歴史シンポジウム「いざ、遠州社山城!」参加聴講しました
(2026/02/23 訪問)
磐田市市制施行20周年記念事業、歴史シンポジウム「春風亭昇太と語る秀吉時代の磐田」【いざ、遠州社山城!】に参加聴講致しました。
会場:磐田市民文化会館「かたりあ」ホール1,500席の大ホール満席でした。住所:静岡県磐田市上新屋678-1、国道1号線バイパス北隣接地、駐車場大駐車場東西に在り。
出演者:春風亭昇太師匠、加藤理文日本城郭協会常務理事、内山絵里加フリーアナウンサー
シンポジウム参加料:1,000円
開催日時:令和8年(2026年)2月23日13時~16時
スケジュール
Ⅰ:基調講演 春風亭昇太師匠、後半15分より加藤理文日本城郭協会常務理事参加
Ⅱ:講演「社山城」 加藤理文日本城郭協会常務理事
Ⅲ:トークセクション 春風亭昇太氏、加藤理文氏、内山絵里加氏
途中に磐田市教育長、磐田市長の挨拶有り。
参加者にはA3のリフレット1枚をカラー裏表で4ページ分資料配布されて居り、それを参考にスライド映像を見ながら加藤氏の講演を聞く。
社山城の歴史
今川氏と斯波氏の抗争(文亀の頃1501~03年)を遠江の城郭配置図で抗争合戦を社山城を中心に語られた、社山城の独立丘陵による交通と眺望の重要性があり、浜松方面と二俣方面の動向が良く分かる立地と天竜川河岸段丘崖の要害要衝による。
武田氏と徳川氏の抗争(元亀3年1572年)、武田信玄の遠州侵攻ルート絵図をを使い、三方ヶ原合戦の前、二俣城攻めの為に合代嶋へ陣を敷いたが知られて居り合代嶋、社山城辺りに布陣し拠点とした。翌年信玄の後を継いだ勝頼が遠江に侵攻、社山城を抜けて袋井へ陣を張ったと言います。武田方と成った二俣城の備えとして家康が社山城に砦を構えた。・・以降社山城に関する記録は途絶える。
社山城の構造
社山城周辺城郭位置図(元亀~天正年間始め頃)、社山城縄張図(作図:関口宏行氏)、二俣城奪還後の武田軍による徳川勢力分断図をスライドに映し解説頂く。
位置は天竜川東の河岸段丘磐田台地北端の独立丘陵標高136mの山城、涅槃像の頭の部分に当たる、現登城口よりは比高20~30m程、北尾根上に北の曲輪尾根先に横堀2段、北の曲輪南側に土橋と堀切、尾根筋を南へ登折り本曲輪(南北約70m×東西約25m)の北に切岸と横堀を北から西に回らす、北東角からは竪堀で遮断してる。本曲輪南側よりL型に東へ二の曲輪(本郭と同規模)、本曲輪と二の曲輪間に約10mの堀切、二の曲輪の東尾根には2条の堀切と土橋、本曲輪崖下にも2条の堀切で防御してる、各曲輪下斜面には小曲輪が多くある。
加藤氏の見解では社山城は斯波氏今川氏武田氏徳川氏へと流れて武田氏と徳川氏の大改修がなされて居り、天正4年以降で同年の二俣城奪還戦時と同12年の小牧長久手合戦の豊臣軍の侵攻に備えての2回との事。
家康が秀吉に臣従した時点で社山城の機能は停止したと。
春風亭昇太師匠の基調講演とトークセッションとも楽しく聴講させて頂きました、今回のシンポジウムに合わせて、前日に磐田市文化財課職員の案内による社山城探訪限定30名見学会が有り、当日午前中には春風亭昇太氏加藤理文氏内山絵里加氏の探訪が有り、事前に社山城西側の樹林を伐採し天竜川、浜松市方面、二俣方面の眺望が一部開けたそうです。探訪のチャンスです。
社山城遠望写真は2月14日撮影です。
社山城を事前2月14日探訪しましたので続きで後日投稿します。
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