続日本100名城

おおがきじょう

大垣城

岐阜県大垣市

別名 : 麋(び)城、巨鹿城
旧国名 : 美濃

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大垣城
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牛若丸

名古屋観光のついでに (2024/06/09 訪問)

桑名城の次に寄りました。
復興天守とはいえよくできていました。中も見ごたえがありました。

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しろりん

大垣市のシンボル (2024/05/09 訪問)

大垣城は1535年に創建されました。江戸時代に改修され、今の4層4階の天守になり、1936年(昭和11年)に国宝に指定されました。しかし先の戦争の空襲で焼失しました。現在の天守は数多く残っていた写真や設計図を元にしたコンクリート造りの外観復元天守です。内部は資料館になっていて入館料200円でした(大垣市郷土館との共通券です)。中の資料館は大きくはないもののコンパクトにまとめられており、大垣城の歴史や関ヶ原の戦い前後に果たした大垣城の役割りなどがよく理解できました。家康の策略に乗らなければ大垣城が天下分け目の戦場になっていた可能性もあったことを初めて知りました。難攻不落と呼ばれた大垣城なので、もしそうなっていたら歴史が変わっていたかも知れませんね🤔。展示資料のうち、弓や火縄銃、槍など実際に手に触れられる展示をしているのはいいな、と思いました。実際に火縄銃を構えてみてその重さだったり、弓の弦を引いてみてその引く力の強さだったりを体感出来て良かったです。四階の展望室では西は関ヶ原、東は岐阜城まで見渡せ、大垣市内が一望できます。

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茶てん23

天守 (2023/10/28 訪問)

公園内にある天守

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チェブ

関ヶ原の前夜。 (2024/01/04 訪問)

お正月休みを利用して、岐阜県の「大垣城」を選んだ理由は、1月4日から続100名城のスタンプが押せるからです。

「大垣城」は1535年、美濃国守護の土岐氏一族 宮川 安定さんにより築城されました。
個人的に気分は、関ヶ原合戦前夜の石田 三成さん。これからの大戦を考え、車に乗り込みます。(←大分、勘違いしています。)

「大垣城」は街中にある事は承知していましたが、こんなに近いとは思いませんでした。
まずは駐車場を探すのに、「大垣城」へ近づくと、戌亥櫓を曲がり丑寅櫓へ一方通行。東門から通りに出ました。堀を隔てる事なく石垣が近くにあり驚きました。
コインパーキングに駐車して、戸田 氏鉄さんと「大垣城」の天守を写しました。絵になります。
こちらの天守は戦争で消失し、昭和になって再建されましたが、忠実ではなかったようです。
平成23年に外観が改修され、今の堂々たるお姿になりました。ちょっと、ナンチャッテ天守も見たかったですが( *´艸`)
石垣と白い塀を見て歩くと、門の右側に石碑があります。手前に橋の欄干があって水堀の跡がうかがえます。
門をくぐれば外とは違う武骨な石垣がありました。かつての西軍の主だった武将達も、ここに立ったのかとワクワクし、天守へ。
中は資料館になっていて「大垣城」の歴史や体験コーナーがありました。鉄砲隊にも弓隊にも槍隊にもなれます。

かつて4重の水堀があった「大垣城」。
今は街中に馴染んでいて、1歩でタイムスリップできます。

三成さんは、勝利を願い関ヶ原を目指し出発した事でしょう。
道路標識には関ヶ原の地名。

そーだ、水まんじゅうが美味しいんだった。と、甘味処を目指し出発した「大垣城」攻めでした。

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城郭情報

城地種類 輪郭式+連郭式平城
築城年代 明応9年(1500)?
築城者 竹腰尚綱?
主要城主 竹腰氏、氏家氏、伊藤氏、岡部氏、松平氏、戸田氏
文化財史跡区分 市史跡(大垣城跡)
近年の主な復元・整備 氏家直元、伊藤祐盛
天守の現況・形態 複合式層塔型[3重4階/1594年築・1620年改/焼失(空襲)]、複合式層塔型[3重4階/1959年再/RC造外観復元]
主な関連施設 天守、乾櫓、艮櫓、門、塀、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣
住所 岐阜県大垣市郭町2-52
問い合わせ先 大垣市教育委員会事務局文化振興課
問い合わせ先電話番号 0584-47-8067