桜はまだ二分咲きでしたが、今回の目的は桜や天守ではないのでまぁいいかと、行ってきました。
ときどき城攻めにつきあってくれる同僚と一緒に。途中駅で待ち合わせしてロマンスカーは使わず、普通に急行のロングシートで。
駅の観光案内所で「総構えの地図ください」と言うと出してくれるので、それを見ながらいつものように迷いながら歩きました。
小田原城は何度も行っているのに、惣構えに行っていないことがずっとモヤモヤしていたのでスッキリ!
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2018/03/27 06:57
惣構 (2018/03/23 訪問)
桜はまだ二分咲きでしたが、今回の目的は桜や天守ではないのでまぁいいかと、行ってきました。
ときどき城攻めにつきあってくれる同僚と一緒に。途中駅で待ち合わせしてロマンスカーは使わず、普通に急行のロングシートで。
駅の観光案内所で「総構えの地図ください」と言うと出してくれるので、それを見ながらいつものように迷いながら歩きました。
小田原城は何度も行っているのに、惣構えに行っていないことがずっとモヤモヤしていたのでスッキリ!
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2018/03/27 06:55
山田氏の居城 (2012/11/12 訪問)
戦国土佐の七雄の一に数えられることもある山田氏の居城である。登城口に標柱があるとのことだったが非常にわかりにくかった。登城路もしっかり整備されておらず高知県の城に対する基本姿勢が貫かれている。空堀、堀切、土塁、曲輪など良好に遺構が残っているにもかかわらず表示は全くなかった。小さなベニヤ板に楠目山頂127mとあったので一応攻城したことにさせてもらうが、なかなかの城なのに残念なことである。
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2018/03/27 06:46
本山氏の居城 (2012/11/12 訪問)
司馬遼太郎の「夏草の賦」に出てきていてずっと行きたいと思っていた城。事前に登城口をしっかり調べておいたが結局迷ってしまい、そのおかげで本山土居を見つけることができたのは幸いであった。山内家の土佐支配の一拠点である。改めて十二所神社に車を着け、登城開始。ささやかながら案内板があって迷うことはなかった。主郭回りにはかなり石垣が残っているが、これは後年、手を加えられたもののようである。空堀や土塁、曲輪といった遺構もかなり残っている。長曾我部元親は本山氏を降伏させて土佐統一に向け大きく踏み出していった。
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2018/03/27 06:34
登り石垣 (2012/12/16 訪問)
前日の攻城の後遺症の筋肉痛が残る中、意を決して本丸に向けて登城していった。今回の洲本城では登り石垣のチェックが最大の目的。上りでは最短距離である八王寺木戸に抜けたが、東登り石垣は確認できずじまい。東の丸の石垣に沿って山林の中を見渡してみたが、それらしき遺構を発見することは出来なかった。東日本大震災の影響ではないと思うが、天守風の展望台は立ち入り禁止となっていた。天守台の付近から下に西登り石垣が伸びているはずだが、これもはっきりとは分からない。かなりがっかりして、下山。その途中で漸く登り石垣の遺構をいくつか認めることができた。松山城、彦根城とともに登り石垣を持つ城として名高い洲本城だが、遺構の残存度合い、視認のし難さで先の2城よりはだいぶ落ちると思う。
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2018/03/27 06:25
朝駆け (2012/12/16 訪問)
淡路守護・細川氏の館跡と云われる。堀が埋められ土塁も破壊されているとのことだが、残された土塁は中々のものであった。
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2018/03/26 23:00
2018/03/26 22:51
2018/03/26 22:49
岡山城! (2018/03/18 訪問)
旭川越しの後楽園からの眺めが良かったです。
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2018/03/26 22:44
備中松山城! (2018/03/18 訪問)
思いきって行って来ました、念願の備中松山城!岩の上に建っている?櫓や展望台からの眺めなど良かったです。
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2018/03/26 22:44
2018/03/26 22:44
2018/03/26 22:38
2018/03/26 20:28
祭りの後 (2012/12/14 訪問)
吉良邸討ち入りの12月14日には義士祭が催されていて大層な賑わいだったかと思うがこの日は祭の後片付けが粛々と行われていた。本丸表門にて100名城のスタンプを捺印。本丸の天守台にはLEDの電飾天守の骨組みがまだ残されていた。実は5年前の2007年にも12月15日に赤穂城に来ているが、この電飾天守は随分とスケールアップしている。赤穂城が山鹿流の縄張りと云うことで山鹿素行の銅像が二の丸にあるがこれは今回初チェック。
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2018/03/26 20:23
古城から先に (2012/12/15 訪問)
龍野古城である鶏籠山城。赤松氏ゆかりの城で、4代目の赤松広英が秀吉の軍門に降り開城した。火坂雅志の「壮心の夢」所収の短編「桃源」には赤松広通の名で聖人君子として登場する。竹田城主となり、関ヶ原に際して鳥取城下を焼き払った亀井茲矩に濡れ衣を着せられて命を落とす印象的な大名だ。彼のゆかりの城と言うことで感慨深い。近世城郭の龍野城では、無料の本丸御殿に招き入れられ、暫くおじさんと脇坂氏などについて話し込んでしまった。龍野歴史文化資料館にも立ち寄っていく。
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2018/03/26 20:15
感状 (2012/12/15 訪問)
国史跡の感状山城。白旗城の赤松円心に呼応して、赤松則祐が新田軍西下を阻止、足利尊氏に感状をもらっての城名となっている。物見岩までは700mほど。白旗城に比べればだいぶ楽だが、頂上のⅠ郭まではかなり登りごたえがある。南郭群の石垣や郭の連なりなどの素晴らしい城の佇まいが、疲れを忘れさせてくれた。
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2018/03/26 20:11
霧中 (2012/12/15 訪問)
北方謙三の「悪党の裔」を読了した2008年、プリウスの初ドライブで近くまで辿り着きながら攻城を見送っていた城である。霧に包まれた生憎の天気ではあるが、4年越しの攻城にいざ出陣。大きな看板近くの登城口を開けて獣よけのフェンスの中に入っていく。城までの距離の表示は2.1kmだった。五輪塔群の近くは非常になだらか。しかし、本格的な登山路になるのは城まで1.1kmの表示から先。苔の生えた岩、岩盤上の濡れ落ち葉と足元の悪さもあるが、中々、最初の堀切に辿り着かない。休憩無しで城攻めするを旨とする私も遂にくじけて30秒ほどの小休止をとってしまった。二の丸に辿り着く前にもう一回の小休止。本丸までの登城にかかった時間は45分であった。
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2018/03/26 15:29
2018/03/26 15:18
2018/03/26 10:35
三大山城 (2018/03/24 訪問)
日本三大山城岩村城
残り二つを制覇達成目指します
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