲットしてみて下さい。

この後、鳥取城の鎮守だった長田神社→池田家菩提寺で庭園が美しい興禅寺→鳥取東照宮→見事な庭園がある観音院→鳥取市歴史博物館を見て、お土産と駅弁のかに寿司(画像撮り忘れた…)を買ってフィニッシュとしました。
鳥取を再発見できた、良い旅でした。

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勝野武士

池田家三十二万石の意地!まずは山下ノ丸へ。 (2019/01/26 訪問)

鳥取城…およそ20年振りの再訪です。
本日のお目当ては仁風閣裏の旧宝隆院庭園と復元された擬宝珠橋。
お天気は…積雪はないものの強風と時折降る霰。あまり良い天気とは言えませなんだ。

鳥取駅から一回100円で乗れる循環バス(←3つのルートで運行してますので要チェック!使いこなせたら超便利そうです)で約5分ほどで城跡へ。
もちろん最初に向かうは擬宝珠橋。やはり木造の橋は美しいですね。お城に来た!って実感がいよいよ湧いてきます。ここから本来の登城ルートに従って進みます。
石垣修理中の中ノ御門跡から太鼓御門跡にかけては現在整備の真っ最中。完成はまだまだ先でしょうが、完成すればかなり雰囲気が変わるでしょうね。楽しみです!
天球丸下の楯蔵跡もよく整備されてました。ここからは例の巻石垣を見ることができます。
表御門跡を抜けると二ノ丸跡。藩主の御殿があったということで、政庁があった三ノ丸や現在仁風閣がある扇御殿跡に次いで、流石に広いです。
二ノ丸は久松山の尾根を大規模に切り崩して造成したそうで、石垣もここから採取したとか。そんな関係で二ノ丸奥には石切場も残っています。
三階櫓は山上の天守が焼失してからは実質的に天守の役割を果たしていたそうです。櫓台を築く際に女中のお左近さんが手水鉢を寄進したという逸話もあり、今も西角にあります。ここからは鳥取市内を一番よく望めますし、城下からお城を見たときにほぼ中心に櫓台が見えます。まさにベストポジション。
標高はここまでですでに40m弱。尾根の切り崩しが如何に大規模だったかもよくわかります。
なお、二ノ丸の裏御門跡より西側は幕末になって増築されたエリア。石垣の積み方(特に反り)が違うのも見どころですが、登り石垣まで築かれています。幕末に築かれたものとしては唯一の遺構とのこと。
三階櫓といえば、山下ノ丸の最上段にあたる天球丸跡にも存在し、こちらは三層の多聞櫓のような外観だったようで、その跡も美しく整備されてます。
そしてここから、いよいよ山上ノ丸へと向かいます。

すみません、まとめきれないので続きます…m(_ _)m

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前ちゃん

カツエさん 何処に (2018/11/20 訪問)

鳥取城~太閤ケ平 縦走してきました。かつて話題になったカツエさんを探したが、何処に居られるでしょうか

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概要

羽柴秀吉による兵糧攻めの舞台として有名な鳥取城は、その後に城主となった宮部氏や池田氏によって整備拡張された。城は山上ノ丸と山下ノ丸に分けられる。標高263mの山頂に付櫓を持つ複合天守が建てられ、天守焼失後は山下ノ丸の三階櫓が代用を果たした。菱櫓跡や多聞櫓跡によく残っている石垣も見ておきたい。

城郭情報

城地種類 山城→平山城
築城年代 天文年間、慶長7年頃(1602)、元和3年(1617)頃
築城者 山名誠通、宮部継潤、池田長吉、池田光政
主要城主 武田氏、山名氏、吉川氏、宮部氏、池田氏(池田輝政弟)、池田氏(宗家)、鳥取池田氏
文化財史跡区分 国指定史跡
近年の主な復元・整備 昭和18年の鳥取大震災等で破損した天球丸などの石垣の修復
天守の現況・形態 天守台のみ残る
主な関連施設 鳥取市歴史博物館(やまびこ館)、鳥取県立博物館、仁風閣
主な遺構 石垣、堀
住所 鳥取県鳥取市東町2
問い合わせ先 鳥取市観光協会
問い合わせ先電話番号 0857-26-0756