<オススメ>★★★★★
二俣城は天竜川と二俣川に囲まれた天然の要害である。信州と三河、遠州につながる交通の要衝として軍事・経済・政治の重要拠点であった。今川氏が城郭の基本を築き、武田氏と徳川氏が争奪を繰り広げた。1572年、武田勝頼を総大将とする武田軍に包囲されるが容易に落ちなかった。井戸櫓を破壊され水を絶たれたため2か月にわたる籠城戦の末、開城した。二俣城は武田氏の支配下に入るが、1575年長篠の戦いで武田勝頼が惨敗したため遠江の勢力を急速に失い、二俣城は徳川氏の傘下に入る。家康は重臣の大久保忠世を城主とした。1579年、家康の嫡男・信康が切腹した悲劇の城でもある。家康が関東に移封されると豊臣氏の堀尾宗光が入城し、石垣の城へと大改修を行ったとされる。現在、県内最古級の天守台や土塁、堀などが遺されている。国指定史跡 鳥羽山城も徒歩圏内にあるため散策することをオススメする。
<アクセス>
天竜浜名湖鉄道 天竜浜名湖線 二俣本町駅 徒歩20分
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