あさん、藤原 秀郷さんの百足退治の伝説、美しい三上山の写真ありがとうございます。
これからも、ホースで水をジャージャー向けますので、宜しくお願いします。
ムカデー、何だか気持ち悪い話だと思っていましたが、あさんのおかげで、美しいお話に変わりました。
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2026/06/07 19:07
あさん、ありがとうございます。
あさん、藤原 秀郷さんの百足退治の伝説、美しい三上山の写真ありがとうございます。
これからも、ホースで水をジャージャー向けますので、宜しくお願いします。
ムカデー、何だか気持ち悪い話だと思っていましたが、あさんのおかげで、美しいお話に変わりました。
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2026/06/07 18:00
今 ときが 動きだす 美濃守護 土岐氏最後の居館 大桑城 ですと (2026/05/30 訪問)
登城口、林道入り口にパンフレット置き場があり、大桑城跡石垣見学マップ、春風亭昇太師匠と行く大桑城跡などをいただきました。時間の節約のため、はじかみ林道を利用して登城。
「美濃守護 土岐氏最後の居館 大桑城」の幟旗が並んでいます。ミニチュアの模擬天守からは、やや見下ろす方向に、斎藤道三がいた稲葉山城がよく見えました。なんとも切ないです。この地は、やや山間ですが、支援してくれる朝倉氏の越前へ続く街道があり、また、美濃紙の一大産地であったとのことで、守護所としてそれなりの立地だったようです。
稲葉山も含め、この辺りの山は、硬いチャートから成っていることが多いです。大桑城もチャートの山であり、急峻で、石垣の石を現地調達できます。切井戸への道は、とても急です。ロープがなければ、枯葉で滑って往生します。麓でゲットした大桑城跡石垣見学マップを頼りに散策しました。見どころとフォトスポットがわかりやすく紹介されています。が、これには、山頂の北の遺構は書かれておらず、庭園跡や気になる石を見逃しました。がっかり。
チェブさんの舞木城の投稿に、「藤原 秀郷さんを調べると『大百足退治の伝説』が滋賀県にあるようです。」とあり、水を向けられた(?)。瀬田城についての投稿の中で、城びとの皆さんが、俵藤太の大ムカデ退治を紹介されています。瀬田城は、目の前に瀬田の唐橋があり、この重要な橋を監視、防備する位置づけにあります。俵藤太が、瀬田の唐橋から、三上山を7廻り半していたという大ムカデを弓で射て退治したということで、弊宅から見えた、日の出と重なった三上山の写真を添えました。
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2026/06/07 15:11
城びと未登録のお城攻め「須加城」。 (2026/02/21 訪問)
この日の最後のお城攻め「須加城」で、またしても水で悩みます。
前回、投稿した「鶉古城」から東京の端っこに帰る途中に「須加城」を見つけて寄る事にしました。
長光寺の参道入口の右下に、ちょこんと石碑があります。
本日最後の路駐でダッシュ、写真を写し退陣。
近くのコンビニ駐車場で「須加城」の写真を見直すと、左上に「忍城」と小さく記載されていました。
「須加城」は「忍城」の支城のような役割りだったようです。
築城年数は不明ですが、戦国時代には須加氏は「忍城」の成田氏に従っていたそうです。
だとすると、秀吉さんの北条討伐で、水攻めの被害にあったのかもしれません。
早速、水攻め範囲を検索すると、「須加城」は利根川の近くにありました。
次に「石田堤」の場所を検索すると、荒川方面にあります。
利根川は徳川 家康さんの時代に、治水工事が行われた為、現在の場所と流れる所が違います。
まずい、「須加城」も水没しているかも。と、小田原で籠城している城主の如く不安になります。
結局、「須加城」が水攻めの被害にあったかは分かりませんでした。
東京都の水は、利根川と荒川で8割、多摩川で2割でまかなっています。
8割の水が、「忍城」を守り、そして攻められました。
この辺り、大河ドラマ『豊臣兄弟!』で描いてくれないかなー。
水攻めの被害をドラマで確認しようとしている「須加城」攻めでした。
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2026/06/07 13:15
陣城なのかー (2025/08/10 訪問)
国史跡になったおかげか舗装された駐車場が出来ていた。山頂部には方形の大きな空間があって「でっかい武家居館だな」と思ったものだがどうやら織豊期の陣城としての遺構らしい。香西氏はどう使っていたのだろう。
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2026/06/07 09:57
群馬県立歴史博物館の国宝埴輪 (2026/05/30 訪問)
群馬県立歴史博物館は倉賀野城より東約1km、かみつけの里博物館より南東約12kmに在り国宝埴輪展示で有名。
住所:群馬県高崎市綿貫町992-1(群馬の森に在る)
駐車場:群馬の森公園駐車場利用、無料でトイレ完備。
先に保渡田古墳群かみつけの里博物館、三ツ寺Ⅰ遺跡を探訪見学の後、世話に成ったローソン高崎井出店Pでサンドイッチ、野菜ジュース、お茶を購入し携帯食と共に車内で昼食。
群馬の森公園の駐車場に駐めて、群馬県立歴史博物館を目指す、隣は近代美術館(休館中)、入場料は金井沢碑企画展を含め800円、常設展示のみ300円をお願いしたのですが、合わせての観覧券との事で800円致し方なし。
受付を過ぎると国宝展示案内の三人巫女埴輪写真看板が目を惹きます、入った瞬間国宝埴輪群に驚きます、先の東博の国宝はにわ展で展示されていた、三人巫女埴輪、武人大王埴輪、大型馬型埴輪が目に飛び込んできます、この埴輪群は群馬県立歴史博物館北約1kmの綿貫観音山古墳出土、100m弱墳丘を持つ二段前方後円墳との事。
その他は装飾付太刀、馬具金具が展示されて、期待以上の満足感を得ました、観覧料800円に文句を言ってはいけませんでした。
国宝埴輪で十分でしたが群馬上野の歴史展示が繋がっていましたので、原始縄文の土器、石器、石鏃など、古代の古墳から上野三碑、国分寺、中世の鎧兜、戦国期の城館跡図、家康関東入封後の配下の城館図、近世はこれから行く倉賀野城、倉賀野宿ジオラマで賑わいを展示、倉賀野城跡も示されていた、近現代の最後はスバル360の展示が大きく目を惹きました。さすが群馬県。
写真撮影は、NG以外は私用に限りOKでしたので撮影投稿掲載しました。
時間の関係で特別企画展金井沢碑はパス、次の倉賀野城跡を目指します。
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2026/06/07 08:14
2026/06/07 08:07
鮎崎城(岐阜県高山市大新町) (2025/11/16 訪問)
鮎崎城(あいさきじょう・城びと未登録)は、詳細は不明ながら鮎崎新兵衛尉の城と伝わり、金森長近の飛騨攻めでは松倉城攻略の本陣が置かれています。
遠征2日目。高山市内のホテルを朝早くに出発し、城跡に通じる車道の道路脇に路駐して登城開始。城跡は公園として整備されていて、南下段の腰曲輪(たぶん)はカフェになっています。西辺の帯曲輪だったかもしれない登城道から階段を上ったところが最高所の主郭で、軍人墓地になっていました。主郭北下段の曲輪には公園の遊具があり、鮎崎城跡の説明板が立てられています。松倉城攻めの本陣らしくここから松倉城が遠望できる…はずですが、朝霧が立ち込めていて全く見通せませんでした。説明板によれば主郭や北下段の曲輪の周囲には帯曲輪がめぐらされていたようですが、公園周囲の遊歩道が帯曲輪跡でしょうか。また、主郭から北東に分岐する支尾根の先端に小さな公園があり、出曲輪だったかもしれません。
土留めの石垣だとか土塁があるとかいう話もありましたが、見付けられませんでした。公園化されていてそのほかに遺構らしきものもなく、唯一 松倉城攻略の本陣を感じられたはずの眺望も朝霧で見えずで何だかなぁ…な感じでした。
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2026/06/07 07:41
ゴールデンウイーク肥前の攻城⑪ (2026/05/05 訪問)
湯野田城からの転戦です。有田ばかりでなく、波佐見でも陶器市が開催されていてそれなりの渋滞に巻き込まれてしまいました。城名は「ありお」ですが、山と公園は「ぎびさん」です。蟻尾山公園から伸びる登山道を登っていきました。一気に最高所の主郭迄進み、帯郭を回って下山。登山道から外れた櫓台には祠が二つ並んでいました。そこからそのまま下って展望台へ。展望台は城域の外のようで登山道からも外れています。櫓台も展望台もピクミンブルームのビッグフラワーのスポットになっていたので助かりました。展望台からそのまま下っていくと、説明板や蟻尾山公園案内板の近くに下りてくることができました。
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2026/06/07 07:25
西曲輪整備工事 (2026/05/05 訪問)
湯村山城、法泉寺とまわってまだ時間も体力もあったので、8年前と同じルートで武田神社まで歩きました。当時は2度と歩くことはないだろうと思っていた住宅街ですが、何となく記憶にあって、この辺りで道に迷ったご婦人に声をかけられたなぁとか(ご近所さんとの連携プレーでご自宅まで無事送り届けられました。)とか、ここのカーブが怖かったなぁとか思い出しながらのお散歩でした。
躑躅ヶ崎館跡では西曲輪の整備工事中。土塁の上をぐるりと歩いて現在の姿を見納め(?)しました。そろそろ工事も終わっている頃なのでまた見に行かねば!
北側に抜け出て大手門へ。
写真を振り返ってみると、誰も写っておらず静寂の中のお城散策のようでしたが、武田神社は大行列で大賑わいでした。
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2026/06/06 21:39
ひっそりと、寄り添う。 (2026/05/22 訪問)
大野市の象徴、そしてなにより、市民を見守って
います。
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2026/06/06 21:30
最高‼️ (2026/05/23 訪問)
前からぜひ訪れたいところでした。
感激です。
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2026/06/06 21:25
布市城 (2026/05/09 訪問)
【布市城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車
<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅11城目。布市城は南北朝時代に桃井直常が築城したとされます。戦国期には畠山氏、江戸時代には1600年から8年間だけでしたがひじかた氏の布市藩1万石があったそうです。私も城びとポイントである興国寺の北東に位置する水田内の方に行きました。水田内にぽつんと倒れてしまった五輪塔がある墓地がありました。桃井氏被官の子孫小柴氏の墓所だそうです。一番大きい墓石には明治の元号がありました。ちょうど田植え作業をしていらっしゃいました。時間早かったのですが1日目最後とし、下記のたまご園に寄って富山市内のホテルにチェックインしてJR駅前にある「ラーメン一心」で早めの夕食をとりました。夕方この店並ぶのが嫌で城巡り早めに切り上げました。
<満足度>◆◇◇
<グルメ>「田村農園たまご園」近いのは蜷川館跡なのですが、蜷川館は行ったことあるので、今回この城跡に寄ってプランを入れていました。たまごを購入する目的で行ったのですが、お店ではお客さんが皆ソフトクリームを注文しているので、つられて買いました。濃厚、たまごもちょっと入っているかも、とても美味しかった。車がひっきりなしに入ってきて大盛況でした。
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2026/06/06 18:14
痛々しくも,起き上がりました… (2026/06/06 訪問)
ちょいと与板まで現状を確認しに行ってきました。とりあえず,痛々しくも,起き上がっていました。そもそも,老朽化が著しいので,ほとんどの部材は取り替えになるものと思われます。パッと見で現在の状態でも,震度4クラスで倒壊するものと推察します。
todo94さん,佐賀県コンプリートはまだなんですね。竹崎城は攻城していた記憶がありました…。
また,攻城時の「勝負メシ」はすき家なんだな…と思っていたら,リンガーハットのバリエーションもあったんですね!!!
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2026/06/06 16:48
木曽義徳の墓と屋敷跡 (2026/06/06 訪問)
JR瑞浪駅から徒歩約15分の場所に木曽義徳の墓があります。木曽義徳とは初めて目にする名前でした。木曽義徳の曽祖父は武田信玄の娘婿であった木曽義昌です。木曽氏は後に徳川家康に従い関東に移りますが、義昌の子義利の時代に改易となり没落します。義利の子、義辰は妻と三人の子どもを連れて、流浪の身となり、この地へ落ちて60坪の田んぼを耕して生活をしていました。義徳は次男で兄は若くして病死、弟は尾張藩の剣道指南役を務めていたようです。義徳はここで寺子屋を開いて士官の道を探していましたが叶わず、延宝9年(1681)4月7日この土地で世を去りました。ただ木曽義徳については他の説もあるようです。
墓の近くに屋敷跡がありますが、雑草が多く道路から見ただけです。
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2026/06/06 16:34
猿子砦 (2026/06/06 訪問)
岐阜県瑞浪市にある城びとには未登録の砦跡です。鎌倉時代、土岐氏の本城である鶴ケ城を中心にして付近に築かれた出城の一つで、猿子七郎国行が城主でした。大通寺裏の墓地周辺が跡地で、遺構はなく墓地の一画に石祠と共に看板が建っています。
JR瑞浪駅から徒歩20分くらいで行くことができます。
JR瑞浪駅を出てすぐのところにある加登屋食堂さんにお邪魔して、名物あんかけかつ丼をいただきました。溶き卵の入ったアツアツの和風あんがかかっているかつ丼です。「秘密のケンミンSHOW極」などの全国放送の番組や地元テレビ局ではよく紹介されているお店なので、いつかは行ってみたい食べてみたいと思っていました。
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2026/06/06 16:33
城びと未登録のお城攻め「鶉古城」。 (2026/02/21 訪問)
「中野城」のある邑楽町には多々良沼公園があります。
この公園周辺が「鶉古城」です。駐車場もトイレもあり、なんならお散歩するのに良い感じの公園です。
この日は、城びと未登録のお城ばかり車で巡り、路駐でダッシュを繰り返していたので、ゆっくり歩きたいと思い着陣しました。
多々良沼の周辺を確認すると、沼の内側に突き出した所があります。
線香花火のよーな、ビードロのよーな、細長い先に丸い場所がありました。そこに『浮島弁財天』とあり、散歩することに。
と、とりあえず(?)「鶉古城」攻めです。
土塁と空堀があります。
郭の横には藤棚があり、季節が巡ってきたら紫色のトンネルになるのだなーと、芝生の郭をチラッと見て『浮島弁財天』へ。
この『多々良沼公園』、カメラを持った人をたくさん見かけました。
水辺に何やら、白い物達。
水不足で沼の水辺が、かなり奥になってしまったようです。越冬する白鳥が丸くなってました。
白鳥と水不足の心配をしながら浮島弁財天に到着。
この、弁財天は鎌倉北条家の再興を願って建立されたそうです。
その時も白鳥、いたのかな?
ん?「鶉古城」のウズラって、いたのかな?
「鶉古城」は14代執権 北条 高時さんの弟、朝正さん・朝春さんが鎌倉から逃れて築城したそうです。
ちなみに北条 高時さん、1991年大河ドラマ『太平記』、アニメ『逃げ上手の若君』でも、ひどく無能に描かれてます。笑ってしまうくらいです。
私の住む東京の端っこの水は、奥多摩湖に頼ってます。「鶉古城」攻めをした月に奥多摩湖の水位を見に行って愕然としました。その日から毎日、貯水率を確認してます。現在、台風が通過したのに、33%代です。
来年も白鳥来るかな~。
たくさんの水でお出迎えしたいな。
多々良沼の水位も気になる「鶉古城」攻めでした。
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2026/06/06 08:47
鉱山奉行の屋敷 (2025/11/15 訪問)
越前大野から飛騨に入封した金森長近は越前から茂住宗貞を招いて鉱山開発にあたらせました。宗貞は茂住銀山や和佐保銀山、森部金山等を開発した功績により金森姓を与えられ、四方に高塀をかけた石塁をめぐらせ、四隅に隅櫓、東・北・南の三方に櫓門を設けた屋敷を構えましたが、長近が没すると自ら屋敷に火を放ち越前(越中から能登とも)に退去したと伝わります。
金龍寺の駐車場から登城開始。屋敷跡は金龍寺の境内になっていて、金森宗貞邸跡の標柱と説明板、宗貞金森翁之碑が立てられています。四方にあったとされる石塁のうち北東部は国道改修により失われましたが、南辺と北辺の石塁が遺り、隅櫓台には鐘楼や茂住神明神社の社殿が建てられていました。西側は高原川の断崖になっていて、なかなか堅固な城館だったようです。
当初は一門衆の屋敷かと思っていましたが、功績を挙げた鉱山奉行に金森姓を与えているあたり、山がちで農業収入が期待できない飛騨にあって鉱山開発にかける長近の強い思いを感じた屋敷跡でした。
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2026/06/06 08:26
【上野 三ツ寺Ⅰ遺跡】群馬県高崎市 古墳時代城館-城郭の初期か? (2026/05/30 訪問)
保渡田古墳群の三ツ寺Ⅰ遺跡は、かみつけの里博物館より南東に約800m、経路約1100m、かみつけの里博物館駐車場から県道123号線秋葉交差点を南下、県道10号線と交差する井出交差点を東進約200m、県道10号線と上越新幹線が交差する辺りが「三ツ寺Ⅰ遺跡」です、が発掘調査後埋め戻されて居ます。
案内板は県道10号線と上越新幹線が交差した高架橋下の東側に案内指示板と少し文字と画像が剥落しかけた案内板揃って在ります。
車は西隣のコンビニ「ローソン高崎井出店」(36°22'26"N 138°59'32"N h=130m)を利用。
資料がローソン高崎井出店に用意されて居り、お話して資料を頂き、駐車場を利用させて頂く。
住所:群馬県高崎市井手町192-3(遺跡住所が未定なのでローソン高崎井出店の住所を代用)
かみつけの里博物館の展示で「三ツ寺Ⅰ遺跡」を知り是非見たいとガイドの方受付の方に情報、周辺地図を頂いて、ローソン高崎井出店で資料リフレット取り扱いし駐車場利用も可能との情報も得ました。
三ツ寺Ⅰ遺跡は昭和56年から58年の上越新幹線建設工事中の発掘調査で発見された、その後埋め戻されて中心部は上越新幹線架橋した、県道10号線下に残されています、往時を見る事は出来ませんが、三ツ寺Ⅰ遺跡の復元ジオラマ、説明がかみつけの里博物館に在ります。
三ツ寺Ⅰ遺跡のジオラマを初めてみた時は古墳時代の王の館、日本の城の初めの城館?と感激しました、その後脳裏に何か見た記憶が戻ってきて、どこの資料、本なのか分かりませんが甦ってきました。
1500年前の古墳時代榛名山東南麓を拠点に栄えた豪族首長の居館と首長を祀った前方後円墳大型3基が榛名山の大噴火火砕流の土砂に埋まり、1500年振りに甦り復元され、博物館で資料を見る事が出来ます。大変感謝です。
資料とジオラマによると、館の規模は約86m四方で、北と南に馬出状の出曲輪、出構が4基、濠に囲まれて濠幅30m、深さ4m、土塁で囲み板柵列の囲み、土塁斜面には葺石、主郭内部は首長の館と従者の建物に二分されている。
大変貴重な体験をさせて頂きました、城好きとしては日本城郭の初めを体験確認した思いです。ありがとうございました。
帰って調べたら千田先生の城郭考古学の冒険に原始・古代の城館として写真と説明が有りました、それと日本の城に亡き香川元太郎画伯のイラストが有る様です。
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2026/06/06 08:03
ゴールデンウイーク肥前の攻城⑩ (2026/05/05 訪問)
唐船城からの転戦です。途中、有田の陶器市が開催されていて、ヘボいカーナビがバイパスではなく、街中の道を案内したため、大渋滞に巻き込まれてしまいました。ここでの時間ロスは大きく、今回の城めぐりで長崎県境近くの竹崎城に足を伸ばすことは断念せざるを得ませんでした。と云う訳で、朝田辰兵衛さん、私の佐賀コンプはまだまだ先になりそうです。
嬉野市内に到着した時には正午となっていたため、近くのリンガーハットにて昼食をとってから登城しました。嬉野公園、西公園として整備されていて、広い副郭はなかなか快適でした。主郭には権現社が建ち、水道施設もあります。谷を越えた曲輪上段、下段も公園としての佇まいを保っています。
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2026/06/06 05:14
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