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ニコ・ロビン

100名城の54( ・᷄ㅂ)大坂城🏯 (2024/12/30 訪問)

天下の名城🏯大坂城!
大阪に住んでた時はよく花見してたなぁ🌸

見事な石垣で、こんなの落とせるのか?と思うほどの深く広い堀
コレでも( ・᷄ㅂ・᷅)徳川の堀なんだよねー
井戸から豊臣の堀が見つかったらしい
まぁ天守も徳川天守の天守台の上に豊臣天守をイメージして建てた合鴨みたいなコンクリートの3代目天守だから、まぁまぁまぁ…
敷地内のスタバもリージョナルランドマークストアで素敵だね✨
大坂城内は,物凄い中国人でただの人混み博物館!こんなん見ても分かるんかいな( ・᷄ㅂ・᷅)
大阪に来たら、あべのハルカスに行っての上から大坂城🏯!今ではすぐ見つけられるほど通った!
鶴橋でフグ🐡食べたり、東三国の名店大養軒の中華弁当🍱
ウルフルズ結成の喫茶店でチャイを飲む☕️
ええなぁ大阪( ・᷄ㅂ・᷅)懐かしい

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「北海道の名城巡り」2城目は皆さんご存じのココ! (2026/09/17 訪問)

近世の城郭や中世の山城とは趣を異にする「日本初の星形西洋式城郭」と言えば、皆さんお分かりですよね♪
1952年に北海道で初めて国の特別史跡に指定された「五稜郭」です。
地元なので今まで何度も行ってますが、城に魅了されてから訪れたのは今回が初めてで、たくさんの気付きや感動がありました。
小学校の運動会も五稜郭の本丸でした(当時は函館奉行所などなく、ただの広場でした)
この日も健脚の娘と一緒に楽しく歩き回りました。

この日の見学ルートは、まず五稜郭タワーに昇り、展望台から星形の全貌をじっくりと望みました。
タワーを後にするも、すぐに綾内には入らず、五稜郭の堀の外側の周遊散策路を綾堡の角や石垣、土塁などに注目しながらゆっくりと一周しました(約1.8km/徒歩40分)
その後は、「一の橋」を渡り「半月堡」を観察し、いよいよ「二の橋」を渡り稜内に入ります。
橋を渡り入城するとすぐ(敵の視線を遮るための)見隠塁に突き当ります。
そこを右に進み本塁(星形にぐるりと囲む土塁)に登り、塁上を進んだり堀側の低い土塁(低塁)に降りてみたりしながら半周すると裏門橋に辿り着きました。
そこから再び城内の土塁の上から内(空)堀を見下ろしたり、外堀の内側に沿って歩いたりして、残り半周を周り本丸に降りました。
本丸には2010年に復元された「函館奉行所」がありますが、奉行所内の部屋の再現や展示コーナーなどが以前訪れた時よりも進化していて、ゆっくり時間を掛けて楽しく見学することができました。
奉行所の向かいの大きな売店で100名城スタンプを押し、御城印と城カードを購入して五稜郭を後にしました。

① 私の勝手なこだわりで毎回1枚目の写真は、(入手できれば)御城印と決めています。五稜郭の通常版(左上)の他に、桜の名所と言うこともあり桜バージョン(右上)も購入しました。 また、五稜郭が「ゴールデンカムイ」という漫画で最後の戦場として終盤の重要舞台となったり、TVアニメ版では59~62話が「五稜郭編」として展開された(売店の女性の説明) ということで(何度か増刷して)販売されたそうです。そんなの知らなかったのですが、たまたま5月に当日の朝刊を見たら「本日でゴールデンカムイの御城印が販売終了」と載っていて、ゴールデンカムイが何なのかも知らず、慌てて五稜郭に直行しました。雨の中20分近く待ってゴールデンカムイ版の御城印2種(下2枚)を入手することができました(1人一枚ずつの制限販売) でも9月に帰省する(歴史好きの)娘の分も買ってあげたくて、再度、最後尾に並び(最初より列が長くなってる!)30分後に順番が回ってきたら私が一度購入していることを覚えていて(下手に説明なんて聞くんじゃなかった)、「ダメです」と言われ30分も並んだことを滔々と説明し、しつこくお願いし「通常版と桜バージョンも2枚ずつ買うから」と頼み込んだ末、渋々、売ってくれました。と言うことで御城印は入手済でした(日付はちゃんと訪城日にしています)ので、この日は新たに集め始めた「城カード」日本100名城スタンプをスタンプ帳と、新たに購入した「日本名城 厳選24城」に押印しました(日本100名城の日本城郭協会が出版した本なので押すスタンプは同じ) ふと思ったのですが、なぜ徳川の「三つ葉葵」なんだろう? さっそく調べてみたら、幕末の日本で北辺(特にロシア)の防備のため、五稜郭を「要塞付きの役所」として江戸幕府が作ったそうです。
② 写真の2枚目には「城を代表する景色」を貼ると決めていまが、やはり五稜郭と言えば五稜郭タワー展望台から撮ったこの写真ですよね♪ 空からの写真じゃないので完全な星形には見えませんが90mの高さから見下ろすと何となく星形の雰囲気が伝わりますよね。改めて見ると本当に美しい城郭です。
③ 「大手門口の高石垣と内堀」です。五稜郭の中では一番高い石垣です(7m) 草木がびっしり生えていて判りにくいですが、石垣の最上部には敵の進入を防ぐため庇(ひさし)のような刎出(はねだし)が作られています。内堀も草が密生してしまい、少し整備してくれたら、けっこう絵になるスポットなんですけどね。
④ タワーから見た「大手口の半月堡」です。三角をした半月堡は全ての綾堡の間に設けられる予定でしたが予算の都合で大手口に一つしか造られなかったそうです。そして領内の低塁にズラリと並ぶ丸く整えられた低木が可愛いです(多分ツツジ?)
⑤ これも五稜郭の定番といえる写真です。「特別史跡 五稜郭跡」の石碑と稜内に入る「一の橋」を撮りました。案内板の後ろが上で紹介した「半月堡」になります。
⑥ 領内に入る前に、のんびり40分ほど歩いて堀の外を一周しました。狙ったのは低塁にある綾堡の角部分です。石垣の左部分は野面積み、右部分は打込み接ぎ、角の部分は切込み接ぎで算木に積んでいるのが面白いですね。奥の「二の橋」も入るように構図を決めました。そして低塁に10以上並ぶ丸く整えられたツツジがボンボリみたいで可愛いらしいです(*^-^*)
⑦ 五稜郭には3つの橋がありますが、奥に見えてるのは「裏門橋」です。手前の特徴ある石垣と一緒にフレームに入れました。五稜郭は日本初の西洋式城郭ですが、石垣の建築には伝統的な日本の石工技術が使われているのが面白いですね。石垣の最上部にある少し外側に突き出た独特の形状は武者返しと呼ばれ敵の侵入を防ぐ役割を持っています。積み方も日本の城郭に見られる堅牢な石積み(左‣打込み乱積み/角‣切込み布積み)の美しさそのまま残されています。緑豊かな土塁と美しい水堀のコントラストが綺麗に撮れました。
⑧ 星型要塞の最大の特徴である鋭く突き出た角(綾堡)が綺麗に見えます。このV字の構造によって死角をなくし、どの角度から敵が来ても十字砲火を浴びせられるように設計されています。今回、堀の外周を歩かなければ撮れない風景で、広大な水堀が鏡のようで、青空と白い雲が美しくリフレクションして美しさに花を添えています。
⑨ 本丸の中央にある2010年に忠実に復元された「函館奉行所」です。ネットで多くみられる画像は正面から撮ったものが多いので(人も混んでたし)正面から横に回り込んで見たところ、正面からの写真に負けず劣らず美しく、見事な屋根の上には港を監視するための「太鼓やぐら」が備え付けられています。何よりこの写真を選んだ理由は右の大屋根の背景に五稜郭タワーが写っているからです。タワーが2006年、奉行所が2010年とほぼ同年代に完成したにも関わらず、江戸時代の奉行所と現代のタワーという対照的な今昔の建物が一つのフレームに収まっている違和感が私は好きです。
⑩ 最後は、これが無かったら五稜郭の魅力が半減してしまう「五稜郭タワー」を主役に堀の内側にある土塁の上から堀越しに撮りました。手前に並ぶ丸く整えられた可愛らしいツツジ、右に少し見えてる木橋は本丸に続く「二の橋」 そして堀とタワーの間に少し盛り上がってる土塁が攻撃拠点となる「半月堡」です。函館人からすると「これぞ五稜郭!」という景色です。現在の五稜郭タワーは二代目で、1964年建造の旧タワーの展望台は高さが60mしかなく「全く星形に見えない」と観光客から不評でした。老朽化もあって現在のタワーが2006年に開業(両方のタワーが同時に建っていた時期もありました)、展望台の高さも1.5倍の90mになり、さすがに真上から見た星形とはいきませんが、2枚目の写真のように星形の雰囲気が伝わるようになりました。

見学終了後の昼食は、娘が小中生時代に家族でよく食べに行ったラーメン店「あじたか」を久しぶりに訪れ、美味しい塩ラーメン(麩が入っている昔ながらのラーメン)や、客の要望や店主のセンスでどんどん増える新メニュー(昭和の味から平成、令和の味まで楽しめる)を堪能して二人とも満足&満腹で店を後にしました(近くに似た名前で、行列が途切れない人気店「あじさい」がありますが、私たちは断然こっちの方が美味しいと確信しています!)

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ニコ・ロビン

100名城の44( ・᷄ㅂ・᷅ )名古屋城🏯 (2016/06/14 訪問)

尾張名古屋は城で持つ( ・᷄ㅂ・᷅ )🏯
我が地元愛知県名古屋市🏯何度来たか分からない
日本で最も床面積の大きなお城、天下普請で建てられた天下の名城!
戦争で焼けなければ、昭和まで残ったのに…
昭和までは現存20城だったのになぁ( ・᷄ㅂ・᷅)、

本丸御殿は復元され、物凄く精密な工芸品で作られていて必見!
木造復元が決まって、今は内見出来ない老朽化の進んだコンクリ天守( ・᷄ㅂ・᷅)…
どうやらくだらない団体もいて、木造復元なのに車椅子の方達の為にバリアフリーでエレベーター付けろとか、訳分からん事言う輩達がいて、計画が頓挫しているらしい…せっかく図面があって復元出来るのに、頭おかしいのか?そんな紛い物を作って、将来国の財産になるとでも思ってんのかな?今の自分の権利や主張を優先しすぎる時代…見れないことも一つの人生!足るを知るという京都竜安寺のつくばいの精神を持つことが大事かな…
そんな事言いだしたら、キリがないんだけどねー
吾唯足知( ・᷄ㅂ・᷅)

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ニコ・ロビン

100名城の17( ・᷄ㅂ)金山城 (2023/05/24 訪問)

関東戦国の山城( ・᷄ㅂ・᷅)新田金山城
んー歩く歩く、100名城スタンプの為には本丸まで行かないといけないが、熊の出る時代には配慮の無さを感じる。まぁ行くけどさ
途中の月の池、日の池など名所を見て、大手門の石垣を見て、関東戦国時代の石垣も立派なんだと改めて認識( ・᷄ㅂ・᷅)

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ニコ・ロビン

100名城の15( ・᷄ㅂ・᷅ )足利氏館 (2023/05/25 訪問)

鑁阿寺( ・᷄ㅂ・᷅)中に入るとただの古いお寺と感じるけど、
堀と土塁があって、言われてみればお城と同じく戦う名残があるなぁ
平安時代末と言うか、鎌倉時代のお城って、こういうもんなんだと感じる貴重な城( ・᷄ㅂ・᷅)なるほど…
帰りには、有名店足利麺🍜麺というか…コレ、餃子の皮?という幅広な面、2,3枚皮が入っているという感じ…

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ニコ・ロビン

100名城の14(ㅂ・᷅ )水戸城🏯 (2023/01/25 訪問)

結構広いな( ・᷄ㅂ・᷅)さすが御三家の城🏯
まだ雪の残る季節に行くとまだ空気は冷たく、より一層静謐で厳かな雰囲気で、ここにサムライが通ってたんだろうなぁと思うと感慨深いな( ・᷄ㅂ・᷅)シミジミ
現存する薬医門は高校の中とは行くのに気が引ける。
こんな貴重な物、高校生くらいだと落書きしそうな門だが…
大きな堀には今や電車が走り、現代に城が溶け込んでいる感じ。ブラタモリでも出てたなココ。
弘道館跡や大手門跡も趣があり、直線を強く感じる道が多くて、真っ直ぐな心を持った侍がここを歩いたんだろうなぁ

畳の縁を踏んではいけないが、葵の御紋だと、より踏めないな、
ワザとそうしたのかな?( ・᷄ㅂ・᷅)…

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イオ

新宮城跡散策マップ(本丸腰曲輪周辺) (2026/04/25 訪問)

関ケ原の戦いの功により紀州藩主となった浅野幸長の重臣・浅野忠吉が熊野川南岸の丹鶴山に築いた城で、一国一城令によりいったん廃城となるも後に再築が認められ、浅野氏が安芸国に移封になり、代わって徳川頼宣の附家老・水野重仲が入った後も築城は継続されて、水野重良(重仲の子)の代に完成をみました。そのまま水野氏代々の居城として明治を迎えています。

赤色立体地図お城かるたの読み札採用のお礼参りを兼ねて約7年ぶりに再訪しました。今回も丹鶴城公園駐車場から登城開始。ヒロケンさんの投稿にある駐車場脇の新宮城跡散策マップを手に取ってみると、7年前の散策マップから刷新されていました(2022年に刷新されたようです)。一応、前回の散策マップも持参していましたが、せっかくなので今回は新しいほうの散策マップに基づいてめぐってみようと思います。なお、この散策マップは新宮市観光協会(https://www.shinguu.jp/pdfmap)でも公開されていますので、興味があればどうぞ。

駐車場から本丸への石段を登って行くと、目の前にそびえる鐘ノ丸南面と本丸腰曲輪南西面の石垣。そのそれぞれに排水樋が見られます。多雨地方の切込接石垣には必須の設備のようです。赤い城さん、新宮城には8基の排水樋があるそうですよ〜。日本一短いケーブルカー軌道跡を横目に本丸腰曲輪に到達。眼前には本丸の石垣がそびえ立ち、本丸南西面の石垣には⦿の刻印が、天守台西隅の石垣には矢穴が見られました。天守台石垣は北西面が崩落していますが、南隅には綺麗な算木積石垣が遺っていて、天守台から北東に続く本丸南東面の石垣は、屏風折れと呼ばれる三か所の折れを設けた横矢掛りになっています。本丸腰曲輪南部の櫓跡には休憩所が設けられ、その南下段には配水池が設けられていました。

本丸腰曲輪の東端で折り返して本丸に向かうと、腰曲輪北端からは眼下に水ノ手曲輪と熊野川を一望できます。本丸側に目を転じると、本丸北西面の石垣が上下二段になって続いています。腰曲輪と同じ高さの野面積石垣(下段)が浅野期、その上に積まれた切込接石垣が水野期の石垣と考えられるようです。そして本丸虎口の高麗門から渡櫓門を抜けた正面には精緻な亀甲積石垣が設けられていました。鏡石として巨石を配する代わりに最高水準の石垣技術を見せつける、ということでしょうか。

さて、本丸虎口を抜けるといよいよ本丸に入ります(続く)。
 

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todo94

日帰りツアー中の攻城② 赤坂御門跡 (2026/09/27 訪問)

「VIVANT」公式ツアー 名シーンの舞台を巡る聖地巡礼・東京都内編の後半戦です。昼食場所の深大寺の次のスポットは、VIVANTのドラマの中でまんじゅうが置かれるスポット・神田明神で、次が赤坂サカスでした。ここも時間にゆとりがあったので、1kmほど離れていましたが、36見附の赤坂御門跡まで足を伸ばしてしまいました。

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ニコ・ロビン

100名城の13( ・᷄ㅂ)白河小峰城🏯 (2023/04/25 訪問)

んー中々縁が無い城だな( ・᷄ㅂ・᷅)、
いつも時間が中途半端、閉館の時間
外回りの広大な広場から見る三階櫓はカッコいいなぁ
もう天守だね( ・᷄ㅂ)コリャ
貴重な木造復元。大洲や掛川みたいな感じ
石垣はごっついな、

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小城小次郎

究極のハイブリッド境目の城 (2025/11/24 訪問)

小牧長久手の戦い当時は尾張国だった竹ヶ鼻城が羽柴方の攻撃対象となり、関ヶ原の戦い当時は美濃国だった竹ヶ鼻城が福島正則の攻撃対象になったという究極の境目の城(大変だぁ)。羽島市民俗資料館のあたりが城域という。

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ぴーかる

イオさんありがとうございます。

 イオさん、虎城山城跡での私のストックをわざわざ探して頂きありがとうございました。紛失した場所も明確に分からなかったもので、回収する体力が本当に残っておらず、藪の中や城跡に物を置きっぱなしにする事が気になっていたので、城びと様方にお任せするしかなかった次第です。すみませんでした<(_ _)>。もし発見された方は回収して申し訳ないですが廃棄していただけたら助かります。
 またイオさんの虎城山城跡やそのあとの下里城跡での城巡りの私の案内がお役に立ったので嬉しかったです。

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イオ

登城しやすいルートがあれば… (2026/04/25 訪問)

室町中期に土井佐渡守が南麓(下里神社周辺)にあった居館の詰城として築いたとされ、織豊期には南進する堀内氏善に抵抗して戦場となったようです。

下里神社の駐車場から登城開始。先達方にならって国道から東に入ってゲートを抜け、舗装道を登って行こうとしましたが、明らかに私有地っぽい様子にひるんでしまい、東側にまわって東隣の尾根にある水道施設を経由するルートに変更。しかし、水道施設へ続くと思われる階段は城とは反対方向にのびていて、この階段を行くのが正しいのだとしても反対方向に遠回りするより城側の斜面を直登するほうが早いと考えたのが運の尽き、途中からは背丈以上のシダの藪に阻まれ、何とか進めそうな堀底道(竪堀?)をシダをかき分けて強行突破! やれやれ、ひどい目にあった…(自業自得)。

シダの藪を突破してたどり着いたのは城跡の南端部。テーブルとベンチが設置されるなど整備された展望台からは城下の向こうに熊野灘が広がっています。城跡は大幅に改変されていると思われますが、展望台北側の城池や東辺の土塁、西辺の土塁南端の櫓台などは城郭遺構でしょうか。最高所が主郭で、主郭北側の櫓台の向こうは二重堀切が北尾根を断ち切っていました。堀切はどちらも岩盤を掘り抜いたもので、堀切内面にはその際の石材を用いた土留めの石積が見られます。堀切の両端は竪堀となって続いていました。

さて、北端の二重堀切で折り返して下城するにあたり、もう一度シダの藪を突破する根性はないので、やむなく舗装道を下りて行きましたが、民家なのか管理棟なのか、家のすぐそばを通り抜け、キャンプ場のような広場や建物の入口を通り過ぎて、誰にも会うことなく登城口のゲートに到着。こんなことなら最初からこちらのルートで行っていれば…とはやはり思えない微妙な感じでした。岩盤を掘り抜いた二重堀切は見応えがあるものの、ぴーかるさんの言われるように県内の城びと登録城コンプリートを目指すのでなければ、無理に行くこともないのかなぁ、というところ。もっと良いルートがあればいいんですけどね(シダ藪突破は論外)。
 

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にのまる

夏の18きっぷ2日目 (2026/09/01 訪問)

18きっぷ2日目も飯田線です。
上諏訪から24駅、約2時間で飯島着。飯島陣屋まで駅から徒歩10分くらいでした。

幕末の姿が再現された陣屋をガイドさんの解説を伺いながら見学しました。撮影も備品に触れることも自由で、資料も豊富。前日行った箕輪城の木下陣屋も展示資料に記載があり、地域の歴史を点ではなく線や面で学ぶことができました。
以前、中野市の高梨氏館を訪れた際に「中野陣屋」や「中野県」について知る機会がありましたが、全く理解できておらず、中野県に濁点をつけて長野県になったのか……などととんでもない解釈をしていたので、今回18きっぷと飯田線のおかげでひとつ賢くなれました😊

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ニコ・ロビン

100名城の12( ・᷄ㅂ・᷅)会津若松城🏯 (2023/05/25 訪問)

やって来ました( ・᷄ㅂ・᷅)鶴ヶ城!
んー瓦赤い!
赤茶と城のコントラストが綺麗な層塔型天守が美しい✨でもこの赤い瓦は2011年までは黒瓦だったんだ、知らなかった。
戦国時代の蘆名の名城黒川城!
蒲生から加藤へ、江戸時代は保科正之、松平へと奥州を束ねて見張る大事なお城🏯幕末の松平容保、白虎隊へと繋がる深い歴史があるお城🏯
曇ってなければもっと瓦赤いんだろうなぁ( ・᷄ㅂ・᷅)写真だと少し暗めに写るな、残念
大手門から、砲弾や銃撃を受けた石垣が見られて、歴史を感じられるお城🏯
門を超えて中に入ると、赤ベコと天守がお迎え✨
天守は外観復元天守で、中は博物館だね( ・᷄ㅂ・᷅)、
プロジェクターで豪華な映像が流れて、改装しただけあって、かなり綺麗( ・᷄ㅂ・᷅)まぁ木造復元が流行るこの時代にコンクリ天守を見ると、雰囲気が足りないから残念だけど、綺麗に展示されてるからまぁまぁ…
外観が美しくて、外から見てるだけで、満足出来るからいいや

✨今の世にも受け継がせていきたい名言✨
ならぬものはならぬのです!

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小城小次郎

間違いなく大名がいた近世城郭なのだが (2025/11/24 訪問)

木曽川駅からほど近い小学校の一角に冠木門と石碑群が並ぶが、ここに近世城郭があったと言ってもにわかには信じられないのではなかろうか。黒田城に一柳直盛がいた頃は3万5千石だったので紛れもなく大名のお城だったのだが。山内一豊の父が守り切れず、一豊が流浪の日々を過ごすきっかけとなったお城としても知られている。

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カズサン

【信濃 鍋蓋城】長野県小諸市 最初の小諸城 (2026/09/22 訪問)

 城郭放浪記さんで紹介されていた信濃 鍋蓋城が小諸城大手門の近くでしたので寄ってみました。
 住所:長野県小諸市本町1丁目2
 駐車場:三の丸大手門公園の有料駐車場がベター。

 小諸城大手門から浄斎坂を登って国道141号線を北へ本町交差点を西に降りると石垣面に「大井伊賀守居城鍋蓋城址」と横長の表示板が掲載されています。
 大手門よりは経路で約180m程です。
 現在は私有地で建物が建てられており公開はされて居ません、通路面の門の横に解説板「小諸藩城代家老屋敷/鍋蓋城跡」が掲載されてました。
 解説板によると。
 ここは、戦国時代の初め1487年に、大井伊賀守光忠により小諸の町にはじめてつくられた鍋蓋城の跡です。その後、小諸が武田氏の支配下になったときに、この鍋蓋城を取り込むように街道がつくら町が形成されました。江戸時代この場所は小諸城鍋蓋曲輪として城代家老屋敷が在り石垣で固められていた。北国街道が通り賑わい栄えました。(解説板抜粋)
  

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イオ

水軍の城 (2026/04/25 訪問)

織豊期に高河原貞盛が古座川河口部の上野山に居城として築いた城で、堀内氏善の古座侵攻に対抗しました。関ケ原の戦いでは高河原家盛(貞盛の子)が西軍に与したことにより改易され、廃城となったようです。

北西麓の古座青年会館脇の登城口から登城開始。登城口には古城山の説明板が立てられています。説明板の左右両側に山上への階段が続いていますが、ぴーかるさん投稿の道案内(右側が正解)のおかげで迷うことなく青源寺に到着。青源寺は古城山城が廃城となった際、城の部材を用いて居館跡に家盛が創建したと伝わります。境内には高河原氏の墓所があるようですが、見付けられませんでした。青源寺からさらに登って行くと山頂の本丸に到着。

本丸には虎城山公園の石碑が立てられていますが、木々に覆われてしまっています。本丸の三方は急峻な崖で囲まれ、北東に続く尾根の付け根には堀切が設けられていました(かなり浅くなっていますが)。本丸の北西部は一段高くなっていて、眼下に古座川河口部を見渡すことができる…はずですが、木々が茂っていてよく見えませんでした。本丸の南側には一段下に腰曲輪が、その下段に二の丸があり、南端からは熊野灘の眺望が広がっていました。古座川と熊野灘に睨みをきかせる水軍を率いた高河原氏の居城であることがよくわかります。

ところで、ぴーかるさんが紛失されたストックを回収しようと、藪の中なども意識して見て回ったんですが、見付けられませんでした。道案内に助けられていながら、お役に立てず申し訳ありません。
 

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カズサン

現存移築門廻り編 (2026/09/23 訪問)

 小諸城の現存してる移築門は小諸市内に二ヶ所に在ります。小諸城大手門櫓部の資料室掲示「小諸城の門」小諸城縄張図に城門を示し各城門の説明文とイラストを記した解説図に、黒門と足柄門がお寺に移築現存と示されて居り、早速スマホのグーグルマップで調べて小諸城16年振りの登城翌日訪ねました。
 
 足柄門・・荒町の光岳寺山門として現存(小諸市荒町1丁目3-4)
 駐車場は近くの小諸市役所地下駐車場を利用、徒歩350m程です。
 足柄門は二の丸と三の丸間の堀切の三の門北に位置し、小諸藩士の通用門、背の高い高麗門形式板葺でしたが、現在は瓦葺きに成っています。
 山門は当日秋の彼岸に当たり国旗掲揚、楼門を潜り本殿参拝。敷地の広い立派なお寺です。

 黒門・・八満の正眼院山門として現存(小諸市八満624)
 駐車場は正眼院の山門と本殿の間の駐車場を利用。
 黒門は本丸を護る紅葉谷橋の西付根、本丸の格調高い医薬門で一の門とも呼ばれた、大手門と黒門のみ瓦葺きでした。
 雨が降ってきた中、山門を見学、山門内側には白象が左右に並び本殿は石段を登った上段に有り、下段寄り参拝。敷地が広い丘陵地に在りますが通用路は狭い道で通行注意。

 小諸城現存城門2件見学出来て感謝です。
 
 帰路国道141号線を南下し龍岡城へ向かいました。
   

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todo94

日帰りツアー中の攻城① (2026/09/27 訪問)

一昨日の日曜日、都内の日帰りバスツアー・「VIVANT」公式ツアー 名シーンの舞台を巡る聖地巡礼・東京都内編に参加して参りました。VIVANTのロケ地となった寺社をめぐるツアーです。調布の布田天神社に続く二つ目の目的地が深大寺。早めの昼食で深大寺そばをいただきました。滞在時間がたっぷりとあったので神代水生植物園にある深大寺城に足を伸ばすことができました。ここは、にのまるさんの庭なんですよね。15年ぶりの再訪となりました。

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赤い城

九鬼水軍の海城 (2026/08/14 訪問)

田城城の後は鳥羽城、九鬼嘉隆が築いた城です。
海に面し、当時陸側には堀が巡らされ島のような海城でした。
市役所裏手の駐車場を利用、すぐに家老屋敷の石垣があります。
野面積みで迫力がありました。

石段を登り城山公園へ。
さらに本丸へと進みます。
本丸には石垣が現存しています。
石垣の説明板には「石垣には排水のための水抜き抗もあります」と記載されていました。
探す必要があります😌がまずは本丸へ。

広く眺望も良いですが小学校のグラウンドとして利用されていたためかなり改変されています。
かつては三重の天守と本丸御殿がありました。

本丸から降りて再度石垣を見学、南側の石垣に水抜き抗がありました。
この時季なので草で見えにくいですがなんとか撮影できました。
下に案内板も設置されています。

一旦下山し相橋へ。
鳥羽城と武家屋敷を繋ぐ橋で江戸時代の石積が残っています。
しばし海沿いを散歩し三の丸広場へ。
海側に大手があるまさに水軍の城、十分に楽しめました。

【見どころ】
 ・家老屋敷の石垣
 ・本丸の石垣
 ・眺望

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