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サムライアスリート(徳川美術館) (2026/08/29 訪問)

 徳川美術館(名古屋市東区)で開催されている夏季特別展「武芸 サムライアスリート」へ行って来ました。
弓術、馬術、剣術、鎗術、炮術、鷹狩など、武士にとって武芸は戦うための技術であるだけではありません。日々鍛錬を積み、心身を磨き、技を競い合う姿はアスリートそのもの、というコンセプトの展示です。尾張徳川家で実際に用いられた武具や武芸各種の伝書などを中心に展示されていました。槍の半蔵といわれた渡辺守綱の大身鎗、加藤清正の片鎌鎗(模作)、金土俵空穂などなど興味深く見て回りました。鷹狩図屏風、関ケ原合戦絵巻、長篠合戦屏風(複製)なども展示してありました。スマホやコンデジなら撮影OKでしたので一部写真を撮ってきましたが、撮影者の腕が悪いことに加えてガラスケースに入っていてうまく撮れませんでした。

 POYO58さん、名工大入学おめでとうございます。しばらく投稿を見ないと思っていたら受験だったのですね。

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ぴーかる

上ノ郷城 (2026/06/14 訪問)

【上ノ郷城】
<駐車場他>赤日子神社駐車場4台程度
<交通手段>車

<見所>曲輪・虎口石垣・石列
<感想>1泊2日東海ちょこ城道中ラスト16城目。上ノ郷城の築城年代は諸説あり詳細は不明。戦国時代には鵜殿氏の居城で鵜殿氏は今川氏に属していました。桶狭間の合戦後に城主の鵜殿長照は今川義元の妹の子であったために今川方に留まり、松平元康によって攻められて落城します。
 赤日子神社から案内があるので難なく行けます。城は丘城で頂上の主郭は広く土居はありません。大手虎口に石垣が残っています。また東側の虎口跡には礎石のような石列も残っています。大きな堀切や空堀は無く、曲輪を広く、通路を狭く取った城だったのではないかと思いました。
 これにてこの旅終了。目的のメインである三保の松原は曇天、深溝松平家の墓所があるあじさい寺は満車で行けずで少し不満足でしたが、豊橋のカレーうどんは美味しかった。今川家の所領は国衆の集まりが多く巡った城のそれぞれがその地の豪族が多かった。義元が討死した後は国衆の連合が一気に瓦解して武田氏や松平氏に攻撃・吸収されていった事が分かった。静岡と愛知の山城がまだ残っているので冬場に行って歴史を学びたい。走行距離837㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇
<追記>これより現在までお城跡には行っておりません。夏休みです。9月から始動しますので投稿は暫く休んで皆様の投稿を拝読します。

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影武者

二本松城 (2026/08/12 訪問)

二本松城攻め

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影武者

米沢城 (2026/08/12 訪問)

米沢城攻め

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影武者

上山城 (2026/08/11 訪問)

上山城攻め

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影武者

長谷堂城 (2026/08/11 訪問)

長谷堂城攻め

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影武者

山形城 (2026/08/10 訪問)

山形城攻め

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影武者

足利氏館 (2026/08/09 訪問)

足利氏館攻め

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影武者

唐沢山城 (2026/08/09 訪問)

唐沢山城攻め

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影武者

榎下城 (2026/07/25 訪問)

榎下城攻め

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影武者

茅ヶ崎城 (2026/05/24 訪問)

茅ヶ崎城攻め

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影武者

小机城 (2026/05/24 訪問)

小机城攻め

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影武者

寺尾城 (2026/05/24 訪問)

寺尾城攻め

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影武者

掛川城 (2026/05/02 訪問)

掛川城攻め

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POYO58

三の丸、二の丸、本丸 (2026/03/24 訪問)

三の丸へ向かうと先に御下門跡が見えてきます。桝形にはなってないようですが、左側にはかなり高い高石垣が見えます。これが唯一三の丸へと続いている門なのでここからしか攻められません。
そのあといくつか石段を登っていくと三の丸に到着します。ここでは籠城時に塩を保存していたと考えられています。三の丸にも石垣が点在しています。三の丸と二の丸には二つのルートがあり、西側に二の丸へ続く石段が現存しています。東側には二つを結ぶ中御門があったとされ、大きな桝形虎口となっています。おそらくこれが場内最大の堅固な門となっています。
中御門を突破すると二の丸にたどり着きます。二の丸には大きな御殿があったとされています。
その後石段を登っていくと本丸にたどり着きます。本丸はなかなか標高の高いところにつくられています。本丸には天守閣ではなく護摩堂がたてられていたと予想されており、今は礎石が残っています。
では次は西外曲輪へ向かいます。続く

にのまるさん、あさん、歓迎の言葉ありがとうございます。最近投稿さぼり気味でしたが、これからもお城の情報を皆さんと共有していきたいと思っています!

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県下最大級の城域を誇る山城ですと。よく整備されていました。 (2026/08/13 訪問)

 城びと先人の投稿を見て、行きたい城にノミネート。暑い盛りですが、比高が100mほどであり、登城道や城域が整備されていそうなので、訪問してきました。先人に倣って、山中城址駐車場を使い、東の舞木口から登城。登城口には、山中城ののぼりが立っています。尾根に登り切ってすぐに大規模な深い堀切があります。東の郭前に馬出もあって、山城ながら重厚な作りです。郭、堀もたくさんあり、家康重臣の酒井家所領の重量感があります。
 山中城は北に東海道を見下ろす位置にあり、また、このあたりの東海道は、豊川と岡崎とを隔てる山々の間の比較的細い谷を通っており、重要拠点なのがわかります。説明板に「(織田信秀軍と今川義元軍が激突した)小豆坂合戦の時には今川氏の重要拠点となり」と書かれています。近くに名鉄の車両検査場もありました。これも重要拠点か。
 Ⅰ郭に扁平な石が塔状に積まれていました。登城口のイラストにも描かれてたので、そこそこ以前に積まれたものかと。現地に説明板なく、由来はわかりません。登城道にも扁平に割れそうな岩の露頭がありましたので、現地調達でしょう。地質図で見ると、泥質片岩のようです。

 POYO58さん:大学合格と城びと復帰、おめでとうございます。
 イオさん:お約束いただいていた、湯浅城の次回の公開日の情報をありがとうございます。スケジュール表に書きこみました。

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じゅんじん

遠州の雄 (2026/05/06 訪問)

ここを取れば遠江をとれるらしい。徳川武田戦いの地ですね。

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小城小次郎

堀に水が引き込めたとか (2025/10/26 訪問)

有事の際には堀に水も入れられたとの伝承を有するが台地上のこのお城にどうやって水をもってきたのだろう。「岩原」を開発した領主が見栄を張ったのかもと思うとちょっと微笑ましい。領主に関係しそうな石塔が主郭上に並ぶ。

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にのまる

説明板と城址碑 (2026/08/09 訪問)

千船駅から少し歩きましたが大和田小学校前に説明板があり、柵の隙間からでしたが城址碑も撮れました。
かるた大会出陣からの城めぐり。この日はここで終わりにすることにしました。


POYO58さん、お久しぶりです。
受験お疲れさまでした。
そして城びと復帰、おめでとうございます🎊
充実の大学生生活を送られますように❗️

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POYO58

約10年ぶりの攻城 (2026/03/24 訪問)

熊本城に行った二日後に人吉城に行きました。
人吉城は、1198年(建久9)地頭として相良長頼が入り、それ以降明治まで35代670年間相良氏がこの地を支配した。城として整備されたのは11代相良長続の時代1448年(文安5)ではないかとされる。その後18代頼房から20代長毎にかけて石垣普請を含めた大改修が行われ、御館と呼ばれる当主の居宅も設けられ、本丸・二の丸・堀・矢倉門が完成。また、日本三大急流の一つといわれる球磨川と、その支流の胸川を天然の堀とし、多くの船着き場を設け水運をうまく活用した。
この説明通り、人吉城を見たとき、貿易のしやすい場所に立っているなと実感しました。
北西の長い石垣ははねだし石垣となっており、このはねだし石垣はおそらく、この人吉城と五稜郭、品川台場でしか見れません。なかなか貴重です。
はねだし石垣を過ぎると水の手門が見えてきます。復元長塀もみることができ、当時の様子が想像されます。水の手門は球磨川に直接続いており、船着き場だったと予想されます。さらに、水の手門を過ぎると、米御蔵跡も見られ、米の貿易もされていたと想像されます。
では次は本丸へと向かっていきます。続く

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