針藻城から車で20分くらいで、説明板&石碑(34.776442、131.981060)付近の駐車場に着きました。
築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代に三隅氏(兼信か?)によって築かれたと云われています。
三隅氏は益田氏の一族で、1229年(寛喜元年)益田兼高の次兼信が三隅一帯を領して三隅氏を名乗ったことに始まるようです。
1281年(弘安4年)鎌倉幕府は元軍の襲来を受け、西日本海沿岸一帯に砦を築かせた。三隅氏も高城山に築城を開始し、3代信盛・4代兼連(かねつら)により本城と十指に余る出城を完成させました。
南北朝時代、三隅兼連は南朝方に与し、1336年(延元元年)北朝方に与した益田氏の益田城を攻めました。
1342年(暦応5年・興国3年)には北朝方の上野頼兼が諸城を落として三隅城へと攻め寄せたが、これを撃退します。
さらに1350年(観応元年・正平5年)高師泰が大軍を率いて石見国の諸城を落とし三隅城を包囲しますが、これも落城するには至らず、翌年には包囲を解いて引き上げました。
1352年(正平7年)には三隅兼知が男山八幡で討死し、1355年(文和4年・正平10年)三隅兼連も足利直冬に従って上洛し東坂本で討死しました。そして七代直連の時に益田兼見に従います。
1552年(天文21年)大内義隆を討った陶晴賢は、益田藤兼と結んで三隅城を攻め落としました。
しかし、その陶晴賢も毛利元就に敗れ、三隅氏は周布晴氏と謀って毛利氏に反抗するが1570年(元亀元年)毛利氏によって三隅氏は滅亡しました。
高城山頂上に主郭があります。三隅城からの眺望は、日本海まで一望でき素晴らしい。草が深いです。
攻城時間は25分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
歩行歩数=29269歩、歩行距離=20.4Kmです。
本日の宿泊先に向かう為、車で浜田駅方面に向かいました。
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