やがみじょう

八神城

岐阜県羽島市


旧国名 : 美濃

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石碑
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しんしんちゃん

名古屋藩といわれたこともありました。(尾張藩) (2024/03/30 訪問)

八神城は毛利氏の城とされています。現在は土塁の一部とされているものが残り、城址碑が立っています。真福寺には八神城の城門が移築されています。毛利氏は土岐氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏と仕え江戸時代には尾張徳川家に仕えていたようです。案内板には名古屋藩と書かれています。まあ、そんなに間違っても無いですね。今でも名古屋県とか言われますからね。

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ぴーかる

八神城 (2023/05/03 訪問)

【八神城】
<駐車場他>駐車場はなし。<35.268497, 136.692834>ポイントは路側帯の幅が広いです。
<交通手段>車
<見所>移築門

<感想>日帰り木曾三川ちょこ城南下の旅2城目。現地説明板を要約すると、八神城は鎌倉時代に尾張国長岡庄石田郷の司職である毛利氏が居城をここに移ったのが始まりとされます。土岐氏、織田氏、豊臣氏に仕え江戸時代には尾張徳川氏に仕え明治まで存続します。城も一国一城令の対象外となったようで現存移築門が2か所残されています。
 城跡には説明板と江戸時代に植えられたイチョウの巨木があります。樹齢300年以上だそうです。城跡の北東200m程の場所に八神の渡し跡があります。この渡しは江戸時代初期には名古屋藩家老となった毛利氏が名古屋城登城時専用として利用し、江戸中期には一般に開放して木曽川を渡る街道の一つとなりました。移築門は南に少し行った眞福寺山門に一の門、長良川を越えて西側に長屋門が民家にあります。現存建造物が2つも残っているのでなかなか良いです。

<満足度>◆◇◇

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:八神城 (2023/04/27 訪問)

駒野城からの転戦です。移築一の門付近(35.254872、136.685538)に路駐して移築一の門を確認し、その後、銀杏付近(35.267490、136.692877)に路駐して銀杏を確認しました。

築城年代は定かではないようですが、永禄年間(1558年~1570年)初期に毛利氏によって築かれたと云われています。
毛利氏は清和源氏の後裔を称し石田城を居城としていましたが、22代広盛の時に八神城を築いて移り、織田信長に仕えたそうです。
江戸時代には尾張徳川氏に仕え3,000石を領し明治まで続いたそうです。

現在は田畑と住宅地となっており、僅かに石碑と案内板のある辺りに土塁が残されています。
攻城時間は移動を含めて10分くらいでした。次の攻城先=加賀野井城に向かいます。

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イオ

土塁とイチョウと移築門 (2023/02/04 訪問)

戦国末期に毛利広盛が築いたとされ、毛利氏は江戸期には尾張徳川家に仕えて明治までこの地を治めました。

城跡には土塁の前に説明板があり、土塁の上には樹齢300年を超えるイチョウの木が聳え、八神領主館址の石碑が建てられています。
また、城跡から南南西に約1.5kmの真福寺の山門は八神城一ノ門の移築と伝わります。城跡から南西に約3.6kmの民家の長屋門も八神城の移築らしいのですが、ずいぶん傷んでいるように見えました。
 

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 毛利氏
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な城主 毛利氏
廃城年 明治元年(1868)
遺構 土塁
指定文化財 県史跡(八神城跡)、市史跡(八神城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 岐阜県羽島市桑原町八神
問い合わせ先 羽島市役所教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 058-393-4672