日本100名城

すんぷじょう

駿府城

静岡県静岡市

別名 : 府中城、静岡城
旧国名 : 駿河

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駿府城
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しんちゃん

天守台野外展示プロジェクト (2024/07/13 訪問)

伊豆攻めの前に駿府城に寄ってきたので、公式に便乗して投稿しちゃいます(おいおい‥)。天正期の天守台と慶長期の天守台が同時に発掘されており並べて鑑賞することが出来ます。天正期の天守台は家康公が関東に移封される前に築かれたとされ、慶長期天守台は家康公が秀忠公に将軍職を譲って隠居した際に再び築かれたもので、約55m×48mという非常に大きなものになりました。
復元された東御門内では江戸期大天守台とともに出土した金箔瓦の展示などがされています。

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駿府城

駿府城跡天守台野外展示プロジェクトへのご支援をお願いします

駿府城跡(静岡市葵区)では、近年の天守台発掘調査で、徳川家康公が築いた2つの天守台や金箔瓦など、重要な発見が相次いでいます。これにより天下人家康公の一生や歴史のストーリーを現地で体感できる唯一無二の文化遺産として高く評価されていますが、それだけでは駿府城や家康公の歴史を十分に体感することはできません。
そこで、訪れる方が歴史を楽しく体感し、歴史散策を楽しめるように、現在駿府城跡天守台野外展示プロジェクトに取り組んでいます。
駿府城跡天守台野外展示プロジェクトの詳細につきましては、こちら(https://www.city.shizuoka.lg.jp/s6725/s013130.html)をご覧ください。
文化遺産とデジタル技術を融合し、「ありし日の駿府城」の姿を再現し、子どもたちの学びや県内外からの観光などに活用するプロジェクトに、ぜひご支援をお願いします。

今後も駿府城跡天守台野外展示プロジェクトに関する取り組みの様子や最新情報など静岡市公式ホームページ【文化財ブログ】(https://www.city.shizuoka.lg.jp/s6725/s012603.html)で更新予定ですのでぜひご覧ください。

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天守無しがアツい

巽櫓をじっくり見学 (2024/06/23 訪問)

(HP)https://sumpu-castlepark.com/gomon/

駿府城には坤(ひつじざる)櫓…紅葉山庭園…そして巽(たつみ)櫓という施設があり、坤櫓は訪れた事あれど、その他はまだ…そして駿府城の御城印と100名城スタンプをまだ得てない…という事情あり、再び私は駿府城へ向かうことにしました

料金所の傍に100名城スタンプが設置してあり、逃さず真っ先にスタンプ帳にそれを押しました。100名城と続100名城…計200のスタンプ欄があり、その全てを達成するなんてほぼ不可能…そう…コンプなんて鼻から狙ってません…けれど1個押す度に満たされる想いが湧き立つのは確かですね(^∇^)

入館してすぐの場所にあったのがジオラマ(1枚目)。駿府城全体を再現したもので、各所のボタンを押せばそこがスポットライトを浴びるかの如く目立つ仕組みになってました

駿府城歴代城主を紹介するパネル(2枚目)。家康は2度ここを治めており、2度目は征夷大将軍を引退してここ駿府に隠居してからの統治…城の大改修を命じたそう

5代目の頼宣は家康の十男…水戸藩初代藩主頼房の兄であり、紀州徳川家の初代…そして6代目は忠長…彼は家康の孫であり、3代将軍家光の弟…紹介文には「28歳で自ら命を絶った」

正確には兄家光により命を絶たされた…切腹を命じられた…ようですがね😅💀 一言で言えば彼には統合失調症なところがあり、殺傷禁止の場所で猿をたくさん殺したり、癇癪を起こして何人もの人間を手打ちにしたりして…父秀忠や兄家光の怒りを買い…改易…勘当…蟄居…そして切腹という末路

(徳川忠長wikipedia)https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%BF%A0%E9%95%B7

駿府城にはかつて天守(江戸城よりも立派な)天守がありました🏯 けれど火災により焼失してそれからは天守台のみ残ってましたが、それも明治になって取り壊されました

その地は現在、発掘調査現場として工場のフェンスで覆われ、9:00-17:00はフェンス内に入口から入れて、遺跡の周囲から見学こそ可能であるけれどそこから中には入れません

駿府城の天守台が造られた時の様子が紹介されてました。まず採石場で石垣にする大きな石を集める。それから溝を掘って基礎の石を置き、根石を置いてから、土砂や川原石を敷き詰めて…石垣を造るそうです(3枚目)🏯

そういう作業工程で一生懸命頑張ってる作業員の姿が印象的に見えたので添付画像にしてみました👷🪨

櫓の奥には御城印や城カードを扱う売店があり、その2つと静岡茶のティーバックを買いました。そこは1階で2階には何と…家康が幼少期(今川氏の人質となっていた頃)を過ごした四畳半の間(4枚目)が再現されており、要チェケラかつ要撮影と言えました

「文化財に匹敵する展示のため中には入らず外から見学するように」との案内があり、それに従う形で外からのみ見物をしました。中への立ち入りを認めてしまうと荒らされてしまう恐れがあるので、それは正解と言える判断でしょう

四畳半と言うと…フツーの子供部屋並に狭いスペース…こんな中で幼き家康は学問に励み忍耐力を養っていった…のかな

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新幹線を途中下車し、いざ駿府城へ!! (2024/02/26 訪問)

 福井遠征からの帰り道。旅の締めくくりとして、静岡で新幹線を途中下車し、初登城!!
 JR静岡駅から徒歩15分。
 訪問日は月曜日で巽櫓・坤櫓は休館していたため、100名城のスタンプは、静岡市役所16階の歴史文化課で押印。エレベーターで16階まで行くと、目の前に貼り紙で設置場所の案内があり、それにしたがって歴史文化課の方に行くと、窓口向かいの棚のところにスタンプが設置されていました。
 スタンプ押印後、静岡市役所側から攻城。大手御門→東御門・巽櫓→本丸堀跡→徳川家康像(家康手植のミカン)→天守台発掘現場→坤櫓→二ノ丸橋→二ノ丸御門跡の順で見学。
 まず静岡県庁前に大手御門跡(桝形)があり、巨大な水堀と石垣が県庁前にも広がっています。駿府公園東側の東御門・巽櫓側から公園内へ入りました。 
 写真では何度も拝見していましたが、巽櫓を実際に見ると想像以上に巨大で驚きました!!
東御門は内桝形構造で規模も大きく見ごたえがありました。東御門から入るとすぐに本丸堀(内堀)の一部があります。本丸堀は明治に埋められてしまったようですが、平成の発掘調査で姿をあらわしたとのことです。本丸堀から北西寄りに進むと、徳川家康の銅像とそのそばには家康公御手植えのミカンの木があります。
 そして今話題の天守台の発掘現場へ
 家康像の裏手から、天守台に発掘現場への入り口があり、そこから入場。天正期の石垣、慶長期の石垣などが発掘されており、加えて今川氏時代の遺構も発見されているようで、とても驚きました!!
 それぞれの発掘地点にはカラーコーンが設置されていて、とても分かりやすかったです。 
 つづいて、天守台の発掘現場から南に進み、坤櫓へ。坤櫓も規模が大きく、見ごたえたっぷりです。坤櫓からは東に進み二ノ丸橋を渡り、堀沿いを西に進み、二ノ丸御門跡の対岸へ。
 二ノ丸御門跡は、かつての門の部分が埋められており、対岸からみると石垣の積み方が明らかに異なっているので、とても興味深かったです。

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概要

少年期に今川氏の人質として過ごした駿府に徳川家康が築城。三重の堀と2つの曲輪が本丸を囲む輪郭式へと改修し、家康の隠居城となった。六重七階とされる大天守は焼失したが、堀や石垣が城のスケールを感じさせる。二の丸には二重三階の巽櫓や桝形門の東御門が復元されている。

城郭情報

城地種類 輪郭式平城
築城年代 天正13年(1585)
築城者 徳川家康
主要城主 徳川氏、中村氏、内藤氏(松平氏)
近年の主な復元・整備 徳川家康
天守の現況・形態 型式不明[階層不明/1589年頃築/焼失(失火)]、不明[階層不明/1608年再/焼失(火災)]、層塔型?[7階/1610年再/破却]
主な関連施設 櫓、門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)
住所 静岡県静岡市葵区駿府城公園
問い合わせ先 静岡市生活文化局文化スポーツ部文化財課
問い合わせ先電話番号 054-221-1085