六角高頼が将軍足利義尚の近江遠征に備えて、北国街道(西近江路)を封鎖するために築いたとされています。比高360mと結構な高さです。スキー場がある函館山から東に続く尾根上の小さなピークにⅠ郭があり、東側に下っていく尾根にⅡ~Ⅳの郭が並んでいます。城域は、東西約80m、南北20m。尾根は硬いチャートでできており、南北はかなりな急斜面です。一番の見どころはⅠ郭背後の堀切と土橋、そして、琵琶湖方面の眺望です。先人のレポートでも城域の整備と眺望を絶賛されてます、が、月日は経ち、木々の成長が整備を上回ってきてます。Ⅰ郭の堀切・土橋までは、Ⅰ郭背後となる、西からの進入路が切り開かれていますが、Ⅰ郭自体は薮化してます。登城道に面した説明板脇からのⅢ郭進入路(当時の縄張りのよう)およびⅢ郭も切り開かれていますが、展望の中央の木が大きくなっていて残念。でも、西側からのⅠ郭に向かう進入路開削はかなりな作業量と見受けられ、また、登城道もしっかり確保されており、頑張っておられる感があります。
伊井集落内に説明板があります(写真7,8)。写真8のしゅうしの池観察路・案内図を頼りに写真9の登城口を探そうとしたのですが、案内図設置後、図示された矢印や表示が全撤去されており、害獣フェンスが設置されるなどして、何がなんだか状態になりました。肝心の池も見えなかったし。1時間くらい麓を歩いて、登城口の標柱を見つけました。結局、説明板のところから気持ちを強く持って真っ直ぐに進めばよかった。ちなみに、登城路の終盤に「キリタテ」という表示板があり、「切岸」のことか、城域は近いか、と思ったのですが、単なる地名でした。そこから城域までまだまだあり、ぬか喜び。
にのまるさんの麻田陣屋石碑の変遷(定点観測)解析、感心しました。イオさんの和歌山城扇の芝変遷も良いですね。それから、トクさんの秀長をたどる旅31回、ご苦労様でした。興味深く拝見しました。古本市で、戦国九州軍記(学研歴史群像シリーズ)を見つけ、戦国期の九州のあり様を読み始めました。
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