鶴居バス停から徒歩15分くらいで、鶴居城登城口(35.024355、134.746130)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、明徳年間(1390年〜1394年)頃に赤松則村(円心)の孫の永良則綱によって築かれたと云われています。
則綱の孫である3代・彦太郎泰秀が拾一城(豊地城)に居城を移したのちも城代を置いて維持されていました。
しかし、1441年(嘉吉元年)に起きた「嘉吉の乱」で落城し、赤松氏は但馬の山名持豊に攻め込まれ、山名氏の支配下に置かれました。
その後、赤松政則は応仁の乱(1467年~1478年)中に失地を回復、1488年(長享2年)に播磨を奪回すると、家臣の広瀬近江守親茂・雅親父子が城主をつとめました。
稲荷山城の城主となった広瀬近江守雅親は、谷城主も兼ねていましたが、1560年(永禄3年)に討死したと云われています。
同じく谷城は、永禄の頃戦火ににかかり焼失廃城となり、両城とも同じ運命を辿ったと考えられています。
現在は登山道が整備されています。
神崎総合病院バス停から鶴居バス停に向かうバスがなく、バス待ちになったこと&兵庫県市川町コミュニティバスの経路が逆で到着に時間を要しました。
その為、当初は登城する予定でしたが、登城してしまうと電車に間に合わず、本日最終攻城予定の置塩城に行けなくなることを考えて登城口で撤退しました。
鶴居城と置塩城を天秤にかけて置塩城を優先しました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=恒屋城を攻城する為、鶴居駅からJR播但線を利用して溝口駅に向かいました。
少し慌てていた為、前回(一年前の東海関西遠征)と今回(中国地方と兵庫県遠征)の31日目までを共にした戦友の杖を鶴居駅に忘れてしまいました。
+ 続きを読む









