かつのおじょう

勝尾城

佐賀県鳥栖市

別名 : 三ケ山城、三上城、筑紫城三上山、勝山城、筑紫城、山浦城
旧国名 : 肥前

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①	山頂498m(伝物見岩)
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トク

【筑紫広門】(4)勝尾城(3/3:勝尾城の戦い) (2025/05/15 訪問)

筑紫広門の続き(4/6)です。勝尾城は標高498mの城山山頂にあり、筑紫氏館からさらに健脚でない私の足でも60分の登山でした。実はこの勝尾城の真下には、現在は九州新幹線が走っています(写真②:真下は九州新幹線で最も長い全長12kmの那珂川トンネル、右中央が新鳥栖駅、左が鳥栖駅と鳥栖市街)。

筑紫氏館にある登山口から登りました。途中岩場などもあり傾斜がきつく滑りやすい所もあるので気をつけて下さい(写真⑧)。登山道を登り切るとまず大手曲輪がありました(写真③)。ここの曲輪は段々になっています。という事は、ここに多くの兵が待機していた防御の中心で、ここで攻め登って来た島津軍と壮絶な戦があったのではないかと推測しました。さらに登ると本郭に着きました。本郭には島津との戦いで亡くなった兵への供養と思われる、石碑とお地蔵様があります(写真④⑤)。そして伝物見岩からは鳥栖市街が一望できる素晴らしい眺めでした。心地よい風も吹いていたのでとても気持ちよかったです(写真①②)。東橋バス停からは途中見学も含めると2時間かかり山頂まで着きました。誰もいなかったので、物見岩に座って30分間、この雄大な景色を眺めながら、ゆっくりとおにぎりを食べました。東橋でバスを降りてからここまで、飲料自販機すらなかったので注意して下さい。私はたまたま飲み物食べ物を、鳥栖駅前のコンビニで買ってバスに乗ったので、これはもう大正解でした!

帰りに東の伝二の丸へ寄りました。本郭との間を遮断する大堀切があり、その先の北面には高さ4mの二段積みの強固な石垣も築かれていました(写真⑥⑦)。下の堀の底から見上げるとなかなかの迫力です😯!(ここで矢や鉄砲で撃たれたら万事休すですね!)。そこから来た道へ戻るつもりがまたもや道を間違えてしまい、遠回りしてしまいましたが、標識と地図に何とか助けられ、来た道へ無事合流する事ができました(笑)(写真⑨)。

1584年に立花宗茂と和睦した広門は、北上してくる島津軍に対抗するため、筑紫氏館とそれをぐるりと取り囲む勝尾城を含めた周辺の5つの支城の防備を強化し、さらにその外城の防備をも固めます。この勝尾城の石垣や、以前モトさんが見られた一ノ岳城の石垣も、おそらくこの時期に築かれたものと思われます。

そして1586年いよいよ島津軍の北上が始まります。そしてその大軍はまず寝返った筑紫広門に向けられ、広門は勝尾城に籠城し、島津忠長2万の大軍がそれを取り囲みました。

そして最大の山場は、広門の子である「筑紫春門」が奮戦し、「川上右京亮(忠堅)」との一騎打ちであったようです。その直後、怒涛のように攻め登って来る島津軍に広門はついに敗れ、転々と山中にある支城に隠れながら逃走するも結局は捕まり、久留米の大善寺に幽閉されてしまいます。

私は伝物見岩に立ち、鳥栖市街を眺めてみました(写真②)。春門を失った広門は、この眼下に島津2万の大軍で埋め尽くされている光景を、どんな思いでここから眺めていたのでしょうか?

そして私は、あの勇ましい広門がなぜここで討死または自害をせず、捕らわれてでも生き延びる道を選ぼうとしたのか?・・・とても不思議に思いました🤔。この2週間後に同じ島津忠長軍に囲まれ、家臣763名とともに岩屋城にて全員壮絶な討死をした、あの高橋紹運とは対照的だなと思いました。どうやら筑紫家には、主君は何としてでも生き延びて血を絶やすな!・・・という家訓があったようです。

次は、広門が幽閉された大善寺を訪れます。
 

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トク

【筑紫広門】(2)勝尾城(2/3:筑紫氏館) (2025/05/15 訪問)

筑紫広門の続き(2/6)です。東橋バス停から歩く事30分、筑紫氏館へ到着しました。

筑紫氏は鎌倉時代からの名門守護大名であった少弐氏の一門とされる国人領主で、少弐氏滅亡後には、現在の那珂川市・春日市・筑紫野市・大宰府市・鳥栖市一帯の交通の要所を押さえ、背後の勝尾城(かつのお)を居城としていました。しかし山上は不便なため、祖父の満門の時に麓に館を築き、満門・惟門。広門と三代90年間を筑紫氏館で過ごし、この時に筑紫氏は全盛期を迎えます。まずその生誕の地、筑紫氏館を訪れました。筑紫広門は1556年ここで生まれます。

館には主殿や会所・庭園・台所などがあり、それらが80×100m高さ3mの石垣で囲まれていたようです(写真④-⑧)。しかし現在は木がうっそうと茂りその広さはよく分かりませんでした。そしてここが勝尾城(城山)への登山口となります(写真⑨)。さあここから登山開始です!

父の惟門は毛利氏の配下として大友氏と敵対し、博多を攻めます。その後毛利氏が九州より撤退すると、家督を継いだ広門は佐賀の龍造寺氏と手を組みます。さらに龍造寺隆信が沖田畷で敗れると、今度は島津や鍋島と手を組み、そして秋月氏らとともに龍造寺に奪われた領地を奪還しようとする大友氏と再び敵対し、大友宗麟の重臣であった立花山城の立花道雪や岩屋城の高橋紹運を度々攻めて行きました。しかし、その最中の1584年、広門は突然ある不可解な行動に出ます。それが私にはなぜだかよくわかりませんでした(🤔?)。

では次は話の都合上、勝尾城(城山山頂)の様子をお伝えする前に、間接的に広門の人生ターニングポイントとなった、猫尾城の戦いから先にお伝えします。
次は、猫尾城に続きます。
 

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トク

【筑紫広門】(1)勝尾城(1/3:葛籠城) (2025/05/15 訪問)

今回は、戦国時代に筑紫平野一円を治めた武将「筑紫広門」という人物の、関ケ原までの波乱の人生を、6回シリーズで追って行きたいと思います。またよろしくお願いします。

JR鳥栖駅から1番のバスに乗り、東橋(あずまばし)で下車しました。東橋バス停にはパンフレットと地図がご自由にどうぞと置いてあったので、これは大変助かりました(写真③)。さあここから広門の居城「勝尾城」を目指します。

橋を渡り、ここからの川沿いが城下町で、だんだんと細くなり谷に入って行きます。まるで一乗谷のような感じです。この川沿い(四阿屋)に商人町があり、その先(城戸から先)は家臣が住む武家屋敷だったようです。

歩き始めて5分、四阿屋神社の河川敷公園にきれいな公衆トイレがありました。筑紫氏館にも小さなトイレはありましたが汚かったので、特に女性の方はここを利用されて行かれた方がいいと思います(写真⑨⑩)。ここには広い駐車場もありました。

四阿屋からふと左を見ると「葛籠城」がありました。勝尾城の出城のようです。登城口まで行きましたが、予想外に規模も大きく、土塁や空堀などの遺構もありそうです。葛籠城の前に立つと城山(勝尾城)が見えてきました(写真①)。ここから麓の筑紫氏館を通り、あの山頂の勝尾城までを目指します(標高498m、比高約350m)。だんだんと気合が入ってきました😠。しかし、あまり寄り道をすると時間も体力もなくなってくるので、葛籠城はあきらめ先へ進もうと思います(写真④⑤)。

さらに10分程歩くと城戸がありました。筑紫氏と島津氏との戦いでは、このあたりで最大の激戦があったようです。広門の子である「筑紫春門」(一説には弟とも)が奮戦し、最後は一騎打ちで勝負を決しようではないかと島津軍を挑発します。これに応じたのは、「川上左京亮(忠堅)」という男です。彼は何と😯・・・沖田畷の戦いであの龍造寺隆信を討ち取った男だとされています! しかし両者は相討ちとなり共倒れとなったようです。春門が槍を刺したと言われる岩や二人の供養塔がありました(写真⑥⑦)。

城戸を抜けると、辰兵衛さんのお友達に出会いました(写真⑧)。元気そうでしたよ!(笑)。そして東橋から歩く事30分、筑紫氏館(筑紫神社)に到着です。ここにも駐車場はありますが、四阿屋から先は道がとても狭いので車の方は注意されて下さい。

次は、筑紫氏館(筑紫神社)へ続きます。
 

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朝田 辰兵衛

山頂は土砂降りだった…☂ (2024/07/05 訪問)

新鳥栖駅観光案内所でレンタサイクルを利用。天候は曇りだったので,安堵してました。ところが,九州横断自動車道の高架をくぐったあたりから小雨が降ってきました。まだ大丈夫と決行しましたが,山頂に近づくにしたがい土砂降りとなりました。足元が滑りやすいワケではなかったので,サクサクと登城しました。
麓の農家ではヤギが放たれておりビックリしましたが,人間慣れしている様子でした。往路も復路も目が合いましたが,復路ではびしょ濡れになった姿を鼻で笑われた気がしました…。
一通り散策できたのですが,モヤがすごくて失敗写真のヤマとなりました。石垣系はほとんど失敗してました…<泣>。
曇り空の新鳥栖駅観光案内所に戻ったら,勝尾城は土砂降りということに驚かれました。
『やっぱり,もってるんだナ…☂』
雨男健在です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 渋川義俊?、渋川義基?
築城年 応永30年(1423)?、延徳3年(1491)?
主な城主 渋川氏、筑紫氏
廃城年 天正15年(1587)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、横堀、館跡
指定文化財 国史跡(勝尾城筑紫氏遺跡)
再建造物 説明板
住所 佐賀県鳥栖市牛原町
問い合わせ先 鳥栖市教育委員会教育部生涯学習課文化財係
問い合わせ先電話番号 0942-85-3695