大垣市の安楽寺の背後にそびえる勝山(岡山)は関ヶ原の合戦に向かう徳川家康が本陣を構えた場所とされています。ですが現状、土地の所有者によって立入が規制されているため訪問することはできません。麓に「関ヶ原合戦慰霊碑」や勝山の碑があるのでそれを撮影させていただきました。
太平洋戦争の際には砲台が設置され高射砲が置かれたとされています。頂部には「第四一〇二部隊高射砲陣地跡」の石碑があるらしく、ネットで見るとかつては「家康物見台」という展望台があったようですが撤去されているようです。
設置されていたのはおそらく八八式七糎高射砲、もしくは九九式八糎高射砲だと思われ、AI先生の予想では七糎(センチ)のほうでした。
八八式は口径75mm・射高9100m・重量2.5tの比較的コンパクトな高射砲です。九九式は口径88mm・射高10420m・重量6.5tの強力な高射砲ですが米軍のB29は高度1万~1万5000mを飛行できるので迎撃は難しそうです。
例の「玉城」にも砲台跡が有るようですが高射砲陣地であったかは不明で、いずれにしても標高300mそこそこではB29を撃墜するのは難しいでしょう。南宮山周辺の史跡が軍事用施設に利用されていたことは興味深く、私は南宮山は陸軍に軍事用施設として重視されていたのではないかと考えています。
とはいえ野戦砲(砲台)陣地として利用価値が高かったのは飛行機が登場するWWⅠまでで、太平洋戦争では大口径の高射砲を設置するのには厳しい地形にあり、なおかつ設置した所で超高度を飛行できるB29を迎撃するのは困難だったと予測でき、南宮山には高射砲の陣地は設営されていなかったと推測します。
試作に近い五式十五糎高射砲であれば26000mの射高があるので、どこからでもB29をバタバタ落とせたんだけどね~
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