日本100名城

ぎふじょう

岐阜城

岐阜県岐阜市

別名 : 稲葉山城

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岐阜城
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くろもり

稲葉山城 (2012/07/29 訪問)

戦国時代の大手道と言われている七曲登山道から登城しました。比高は約300mで、登山口すぐの標識が頂上まで1600mとなっていました。

山上のロープウェイ乗り場まで約30分、ロープウェイ乗り場から天守までさらに5分程でした。

再建された天守は資料館になっており、斎藤道三の遺言状の複製や織田信長の朱印状の複製、ルイス・フロイスの書翰の原文等があり、見応えがありました。

ロープウェイを使えば、5分程の登山で景色もいいので、お城や歴史に興味がない人でも楽しめそうです。

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ミッピのパパ

登山はくれぐれも気を付けて (2019/02/02 訪問)

標高329m。登るほど急峻な山。登りは初心者・ファミリー向け「七曲登山道」を利用し、下りはタイトルにつられて「瞑想の小径」。でも、とても瞑想できるような小径ではありません。下りだったので自然の岩肌を確認しながら、転落に気を付けゆっくりと下山。
道三・信長の城としてあまりにも有名で、観光地化しているせいか、城の縄張りがよくわからなかった。

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BUGTI

いまだに発見がある信長の城 (2019/01/12 訪問)

久しぶりに登城しました。ロープウェイで登れるのでお手軽です。樹木が切り払われて、石垣が良く見えるようになっている今がお勧めです。麓の信長館も含め、まだまだ発掘や整備が進められているので、これからも楽しみです。

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夏の雪だるま

道三の城 (2016/09/20 訪問)

岐阜県岐阜市の岐阜城です。十三世紀の初め鎌倉幕府の政所令二階堂氏が砦を築いたのが始まりとされます。子孫は稲葉氏と改め砦も稲葉山城と呼ばれますが、その後廃城となっています。戦国時代15世紀中頃守護代斎藤氏が稲葉氏の砦遺構を利用し、城を築き居城とし城下町も建設。1525年美濃の内乱で、守護土岐氏・守護代斎藤氏の実権は長井新左エ門尉(道三の父)が握り長井氏が城主となっています。最近発見された文献から道三の国盗り物語は、前半が新左エ門尉、後半が道三との見解もでています。その後、道三が城主となり城を要塞化、西麓に居館を建て、市場を設けて城下町を発展させています。1554年道三は隠居し家督を義龍に譲り、やがて父子の対立から1556年道三は長良川河畔の戦いで討死。しかし、義龍は道三の死後6年で病死、後を幼い竜興が継ぎ斎藤氏は弱体化、1564年家臣の竹中半兵衛が城を一時占拠する事件も起こっています。1567年稲葉山城は織田信長により攻略され、以後、信長の居城となり岐阜城と名付けてます。1575年城主を嫡男信忠に譲り自身は安土城へ移り、本能寺の変後、城主は三男信孝、池田輝政、豊臣秀勝と替わり、織田信長の孫秀信が城主の時、関ヶ原の戦いで西軍に味方したため東軍に攻められ降伏開城、廃城となっています。城は長良川に面した標高336mの金華山山頂に築かれ山全体に郭が配され、麓にも天主と呼ばれる御殿があったとされます。しかし、山頂部の井戸は雨水をためるもので、大兵力による長期籠城には向かない城のようです。現在は岐阜公園となっており御殿跡隣からロープウェイで一の門付近まで乗車し、山頂天守閣まで徒歩7分程です。

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概要

戦国時代に斎藤道三が山城と城下町を整備した稲葉山城が前身。その後、織田信長が山頂の城を整備し、麓に居館を築いた。山麓部分が岐阜公園として整備され、信長居館跡には石組が復元整備されている。また登山道では石垣や曲輪跡が見られる。山頂に再建された三重四階の天守からの眺望も必見。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 建仁年間(1201~04)、天文年間(1532~55)、永禄年間(1558~70)
築城者 二階堂行政?、斎藤道三、織田信長
主要城主 二階堂氏?、斎藤氏、織田氏
文化財史跡区分 国指定史跡(岐阜城跡)
近年の主な復元・整備 平成9年に大改修
天守の現況・形態 望楼型 三重四階 鉄筋コンクリート造(復興)
主な関連施設 岐阜城資料館
主な遺構 天守台、櫓台跡、門跡、石垣
住所 岐阜県岐阜市天主閣18
問い合わせ先 岐阜市観光コンベンション課
問い合わせ先電話番号 058‐265‐414