日本100名城

なかぐすくじょう

中城城

沖縄県中頭郡

別名 : 中城グスク、中グスク
旧国名 : 琉球

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中城城
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トク

⑬【護佐丸と沖縄6城】(6)中城城(3/3) (2025/02/06 訪問)

中城城の続き(3/3)です。護佐丸はなぜ戦わなかったのでしょうか?
護佐丸にも阿麻和利には不穏な動きがあり、いつ攻めてくるかわからないという情報は当然入っていたと思います。であるにもかかわらず、なぜ月見の宴などを開いていたのでしょうか?

阿麻和利が護佐丸を攻めている頃、阿麻和利に嫁いだ王の娘の百十踏揚は、密かに勝連城を抜け出して首里城へ行き、父(国王)を騙している本当の裏切り者は夫の阿麻和利であり、今まさに祖父の護佐丸を殺そうとしている事、また護佐丸の次は父を殺して琉球王国を乗っ取ろうとしている事を、父である国王尚泰久に伝えます。真の裏切り者を知った王は激怒し、百十踏揚の付人(後の夫)である「大城賢雄」(うふぐすくけんゆう)を総大将とした阿麻和利討伐軍を送り、阿麻和利を滅ぼしたのでした。

私は最後に、中城城から勝連城を眺めてみました(写真③)。それから護佐丸の墓を訪れてみました。日本最古の亀甲墓だそうです。中城城の入口から道路の反対側の狭い道を入り、さらに階段を100段くらい登った人目につかないような場所にひっそりとありました(写真①②)。そして墓の前に立ち考えてみました。なぜ護佐丸は戦わずして自害したのでしょうか? その理由を、墓の前に咲いていた桜が、教えてくれたような気がしました(写真④)。

護佐丸(享年68才)、彼は本当に反逆者だったのか、それとも真の忠義者だったのか? 彼の死は、今でも沖縄永遠の謎として、語り継がれています。

最後に番外編です。
 

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トク

⑫【護佐丸と沖縄6城】(6)中城城(2/3) (2025/02/06 訪問)

6城目中城城の続き(2/3)です。護佐丸の代名詞であるアーチ門がありました(写真①)。ここをくぐり一の郭に入ります。ここが最も高い場所です。ここから見下ろすと、中城城は予想以上に大きい城だったのには驚きました。首里城とほぼ同じくらいの大きさではないでしょうか。

一の郭には正殿の跡がありました。という事は、護佐丸はここで暮らし、そして最後はここで亡くなったという事になります(写真②③④)。一の郭の東隅には月見櫓(物見櫓)のような跡もあり、三段の段築で積み上げ、まるで東の阿麻和利をいかにも牽制するような風貌です(写真⑤)。また石垣は座喜味の時よりさらに進化していました。一の郭の石垣は、下段は相方積みで上段は布積みと崩れにくい強固な造りになっています。さらに石垣の内側全てに武者走りが追加されていました(写真⑥⑦)。これは鉄壁の防御です! にもかかわらず・・・

一の郭から二の郭、二の郭から三の郭に下る途中にも、それぞれアーチ門がありました。これらの郭には多くの兵が待機できる、まさに護佐丸を守る最後の砦であった事がわかります(写真⑧)。途中にはウブガー(井戸)もあり、籠城にも耐えられるようになっていました(写真⑨)。でも皆さん、このあたり夏は気をつけて散策して下さいね(笑)(写真⑩)。

1458年尚泰久から護佐丸討伐を命じられた阿麻和利は、護佐丸が月見の宴を開き油断していた夜、突然中城城を奇襲します。この一の郭で宴は開かれていたと思われます。しかし護佐丸は、なぜか反撃しませんでした。そして阿麻和利が持つ国王軍の旗を見た護佐丸は、何も抵抗せず、そのまま妻子とともにここで自害したそうです。

これだけの鉄壁な防御に加え、兵の数など戦えば護佐丸の方が有利だったと思われます。にもかかわらず、護佐丸はなぜ戦わなかったのでしょうか?  

次は、最終回(3/3)へ続きます。
 

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とばつびしゃもん

6つの郭をもつ連郭式の城 (2025/01/02 訪問)

14年ぶりの登城。専用駐車場から登城開始。
入城券売場前から無料のカートで正門前へ運んでくれる。正門から城内へ。
西の郭には進めない。一の郭の石垣補修を見ながら南の郭へ入る。ルートに沿ってアーチ門を通ると正殿跡のある一の郭、さらにアーチ門を入ると二の郭。緩やかに曲線を描く石垣に囲まれていて、石垣の内側にある武者走を歩くことができる。
北の郭では石階段を下りた先に大井戸が見られる。三の郭に寄ってアーチ門の裏門を出る。
座喜味城と同じく名築城家護佐丸が築いた城。一、二、三の郭の石垣が同じ方向に凹む姿は面白い。90分の攻城。

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トク

⑪【護佐丸と沖縄6城】(6)中城城(1/3) (2025/02/06 訪問)

最後6城目は「中城城」です。場所の都合上、勝連城から転戦しました。那覇から勝連城へ行ったバス[52]で今度は逆の那覇方向に乗り40分、途中の北中城村役場前で下車し、ここからコミュニティバスに乗り換えて登り坂を登る事10分、中城城に到着です。コミュニティバスは一日6本しかないので時間を確認されて行かれて下さい。バス停は勝連方面と同じ所にあり(写真①)、前払い200円です。もし急ぐ方は村役場でタクシーの電話番号を聞けばいいと思います。私は次のバスが来るまで1時間待つ事にしたので、村役場のきれいなトイレを借り、向かい側のコンビニでおにぎりを買い、村役場の裏の高台にちょっと登って、眼下にある普天間基地を眺めながら食べて時間をつぶしました(注:中城城は店など何もない所です)。

中城城に着いてからは、まず入口でチケットを買いスタンプを押すと(写真②③)、正門までの登り坂をカートで乗せて行ってくれます(写真④⑤正門)。ここから入口まで城内を散策しながら歩いて下って戻る事にします。正門から入った場所は1853年にペリーが訪れた場所で、ちょうど石垣の補修工事中でした(写真⑥)。私もペリーと同じ場所に立ち、同じように石垣を見上げてみました(写真⑦⑧)。この城壁にペリーはさぞかしびっくりしたでしょうね(笑)。

そして南の郭へ入ると、ここは礼拝所であったようです(写真⑨)。ちょうど菜の花がきれいに咲いていました。そこから首里の方角を眺めてみました(写真⑩)。護佐丸はここ中城城に居た時に、志魯布里の乱で首里城が焼け落ちたとの知らせを受けます。その時、同じようにここから首里の方向を眺め、琉球王国の行く末を心配していたのではないでしょうか?

次はアーチ門をくぐって一の郭へ入り、(2/3)へ続きます
 

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概要

沖縄本島中部にある、尾根上に6つの郭が連なる城。15世紀前半に三の郭などが増築され、現在の姿に整ったという。琉球石灰岩で堅固に築いた石垣は野面積・布積・相方積など様々な技法が使われている。貴重な左右対称の城壁や、琉球の城らしい石造拱門(アーチ門)が特徴的。北の郭の入口の物見台なども見どころ。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 14世紀後期?
築城者 先中城按司
主要城主 護佐丸盛春
文化財史跡区分 世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)、国史跡(中城城跡)
近年の主な復元・整備 護佐丸盛春
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、石門
住所 沖縄県中頭郡中城村泊/北中城村
問い合わせ先 中城城跡
問い合わせ先電話番号 098-935-5719