先人さんの情報では、鎌倉時代に佐貫次郎太郎嗣綱が築いたとされる。城跡は光恩寺の寺域になり、山門の右には初の女性医師・荻野吟子の生家の長屋門が移築されている。生家は現在の埼玉県熊谷市妻沼の名主の家の生まれとあるので、いきさつは不明だが明治23年以前に光恩寺さんに移築されている。
山門前には堀跡が残る。本堂の左(西側)辺りにも堀跡・土塁跡らしきものが確認でき、背後に回り込むと明らかに土塁・堀跡が見られる。整備された道が先に続くため向かうと、こんもりした岡があり階段で上がれる。上の左端には鐘楼があり、反対右端には佐貫氏の子孫と言われる赤井照光(尾曳城または館林城城主)の墓碑(五輪塔)が建立されている。訪問時は城の一部と思う程度だったが、帰宅後先人さんの情報を見ると、古墳(堂山古墳)らしく櫓台・物見台として利用されたように載っている。堂山の南一帯は重機が入り工事中の為行かないが、朱色の阿弥陀堂が見える。遺構は山門前と本堂左から背後にかけての土塁・堀が分かる程度だった。
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