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零汰

遺構は・・・。 (2019/10/12 訪問)

去年の10月に福岡県の香春岳城に行ってきました。1週間前に攻城失敗した為に再度の攻城でした。五徳峠の香春岳登山口の5・6台停められる駐車スペースに置き、登りはファミリーコース、下りは岩登りコースを通り2時間余りの攻城です。

香春岳は一~三ノ岳の3つの山であり、40年前の聖典によると二ノ岳・三ノ岳に跨ぐ竪堀や人枠遺構・二丁石場石塁などあるようです。一ノ岳は石灰石採掘の為に山頂が消滅、二ノ岳は立入禁止・・・でした。帰って聖典を見直した所、人枠遺構は立入禁止手前にあったかもしてません。遺構を見たわけではありませんが、遺構が消滅していく様を遠くから眺められた事が違う意味で収穫かもしれません。

その頃はログを取らずに廻っていたのでよく道に迷っていました。岩登りコースの下りは難易度が高く表示を見失い、登山口から1km近く離れた場所に出てしまいました。登りも下りもファミリーコースをお勧めします。

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トーダイ

4年振りに登城すると、尾根が消えてました (2020/01/18 訪問)

久礼城跡は、国人佐竹氏の居城です。一条氏の支配後、天正年間は長宗我部氏の傘下、
慶長5年(1600)まで存続したと言われてます。

約4年前(2016年11月)登城した久礼城は良く覚えています。久礼中学校の教職員用
駐車場を利用、水道施設に上がる途中に木片に赤インクで久礼城跡登山道と書かれた
登城口、眺めの良い尾根道を約15分登ると城跡に着きました。

先日購入した「土佐の山城」にも久礼城が載っており、懐かしさから再登城しました。
久礼中学校への狭い道も良く覚えており、難なく着きましたが、周辺が大工事中です。
それでも水道施設へ上がる入口に路駐、勝手知ったる?登城口に向かうと小さな階段、
お〜っ整備されたかと上がると、あるハズの「尾根」が足元から影も形もありません。
工事で崩されて消えてました。戦国時代には考えられない工事土木量です。

城山に工事用の道路が見えるので現場監督の承諾を得て登城開始、道路が切れた後は
人跡を追って直登し、本来の登城路と合流して城跡に辿り着きました。

佐竹神社が鎮座する詰ノ段跡に城跡碑と案内板を確認後、前回は知らなかった詰ノ段
南西下の5連続堀切周辺を探索するが、木々に阻まれて完全に確認できませんでした。

下山時、工事現場を通りたくなく登城路を下ると、久礼中学校体育館裏の階段に戻り、
クラブ活動中のグラウンド脇をトボトボ、路駐場所に戻りました。

中土佐町サイトによると、役場庁舎・消防分署・久礼保育所の高台移転計画で工事中、
久礼城の「登り口は、現在工事中のため、久礼中学校体育館裏からお登り下さい」と
あります。工事終了後、登城口は「再び」変わるでしょう。

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ほむほむ

東西500mに及ぶ大規模な山城です。 (2020/01/18 訪問)

以前から行ってみたかった山城で、1月だというのに全く雪が降らなかったので、今回登ってみました。
長禅寺から主郭まで2km以上ありますが、ヒメサユリの小径で有名な場所でもあるため、遊歩道の整備状態が良く登りやすいです。
主郭を東西で挟む空堀1本、堀切5本がいい状態で見れます。
長禅寺側登城口から2、30m位登った所に長尾家廟所への案内表示が建っています。
行かれる時はひめさゆり祭りの時期(5月中旬~下旬)を外した方が良いです。(満車で入れない事があります)
駐車場は普通車160台停めれます。(通年無料、ひめさゆり祭り開催時は駐車場奥の受付で環境整備協力金として200円)

※体力に自身のある方は袴腰山(標高526m)まで登ってみてはどうでしょう。(比高差約450m)
山頂からの景色は最高です。

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小城小次郎

高堂城

隣の広瀬城は繊細だがこちらはむしろ大雑把。でも広瀬城より高くて広くて大きくて、どちらがメインかと問われると非常に悩む。。主郭周辺の石垣にはほんの少しだけ「見せる」意思を感じたりもする。

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ぴーかる

医王山城 (2019/12/28 訪問)

【医王山城】
<駐車場他>登城口(岩尾寺裏手)に5台程度駐車スペースあり。
<交通手段>車

<見所>石垣・畝状竪掘り群・堀切
<感想>添付写真の城跡にあった説明板の通りこの城は激戦城、毛利氏が支配してからは南西方向数キロに神楽尾城があり神楽尾城は毛利氏→宇喜多氏に奪われていることからこの地方はちょうど毛利・宇喜多の北の勢力圏境だったと思われた。
 
 城跡は小規模、地元の方達によって整備され、遊歩道あり、途中に渡し橋が整えられ観音堂があるのでお参りさせて頂上をめざした。
説明板の縄張り図のように東側から登りきった所が山頂主郭で南北尾根状に連なっている。草刈りが郭内部の平地しかされておられなかったので主郭の北側堀切、三の郭南の畝状竪掘り群は鬱蒼と生えた草に突込む気力なく断念した。

<満足度>◆◆◇

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チェブ

初詣の大渋滞。 (2020/01/02 訪問)

富士宮焼きそばで有名な富士宮市の「大宮城」で大渋滞にはまりました。
私が行ったのは1月2日。
近くに富士山本宮浅間神社があり、初詣の方々の車と同じ方向なので大渋滞に同じように、はまりました。
あの渋滞の中で「大宮城」に向かっていたのは私だけだったと思います!

富士郡の国衆、富士氏により築城しました。
もともと今川氏の家臣でしたが、武田 信玄さんの駿河侵攻の際、降伏しました。
ちなみに、富士山本宮浅間神社の大宮司は富士氏だったそうです。
もしかしたら神社も「大宮城」の 一部なのかもしれません。
「大宮城」は富士宮市立大宮小学校がお城跡のようです。石碑や遺構はありません。
小学校の脇に路駐しましたが細い道だったので、すぐに出発しました。
渋滞中、陣屋長屋門を見つけました。
もう、車は停められません。
初詣時期を避けるか、公共交通機関がオススメです。

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イオ

常宣寺 (2020/01/05 訪問)

織田信長との石山合戦に際して本願寺方が築いた出城のひとつで、推定地の常宣寺は室町初期の創建であり、本願寺八世門主の蓮如が立ち寄って教化伝道するなど、本願寺との繋がりが深い寺院だったようです。

宅地化により遺構は消滅していますが、常宣寺には隅櫓風の太鼓楼や立派な山門や鐘楼堂があり、なかなか雰囲気があります。また、常宣寺の山門脇には説明板が設置されています。

この日はOsaka Metroの1日乗車券「エンジョイエコカード」を利用しての城(史跡)めぐりで、葱生城(常宣寺)は地下鉄の駅から少々遠いためバスに乗りましたが、城北公園前バス停からは徒歩3分で、本数の多い路線でもあったので、ほとんど待つこともなく非常に便利でした。

また、このエンジョイエコカード、Osaka Metroの地下鉄・バスが一日乗り放題(バスは一部例外あり)なのに加えて、大阪城天守閣と西の丸庭園、大阪歴史博物館、通天閣や天王寺動物園、四天王寺などの割引もあり、大阪市内の城めぐりや観光に最適かと。実際、この日は2,000円分以上乗って、600円(平日は800円)で済みました。
 

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カズサン

本丸を石垣で築き日南海岸の眺望は絶景 (2016/10/24 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り、高城、都於郡城を終えて南下し日南市飫肥城を見ながら日南市役所で南郷城の情報を得ようとして寄るが資料、情報はあまり無く地元の南郷城麓に中村ファミリーマート店長が詳しいとの情報得る、同ファミリーマートに寄るが店長不在、情報を城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんの俯瞰図で探訪。
 中村ファミリーマートから中村神社へ石造りの案内道標に従い細い林道をそのまま登れば本丸に到着、本丸手前の駐車エリアに停める。
 本丸は入口が虎口か?石垣造りの枡形風、本丸周囲は草に覆われてるが土塁か石垣か良く判別でき無し本丸下に帯曲輪が備わってる、本丸から日南海岸の眺望は大変素晴らしい、周囲には木製の歌碑が立って居る。

 関ヶ原後島津氏の備えとして伊東氏が築き元和の一国一城令で廃城との事

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【福山城築城400年×信長の野望コラボ決定!】

福山城築城400年記念事業の取組を幅広く情報発信をしていきたいという思いを,株式会社コーエーテクモゲームス様にご賛同いただき,歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」と「福山城築城400年」とのコラボレーションによるPRが決定しました!

PR企画の第一弾として,「信長の野望」に登場する武将の中から,初代藩主水野勝成とゆかりの深いキャラクター(9人)に今回,福山城築城400年応援サポーターに就任していただくことになりました。

水野勝成については,現在,福山城築城400年のオリジナルデザインをコーエーテクモゲームス様で制作していただいており,完成次第,発表いたします。

応援サポーターに就任した「信長の野望」の武将には,福山城築城400年記念事業のポスターやチラシ,パンフレット,公式サイトやフェイスブックなど様々な媒体に登場していただき,PRに協力いただくとともに,(スマホでプレイできる)アプリゲームを含めた,「信長の野望」シリーズとのコラボもしていただける予定です。

サポーターを活用したPRグッズも制作し,福山城築城400年記念基金への寄附に対する返礼品に活用するなど,PRを展開していきますので,応援よろしくお願いします!

詳しくはこちら→https://fukuyama400.jp/about/fund/supporter-kt_nobunaga

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カズサン

曲輪間の大堀切と大空堀に惚れ惚れ (2016/10/24 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り宮崎県も建物、石垣の残ってる所を主体に廻ってましたので土の城、山城廻りは今回の城探訪が初めて高城を終えて甥っ子からも都於郡城は素晴らしいと聞いており西都市都於郡小学校を目指し道路沿いに大きく案内標識西に向かって入っていくと大型駐車場が有ります、後は徒歩で案内図に従い本丸を目指す。
 南九州の特徴であるシラス台地を切り刻んだ曲輪間の堀切が幅広く深く大きい見事と言うしかない、本丸、大空堀を越えて二の丸、西の城、三の丸、戻って本丸北の奥の城と廻り十分に南九州土の城、伊東氏の本拠地的な城を十二分に堪能しました兎に角素晴らしい。

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todo94

胡麻駅で途中下車 (2020/01/11 訪問)

福知山までの往復切符の帰りの切符で順次、途中下車しての城めぐり、胡麻駅で途中下車して向かったのは塩貝城です。獣よけネットをめくってくぐらなくてはならないというのは知らなければかなり勇気がいるかと思います。山頂部の本丸、出丸とみられる鍛冶屋敷跡と遺構が視認できてなかなかの山城かと思います。

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勝野武士

官兵衛がいた『山崎の城』?? (2019/10/20 訪問)

篠の丸城は、山崎町の中心部にある標高324mの山上に築かれた山城です。
近世城郭である山崎城を訪れたあとは、やはりその前身たる篠ノ丸城に登城せねばなるまい…!

篠ノ丸城へは麓の山崎八幡神社に隣接した広い駐車場があるほか、最上山公園の上にある駐車場に停めると麓の駐車場に停めるよりは身体の負担は少ないかと。
ちなみに私は麓の駐車場に停めました。
麓の駐車場には『黒田官兵衛飛躍の地』と『黒田熊之助ゆかりの地』の二つの大きな石碑が建っています。
そうです、ここは羽柴秀吉による宍粟攻めによる落城から四年後の天正十二年(1584)から天正十五年(1587)豊前中津に移封となるまでの三年間、秀吉の命によりこの地を統治しており、『黒田家譜』に記述されている『山崎の城』はここではないかという説があります(但し、ここではなく長水城もしくはその山麓にいたのではという説もあり)。
また、黒田熊之助は官兵衛の次男として、この山崎の地で生まれたと推定されています。

篠の丸城の歴史は古く、南北朝時代に赤松貞範の子顕則により築城されたと伝えられており、室町期以降に守護代をつとめた赤松一族出身である宇野氏の拠点でした。
天正八年(1580)、本城の長水城とともに落城し、毛利方についていた宇野氏は滅亡しました。

平成25年度に行われた航空レーザー測量と発掘調査の結果、城跡(郭群)は南北250m、東西200mの尾根上に配置されていること、主郭(本丸)は南北50m、東西40mの規模(なんと城全体の1/4!)で播磨北西部では最大級を誇ること、主郭周囲に配された40余りの方形郭群を通路(犬走り)が取り囲む特殊な構造であること、更に北西の傾斜面の3つの尾根に多数の畝状竪堀群が配されていることなどが確認されました。
これらの測量成果に基づき主郭の一部が発掘調査されましたが、残念ながら建物遺構は検出されなかったそうです。

実際に行ってみると、まず九合目あたりに腰郭があり、東側の眺望が見事です!
清流揖保川を眼下に見下ろし、揖保川を挟んで対岸には、秀吉が宍粟攻めの手始めに攻略した聖山城跡があります。
聖山城を落とした秀吉はここを宍粟攻めの本陣とし、長水城及び篠の丸城攻略の指揮を執ったそうです。

腰郭から少し登れば、いよいよ主郭です。
第一印象はとにかく「広い!」。まるで方形館の様相です。虎口や土塁、そして北側に展開された郭群の遺構も非常に明確です。どんな建物が建っていたのでしょうか…主郭全体の発掘調査はまだのようですので、今後に期待です(もうしないかもですが)。

西側には二の郭があり、こちらは北、西、南の眺望が利きます。北には長水城、南には山崎の町を一望できます。西は山林に隠れて見づらいですが、三段の深い堀切が尾根をしっかり遮断しています。
二の郭から北の斜面を、少し崩れて見づらいですが畝状竪堀がビッシリと掘られています。
この方向にあるのはなんと、味方であるはずの宇野氏の本城である長水城です。
『仮想の敵』は誰なのか??私は織田方でも毛利方でもなく、長水城主である宇野政頼であると考えています。
実は戦国期、宇野政頼の嫡男満景が城主となりましたが、天正二年(1574)に政頼が父子の不和に起因する確執の末に満景を廃嫡の上殺害するという事件がありました。
もしこの大規模な竪堀を満景が掘らせたのだとしたら…なんとなく自然な流れに思える気がするのですが、如何でしょう??

また、城域をぐるりと取り囲む犬走りも見所の一つです。確かに、こういった構造は案外珍しいかもしれません。

とまぁ見所たっぷりの篠の丸城、是非訪れてみてください。城好きならきっと楽しめますよ!

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K-ZZ

定番撮影 (2020/01/19 訪問)

犬山城は、どこからでも、どの季節にでも、最高に映える一番好きなお城です。

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トーダイ

砲台跡と石垣が残っています (2020/01/19 訪問)

幕末の蘭学者高野長英は「夢物語」を書き、幕府に捕らえられたが、火事に紛れて
脱獄する。追われる身となるが、8代宇和島藩主伊達宗城は長英を宇和島に匿った。

その頃、わが国は諸外国から開国を迫られており、幕府は海岸防備を各藩に命じた。
宇和島藩は海岸の要地深浦湾の入り口、天嶬に砲台を築くことになり、伊藤瑞渓と
名を変えた長英に設計を命じた。

長英は工事に取り掛かるが、幕府の手が延びて来たのを知り、嘉永2年(1849)
宇和島を去り、翌年幕吏に追われて自殺した。同3年5月頃、砲台は完成した。
(案内板より抜粋)

久良(天嶬鼻)砲台は、深浦湾南に突き出した天嶬鼻に築かれており、入口付近
<32.934252,132.565480>は広いヘアピンカーブ、約10台駐車出来ますが、
到着したら「まず」5分休憩です。

到着3km手前から漁港特有の狭いクネクネ道路が始まり、最後の1kmは更に
狭くなり、右側は岩を削った垂直の壁、左側はガードレールもない海沿い絶壁、
グッタリと疲れます。

入口の先は分岐点、左へ進むと土塁・石積に囲まれた砲台跡、石碑は「長野長英
砲台跡」、2門据え付けられたとありますが、1門跡しかありません。海側には
手摺りがありますが、木々が邪魔で海が見えず、臨場感はないです。

右へ下りると、砲台の番人や砲術師などが海岸沿いに住んでいた屋敷跡の石垣が
長さ100m以上残っています。こちらが砲台跡に見えます。

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天下布武

今、ときが動き出す (2020/01/19 訪問)

大桑城は美濃守護土岐氏の最後の居城として、標高407.5mの古城山に築かれた山城で山麓には城下町も構成されました。
登山口は二か所整備されており、それぞれ説明板と駐車スペースがあります。
1.椿野広場側登山口(35.553927, 136.769858)-山麓からの登山口となり山頂までは約1時間となります。
2.はじかみ林道登山口(35.561444,136.772922)-はじかみ林道経由で中腹まで上がるため時短コースとなります。

大河の影響により整備が施されたようなので確認の為椿野登山口より城址全域を再確認しようと再訪登城しました。
遺構の案内等や急勾配部にロープが新たに設置されたり、木が伐採され竪堀等の遺構がかなり見易くなっているのが嬉しいです。
今日も2018年時に登った時と比べると多くの人が訪れるようになったようですが、土岐氏×斎藤氏との国盗りがあった地として大河ドラマ関係で触れられたらさらに訪城者が増えるのでしょうね。
下山後、周辺スポットで明智光秀の墓所とされる「桔梗塚(山県市中洞1020)」へ寄ってから、本日放映開始する「麒麟がくる」を楽しみに帰路についた。

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しろちゃん

難攻不落の高城 (2019/01/19 訪問)

難攻不落の高城を是非とも訪れたかった場所である。

この高城は、北から東へ向かって切原川が流れ、南側は、小丸川が流れ、その間の細長い台地上に城が築かれている。
北、東、南側は急峻で腰曲輪が配され、防御体制を取っている。唯一、西側のみ台地が繋がっているが、
幾重も深い堀切で遮断されている。

難攻不落の高城の由来は、都於郡城の伊東氏が島津氏に追われ、大友宗麟に頼り、日向北部の軍勢を率いて南下し、この高城を
攻撃を開始した。
大友宗麟側の陣地は、切原川の北側の台地上に構え、五万の兵で攻撃するも、なかなか攻略出来ず。高城救援に来た島津軍は、小丸川の南側の台地上に構え、対峙します。

島津軍は、高城の東側に少数で大友軍に挑み、負けたフリをして軍を引き、逃げたと思った大友軍が追撃しますが、引いた先には、伏兵によって総攻撃をくらい、大敗北がしました。これが、有名な釣り野伏せです。
但し、この戦いでの大友宗麟本隊や大友義統軍は、延岡に駐屯し、キリシタンの布教の準備をしていた様です。

二次の高城の戦いは、大友宗麟が島津氏に追われ、救援を豊臣秀吉に頼み、大軍をもって、九州征伐に繰り出し、この高城を包囲さますが、島津軍本隊が敗北し、和睦するまで持ち堪えました。

いずれも、山田有信が城主として落城しなかったってことは、堅固な高城だけでなく、山田有信を中心にまとまっていたからだと思います。

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カズサン

天正期小天守台も発掘発見、駿府城天守台4年間の発掘調査報告会 (2020/01/19 訪問)

 本日1月19日駿府城三の丸静岡市民文化会館大ホールで午後1時半より4時まで「4年間の発掘調査の集大成!駿府城跡天守台発掘調査報告会」開催され出席して来ました。
 
 静岡市歴史文化課の方が4年間の発掘調査成果を発表の後、城でお馴染みの日本城郭協会理事の加藤理文氏の講演で発掘された駿府城天守台の現地展示案には関心を持ちました有意義な報告会でした。

 報告会に先立ち今月7日の静岡市よりプレスリリースされた天正期の小天守台が発掘発見されたとニュース報道されて居ましたので発掘現場に寄って天正期小天守台石垣を確認と飛び込みましたが青シートを被り見学できないとの事、「発掘情報館きゃっしる」で天正期の小天守台石垣写真、1月7日プレスリリース展示を見学確認写真保存しました。
 これらの情報は静岡市歴史文化課のホームページに掲載されてます。
 これで中村一氏時代天正期の大天守台、小天守台も発掘発見され連結型天守構造も確認され様子で大御所時代の天守台、天正期の天守台と今後の保存整備が益々複雑に成って来ましたがどちらも大切な歴史遺産知恵を絞って後世に残していきたいものです。

 今回発掘発見された天正期の小天守台の発掘現地説明会は2月22日に開催。

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ぜろきゅう

古宮城とセットで (2020/01/20 訪問)

作手歴史民俗史料館で古宮城と併せて説明していただきました。
縄張り図もいただけます。
お互いの城が見える最前線です。

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ぜろきゅう

ぜひ亀山城とセットで (2020/01/19 訪問)

歴史民俗史料館で古宮城(武田方)と亀山城(徳川方)について教えていただきました。
ほとんど整備されてないので史料館で縄張り図をいただいてからいくらよいかと思います。
武田×徳川の最前線を感じました。

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BUGTI

宇都宮氏が改修した城 (2020/01/18 訪問)

多気山の全山が要塞化された、規模の大きな城となっている。東の峰の上部から主郭にかけて、木が切り払われて眺望が良くなっている。それ以外の峰にもたくさんの曲輪があるようだが、藪となっていた。山頂の主郭にはしっかりとした土塁が残されていました。時間をかけてじっくり探索したい城です。

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