みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

ボン

能島城:2023年3月24日:続100名城-29 (2023/03/23 訪問)

別名:能島水軍城
村上水軍博物館にスタンプがある。そこの展望台から能島が見える。
船に乗れば渡ることが可能。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ヒロケン

初登城 (2026/04/29 訪問)

金ヶ崎城はかつて天筒山の海に突き出した半島部に築かれた山城で、敦賀湾に突き出したこの城は、古くから天然の要塞として機能してきました。南北朝時代には足利尊氏から逃れた新田義貞が尊良・常良親王とともに籠城し戦いを繰り広げ、戦国時代には朝倉景恒の拠点となり織田信長の越前攻めで有名な「金ヶ崎の退き口」の舞台となった城で、各時代で攻防戦が行われました。(金ヶ崎城跡と周辺の城跡ガイドより抜粋)

この金ヶ崎城のことは、以前から行ってみたいとは思っていましたが、福井といえば他にも行ってみたい城が多数あり、そちらの方を優先してきましたが、「大河ドラマ 豊臣兄弟!」の「絶体絶命!」を見て、これは行かねばと行ってきました。
この城の見どころは、各、城戸跡に設けられている堀切ではないでしょうか(私見)、二の城戸の堀切は深さ・大きさも十分にあり、見応えがあります。また、一の城戸を抜けそのまま歩て行くと15分から20分程で天筒山山頂(天筒山城)に辿り着けます。

金前寺の前に駐車場・トイレも完備されており、その時代の情景を妄想しながら散策してみてはどうでしょうか。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

舞岳城散策2/2(山頂部~式見ダムルート) (2026/05/04 訪問)

山頂部の眺望は,周辺樹木の剪定がされれば魅力的だと思います。式見ダムルートはあまり人が立ち入っていないのか,石垣の崩れがほとんどないです。そんな石垣に誘われてしまい,式見ダムルートで舗装路まで出てしまいました。
対岸への折り返しポイントにはパネルがあります。車の方はここに駐車できます。式見ダムまで歩きましたが,その途中でも駐車可能です。なかなか大きいダムでしたが,ダムカードは違う場所で配布とのこと。周辺も含め,食堂すらありません。ここは長崎市のハズなのに…。
また,直線距離で琴尾山烽火台まではかなり近いのですが,有効な交通手段がなく,長崎駅まで戻りました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

舞岳城散策1/2(上浦バス停ルートでのアクセス) (2026/05/04 訪問)

舞岳城へは,南東側の上浦バス停からのルートと,北側の式見ダムからのルートの2つがあります。公共交通機関なら上浦バス停ルート,車なら式見ダムルートかな…って思います。式見ダムルートは沢沿いを進みます。この沢は水の手の役割もあったと思います。沢の対岸からは,上浦バス停ルートに合流します。
私は,上浦バス停ルートから舞岳城へ。沢沿いを式見ダムルートで。舗装道に出たら対岸側へUターンし,上浦バス停ルートに合流して下山しました。

私は,長崎市内の五島町バス停からスタート。相川行きに乗り,上浦バス停へ。IC可で,料金は【450円】。案内標識が全くない右折ポイントがありました。ご注意ください。獣柵は押すと開いて,バネの反動を利用して自動で戻るタイプです。
石垣が現れ,しばらくすると右側にトラロープ。山頂が近くなると左側にこぶ縄トラロープ。上浦バス停から山頂までは,徒歩約60分で到着しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

でっかすぎたのかも (2025/06/01 訪問)

運動公園に隣接する森林公園内にでっかい群郭式の山城がまるっと眠る。15世紀に土持氏が短期間使用していたとの伝承を残すが短命に終わったとは思えないほどでっかくて充実したお城だ。でかすぎて使えなかったのかもしれないが。

+ 続きを読む

いんげん丸虫

山川土居城 高知県香南市 (2026/05/04 訪問)

標高133mの山麓丘陵上にあります。
香南市指定史跡となっていて沿道に説明板が
あり、駐車スペースもあります。
城跡はコンパクトながらしっかりとした連続
堀切が見られます。余計な看板は無く、とても
見やすく、ウェルカム感かある城跡でおすすめ
です。

+ 続きを読む

ぴーかる

大聖寺城 (2026/03/14 訪問)

【大聖寺城】
<駐車場他>錦城山公園駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・土塁・切岸・虎口跡・櫓台跡・本丸跡・鐘ヶ丸
<感想>日帰り大聖寺城と福井山城旅2城目。本日のメイン城。現地説明板を要約すると大聖寺城は南北朝時代以降に構築され加賀の一向一揆の際にも重要な軍事拠点となっていた。現在の縄張りは秀吉家臣の溝口秀勝が修築したと推定されます。1597年以降に小早川秀秋の家臣の山口宗永が入城します。関ヶ原の戦いでは宗永は西軍に付いたために前田利長の軍勢に攻められて自刃します。その後城は前田家のものとなり修復しますが一国一城令により廃城となります。現在城跡は国史跡になっています。
 城跡は全体的に馬蹄形状の縄張りで大城郭と言ってよいでしょう。中心部の谷に館跡があり、その中心部の山頂に主郭があります。中心から両サイドに連郭式の曲輪を配置していますが、北側の曲輪群の方が二の丸・三の丸があり広く曲輪を配置しています。主郭は他の曲輪より小さいが櫓台が残っていて礫石が落ちているので石垣造りだったことが分かります。主郭の背後(西側)が谷になっていて谷を利用した切岸と空堀が見事な造りとなっています。最西奥が鐘ヶ丸という最大面積の曲輪があり、ここも土塁と櫓台が残っています。この曲輪が主要部のような感じを受けました。
 一度訪れて見たかった城跡で冬場の天候の良い日と休日が合致したので逃さずきました。城跡は結構整備されていたので初夏くらいまで全然行けました。国史跡だけあってかなりの見応えですごく大満足でした。北側の連段曲輪に一向一揆当時の遺構が残っていますが他の部分は改修を重ねて誰がどの箇所を改修したか判明していないのが弱みかもしれない。何年も前にtodo94さんが続百名城鳥越城(ここも国史跡ではあるが)じゃあなくてもいいかもというコメントをしていらした意味がようやく分かった。ここでもいい。百・続百名城に負けていない城跡です。

<満足度>◆◆◆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

シェル

復元された酒田の古代城柵 (2026/04/08 訪問)

 JR羽越本線 本楯駅から徒歩25分。公園となっており、トイレも設置されています。駐車スペースは東門側にあります。
 昭和6年に発見された大和政権が設置した城柵のひとつで、出羽国の国府だった城柵として有力視されているようです。
 公園内には、政庁南門、東門と築地塀の一部が復元されています。それ以外の政庁などの建築物跡の柱跡の整備も行われていて、当時を再現したミニチュアも設置されています。パンフレットは東門の所の引き出しにあります。
 田園地帯に突然、朱色の城柵が現れるので、存在感が凄かったですね!!
 復元が平成初期ということで、建物の痛みが少し感じられましたが、東門と南門ともに一見の価値ありです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

シェル

城輪柵の留守殿 (2026/04/08 訪問)

 JR羽越本線 本楯駅から徒歩7分。城輪柵から本楯駅への帰り道に立ち寄りました。
 城址の主郭部分は、大物忌神社と酒田市北部農民センターとなっています。大物忌神社の周囲に土塁、神社北側には水堀、農民センター側には、土塁と思われる土壇が残されていました。境内の参道沿いにも微高の土塁と水堀の名残の水路が残されています。
 神社北側の水堀と土塁はかなり見ごたえがあります。4月のはじめの訪問でしたが、土塁に植えられた桜の花が咲き始めていました。
 説明板は、水堀(センター入口)そばと、鳥居脇の二ヶ所に設置され、城址碑は鳥居の脇に設置されています。
 築城された年代は不明ですが、かなり古いようで、城輪柵に赴任する国司の職務を代行していた留守殿の居館とされています。後三年合戦ののちには、源義家から出羽国留守職を任された須藤氏が新田目城に置かれました。須藤氏はのちに留守氏と改めて、留守氏の居館として戦国時代まで存続していたようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

田んぼの中に浮かぶ小山 (2026/04/28 訪問)

 斯波氏の大野支配において、戌山城、亥山城、小山城の三城は、軍事政治の面で重要な拠点の城であっただけあって、土木作業量の多いしっかりした縄張りです。一辺が短いL字形をした小山の尾根全体に郭、堀切が配置されています。L字の角が最高所で主郭らしく思いますが、説明板のイラストでは、近代の土取りで消滅した長い方の辺の先の曲輪の方が大きく書かれています。どうなんでしょう。
 登城口の説明板に、斯波義廉が朝倉氏に攻められてこの城で討ち死にした旨が記載されていますが、しんちゃんさんのつぶやきのように疑義あり。斯波義廉は、室町幕府の管領になり、応仁の乱の一方の旗頭的存在(名目上だが)であったおおものです。調べた中には、「斯波氏が同じく守護を務めた尾張に没落したが、最後の地が尾張であったか、別の場所であったかはわからない」との記載もあり、足跡を追えないようですが、討ち死にはしないような気がします。「朝倉氏は最後まで残っていた大野郡の戌山城と土橋城(亥山城)の攻略を開始し、ついに井野部・中野の合戦で二宮氏を討ち取り、斯波義敏を京都に送り返して越前一国の平定が成し遂げられました(一乗谷朝倉氏遺跡博物館HP)」がきっと最新の調査結果なのでしょう。いずれにしても、越前の中で大野が最後まで朝倉氏支配に抵抗したのは間違いないようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

大河ドラマ館に赴く前・奈良ドライブでの攻城②【城びと未登録】赤埴下城(奈良県宇陀市) (2026/04/18 訪問)

芝村陣屋からの転戦です。カーナビを佛隆寺にセットすると、赤埴下城の麓にある駐車場にたどり着くことができました。グーグルマップの「赤埴下城跡」のマーカーの場所は出丸のような感じを受けました。「大和赤埴下城址」のマーカーの場所が主郭にあたりそうです。明瞭な堀切は確認できました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

主郭部は私有地で入れません (2026/04/19 訪問)

尾道からしまなみ海道に入り最初の島、向島にあります。
近くの道路の広くなったスペースに車を置き、徒歩で向かいました。
主郭部へ向かう道には「立入禁止」のバリケードがあり入れません。
海のほうに向かうと登っていく道がありました。
これを登っていくと石垣がありますがこれは遺構なのでしょうか?

さらに登って行きますがやはり立入禁止の表示、退散しました。
海岸には船隠しとされる穴もあるようですが潮が満ちており見れず。
不完全燃焼なので背後の高見山から城跡を見下ろして次に向かいました。

【見どころ】
 ・高見山から見下ろす眺望
 ・(遺構ならば)石垣

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

三浦の晃ちゃん

穏やか公園 (2026/05/08 訪問)

関ヶ原の戦いがあった時期に大きな戦いが、あったそうです。現在は、公園になっています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

廃れた空気がものさびしい (2025/06/01 訪問)

この地に長く勢力を保った土持氏の初期のお城で少なくとも14世紀までは遡れるらしい。神社と公園になっているが鳥居が外されて横たわっていたりして、藪々なお城よりもむしろ廃れた感が強く滲みでているようで、ものさびしい。

+ 続きを読む

とってぃ

鶉古城まつり (2026/05/05 訪問)

祭りと聞いて家族で寄ってみました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

人見六郎 (2026/05/06 訪問)

 深谷市コミュニティバス「くるリン」南部シャトル便に乗り人見第3バス停下車。徒歩約10分で説明板のある場所に行くことができます。空堀、土塁が残っています。西側の2重の堀は竹藪になっていましたが、確認できます。畑で作業されている方もいたので写真は控えました。人見台バス停のとなりの藤沢小学校入口バス停の前に一乗寺があり人見氏累代の墓があります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

上杉憲英 (2026/05/06 訪問)

 関東管領・山内上杉憲顕の六男である上杉憲英により築かれた城です。深谷駅より徒歩にて登城しました。国済寺裏の土塁、物見櫓跡、大手門跡を散策しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

深谷城址公園 (2026/05/06 訪問)

 上杉房憲によって、康正2年 (1456年)に築かれたとされる城です。深谷城址公園として整備され石垣や塀などが模擬復元され雰囲気を醸しています。当時の遺構は近くにある富士浅間神社脇にある堀跡だけかと思っていましたが、グーグルマップを見ると公園西側に深谷城跡土塁(高台院)とあります。というわけで高台院にも行って来ました。高台院裏にある永明稲荷神社の西側に土塁がありました。内側は石垣が見られますが、当時のものではないと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

安部信勝 (2026/05/06 訪問)

 岡部藩は、天正18年(1590)徳川家康の関東入国に際して、家臣の安部信勝 が武蔵国 榛沢 郡岡部などに5,250 石を拝領したことに始まります。高島秋帆が一時幽閉されたこともある場所でもあり「高島秋帆幽囚の地」の石碑が建てられています。

 JR岡部駅より徒歩約20分くらいです。

+ 続きを読む

本庄宮内少輔実忠 (2026/05/05 訪問)

 本庄宮内少輔実忠によって築城されたと伝わる城址です。城山稲荷神社付近にあったとされ城址碑と説明板があります。

 JR本庄駅から徒歩15分くらいで行くことができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ4