関ケ原の戦いの功により紀州藩主となった浅野幸長の重臣・浅野忠吉が熊野川南岸の丹鶴山に築いた城で、一国一城令によりいったん廃城となるも後に再築が認められ、浅野氏が安芸国に移封になり、代わって徳川頼宣の附家老・水野重仲が入った後も築城は継続されて、水野重良(重仲の子)の代に完成をみました。そのまま水野氏代々の居城として明治を迎えています。
赤色立体地図お城かるたの読み札採用のお礼参りを兼ねて約7年ぶりに再訪しました。今回も丹鶴城公園駐車場から登城開始。ヒロケンさんの投稿にある駐車場脇の新宮城跡散策マップを手に取ってみると、7年前の散策マップから刷新されていました(2022年に刷新されたようです)。一応、前回の散策マップも持参していましたが、せっかくなので今回は新しいほうの散策マップに基づいてめぐってみようと思います。なお、この散策マップは新宮市観光協会(https://www.shinguu.jp/pdfmap)でも公開されていますので、興味があればどうぞ。
駐車場から本丸への石段を登って行くと、目の前にそびえる鐘ノ丸南面と本丸腰曲輪南西面の石垣。そのそれぞれに排水樋が見られます。多雨地方の切込接石垣には必須の設備のようです。赤い城さん、新宮城には8基の排水樋があるそうですよ〜。日本一短いケーブルカー軌道跡を横目に本丸腰曲輪に到達。眼前には本丸の石垣がそびえ立ち、本丸南西面の石垣には⦿の刻印が、天守台西隅の石垣には矢穴が見られました。天守台石垣は北西面が崩落していますが、南隅には綺麗な算木積石垣が遺っていて、天守台から北東に続く本丸南東面の石垣は、屏風折れと呼ばれる三か所の折れを設けた横矢掛りになっています。本丸腰曲輪南部の櫓跡には休憩所が設けられ、その南下段には配水池が設けられていました。
本丸腰曲輪の東端で折り返して本丸に向かうと、腰曲輪北端からは眼下に水ノ手曲輪と熊野川を一望できます。本丸側に目を転じると、本丸北西面の石垣が上下二段になって続いています。腰曲輪と同じ高さの野面積石垣(下段)が浅野期、その上に積まれた切込接石垣が水野期の石垣と考えられるようです。そして本丸虎口の高麗門から渡櫓門を抜けた正面には精緻な亀甲積石垣が設けられていました。鏡石として巨石を配する代わりに最高水準の石垣技術を見せつける、ということでしょうか。
さて、本丸虎口を抜けるといよいよ本丸に入ります(続く)。
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