ながはまじょう

長浜城

静岡県沼津市


旧国名 : 伊豆

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第二曲輪・土塁
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天守無しがアツい

城の6-7割見学 (2026/10/11 訪問)

思っていたより城の規模が大きくて⛰️連れがそろそろ帰ろうと言い出したので…第四曲輪から第一曲輪までにしました

第一曲輪の下側にも何かあるようでしたが…それはもしここにまた来れる事があった時のためにとっておくことに

展望エリアから一望できる駿河湾…
そこから三枚橋城も見る事ができて…つまり敵軍(武田軍)の様子をある程度探る事ができたそう🏯

第二曲輪の櫓…当時からのものではなくおそらく近年に復元したものと思われるが…狭い階段を上って2階へ上がり第一曲輪へ🚶‍♂️なんかアスレチック体験みたいなものを感じる

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天守無しがアツい

北条氏直により築城⛰️ (2026/10/11 訪問)

車で麓の駐車場に停める🅿️
トイレ横の展示パネルをひと通り眺めてから
階段を上って城跡へ🚶‍♂️

第四曲輪…虎口…第三曲輪…

第三曲輪は小さな神社となっており…ここまで来られた事への感謝を告げながら祈る🙏

三代目氏康の頃には関東西半分伊豆半島の一帯が北条氏の勢力範囲

武田氏が駿河に侵攻して三枚橋城を設けたのに対抗して🏯五代目当主氏直もここ長浜城を設けた

ちなみに武田氏と北条氏は…略史によると駿河湾などで合戦を繰り広げたそう🌊⛴️時の武田の主人は勝頼👨‍🦰

先代の信玄に比べると…地味というか劣ってる印象のある勝頼だが…武田氏三代目として恥じないくらいの…戦国武将として及第点の能力は備えていたのかもしれない

長篠の戦いの惨敗も…勝頼率いる武田軍の不甲斐なさというよりは…織田徳川連合軍という相手が悪かった…だって火縄銃を大量に用意して効率よく撃ってくるんだから🔫🔫⚠️

長篠で多くの有能な家臣と兵を失いつつも…駿河湾では北条軍相手に何年も戦いを繰り広げて…信玄の息子に恥じぬ奮闘を見せた勝頼…しかし最後は織田信長に滅ぼされてしまう

その8年後には…豊臣秀吉に対する最後の相手として…勝頼と同じく奮闘して籠城して粘るも…北条氏も降伏🏳️五代でその夢は潰えた

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昌官忠

(東海&関西)遠征25日目(最終日):長浜城 (2025/06/08 訪問)

ホテルから沼津駅に向かい、沼津駅のコインロッカーに荷物を預けた後、沼津駅からバスで長浜城跡バス停に向かいました。
長浜城入口(35.017568、138.888007)は長浜城跡バス停のすぐ側です。
本来は中継ポンプ場側の登り口から登城するのが一般的なのかもしれませんが、沼津駅からバスできた為、長浜城跡バス停側から攻城しました。

築城年代は定かではないようですが、長浜城は室町時代から北条氏に仕えていた大川氏の居城で、北条氏の水軍根拠地、重須湊を守るために築かれました。
1579年(天正7年)北条氏はこの長浜城を普請して駿河湾の水軍の拠点とし、武田氏に備えて北条水軍の事実上の統括者である梶原景宗が長浜城に派遣されました。
その翌年には「駿河湾海戦」と呼ばれる、武田氏と北条氏双方の水軍による大規模な海戦も起こっています。
1589年(天正17年)頃には大川兵庫が城番となっていましたが、1590年(天正18年)豊臣秀吉による小田原征伐で、北条氏は水軍を下田城や小田原城に集めたため、長浜城の機能は低下していたようです。

現在は国の史跡に指定され、一部の建物などが建てられ史跡公園として整備されています。
山頂の主郭から東へ三段の曲輪、北の岬先端に向かって三段の腰曲輪がある。主郭部などには掘立柱建物跡があった。
主郭と二郭は復元された櫓の階段を上って、一階と二階で出入りするようになっていて面白い。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=狩野城へ行く為、伊豆三津シーパラダイスバス停からバス➡電車➡バスを乗り継ぎ、柿木橋バス停に向かいました。

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しんちゃん

うまく繋がるといいねェ (2024/07/14 訪問)

長浜城は発端丈山から西に伸びる尾根の先端の丘陵に築かれています。現在は県道で分離していますが、かつては尾根上で網代山砦、岩尻山砦とも繋がっていたようです。であれば、発端丈山に至る道が有るはずで、その先は南北朝時代に使用されていた城跡に行きあたるはずです。三津城は北条の改修を受けていると思われているようですね。
そこから尾根沿いに北上していくと、北砦(三津城の一部?)出城らしきもの、三津新城と遺構が連なっています。その先は不明ですが「?」マークを付けた箇所がなんとなく怪しい。
三津新城から北西を尾根上で遮断して宮脇城まで繋がれば、武田勢から内浦湾を守る防御網がひとまず成立します。調査の進展を期待したいところですが、私もいずれゆっくり再訪して調べてみたいと思います。
現在はとにかく文献や資料が発見されない限りは、史跡として認定が受けにくいと思うので、長浜城に関わる有益な資料の発見を待つしかありませんが、条件がそろえば国の史跡の「附」として認められるかも知れません。難しいとは思うけど、松江城の例もあるので、少しづつでも調査が進むと良いと思います。なんといっても尾根上では繋がっているのだから。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
築城主 大川氏
築城年 室町時代
主な城主 大川氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 国史跡(長浜城跡)
再建造物 櫓、石碑、説明板
住所 静岡県沼津市内浦重須
問い合わせ先 沼津市文化振興課文化財センター
問い合わせ先電話番号 055-952-0844