かのうじょう

狩野城

静岡県伊豆市

別名 : 柿木ノ城
旧国名 : 伊豆

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①空堀
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昌官忠

(東海&関西)遠征25日目(最終日):狩野城 (2025/06/08 訪問)

柿木橋バス停から徒歩10分弱で、狩野城跡駐車場付近(34.9393057、138.9260677)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、平安時代末期に狩野氏によって築かれたと云われています。
狩野氏は藤原南家工藤氏の一族で伊豆国狩野荘発祥。狩野維景が土着して狩野氏を称した事に始まるそうです。
約300年にわたって、狩野氏はこの城を本拠に中伊豆地方に勢力を誇りました。絵師として有名な狩野派の先祖でもあります。
1493年(明応2年)北条早雲が伊豆へ侵攻すると開城して降伏しました。
その後、一族は小田原に移って北条氏の家臣団の中枢で活躍したそうです。

駐車場(農村公園と表示されている)に登城口があり、「武将『狩野一族」と絵師『狩野派』のふるさと」というパンフと攻城者用の杖が置いてありました。
登城口から本郭まで、緩かな登りの左回り(20分)と少し急な右周り(15分位)がありますが、自分は右周りを選択。西郭、二重橋、本郭とコンパクトに連なっています。
登城路はよく整備されており縄張り等もよくわかりました。また、駐車場にトイレがありました。
突然の大雨(天気予報では曇だったのに)に早めに攻城を切り上げ、屋根がついた柿木橋バス停に退避しました。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=江川邸(城びと未登録 静岡県伊豆の国市)に向かう為、柿木橋バス停からバス➡電車を乗り継いで、韮山駅に向かいました。

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T-Shionoya

チョッピリ芸術的な気がした狩野城 (2023/02/20 訪問)

2月後半の城郭巡り第4段は、河津からの帰りに寄った静岡県伊豆市の狩野城。

狩野川上流の伊豆半島の山間部。
狩野川に向かい西から東へ下る山裾の、柿木川と北沢川に挟まれた尾根の先端、比高60~70mの小山に築かれた城。
伊豆の南北を繋ぐ要衝で、下田街道を監視していたでしょうか。

1100年頃から1400年代末までの狩野氏の拠点で、伊勢宗瑞の伊豆侵攻の折に落城し廃城となった模様。
因みに1400年代後半から江戸の末期まで活躍する絵師の狩野派は鎌倉期の分家とのこと。
現在は生活環境保全林として遊歩道が整備されています。

訪問時は、北の駐車場から遊歩道を時計回りに散策。
印象に残ったのは堀切による激しいアップダウン。
そして本郭周辺は二重堀や土橋など小規模ながらつくりが凝っており、古い時代の城遺構としては期待以上。
それでも本丸は、広くて最高地点の中郭かなと勝手に想像したりして...

滞在時間は約1時間半。
狩野氏の城だけにチョッピリ芸術的な気がした私の城郭巡りの151城目でした。

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しんちゃん

堀切を多用した狩野氏の城。 (2022/01/10 訪問)

狩野城は11世紀半ばから15世紀まで約4世紀にわたって
狩野地区の領主だった狩野氏の城です。
足利茶々丸に与して北条氏と敵対しましたが
開城して降伏、以後北条氏に従い
家臣団の中核を成したとのことです。
狩野城は良く整備された山城で駐車場もあり
城びとにやさしい城です。
鳥が羽根を開いたように三方に城域が広がり
南側が中の郭、南郭で最も面積が広く
西に本郭、西郭があり
本郭の西側は二重の堀があるようです。
東側には東郭と出丸があります。
空堀が結構多いのがこの城の特徴で特に西側の
尾根上に多く堀切が見られます。
本郭の周囲も土塁が残り、なかなか見ごたえのある城です。

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チェブ

狩野派発祥の地で『先人びと』 (2022/08/14 訪問)

前回 投稿した「長浜城」から内陸に入り、狩野川沿いをドライブすると『狩野派発祥の地 狩野城』と大きな看板があります。
看板通りに→を進むと「狩野城」に到着しました。
「狩野城」は駐車場がある、整備された城址公園です。
説明板によると、平安時代末期に狩野氏が築城したようです。
狩野(工藤) 茂光さんは、源 頼朝さんの挙兵にも参加しています。
石橋山の戦いでは歩行困難になり自害しました。
歩行困難?ちょっと調べたら、太っていたらしく、、、、。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも体格の良い俳優さんが、工藤 茂光さんを演じてました。戦いの途中、
茂光『鎧が合わないから取り替えてくる 』
時宗『鎧ではなく太ったのではないか?』
簡単ですが、こんな会話がドラマ中にあり、その後2人は善児に殺害されてしまいます。

北条 早雲の時代には狩野氏は、前に投稿した「堀越御所」の茶々丸方に属し、敵対しました。
足利氏が滅亡し、北条傘下に。
因みに、狩野 正信さんが、8代将軍 足利 義政さんに富士山の絵を描いた事から、幕府御抱え絵師になったんだとか。すごい運命です。

説明板の横には『狩野氏』と『狩野派』の系図があります。
二枚の前に立つと、先人が好きな私は動かなくなります。『城びと』なのですが、『先人びと』です。
たくさんの興味を惹く方々の御名前ばかりです。
「狩野城」は遊歩道がありますが、前日に台風が上陸した為、前進しません。
今までのお城で、もう靴が、、、、。

この辺り「狩野城」の他にも『天城越え』『浄蓮の滝』等の看板があります。
狩野川沿いに、田んぼアートもあります。
『道の駅 伊豆 月ヶ瀬』では、イノシン型の最中の皮がトッピングされたソフトクリーム、おいしかったです。
温泉もありますし、旅館でのんびり過ごすのも良いな。
いつも急ぎ足で、お城攻めしてるので、1泊したいと切に思った「狩野城」です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 狩野氏
築城年 平安時代後期
主な城主 狩野氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(狩野城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 静岡県伊豆市本柿木、青羽根
問い合わせ先 伊豆市教育部社会教育課生涯学習スタッフ
問い合わせ先電話番号 0558-83-5476