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しんしんちゃん

あの頃の君は白かった (2017/05/16 訪問)

今日はわけありリモートDAYです。昼休みの時間を使って投稿させていただきます。土曜日に久しぶりに姫路城に行ってきました。実に7年ぶりの訪問です。前回訪問した際は2017年の5月ごろで、ちょうど平成の大修理が終わって白漆喰も塗りあがったばっかりの時でした。
外観だけなら、ほぼ新築同前です。大天守だけね。
最新の写真の投稿の前に2017年の写真を投稿させていただきたいと思います。大天守だけ異様に白いですね。「白すぎ城」と言われていたころの姿です。いまでは白漆喰もすっかり黒ずんできてますが、このころはこんなに白かったんですよ。見てるだけで不思議な気分になってきます。老人会の集団がこの城を見て走り出した時は、何が起こっているのかと焦りましたね。お年寄りの集団が走り出すくらい、白くてキラキラしてましたね。

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刑部

城と桜 2024 (2024/04/15 訪問)

住宅地の中の公園ですが遺構がしっかり遺り桜がとても綺麗でした! 穴場的存在。

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赤い城

香西氏の詰城 (2024/04/14 訪問)

県道33号線に小さな案内板があり、そこから登って行きます、が途中から農作業用の細い道となり軽自動車もしくはコンパクトカーでないと厳しそうです。
ただ駐車スペースはあります。

登城路は保存会の方により整備されていて急峻ながらも歩きやすいです。感謝。
登っていくと猫の額と呼ばれる削平地に、さらに猫の背と案内板がある尾根道を経て急な坂を登ります。

登るとすぐに虎口が見え、その上が主郭部分です。
虎口の先には浅いながらも折れのある堀底道。
正面には方形曲輪が並んでいます。
これの役割は不明だそうです。

主郭は広く、まだ桜も残っていました。
ちょうど保存会の方が整備作業をされていました。
この方、お話好きなようで丁寧に説明、案内もして頂けました。
香西氏の歴史などもお話頂き勉強になります。
主郭には市指定遺跡の碑がありますが国指定になったので近々立て替えられるとのこと、レアです!

主郭東側の虎口から出て方形曲輪、石積を見学しながら北側にある竪土塁へ。
讃岐では珍しい遺構でしかも巨石で補強されたものです。

さらに北側には曲輪が並んでいて先端部からの眺望は良く屋島や高松市内を一望できます。

満足したので下山、と思っていたら先ほどの保存会の方がいらっしゃって西側帯曲輪にある石列も案内して頂けました。
この下の方にも遺構があるようで今後整備したい、とのことでした。

本当に満足したので主郭の喰い違い虎口を最後に見学して下山しました。

保存会のはほぼボランティアで高齢者がほとんどとのこと。
最近は色々な城で整備が進んでいますが、当たり前のことと思わず感謝しながら攻めないと、ですね。
行政も予算を検討してほしいです。

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todo94

近江の城めぐり⑩ (2024/03/09 訪問)

この日最後の攻城です。お城EXPOでリーフレットをいただいていたのでかなり期待を持って登城しました。住宅街の中の細い道を上っていかなくてはならないのですが、丁寧に行き先表示が掲げられていて迷う心配はありません。この城は地元の皆さんに愛されていて大切にされているんだなあと感じました。枡形の石垣など、期待以上の素晴らしい城でした。2024年初攻城の城、ベスト3に入ると思います。すべての郭をめぐって眺望も楽しんだ後の下城は落ちそうで落ちないという八丈岩を経由。炭治郎が割った岩とやらも見てくることができました。この日の泊は三雲にとりました。

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しんしんちゃん

城主は牛久藩の初代藩主 (2024/03/10 訪問)

大野城は蟹江城の支城で、小牧・長久手の戦いの時の城主は後の常陸国・牛久藩の初代城主山口重政公です。城址には立派な城址碑が立ち、案内板が設置されています。重政公は母を人質に取られながらも羽柴方に与せず敵を撃破したと案内板にはありますが。オカンはどうなったんだろう?
その後、大久保忠隣の養女と嫡男が勝手に縁組した咎で改易になりますが、大阪夏の陣での一族の奮戦により再び牛久・1万5千石に復帰したとのことです。この戦いで次男(長男?)・重信は木村重成に討ち取られ、弟の重克も戦死したとありますが、重成の子孫は牛久藩に召し抱えられたとされる伝説があるそうです(小川氏に改姓)。
池田輝政の件も有りますが、身内を討ち取った相手を疎かにしないことが供養につながるのかもしれません。

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しんしんちゃん

鳴海城を囲む三砦の一つ。 (2024/03/09 訪問)

中島砦は織田信長が今川方の鳴海城を囲むように築いた三つの砦の一つで、主将は梶川高秀が務めたとされています。扇川と手越川の合流地点の先端に築かれていて個人宅の庭の中に石碑が有りますが、所有者のご厚意で鍵がかかっておらず、見学することができました。
ありがとうございました。(ペコリ)

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まにまに

桜田門周辺 (2024/04/21 訪問)

近くまで行ったので、ぶらぶらと時間つぶしを兼ねて桜田門付近を散歩してきた。

高層ビルと濠・石垣が同時に見られる風景は江戸城ならではかも。
二重橋という洋風構造物と純和風の櫓が同時に見られるのもここしか無い。
更には“はつり”が施されていたり、切込接の乱積という豪華な造りの石垣をしげしげと見る。
桜田門の桝形は高麗門と櫓門以外が多門櫓ではなく濠になってるところが不思議。が、濠の向こうに腰巻石垣と鉢巻石垣があって、その上から攻撃出来るのかな。

桜田門を出るとそこから国会議事堂が見える。江戸の政治の中心と現代の政治の中心は意外と近い。

何気なく通る道の横に土塁があったりとよくよく見れば基本的な城の構造は今でも残ってる。

楠木正成の銅像があったが、何故彼を選んでここに銅像を建てたのか理由がよくわからない。住友家が所有する銅山を記念して作ったらしいが。

あまりに巨大な城域なのでとても散歩気分では回りきれない。またゆっくりと見に来られるといいなぁ。

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刑部

城と桜 2024 (2024/04/15 訪問)

桜咲く時期に一度は来たいと思って念願かないました! さすが桜の日本三大名所でした、そしてソースかつ丼! 少食なので小さめのかつ丼にしました。

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T-Shionoya

古宮城 小山を彫刻したアート作品 (2024/01/14 訪問)

以前から愛知の魅力的な中世城跡と聞いていた新城市の古宮城。
1月中旬、ついにその古宮城を訪問。

作手盆地の宮山と呼ばれる比高約20mの小山全体を城郭とし、西側以外の3方は湿地帯が天然の要害であった城。

武田信玄の徳川領侵攻の拠点として家臣の馬場信春が1572年に築いたと伝わるが、奥平氏の謀反に伴い徳川軍が翌年攻略。
その後の廃城時期は定かでない模様。

現在は、土の遺構が良好に残る続100名城の城跡で、南麓の白鳥神社が入城口。

訪問時、概ね案内図の矢印の順で廻ったが、逆回りの方が徐々に中心部へ進んで行く雰囲気となりお勧めかも。
城は大堀切を境に西と東に分かれており、それぞれの頂部に位置する平坦部のみが曲輪らしい曲輪で、どちらも仕切土塁が存在。
土塁のコンディションが良く、西曲輪の3重4重の堀&土塁と本郭南の桝形虎口がメインの見どころでしょうか。

堀を端から端まで行ったり来たりで滞在時間は2時間半。
アート作品のような古宮城が、私の城郭巡りの171城目となりました。

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カズサン

名残の桜ごろ (2024/04/11 訪問)

 桜を廻って遠州路城廻、桜が終わりごろに成ってしまった時期に二俣城に続いて隣の鳥羽山城も登城しました、鳥羽山城には染井吉野桜は其れなりに多く植わってます。
 本丸下の南の丸Ⅰ駐車場に車を駐めて、大手道より登城開始、大手道先に本丸東石垣の前に桜が有り大手道から見るビュースポット、東の丸Ⅰ、東の丸Ⅱ、大手門枡形にも桜が植わっているがすでに桜が終わり名残の桜、チラホラ桜の花が見える程度、時期を失ってしまいました。本丸内部もしかり、小振りの八重桜だけは頑張って居ましたが、東門、搦手口から出て元笹の丸・西の丸Ⅰへモチツツジが咲き、句碑も文字が刻まれていますが良く読めない、本丸西側下を通り腰巻石垣、此処の桜も名残の桜。

 二俣城、鳥羽山城とも桜の旬の頃を見逃してしまいましたが新緑の芽吹きを体全体で感じる事が出来ました。
 

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カズサン

桜が終わって新録の芽吹き (2024/04/11 訪問)

 桜を廻って後回しに成っていた二俣城に登城しましたが、桜は終り葉桜、新緑の芽吹き時期と成っていました、二俣城の本丸には天守台の奥に大島桜と染井吉野桜が各1本あり既に終わって居ました、本丸中仕切門辺りに伸びた染井吉野桜と小振りの八重桜が各1本、染井吉野桜の上部は桜の花が残っており、八重桜は盛り頃、二の丸は楓が新緑で眩しい、大手門石垣越しに新緑が眩しく芽吹いている。
 元蔵屋敷、南の丸Ⅰより二の丸土塁の桜を見渡すが葉桜で花のカゲ無し、本丸東側の石垣が樹木、竹林が若干伐採されて見通すことが出来ました、麓には山野草か蘭の仲間か、ランの花が群生していました。

 駐車場は何時もの、北の丸下の専用駐車場

 本日は芽吹き頃の新緑眩しい二俣城を桜の代わりに堪能しました。今回は登城者私のみで静かな探訪も楽しみました。
 

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朝田 辰兵衛

ホテルから朝駆け…🐾 (2024/02/25 訪問)

小雨の中,高崎のホテルから朝駆けしました。寒さで吐く息が白かったですが,ホテルに戻って飲んだコーヒーがとてもおいしかったです☕
todo94さんの生まれ育った庭を荒らした感があります…。

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WEST

勝龍寺城探訪 (2024/04/12 訪問)

勝龍寺城を訪問しました。石清水八幡宮参拝の帰りに淀駅から長岡京行きのバスに乗り、久貝バス停を下車して徒歩で向かいました。
(淀駅から長岡京行きのバスは、昼間の時間は1時間に一本です)
細川藤孝の時代には天守を備えた近世城郭とのことですが、当時のものは北門の一部の石垣のみのようです。

現在は勝竜寺城公園として整備され、模擬櫓等が建てられています。ここは桜の名所であり、春の訪問がお勧めですね。
帰りは、JR長岡京駅に向かいましたが、その途中に勝龍寺城の惣構の土塁・空堀が復元されています。立ち寄ってみてください。

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チェブ

夏も丸裸。 (2024/04/20 訪問)

毎日、1万歩を歩く父を誘って「滝山城」に向かいました。
桜の季節が終わり「滝山城」は新緑色でした。

観光駐車場から本丸への木橋を目指し歩きました。
堀やら虎口やら父に説明していると、ガイドさんに声をかけられ談笑。私は『滝山城と言えば、二ノ丸』と、言った所で それならばと、ガイドをしていただきました。
お城巡りは冬がシーズン(?)ですが「滝山城」は少々、木を切り倒し遺構を見やすくしたとの事です。草刈りも1ヶ月弱でするそうです。
今回ビックリしたのは『滝山城は北条家の城なのに、障子堀がないんですね?』との問に『ありますよ。二ノ丸の堀は広い所が障子。狭くなっている所が畝です。埋まってます。』
知らなかった、、、、。
やはり、どこのお城もガイドさん、すばらしい情報を教えてくれます。

最後に桝形虎口から堀と土橋を眺めて、北条家の日常は、ここで どのような会話をしたのだろうと、立ち話。とても楽しい時間を過ごす事ができました。
ガイドの皆さん、ありがとうございました。

これから夏にかけて、雑草やら藪やらが 遺構を隠してしまいます。
しかーし「滝山城」はオールシーズン、整備を整えて待ってくれてます。

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sorato

修理中の守礼門 (2023/02/20 訪問)

令和5年の守礼門です

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さといも

スミレ咲く (2024/04/21 訪問)

 低い土塁に囲まれた基本方形の館跡です。周囲の空堀や土塁の中にスミレが咲いてきれいでした。

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天守無しがアツい

世田谷城公園 (2024/04/20 訪問)

豪徳寺(井伊家の菩提寺、井伊直弼の墓もある)の門を出てすぐの場所に城跡(世田谷城跡)があります。と言っても城の入口は反対側にあるため、ぐるっと回る必要はありますけどね(1枚目の地図を見ると分かりやすいかと)

3分ほど歩くと子供の遊ぶ公園がありました…見た目は公園⛲️ にしか見えない…でもそこが世田谷城なのです🤣 石垣のようなブロック(2枚目に写ってる)くらいしか「そう言えば城跡かも?」と思わせるものはありません(しかもこれも当時…戦国時代に造られたのではなく、現代になってからだと思う…多分🪨🪨🪨)

(2枚目にあるように)城跡の案内板はあります…他にももっとカラフルな城跡および周辺史跡を紹介した案内板も立ってます。城跡の中にはそれさえ無い…遺構のまるで無い所もあるため、それよりはマシかもしれませんね🏯

丸ごと公園…子供の遊び場にできるほど規模の小さい城跡…なので逆に言うなら1回の訪問で全部見回れる…と言うことで通路や階段はほぼ全部歩き回りました🚶‍♂️ そういう意味では楽勝な城跡とも思えましたね😅

(世田谷城Wikipedia)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%94%B0%E8%B0%B7%E5%9F%8E

室町時代に世田谷城およびその一帯を治めていたのは吉良氏…(おそらく歴史書にもほとんど出てこないので、参考サイトにも情報が乏しいと思われます)近隣諸国の北条氏と婚姻関係を結んだりして長きに渡り存続していたそうですが、天正十八年(1590年)の秀吉による天下統一の際に豊臣氏勢に接収→廃城

廃城後には石材が江戸城の改修に使われたりしたそうです。その江戸城も遺構は天守台や門…櫓くらいしかないけど、もしかしたらその中に元世田谷城のもあるのかな?🏯

空堀(3枚目)が存在しており、ここでも子供が遊んでおり、母親どうしで雑談しながら見守る姿が見られました。彼らを写してしまうと肖像権的に申し訳ないので、写らないアングルで(なおかつ空堀は写るように)撮影したのが3枚目になります

これが唯一現代にまで残る…世田谷城が戦国時代からあった時の遺構…なのでしょう。ちなみに豪徳寺はかつて世田谷城の城域内であり、しかも本丸だったそうです。つまりここも「昔は城、今は寺」の範疇に入ると思われます

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小城小次郎

江戸時代にも城郭機能が維持されていた (2023/10/28 訪問)

本能寺の変を知らず、本能寺の変の翌日に10名以上の城将が耳に名札を付けて自刃したとされる、壮絶なる「魚津城の戦い」の舞台。実は江戸時代を通じて名目上「米蔵」として高岡城と同様に城郭機能も維持されていたのだそうだ。

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WEST

淀城探訪 (2024/04/12 訪問)

京阪本線淀駅での乗り換え時間を使って、近くの淀城を訪問しました。駅からは徒歩5分程度です。豊臣時代の淀古城とは異なり、淀城は江戸時代に築城されたお城とのこと。
このお城は廃城となった伏見城の資材と二条城の天守が移築されたそうですが、残念ながら建物の遺構はありません。
現在、お城は淀城跡公園として、天守台等の石垣や内堀の一部が残っています。コンパクトな城址ですので、全体を回っても短時間ですみ、お勧めします。
なお、訪問時、天守台入口には柵があり、中に入ることができませんでした。

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WEST

伏見桃山城探訪 (2024/04/12 訪問)

伏見城を訪問しました。伏見城の本丸跡は明治天皇陵となっていますが、今回行く先はお花畑山荘跡にある模擬天守や門がある場所です。京阪本線丹波橋駅を降り、徒歩15分程度で着きます。(緩やかな坂道を登ります)
天守は観光用で建てられたのもので、現在は耐震の関係で内部に入ることはできません。しかし、天守や門は荘厳でなかなか見ごたえがあります。
訪問時は桜が綺麗に咲いており、天守も映えますね。
お城訪問後、伏見城の遺構の一部がある御香宮神社を参拝しました。この神社の神門が伏見城大手門とのことです。お城から徒歩10分程度ですので、是非訪問してみてください。

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