(長野県&岐阜県方面城巡り)1日目:伴野城
(2023/04/18 訪問)
根井氏館から転戦。薬師寺駐車場(36.225729、138.469935)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代に伴野時長によって築かれたと云われています。
伴野氏は清和源氏小笠原氏流で、小笠原長清の六男時長が佐久郡伴野荘の地頭となって入部し伴野氏を名乗ったことに始まるとされています。
1285年(弘安8年)三代伴野長泰の時、鎌倉で「霜月騒動」が起こり、小笠原惣領にあった長泰以下一族の多くが誅され、所領は鎌倉北条氏に没収され伴野氏は衰退します。
その後、鎌倉幕府が滅亡して南北朝時代となると足利尊氏に属した伴野長房によって、勢力を回復していきます。
はじめ方形居館として築かれた伴野館も勢力の伸張とともに城として拡張され、館を本丸として周囲に曲輪を配して野沢城とも呼ばれる平城となる。しかし文明年間(1469年〜1487年)頃には前山城を築いて居城を移している。
勢力を回復した伴野氏は次第に大井氏と争うようになり、甲斐の武田氏と通じて大井氏と戦い、1549年(天文18年)に伴野左衛門は武田氏に属しました。
1582年(天正10年)武田氏が滅亡し、織田信長が本能寺で倒れると伴野城は依田信蕃の一族依田肥前守によって攻略され、前山城も依田信蕃によって落城したそうです。
現在は大伴神社が建つ城山公園として整備されています。
周囲には堀の名残と思われる水路が巡り、東側、北側、西側に土塁が残っています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=平賀城に向かいました。
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