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しんちゃん

長宗我部盛親陣 栗原山・栗原九十九坊跡 (2025/10/19 訪問)

長宗我部盛親陣跡とされる場所は二つあるようです。「とある煩悩の登城目録」さんが訪問した陣跡は栗原山の南東 標高153mぐらいの山の中腹にあります。道中には栗原九十九坊と呼ばれる寺院跡があり多数の扁平地が残っています。
淳仁天皇の天平宝字の頃(757~764)には不破郡栗原山に天台山正覚院末久保寺双寺として九十九坊があったとされています(案内板より)。鎌倉時代にも隆盛を極めたが建武二年(1335)足利、新田両氏の戦いで兵火にかかり消失したとのことです。
案内板のある場所から栗原山頂部まではけっこう距離がああるのですが、扁平地が多数続いています。途中「栗原城」と呼ばれる城址もあり周囲には土塁が残っています。

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たか

伊東氏48城なのに… (2025/12/08 訪問)

なにも見当たらない。
畑に向かって左側から登った方もいるようですがわたしは無理そうなのでスルーです。

伊東氏48城
もっと整備して頂けたら…
お願いします。

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たか

伊東氏48城なのに (2025/12/08 訪問)

ピンを目指してきたのに何もありません。
伊東氏48城…
ため息が漏れるくらいに整備されて感動する城もあればこうやってどこにあるのかわからないお城もある。
まあとりあえずここら辺かなというところを南北から撮影して帰ろう…

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たか

なかなかタフな城 (2025/12/08 訪問)

伊東氏、島津氏、高橋元種と城主がかわったお城だと書かれています。
朝早くの攻城だったのでひんやりとした感じがとても気持ちいいです。

イノシシ注意の看板を見て少しビビりながらいざ参るww

最初は広くて歩きやすいなと思っていたら郭の分岐あたりから結構しんどい。
道幅の狭い斜面もあり軽装ではやめた方がいいかもです。
しかし朝の山城は素晴らしい。
気持ちのいい一日が始まります。

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たか

生目小学校 (2025/12/07 訪問)

タイトル通り生目小学校にピンが立っていました。
これはさすがにしょうがない。
本日はこれで終了とします。

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たか

伊東氏48城巡り (2025/12/07 訪問)

さあ日が落ちてきてそろそろ今日はやめようかと思いましたがむかし島津家と長く争った穆佐城へ。
麓の元穆佐小学校のところへ車を止めて登城。
さすがに宮崎でも日がかげるとひんやりしてきます。

島津忠国の誕生杉の話や説明板があり、歩きやすくしっかりと整備されています。
わたしが感動したのは奥に進んで見た夕焼け。
とてもきれいで素敵でした。
そこから西側に目を向けるとなんと穆佐城の幟がありました。
すぐに駆け寄り一枚パシャリ!
いやー素晴らしい。

余談ですが帰りに遅くて開いてなかった案内所の縄張り図。
千田先生が書いてある!
プチ幸せがまたここにwww

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たか

島津義弘 (2025/12/07 訪問)

高岡城とナビを入れても出ません。
天ヶ状公園ですね。

綺麗に整備されていて子供たちも遊んでいて楽しい。
しかし模擬天守の中には16:30までしかダメだという事なので急いで行ってみると親切な係の方が先に一番上まで行かれてください。
と快く通して頂きました。
とても有難く、さっきの子供たちの笑い声とでほっとする気持ちになりました。

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たか

これも伊東氏48城 (2025/12/07 訪問)

説明板に書かれていました。

元々細川義門の子供、義遠が築城した。
その後義遠は綾氏と改名したそうです。
その後伊東氏の家臣となって伊東氏48城の一つとなったそうな。

昔は亜耶という地名だったと模擬天守の中にありました。

昔、綾の乱という話がありここでは書きませんがとても悲しい跡取り問題で翻弄されたと書かれてありました。
帰って改めて詳しく話を調べるとホントに泥沼だったと知りました。

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たか

歌の詠みあいなんて面白い (2025/12/07 訪問)

登城口のところに説明板がありました。
200年もの長い間小競り合いを続けていたのですね。
守っていた丹生備前守の火縄で細工をして守ったとか。

歌もお互いに皮肉って面白い。
ここでも伊東氏と島津氏のせめぎ合いが行われていたんだと感じました。

因みに大森公園記念碑の向かって右側から本丸跡に行けます。
ちょっと見にくいかもですが足元にコンクリートの道というか溝というかあります。
あがると先の矢文でのやり取りの説明板があります。

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たか

伊東氏48城なのに… (2025/12/07 訪問)

ナビで行ってみるとなんだか住宅地?
看板が立っていたので確認すると木脇城で間違いない。
でもこれってどうやって行くの?

民家の間にある側溝を登るもののすぐに藪だらけで行けなくなりました。
民家の裏手は畑をされている様ですのでなるべく隅を通ってもう少し行ってみましたがよくわからず…
あきらめて帰ることにしました。
残念でした…

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たか

すごすぎるぞ! (2025/12/07 訪問)

皆さんも書かれている通りとにかく広くて大きい。
郭がしっかり残っていて整備が行き届いていてとても嬉しい。
これがなぜ100名城に入らないのかと思うぐらいでした。

土塁も堀もある程度の地形を生かしながら築城したのでしょうがそれでも圧倒的な深さに高さ。
二の丸の土塁上に登って下を見ると足がすくんでしまいます。
これは攻城するのはかなり困難だと思いました。

残念ながら西の城は工事中につき行けませんでしたが十分満足できたお城でした。

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たか

続100名城 (2025/12/07 訪問)

スタンプとご城印を目当てに行ってきました。
歴史資料館でいろいろと拝見して動画も確認しました。

無料でここまで展示があって女性の方が一生懸命説明をされていました。
さてわたしは自分のペースで資料館を拝観後資料館の裏側から登城です。

台風等の被害からでしょうか登城ルートも制限されていました。
道は広く足元は雨水が流れて溝のようになっていますがスニーカーで十分上がれます。
南城と松尾城には立入禁止で行けなくて残念でしたが本丸跡、天守台は良かったです。
こんなところに天守台を設けていたとは伊東氏の当時の勢力はすごいものだったんだなと思いました。

帰りに下りながら門の跡で壁にほぞ穴がありました。
こんな急勾配で門をくぐるとすぐに道が折れていてこりゃ攻めるのは大変だなと感じました。

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カズサン

北の丸と靖国神社 (2025/12/02 訪問)

 令和7年紅葉乾通り抜けを終えて代官通りを越えると北の丸、北の丸公園を散策し秋の名残を楽しんで、ベンチで昼食に有り付けなかった時にと持参した赤飯おにぎりを景色を愛でながら頂き、武道館前を通り田安門へ、靖国神社側からは眺めて居ましたが田安門内側、高麗門を枡形内より眺めるの初体験、外がから眺めて、靖国通りへ、高燈籠、品川弥次郎像、大山巌元帥騎馬像を眺めて靖国神社大鳥居へ。

 靖国神社の大鳥居を坂下から眺めると大鳥居と色付いたイチョウが素晴らしい景観を醸している、隣の靖国神社石碑は中国人の落書きで問題に成って居ましたが、落書きは消されていましたが薄っすらと削られた跡が痛々しい。
 日本陸軍の父、大村益次郎像を下から眺め説明板も確認、第二鳥居、靖国神社中門を潜り、第三鳥居、靖国神社拝殿で参拝、3列で順番を待つような人の出、火曜日でも大勢の人が出ていました、今回は遊就館へは入館無し、久しぶりの参拝とイチョウの紅葉を目に焼き付けました。
  

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赤い城

突入は自重 (2025/11/30 訪問)

マツダスタジアムでカーブのレジェンドゲームを楽しんだあと萩に移動しました。
翌朝の朝駆けでここへ。

まずは漁港近くの蛭子大神へ。
この裏山が城跡のようですが岩盤になっていて登れません。
諦めて吉見正頼・広頼の墓を見に行こう、と引き返しgoogleMapを参考に進みます。
が、「墓宝篋印塔は周應寺に移設されました」との案内板。
コンクリートの台座のみ残っていました。
ここからは登れそうですが自重。
最近「自重」という言葉を覚えたみたいです😊
冬の日本海もこの日は穏やか、少し海を眺めて撤退しました。

この後萩城へその後長門市に移動する途中で瓦そばいただきました。
写真は2人前ですがボリューミー!
パリパリの食感、美味しかったです✨

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しんちゃん

シンクロニシティ (2025/12/07 訪問)

合戦の際の武田勝頼のことを考えながら田峰城を訪れました。ここを攻めたら三河守ゲット・・あっ邪念が入った。長篠・設楽ヶ原の戦いで敗れた武田勝頼は田峯城主・菅沼定忠と共に田峯城を訪れますが、定忠の叔父の定直と家老の今泉道善に門前払いを食ってしまいました。
捕縛されるのを怖れた一行は武節城まで逃げ延び、なんとか一命をとりとめました。後に田峯城は定忠によって落とされ、定直と道善は「鋸挽きの刑」にされたそうです。いたそうだな~
勝頼氏の足跡をたどってここまで来ましたが、けっこう閉館が早い。戸がバタバタ閉まって行きます。こんな所まで勝頼氏と一緒か・・門前払いを食ってしまったでござる。
正確には門前払いで無く門の中には入れました。「リア攻め」できたしいいか・・前に訪問してるし。何回か来てるし。
そのうちまた来るでござる。

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しんちゃん

医王寺山・・おつり (2025/12/07 訪問)

それぞれ自分なりのテーマやポリシーを持って城攻めをされている方も多いと思いますが、私もそれなりの考えを持っています。
当時の人の考えを読んだり、遺構の有り方から自分なりの歴史をビルドしたいと考えているんですね。
皆、自分なりの歴史を持っていても良いと思うんですよ。一つ見方を変えるだけでいくらでも転びますからね。
私は古文書の解読は出来ないので専門家の方が発表した知恵を拝借して活用させていただいています。何とか読めそうなものは自分でもトライしてみます。
史料も比較的正確な物もあれば、怪しいものもあると思います。
関ヶ原の合戦の直前に行きかっていた文書は事態を正確に読み取れていなかったり、敵に奪われることを前提にしている偽情報もあると思います。特に関ヶ原合戦後の文書は「内府公軍記」に沿った内容になっている可能性も考えています。
たかだか城を巡っているだけの「城好き」に歴史が分かるものか・・と考える方もいると思いますが、一(いち)城好きだからこそ気楽に考えたい。間違えたっていいじゃん・・そこで修正すればいいんですよ。人間だもの。
当事者の気持ちになって周って見ると医王寺山周辺は実に楽しい。守りは堅く退却用の経路も確保できる。私が武田軍や勝頼だったらここをどう使うか想像が膨らんで来る。後世手の入っている所も多いと思うけど、武田勝頼が三河侵攻の足掛かりにしようとしてここに目を付けたのは良い選択だったと思います。長篠城を落として医王寺と長篠城で防衛ラインを固めたら戦局はどうなっていたか?
信長は周囲に柵や城を作ってプレッシャーをかけて来る? if(イフ)の長篠の戦いも面白そうだ。

それにしても最初にここに目を付けた琴室契音とはどんな人物だったのだろう。菅沼氏の一族なのか・・どこぞの回し者なのか?

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天守無しがアツい

白帝城 (2025/12/11 訪問)

令和四年に訪問したことあり…日本100名城スタンプを手に入れるために2回目の来訪

管理事務所にてまずスタンプを押す
それから売店にて…100名城カード・織田信長の武将印・天守ミニサイズを購入

一度見学していたので天守はどっちでもよかったが…「15分で周れる」と受付に言われたので入城🏯梯子のようなキツい階段が現存天守…戦国期そのままの造りを味わえて良きかなとも思えた

窓越しに見える木曽川…あの向こうが岐阜県。そう、ここは愛知県と岐阜県の県境なのである

天守の見物後は麓に降りて…観光案内所にて御城印を買う。犬山城だけでなく白帝城もあり、この機を逃すまいと両方希望した

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しんちゃん

長篠450年記念 医王寺山 北東のピーク周辺の郭(推定) (2025/12/07 訪問)

今年は長篠の戦いから450年の記念の年らしいです。来年には大河ドラマ「豊臣兄弟」が始まるし、東海地方・・熱いですね。
というか、東海はずっと熱い気がする。三英傑を輩出しているし、前田利家や加藤清正、徳川四天王などもここから出てるし・・私は駿河区清水で生まれて三河で育っているのに、どうして徳川家康より豊臣秀吉が好きなのか? 選択肢が多い、贅沢な話です。
最近はあまり遠出が出来ないのですが、近場に長篠・設楽ヶ原や関ヶ原と言った古戦場が有る。このあたりは市街地化が進んでいないので見ごたえが有ります・・ありがた山。
諸国古城之図には伝・武田勝頼本陣以外の遺構は描かれていないようです。ただ、私は江戸時代の人の残した資料をあまり信じていません・・というより鵜呑みにはしないんですね。
自分の足で周ってみると防御に利用できそうな場所がいくらでもある。武田軍がこれを利用しない手は無いと思いますね。
北側の尾根から北東のピークに登って行くと周辺に扁平地がたくさんある。北側に続く尾根は退却用のルートに使えそうだが今回はパス。けっこう広いので全部は見切れません。
標高172mの最高所は格好の物見台になる。私ならここに物見櫓を築くな・・伝勝頼本陣にあるアレですわ。そんなことを考えながら歩いていると実に楽しい。愛知も全くクマが出ないわけではないが、ほぼいないので実に気楽だ。ユートピアだ・・
ある程度散策して満足したのでそのまま尾根をくだりながら戻ることにした。

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T-Shionoya

使者を圧倒する名護屋城 (2025/10/23 訪問)

10月の佐賀県観光で訪れた、佐賀県唐津市の名護屋城。

壱岐島に最も近い九州本土のポイントである、東松浦半島最先端の波戸岬に繋がる海抜約90mの丘陵に築かれた城。

豊臣秀吉が大陸への出兵拠点として1591年に築城し、縄張は黒田官兵衛が担当。周囲一帯には全国から集結した武将が陣を構築。
1598年に秀吉が亡くなると全兵撤退となり、関ヶ原の戦いの後には建材が唐津城でリサイクルされた模様。更に一揆での再利用を防ぐため、江戸初期に石垣を破却したと考えられている。

現在は、その破城の姿を残す代表的な城跡で、農地や民家が建つ一部を省きほぼ全域を巡ることが可能。
堀秀治などの陣跡も整備され、博物館も併設する。

訪問時はまだ草に隠れた石垣も多かったが、遺跡感は期待通り。
大手口や東出丸、三ノ丸などの虎口は櫓台を備え、本丸や搦手の虎口は折れと坂を伴う枡形タイプ。特に本丸大手は厳かな雰囲気があり、5層の天守を持った城はただの陣城ではなく、大陸からの使者を圧倒するための道具であったと個人的には解釈。
他にも遊撃丸と二ノ丸西側の石塁や、折れを繰り返す山里口は見逃せないポイント。

堀秀治の陣跡はヤブ化していたが、陣跡でも石垣の枡形虎口を構えていたことに驚かされた、私の城郭巡りの212城目でした。

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ぎりょう

いつ来ても楽しい鶴岡市③ (2025/11/24 訪問)

湯田川温泉の隼人旅館の内湯と、旅館の側にある共同浴場でゆっくりと朝風呂を楽しんだ後は、鶴岡市街地へ。向うのは鶴ヶ岡城跡でしたがあいにくの雨模様。そこで致道博物館で雨宿りと考えました。城址の南西側の三の丸跡に位置し、旧庄内藩主御隠殿や庭園、旧鶴岡警察署庁舎、旧西田川郡役所など見どころの多い博物館です。御隠殿には鶴ヶ岡城関連の展示もあり、上杉氏、最上氏統治時代の大宝寺城を、酒井氏が入部後、三代五十余年を掛けて二の丸、三の丸を整備構築した、平城ながら堅固な姿を復元模型によって知ることができます。また国指定名勝の酒井氏庭園は四季折々の美しさがあります。
雨があがれば城址をゆっくりと散策しようと考えていましたが、二の丸の堀付近だけで終了。これまで春夏秋に何度か訪れているのですが、雪の季節は来たことがありません。海のもの、山のものと美味しい食材が多い鶴岡市、次は燗酒の合う季節にと思いました。

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