土塁と切岸に守られた主郭周辺だけはよく見えるが山を覆っていたと目される帯曲輪や出城の類は薮に阻まれてどうにもならない。町に近いし湯河氏の本拠だしポテンシャルは高いお城だと思うが、このままではちょっと勿体ないか。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2025/10/31 07:09
ポテンシャルが高いのが歯がゆくもあり (2025/02/24 訪問)
土塁と切岸に守られた主郭周辺だけはよく見えるが山を覆っていたと目される帯曲輪や出城の類は薮に阻まれてどうにもならない。町に近いし湯河氏の本拠だしポテンシャルは高いお城だと思うが、このままではちょっと勿体ないか。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
2025/10/31 06:52
延暦寺 滋賀県大津市 (2025/09/20 訪問)
予定より大幅に遅れてしまいましたがこの日のメインとしていた延暦寺へ。
城びとには登録されていませんが歩いてみるとやっぱり城でした。
比叡山坂本ケーブルを利用、途中のほうらい丘駅には信長による焼き討ちでの犠牲者を慰めたとされる石仏が安置された霊窟があります。
ケーブル延暦寺駅からは歩いて東塔地域へ。
根本中堂を目指しますが現在改修中。
外からその姿を見ることは出来ません。
せっかくなので中に入ってみました。
修理中の様子をみることも無いのでこれはこれで良い経験でした。
向かいの文殊楼に行ってみると土塁で囲まれ、まさに城でした。
延暦寺が武装化されていたことが良くわかります。
次に東塔へ、建物も素敵なのですがやっぱり土塁に目が行きます。
やっぱり城です😊
ここから西塔地域に行く予定でしたが時間をロスしたため断念。
ここの規模を舐めていたのもありますが・・・
なので最後に駐車場から下に降りたところにある東塔北谷の遺構を見学。
曲輪が段になっていてやっぱり城だな、と確信しケーブル駅に戻りました。
この日行けなかった西塔エリア、横川エリアを全て巡るには1日でも足りないかもしれません。
【見どころ(この日行ったところに限ります)】
・文殊楼の土塁
・東塔の土塁
・東塔北谷の遺構
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2025/10/31 06:52
富山ドライブでの攻城⑤ (2025/10/25 訪問)
坪野城からの転戦です。坪野城で大きなダメージを受けてしまったのでもう山城に攻め入る気力なんてありません。予定していた続100名城の増山城はパス。日曜の献血もキャンセルして、日帰りで帰着することにしました。帰りがてら、気楽に攻略できる城に立ち寄った次第です。西養寺門脇に説明板が建っています。濠には水が湛えられていましたが、あまり見栄えはよろしくありませんでした。周囲を一回りしてみましたが、濠の外側に一列に墓が並んでいるなどちょっと変わった雰囲気でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2025/10/31 00:44
2025/10/30 19:55
竪堀マシマシ戦国時代 (2025/09/11 訪問)
主郭と二郭の間には堀切があり竪堀となって下に続いています。城が造られたのは南北朝に期限が有りますが、戦国時代に改修が施されています。土塁などはあまり残っていませんが横堀や竪堀が念入りに付け加えられています。
主郭の北側に降りて行くと腰郭が有り、北側に畝状の竪堀が複数配されています。さらに尾根を北に下って行くと広めの郭が有り周囲には堀切や竪堀が多数ありました。後は来た道を戻って行きましたが山肌を歩いていると急な斜面に大きな竪堀が彫られています。
竪堀の底はさらに角度が付いているようで、これは危ないなと思って迂回しました。竪堀の掘り方一つで堀底の角度を増すことができます。えげつないけど戦場の知恵ですな。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2025/10/30 18:17
南朝方奈良左近の城 (2025/10/11 訪問)
イベントがらみで訪問しました。タイトな日程の中訪問しましたが、思った以上の遺構が残っていて楽しめました。とはいえ、散策路が十分整備されているとはいえず、危ない箇所もあります。特に巨大な竪堀のある場所は滑り落ちたら止まらないと思います。
途中まで車道が通じていますが、いやな予感がするので空きスペースに車を留め途中から歩きます。
城址東側を北上してから北東か城址に回り込んで行きます。北東の尾根には二重堀切がありそこから尾根沿いに城址に登って行くことが出来ます。帰りには尾根沿いに降りて行って二重堀切の所から道に降り下山しています。
話を登城時に戻すと、二重堀切を見上げながら進んで行くと大きな竪堀が見えます。途中から直登して三郭に取りつき尾根上を主郭に向かいます。尾根の上の高低差は少ないですが三郭、二郭、主郭と有る程度の段差があり、二郭と三郭の間には北側に土橋が付いています。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2025/10/30 17:07
芦屋河原の合戦 (2025/10/30 訪問)
永正8年(1511年)細川高国と細川澄元による芦屋河原の合戦の舞台となった城です。日本城郭大系によると鷹尾城は平城と山城とがあり、平城部は宅地化により遺構は消滅しているようです。山城部にはいくつかの削平地、土塁、堀切、竪堀などが見られますが、戦時中、高射砲の観測塔が建てられ、それに伴って塹壕が掘られ曲輪の形状が不明になっています。ハイキングコースとしても整備されているため、正確な縄張り図は示すのが困難で推定図が掲載してありました。推定図に記載されている空堀跡は二重空堀でいい感じに残っています。塹壕跡かもしれないとも思いましたが、日本城郭大系に空堀跡と掲載されているので空堀跡と思うことにしました。ただ空堀跡だとすると変わった縄張りです。登城口からNHK山芦屋テレビ放送中継所を経由して鷹尾山山頂まで行き引き返してきました。NHK山芦屋テレビ放送中継所を過ぎると空堀跡などがあります。城跡らしい場所を撮影してきましたが、上記の理由で確信はありません。
阪急芦屋川駅より徒歩約15分で登城口に行くことができます。途中に案内板がありました。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2025/10/30 08:35
広島城の景色を堪能 (2025/10/14 訪問)
広島城の天守最上階に登って、天守からの景色を眺めてきました(写真①②③)。天守は耐震基準に満たないため、2026年3月22日をもって閉館となります。
私が広島城の天守に初めて登ったのは50年前の、まだ小学生で夏休みの時に父に連れられて訪れました。当時は新幹線など無かったので、別府から船で広島へ渡りました。それから数えると今回で通算7回目となります。でももう生きている内に天守へ登る事ができるのは、この先無いだろうな~と思い、最上階からの景色をじっくりと目に焼き付けてきました。
1599年に、毛利輝元(写真⑤)が秀吉の聚楽第を参考に建てた天守は、昭和20(1945)年8月6日に原爆が投下されるまで現存していました。その後に市民の強い要望で、昭和33(1958)年に鉄筋コンクリートで外観復元されて現在に至っている事は、みなさんも御存知と思います。この復元天守からは、原爆ドームがかすかに見えます(写真③)。50年前に見た時は、うる憶えですが、高いビルや樹木はほとんど無く、もっと遠く海まで見渡せたような、原爆ドームや平和公園ももっとはっきり見えたような、そんな気がします。よってこの天守は、復興し高度成長を遂げていく広島の街を、ずっと見守ってきたという事ですね。そしてその時は、隣接していた広島市民球場で野球を見て帰ったのを憶えています。多くのカープファンが初優勝に酔いしれた50年前の、赤ヘル旋風が初めて巻き起こったあの日も、この天守は見届けてきたという事になります。本当に長い間お疲れ様でした。
閉館後もしばらく天守は壊されず、外から外観のみ見る事はできるようです。三ノ丸には歴史館が建設中で(写真③⑨の黄色のクレーンがその工事現場)、閉館後に収蔵品はそちらに移され展示されるとの事でした。その先に天守をどうするかは、木造で再建の話もあるようですが、同様に木造で再建を目指す名古屋城の動きなどを参考にしながら、進められるのではないでしょうか。よって仮に木造で再建するとなれば、完成までには少なくとも、まだ20~30年はかかりそうな感じがします🤔。
そして今回は!・・・千田嘉博先生が小倉城のセミナーでおっしゃっていた、先生も泊まれなかったという、あの【広島城が一望できるホテル】に、私は何と・・・宿泊してきました~!!!(トリバゴで安く泊まれました😊)。その高層階の部屋から見えた広島城は感動の絶景です。さらに夜景はもっと美しく、部屋の窓はまるでシアターのよう。時間を忘れて深夜まで、グラス片手に眺めてしまいました(写真⑥⑦⑧⑨)。予約する時は、キャスルビューの部屋を希望と伝えた方がいいようです。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2025/10/30 08:26
よかったー!また行きたい!! (2025/08/12 訪問)
初めての田丸城。
かわいいピンクの大賀ハスの花が出迎えてくれました🪷
大手門石垣に誘われ城内へ。伏兵に狙われるわけではないので警戒不要、どんなお楽しみが待っているんだろう⁉︎とワクワクです。
蓮池跡、富士見門を見学。
三の丸跡の玉城中学校や二の丸虎口も気になりますがあとまわしにして本丸へ。
と思ったら北の丸の見事な空堀にKOされてしまったので遊歩道をぐるっとまわってみることにしました。こちら側から見る石垣もすごくかっこよかったです。
二の丸、三の丸を経由してようやく本丸です。目に飛び込んできたのはちょっと変わった階段つきの天守台。駆け登ってみると眺めも素晴らしく開放感と爽快感に満たされました。こんなふうに、かつての役割を学び、天守の姿を想像しながら平和に過ごせるお城、ありがたいです。
で、本丸虎口経由で大手門に戻ってきたところで搦手に行っていないことに気づき😱、リスタート。
ここは行っといてほんとによかった!くるっと振り返って見た石垣がすごくいい感じで。継ぎ足しだなって思うところもあって、技術的なことは私には全くわからないのですが、石工さん方が遺してくれたこの場所を覚えていたいなと思いました。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2025/10/30 07:07
琵琶湖水運の要所 (2025/09/20 訪問)
ホテルから出て徒歩で向かいました。
JR大津駅から徒歩で15分くらいですがまずは外堀石垣が残る丸屋町商店街に向かいました。
入口に大橋堀跡の説明板があります。
遺構の石垣は大津祭曳山展示館横の駐車場にありました。
しばし散策後本丸に向かいます。
途中の朝日生命ビルの脇には模擬石垣と説明板があります。
さらに本丸へ、と向かう途中何気なくポケットに手を入れ・・・無い😨PASMOが!
慌ててもと来た道をトレース、ホテルまで戻るも落ちてない😨
やむなく交番やカード会社での手続きをしました。
落ち込みながらもどうしようもないのでとりあえず本丸へ。
京阪の浜大津駅からすぐ、ここには石碑があるのみで遺構は残りません。
琵琶湖に面し、水運の重要拠点であったことがうかがえます。
実際に関ヶ原の戦いでは京極高次が西軍を城に引きつけることで東軍に勝利をもたらした、と言われています。
このあと川口公園の川口堀跡へ、埋め立てて公園になっています。
また三井寺駅近くの百々も外堀跡とされています。
落としたPASMOですが帰陣後警察から「あった」との連絡がありました😌
【見どころ】
・外堀跡の石垣
・琵琶湖の眺望
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2025/10/30 06:49
歴史案内活動のご案内【11月2日(土)10:00~12:30】 (2025/11/02 訪問)
こんにちは。躑躅ヶ崎歴史案内隊のEこと上田絵馬之助です。
月の半ばまで猛暑だったのが
月末には朝の冷え込みさえ感じる2025年10月ですが、
来月11月の躑躅ヶ崎館での歴史案内活動を告知します。
※活動は武田神社様に許可をいただき行っていますが、
当隊は神社とは無関係の有志ボランティアです。
日時:11月2日(日)10:00頃~12:30頃
※雨天等で中止の場合あり。その時は11月3日(祝)に順延します。
場所:武田神社(史跡武田氏館跡・山梨県甲府市)
ガイド:局長・大塚與左衛門/弥三郎景政
❖境内に眠る戦国の史跡を、個性豊かな甲冑ガイドがご案内。
❖時間、コースはご都合・興味にあわせて自由に設定可能。
❖宝物殿、ミュージアムの展示施設も案内可能。
❖ガイドは原則無料(展示施設の入館料等は別途負担ください)。
❖雨天延期の場合あり(Twitter(現✗:@KoufuSamurais)で告知します)。
ハロウィン過ぎたら七五三、
境内も親子連れでにぎわう11月です。
山梨でも日々寒さのつのるこの頃ですが
皆さんのご来訪も楽しみにしています。
(E)
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2025/10/30 00:00
民家との距離が近い。 (2025/10/11 訪問)
小浜城の本丸の石垣は小浜神社として残されているのですが、周辺まで民家が迫っています。民家の中に城があるといった感じでしょうか、距離感が近いですね。
慶長6年(1601)に京極高次が城の建造に着手して以来、40年の歳月をかけ寛永19年(1641)酒井氏の時代に小浜城は完成しました。その後237年の間、酒井氏十四代の治世が続き明治時代を迎えました。明治4年(1871)12月に大阪鎮台分営設置の改修中に本丸櫓より出火し、建造物の大半を焼失して現在は石垣を残すのみになっています。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2025/10/29 21:49
京極親子が築いて酒井忠勝が仕上げる。 (2025/10/11 訪問)
todo94さんお疲れ様です。城攻めは危険を伴うレジャーなので不慮の事故は起きてしまいますね。お大事になさってください。
富山はけっこう未登頂の城があるので、フルコンプには時間がかかるかもしれません。私は今休止中なので今未踏の城を攻めてるのはtodo94さんと朝田さんだけじゃないかなあ・・
小浜城は慶長6年(1601)に京極高次が着工し、子の忠高に至る33年の間に城の大半を造りますが寛永11年(1634)に酒井忠勝が城主となり三層の天守閣を築きました。忠高は親子で長年かけて築いた城を後にしたわけですが、この後に出雲・隠岐二か国に加増転封となり松江藩26万石を拝領しました。
小浜城の本丸は小浜神社の境内になっていて南西隅に天守台が残っています。かつては本丸の周囲は堀になっていましたが今は埋められて道路になっています。周囲の地形は改変されていますが、かつては海と河川を取り合わせた要害の地で、川を外堀として活用していたようです。本丸の周囲に郭を配した輪郭式の海岸城(案内板による)ですがそれほど城域は広くは無かったように見えますね。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2025/10/29 19:16
谷戸城からの転戦です…🚊 (2025/09/15 訪問)
長坂駅から穴山駅に南下。能見城は駅チカ物件です。中途半端な時間のあまりや,ついでの攻城に有効。コインロッカーはありませんのでご注意を。まったりと散策できるかというと,いちおう【比高:50m】ありますのでご承知おきください。
todo94さんの命がけともいえる「坪野城」攻城に敬意を表します。夏場だとさらに大変だったような気がします…。送電鉄塔が目印になるようなので,地理院地図が有効ですね。まだ,全く予定がありませんが…。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2025/10/29 07:05
東国と京を繋ぐ東海道の要衝 (2025/09/20 訪問)
唐橋前駅から瀬田の唐橋を渡り、瀬田川沿いに歩いて約10分。
「唐橋を制するものは天下を制する」と言われた東海道の要衝です。
瀬田川では朝からボート部の皆さんが練習に励んでいらっしゃいました。
城跡には大きなマンションが建ち、道路沿いに石碑と説明板が設置されています。
遺構は見当たりません。
ただ、少し高台になっていて高低差に城の気配を感じます。
朝駆けの散歩を終え一旦ホテルに戻ることにしました。
余談ですが唐橋はビワイチの起点・終点になっていてサイクリストも多くいらっしゃいました。
【見どころ】
・瀬田の唐橋と瀬田川
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2025/10/29 07:00
富山ドライブでの攻城④ (2025/10/25 訪問)
生地台場からの転戦です。今回の富山ドライブで最大のターゲットが、城びとにまだ投稿のなかったこの城でした。登城口に関わるような有力な情報がネット上に見当たらず、不安を抱えての攻城でした。周辺を暫く見て回って、坪野集落の南側にある砂防ダムの向かって左手の道を、獣除けのフェンスを開けて進むことにします。いきなりヌスビトハギの洗礼を受けました。川沿いに進んでいくと城から離れてしまいそうだったので、標高300m付近のところで直登を試みることにします。人の通った跡らしきものをトレースして道なき道を進みます。尾根を進むと最初の高圧鉄塔にたどり着きました。先に次の高圧鉄塔が見えます。この辺りは道になっていてペグなどもありましたが、進んでいくと高圧鉄塔からは離れてしまいました。途中、恐ろしいオオスズメバチの群れや小さな猪が目の前を横切るのをやり過ごしてグーグルマップのポイントをひたすら目指します。そこは熊笹が生い茂っているだけでした。周辺を探し回ってみましたが、城址碑を見つけることはできませんでした。意気消沈して帰路に着いたものの見事に山中で迷ってしまいました。ぐるぐると似たような堀切をいくつも越えて徘徊するうちに、運よく、城址碑を見つけることができました。そこは2本目の高圧鉄塔のほど近くのピークでした。グーグルマップのポイントを目指していた辺りは、このあたりの最高所でそこよりは標高が低いかと思います。案内することも説明することも困難なのですが、地理院地図には送電線の記載があるのでグーグルマップよりは頼りになるかと思います。偶然の幸運で城址碑を拝むことができたので後は下山するだけなのですが、ここからも一筋縄ではいきませんでした。どうしても最初の鉄塔にたどり着くことができず、登って来た場所とは逆側に尾根を下って行ってしまい大変な目に遭ってしまいました。茨や枝で両腕は傷だらけ。苔と湧水で滑りやすい崖を無理やり下ってジョギングシューズもジーンズも泥だらけ。ジーンズには大きなかぎ裂きまで作ってしまいました。人生最悪の攻城とも云えそうですが、これで城びとの未投稿物件を一つクリアできたので満足です。ただ、両腕に大きな切り傷を作って流血してしまいましたので、翌日に予約を入れておいた献血はキャンセルせざるを得ませんでした。(3日以内に流血を伴うけがをすると献血はできないのです。)
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2025/10/28 21:29
吉田城 (2025/09/28 訪問)
吉田城の総構の面積は通説では84万平方キロメートルに及ぶそうです。84haということですね。広いっちゃ広いけど、思っていたよりは狭いのかもしれない。江戸城は別格として大阪城の総構の総延長は8km以上あるので400haは有ると思う(2×2km)。
大阪城は10万人の浪人を擁して戦った実績が有るから400haあれば10万人以上は籠城できるだろう。名古屋城は大阪夏の陣で豊臣家が滅んでしまったので総構の計画が中断されたらしいが、本来は東は矢田川、西は枇杷島川(庄内川か?)、南は古渡まで含めてかなりの広さになる予定だったらしい。
総面積は5000haくらいあるらしく、それだと江戸城の倍以上になってしまうので、どこまで本当なのか分からないが、実際の江戸時代の名古屋城の総構の広さは100~150haくらいだと思う。
以前、いろいろ詳しい人達に聞いてみたところ彦根城の総構は400haほど有るようで、大阪城に匹敵する広さがあったようだ。関ヶ原を含めて東近江周辺は東西の要衝なので江戸時代はここに大軍を集め、西から攻めてくる敵を迎え撃つつもりだったのかもしれない。
実は関ヶ原全体が山岳陣地の様相を帯びていて、ここに大軍を駐留(籠城)させることも出来るのだが、関ヶ原の合戦での西軍の敗北で、要衝としての関ヶ原の価値は江戸時代には低下していたようだ。
推測も含むが、南宮山などが野戦砲陣地として注目されるのは日清戦争前後のころになると思う。それに関しては、またどこかで投稿したいと思います。
なんにせよ東海道の要衝としての吉田城は少し中途半端に思えなくもない。実際、日本はヨーロッパに比べて艦船や大砲の技術が大幅に遅れていて、近世城郭もガラパゴス的な産物と言えるので、あまり砲撃戦に向いていない。とはいえ大砲などが普及していない江戸時代初期であればこれで十分だったのかもしれない。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2025/10/28 19:16
模擬天守の脇に天守台 (2024/12/21 訪問)
JR久留里線の一部(末端区間の久留里~上総亀山間)が近いうちに廃止になることが決定したというニュースを聞き、廃止される上総亀山駅までの乗車がてら、訪問してきました。(木更津~久留里間の鉄路は維持されるようです。)
久留里駅から本丸(模擬天守)までは、徒歩35分ほどです。道中は一部、道幅が狭いので通行には注意してください。
トンネルをくぐり、旧登城路に沿って火薬庫跡→堀切Ⅰ→堀切Ⅱ→久留里曲輪→二の丸(資料館)→天神曲輪→男井戸・女井戸→波多野曲輪→本丸跡(模擬天守)→新登城路→堀切Ⅰの順で見学。
旧登城路側は標柱が各所に設置されているので、登る際は、こちらの方がおすすめです。(私は遭遇しませんでしたが、旧登城路側はヒルが出ることもあるみたいですので、対策を忘れずに!!)
二の丸の資料館では、久留里城の歴史の展示が行われています。また縄張り図が配布されていましたので、ここで入手しました。
天守の建物付近は令和5年の地震で、瓦の崩落があり、危険ということで立ち入り禁止になっていました。(天守外観と天守台、丹生廟遺迹の石碑は見学可能。本丸の先の怒田尾根・弥陀曲輪方面は立ち入りができないようになっていました。)また天神曲輪から続く林道側(東尾根)も崩落の危険性があるということで、こちらも立ち入り禁止になっていました。
模擬天守には入れず残念でしたが、本丸は12月終盤でしたが紅葉しており、とても楽しめました。そして模擬天守の脇に江戸時代の天守台があるという、他ではあまり見られぬ状況になっているのが、現在の久留里城の本丸の面白い特徴だと感じました。
帰路は二の丸から、新しい登城路の方を利用して下山しました。新登城路は、堀切Ⅰの見学におすすめです。舗装されていますが、V字の構造が色濃く残っている様子を見ることができました。
結びに一日も早い久留里城の復旧を切に願っております。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2025/10/28 13:12
沖縄観光タクシーが便利です
代表して今帰仁城のレポートとして書いていますが
日帰りで沖縄の五城を制覇した時のお話です
沖縄の観光タクシーはわりとお安いので
大変助かりました
私の場合は那覇空港から
スタンプラリー状態で6時間で回りましたが
(高速料金は別にお支払いしましたが2000円くらいだったかと思います)
現在は、北部の設定となるので7時間〜の料金になるようですね
もう少しくらいはゆっくり見たい方でも
空港から空港連絡バス(やんばる急行バス)で今帰仁城址迄行かれて見学し
そこで待ち合わせをして空港まで戻りながら残り4城を回る事は出来ますし
終着地点を首里城にすれば、さらにゆっくり見学出来ます
首里城から空港迄は、ゆいレールというモノレールが便利です
沖縄観光タクシーの貸し切りプランは
予約&打ち合わせが必要ですので、お電話して相談されてみてください
ご参考になる方がいらっしゃいましたら幸いです
(^∇^)ノ♪
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2025/10/28 13:00
手のひらサイズで感じる日本の伝統―ミニ畳を作ってみよう!
1,300年以上の歴史をもつ日本の伝統敷物「畳」。畳には、湿気を吸って乾燥時には水分を放つ“調湿効果”、い草が空気を含むことで生まれる“断熱性”、音をやわらげる“遮音性”、そして香りによる“リラックス効果”など、たくさんの魅力があります。
ですが今、和室の減少とともに畳に触れる機会も少なくなっています。そこで日本の伝統文化「畳」をもっと身近に感じてもらうために、オリジナルミニ畳づくり体験を開催します!
香りに癒されながら、あなただけのミニ畳を作ってみませんか?お子さまから大人まで楽しめるイベントです。
◆開催日:令和7年12月13日(土)
◆開催時間:10:00~12:00
◆会場:駿府城公園 東御門・巽櫓(巽櫓2階広間)
◆参加対象:どなたでも(小学生4年生以下は付き添い必須)
◆定員:25名(応募者多数の場合は抽選)
◆参加費:2,500円(材料費他)※別途入場料 大人200円、小中学生50円
◆申込方法:専用の申込フォームまたは往復はがきよりお申し込みください。
※詳細は添付画像、駿府城公式HP(https://sumpu-castlepark.com)をご覧ください。
◆申込期限:令和7年12月5日(金)※はがき必着
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。