金王八幡宮の敷地がかつての渋谷城だと言われており、遺構はありません。唯一、砦の石という物が残っており、展示されております。
時期的に初詣に訪れている方が多いようで、ほとんどの方はお城としての認識はされてないかと思います。
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2023/01/16 12:20
2022/09/01 08:22
金王八幡宮 (2022/06/24 訪問)
平安末期に河崎基家(または子の渋谷重家)が築いた城で、渋谷氏代々の居城でしたが、戦国前期に北条軍の侵攻を受け落城しました。渋谷川東部の台地の縁に築かれた丘城で、城跡には河崎基家が創建し渋谷氏の氏神となった金王八幡宮が現在まで続いています。
渋谷駅側から坂道を上って行くと、周囲より一段高いところに金王八幡宮があり、周囲の道路は水堀跡とも云われます。社殿の脇には渋谷城の石垣の一部とされる石(と説明板)があり、唯一の遺構とされています。その説明板によれば「数箇所に湧水がある」とのことですが、そういえばブラタモリの渋谷の回で、渋谷は三つの台地からなり、台地の縁に多くの湧水があることから縄文の昔から人が集まる場所だった…という内容だったのを思い出しました。台地と湧水の存在は城を築くにも最適の地ですよね。
金王八幡宮の名の由来とされる渋谷金王丸常光は、渋谷重家夫妻が渋谷城内の八幡宮に祈願して産まれ、源義朝に仕えて保元・平治の乱を戦い、義朝の菩提を弔うため出家して土佐坊昌俊と称したと伝わります。そのため境内には金王丸を祭神とする金王丸御影堂や、源頼朝が金王丸の忠節を偲んで鎌倉から移植させたとされる金王桜など、金王丸ゆかりの史跡が見られます。ただ、社伝では金王丸=土佐坊とされていますが、明確な史料の裏付けはないようです。
また、現在の金王八幡宮の社殿は江戸初期に春日局と青山忠俊が造営したもので、竹千代(後の徳川家光)が跡継ぎとなることを祈願し、叶えられたことから寄進したものとされます。
出張中の仕事で渋谷に来ていたので、昼休みにちょっと立ち寄ってみましたが、江戸城で手いっぱいでほとんど下調べしていなかったため、先人方の投稿にある宝物殿の渋谷城模型や算額を見落としてしまいました。天地明察も読んでいたのに……無念。あ、でも渋谷クロスタワーのテラスには行きました。尾崎豊世代ですので。あれからもう30年かぁ…。
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2022/04/11 21:34
2021/11/21 23:30
分類・構造 | 丘城 |
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築城主 | 秩父(河崎)基家 |
築城年 | 永承6年(1051)頃 |
主な城主 | 渋谷(河崎)氏 |
廃城年 | 大永4年(1524)頃 |
遺構 | 石垣の一部 |
再建造物 | 説明板(澁谷城 砦の石) |
住所 | 東京都渋谷区渋谷3(金王八幡宮) |