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にのまる

ご無事で!

 世の中大変なことになってきて、どんどん良くない方へいってしまう状況に右往左往しております。感染者数の少なくない地域に居住していますので、一刻も早く完全に家ごもり出来るよう策を練っているところです。いいねも全然せずにすみません。
 皆様方の、どなた様とも、一度もお会いしたことはありませんが、勝手にお友達のつもりでいます。
どうか…死なないでくださいね!!

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小城小次郎

大垣城

郡上八幡城の天守は大垣城がモデルだったということを考えていたら、郡上八幡城がモデルにしたのは戦前の「現存天守」であったことに気が付いた・・・あれ?郡上八幡城の話になってるなw

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国重

地元の方々がよく整備してくださっています。 (2020/04/03 訪問)

 大崎城は天正9年(1581)の織田方の武将羽柴(のちの豊臣)秀吉の因幡侵攻の際に毛利方の陣城として利用されたことがよく知られており、当時の城主は様々な説がありますが、田公高清と言われています。織田方の武将松井康之が泊城(湯梨浜町)を攻撃した際に毛利方の船団を壊滅させ、その援軍に大崎城から船団が派遣されましたが、松井水軍に敗れ、その際、大崎城の山下は焼き払われました。
 日本海に突き出した標高約93mの岬の上に城が築かれており、三方向が日本海に面し、海上交通の要衝と言える場所です。この城の特徴は土塁に囲まれた主郭から東側へ連続して続く曲輪、南側の細長い土塁と通路空間が挙げられます。また海側の斜面には細長い曲輪を多数設けているのも特徴的です。【現地案内板より】

 登山道は、手すりやロープなどもきちんと整備されています。地元の方にお話を伺うと、5、6年前までは藪になっていたのを木を切って整備したのだそうです。本丸は土塁がよく残り、海も見えてとても気持ちがいいです。曲輪5から井戸に降りれますがとても急なところにある小さな曲輪を梯子やロープで降りて行きます。スリルがありおもしろかったですが、しっかり準備して降りてください。

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ぴーかる

鈴木重勝 (2020/03/20 訪問)

【柿本城】
<駐車場他>道の駅 鳳来三河三石
<交通手段>車

<見所>曲輪
<感想>1泊2日東三河・東美濃御城印取得の旅4城目。3/7に長篠城址史跡保存館にて御城印を購入したので今回計画に入れて攻めてみた。井伊家の被官鈴木氏の城で鈴木氏を含む井伊谷三人衆が徳川方に入った後、1568年頃築城されたようです。
 城は本丸・二の丸・出丸が比較的主な曲輪となっており、三の丸は腰曲輪程度。本丸周辺には帯曲輪がある。本丸とその下段の帯曲輪には柵列や冠木門が復元されており当時の雰囲気をかもし出している。堀切・土塁遺構は見られなく、簡単なつくりの城跡です。満光寺本堂の向かって左手から登城して10分ほどでたどり着くのでお手軽に行けます。

<満足度>◆◆◇

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カルビン

ラス詣の後の寄り道 (2015/12/29 訪問)

2015年の年末、愛知県のお城見に行った帰り、時期的に年内最後のお参りなのでラス詣として豊川稲荷へ参拝しました。
その後豊橋駅から新幹線乗って帰るところだったのですが、時間に若干の余裕があったので牛久保城のある牛久保駅で途中下車しました。

もともと牛久保城訪問ではなく、今川義元と山本勘助のお墓に行く方が目的だったので、牛久保城がバーターだったわけでw

空き地の土がかなり盛られた場所に大きな碑石(忠魂碑)があり、別途解説版と城碑のみある牛久保城。。。後ろの土盛が土塁と思っていたのですが、どうやら違うようで・・・という事で遺構は残っておりませんでした。
駅からすぐっていうのがウリですが、何せ電車の本数が多い訳では無いので・・・

牛久保駅の最寄りには今川義元(と一色刑部)のお墓がある大聖寺と山本勘助のお墓のある長谷寺、そして山本勘助の父・貞幸の居館跡(表示のみ)があるので、一緒に見学して牛久保城の1セットとするのが宜しいかと。


山本勘助のお墓(と供養塔)、他に静岡県の医王寺や長野県の川中島の千曲川流域にもあり、どれが本当のお墓なんでしょう?(戦国武将あるあるw)

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カズサン

政宗が攻略した岩代小浜城 (2016/04/12 訪問)

 平成28年4月中旬福島県伊達郡の桑折西山城を終えて国見IC経由東北道で二本松IC降り伊達氏関連の城二本松市小浜地区に在る岩代小浜城を初登城。
 この時期東北道を往来し国見峠から上り道伊達地区の桜に桃の花梨の花と高速道から見下ろす景色はさも桃源郷の如く素晴らしい景色です私なりには中央道の飯田市付近、富士宮市から甲府市に通てる国道358号線峠から甲府盆地を望む辺りが三大桃源郷と自認してます。(まだまだ他にもあると思いますが)

 二本松ICを降りて国道459号線を東に走行、二本松市立小浜小学校を目指し案内板にて北山手方向に登ると本丸東横に駐車場。
 こじんまりとした城跡で本丸と東に二の曲輪、その間が駐車エリアと案内解説板、本丸南面に蒲生時代の石垣、登城階段、本丸は二段に成って居り公園に成ってる、西に堀切と三の曲輪、北、北西方向には奥羽山脈残雪が桜との共演で美しい。

 政宗が家督を継いぐ天正12年(1584年)当主大内定綱は臣従したが翌年離反し蘆名氏に付くが小手森城を政宗が落とすと定綱は会津蘆名氏へ逃げ小浜城は無血開城、以後奥州仕置きで蒲生氏、石垣等に改修、上杉氏、再び蒲生氏と成り江戸初めに廃城。

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カズサン

春爛漫桜に覆われた城跡で一人風情に酔う (2016/04/12 訪問)

 平成28年4月中旬福島県伊達市梁川城を終えて西に約10km程、阿武隈川を渡り国道4号線、JR東北本線、東北新幹線、東北道を越えて奥羽山脈東山稜に在る桑折西山城を初登城。

 前情報で東北道を潜った近くに公民館の駐車場と得て居たのですが先客が有り駐られず、登って行くうちに登城入口の看板を確認、駐車場を求めて登って行くと満開の桜に覆われた常称寺にたどり着き門前に駐車させて戴く、余りにも桜が見事で奇麗なので登城前桜見学と写真撮影。

 常称寺から2、300m下った所が登城入口、登城路は未舗装で約500m登る、軽トラ、軽四駆なら問題なく登城出来大手門過ぎの空きエリアに路駐可能。

 大手門跡の石碑、同土塁に迎えられ、東に幕末戊辰戦争時の砲台場跡、そのまま本丸に登って行く、途中に本丸門跡らしき形跡を見るが案内板も無く不認識、東の曲輪、本丸石碑と標柱(ここに散策マップ有り)、石碑に桜の大木が満開で素晴らしく、晴天、伊達市街地の眺望宜しく登城者は私一人雰囲気にどっぷり浸かりました、二の丸本丸間の掘、二の丸は数段の曲輪で構成、西側に土塁、石積、二の丸と唐沢の間の堀切、西高台に中館、西舘の曲輪と天気も良く大変良い探訪でした。
 最近の投稿でにのまるさん、いんげん丸虫さんの写真によると整備も進み歩きやすき見やすくなって来てるようで城郭整備が進み嬉しい限りです。

 この城は伊達政宗の曾祖父伊達稙宗が梁川城から天文元年(1532年)居城を移した事で有名で稙宗、晴宗父子の天文の乱後稙宗は丸森城へ、晴宗は米沢城と移り廃城、政宗は米沢城か舘山城で誕生したと言われ舘山城保存会の方は政宗生誕城として碑を建てています。

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リョウスケ

津山城(鶴山公園) (2020/03/19 訪問)

戦国の時代らしい力強い石垣(井楼積)が美しい城郭
室町時代(1441)、この地を治める山名家が築城、当時は鶴山城と言われていました。
関ヶ原の戦(1600)後、小早川家〜森家が城主となり、1604年森忠政(森 蘭丸の実兄)により津山(鶴山)城の大改修が始まった。

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小城小次郎

小牧山城

全山これ要塞で山まるごとが国史跡のすごい山。昔からちょいちょい訪ねているが、徐々に整備が進んでいる。が、決して行き過ぎた復元ではなく、ほど良い感じなのがちょっと嬉しい。

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ダイエティシャン

三刀屋城〜桜の道100選から車で10分 (2019/04/02 訪問)

 桜の道100選から、車で西に10分です。
 途中の道に信号機が設置してあり、片側通行となっていました。カーブの多い道です。
 私にとって新発見の郭らしきものがありました。とても嬉しかったです。
 馬場跡の案内板には、土塁や石垣跡が、丁寧に記されています。石垣探しも楽しいと思います。
 山頂には、登り石垣もあったそうですが、発見出来ませんでした。
 本丸跡や馬場跡に地面を耕したような跡がありました。猪?熊?誰かが草が覆わないように耕したのか?大雨?不思議でした。

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ダイエティシャン

城名樋山城跡(きなびやまじょうあと 又は かんなびやまじょうあと) 出雲国(島根県雲南市木次町里方〜桜の桜100選から、車で10分) (2019/04/02 訪問)

 桜の道100選から、車で北に10分。桜の見頃は、桜の道100選と同時期。登山口入口に
専用駐車場10台程あり。途中の空き地や駐車場に停めると、警察に通報されるそうです。

 案内板より、
「中世になると本格的な山城が築かれるようになり、山頂付近には、山城の名残を留めている色々な跡がよく残っており、以下省略。」
 私見ですが、10を超える郭の跡が良い形でのこっていました。登山道もきれいに整備されています。山頂の桜も桜の道100選に劣らず、素晴らしいです。山頂からは、桜の道100選が、一望出来ました。またお隣の三刀屋城跡の山も見えました。空堀、堀切らしきものもありました。
 登山口まで、満開の桜が歓迎してくれました。登山口迄は、片側通行もあり、カーブも多く、待避所も少ないので、低速走行をおすすめします。
 私が訪れた時期は、良く整備されていましたが、普段は、わからないので、予め、市や観光協会等で確認されてから、攻城されることを、おすすめします。

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ダイエティシャン

戸倉城跡 出雲国(島根県出雲市所原町)絶壁です。登山道は、未整備 (2019/04/02 訪問)

絶壁です。登山道は未整備。登山道から、熊や猪避けの柵伝いに登山しようとしましたが、熊等、倒木等、身の危険を察知し、山頂まで行けず、引き返しました。

案内板より、「ポツンと孤立した急峻なこの、の要害山は、標高300メートル山麓(現在地)から、約200メートルの山である。山頂と東下の尾根の平地が古城の名残である。省略 戦国の頃、かなり、有力な城であった。省略 最初は、尼子の部将 古志氏の出城であり、以下省略」

途中の道路は、民家の私道らしい道を通ります。駐車場(舗装無しの原っぱ)があります。
行くまでの道路で、桜を見ることが出来たのが幸いでした。

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カズサン

桜に誘われて出掛けて来ました (2020/04/02 訪問)

 ここ4、5日雨に降られ本日は風が強いもの久し振りの晴天、浜松城の桜は如何にと午前中出掛けて来ました、満開に近い桜、2,3部咲きの桜と有りますが十分に楽しめます、今度の土曜、日曜が見頃なのでしょうか?
 又二の丸跡の発掘調査現場トレンチは埋め戻され元小学校跡地は更地に成って居ました、発掘調査報告会はコロナウイルス騒動が鎮静したら有るのではないでしょうか?
 天守台西横の八幡台が手前の樹木伐採に因り見やすく成って居ります、日本庭園の枝垂れ桜は樹勢が弱って来たようで10年前に比べれば枝ぶりが少なくなり桜の付きが少ない様です、人出はそこそこ二の丸北の駐車場は8割方の入り状況。

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水島工業地帯を見下ろす (2020/03/29 訪問)

かつては海につき出した岬であったと。城の南西は海食による崖・急斜面で、下に水島工業地帯が拡がる。花崗岩の山体で、石垣の材料は現地調達できる。楔跡がある石もあった。
遊歩道が整備されている。本郭下からは直登。山の北側に登城口があり石碑があるが、道から少しはいったところで分かりにくく、さらに石碑が地盤沈下して目立たない。本郭東の平削地に神社があり、参道の階段を利用するのが分かりやすい。

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todo94

16年ぶり3度目 (2020/03/29 訪問)

水城から歩いてアプローチしました。特別史跡のチェックに邁進していた2004年以来、16年ぶり3度目の太宰府です。その間、何度か行こうとしたことはあるのですが、太宰府天満宮に続く大渋滞に阻まれてきました。今回は徒歩なので渋滞は関係ないのですが、さすがに渋滞は全く見られませんでした。此処を城と認識してからは初めての攻城。観世音寺にも16年ぶりに脚を伸ばして、戒壇と素晴らしい仏像群を拝んで参りました。

個人的には水城、太宰府は大野城と併せて100名城として欲しかったです。

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カズサン

伊達氏300年の居城 (2016/04/12 訪問)

 平成28年4月中旬朝駆けで福島城を探訪し朝食後福島駅前ホテルから北東に約20km程の伊達市梁川城を初登城。

 車は二の丸梁川高校グランド横の駐車場利用、北側に専用駐車場有り。

 伊達氏300年の居城と言われてる梁川城は元梁川小学校に本丸が在り小学校は移転の為更地に為ってた、隅に保育園が建ってる、本丸内に庭園(心字池)と東面に石垣と続き土塁が残ってる、土塁の北に浅間神社、二の丸は梁川高校グラウンド、西と北に三の丸北の三の丸に枡形虎口、馬出、濠が有るとの情報で北側近くの団地まで行ったのですが発見確認できず残念です。 当時スマホも持って無く地図での確認できず、今は良い時代に成りました。

 梁川城は天文元年(1532年)伊達稙宗がここから西に10km程の桑折西山城に移し伊達宗清が入り支城へ、秀吉の奥州仕置き後蒲生氏郷、上杉氏と替わり幕府領、幕末蝦夷松前領となり明治を迎える。

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小城小次郎

平戸御館

建物は明治のものだが、よく考えたらここは平戸城が出来る前に平戸藩の藩庁だった場所だった。ちなみに離れの茶室で頂くお抹茶がおいしかった。

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児島半島が、島だった頃 (2020/03/29 訪問)

本郭近くまで車で行けるが、敢えて自力登城してみました。縄張りや歴史の説明板は、駐車場にあり、自力登城すると経路に説明板はありません。
説明板がアップされていなかったので投稿します。
空気が澄んでいて四国が近くに見えました。江戸初期まで児島半島は、島でした。戦国時代は、児島を四国勢が狙ってたと記述を見ますが、なんで瀬戸内海を渡って攻めてくるのかと腑に落ちなかっです。地図を見ると、高松→児島と児島→岡山の陸地の距離は、同じ位だったのですね。四国勢が攻めてくるのも分かりました。

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くっしー

これでは、信長の攻撃に耐えられんよね(~_~;) (2020/03/29 訪問)

斎藤道三の父親を取り立てたことで有名な長井長弘が築いたとされる城で、
1565年に信長に攻められると、その時の城主の長井道利は戦わずに逃げ出したそうです。

まあその後使われることもなく、400年以上経っているので竪堀も浅くなっているのでしょうが、
それにしても単純なつくりなので長期間籠城できるような城ではないですね。
現在、本丸跡は安桜山御嶽神社の境内になっており、その周りに帯曲輪が二重になっています。

安桜山の麓には関善光寺(宗休寺)がありますが、こちらは素晴らしい。
立派な本堂や大仏殿、半鐘などがあり、訪問した時には桜が綺麗に咲いていました。
カフェがあり、ランチもあるみたいです!

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モト

石垣、空堀の残る見事な城跡です!! (2019/09/05 訪問)

ちょっとした山を登ると現れるその城跡は曲輪、土塁、横堀などのしっかりとした縄張りが残っています。
また、わずかな範囲ではありまますが石垣も見事に残っています。
私は、今回で2回目の登城でありました。
皆様の投稿を見ますとやはり評価の高いお城ですね。私もお気に入りです。
また、色々と登城口があるようですが、2回とも私は十二曲り登城道より登りました。
15分くらい登りますと城跡に到着です。
北城、中城と周って本丸に向かいましたがその間も見事な曲輪、高い土塁や空堀が確認できてこれだけでも満足です。
本丸から吹貫門へ周っていく途中には2つのおすすめ所がありました。
まずは本丸石垣です。
残っている範囲は小さいですがはっきりとそれとわかる見事な石垣です。
さらに2つ目は足元にご注目です、石段の跡です。
かつてここに石段があったことが容易に想像することができる石段です。
石垣に加えて城跡の雰囲気を増すアイテムでございました。
そしていよいよ吹貫門跡に到着です。
ここでは再び、ほんとに見事なと言っていいか、かっこのよいと言うべきか迷う石垣です。
何度も眺めてしまいました。

この城跡は石垣、空堀、土塁から土橋に至るまであらゆる城跡の見所を備えた素晴らしい所だと思います。
栃木県では絶対、おすすめの城跡だと思います。

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