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送りバント

20250921上原館(大分県大分市) (2025/09/21 訪問)

大友館から転戦。館敷地の大半は宅地化されているものの、天満社に城址碑・案内板があり、土塁の一部が残る

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チェブ

赤城神社から御殿山城の巻。 (2026/02/28 訪問)

神楽坂で友達と散歩していたら偶然「御殿山城」に着きました。
以前と同様『御殿坂』の標柱を写し、散歩の続きをしました。

この日のメインは、神楽坂でカナルカフェでランチと赤城神社でお参りすること。
カナルカフェは「江戸城」の外堀の水辺にあるお店です。オープン前から行列ができていてテラス席を希望してましたが、私も友達2人も花粉症で辞退しました。

で、次に『赤城神社』。飯田橋駅からそんなに遠くないです。
赤城神社は1300年に群馬県の赤城山麓の豪族、大胡氏が移住して赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりです。
その後、1460年に太田 道灌さんが神威を尊んで、神楽坂に遷したそうです。(元は早稲田田島村)
たしか「御殿山城」は太田 道灌さんの館だったので合点。
そして、現在は隈研吾氏デザインのかっこいい社殿になってます。
木とガラス。写真を写そうとすると、たくさんの人と自分が写り込みます。
それから、狛犬がオカッパ頭で可愛いです。
お守りは女子が好きそうなモダンなデザイン。ゲゲゲの鬼太郎のちゃんちゃんこデザインのもありました。

『赤城神社』は女子の願いを叶えてくれるらしい。

こんな、勘違いから神楽坂散歩を計画しましたが、今と昔を行ったり来たりした「御殿山城」攻め(?)でした。

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カズサン

小・中天守台と本丸編 (2025/10/26 訪問)

 大天守台編の続です。

 大天守台の南側武具櫓曲輪側より大天守台を眺めて東に続く中・小天守台へ、小天守台南東面水の手に落ち込む高石垣を下に覗き込むが高さで足がすくむ、小天守台上にそのまま進行し、小天守台内部、西に向いて中天守台の石垣を見学、北の石段を降りて本丸内部へ、太陽の逆光で小・中天守台の撮影はしずらい。
 福岡城の天守構造は西に大天守閣、中天守閣、小天守閣と東に連なる構えで日本城郭で唯一の形に成っています。福岡城の城郭建物は白壁に黒下見板張りで黒を基調にした建物だったのでしょう。甦った天守閣群を想像すると頭と胸がいっぱいに成ります。
 本丸内部は時期的に桜は紅葉前の葉桜で鬱蒼としており、天守台の発掘調査の関係か人のでは少な目、日曜日ですが閑散としていました、三の丸の陸上競技場側は何かイベントでもあるのか賑わっていました。
 この後は、前から訪ねたかった、幕末福岡藩築城の犬鳴別館へと移動しました。

 福岡城復元潮見櫓探訪撮影投稿し残した写真を4編に渡り長々との投稿をご覧頂きありがとうございます。
 スギ花粉飛散が酷く城探訪を控えて居り、皆さんの投稿を楽しみに見て居ります。
   

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イオ

木幡山伏見城 (2025/08/09 訪問)

関白職を豊臣秀次に譲り太閤となった豊臣秀吉が隠居所として指月の丘に築いた城館を始まりとし、拾(後の豊臣秀頼)が生まれると、大坂城を秀頼に与えて、京と大坂を結ぶ交通の要衝を掌握するために伏見城を大規模に改修、自らの居城としました(指月伏見城)。慶長伏見地震で指月伏見城が全壊すると、直ちに指月の北東に位置する木幡山に再建され(木幡山伏見城)、秀吉は没するまで伏見城を居城としました。秀吉が没すると秀頼は大坂城に移り徳川家康が留守居役を務めましたが、家康が会津攻めに向かうと蜂起した宇喜多秀家や小早川秀秋らに攻められ、守将の鳥居元忠らが勇戦するも落城。関ケ原の戦いの後、焼亡した天守をはじめとする建物を再建した家康は伏見城で征夷大将軍の宣下を受けています。家康が駿府城に移ると松平定勝が城代を務めましたが、大坂の陣で豊臣氏が滅亡したことで徳川氏の畿内の拠点としての役割を終え、徳川家光の将軍宣下を最後に廃城となりました。

木幡山伏見城のほとんどが桃山陵墓地として宮内庁管理になっているため、目にすることができる遺構は限られますが、あちこちにわずかに遺る痕跡をたどって歩いてみました。桃山陵墓地南側の駐車場から大階段を上ったところが四の丸(増田右衛門尉郭)、明治天皇伏見桃山陵の奥が本丸、昭憲皇太后伏見桃山東陵の奥が名護屋丸で、立入調査では本丸中心部に徳川期のものと思しき天守台が確認されているようですが、一般人には一生目にすることはかなわないんでしょうね…。二の丸(西の丸)と三の丸の南裾を通る西参道沿いには伏見城石垣と思われる石材が集められています。廃城の際に淀城や大坂城に運び出されたという石垣石の残りでしょうか。治部少丸の西裾を通る北参道沿いにも石垣の石材が点在し、参道からは治部池と呼ばれる内堀の一部も覗いていました。

治部池を過ぎたところで北参道から東に入ったところが御花畑山荘です。駐車場からかつての伏見桃山城キャッスルランドの大手門を抜けると、五重六階と三重四階の連結式天守がそびえ立っています。キャッスルランドのシンボルとして建てられた模擬天守で、耐震性の問題から内部非公開どころか周囲も立入禁止ですが、外観だけでもこれはこれでかっこいいよなぁ、と。御花畑山荘東隣の徳善丸は野球場、その東の大蔵丸は多目的グラウンド、空堀はテニスコートやフットサルグラウンドになっていて遺構は見当たりません。さらに東の弾正丸は住宅地になっていますが、東端に土塁(たぶん)がありました。弾正丸から北側に下りていくと、北側の外堀が伏見北堀公園として整備されています。深さも幅も相当なものがあり驚かされました。

伏見城の南側は河道を付け替えた宇治川が外堀代わりで、山科川との合流点には舟入が設けられていました。説明板によれば、豊臣秀頼に輿入れする千姫はこの舟入から大坂城に向かったそうです。また、舟入跡の北東約250mの桃山東小学校正門内には近くで造成中に発見された伏見城の石垣が移設されています。夏休み中の休日でもあり構内には入れませんでしたが、門越しに見ることができました。

さて、木幡山に続いては指月伏見城と城下をめぐるとしましょう(続く)。

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送りバント

20250921大友館(大分県大分市) (2025/09/21 訪問)

南蛮BVNGO交流館の方に親切にレクチャーいただいた後、復元された庭園や、発掘調査が進む周辺敷地を見て回る

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ぴーかる

堀内新宮城 (2026/01/24 訪問)

【堀内新宮城】
<駐車場他>南側に全龍寺駐車場を利用
<交通手段>車

<感想>1泊2日紀伊半島1周、山城攻略旅4城目。堀内新宮城の説明は添付写真をご覧ください。全龍寺と西側にある堀跡を撮影して終了しました。

<満足度>◆◇◇

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イオ

蓮如上人故地 (2025/08/09 訪問)

山科本願寺は本願寺中興の祖とも呼ばれる蓮如にとって縁の深い地のようで、周辺のゆかりの地をいくつかめぐってみました。

山科本願寺南殿(京都市山科区音羽伊勢宿町)
本願寺の寺務を実如に譲った蓮如の隠居所ながら山科本願寺に劣らぬ城郭的な構えだったようで、東辺の長大な土塁が遺っています。また南殿から西に約200mの蓮如上人御指図の井は、蓮如が杖で指し示した地を掘ってみると清水が湧き出てきたと伝わります。

西宗寺(京都市山科区西野広見町)
蓮如は隠居所を南殿から石山に建てた大坂御坊に移していましたが、死を前に山科に戻り、この地で往生したとされます。山門前には蓮如上人往生之地の石碑と西宗寺の説明板が立てられていました。

蓮如上人御廟所(京都市山科区西野大手先町)
山科で示寂した蓮如の遺骨が埋葬された地に御廟所が建てられています。明治には一時官地とされましたが、後に本願寺東西両派に下賜され、現在も両派が共同で護持しているそうです。
 

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赤い城

高野城 香川県三豊市 (2026/02/14 訪問)

城びと未登録の城です。
香川右馬助の居城で陣山が城跡のようです。
この日は出城とされる延命院に。
周囲は農耕地でその中に位置します。
延命院の駐車場からの道には蝋梅が咲き、よい香りが漂っていました。
遺構は見える範囲ではなさそう、お寺背後の山には何かありそうですがここは自重。

帰りに陣山の麓を通ってみました。
登る道は付いていますがこの日はゴルフ後、疲れたのでやめておきました。

【見どころ】
 ・延命院の蝋梅

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金輪寺 (2026/03/05 訪問)

 明智光秀が八上城攻めの重要拠点となった城です。標高約450mの神尾山頂部から金輪寺の背後の尾根に南北約500mの範囲で広がっています。金輪寺本堂の背後から登城路が整備されています。説明板がある曲輪まではいいのですが、それより北側の曲輪は藪になっている所もありました。ただ登城路はわかりやすく縄張り図の一番北側の曲輪まで行くことができます。畝状空堀群らしき場所を確認して引き返してきました。天狗岩方面に行くと水の手らしい場所もあります。ぼーとしていて石積みなどを見逃してしまいまいた。

 登城口である金輪寺まで車で行かれる方が多いと思いますが、下から歩いて登城しました。宮川神社の横にある神尾山城(半国山ハイキングコース)入口の獣除け扉を開けて(もちろん閉めて)登って行きます。急坂はなく道幅も確保されていて多少石がごろごろした場所もありましたが比較的歩きやすい道です。金輪寺旧寺道であったようで仁王門趾などあり、城は関係ありませんが石垣などあり、思ったより楽しめました。30分かからずに金輪寺まで行くことができました。帰りは舗装された道を歩いて下山しました。

 JR亀岡駅からバスに乗り宮川バス停下車。徒歩約5分で登城口である宮川神社に行くことができます。

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しげ

彦根城 (2026/03/05 訪問)

彦根城に行って来ました。

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しげ

姫路城 (2026/03/05 訪問)

姫路城に行って来ました。

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dougen

2025.3.15登城 (2025/03/15 訪問)

小田原征伐の際の忍城水攻めを行うため構築した石田堤が、鴻巣市から行田市にかけて流れる忍川沿いに残っています。
史跡の中心となる石田堤史跡公園や石田堤歴史の広場は元より、整備されていない箇所についても、土塁が残っていることに驚かされます。
石田堤を散策しつつ忍川沿いを歩いていくと途中に堤を決壊させた場所と伝わる堀切橋があったり、最終的には石田三成本陣だった丸墓山までたどり着くことができます。

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dougen

2025.3.9登城 (2025/03/09 訪問)

羽生市役所の北側にある古城天満宮が羽生城址となります。
往時は周辺は沼地だった様ですが、すっかり埋め立てられており、往時を偲ぶことはできません。
遺構としては、天満宮の敷地が天神郭跡となるぐらいで、それ以外特にありません。
市の史跡に指定されており、解説板や石碑が設置されています。

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三番槍 (2026/02/28 訪問)

 昨年GW前で、近畿二府四県の最後の未投稿城であった田尻城。一番槍イオさん、二番槍しんちゃんさんに遅れること9か月で三番槍を付けてまいりました。 
 道に落ちてきたやや大きめの石に床下をこすったり、崩れた箇所を応急に直したりした所を乗り越え、小谷峠まで車でアクセス。林道からの登城入り口は、林道の拡幅工事で削られていますが、薄っすらと木組みの階段が残ります。尾根道を進みます。途中で、トラロープを設置してある急坂が数か所あります。尾根道にトラロープの束が置いてありました。矢筈岳へのハイキングコースでもあり、さらに、整備をしてくれるのでしょうか。トラロープが欲しい急坂がまだあります。
 玉置氏が、日高川の上流から、川を下って領地を拡大していき、平野の入り口近くに設けた手取城。説明板によると、田尻城は、手取城の背後の詰めの城との位置づけなので、標高750mと高く、日高川沿いの道からもかなり遠いこの位置に城を設けたのですね。田尻城は小ぶりですが、きっちり作り込まれており、詰めの城っぽいです。
 小谷峠に至る道は、峠越えの道になっており、両方の出口が、日高川に出ます。日高川が大きく蛇行していて、蛇行の付け根間に峠道を通していることになります。今回は、手取城から転戦した関係で、林道には、西から進入し、次に、平須賀城に行く都合で、東に抜けました。東側から小谷峠までの方が、道が広く、石の崩落も少なかったです。

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カズサン

大天守台編 (2025/10/26 訪問)

 伝潮見櫓と復元潮見櫓編の続です。

 復元潮見櫓を三の丸側外濠越しと初見学探訪し下之橋御門周辺を終えて、大天守台の穴蔵発掘調査中では有ったのですが踏み込める範囲以内を見学しました。大天守台穴蔵の前にはフェンスが張られて進入禁止、期間は2025年6月30日~12月中頃(予定)と告知案内されていました。
 天守曲輪の鉄門虎口から入り、穴蔵フェンス前、穴門、天守台の南に抜けて、中天守台南から小天守台へ小天守台の南東角の高石垣を望み込みゾッとする高さ、小天守台北の石階段から本丸内部に戻るコースを廻りました。

 天守台穴蔵の礎石現場を発掘調査して慶長6年(1601年)築城時には大天守閣が建っていたとの調査結果が出て大天守閣の復元が叶うと良いのですが?調査結果が待たれます。

 小・中天守台と本丸編に続きます。
 

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カズサン

伝潮見櫓と復元潮見櫓編 (2025/10/26 訪問)

 下之橋御門編の続です。

 伝潮見櫓は下之橋御門外枡形北側直に昭和31年(1951年)黒田家別邸から移築さ従来潮見櫓と伝わって来ましたが、崇福寺に移築されていた櫓が潮見櫓と判明し、昨年3月末に三の丸北西角の本来の位置に残存部材も使用して復元潮見櫓として甦りました。
 伝潮見櫓の置き場所は何処なのか?名称は何なのか?判明が待たれますが、伝潮見櫓を各面撮影し、復元潮見櫓も昨年投稿の復元潮見櫓写真投稿以外の写真を対比の為に投稿致します。
 広大な福岡城の発掘調査も進み整備保全、建物の復元も待たれます。

 本丸、天守台曲輪、大天守台・中天守台・小天守台も若干廻りましたので、大天守台編として続きます。
 

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トク

【大友宗麟】(2)浜脇館(宗麟隠し湯:別府浜脇温泉) (2025/12/18 訪問)

大友宗麟、上原館からの続き(2)です。

「二階崩れの変」の最中に、大友義鎮(宗麟)が湯治をしていたという宗麟隠し湯、別府浜脇温泉を訪れました。JR東別府駅そば、少し高台にある現在の長覚寺・崇福寺・浜脇中学校がある場所一帯に「浜脇館」はあったようです。浜脇中学校の校門には、当時の物と思われる石垣がわずかに残っていました。

謀反を計画した戸次鑑連(後の立花道雪)は、義鎮には関わらせないようにと配慮したのか、騙して湯治に行くように勧め、その間に上原館で主君の大友義鑑と継母と塩市丸の三人を暗殺したようです。

ここ浜脇館は、大友家の別荘として使われていた場所で、宗麟は当主の座を継いだ後も、何度か湯治に訪れ、来客や家臣との密談などにも使っていたようです。高台からは別府の市街地や別府湾などがよく見え、宗麟も湯に浸かった後はこの景色を眺めながら、どうやって大友家や豊後の国をこの先まとめていったらいいのか、悩んでいたのではないでしょうか?

そこで悩み多き私も、風呂上りのビールのお供に、大分名物「かぼす」のかかった唐揚げ弁当を買い、この景色を眺めながら食べてみました。ジューシーな唐揚げに絡まる、この市販の酢やレモンとは異なる、大分独特のさっぱりとした味、私は好きです。

次は、宗麟が築いた南蛮貿易の拠点、神宮寺浦へ向かいます。
 

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イオ

画期的な城郭寺院 (2025/08/09 訪問)

室町中期に蓮如が築いた城郭寺院で、京と東国や北陸を結ぶ交通の要衝に位置し、「寺中広大無辺にして荘厳。さながら仏国の如し」と称されるほど繁栄しましたが、戦国期に細川晴元率いる法華宗徒や六角定頼らの攻撃を受けて焼亡し、本願寺は大坂・石山に移っていきました。

中心となる御本寺を内寺内と外寺内が取り巻く構造で、折れを設けた横矢掛りの土塁と堀で周囲を囲んでいましたが、現在はそのほとんどが失われ、内寺内の北東隅(山科中央公園)と御本寺の西辺(史跡山科本願寺跡公園)に土塁と堀跡が遺っているくらいです。

まずは山科中央公園から。グラウンドの奥に土塁が大規模に遺っていて、土塁の上を歩いてみると途中で折れがあり、ここが内寺内の北東隅にあたることを実感します。土塁の北側は一段低くなっていて堀跡と思われます。

続いて史跡山科本願寺跡公園へ。公園南部には発掘調査で確認された石風呂関連遺構が平面表示されています。建物、土間、竈、石風呂、井戸などからなる蒸し風呂だったようです。また北西部には堀と建物の柱の平面表示もされています。西辺には土塁が遺り、折れの部分では土塁断面の形状も見られます。土塁の外側には堀の名残と思しき水路が流れていて、土塁は史跡公園北側の道路沿いにも続いていました。

本格的に城郭化したのは戦国期以降のようですが、土塁と堀に幾重にも折れを設けて横矢を掛ける構造は、交通の要衝であることと相まって後代の城造りに影響を与えた画期的なものだったようです。ブラタモリで見て以来、行ってみたいと思っていましたが、ようやく果たすことができました。
 

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赤い城

神田城 香川県三豊市 (2026/02/01 訪問)

ここも城びと未登録の城、国道377号線と宝山池の間にあります。
国道の広くなった路肩に車を置きました。南側を見ると遠くに標柱が見えます。
ここが登城口、そこまで農耕地の畦道を進みます。
登城口には獣避けの柵があり、それを開いて入城。
城跡は綺麗に整備された竹林となっています。
タケノコが栽培されているとのこと、登城を控えたほうが良いシーズンもありそうですね。

西側の道を進むと堀切から落ちる竪堀が2条。
登ってみました。
遺構はこの堀切くらいですが深さもあり良い感じでした。
本篠城の財田氏の家臣の居城だったようです。

【見どころ】
 ・二重堀切

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BUGTI

”難攻不落”の城 (2026/03/01 訪問)

麓にある若狭国吉城歴史資料館から本丸までの登城路は、きれいに整備されているので歩きやすい。登城路や曲輪の周りにも石が転がっていて、もともと石垣が積まれていたことは明らか。二の丸の食違いの土塁は、結構な高さの土塁が残っていて感動する。転がっている石をよく見たら、五輪塔の絵が刻まれた転用石が非常に多いことに気づく。豊臣政権になって改修されたときに、急いで石を集めたのだろうか。本丸西側の連郭曲輪群も見どころで、西の尾根に沿って5つの曲輪が連続に築かれている。曲輪と曲輪の段差はかなりの高さがあり、さすがに難攻不落の城だけある。
若狭国吉城歴史資料館には、館長個人コレクションという御城印やお城の模型がたくさんあって、これにも圧倒された。

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