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虎の子

旧大手道から登城しました (2026/02/12 訪問)

雪が降った数日後に登城してみました。登城ルートは旧大手道、安土駅からコミュバスで楽座会館前まで行きそこから登城。観音正寺に向かうルートもありますが、ここはやはり大手道(旧大手道)ルートを選択しました。
御屋形跡、お社を過ぎるときつめの登りになりところどころ石垣跡がありました。息を切らしながら30分ちょい登ると伝木村丸と大石垣との分岐にたどり着きます。伝木村丸へは3分と看板がありますが1分位で着くのでぜひ立ち寄ってください。埋門は人が通れるの?と思える位で予想以上に埋もれている感じでした。
分岐点から大石垣まで看板では5分でしたが、こちらも2,3分で着きます。そこからの景色は開放感たっぷりで新幹線が模型のように走るのが見ることができます。大きな女郎岩もあり、付近にはあちこちに願掛け絵馬が結び付けられています。御屋形跡から大石垣40分と看板にあった通りの時間でした。休み休みの私の実績で健脚の方はそこまでかからないと思います。看板表記時間通り登れて安心感のあるルートでした
大石垣からは、伝池田丸、伝平井丸、伝本丸とそれぞれさほど歩かずに見て回れます。ここから本格的に石垣遺構がでてきます。本格的な石垣の山城としては最古級なので、当時の苦労を思いながらじっくりと見て楽しめました。石垣ファンには絶対おすすめの城跡でした
なお、帰りは観音正寺を拝観し桑実寺へ降りるルートにしました。ここでの注意事項は、観音正寺は本堂に入るには拝観料が、桑実寺は境内を通過するだけでも拝観料がかかります、正直有料拝観のお寺にしては・・・、と思いますが、お城への入場料と思いました

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トク

鞠智城(2/2):建物群と周辺をぐるり探索 (2026/02/21 訪問)

鞠智城の続き(2/2)です。

八角形鼓楼の横には「米倉」も再現されていました。この米倉には九州から税で集められた米などの食料がいったんここに蓄えられ、大宰府・大野城・基肄城・金田城などに送られていたと思います。他の建物は掘立式(穴を掘って柱を建てる)ですが、米倉だけは重さに耐えられるよう礎石式(礎石の上に柱を建てる)でした。日本最初の礎石建物かも?しれません(間違っていたらすいません)。礎石式の建物は飛鳥・奈良・平安時代に寺院などでよく見られ、慶長期では天守にも採用されましたが、石垣と同じく大和時代から朝鮮には礎石式技術がすでにあった事には驚きです。湿気に耐えられるよう高床式でネズミ返しもあり、よく考えられた作りでした。でも本当にこれだけで、ネズミは防げたのでしょうか🤔?(写真①②③)。

また「兵舎」も再現されていました(写真④)。物資だけでなく、全国から集められた兵士たちがここでいったん訓練し、それから九州各地へ防人として送られたのではないかと思います。夜はこの兵舎の中で武器の手入れをしながら、自分はいったいこの先どこに派遣されるのだろうか? 不安な夜を過ごしていたのかもしれませんね。「板倉」は武器を保管する倉庫だったのではないかと推測されています(写真⑤)。

建物群からさらに北へ歩き、先端の灰塚展望台で雄大な景色を見ながら休憩しました(写真⑥)。西を眺めると有明海までかすかに見渡せました。

展望台から今度は坂を下ってまた上がり、「池の尾門→堀切門→深追門」と歩いて回りました。特に「堀切門」は当時の門の様子がよく分かる場所です。一挙に攻められないように狭い堀切にし、そこに長い礎石を置いて石に穴を掘って柱を立て、門を築いていたようです(写真⑦)。そして門の周りはわかりにくいですが、版築土塁で固められているそうです。攻め手の気分で下から見上げると、守り手の様子を想像する事ができました。

2月というのにこの日は気温22度、2時間歩き回ると汗をかいたので、最後に温故創生館の前にある「栗と空」というカフェで和栗のモンブランソフトを頂きました。これ甘くて冷たく、口の中で栗の味がジワ~ととろけ出して、めちゃくちゃおいしかったです。栗を使った和菓子やスイーツは他にもたくさんありました。ちなみに山鹿市は西日本一の栗の生産地だそうです(なるほど🤔)(写真⑧⑨⑩)。

帰りは、また一丁榎のバス停まで戻って、次の目的地である菊池温泉へ向かいました。滞在時間は全部で4時間、鞠智城をじっくりと堪能できました~😊!
 

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トク

鞠智城(1/2):ローカル路線バスで古代山城へ (2026/02/21 訪問)

熊本県北部の山鹿市(やまが)にある続100名城の「鞠智城」を訪れました。車なら九州道の植木ICか菊水ICからすぐですが、私はまたこりずに山間地であるにもかかわらず、ローカル路線バス乗り継ぎ旅で行ってきました。

今まで公共交通で攻めた方のほとんどは、熊本駅または肥後大津駅から菊池温泉までバスで行き、菊池温泉から合い乗りタクシー(土日祝のみ運行・要予約:参考⑨)を利用されていると思います。しかし私は、「玉名駅」からバスで1時間「山鹿温泉」に行き、さらに山鹿温泉から「菊池温泉」行に乗り換えて30分、「一寸榎」(写真⑩)という山の中のポツンと何もない所で降り、そこから20分かけて鞠智城まで歩くという、誰も行かないであろう(そんな物好きはいないであろう)ルートで攻めてみました!😱?

鞠智城は全部見て回ればとても広いです(参考⑦)。まず温故創生館(写真④)でスタンプを押して、館内でビデオや展示を30分見学して予習し、それから建物群を見ながら北端の灰塚展望台まで行き、帰りは土塁線を眺めながら3つの門跡を探索、広い城内をぐるりと2時間かけて一周しました。アップダウンもあるので一周する方は歩きやすい靴がいいと思います。駐車場から(写真⑤)の建物群のみの見学なら、30分くらいで回れると思います。

鞠智城は大野城や基肄城と同じ白村江の戦いで敗れた後の665年頃に、大宰府などへの補給基地として天智天皇の命で、百済からの亡命者である「憶礼福留(おくらいふくる)」の指揮のもとに築かれたそうです(写真⑥)。特に「八角形鼓楼」はインパクトのある珍しい建物です(写真①②③)。日本ではあまり見かけない形ですが、朝鮮にはよくある形のようです。主に見張り台として使われ、ある時は時を知らせる太鼓を鳴らし、またある時は狼煙(のろし)で大宰府まで知らせる連絡手段の役割もあったそうです。ここから大宰府まで狼煙で何分かかって伝わるか実験したという記録もありました(写真⑧)。何と90kmを55分で着いたとか。

次は、他の建物と周辺を散策したいと思います。(2/2)へ続きます。
 

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イオ

恩地左近 (2023/02/11 訪問)

楠公八臣に数えられる恩地左近満一が南北朝期に築いたと伝わりますが、近年の研究では、恩地左近は戦国期に畠山氏に仕えた恩地左近大夫貞成をモデルとした架空の人物とされ、恩地城も戦国期に恩地氏が築いたものと考えられるようです。

高安山西麓に位置する恩智城址公園が城跡で、西側の高台が二の丸とされ、恩地城趾の石碑と説明碑が建てられています。比高はさほどではないものの、丘陵の突端だけあって西方向の眺望は意外なほどに開けていました。二の丸の西下にも城址碑がありますが、この高低差は切岸によるものでしょうか。遊具のある公園東側は堀跡で、堀の中の小島に一の丸があったとされ、南東部にわずかな土盛りが見られますが…どうなんでしょうね。また、公園の北西下には恩地左近の墓があり、その北の恩地神社鳥居の奥には恩地城の見付石が目ナシ地蔵として祀られています。

恩地城に登城したのは3年ほど前のことなんですが、城の見付石を見落としてしまったので、近くに行った時にちょい寄りして写真を撮ってから投稿しようと思っていたら、こんなに時間が経ってしまいました。写真の最後の2枚は2025/07/27撮影、その他は2023/02/11撮影のものです。
 

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todo94

北近江長浜大河ドラマ館推参翌日・献血前の攻城④ (2026/02/15 訪問)

寺前城からの転戦です。新宮神社参道入口の左側(善願寺側)には、「新治の七城」の説明板があり、その中の地図には、「甲賀郡中惣遺跡群」として国の史跡に指定されている5城すべての縄張り図が載っています。ここから県道49号に入り、新宮支城の標柱を見つけることができたので、まず、新宮支城の攻城から取り掛かった次第です。村雨城より土塁が高く、かなり迫力がありました。形も整っていて村雨城と甲乙つけがたい素晴らしい城だと感じました。

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赤い城

枡形山城コース (2026/01/25 訪問)

東京の西の端っこまで来たので辛垣城を再訪することにしました。
6年ぶりです。
にのまるさんや朝田さんが選択した二俣尾駅北の登城口ではなく東に7分ほど歩いた泉蔵院横から登りました。
前回もここから登ったのですが急坂ではあるもののハイキングコースとして整備されています。

しばらく登ると堀切と鳥居が見えます。
この辺りが枡形山城、尾根道には堀切がいくつか切られています。
細い尾根道を進み物見山へ、そこから東に折れて辛垣城へ向かいました。
二俣尾駅方面に降りる道への分岐を越えると主郭方面への道が。
ここからすぐに堀切、2つの曲輪を経てさらに登ると主郭部に着きます。
この辺りは採石で遺構の残存状況は良くないのですがそれでも見応えはあります。
主郭先を降りたところの堀切を見学して下山しました。

この周辺はハイキングコースが整備されているのでハイカーさん達ともすれ違います。
ソロのリアでも遠くから熊鈴の音が聞こえると安心しますね🔔

【見どころ】
 ・枡形山城エリアの堀切
 ・枡形山城と辛垣城の間の細い尾根道
 ・採石で削られた主郭部分
 ・主郭背後の堀切

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小城小次郎

対駿河の国境防衛線 (2025/04/20 訪問)

いろんな伝承があって実情はよくわからないようだが大雑把には武田氏が駿河からの侵入に備え甲駿国境近くにおいた防衛ラインの一環らしい。特徴的な畝状空堀群は眼下の街道を睨んだものだと説明できるのだとか。

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朝田 辰兵衛

烏山城散策3/3(本丸~中央ルート~東側ルート,移築神長門) (2026/02/22 訪問)

中央ルートはとても進みやすいです。念入りに整備されていることが伺えます。感謝です。東側ルートでは,桜門跡,厩跡,塩倉跡があり,常盤門へと抜けます。
なお,東側ルートからの分岐で十二曲がりへと向かうことができますが,烏山城の北側に抜けるハズ。この後,烏山城の南側に位置する移築神長門を目指すため,常盤門へと。移築神長門は民家前。細心の注意が必要です。

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朝田 辰兵衛

烏山城散策2/3(車橋跡~西側ルート~物見台) (2026/02/22 訪問)

正門前までまっすぐに進行できますが,そこから中央突破で本丸エリアに突入すると,3ルートあるうちの中央を通過することになります。これはとっても非効率。私はまず西側ルートを選択。空堀の大きさに感動しました。関東には珍しい石垣も見ることができます。赤色かるたに選ばれる理由が,ここまできてようやく腑に落ちました。物見台奥の二重空堀は必見です。

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送りバント

20170729蓮池城(佐賀県佐賀市) (2017/07/29 訪問)

佐賀藩の支藩・蓮池藩の城(陣屋)で、佐賀城からは車で15分程度の距離と近い。遺構はほぼ見当たらず、また小高い丘上にあるわけでもないため、城址だと言われなければ気付かない

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朝田 辰兵衛

烏山城散策1/3(登城口,三の丸,七曲り) (2026/02/22 訪問)

北関東遠征最大の目的地は,ここ烏山城でした。チェブさん予想の群馬県は,途中下車で1ヶ所立ち寄りました。その投稿は後日。
烏山城の赤色かるたは,パシフィコ横浜でのかるた大会で,行ってないにもかかわらずゲット。すでに下調べが済んでおり,ロックオン状態でした。現地でさらっとイオさんにも語りましたが,三の丸から山頂に向かう時に「七曲り」を経由します。この「七曲り」が絵札にクッキリと反映されていたため。かるたをお持ちの方はご確認ください。
なお,那須烏山市役所 烏山庁舎の駐車場北側から登城口がありますが,ここからだと三の丸と七曲りを越えた先で合流しますのでご注意ください。

JR烏山線は非電化区間でIC不可。しかし,終着駅の烏山駅で充電するタイプのEV車両です。出発前はディーゼルっぽい音がしますが,走り出したらとても静かでした。平日はけっこうな頻度で運休計画されています。JR東日本のサイトや時刻表をご確認ください。

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駿府城

桜彩る茶室で愉しむ「桜のランチ会」

春の訪れを感じる桜の季節に、特別なひとときを過ごしてみませんか。
紅葉山庭園茶室「雲海」にて、『桜のランチ会』を開催いたします。桜色に包まれる庭園を眺めながら、風情ある茶室で味わうお弁当とお茶、和菓子。日常を離れ、ゆったりと流れる贅沢な時間をお楽しみいただけます。
ご家族やご友人との参加はもちろん、お一人での参加も大歓迎です。春ならではの景色とともに、心和むひとときをぜひご堪能ください♪

◆開催日:令和8年3月27日(金)・28日(土)
◆開催時間:12:00~14:30(11:45受付開始)
◆会場:紅葉山庭園茶室「雲海」
◆参加対象:どなたでも
◆定員:各日32名(応募多数の場合は抽選)
◆参加費:3,800円(お弁当とお茶、和菓子付)
◆申込方法:往復はがき、またはホームページよりお申し込みください。 ※詳細は添付画像をご覧ください。
◆申込期限:令和8年3月12日(木)※はがき必着
※詳細は駿府城公園公式ホームページをご覧ください。(https://sumpu-castlepark.com/info/archives/3293)

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赤い城

日向和田要害山城 東京都青梅市 (2026/01/25 訪問)

東京出張で後泊し、東京の西の端っこへお邪魔しました。
2023年に城認定された物件でもちろん城びと未登録です。

チェブさんの縄張りを横切り青梅線の宮の平駅で降ります。
西に少し歩くと明白院というお寺があり、ここの山門は盾の城からの移築だそうです。
ここから住宅地に登り、福徳神社の裏手から登ります。

少し登ると削平地がありその先が見どころ、深い堀切があります。
堀切は二重となっていてこの辺りではなかなか見られない深さがあります
しばらく堀底を行ったり来たりし、主郭方面に登ります。
山頂部が主郭だったようです。

北側は採石のため消失していますがこんな遺構が残り、また住宅地から至近なのにこれまで見つからなかったのが不思議な物件でした。
城の詳細は不明ですが立地から三田弾正に関する城と思われます。

【見どころ】
 ・深い二重堀切

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todo94

北近江長浜大河ドラマ館推参翌日・献血前の攻城③ (2026/02/15 訪問)

村雨城からの転戦です。「甲賀郡中惣遺跡群」のひとつとして国の史跡にも指定されており、村雨城の隣に位置していて道でつながっています。一城別郭といった趣を持っていました。川に面した側は土塁がなく、開けていますが、櫓台も備えた土塁はたいそう立派なもので見ごたえがありました。

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こじくん

守谷城&お土産 (2026/02/22 訪問)

訪問回数 1回
アクセスはつくばエクスプレス守谷駅下車、徒歩20分程度

バードウォッチングもかねて初の守谷城址公園へ。
史跡として整備されており、土塁と空堀のセットで遺構を楽しめた。コンコンと音がするため、木を見上げたところアカゲラを見つけることができた。とても可愛かった。

昼食は駅改札付近の「TXアベニューMORIYA」VIE DE FRANCE 守谷店でパンとサンドウィッチを食べた。

守谷といえばヨーグルトのイメージがあったので、駅1階の「もりやコレクション」でヨーグルト饅頭「せんのもり」を購入した。ヨーグルトを使用したお菓子で程よい甘さがあり美味しかった。

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はまけん

長宗我部氏の大規模城郭 (2026/02/23 訪問)

登城口が分かりにくいです。城山の東端に神社があり、そこから城山を北へ少し回り込んだ所に墓地があり、尾根道があります。見所は出丸周辺の石積と畝状竪堀群です。

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カズサン

歴史シンポジウム「いざ、遠州社山城!」参加聴講しました (2026/02/23 訪問)

 磐田市市制施行20周年記念事業、歴史シンポジウム「春風亭昇太と語る秀吉時代の磐田」【いざ、遠州社山城!】に参加聴講致しました。
 会場:磐田市民文化会館「かたりあ」ホール1,500席の大ホール満席でした。住所:静岡県磐田市上新屋678-1、国道1号線バイパス北隣接地、駐車場大駐車場東西に在り。
 出演者:春風亭昇太師匠、加藤理文日本城郭協会常務理事、内山絵里加フリーアナウンサー
 シンポジウム参加料:1,000円
 開催日時:令和8年(2026年)2月23日13時~16時
 スケジュール
 Ⅰ:基調講演 春風亭昇太師匠、後半15分より加藤理文日本城郭協会常務理事参加
 Ⅱ:講演「社山城」 加藤理文日本城郭協会常務理事
 Ⅲ:トークセクション 春風亭昇太氏、加藤理文氏、内山絵里加氏
   途中に磐田市教育長、磐田市長の挨拶有り。
 
 参加者にはA3のリフレット1枚をカラー裏表で4ページ分資料配布されて居り、それを参考にスライド映像を見ながら加藤氏の講演を聞く。
 社山城の歴史
 今川氏と斯波氏の抗争(文亀の頃1501~03年)を遠江の城郭配置図で抗争合戦を社山城を中心に語られた、社山城の独立丘陵による交通と眺望の重要性があり、浜松方面と二俣方面の動向が良く分かる立地と天竜川河岸段丘崖の要害要衝による。
 武田氏と徳川氏の抗争(元亀3年1572年)、武田信玄の遠州侵攻ルート絵図をを使い、三方ヶ原合戦の前、二俣城攻めの為に合代嶋へ陣を敷いたが知られて居り合代嶋、社山城辺りに布陣し拠点とした。翌年信玄の後を継いだ勝頼が遠江に侵攻、社山城を抜けて袋井へ陣を張ったと言います。武田方と成った二俣城の備えとして家康が社山城に砦を構えた。・・以降社山城に関する記録は途絶える。
 社山城の構造
 社山城周辺城郭位置図(元亀~天正年間始め頃)、社山城縄張図(作図:関口宏行氏)、二俣城奪還後の武田軍による徳川勢力分断図をスライドに映し解説頂く。
 位置は天竜川東の河岸段丘磐田台地北端の独立丘陵標高136mの山城、涅槃像の頭の部分に当たる、現登城口よりは比高20~30m程、北尾根上に北の曲輪尾根先に横堀2段、北の曲輪南側に土橋と堀切、尾根筋を南へ登折り本曲輪(南北約70m×東西約25m)の北に切岸と横堀を北から西に回らす、北東角からは竪堀で遮断してる。本曲輪南側よりL型に東へ二の曲輪(本郭と同規模)、本曲輪と二の曲輪間に約10mの堀切、二の曲輪の東尾根には2条の堀切と土橋、本曲輪崖下にも2条の堀切で防御してる、各曲輪下斜面には小曲輪が多くある。
 加藤氏の見解では社山城は斯波氏今川氏武田氏徳川氏へと流れて武田氏と徳川氏の大改修がなされて居り、天正4年以降で同年の二俣城奪還戦時と同12年の小牧長久手合戦の豊臣軍の侵攻に備えての2回との事。
 家康が秀吉に臣従した時点で社山城の機能は停止したと。

 春風亭昇太師匠の基調講演とトークセッションとも楽しく聴講させて頂きました、今回のシンポジウムに合わせて、前日に磐田市文化財課職員の案内による社山城探訪限定30名見学会が有り、当日午前中には春風亭昇太氏加藤理文氏内山絵里加氏の探訪が有り、事前に社山城西側の樹林を伐採し天竜川、浜松市方面、二俣方面の眺望が一部開けたそうです。探訪のチャンスです。
 社山城遠望写真は2月14日撮影です。
   
 社山城を事前2月14日探訪しましたので続きで後日投稿します。
  

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20190810 (2019/08/10 訪問)

天守からの眺望を楽しんだ後、二ノ門堀や石垣の路などを猛暑の中散策

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20191223塚崎城(佐賀県武雄市) (2019/12/23 訪問)

川近くに立派に残る石門を眺めた後、住宅街の中にある城跡公園で城址碑を確認し、城址の武雄高校を眺めて訪問とした

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20181103鎮西山城(佐賀県三養基郡上峰町) (2018/11/03 訪問)

城址は公園化されており、また現地に縄張図もないので遺構は明確ではないが、山頂から西側に降りていくと曲輪っぽい削平地があり、さらに降りた鞍部は堀切っぽい

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