「眼下まで 敵陣迫る 鳥取城(がんかまで てきじんせまる とっとりじょう)」
赤色立体地図で見ると鳥取城も多くの腰郭を持ち、なかなかの堅城に見えますが、羽柴秀吉の築いた太閤ヶ平と、それを取り巻く陣所の数と勢いは圧倒的に見えます。東の寺屋敷の陣の北側も秀吉の陣所で有ったとすれば、鳥取城のすぐ近くまで敵陣が迫っていたことになります。西の丸山城・錐山城を経由した補給ルートも羽柴軍により完全に攻略され、雁金城からサイノタワノ陣まで敵の手中に落ちた以上、東西からの挟撃が近くにまで迫っており、すでに大幅に戦闘力を喪失している鳥取城はひとたまりも無かったと思います。
陣地的に見ると完全に詰んでいます。
城兵の栄養状態も粥を食べただけで「リフィーディング症候群」を引き起こすほど衰弱しており、二重の意味で詰んでいます。
城兵の命を助けるためというよりは、陣形的にとことんまで追い詰められた上での降伏に見えますね。正直、判断が遅すぎると思いますが、敵が後の天下人の秀吉であったので「相手が悪すぎた」のかもしれません。ただし、巻込まれた領民はたまったものでは無いと思いますが。
秀吉が残虐であったというよりは、籠城側の責任が大きいと思います。当然ながら元凶となった森下道誉・中村春続などは生かしてはおけませんが、秀吉は経家や他の兵士の命は助けるとまで進言していたのだから。降伏を許さず兵糧攻めを行った高天神城の戦いの方がはるかに残虐ですね。
※鳥取城の投稿で有りながら、一枚も鳥取城の写真が無いという・・いや、遠景で一枚あるか。陣所付近からだけど。
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