江戸城を訪問しました。目的は皇居東御苑の紅葉です。
天気は今一つでしたが、二の丸雑木林、三の丸庭園等を散策し紅葉を楽しむことができました。
ところで、本丸休憩所横の建物に江戸城天守復元模型が展示してありました。1/30スケールのものです。
再建計画はあるのでしょうか?
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2025/11/29 10:58
2025/11/29 10:42
武田勝頼延命の城。 (2025/11/16 訪問)
この日のスタートは武節城です。相変わらずいい紅葉ですね。本丸背後の櫓台が城山神社になっているので主郭まで車で行けるけど麓から歩いて行った方が良いですよ。5分も有れば主郭まで到達できます。
長篠の合戦の後の武田勝頼は田峯城に逃げ延びたものの入城を拒まれ、なんとか武節城に落ち延び一命を取り留めました。もともと勝頼さんは武田家の跡取りとして帝王学を学んでいたわけではないので、当初はゴリゴリの武将だったイメージはあります。
こののち、いろいろと計略を用いるようになり武田氏の最大版図を得るようになりますが、北条氏との関係回復がかなわなかったのが残念ですね。
武田信玄も存命中に国許で若衆のお尻を狙っているヒマがあったら他にすることがあったのではなかろうか・・
武節城は主郭の南に大きな堀切があり、その先に郭群がありました。腰郭もけっこうあるみたいで、見た目以上の防御力はあったのではないでしょうか。
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2025/11/29 10:07
2025/11/29 09:42
ありがた山 (2025/11/15 訪問)
久々利城は14世紀に美濃国守護土岐頼康の弟土岐康貞によって築かれ、戦国時代には末裔の久々利頼興の城でした。伝承では頼興は森長可に偽の人質を与えられ金山城で酒宴での接待を受けた後、帰途で襲撃され命を落とし、久々利城もその夜のうちに攻め落とされたそうです。
どこまで本当かわかりませんが、久々利城もあっけなく落城しているので内応者がいたのかもしれません。
まさしく戦国時代はアウトレイジの世界です。・・全員「悪党」
・・そこが良い 今とは価値観がまるで違うのだから、当時はこれで案外「普通」だったのかもしれませんな。
久々利城は「オシロフェス」の関係上、去年も訪問しています。たぶん来年も来るでしょう。
去年はセイタカアワダチソウが主要な郭にごっそり生えていましたが、今年は刈られて綺麗に整備されています。ありがた山でございます。森の熊さんの影響で山城の整備がどんどん後手に回るのではないかと心配しています。
山城のヤブ化がすすむとますます山城に入りづらくなる。・・・環境省さん草刈りお願いします(手伝ってもいいぜ)。
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2025/11/29 01:08
2025/11/28 22:55
羽柴秀吉邸 (2025/11/08 訪問)
ちょうどすぐ近くでお城EXPOをやっていたので久しぶりに安土城を訪問出来ました。近世城郭の石垣とくらべると安土城の野面積みは荒っぽく見えますが、私の中では別格です。戦国時代らしくて良いですね。
大手道の脇に前田利家邸・羽柴秀吉邸・徳川家康邸(いずれも伝)が控えていて、これだけでも十分見ごたえがあります。羽柴秀吉は低い身分から信長の重臣にまで出世し安土城内にこれだけ立派な屋敷を構えることを許され、これだけでも快挙と呼べるのですが
この後、初めて天下を統一し関白にまで出世するのだから、まさに戦国時代の申し子と言えると思います。
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2025/11/28 22:30
すぎたるもの (2025/11/09 訪問)
佐和山城に行ってきました。この日は朝から雨でしたが近くまで来たので久しぶりに登ってみることに。寺院の境内地の関係か、目だった案内板が無いので入り口をしばらく探しましたが龍潭寺の奥から道が続いています。
この日は本丸南東部にのこる残存石垣を見て引き返すことに。石が算木積みに二段に積み重なっているだけですが、これが無ければこの城に石垣があったなどと想像もできません。当時はどのような姿だったのか・・三成がそんなに派手好きとは思えませんが、山上に天守がそびえ立っている様はさぞかし勇壮であったと思います。
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2025/11/28 20:10
内牧城(1/2):あそぼーい!で阿蘇へGO! (2025/11/26 訪問)
加藤家を追って八代城・佐敷城から内牧城へやって来ました。でもなぜそこに行ったのか? 内牧城とはどんな城だったのか? のレポートは後の(2/2)でする事とし、とりあえず阿蘇までの楽しい列車での旅をレポートしたいと思います(いつもお城に関係ない話からですいません)。
熊本駅から「あそぼーい!」に乗って阿蘇まで行きました(写真①②③)。熊本駅を出発し、車内で地ビールを買い、雄大な阿蘇の景色を眺めながらの旅は最高です(写真④)。途中「立野駅」では外輪山の急坂を一気に登れないため、何と珍しいスイッチバックで運転します。その珍しい光景をパノラマ席から眺めました(写真⑤)。途中では熊本地震で崩落した、あの「阿蘇大橋」(国道325号)が架け替え工事も終わり、復旧した姿を見せてくれました(写真⑥)。よくぞここまでといった感じです。そして熊本駅を出て80分、阿蘇駅に到着です(写真⑦)。
帰りは阿蘇から「九州横断特急」で熊本まで戻りました(写真⑧⑨)。阿蘇駅で名物「肥後の赤牛」弁当を買い、「うまい!」と舌鼓しながら、帰りも絶景を堪能しました(写真⑩)。九州の「城鉄旅」は、やはり最高ですね!
次はまじめに本題の、(内牧城)の話に入りたいと思います。
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2025/11/28 20:03
【肥後 陣ノ内城】熊本県上益城郡 小西氏時代の巨大な壕と土塁 (2025/10/28 訪問)
陣ノ内城は陣内館(城郭放浪記さんの呼称)、陣ノ内館とも呼ばれて居り令和2年に陣ノ内館から陣ノ内城に改めています。令和3年10月に国指定史跡に制定されました。
住所:熊本県上益城郡甲佐町大字豊内字陣ノ内、甲佐町役場東側の標高100mで約500m程先の丘陵上に在ります。
参考資料:城郭放浪記さん陣ノ内城リフレット、グーグルマップに依る。陣ノ内城のリフレットは甲佐町役場のHPにて出力可能です。
駐車場:南虎口の一つ折れた下道アスファルト舗装道に幅広部分が有り路駐、駐車可能。
規模は:東西210m以上、南北190m以上の北西と南東に虎口を持つ方形の城跡です。壕は箱堀で幅20m程、深さ5m程。内郭の東面から北面に幅広の土塁だ伸びて居ます。現在内部は耕作地に成っております。
歴史は:阿蘇氏の遺構が有り、織豊期小西氏が肥後南半分を領有した期間に改修構築された模様、甲佐町のリフレットでは小西行長の城郭を現在まで良好に残し貴重な城郭と言えますと記載あり。
今回の探訪は、鳥取城からスタートした九州一周10日間の城探訪5回目で、城郭放浪記さんの昨日のトップ10を日々閲覧してる中でこれは凄い是非見たいの願望を4、5年振りに叶えたものです。2020年11月に近くの堅志田城を探訪して折り、3km程と近くでしたのでその時寄って居ればと悔やんだものです。
登城ルートは城郭放浪記さんのルートをなでて北側の湯田集落側からの道を車で登りました細くて狭い道でひやひやでした、駐車場が有るとの情報でそのまま道なりに進み、陣ノ内城跡北東角に到着、駐車場をスルーしたみたいで、その角に路駐し、北側の堀北の道を東西行き来し速足、指示に従い南の土と石ころの道を北から南へ虎口方向へ、道は狭く先の登城道より狭し冷や冷やです、南虎口付近はアスファルト舗装道で一安心、虎口付近に路駐して、本郭へ進入、内部は畑、果樹園に成っており広い曲輪です、中央に資料箱が有り陣ノ内城のリフレットが有りゲット、幅広の土塁が東から北側、西へ伸びて居る。
壕と土塁は大変な土木作業、確かに織豊系を彷彿させます。下城ルートは南側のアスファルト舗装道を三つ曲がりして東へ、県道220号に出て、西200m程で国道443号線、北に500m程で甲佐町の役場です。
登城ルートは南からのアスファルト舗装道がお勧めです、一曲がり下に路駐、駐車エリアが有り大変登城が便利です、令和3年10月に国史と成り整備したのでしょう、城内には幟旗が4年経っていますが多くたなびいていました。
大変満足し願いが叶った初登城でした、城びとに登録されていないのが残念です。
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2025/11/28 14:41
2025/11/28 14:19
2025/11/28 14:02
2025/11/28 07:02
滋賀ドライブでの攻城⑨ (2025/11/09 訪問)
前日は好天に恵まれましたが、この日は朝から雨の一日。予定していた甲賀市の城めぐりはすべて取りやめました。折角、水口に泊をとったので、水口城には脚を伸ばします。幸い、雨は傘が必要ない程度の小降りでしたので、水口高校のグランドを囲む濠周りを一周してみました。初めて櫓台を目にすることができました。10時を待って水口城史料館に入館、水口歴史民俗資料館との共通券を購入しました。ここで大池寺のことをお聴きしましたので当然、赴くことにします。拝観者は私一人で、小堀遠州作庭の蓬莱庭園を堪能させていただきました。献血の予約は午後3:45でしたが、時間が有り余っていたので、2時間近く早く血液センターに赴いてしまいました。予約のキャンセルが出て予定より早く、献血をすることができてラッキーでした。
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2025/11/28 06:47
やっぱり危険 (2025/11/02 訪問)
3連休なのに東京出張、宿は武蔵境でした。
翌日どこへ行こうかなと。
にのまるさんにお声掛けして八王子城かな、とも思いましたがご迷惑であってもよろしく無いですし久々に戸吹城へ向かいました。
秋川駅から徒歩40分くらい、根小屋城とも呼ばれ、滝山三城の一つです。
細い尾根は崩れやすく危険、南曲輪のみ見学可能です。
それでも横堀や枡形、東側には堀切から落ちる竪堀もあり見応えはあります。
ただ、手前の竹林は立入禁止なので竪堀に降りることは自重しました。
とりあえず危険な城であることを再確認した登城でした。
後日城びとのレポート見ると同日朝田さんが八王子城に行かれてました。
またもニアミスでした😌
最後の写真は東小金井駅前で食べた油そばです。
美味しくいただきました。
【見どころ】
・祠周辺の枡形
・東側の堀切と竪堀
・南曲輪北西部の横堀
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2025/11/27 23:31
明智光秀像 (2025/11/15 訪問)
明智長山城は明智城とも呼ばれています。康永元年(1342)土岐頼貞の十男・土岐頼兼によって築かれたとされ、以降明智氏の居城となりました。明智光秀とのゆかりも深く、令和2年に大河ドラマ「麒麟がくる」が放送されたことを記念して本丸に光秀の銅像が建てられました。この日はすこぶる良い天気で、本丸の光秀氏が妙にカッコ良く見えたので角度を変えて撮りました。
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2025/11/27 21:18
令和7年錦秋の鳥羽山城 (2025/11/26 訪問)
二俣城の次に徒歩では西の丸、天竜川沿い堤防道で1.2km程の鳥羽山城へ、私は車で急坂を登り駐車場へ、3台程駐って居り数人の方が夫々紅葉を楽しんでいました。
紅葉も大手門跡辺りが輝いており見所、東門は緑楓のままですが上の方は紅葉で色付き始めでしたが丁度見頃でした。大手道、本丸を観て20分程で終了、二俣城と合わせて50分程でしたが素晴らしい時間を過ごせました。
鳥羽山城の紅葉写真を投稿しますのでご鑑賞ください。
又二俣城と鳥羽山城合わせて植生整備事業を令和8年1月23日間で実施中です、2月に成れが両城とも樹木灌木伐採剪定されて見易く成る事でしょう。2月3月が探訪最適な時に成るでしょう。
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2025/11/27 20:48
令和7年錦秋の二俣城 (2025/11/26 訪問)
雨上がりの昨日午前中、晴天で空も澄切って居り絶好の紅葉撮影日、遠州では遠江一宮の小國神社の紅葉がニュースになり賑わってるとの報道で7ヶ月振りに二俣城の紅葉は如何かと登城しました。
しっかりと紅葉して目の保養、しっかりと脳裏に焼き付けてきました。人は少なく静かに楽しめます。
何時ものポイントを廻って撮影しましたので紅葉の二俣城の写真を鑑賞ください。
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2025/11/27 19:48
紅葉と堀切 (2025/11/12 訪問)
久々に鈴岡城を訪問しました。紅葉も綺麗ですが、やはり堀切に心が惹かれます。いつ見ても良い堀です。戦国時代に小笠原氏は三家に分かれ争っていましたが天文23年(1554)の武田信玄の伊那侵攻に際し鈴岡小笠原氏の小笠原信定は敗れ落城しました。
その戦いで信玄配下となった松尾小笠原氏が信濃先方衆として活躍し松尾城を奪還して、鈴岡城は松尾城の支城となりました。
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2025/11/27 19:19
土塁の一部 (2025/11/23 訪問)
案内板によると横田城は平安時代末ごろに築かれたとされ養和元年(1181)木曽義仲が越後の平氏の軍勢と戦った時に使用されたそうです。応永7年(1400)の大塔合戦の際には信濃守護小笠原長秀がこの城に籠って村上氏や大文字一揆らと戦っており、
川中島の戦いの際には甲斐方の原大隅守が籠ったとされています。土塁の一部が残っていて稲荷社が置かれています。この周辺が殿屋敷と呼ばれ本郭あたりになるようです。
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