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しんちゃん

推定地? (2025/01/07 訪問)

米ケ崎城は城主不明の城址です。「意富比神社」の祀られているあたりが城址とされていますが、城があったという記録すら残っていないようで、林の中に土塁が残っているようです。西側に海老川を挟んで夏見城を見る位置に有るので、城郭が存在しても不思議ではなさそうです。「城びと」のデータでは城主は夏見氏となっているので、夏見城の支城になるのかな。

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肉球

桑折陣屋(幕府領・松平氏)福島県桑折町・岡陣屋(幕府領)福島県伊達市 (2025/07/19 訪問)

米沢藩上杉氏の領地半減により幕府直轄地となり一時期福島藩本多氏の領地になるが1685年再び幕府領に。
その時築かれたのが桑折陣屋です。
その後1700年松平忠尚が領主になり1747年まで松平氏の陣屋として利用されたようです。
跡地は住宅街となり遺構はありませんが陣屋の杜公園に説明書があります。
この付近その他の幕府領を管理するため1701年岡陣屋が築かれたようです。
当時堀に囲まれ土塁も存在していたようですが現在は確認できません。
東側は現在でも3〜4m程の崖となっています。
跡地の稲荷神社に石柱が建てられています。
1749年この陣屋も廃され再び桑折陣屋に統合されたようです。

 

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しんちゃん

堀っちゃダメですよ。 (2025/01/07 訪問)

「穴掘れば 金が出るかも 金堀城(あなほれば きんがでるかも かなほりじょう)」
出るわけないでしょ。「きんほり」じゃなくて「かなほり」でんがな。
金堀城の城主の詳細は不明ですが、臼井氏の関係者ではないかと考えられており、古橋城を遠望する位置に築かれています。
正直、あまり印象に残っていないのですが、土塁や堀などが残っているようです。畑の写真が郭になるようですね。

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2007/02/09 訪問)

 ①「珊瑚石 湾曲アザナ 勝連グスク」(さんごいし わんきょくあざな かつれんぐすく)

 ②「南海に 海運栄し 勝連グスク」(なんかいに かいうんさかえし かつれんぐすく)

 ③「コバルトブルー 白亜が映える 勝連グスク」(こばるとぶるー はくあがはえる かつれんぐすく)

 18年前の平成19年2月9日、沖縄のグスクが世界遺産に登録されて7年後世界遺産グスク5城を探訪、中城を終えて夕刻近くの時間に勝連グスクを初探訪、4の郭は琉球石灰岩の石垣積整備中、登城路も作業中でした、車は観光ガイダンス駐車場利用。
 1の郭からは中城湾の青い海が広がり眺めは絶景、発掘調査で瓦屋根の建物が有ったとの事、遠き昔に南の海を海運貿易で船が走り栄えた事が窺えます。丁度琉球石灰岩で石垣を修復整備中でしたので一際石灰岩の白さが目を引きました、琉球独特の湾曲した石垣が又目を見張りました。
 

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】

「山崎城 天下分け目の 城となる(やまざきじょう てんかわけめの しろとなる)」

ネタ的には他の方々と被ってしまいますが,一番オーソドックスに詠みました。京都は意外に行ってないことがわかりました。
しかし,追加4城も無事にエントリー完了。またもや,赤い城さんに続きます。

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小城小次郎

想像とともに不思議が膨らむ (2025/01/26 訪問)

昨冬に話題をかっさらっていた謎エリアは2025年初の訪問時には既に埋め戻された跡だったが、跡だけでも見られたのは幸せだった。それにしてもこの大きなクニはどんな風に統治され、何を祈り、何を守っていたのだろう。想像すればするほど不思議が膨らむ。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2015/10/24 訪問)

「二曲姫 落城の悲劇 鳥越城(ふとげひめ らくじょうのひげき とりごえじょう)」
鳥越城と二曲城はセットのイメージが有るので。門徒たちは比較的どうでも良いが、姫様が犠牲になるとなんか悲しい。
佐久間盛政も惚れちゃうほどの美人だったらしいけど、落城時には尼さんになっていたらしい。むぐぐ・・美人で尼さんっていうと夏目雅子さんみたいな感じかな? うむ、いけるんじゃないでしょうか(ボカッ!!)

「百姓の 国の落日 鳥越城(ひゃくしょうの くにのらくじつ とりごえじょう)」
何にでも終わりはあるということで。

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肉球

湯野陣屋(刈谷藩陣屋)・瀬上陣屋(足守藩陣屋) 福島県福島市 (2025/07/19 訪問)

幕末時、福島市内には福島藩のほか二本松藩関宿藩新発田藩刈谷藩足守藩の飛び領があったほか幕府領があったようです。
湯野陣屋は刈谷藩土井氏の陣屋で遺構などは無く現在は西根神社になっていますが鳥居の脇に石碑があります。
瀬上陣屋は足守藩木下氏の陣屋で史跡公園となっています。石碑の脇に陣屋門の礎石が残されています。
駐車スペースあります。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2022/03/19 訪問)

「空と海 うるまブルーの 勝連城(そらとうみ うるまぶるーの かつれんじょう)」

雨男ゆえ,うるまブルーの画像はありませんが,他の方の画像で一目瞭然です。
ちょっと番外編をひとついっちゃいます。

「出陣だ! ご当地ヒーロー カツレンジャー(しゅつじんだ! ごとうちひーろー かつれんじゃー)」

どやろ?

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2019/06/10 訪問)

 ①「沼田川 東岸そびえる 高山城」(ぬまたがわ とうがんそびえる たかやまじょう)

 ②「頂きを 二峰連郭 高山城」(いただきを にほうれんかく たかやまじょう)

 ③「隆景は 竹原沼田継ぎ 高山城」(たかかげは たけはらぬまたつぎ たかやまじょう)

 7年前の令和元年改元されて1ヶ月目の6月10日、小早川隆景に謂れの有る未踏の城木村城、新高山城を終えて高山城を初めて訪れました。沼田川の東岸に聳える山塊が高山城に成ります、当日朝から鏡山城、竹原地区、木村城、新高山城を登り足腰に堪えて居り又登城口を探すのにうろうろし山頂の郭群を踏破する気力も無くなり、新高山城詰の丸で高山城を見下ろし、登城口で見上げ、案内板を読み撮影で終了としました。
 
 高山城は沼田小早川氏の本拠地で沼田川の東岸、毛利元就の三男隆景は竹原小早川氏に養子となり木村城に入る、本家沼田小早川氏の継承も受ける事となり、竹原沼田小早川家が統一される、木村城から高山城に天文20年(1551年)入る。
 しかし翌年には沼田川西岸の新高山城を築き移り、高山城は廃城?となった様子。
 

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トク

【赤色立体地図かるた】 (2022/05/07 訪問)

秀吉が 天下を取った地 山崎城
(ひでよしが てんかをとったち やまさきじょう)

かるた皆さんそろそろネタ切れと思っていた矢先、再びヒートアップしてきたみたいですね。私は3年前ですが、JR山崎駅から天王山へ登りました。そして秀吉がひょうたんの旗印を立てたという、旗立松展望台から山崎合戦場を見下ろしてみました。この眼下に大軍勢がひしめき合って、壮絶な天下分け目の戦いが繰り広げられていたのですね。

もし信長の首が見つかっていたら・・・
もし細川藤孝が裏切らなかったら・・・

などとネバたらばかりが頭をよぎり、光秀に天下を取ってほしかったなあ~・・・などと考えていたら、本丸まで行かず足が勝手に「光秀陣跡(恵解山古墳)」や「勝龍寺城」へ進み、さらに電車に少し乗り終焉の地「明智藪」まで、ここから光秀の最期までを追ってしまいました。光秀ファンなので御容赦を😌。
 

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

石畳 龍が如しの 勝連城
(いしだたみ りゅうがごとしの かつれんじょう)

入口からカーブして登る石畳が印象的です。
天に登る龍のように見えました。
これで変更後の4城についても投稿完了です。
やっぱり未訪の城はイメージ湧かず作品的にもイマイチですね。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

天王山 天下への道 山崎城
(てんのうざん てんかへのみち やまざきじょう)


ここも未訪です。
ご存知のように秀吉が光秀を倒し、天下統一への布石となった城です。
野球の話になりますが今年のセ・リーグには天王山はなさそう😔
カープのCS進出への天王山はあるのかな?

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

白山麓 門徒が戦う 鳥越城
(はくさんろく もんとがたたかう とりごえじょう)

ここも未訪です。
やはり皆さんと被ってしまいますが一向一揆の拠点で織田勢に最後まで抗戦した城です。
今春の北陸遠征では行くことが出来なかったので残念😞

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todo94

お盆帰省の城めぐり⑦ (2025/08/14 訪問)

椿田城からの転戦です。入り口の案内表示はあるし、標柱も説明板も建っていますが、完全に後裔の方のお住いの敷地になっていますね。説明板に「北側の土塁と濠がよく原形をとどめ」とあったので、空堀沿いに外周をめぐってよく原形をとどめているという土塁を拝ませていただきました。カルビンさんの幸運は、うらやましい限りでございます。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

新幹線 麓貫く 高山城
(しんかんせん ふもとつらぬく たかやまじょう)

かるたの城、変更とのこと。
誰も文句を言わず淡々と投稿されるのがここの良いところですね😊
新高山城とのペア作品にしてみました。
実はここも未訪、今度はセットで行きたいです。

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しんちゃん

光明寺と安房神社 (2025/01/07 訪問)

小野田城は城主等に関しては詳細の不明な城です。光明寺と安房神社の周辺が城址とされ、安房神社の周辺には土塁が確認できました。
周辺を管理していた土豪のものでしょうか? 

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】・・・ボツ

「鬼住みし 嶽が聳える 岸岳城(おにすみし たけがそびえる きしたけじょう)」
古来、この山は鬼子嶽と呼ばれ、中央の命令に従わない土豪が砦を築いていたとのことです。中世には松浦党の一族・波多氏の城となりますが、豊臣秀吉に非協力的な態度を続けたため改易されました。波多氏の改易後は寺沢広高が唐津城に入りましたが、唐津城の支城として一定期間機能していたようです。

この城も未訪です。九州の山城が四 つも無くなってしまったのは残念ですが、代替として九州以外の城が選定されているのは理由が有るのでしょうか? いつかまた九州を巡る機会が有ったら、この四城はぜひとも訪れてみたいですね。

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2012/10/15 訪問)

 ①「白山に 門徒王国 鳥越城」(はくさんに もんとおうこく とりごえじょう)

 ②「一揆勢 最後を守る 鳥越城」(いっきぜい さいごをまもる とりごえじょう)

 ③「加賀門徒 織田と攻防 鳥越城」(かがもんと おだとこうぼう とりごえじょう)

 13年前の平成24年10月13日14日の全国山城サミット魚津大会に参加し魚津、高岡に宿泊後松根城経由鳥越城を初登城、鳥越城は白山麓の手取川と大日川に東西を挟まれた山稜尾根筋先端の比高100m程に在り、発掘調査されて石垣、曲輪、空堀、建物跡、井戸跡など出土しており、整備保存されて、一部、木製の桝形門、櫓本丸門、柵列、中の丸門も再現されている。駐車場も後二の丸下に在ります。

 戦国期加賀の国は浄土真宗門徒一向一揆の国として約百年統治されていたが織田の勢力が伸長すると織田の柴田軍との攻防が苛烈を増して取ったり取られたり、本能寺の変の前年に落城し織田勢力に平定される。
 近年水害被害で入山禁止と成って居るようですが早く復旧して登城が出来る様に成る事を願って居ます。
    

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】・・・

「身の危険 感じるほどの 長岩城(みのきけん かんじるほどの ながいわじょう)」
ここも未訪でござる。って、ここも断念でござるかっ・・実は知ってるでござるよ。
せっかくなので、最後に一発 投稿させていただくでござる。ニンニン。

ここは、あの「根小屋城」を攻略した有名サイトさんも途中で撤退するほど危ないらしい。その方の言葉を借りれば
「耶馬溪は ヤバい渓谷 長岩城(やばけいは やばいけいこく ながいわじょう)」
ということになる。石積櫓の銃眼は見たいけど、最近体幹が弱ってきているので無理は禁物だ。落ちて死んだら、城攻めが出来なくなる。
「石積から 銃眼覗く 長岩城(いしづみから じゅうがんのぞく ながいわじょう)」

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