尼子十旗:出雲国尼子氏の主要な家臣団の十の居城
尼子十旗(①白鹿城②三沢城③三刀屋城④赤穴城⑤牛尾城⑥高瀬城⑦神西城⑧熊野城⑨馬木城(夕景城)⑩大西城)
二ツ山城から車で50分ちょっとで、登城口手前空スペース(34.995900、132.717221)に向かい路駐しました。
そこから、登城口(34.995941、132.717949)はすぐ先です。
1377年(永和3年・天授3年)佐波常連によって築かれたと云われています。 佐波氏は三善氏の一族で石見国安濃郡佐波の発祥。
応仁の乱では赤穴幸清は京極氏に従って京で戦い、1470年(文明2年)には尼子氏に従って神西城を攻めています。
1541年天文9年()尼子晴久は安芸の毛利元就の郡山城へ攻め入ると、赤穴光清もこれに従っています。
この戦いで尼子氏が敗れると、1542年(天文11年)には周防の大内義隆が陶晴隆、毛利元就などを従えて出雲へ侵攻しました。
このとき周囲の国人が尼子から大内へ寝返る中、赤穴光清は尼子方として瀬戸山城に籠城し、地の利を生かして大内軍と戦ったが、二ヶ月に及ぶ籠城戦の末に光清は討死しました。
月山富田城を攻めた大内義隆が敗れると赤穴氏が再び瀬戸山城へ戻り、郡連が後見人となって赤穴久清が家督を継ぎました。
1562年(永禄5年)今度は毛利元就が出雲へ侵攻し武名ヶ平城に陣を構えた。赤穴久清は降伏開城し、以後毛利氏に従いました。
関ヶ原合戦に敗れた毛利氏は防長二カ国に減封となり、赤穴氏もこれに従って萩へ移りました。
代わって出雲国へ入部した堀尾吉晴の家臣松田左近吉久が瀬戸山城主となり、この時代に近世城郭として改修しましたが、1615年(元和元年)の一国一城令により廃城となりました。
登城路は800mで整備され登りやすい。大手門あたりから石垣が見え始めます。
石垣が素晴らしいうえに、案内板や道標が充実していました。熊よけ鐘でなくフライパンが下がってました。
攻城時間は65分くらいでした。次の攻城先=日倉城に向かいました。
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