日本100名城

とっとりじょう

鳥取城

鳥取県鳥取市

別名 : 久松城、久松山城
旧国名 : 因幡

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鳥取城
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カズサン

狭間の無い中ノ御門白土塀 (2025/10/25 訪問)

 中ノ御門渡櫓門が完成して中ノ御門枡形が完成しました、3月末に竣工してるのですがやっと故郷の鳥取城復元渡櫓門を見る事が出来感激興奮の内に見学観察する事が出来ました。
 ほとんどの城郭建物には攻撃用の狭間が設けられていますが今回復元の中ノ御門桝形の白土塀、渡櫓門には狭間が無く、一瞬不思議を感じますが新しく出来上がった鳥取城中ノ御門完成記念開通式リフレットには幕末明治初めの中ノ御門古写真が掲載されています、よく観ますと白土塀には狭間の痕跡が有りません。
 幕末期の姿を甦らすの如く復元されたのだと思われ、ただただ感心しました、攻撃用の隙間は表門の透かし扉、渡櫓門の透かし扉と言うことに成るのでしょうか?
 関ケ原を20年も過ぎての中の御門創建時には世の中も変わり守りの考え方も変わったのでしょう。
 狭間の無い白土塀も美しい!
 

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カズサン

中ノ御門渡櫓門完成 (2025/10/25 訪問)

ふるさとの鳥取城中ノ御門枡形の渡櫓門が令和7年3月末竣工し、鳥取城を幕末の姿に甦らそうとの整備30年計画の10年目整備計画で擬宝珠橋、中ノ御門表門、石垣枡形復元し渡櫓門と周辺白土塀が完成しました。10年目計画も残すところ太鼓御門渡櫓門だけと成りました。
 今年の4月末には中ノ御門開通式が挙行されて晴れて中ノ御門の有りき姿を観る事が出来るようになりました、早く探訪観に行きたいと計画を立てますが諸般の事情で今回の「鳥取城経由福岡城九州一周城探訪」の最初に入れて見る事が出来ました。
 車は吉川経家像南前の県庁駐車場を利用、朝9時前にもほぼ満車状態、内堀越しに中ノ御門が見えて来る、やや風が有り逆さ中ノ御門は見えずらい(帰り頃には風もおさまり逆さ中ノ御門を見る事が出来ました)、擬宝珠橋を渡って中ノ御門へ、表門、枡形石垣も完成されて、周囲の石垣上には白土塀も完成、渡櫓門を表、裏より観察、渡櫓門室内の一般公開はされて居ない。
 中ノ御門を裏側より眺めて、高い所からも眺めてみたいと、太鼓御門渡櫓台、二の丸菱櫓台、二の丸三階櫓台より中ノ御門を俯瞰する、帰りには仁風閣敷地内に新しく出来てるガイダンス施設に寄り、お話と資料をゲット。
 約2時間感激と感動の観察探訪でした。
 あと残り太鼓御門渡櫓門、二の丸菱櫓走り櫓、二の丸三階櫓と20年目計画30年目計画と続いて行きますが動ける範囲内には完成都度訪ねたいとも思っております。
 先ずは中ノ御門完成おめでとうございます。
  

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ダイエティシャン

【赤色立体かるた】 (2021/06/15 訪問)

巻石垣 世にも珍し 鳥取城
(まきいしがき よにもめずらし とっとりじょう)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「砂丘には 行っていないけど 鳥取城」
(さきゅうには いっていないけど とっとりじょう)

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概要

羽柴秀吉による兵糧攻めの舞台として有名な鳥取城は、その後に城主となった宮部氏や池田氏によって整備拡張された。城は山上ノ丸と山下ノ丸に分けられる。標高263mの山頂に付櫓を持つ複合天守が建てられ、天守焼失後は山下ノ丸の三階櫓が代用を果たした。菱櫓跡や多聞櫓跡によく残っている石垣も見ておきたい。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城、山城
築城年代 天文年間(1532〜1555)
築城者 山名氏
主要城主 山名氏、吉川氏、宮部氏、池田氏
文化財史跡区分 国史跡(鳥取城跡附太閤ヶ平)
近年の主な復元・整備 吉川経家、池田長吉
天守の現況・形態 独立式望楼型[3重/1573年頃築/改築]、複合式層塔型[2重2階地下1階/1605年改/焼失(落雷)]
主な関連施設 門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀、井戸
住所 鳥取県鳥取市東町2
問い合わせ先 鳥取市観光協会
問い合わせ先電話番号 0857-26-0756