しぶやじょう

渋谷城

東京都渋谷区

別名 : 金王丸城
旧国名 : 武蔵

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渋谷城砦の石と説明板
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カズサン

やっと辿り着けた渋谷城 (2025/12/02 訪問)

 城びと投稿始めてから渋谷城を認知してからの投稿、今回の登城も外苑イチョウ並木からの約2km程のぶらぶら散歩で足腰パンパン状態で「やっと着けた!」の思いです。
 渋谷城へは青山学園大学の西の通り(八幡通り)を南下して首都高を抜けて、東より金王八幡神社が故地の渋谷城跡へ到着、東山門を潜り本殿を参拝、渋谷駅側よりは小高い河岸段丘上に築かれてとの雰囲気が感じられます。
 渋谷城の遺構、遺物として渋谷城砦の石一個と説明板が金王八幡宮本殿の左側に野外展示されている、源義朝とのつながりがある金王丸御影堂、金王桜、修復記念碑を観て終了。

 歴史は、この辺りの高台は平安時代末期から渋谷氏一族の居城の跡で、東に鎌倉街道(現八幡通り)、西に渋谷川が流れ、北東には黒鍬谷を有し、更に数ヶ所に湧水が有ると言う好条件を備えていた、渋谷城は大永4年(1524年)、北条氏綱と上杉朝興の高輪原の戦いの時、渋谷氏が交戦中だった北条軍の別動隊により襲われ焼き払われしまった。(渋谷城砦の石、説明板より)
 金王丸御影堂の説明板には、渋谷金王丸常光(御祭神)17歳の時、源義朝に従い保元の乱、平治の乱を戦い後出家し、土佐防昌俊と称し義朝の御霊を弔いました。また頼朝とも親交が深く鎌倉開幕にも尽力。義経追悼の命を受け、文治元年(1185年)10月23日夜、心ならずも義経の館に討ち入り勇ましく最後を遂げました。と記載されています。

 渋谷城金王八幡宮を終えて渋谷駅へ、駅周辺、駅自体が大改造されて迷子に成るほどナビでも良く分からない、やっと渋谷駅の指示板を見つけて渋谷駅へ、途中に三階?辺りから初めて渋谷川を遠望しました、奇麗に整備されて川が甦っています。
 渋谷駅の山手線ホームに辿り着き、昔からの渋谷駅に来たと実感、様変わりです。

 東京で家内と食事でもと思ったのですが歩き疲れすぎて食欲もなく、疲れには鰻重が最適と浜松に帰ってうな重を食べようと、東京駅中で土産を買い浜松へ18時半着、浜松駅浜名湖産ウナギ店でうな重を食べほっと一息つきました。東京は歩きが重なります、25,000歩でした。
   

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つば九郎

東京都の城巡り 渋谷城 (2023/09/06 訪問)

渋谷駅から徒歩15分でした。天下の渋谷駅からも近い場所なのですが、この一画だけ妙にひっそりとしている良い感じのところでした。城址は現在は、金王八幡宮になっております。見どころは、やはり砦の石と言われている石ですかね。
あまりにも、さりげなく置かれているので驚きました。攻城時間は15分でした。

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シャンシャン

渋谷にも城があった! (2025/03/05 訪問)

渋谷駅から歩いて10分ほどの距離にある城跡。
渋谷は何度も行ったことがあったけど、再開発が進み高層ビルが立ち並ぶ喧騒の街に、こんな厳かな場所があることはまったく知らなかった。
現在は金王八幡宮という神社になっており、城の遺構はかつての石垣が「砦の石」として唯一置いてあるのみ。

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しんちゃん

金王丸 (2024/12/30 訪問)

渋谷氏の城址である金王八幡宮には金王丸の伝承が残っています。「金王八幡社記」には源義家が河崎基家に渋谷を含める谷盛七郷を与えたされ、基家の子金王丸は源義家に従い、平治の乱の後は出家し土佐坊昌俊と称し義朝の御霊を弔ったそうです。
その後、文治元年(1185)10月23日の夜、義経追討の命を受け義経の館で討死を遂げました。最期は残念ですが、義朝の代から源氏に良く使えた御家人だと思います。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 秩父(河崎)基家
築城年 永承6年(1051)頃
主な城主 渋谷(河崎)氏
廃城年 大永4年(1524)頃
遺構 石垣の一部
再建造物 説明板(澁谷城 砦の石)
住所 東京都渋谷区渋谷3(金王八幡宮)