変形武者走りを楽しんだ後は五郭に沿って本丸に入ります。本丸の手前には土橋がかかっており、周囲には土塁が残っています。
小幡城は江戸氏の支配下に置かれますが、江戸重通は豊臣秀吉の小田原攻めの際に周囲を警戒して秀吉の元に参陣することが出来ず、常陸21万石の所領を安堵された佐竹義重によって常陸国を追われ、結城晴朝の下へ落ち延びて行きました。
一説には大掾氏とともに佐竹氏に、秀吉へのとりなしを依頼したが無視されたとのことです。
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2025/06/22 00:33
本丸 (2024/12/31 訪問)
変形武者走りを楽しんだ後は五郭に沿って本丸に入ります。本丸の手前には土橋がかかっており、周囲には土塁が残っています。
小幡城は江戸氏の支配下に置かれますが、江戸重通は豊臣秀吉の小田原攻めの際に周囲を警戒して秀吉の元に参陣することが出来ず、常陸21万石の所領を安堵された佐竹義重によって常陸国を追われ、結城晴朝の下へ落ち延びて行きました。
一説には大掾氏とともに佐竹氏に、秀吉へのとりなしを依頼したが無視されたとのことです。
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2025/06/17 21:53
変形武者走り (2024/12/31 訪問)
小幡城の築城に関しては諸説ありますが、戦国時代の文明年間以降は水戸城を手中に納めた江戸氏の支配下に置かれ、水戸城の支城となりました。豊臣秀吉の小田原攻めの後、本領を安堵された佐竹義重は一気に南下し水戸城を落とします。この時に小幡城も落城したと見られ、江戸氏は結城氏の下に落ちのび、大名としての江戸氏は滅びますが、後に世界一の大都市となる江戸にその名前が残りました。
久しぶりに小幡城にやって来ました。以前訪問した際に比べ、立ち入り禁止の箇所がいくつかあり、見学のルートも限られているようです。堀底道をしばらく歩きまわるのですが、左右の堀底道を進む敵を高所から攻撃できる、変形武者走りはなかなか面白い遺構です。
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2025/03/16 17:13
2024/12/29 22:39
ようこそ!!空堀の迷宮へ (2024/11/07 訪問)
茨城に住んでいながら、なかなか行くことができていませんでしたが、ようやく訪問することができました。
JR水戸駅北口 6番バスのりば 茨城空港行のバスに乗車し、「秋葉」で下車、徒歩約20分で到着。他に同じく6番バス停から石岡駅行のバスで「小幡」で下車するルートもあります。(両路線とも本数が限られているので、訪問の際は時刻表を必ずチェックして下さい。)
城跡入口には駐車場も設置されています。
入口からは堀底道を進んで本丸を目指します。空堀はかなりの深さのもので、堀が十字路のように交差する場所もあり、“空堀の迷宮”に迷い込んだような感覚に陥りました。案内表示や縄張り図が無かったら、私は絶対迷うと感じました。
見学ルートに沿って堀底道を進むと、櫓台跡(五の郭北東端)と変形武者走りがあります。
変形武者走りは、小幡城の特徴の一つで、土塁上の凹みを移動し、堀底の敵兵にみつからずに攻撃する機能があったと考えられているようです。
さらに堀底道を進んでいくと、五の郭と四の郭の土橋、そしてお待ちかねのは本丸の入り口にたどり着きます。
本丸では、高い土塁が周囲を囲んでおり、中央奥には井戸があります。空堀がもの凄い小幡城ですが、本丸の土塁も規模が大きく圧巻でした。
城跡エリアから少し西に行き、東関東自動車道の跨線橋を渡ると土門(大手門)跡があります。ここには土塁の遺構が残存しています。(駐車場から徒歩5分ほど)
帰りはバスの本数的な兼ね合いで、城跡から40分ほど歩き、別路線のバスが合流する「奥ノ谷」のバス停から水戸駅へもどりました。(奥ノ谷からはバスの本数が増えるので、参考になさってください。)
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 小幡氏 |
築城年 | 応永24年(1417) |
主な城主 | 小幡氏、大掾義幹 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、櫓台、腰曲輪、井戸 |
指定文化財 | 町史跡 |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 茨城県東茨城郡茨城町小幡 |
問い合わせ先 | 茨城町役場 |
問い合わせ先電話番号 | 029-292-1111 |