日本100名城

ぎふじょう

岐阜城

岐阜県岐阜市

別名 : 稲葉山城
旧国名 : 美濃

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岐阜城
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ヒロケン

崖じゃん (2025/11/15 訪問)

とある煩悩の登城目録さんの11月13日に投稿された金華山を「自分の足で登る」に感化され、そういえば自分も登ったことなかったので、自分も自分の足で登ってみたく岐阜城に行ってきました。
岐阜公園鏡岩緑地駐車場(24時間いつでも利用できる無料駐車場)に駐車、トイレも岐阜護国神社横の花木広場トイレを利用することができます。
私は、とある煩悩の登城目録さんとは反対に搦め手道(めい想の小径)から攻め入り、大手道(七曲りの登山道)から下山、信長公の居館を焼き払い帰宅する予定をたてました。5年ぶり5回目の登城です。
「めい想の小径」の案内表示に従い進入。朝早くから(6時50分くらいかな)登山を楽しもうとする老若男女が足早に登っていきます。歳の頃が同じくらいかな?と思われるご夫婦について行こうと夢中でついて行っていましたが、突然目の前に急崖が( ゚Д゚)、あれっ、とある煩悩の登城目録さんの投稿では、池田輝政公が攻め込んだという記述があり、「マジかぁ~」「甲冑着て武具を持ってこの急崖を登ったの~」「昔の人はスゲ~なぁ~」などと思いながら、カメラを鞄に終い両手で崖をよじ登りました。口で息をするものだから、喉はカラカラ・頭はふらふら、休もうにも休憩する場所などありゃしない、30分程崖と格闘したでしょうか、4番目の画像の石垣が現れ城が近いことが認識できました。助かったぁ~いつもなら石垣を見て興奮し辛かったことを忘れるのですが、今回ばかりは「こんなの道じゃない、ただの崖だ」と本丸に辿り着きぼやいていた時に3番目の画像の注意表示板が( ゚Д゚)「何⁉馬の背登山道」っとまあ道を間違えていたとの「おち」がつき、岐阜城本丸周辺を堪能し、大手道(七曲り登山道)から下山しました。皆様も体力に自信がある方は、「馬の背登山道」登ってみては如何でしょうか。ご安全に!

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nakamur

岐阜城です

ロープウェイに乗るまでで約1時間かかりました。お城は素晴らしい。

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天守閣休館予定(改修工事のため) (2025/11/13 訪問)

 岐阜城は岐阜城天守閣耐震化計画に基づき、岐阜城天守閣及び資料館の改修工事を実施するようです。そのため岐阜城天守閣は令和8年5月19日~令和9年10月末まで入場できません。天守閣周辺も令和7年11月25日より通行規制があります。岐阜市のHPによると天守閣等のリニューアルオープンは令和9年11月の予定となっていました。

 天守閣休館前に、もう一度登城するか否か思案中です。

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大手道と搦手道 (2025/11/13 訪問)

 ロープウェイを使わないで自分の足で登ろうと出かけて来ました。かっての大手道と伝わる「七曲り登山道」で登り、搦手道である「めい想の小径」から下りて来ました。「七曲り登山道」は約1900mありますが、舗装されている所もあり歩きやすい道です。途中、砦の跡か門でもあったのかなと思われる削平地や堀切の跡かなと思われる場所もありましたが、確証はありません。約40分かかりました。岐阜城を一通り散策した後、関ケ原の戦いの前哨戦である岐阜城攻めのときに池田輝政はこの道から攻め込んだという伝承がある水手道下り口から「めい想の小径」を利用して下山しました。裏門跡を経由して下りて行きますが、途中岩場が多くあるため、かなり歩きにくい所も多く下りるのに1時間くらいかかりました。とてもめい想しながら歩ける道ではありません。いくつかの水の流れる沢を横切るので、水手道ともいいます。ただ自分が歩いたときには沢らしい場所はありましたが、水は流れていませんでした。

 今回、歩いて登ったのは大手道、搦手道はどんな道であったか知りたかったこともありますが、トレッキングシューズを新調したので慣れるためということもありました。長年足を守ってくれた前のシューズはボロボロになり穴も開いてしまったので、新しく購入しました。金華山なら登山道も整備され新しい靴に慣れるにはいい環境ではないと思い歩いて来ました。またこの時期、いつもなら長野県等の山城に出かけることが多いのですが、今年は熊出没情報が多く様子を見ています。岐阜城のある金華山なら猪は出ても熊はいないだろうと推測しました。平日にも関わらず「七曲り登山道」「めい想の小径」の両登山道では多くのハイカーの方とお会いしました。たとえ金華山でも山城で人に会うとほっとします。
 それなりに楽しめましたが、次に登城するときはロープウェイを使うつもりです。

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概要

戦国時代に斎藤道三が山城と城下町を整備した稲葉山城が前身。その後、織田信長が山頂の城を整備し、麓に居館を築いた。山麓部分が岐阜公園として整備され、信長居館跡には石組が復元整備されている。また登山道では石垣や曲輪跡が見られる。山頂に再建された三重四階の天守からの眺望も必見。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 建仁元年(1201)
築城者 二階堂行政
主要城主 二階堂氏、斎藤氏、織田氏
文化財史跡区分 国史跡(岐阜城跡)
近年の主な復元・整備 織田信長
天守の現況・形態 望楼型?[4重5階?/1567年頃築/解体(廃城)]、独立式望楼型[3重4階/1910年築・1956年再/RC造復興]
主な関連施設 復興天守、門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
住所 岐阜県岐阜市天主閣18
問い合わせ先 岐阜市観光コンベンション課
問い合わせ先電話番号 058‐265‐414