荒砥城は、信濃の大名である村上氏の一族山田氏によって築城された山城です。
《山田氏時代》
この城は、1524年(大永4年)。
千曲川を挟んで反対側にある村上氏の本拠・葛尾城の支城として
村上氏の一族の山田氏によって築かれた。
そこから30年近く山田氏によって統治されてきたが、
今まで上田原の戦いや砥石城の戦いで追い返していた武田軍の猛攻にあい、
真田幸綱の攻略によって砥石城が奪われると、武田に内通していた家臣に謀反を起こされ、
葛尾城から脱出。一度は奪い返すも、また攻められ葛尾城に火を掛け敗走、
この時荒砥城も焼かれてしまった。
《武田、上杉時代》
武田の領地となった荒砥城は、
武田に内通し裏切った屋代政国が城主となった。
そして、屋代政国が隠居し、屋代秀正が城主となるが、1582年武田が滅亡したため、
秀正は上杉氏につき、海津城の副将になった。しかし、信頼されず、
上杉景勝によって監視された。
そのためか、德川に内通し、上杉景勝に攻められ、荒砥城に火を放って、出奔。
その後、荒砥城は廃城となった。
【城情報】
・形式 ❙山城
・築城年 ❙1524年(大永4年)
・廃城年 ❙1584年4月
・築城者 ❙山田越中守二郎?
・最後の城主 ❙屋代秀正
・廃城理由 ❙德川に内通し、上杉によって攻められたため
・主な城主 ❙山田氏、屋代政国、屋代秀正
・遺構 ❙ 石垣、土塁、(復元)
・主な建築物 ❙門、櫓、柵、建物、
・説明看板、石碑 ❙石碑(裏面に説明)有
・駐車場、トイレ ❙駐車場 有(狭め)
・天守 ❙中世の山城のためない
・保存状態(自身判断)❙復元だが、当時を思うことが出来る(さすがに石垣はなかったのでは?)
・城レベル ❙3(詳しくは新ろくべえのプロフィールへ)
・備考 ❙・石垣の石が珍しい
❙・櫓や二の郭からは千曲市や坂城町が一望できる
|・15分おきほどで、荒砥城の説明映像が自動で流れる。
❙・入城は有料のため注意
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