土砂降りとなり,足元はぬかるんでおりました。感覚的に,あまり無理できない土質の印象。水の手曲輪跡から鳥羽山城へとアクセスしましたが,以前は天竜川で仕切られていたとのこと。何かにつけて人間を阻んできた天竜川。この日は全然穏やかで,荒々しい印象は受けませんでした。
写真では伝わらないですが,越後の雨とは違い,一気に体温を奪うような冷たさはなかったです。
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2025/11/12 21:33
2025/09/26 09:01
天浜線乗り潰しの途中で。 (2025/08/09 訪問)
「どうする家康」放映時に訪れて以来です。
天竜二俣駅で下車し、最初に天浜線車両基地での乗車体験ツアー(¥900)に参加しました。鉄道歴史館も洗車体験乗車も楽しかったです。
前回は二俣城まで歩きましたが、今回は天浜線乗り潰しの目的もあったので二俣本町までひと駅乗車し、井戸櫓、清瀧寺、信康廟を訪れました。時代小説をよく読んでいた頃は信康にも築山殿にも徳姫にもさまざまな(よくない)感情をもっていましたが、今は事実を正確に知ることが供養にもなるのかなという思いでいます。
信康廟から二俣小学校をぐるっと巻くコースで二俣城へ向かいました。遊歩道はありましたがちょっとした山の中で周囲も険しめ。あれれ?なんだここは?と思ったら付城群の蜷原砦だったようです。
3人連れの鉄旅でお城は行けないかもと思っていましたが、かっこいい石垣を見上げ、天守台に上がり、天竜川を眺めと充分に楽しむことができました。
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2025/09/13 20:41
二俣城の堀切それぞれ (2025/02/25 訪問)
二俣城には南側先端の南の丸Ⅱ南下に一号堀、南の丸Ⅰと南の丸Ⅱの間に二号堀・切岸、南の丸Ⅰと二の丸の間に三号堀・切岸、本丸と北の丸の間に四号堀・堀切、北の丸の北側に五号堀・堀切(現在は北の集落への道路と二俣城専用駐車場に成って遺構は判りずらい)、南の丸Ⅰの西下に二号竪堀、西の丸Ⅱの南下に一号竪堀が存在しています。本丸に在る二俣城案内パネルに二俣城実測縄張図が掲示されて居ますのでご確認ください。
今だ、一号堀と一号竪堀は未確認です。
今年の2月25日冬枯れの樹木の葉っぱが落ちて、草刈、樹木伐採の清掃整備が出来上がった頃を見図って出掛けました、晴天世良い一日でした。今回の投稿で2025/02/25撮影の写真投稿は終了です。
続いて鳥羽山城を同じく探訪しましたの続いてタイミングを見て投稿させて頂きます。
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2025/09/13 19:45
北の丸・旭ヶ丘神社 (2025/02/25 訪問)
二俣城の北の丸は尾根先端を五号堀・堀切で北の浜松市天竜区役所に在る笹岡城・二俣古城から南に天竜川に沿って伸びる尾根筋を切断されております。現在は北に伸びる尾根筋道、二俣城駐車場で5号堀遺構は少し見にくくなっています。
北の丸の北側東側は切岸崖に成り、西側も切岸崖ですが崖下に登城路が付けられて4号堀・堀切本丸と切られて、本丸北門・食違い門跡と北の丸はコンクリ橋で続いています。
北の丸内部は現在旭ヶ丘神社が鎮座し、日清、日露、満州事変、大東亜戦争で亡くなられた二俣町英霊351柱が祀られて居ます、二俣の靖国神社・招魂社の様な神社です。
鳥居を潜って神社の裏側北側の崖は畏れ多く深入りはしていません、神社参拝してぐるっと見渡して終了です。
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| 分類・構造 | 連郭式山城 |
|---|---|
| 天守構造 | 不明(天守台あり) |
| 築城主 | 松井氏? |
| 築城年 | 16世紀前期 |
| 主な改修者 | 大久保忠世 |
| 主な城主 | 松井氏、中根氏、依田氏、大久保氏、堀尾氏 |
| 廃城年 | 慶長5年(1600) |
| 遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀) |
| 指定文化財 | 国史跡(二俣城跡及び鳥羽山城跡) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣 |
| 問い合わせ先 | 浜松市役所生活文化部文化財課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 053-457-2466 |