日本100名城

すんぷじょう

駿府城

静岡県静岡市

別名 : 府中城、静岡城
旧国名 : 駿河

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駿府城
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テンちゃん

駿府城 登城 (2021/11/23 訪問)

再訪になります。今回の目的は、御城印と限定版御城印帳の購入、天守台発掘現場の見学です。

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じゅんじん

秋まつり (2021/10/30 訪問)

イベントしてました。博物館も建設中です。

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ふゆづき

ご隠居の政務のための城 (2021/09/08 訪問)

静岡駅から徒歩約15分。静岡県庁が城内にある駿府城を訪問しました。
城内には、今川氏が主であった駿府館の跡があり、この地が長らく駿河(現在は静岡)の中心であったことが偲ばれます。
事前学習が不十分であり、駿府城が二条城に比肩するような政務のための城であることを知りませんでしたが、平城であることから、要害の地というよりも、城下町の発展に適した場所に位置し、大規模な天守閣、堅牢な石垣、格式ありそうな櫓門が、この城の性格を表しているように思いました。
現在実施中の天守台跡の発掘作業の様子も見ましたが、豊臣時代と徳川時代では明らかに石垣の積み方が異なり(和歌山城みたいです)、両者の比較ができる点に興味深さを感じます。

見所の一つは復元された東御門とこれに連結する巽櫓ではないかと思います。この巽櫓の内部に入るにはチケットを購入しなければなりませんが、このチケット売り場では御城印を販売しています。
この巽櫓内部の展示で面白かったのが、江戸時代初期の大御所政務の時代とその後の時代の本丸御殿の推移です。大御所がこの地を去ってから、大御所を支援するスタッフが駿府を去り、この城が幕府における政権の中枢の一つではなく、駿河地域の地方を統治するためのローカルな政庁と性格が変わったため、政務を執る場所であった御殿が徐々に縮小していった経緯が良くわかりました。

明治時代に水戸からこの地にやってきた徳川慶喜は、祖父伝来のこの地・この城でどのようなことを考えたのかと思うと、貴人情を知らずと一概に言い切ることはできないようにも思います。

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カズサン

桜に浮かれて城廻り駿府城編 (2012/04/05 訪問)

 平成24年4月上旬天気も良く静岡県の城で桜で賑わってる城廻りを駿府城を始めにと出掛け桜と城に大満足。
 当日駿府城では坤櫓台が石垣修復され復元坤櫓の起工式、県庁の高層ビル展望室で眺めて居ました、展望室からの眺めも素晴らしいものです。
 
 車は何時も利用してる北御門近くの市民文化会館地下の有料駐車場。

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概要

少年期に今川氏の人質として過ごした駿府に徳川家康が築城。三重の堀と2つの曲輪が本丸を囲む輪郭式へと改修し、家康の隠居城となった。六重七階とされる大天守は焼失したが、堀や石垣が城のスケールを感じさせる。二の丸には二重三階の巽櫓や桝形門の東御門が復元されている。

城郭情報

城地種類 輪郭式平城
築城年代 天正13年(1585)
築城者 徳川家康
主要城主 徳川氏、中村氏、内藤氏(松平氏)
近年の主な復元・整備 徳川家康
天守の現況・形態 型式不明[階層不明/1589年頃築/焼失(失火)]、不明[階層不明/1608年再/焼失(火災)]、層塔型?[7階/1610年再/破却]
主な関連施設 櫓、門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)
住所 静岡県静岡市葵区駿府城公園
問い合わせ先 静岡市生活文化局文化スポーツ部文化財課
問い合わせ先電話番号 054-221-1085