(26人目)井伊直政の続き㉒です。
本丸から御前曲輪や稲荷曲輪を通って搦手口へ下り、そこから「龍門寺」を訪れました。。
北条氏邦の時代は、この搦手口が大手口だったようです。車で来られた方はここに大きな駐車場があるので、ここから登城する事になります(写真⑤-⑧)。直政時代の大手口にも数台止められる小さな駐車場がありました。
搦手口からさらに北へ10分程歩いた所に、直政が建立したとされる「龍門寺」がありました(写真①-④)。直政はここに名僧「白庵和尚」を招き、ある時は指南を受け、またある時は相談相手として、この白庵和尚を頼りとし尊敬していたようです。そして高崎に移る時、当時和田と呼ばれた地を「高崎」と改名するよう進言したのもこの白庵和尚だとされています。
寺の入口に立つと唐破風造りが美しい現存する山門がありました。その山門の扉に彫り込まれた井伊家の家紋「丸橘」に、私は何とも言えない趣深さと、430年経った今も残る歴史の重さを感じました(写真②③)。
次は、高崎城を訪れます。
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