秀長の陣跡からさらに歩き続ける事20分、ついに本陣山山頂(標高252m)の秀吉陣跡(太閤ヶ平)へ到着しました!(写真⑧)。
太閤ヶ平は、一辺50mの方形に高さ5mの土塁に囲まれ、さらに土塁→堀→土塁→堀と、二重の土塁と堀に二つの櫓という構造で築かれていたようです(写真⑥縄張図)。今はだいぶ風化しているので1~2mくらいしかないですが、当時はもっと高い5m程の土塁ともっと深い堀で、さらに土塁の上には塀が作られ、二つの櫓からは久松山まで監視できた、かなり強固な陣城であったようです(写真①②は虎口と土塁、写真③は土塁と堀、写真④は居館跡)。
秀吉は経家が、文武を備えかつ民をも思う立派な武将である事に気づいていました。よって降伏すれば、経家と城兵と民の命は全て保証すると、何度も手紙を書いて送ったそうです。しかし、さすが毛利の重臣である経家は断り、自分の命と引き換えに城兵と民の命は必ず救ってほしいと言い残し、切腹したそうです(享年34)。
木々の隙間からは、久松山(鳥取城)が見えました(写真⑦)。当時は木々などなかったので、もっとよく見えたと思います。久松山をぐるりと取り囲み、経家に手紙を送り続けた秀吉は、どんな思いでここからあの久松山を眺めていたのでしょうか? きっと経家を本当は、自分の家臣にしたかったのではないでしょうか・・・🤔。
太閤ヶ平で休憩・散策しながら30分過ごした後は、先人方の情報を参考に、東照宮を目指し舗装路を1時間20分かけて下りました。下りなので一見楽そうですが、下りのアスファルトの固い地面は疲れた足に結構きました(笑)。下りた先の東照宮で登山の無事に感謝し、休憩を兼ねてその前にある「鳥取市歴史博物館(やまびこ館)」を無料だったので見学しました。でも予想に反しここは必見です! 鳥取城の戦いの様子がジオラマや資料で詳しく解説されていて、また鳥取城の歴史や池田家の事なども詳しく展示解説されていました(写真⑨)。
最後に、博物館の前にあったバス停(くる梨赤コース)から、鳥取駅に戻りました。鳥取駅を9時に出発し、16時に鳥取駅に帰着。私は健脚でなくゆっくりペースで寄り道も多いので結局7時間もかかってしまいましたが、攻めきったぞ~!(=歩ききったぞ~!)と大満足の鳥取城攻めでした😊(コースは前回図⑧参照)。
鳥取駅から16:25発の智頭急行「特急スーパーいなば6号」岡山行に乗り、駅で有名なお土産「因幡の白うさぎ」を買って車内で食べました。さすがお土産全国NO1と書いてあった商品です。ほどよく甘い味がビールにもよく合い、疲れた体を癒してくれました😊(写真⑩)。
次は、秀吉・秀長が毛利本軍と対峙した「備中高松城」へ向かいます。
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