熊谷市成田氏館跡を終えて群馬県埼玉県国道17号線沿いの未踏の城廻り七城目の箕田館跡を目指します、南東へ約10km箕田館跡の箕田氷川神社前に若干の路駐エリアをグーグルマップ航空写真より確認しましたので直接ナビに設定し進行。
着きましたら神社前には先客あり、17時過ぎ夕方の交通混雑時期、帰宅車両に遭遇し一時門前南の私有駐車場に路駐、やり過ごし西の満願寺参拝者駐車場一時利用。
箕田氷川神社、箕田古墳2号の墳丘に祠箕田氷川神社鎮座、墳丘下に案内解説板が有り「箕田古墳群」と「箕田二号墳」の解説が並列で記載されて居り、箕田二号墳の解説文の中に「本墳の南側一体は箕田館の推定であると、武蔵守源仕の名も記されいる」。辛うじて箕田館の事が分かる程度、遺構などは見当たらない。
嵯峨天皇からの流れ嵯峨源氏、嵯峨天皇三代孫、源仕は西国の藤原純友乱に功をあげて武蔵守に成っている、子に宛、孫に綱と三代箕田源氏、箕田郷の居館を構え箕田を名乗る。
三代綱は渡辺綱として有名です、父宛は父仕と西国で藤原純友の乱に功を挙げるが若くして没した、綱は幼くして両親を失ったため、従母である多田満仲の娘に引き取られて、摂津国渡辺庄で育ったことから渡辺姓を名乗った。長じて源頼光に仕え、共に大江山の酒吞童子退治で有名な物語です。(帰宅後、氷川八幡神社の解説板、氷川八幡社と箕田源氏と箕田碑解説板をネットで探し、抜粋加筆)、またこの解説板は、とある煩悩の登場目録さん2025/07/12投稿写真、しんちゃん2024/07/07投稿写真に掲載されています。しんちゃん久しく投稿が有りませんがいかがお過ごしでしょうか?
箕田館跡から南東に約3kmに伝源経基館跡が在り箕田仕(源仕)は源経基に仕え功を挙げている。
箕田館跡を終えて、荒川に架かる川幅日本一の橋を渡り、以前もこの辺の探訪で渡り済みです、架橋通行し圏央道川島ICから入り浜松へ、今回の箕輪城復元本丸西虎口門探訪見学、保渡田古墳群、かみつけの里博物館、三ツ寺Ⅰ遺跡、群馬県立歴史博物館で古墳と埴輪の見学、群馬県埼玉県国道17号線沿いの未踏の城7城探訪で走行距離約730kmでした。
長々の投稿ご覧いただきありがとうございました。
+ 続きを読む









