開城の合図は太鼓でした。珍しく天気良かったです。城内の床の隙間から下が見える所もあって、床の写真も撮りました。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2025/05/22 21:19
2025/05/22 21:12
主郭東側の堀切と土橋 (2025/05/06 訪問)
田野城は伊東氏48城の一つとされています。訪問時には参考にする資料が無かったので、東側の丘陵の散策のみに留まっています。それだけでもけっこう収穫があったのだけど『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書』を元に余湖さんが作った縄張り図があって、それを見ると東側の縄張りはだいたい合っている。でも西側の遺構もなかなか面白そうなので、訪問される方は東西両方訪れていただきたい。
なかなかハードルの高い城で、「事務所で許可を取る必要がある」「途中から荒れた林道を進む必要がある」「藪に覆われていて、登城道がわかりづらい」といった具合です。
ピークが3つあって、それぞれの頂部に郭が設けられています。西から一つ目が主郭のようで、西側に腰郭を備えています。この腰郭まで、けっこうな急坂をよじ登って行ったのだけど、南へ回り込んでいくと、比較的楽に登れる坂道が付いていました。主郭まで登ると、扁平地があって東に深い堀がかかっています。ここを注意して降りて行き、二つ目の郭を目指します。堀にはかなり大きな土橋がかかっていて、この城の目玉の一つだと思います。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2025/05/22 20:56
👀東横イン→小田原城,正解です🎊 (2024/02/12 訪問)
「東横イン小田原駅東口」833号室からの眺望です。朝食後だったので,7:00を少し過ぎたあたり。夜も良かったのですが,窓に自分自身が反射して,うまく撮れなかったです。
この時は2泊しているのですが,フロントに眺望のお礼を伝えたところ「連泊のお客さまを優先的に上層階にご案内しております」とのこと。
その約半年後,調子に乗って再度連泊したら,同じ8階だったのですが,小田原城と反対側の部屋でした…<泣>。
さらに「東横イン小田原駅東口」でうれしかったのは,毎朝カレーライスがあったこと。カレーライスを基本に,日替わりでトッピングをチョイスしておりました。
今でもスタンスが変わってなければうれしいです…。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2025/05/22 20:54
2025/05/22 20:42
【いろいろ大変】伊東48城の一つだが情報が少ない。 (2025/05/06 訪問)
ChatGPT・・悪くないですよ。おかげ様で「しんちゃん村」に、おかしな住民が増えています。事務兄さんもイオさんに感謝していましたよ。ありがた山の熊五郎ですわ。
田野城は宮崎大学演習林「田野フィールド」の敷地内に有り、立入禁止との情報があったので「不発弾」案件を覚悟していました。城郭放浪記さんの記事を見ると、川の対岸に城郭風(たぶん便所)の建物がある公園が有るようなので、そこへ行ってノンアルカクテル(0.00%)でも片手に写真でも撮ろうかなと考えていました。この日は朝から小雨の中での訪城が続いており、那珂城の藪コギでいささか疲れたので、ちょっと楽が出来ると考えていました。
とりあえず、現場まで行ってみる。林道の入口にはチェーンが張ってあります。ここまでは予定通り。・・!近くに事務所が有りますね。こんちわ~・・・ えっ? 入っていい?? おっと、入れちゃったぜ・・。
予定変更。事務所で話をしたら、あっさり中に入れてしまった。まあ、楽して「不発弾」で済ますという発想が俺らしくなかった。どうやら、この城址は俺に微笑みかけてくれているようだ。それもちょっぴり意地の悪い笑顔で。
城址近くまで林道が続いていて、途中分岐が2か所あります。事務所の人の話だと二つ目の分岐までは、最近まで6tトラックが往復していたので、私の車でも大丈夫だろうとのことです。実際、二つ目の分岐までは普通車でも問題ないでしょう(自己責任)。その先はミニ四駆でも無理なので、歩いて行った方が無難です。私は念のため一つ目の分岐の手前に車を置いて進みました。途中、道を間違え少し時間をロスっています。
城址に近づいてくると、丘陵の周囲が水堀のようになっています。進んでいくと城址のある丘陵に渡れそうな場所があるので、そこから入って行き、しばらく藪の道を進んで、左右の丘陵の中心近くまで登って行きます。東側の丘陵部が城址の主要な部分になりますが、西側の丘陵も郭の雰囲気が有るようです。
地形図を見ると城址のある丘陵の北側中央部まで林道が伸びていますが、実際は草で覆われています。帰りは城址東側から北を迂回して戻って来ましたが、とてもお勧めできるルートではありません。現時点では私が登城時に使ったルートで取りつくのが、まだましな方法のようです。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2025/05/22 20:37
【春の長崎天草を巡る⑲】(12)江川城(福江城の前身) (2025/04/05 訪問)
春の長崎天草を巡る旅、(12城目)は「江川城」です。
五島の福江港に到着後、まず福江城の前身である江川城跡へ行きました。
江川城は1521年宇久盛定によって福江川の河口に築かれた城です。壱岐の勝本城築城をお伝えした時に名前が出た盛定の曾孫の宇久純玄は、姓を宇久→五島に改め「五島純玄」と名乗り、豊臣秀吉に従い朝鮮へ出兵しました。しかしそこで何と病死してしまいます。純玄に子が無かったため、小西行長の計らいで宇久島一族の宇久玄雅が養子となり「五島玄雅」と名乗り城主となったようです。
一方大村では、大村喜前は父の純忠がキリシタンだったため、領内に多くの信者を抱えていましたが、秀吉からキリシタン禁止令が出たため苦慮していました。その時に五島では農民不足が深刻化していたため、玄雅がこれらを受け入れたそうです。3千人もの信者が大村から五島へ移住したとか。それでどうやら五島には教会が多いのですね。
江戸時代に入り、その玄雅は福江藩を立藩し1万2千石の初代藩主となりました。しかし1614年江川城は火災で焼失。玄雅の後を継いだ2代藩主「五島盛利」は3年後の1617年から21年かけて石田陣屋を築き1638年居を移したようです。
そのため江川城の遺構は現在ほとんど残っていませんが、築城で財政が困窮を極めた折に通商を求め来た明人「王道」に対して、盛定が与えた居館跡で航海の安全を祈った「明人堂」(写真③④⑤)や、飲料水を得るために掘られた「六角井」(写真⑥⑦)などが残されていました。城跡には「石碑」があるはずと探しましたが見つからなかったので、今夜予約した「五島第一ホテル」に行くと、何と玄関の前ありました。どうやらこのホテルの建っている場所が、かつての江川城だったようです(写真①②)。
五島は猫の多い島でした。ベンチの上や漁師の網の間やなど、あらゆる場所で猫がのんびりとしている、何とも平和な雰囲気の島でした。写真を撮っている私の前に来て、なぜか変な格好をする奴もいました。撮ってほしいのかな? それとも遊んでほしいのかな?(写真⑧⑨⑩)。
次は翌朝「福江城(石田城)」を訪れます。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2025/05/22 20:32
平戸城 (2025/05/16 訪問)
島原城へ行った後平戸城へ行きました。やっぱり、海の近くにあるお城と山の方にあるお城とでは、石垣の石の形などが違うなぁと思いました。天守閣から見る景色も良いです。
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2025/05/22 19:25
予報どおりの大雨でしたが、行ってきました。 (2025/03/02 訪問)
大雨の中、広い公園全域を歩くのは辛そうなので、園内バスに半分お世話になることにしました。
東口の環濠入口から乗車し、北墳丘墓で降車。
環濠集落ゾーンを見学しながら歩きで戻りました。
昨秋、青森の八甲田山雪中行軍遭難資料館とともに三内丸山遺跡を訪れ、いたく感動したことを思い出しました。大昔の人々の暮らしや知恵に触れると、自分自身の生活スタイルや人生の使い方などについて考えさせられ、お城めぐりの奥深さを思います。
サプライズ的にうれしかったのは、2019年のお正月に訪問した時に見たイノシシの親子に再会したことです。亥年だからいたのかと思っていたのですが、ずっといたんだ!と知って、おーっ!てなりました\( ˆoˆ )/
朝田さん、赤い城さんへ。
お返しクイズの小田原城、総構から駅に戻る途中に見たかなぁ…と思ってHDDに保存している写真も探してみたのですがなかったです😭
まさかの、東横インから!だったら感動しかないのですが!!
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2025/05/22 15:50
2025/05/22 14:08
2025/05/22 13:05
山上の一乗谷城に登ってきました (2025/05/05 訪問)
一乗谷川両岸に拡がる朝倉氏一乗谷遺跡を訪れること三度目にして、山上の一乗谷城にも登ってきました。英林塚からの登城口に山頂まで1.0kmとあり、0.5kmまでは順調に登って来た感があったのですが、0.3kmや0.2kmの標識以降では、とんとペースが落ちました。ほんとに表示距離は合ってるの?って感じ。移動距離でなくて、残りの比高を表示しているんではないのと思うくらい。
山上御殿群に到着。郭群の背後の尾根を土塁代わりに利用しています。尾根の切通しを超えたところに写真4の説明板があり、「背後から10mほど行くと畝状竪堀があります」と。「背後」って? 自分の背後だと気づくのにだいぶかかりました。山上御殿群背後の尾根の外側の切岸が終わって、なだらかになったところにわさわさと並んでました。全体では100以上の竪堀が作られているとありました。
防御施設の連続郭群に進みます。城びと先人のレポート通り、一の丸内部は藪化。切岸を登る道も直登に近いです。二の丸、三の丸は切り開かれてました。大身の朝倉氏だけあって規模は大きいです。登って来た甲斐がありました。
カメラvsスマホについて、つぶやき。私はスマホのみです。城びとに写真をアップする際に、たまに「この写真はアップロードできません」とでます。最初は、不適切な映り込みがあり撥ねられているのか、誰かがチェックしているのかと、不安な感じもしました(おばかさんでした)が、最近になって、スマホでも10MBを越すことがあるためと認識しました。JPEGで、変化が少ない部分が多い写真は強く圧縮できるが、藪のような細かい変化が多い写真は圧縮しにくいのですねえ。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2025/05/22 12:29
カメラ派? スマホ派? ご回答感謝
「カメラ派? スマホ派?」への早速のご回答ありがとうございます。やはりスマホが多数派のようですね。カメラ派のぴーかるさん、todo94さんにしても一眼ですから、もはや私のようなコンデジは消えゆくのみなのか…。
ちなみに、スマホも落として壊したことがあります。落下に備えて手帳型ケースに入れてケースにはストラップも付けていたんですが、つまづいた瞬間にスマホ本体がケースから飛び出して地面に激突。ケースから飛び出されてしまっては防ぎようがありません。何のためのケースだよ…。
> ぴーかるさん
街中での昭和の日本人旅行者スタイルは耐えられても、一眼を首から提げての山城直登や藪突破はちょっと自信ないかな…。山城ではベルトに付けたカメラポーチに収納できるサイズで、となるとどうしてもコンデジかスマホになってしまうんですよね。それにしても、カメラとスマホを画質に応じて使い分けるという発想はありませんでした。スマホに慣れておく意味でも今度試してみます。
> しんちゃんさん
しんちゃんさんもカメラとスマホの(ときどき)二刀流でしたか。修理できる分にはカメラ派を続けますが、いずれは転向することになるんだろうから、スマホでの撮影にも慣れておかないとなぁ。しんちゃんさんのように自力で修理できるなら、修理対応期間後も使い続けられるんでしょうけど…。
> トクさん
普段はカメラのSDカードをパソコンに差して撮った写真をバックアップしていますが(Wi-Fiでも転送できるけど直差しのほうが速い)、Android系スマホだと撮った写真がGoogle Driveに自動でバックアップされて、転送の手間なくパソコンで見られるのは確かにメリットですね。不満はズームと夏場の熱問題ですか…なるほどなるほど。現在使っているコンデジの光学3倍でも不満があるのに、基本デジタルズームのみというのはなかなかの難点ですね。熱問題も以前に使っていたスマホが夏場は頻繁に熱暴走していたのでよくわかります。車のエアコン吹き出し口に付けるスマホホルダーで冷却して対応していましたが、城内で突然に写真が撮れなくなるのは困るなぁ…(デジカメが熱で撮れなくなった経験はありません)。
> 朝田 辰兵衛さん
朝田さんは主に公共交通機関利用だったと思いますから、持ち物を少なくするためにスマホ派というのは大いに納得です。逆に言えば、カメラ派のぴーかるさんもtodo94さんも私も車での城めぐりが主なので、荷物の量を重視しないで済んでいるのかも?
> チェブさん
身軽で出かけるためには、やはりスマホ一択ですよね。歳を重ねるにつれて、何のきっかけも目的もなく新しいことに挑戦してみようという気持ちにはならなくなってきましたが、「城びと」への投稿を通じて、カメラもスマホもChatGPTもやってみようと思えているのはありがたいことです。…ChatGPTは我ながら脱線し過ぎですが。
> 赤い城さん
プリントアウトしていた縄張図を忘れて余湖さんのページの鳥観図を頼りに城めぐりしたり、山中でちょっと迷った時には地形図アプリで現在地を確認したり、いずれにしてもスマホは持参しているので、そのスマホで撮影するのが合理的ではあるんですよね。私も撮影は基本横長、できるだけ人を入れないように意識しています。
> todo94さん
かなりハードな山城をめぐっておられるtodo94さんが(ぴーかるさんも)デジタル一眼レフというのは、私などとは気合の入り方が違うなぁ…と感嘆するばかりです。コンデジの落下でも血の気が引きましたが、30万超のデジ一を破損した日には…考えるだけでも卒倒してしまいそうです。やっぱり私には一眼で山城は無理だ…。
皆さまのご回答のおかげで自分の中での方向性が定まってきました。とりあえずコンデジを使える限りは使って、いよいよとなればスマホに転向。いずれ訪れるであろうその日のために、スマホでの撮影も併用しつつぼちぼち慣れていきたいと思っています。ありがとうございました。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2025/05/22 10:31
徳島城-3/6 本丸編 (2025/05/14 訪問)
東二の丸から本丸へ移動、本丸虎口手前の本丸東側石垣を眺めての登城、本丸虎口より入る、南面前の楠の新緑が眩しい、その下辺りをご婦人が早朝にも拘らず落ち葉掃除をされて居ました、城跡清掃のお礼と朝の挨拶を兼ねて挨拶させて頂く、城を楽しく見学探訪出来るのはボランティア活動のお陰です。
本丸は広いスペースです、周囲は樹木で覆われて楠木の新緑が眩しい、東二の丸からの東虎口、西二の丸への西虎口搦手弓櫓台が控えて居る、また北側に非常用に埋門虎口が石垣で奇麗に整備されています。
北側の埋門虎口辺りに「本丸跡」の解説案内板がある。
徳島城-4/6本丸搦手虎口編に続く。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2025/05/22 09:59
徳島城-2/6 東二の丸辺り編 (2025/05/14 訪問)
徳島城-1/6 鷲の門辺り編の続です。
前日夕食前に城山下の御殿居館跡を散策しましたが、翌早朝5時半から50数年前の初登城以来と言う城山に挑戦、東二の丸に続く長い登り石段より入る。
私には石階段が辛い、踊場まで登り一休憩、更に石階段を登り東二の丸の虎口石垣に当たる、早朝でも散策の人が居る、東二の丸では徳島城跡東二の丸跡の石碑を確認、中心部に天守跡の石碑を確認、ぐるりと樹木に囲まれてあまり見晴らしは良く無い、東の天端より眺望と石垣下を覗く、東二の丸から本丸へ登る石段西付根に徳島戦災犠牲者慰霊碑が建ち祀られている。
徳島城は珍し事に東二の丸に天守閣が在り明治の取り壊しまで存在した、水戸城の天守閣も二の丸に在り空襲で焼失した。幕府に対する遠慮でしょうか?
本丸へ移動。
徳島城-3/6 本丸編に続く。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2025/05/22 09:47
2025/05/22 09:42
2025/05/22 09:40
2025/05/22 09:37
2025/05/22 09:34
✕
人が「いいね」しています。