平安後期に湯浅党他門の宮原氏が岩室山頂部に築いた城で、屋島の戦いから逃れ湯浅宗重を頼った平忠房が籠城したとされます。室町中期には守護・畠山氏の城となり、畠山政国は岩室城で没し、畠山高政も高屋城から岩室城に逃れてきています。その後、羽柴秀吉の紀州攻めで落城し廃城となったようです。
山頂近くまで舗装道が通じていますが、みかん山の作業道で道幅は狭そうなので、大事をとって南麓の公民館の駐車場から歩いて登城しました。作業道を進み防獣ゲートを抜けて、駐車場から約35分で山頂近くの登城口に到着。確かに道幅は狭く急カーブの連続でしたが、コンパクトカーまでなら問題なかったようにも思います。登城口前には6台分ほどの駐車スペースがあり、文字の消えかかった説明板が立てられていました。そして登城口のゲートを開閉して城内へ。
主郭部は東西4段の曲輪からなり、有田川流域から紀伊水道までを見渡す眺望が開けています。最高所の主郭は北辺に土塁をめぐらせ、どういう謂れのものか墓石が建てられていました。南東へ下る尾根筋には幾段かの曲輪が連なり、防獣柵で囲まれたみかん畑の中に城趾石碑が立てられています。南東尾根の先端には竪堀や石積があるようですが、防獣柵越しには確認できませんでした。主郭部まで戻って今度は南西尾根へ。主郭部と南西尾根の間には大きな堀切が設けられ、尾根を進むと岩盤を削り残した西端の曲輪があります。西端の曲輪の先は両端が喰い違い状の竪堀となった堀切で城域を区切り、西端の曲輪西面には堀切を掘り抜いた際の石材を用いた石積が施されていました。
堀切を越えて尾根筋をさらに南西に進むと、江戸後期の徳本上人練行の遺跡があり、眼下を見渡すと登ってくる時に見上げた山頂付近の岩盤の上に立っていることがわかります。岩室城は眺望に優れ、南面は断崖絶壁、なるほど平安末期の昔から戦いに敗れた者たちが再起を図った要害堅固な城であることを実感しました。
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