トクの平和について考える旅(2/3)です。
鹿児島市内の鴨池港から垂水フェリーで大隅半島へ渡り、垂水港から志布志行のバスに乗る事40分、途中の鹿屋で下車しました。「鹿屋城」は、鹿屋バスターミナルから徒歩で10分の所にあり、現在は城山公園として整備されています。古くは肝付一族の鹿屋氏などが治めていたようです。その後は、島津家の筆頭家老で、豊臣秀吉の九州平定後に都之城に移って、島津本家の転覆を計ろうとした、あの伊集院忠棟が、移る前の15年間ここを居城としていたそうで、その時の城跡が現在残っているそうです。しかし、本郭は人工的に削られ公園になっていたのが少し残念でしたが、薩摩独特のシラスを垂直に高さ20m以上も削った切堀は残っており、これには見応えがありました。
伊集院忠棟と言えば、根白坂の戦いで敗れた時、当主島津義久に降伏を進言し、豊臣秀吉との仲介役を担っていた人物です。その時に秀吉から一目置かれ、秀吉から都之城を与えられて移りますが、それにより他の家臣から嫌われ、最後は島津本家の転覆を計ろうとしたため、島津義弘の子忠恒から殺されてしまいます。つまり忠棟は、秀吉の九州平定の時は、ここ鹿屋城の城主であったと言う事ですね。
話は変わりますが、皆さんは太平洋戦争中に「特攻機が一番多く飛び立った場所」はどこだったのか、御存知でしょうか? まず思い浮かべるのは、有名な「知覧」ではないかと思います。しかし実は最も多く飛び立ったのは、ここ「鹿屋」です。
零戦を主体とした海軍航空隊「鹿屋基地」と隣接する「串良基地」からは、合わせて1,271名の方々が沖縄へ向けて飛び立ち戦死されました。ちなみに隼を主体とする陸軍航空隊「知覧基地」から飛び立ち戦死された方は439名だそうです。
現在の鹿屋飛行場は、航空自衛隊の鹿屋基地となっています。しかし、その施設内にある航空基地資料館だけは、いつでも見学する事ができます(9:00~16:30無料)。館内は海底から引き上げられ復元された零戦をはじめ、特攻で亡くなられた方々の遺品や遺書、そして亡くなられた方全員の遺影が飾られています。遺書を読んでいると、彼らは何を考え、どんな思いで飛び立ったのかが伝わってきます。是非皆さんにも、一度は訪れて頂きたい場所だと思います。
帰りに、おみやげに「南国しろくまプリン」を買いました。家に帰って冷やして食べたら、とても美味しかったです。
(3/3)に続きます。
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