長浜城は発端丈山から西に伸びる尾根の先端の丘陵に築かれています。現在は県道で分離していますが、かつては尾根上で網代山砦、岩尻山砦とも繋がっていたようです。であれば、発端丈山に至る道が有るはずで、その先は南北朝時代に使用されていた城跡に行きあたるはずです。三津城は北条の改修を受けていると思われているようですね。
そこから尾根沿いに北上していくと、北砦(三津城の一部?)出城らしきもの、三津新城と遺構が連なっています。その先は不明ですが「?」マークを付けた箇所がなんとなく怪しい。
三津新城から北西を尾根上で遮断して宮脇城まで繋がれば、武田勢から内浦湾を守る防御網がひとまず成立します。調査の進展を期待したいところですが、私もいずれゆっくり再訪して調べてみたいと思います。
現在はとにかく文献や資料が発見されない限りは、史跡として認定が受けにくいと思うので、長浜城に関わる有益な資料の発見を待つしかありませんが、条件がそろえば国の史跡の「附」として認められるかも知れません。難しいとは思うけど、松江城の例もあるので、少しづつでも調査が進むと良いと思います。なんといっても尾根上では繋がっているのだから。
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