日本100名城

みのわじょう

箕輪城

群馬県高崎市


旧国名 : 上野

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箕輪城
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まさお

群馬 箕輪城 (2024/06/20 訪問)

岩櫃城から「原町の大ケヤキ」の脇をとおり、上信自動車道経由で1時間半くらいで到着しました。
登城スタンプは箕輪支所の2階の地域振興課という窓口でもらいました。
その際には「どこから来ましたか?」との質問があり、ちょっと驚きました。
箕輪城は支所から5分くらいの小学校の裏山でした。
規模の大きなすごい城跡でした。本丸跡は緑豊かなサッカーグランドのようでした。
大堀切もすごい迫力で圧倒されました。
私の勝手な印象ですが、先月お邪魔した新田金山城と箕輪城は群馬の城跡の双璧かなと思います。

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むらちょ

最高です! (2024/05/19 訪問)

本丸西虎口に石垣が復元されました。
説明会にはいけませんでしたが、今後その石垣の上に建造物が建てられる予定らしいです。

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トベシュン

関東1都5県8名城巡り (2024/04/09 訪問)

関東1都5県8名城巡り 佐倉城跡・水戸城跡・足利氏館・太田金山城跡・箕輪城跡・鉢形城跡・川越城跡・江戸城跡を二泊三日で巡ってきました。

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ヒロケン

久しぶりの関東 (2024/03/02 訪問)

箕輪城は榛名山東南麓の丘陵上を中心に北東と南西の平坦地を含んだ戦国時代の平山城です。東西約500m、南北約1,100mにも及ぶ西上野の中核的な城郭です。北西から東南方向にのびる尾根上に主要な御前曲輪・本丸・二の丸・三の丸・郭馬出・木俣を配置し、各曲輪を最大幅約40m・深さ10mの堀を巡らせています。この城、最大の見所「これ本当に、人が掘ったの?」と思わせるほどの堀が随所に巡らされています。

築城されたのは、1500年頃に長野氏が築城し、4代にわたって長野氏の本拠としています。長野業政公は武田信玄公西上野侵攻に際し、最後まで抵抗しましたが1566年に敗れ、箕輪城は武田氏の城となり、その後は、織田氏、北条氏、徳川氏と主が変っています。
特に最後の城主徳川氏の井伊直政公は石高12万石で封じられ、8年間在城後に高崎に城を移して、箕輪城は廃城となっています。

10年振り2回目の訪問で、午前2時に豊橋を出発し8時30分頃箕輪城着(途中、高速道路事故渋滞の為、30分位ロス)往復12時間で、久しぶりの関東訪問の滞在時間は5時間"(-""-)"、この5時間で、箕輪城、平井城、平井金山城を攻略し、日帰りで帰宅する計画でした。
投稿日の3月3日、桃の節句で56歳の誕生日を迎えた自分には少々きつい計画でしたが、久しぶりの箕輪城を堪能し十分リフレッシュできました。
100名城のスタンプは高崎市美郷支所受付窓口と高崎市美郷公民館に設置されており、箕輪城のパンフレットもいただけます。一つ残念だったことは、本丸と蔵屋敷を結ぶ木橋を通行することが出来ませんでした。箕輪城環境整備の一環で、令和6年3月中旬まで通行止だそうです。10年前の訪問の際は、この木橋も郭馬出西虎口門も無かったので、楽しみにしていたのですが残念です。

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概要

巨大な堀や土塁、そして巧緻な縄張による堅固な土造の城として戦国時代に築かれ、徳川家康の譜代・井伊直政が石を多用した近世城郭に改築。本丸や曲輪を囲む深い堀、さらに桝形虎口や馬出からも、縄張の巧みさが伺える。二の丸から鍛冶曲輪の南側に掘られた、幅30m・深さ20mもの大堀切が見どころ。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 永正9年(1512)
築城者 長野業尚
主要城主 長野氏、内藤氏、北条氏、滝川氏、井伊氏
文化財史跡区分 国史跡(箕輪城跡)
近年の主な復元・整備 武田氏、北条氏、井伊直政
主な関連施設 門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、馬出、井戸
住所 群馬県高崎市箕郷町西明屋他
問い合わせ先 高崎市文化財保護課
問い合わせ先電話番号 027-321-1292