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トク

「福岡城さくらまつり」と「潮見櫓一般公開」 (2025/04/01 訪問)

福岡城さくらまつりに行ってきました。桜は満開でとても綺麗でした。福岡はここ1週間好天が続き、桜も長く満開状態が続いているので、各地とても人出が多くにぎわっています。

さくらまつり終了後、いよいよこの天守台周辺では発掘調査が始まります。天守は本当にあったのでしょうか? 今後の行方が楽しみです。

三ノ丸北西隅には、再移築された潮見櫓の一般公開も始まっていました。外側の下見板張りや内側の床板などは新しくなっていましたが、天井の梁や瓦は再利用されていました。決め手となった木札も見る事ができました。
 

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Tokyobay

元野球場の痕跡が残る御用米曲輪 (2025/03/09 訪問)

その名の通り米蔵があったらしいが、こんな広大な敷地が米蔵オンリーとは思えず。現在発掘中とのことだが、今後あらたな発見があるのかもしれない。ちなみに、北条時代は庭園だったとか。尚、戦後は野球場として使われており、復元過程でその痕跡が確認できるのは歴史の皮肉か。

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HKISD

黒崎城散策 (2025/03/31 訪問)

桜が最高の黒崎城跡でした。
黒崎の町が見渡せました。
一番上の駐車場(15台はいけそう)に停めて直ぐにつきました。
花見は最高でしょう。

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HKISD

花尾城散策 (2025/03/31 訪問)

ここは中、東、西の道がありました。
横には皿倉山、見下ろせば八幡の風景が一望できる所でした。
中から登り四ノ丸、三ノ丸、二ノ丸、本丸と続きました。
西の道は上りやすく、碑がありました。

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岩倉桜まつり (2025/04/03 訪問)

 久しぶりに岩倉城跡へ行って来ました。
城の東側を流れる五条川は天然の堀としての役割を果たしていたと思われます。この五条川は愛知県屈指の桜の名所で日本の「さくら名所100選」にも選ばれています。行ったときには岩倉桜まつりが開催されていました。約1300本の桜(ほとんどがソメイヨシノ)が植えられているそうです。城址へ来たかったのか、桜を観たかったのか。

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桜の季節に (2025/04/03 訪問)

 桜の犬山城が観たくて登城してきました。今年、早くも3回目の登城です。満開に近く、いい風景を観ることができました。
以前から桜の季節は混雑するため、桜の名所となっている城址は避けて来ました。今回は何となく犬山城天守閣と桜の共演が観たくなり行って来ました。

 城びとに掲載されていた小和田哲男先生の城をめぐる最新研究 第5回「犬山城天守は天正13年から16年にかけて築かれた」は興味深い記事でした。金山城の天守を移築したという「金山越し」の話は初めて知りました。

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪9/17日比津城 (2025/03/29 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内9城目日比津城へ小田井城から南南西に約3.2km程に在り、グーグルマップ史跡マーク日比津城跡の在る大円寺東の参拝者駐車場を目指して走行。

 駐車場:大円寺東側参拝者駐車場6台可。交通量は少ない。
 参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップに依る。

 車を駐めた東門より大円寺に入りまず本堂を参拝、大円寺は浄土真宗高田派の寺院です。
 本堂の西前に野尻氏と伝わる石塔が2基、石板碑には碑文が刻まれていますが風雨に曝されて黒ずみ良く判明できません。墓所基壇右下に「日比津城主墓所改修/昭和六十二年十一月」石碑が有ります。
 又南側の参道の角柱門柱左側には日比津城主御菩提所と刻まれて日比津城が前面に出て来ました、進んで山門前に大円寺石塔の案内看板が立っている、それによると「石塔は日比津城主野尻氏の墓塔と伝えられる。時は南北朝、室町時代に当たり名古屋市内で最も古い石塔紀年銘である。」名古屋市教育委員会記を抜粋。
 石塔は大円寺境内に在り大事に祀られている。
 境内に素晴らしい姿かたちの松が有り写真も投稿します。

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ぴーかる

畠山館 (2025/02/08 訪問)

【畠山館】
<駐車場他>畠山重忠公史跡公園観光駐車場10台分程あり。
<交通手段>車

<感想>1泊2日埼玉大阪化計画第2弾、3城目。深谷市の観光サイトによると、畠山重忠公史跡公園は畠山重忠公の館跡を整備した公園で、重忠とその家臣の墓といわれる五輪塔や産湯の井戸などが残されています。公園内の銅像は一ノ谷の戦いの「鵯越(ひよどりごえ)の逆落し」の際、愛馬三日月を背負って崖を下りたという逸話を表したものだそうです。
 現地はよく整備されており、畠山重忠公墓のリーフレットもあります。遺構はほとんど残されてはいませんが、石組み井戸も残されていて、なかなか良い史跡公園でした。

<満足度>◆◇◇

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津市 宮山城、城山城(城びと未登録) (2025/03/23 訪問)

 宮山城は、小牧·長久手の戦いの際に、織田信雄側についた、地元の木造氏の支城であったものを 蒲生氏郷が攻め取り、この南方の木造氏の本拠である戸木城を攻める拠点として、改修したとあります。なだらかで低い丘陵の頂上に、二重の堀と土塁で陣地を作っています。土塁は高く、折れが多用されています。その構造や山の一画に構えている様子など、賤ヶ岳の戦いの砦と共通点を感じます。
 宮山城から北東500mにある、城山城は、同時期に新設されたと。低い丘陵の南端に作られています。こちらは、土塁は目立ちませんが、堀の配置が複雑です。
 戸木城は、河岸段丘を利用。現在は、小学校の用地になっています。

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George

坤櫓(三ノ丸南西方向から) (2024/03/28 訪問)

坤櫓(ひつじさるやぐら)は、二ノ丸の南西隅に位置する二重三階の櫓で、2014年に建物の骨組みに釘や金物を使用しない伝統的工法で復元されました。櫓は矢蔵とも書かれ、平時は、武器庫として使用されていたことに由来しますが、有事の際には、物見や敵に対する攻撃拠点としての役割もありました。

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George

巽櫓・東御門(三ノ丸南東方向から) (2025/03/28 訪問)

手前は1989年に復元された巽櫓で、全国にある城の櫓建築でも類例の少ないL字型の平面をもち、とくに防御性能に優れた櫓として注目されています。右手奥の東御門は1996年に日本古来の伝統工法にのっとって復元され、現在、駿府城の資料館として公開されています。

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪8/17小田井城 (2025/03/29 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内8城目小田井城へ番外登城清洲城から南東に約3.0km程(九之坪城からは南へ3.6km程)に在り、グーグルマップ史跡マーク小田井城址碑の在る城跡公園を目指して走行。

 駐車場:無し、公園北通路(35°12'24"N 136°52'24"E h=0m)に路駐。トイレ有。交通量は少ない。
 参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップに依る。

 城跡公園の北西コーナーに基壇を用いた角石盤城名「小田井城址」石碑がある、又東傍に角柱の「小田井城址」石碑が立っている、公園は児童遊戯も備わった小公園、北東角にトイレが有ります。
 石碑裏面には碑文が有り。
 「織田俊定斯波氏ノ守護代トナリ尾張下四郡ヲ管シ数世之レニ居リ後羽柴秀吉ノ為ニ逐ハレ廃城トナル。」
と読めるのですが?良く分からい所もある。
 ここも城名石碑のみ。
 

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イオ

信長スタイルの天守 (2024/12/01 訪問)

室町中期に多賀出雲守徳言が城山(臥牛山、巴山とも)に築き、戦国前期には高山外記が在城した天神山城を前身とし、織豊期に飛騨一国を領した金森長近が飛騨国統治の拠点として鍋山城に替えて築城しました。江戸中期に金森氏が移封されると加賀藩が在番し、飛騨国が天領となると破城の上、廃城となりました。

ニッポン城めぐりのオフィシャルツアーで訪れました。城山公園(二の丸跡)の金森長近公銅像の前で集合写真を撮り、加藤理文先生の解説で城内をひとめぐり。破城の際に石垣の石材は徹底的に運び出されたそうで、本丸の周囲を覆っていたはずの石垣はすっかり無くなっていますが、それでも中段屋形を経て本丸に向かう登城道沿いに矢穴のある石垣などが見られました。太鼓櫓跡にも石積みが見られますが、加藤先生によればこれは遺構かどうかは微妙なんだとか。使者の間の石垣は明らかに復元ですね(説明板にも書かれていますが)。

本丸には本丸屋形の礎石列が見られます。本丸には本丸屋形が石垣から一部せり出すように建ち(懸造り)、屋形の西端には屋形に乗せたような天守が建てられていました。本丸屋形は藩主の居住空間でもあったようです。岐阜城でも安土城でも織田信長は天主で暮らしていたとされますが、羽柴秀吉の時代の城でありながら、天守を居住空間とする信長スタイルで建てられているところが面白いな、と。金森長近は信長の幼少期から養育係として長く仕えてきたので、信長の死後もあえて信長スタイルを貫いたんでしょうか。

本丸から大手道を下りて行く道中にも本丸南東面に石垣が見られました。そして南之出丸からさらに大手道を進むと、大手門と思しき巨大な石垣が見えてきました。これは! と思いましたが、昭和に公園の修景のために積まれた模擬石垣とのこと。そりゃそうか。破城されたのにこんな立派な大手門石垣が遺ってるはずないですもんね。

…と、復元や模擬の石垣はあるものの、破城に伴って遺構はほとんど遺っていませんが、加藤先生には自分では見落としていただろう石垣の痕跡をいくつも案内していただき、秀吉の時代に信長スタイルの天守を建てたという説明にも大変興味を惹かれました。「金龍がゆく紀行」として金森長近の生涯をたどってみようと思った理由のひとつでもあります。
 

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todo94

3年連続の五島列島で城カードゲット (2025/03/29 訪問)

3年連続で3月末に五島列島に来ています。2023年は小値賀島(この島は平戸藩領なので個人的には五島と呼びたくありませんけれども。)、2024年は奈留島、そして今年は久賀島です。すべて世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産が目的です。3月28日(金)の朝にフェリー太古で福江島に到着しました。福江港旅客ターミナルの売店にて福江城(これも個人的には石田城と言いたい。)の城カードを購入しました。久賀島では昼食を調達できないと思い、コンビニにて昼食を購入してから久賀島へと渡ります。レンタカー予約の電話は事前に入れておいたのですが、この日はスタッフが不在で借りられないことが分かっていました。田ノ浦港から旧五輪教会まで14km余りの道のり。拝観予約時刻の11:30までジャスト2時間しかありません。速歩だけでなくかなり走って何とか11:35には到着することができました。これで、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産は渡航不可能な中江ノ島を除いてコンプリートです。肝心の福江城(石田城)へは、29日(土)の朝、レンタカーの営業所に向かう前にサクッと巡ってきました。29日は、レンタカーで福江島を回り、「辞本涯の碑」をはじめとする日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島」の構成資産と、巡礼手帳の福江島の教会のスタンプ集めに勤しんだ一日でした。

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Tokyobay

箱根口門&三の丸土塁と秋山真之終焉の地 (2025/03/09 訪問)

江戸時代初期までは小田原城の大手門だった箱根口門と三の丸土塁。それなりに痕跡はあるが、三の丸小学校内にあるので土日祝だと見学は難しい。平日なら学校関係者に頼めば校内見学可かも。で、この土塁が清閑亭土塁まで続きその高低差を実感することにより、天守のイチバン近くで「総構え」を体感できる。尚、近辺には秋山真之終焉の地がある。

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小城小次郎

ぬかるみの中の迷路 (2024/05/19 訪問)

隣の石神城の石神さんとしょっちゅう領地争いしていたせいか、石神城ともどもやたらと加工度が高くて、城内はまるで迷路のよう。脂っこさでは小幡城と並んで県内屈指だろう。「ぬかだ」の名の通りじめじめしてるし。

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朝田 辰兵衛

ここがラストでもよかったかも… (2025/02/23 訪問)

主郭背後の空堀が見どころです。思ったよりも山城の雰囲気が遺っており,神奈川県のラストはここでもよかったな…と思ってしまいました。悪天候下での散策はおすすめしません。
私は雨男のハズなんですが,湘南・横須賀との相性はとてもよかったです。
なお,空堀への進入口は,2枚目の写真の向かって右奥の細い散策道となります。天守台からは柵があり,進入禁止となっています。

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トベシュン

愛知、岐阜の東海の城めぐり 吉田城・古宮城・亀山城・苗木城・美濃金山城・郡上八幡城・大垣城・小牧山城 (2025/03/29 訪問)

愛知、岐阜の東海の城めぐり 吉田城・古宮城・亀山城・苗木城・美濃金山城・郡上八幡城・大垣城・小牧山城を巡ってきました。

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トベシュン

愛知、岐阜の東海の城めぐり 吉田城・古宮城・亀山城・苗木城・美濃金山城・郡上八幡城・大垣城・小牧山城 (2025/03/29 訪問)

愛知、岐阜の東海の城めぐり 吉田城・古宮城・亀山城・苗木城・美濃金山城・郡上八幡城・大垣城・小牧山城を巡ってきました。

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トベシュン

愛知、岐阜の東海の城めぐり 吉田城・古宮城・亀山城・苗木城・美濃金山城・郡上八幡城・大垣城・小牧山城 (2025/03/28 訪問)

愛知、岐阜の東海の城めぐり 吉田城・古宮城・亀山城・苗木城・美濃金山城・郡上八幡城・大垣城・小牧山城を巡ってきました。

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