箕輪城は榛名山東南麓の丘陵上を中心に北東と南西の平坦地を含んだ戦国時代の平山城です。東西約500m、南北約1,100mにも及ぶ西上野の中核的な城郭です。北西から東南方向にのびる尾根上に主要な御前曲輪・本丸・二の丸・三の丸・郭馬出・木俣を配置し、各曲輪を最大幅約40m・深さ10mの堀を巡らせています。この城、最大の見所「これ本当に、人が掘ったの?」と思わせるほどの堀が随所に巡らされています。
築城されたのは、1500年頃に長野氏が築城し、4代にわたって長野氏の本拠としています。長野業政公は武田信玄公西上野侵攻に際し、最後まで抵抗しましたが1566年に敗れ、箕輪城は武田氏の城となり、その後は、織田氏、北条氏、徳川氏と主が変っています。
特に最後の城主徳川氏の井伊直政公は石高12万石で封じられ、8年間在城後に高崎に城を移して、箕輪城は廃城となっています。
10年振り2回目の訪問で、午前2時に豊橋を出発し8時30分頃箕輪城着(途中、高速道路事故渋滞の為、30分位ロス)往復12時間で、久しぶりの関東訪問の滞在時間は5時間"(-""-)"、この5時間で、箕輪城、平井城、平井金山城を攻略し、日帰りで帰宅する計画でした。
投稿日の3月3日、桃の節句で56歳の誕生日を迎えた自分には少々きつい計画でしたが、久しぶりの箕輪城を堪能し十分リフレッシュできました。
100名城のスタンプは高崎市美郷支所受付窓口と高崎市美郷公民館に設置されており、箕輪城のパンフレットもいただけます。一つ残念だったことは、本丸と蔵屋敷を結ぶ木橋を通行することが出来ませんでした。箕輪城環境整備の一環で、令和6年3月中旬まで通行止だそうです。10年前の訪問の際は、この木橋も郭馬出西虎口門も無かったので、楽しみにしていたのですが残念です。
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