ふたまたじょう

二俣城

静岡県浜松市

別名 : 蜷原城
旧国名 : 遠江

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天守台
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ぴーかる

二俣城 (2025/05/04 訪問)

【二俣城】
<駐車場他>二俣城駐車場6台分程あり。
<交通手段>車

<見所>天守台・石垣・石垣虎口跡・堀切
<感想>日帰り今シーズン山城ラスト旅1城目。第43回日本100名城、続日本100名城に負けない名城で特集された二俣城に行ってきました。上記駐車場から山道を進むと、主郭北側堀切に出ます。堀切から北側に北の丸があり神社になっています。社殿の背後に薄い土塁が残っています。北側の食い違い虎口を入ると広い主郭があります。中心の西よりに天守台があります。一部後世の積み直しがされているようですが、堂々とした荒積みの天守台は見応えがあります。主郭の東斜面にも石垣が残されています。二の丸は主郭の南側に仕切り土塁があり、少し段が下がっていて副郭といった感じになっています。二の丸の南東に石垣の大手虎口跡があり圧巻の見応えです。二の丸の南に堀切・南の丸Ⅰ、その南に堀切があり南の丸Ⅱは藪化して入れませんでした。西の丸の曲輪群は切岸斜面の削平地で、ここにも石垣が残されています。西の丸を抜けて徒歩で鳥羽山城を巡り、鳥羽山城に行ったあと、北側の清龍寺にある二俣城井戸櫓と岡崎信康廟を見学しました。

<満足度>◆◆◆

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カズサン

二俣城跡には桜が少ない (2025/04/09 訪問)

 遠州路桜と城廻りで自宅から直線7,8km程の二俣城は外せないですよねと訪ねました、一番のメインは天守台横に在る大島桜ですが古木で痛み始め小振りとなり且つ白い花であまり目立ちません。しかし樹木は新芽で萌出居ます、北虎口北土塁上の欅は新芽が黄緑で美しい、二の丸境の欅の大木も同じく、本丸、天守台、二の丸、大手門石垣周り、南曲輪Ⅰの堀切とさらっと廻り散策して、桜に時期の探訪としました。

 駐車場:北の丸下の駐車場利用
 

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姫街道

二俣城整備に願う事 (2025/03/20 訪問)

二俣城は、「織豊期の軍事的機能に優れた城郭」と「戦国期の山城」の二面性が今でも同居している素晴らしいお城だ。
ただ、残念なことに「戦国期の山城」の遺構が、藪に隠れてしまっている箇所が多い。もっとも本丸西上段の西曲輪など危なくて整備すべきではないのもわかるが。せめて、本丸の北につく腰曲輪などは伐採だけでもやって欲しい。天竜川に落ちる竪掘に対して本丸北側の腰曲輪がいかに守衛したかが一目瞭然でわかるだろう。あと、最南の南曲輪の整備も期待したい。明らかに武田期の構造。山城の魅力が詰まっている。地権者の問題だろう。今は竹藪で入れない。

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T-Shionoya

二俣城 隠しアイテムのある要塞 (2024/12/29 訪問)

昨年末に訪れた静岡県浜松市の二俣城。

天竜川が山地から平野へ流れ出るポイントで、江戸中期まで二俣川の合流点であった比高約40mの要害の丘に築かれた城。
北は秋葉山を経て南信濃に繋がる、遠州平野と信濃を結ぶ要衝の地。

1560年の桶狭間の後、今川家臣松井氏の時代に笹岡城から移転された城と推測され、家康時代は鵜殿氏長、中根正照、大久保忠世が城主に。家康の関東移封により秀吉家臣で浜松城主となる堀尾吉晴の弟・宗光が入り近世的な石垣を導入。1600年の堀尾氏移封後、まもなくして廃城とのこと。

現在は北の丸に神社が建ち、南の丸2は未整備ながら他は少々公園化された国指定史跡の城跡。

実際に訪れると、3つの堀切とセットの土塁が比較的明瞭に存在し、折れを伴う虎口が更に要塞感をアップ。
積み直された部分も多いらしいが天守台や大手門を筆頭に石垣が散在し、本丸東側土塁の外側と西の丸1の石垣はまるでゲームの隠しアイテム。

滞在時間は約1時間半。
年末にもかかわらず二の丸周辺が赤く染まっていた二俣城が、私の城郭巡りの193城目となりました。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 不明(天守台あり)
築城主 松井氏?
築城年 16世紀前期
主な改修者 大久保忠世
主な城主 松井氏、中根氏、依田氏、大久保氏、堀尾氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(二俣城跡及び鳥羽山城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣
問い合わせ先 浜松市役所生活文化部文化財課
問い合わせ先電話番号 053-457-2466