藤原秀郷の流れを汲み佐竹氏より古くから常陸国にいて「太田太夫」を名乗っていた一族が佐竹氏に太田を譲って(取られて)小野崎に移ったのが小野崎氏の始まりだとか。よく最後まで佐竹氏に従ったものだ。
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2026/02/07 13:51
とことん佐竹氏とともに (2025/04/13 訪問)
藤原秀郷の流れを汲み佐竹氏より古くから常陸国にいて「太田太夫」を名乗っていた一族が佐竹氏に太田を譲って(取られて)小野崎に移ったのが小野崎氏の始まりだとか。よく最後まで佐竹氏に従ったものだ。
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2023/09/05 20:27
台地上周辺には他にも、いくつかの城郭があり。 (2023/05/05 訪問)
小野崎城は周囲を河川に囲まれた楔状台地の先端部に築かれています。
城跡は瑞竜中学校の敷地内になっていて、中には城址碑があります。
GWの最中ですが家族連れが何組かきているので、お断りをいれて
城址碑を撮影させていただいてます。
昭和44年の調査では単郭の館様式の城郭らしいとのことですが
特に遺構はみあたりません。
台地上周辺には他にもいくつか城郭が存在していたようで
南西側近くの白鷲神社は今宮館として土塁などの遺構が残っています。
他にも八百岐館(現状は竹藪)小野館(瑞竜小学校?)などの館跡が
あるようです。城郭放浪記さん余湖コレクションさんの情報を参考に
させていただき訪問させていただきました。ありがとうございます。
いずれの城も小野崎城と何らかのかかわりがあるようで、一体となって
防衛ラインを築いているように見えます。
小野崎城は秀郷流藤原通延の孫、通盛が久安年間に小野崎に進出して
館を築き小野崎新太夫と称し、これが小野崎氏の始まりとされています。
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2023/04/28 07:42
| 分類・構造 | 丘城 |
|---|---|
| 築城主 | 小野崎(太田)通成 |
| 築城年 | 平安時代後期 |
| 主な城主 | 小野崎氏 |
| 遺構 | 曲輪、土塁? |
| 再建造物 | 石碑 |
| 住所 | 茨城県常陸太田市瑞竜町570(瑞竜中学校) |