御薗宇城から車で5分くらいで、貞重集会所駐車場入口(34.473031、132.817220)に着きました。
そこから説明板前(34.473102、132.816620)を経由して、南側登城口付近(34.475567、132.819423)に徒歩で向かいました。
1523年(大永3年)大内方の鏡山城が落城しました。平賀氏当主平賀弘保は居城であった白山城の防備に不安を感じ、近隣の頭崎山に築城し、嫡男の平賀興貞を城主としました。
ところが、興貞は父の意向を無視して尼子氏に属し、大内方に味方した弘保と孫の隆宗・広相で争いを繰り広げることとなります。
1540年(天文9年)大内義隆の命を受けた毛利元就が頭崎城を攻略しました。敗れた興貞は出家して、平賀氏の家督は興貞の嫡子である隆宗が相続します。
平賀隆宗は大内方として活躍しますが、1549年(天文18年)に備後国神辺城を攻撃中に死去しました。
祖父の平賀弘保は家督を平賀広相に継がせようと考えましたが、大内義隆の策謀によって平賀氏の家督は小早川氏庶流の義隆の寵童が改名して相続し、平賀隆保と名乗りました。
1551年(天文20年)大寧寺の変で大内義隆が陶隆房(陶晴賢)によって殺害されると、陶方に味方していた毛利元就は、大内方であった頭崎城の平賀隆保を攻めて落城させ、家督を平賀広相に継がせました。
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、毛利氏が防長移封となると、平賀氏もそれに随行し、頭崎城も廃城となりました。
登山道の落葉で滑りながら登城口から頭崎神社鳥居まで約25分弱、山頂(甲ノ丸)まで約40分弱。竹が茂って倒れている箇所もありました。
三ノ丸が開けていたので眺望をと思いましたが、もやがかかってまったく見えませんでした。
下山時、雨に濡れた道で滑り派手に点灯。お尻と両手の平を強打しましたが、手袋をしていたのでケガはなく軽い打身程度で済みました。
攻城時間は95分くらいでした。次の攻城先=白山城に向かいました。
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