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街道おじさん

本佐倉城登城 (2019/07/26 訪問)

月星紋盾がなかなか見栄えがする。
京成の大佐倉駅で続100名城スタンプを押し、城へ向けてスタート。
本の情報によれば駅から徒歩10分とのことであるが、なかなか分かりづらい。
スマホのグーグルマップが無ければ、辿り着けなかったかもしれない。
行かれる方は事前に場所をしっかりチェックされたほうが良いと感じた。

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カルビン

なぜこの形残しなんだか・・・ (2019/08/16 訪問)

山口大神宮から大内氏館に向かう途中に既に見つけていたのですが、龍福寺資料館のオープン時間を気にして後回しにした築山館。
結果16:30閉館の資料館、16:25に既に閉まっておりorz
こちら先に見ても同じだったか。。。ま、ほぼお隣なので、どちらが先でも差は無かった訳ですが・・・

築山館(現地解説では「館」を省略してました)は、大内氏の歴代当主が引退した後に暮らしていた隠居地だったそうで。

今残っているL字の土塁は防御というより蔀土塁(中が見えない様にする為)だったと思われます。
他に遺構は無く、大内氏館からの距離と、大内氏遺跡の名が示す通り、大内氏館の1部だった事濃厚で御座います。


そもそも四角く囲まれていたんだろうと想像出来るのですが、現存で残っている居館式のお城って土塁が四角に残っているか、L字かはたまた1本のみ残りの所しか無く、コの字残りっていうの見ないですよねw

規模は違えど、栃木県足利の中里城、埼玉県蕨の蕨城と同様、L字に残った土塁が印象に残る築山館でしたw


オマケ:
ここから西南西にある、山口城城主だった毛利敬親像がある亀山公園の山頂も、「城びと」には登録されていないものの、「長山城跡」という城址なんだそうです。
遺構は残っておりませんが、何らかの城跡を示すものは有るそうです。
自分は再びゲリラ豪雨に襲われた関係で行けませんでしたが、徒歩圏内にあるので、同じ敷地にあるザビエル記念聖堂等と一緒に見学されると美味しいでしょう(笑)

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トーダイ

百名城再訪82城目 (2019/04/15 訪問)

天守受付でスタンプをゲット、姫松屋で具雑煮を食し、水堀を一周する。

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トーダイ

続百名城再訪81城目 (2019/04/16 訪問)

慶長19年(1614)五島氏は居城「江川城」を焼失、寛永14年(1637)藩庁を
石田陣屋を移し、幕府に築城願を出し続けたが、藩の財政難もあり実現しなかった。

幕末になり、五島近海に外国船が出没し始めると、嘉永2年(1849)幕府より
「海岸防備を厳重にせよ」と築城が認められ、14年の歳月と工費2万両を使って
文久3年(1863)福江城(海城)は完成、「日本最後の城」とも言われます。

前回(2017年11月)同様、長崎港ターミナル駐車場(駐車券を各離島ターミナルで
認証を受けると24時間上限「離島割引」あり)を利用、ジェットフォイルで
(福江に3時間滞在)日帰り登城する。

福江港ターミナルから徒歩15分で着く五島観光歴史博物館、復習して(五島氏
庭園が休園で)スタンプをゲット、石垣・水堀跡などが美しい。

前回の登城は土曜日、五島高校事務室の許可を戴き、校内を一周しました。

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丹後宮津藩

道が狭い (2019/08/21 訪問)

道狭く不安一杯。案内板のある場所に車を止めて少し歩く。案内板を携帯に保存しておくことをお勧めします。

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中小路半兵衛

狼煙の様な飛行機雲 (2019/08/12 訪問)

あまりの暑さにとろけそうでした。

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勝野武士

郭群がはっきりと残る戦国の城。 (2019/08/11 訪問)

前々から気になっていたお城、ようやく来ることができました。

南北朝時代に築かれ、一向一揆の拠点にもなった、標高約70mほどの錦城山の尾根全体に築かれたお城。
越前一向一揆平定後に柴田勝家が大改修したそうで、以後はその家臣が越後の上杉氏に睨みを効かすべく城主となりました。
秀吉の時代になると小早川秀秋の(元)家臣である山口宗永が城主となるも、関ヶ原の合戦の際には西軍についたが為に東軍の前田利長の猛攻に遭い落城。宗永は直前に降伏を申し出るも受け入れられずに攻め立てられて、遂には自刃したそうです。
その後は前田氏の持ち城となるも一国一城令によって廃城となりました。
建物は取り壊されたものの、あえて破城は行わず『お止め山』として入山を厳しく禁じました。
そしてその麓には陣屋が築かれ、加賀前田家の分家が大聖寺藩を立藩。その後は最大石高十万石を誇る(当時、城を持っていない大名の中では全国最大の石高だったそうです。しかしその財政は火の車だったそうですが…。)加賀前田藩の支藩として明治を迎えました。

さて、到着時間がすでに夕方近かったので、先に陣屋跡である江沼神社へ。
ここの見所は船着場と、小堀遠州の設計と伝わる池泉回遊式庭園(少し荒れていますが、見事な庭園です。見頃は秋がオススメ!)、そして当時藩主の休息所であった長流亭でしょう。
長流亭の拝観は原則電話予約制ですが、社務所に申し出れば拝観可能です。(午前9時~午後4時、拝観料400円、内部撮影不可)早速社務所に申し出て内部を見せていただきました。
大聖寺川に面して建てられた数寄屋造りの瀟洒な建物、(ただでさえ長い文章がさらに超長くなるので)内部など詳細は割愛しますが、厳選された木材を贅沢に使い当時の職人の技術の粋を凝らした華やかな空間が内部に広がっておりました。そして宮司さんからいろいろ面白い話を教えていただきました。昔の大聖寺川は川幅も広く流れもあってもっと澄んでいた、水害の際に床上浸水に遭い解体修理の際に土台の石垣を嵩上げした、有事の際は櫓の役割も果たす、etc.…。ここは必見!

そして、いよいよ錦城山へ。
登城口から入ってすぐ左手にはなんと『贋金造りの洞窟』なるものがあります。明治元年(1868)新政府より越後戦争に使う弾薬の供出を命じられた大聖寺藩でしたが財政難でお金がない。そこで、なんとこの洞穴の中で贋金を製造したというのです。しかもそれが公に流通したというのですから大事です。そしてそれは後々になって露見、製造責任者であった藩士市橋波江は全ての責任を一身に背負い切腹させられました。エグい。
しかしその子には倍の禄を与えて功に報いたといいます。しかしその4年後には廃藩置県。それ、本当に報われたのでしょうか…。

そんな複雑な心境になりながら周辺に目を遣りますと、そこには段々畑のように連なる郭の跡が一面に!
虎口の跡もはっきりと残っています。
しかし季節柄、下草のトラップと藪蚊の猛攻が凄い…。
やはり一際広いのは本丸跡。見所はやはり巨大な櫓台でしょうか。この上にはどうやら丸岡城天守よりも一回り大きい、付櫓を伴った大きな櫓が建っていたようです。
その櫓台のすぐ下には、ここで無念の自刃を遂げた山口宗永の供養碑がありますので、手を合わせておきましょう。
しかし日がかなり傾いてきたので、眺望がよいらしい東丸跡は諦め(白山連山が眺められるそうですよ!)、本丸北東虎口跡→馬洗い池→対面所跡へと下山しました。
しかしこのルートは正直オススメできません。如何せん草藪が凄過ぎ…。
ちなみに対面所跡ですが、本丸跡と同等かそれ以上の広さです。調査の結果、ここには城主の普段住まいの居館があったと推定されています。

今回はかなり急ぎ足での訪城でしたが、石垣こそ見あたらなかったものの戦国時代の面影を充分に感じられる素晴らしいお城でした。
次行くとしたら、秋~冬か春先でしょうかね…もっと隅々まで見たかったし、その頃には白山もキレイでしょうし。

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todo94

国史跡 (2019/08/13 訪問)

国史跡の南部藩の陣屋です。数年来、行きたいと思い続けていた場所ですが、函館でレンタカーを借りるときには大抵松前にまで脚を伸ばしてしまうので、ここはタイムアップとなってばかりでした。今回は此処を一番に訪れました。土塁がきっちりと残っていてさすが国史跡と云った佇まいです。真夏の攻城でしたが、きっちり、草刈りがされているところもナイスでした。河村水産他の出入り口として使われているようでそっちの看板の方が目立っているのはご愛敬と云ったところでしょうか。この日は快晴で、函館からの往復、駒ケ岳もよく見えていました。せっかくなので、大沼越しの駒ケ岳の雄姿も撮影しておきました。

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くろもり

会越の虎口 (2019/08/13 訪問)

津川駅から徒歩で訪問しました。津川城のある麒麟山の駐車場下まで、途中、新・旧津川港跡等も見学しながら50分程かかりました。駐車場までで写真は60枚程撮影していたので、寄り道せず写真もあまり撮らなければ30~40分程でしょうか。駐車場は無料で、100台近く止められます。トイレと自販機が駐車場にあり、山に入るとないのでここで最後の準備をしましょう(北国仕様でトイレは冬期は閉まるようです)。

駐車場から麒麟山中腹の本丸跡までは、スニーカーで大丈夫なハイキングコースとなっており、門跡や侍屋敷跡や土塁跡や堀跡等の印や城址の説明板等があり、とても親切に感じました。おそらく城歩きの人間は私だけだったと思いますが、登山の方と計10人くらいお会いしたので、夏の山城でよくある蜘蛛の巣等に悩まされることもありませんでした。

本丸跡の先に進むと、麒麟山の山頂へ行けますが、正直、登山好き以外の方にはおすすめしません。本丸跡近くで、地元の方に「若いから20分で山頂に行けるよ。」と軽く言われたので行ってみましたが、「これから先の登山道は大変危険」の注意書きがあり、ほぼ垂直の崖のすぐ横の岩の道を登りました。「ここで震度6~7の地震が来たら落ちて死ぬな」とヒヤヒヤでした。過去には落下による死亡事故も起きているようです。津川城の別名「狐戻城」(あまりの険しさに狐も登る事を諦め戻ってしまう程の意)とも呼ばれる程の険しい山というのは本当でした。ただ、山頂からの景色は絶景です。会津蘆名氏の一族で摺上原の戦いで戦死した津川城主・金上盛備公もこの景色を眺めていたかと思うと感慨深かったです。

城下にある「狐の嫁入り屋敷」は津川代官所跡で、中には会津蒲生家の家臣で津川城2万石を領した岡重政公や、同城主・蒲生忠知公の説明等があり、「狐の嫁入り屋敷」の裏の阿賀野川沿いには、江戸時代に越後から会津に海産物等を運ぶ中継地点であった津川河港の跡等がありました。津川の街自体は城好き関係なく、家族で楽しめる所だと思います。「狐の嫁入り屋敷」の「狐の嫁入り行列」の像がとてもかわいいです。

ちょっと怖いことも書きましたが、津川、本当にいい所でした。学生時代からいつかは行きたいと思っていた所でしたが、ついに訪れることができて感無量です。津川城のある麒麟山は『狐の嫁入り』の行列が見えたと伝えられ、城下では、毎年5月3日に本物の花嫁と花婿を公募して、祭事として「狐の嫁入り行列」が行われているそうで、当日は警察官さえも顔に狐のペイントをしているそうです。

津川駅から会津若松駅への帰りの電車が12時33分の次が17時19分だったので、電車での訪問を考えている方は時刻表を確認しておくことをおすすめします。私は会津若松駅6時45分発→津川駅8時31分着。津川城登城→麒麟山山頂→狐の嫁入り屋敷→文化堂さんでお土産購入と見て回って津川駅に12時25分くらいに着いたので丁度良かったです。

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街道おじさん

津城登城 (2019/06/28 訪問)

築城の名手でかつ徳川家康の信頼厚い藤堂高虎が関ケ原の戦いの後、この地に入封し、津城を大改修した。
高虎の騎馬像が立っている。
内堀・石垣や多門櫓等見どころも多い。

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街道おじさん

松阪城登城 (2019/06/28 訪問)

築城の名人蒲生氏郷が築いた城。氏郷は主君信長を見習い松阪城下に
岐阜や安土の様な楽市楽座を導入し、商工業の育成に努めたそうである。
石垣が美しい。また城のすぐそばに御城番屋敷が残っている。

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さんぽ

よみうりランド遊園地の近くに (2019/04/29 訪問)

小田急線 読売ランド前駅から多摩自然遊歩道が整備されていて道標もあり、少し迷いましたが辿り着きました。自然の山を生かした急な坂や階段があります。遺構は空堀、土塁、井戸、物見台。井戸は見逃しました。
城郭構造:山城、築城主:稲毛三郎重成といわれてます。

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BUGTI

畠山政長の最後の城 (2019/08/18 訪問)

応仁の乱を引き起こした一人、畠山政長の城であり、最後の地でもあります。城址碑は旭神社にありますが、近くの東之坊は正覚寺の五坊の名残り、さらに東の住宅地の中に畠山政長の墓があります。

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BUGTI

平野郷の陣屋跡 (2019/08/18 訪問)

もともとは二重の堀土塁で守られた平野郷環濠があったところ。江戸後期に古河藩領となりました。陣屋門が残る大念佛寺は、年一回八月第四日曜日だけ開館する幽霊博物館が有名。所蔵している幽霊の掛け軸を見られるという、夏らしいお寺?です。

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カルビン

高嶺城未遂なのが悔やまれる (2019/08/16 訪問)

山口大神宮から豪雨の中傘差して歩く事20分くらいで大内氏館のある龍福寺へ。
山口大神宮で既に時刻は16:00を回っており、龍福寺にある資料館に間に合うか微妙なところでした。

途中で雨足は弱くなり、降ったり止んだりになったので、見学するには苦にならない状態になってくれたものの、16:25頃に到着した龍福寺の資料館、ちょっと早めに閉まっておりましたorz

全てが中途半端になってしまった今回の遠征1日目、大内氏館としての庭園と周囲の土塁の地形は確認したものの、肝心の復元門を見忘れてしまうという痛恨のミス(涙)
かなり疲れていた事もあったと思いますが、そもそも今回の遠征、1日目は完全に集中力に欠けていました。。。
それにしても続100名城としては見所が少なすぎで・・・やはり見学未遂に終わった高嶺城も合わせての続100名城なんですね。。。

この後すぐ近くにあるハズの大路ロビーに大内氏館のパンフレットがあるとの事で探したんですが、見つけられず・・・
そもそも大路ロビーまでの地図持っていたのに・・・それすら忘れてしまっていたという。。。(大内氏館から南西にすぐのところにあったハズ)
こちらは閉館まで時間に余裕あったのに、探すの諦めるのも早かったのは・・・やはり本調子では無かったからか。。。


山口駅周辺は史跡や神社仏閣が多く、隣の駅は温泉地(湯田温泉)ですし、更に駅周辺散策するのにレンタサイクルもある事から、1日使ってじっくり散策して、その疲れを温泉でリフレッシュされるのがベストな行軍になると思います。

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トーダイ

主役は東郷平八郎です (2017/03/12 訪問)

多賀山公園駐車場を利用、主役は東郷平八郎、
東福寺城はオマケ、桜島がキレイに見えます。

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ぴーかる

布勢天神山城 (2019/08/10 訪問)

【布勢天神山城】
<駐車場他>城跡の道路挟んで斜め前に湖山池公園お花畑ゾーンの無料Pあり。
<交通手段>車

<見所>曲輪

<感想>日帰り米子御城印取得と鳥取県の城攻めの旅5城目。この旅最後の城は湖山池東側にある布勢天神山城。15世紀中頃以降に山名氏による築城だが、鳥取城が出来て武田氏・山名氏・尼子氏による鳥取城争奪戦いによって16世紀中頃以降は廃城になっている。
 城跡は鳥取緑風高校内にあり、県道264号線から城跡に入る道が整備されているので許可なく入れて、城跡は北側から登っていきます。
 城郭は平山城で、南北に大きく3つある連郭式、最北の曲輪は登山途中の小さい2段式の曲輪、真中の曲輪はすごく大きく、井戸・土塁・櫓台跡らしきものがあり、南側に小さい上段がある。最南は東屋がある曲輪で中くらいの大きさ。ここも櫓台のような土塁のようなものがあり、真中の大きい曲輪との薄い堀切となっていた。山の斜面は全く整備されていなかったので、小さい曲輪や竪掘等の遺構は分からなかった。
 今回の旅は予定の1城を残してほぼ計画通り目標を達成した。充実した城跡巡りだった。走行距離608㎞無事完走。

<満足度>◆◆◇

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チェブ

2020年3月31日まで待ちましょう! (2019/07/13 訪問)

神奈川県伊勢原市「糟屋館」に行って来ました。
扇谷上杉氏の本拠地です。
こちら「糟屋館」では扇谷上杉 定正さんが家臣の太田 道灌さんの優秀さを恐れて(妬み?)暗殺しました。
しかも、お風呂上がりに。
道灌さん「当方滅亡!!」と叫び絶命しました。
その後の両上杉氏は、はっきりしない争いが続いたり和睦したり、また争ったりと30年続きます。
ん~、道灌さんが生きていたら怒られそうです。

この辺りまでグーグルに案内してもらいましたが舗装されていない道や、クランク、一苦労でした。
広いアスファルト道路に出ました。
まだ途中までしか開通していないようです。
その先に工事現場?
いや、グーグルのゴール地点です。「発掘調査しています」とあります。
「糟屋館」です!
ブルーシートの下が気になりますが、お楽しみに、、、です。
向こう側に産業能率大学が見えました。こちらの学生さんが調査しているのかと調べてみたら、情報マネジメント学部なので、違いますね。
発掘調査は嬉しいけど新しい道路工事は「糟屋館」を狭めていないか心配です。

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よーすけ

日本のマチュピチュへ (2019/08/20 訪問)

天気予報は雷雨となっていたが、ぎりぎり持ちそうな空。
これは登るしかない、と腹を決めて竹田城へ。
天空バスの存在を知らず麓から徒歩でちょっとした登山。
絞れるほど大量の汗をかいた先には、素晴らしい石垣が待っていた。
登ると感じる浮遊感。まさに空中の遺跡と言っていい。

次は雲海に浮かぶ竹田城を見に来れるだろうか。
入場口で受付の方にかけられた「今度は秋にも来てくださいね」との言葉が胸に残る。
絶対にもう一度来よう。

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トーダイ

城跡はクレセントバレーCC内にあります (2017/05/21 訪問)

堂洞城は蜂屋の城主の岸佐渡守信周のたてこもった砦である。天下平定をめざして
尾張から美濃に攻め込んだ織田信長は、永禄8年(1565)8月この砦を落城させた。

初め信長は勘解由の武勇を惜しんで投降を勧告したが、主君である斎藤氏との義を
重んじた勘解由は、之を拒んだため戦いとなった。

信長は8月26日、高畑山に本陣を構え、さきに信長に内通した加治田城主の佐藤
紀伊守と共に、夕田と蜂屋の両面より堂洞城の攻撃を開始した。

勘解由は、城兵と共に信長の攻撃を迎え撃ち、8時間近く抗戦したが、長男信房は
討死し、敵兵が城内に乱入したので、城に火を放って妻と共に自害した。(案内板より)

城址碑『堂洞城』が立つ中蜂屋交差点<35.472159,137.000118>から北へ1kmで
伊豆神社、行き止まりですが、右奥から(ゴルフ場敷地内の)林道を約500m
進むと登城口<35.482629,137.001928>前スペース(数台駐車可)に着きます。

登城口からゴルフ場内に整備された登城路を約10分進むと、殆ど読めない案内板と
城址碑がある本丸跡に着きますが、ゴルフ場開発で大半の遺構は消失しており、
一部の土塁や堀跡が認められるだけです。一方、城跡は良く保存・維持されており、
ゴルフ場に感謝です。

過去2回プレーしたことがあるゴルフ場、城跡があるとは考えたこともなかった。

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