かつのおじょう

勝尾城

佐賀県鳥栖市

別名 : 三ケ山城、三上城、筑紫城三上山、勝山城、筑紫城、山浦城
旧国名 : 肥前

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主郭
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しんちゃん

元旦から縄張り地形図忘れ、さらにスマホは圏外。でも石垣遺構は最高。 (2023/01/01 訪問)

勝尾城は標高501.3mの城山山頂に位置する筑紫氏の居城です。
筑紫城は天正14年(1586)島津氏に攻められ落城し城主の筑紫広門は
筑後の大善寺に一時的に幽閉されるのですが、後に挙兵して奪還しています。
居館跡から比高350mはあり、なかなかきつい山城なのですが頑張って登っていくと
大手曲輪にたどり着きます。石積みが残り、かつては櫓が建っていたそうです。
いきなり見せ場ですが、さらに北上すると主郭にたどり着き
主郭にも石垣が見られます。
南側には物見岩があり、さらにその先にも石垣遺構が残ります。
北西にも曲輪が続いています。
本丸から東側に向かうと、堀切を経て二の丸にたどり着きます。
そこから東南の方向に曲輪が続き、東側の側面には石垣が残ります。
そこから帰路につくのですが舗装された道路から分け入るようにして
元来た道へ帰っていきます。
その時、たまたま縄張りと地形図を忘れてきてしまって、スマホを頼りに
登ってきたのですがいきなり圏外になってしまって
あやうく車道沿いにとんでもない方向へ行くところでした。
元旦からピンチでしたが、これも城バカらしいな、と一人自嘲しました。



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小城小次郎

威圧感満載の門に迎えられる (2022/11/12 訪問)

比高350mで途中から岩登りのようになる急斜面の上に威圧感満載の大手門があり、そこから先にまさしく鉄壁のお城が横たわっている。こんな山の上にこんなお城を拵えてしまうところに筑紫氏の底力みたいなものが垣間見える。

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ryu

勝尾城見学会に参加する(2018年) (2018/04/22 訪問)

鳥栖市の教育委員会が春と秋に主催するボランティアガイドによる「勝尾城筑紫氏遺跡見学会」に参加してきた。(2014年に続き2回目の参加)。

勝尾城は戦国時代、肥前、筑前、筑後三カ国の国境地帯に勢力を振るった戦国武将、筑紫氏が1586年、島津氏に攻められて落城するまでその居城としてきた城で、山上に石垣や土塁、堀切などがよく残っている。また、勝尾城周辺は、麓にある城主の館跡を中心に周囲の尾根上に本城の勝尾城のほか、いくつもの支城や砦が、取り囲むように築かれている。

四阿屋神社前の駐車場に8時半に集合し、7〜8人のグループに分かれ、ボランティアの方がついて説明をしてくれながらゆっくりと登る。筑紫氏館跡までは、昔の登城道に沿って歩き、そこから登山道となる。
大手曲輪から伝二ノ丸跡の石垣、堀切を見て二段の石垣から伝物見岩のある城山山頂に至る。
山頂で昼食休憩後、主郭部から尾根伝いに石塁跡を見て下山した。
新緑の緑がきれいだった。
探訪順路:登城道、家臣団屋敷跡、槍突き岩、筑紫氏館跡、大手曲輪(虎口の石垣、堀切)、伝二ノ丸(堀切、石垣、虎口)、搦め手虎口、二段積みの高石垣、堀切、伝物見岩、主郭、横堀、石垣など

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todo94

【家×お城】登城したお城しりとり[193] (2016/12/17 訪問)

「き」は「き」に戻ってしまう城があって、結局こんな城にしてしまいました。【喜岡城】(香川県高松市)→【勝尾城】(国史跡、日本名城百選・佐賀県鳥栖市)。香川県も佐賀県も名城以外の城は初出かと思います。次もまたまた「お」でお願いします。

【しりとり業務連絡】「ハル」札、盲点でした。鶴ヶ岱チャランケチャシとして認識しておりましたので。雨中の攻城は取りやめますが、「三春城」いつでもこ~い。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 渋川義俊?、渋川義基?
築城年 応永30年(1423)?、延徳3年(1491)?
主な城主 渋川氏、筑紫氏
廃城年 天正15年(1587)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、横堀、館跡
指定文化財 国史跡(勝尾城筑紫氏遺跡)
再建造物 説明板
住所 佐賀県鳥栖市牛原町
問い合わせ先 鳥栖市教育委員会教育部生涯学習課文化財係
問い合わせ先電話番号 0942-85-3695