クラブツーリズムの関本ガイド同行ツアーで行った
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2026/07/11 08:24
2026/07/03 10:27
13【秀長の因幡平定をたどる②】鳥取城(上ノ城)吉川経家と宮部継潤 (2026/05/16 訪問)
天球丸の登山口から、上ノ城を目指します。とても急斜面の登山道を登る事30分、上ノ城(久松山頂上:標高263m)へ到着しました(結構きつい😩)(写真①)。
上ノ城は、一番上から本丸・二ノ丸・三ノ丸・出丸と四段に構築された造りで(写真⑨)、見事な石垣で囲まれていました。これらの石垣は1582年、鳥取攻めの第一の戦功とされ、秀吉から因幡の地を与えられた、「宮部継潤」によって築かれました。そして継潤は、この天守台の上に三重の天守を建てたそうです(写真④⑤⑥)。
1581年(天正9)城主の山名豊国が逃げ出したため、毛利方より派遣された「吉川経家」が1,400の軍勢とともに籠城します。そこに城下の領民2,000以上が逃れて入ってきます。秀吉の米の買占めに会い、兵糧はわずか20日分しかなかったところへ、この領民が経家にとっては大きな誤算となりました。おそらく本丸には兵士が、二ノ丸・三ノ丸には領民が、所狭しとひしめき合っていたのではないでしょうか(写真⑦⑧)。
天守台から北を眺めると鳥取砂丘まで見えました(写真①②)。西には鳥取市街が広がっています(写真③)。天守台から東の方向を見ると、本陣山(太閤ヶ平)がよく見えました(写真⑩)。あの山には秀吉と秀長が陣を敷き、豊臣の旗が数多くなびいていたと思います。また眼下の雁金山城や丸山城(写真③右側)も宮部継潤によって攻められ落城、これにより海からの補給路は完全に断たれ、久松山は豊臣軍3万の軍勢に完全に取り囲まれてしまいました。そして籠城を始めて4カ月、ついに兵糧も尽きてしまいます。俗に言う「鳥取の渇え殺し」です。飢えに苦しむ家臣や領民を見ながら、吉川経家はどんな思いでここから、あの本陣山や眼下の景色を眺めていたのでしょうか?
このまま城を枕に民とともに討ち死にすべきか、いやもし我が命と引き換えにこの民の命を助ける事ができるのなら・・・。経家はこの山上で、究極の選択に悩んでいたのではないでしょうか?
次は写真⑩の本陣山(太閤ヶ平=豊臣秀吉陣跡)を目指し、途中にあるはずの豊臣秀長陣跡を探しながら、行ってみようと思います。
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2026/07/01 10:09
12【秀長の因幡平定をたどる①】鳥取城(下ノ城)池田氏32万石の威風 (2026/05/16 訪問)
豊岡から鳥取まで1日1本の直通普通列車に乗り2時間30分、鳥取駅に到着しました(写真⑩)。鳥取県は初見参です(ここがカズさんの故郷か~🤔)。これから100名城の「鳥取城」から秀吉の本陣「太閤ヶ平」までを目指そうと思います。
到着後は「東横イン鳥取駅北口」へ宿泊しました(写真⑨)。北口は最近再開発されたような感じで、ホテルは新築できれいでした。そして翌朝、今日は長期戦となるので、無料朝食を腹いっぱい食べて、コインロッカーに荷物を預け、ペットボトル2本と汗拭きタオル3枚を駅構内のコンビニで買ってリュックに入れ、今回初めて九州では売っていないので通販で買った熊鈴を下げて、いざ出陣です!
駅前から「くる梨循環100円バス(緑コース)」に乗り「仁風閣・県立博物館」で下車しました(写真⑨)。まず「吉川経家」様に御挨拶します。経家様と久松山、いいアングルです(写真②)。どうやら自分の命と引き換えに、鳥取の民の命を救った経家様は、今でも鳥取市民のヒーローのようです。
擬宝珠橋から中ノ御門をくぐります(写真①③④)。すでにここで鳥取藩32万石の格式を感じます。この先は工事通行止めだったので、再び堀に出て北ノ御門から入り、仁風閣(仮設)で100名城スタンプを押し登城開始しました。途中に築かれている高石垣に圧倒されながら二ノ丸へ。二ノ丸には登り石垣もありました(写真⑤⑥)。
この後、上ノ城まで登る途中で気づいたのですが、この久松山(きゅうしょうざん)は、山全体が岩盤でできた花崗岩がむき出しの山で、途中に石切り場の跡のような場所がいくつもありました。築城に必要な石の調達には事欠かなかったようですね。
そして北ノ御門から登る事20分、天球丸(池田長吉の姉天球院の居所)まで登ると鳥取市街が一望できます(写真⑥)。でもあれ? 有名な巻石垣はどこ? と思ったらすぐ下に見えました(写真⑧)。知らない間に通り過ぎてしまったようです(笑)。
城を利用して健康づくりの散歩をされている方も多く見かけました。鳥取城は市民の健康つくりの場にもなっているようで、うらやましいというか住んでみたいと感じました。
ではここ天球丸から、まず上ノ城(久松山(写真①②)の山頂)を目指して、登山を開始します。次は上ノ城に続きます。
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羽柴秀吉による兵糧攻めの舞台として有名な鳥取城は、その後に城主となった宮部氏や池田氏によって整備拡張された。城は山上ノ丸と山下ノ丸に分けられる。標高263mの山頂に付櫓を持つ複合天守が建てられ、天守焼失後は山下ノ丸の三階櫓が代用を果たした。菱櫓跡や多聞櫓跡によく残っている石垣も見ておきたい。
| 城地種類 | 梯郭式平山城、山城 |
|---|---|
| 築城年代 | 天文年間(1532〜1555) |
| 築城者 | 山名氏 |
| 主要城主 | 山名氏、吉川氏、宮部氏、池田氏 |
| 文化財史跡区分 | 国史跡(鳥取城跡附太閤ヶ平) |
| 近年の主な復元・整備 | 吉川経家、池田長吉 |
| 天守の現況・形態 | 独立式望楼型[3重/1573年頃築/改築]、複合式層塔型[2重2階地下1階/1605年改/焼失(落雷)] |
| 主な関連施設 | 門、石碑、説明板 |
| 主な遺構 | 曲輪、石垣、横堀、井戸 |
| 住所 | 鳥取県鳥取市東町2 |
|---|---|
| 問い合わせ先 | 鳥取市観光協会 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0857-26-0756 |