二見城は中世二見氏館を前身にて、松倉重政は改易された筒井氏重臣の出身、関ケ原合戦戦功で1万石の大名に取り立てられた松倉重政が二見城を改修し五條藩を立藩。吉野川蛇行した河岸段丘東端に本丸(東西40間、南北30間)、二の丸を南北に連郭式、周囲に吉野川から水を引き水堀を廻らし、南に馬場、西に外郭を設けた。(二の丸北に在る、史跡二見城址の説明文による)
現状は本丸に浄土山妙佳寺が鎮座、南二の丸に製材会社が営業、西側の水堀跡は本丸北から二の丸南まで埋めててられて製材部材、駐車場に成っている。
約8年在城し、大阪夏の陣大和郡山城戦で更なる軍功を立て元和2年(1616年)肥前日野江城へ4万3千石で国替え、着任後島原城を築城し二見城は廃城となった。
島原築城は4万石にしては過ぎたる城塞、立派な石垣造り白亜の天守、建物群、苛酷統治が後の島原の乱を誘発された。松倉重政は寛永7年(1630年)に暗殺されて、後を継いだ勝家は寛永15年の島原の乱の責任で徐封改易、津山藩お預けで斬首と成っている。
先に訪ねた今井城から南西に約2km、本丸跡の浄土山妙佳寺の前に路駐し、周辺を探訪撮影、案内板が唯一の救い、言われて見ると内堀跡かなと思われる高低差、吉野川の河岸段丘の崖?土手の法面が東の護りか?
松倉重政が作った城下町が五條新町通り重要伝統的建物群保存地区として残り現在の繁栄を築いており、住民には現在も感謝されて顕彰碑も出来ている。
続く「五條新町通り重要伝統的建物群保存地区」の投稿をします。
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