相方城の素盞嗚神社から車で70分弱で、高越山城駐車場(34.607594、133.519079)に着きました。
左足首軽い捻挫状態の自分にとって本日2番目の難関(山城)です。まだ歩けそうです、いざ登城です。
1281年(弘安4年)弘安の役に際して、蒙古襲来に備えて幕府が宇都宮貞綱に命じて築かせたと伝えられています。その後、備中国荏原郷を得た那須氏の城となります。
室町時代になると備中国荏原郷や井原荘、笠岡村等を領した伊勢氏の持城となり、伊勢盛綱の四男である盛定が所領分割で荏原荘を得たため、その居城となりました。
伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)は、この備中伊勢氏出身で、1432年(永享4年)伊勢盛定の子としてこの地で生まれました。
新九郎は青年時代までこの城で過ごし、西江原の法泉寺で学んだといわれています。その後、30代で京都伊勢氏の養子となり、京都に上り幕府に仕え、応仁の乱後、妹の嫁ぎ先の守護今川家に身を寄せます。
新九郎は今川家の家督争いを治め、56歳にして駿河国興国寺城の城主となりました。
その後、伊豆国、相模国を治め88才で亡くなるまで北条5代の関東支配の基礎をつくり、戦国大名の先駆けとなりました。
その後、高越城は引き続き備中伊勢氏によって維持されますが、伊勢貞勝の頃に毛利氏に臣従し、高越城は宍戸隆家の持城となりました。
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、毛利氏が防長移封となると、高越城も廃城となったと推測されています。
城の北側に立派な見学者用の駐車場があり、そこからお城へ歩いてすぐです。眺望が良く北条早雲生誕の地の旗が見映えします。
高越城址公園として整備され、山頂の一の郭には土壇があり、「北条早雲生誕の地」碑が建立されています。
二の郭、三の郭には左足首が痛いので下りず、一の郭より下を見ました。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=猿掛城に向かいました。
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