ながはまじょう

長浜城

静岡県沼津市


旧国名 : 伊豆

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内浦湾を望む
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しんちゃん

うまく繋がるといいねェ (2024/07/14 訪問)

長浜城は発端丈山から西に伸びる尾根の先端の丘陵に築かれています。現在は県道で分離していますが、かつては尾根上で網代山砦、岩尻山砦とも繋がっていたようです。であれば、発端丈山に至る道が有るはずで、その先は南北朝時代に使用されていた城跡に行きあたるはずです。三津城は北条の改修を受けていると思われているようですね。
そこから尾根沿いに北上していくと、北砦(三津城の一部?)出城らしきもの、三津新城と遺構が連なっています。その先は不明ですが「?」マークを付けた箇所がなんとなく怪しい。
三津新城から北西を尾根上で遮断して宮脇城まで繋がれば、武田勢から内浦湾を守る防御網がひとまず成立します。調査の進展を期待したいところですが、私もいずれゆっくり再訪して調べてみたいと思います。
現在はとにかく文献や資料が発見されない限りは、史跡として認定が受けにくいと思うので、長浜城に関わる有益な資料の発見を待つしかありませんが、条件がそろえば国の史跡の「附」として認められるかも知れません。難しいとは思うけど、松江城の例もあるので、少しづつでも調査が進むと良いと思います。なんといっても尾根上では繋がっているのだから。

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しんちゃん

駿河湾海戦 (2024/07/14 訪問)

長浜城は発端丈山から内浦湾に伸びる尾根の先端に築かれています。また発端丈山から湾を周遊するようにして尾根が連なり、近年いくつもの砦や城跡が発見されています。
天正7年(1579)ごろに小田原北条氏によって築かれたとされ、駿河湾の覇権を争う上で重要な城になっています。長浜城には梶原備前守景宗が入り、この時期に発端丈山周辺の尾根上の複数の城が整備されたものと思われます。また翌年、千本浜(沼津市)で武田水軍と北条水軍との間で駿河湾海戦と呼ばれる大規模な海戦が勃発しています。千本浜は長浜城から北西へおよそ8kmの位置にあります。
現在は県道17号線に接するように田久曲輪跡に原寸大の安宅船の看板の模型が設置してあります。そこから登城道に沿って腰曲輪から北側の腰曲輪群を見て第二曲輪から第一曲輪に到達しました。その間には見張櫓のようなものが再現され、10年前の訪問時には土が露出していた堀跡がコンクリで補強され整備が進んでいるようでした。

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HARU

長浜城跡 (2024/01/30 訪問)

令和6年1月30日、西伊豆旅行の折に訪れました。
戦国時代関東一円を治めた北条氏の水軍根拠地で、重須湊をも守るための城と考えられる。
高台から望む内浦湾越しの沼津市街地や遠くの山々の眺めが見事でしたが、生憎富士山が隠れて見えませんでした。

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とばつびしゃもん

城番組で紹介された城 (2023/10/09 訪問)

朝から雨が降ったりやんだり。雨の天城トンネルを歩いた後城址へ向かい、長浜ヨットハーバーの駐車場に車を駐車し登城開始。
登城道途中でパンフを入手。遺構の見処では二次元コードをスマホで読み取ると解説してくれる。第4曲輪から第3、第2、第1曲輪と進む。その間、跳ね橋跡や堀など防御施設の遺構が見られる。第2から第1への通路口が見られず櫓を介して連結していたと推測されるとの興味深い案内板解説がありました。第1曲輪からは北条と武田の海戦の場、駿河湾を望むが、曇天のため富士山は望めずじまい。
第1曲輪から腰曲輪A、B、C、Dと段々に海岸まで降りると、ヨットが並ぶ光景を目にし、水軍の基地であったことがうなずける。登りと別の登城口へ降りると、そこには安宅船の実寸平面表示がある。
1時間の攻城を終え、駿河伊豆遠征から帰国。後日、長浜城を紹介するNHKの城番組を視聴し、攻城した甲斐があったと大満足。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
築城主 大川氏
築城年 室町時代
主な城主 大川氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 国史跡(長浜城跡)
再建造物 櫓、石碑、説明板
住所 静岡県沼津市内浦重須
問い合わせ先 沼津市文化振興課文化財センター
問い合わせ先電話番号 055-952-0844