おばたじょう

小幡城

茨城県東茨城郡


旧国名 : 常陸

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チェブ

今でも討たれます。 (2025/06/28 訪問)

皆さんが大絶賛の『小幡城』。
迷いました。

『小幡城』は、お城専用の駐車場があります。
入口は90m手前とあったので、反対側ではなく向こう側に間違えて歩いて行きました。
高速道路の上を渡ります。もう少しだと思ったところで、キツネかタヌキかハクビシンかが横切りました。
追いかけて行くと、写真③を見つけ間違えてしまった事に気付きました。
90mと書いてくれているのに、野生動物に気を取られ400mも歩いてしまった、、、。
振り出しに戻って手前を90m行くと、入口から立派な土塁が待ち構えてました。
すぐ近くに高速道路があるので、『ここ、削られないで良かったー。』が最初の感想です。
右手に説明板があります。
「小幡城」は室町時代と鎌倉時代に築城した2説がありました。
廃城も、天正18年と慶長7年の2説。『どちらの説が正しくても、土塁が風化されずに高いまんまって!』が、入口付近の感想です。
そして、お邪魔したとたんに『怖い』が連発です。
堀底を歩いているので、周りが同じように見え、どの位置にいるのか不安になります。
虫除けにハッカ油を振りかけてましたが、虫足軽が襲いかかります。
何度か、入口に戻って入ってを繰り返しましたが、怖くて奥に進めませんでした。

ずっと土塁の上から睨まれていたような気がします。
こんなに迫力のあるお城は、久しぶりだった「小幡城」攻めでした。

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しんちゃん

本丸 (2024/12/31 訪問)

変形武者走りを楽しんだ後は五郭に沿って本丸に入ります。本丸の手前には土橋がかかっており、周囲には土塁が残っています。
小幡城は江戸氏の支配下に置かれますが、江戸重通は豊臣秀吉の小田原攻めの際に周囲を警戒して秀吉の元に参陣することが出来ず、常陸21万石の所領を安堵された佐竹義重によって常陸国を追われ、結城晴朝の下へ落ち延びて行きました。
一説には大掾氏とともに佐竹氏に、秀吉へのとりなしを依頼したが無視されたとのことです。

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しんちゃん

変形武者走り (2024/12/31 訪問)

小幡城の築城に関しては諸説ありますが、戦国時代の文明年間以降は水戸城を手中に納めた江戸氏の支配下に置かれ、水戸城の支城となりました。豊臣秀吉の小田原攻めの後、本領を安堵された佐竹義重は一気に南下し水戸城を落とします。この時に小幡城も落城したと見られ、江戸氏は結城氏の下に落ちのび、大名としての江戸氏は滅びますが、後に世界一の大都市となる江戸にその名前が残りました。
久しぶりに小幡城にやって来ました。以前訪問した際に比べ、立ち入り禁止の箇所がいくつかあり、見学のルートも限られているようです。堀底道をしばらく歩きまわるのですが、左右の堀底道を進む敵を高所から攻撃できる、変形武者走りはなかなか面白い遺構です。

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WEST

小幡城探訪 (2025/03/07 訪問)

茨城県にある小幡城を訪問しました。入口近くに駐車場も整備され、自動車によるアクセスし易いお城です。
このお城の見どころは空堀です。その堀底道を歩くとその土の壁が高く、防御の高さを実感することができます。
七つの郭がありますが、まだ見学エリアが限定されており、今後の整備を期待します。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 小幡氏
築城年 応永24年(1417)
主な城主 小幡氏、大掾義幹
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、櫓台、腰曲輪、井戸
指定文化財 町史跡
再建造物 碑、説明板
住所 茨城県東茨城郡茨城町小幡
問い合わせ先 茨城町役場
問い合わせ先電話番号 029-292-1111