日本100名城

とっとりじょう

鳥取城

鳥取県鳥取市

別名 : 久松城、久松山城
旧国名 : 因幡

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鳥取城
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イオ

山下ノ丸めぐり(天球丸~二ノ丸) (2025/11/01 訪問)

(続き)

天球丸に行く前に案内表示に従って天球丸下段の曲輪へ。鳥取城の定番スポット、天球丸の巻石垣です。写真では何度も目にしていましたが、実際に目にする球面の石垣はやはり目を惹きますね。この曲輪は庭園だったようで石組みの水路が縦横に走っており、南東隅には楯蔵と呼ばれる平櫓があって南東辺は一段高くなっていました。

そして天球丸へ。翌日に登城予定の若桜鬼ヶ城城主・山崎家盛の正室だった池田長吉の姉・天球院が山崎家を去って移り住んだ屋敷があったことから天球丸と呼ばれているようです。広大な曲輪ながら建物は遺っていませんが、南東隅に光政期に建てられた三階櫓の礎石と、焼失した三階櫓跡に江戸後期に建てられた武具蔵が発掘調査により確認されていて、出土状況が平面復元されています。天球丸は山下ノ丸の最高所に位置するため城内・城下を見渡す眺望が開けており、巻石垣の上面も見ることができました。

続いては二ノ丸へ。表御門を抜けて二ノ丸に入ると左手に菱櫓の石垣が続いています。かつての二ノ丸は南東隅に菱櫓(と走櫓)、南西隅に三階櫓が威容を誇っていて、現在はそれぞれ櫓台が遺るのみながら、二ノ丸三階櫓には木造復元計画があるそうなので、こちらも楽しみなことです。三階櫓北側の裏御門には門の礎石が遺っていますが、まだ裏御門からは出ずにもう少し二ノ丸をめぐってみましょう(続く)。

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イオ

山下ノ丸めぐり(擬宝珠橋~三ノ丸) (2025/11/01 訪問)

戦国期に因幡山名氏と但馬山名氏の抗争の中で築かれたとされ、両山名氏のみならず尼子氏、毛利氏、尼子残党、織田氏らによる争奪戦が展開されました。羽柴秀吉による渇え殺しとして知られる兵糧攻めで吉川経家が自刃し開城すると宮部継潤が城代(後に城主)となって石垣や天守を築き、関ケ原の戦いで西軍についた宮部氏が改易されると池田長吉が入って近世城郭に改修。江戸初期に池田光政が32万石で入ると城郭の拡張と城下町を整備し、光政とのお国替えで池田光仲が岡山から入封して鳥取池田家のもと明治まで続きました。明治に城内の建物はほとんど撤去されましたが、平成18年から30年に及ぶ保存整備計画が策定され、これまでに擬宝珠橋と中ノ御門が木造復元されています。

県庁北側駐車場から登城開始。内堀沿いに進むと擬宝珠橋の向こうに中ノ御門、その奥に二ノ丸や天球丸の石垣、さらには山上ノ丸のある久松山が聳えています。復元された擬宝珠橋を渡って大手門にあたる中ノ御門へ。中ノ御門は表門と渡櫓門からなる枡形門ですが、枡形を囲む石垣の土塀には狭間が設けられていません。カズサンさんの投稿にあるように、幕末の姿を復元したため狭間はないんだとか。枡形としては違和感はあるものの、長く続いた平和の時代の城はこういう姿なんですね。

中ノ御門を抜けると宝隆院庭園にちょっと寄り道。早世した11代藩主・池田慶栄の正室・宝隆院のために造営された庭園で、奥には明治に建てられた仁風閣がある…にはありますが、保存修理のため素屋根に覆われていて休館中でした。登城道を進むと太鼓御門手前の石垣が喰い違い状に遺っています。その先の太鼓御門も復元計画があるようなので楽しみに待ちたいところです。太鼓御門を抜けた右手は三ノ丸でしたが、現在は鳥取西高校の敷地になっていて手前に標柱と説明板が立てられています。部活帰りなのか多くの高校生とすれ違いました。そして天球丸へ向かいます。見上げると二ノ丸の石垣が幾重にも連なっていました。さすがは32万石の大藩。なかなかの石垣の城ですね(続く)。
 

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翡翠

鳥取城② (2026/02/21 訪問)

風邪が治ったばかりで、体力がこんなに落ちてしまってる事にショックでしたが、天守台までは何とか登りきる事が出来ましたが、5合目くらいから登れるか不安になるくらい登山のような感じでした。足がフラフラでした。昔の人はこの険しい道を良く登れたと、凄いなぁと思いました。天守台から見た景色も綺麗でした。鳥取砂丘も見れました。下山も下りだから大丈夫と思ったのですが、甘かったです。下りてからは、登石垣やお左近の手水鉢なども見れました。

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翡翠

初鳥取城に① (2026/02/21 訪問)

鳥取県には何回か行った事はあるのですが、鳥取城には今回初めて行きました。夜21時くらいに家を出て少し仮眠を取って朝6時くらいには、駐車場に、まだ雪の山が駐車場に残ってました。擬宝珠橋を通って中ノ御門を通って中に入りました。天球丸も見れました。

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概要

羽柴秀吉による兵糧攻めの舞台として有名な鳥取城は、その後に城主となった宮部氏や池田氏によって整備拡張された。城は山上ノ丸と山下ノ丸に分けられる。標高263mの山頂に付櫓を持つ複合天守が建てられ、天守焼失後は山下ノ丸の三階櫓が代用を果たした。菱櫓跡や多聞櫓跡によく残っている石垣も見ておきたい。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城、山城
築城年代 天文年間(1532〜1555)
築城者 山名氏
主要城主 山名氏、吉川氏、宮部氏、池田氏
文化財史跡区分 国史跡(鳥取城跡附太閤ヶ平)
近年の主な復元・整備 吉川経家、池田長吉
天守の現況・形態 独立式望楼型[3重/1573年頃築/改築]、複合式層塔型[2重2階地下1階/1605年改/焼失(落雷)]
主な関連施設 門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀、井戸
住所 鳥取県鳥取市東町2
問い合わせ先 鳥取市観光協会
問い合わせ先電話番号 0857-26-0756