長宗我部盛親陣跡とされる場所は二つあるようです。「とある煩悩の登城目録」さんが訪問した陣跡は栗原山の南東 標高153mぐらいの山の中腹にあります。道中には栗原九十九坊と呼ばれる寺院跡があり多数の扁平地が残っています。
淳仁天皇の天平宝字の頃(757~764)には不破郡栗原山に天台山正覚院末久保寺双寺として九十九坊があったとされています(案内板より)。鎌倉時代にも隆盛を極めたが建武二年(1335)足利、新田両氏の戦いで兵火にかかり消失したとのことです。
案内板のある場所から栗原山頂部まではけっこう距離がああるのですが、扁平地が多数続いています。途中「栗原城」と呼ばれる城址もあり周囲には土塁が残っています。
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