黒野城主・加藤氏は西美濃安藤家の一族で土岐氏の旧臣であったと城郭大系には記載があります。城主加藤貞泰の父、加藤光泰は土岐氏の次は斎藤氏に仕え豊臣秀吉→秀長に仕えた後、秀吉に召し返され甲斐国24万石を領するまでになりました。
文禄2年、文禄の役からの帰国の途中に急死し、子の貞安は幼少であったため黒野城主として4万石でここに入ったとされています。
黒野城は方形の郭の周囲を高土塁と水堀で囲まれています。土塁の上を周遊することが出来、今でも北西隅櫓と南東隅櫓はその形状を良く残しています。入り口は南西に付き桝形虎口であったと案内板には記載が有ります。
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