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天守無しがアツい

地図ナビだけでは分かりづらい (2025/12/21 訪問)

https://www.cocoyoko.net/spot/kinugasa-zyoushi.html

横須賀中央駅から長井行きのバス🚌に乗って…衣笠城址で下車。そこから十字路を右に曲がって…トンネルを潜って高速道路入口を通り過ぎ(左側だと渡れないので右側の歩道を歩く事をおすすめ)🚶‍♂️衣笠城址の矢印を見つけたらその方向に沿って歩く

住宅地を通って…大善寺という寺に入る。そこに青い壁があり、その奥にある階段を登ると城の中心地に入る

石碑…案内板…さらに奥に進むと衣笠城址の石碑があり…最上層には木で出来たベンチ

木々に覆われてるため…下の景色を眺める事はあまりできないが…ここまで登れば十分に城を見学した気分…達成感味わえる

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テンちゃん

お城EXPO 2025年 (2025/12/20 訪問)

2019年以来の2回目登城です。
本丸御殿会場ワンデイ入城券なので厳選プログラムを聞いてサイン会に参加してたら他を見学する時間がほとんどなかった。

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ぴーかる

鹿島城 (2025/11/23 訪問)

【鹿島城】
<駐車場他>山頂に駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>空堀
<感想>1泊2日東関東旅2城目。現地案内板によると鹿島城は鎌倉時代の初期から1591年佐竹氏によって攻められ落城するまでの約400年間鹿島氏の居城であったそうです。
 鹿島に宿泊し朝一に来ました。南は鹿島高校、東端は鹿島神宮の二の鳥居まで城郭があったという事ですから、相当広い城域になっていたようです。現在は本丸跡が残されているのみです。本丸と鹿島神宮の西側と北側は少し下がって比高があるので、城は台地状の北西端に築かれていた感じがします。また当時は霞ヶ浦が広がっていたと思うので、湖側には船付場もあったでしょう。本丸跡は遺構が残されていないと思っていたのですが、東と南側に大空堀が残っていて見応えがありました。また北側と西側には帯・腰曲輪も残っています。北浦の湖が眺望できて良かった。

<満足度>◆◆◇
<観光>攻め城のあと、鹿島神宮に参拝しました。8:45くらいでしたが、ほぼ満車状態で参拝者の多いのにびっくりしました。

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なお

掛川城訪問 (2024/04/25 訪問)

二の丸御殿現存の掛川城。
これで、二条城、川越城、掛川城を制覇。後は、高知城本丸御殿を残すのみ。
訪問日は、2024年4月25日(自家用車移動)。
この日は、愛知県新城市鳳来寺で一泊しました。

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なお

犬山城訪問(2回目) (2018/08/13 訪問)

名鉄犬山線、犬山駅から徒歩で犬山城大手口へ。大手口から本丸、天守閣へ登閣。
帰りは、大手口から木曽川に向かい、木曽川上流方向の犬山遊園駅から名古屋方面へ帰りました。
2025年も車で、犬山城を訪問。

登城口の混雑は相変わらずでした。

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なお

島根旅行 (2018/08/06 訪問)

夏休みをとって山陰を車で動きました。
8/6は、滋賀県から名神、中国自動車道、米子自動車道、国道9号線経由で松江城へ。
大手前駐車場に車を止め、本丸国宝天守へ。天守の後は、堀川遊覧船でお堀を廻りました。
昼食は、宍道湖七珍が食べたくて市内の和楽へ。
和楽を出発して、玉造温泉で一泊。

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なお

名古屋城本丸御殿一部拝観 (2013/08/10 訪問)

2013年8月10日訪問
三重県鈴鹿市(玉垣)から伊勢鉄道・関西本線を経由して名古屋へ。地下鉄東山線を経由して名古屋城へ。
この日は、本丸御殿は部分公開の時期に当たっています。
外観復元の天守は登閣していませんが、本丸御殿を拝観しています。
写真撮影が可能(ストロボ禁止)でしたので、御殿内部を撮影しています。

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イタさん

上野城跡(上野蔵屋敷跡) 群馬県甘楽町 (2025/12/18 訪問)

史跡・吉田家の土塁・濠跡と標柱が立っていて、堀は畑になっているが、残る土塁の大きさには驚く。甘楽町のHPに、この土塁・濠跡は、「上野城」と呼ばれた館址の周囲を囲んでいた土塁と濠跡で、鎌倉時代に築かれた館址(土居館)と考えられる。徳川時代には幕府の直轄地として代官がここに居り、その後、旗本の知行所となって明治に至った。四囲の土塁は東西南北に構築され、土塁の外側に濠が巡らされていた痕跡が伺える。一辺70m程の正方形の館址で、西土塁はほぼ良好に残存し、北土塁は約半分、東土塁は一部が顕著に残り、南土塁は全て削平されている・・・と載っているが、東は確認していない。

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イタさん

八幡山砦跡 群馬県甘楽町 (2025/12/18 訪問)

小幡氏関連の砦と載る。西の山麓に八幡神社が建っている。八幡山トレイルコースが設けられ4コースが載っている。どのコースも200m前後の距離で山頂部の夕映えの広場に着く。南のコースで行くと、山頂部へは坂虎口風に入って行く。西側に地面から1m程度の高さの展望台がある。山頂部は40~50m四方の広さで、東・南・北に土塁状の高まりが見られる。北下は腰郭を思わせる雰囲気があり、今は北西隅からコースが階段状に付けられている。このコースは、結婚の森のみちと言い、椿を記念樹として植えているようだ。

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イタさん

宇田城址の半ば  群馬県富岡市 (2025/12/18 訪問)

小幡氏関連の城と言われる。近くの神守寺の駐車場に駐めさせて貰う。挨拶と思ったが無住寺のようであった。寺の入口脇に池があり、その前を道が付けられている。両サイドはご多分に漏れずソーラーパネルが設置されている。

林に入ると何段もの削平地が現れる。一つ一つは低い段差だが、中には虎口を伴ったような高さもある。先は広い郭になり東側には腰郭が幾つも見える。最初に幅・深さの堀切があり、先の郭も広い。最初の堀より小振りだが堀切が現れる。こちらは急斜面で上り下りに足が滑る。枯れ葉の多さにもよるが。上がった先は狭く、頭上に主郭と思う急斜面がある。主郭の先の尾根にも郭・堀切があるらしいのだが。前面は倒木その他が多く踏み入れを躊躇する。5分ほど居たが、この後の予定があり時間的にここで撤退する。機会があれば後日再訪したい。

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イタさん

黒川城址 群馬県富岡市 (2025/12/18 訪問)

近くのに黒川公園駐車場を利用する。公園の一本北の通り、民家の間に道があり、山の中腹に不動堂が建っているのが見える。ご本尊は昭和四十年頃盗難にあっていると、案内に載っている。すぐ下のお堂には十一面千手観音立像が祀られている。案内板に範囲、城主・廃城年月は不詳だが、口碑では渋谷次郎高重の居城と伝わり、東鏡にその名が記されている・・・と載っている。

不動堂の右手から上に深く削れた道を進む。狭い削平された郭が現れる。南東に堀跡らしき窪地があり、上に土塁状の高まりがある。上には御岳社が祀られているようだ。土塁の先が広い郭のようだが、竹林になっている。竹林を含め、北側の狭い郭が位置的に主要部なのだろうか。しかし北東に続く尾根が高く気になり行ってみた。50~60m先の鉄塔が建つ場所に出る。周囲は平らで広い。地形図でも下より20m以上は高いのだが、城址を思わせる遺構など見えず城域ではないようだ。

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カズサン

お城EXPO 2025初参陣 (2025/12/20 訪問)

 お城EXPOは今年10周年の記念の年、今だ横浜に参陣して居ませんでしたが、高齢化参陣できる体力気力が有る内にと一大発心し、開催日初日の2日前に決めて新幹線の時間、企画内容を確認し12月20日日帰りで決行。
 先ず「城びと」コーナーに一番に駆け付け、情報と城びと会員の参陣情報を確認、これまでの投稿では、朝田辰兵衛さんとしんちゃん、イオさんが参陣来られるとの事でしたので、会えると良いなとの思い、城びと事務局コーナーの女性の方からは、3F-17ワークショップルームで加藤理事の「赤色立体地図の楽しみ方」14時から15時に常連メンバーが来られるのでは?
 その間は10時から13時の間は1Fの出店コーナー、001~129まで全て廻り、資料、パンフレット、リフレットを頂き、会話、応答して頂ける方とは、情報を聞く、探るなど会話を楽しみました。
 頂いた資料パンフレットが重くなり事前に準備していたジンズ布地の手提げバッグに入れて紙袋が切れない様に、兎に角重くなりました、整理が大変だ。隣のアネックスホール休憩室で持参のおにぎりと城探訪の常備品一口羊羹で糖分補給、14時前に成り予定の3F-17
ワークショップルームへ、程なく加藤理事が来られて「赤色立体地図かるた」の楽しみから講座と実践かるた会を体験してきました。
 なかなか楽しいものです、赤色立体地図での城跡の形を頭に叩き込むのが大変、各城跡の赤色立体地図パターンを記憶して置けが問題無く楽しいでしょうが、頭の柔らかい小学生であれば、赤色立体地図城跡博士が現れるかも?

 15時過ぎ、資料が重い、入場までの大混雑、1Fのコーナーは芋の子を洗う混雑、人疲れも有り会場を後にしました。
 結局城びと常連の方々とは会えずじまい、ニックネームが分かってもどの人なのかは分からない、全員に声掛けするのも憚られて終了。

 良い経験でした。
 

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ばばよ

大手ルートは2月末まで通行止め (2025/12/20 訪問)

本丸の石垣は素晴らしく、どこから撮っても「映え」ますね。
眺望も最高です。

2月27日まで大手(枡形〜二の丸〜内膳丸)は伐採作業のため通行止めで入れません。

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長坂越 (2025/12/20 訪問)

 京都の北に位置する長坂越という山道近くに位置しています。長坂越は京都七口の一つである長坂口から京見峠を経て丹波周山、さらには若狭方面も結ぶ交通の要衝でした。明智光秀による築城という説もあるようです。周山城とのつなぎの城ということかもしれません。
 城址は主郭を中心に横堀が備えられ周囲には帯曲輪と思われる平坦地が展開しています。竪堀や堀切、土橋かと思われる地形もありました。ただ落ち葉など堆積物も多く空堀などは浅くなっていています。

 京見峠を北上し氷室神社方面に行く林道を進むと城址に行くことができました。、京都市中川簡易水道 氷室配水池付近と城山雨量観測局付近に登城路があります。前者から登城し後者へ下りて来ました。登城路はわかりやすく、城域も予想していたより藪ではありませんでした。倒木はそれなりに見られましたが許容範囲です。
 近くで「熊出没注意」の看板を見つけました。京都の街に近いこの付近でも出るのですね。

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いんげん丸虫

堂谷山城 福井県若狭町 (2025/11/24 訪問)

標高134mの山城です。
みどころは北の巨大な堀切ですね。
主郭には土塁が巡り、広い平坦地がある
のですが、石垣に使用されたと思われる
石が散らばってます。破壊の跡でしょうか。
南東に向かった尾根上には200m近く土塁
がついてますね。
その尾根境に獣避けネットが延々と設置
されてます。ポリエステル素材のグリーン
のネットで約15cmの升目です。
獣の視覚では避けられないだろうし、シカ
は角か絡まってしまいます。長野県の山城
で身動き出来なくなったシカを見たことが
あります。ここでも角が絡まりそのまま
となった頭蓋骨がありました。
このネット状のものは良くないですね。

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星ヶ崎城主の麓の館 井上館 (2025/12/19 訪問)

 びわこビジターズビューローに寄って、「名城 万華鏡」冊子をもらってきました。なかなかの力作です。掲載されている中で訪れていない城や時代物件がいくつかありましたので、さっそく、その一つの井上館(竜王町、城びと未登録)に行きました。
 星ヶ崎城(城びと登録)の城主の鏡氏が山城の星ヶ崎城の麓(少し離れてますが)に営んだ平城・館です。星ヶ崎城と同じ山塊に小堤城(城びと登録)があり、その西麓に土塁、堀に囲まれた桜生城(城びと登録)があります。井上館は桜生城よりも少し小さく、また、単郭ですが、四面に土塁がよく残っています。桜生城と同様に現在お住まいの方がおられます。昔ながらの道が狭い村落中にあり、車で村落に進入するのは止めた方がよいです。村落の外に鏡集落センターがあるので、ここに駐車させてもらって徒歩で行くのがよろしいかと。
 なお、「名城 万華鏡」はびわこビジターズビューローHPからダウンロードできます。
 NHKの歴史探偵で2025年の新発見トップ3 戦国時期で、坂本城三の丸堀と石垣発見がNo.1に挙げられました。そんなにすごいことなんですねえ。

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じゅんじん

桂公園 (2025/12/03 訪問)

桂公園になっており入口に説明碑があります。

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ヒロケン

信濃 吉岡城 (2025/11/05 訪問)

吉岡城は北と南の沢川に挟まれた台地上に築かれた城で、出郭、殿郭、主郭、二の郭と西から東に郭が配置された連郭式の縄張りで郭がそれぞれ堀で区切られています。特に殿郭(現在は寺尾神社の社が建つ)と主郭部間の堀切は高さ5m・長さ10m程あり(画像1・10)見ごたえがあります。
主郭部は東西112m、南北43mあり、現在、吉岡城址公園となっており、遊具、ゲートボール場等となっています。二の郭は主郭部より更に広く、東西170m、南北145mもあり、墓地や柿畑が広がっています。(主郭部は国道151号線で分断〈画像8〉されています。)

吉岡城は、下條康氏によって築城され、112年間下條氏の本拠地となっています。下條氏は甲斐源氏小笠原氏の庶流で、下條康氏が深志小笠原政康の子で下條家を継ぎ吉岡城を築城したのが始まりとされています。

吉岡城は、城びと未登録の城ではありますが、見どころも多い城なのでお勧めのお城です

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なお

二条城拝観 (2003/08/13 訪問)

2003年8月13日、家族で訪問
二の丸御殿を拝観して、本丸天主台へ

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境目七城のひとつ (2025/12/18 訪問)

 織田軍の対する毛利方の城で境目七城のひとつで、天正10年の攻防では加藤清正が一番乗りの功名をたて、敵方の竹井将監を討ち取っています。
 足守陣屋から徒歩で登城しました。15分くらいで標識のある登城口まで行きことができます。登城路は整備されていて大手門跡、三の丸跡、二の丸跡の標柱を見ながら主郭まで行けます。主郭西側に3条の竪堀がありますが、少し藪になっていて見づらい状況でした。

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