日本100名城

ぎふじょう

岐阜城

岐阜県岐阜市

別名 : 稲葉山城
旧国名 : 美濃

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岐阜城
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トベシュン

2021夏の5城址巡り (2021/07/14 訪問)

夏の5城址巡り 三泊四日で高遠城・岩村城・岐阜城・福知山城・鳥取城を巡りました。

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イオ

周辺史跡めぐり (2021/07/24 訪問)

(続き)

崇福寺
長良川北岸にある織田信長の菩提寺で、本堂裏の廟所には信長・信忠父子の野位牌と位牌堂があります。本堂内には信長の書状や肖像画、櫓時計、清洲城の鯱瓦などゆかりの品が展示され、本堂の天井は関ケ原の戦いの前哨戦で落城した岐阜城の血染めの床板を張ったもので血天井と呼ばれています。中でも、独断での伊賀攻めに失敗した織田信雄を叱責する信長の書状は、以前に伊賀の城をめぐった際にその存在を承知していましたので、原本を目にできて感慨深いものがありました。また、信長愛用と伝わる櫓時計は、実際には江戸期作の可能性が高いものの、写真でよく見かけるものだけに、展示されているのを見たときは、思わず「おお…」と声が出てしまいました。他にも、土岐頼高(頼芸の孫)による土岐鷹の画などもあり、拝観料大人200円は安すぎるくらいです。
境内には幼少期に小僧として崇福寺で修業していた稲葉一鉄が寄贈した梵鐘(現在のは戦後に再々鋳されたもの)があり、歴史を見ても、三世住職を務めた快川紹喜が武田信玄に請われて恵林寺の住職となり、武田氏の滅亡に際しては織田信忠に攻められて「心頭滅却すれば火自ずから涼し」の言葉を遺して火定するなど、数奇な歴史の巡り合わせを感じられる寺で、無料駐車場(10数台)もありますし、歴史好きなら訪れる価値は大いに有りです。

道三塚
崇福寺から北西に徒歩7分の住宅地には、長良川の戦いで敗死した斎藤道三の遺体を埋葬したとされる道三塚があります。本来はもう少し南にあったようですが、長良川の氾濫を避けるため、江戸後期に現在の位置に移されています。説明板の前に1台分の駐車場があるものの、ここに駐めると説明板が見づらい(写真も撮りづらい)と思います…。

織田塚
織田信秀(信長の父)が稲葉山城を攻めるも道三の反撃により大敗を喫した際、その死者を埋葬するために道三の依頼により織田塚が築かれました。御薗の榎から南西に徒歩6分の住宅地の一角にありますが、注意しないと素通りしてしまいそうです。また、織田塚から南西に徒歩4分の円徳寺の境内にも織田塚が改葬されています。

円徳寺
上記の織田塚改葬地のほか、信長らの楽市楽座の制札(未確認)や信長寄進とされる梵鐘が伝わり、岐阜城の戦いに敗れた織田秀信が高野山に上る前に剃髪した寺として髪切塚があり、秀信が用いたとされる兜が伝わっています。岐阜駅から北に徒歩10分の街なかの寺ですが、境内に駐車・駐輪可能です。

濃姫遺髪塚
岐阜市役所から北西に徒歩5分の住宅地に濃姫(帰蝶)の遺髪塚があります。濃姫については不明なことばかりで死期についても諸説ありますが、この遺髪塚は、濃姫は本能寺で信長と共に討死し、本能寺を逃れた家臣によってこの地に遺髪が埋葬されたと伝わります。

立政寺
明智光秀の仲介により信長と足利義昭が会見した寺で、義昭公御座所の石碑と説明板が建てられています。西岐阜駅から北に徒歩5分、岐阜城から距離がありますので車で訪れましたが、参道の南側と境内の西側に参詣者用駐車場(無料)があります。

この日の岐阜は猛暑日で、2リットルの麦茶を途中で飲み尽くしてしまうほどの暑さでしたが、あちこちに道三、信長、秀信の各時代にゆかりの史跡があり、城下を存分に堪能させていただきました。
 

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イオ

城下町めぐり (2021/07/24 訪問)

岐阜城には3年ほど前にも登城していますが、城下にもいろいろと見どころはあるようなので、遅ればせながらの麒麟がくる紀行として再訪しました。鏡岩緑地の無料駐車場に車を駐めて、折りたたみ自転車で城下めぐりです。

天守遠望
今回は金華山には登らないので、せめて「若き日の織田信長像」越しに岐阜城天守の写真を撮影。長良橋から遠望する天守も夏空に映えていいですね。

御手洗池
金華山北西麓にあり、山上の伊奈波神社に参拝する際に手を洗う池だったことから御手洗(みたらし)池と呼ばれます。関ケ原の戦いの前哨戦として東軍の攻撃により岐阜城が落城した際には、大勢の奥女中たちが身投げしたと伝えられています。

妙照寺
金華山西麓の城下町にあり、元は竹中半兵衛の屋敷跡なんだとか。また、山門は岐阜城からの移築と伝わります。西に徒歩10分の法華寺にも移築門があるようですが、下調べ不足でそちらは見落としてしまいました。

常在寺
城下町にある斎藤道三・義龍・龍興の菩提寺で、境内には道三の墓があります。本堂内の拝観は有料(大人150円)ですが、複製ながら道三や義龍の肖像画をはじめ、斎藤氏ゆかりの品が展示されています。道三の肖像は濃姫(帰蝶)が、義龍の肖像は龍興が常在寺に寄進したものなので、それぞれ実際にこんな容姿だったんでしょうね。

梶川堀・梶川橋
梶川堀は城下町を南北に区切る堀で、東側に武家屋敷、西側に町家が広がっていたと考えられ、現在でも堀の名残の水路が見られます。また、常在寺の西側の堀に架かる橋は梶川橋と呼ばれ、橋の跡地に説明板を設け、歩道の舗装を変えて橋の存在を示しています。梶川堀の南端は城下町の南端を区切る堀に続いており、往時の城下町の姿を感じさせます。

美江寺観音
元正天皇の勅願による奈良期の古刹を、城下町繁栄のために道三が瑞穂市から現在の地に移したとされますが、立派な仁王門や本堂は見られるものの、特に岐阜城(稲葉山城)に関連するものはなさそうです。

御薗の榎
加納市場は信長が楽市楽座を始めた地として知られますが、金華山南西麓の橿森神社の前には、市場の入口に植えられていた榎(の三代目)が移植されています。また、橿森神社の境内には岐阜信長神社として建勲神社が分祀されています。

城下町だけでなく、周辺にも見どころはまだまだありますので、続きます。
 

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フーマー

お城川柳

コロナ禍に天下布武を想う日々

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概要

戦国時代に斎藤道三が山城と城下町を整備した稲葉山城が前身。その後、織田信長が山頂の城を整備し、麓に居館を築いた。山麓部分が岐阜公園として整備され、信長居館跡には石組が復元整備されている。また登山道では石垣や曲輪跡が見られる。山頂に再建された三重四階の天守からの眺望も必見。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 建仁元年(1201)
築城者 二階堂行政
主要城主 二階堂氏、斎藤氏、織田氏
文化財史跡区分 国史跡(岐阜城跡)
近年の主な復元・整備 織田信長
天守の現況・形態 望楼型?[4重5階?/1567年頃築/解体(廃城)]、独立式望楼型[3重4階/1910年築・1956年再/RC造復興]
主な関連施設 復興天守、門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
住所 岐阜県岐阜市天主閣18
問い合わせ先 岐阜市観光コンベンション課
問い合わせ先電話番号 058‐265‐414