続日本100名城

おおがきじょう

大垣城

岐阜県大垣市

別名 : 麋(び)城、巨鹿城
旧国名 : 美濃

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大垣城
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チェブ

関ヶ原の前夜。 (2024/01/04 訪問)

お正月休みを利用して、岐阜県の「大垣城」を選んだ理由は、1月4日から続100名城のスタンプが押せるからです。

「大垣城」は1535年、美濃国守護の土岐氏一族 宮川 安定さんにより築城されました。
個人的に気分は、関ヶ原合戦前夜の石田 三成さん。これからの大戦を考え、車に乗り込みます。(←大分、勘違いしています。)

「大垣城」は街中にある事は承知していましたが、こんなに近いとは思いませんでした。
まずは駐車場を探すのに、「大垣城」へ近づくと、戌亥櫓を曲がり丑寅櫓へ一方通行。東門から通りに出ました。堀を隔てる事なく石垣が近くにあり驚きました。
コインパーキングに駐車して、戸田 氏鉄さんと「大垣城」の天守を写しました。絵になります。
こちらの天守は戦争で消失し、昭和になって再建されましたが、忠実ではなかったようです。
平成23年に外観が改修され、今の堂々たるお姿になりました。ちょっと、ナンチャッテ天守も見たかったですが( *´艸`)
石垣と白い塀を見て歩くと、門の右側に石碑があります。手前に橋の欄干があって水堀の跡がうかがえます。
門をくぐれば外とは違う武骨な石垣がありました。かつての西軍の主だった武将達も、ここに立ったのかとワクワクし、天守へ。
中は資料館になっていて「大垣城」の歴史や体験コーナーがありました。鉄砲隊にも弓隊にも槍隊にもなれます。

かつて4重の水堀があった「大垣城」。
今は街中に馴染んでいて、1歩でタイムスリップできます。

三成さんは、勝利を願い関ヶ原を目指し出発した事でしょう。
道路標識には関ヶ原の地名。

そーだ、水まんじゅうが美味しいんだった。と、甘味処を目指し出発した「大垣城」攻めでした。

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HARU

大垣城 (2023/10/26 訪問)

徳川家康公ゆかりの地巡りで、「関ヶ原古戦場」を訪れたあと大垣に宿泊、翌朝に訪ねました。大垣城は関ヶ原の戦いの折り、石田三成の西軍の陣が置かれ、激しい籠城戦を展開しました。大垣城は国宝に指定された後、戦災で焼失し、昭和34年に再建されています。天守内にある資料をみると、関ヶ原の戦いの様子など窺い知ることができます。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2022/04/06 訪問)

※日本三大桜の一つ「根尾谷薄墨桜」鑑賞、小牧山城と共に登城
※前日、名古屋泊

8:11名古屋(JR)、8:45,9:11大垣(樽見鉄道)、10:11樽見
 (季節運行シャトルバス)薄墨桜 ※駅徒歩15分です
 ※樽見鉄道大垣駅で樽見までの往復とシャトルバスの割引券を利用
  樽見駅からバス15分位のうすずみ温泉入浴券付もあった気がします(記憶が定かではありません)

12:03樽見(樽見鉄道)、13:06大垣
 (徒歩8分)大垣城(続百名城スタンプ 9:00-16:30火休)

13:41大垣(JR)、13:52,14:28岐阜(名鉄)、15:03,15:12犬山(名鉄)、15:28、15:40小牧(路線バス)、15:52小牧市役所
(徒歩3分)小牧山城跡(続百名城スタンプ 小牧歴史資料館(9:00-16:15第三木休))

18:04小牧市役所前(路線バス)、18:58,19:20名古屋(JR新幹線)、20:40品川

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姫街道

昭和初期の国宝 (2024/01/07 訪問)

昭和初期まで残っていたお城や城壁を写真で見る限り、もし今残っていたら…と思うと残念でならない。そのくらい名城だと思う。写真があるだけでも貴重だ。今は綺麗な復元天守がそびえ立ち街のシンボルとなっている。

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城郭情報

城地種類 輪郭式+連郭式平城
築城年代 明応9年(1500)?
築城者 竹腰尚綱?
主要城主 竹腰氏、氏家氏、伊藤氏、岡部氏、松平氏、戸田氏
文化財史跡区分 市史跡(大垣城跡)
近年の主な復元・整備 氏家直元、伊藤祐盛
天守の現況・形態 複合式層塔型[3重4階/1594年築・1620年改/焼失(空襲)]、複合式層塔型[3重4階/1959年再/RC造外観復元]
主な関連施設 天守、乾櫓、艮櫓、門、塀、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣
住所 岐阜県大垣市郭町2-52
問い合わせ先 大垣市教育委員会事務局文化振興課
問い合わせ先電話番号 0584-47-8067