大溝城の築城は1578(天正6)年とも1581(天正9)年ともいわれています。
織田信長が、甥(弟・織田信行の長男)の織田(津田)信澄に作らせました。
城の縄張は明智光秀によるといわれています。
大溝城の築城により、信長の安土城のほか、明智光秀による坂本城、羽柴秀吉による長浜城とともに琵琶湖の四方に城を配置することで、近江の水運、琵琶湖の制海権を掌握しました。
本丸の石垣、天守台が残されています。
老人施設の脇の細い通路を進んで行きます。
三の丸、二の丸は高島市民病院の駐車場になっています。
大溝城は1585(天正13)年廃城となり、部材は水口岡山城へ移されました。
1619(元和5)年、伊勢上野より分部光信が入封し、大溝藩が立藩しました。
大溝城三の丸付近に陣屋を構え、織田信澄がつくった街割を元に城下町を整備しました。
陣屋前には武家屋敷を集め、その入り口に立てられたのが総門が残っています。
総門の隣に2台分駐車スペースがあります。
また、自転車やバイクは黒塀に沿ってとめることができます。
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