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三浦の晃ちゃん

穏やか公園 (2026/05/08 訪問)

関ヶ原の戦いがあった時期に大きな戦いが、あったそうです。現在は、公園になっています。

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小城小次郎

廃れた空気がものさびしい (2025/06/01 訪問)

この地に長く勢力を保った土持氏の初期のお城で少なくとも14世紀までは遡れるらしい。神社と公園になっているが鳥居が外されて横たわっていたりして、藪々なお城よりもむしろ廃れた感が強く滲みでているようで、ものさびしい。

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とってぃ

鶉古城まつり (2026/05/05 訪問)

祭りと聞いて家族で寄ってみました。

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人見六郎 (2026/05/06 訪問)

 深谷市コミュニティバス「くるリン」南部シャトル便に乗り人見第3バス停下車。徒歩約10分で説明板のある場所に行くことができます。空堀、土塁が残っています。西側の2重の堀は竹藪になっていましたが、確認できます。畑で作業されている方もいたので写真は控えました。人見台バス停のとなりの藤沢小学校入口バス停の前に一乗寺があり人見氏累代の墓があります。

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上杉憲英 (2026/05/06 訪問)

 関東管領・山内上杉憲顕の六男である上杉憲英により築かれた城です。深谷駅より徒歩にて登城しました。国済寺裏の土塁、物見櫓跡、大手門跡を散策しました。

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深谷城址公園 (2026/05/06 訪問)

 上杉房憲によって、康正2年 (1456年)に築かれたとされる城です。深谷城址公園として整備され石垣や塀などが模擬復元され雰囲気を醸しています。当時の遺構は近くにある富士浅間神社脇にある堀跡だけかと思っていましたが、グーグルマップを見ると公園西側に深谷城跡土塁(高台院)とあります。というわけで高台院にも行って来ました。高台院裏にある永明稲荷神社の西側に土塁がありました。内側は石垣が見られますが、当時のものではないと思います。

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安部信勝 (2026/05/06 訪問)

 岡部藩は、天正18年(1590)徳川家康の関東入国に際して、家臣の安部信勝 が武蔵国 榛沢 郡岡部などに5,250 石を拝領したことに始まります。高島秋帆が一時幽閉されたこともある場所でもあり「高島秋帆幽囚の地」の石碑が建てられています。

 JR岡部駅より徒歩約20分くらいです。

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本庄宮内少輔実忠 (2026/05/05 訪問)

 本庄宮内少輔実忠によって築城されたと伝わる城址です。城山稲荷神社付近にあったとされ城址碑と説明板があります。

 JR本庄駅から徒歩15分くらいで行くことができます。

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堀を散策 (2026/05/05 訪問)

 各所にある空堀はすばらしく別に投稿します。一部ですが、堀底へ降りて行く道があり散策しました。また諏訪神社のある諏訪曲輪周囲にもいい空堀がありますが、藪になっていました。空堀を見て回るだけでも楽しい時間が過ごせます。

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北条氏邦 (2026/05/05 訪問)

 久しぶりの鉢形城です。
荒川と深沢川に挟まれた断崖の上に築かれていて、天然の要害をなしています。この地は上州や信州方面を望む交通の要衝でした。鉢形城公園として整備されています。曲輪、堀、土塁、復元された石積みや四脚門など楽しく散策できます。道路が城の真ん中を貫いているのはいかがなものかと思いますが、それでも見ごたえのある城址です。
 前回来たのが約14年前。新鮮な気持ちで散策できました。

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無量寿寺 (2026/05/05 訪問)

 野本基員を初代とする野本氏の居館跡です。無量寿寺周辺が跡地で山門近くに説明板があり、裏手に土塁の一部が残されています。

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青蓮寺 (2026/05/05 訪問)

 青蓮寺周辺が跡地と伝わります。日本城郭大系には土塁、空堀が現存するとの記載がありますが、今もあるのでしょうか。少し歩いただけではわかりませんでした。境内にある弘安四年銘板石塔婆の説明板に小代氏の記事がありました。

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高済寺 (2026/05/05 訪問)

 南北朝時代に高坂氏により建てられたと伝わります。現存する土塁などは戦国時代に整備されたものと推定されています。高済寺周辺が跡地で土塁と空堀を見ることができます。

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用土新左衛門 (2026/05/05 訪問)

 鉢形城の支城として北条氏邦の家臣、用土新左衛門が築城したと伝わります。強石橋方面から歩いて行くと案内表示があり、用土新左衛門業国石宮を過ぎて登って行きます。登城路は整備され比較的歩きやすかった。曲輪跡、堀切などが残り楽しく散策できます。新緑のこの時期に山城はどうかなと思いましたが、あまり支障なく見学できました。説明板には「十九条の空堀が残っており、、」とありましたが、全部を見ることができたわけではありません。説明板の縄張り図を見ると東南には腰曲輪(東の郭Ⅰ、Ⅱ)が展開し、横堀や竪堀が存在しますが、ロープなどが張ってあり散策を断念しました。遠くから見ると伐採された木や竹が積まれていてわかりにくい状況でした。

 親鼻駅から徒歩にて強石橋を経由して登城しました。

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森林公園 (2026/05/04 訪問)

 忍城主成田氏の被官、小高大和守および贄田摂津守の居城と伝わっています。国営武蔵丘陵森林公園内にあり、土塁、空堀等が遺っています。

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羽尾七騎 (2026/05/04 訪問)

 「松山城主上田氏の家人山崎若狭守居城であったとされています。また、山崎若狭守を始めとした羽尾七騎と呼ばれる地侍の集団が詰めていたとも言われ、七騎は羽尾の地を開発した人々とも言われています。」と説明板に記載されていました。羽尾七騎とは初めて知った言葉で、どういう集団であったのか興味があります。説明板とその近くを少し散策しました。

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いい空堀あります (2026/05/04 訪問)

 東松山台地の南縁に位置し、本郭を取り囲むように二の郭・三の郭が設けられている縄張りです。土塁や主郭、二の郭周囲の空堀などが遺っています。空堀は予想以上に迫力があり楽しんで散策することができました。

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源義賢 (2026/05/04 訪問)

 仁平3年(1153)に源為義の次男で木曽義仲の父である源義賢が秩父重隆の娘をめとり住んだ館跡とされます。大蔵神社周辺が跡地で土塁などが遺されています。
 自分が行った日は義高ウォーク2026というイベントが開催されていて多くの人が見えていたので足早に見学して退散しました。

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上田氏の城? (2026/05/04 訪問)

 仙元山から南方尾根続きの丘陵に築かれた城です。城の東側を水運の大動脈槻川が流れ、西側は南北方向に伸びる谷になっています。北端最高所に主郭を置き、南尾根に二の郭、南東尾根に三の郭を配す縄張りで曲輪跡、堀切、竪堀などを観ることができます。堀切は緑泥石片岩の岩盤を掘削したもので興味深い遺構でした。

 西側の八高線が走っている近くの仙元山登山口から登城しました。標識には「青山城址・仙元山分岐 35分」の表示がありましたが、自分もそのくらいの時間で到達しています。分岐からは城域まで5分くらいでした。登りはじめは少し歩きにくく急なところもありましたが、その後はハイキングコースとして整備されていてストレスが少なく登城できました。

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庭が素敵 (2026/02/22 訪問)

梅祭りを見ながら 立ち寄りました
千波湖より 弘道館の方が 人もまばらで梅も多く素敵だなと思う

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