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岸和田城

「甦る岸和田城」ギャラリートークのお知らせ (2026/01/10 訪問)

🏯✨現在開催中「甦る岸和田城」✨🏯
1/10・11(SUN)は栢木隆先生のギャラリートーク✨
展示解説はもちろん、「ここが知りたい!」という質問にも先生が直接答えてくれます!
新年は岸和田城へ!

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JPN-AZE

The Family Crest (2026/01/03 訪問)

2026年1月3日、東京都八王子市にある片倉城跡公園を訪問。ここに行って気付いたのは、城内にある住吉神社境内にある幟に、一文字に三ツ星の家紋がありましたが、あとで説明板に、大江氏や、その流れを汲む長井氏が片倉城に関わっていたとあったので、

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送りバント

20230514二条城(京都府京都市中京区) (2023/05/14 訪問)

4年ぶりの再訪で、初めての天守台を含め城内全域を細かく見て回る

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送りバント

20190127二条城(京都府京都市中京区) (2019/01/27 訪問)

中学の修学旅行以来、三十数年ぶりの訪問。団体旅行での駆け足訪問のため二の丸御殿のみの見学だったが、重厚な雰囲気に圧倒される

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送りバント

20190127二条古城(京都府京都市上京区) (2019/01/27 訪問)

近隣の旧二条城、妙顕寺城とセットで城址碑を確認

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しんちゃん

浜川砲台 大砲愛😍 (2026/01/01 訪問)

品川区東大井に有った浜川砲台は幕末の嘉永7年(1854)1月、土佐藩によって築かれました。現地案内板に寄れば土佐藩はこの地に鮫洲抱屋敷を持っていたので幕府に砲台を作ることを願い出たとのことです。
浜川砲台には六貫目ホーイッスル砲・・一門 一貫目ホーイッスル砲・・二門 鉄製五貫目砲・・五門
の計八門の大砲を装備していたようです。
当時の土佐藩の大砲製造の技術は天下一品で、土佐藩で製造された大砲は射程2.5kmはあったとか。
ペリーがホーイッスル砲を日本にプレゼントして、一年もたたずに江川太郎左衛門英龍がそれをコピーしたという話があります。
ペリーにしてみれば大して脅威にはならないと考えたのかもしれませんが・・甘いですぞ。
夜闇に乗じてホーイッスル砲を積んだ大量の小舟で黒船に肉薄攻撃をかければ、ペリーたちを海の藻屑に・・むむむ
ホーイッスル砲はカッター船に積み込める小型の大砲なので、機動力を持って敵の大砲の射程を相殺することが可能です。
失敗すれば敵は沖合に移動して攻撃してくるので逃がしてはいけませんぞ! 脳内仮想シミュレーションが止まりません。

大砲を作る大量の銅はどうするって? 奈良と鎌倉の〇〇を溶かして(ボカッ!!)

そこに愛はあるんか?・・あるじゃないですか、地元有志の努力によって形となった「大砲愛」が!!
近くには坂本龍馬の銅像があります。案内板によれば嘉永6年(1853)ペリーが黒船4隻で来航した際に、若き日の龍馬が土佐藩品川下屋敷近くの浜川砲台の警護にあたったとのことです。ここにも有志による「龍馬愛」があふれています。
まさに「幕末愛」でござんすね

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しんちゃん

日比谷見附 (2026/01/01 訪問)

現地の案内板によれば、日比谷門の名の由来は中世のこの地域に日比谷村があったことに由来するようです。慶長19年(1614)に熊本藩主加藤忠広によって石垣が築かれ、寛永5年(1628)に仙台藩主伊達政宗によって門の石垣が築かれたようです。
現在は日比谷公園の心字池近くに石垣が残っており、心字池はかつての堀の名残のようです。
江戸城には外堀と内堀に沿って36の見附(城門)が有ったとされ、この日比谷御門だけが橋の無い枡形門であったようです。

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しんちゃん

豊臣神社 (2025/12/30 訪問)

愛知県名古屋市の中村公園の中に豊国神社はあります。豊国神社と言えば京都や大阪城にあるものが有名ですが、中村区中村町の豊国神社もなかなかですよ。ここ中村町は豊臣秀吉の生まれた場所でもあります。
人気のある武将ですが、実はけっこうアンチも多かったりします。でも平民(足軽)の身分から天下を統一した天下人にまで上り詰めた人物なので私は天才中の天才だと思っています・・ただの「たらし」じゃありませんぞ。
大河だと、おっちょこちょい&お調子者な感じで、それをしっかり者の秀長が支えていくといった展開になるのでしょうか。
秀長の新たなヒーロー像にも期待しています。
大河ドラマ館も楽しみです、もうじき会館するのかな。加藤清正公の生誕地の近くでもあり、中村公園の中には秀吉清正記念館が建てられています。

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november

一番ハードルが高い国宝城でした (2025/12/20 訪問)

自分が住んでいる所からは一番アクセスが悪く、ハードルが高い国宝城でしたが、島根観光の際に訪問することができました。階段が急で這いつくばるようにして登りましたが、それだけの価値がある素晴らしいお城でした。周辺には小泉八雲記念館などもあり、散策を楽しめました。

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november

2025年に行くべき場所、富山 (2025/11/23 訪問)

富山観光の際、富山城を訪問しました。周辺には高層の建物が多く、写真を撮ると必ず映り込んでしまいます💦観光案内所の方も「ビルやホテルが建つ前は、富山城と立山連峰が綺麗に見えるのがウリだったんですけどね…」と残念がっておられました。城横の美術館では貴重な浮世絵が観られました。

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november

美術館&亀城公園&歴史博物館 (2025/11/08 訪問)

刈谷市美術館を観覧の後、刈谷城跡である亀城公園を訪問しました。公園には建物は残っていませんが、隣にある歴史博物館で城の歴史や出土品などが観覧できました。

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november

逸翁美術館&池田城跡公園 (2025/09/27 訪問)

逸翁美術館を観覧した後ですぐ隣にある池田城跡公園を訪問しました。建物は残されていませんが公園を見渡せる展望台があり、その下にある池では鯉に餌をあげることができます。

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november

とても暑い日でした💦 (2025/07/29 訪問)

2025年7月、とても暑い日に大阪城とその周辺を訪問しました。まずは大阪歴史博物館で正倉院TheSHOWを観覧し、大阪城公園へ。大阪城はすごい人出で入城するまでにかなり待ちました。お城のあとは豊臣石垣館へ。こちらは人が少なくゆっくりと観覧できました。

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張陳

人生を変えた障子堀 (2026/01/03 訪問)

山中城は人生二度目の訪問です。
以前は三島駅からバスで向かいましたが、今回は興国寺城と合わせて訪れたので、車で向かいました。

個人的な話になりますが、それまで土の城の魅力に気づいていなかった私が初めて魅せられたのがこの山中城でした。
そこから数々の城を訪れましたが、山中城の魅力は色褪せることはありませんでした。

一番の魅力は障子堀の美しさだと思います。
また、城跡全体も整備がいき届いていて見やすいですし、各所にある立て看板からは、執筆された方の熱意が伝わってきて、とても楽しく読ませてもらいました。

とはいえ、山間の城ですし、億劫に思われる方もいるかもしれません。
そのような方やライト層の方にもおすすめしたいのは富士山の眺めです。
障子堀がきれいに見られる西ノ丸や、本丸側から旧東海道を挟んで南にある岱崎出丸からはきれいな富士山を見ることが出来ます。
岱崎出丸には櫓台のように一段高くなっている場所も複数ありますので、その景色を見るためにも一度訪れてみてはいかがでしょうか。


ちなみに、この日の私のルートは、駐車場から先に岱崎出丸に向かい、そこから本丸側に戻り、西ノ丸→元西櫓→西櫓の帯曲輪→北条丸→本丸→天守台→北条丸に戻って虎口から箱井戸と移動しています。

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張陳

見どころは景色と大空堀 (2026/01/03 訪問)

三島駅でレンタカーを借り、一路、興国寺城へと向かいました。
最終的に県道22号線を東から西に向けて進んだのですが、かなり道幅の狭い対向車のある道路ですので、不慣れな方は国道1号線から県道165号線を北進する方が良いかもしれません。

公道から一番近い駐車場に車を停め、二の丸、本丸と歩いて向かいました。
全体を覆っているわけではないですが、本丸の土塁は非常に高く、迫力があります。

そこから天守台跡に向かいました。
天守台跡から振り返ると、駿河湾に向けて道がまっすぐに伸びていますし、その奥に見える伊豆半島も相まってとても良い景色でした。

大空堀は非常に深く長さも残っています。
降りることが出来ますので、お見逃しのないように。

個人的には、天守台跡から大空堀に向かう途中で上から見える景色で、本丸東側の土塁越しに見る本丸の景色が気に入っています。

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張陳

念願の小峯御鐘ノ台大堀切へ (2026/01/01 訪問)

今回の主目的は石垣山城だったのですが、以前、小田原城の見に行った際、時間の関係で行けなかった大堀切にも向かいました。
小田原駅からであれば、県立小田原高校方面に道を進めば辿り着けますが、かなりの坂道ではありますのでご注意を。
地元の方は「空堀」と呼ばれているそうなので、もしタクシーで行かれるならそのようにお伝えになるとスムーズかと思います。

私は石垣山城からでしたので、Googleマップ上は「小峯御鐘ノ台大堀切東堀」となっているスポットまで向かってもらい、そこから堀底を北端まで進みました。
現在でもかなりの高さで、当時はこのような堀が小田原城下を覆っていたのだと思うととてもワクワクしました。

私はその後、北端から小田原駅方面まで徒歩で戻り、駅近くの「天史朗鮨」さんでお寿司をいただきました。

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張陳

相模湾と小田原城下を臨む景色◎ (2026/01/01 訪問)

小田原駅からタクシーでヨロイヅカファームを目指しました。
駅から石垣山城まではかなりの勾配を登ることになるので、徒歩よりも自動車がおすすめです。

ヨロイヅカファームは石垣山城に隣接したお店で、美味しいケーキやパンなどをいただけますし、駐車場内の公衆トイレ前には続百名城のスタンプも設置されています。

さて、本題の城跡ですが、駐車場から城跡に入って直ぐに南曲輪の石垣がお出迎えしてくれます。
所々崩れていますが、石垣の規模の大きさを感じさせてくれます。

私はそこから道なりに馬屋曲輪の石垣(野面積みの石垣がきれいに残っていてとても良い)→二の丸→南曲輪→本丸と進みました。
本丸には展望台も設置されていて、そこからは小田原城も見下ろせますし、その奥に広がる相模湾の景色も雄大で必見です。

その後、天守台跡→北側の虎口→井戸曲輪と進みました。
井戸曲輪も石垣の残りが非常によく、大満足でした。


なお、帰りのタクシーは迎車をお願いすることになりますから、早めに呼ばれることをおすすめします。

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トク

125【関ケ原の26人】(26)井伊直政 (島津の退き口(1/3))

(26人目)井伊直政の続き㉗です。
ここからは、直政がどのようにして島津を追い、そしていったいどこで狙撃されたのか? 島津の退き口は、以前「島津義弘」と「島津豊久」の逃げる側の視点で追って行きました。今度は「井伊直政」の追う側の視点で追って行きたいと思います。まず(家康陣→烏頭坂→琳光寺)です。

戦の大勢がほぼ決まり、気がつくと東軍に囲まれた島津隊ですが、島津義弘と島津豊久は逃げるのではなく、ここで何と家康の首めがけ一直線に徳川家康陣に攻め込みました。そしてあと一歩、家康の首まで50mの所まで迫った義弘ですが、もはやこれまでと井伊直政の前を猛スピードで素通りし伊勢街道の方向へ逃げ去ります。

この時、島津義弘家臣の「川上四郎兵衛」は、大胆にも家康の御前まで行き、こう奏上したそうです。

 本来は東軍に加わるべきところ、
 伏見城にて鳥居元忠に拒否されたため、
 やむなく西軍に加わり申した。
 関ケ原で家康様と戦う意思は
 全く御座りませぬ。
 後で薩摩の当主「義久」より
 詫び状を送ります由、
 ここは何卒、何卒お許し下され~!

と伝え、義弘の後を追って行きました(この川上四郎兵衛という男、この後も登場しますので名前を憶えておいて下さい)。目の前を猛スピードで横切る島津の軍勢を見た井伊直政と本多忠勝は、

 待て~! 逃がすものか~!

とこれを追います。そして烏頭坂へ差しかかった時、ここで島津豊久は義弘に向かい、

 島津家の存亡は、
 義弘公の一身にかかっておりまする!
 必ずや落ち延びて下され~!

と叫び、義弘を逃がすべく何と盾となり、島津究極の戦法「捨て奸(すてがまり)」を敢行します。しかし追う直政と忠勝は、ここで豊久には致命的な重傷を与えましたが、義弘・豊久を共に逃がしてしまいました。また忠勝は愛馬を撃たれ、ここで追うのを諦めてしまいます。しかし直政は諦めず、さらに追い続けます!

次に牧田の琳光寺まで追った所で、今度は義弘の家老「長寿院盛淳」が、義弘の陣羽織を身に着け

 我こそは島津義弘なり~!

と叫び二度目の捨て奸を敢行します。そして壮絶な討死を遂げました。これによりかなりの時間をかせがれてしまい、直政は義弘を見失ってしまいました。この二度の恐れを知らぬ島津の捨て奸に、直政軍もかなりの死傷者を出したようです。しかし直政はまだまだ諦めません。思えばこの判断とここからの深追いが、命取りになったのやもしれません。

次は引き続き、直政を追って(勝地峠)へと向かいます。
 

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todo94

2026年始・元日の両毛の攻城② (2026/01/01 訪問)

赤見城からの転戦です。織姫公園のもみじ駐車場に駐車しました。駐車時間は2時間以内との表示があります。主郭の北側の堀切まで2km近く歩かなくてはなりませんから、のんびりとはしていられません。堀切は岩を穿ったものでした。両崖山の山頂には木曽御嶽神社が鎮座しています。私にとって2026年の初詣ということになるのかな。元日から大勢の方が登られていました。人気のスポットのようですね。

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小城小次郎

切岸が圧巻 (2025/03/30 訪問)

織田方の伊勢侵攻、賤ヶ岳の戦い、小牧長久手の戦いといった重要局面で必ず攻め落とされるという苛烈な運命を辿ったお城。切岸は圧巻で伝・天守台から見下ろすと何で落とされるのかが不思議。もう少し整備が進めばなお良いと思う。

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