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HARU

彦根城 (2024/05/10 訪問)

令和6年5月10日、滋賀旅行の1日目、国宝5城・現存12天守のひとつ、日本100名城の「彦根城」を訪れました。
朝早く家を出発、昼前に彦根に到着、彦根城博物館をみたあと、彦根城天守に登城しました。
「ひこにゃん」にも会うことが出来、最後は名勝「玄宮園」にも行き、ここから見える彦根城も楽しみました。

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HARU

富山城 (2024/04/12 訪問)

令和6年4月12日、富山旅行の2日目に訪れました。
この日最初に「高岡城」をみてから移動、続日本100名城の「富山城」を訪ねました。
加賀前田家二代当主前田利長は、利家公の後を継ぎ藩主となり、1605年に隠居して「富山城」に移りましたが、大火により城が焼失し、「高岡城」をつくりました。
この日は富山城を守った神通川の名残り「松川」を巡るクルーズで「日本さくら名所100選」のサクラのトンネルを楽しんだ後、富山城址公園の「富山市郷土博物館」で富山城の歴史を学び、園内の石垣や堀から当時の面影をみてきました。

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HARU

高岡城 (2024/04/12 訪問)

令和6年4月12日、富山旅行の2日目に訪れました。
日本100名城の「高岡城」は加賀前田家二代当主前田利長が自らの隠居城として、1609年に築城しました。
城跡は「高岡古城公園」として残り、「さくら名所100選の地」でもあり、ちょうど見頃を迎えたサクラを楽しむことも出来ました。

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孔明

本丸へ (2024/05/25 訪問)

本丸へは、資料館でもらうガイドマップでは鐘撞堂から真っ直ぐ進むように見えますが、真っ直ぐ進まず少し戻って右方向に進むのが正しいルートです。現地では真っ直ぐ進むと霧山城の域外ですとの表示がありますので、それに従ってください。また、鐘撞堂から先は表示が少ないので、矢倉跡の少し手前が本丸ですので先に矢倉跡に行った場合は戻ると本丸です。

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HARU

増山城 (2024/04/11 訪問)

令和6年4月11日、富山旅行で訪れました。
「新高岡駅」で新幹線下車、レンタカーを借りてチューリップで有名な砺波市の続日本100名城の「増山城」を訪れました。
「増山城」は「松倉城」「守山城」と並び「越中三大山城」に数えられ、県内に400以上ある城の中で、縄張りの規模はトップクラスを誇ります。
ちょうどサクラが咲いている時期で、一緒に楽しめました。

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HARU

福井城 (2024/03/26 訪問)

令和6年3月26日福井旅行3日目、帰りに訪れました。
続日本100名城にも選定されている「福井城」は福井藩の初代藩主結城秀康が1601年から6年をかけて築城されています。
当時4層5階(高さ約30㍍)の天守があり、現在も大きな礎石が残っていて、他にも残る石垣や堀などをみると当時の様子を窺い知ることができます。2008年復元の「御廊下橋」や2018年復元の「山里口御門」があり、1948年に発生した福井地震で崩れかけた石垣がそのまま残されています。
この日はあいにくの雨でした。

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HARU

丸岡城 (2024/03/25 訪問)

令和6年3月25日福井旅行の2日目にレンタカーを借りて、城めぐりをしてきました。
「一乗谷朝倉氏遺跡」、「越前大野城」を訪れ、最後に「丸岡城」を訪れました。現存12天守のひとつで、日本100名城にも選定されています。
桜まつりの時期でしたが、まだ開花していませんでした。
現存12天守として、天守の中は展示物も少なく、昔の様子が残されていました。
急な階段が印象的でした。

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HARU

越前大野城 (2024/03/25 訪問)

令和6年3月25日福井旅行の2日目にレンタカーを借りて、城めぐりをしてきました。
最初に「一乗谷朝倉氏遺跡」を訪れたあと、「越前大野城」を訪れました。続日本100名城に選定されています。
近くの山から見られる姿が「天空の城」としても有名で、この日はみていませんが、遠くに見える山々には霧がかかっていました。

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HARU

一乗谷朝倉氏遺跡 (2024/03/25 訪問)

令和6年3月25日福井旅行の2日目にレンタカーを借りて、城めぐりをしてきました。
最初に向かったのは「一乗谷朝倉氏遺跡」、日本100名城に選定されています。
遺跡博物館でその歴史・遺構を学んでから「下城戸」「復元街並」「朝倉館跡」などを廻りました。

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HARU

滝山城跡 (2024/01/28 訪問)

令和6年1月28日「NPO法人滝山城跡群・自然と歴史を守る会」主催の「高月城・滝山城二城めぐり」に参加しました。
最初に滝山城城主の北条氏照が養子に入った大石氏が築城した「高月城」をみたあと、歩いて搦め手口から登りました。
普段見ることのない場所もガイド付きでよく理解できました。

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HARU

高月城跡 (2024/01/28 訪問)

令和6年1月28日「NPO法人滝山城跡群・自然と歴史を守る会」主催の「高月城・滝山城二城めぐり」に参加しました。
高月城は滝山城主だった「北条氏照」が養子に入った武蔵国守護代大石氏が築城し、その後「滝山城」に拠点を移しました。
初めて訪れましたが城郭研究家の中田正光先生のガイドを頂き、貴重な遺構を見ることができました。

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HARU

長浜城跡 (2024/01/30 訪問)

令和6年1月30日、西伊豆旅行の折に訪れました。
戦国時代関東一円を治めた北条氏の水軍根拠地で、重須湊をも守るための城と考えられる。
高台から望む内浦湾越しの沼津市街地や遠くの山々の眺めが見事でしたが、生憎富士山が隠れて見えませんでした。

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チェブ

伸びしろが たくさん土の城。 (2024/04/13 訪問)

茨城県の道路は見通しが良く、筑波山を眺めながら田園風景の中をドライブできます。
「久下田城」から風景を楽しみ、「真壁城」に到着しました。
「真壁城」の案内板があり、入ると体育館の駐車場。一旦、間違えたと思い違う道を曲がってみましたが、どんどん「真壁城」から離れていき、今までとは違って細く、住宅地に向かってました。
Uターンして、体育館の駐車場に車を停めました。
駐車場の左手に鳥居。正面に説明板があります。

「真壁城」は1558年~1570年、真壁 久幹さんにより築城されたそうです。
調べると、1172年に 真壁 長幹さんが築城ともありますので、真壁氏が長く治めていたのでしょう。

説明板により、既に本丸に立ってました。
では、外郭方面を目指して歩きます。
本丸の二ノ丸を仕切る堀があります。前方に山々が見えました。
本丸の背に山ではなく、山に向かって「真壁城」は広がっています。途中、ブルーシートに覆われた発掘中の場所がありました。プレハブもあり「真壁城」の調査は進められているようです。

真壁氏の時代が終わると、浅野 長政さんの隠居になりました。その後、長政さんの三男 長重さんが、真壁の町割りをしたんだそうです。
、、、なので、見通しが悪いです。

私の田舎は、すぐそこ。
現在はサイクリングロードになっているリンリンロードが筑波鉄道だった頃、田んぼしかないと思ってました。
何処を見ても緑。カエルもバッタも緑。

今では、車に注意するように何度も言われた見通しの悪い道が いとおしく思えた「真壁城」攻めでした。

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しんしんちゃん

藤堂分家・名張藤堂家邸 (2024/02/18 訪問)

名張城は筒井定次の重臣・松倉勝重によって天正13年(1585)に築かれたとされています。その後一国一城令により廃城になりますが、丹羽長秀の三男で藤堂家の養子となった藤堂高吉が寛永13年(1636)伊賀名張に移封され名張藤堂家の祖となりました。
本家藤堂高次と分家藤堂高吉の関係は決して良好とはいえず、江戸期に本家からの独立の動きが有ったとされ、本家からの圧力は江戸期を通じて有ったようです。宝永7年(1710)名張の大火によって屋敷は全焼し、新たに一回り大きな屋敷の建造が行われました。かつては大名屋敷並の大きさを誇っていたようで東の名張小学校は二の丸跡とされ寿栄神社には太鼓門が移築されています。
かつての名張城跡は藤堂高吉の建てた最初の屋敷跡とともに、藤堂邸の下に眠っています。

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トク

豊臣兄弟コメントのお礼

「あ」さん、「イオ」さん、「ぴーかる」さん

大変丁寧なコメントを返していただき、ありがとうございます。ぜひ「豊臣兄弟」に合わせた頃に、大和郡山城・和歌山城・猿岡山城などを訪問し、奈良・和歌山県の城めぐりを楽しんでみたいと思います。いろいろな情報ありがとうございました。また皆様の投稿を今後とも楽しみに読ませていただきます😊。

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ぴーかる

直登頑張る (2024/03/30 訪問)

【湯谷城】
<駐車場他>ホームランド多里で食事しそのまま駐車させてもらいました。城跡居館跡北側にある地域振興センターに駐車できるようです。
<交通手段>車

<見所>堀切・切岸・麓居館跡
<感想>日帰り尼子十基制覇の旅2城目。湯谷城の城郭情報は全て不明になっておりよくわかりません。この城は、あさんが1番槍の武功をおさめ、私は2番槍です。登城口は地域振興センターの裏手に回り込むと居館跡があります。居館跡は南の山側背後に土塁、その南に空堀を備えた単郭の曲輪があります。尾根の突出した部分を削平しています。
 詰め城の方は居館跡背後の山の山頂で空堀から登山道が途中まであります。空堀から山に入ると虎口跡のような凸凹があり道を進みます。そのまま道を進んでも山の側面を回り込んで道が藪化していくだけなので、正面の取り付きやすそうな所から直登します。一応「地籍調査」と書かれたピンクリボンに沿って直登するとよいかと。この斜面、放射状の畝状竪堀群とありますが私には谷状地形にみえました。北端の曲輪のすぐ下の斜面に対して横状に中心に切り込みのある土塁が下からでも見えます。私は虎口跡に見えました。
 曲輪は主郭と腰曲輪を含め全部で9段あります。比較的小さい曲輪の連段で最上段の曲輪は特に小さく主郭感はありませんし、藪化しています。最上段の曲輪の南端に土塁がありそこから大堀切と2条の小さい堀切の3重堀切となっています。大堀切斜面に矢竹がすごく生えていて、降りるのには降りれますが、今度登るのに逆茂木みたいになって相当苦労します。城跡の西側に4重堀切があります。行き方は北端の曲輪から2段目の広い曲輪の向かって右手に斜面の側面に沿って進む踏み跡の道がありますから、そこを進むと行けます。4重堀切は2重目が南から重機を通した整備道に潰されています。南からの登山道もあるかもしれません。
 腰曲輪の切岸の高低差や堀切の凸凹の明瞭さが縄張りが小さいわりにはなかなか見応えある城跡でした。夕景城からの直登2連続でかなり体力を消耗しました。

<満足度>◆◆◇

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ぴーかる

ありがとうございます。

 しんしんちゃんさん、尼子十旗制覇祝辞ありがとうございます。尼子十旗で良かった城跡は満足度MAXの白鹿城・赤穴瀬戸山城・三沢城の3城です。興奮しました。
 トクさん、お褒めのお言葉ありがとうございます。縦横無尽という言葉、狙ってました!(^^)!。西方面は結構行っていますが、東方面がまだ神奈川県止まり、今後の攻略を模索している感じです。

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しんしんちゃん

鴨方の細川氏の城郭 (2024/01/04 訪問)

鴨山城は周囲三方を川に囲まれた鴨山に築かれ、「備中国主」としてこの地に勢力を誇った、鴨方細川氏の城とされています。細川通董の菩提寺・長川寺から昭和11年に刊行された「細川家系図」によると鴨山初代・細川清国~7代・ 通董まで応永14年~天正16年に至るまで鴨山城主を継承し「備中国主」の任を果たしたと記載されているようですが、この「備中国主」というのは「備中守護職」とは異なるようです。
主郭がどのあたりになるかは不明ですが、城郭体系では登城道を登ってすぐの石積の上部を一ノ檀としています。そこから南に二ノ檀~最南部の五ノ檀に続いていくわけですが五ノ檀の西側の急峻な崖の所に「石積み」の標柱が建っています。しかし、あれは石積なのでしょうか?
あんな危ない場所に石積みが築けるのでしょうか。節理の類だと思うのですが、どうなのでしょう。
城域の南側が主要な部分のようで、堀切を挟んで北側にも郭が連なっているのですが、土塁や堀切などの仕掛けは無いようです。開けた南側と違って、北側の城域は鬱蒼とした山城の雰囲気です。

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しんしんちゃん

ラララ 鴨山~♪ (車で行けてゴキゲン) (2024/01/04 訪問)

鴨山城は標高168m、比高140mの鴨山の山頂に築かれている山城で、尾根上に南北に沿って城域が続いています。山間部を舗装路が通っていて、登城道近くまで車で行くことが出来、そこから比高20~30mで城址にたどり着きます。楽に山城を堪能できる上に駐車スペースも有り‥‥‥う~ん、100点、100点満点。これですよ、これ! 広島、山口のムリンドウに泣かされてきた私も最後に救われた気がします。
登城道を登っていくと程なく謎の石積みが見えてきます。岩の各所に仏像が彫られています。ここから南北に城域が分かれているのですが、北と南では雰囲気が異なります。南は山岳寺院のようで、眺望もよく各所に石や石積が見られます。まずは日当たりのよさそうな南側から訪問です。

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しんしんちゃん

「がようし」じゃなくて「かやし(かやうじ)」 (2024/01/04 訪問)

地元の豪族・賀陽氏の館跡です。かつては土塁と堀が周囲を囲っていたようですが、今では大半が失われているようです。現状は個人宅の様なので近くまで寄ってから退散しています。
賀陽氏は奈良時代の天平神護のころからの記録に残る古い名族で備中吉備津彦神社の神主を務めていたそうです。

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