なかむらじょう

中村城

福島県相馬市

別名 : 相馬中村城、馬陵城
旧国名 : 陸奥

投稿する
本丸跡の相馬神社
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

ぎりょう

相馬氏歴代の居城を訪ねて④ (2026/10/17 訪問)

 今回の旅4城目は相馬氏最後の居城中村城です。
 慶長十六年(1611)に相馬利胤はこの城を改修して小高城から移転し、以後明治4年(1871)の廃城ま260年間相馬氏の本拠地となりました。
 中世にはその後の本丸、西二の丸、東二の丸で構成された土の城でしたが、16世紀前、後半の整備・改修により、鉢巻き石垣や、南二の丸、三の丸、馬出しなどが構築されたようです。
 小高から中村への移転はやはり隣国伊達氏との緊張関係によるものなのでしょう。
 本丸は東西118m、南北112m、比高は10mと決して広くはありません。その南西角には天守があったようですが、寛文10年(1670)に落雷による火災によって焼失したようです。その後再建されることもなく、天守台や詳細な資料も残されていないため、その外観や構造はわかっていないようですが、現在の相馬神社社務所のあたりに建っていたと推測されているようです。同時代に建設された天守は松本城や松江城、弘前城の天守があります。南二の丸に立って、本丸を望み、黒漆喰の小ぶりな三層天守をイメージしてみました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

相馬中村城とも なかなか守りは堅く (2025/01/01 訪問)

中村城は一般的には相馬中村城の方が周知の方も多いと思う。歴史はかなり古く、はじめに坂上田村麻呂によって築かれたとされています。南北朝時代には中村朝高によって館が築かれたとされ、代々中村氏の居城であったが戦国時代に相馬氏の城になりました。相馬氏の本城は小高城であったので、中村城には城代が置かれました。
慶長16年(1611)相馬利胤は、本城を中村城に移し、中村藩6万石の城として、見事な近世城郭として改修を施しました。本丸を中心に堀や曲輪が配されていますが、かつては本丸北側を空堀とすることで外周に二重の水堀を設け(蓮池を内堀に転用)実質、三重の堀切を設け北側への防御を固めて有りました。有事の際には内堀から水を引き北側に三重の水堀を展開することが可能だと思います。
藤堂高虎も津城の西側に用水路を設けて、実質的に三重の水堀にしようと計画していましたが、思いとどまっています。外様で6万石の藩が三重の水堀を設ければ、幕府の要らない警戒を招くという判断だと思います。
北の伊達氏に対する警戒と幕府に対する配慮からの折衷案ではないでしょうか。本丸の南側には鉢巻石垣が残っていて、東二の丸との間の堀切が残っており、赤い橋が架かっています。本丸南側の水堀は埋められ広場となっています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

朝田さん、正解☺️ (2019/03/03 訪問)

そうです、相馬中村城が正解です。
左側の鉢巻石垣は見どころの一つです。
登城は2019年、まだ高速道路には放射線量の表示が出ていました。

中村城の石碑に「日本100名城」と彫ってあったのですが城郭協会とは別の団体で選ばれたのかな?

朝田さん、次は神奈川ですね。
コンプリートのお知らせ、楽しみに待ってます😃

+ 続きを読む

肉球

一回りしてみました・5 (2024/07/13 訪問)

赤橋から本丸へ入り相馬神社をお参り。
本丸南西部には築城当時天守閣が存在していたようです。
黒橋を下り西二の丸へまわると天守閣が存在していた付近の
石垣が崩れ落ち手付かずのままでした。
なんとか保護してもらいたい思いです。
二時間半の散歩でした。

お城から南の正西寺の山門はお城からの移築門。
一昨年の地震で屋根の部分が倒壊し少し可哀想な姿に。
東へ少し離れた長命寺の山門もお城から移築されたようですが
こちらは無事な姿。安堵

五回も投稿失礼しました🙇



+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 中村氏
築城年 大永年間(1521〜1528)
主な改修者 相馬氏
主な城主 中村氏、相馬氏
廃城年 明治3年(1870)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀)、大手門
指定文化財 県史跡(中村城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 福島県相馬市中村北町101
問い合わせ先 相馬市役所
問い合わせ先電話番号 0244-37-2117