松江城水鏡のため訪城。幻想的で美しい松江城。
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2026/09/23 22:40
2026/09/23 20:46
「長曾我部元親」陣跡(秀長に敗れた元親のその後) (2026/09/22 訪問)
大河ドラマ豊臣兄弟(第36話)では、1585年の四国平定で、秀長軍により一宮城で敗れ降伏する長曾我部元親の姿が描かれました。ではその後の元親はどのような人生を歩んだのでしょうか?
そのヒントを探しに、肥前名護屋城(前田利家陣跡)から、南に10分(500m)程歩いた所にある、「長曾我部元親陣跡」を訪れました。この小高い山(標高50m)に陣は築かれていたようです。標柱から右側に細い道がありますが私有地のようなので、畑仕事をされている方に許可をもらい入りました。畑の先に石垣跡を見つけました。おそらく元親が築いたものと思われます。その先には人工的に削った曲輪か建物の跡らしき場所も多々ありましたが、荒れた竹藪だらけの整備されていない細い道で、蚊の大軍にも襲われたので、ゆっくり見る事ができず早々に撤退しました(整備してほしいなあ~😩かゆい)。しかしあくまで私の推測ですが、元親はここで屈辱に耐える日々を送っていたのではないでしょうか?
秀長に敗れた翌1586年、元親は仙石秀久の配下となり、戸次川の戦いに行きますがそこで敗れ、秀久のせいで最愛の嫡男「信親」を亡くした事は「鶴賀城」でお伝えしました。そして土佐に帰り、居城を「岡豊城」から海に近い「浦戸城」に移し水軍を強化します。この頃から「姫若子」と呼ばれていた元親の女っぽい性格?は変わり、「鬼若子」と呼ばれる怒りっぽい性格になったとか(本当かな🤔?)。小田原征伐→文禄の役→慶長の役と、秀吉から水軍を中心とした海上輸送の裏方(兵站輸送)ばかりをを命じられ、そのイライラからか家臣にも当たりちらし、独断で物事を決めるようになったそうです。後継ぎも二男・三男を通り越し、家臣の反対を押して四男「盛親」と勝手に決めてしまいます。その直後の秀吉が没した翌1599年に、元親も急な病で没したようです。結局、四国統一まであと一歩と迫りながら敗れ、転げ落ちるように人生後半は、屈辱とイライラに耐えた人生だったのかもしれません🤔。
その盛親も、翌1600年の関ケ原で西軍に付くも敗れて京都に幽閉され、長曾我部家は家康より土佐を召し上げられ改易されてしまいます。しかし盛親は1615年大坂の陣にて再び立ち上がりますが、またも敗れ、京都の三条河原で処刑され、長曾我部家は断絶したようです。
この荒れ果てた小高い山を眺めていると、長曾我部家の悲しい結末(栄枯盛衰)を想像せずにはいられませんでした。
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2026/09/23 18:02
地震と豪雨の被害もあって
本丸の後は遊佐氏館跡に戻り、石垣を観察しました。残っている石垣は低石垣であり、城内ではここだけかと。
その後温井屋敷跡を通って二の丸へ向かうと、二の丸石垣が見られますが、一部シートがかかっています。また九尺石も同じくシートがかかっており、見えませんでした泣。
二の丸から三の丸へ向かうところでは標高差が大きいおかげで、急な階段でした。その証に、二の丸と三の丸には大きな堀切が残っています。
山城といっても、駐車場から見所はすぐ見ることができ、探訪しなすいお城でした。
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2026/09/23 17:48
長森城の跡地に建った切通陣屋は長森騒動を誘発した (2025/11/24 訪問)
南北朝期に土岐氏の本拠にもなっていた長森城の故地に19世紀になって磐城平藩の飛地管理のために切通陣屋が作られた。飛地時代は飛地ならではの苦労もあったようで長森騒動という大きな騒動もあったそうだ。
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2026/09/23 13:26
脱線注意報発令。勝山城内、遺構以外に注目の巻。 (2026/07/04 訪問)
暑くなる前にと7月に攻めた「勝山城」。
無料の駐車場がありました。何かイベントがあるのか交通整理をしている方々が駐車場の案内をしてくれました。
勝山城址公園、さくら市ミュージアム、氏家ゆうゆうパークと、いろんな目的の方々が目指す方向に歩いて行きます。
まずはと、奥に旧森家の長屋門がありました。写真は写してませんが蔵もあります。蟻地獄の巣(?)があり、子供達が大騒ぎでした。私も小さい頃は残酷な遊びをしたものです。
あと、地蜘蛛もいました。もう、地蜘蛛の袋は触れません。
下の虫ばかり気を取られ、鬼怒川方面に進みました。
桜の見本園があり、花の季節はいろんな種類の桜が見られるのかもしれません。そちらから本来の目的、「勝山城」攻めです。
ビ~ンビ~ンと、草刈機で散策しやすいようにしている最中です。ありがとうございます、と伝えたかったのですが、草刈機をこちらに向けないように堀中腹で待ってくださいましたので、お背中に会釈して足早に通過しました。
川側に写真⑤⑥、雪姫と紅葉姫、乙姫のお話。「勝山城」の遺構も立派だったので、戦も多かったはず。姫達のお話が昔話風に書かれてました。
さくら市ミュージアムに到着。(写真が多いので遺構は次回の投稿で紹介します。)
この日は妖怪のイベントがあるようで、家族連れが多かったです。外には縄文時代の住居跡が移築してありました。説明板には、勝山城内から型どりして移築した、とあります。氏家氏、使ってたのかなー?と、どうでも良い事に疑問。その他、明治時代の鉄道の橋脚等々展示してありました。
東京の端っこは、平均30度位の8月でした。
と、言っても急に暑く急に涼しい、蒸し蒸しの夏でした。でもって、雨と台風です。
私は図書館で本を借りた際、少し募金をするようにしています。昨今、たくさんの自然災害があり、その数だけ募金箱が増えてます。
城びとの『行った』をポチッとする為に通った地域を、今では他人事とは思えなくなっている今日この頃です。
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2026/09/23 12:16
2026/09/23 11:58
2026/09/23 11:27
坤櫓&西側土塀の復元 始動!! (2025/08/20 訪問)
約1年半ぶりの福井訪問。前回来た時は、雨模様で消化不良に終わったので、今回はリベンジマッチです。
まずは本丸跡に建つ福井県庁へ。県庁で行われている福井城坤櫓復元募金に微力ながら寄付させていただきました。県のエントランスで案内を受けて、担当部署の方へ。めったに他県の県庁を訪れることは無いので、少し緊張しました。募金の記念として、限定の御城印をいただきました。御城印には、坤櫓の復元図がデザインされていてめちゃくちゃカッコいいです!!
完成は令和11年度を予定しているようです。福井に三重櫓がよみがえるのは楽しみです!!
その後、福井に滞在している間、涼しくなっている朝と夕方を見計らって、福井城周辺を散策しました。
坤櫓の工事が開始され、本丸の水堀はだいぶ水が抜かれていました。水位が下がり、普段は水の中の石垣も露出して見ることができたのですが、個人的に注目したのが、福井城内堀公園の西側の石垣です。福井城の本丸は全体的に布積みの石垣が多いと思っていたのですが、ここは谷積み(落し積み)で積まれていたので、けっこう驚きましたね!!
本丸周辺を散策したあと、南側の北ノ庄城跡、下馬御門跡、北側の舎人門遺構とその隣にある福井藩主の別邸の養浩館も見学。養浩館の庭園は想像越えてきましたね。陽の光が池の水に反射して、天井をキラキラ照らしているのが、とても素敵な庭園でした。養浩館は夕日のコントラストが非常に良いので、夕方に行かれるのがオススメです。
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2026/09/23 11:17
2026/09/23 10:54
2026/09/23 10:49
2026/09/23 10:38
2026/09/23 09:30
2026/09/22 21:08
転身を重ねて (2025/11/24 訪問)
旗本徳山氏は土岐氏から養子を迎えているので血統的には土岐氏だとか。斎藤・織田・柴田・丹羽・豊臣・前田・徳川と主を変えたと言われる徳山則秀は大名こそ逃したがよくぞこれだけ転身を重ねられたものだとつくづく感心。
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2026/09/22 13:15
2026/09/22 12:38
100名城の7(ㅂ・᷅ )多賀城 (2024/04/25 訪問)
日本三大史跡( ・᷄ㅂ・᷅ )多賀城
戦国でよくある城というより( ・᷄ㅂ・᷅)街…都…行政とかもする場所なんだよなぁ
奈良時代のお城かぁ。普段見ている江戸や戦国の城とは違って、中々趣がある。
時が経っているだけあって、残っているものも少ないけど、綺麗に発掘、復元しているから、壮大な雰囲気が味わえる。
国宝多賀城碑も、聞いたことがあったけど,実物見れて感動した( ;∀;)
西って、結局どういう意味なんだろ?
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2026/09/22 12:10
100名城の6( ・᷄ㅂ・᷅)盛岡城🏯 (2024/04/24 訪問)
中々行く機会無いな( ・᷄ㅂ・᷅)盛岡
冷麺もいいけど、今回の目的は奥州の名城🏯盛岡城
巨大な石垣が残る公園になってる。縄張り見てても、普通に公園散歩してるみたいだな
城好きとしては寂しいが、公園としてはそう思えるのがいい公園なんだろうね( ・᷄ㅂ・᷅)
元は奥州の南部の城で、巨大なお城。もう少し痕跡や建物が残っていると嬉しいね
⚡️電撃ネットワークの南部虎弾⚡️は子孫かと思ったらそもそも本名じゃないらしい
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2026/09/22 08:10
牽牛子塚古墳からの遠望 (2026/09/20 訪問)
シルバーウイークのスタートはクラブツーリズムのツアー「明日香村たっぷり大満喫2日間」に申し込んでいました。世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産19のうち、11箇所(車窓から見たものも含めれば13箇所)をめぐり、蘇我稲目の墓ともいわれる都塚古墳の石室(通常非公開)にも入れるという魅力的な内容のツアーです。週間予報は雨予報でしたが、台風が当初の予報より東側にそれてくれたおかげで2日間とも雨に降られることなく、散策を楽しむことができました。城分0かと思っていたのですが、斉明天皇の墓であることが確実な牽牛子塚古墳から高取山(高取城)を望むことができました。21日は江戸東京博物館の大河ドラマ特別展を見てくる予定でしたが、台風が怖くて朝のうちに帰路につくこととしました。連休後半はたまっている仕事を片付けることにしました。
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2026/09/22 08:00
とことん一乗谷(小城) (2026/04/12 訪問)
小城(福井市城戸ノ内町・城びと未登録)は、一乗谷城の出城として朝倉氏によって築かれたと考えられますが、築城時期など詳細は不明です。朝倉館の後背に位置することから、朝倉館の防衛も担っていたのかもしれません。
馬出ルートの分岐を南に進んで行くと小さな谷の奥で行き止まりになります。小城の案内表示などは見当たりませんが、沢の対岸の石段が登城口なのでは、とあたりをつけて行ってみると、はたして少し直登したところで巨大な堀切に行き当たりました。小見放城の大堀切に劣らぬ幅と深さがあり、中央部に土橋が設けられています。大堀切の北側には小さな主郭があり、主郭の西裾では堀切、横堀、竪堀を大規模に組み合わせて山麓からの侵攻に備えています。倒木や倒竹をかい潜って進む必要がありますが、こちらも堀底に土橋が設けられていたりでなかなか見応えがありました。
…ということで、1年半前に積み残していた小見放城と小城に登城したことで、3年半越しでようやく当初想定の「とことん一乗谷」を果たすことができました。そして、一乗谷、楽しかったなぁ…と満足して家に帰る道中でふと思い出しました。前回押し忘れた100名城スタンプをまたも押し忘れてた〜っ!(小城の後でスタンプを押しに復原町並に行くつもりでした) まだまだ一乗谷の旅は終わらないようです(笑)
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2026/09/22 07:09
奥出雲町紹介 (2026/08/12 訪問)
このところ帰省する機会が増え、久しぶりに登城しました。
この日は雨模様、それでも歩きやすく整備されています。
みざわの館は月〜水が休館ですが城には登れます。
本丸からの山波は雲で覆われ、まさに「八雲立つ」、幻想的でした。
見どころは多い尼子十旗、三沢氏の居城です。
三沢城のある奥出雲町、最近はTVドラマのVIVANTで主人公の故郷に設定されています。
お陰で観光客が増えているよう。
このタイミングで私の故郷紹介です。
とはいってもいわゆる過疎地で目玉のスポットはありません😓
まずはVIVANTで堺雅人さん扮する乃木の実家は櫻井氏住宅、たたら製鉄で財を成した名家で櫻井氏は塙団右衛門の子孫と云われます。
この日は早朝に訪れたので閉館中でした。
次は駅舎内のお蕎麦屋さん、亀嵩駅にあります。
東京や信州の白い蕎麦も良いのですが出雲人にはやっぱりコレ。
ボソボソっとした蕎麦粉香る茶色い、割子蕎麦がお薦めです。
さらに同じ亀嵩エリアは松本清張の「砂の器」の舞台です。
映画のロケがあったのは私の幼少の頃、こんな田舎が映画の舞台になるなんて、と驚いた記憶があります。
鬼の舌震は約2kmにわたる峡谷、ここもVIVANTのロケ地となりました。
横田エリアでは広島県との県境、鉄道では出雲坂根駅に日本でも珍しい三段式のスイッチバックがあります。
それほど急勾配、ただ運行本数は超少ないです。
この駅には飲むと寿命が延びるといわれる名水、延命水が湧き出ています。
車ではおろちループ、国道314号線が螺旋状になっていて神話に出てくる「ヤマタノオロチ」に例えて名付けられました。
他にもプチスポットはいくつかあるのでまたの機会に紹介できれば、と密かに思っています。
【見どころ】
・大手門の石垣
・主郭の高い切岸
・本丸と鳥居丸の間の堀切
・十兵衛担から落ちる馬出し堀
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