(続き)
搦手への石段を下りる途中に裏切手門があり、かつては埋門の上を本丸御殿の表向と奥向を結ぶ七間廊下が通っていました。さらに石段を下りたところが裏鉄門で、鉄板で覆われた門扉の櫓門が設けられていました。裏鉄門に南接する腰巻櫓の石垣は明治に大規模に崩落し、後に少し形を変えて積み直されており、今もその痕跡が見られます。
裏中門へと続く石段を下りる前に、十三番門跡から本丸下段の腰曲輪へ。涼櫓が建っていた本丸北面の石垣沿いに進んだ先には、小姓櫓跡や色付櫓跡があり七番門跡から天守台北下に至る…はずですが、長櫓の下あたりにトラロープが張られていたので、その先は未確認です。石段を下りたところが裏中門の桝形で、裏中門を抜けると搦手側の二の丸です。二の丸の北辺には荒和布櫓、道明寺櫓、干飯櫓が建ち並び、西端の肘櫓に南接する格子門は西側の二の丸へと続いていますが、この先は先ほど探索しているので、北西部の裏下門に向かいます。裏下門は搦手の最後(というか最初?)の櫓門で、門の下には紙櫓と肘櫓に挟まれた石段が続いています。
石段を下りて行き、表門側へ続く南側の三の丸は腰掛跡と十九番門跡のあたりで石垣修復のため通行止めになっているので、北側の裏門から退出しました。裏門の東には薬研堀が水をたたえ、二の丸石垣と薬研堀の間には池上門と番所があったようですが、現在は舗装道になっていて痕跡も見られません。そのまま東に進んで、三の丸を抜けて二の丸に通じる桜門跡まで行きたいところでしたが、麦櫓跡を見上げるあたりまでで通行止め。裏門前まで引き返し、厩堀をぐるりと回り込んで駐車場に戻りました。いくつか取りこぼしはあるものの、さすがは日本三大平山城、豪壮な石垣を存分に堪能した2時間半でした。満足満足。
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