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復元された酒田の古代城柵 (2026/04/08 訪問)

 JR羽越本線 本楯駅から徒歩25分。公園となっており、トイレも設置されています。駐車スペースは東門側にあります。
 昭和6年に発見された大和政権が設置した城柵のひとつで、出羽国の国府だった城柵として有力視されているようです。
 公園内には、政庁南門、東門と築地塀の一部が復元されています。それ以外の政庁などの建築物跡の柱跡の整備も行われていて、当時を再現したミニチュアも設置されています。パンフレットは東門の所の引き出しにあります。
 田園地帯に突然、朱色の城柵が現れるので、存在感が凄かったですね!!
 復元が平成初期ということで、建物の痛みが少し感じられましたが、東門と南門ともに一見の価値ありです。

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城輪柵の留守殿 (2026/04/08 訪問)

 JR羽越本線 本楯駅から徒歩7分。城輪柵から本楯駅への帰り道に立ち寄りました。
 城址の主郭部分は、大物忌神社と酒田市北部農民センターとなっています。大物忌神社の周囲に土塁、神社北側には水堀、農民センター側には、土塁と思われる土壇が残されていました。境内の参道沿いにも微高の土塁と水堀の名残の水路が残されています。
 神社北側の水堀と土塁はかなり見ごたえがあります。4月のはじめの訪問でしたが、土塁に植えられた桜の花が咲き始めていました。
 説明板は、水堀(センター入口)そばと、鳥居脇の二ヶ所に設置され、城址碑は鳥居の脇に設置されています。
 築城された年代は不明ですが、かなり古いようで、城輪柵に赴任する国司の職務を代行していた留守殿の居館とされています。後三年合戦ののちには、源義家から出羽国留守職を任された須藤氏が新田目城に置かれました。須藤氏はのちに留守氏と改めて、留守氏の居館として戦国時代まで存続していたようです。

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田んぼの中に浮かぶ小山 (2026/04/28 訪問)

 斯波氏の大野支配において、戌山城、亥山城、小山城の三城は、軍事政治の面で重要な拠点の城であっただけあって、土木作業量の多いしっかりした縄張りです。一辺が短いL字形をした小山の尾根全体に郭、堀切が配置されています。L字の角が最高所で主郭らしく思いますが、説明板のイラストでは、近代の土取りで消滅した長い方の辺の先の曲輪の方が大きく書かれています。どうなんでしょう。
 登城口の説明板に、斯波義廉が朝倉氏に攻められてこの城で討ち死にした旨が記載されていますが、しんちゃんさんのつぶやきのように疑義あり。斯波義廉は、室町幕府の管領になり、応仁の乱の一方の旗頭的存在(名目上だが)であったおおものです。調べた中には、「斯波氏が同じく守護を務めた尾張に没落したが、最後の地が尾張であったか、別の場所であったかはわからない」との記載もあり、足跡を追えないようですが、討ち死にはしないような気がします。「朝倉氏は最後まで残っていた大野郡の戌山城と土橋城(亥山城)の攻略を開始し、ついに井野部・中野の合戦で二宮氏を討ち取り、斯波義敏を京都に送り返して越前一国の平定が成し遂げられました(一乗谷朝倉氏遺跡博物館HP)」がきっと最新の調査結果なのでしょう。いずれにしても、越前の中で大野が最後まで朝倉氏支配に抵抗したのは間違いないようです。

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todo94

大河ドラマ館に赴く前・奈良ドライブでの攻城②【城びと未登録】赤埴下城(奈良県宇陀市) (2026/04/18 訪問)

芝村陣屋からの転戦です。カーナビを佛隆寺にセットすると、赤埴下城の麓にある駐車場にたどり着くことができました。グーグルマップの「赤埴下城跡」のマーカーの場所は出丸のような感じを受けました。「大和赤埴下城址」のマーカーの場所が主郭にあたりそうです。明瞭な堀切は確認できました。

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赤い城

主郭部は私有地で入れません (2026/04/19 訪問)

尾道からしまなみ海道に入り最初の島、向島にあります。
近くの道路の広くなったスペースに車を置き、徒歩で向かいました。
主郭部へ向かう道には「立入禁止」のバリケードがあり入れません。
海のほうに向かうと登っていく道がありました。
これを登っていくと石垣がありますがこれは遺構なのでしょうか?

さらに登って行きますがやはり立入禁止の表示、退散しました。
海岸には船隠しとされる穴もあるようですが潮が満ちており見れず。
不完全燃焼なので背後の高見山から城跡を見下ろして次に向かいました。

【見どころ】
 ・高見山から見下ろす眺望
 ・(遺構ならば)石垣

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三浦の晃ちゃん

穏やか公園 (2026/05/08 訪問)

関ヶ原の戦いがあった時期に大きな戦いが、あったそうです。現在は、公園になっています。

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小城小次郎

廃れた空気がものさびしい (2025/06/01 訪問)

この地に長く勢力を保った土持氏の初期のお城で少なくとも14世紀までは遡れるらしい。神社と公園になっているが鳥居が外されて横たわっていたりして、藪々なお城よりもむしろ廃れた感が強く滲みでているようで、ものさびしい。

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とってぃ

鶉古城まつり (2026/05/05 訪問)

祭りと聞いて家族で寄ってみました。

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人見六郎 (2026/05/06 訪問)

 深谷市コミュニティバス「くるリン」南部シャトル便に乗り人見第3バス停下車。徒歩約10分で説明板のある場所に行くことができます。空堀、土塁が残っています。西側の2重の堀は竹藪になっていましたが、確認できます。畑で作業されている方もいたので写真は控えました。人見台バス停のとなりの藤沢小学校入口バス停の前に一乗寺があり人見氏累代の墓があります。

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上杉憲英 (2026/05/06 訪問)

 関東管領・山内上杉憲顕の六男である上杉憲英により築かれた城です。深谷駅より徒歩にて登城しました。国済寺裏の土塁、物見櫓跡、大手門跡を散策しました。

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深谷城址公園 (2026/05/06 訪問)

 上杉房憲によって、康正2年 (1456年)に築かれたとされる城です。深谷城址公園として整備され石垣や塀などが模擬復元され雰囲気を醸しています。当時の遺構は近くにある富士浅間神社脇にある堀跡だけかと思っていましたが、グーグルマップを見ると公園西側に深谷城跡土塁(高台院)とあります。というわけで高台院にも行って来ました。高台院裏にある永明稲荷神社の西側に土塁がありました。内側は石垣が見られますが、当時のものではないと思います。

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安部信勝 (2026/05/06 訪問)

 岡部藩は、天正18年(1590)徳川家康の関東入国に際して、家臣の安部信勝 が武蔵国 榛沢 郡岡部などに5,250 石を拝領したことに始まります。高島秋帆が一時幽閉されたこともある場所でもあり「高島秋帆幽囚の地」の石碑が建てられています。

 JR岡部駅より徒歩約20分くらいです。

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本庄宮内少輔実忠 (2026/05/05 訪問)

 本庄宮内少輔実忠によって築城されたと伝わる城址です。城山稲荷神社付近にあったとされ城址碑と説明板があります。

 JR本庄駅から徒歩15分くらいで行くことができます。

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堀を散策 (2026/05/05 訪問)

 各所にある空堀はすばらしく別に投稿します。一部ですが、堀底へ降りて行く道があり散策しました。また諏訪神社のある諏訪曲輪周囲にもいい空堀がありますが、藪になっていました。空堀を見て回るだけでも楽しい時間が過ごせます。

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北条氏邦 (2026/05/05 訪問)

 久しぶりの鉢形城です。
荒川と深沢川に挟まれた断崖の上に築かれていて、天然の要害をなしています。この地は上州や信州方面を望む交通の要衝でした。鉢形城公園として整備されています。曲輪、堀、土塁、復元された石積みや四脚門など楽しく散策できます。道路が城の真ん中を貫いているのはいかがなものかと思いますが、それでも見ごたえのある城址です。
 前回来たのが約14年前。新鮮な気持ちで散策できました。

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無量寿寺 (2026/05/05 訪問)

 野本基員を初代とする野本氏の居館跡です。無量寿寺周辺が跡地で山門近くに説明板があり、裏手に土塁の一部が残されています。

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青蓮寺 (2026/05/05 訪問)

 青蓮寺周辺が跡地と伝わります。日本城郭大系には土塁、空堀が現存するとの記載がありますが、今もあるのでしょうか。少し歩いただけではわかりませんでした。境内にある弘安四年銘板石塔婆の説明板に小代氏の記事がありました。

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高済寺 (2026/05/05 訪問)

 南北朝時代に高坂氏により建てられたと伝わります。現存する土塁などは戦国時代に整備されたものと推定されています。高済寺周辺が跡地で土塁と空堀を見ることができます。

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用土新左衛門 (2026/05/05 訪問)

 鉢形城の支城として北条氏邦の家臣、用土新左衛門が築城したと伝わります。強石橋方面から歩いて行くと案内表示があり、用土新左衛門業国石宮を過ぎて登って行きます。登城路は整備され比較的歩きやすかった。曲輪跡、堀切などが残り楽しく散策できます。新緑のこの時期に山城はどうかなと思いましたが、あまり支障なく見学できました。説明板には「十九条の空堀が残っており、、」とありましたが、全部を見ることができたわけではありません。説明板の縄張り図を見ると東南には腰曲輪(東の郭Ⅰ、Ⅱ)が展開し、横堀や竪堀が存在しますが、ロープなどが張ってあり散策を断念しました。遠くから見ると伐採された木や竹が積まれていてわかりにくい状況でした。

 親鼻駅から徒歩にて強石橋を経由して登城しました。

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森林公園 (2026/05/04 訪問)

 忍城主成田氏の被官、小高大和守および贄田摂津守の居城と伝わっています。国営武蔵丘陵森林公園内にあり、土塁、空堀等が遺っています。

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