蓮華山城から車で15分くらいで、欽明路バス停付近空スペース(34.108490、132.109409)に着き路駐しました。
そこから、武田氏屋敷跡付近(34.108893、132.109510)に向かいました。
天文年間(1532年〜1555年)頃に武田刑部少輔宗慶によって築かれました。
周防源氏武田氏の祖である武田宗慶は安芸国銀山城主武田光和の庶子で、1540年(天文9年)武田小三郎が毛利元就の支援を受けて欽明路へ移り、後に武田刑部少輔宗慶と称しました。
銀山城主の安芸武田氏は1541年(天文10年)毛利元就によって滅ぼされますが、この武田宗慶は毛利氏に従って代々続き、1818年(文政元年)武田宗左衛門のとき、稽古屋敷をこの地に設けました。
この文武両道の稽古屋敷は、のちの呉武田学園(呉港高等学校・武田中学校・武田高等学校)と言う学校法人へと発展しています。
周防源氏武田氏屋敷は旧山陽道に面した地に築かれている。欽明路バス停のすぐ北にあり、道標に従って奥へ進んでいくと案内板と土塀に囲まれた屋敷跡があります。
また、屋敷内の西部及び北側山地に、武田氏代々の宝篋印塔や五輪塔をはじめとする墓石が設置されている墓所があります。
屋敷跡には「稽古屋敷創設地碑」や武田光和公、信宗公の墓などが残されています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=高森城に行く前に、岐志氏館(城びと未登録 山口県岩国市)を攻城しました。
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