加賀野井城を終えて、木曾川沿い南に約3.6km程の所に在る八神城を訪ねる、竹ヶ鼻城跡の羽島市歴史民俗資料館特別展で八神城は学習しましたので、銀杏の木が遠くから見えて判り易い。
駐車場:特に無し、八神城跡銀杏の南前がジャリ地で駐車可能
参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
銀杏の南前土塁に、八神城跡のイチョウ標柱、八神城跡のイチョウ、八神城跡、八神城絵図の案内板が立っている、又銀杏の下に石碑が立ってるが刻んだ文字が黒くて読み取れないが情報では八神領□館跡?、西下に八神尋常高等小学校跡の石板碑が立て居り、明治期に成って八神城の館が小学校に利用された歴史が刻まれている、南の用水前建屋の東前庭に八神城跡標柱が立っている。
今もご子孫の方が住まわれていると歴史民俗資料館の係り員の方に聞き、もし表に出て居れば話を聞きたいと思いましたが見当たらず、周辺撮影して移築一の門が更に木曽川沿い約1.6km程南の眞福寺の山門として残ってるとの事で訪ねる。
眞福寺(岐阜県羽島市桑原町)
駐車場は無く山門の東前木曾川堤防道路下の道路に幅寄せして一時路駐(交通量は少ない)、山門を表、裏と撮影して本堂参拝し早々に引き上げる。
八神城の歴史は、イチョウの大木樹齢約300年が目に留まるここの在地の領主として明治までの400年余にわたって領地を守ってきた、清和源氏の嫡流八幡太郎義家からの家柄で、土岐氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏に仕え、江戸期に入り尾張徳川氏の随身(宿家老)が叶い、八神の地(3000石)を長く治めて明治を迎える。
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