かわちうらじょう

河内浦城

熊本県天草市


旧国名 : 肥後

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主郭内部を北から南へ
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カズサン

発掘調査され城跡公園整備 (2025/10/28 訪問)

 城郭放浪記さんの昨日のトップ10を毎日閲覧、未踏の城はページを開いて確認調査し、河内浦城もヒットした城で何時かは訪ねたいと思っておりました、今回の鳥取城をスタートし九州一周10日間の5日目、肥後の陣ノ内城を初登城、天草島の富岡城復元の大手門跡石垣、復元百間土手石垣白長塀を初探訪し山頂の二の丸復元西と東櫓、長屋(資料館)は初対面、本丸などは二度目の再登城して、直線で南へ約23km程、経路で県道山道を約30km程の河内浦城跡を目指し隣接の天草市総合交流施設「愛夢里」へ到着。海沿いの国道389号線経由が無難と思います。

 駐車場:河内浦城跡東麓の河内浦城跡資料展示館隣接の駐車場利用
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 河内浦城は平成元年第一次発掘調査、平成三年第二次発掘調査、平成十二年第三次発掘調査を経て河内浦城跡公園として整備されています、東山麓に案内図、柵列付冠木門が登城入口、山頂主郭まで木道階段で整い大変歩きやすい。
 比高30mの山頂主郭部は発掘調査の結果を櫓跡、各建物跡、東屋、柵列、案内説明板(経年劣化で文字が薄く読みずらい)、主郭部の説明板は経年劣化で文字、絵図が薄く読みずらく写真掲載して居ません、主郭北下には切岸、堀切が良く分かる、南の崇円寺側にも道が見えましたが、来た道を引き返す、尾根道が北に伸びて町道に繋がっている。
 東山麓には河内浦城跡資料展示館が在り黄ばんでいますが資料展示、発掘調査発掘遺物が展示されています。

 歴史:ルイス・フロイス日本史には天草氏の城郭で領内には35の村落と4ヶ所の城郭(本渡城、久玉城、河内浦城、下田城)が在ったと言われる、下田城は町田川を挟んで河内浦城から500m程の山城です。河内浦城と下田城を併せて下田城、河内浦城とも総称される。
 天草国土考によれば天正16年(1588年)に没落廃城したと。(以上は河内浦城跡資料展示館掲示資料による)

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todo94

天草の城① (2023/05/03 訪問)

ゴールデンウィーク後半の連休前夜は広島のネットカフェでの前泊。同じことを考えている人は多く、最後の1ブースに何とか潜り込んだ次第です。始発のさくらで熊本に向かい、レンタカーを借り受け天草へ。宇土半島から渋滞に巻き込まれてしまい、久玉城は断念しました。世界遺産の構成資産である崎津集落を散策した後、河内浦城へ。訪れる人は少なそうですが、しっかりと公園として整備されている城でした。麓には資料展示館があり、崇圓寺は館跡とのことです。富岡城が圧倒的な存在感を放つ天草の城ですが、河内浦城もおすすめです。

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ブラタヌシ

砦の雰囲気 (2020/08/16 訪問)

馬防柵が雰囲気を出してます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 天草氏
築城年 不明
主な城主 天草氏、並河氏(寺沢氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、土塁、堀切
再建造物 説明板、柵、冠木門
住所 熊本県天草市河浦町(河内浦城跡公園)
問い合わせ先 天草市河浦支所産業建設課
問い合わせ先電話番号 0969-76-1111