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史跡 杣山城跡 ガイダンス施設完成間近です。 杣山城(1/2) (2026/03/15 訪問)

 城びと先人(朝田辰兵衛さん、ぴーかるさん)の投稿を見て行きたい城にノミネート。小雨ぱらつくなかですが、激しくならず、攻略してきました。下調べしている中で、南越前町教育委員会「史跡 杣山城跡整備基本計画」(2019年)を発見。正確な縄張り図も掲載されており、参考にしました。展示資料館も作るとあったのですが、本当に建てるのかなあと思いましたが、現地を訪れると、完成間近の「史跡 杣山城跡 ガイダンス施設」ができてました。
 北陸街道に口を開く阿久和谷の入り口に二の城戸を設けて、数百mの谷幅全部を塞いでいます。一乗谷みたいです。杣山からの尾根に挟まれた少し開けた谷に居館跡があり、この手前に上記のガイダンス施設や駐車場が設けられています。居館跡の奥の害獣除けの柵を開けて、登城開始です。登場口はここと西の林道(中腹に駐車場あり)、東の花はす温泉脇からの三か所あり、山腹でも繋がっています。下から杣山を見上げると絶壁が見えます。教育委員会資料の地質図解説では、杣山はチャート層を頁岩層が挟んだ構造になっており、境界は断層。硬いチャート層が崖を作っていると。杣山城の前に登城したひうち城もチャートですね。山の上に池(殿池、写真10)があるようにけっこう高い位置から豊富に水が湧き出ており、頁岩を侵食して深い谷を作っています。居館跡からの道は残ったチャートの瘦せ尾根や崖を伝って行きます。姫穴、殿池を経て、西御殿跡の郭に至ります。既に結構、怖いですが、この後、もっと怖い場所に行きます。ちなみに、花はす温泉は、まわりに広い蓮池があり、各種の蓮が育てられている名所のようです。

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イオ

石碑しか無いけれど… (2025/09/13 訪問)

南北朝期に平野忠勝が築いた城で、観応の擾乱で敗れて帰農するまでの居城でした。

阪急・御影駅から登城開始。駅北口側に御影城趾石碑が立てられています。城跡は小学校になっていて遺構は消滅していますが、道路からはかなりの高低差があり台地上にあったことがよくわかります。石碑によれば、西は石屋川と新田川、東は天神川と深田池を堀としていたようなので、深田池にも行ってみました。また、平野忠勝が戦勝祈願に勧進したという弓弦羽神社と平野忠勝菩提所の中勝寺も訪れています。…ああ、なるほど「忠勝(ちゅうしょう)寺」が転じて「中勝寺」なんですね。

石碑くらいしか無いように見えて、石碑の記載内容をたどってみると意外に見るところがありました。
 

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todo94

宮崎県の攻城⑤ (2026/03/08 訪問)

この日は、レンタカーは借りず、JRを使って、那珂城だけをターゲットとしていました。ホテルの朝食で冷や汁やチキン南蛮といった宮崎の郷土料理をいただいて、慌てずにホテルをチェックアウトします。日向住吉駅から徒歩にてアプローチ。しんちゃんさんに倣って、北側(学校田の看板が目印・下那珂神社の南側にあたります。)から城に取り付いてみました。尾根伝いに最高所を目指して何とかグーグルマップのマーカー地点には到達することができました。堀切や切岸などの遺構も何とか視認できたといってよいかなと思います。これもしんちゃんさんのおかげです。ありがとうございました。この後は欲張らずに宮崎空港に直行。昼食には宮崎牛の鉄板焼をチョイスしました。また、空港で購入した「味のくらや」のからいも団子と和風チーズ饅頭もとてもおいしかったです。今回の宮崎での食には大いに満足しています。

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赤い城

吉野川を見おろす (2026/02/15 訪問)

某新興宗教団体の立派な建物からさらに登ると分岐があり、下の方に進んでいきます。
近くには道路が広くなったスペースがいくつかあり、ここに車を置きました。

入口には石碑と説明板が立っていてここが新城。道路で分断されています。
道がついているので進み、本丸方面へ。
途中は土橋っぽい尾根道です。
主郭には櫓台があり、小さな祠が鎮座します。
ここから吉野川を見おろすことができ、眺望もよいです。

東側には広い曲輪があり、その下にもいくつか曲輪が連なっていました。

篠原長房の居城、長房は三好氏を支える武将でしたが三好氏の方向転換により孤立、細川真之や三好長治により攻められ落城しました。

帰ってから気づいたのですが、新城の奥には堀切があるようでここが見どころのようです。
見逃した😭

【見どころ】
 ・本丸の櫓台
 ・本丸からの眺望

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小城小次郎

壱岐の城旅はここから (2025/05/03 訪問)

壱岐島の石垣の城と言えば勝本城が有名だがもうひとつだけ石垣の城がある。しかも郷ノ浦港のすぐそばにあって公園化もされているのに訪れる観光客がほとんどいないのはちょいと残念。壱岐の城旅はまずここから始めたい。

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城とマスク

桜が咲いてた高崎城 (2026/03/16 訪問)

高崎市の覆面カフェにタコスを食べに行ったので高崎城も寄って来ました。桜🌸も咲いていたので良かったです。

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橋吉

史実にない模擬天守なんて建っててないところがいい (2026/03/15 訪問)

小口城は1459(長禄3)年、織田広近によって築城され、大久地城、箭筈城(やはずじょう)とも呼ばれていました。
当時の尾張は織田一族が分割して治め、互いの領地を広げようとしのぎを削っていました。
やがて、新たに木ノ下城や犬山城が築かれると、小口城は支城として残されました。

永禄年間に織田信長の軍勢に攻め落とされて一度廃城となりましたが、1584(天正12)年、小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉方の稲葉良通が布陣した記録があります。

15台ぐらい置けそうな駐車場があります。

城跡は小口城址公園として整備されています。

展示室は中世の館風建物
史実にない模擬天守なんて建っててないところがいいですね。

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にのまる

戦いすんで日が暮れて。 (2025/09/30 訪問)

前回同様、新発田駅から徒歩で向かいました。見覚えのある景色が懐かしかったです。

やがて見えてきた鉄炮櫓。青空に映えてドキドキするくらい素敵でした。

外から三階櫓が見える方まで行くとちょうど正午で、自衛隊駐屯地からラッパ🎺の音が!構えていたiPhoneを瞬時にビデオに切り替えて録音しました。かっこいい‼️

表門から入城し、鉄炮櫓、辰巳櫓内を鑑賞。退城して辰巳櫓・表門・鉄炮櫓の3点セット撮影に挑むなどしてから白壁兵舎広報資料館へ。
新発田城時代のコーナーを見るのが目的で、現在の自衛隊敷地との場所的、歴史的関わりがとても勉強になったのですが、日露戦争の体験をもとに作詞されたと言われる軍歌「戦友」や戦争に纏わる数々の史料を目にし、陸軍省の管轄となってからの新発田城の歩みを知って、日本のお城は廃城でおしまい、ではないのだということに気づきました。行ってよかったです。(マニアックなショップもすこぶるよかった😊)

前回足を延ばせなかった足軽長屋にも行ってみましたが休館日で外から眺めるのみとなりました。

初めて訪れた際は私自身の未熟さから(100名城なのにこれだけ?)と思ってしまった新発田城ですが、今はまた行きたい!と思えるようになりました。
新潟駅のラーメンストリートも制覇したいし、変貌を遂げつつある新潟駅前の定点観測も続けているし。

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つね

御城印・関連施設 (2026/03/14 訪問)

行田市郷土博物館で【忍城今昔地図】を購入して(100円)関連施設跡巡りをしました。太鼓門、成田門、沼橋門、大手門、鉤の手道路(清善寺北側)、清善寺(城主弟ゆかりの寺院)、外濠跡(水城公園)等を散策。

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のん

見晴らしよし!

飯田下伊那地域で、親しまれている神ノ峰。小学生が遠足で行ったりします。急峻な山頂に建てられた山城です。

テレビ塔が建てられていたり、神社があったりしていますが、本丸、二の丸、出丸、それを繋ぐような道などがはっきり残り、かつての城を感じることができます。
矢立て岩、鞍掛岩など巨石がたくさんあるのも見応えあります。

1番の見どころは、南信地域の美しい自然が見ることができることです。飯田下伊那地域が見渡せ、向かい側の山々が南北に連なり、眼下には天竜川。おすすめは西に沈む夕陽の時間ですが、帰りが真っ暗になると危険なので、明るいうちに下山してください。

歴史的には、信州には大大名はいなかったこともあり、室町時代の終わりから武田と織田、徳川の陣取りの場。皆あっちにつき、こっちにつき…と、苦労しています。神ノ峰城の知久氏は、信州の南地域、南信地域の多くが武田の配下になる中、抵抗をし滅ぼされています。
この戦にはいくつかの逸話が残っており、武田の家臣山本勘助が城攻めを諦め水を絶つ作戦をしたが、知久氏側は武田側から見える場所で、馬に米を掛けてまだ水があるように見せかけた。それを見た山本勘助が悔しがって地団駄を踏んだ場所を、今でもジタジタ峠と呼んでいます。見晴らしの松、と言う名で、今でも遺構が残っています。神ノ峰を降り、83号線を高木方面に向かってすぐの場所にあります。

多くの山城は城主は住んでいませんでしたが、知久氏はここに住んでおり、珍しいお城だそうです。

トイレはあり、トイレットペーパーもあり華麗にされていました。冬季は凍結防止のため、手洗いの水道は水が止められていました。

700メートルを超える山のため麓に流れている天竜川からから、かなりくねくねの山道を登ります。道を間違えると、全く違うところに出てしまうので、車で向かう方は気をつけてください。

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トク

【大友宗麟】(5)立花城(博多湾を望む絶景の山城) (2026/01/06 訪問)

大友宗麟、門司城からの続き(5)です。

大友と毛利の決戦の話をする前に、その争奪戦となった、私の憧れの道雪・宗茂様の居城「立花城」へ行って来ました。立花城は立花山の山頂にありました。今回はその登山の様子から先にお伝えします。

JR福工大前駅よりコミュニティバスに乗り、立花小学校前で下車しました(写真⑩)。そこから県道に沿って10分程歩き、「梅岳寺」から右折し坂を登ります。歩いている途中の六所神社にきれいな公衆トイレがありました(その先山頂までトイレはありません)。

梅岳寺には立花道雪の墓があります(写真②③)。まず道雪様に手を合わせ、登山の無事を祈ります。ふと見上げると、立花山の頂上がここから見えました(写真①)。いよいよ目標が見えて気合が入ります😠。

舗装された心臓破りの急斜面を登る事10分、パンフレットの置いてある場所に着きました(写真④)。ここから先は自然遊歩道になります。立花山の標高は367mですが、登山道はほとんどがとても急な坂で、いちおう整備はされていますが、岩場や滑りやすい場所も多く、60過ぎのおじさんにはかなり堪えました。しかし地元の人の足は軽やかで早いです(😱~!)。延べ10人くらいの人に追い越されました(笑)。雨上がりの日は特に滑ると思うので、十分注意して登って下さい。

途中から滝ルート(ややゆる傾斜)と石垣ルート(急傾斜)に分かれますが、城びとの私は迷わず(気合を入れて!😠)石垣ルートを選びました。確かに三の曲輪・二の曲輪・本曲輪と思われるような段々の場所に、三つの石垣と曲輪がとてもよく残っています(写真⑥⑦)。このあたりの石は自然に割れている岩が多いので、自然に割れた石を野面積で積み上げたものと推測します。おそらく立花道雪か宗茂の頃に積まれたものではないでしょうか。石垣の上は平たんな曲輪になっているので、ここに兵が待機する何らかの建物があったと想像します。また石垣の横は深い切岸や竪堀になっていて、攻め手の気持ちで登ると、確かにこれを攻め落とすのは、容易ではないと感じました。立花宗茂が島津軍1万5千の猛攻にも耐え抜く事が出来た理由がよく解りました。

そしてやっと山頂本丸(標高367m)に到着です! バスを降りてから山頂まで、私の足で1時間30分かかりました(みなさんの足なら1時間くらいかな?)。でもとてもすばらしい、感動の眺めです! 疲れも吹っ飛び、がんばって登った甲斐があったと感じる瞬間です! 西は福岡市内と眼下には博多湾と名島城、北は志賀島と能古島、東は宗像まで見えました(写真⑧)。「立花山を制する者は博多を制す! 博多を制する者は九州の富をも制す!」 という言葉がありますが、まさにその意味が分かるような気がしました。ここで雄大な景色を眺めながら「おにぎりタイム!」😊。山城の楽しみはコレですよね! 山頂で40分過ごし、下りはバス停まで50分、全行程3時間の登山でした。

次は麓の名島城から、この立花城の争奪戦(多々良川の戦い)の話に続きます。
 

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BUGTI

海賊伝承の城 (2026/03/15 訪問)

詳細なことがわからない城ですが、海を見下ろせる山の上に複数の郭と帯曲輪を持っており、小さいがしっかりした造りの城という感想です。麓には海賊屋敷と呼ばれている石積の屋敷跡もあり、海を見下ろすには絶好の場所にあることからも、海賊か阿波の三好衆の関連性は高いのでは。登城路は舗装されているが結構急な道で、大回りした道を進んで登ったところで堀切に達します。よく見ると岩盤を削って作られています。城址は帯曲輪の周りの石垣がよく残っていて、かつては全周を石垣で覆っていたと思わせる小石が散らばっていました。帯曲輪北の堀切の土塁が特に高く、主郭の周囲にも僅かな土塁の痕跡が残っている。城としての規模は小さいのに石垣・土塁・堀切と山城の要素が詰まっていて気に入りました。

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岸和田城

🌸御城印 (2026/03/25 訪問)

🌸開花はもうすぐ・・・

春の岸和田城を記念した御城印を、3月25日より観光交流センターにて発売します。
限定300枚。

ご訪問いただいた記念として、ぜひお求めください。
数量限定のため、なくなり次第終了となります。

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本陣宿 今庄 (2026/03/15 訪問)

 麓にも雪が残る中を登城してまいりました。敦賀方面から越前への玄関口にあたるだけあって、燧城および今庄は、源平合戦、南北朝 新田義貞、織田信長と長い歴史があります。遺構は、峻険な地形に加えて、石垣を多用し、升形、横堀も備えた、堅固な造りでした。
 脇本陣が無料開放されており、下山後、立ち寄りました。ボランティアのおじさんが丁寧に説明してくれました。今庄は、本陣、脇本陣がある、街道沿いのにぎわった町で、険しい木の芽峠を超えて敦賀に出る前に、今庄で一泊するのが通常であったのですと。また、かつては、今城と書いていたのを今庄にしたとのこと。そして、江戸初期には、町内の街道の端の方に、クランクになった桝形が作られ、実際に、城砦的な役割を持たしたと。脇本陣には、12月の雪中を行進してきた水戸天狗党が遅れてきた隊員を収容するため二日間宿泊したそうで、その際の刀傷が残っていました。江戸期のうだつが上がる街並みが残り、素敵なところでもありました。

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イオ

城郭遺構と思いたい (2025/09/13 訪問)

戦国期に細川高国の命により瓦林正頼が築いた城で、山麓の芦屋城と山上の鷹尾山城からなり、芦屋河原の合戦では赤松義村の攻撃により落城。船岡山合戦の敗報を受けて赤松義村が兵を退くと、瓦林正頼は越水城を新たに築き、鷹尾城には鈴木与次郎を置いて越水城の支城としました。その後、越水城とともに廃城となったようです。

阪急・芦屋川駅から登城開始。高座の滝道をたどって、城山(鷹尾城跡)の説明板のある分岐を城山側へ進んだ先に登城口があります。駐車場はありませんが、登城口脇に2台ほど駐められそうです。東六甲のあたりは徳川期大坂城の石垣の石切場だったようで、登城道沿いにも矢穴のある残念石がいくつか見られました。登城口から約10分で中腹の展望所、さらに10分ほど登ると主郭にたどり着きます。

主郭にはTV中継所が建てられるなど改変されていますが、ベンチからは神戸側を見渡すことができます。主郭から北に続く尾根筋からは東側に三条の竪堀を落とし、土橋も見られます。土橋の石積は後世の土留めでしょうか? 主郭より高い位置にある北郭には送電鉄塔が建てられていますが、草木が生い茂っていて郭の形状はよくわかりませんでした。北郭で引き返して今度は尾根筋の西側に入ると、尾根沿いに二条の横堀が走っています。二重横堀の西側斜面には帯曲輪らしき平坦地も見られました。

尾根沿いに二重横堀を設けるというのも不自然に思えますし、戦時中には高射砲観測塔の塹壕が掘られたそうですが、これはこれでなかなか見応えがあるので、とある煩悩の登城目録さんに倣って私も城郭遺構だと思うことにします。
 

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T-Shionoya

謎の虎口構造が想像力を膨らませる久々利城 (2025/12/07 訪問)

先週投稿した今城に続き昨年12月に訪れた岐阜県可児市の久々利城。
以前から技巧的と聞いており、11月の「山城に行こう!」でも下見を行った城。

可児盆地南の丘陵地帯東部、久々利川が流れる谷底平野の最奥部において、南西へ伸びる2本の丘を城郭とした城で、その最上部までの比高は約70m。
麓を通る五斗蒔街道は、可児盆地と陶器の生産地である土岐盆地を繋ぐ道。

土岐氏の一族である久々利氏代々の拠点で、築城年代は不明。
1583年に森長可の手により落城し、江戸期は麓に千村氏の陣屋が構えられたとのこと。

現在は、整備された土の城跡で、麓には郷土歴史館が建つ。

東側の丘の先端から入城し最初の空間に辿り着くと、現れるのが3つの土塁。各土塁の間が虎口のように見えるが、縄張図によると向かって右以外は奥で塞がれている謎の構造。勝手な想像ではあるが、その塞がれた箇所にも偽の門を設け、攻め手に破壊されても侵入できないトラップだったならおもしろい。
その後も枡形とクランク状の通路が連続し、三の丸からは横矢が掛かる二重三重の防御網。
山側では複数の堀切が見どころとなる、私の城郭巡りの219城目でした。

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べっち

松代城 (2026/01/12 訪問)

松代城

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べっち

上田城 (2026/01/12 訪問)

真田石

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べっち

三の門 (2026/01/12 訪問)

三の門

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べっち

太鼓櫓 (2026/01/11 訪問)

太鼓櫓

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