櫛島城から車で65分くらいで、聖徳寺駐車場入口(34.854616、132.025820)に着きました。
聖徳寺本堂左側の縄張図入りの説明板を確認して、聖徳寺南側塀横進入口(34.853829、132.026355)より、墓を経由して尾根まで登りました。
築城年代は定かではないようですが、文永年間(1264年〜1275年)に周布兼定によって築かれたと云われています。
兼定は益田兼季の二男で、石見国周布郷一帯の地頭職を譲られ周布氏を称した事に始まるそうです。
南北朝時代の1337年(延元2年)南朝方の周布兼宗は三隅兼連とともに長門国賀年城を攻めました。
1339年(延元4年)北朝方の石見国守護上野頼兼が豊田城の内田致景を攻めると、兼宗は豊田城に救援に向かっています。
戦国時代の1569年(永禄12年)山中幸盛ら尼子再興軍が挙兵すると、かねてより不満を抱いていた三隅隆繁・国定兄弟は14代当主周布元兼が不在の中、周布晴氏を誘って毛利に反旗を翻しました。
この反乱軍は吉川元春の二男元氏を大将とする軍勢によって鎮圧されました。その後、周布晴氏は鳶巣城へ逃れましたが、吉川軍に攻められ戦死しました。
周布元兼は1578年(天正6年)播磨国上月城の戦いで討死している。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦で西軍が敗れ、毛利氏が防長二カ国に減封となると、周布氏15代長次も毛利氏に従って萩市へ退転し、廃城となりました。
主郭は山頂にあり、主郭を囲むように階段状の広い郭があり、南尾根に堀切、北西斜面に畝状竪堀がありました。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=針藻城に向かいました。
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