日本100名城

しゅりじょう

首里城

沖縄県那覇市

別名 : 首里グスク、中山グスク、御城(うぐしく)
旧国名 : 琉球

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首里城
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トク

⑩【護佐丸と沖縄6城】(5)首里城(2/2) (2025/02/07 訪問)

5城目、首里城の続き(2/2)です。奉神門から中の御庭(うなー)へ入りました(写真①)。ここからが有料エリアで、復興中の正殿の工事現場を見学する事ができます。

首里城が本格的に歴史に登場してくるのは、1429年に首里城を居城とした中山王で、琉球を統一し琉球王国をつくった尚巴志(しょうはし)です。護佐丸はこの国王(尚巴志)に仕え、琉球の統一に最も貢献した側近で、国王が最も信頼していた人物でした。という事は、護佐丸も何度もこの首里城に滞在し、政事を補佐していたという事になりますね。

首里城は過去に6回火災で焼失したとされています。現在の首里城は、まだ記憶に新しい6回目の令和元年に起きた、あの大火災からの再建中で、来年(2026年)秋には正殿が完成する予定だそうです。現在はその正殿の工事が着々と行われており、その様子を見学する事ができました(写真②③④)。朱色も前回の平成の再建から少し色を変えて、昔により近くしているそうです(写真⑤)。奉神門はその塗り替えがすでに完了した門で、朱が以前の赤燈色から赤茶色(あざやかな赤から少し茶色に近い赤)に変わっています(前回写真⑦)。この赤い色は久米島の赤土から取られた色だそうで、ここが正殿の「御庭(うなー)」へ入る最後の門なので、つまりもうここまで完成しているという事です。あとは唯一残るは正殿だけ! その完成が待ち遠しいです。

5回目の火災は1945年太平洋戦争の時というのも皆さんはよく御存知と思います。では1回目の火災はいつだったのか御存知ですか? それは前回お伝えした1453年尚氏の跡継ぎ争い「志魯布里の乱」の時です。この乱の後、第6代の王となった尚泰久は、自分の娘「百十踏揚」(ももとふみあがり)を阿麻和利に嫁がせますが、阿麻和利はこの親しくなった関係を逆に利用して、勝連城から密かに船で抜け出して首里城へ行き、護佐丸が実は王を滅ぼそうとしていると讒言します。それを信じてしまった王は、阿麻和利に国王軍の旗を預け、護佐丸討伐を命じるのでした。国王は見事に騙されてしまったのです。国王軍の旗を持った阿麻和利の大軍が中城城に迫ります(護佐丸阿麻和利の乱)。しかし護佐丸にとっては全く身に覚えがありません。しかし時すでに遅く、もはや阿麻和利の大軍に囲まれ絶体絶命のピンチです! このままでは危ない! さあどうする護佐丸?

私は、首里城の正殿の裏にある東のアザナに立ってみました。とてもいい眺めでした(写真⑦⑧)。また北側の城壁から見た景色もとても美しかったです(写真⑥)。そして西のアザナからは那覇市街が一望できました(写真⑨⑩)。護佐丸は尚氏6代に仕え、ここで共に政事を行っていたので、同じように何度もこの景色をここから眺めたと思います。その時いったい何を考えていたのでしょうか? 尚氏への忠義と琉球王国の繁栄を、ただ願っていただけなのではないでしょうか・・・

次は、護佐丸阿麻和利の乱の舞台となった、護佐丸最期の居城「中城城」に続きます。
 

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トク

⑨【護佐丸と沖縄6城】(5)首里城(1/2) (2025/02/07 訪問)

5城目は「首里城」です。初日の午後に一度訪れたのですが、ちょうど春節とも重なっていたためか城内は中国人で大混雑! マナーも悪くゆっくり城見物の雰囲気とは程遠い状態でした。いくら外国人の人気スポットとはいえ、インバウンドのオーバーツーリズムには本当に困ったものです。よって後日に気を取り直し、朝一番8時に登城しました。これが大正解。ゆっくりと首里城を回りたい方は、早朝がオススメです。「うけじょ~」(開門式)も見る事ができますよ!

県庁北口を7:28発の那覇バス[346]西原営業所行に乗り15分、首里城公園入口で下車しました(写真①)。そこから徒歩3分で首里城公園です(写真②)。開園時間の8時まで立って待っていると、写真②の左に小学校の校門がありちょうど登校時間で、生徒たちがあいさつしてくれました「ハイサ~イ(おはよう)」(笑)。そして8時の開園時間になったので入ります。右手に首里社館(すいむいかん)が見え、その前の案内所にスタンプがありますが、まだ開いてないので帰りに忘れずに押す事にします。まずは守礼門が目に入りました(写真③)。人はまだほとんどいないのでとても気持ちよく登って行けます。前日はすでにもうここで大行列でした。次に歓会門(写真④)、瑞泉門(写真⑤)、漏刻門(写真⑥)をくぐり奉神門(写真⑦)に着きました。途中、民族衣装で出迎え挨拶してくれます。何か国王になった気分で登城できました。

そして奉神門に着き8:25になると、ドラの音が鳴り響き「うけじょ~」(御開門~)の声とともに、おごそかに開門式が始まります。これを絶対に見逃さないように!(写真⑧⑨⑩)。そして8:30有料エリアの入場開始です。ここまで静かにゆっくりと見る事ができたので、「早起きは三文のトク」でした!

次は、有料エリアに続きます。
 

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とばつびしゃもん

琉球国王の城 (2024/12/31 訪問)

14年ぶりの登城。予約した8時15分~ガイドツアーで登城開始。
首里杜館からスタート。守礼門、木曳門を通って下之御庭へ。毎朝の御開門式を見学して、奉神門から復元中の正殿を覆う建物内部に入り素屋根見学エリアや木材倉庫・加工場を見学。復元中の正殿を目前で見学できるのは今だけ。
世誇殿の前で1時間のツアーは終了。ガイドさんはとてもわかりやすい解説で、守礼門の額は台風が近づくと取り外すことや、復元作業の人材の多くは県外から来ていて年末年始は地元へ戻るため作業は中止中とか教えてくれました。
その後、東のアザナ、淑順門、継世門などを見て回って首里杜館へ戻る。
2時間かけて攻城。再建の際には朱色に輝く正殿を見に再登城したい。

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todo94

首里城の現在 (2024/12/23 訪問)

しんちゃんさん ご祝辞、ありがとうございます。極寒の地に暮らしている者ですので、寒い時期に暖かい土地で過ごせることはこの上ない贅沢なのです。全日空の株も200株持っていますが、今回は株主優待ではなく、格安の中でも低価格設定の共同運航便を春先には押さえていました。異様に仕事納めが早くなることが分かっていましたので。しんちゃんさんの沖縄行きが実現することを願っています。

さて、首里城です。正殿焼失の2019年の「新春の宴」以来の攻城です。前日夜にゆいレールの24時間券を購入しているので、豊見城城から奥武山公園駅に徒歩でアクセスし、儀保駅までモノレールに乗車しました。儀保駅が首里城の最寄り駅だと思っていましたが、首里城に続く細い道が、わかりやすくカラーリングされていました。首里杜館で昼食をとってから有料区域に向かいます。24時間券の提示で入場料400円が320円になりました。正殿の復興工事の様子をしっかりと見学してまいりました。焼失前に整備が進められていた池上永一著「テンペスト」の舞台・御内原も見学ルートになっていて東のアザナのてっぺんまで登ることができます。ちょうどその時、正午になりましたので、他の観光客は鐘を鳴らすイベントに参加していらっしゃいましたが、私は遠慮させていただきました。熊本城もそうでしたが、復興工事中ならではの城内の俯瞰ができるというのは大きな魅力だと思います。充分に首里城を堪能して、予約を入れてあるくもじ献血ルームへと向かいました。

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概要

尚真王と尚清王の時代(1477〜1555)に現在見られる基本的縄張が行われ、琉球王国の栄華を今に伝える。琉球国と王家の象徴ともいえる正殿を中心とする御庭は、謁見や儀式が行われていた場所。それを囲むように北殿や南殿などが復元されている。外郭に設けられたアーチ状の櫓付き門や、優美な曲線を描いた城壁も必見。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 室町時代
築城者 尚巴志
主要城主 第一尚氏、第二尚氏
文化財史跡区分 世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)、国史跡(首里城跡)
近年の主な復元・整備 尚巴志
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 門、御嶽、石垣、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、石門
住所 沖縄県那覇市首里
問い合わせ先 首里城公園管理センター
問い合わせ先電話番号 098-886-2020