かつのおじょう

勝尾城

佐賀県鳥栖市

別名 : 三ケ山城、三上城、筑紫城三上山、勝山城、筑紫城、山浦城
旧国名 : 肥前

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物見からの眺望は何もナシ
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朝田 辰兵衛

山頂は土砂降りだった…☂ (2024/07/05 訪問)

新鳥栖駅観光案内所でレンタサイクルを利用。天候は曇りだったので,安堵してました。ところが,九州横断自動車道の高架をくぐったあたりから小雨が降ってきました。まだ大丈夫と決行しましたが,山頂に近づくにしたがい土砂降りとなりました。足元が滑りやすいワケではなかったので,サクサクと登城しました。
麓の農家ではヤギが放たれておりビックリしましたが,人間慣れしている様子でした。往路も復路も目が合いましたが,復路ではびしょ濡れになった姿を鼻で笑われた気がしました…。
一通り散策できたのですが,モヤがすごくて失敗写真のヤマとなりました。石垣系はほとんど失敗してました…<泣>。
曇り空の新鳥栖駅観光案内所に戻ったら,勝尾城は土砂降りということに驚かれました。
『やっぱり,もってるんだナ…☂』
雨男健在です。

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ぴーかる

勝尾城 (2024/02/11 訪問)

【勝尾城】
<駐車場他>筑紫氏館跡山の貝方駐車場数十台分ありに駐車しました。
<交通手段>車
<登山道>筑紫氏館跡から城山登山道と城山自然公園歩道の2つのルートがあるようです。私は城山登山道をチョイスしたので後述はどうなっているか分かりません。また勝尾トンネル(トンネルは通行止め)東側<33.399629, 130.466679>から城山登山道に入れます。矢印板があります。トンネル東側入口の道路脇が広い駐車スペースになっているので、そこに駐車し登山道に入り込めます。

<見所>大手曲輪・巨石群・石垣
<感想>1泊2日久留米・佐賀の旅ラスト9城目。勝山城は1423年または1491年に渋川氏が築城したとされます。渋川氏は少弐氏と争い、やがて少弐氏が当地を得るところとなり、1521年に一族の筑紫氏を城主に置くようになります。戦国時代末には城主筑紫広門は大友氏に味方し島津氏に城を攻められ落城します。豊臣秀吉の九州進攻により島津勢が撤兵した隙をねらって城を奪還します。筑紫広門はその功により秀吉から上妻郡18000石を与えられます。その後に城は廃城となったようです。勝尾城とその支城群、館跡等が国史跡になっています。
 上記登山道からは1000~1200m程で城跡に行けます。登山道は道になっていて矢印板も所々設置しているのでロストすることなく進めます。まず大手曲輪に到着します。大手曲輪は扇状の谷にあり、曲輪壁に石垣が多く残っています。また巨石が多くあり、巨石を防御壁にしたり、通路を塞ぐ虎口利用にしたりしています。大手曲輪一帯はかなり見応えがあります。大堀切と横堀の段壁・伝二の丸跡(東尾根曲輪群といったほうがいいかも)にも石垣跡が多く残っています。主郭主要部は中心部に主郭、少し高くなった壇になっています。南端に巨石の突き出た物見台、西方向に段曲輪が数段あります。南西側下段に横堀が走っています。主郭の石垣は南東面に少しだけ残存しています。物見からの眺望は絶景を見込まれるが曇天でほとんど見えずでした。
 季節がら今回の旅で山城は絶対入れたいと思い勝尾城を選びました。見応えのあるいい城跡で選択は間違ってなかった。お勧めです。走行距離1416㎞無事走破。

<満足度>◆◆◆

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T-Shionoya

要所に石垣を残す勝尾城 (2023/10/11 訪問)

10月の福岡旅行で訪れた1つ目の城が佐賀県鳥栖市の勝尾城。

筑後平野の西の山沿い、河内川が流れる谷の周囲に城館群を構えた筑紫氏。
その最奥部に位置する標高約500mの本城が勝尾城。

一説では1400年代前半に渋川氏が築いたとのこと。
1500年頃の筑紫満門入城以降は、島津氏に落とされるまで筑紫氏5代が約90年間に渡り支配しました。

現在は国史跡の勝尾城筑紫氏遺跡に指定され、要所に石垣を残す山城跡。

訪問時は神社が建つ筑紫氏館跡から、石がゴロゴロとした山道を登り勝尾城へ。
平場の狭い大手曲輪を通り主郭へ向かったものの、分岐点を見逃し引き返すことに。
主郭は石垣不在ながら広さのある削平地で、発掘調査により石材を使用した複数の遺構が発見されている模様。
3時間強の滞在で1番の見どころに思えたのはL字状の伝二ノ丸虎口。ここでは他より強いオーラを感じた、私の城郭巡りの160城目でした。

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しんちゃん

元旦から縄張り地形図忘れ、さらにスマホは圏外。でも石垣遺構は最高。 (2023/01/01 訪問)

勝尾城は標高501.3mの城山山頂に位置する筑紫氏の居城です。
筑紫城は天正14年(1586)島津氏に攻められ落城し城主の筑紫広門は
筑後の大善寺に一時的に幽閉されるのですが、後に挙兵して奪還しています。
居館跡から比高350mはあり、なかなかきつい山城なのですが頑張って登っていくと
大手曲輪にたどり着きます。石積みが残り、かつては櫓が建っていたそうです。
いきなり見せ場ですが、さらに北上すると主郭にたどり着き
主郭にも石垣が見られます。
南側には物見岩があり、さらにその先にも石垣遺構が残ります。
北西にも曲輪が続いています。
本丸から東側に向かうと、堀切を経て二の丸にたどり着きます。
そこから東南の方向に曲輪が続き、東側の側面には石垣が残ります。
そこから帰路につくのですが舗装された道路から分け入るようにして
元来た道へ帰っていきます。
その時、たまたま縄張りと地形図を忘れてきてしまって、スマホを頼りに
登ってきたのですがいきなり圏外になってしまって
あやうく車道沿いにとんでもない方向へ行くところでした。
元旦からピンチでしたが、これも城バカらしいな、と一人自嘲しました。



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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 渋川義俊?、渋川義基?
築城年 応永30年(1423)?、延徳3年(1491)?
主な城主 渋川氏、筑紫氏
廃城年 天正15年(1587)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、横堀、館跡
指定文化財 国史跡(勝尾城筑紫氏遺跡)
再建造物 説明板
住所 佐賀県鳥栖市牛原町
問い合わせ先 鳥栖市教育委員会教育部生涯学習課文化財係
問い合わせ先電話番号 0942-85-3695