日本100名城

ぎふじょう

岐阜城

岐阜県岐阜市

別名 : 稲葉山城
旧国名 : 美濃

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岐阜城
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トベシュン

愛知・三重・岐阜・愛三岐に佇む8名城と2古戦場めぐり (2024/09/07 訪問)

愛知・三重・岐阜・愛三岐に佇む8名城長篠城跡、岡崎城、岩村城跡、岐阜城、犬山城、松坂城跡、伊賀上野城、名古屋城と
2古戦場三方ヶ原古戦場跡、設楽ヶ原古戦場跡めぐりしました。

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城下町散歩 (2024/07/13 訪問)

 岐阜市へ行く機会がありましたので、市内を散策しました。このところ毎年続けて登城していることもあり山の上の城には今回は行っていません。

法華寺
 織田家ゆかりの寺で岐阜城の門が移築されています。

梶川堀
 斎藤道三や織田信長は城下町の整備を行いました。梶川堀は城下の堀で、この堀の東側に武家屋敷、西側に町屋が配されていたようです。現在は水路となっています。

立政寺
 東海地方の中世浄土宗の一大中心地として栄えた寺で、織田信長が戦国最後の将軍となった足利義昭を迎えた場所として知られています。

崇福寺
 織田家の菩提寺で、織田信長信忠親子の廟所があります。その昔は快川紹喜が住職を務めたり、稲葉一鉄が若い頃小僧として修行していたりと興味深い歴史を持つ寺です。関ヶ原の戦いで当時岐阜城主であった織田秀信は西軍についたため岐阜城は攻められ落城します。家来たちは、討死にや割腹自殺をし、その際に床板に 血痕が付着したものを本堂前周辺部に天井として残っていて、崇福寺の地天井と呼ばれています。内部は有料で興味深い展示物があるようですが、今回は時間の都合もあり外だけさらりと見学しました。

円徳寺
 織田信秀、織田信長、織田信秀ゆかりの寺です。天文16年(1547年)、織田信秀が当時は井ノ口といっていた岐阜に攻め入った際、斎藤道三に大敗し5,000人ともいわれる戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が円徳寺境内に安置されています。関ケ原の戦いの後、敗れた織田秀信はこの寺で剃髪したといわれています。

 以前に総構えの土塁や川原町付近を散策したことを投稿しました。今回は以前散策した場所以外の所を歩いていますが、まだまだ岐阜市内には興味深いポイントがありそうです。機会があればボチボチ散策してみます。


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すみか

GW初訪問 (2024/05/05 訪問)

頂上までの登山ルートは4つ、過去に死者が出たこともあるとのことで、侮れない険しい山。 ロープウェイ頂上からもさらに山を登って、ようやく天守に到着。本当に山に沿う形に建てられた城。
頂上からの見晴らしは絶景、城主として下々を見下ろすのは優越感だったろうと想像。
天守から見えた美濃の山と町と長良川は、まちづくりミニチュアっぽくて楽しかった。

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茶てん23

山頂に建つ天守 (2024/03/09 訪問)

ロープウェイ🚡な乗って山頂しましたが
急な斜面階段でも結構なとこに
素晴らしー

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概要

戦国時代に斎藤道三が山城と城下町を整備した稲葉山城が前身。その後、織田信長が山頂の城を整備し、麓に居館を築いた。山麓部分が岐阜公園として整備され、信長居館跡には石組が復元整備されている。また登山道では石垣や曲輪跡が見られる。山頂に再建された三重四階の天守からの眺望も必見。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 建仁元年(1201)
築城者 二階堂行政
主要城主 二階堂氏、斎藤氏、織田氏
文化財史跡区分 国史跡(岐阜城跡)
近年の主な復元・整備 織田信長
天守の現況・形態 望楼型?[4重5階?/1567年頃築/解体(廃城)]、独立式望楼型[3重4階/1910年築・1956年再/RC造復興]
主な関連施設 復興天守、門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
住所 岐阜県岐阜市天主閣18
問い合わせ先 岐阜市観光コンベンション課
問い合わせ先電話番号 058‐265‐414