日本100名城

もりおかじょう

盛岡城

岩手県盛岡市

別名 : (不来方城)
旧国名 : 陸奥

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盛岡城
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ぴーかる

盛岡城 (2025/04/26 訪問)

【百名城78城目】
<駐車場他>盛岡城跡公園地下駐車場あり。満車だったので近くのコインPに駐車しました。
<交通手段>車

<見所>石垣・虎口・櫓台
<感想>3泊4日東北さくらまつり旅1城目。人生初の東北地方、午前0時に出発、1050㎞走行し11時半頃盛岡に到着しました。下記グルメの食事をして、城跡へ。先に歴史文化館にてスタンプ押印し⇒鶴ヶ池を渡り⇒三の丸・二の丸・本丸⇒本丸南西部腰曲輪⇒吹上坂を下り⇒腰曲輪西部の石垣はしだれ桜と見事にマッチ(言い回しが古いか・・・)⇒彦御蔵⇒石切場跡から城内に戻り⇒二の丸巾木石垣⇒本丸南東側から本丸石垣を眺め⇒もう一度吹上坂を下って⇒主要部の西側の石垣を眺めつつ北上⇒武徳殿跡の桜が見事です⇒瓦御門跡・櫻山神社の烏帽子岩⇒内丸の鐘楼を観て終了しました。ソメイヨシノはだいぶ散ってはいましたが、しだれ桜は満開で石垣とよく調和していました。総石垣造りの連郭式の平山城は現存建物が残っていなくとも、石垣眺めの散策は桜も加わって十分楽しめました。見応えがあり、美しい石垣城跡でした。

<満足度>★★★★☆

<グルメ>盛岡冷麺ヤマトにて焼肉と冷麺のセットを食べました。盛岡冷麺は初体験ではなかったが、ご当地で食す冷麺はやっぱ旨いです。ヤマトだけかもしれないですが、カクテキを入れるのがメインなのですかね。

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ばばよ

登城ルートは工事中 (2024/03/01 訪問)

現在三の丸の石垣修復中につき、ネットでダウンロード可能な盛岡城パンフレットにある藩主登城ルートは通れません。
二の丸には回り道して行くことになります。
多目的広場にはその修復に使うと思われる石垣や裏込石と思われる石が積んでありました。
3月ですが、盛岡にはまだ雪が残っています。
この日は雨も降っており、足場が非常に悪かったです。

この日は「旅せよ平日!JR東日本たびキュン早割パス」を使用しました。
東京-盛岡間は通常往復¥30,000かかるところ、¥10,000ですみました。
えきねっとトクだ値と異なりはやぶさにも乗れます。
もう販売期間は終わってしまいましたが、来年も発売してくれるならまた利用したいところです。

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しんちゃん

岩手公園?? (2017/05/03 訪問)

盛岡城は南部氏の居城で江戸時代の南部(盛岡)藩の中心になります。正式名称は岩手公園ですが盛岡城址公園と愛称を変更するという名目で事実上の改称になっているようです。どこへ行った「岩手公園」?と言った感じでどこにも岩手公園の記載は有りません。
北側に櫻山神社が鎮座し、烏帽子岩が社宝として崇敬を受けています。南に向かってやや西寄りに城域が伸び三の丸、二の丸、本丸と続き、本丸のまわりには腰曲輪が配されています。建造物は残っていませんが見事な総石垣の城で、どこから見ても石垣の美しさに目を見張ります。

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HARU

岩手旅行 (2014/06/29 訪問)

岩手の北三陸・盛岡を旅行したときに訪れました。石垣が見事でした。

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概要

不来方へ本拠を移した南部信直が親子三代で築いた、東北の石垣造の三名城として名高い城。本丸・ニの九・三の丸が直線状に並ぶ連郭式の縄張で造られ、本丸には天守の代わりとして御三階櫓が建っていたとされる。花崗岩を使った石垣が現存し、腰曲輪の石垣には築城当時の野面積も見られる。

城郭情報

城地種類 連郭式平山城
築城年代 慶長3年(1598)
築城者 南部信直
主要城主 南部氏
文化財史跡区分 国史跡(盛岡城跡)
近年の主な復元・整備 南部重直
天守の現況・形態 御三階櫓[3重/1633年築/焼失(失火)]、独立式層塔型[3重3階/1676年再/破却]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀、移築土蔵、門
住所 岩手県盛岡市菜園1-1-3
問い合わせ先 盛岡市教育委員会歴史文化課
問い合わせ先電話番号 019-639-9067