ふたまたじょう

二俣城

静岡県浜松市

別名 : 蜷原城
旧国名 : 遠江

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

🏯城好きのメガネ

「二俣城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★★★★★
二俣城は天竜川と二俣川に囲まれた天然の要害である。信州と三河、遠州につながる交通の要衝として軍事・経済・政治の重要拠点であった。今川氏が城郭の基本を築き、武田氏と徳川氏が争奪を繰り広げた。1572年、武田勝頼を総大将とする武田軍に包囲されるが容易に落ちなかった。井戸櫓を破壊され水を絶たれたため2か月にわたる籠城戦の末、開城した。二俣城は武田氏の支配下に入るが、1575年長篠の戦いで武田勝頼が惨敗したため遠江の勢力を急速に失い、二俣城は徳川氏の傘下に入る。家康は重臣の大久保忠世を城主とした。1579年、家康の嫡男・信康が切腹した悲劇の城でもある。家康が関東に移封されると豊臣氏の堀尾宗光が入城し、石垣の城へと大改修を行ったとされる。現在、県内最古級の天守台や土塁、堀などが遺されている。国指定史跡 鳥羽山城も徒歩圏内にあるため散策することをオススメする。

<アクセス>
天竜浜名湖鉄道 天竜浜名湖線 二俣本町駅 徒歩20分

+ 続きを読む

姫街道

地元のお城でテーマを持って歩く (2021/02/19 訪問)

お会いした事は勿論無いが、同郷の大先輩であろう「カズサン」の最近の地元城巡りに共感。二俣・鳥羽山城をテーマを持って回った。二俣城は桶狭間の合戦以降に現在の位置に築かれた。それまでは長らく現笹岡城(二俣古城)を本城としていた。勿論石垣は1590年の以降であり、今回はそれ以前の山城としての風景をテーマに、西の丸Ⅲと、本丸北側の腰曲輪に入った。まず、西に向かって天竜川に突き出る形の西の丸Ⅲは、天守台の西側切岸が整備されていて、そこから降りた。西の丸Ⅲの北側に狭い帯曲輪が付いているが、見上げる西の丸Ⅲは垂直に削られた露岩、そこから下の天竜川へもほぼ垂直であった。一方で西の丸Ⅲ南側は西の丸Ⅰと呼ばれる川湊や河渡点を抑える重要な箇所も見渡せ、西の丸Ⅲは戦略上重要な拠点であったと感じた。さて、本丸北側の腰曲輪だが、本丸からは絶壁で降りられず、北の丸との間の4号堀 より入って行った。こちらは天竜川の北側に向かって突き出ており、見上げる本丸はかなりの高低差。天竜川から上がってくる敵はここで一網打尽にしたのだろう。
二俣城は、三方を川に囲まれた尾根を5本の堀切で遮断し、曲輪間へ巧みに高低差を生み出している。天守台石垣や虎口が注目されるが、城の全体像も非常に面白い。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

草刈整備され遺構が良く観察出来ます、南・西側編 (2021/01/16 訪問)

 続きです。
 二の丸内部、大手門跡、東、南土塁も草刈り景観整備され良く観察出来ます、二の丸南下と南の丸Ⅰ間の箱堀も大きく圧巻です、南の丸Ⅰは草が刈られ南側の石垣残渣も良好観察、夏は草が茂り突入に躊躇します、また西側の石垣も観察出来ました、南の丸Ⅰ南西虎口から南の丸Ⅱ間の横堀観察、堀は草が刈られ手ましたが内部は竹の倒竹、藪状態、堀より眺めるだけ、戻って南の丸Ⅰ北の堀から西に西の丸方面へ、6年前に発掘発見された西の丸Ⅰ南側石垣を観察探訪をと訪ねるが虎ロープで危険に付き進入禁止、チョットアプローチするがザイル、補助道が無いと危険でした断念して、同時期に発掘発見された西の丸Ⅰ西側石垣を観察、このまま西の丸Ⅰ(水の手曲輪)を降りて天竜川堤防を進めば鳥羽山城搦手道に繋がりますが車の在る駐車場に又登り戻り、戻り道、西の丸から本丸の西稜線が見えますが急峻な崖、切岸で威圧され見応え十分な景観です。
 1時間程でしたが充分堪能楽しめました。同時に二組の方が探訪されてました。 早く武漢コロナウイルスが収束して呉れる事を祈るばかりです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

草刈整備され遺構が良く観察出来ます、北側編 (2021/01/16 訪問)

 自宅から北に7km程と近くに在る二俣城、鳥羽山城を冬枯れの遺構観察に良好な時期と探訪しました、思惑通り地元の方々、区役所、文化財課の環境整備の賜、良好観察が出来ました感謝感激です。
 良く遺構が観察でき写真を撮り過ぎましたので北側編(駐車場から本丸)の投稿です。・・曲輪の名称は浜松市文化財課2017年3月発行の二俣城・鳥羽山城探訪マップに依ります。
 駐車場からトイレ、案内板下の堀切、本丸北門北土塁下の大堀切竪堀、草が刈られ大きさ凄さが実感、同北土塁の高さと存在感で圧倒されます。食い違いの北門を入り、本丸東側土塁は草が刈られ本来の石垣が内側、外側も良く遺構が観察できます、威圧した北土塁の内側には石垣が在った事が良く分かります、天守台は常時よく観察できます大きな存在感抜群、二の丸境の石垣、中仕切門前後の石垣、外枡形も注目です。
 土塁と思ってた所が実は石垣積だったと分かる草刈り景観整備です、時期は桜が咲くまでです要お薦め!
 続きます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 不明(天守台あり)
築城主 松井氏?
築城年 16世紀前期
主な改修者 大久保忠世
主な城主 松井氏、中根氏、依田氏、大久保氏、堀尾氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(二俣城跡及び鳥羽山城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣
問い合わせ先 浜松市役所生活文化部文化財課
問い合わせ先電話番号 053-457-2466