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しんちゃん

アップルライン (2025/11/23 訪問)

長沼城は信濃島津氏が室町時代に土着して築いたのが始まりとされています。弘治3年(1557)武田信玄の侵攻によって島津氏が大倉城に逃れた後は馬場信春によって改修が施されたようです。
関ヶ原の戦いの後、森忠政が13万7千石で川中島に入り家臣の各務親子が城主となりますが、慶長8年(1603)森氏が津山藩に転封になると佐久間氏が長沼藩1万8000石で入りますが、元禄元年(1688)に佐久間氏が改易になるとそのまま廃城になったようです。
千曲川の洪水で城址の大部分が失われたとされ、南方の貞心寺の付近に盛土が残っているようです。現在防災ステーション建設のための工事が行われており、周囲は壁で囲まれています。情報を集めていなかったので朝田さんの投稿にある石碑や貞心寺は訪問していません。

消化不良気味なので工事が終わった後、また訪問したいと思います。今回はアップルラインでリンゴを買いに来たと考えることにしました。
城址の西側を走る国道18号は「アップルライン」の名で知られ、道の両側にリンゴの直販所やリンゴ狩農園がたくさん並んでいます。
800円で袋一杯のリンゴを購入、これでしばらくリンゴには困りません。シナノホッペという品種で、爽やかな酸味と上品な甘みが特徴です。中に一つ大きいのが混じっているのでいつ頃食べようか考え中です。

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しんちゃん

大久保沢ルートから帰還 コ(ユ)イトの畑 (2025/11/23 訪問)

部谷沢城の続き。
尾根を北上して行くと堀切があり、これまで見た郭より広い郭があります。おそらくここが主郭の推定地の一つでしょう。堀切にスロープらしきものが付いていて主郭側に続いています。後世に付けられたものかもしれませんが、堀切から北の大久保沢に向かって道らしきものが見えます。ひょっとするとこの道は本丸への近道かもしれません。
まだ上に遺構が残っているので登って行きます。途中いくつか郭があってやがて林道に突き当たりました。大規模な山城ではありませんが、小競り合い程度なら役に立つかもしれません。
来た道を戻って行って、堀切から大久保沢に降りて行きます。下には巨石があり、その上には足場を固めるものとみられる石積がありまました。下から見あげてみると城郭の風格は有ると思いました。
多くの人が登城できるように、帰りはより楽なルートを探してみることにしました。
大久保沢を下って行くと尾根の北西に比較的登りやすそうな場所を見つけました。ここは一般の守備兵の為のものかもしれません。
少なくとも二ヵ所は城址に取りつけそうな場所があります。
沢を下って行くとコ(ユ)イトの畑と見られる小さな郭が有りました。守備兵の駐屯していた場所とすれば、普段この城址に詰めていた人数は数名程度だったのかもしれません。下って行くと鉄塔が見えてきて、やがて道路に突き当たりました。登城するならこちら側の方がオススメですが、切岸からトライする場合は足元が滑りやすいので注意が必要です。

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いんげん丸虫

難波江城 福井県高浜町 (2025/11/22 訪問)

高浜湾に突き出た丘陵にあります。
真下には白浜トンネルが通ってます。
南のトンネル出入り口付近に路駐して
旧道から標高80m、直登できます。
しっかりと遺構が残ってますね。
3重堀切、3箇所にある2重堀切など
樹木の根が屈強に張っていて、それが
カッコいいです。根が張ることで上手
く形状が保たれてるのかな。

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WEST

萩町城探訪 (2025/11/13 訪問)

白川郷にある萩町城を訪問しました。ここは白川郷の展望台の横にあります。
麓の合掌造りの集落群から徒歩約15分で登ることができます。
萩町城は戦国時代後期に築かれ、白川郷を治めた内島氏の重臣・山下氏が城主を務めました。
残念ながら訪問時は熊の出没により立入禁止となっており、敷地外から眺めるのみとなりました。それでも三方は急峻な斜面に囲まれ、東側には土塁と空堀が良好に残っており、往時の姿を偲ばせます。
チャンスがあれば、再訪して見学したいと思いました。

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WEST

高山陣屋探訪 (2025/11/13 訪問)

飛騨高山にある高山陣屋を訪問しました。
高山陣屋は、飛騨が幕府直轄領となった際に郡代・代官所として建てられました。昭和まで地方官庁として使用された後に復元整備されています。全国で唯一、主要部分が現存する陣屋として貴重な存在です。
表門、玄関、広間などは風格があり、当時の雰囲気を偲ばせます。全体を見学するには十分な時間を要します。順路後半にある御蔵は、高山城三の丸にあった建物を移築したものだそうです。
訪問後は高山城下町を散策し、飛騨高山の歴史と文化を堪能しました。

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WEST

高山城探訪 (2025/11/12 訪問)

飛騨高山にある高山城を訪問しました。
現在は、城山公園として整備されており、二の丸跡のある駐車場を利用しました。二の丸跡には金森長近の銅像が建っています。
高山城は戦国時代に金森長近によって築かれました。戦国の世を経て幕府直轄地となりましたが、加賀藩前田家によって建物・石垣が取り壊されました。
本丸跡へは駐車場横の搦手道から登り、徒歩15分ほどで到着しました。本丸屋形跡には石垣が見えますが、現在見られるものは後に整備復元されたものです。
紅葉の時期であったため、本丸屋形跡の木々が鮮やかに映えていました。
その後、三の丸跡へ向かうと横に水堀が残り、往時の城郭構造を偲ばせます。なお、三の丸にあった米蔵は高山陣屋へ移築され、今も往時の姿を伝えています。

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つば九郎

神奈川県の城巡り 榎下城 (2024/08/05 訪問)

車で攻城しました。城址となっている旧城寺には無料駐車場があります。旧城寺という名称からして城址なんだよななどと思ってしまいました。お寺全体が高台になっており、城址碑があります。攻城時間は30分でした。

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坂本城跡国指定史跡に伴う説明会 (2025/11/24 訪問)

 今年9月18日の官報告示で坂本城跡が国指定史跡になったことをお知らせしましたが、昨日、これを受けて、大津市文化財保護課と地元自治会との共催で、表題の説明会が開催されました。説明者の岡田さんから、いつもの軽快な調子の説明を聞くことができました。
 三ノ丸堀発見から、異例の速さで、国指定史跡になったことについて、現地説明会に約2000人もの参加者があったこと(通常の現場説明会は数百人)や民間企業が宅地造成を止めて保存することにしたこと、さらに、このことを日本城郭協会が特別表彰したことなどが大きく貢献したと述べられました。また、昭和54年に本丸跡が発見された際にも国指定史跡を目指したが、全体像が不明であることなどから、指定が得られなかった経緯があり、今回の三ノ丸南西隅の堀が見つかったことで、これをクリアすることができたのだと。今回の史跡指定は本丸と発掘された部分の三ノ丸堀です。ちなみに、本丸跡には民間企業の建物があるが、地下の遺構を傷つけないよう、十分に盛り土をしたうえで建てられているとのこと。
 気になる今後ですが、有識者を交えて、マスタープランである保存活用計画をR8年度から二年かけて策定すると。(そのスピード感はどーなんでしょうとは思いますが(あ))。石垣を見せるのか否か。見せるとなれば、覆い屋や排水設備が必要で維持費もかかる。最近はVRという手もあるとも。一方、2年の策定期間に何もしないのもだめだと思うので、記念シンポジウム、ブラタモリ風の史跡ツアー、リーフレットの作成をやりたいと。
 岡田さんの説明と質疑応答の後、坂本城を考える会会長と明智光秀顕彰会長(西教寺住職)が活動報告や目指すところなどの説明をされました。
 大津市広報に本年度補正予算の説明があり、さらに詳しい電子版を見ることができます。「坂本城予算 三ノ丸跡の公有化」と項目が露わになっていて、約152百万円が計上されています。これだけかけるのだから地元民にも愛されるような活用をしないとね。

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つば九郎

神奈川県の城巡り (2024/03/18 訪問)

車で攻城しました。早川城山公園には無料駐車場があります。早川城山の新興住宅街の中にある城址公園になっております。場所的には綾瀬市市役所の近くとなります。見事な土塁、堀切、曲輪を堪能させていただきました。攻城時間は45分でした。

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つば九郎

神奈川県の城巡り 丸山城 (2024/03/13 訪問)

車で攻城しました。丸山城址公園に無料駐車場があります。246号線沿いなので場所は分かりやすかったです。城址公園になっているので、きれいに整備されております。この城から徒歩10分ほどのところに太田道灌の菩提寺である大慈寺があり道灌の墓とされる首塚もあったりします。大慈寺も併せて攻城時間は1時間でした。

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todo94

滋賀ドライブでの攻城⑦ (2025/11/08 訪問)

佐久良城からの転戦です。蒲生氏郷の生誕地ということでずっと行きたいと思っていた城でしたが、ようやく念願かなって訪れることができました。遺構が残っているのは、城の一部分だけのようですが、なかなかいい雰囲気を持っています。蒲生氏郷産湯の井戸も落ちなくチェックすることができました。

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脇坂安治陣跡 (2025/11/24 訪問)

 松尾山の麓にある関ケ原の戦いの時の脇坂安治陣跡へ行って来ました。松尾山の登山口から徒歩10分くらいの場所にあります。通説では西軍として陣取っていましたが、小早川秀秋が寝返ると朽木元綱、小川祐忠、赤座直保とともに大谷隊へ攻撃し、東軍を勝利に導いています。他の3人の陣跡はあるのでしょうか。

 

 

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伊藤盛正 (2025/11/24 訪問)

 久しぶりの登城でしたが、記憶していたより竪堀がよく残っていました。追加で竪堀と湧き水周辺などを投稿します。

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小早川秀秋 (2025/11/24 訪問)

 久しぶりの松尾山城です。
登山道を進み主郭に入る前に東尾根にある曲輪から散策しました。堀切がありましたが、浅くなっていました。その後、主郭、馬出状の曲輪、東南側の尾根にある2つ目の曲輪、空堀を挟んだ西側にある2つの曲輪等を散策しました。それぞれの曲輪には土塁があるのですが、主郭の西にある曲輪のうち南側の曲輪にだけは土塁がありません。ここが元の長亭軒城なのではないかとも言われています。その先には3本の竪堀が交互に設けられていました。主郭と西の曲輪の間には空堀があり、そのまま谷となっています。井戸らしき場所もありますが、谷を少し下ると水が湧いていました。標高293.1mの山の上ですが、水には困らなかったのかもしれません。東西約400m、南北約250mの比較的大きな山城で曲輪、土塁、堀切、竪堀などが残り、陣城ではなく本格的な城だと思います。

 登山道は整備されていて道幅もあり歩きやすい。城内の散策路も概ね整備されていました。
 JR関ケ原駅から徒歩約25分で登城口へ行くことができます。

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しんちゃん

毛見(ケミ)ストーリー (2025/11/23 訪問)

部谷沢城に行ってきました。飯山城のすぐ近くにあるんですね。ちょうどイベントで飯山城に来たのでついでに攻めてきました。今回はヘルメット着用で行きます。ガケから落ちた時にも有効です・・けっこう急な所あるんですよ。当然スプレーも装備、二本持参で一本は懐に入れて、すぐに使えるようにしておきます。
古城盛衰記さんのルートを参考に登城しましたが、切岸からの直登はかなりきつくしんどいです。二年前ならもっと楽に登れたんですが・・(体重が6kgプラス)もうちょっと絞らなくては・・
オススメルートは沢の東の城址北側の谷を迂回していくルートで途中に鉄塔も見えてきます。地形図で言うと谷に向かう台形の西南端の位地から入ることが出来ます。二通りのルートがあるわけですが、いずれも電気柵が人為的に倒されていたので入ることが出来ました。
城址は尾根上に小さな扁平地が多数続いていて、堀切の先にある、少し広めの郭が主要部と思われます。小さな扁平地がその上にも続いており、やがて林道に突き当たりますが、山城としては小振りで、砦の様な雰囲気です。
かといって耕作地という感じでもないですね。鎌倉時代から毛見郷を支配していた毛見氏の城と伝わり、身内や同族同士の小競り合い程度ならこれで十分だったのかもしれません。
北側の谷は大久保沢と呼ばれ、城址入口あたりに「ユイト(コイトか?)の畑」と呼ばれる場所があると案内板に記載があり、実際にそれらしい小スペースがありました。案内板にはユイトと記載がありますがAI先生は垣内(カイト)が訛ったコイトではないかと言ってます。このAIの回答は面白いですね。垣内=守備兵なら理屈は通っています。
北側ルートが大手と見られ、城址に入れそうな場所が二ヵ所有りました。
堀切の手前に獣のフンがありました。タヌキか小熊か・・あとで写真をじっくり見るとタヌキの様な気がします。その時は小熊の可能性も考慮して引き返そうかな? と考えましたが例によって足が上の方に勝手に向かっていきます。
どうやら私の中の「城キチしんちゃん」が目を覚ましやがったようで、こいつが出て来るとどうしようもないです。
仕方が無いので、スプレーを片手に装備していつでも発射できる体勢で堀切を目指しました。・・最近いろいろとやりづらいですね~。

佐敷城いいですね。また行きたいですね~ 次は四国や東北をゆっくり回りたいな~

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トク

(1/2)新八代駅から佐敷城へ (2025/11/15 訪問)

もう一度行きたい城と皆さんがよく言われる佐敷城。私は今回が初めてですが、石垣が見事に残り、加藤の縄張りに思わずうなり、さらに景色はとてもよく、確かに(しんちゃんの言う通り)、続100名城に選ばれてもおかしくないと思いました。しかし公共交通と徒歩では、迷われた方(辰兵衛さん?)などもいらっしゃたようなので、新八代駅から佐敷城まで、まず私の行ったルートから御紹介します。

私は前日に八代城を見学して、夜は新八代駅前の東横インに宿泊(写真⑩)。翌朝は新八代駅(在来線ホーム)から8:47発の肥薩おれんじ鉄道(出水行)に乗りました。何とくまモン列車でした(ラッキー!笑)。単線をカタンコトン、途中からは八代海とその向こうに天草がきれいに見え、くまモンといっしょにのんびりと旅をしている気分に浸りながら40分、佐敷駅へ到着です(写真①②③)。

佐敷駅で改札を出たら(写真④)、すぐ横にある歩道橋から線路の反対側へ渡って下さい。歩道橋の上からは佐敷城が見えてきますよ! いよいよ来たどー!😲と興奮してきます(写真⑤)。そしてそのまま図書館を通ってドームの横をまっすぐ登って行き(写真⑥)、テニスコートの脇から入り(写真⑦)、木戸を自分で開けて(写真⑧)、傾斜のある遊歩道を10分程登ると、佐敷城(三ノ丸下)に到着です(写真⑨)。駅から徒歩だとこれが最短コースです。私のゆっくり足で40分くらいでした(皆さんなら30分くらいかな?)。写真⑨の場所は駐車場になっていて、山の背後からぐるりと回ってここに着く道があり、車で来た先人の方々はその道を利用されているようです。

次は本題の、(2/2)「佐敷城」の様子に続きます。
 

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しんちゃん

市民の憩いの場 (2025/11/23 訪問)

飯山城は越後への軍事的な要衝にあり、独立した丘陵上に築かれています。元は常盤牧の泉氏の城でしたが高梨氏の支城となり、高梨氏の上杉謙信への家臣化が進むにつれ上杉氏の属城となっていったようです。
案内板によると永禄7年(1564)ごろに上杉氏によって対武田に城として改修を受けているようです。慶長3年(1598)上杉景勝の会津移封の後は関・皆川・堀・佐久間・松平・本多と城主が移り変わって行きました。本丸にある葵神社には本多氏の家紋である本多葵(丸に立ち葵)が描かれています。本丸のイチョウは既に散り始めていて黄色い絨毯のようになっています。
春には桜が咲き誇り、良い市民の憩いの場所となっているようです。公園となった城址もよいものですな。

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翡翠

山口城旧山口藩庁門② (2025/11/24 訪問)

門は良く見るのですが、さっき投稿した写真の土塀の瓦の飾りが小槌だった事に今日気付きました。

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翡翠

久しぶりに、歩いて (2025/11/24 訪問)

山口城跡旧山口藩庁門、瑠璃光寺、瑠璃光寺は、今までに見たことないくらい渋滞してました。今が1番紅葉が綺麗です。あとは今年は色付きが去年より良くないのですが大内氏館跡の龍福寺です。

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べっち

唐津城 (2025/11/24 訪問)

クラブツーリズムのツアーで行った

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