おばたじょう

小幡城

茨城県東茨城郡


旧国名 : 常陸

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登城口
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赤い城

もう一度行っておきたかった。 (2023/06/10 訪問)

堀底道パラダイスのお馴染み小幡城、
関東を離れる前にもう一度行っておきたかったので登城しました。
駐車場からすぐに城の入口があります。
整備されているので順路に沿って進むとほぼほぼ楽しめます。
やはり高い土塁を見上げながらの堀底道散歩は素敵。
何度も殺されます。
櫓台に登ると土塁のくぼみの変形武者走りも見ることができます。
堀底道に戻って進むと土橋が。
こちらもいい感じです。
その外側の堀にも降りてみました。
竹やぶの中に明瞭に残る堀でした。
主郭は土塁で囲まれ、井戸も残ります。
常陸っぽい平地を深く掘った城です。
久米城と並び茨城県では双璧の城ではないかと思います。
機会があればぜひ行って欲しい城です。

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じゅんじん

夕暮れ (2022/01/16 訪問)

2回目です。薄暗くて誰もいなくて怖かったです。討たれても誰も気づかないでしょうね(;^ω^)

また来たいな。いや来ます。

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小城小次郎

ここが小幡城であることに迷いはなさそうなのだが (2020/12/06 訪問)

「ここが小幡城跡です。」という力強い表示板は、ここが小幡城であることがわからない人が少なからず存在することを暗示しているのだろうか。そうは見えないお城なのだが。

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pascal

戦国の攻城兵の気分になって (2018/03/08 訪問)

『小幡城を観ずして土の城を語る勿れ!』…とまでは言われていませんが、マニアに大人気の小幡城です。

【アクセス】
3年前の訪城でしたが、とにかく交通は不便な場所です(^^;
クルマでしか行けませんが、ナビが頼りです。 
道路も狭いので、近隣へのマナーとしても軽自動車がお奨めですね。
駐車場は当時は北東の堀底道の入口に停めましたが、その時に城の北側で造成工事をしてたので、もう専用駐車場が出来てるはず。

【城の歴史】
 ほとんど記録資料が無い城で、素性も不明な点が多いのですが、応永24年(1417)に大掾詮幹の三男:義幹による築城という説が有力な様です。(異説あり)
 城は湿地帯に付き出した台地の先端を堀で断ち切って縄張りされています。
郭内は七つの郭が空堀で仕切られた連郭の城ですね。

 大掾氏だと、水戸城の支城という扱いでしょうか。
しかし上杉禅秀の乱で大掾領は江戸氏に与えられますから、戦国末期まで江戸氏が改修し使った事でしょう。
廃城後は、湿地帯の小丘という環境が上手く作用し、山に還って遺構は破壊を免れて、良好な状態で今日に伝わりました。

【見どころ】 
 見学の登城口は北東の空堀から入る様になっていて、堀底道を彷徨いながら七つの郭を見て行きます。
何がそんなに大人気なのかと言えば、城内に入った時から感じる“戦国疑似体験”なのですよね。
遺構の状態が良いので、両側に立ちはだかる土塁の底を歩いていると、なぜか上から狙われてる様な、妙な緊張感に襲われてしまうのです(^^;
そして、堀底道は絶妙に曲がっていて、枝分かれを繰り返すので、同じ様な景色の繰り返しで、最後には今何処にいるのかさえ判らなくなる…まるで迷路の世界ですね。
いったい本丸は何処なんだ!?

【感想】
 病的なマニアとしてはすぐに、この城は何処からどう攻めたら良いのか…などと考え悩んでてしまいます。
しかし、縄張り図をよくよく見ると、東と南は当時は沼なので、多くの舟が無いと押し渡れないので、実質の攻め口は地続きの西と北からに限られます。
つまり、いきなり堀底道から攻め込むというシチュエーションは元々無いのです(^^; 

ただ、狭い土塁で堀底を仕切った“二重堀”などはとても良く考えられた構造で、攻めにくい絶妙な縄張りなのは間違いないですね。
実戦の記録は不明ですが、一見の価値がある城です。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 小幡氏
築城年 応永24年(1417)
主な城主 小幡氏、大掾義幹
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、櫓台、腰曲輪、井戸
指定文化財 町史跡
再建造物 碑、説明板
住所 茨城県東茨城郡茨城町小幡
問い合わせ先 茨城町役場
問い合わせ先電話番号 029-292-1111