日本100名城

しゅりじょう

首里城

沖縄県那覇市

別名 : 首里グスク、中山グスク、御城(うぐしく)
旧国名 : 琉球

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首里城
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まさお

沖縄城巡りツアー5城目 首里城 (2025/04/18 訪問)

今日が最終日です。早朝から強雨が降っています。琉球石灰岩の階段を考えると
雨による足場の悪さが気がかりです。
ところが首里城に到着すると、何と青空が広がり始めました。ラッキーです。
守礼門から歓会門・瑞泉門・漏刻門を抜け、広福門で入場券を購入し奉神門から
復元工事エリアに行き、3階から順次見学しました。2026年完成予定とのことです。
その後、数十段階段を登り「東のアザナ」に登りました。那覇市街地は元より昨日まで
訪問した各城郭跡の位置が見渡せるようなすばらしい眺望でした。
帰路は淑順門から首里杜館を通り、「玉陵」を詣でました。

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首里城公園

【開催情報】首里城公園GW体験イベント2025

5月3日(土)から5月5日(月)までの3日間
首里城公園(沖縄県那覇市)において「ゴールデンウィーク体験イベント2025」を開催します!

沖縄の伝統工芸である「紅型(びんがた)染め」や「金細工(カンゼーク)」体験の他
漆喰や琉球張り子の絵付け体験、園内周遊型の謎解きゲームなど多数のプログラムをご用意して皆さまをお待ちしております。

また、2026年秋の完成を目指して、首里城正殿(せいでん)の復元工事が進んでいますが
その様子を間近で見られる特別な見学エリア(素屋根)の一般公開が、まもなく終了します🥺(6月初旬まで)
首里城の屋根と同じ高さから工事の様子を見られる貴重な機会ですのでぜひお越しください!

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イオ

観光程度にひとめぐり (2025/04/06 訪問)

今年の城の日は首里城に登城しました。…といっても、家族旅行として訪れたため観光程度でしたが、それでも県営駐車場から守礼門をくぐって園比屋武御嶽石門を横目に歓会門、瑞泉門(龍樋も)とたどるうちに気分は高揚し、漏刻門、広福門を抜けて首里森御嶽を眺めつつ奉神門から有料エリアに入り、素屋根見学エリアで正殿の復元工事を見学。サラメシや新プロジェクトXで観たように3階部分は朱漆もかなり塗られていて、あの火災から5年あまりを経てここまで復元されたんだなぁ…と感慨深いものがありました。そして東のアザナから城内と城下を見渡し(あいにくの雨天でしたが…)、あとは順路に沿って首里城北面の石垣を眺めつつ駐車場に戻りました。

ほぼ見学コースをたどるだけで城好きとしては少々物足りなくもありましたが、正殿が再建されればまた来ることになるので、城下も含めてとことんめぐるのはその時の楽しみにとっておくとして、今回は概要をつかめただけでヨシとしておきましょう。晴れて正殿が完成する日が待ち遠しいですね。


…ということで、平日を一日つぶして2泊3日の沖縄旅行に行っていたので、城びとはしばらくご無沙汰でしたが、無事生きてます(笑)  しんちゃんさん、お気遣いありがとうございます。焦るどころか南の島でのんびり羽をのばしていました。朝田さん、山形県コンプおめでとうございます。関西でさえ、滋賀や京都や兵庫の北のほうは雪で行ける時季が限られるなぁ…と思っているのに、山形なんてほぼ全県が限られますよね。隣県とはいえさすがです。
 

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トク

⑩【護佐丸と沖縄6城】(5)首里城(2/2) (2025/02/07 訪問)

5城目、首里城の続き(2/2)です。奉神門から中の御庭(うなー)へ入りました(写真①)。ここからが有料エリアで、復興中の正殿の工事現場を見学する事ができます。

首里城が本格的に歴史に登場してくるのは、1429年に首里城を居城とした中山王で、琉球を統一し琉球王国をつくった尚巴志(しょうはし)です。護佐丸はこの国王(尚巴志)に仕え、琉球の統一に最も貢献した側近で、国王が最も信頼していた人物でした。という事は、護佐丸も何度もこの首里城に滞在し、政事を補佐していたという事になりますね。

首里城は過去に6回火災で焼失したとされています。現在の首里城は、まだ記憶に新しい6回目の令和元年に起きた、あの大火災からの再建中で、来年(2026年)秋には正殿が完成する予定だそうです。現在はその正殿の工事が着々と行われており、その様子を見学する事ができました(写真②③④)。朱色も前回の平成の再建から少し色を変えて、昔により近くしているそうです(写真⑤)。奉神門はその塗り替えがすでに完了した門で、朱が以前の赤燈色から赤茶色(あざやかな赤から少し茶色に近い赤)に変わっています(前回写真⑦)。この赤い色は久米島の赤土から取られた色だそうで、ここが正殿の「御庭(うなー)」へ入る最後の門なので、つまりもうここまで完成しているという事です。あとは唯一残るは正殿だけ! その完成が待ち遠しいです。

5回目の火災は1945年太平洋戦争の時というのも皆さんはよく御存知と思います。では1回目の火災はいつだったのか御存知ですか? それは前回お伝えした1453年尚氏の跡継ぎ争い「志魯布里の乱」の時です。この乱の後、第6代の王となった尚泰久は、自分の娘「百十踏揚」(ももとふみあがり)を阿麻和利に嫁がせますが、阿麻和利はこの親しくなった関係を逆に利用して、勝連城から密かに船で抜け出して首里城へ行き、護佐丸が実は王を滅ぼそうとしていると讒言します。それを信じてしまった王は、阿麻和利に国王軍の旗を預け、護佐丸討伐を命じるのでした。国王は見事に騙されてしまったのです。国王軍の旗を持った阿麻和利の大軍が中城城に迫ります(護佐丸阿麻和利の乱)。しかし護佐丸にとっては全く身に覚えがありません。しかし時すでに遅く、もはや阿麻和利の大軍に囲まれ絶体絶命のピンチです! このままでは危ない! さあどうする護佐丸?

私は、首里城の正殿の裏にある東のアザナに立ってみました。とてもいい眺めでした(写真⑦⑧)。また北側の城壁から見た景色もとても美しかったです(写真⑥)。そして西のアザナからは那覇市街が一望できました(写真⑨⑩)。護佐丸は尚氏6代に仕え、ここで共に政事を行っていたので、同じように何度もこの景色をここから眺めたと思います。その時いったい何を考えていたのでしょうか? 尚氏への忠義と琉球王国の繁栄を、ただ願っていただけなのではないでしょうか・・・

次は、護佐丸阿麻和利の乱の舞台となった、護佐丸最期の居城「中城城」に続きます。
 

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概要

尚真王と尚清王の時代(1477〜1555)に現在見られる基本的縄張が行われ、琉球王国の栄華を今に伝える。琉球国と王家の象徴ともいえる正殿を中心とする御庭は、謁見や儀式が行われていた場所。それを囲むように北殿や南殿などが復元されている。外郭に設けられたアーチ状の櫓付き門や、優美な曲線を描いた城壁も必見。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 室町時代
築城者 尚巴志
主要城主 第一尚氏、第二尚氏
文化財史跡区分 世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)、国史跡(首里城跡)
近年の主な復元・整備 尚巴志
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 門、御嶽、石垣、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、石門
住所 沖縄県那覇市首里
問い合わせ先 首里城公園管理センター
問い合わせ先電話番号 098-886-2020