出丸入口から登り始め、本丸→小丸→大嶽城跡→福寿丸→山崎丸の順で回り、下山。時間は2時間ほど。
京極丸あたりから雪が残っていて、標高が一番高い大嶽城跡では数センチ積もっていた。
福寿丸では、猿のファミリーに遭遇。
あまり刺激しないように福寿丸は案内図のみ撮影して失礼した。
小谷城をした後は、虎御前山へ。
虎御前山ハイキングコースで羽柴陣や織田陣を散策。
最後に姉川の戦いを場所を見学してから帰宅。
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2025/03/24 17:36
浅井氏の居城、小谷城へ (2025/03/20 訪問)
出丸入口から登り始め、本丸→小丸→大嶽城跡→福寿丸→山崎丸の順で回り、下山。時間は2時間ほど。
京極丸あたりから雪が残っていて、標高が一番高い大嶽城跡では数センチ積もっていた。
福寿丸では、猿のファミリーに遭遇。
あまり刺激しないように福寿丸は案内図のみ撮影して失礼した。
小谷城をした後は、虎御前山へ。
虎御前山ハイキングコースで羽柴陣や織田陣を散策。
最後に姉川の戦いを場所を見学してから帰宅。
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2025/03/24 11:23
島津忠恒と桜島 (2025/02/25 訪問)
知覧からの帰りに鹿児島城に立寄りました。御楼門は相変わらず美しいです。しかしその奥にある、西郷隆盛らが立て籠もるこの城に向かって官軍が放った弾痕跡とのギャップが、何とも複雑な薩摩の歴史を物語ってくれます。
鹿児島城の築城者は「島津忠恒」です(後に家久と改名)。忠恒は島津義弘の子ですが、嫡子の無かった当主義久(叔父)の後を継ぎ当主となりました。関ケ原の直前にあった島津家の内乱(庄内の乱)では、首謀者「伊集院忠棟・忠真」父子を自ら斬殺して乱を鎮め、これで家康から一目置かれるようになります。しかし関ケ原後、義弘の処遇を巡り義久は家康と対立! 義久は一戦辞さずと戦の準備にかかります。その中で忠恒は、井伊直政の協力を得て、伏見の家康との仲介に奔走します。そして家康から信頼されるようになり、薩摩・大隅の本領安堵をとりつけて初代薩摩藩主に任命され、それまでの内城から鹿児島城(鶴丸城)を新たに築城しました。
しかしそれでも薩摩藩は、徳川宗家、加賀前田藩に次ぐ3番目77万石の大藩です。ですが城には天守もなく敷地もさほど広くなく、「え!これが77万石の大藩の城ですか?」と訪れた皆さんは誰もが思われたのではないでしょうか? おそらく20万石程度の大名と同じ大きさだと思います。52万石の姫路城や福岡城などと比べると、はるかに小さくて質素なのがよく分かると思います。それは徳川から怪しまれぬよう恭順の意を表向きは示すために、このような大きさや形にしたものと思われます。そして裏では密かに113の外城を築きます。
ここまで来ると、私は急に桜島が見たくなったので、背後の城山へ登る事にしました。鹿児島にしてはこの日は寒く、気温は5℃くらいだったでしょうか。よってシティビューバスに乗り頂上まで行きました。ここから見る桜島はいつ見ても感動です! この日は山頂にうっすらと雪が積もっているという、何とも珍しい光景を目にする事ができました。
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2025/03/24 08:16
麒麟がくる紀行(丹波統治の城)
(続き)
丹波を平定した明智光秀は新たな城を築き、また攻略した城を改修して丹波統治の拠点としました。
丹波攻めの本拠だった亀山城(京都府亀岡市)はそのまま光秀の丹波での居城となりました。本丸周辺の遺構は江戸期以降のものですが、惣構の堀や土塁は築城時の姿を残していると思われます。本丸には光秀の手植えと伝わる大イチョウ(の二代目)があり、南郷公園には光秀の銅像が立てられています。南東辺を流れる年谷川の両岸にかつて続いていた松並木は千本松と呼ばれており。一説には築城時に年谷川を防衛線として光秀が植えたと云われているようです。
京と若狭を結ぶ周山街道と大堰川(桂川)水運の押さえとしては周山城(京都市右京区)を築きました。山頂から四方にのびる各尾根に曲輪群を配した大規模山城で、破城により崩されてはいるものの、総石垣の壮麗な山城だったことが窺えます。城下では善政を敷いたようで、山麓にある慈眼寺の釈迦󠄀堂では「くろみつ大雄尊」と呼ばれる墨塗りの明智光秀座像が大切に安置されています。
由良盆地の拠点としては横山城を改修して福知山城(京都府福知山市)を築き、明智秀満を城主としました。天守台西面には築城時の石垣と増築時の石垣の境界線がはっきり出ていて、築城時の石垣には転用石が非常に多く用いられています。城下町もおおむね光秀が整備していて、由良川と土師川の合流点に明智藪とも光秀堤とも呼ばれる堤防を築いて城下を水害から守っています。
氷上郡の拠点としては黒井城(兵庫県丹波市)を改修して、斎藤利三を城主としました。城下からよく見える側の石垣と、本城と呼ばれる山頂部に設けられた連続枡形が光秀による改修と考えられます。山麓の居館跡は現在は興禅寺になっていて、斎藤利三の娘であるお福(後の春日局)が生まれた地とされ、春日局出生地の石碑のほか、産湯の井戸や幼いお福が座ったと伝わる腰かけ石があります。
さて、丹波を平定しても光秀に安息の日が訪れることはありませんでした(続く)。
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2025/03/24 07:05
西郭群(新城) (2025/03/09 訪問)
以前から行きたかった城ですがソロでは、と躊躇してました。
比高430mに加え熊の出没エリアだそうで。
なので城友さんにアテンドを依頼、5名でワイワイと登ることになりました。
千磐神社に車を置きここから登ります。
少し登ると「本丸まで2300m」の案内板。
ソロならこの時点で心が折れそうです。
が、5人なのでこれからのワクワク感が上回ります。
すぐに堀切があり癒されますがここからが長い。
急坂の尾根道をひたすら登ります。
かなり登ると大岩に、さらに武者隠しを経てようやく西郭群にたどり着きました。
ここまで約1時間。
一休みですが、この日は天気が良く、雪化粧の中国山地の山波が綺麗に見えました。
西郭群が新城とされ、尾根上に広い曲輪が並んでいます。
これまで堀切や土橋などの派手な遺構に萌え、曲輪はないがしろにしてました。
この城は曲輪の良さも理解できます✨
また一つスキルが上がったかな?
南北には石垣列も施されています。
主郭部には狼煙場や祭壇など細かい見どころも満載。
北側の医王寺跡の曲輪は広く、土塁も残ります。
背後は見どころの一つ、三重堀切が守ります。
これだけでもお腹いっぱいですが本城まではさらに登る必要があります。
東郭群(本城)のレポートは次回に回します。
【見どころ】
・千磐神社から登ってすぐの堀切
・大岩
・狼煙場のところの堀切
・曲輪南北の石垣列
・本丸下の石垣
・三重堀切
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2025/03/24 02:05
2025/03/23 23:56
千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその38 佐是城 (2025/03/23 訪問)
千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその38
小湊鐵道沿線に菜の花畑があるので列車と一緒に写真に撮りたいと思って行ったのですが、菜の花は無く(花が終わったのかこれからなのか花畑が無くなったのかわかりません)とりあえず列車の写真(少しだけ黄色い水仙が植えられていました)だけ撮ってきました。
帰る途中、近くに佐是城があると気付き寄ったのですが、城址標柱はあったものの登城口から藪で足元がぬかるんでいたので、それ以上進めず引き返して来ました。
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2025/03/23 23:29
お祝いの投稿をありがとうございます
朝田辰兵衛さん、恒例のお祝いクイズ出題をありがとうございます。3月20~23日は遠征に出かけるので、じっくり考えてくださいとのお言葉に甘えて、じっくり考えました(うそ)。年寄りにご配慮いただき、痛み入ります。写真は、中之島中央公会堂と見ました。そうであれば、一度、講演会で入場したことがあります。国交省未知普請活動で、京都ー大阪間を南伸坊さん他が歩き、超芸術トマソン*を紹介する内容でした。私は、トマソン目当てに行ったのですが、大半の聴衆は、何のことやら状態だったと思います。
3月20~23日は、私も多忙で、一番は、兵庫県揖保郡の実家を完全撤収することでした。これまで、月に1回、週末に帰省し、一日は、野良作業、掃除。もう一日は、西に向かって城巡りに使っていました。岡山県コンプができたのはそのおかげだし、広島、鳥取もかなりいけました。4月に行く、利神城も実家からなら近いのですが、滋賀から出張っていきます。
お祝いメールいただいたオールスターズの方々、ありがとうございます。鳥取の城巡りをした際は、todo94さんの足跡がすごかったです。また、近々に淡路島を攻略しようと思ってますが、最近攻略されたtodo94さんの投稿を頼りに巡って行こうと思います。ぴーかるさん、しんちゃんさん、赤い城さん、にのまるさん、これからもよろしくお願いします。小学生の同級生に、二ノ丸君がいました。
*主に都市空間に見られる、不動産と一体化しつつ「無用の長物的物件」となった建築物の一部
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2025/03/23 22:32
富山市郷土博物館 (2025/03/10 訪問)
富山城天守は富山市郷土博物館として運営がされています。当然、模擬天守で史実とは異なりますが、1954年に富山産業大博覧会に合わせてRC構造で建設された、いわば復興のシンボルで、その意味もこめて国の登録有形文化財に登録されています。
犬山城と彦根城をあわせたような、ちょっと怪しいデザインですが、水堀に浮かぶ姿はなかなか様になっています。博物館としても展示物が充実していて、最上階は展望台になっています。
駐車場のすぐ近くにある千歳御門は嘉永2年(1849)に千歳御殿の正門として建てられました。明治維新の後、郊外に移築されていましたが平成17年に富山市に寄贈され、翌年に富山城址公園に移築され、富山城のもう一つのシンボル的な存在になっています。
形式は三間薬医門とされ、東大の赤門(加賀屋敷御守殿門)と同じ形式になるそうです。そういえば徳川苑にも黒門と呼ばれる、同じような門があるような・・。
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2025/03/23 21:50
スルー出来ないでしょう (2025/03/16 訪問)
二日ほど某アプリを控えていたら年間ランキングが26→29に下がっている。う~ん・・油断がならないな。途中参加とはいえ30位以内はキープしておきたいので、来週また走りましょう(シュラシュシュシュ)。
某アプリで攻城数を稼ぎながら移動中、新田金山城の標示をみて吸い込まれるように、そっち方面へ。ああ、抗えない・・抗えない。この日は雨ですが、道は比較的整備されているので傘をさして散策できます(多少は濡れる)。
なんといってもオリジナルの石畳が良い。再現されている部分もあるかも知れないけど、足元がコンクリートで補強されていると悲しいので、これは嬉しい。以前訪問しなかった見附出丸・南土塁を見た後は西矢倉台西堀切→馬場下通路を通って先を目指します。今回は天気が悪いので物見台はパスします。
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2025/03/23 21:23
緑もさもさの金山城 ラピュタみたいだ (2013/12/25 訪問)
先日、新田金山城に行って来たばかりなのですが、古い写真に金山城のものがあったので、どう変わったのか比べてみました。
たしか12年くらい前の12月の写真なんだけど、8月?・・と間違えそうなくらい緑がモサモサ。
なんかラピュタみたいだな・・やっぱり、8月の間違いじゃないだろうか? そういえば最近高取城が注目を浴びているけど、TVで紹介されるまでは、ほぼ人のいない秘境の城でした。山奥の秘境の様な山城って、なんとなくロマンがあふれていて好きです。
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2025/03/23 20:02
「城跡歩きはこんなにおもしろい! 日進・名東の城跡を探訪する」へ (2025/03/22 訪問)
昨日は名古屋で開催された「城跡歩きはこんなにおもしろい! 日進・名東の城跡を探訪する」へ。
城やり人の小城小次郎氏とミスターこまなが内貴健太氏によるトークショー。
主な内容は、日進市と名東区の、おそらく全国的には超マイナーな遺構皆無の小さな城跡だが、このネタでしっかり人が集まりトークショーが成立することにはビックリ。
個人的には、このクラスの城跡のいくつかが古い航空写真で確認できると知れたことが収穫の1つでした。
当面、私は探訪しないだろうが、このような城跡を知ることでメジャーな城の見え方も深くなるもの。
そして山城では何気ない石や岩も曲輪の入口ではないか気に掛けようと感じた次第。
最後に、質問タイムでは城びとで拝見する名前が呼ばれていたような…?
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2025/03/23 17:56
竹崎城址 春のパノラマ&お花見 (2025/03/23 訪問)
南北朝時代に島原の有馬隆泰によって築城。
城址の近くに竹崎城を再現した展望台あり。
有明海を望む360度のパノラマは最高〜😀
桜の開花は今から!
竹崎カニ🦀やカキ🦪、周辺の海中鳥居⛩️も
オススメです。
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2025/03/23 17:33
台地を利用した土の城 (2025/02/02 訪問)
京成大佐倉駅から歩いて10分。東光寺ビョウの標柱から登城開始。
東山虎口を抜けて東山馬場にある本佐倉城址案内所へ。案内所では年配のガイドさんによる千葉一族の歴史解説を聞き10分ほどビデオ映像を視聴。案内所横のトイレ前に設置された続日本100名城スタンプをポン。東山の土塁の上からは筑波山まで望めるビューポイントだが小雨の中では厳しい。
入手したパンフのルートに沿って進む。Ⅳ郭虎口、城山虎口を通って城主の空間である城山郭へ。続いて奥の山、倉跡を右手に見て一旦内郭の外へ出る。
セッテイ空堀を横切ってセッテイ虎口から再び内郭内へ。金明竹が群生する小径を進み南奥虎口を通って東光寺ビョウを抜ける。2時間の攻城で土の城を満喫。案内所のガイドさんは外郭部分の見どころも教えてくれたが佐倉城攻めを急ぐため回避。
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2025/03/23 14:43
鮎河城 (2025/01/18 訪問)
【鮎河城】
<駐車場他>うぐい川公園駐車場
<交通手段>車
<見所>堀切
<感想>現地説明板によると鮎河城は南北朝時代に南朝に属していた頓宮弥九郎(鮎河弥九郎)が南朝軍反撃の拠点とした要塞である。1337年に兵を挙げ鮎河城に立て籠もったが、北朝軍の佐々木秀綱に従った山中橘六・小佐治右衛門三郎・美濃部兵部三郎らの軍に攻められ陥落しました。
登城口は<34.957139, 136.342950>から獣よけ柵の扉を開けて入れます。登城口の道路沿い北側に現地説明板と城跡碑があります。麓居館跡のようです。登城口扉を開けて中に入ると正等院跡の五輪塔や墓碑が削平地に並んでいます。なんとなく道があるので奥へ進むと鮎河城への矢印板がありますが、途中から道がロストしてしまいます。そこから直登しますが植林整備されているのでそんなに難しいものではありません。尾根を見て(東側)右方向(南)が比較的緩やかなので、徐々に右方向に流れながらジグザグに登って行けば、ちょうど尾根の南端辺りに登り着けます。
尾根から北へ向かって進むと、尾根上の削平地が広くなっているのでここから削平地かなあ。という感じになってきます。少しだけ段差があります。落葉の間に礫石が所々見える場所があり、落葉の下は結構な岩場か岩を利用した防御遺構があったかもしれません。城跡は南北に走る尾根上を利用した小さな城で主郭を中心に主郭の南北を堀切で仕切り、主郭の南側に副郭、副郭の南側に斜面状の削平地(曲輪かどうか判別不能)、主郭の西側斜面に細い武者走りがあります。主郭の北側は堀切の先は尾根曲輪が続いています。主郭の周囲の切岸は結構削られていて人手で加工した遺構がくっきり残っていて見応えがありました。
<満足度>◆◆◇
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2025/03/23 10:56
武田氏三代の栄枯盛衰 謎のハローキティ (2025/03/15 訪問)
武田氏館(躑躅ヶ崎館)は武田信玄の父・信虎が永正16年(1519)に石和から館を移したのが始まりとされています。その後、信玄。勝頼と三代に渡って使用されて来ました。主郭は一辺約200mで、現在は武田神社になっており、周囲に堀と土塁が残っています。今でこそ水堀だけど、昔はどうだったんだろう・・? 個人的には武田氏の城は空堀で有ってほしい(なんで?)。
いや、武田って土臭い、泥臭いのが良く似合うし(ポカッ)。そもそも水堀なんて女々しい堀は武田には似合わない(怒られるぞ~)。
今の時代、いろいろ怒られそうなことを書きましたが、私は武田の漢らしい空堀は好きです。石垣はやっぱり野面積・・。
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2025/03/23 10:11
2025/03/23 10:07
2025/03/23 10:03
2025/03/23 10:00
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