元亀3年(1572)10月、盟約を破って武田信玄が徳川家康の治める遠江に侵攻してきました。戦国時代の約束なんてこんなもんです。この時、山県昌景の率いる5千の軍勢が5百の兵が守る柿本城に押し寄せてきました。当時15歳の城主・鈴木平兵衛重好(重時の嫡子)は満光寺の玄賀和尚らの仲介で和議を結んで開城し、伊平小屋山砦に逃れたそうです。
この時、満光寺と山県昌景の間にパイプが出来たのかは不明です。でも三方ケ原の合戦で逃げてきた家康はニワトリが鳴かなかったら命を落としていたかもしれないわけで、なにか引っかかるものがあるんですね。いやいや、人を疑っちゃいけないよ!‥でも戦国時代 お人よしだと命が幾つあっても足りません。寺領三石って結局ニワトリのエサ代だったんですかね?
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