香川画伯の岩略寺城俯瞰図に描かれてる登屋ヶ根城も岩略寺城、長沢城と周辺、巨勢陣屋を探訪し歩き疲れ足裏が痛み出したので車を駐めた誓林寺へ戻り登屋ヶ根城へ向かいました。
ガイド情報は城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依ります。
住所:愛知県豊川市長沢町番場37
駐車場:在りません、閉館ホテルの入口スロープへ縦列路駐
登城経路:国道1号線の関谷交差点から西に100m先に吉川塗装手前の細い道を南は入る道なりに約300m程に閉館ホテル入口
登城:北側のホテル入口から少し戻ると竹林中に白い城名標柱が有ります、標柱が竹林樹々に囲まれて横の解説文は確認できず、標柱からさらに戻って深く大きい空掘りが有ります、1郭の北東角の土塁が高切岸で立派に残って居ます、空堀の東側2郭の登城路を登り空堀を上から望む、2郭は畑の様です、あまり入り込めないので降りて南側へ西先端を回り込み南側から眺めると東に2郭へ登る登城路有り、南側の空堀も有るが樹木で覆われている、登ると北側空堀と南側空堀が喰違い、土橋と成って居る、2郭は現在畑の様、1郭と西先端は閉館ホテルの敷地の様、覗ける所から確認してあまり深くは入りませんでした。
見所は1郭と2郭間の食違い空堀でしょうか?、1郭の北東角の高土塁と深い空堀も見ものです。
(1郭、2郭は余湖図コレクションさん俯瞰図の名称に由ります)
また、南側に20,30mの所に江戸期に造られた長沢「フロノ下」の猪垣が有ります、猪、鹿を防ぐ石垣だそうです見事な造りです。
歴史:現場の城名標柱の案内が確認出来ませんでしたので、城郭放浪記さんの内容によると今川氏により造られ、桶狭間合戦の後、家康に備えて今川の家臣を城番に置き、永禄4年(1561年)家康が攻略した。
詳細は城郭放浪記さんを見て下さい。
+ 続きを読む