中世の名城🏯( ・᷄ㅂ)憧れの二本松城🌲🌲
福島には名城があるなぁ
室町時代から残る名城🏯
二本松、伊達、蒲生、上杉、加藤と名将のゆかりの城🏯
復元された箕輪門も、並の天守よりも美しく迫力もあって、山の上の天守台も立派✨山の上の天守は凄い眺めだったろうなぁ
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2026/09/25 23:47
2026/09/25 22:37
2026/09/25 20:28
鷹尾城 (2026/09/20 訪問)
【鷹尾城】
<駐車場他>駐車場はなし。登城口に2台程スペースはある。駅前のコインPに停めました。「エコロパーク西山町第1駐車場」が安い。
<交通手段>車
<見所>堀切・竪堀・(空堀)
<感想>日帰り近隣の行っていない城 穴埋め旅1城目。3ヶ月ぶりの城攻め。シルバーウィークに宮城県と福島県の旅行を計画していましたが、台風の接近で無念ですが中止しました。仕方ないので日帰りで行ける所と言っても、自宅周辺の城びとフラッグはほぼ行ってしまって、もうほとんど残っていない。今回の近場3城、もう穴埋めしとこうということで行ってきました。
鷹尾城は1511年に瓦林正頼によって築城されました。瓦林正頼は城びと登録城では瓦林城・越水城を築城しています。また瓦林正頼は最後の管領ともいえる細川高国の麾下にあったので、高国の指示のもと敵対する細川澄元側の赤松軍を押さえるのに築城させたと思われます。築城直後に鷹尾城の南麓の芦屋河原で合戦が行われます。
登山口から途中写真を撮り撮りのぼって私の足で40分弱で着きます。あとで登山ルートも当時のままかどうか分からないと知って、城跡の石垣も後世のものだし、途中の落ちてる矢穴石もこの石垣の為のものでしょう。城跡は主郭の南下段に小さい段曲輪があります。主郭は比較的小さくTV塔が建っています。主郭の北側に堀切がしっかり残っています。堀切のさらに北側に2重横堀があるのですが、先達方の記述通りどうも戦時中の塹壕のようでもあり、そうでないようでもある。2重横堀の北側に鉄塔が建ってる2郭があります。主郭の北側に西に落ちる竪堀、2郭の南側に東に落ちる竪堀がそれぞれ付いています。これは当時のものに見えました。2郭の北側先は、尾根道が続いて、北の出曲輪らしき場所に巨石がたくさんあります。ここまでが城跡の主要部だろうという感じをうけました。
さて2重横堀の私の見解ですが、戦時中の塹壕っぽい気がします。Wikipediaを読まなければ知らずに凄い横堀と思うのでしょうが、戦時中高射砲台があって塹壕で曲輪を潰されているとの記述があるのでそうなのかなあとも思いました。東側の長い繋ぐ土橋の高さはそんなに変わってなさそうなので当時はどんな縄張りであったろう。
<満足度>◆◆◇
<グルメ>この日は行っていませんが、奈良の有名店である彩華ラーメンの系列店で「やまとラーメン」はお勧めです。10回以上はココ行ってる。
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2026/09/25 19:41
観月会 (2026/09/25 訪問)
今日は朝一姫路城に登城しました。シルバーウィークよりは、ゆっくり見れました。今まで何回行っても知らなかった、天井の柱に字が掘ってあったりして、新たな発見でした。先ほど、ちょっと行って来ました。琴の演奏などいろいろありました。地酒やヤマサの天ぷらなど出店されてました。5枚目の写真はリの一渡櫓の籠などが展示してある所から外を見た写真です。これも、今まで見た事がなかったです。今回は4日間合わせて約96000歩歩きました。
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2026/09/25 18:54
2026/09/25 15:17
2026/09/25 13:56
大阪城 (2026/09/24 訪問)
今回大阪城22日に行ったのですが、登城出来ず、券を買うのに3時間くらいかかりそうなので、周りだけまわって姫路まで帰って、24日に始発の新快速でまた、リベンジ、1番に並びました。24日は大手口多聞櫓と千貫櫓の特別公開をしていたので、これも合わせて見ることが出来ました。とても、ラッキーでした。さすが、石垣はびっくりするくらいでした。24日は可愛い猫ちゃんが天守近くにいました。
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2026/09/25 07:11
織田信雄が改修 (2026/08/13 訪問)
夏休みは相方の伊勢神宮要望に応えて伊勢路を訪れました。
初日は外宮を参拝したあと田丸城へ。
北畠氏の本城として伊勢の中心となった城、戦国時代には信長が支配し、信雄によって改修されました。
まずはスタンプ、村山龍平記念館で押印しました。
続100名城は51城目です。
ここでパンフレットもいただきました。
午後の登城でしたが内堀の大賀ハスもまだ咲いていました。
大手門から登っていき、移築現存の富士見門から本丸虎口へ。
さらに城山稲荷神社が建つ北の丸を見学して本丸へと向かいました。
途中の空堀には「後で降りてみよう」と思いながら進みます。
本丸虎口から天守台へ。
石段がついていて穴蔵がある古い形式のものです。
登ると田園風景を望み気持ち良かったです😊
しばし風景を楽しんで二の丸へ。
間には堀切が切られ土橋がかかります。
二の丸の先には搦手、外枡形となっていてここでは中世の香りを感じることができます。
二の丸の虎口を見学し、もう一度大手門に戻り北の丸の空堀を見に行きました。
北の丸は堀に囲まれ、土塁も高く見応えありました。
本丸との間まで行って見学終了。
三の丸も散策したかったですが夕刻となっていたので退却しました。
【見どころ】
・本丸虎口
・天守台
・搦手の外枡形
・二の丸虎口
・北の丸の空堀
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2026/09/24 23:05
2026/09/24 21:33
金田城散策2/2(一ノ城戸~南西角石塁~城山山頂) (2026/09/20 訪問)
ブラタモリでタモリさん一行が一ノ城戸をロケしたとき,大吉戸神社の船着場にボートを着岸させています。せっかくなので一ノ城戸から下がって確認を…。二ノ城戸で遭遇したご夫婦が,実はガイドを伴いカヤックでこの船着場に来ていたことが判明。
そういえば,石塁ルートを進んでいるとき,カヤックが入って行くところが見えました。
チャンスと思い,私のほうがガイドさんにいろいろと質問しました…<笑>。
一ノ城戸の水門の場所,ここから山頂まで険しいルートで行くべきか,来た道をビングシ山まで戻るべきか…とか。結果,ビングシ山まで戻る判断をしました。前日まで雨が降っていたので,正解でした。
そうそう,一ノ城戸から大吉戸神社の間に木橋があります。ちょっと揺れます。苦手な方にはおすすめできません。
南西角石塁や城山山頂に向かわれる方はとても少ないです。私の他に,そもそも登山目的のご夫婦しかいませんでした。カヤックのご夫婦とは違う方です。
城山山頂自体が石塁で,少し下ってから離れて撮りたかったのですが,足元の岩がひとつでも崩れたら200mは滑落するような危険な場所でしたので,断念しました。登山上級者の方は試してみてください。
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2026/09/24 19:21
金田城散策1/2(東南角石塁~三ノ城戸~二ノ城戸) (2026/09/20 訪問)
ようやく金田城のリベンジです。ほとんどの攻城者がレンタカー使用です。若い女性おひとりさまと東南角石塁で遭遇しましたが,タクシーのようでした。タクシーの場合,時間を決めて迎えに来てもらったほうが宜しいかと思います。
私はこの日のために,厳原港近くの「対馬へKONNE」に電動レンタサイクル予約。日曜日が定休日ということで,上陸した土曜日から月曜日までの3日間の予約をしました。1日1,500円でしたが,事情を説明したところ借用する土曜日と返却する月曜日は,それぞれ1,000円。別途料金の充電器は,ホテルで充電できないため借用しませんでした。ということで,合計【3,500円】。ホテルでの駐車料金はナシ。高いか安いかの判断は,みなさんにおまかせします。
厳原から登城口まで,登り坂のみパワーオンにして約90分で到着。城内散策は約240分。そして,厳原まで約90分で戻るというハードワーク。胸を張って推奨はできません。
東南角石塁~三ノ城戸~二ノ城戸で,だいたい城内散策分の体力の3分の1を消耗するかと思います。ここで満足してしまって帰ってはもったいないです。ゆっくりでもいいので,マイペースを心がけてください。
なお,リベンジ攻城につき,登城口までの画像は割愛します。
二ノ城戸の城壁は,左右で造りが異なります。画像の9枚目と10枚目を比較してみてください。城戸の外側に注意を向けないと,見落としてしまいがちです。
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2026/09/24 17:31
2026/09/24 16:39
名古屋犬山の旅、3つ目の城 (2026/07/12 訪問)
この夏の旅行についてだ。
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2026/09/24 08:20
「扇の芝」定点観測 (2026/08/29 訪問)
和歌山城南西部の砂の丸は、その名の通り砂丘に造成された曲輪であることから外周には水堀に代えて高石垣をめぐらせ、見通しをきかせるために南西隅部には芝を植えた三角地を設けていました。三角地は扇に見立てて「扇の芝」と呼ばれ、城下の人々にとって馬場(西側)や射場(南側)での武術練習を見物できる憩いの地だったようですが、廃城により扇の芝が払い下げられると建物が建ち並び往時の姿は失われていました。和歌山市では10年前に整備計画を改訂し、扇の芝の復元に向けて土地の公有化を進めてきましたが、昨年度に建物の撤去が完了し、今年7月4日には市民参加で芝張りイベントが開催され、127年ぶりに扇の芝が往時の姿を取り戻しました。
扇の芝の復元の話は以前から耳にしていましたが、和歌山ローカルのニュースでついに芝が張られたことを知り、他の用事のついでに見に行ってきました。まず県庁前交差点の歩道橋から扇の芝の全景を。建ち並んでいた建物が撤去され、植栽された芝の奥には砂の丸高石垣、そして木々の上には連立式天守群がそびえています。電柱と電線がちょっと邪魔ですが、天守群がよく見えるように木々を刈り揃えれば和歌山城の新たなビュースポットになる予感! 歩道橋を北に渡り、さらに北側の歩道橋を東に渡って扇の芝へ。芝は養生中のためまだ立ち入りできませんが、芝の向こうに屏風折れの高石垣、木々の合間には天守が覗いています。芝だけでなく建物に隠れていた砂の丸高石垣も草木が刈られて綺麗になっていました。扇の芝北西角部の歩道沿いには扇の芝の標柱が立てられています。かつては扇の芝の存在を示すものがこの標柱しかなかったことを思うと感慨深いものがありますね。
そういえば、以前に復元整備途中の扇の芝あたりを撮った写真があったはず、と思って探してみていくつか見付けましたので、ついでに載せておきます。3年ほど前(2023/10/28)に撮影したもので、更地になっているところもあれば建物も残っている状態の扇の芝(写真8)と、建物が無くなって道から見えるようになっているけれど、草木が茂った状態の石垣(写真9)です。これも定点観測といえるでしょうか。扇の芝が公開されたら(令和9年度予定)またレポートしたいと思います。
> トクさん
【豊臣秀長をたどる旅】、興味深く拝見しました。大河ドラマに先行して晩年までたどってしまわれる行動力(あるいは計画性)はさすがですね。及ばずながら確かにバトンタッチされました…と言いたいところですが、私のほうは年内どころか来年中には何とか…という体たらくなので、気長にお待ちいただければ(笑)
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2026/09/23 22:40
2026/09/23 20:46
「長曾我部元親」陣跡(秀長に敗れた元親のその後) (2026/09/22 訪問)
大河ドラマ豊臣兄弟(第36話)では、1585年の四国平定で、秀長軍により一宮城で敗れ降伏する長曾我部元親の姿が描かれました。ではその後の元親はどのような人生を歩んだのでしょうか?
そのヒントを探しに、肥前名護屋城(前田利家陣跡)から、南に10分(500m)程歩いた所にある、「長曾我部元親陣跡」を訪れました。この小高い山(標高50m)に陣は築かれていたようです。標柱から右側に細い道がありますが私有地のようなので、畑仕事をされている方に許可をもらい入りました。畑の先に石垣跡を見つけました。おそらく元親が築いたものと思われます。その先には人工的に削った曲輪か建物の跡らしき場所も多々ありましたが、荒れた竹藪だらけの整備されていない細い道で、蚊の大軍にも襲われたので、ゆっくり見る事ができず早々に撤退しました(整備してほしいなあ~😩かゆい)。しかしあくまで私の推測ですが、元親はここで屈辱に耐える日々を送っていたのではないでしょうか?
秀長に敗れた翌1586年、元親は仙石秀久の配下となり、戸次川の戦いに行きますがそこで敗れ、秀久のせいで最愛の嫡男「信親」を亡くした事は「鶴賀城」でお伝えしました。そして土佐に帰り、居城を「岡豊城」から海に近い「浦戸城」に移し水軍を強化します。この頃から「姫若子」と呼ばれていた元親の女っぽい性格?は変わり、「鬼若子」と呼ばれる怒りっぽい性格になったとか(本当かな🤔?)。小田原征伐→文禄の役→慶長の役と、秀吉から水軍を中心とした海上輸送の裏方(兵站輸送)ばかりをを命じられ、そのイライラからか家臣にも当たりちらし、独断で物事を決めるようになったそうです。後継ぎも二男・三男を通り越し、家臣の反対を押して四男「盛親」と勝手に決めてしまいます。その直後の秀吉が没した翌1599年に、元親も急な病で没したようです。結局、四国統一まであと一歩と迫りながら敗れ、転げ落ちるように人生後半は、屈辱とイライラに耐えた人生だったのかもしれません🤔。
その盛親も、翌1600年の関ケ原で西軍に付くも敗れて京都に幽閉され、長曾我部家は家康より土佐を召し上げられ改易されてしまいます。しかし盛親は1615年大坂の陣にて再び立ち上がりますが、またも敗れ、京都の三条河原で処刑され、長曾我部家は断絶したようです。
この荒れ果てた小高い山を眺めていると、長曾我部家の悲しい結末(栄枯盛衰)を想像せずにはいられませんでした。
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2026/09/23 18:02
地震と豪雨の被害もあって
本丸の後は遊佐氏館跡に戻り、石垣を観察しました。残っている石垣は低石垣であり、城内ではここだけかと。
その後温井屋敷跡を通って二の丸へ向かうと、二の丸石垣が見られますが、一部シートがかかっています。また九尺石も同じくシートがかかっており、見えませんでした泣。
二の丸から三の丸へ向かうところでは標高差が大きいおかげで、急な階段でした。その証に、二の丸と三の丸には大きな堀切が残っています。
山城といっても、駐車場から見所はすぐ見ることができ、探訪しなすいお城でした。
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2026/09/23 17:48
長森城の跡地に建った切通陣屋は長森騒動を誘発した (2025/11/24 訪問)
南北朝期に土岐氏の本拠にもなっていた長森城の故地に19世紀になって磐城平藩の飛地管理のために切通陣屋が作られた。飛地時代は飛地ならではの苦労もあったようで長森騒動という大きな騒動もあったそうだ。
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2026/09/23 13:26
脱線注意報発令。勝山城内、遺構以外に注目の巻。 (2026/07/04 訪問)
暑くなる前にと7月に攻めた「勝山城」。
無料の駐車場がありました。何かイベントがあるのか交通整理をしている方々が駐車場の案内をしてくれました。
勝山城址公園、さくら市ミュージアム、氏家ゆうゆうパークと、いろんな目的の方々が目指す方向に歩いて行きます。
まずはと、奥に旧森家の長屋門がありました。写真は写してませんが蔵もあります。蟻地獄の巣(?)があり、子供達が大騒ぎでした。私も小さい頃は残酷な遊びをしたものです。
あと、地蜘蛛もいました。もう、地蜘蛛の袋は触れません。
下の虫ばかり気を取られ、鬼怒川方面に進みました。
桜の見本園があり、花の季節はいろんな種類の桜が見られるのかもしれません。そちらから本来の目的、「勝山城」攻めです。
ビ~ンビ~ンと、草刈機で散策しやすいようにしている最中です。ありがとうございます、と伝えたかったのですが、草刈機をこちらに向けないように堀中腹で待ってくださいましたので、お背中に会釈して足早に通過しました。
川側に写真⑤⑥、雪姫と紅葉姫、乙姫のお話。「勝山城」の遺構も立派だったので、戦も多かったはず。姫達のお話が昔話風に書かれてました。
さくら市ミュージアムに到着。(写真が多いので遺構は次回の投稿で紹介します。)
この日は妖怪のイベントがあるようで、家族連れが多かったです。外には縄文時代の住居跡が移築してありました。説明板には、勝山城内から型どりして移築した、とあります。氏家氏、使ってたのかなー?と、どうでも良い事に疑問。その他、明治時代の鉄道の橋脚等々展示してありました。
東京の端っこは、平均30度位の8月でした。
と、言っても急に暑く急に涼しい、蒸し蒸しの夏でした。でもって、雨と台風です。
私は図書館で本を借りた際、少し募金をするようにしています。昨今、たくさんの自然災害があり、その数だけ募金箱が増えてます。
城びとの『行った』をポチッとする為に通った地域を、今では他人事とは思えなくなっている今日この頃です。
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