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朝田 辰兵衛

雨にいざなわれたのかな,それとも…☔ (2026/06/26 訪問)

『6月26日に山口県岩国市の未投稿城「成君寺山城」を攻めてきます。雨がすごかったら「亀居城」に変えます』と予告しておりましたが,どちらもダブルタイフーンの影響で断念しました…<泣>。

6月26日,この日も山口県内在来線が全て運休。「成君寺山城」へアクセスする錦川清流線も運休。岩国駅から広島方向の在来線は,速度を落としながらもかろうじて動いてました。「止まってしまうのも時間の問題かな…?」と判断し,途中下車して「亀居城」という選択肢も断念。昼ごろには広島駅に到着。まずは荷物を預けに宿泊先のホテルへ。赤いローソンを過ぎて,赤いロゴの東横インへ。このホテルのことは,にのまるさんがレポートしておりますので割愛します。
にのまるさん,この時点でもまだまだ気が抜けなかったんですよ。ねぎらいのお言葉,ありがとうございますm(__)m
すでに,トラブルさえも楽しんでいるような…<苦笑>。

さて,広島県内の大雨ピークは概ねこの日の夕方~夜間にかけて。ふと,赤い城さんのクイズで出題された「広島城の暗渠」を思い出しました。以前は素通りし,撮影もしておりません。これは赤い城さんにいざなわれたのか,雨にいざなわれたのか…☔
天守はすでに入れませんが,三の丸歴史館を建設中のハズ。ちょいと見てくるにはベストなタイミングに思え,レッツゴー👣

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ボン

鮫ケ尾城:2024年9月5日:続100名城-43 (2024/09/05 訪問)

別名:宮内古城
駐車場無料。公園事務所に続100名城のスタンプがある。
御館の乱で上杉景虎の決戦の地。

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ボン

高田城:2024年9月5日:続100名城-42 (2024/09/05 訪問)

別名:鮫ケ城、関城、高陽城
駐車場無料。三重櫓があり、有料。
堀が見事で、全面に蓮。咲いたら壮観と思われる。

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ボン

春日山城:2024年9月5日:100名城ー42 (2024/09/05 訪問)

別名:蜂ケ峰城
上杉謙信公の像撮影からスタート。春日山城址ものがたり館に無料Pと100名城スタンプ。
ビデオと展示が少し。総構の堡塁などが復元されている。

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ボン

和歌山城:2024年7月14日:100名城ー41 (2024/07/14 訪問)

別名:虎伏城、竹垣城
城内の有料駐車場を利用して登城。
復元天守だが、外観はオリジナルを再現できている。
御橋廊下、歴史館もあり。

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ボン

新宮城:2024年7月13日:続100名城ー41 (2024/07/13 訪問)

別名:丹鶴城、沖見城
Pはすぐ近くにあり無料。
こじんまりとしているが、石垣や虎口はしっかり残っており、河口に築かれた立派な城。

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ボン

赤木城:2024年7月12日:続100名城-40 (2024/07/12 訪問)

Pはすぐそばに有り。
雨であったが登城。
15分程度だが、石垣がかなり残っており立派。
藤堂高虎の築城。

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茨城県立竜ヶ崎第二高等学校 (2026/07/04 訪問)

 土岐胤倫の居城として知られています。茨城県立竜ヶ崎第二高等学校付近が跡地で、グランドの北側に土塁と空堀が遺っています。この日は土曜でしたが、グランドなどには部活動に勤しむ学生さんたちが多くいました。ゆっくり観ることもなく早々に退散しました。

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ボン

坂本城:2024年5月30日:その他城-49 (2024/05/30 訪問)

公園と無料P有り。資料館などは無し。ケース内に説明有り。

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ボン

大阪城:2024年5月19日:100名城-40 (2024/05/19 訪問)

別名:大坂城、徳川大坂城、錦城、金城
大阪城歴史博物館とセット(セット券あると天守入場の列に並ばずに入れる)で登城。
大阪城も歴史博物館も内容盛りだくさんで、2時間では足りないくらい。
歴史博物館から大阪城を少し俯瞰できる。

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龍ヶ崎歴史民俗資料館 (2026/07/04 訪問)

 南北朝時代に南朝方の春日顕国がたてこもったと伝わる城です。龍ヶ崎歴史民俗資料館の駐車場に説明板が設置されていて、登城路が整備されています。空堀、曲輪、土塁などの遺構が残っています。どこまで当時の状態を遺しているのかはわかりませんが、奥の祠のある曲輪まで行ってみました。

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ボン

明石城:2024年5月18日:100名城-39 (2024/05/18 訪問)

別名:喜春城、鶴城
明石城公園の有料Pに停めて登城。資料館などは無し。
櫓が無料開放されていた。櫓から明石大橋が見える。石垣が見事。
魚の棚商店街も散策。明石焼き美味。

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ボン

高取城:2024年5月14日:100名城-38 (2024/05/14 訪問)

別名:天芙蓉城、鷹取城、高取山城
Pは山道の最奥。大手口まで登城したが、先は長そうで断念。
石外の凄さは少し垣間見えた。

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ボン

岸和田城:2024年5月14日:続100名城-39 (2024/05/14 訪問)

別名:岸ノ和田城、猪伏山城、蟄亀利城、千亀利城
駐車場無料。資料館有り。
天守は堀も残っており、犬走もあり。1周するとおもしろい。

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熊本城外回り (2026/06/20 訪問)

 さすがの熊本城、ものすごい数の投稿と写真ですなあ。前回登城は、だいぶん前、本丸御殿が再建されて(2008年)しばらくしてからでした。今回は、震災からの復旧状況・工事を見学するのと、熊本城が立つ、阿蘇山からの火砕流の高まりを実感するのを目的にして、参りました。
 熊本城の前身となった隈本城は、砦規模で、火砕流のほんの先端にあったのを知りました。火砕流の高まり(茶臼山)全体は大きすぎて、縄張りのしようがなかったのでしょう。長塀前を東に進み、熊本城東側の東竹の丸の石垣(法面)が火砕流台地の高さと急峻さを感じさせてくれました(写真3)。北大手門前の堀は、火砕流の台地を大きく掘り切っています(写真4)。二の丸は、写真1のように、観光用の縄張り図には描かれないことが多いです。上級武士の屋敷地&豊前街道、豊後街道を引き込んだ二の丸の際(きわ)の処置が気になってました。西側の堀、南側の石垣を見てきました。二の丸の西端から天守閣を眺めるととても遠いです(写真9)。まだ、この西側に三の丸があるとは、巨大です。
 市役所の14階にレストランがありランチしつつ、熊本城を眺められました。熊本城の後、水前寺公園に行きましたが、雨脚が強くなり、通路が小川になって、ゆっくり景色を眺めている余裕はありませんでした。阿蘇山も雨雲の中で残念。

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ボン

越前大野城:2024年5月1日:続100名城-38 (2024/05/01 訪問)

別名:亀山城
町中に無料駐車場あり。
復元天守。中に展示有り。
城山を登城し、町中を散策。武家屋敷で風車がきれい。

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ボン

岩崎城:2024年2月24日:その他城-48 (2024/02/24 訪問)

無料駐車場、模擬天守、資料館有り。
小牧長久手の戦いの激戦場の一つ。
(長久手古戦場の碑は別のところ)

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征15日目:大可島城 (2026/05/25 訪問)

福山城(岡本家長屋門)から徒歩5分ちょっとで、圓福寺入口(34.381686、133.383089)に着きました。

1342年(康永元年・興国3年))岡部出羽守によって築かれたと云われています。
ここは南北朝時代鞆争奪の古戦場で,現在は陸続きとなり円福寺が建てられているが、かつては島であり、そこに大可島城があったそうです。
1342年(康永元年・興国3年)南朝方の伊予川之江城は、北朝方によって攻撃され、南朝軍は川之江に援助に向ったが、途中北朝側の備後勢と燧灘で遭遇し大合戦となり、折からの風で鞆方向に流されました。
そこで鞆を攻撃し占領、大可島を詰城として拠点を構えました。これに対して北朝側は鞆の小松寺に陣し、激戦十余日に及んだが、南朝軍は本拠川之江城危うしの報に、備後服部の桑原重信を残し伊予に引き返しました。
北朝軍は南朝方が籠もる大可島城を猛攻して落城させ、桑原氏を滅ぼしました。世にいう鞆合戦の城跡で、城地にある石塔は桑原一族の墓と伝えられています。
戦国時代には織田信長に京を追われた足利義昭が鞆城に滞在していたため、警護として因島村上氏の一族・村上亮康が大可島城に在城していました。

城址は圓福寺の本堂になっています。圓福寺境内に説明板が設置され、入口の脇に桑原一族の墓と伝えられる墓地があります。
本堂の屋根に乗っている狛犬が鯱を思わせてお城のイメージを彷彿とさせます。
海沿いの高台にあるので、瀬戸内海の島々がキレイに見えましたが、岬側は私有地のようです。
攻城時間は25分(鞆の浦歴史民俗資料館駐車場までの徒歩移動含む)くらいでした。次の攻城先=相方城に向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征15日目:福山城(岡本家長屋門) (2026/05/25 訪問)

鞆城から徒歩5分弱くらいで、岡本家長屋門前(34.498551、133.367113)に着きました。

もとは福山城内にあったものを福山城が廃城となり、長屋門が民間に払い下げられました。
醸造業(保命酒・薬酒)を営んでいた岡本家がこれを譲り受け店舗として使用したそうです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=大可島城に向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征15日目:鞆城 (2026/05/25 訪問)

常国寺から車で25分弱で、鞆の浦歴史民俗資料館駐車場(34.384181、133.381506)に着きました。

鞆は古代から潮待ちの港として栄え、軍事的にも枢要の地でした。そのため南北朝時代には港湾施設の近くに大可島城が築かれていましたが、市街部に城は存在しなかったそうです。
1336年(建武3年)には多々良浜の戦いに勝利した足利尊氏が京に上る途中、この地で京の光厳天皇より新田義貞追討の院宣を受領しており、足利氏にとって縁起の良い土地でした。
鞆城の前身となるのが1553年(天文22年)頃に、毛利元就の命により備後地方の豪族である渡辺氏が市街中心部の丘陵に築いた鞆要害だそうです。
鞆要害は尼子氏への抑えとして築かれたもので、その規模・構造はよく分っていないが、城域は発掘調査の結果などから概ね鞆の浦歴史民俗資料館一帯であったと推定されているようです。
その後、1576年(天正4年)室町将軍足利義昭が毛利氏を頼って京を落ち、移り住んだのが鞆であり、その居所として築かれたのが鞆城と云われています。
関ヶ原合戦(1600年(慶長5年))後に毛利氏が防長二カ国に減封となると、安芸国広島に入部した福島正則が支城として改修して三層の天守をあげ、大崎玄蕃を城主としました。
1615年(元和9年)一国一城令により築きかけた天守は三原城へ移し,福島正則の後をうけて入封した水野勝成は長子勝俊の居館をここに置きました。
勝俊が福山藩主を継ぐと鞆奉行所として重臣荻野新左衛門重富が在所し明治維新まで鞆の管理がなされたそうです。
その後、廃城となっていましたが水野勝成が福山に入部すると、長子水野勝俊の居所が三の丸に置かれました。勝俊が福山藩主を継ぐと鞆奉行所として重臣荻野新左衛門重富が在所したようです。

現在は鞆城山公園や鞆の浦歴史民俗資料館の敷地となっています。(攻城したのが月曜日だった為、休館日でした)
民俗資料館に続く車道のところに案内板があり、隅石垣には様々な印が付けられています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=福山城(岡本家長屋門)に徒歩で向かいました。

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