留守政景が葛西・大崎氏への備えとして岩切城から移り、小田原の役で所領を失った時の姿を残す。全体が公園になっていて散策しやすく、特に切岸は今も美しい。留守の姓は陸奥国留守職がその由来だということを初めて知った。
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2025/07/12 10:12
2025/05/25 17:14
留守政景 (2025/05/24 訪問)
伊達政宗の叔父である留守政景の居城と伝わっています。丘陵を切り込む沢を利用した城であったようです。現在は舘山公園として整備されています。
JR利府駅から徒歩にて登城しました。利府小学校前にも説明板があり、その横に登城路があります。途中に「利府城跡の大イチョウ」がありました。巨木の前に標柱があり留守政景の娘美竹姫の安産と母乳が豊かにあるようにと祈願したものという言い伝えがありますと記載されていました。大イチョウは大きすぎて写真に納まりきれません。桜の園→憩いの丘→芝生広場→ふれあい広場→どかん広場→頂上広場と散策してきました。
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2025/05/25 11:23
留守ですけど (2025/01/02 訪問)
現地案内板によりますれば、利府城は留守氏の重臣。村岡氏の居城でしたが、永禄12年(1569)留守氏の後継者問題で伊達系留守氏側と対立し翌年、この城で戦い滅亡したとされています。その後、伊達政宗の叔父の留守政景が20年の間この城を本拠としました。
標高100m、比高100mの山城ですが、駐車場まで車道が伸びているので、城址へのアクセスは容易です。北側の駐車場に車を留め、そこからは徒歩になります。北東と南西の二つの丘陵上に郭が築かれています。
余湖さんの縄張り図だと「憩いの丘」や「芝生広場」の有るあたりが南部分、「桜の園」と呼ばれる広場が北部分とされ城址碑も有ります。公園化されているので、遺構の判別は難しいですが西側の「どかん広場」「頂上広場」にも出丸や物見の雰囲気がありますね。
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分類・構造 | 山城 |
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築城主 | 村岡氏 |
築城年 | 不明 |
主な改修者 | 留守氏 |
主な城主 | 村岡氏、留守氏 |
廃城年 | 天正18年(1590) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 宮城県宮城郡利府町利府字城内(館山公園) |
問い合わせ先 | 利府町地域整備課産業経済班 |
問い合わせ先電話番号 | 022-767-2120 |