広島駅からJR呉線と広島電鉄バスを利用して矢野天神バス停に着きました。
矢野天神バス停から徒歩2~3分で、矢野天神橋登城口(34.337368、132.541112)に着きました。
1335年(建武2年)熊谷四郎三郎入道蓮覚によって築かれたと云われています。
1445年(文安2年)に野間重能が室町将軍・足利義政より矢野の地を与えられ、以降は野間氏の支配となります。
野間氏は大内氏の支配下に入り、近隣の平賀氏や小早川氏と争いを繰り返し勢力を拡大しますが、1555年(天文24年)に当主の野間隆実が陶側についたため、毛利元就の軍勢によって攻められます。
隆実は降伏したものの許されず、一族は虐殺され、野間氏は滅亡することとなり同時期に矢野城も廃城になったと推測されています。
現在城址には県指定史跡として石碑が建てられています。
さらに発喜山の山頂付近にも曲輪が残されており、ここを「発喜城」と呼び、詰の城にしていたと考えられているようです。
小さな案内標識付近に住んでいるご婦人に「最近、矢野城付近で熊が出て発喜山方面に逃げた」目撃情報の話がされ気を付けなさいと云われました。
この話にビビり発喜城への登城は諦め矢野城で引き返しました。
攻城時間は60分(登り時間は35分くらい)くらいでした。
発喜城(城びと未登録 広島県広島市)の登城を止めた為、バスの時間があわず、矢野駅まで歩きました。
次の攻城先=大須和城を攻城する前に、呉観光と有崎城(城びと未登録 広島県呉市)を攻城する為、矢野駅からJR呉線を利用して呉駅に向かいました。
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