関ケ原古戦場の標識のある場所はほとんど行ったつもりでしたが、烏頭坂に行っていないことに気がつき行って来ました。
島津の退き口として伝わる関ケ原の戦いにおける島津の撤退戦の舞台となった場所です。関ケ原の戦いで敗色濃厚となった西軍の島津義弘の軍勢は敵中中央突破をして薩摩への帰還を目指しました。島津隊を追撃した東軍の井伊直政・松平忠吉隊を島津豊久が殿となり、この場所で迎撃しました。この戦いで井伊直政、松平忠吉は負傷し、井伊直政はこのときの傷がもとで後に亡くなったと伝えられています。島津の退き口における激戦地です。島津豊久はここで討死したとも、重傷を負いながらもさらに先へ進んで白拍子谷で息を引き取ったとも伝えられています。
薩摩ベンチが置いてありました。令和2年に復元された鹿児島城鶴丸城の御桜門の部材に使用するため上石津町のケヤキを寄付したお礼にいただいたものです。江戸時代、木曽三川の宝暦治水工事で薩摩藩の人たちに多くの犠牲者がでました。しかし、そのおかげで洪水は少なくなり、その感謝を兼ねて岐阜県と鹿児島県は姉妹県盟約が昭和26年7月27日に結ばれています。
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